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<title>Rei Jing</title>
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<title>時間について知り、過去との関係を理解する</title>
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<![CDATA[ 私は時間の流れについてこう考えています。<br><div>一般論として、時間は現在から未来へと流れて行くと考察するのが自然でしょう。</div><br><div>事実、現在から未来へとプロセスを踏むので、表面的に捉えるとそうなりますでしょう。</div><br><div>それは、現在は、過去との因果関係によってもたらされる、過去の出来事の結果である、という結論に至る理論です。</div><br><div>しかし、私は、その実態は全くの逆だと言う事に気が付いています。</div><br><div>そもそもが逆なんです。</div><br><br><div>結論を先に述べますと、</div><br><div>時間は未来から現在、現在から過去へと流れて行っているのです。</div><br><div>単純な論理であり、それを理解すると当たり前にも思えます。</div><br><br><div>まず、私達が日常的に使う言葉にもそのヒントが隠されているのです。</div><br><br><div>私達は、過去の事を説明する時に何という言葉を使いますでしょうか。</div><br><div>おそらく、前 とか 以前とか、この前とか、まあだいたいそんなところがスタンダードです。</div><br><div>前は視線の先にあるもので、視線の後ろという解釈をするのは極めて不自然であり、時間が過去から未来へと流れるという間違った理論で行くと、前という言葉は過去の事を関連付けるのには不自然で有ると考える事が出来ます。</div><br><br><div>実は、私達は無意識のうちに、過去の事を指す時、視線の先の事を指しているのです。</div><br><div>すなわち、過去は目の先、前です。</div><br><div>今この瞬間から、時が経つにつれ、どんどん今の出来事が過去へと、また、目の先の前へとどんどん流れて行っているのです。</div><br><div>過去はどんどん遠くなり、現在との因果関係は、現在を通過した時点もち、瞬間的になくなります。</div><br><br><div>では、この考えで考察すると、現在と因果関係にあるのは、未来だという事が分かります。何度も言うように、未来と現在の関係は、現在を通過した時点で、完全になくなります。</div><br><div>イメージ的には、後ろから時間がやって来ては、目の先の前へとどんどん遠ざかって行くという具合です。</div><br><br><div>では、未来の事を指す時、私達はなんという言葉を使うか、おわかりの通り、その後、後、後で。</div><br><div>やはり、うしろです。</div><br><br><div>未来の事なのに後ろを指しているのです。</div><br><br><br><div>私達は過去に囚われやすい、過去が目の前に見えるからです。</div><br><br><div>それ故に、現在が過去との因果関係の中に有ると考えがちで、過ちを悔やむのです。</div><br><br><div>しかしそれは無駄な事であり、関係の無い過去との関係に悩むのは無意味なのです。</div><br><br><div>逆に未来の事は見れません。前を向いているので未来の事はわかりません。</div><br><div>未来を見るという事に1番近い行為は、今を見ると言う事です。</div><br><br><div>それがこれから来るチャンスをものにする一番の方法なのです。</div><br><br>
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<pubDate>Tue, 04 Aug 2015 00:50:05 +0900</pubDate>
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<title>久しぶりのブログ デジタルと紙媒体</title>
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<![CDATA[ <div id="{40D8496E-A811-4C94-912B-F194B760C1E6:01}" style="text-align:left"><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150628/15/reiseasons/af/b1/j/o0480064013350237467.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150628/15/reiseasons/af/b1/j/o0480064013350237467.jpg" alt="{40D8496E-A811-4C94-912B-F194B760C1E6:01}" width="300" height="400" border="0"></a></div></div><br>あらゆる物がデジタル化し、人々が求めていた不便さの改善を成し遂げ続けている現代の技術の発展は、昨今では時代変動と言われる程進化を遂げている様ですが、私は書籍に関してはやはり、デジタルではなく、物質的な媒体を好む傾向に有る様です。<br><div>デジタル書籍をダウンロードし、読み進めて行くにあたり、なんだか物足りなさ、電池が無くなることへの不安による集中力の欠陥、光による目の疲れ、タブレットの長時間の持ちにくさなどが気になってしまいます。</div><br><div>これにより、デジタルな技術とマッチする項目と、そうでない項目がある事も、その時に分かりました。</div><br><br><div>また物質的な本に関して、デジタル化した書籍と比べるとデメリットもありましょうが、私の個人的な見解としては極めてメリットの方が大きいと考えているのです。</div><br><div>そのメリットとは、新しい紙の匂い、新品を買ったというワクワク感、ページをめくる感覚、自然光で読む印字からの情報の快感、読み終えた本のコレクション性、などが挙げられます。</div><br><div>本棚に並ぶ知識の元素を見ると、実際はそうでないにしても、なんとも自分が知識人の様な感覚にも陥ってしまう事もありましょう。</div><br><div>そんな多様な娯楽性を含めた物質的な紙の媒体で在る本は、人間の自己発展の実現に対しても有効的な手段で有る事も、それらの考察から読み取る事が出来るのです。</div><br><div>人間の集中力は細い糸の様に切れやすいので、集中力を高める訓練としても適している紙媒体。そして、その集中している中で得る情報は、普段目にするデジタルテキストとは、同じ文であってもそばとパスタくらいジャンルが違うものと言って過言ではない事は明らかでしょう。</div><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/reiseasons/entry-12044137187.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Jun 2015 14:55:25 +0900</pubDate>
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