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<title>宣伝使</title>
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<description>スピリチュアル (特に精神的・霊的・魂) 等々の話にて、人生の意味などを考える事を目的とした内容を主に発信しています。</description>
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<title>幽界における暗黒世界 - 序章 (宗教は悪魔崇拝)</title>
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<![CDATA[ <div>　皆さま御機嫌いかがでしょうか、管理者：加藤です。今回のお話は、前回投稿の予告通り「幽界における暗黒世界 - 序章 (宗教は悪魔崇拝) 」です。幽界においても、地上界 (現界) においても、暗黒世界を語る上で、宗教団体というカルト集団の話をしておかなければなりません。管理者：加藤は、本投稿で宗教に対して、否定的な話をしますが、信仰は大切だと思っています。しかし、管理者：加藤がいう信仰とは宗教に対する信仰だけが信仰だとは思っていません。皆さまが毎日行く喫茶店や、仕事帰りに立ち寄る赤ちょうちんで、毎日会う人との会話の中で「アァ〜私もあの人の様な人でありたい… 」と思うことこそが、尊敬に値する人物への信仰心だと思います。また、同様に歴史上の偉人の様な人でありたいと思うことも信仰に違いありません。</div><div>　話を「宗教」に戻しましょう。現在の地上界には四大宗教 (バラモン教、仏教、キリスト教、イスラム教) が存在し、それらに少々の考え方の違いをもつ者 (教祖) が、雨後の筍のように新興宗教を立ち上げています。今現在の地球上に、一体いくつの宗教団体が存在するのかを把握している者は皆無なことでしょう。宗教といえば… そうです死後の世界を語る団体が多いです。少々イ・ヤ・ラ・シ・イ言い方をすると「地上界で我々の宗教団体の教えの通りに、正しく生きた者は死後に『天国』で幸福に暮らし、反対に、我々以外の宗教団体の教えの様に、間違って生きた者は『地獄』に堕ちて罰を受け苦しむことになる」この言い分がほぼ総ての宗教団体の教えです。もちろん管理者：加藤が此処で書いたようにストレートには言いません。オブラートに包み、飲み込み安くして洗脳して来ます。本投稿をお読みの方で、何方かの宗教団体に所属しておられる方がいらしたら、その宗教団体の役員の方に「他の神 (宗教団体) の教えも守りたいのですが… 」と聞いてみて下さい。答えは多分「駄目です！」(信者が減っては、お布施も減り、教会や団体の運営に影響が出るので) と帰ってくるでしょう。要するに自分達の宗教団体 (神) が全てであり、他の宗教団体 (神) は悪魔崇拝なのです。「聖戦」とか言って、他の宗教団体の信者を殺害することが善であると、教典に書いている宗教団体もあります。ここまで来ると、カルト集団を通り越して、サイコパス集団です。極論的になりますが、宗教が無ければ争いは基本的に起こりません。宗教＝悪魔崇拝と言っている意味を御理解いただけたと思います。また、管理者：加藤は「死後の世界に地獄はない」ということを、当ブログでも、理由を含め書いています。</div><div>　では先ず、日本人には馴染みの深いと思われる「仏教」から考察してみましょう。日本ではあまり知られていないですが (日本の仏教界では、この根本的な違いよりも、各宗派の派閥争いに忙しい) 大乗仏教と小乗仏教という仏教の二大潮流が存在します。前者は「すべての人の救済」を掲げた考え方で、日本に伝来した考え方は、この大乗仏教です。後者は「個人の悟りの追求」を重んじる考え方で、主に東南アジアで信仰されています。しかし大乗仏教にしろ小乗仏教にしろ根元は同じ仏教です。日本でも「何処々々の僧侶が苦行の末に悟りを得た」という美談？昔話？を聞くことがあると思います。何故、美談になってしまうのか？その僧侶が「自分さえ善ければ、それで善い」という考えで、苦行し悟りに至った (本人が勝手にそう思っている… ) だけで、その僧侶が悟ったところで、誰かの人生が善くなるわけでもなく、世の中が善くなるわけでもありません。単に「我れ善し」の考え方でしかないのです。悟った人と話が出来るのだから、金をよこせ！と言ってるだけです。</div><div>　次に世界で一番多い信者数を抱える「キリスト教」を考察してみましょう。キリスト教ですが、日本では信者を増やす事が出来ずにいます。理由としては、日本で大災害等が発生する度に、世界規模の報道で日本人の「老人、女性、子供が優先で助けあう精神」が話題になります。この考え方 (精神) を持った日本人に、キリスト教が受け入れられないのは当然といえば当然なのです。外国で大災害が発生した時の映像などを見ると、スーパー・マーケットやショッピング・モール等々から、我先にと強奪する現場が報道されます。例え話になりますが、キリスト教の宣教使が、とある若者を勧誘する場面を紹介しましょう。畑仕事をしている若者に宣教師は言いました「貴方が悔改めキリスト教を信じるならば、死後に神の世界に入れるでしょう」若者は尋ねました「オイラが悔改め、キリスト教を信じて、死後に神の世界に入ったら、キリスト教を知らなかった爺様や婆様、親父や御袋は、今は神の世界には居ないのケ？」宣教師は言います「残念ですが、キリスト教を信じて信仰しなかった人々は、神の世界には入れません」若者は言います「ンジャ、オイラは死んだ後に、爺様や婆様、親父や御袋と同じ世界に行くから、キリスト教なんて信じなくていエェシ、悔改めて神の世界なんかに入らなくてエェダ！仕事の邪魔をしネェでケロ！」判りやすい会話ですよネ。宣教師の言う「キリスト教」とは「自分さえ良ければ、それで良いという、我れ善し」の考え方なのです。日本人が受け入れる訳がナイ！！</div><div>　日本人の皆さまにも判りやすい「仏教」と「キリスト教」を例に上げて話しました。宗教が駄目とは管理者：加藤は思いませんが、自分自身が何処かの宗教団体に入信することはないと思います。戦後の日本はGHQの政策により、神道も宗教団体とされていますが、宗教団体の定義 (法的な) に一ッも当てはまっていないのが、神道です。勧誘活動なし、教典なし、集会なし、教祖なし、これでは宗教団体になりません。管理者：加藤は、神道への信仰心はありますが、深入りは避けています。神社があれば、チョット参拝して、挨拶 (今日も元気に生きていまぁ〜す！と感謝) するくらいです。前回の投稿でも書きましたが、日本神道での最高神とされている天照大神が天岩戸に隠れた話など、なんとも人間臭い、ダメダメな神様としかいえないのですが、そんな神様を信じているユル〜〜イ日本人で良いではないですか。楽だし！</div><div><br></div><div>　最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。</div>
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<link>https://ameblo.jp/reikaimon/entry-12969108652.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Jun 2026 10:00:02 +0900</pubDate>
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<title>幽界における暗黒世界 - 序章 (五度の磐戸閉)</title>
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<![CDATA[ <div>皆さま御機嫌いかがでしょうか、管理者：加藤です。今回のお話は、前回投稿の予告通り「幽界における暗黒世界 - 序章 (五度の磐戸閉)」です。幽界においても、地上界 (現界) においても、暗黒世界を語る上で、何故に暗黒世界が顕現してしまっているのか？を考察しておく必要がありますので、本投稿では「五度の磐戸閉め」について話をしますね。出来るだけ解り易く説明して行きたいと思います。</div><div>　皆さまも記紀 (奈良時代に編纂された『古事記』と『日本書紀』という日本現存最古の二大歴史書) に書かれている「天之磐戸閉」の話は聞いた事があると思います。三貴神 (アマテラスオオミカミ・ツクヨミノミコト・スサノオノミコトの三柱の神々) の末の弟であるスサノオノミコトが高天原で大暴れをした事で、姉のアマテラスオオミカミが恥ずかしさのあまり、天岩戸という洞窟に隠れてしまい、その洞窟に大きな岩で出入りが出来ない様に洞窟を塞いでしまうお話です。</div><div>　さてこの記紀に書かれている物語は、古事記と日本書紀とでは微妙に内容が異なり (天之磐戸閉は同じ) ます。理由として、古事記の方は、天皇の正当性を示すために、日本国内向けに書かれたものです。そして、日本書紀の方は、日本国家による公式の歴史書（正史）です。当時の国際的な公用語であった漢文で書かれ、海外に向けて日本の正当性を示す目的で書かれたものです。</div><div>　話を五回の磐戸閉めに戻しますネ。五回？と思う方がほとんどでしょう。記紀を読んだ事はあるけど、磐戸閉めなどの話が五回も書かれてないゾ！とお叱りの声が聞こえて来そうで管理者：加藤は少々ですがコ・ワ・イでスゥ〜 (笑) 。実は記紀だけを読んでも判らないのです。順番に説明して行きますね。</div><div>　一度目の磐戸閉：イザナミノミコトが火の神を生んだことにより、黄泉の国へ行ってしまい。イザナミノミコトを追いかけたイザナギノミコトが、変わり果てたイザナミノミコトに恐怖し、黄泉の国の出入口を岩で塞いでしまったことが一度目の磐戸閉めとなります。記紀では、この事件を磐戸閉めとしては書かれていません。タ・ブ・ンですが、この事件を磐戸閉めとしてオ・オ・ゴ・トの話にしてしまうと、この後にイザナギノミコトが夫婦神として、力を合わせる事なく、夫神単独で三貴神を生むという大問題に光が当たってしまうので、シレッと書き進んだのでしょう。マァ、その問題も含めて磐戸が閉まったという事とも理解できるのですが…</div><div>　二度目の磐戸閉：二度目の磐戸閉めは「天之磐戸閉」なのですが、やはり記紀では、かなりシレッと突っ込みが入らない様に書かれています。天岩戸の洞窟に隠れてしまったアマテラスオオミカミに対して、新たな神が現れたと「嘘」を吐いて、八百万の神々が天岩戸の前に集まり、天宇受売命（あめのうずめのみこと）が楽しい踊りを披露して大騒ぎを始めます。何事かと天照大御神が天岩戸を少し開けて覗いたところ、力持ちの神・天手力雄神（あめのたぢからおのかみ）が天岩戸をこじ開けてアマテラスオオミカミを外に引っ張り出したのですが、神々がダマシて引張り出したアマテラスオオミカミが、素直にダマサレる訳が無い！アマテラスオオミカミも神々をダマシて、未だ磐戸の中にいるのです。因みに、この「天之磐戸閉」の最終作業は、偽のアマテラスオオミカミを引っ張り出して天岩戸に注連縄 (しめなわ) を張った事です。これが現在の神社にも残っている習慣なのですが、この注連縄は「神を其処から動けなくする結界」なのです。神社にある鳥居も、注連縄と同じ目的の結界です。失礼な話ですよネェ〜、天岩戸や神社に神様を「閉じ込める」などとは。</div><div>　三度目の磐戸閉：この三度目の磐戸閉めが、一番罪深い！二度目の磐戸閉めで、ニセのアマテラスオオミカミが、世の中に光を戻した後に、高天原を混乱させたという罪を「スサノオノミコト一人に押し付け」罰としてヒゲを抜き、手足の爪を剥がし、高天原から葦原中国 (あしはらのなかつくに) 、現在の出雲の地へ追放しました。これって、スサノオノミコトが高天原に向かう前から、結構無理がある話の流れだと管理者：加藤は思いますヨ！マァ「出雲の国譲り」へ話を持って行く布石なのでしょうけどネェ？ここまでして「悪」をデッチ上げないと駄目なんですかネェ〜 (管理者：加藤としては、色々と書きたいのですが、此処で伊勢と出雲の問題を深く掘り下げることは避けます)</div><div>　四度目の磐戸閉：四度目の磐戸閉めは、神武天皇が御自ら人皇を名乗った時になります。神の世から人の世への移り、人皇として立たれたことは、大きな事件となりますので、磐戸が閉められたということになります。</div><div>　五度目の磐戸閉：五度目の磐戸閉めは、仏教の渡来と共に仏魔が渡って来て、それまで、わずかながらもマコト神国 (神道) の光がさしていた日本国だったのですが、仏教と共に渡り来た仏魔により、神国日本はクラヤミの世となりました、その後はもう乱れほうだい、やりたいほうだいの世となったのです。これが五度目の磐戸閉めです。</div><div>　ここまで五度の磐戸閉めの内容をみて来ましたが、何で日本の事ばかりなのか？との疑問があると思います。その答えは「日本は世界の雛形」だからです。過去の投稿でも予告しましたが、「雛型論」に関しては後日、詳しく投稿させてもらいますね！日本に起こった五度の磐戸閉めによって、暗黒の世が顕現してしまったので、当然世界にも暗黒の世が顕現してしまう事になります。地上界に暗黒の世が顕現すれば、幽界にも暗黒部分が存在する様になります。さて次回の投稿は「幽界における暗黒世界 - 序章 (宗教は悪魔崇拝)」として宗教の闇について話して行きますので、お楽しみに！</div><div>　</div><div>　最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。</div>
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<link>https://ameblo.jp/reikaimon/entry-12968256837.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Jun 2026 09:00:09 +0900</pubDate>
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<title>幽界では何でも出来る</title>
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<![CDATA[ <div>　皆さま御機嫌いかがでしょうか、管理者：加藤です。今回のお話は、「幽界では何でも出来る」という話です。前回の投稿でも書いた内容ですが、もう少し詳しく説明しておきます。出来るだけ解り易く説明して行きますね。</div><div>　幽界では、思うだけで必要な (欲しい) ものが手に入るのですから、お金というものが一切必要ありません。ですので、地上界での生活のように、お金のために働くという辛い仕事は存在しません。地上界では肉体を維持するための食事や生活環境を整えるための住処などが必要だったために、自分の時間と労力を売り、金銭を得るという「我慢」が必要でした。しかし、幽界では、そのような「我慢」からは解放されるのです。地上界で生活する地上人 (人間) からすれば、まるで夢のような世界です。ですので、幽界に入り、ある程度の時間が経過して、この状態が夢ではなく現実だと判って来ると、幽界で生活していることを、心から喜ぶようになります。また幽界では「やりたいことが、やり放題！」という生活も待っています。地上界での生活では、時間的な問題や、金銭的な問題で諦めていた「学問」や「趣味」なども、本人が希望するならば、自分が納得するまで、いつまででもチャレンジできます。幽界にも図書館があり、地上界に存在する書籍は全て読むことができますし、音楽も聴きたいだけ聴いていられます。楽器を習いたいと思えば、自由に好きなだけ習うことができ、そのための上手な教師に指導を仰ぐこともできます。旅行も同様に、行きたいと思う所へ瞬時に行くことができますし、ゆっくりと鉄道や船の旅がよいならば、それも可能です。何でも自由に満足するまで出来るようになっているのです。幽界では地上界と違い、自分のやることに反対したり、文句を言う霊人は存在しません。このように、幽界では地上界での「夢」や「希望」が完璧に実現する所なのです。やりたい (好きな) ことは何でも、満足するまで続けることができます。</div><div>　さて、ここで一寸ギ・モ・ンに思うことがある方もいるかと思いますので、そのことにも触れておきますね！そうです。性欲 (性行為) です。基本的に肉体がない状態の霊人には性欲はないです。修道者など、肉体を持ちながら地上界で性欲と闘ってきた者たちは、幽界に入り、精神的に清らかな世界に入ったと思うことでしょう。しかし、地上界において、ひたすらに性的快楽を追求してきた者は、その欲望が強く心に染み込んだ (残した) ままで、幽界に入ることになります。そして幽界でも依然として性欲を強く求めて行くことになります。意念の世界である幽界では、食欲や睡眠欲と同様に、性行為も満足するまで行うことができます。自分の好みの異性が意念により現れて、交わるようになります。また、意念による相手ではなく、同じような欲望を持っている霊人同士が惹きつけ合うこともあります。しかし、幽界において、この性欲とは少々厄介なものとなります。食欲や睡眠欲などは、肉体がないので必要が無いと悟れば、自然と食事をしたり、睡眠を取ったりすることを止めるのですが、性欲は食事や睡眠と違い、肉体があったとしても、肉体を維持するために、絶対に必要なものではありません。地上界では、魂の器である地上人 (人間) を増やす必要がありますが、幽界において、霊人が魂を産み出すことは出来ませんし、まして物質である肉体を産むことなどは不可能です。性欲は非常に地上界と近い欲望となりますので、幽界において、いつまでも性欲を持ち続けると、性行為に執着した地縛霊となってしまいます。もう少し判りやすく言うならば、幽界に入り、性欲が残っている霊人は、非常に地上界に未練を残した者ということになりますので、地縛霊にも非常に近い存在だということになります。</div><div>　次回の投稿からは、今までの投稿のような楽園的な幽界の話から離れて、幽界の暗黒部分の話をして行く予定ですが、暗黒部分の話の前に、暗黒世界が存在する理由について、二回ほどに分けて記事を投稿する予定です。ごくごく普通の人生を送った者には関係ない暗黒世界なのですが、霊界を知る上では避けて通る訳にはいかない界層なので、説明して行こうと思います、楽しみにしていて下さいネ！</div><div>　</div><div>　最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。</div>
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<link>https://ameblo.jp/reikaimon/entry-12967563208.html</link>
<pubDate>Sat, 30 May 2026 09:00:28 +0900</pubDate>
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<title>幽界では意念が現実化する</title>
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<![CDATA[ <div>　皆さま御機嫌いかがでしょうか、管理者：加藤です。今回のお話は、前回投稿の予告通り「幽界では意念が現実化する」という話です。出来るだけ解り易く説明して行きますね。</div><div>　幽界に入って少しの時間が過ぎると、驚く経験をします。それは自分自身が心の中で強く思うことが、瞬時に現実化するという驚きです。幽界では自分の意念 (思念・想念) を集中させることで、自分の欲しいものは何でも自分の目の前につくり出せますナ・ン・デ・モです。例えば地上界で生活していた時には、欲しくても金額的に買えなかった高級ブランドの洋服も、欲しいと欲するだけで、身に着けています。高級料理も食べたいと思えば、瞬時に目の前に用意され、当然ですが食べられます。まるでアニメの世界か？おとぎ話か？はたまた凄い手品か？と思うことでしょう、幽界とは実際のところ、こんな世界なんです。さらにさらに、こんな家に住みたい… 大丈夫です。何の苦労もなく、自分好みの、庭園つき邸宅に住むことが出来ますよ！手入れをしなければと思うだけで、思った通りの手入れが終了しています。また、意念 (思念・想念) によってつくったものが気に入らない、また、意念 (思念・想念) によってつくったものの関心がなくなった、そう思えば、水が水蒸気として見えなくなるのと同じように、簡単に消滅、または、何時の間にか目の前から消えてなくなります。前回の投稿でも書きましたが、霊人になって、日が浅い者は、どうしても地上界の感覚からは中々に抜け出せないので、完全に幽界で霊人として生活するには、幽界で一定の時間が必要となります。そうした場合、その者の自分自身の意念 (思念・想念) に従って、朝・昼・夜があると思い込むので、朝・昼・夜がある環境が現実に展開してしまい、夜には辺りが暗くなり、その霊人は睡眠状態になってしまいます。実際には幽界には朝も昼も夜もありません。ですがその霊人が「ある」と思い込んでいると、その通りの現実が展開します。これを幽界における「意念による環境創造」といいます。食事などもこれと同じです。しかし、その霊人が幽界での生活が長くなり、霊人自身に霊的な悟りが芽生えてくると、食事をしたり、睡眠を取ったりという行動は自動的にしなくなります。</div><div>　地上界で、ただただ与えられた仕事をすることしか出来なく、自分が「こうしたい」ということが全く出来なかった人は、幽界ではどのような生活をするのでしょうか？世の中には実際、生きていくために、ひたすらに働かなければならないという、気の毒な人は存在します。日々の忙しさの中に埋没し、ワーク・ホーリックとして、人生の大半を過ごす人も存在します。そうした地上人 (人間) が地上界で急死してしまった場合、毎日の仕事のことしか意識が持てないままに幽界に入ることになります。残念な話になるのですが、このような者たちは、地上界で行ってきた仕事以外の創造力を、幽界で発揮することが出来ません。例えば、地上界で生活していた時と同じく、幽界に入った後も、工場で機械を使いモノをつくり続けたり、商店に立ち、モノを売り続けたりと… しかし、工場でどれだけモノをつくってもモノは増えません、商店でどれだけモノを売っても商品は減りませんし、当然ですがお金も増えません。このような「虚しい」状況が、しばらくの間は続くことになります。</div><div>　霊的な世界 (霊界) では、意念 (思念・想念) による創造力が、実際にモノをつくり出すことになります。しかし、総ての霊人が初めから、自由自在、思いのままに意念 (思念・想念) による創造力を発揮できるできるわけではありません。幽界で創造力を発揮させるためには、地上界で生活していた時に、物質次元での体験・経験を積み上げている必要があります。その体験・経験を通じて養われた「意思の力」と「集中力」を身につけていることが必要な条件となるのですが、シ・ン・パ・イないですぅ〜！地上界での経験が少ない霊人に対して、指導を行う霊人や、隣人 (当然霊人ですが) などから、一定の仕事が与えられます。その仕事を通じて、意識を集中させる技を覚えていきます。例えば、家に庭をつくったときに、その庭にいるだけで、酔うようなバランスの悪い (グロテスクな) 庭しかつくれなかった霊人も、この指導を行う霊人から与えられた仕事で訓練することにより、徐々に正しく、力強く、意念 (思念・想念) の発揮を行うコツを覚えていきます。そうすることで、より大きく美しい庭をつくり出せるようになるのです。霊界では何事においても、意念 (思念・想念) の創造力が重要となります。霊界で行う仕事や奉仕は総てが意念 (思念・想念) により行われますので、霊人にとっては重要な能力となるのです。</div><div>　</div><div>　最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。</div>
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<link>https://ameblo.jp/reikaimon/entry-12967064281.html</link>
<pubDate>Mon, 25 May 2026 09:00:38 +0900</pubDate>
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<title>徐々に幽界に慣れて行く</title>
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<![CDATA[ <div>　皆さま御機嫌いかがでしょうか、管理者：加藤です。今回のお話は「徐々に幽界に慣れて行く」という話です。出来るだけ解り易く説明して行きますね。</div><div>　前回の投稿でも話しましたが、死後に幽界に入り霊人となった者は、そこが地上界とあまりにも似た世界であることに驚くと同時に安心を覚えます。しかし、幽界での生活に馴れてくると、今いる幽界は地上界とは全く異なる世界であることに気がつきます。幽界で生活する霊人には、食べたり飲んだりすることが一切必要ありません。何故ならば、すでに肉体を持っていないので、その肉体を維持するためだけに必要だった食物や水分補給を必要としないからです。ですが、地上界での生活時に「食事こそが人生の喜び」と感じて生きてきた霊人は、自分自身の思念によって、瞬時に自分の食べたい物、飲みたい物を目の前につくり出し、食事をすることが出来ますので、それらを食するという生活が、しばらくは続くこととなります。また、睡眠も同じで、睡眠不足が続くことで、身体や精神に悪影響を出すことがありますので、地上人 (人間) には睡眠は不可欠だったのですが、すでに肉体が存在しませんので、睡眠も必要ありません。幽界には朝昼晩という概念もなく、常に日中なのですが、地上界の日中とは違い、常に小春日和のような状態なのですけれども「寝ることが人生の喜び」と思って生きてきた霊人は、やはり自分自身の思念により、寝たくなったら瞬時に夜の状態をつくり、寝ることが出来ます。しかし、幽界での生活に馴れてくると、食事も睡眠も必要ないことに気づきます。その気づき以降は、食事も睡眠も行わなくなるのです。</div><div>　地上界にいた時に、病気などで苦しんだ人は、その病気の苦しみがスッカリとなくなっていることに、喜びを感じることでしょう。病気は肉体に起こった異常現象ですから、肉体がなくなって霊人となった者には存在しません。そのように霊人となった者は、完全な健康状態ですので、赤子の時のように自分自身全体が軽やかで、かつ清らかな感じを受けると思います。ただし、依然として「自分は病気である」と思い込んでいる者は、自分自身の思念により、地上界にいた時と同じように病気に苦しむことになります。ですので「霊人となったと同時に、病気の苦しみを抱えていた肉体とは決別している」と自覚した瞬間に、地上人 (人間) の抱えていた肉体の制限 (食事の必要性、睡眠の必要性、病気に蝕まれる体) から解放されるのです。</div><div>　さて、今回の投稿では「思念」で食事がつくれるというようなことを書きましたが、？？？？？ですよネェ〜 ですので次の投稿では「思念が現実化する幽界」というお話をしますので、楽しみにしていて下さい。</div><div>　</div><div>　最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。</div>
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<link>https://ameblo.jp/reikaimon/entry-12966510096.html</link>
<pubDate>Wed, 20 May 2026 09:00:25 +0900</pubDate>
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<title>幽界ってこんな処なんです</title>
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<![CDATA[ <div>　皆さま御機嫌いかがでしょうか、管理者：加藤です。今回のお話は「霊界ってこんな処なんです」という話です。出来るだけ解り易く説明して行きますね。</div><div>　先ずはじめに、前回の投稿でも話した「幽界と地上界は最も深い関係にある」と書きました。そのために「幽界」とか「地上界」という小難しい言葉ではなく、幽界のことを「幽世 (かくりよ) 」と表現したり、地上界 (物質界) のことを「現界 (うつしよ) 」と表現したりします。マァ何方にしろ小難しい言葉ではありますが… うつしよ (写し世) という言葉の意味ですが、幽界で起こった事が、後に地上界に起こるために「写し」という言葉が使われます。これと同じく、神界で起こった事は、幽界で、後に起こります。これは雛形論というものを理解しなければならないのですが、一寸だけ難しい話になるので、何時か別の投稿で「雛形論」をまとめて投稿しますね。</div><div>　さて、話が違う方向へ行きそうなので「幽界ってこんな処なんです」に、グッグッと戻しますね。地上界から幽界に入って驚くことは、総てが地上界とソ・ッ・ク・リだということです。幽界に住む霊人の姿も、生活環境も地上界と少しも変わらなく感じると思います。「此処があれほどまでに、恐れていた死後の世界なのか？」と思うことでしょう。幽界にも山があり、川があり、湖や海があり、田や畑があり、学校や役所などを中心とした街があり、住宅地もあります。当初 (霊人としての目的に入る前) は、あまりにも地上界と似ているために、自分が寝ているうちに、別の所 (地上界の) へ来たと錯覚し、自分自身が今いる場所が「死後の世界」だと気付かない者もいるのです。周りの霊人が「すでにあなたは死んでいるのですよ」と説明しても、頑として「自分は生きている」周りが自分を騙そうとしていると、怒りだす者もいます。地上界にも、このような他人の意見に一切の耳を貸さない人っていますよね。そして理詰めで話され、反論が出来なくなると怒り出す人、この怒りは、話している相手ではなく、反論できない自分への怒りのはずですが、その怒りを相手にぶつける、マァ駄々を捏ねる子供ですね。地上界にも幽界にも、このようなコマッタ者 (霊的・霊性が低い) は存在するのです。しかし、幽界ではこのようなコマッタ霊人には自業自得の結果が待っています、何時までも地上界への未練が断ち切れずに「地縛霊」化してしまい、何百年、何千年と幽界に留まることになってしまいます。それどころか、地上界への未練により、地上界への悪影響まで出してしまう。ただ、幽界とは地上人 (人間) が開いた世界なので、元々の地上人 (人間) 全体の思念・想念が霊的に高次元に覚醒しない限り、なくなることはないのでしょう。体主霊従 (自分さえ良ければよい) の考えから霊主体従 (全体が良くなければよくない) の考えにならなければいけないということです。</div><div>　死んで直ぐの幽界が、地上界と区別出来ないほど似ている理由は、死の眠りから目覚めた時に、地上界とあまりにも異なる環境だと、急激な変化 (地上界の生活で、霊界のことを忘れている) 魂が大変な衝撃を受けて、大混乱を引き起こすことを避けるためです。</div><div>　しかし、幽界に入って直ぐの霊人の多くは「過去に此処に来たことがある」と思います。総てのものに見覚えがあると感じるのです。それは当然のことで、地上界にいたときから、肉体が睡眠中に、魂が霊界へ戻っていたからです。その時の魂は霊人として、幽界に存在していたのです。このように、肉体が睡眠中に魂が幽界へ訪問していたからこそ、一般的な地上人 (人間) が、幽界に入った後の霊界への適応がスムーズに行われることになるのです。地上人 (人間) は現実世界 (地上界) にいたときから、すでにこのようなかたちで、死後の世界への準備・下馴らしを行っていたことになります。我々地上人 (人間) は、毎晩々々幽界に赴き、幽界での体験を積み重ねているのです。しかし、地上界で生活していた時から、自分の魂の霊格を高めることをしなかった自分勝手な考え (体主霊従) の者は、この肉体が睡眠中の魂の行動さえも認めないというコマッタ者なのです。</div><div>　さて、本投稿の冒頭近くで書いた「写し世」内容を少々補足すると、幽世と現世は深い関係にあるため、現世の悪い想念 (例えば戦争を起こして、土地を奪いたい) などと強く思うと、幽世にて現実化してしまい、後に現世で戦争が勃発してしまうのです。雛形論も、基本的には人間の思念や想念が生み出すものなのです。</div><div>　</div><div>　　最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。</div>
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<link>https://ameblo.jp/reikaimon/entry-12965992413.html</link>
<pubDate>Fri, 15 May 2026 09:00:43 +0900</pubDate>
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<title>霊界の界層</title>
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<![CDATA[ <div>　皆さま御機嫌いかがでしょうか、当ブログ管理者：加藤です。今回のお話は「霊界の界層」です。出来るだけ解り易く説明して行きますね。</div><div>　霊界とは一ッの世界なのですが、そこには霊的な真価の高低や、魂の意識の高低により、いくつかの段階 (界層) 世界で構成されています。そして、そこに住む霊人たちは、自分の居場所以外の界層には、容易に移動は出来ません。解り易い例として、空に架かる虹を考えてみて下さい。虹は我々地上人 (人間) から見て、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫に見えていますが、国と国の国境のように、明確な国境線があるわけではありませんよね？霊界の界層は、虹の色のように、境界線が曖昧です。理由は常にそこにいる者の高低が流動的だからです。ですので、霊人たちは自分の居場所 (自分の界層) にて、自分の目的のために暮らしています。霊界の界層は「神界」と「幽界」とに別れていて、神界は「天国 (天人が住む) 」と「霊界 (天使が住む) 」とに別れ、幽会は「陽界 (陽霊人：悪人のような性) 」と「陰霊人：善人のような性) 」に別れています。</div><div>　幽界は最も地上界に近く、物質的要素を多く残しているために、地上界と最もつながりが深い界層になります。虹の説明で話すならば、幽界が「藍」の世界だとするならば、地上界が「紫」の世界だということになります。今回の投稿では詳しく書きません (別の投稿で詳しく話します) が、幽界は元々存在しなかった界層です。地上人 (人間) は、帰幽すると、先ず幽界で生活することになります。目的は物質的な要素を拭いさり、霊的に純化するためです。これは善悪の話ではなく、物質的な想念の話です。地上人 (人間) の多くは「体主霊従 (我よし的な考えかた) 」な想念で生きている者がほとんどです。出来ることならば、肉体があるうちに「霊主体従」になれればよいのですが、中々に難しい事だと思います。ですので、幽界にて純粋な霊人になるまでの期間を過ごすのです。</div><div>　しかし、全ての者が簡単に純化する訳ではなく、何時迄も物質性・地上臭を拭いさることが出来ないで、長期に渡り幽界の最下層に留ま霊人もでてきます、そのように長期に渡り幽界の最下層に留まると、地上界でいうところの「地縛霊」となってしまいます。物質界 (地上世界) への未練が捨て切れないのです。</div><div>　死の直後は、死の眠りからの目覚め→死の自覚→霊的の自覚と、自らの「死 (肉体的) 」を受け入れるところから幽界の生活が始まるのですが、幽界に入った時点での霊的・霊性の高低により、幽界での生活は決定的に異なることになります。ある者はほとんど幽界での時間を過ごさずに別の界層 (地上界を含む) へ移動し、ある者は何百年も何千年も幽界に留まることになります。霊人には「死」は存在しません。地上人 (人間) は魂 (霊人) の器である肉体 (物質) があるために、肉体 (物質) が朽果てることにより「死」をむかえたということになるのですが、これは魂が死んだのではなく、あくまでも魂の器である肉体 (物質) が朽果てただけなのです。</div><div>　次回の投稿は、マァ地上界で普通に (特別に悪人だった人や、特別に善人だった人ではない) 人生を送った人が、幽界ではどのような生活をするのかについて話をしたいと思いますので、楽しみにしていて下さい。</div><div>　</div><div>　最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。</div>
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<link>https://ameblo.jp/reikaimon/entry-12965565451.html</link>
<pubDate>Sun, 10 May 2026 09:00:45 +0900</pubDate>
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<title>死後我々は何処へ行くのか</title>
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<![CDATA[ <div>　皆さま御機嫌いかがでしょうか、当ブログ管理者：加藤です。今回の投稿が当ブログにおいての初投稿となりますが、お題としては少々重めに感じる話題です。その重い話を、重い内容にならないように頑張りたいと思います。その重く感じられるお題は「死後我々は何処へ行くのか」です。</div><div>　当ブログ名が「霊界門」ですので、タイトルからも判る通り、当ブログの内容は、基本的に「霊界とは？」という内容の投稿が多くなると思います。我々人間 (地上人) が死んだ後にどこに行くのかという話は、誰もが興味のある事だと思いますし、霊界という世界を理解する上で、知っておかなければならない事なので、第一回目の投稿で、カル〜ク触れておきたいと思います。一番解りやすい「言葉」で説明するならば、日本古来の神道の言葉が理解しやすいと思います。一般的には死んだ事を「他界」という言葉で伝えますよね。確かに「他界」という言葉も正しい認識なのですが、判り難い言い回しだと思います、特に霊界を理解するには、判り難い！しかし神道では「帰幽」という言葉を使います。この帰幽という言葉の意味するところは、人間の肉体が滅び、その肉体から「魂が」元いた処へ帰る事を表した言葉になります。ですので、魂が肉体から離れた時点で、残された肉体は「穢れ」だけが残った状態となるために神道で人間の死体は「忌むべきもの」となるのです。では、帰幽という言葉が、何故に霊界を理解するのに判り易い言葉なのかですが、霊界とはをザックリと (本当にザックリですが) いうと、神界と幽界に分かれている世界 (後々当ブログで詳しく解説します) です。そして地上人 (人間) の死後の魂は、幽界へと向かいます。</div><div>　そこで、皆さまの一番知りたいところだと思いますが、人間 (地上人) が死んだ後に地獄へ行く事は、ア・リ・マ・セ・ン！っていうよりもア・ナ・タが行く幽界に地獄は存在しません、少々解り難い話になりますが、ア・ナ・タが地獄だと思うところへは行きません。ア・ナ・タが極楽だと思うところで、ア・ナ・タの新しい目的を持った生活が始まりまるのです。例えば、穏やかで暖かい木漏れ日の高原の中で、レジャー・シートを敷き、静かにお茶を飲みながら本をゆっくりと読む事が、アァ天国だ！と思う人にとって、夜な夜な大音量のスピーカーから騒がしい音楽が流れるクラブで、アルコールに酔いしれ大騒ぎする事は地獄だと感じる事でしょう。対して、夜な夜な大音量のスピーカーから騒がしい音楽が流れるクラブで、アルコールに酔いしれ大騒ぎをする事が、アァ天国だ！と思う人にとって、穏やかで暖かい木漏れ日の高原の中で、レジャー・シートを敷き、静かにお茶を飲みながら本をゆっくり読む事は地獄だと感じる事でしょう。そのように幽界では相入れない「想念」「思念」の魂が、同じ場所には存在する事はないのです。なのでア・ナ・タにとって幽界では地獄が存在しません。</div><div>　今回の投稿は「死後我々は何処へ行くのか」という内容でした。答えは「幽界」で、「天国」でも「地獄」でもありません。次回の投稿からは、霊界の構造や幽界での目的、幽界の成立ちなどを語って行きますので、お楽しみに！</div><div><br></div><div>　最後まで読んでいただき、有難う御座いました。次回も宜敷く御願い致します。</div>
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<link>https://ameblo.jp/reikaimon/entry-12965045393.html</link>
<pubDate>Tue, 05 May 2026 09:00:23 +0900</pubDate>
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