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<title>歴風呂</title>
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<description>歴風呂。それは、歴史を生きた人々と、語り合い、汗を流し合い、ときには議論を戦わせる、アツき裸のお付き合い。さあ、あなたも、ともに！！</description>
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<title>9.11.から十年・・・</title>
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<![CDATA[ ９．１１の同時多発テロから早１０年。<br><br>昨日の午後9時半頃より(日本時間)、<br><br>アメリカで追悼式典がおこなわれました。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110912/00/rekiblo/1a/ab/j/o0384021611477667926.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110912/00/rekiblo/1a/ab/j/t02200124_0384021611477667926.jpg" alt="$歴風呂-９．１１の追悼式典" border="0"></a><br>←出典はＮＨＫニュース<br><br>あれからもう10年。<br><br>あの日は火曜日だったと記憶しています。<br><br>テレビが突然切り替わり、<br><br>ワールドトレードセンターに（当時の私はその名前すら知らなかった）<br><br>旅客機が突っ込むのを目の当たりにしたときの衝撃は、<br><br>筆舌に尽くしがたいものがありました。<br><br>以後の番組はすべてテロ関連の番組になり、<br><br>若かった私は、<br><br>イライラしながらも、<br><br>その動向を見守り、夜中までテレビに釘付けになっていました。<br><br>この10年というもの、<br><br>イラク戦争から始まり、<br><br>ブッシュ大統領の任期満了による辞任、<br><br>米国初の黒人大統領・バラク＝オバマ氏の就任、<br><br>そして、<br><br>国際テロ組織アルカイダのリーダー・オサマ・ビンラディン氏の殺害。<br><br>多くの犠牲の上に、<br><br>今の世に残ったのはいったいなんだったのでしょう？<br><br>怨嗟と疑心の渦の中で、<br><br>世界の平和は遠のいてしまったように見えます。<br><br>だからこそ、<br><br>これからの教育が大切ですよね。<br><br>客観的な歴史観、国家観。<br><br>そんなものが存在するとは言い切れませんが、<br><br>自国の利益のために事実を捻じ曲げるのではなく、<br><br>これから、<br><br>自国がどのように世界に貢献していけるかを念頭において、<br><br>過去から何を学ぶか。<br><br>この観点で、<br><br>歴史を見ていきたいと思います。<br><br>いま、爆心地・グラウンド・ゼロには、<br><br>メモリアルパークが建設中であり、<br><br>その周辺には犠牲者を追悼するモニュメントが立つ予定です。<br><br>そして、<br><br>すでに建設が始まっているワン・ワールドトレードセンタービル。<br><br>日々新たに歴史が刻まれるからこそ、<br><br>いつも心には、<br><br>悲劇を繰り返さず、愛を実践することを<br><br>刻み付けたいですね。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rekiblo/entry-11015276498.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Sep 2011 00:53:51 +0900</pubDate>
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<title>ネアンデルタール人は野菜を料理して食べていたって？</title>
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<![CDATA[ またまたニュースです！<br><br>時事通信 1月1日(土)12時5分配信によると、<br><br>【ワシントンAFP＝時事】<br>米ワシントンのスミソニアン自然史博物館の人類学部が<br>このほど発表した研究論文によると、<br>現生人類ホモ・サピエンスの近縁であるネアンデルタール人は、<br>肉類とともに穀物や野菜を、ホモ・サピエンスと同様に火であぶって食べていた。<br><font color="#0000FF">ネアンデルタール人は肉類の偏食が一因となって絶滅したとの見方</font>が広がっていたが、<br><font color="#FF0000">これを否定する学説</font>だ。<br><br>研究チームは、欧州北部やイラクで発見された<br>ネアンデルタール人の<font color="#FF0000"><font size="3">化石の歯や沈着した歯垢</font>から、<br>野草などさまざまな<font size="3">植物の種や根の残りかす</font>を見つけた</font>。<br>その多くに火を使って料理した物に特有な物理的変化が認められ、<br>ネアンデルタール人が<font color="#FF0000"><font size="4">火を使って料理</font>していたことがうかがえるという</font>。<br><br>ネアンデルタール人が、<br><font color="#0000FF">植物類をひいて粉にしていたことを証明する石器類などは出土しておらず</font>、<br>ネアンデルタール人は<font color="#0000FF">農業をしていなかったと推測</font>されている。<br>しかし今回の研究結果は、<br>ネアンデルタール人が火を使って植物を料理していたことを示唆している。<br><br>ネアンデルタール人は<br>欧州、中央アジア、中東などの地域に約17万年間にわたって生存していたが、<br>約2万8000年前に突然、生存の痕跡が消え、絶滅した理由が論争となっている。<br><br>肉食が原因で絶滅…ってなかなかスゴイ学説があったんですね。<br>最近の偏食ボーイズ＆ガールズに言ってやりたいところ(笑)<br><br>でも、<br>今回の研究では、<br>植物の破片が歯に挟まってたりして、<br>どうも「食べてた」っぽい、との見方です。<br>ただ、<br>「食べてた」かもしれないけど、<br>「調理した」かどうかはまだナゾ。<br>考古学は、<br><font color="#FF0000">証拠あっての学問だけに、<br>「しょうこ」りもなく</font>研究は続くわけですね、ハイ。
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<link>https://ameblo.jp/rekiblo/entry-10756218846.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Jan 2011 20:17:10 +0900</pubDate>
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<title>羽毛恐竜は、植物食べるってよ！？</title>
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<![CDATA[ こんなニュースが飛び込んできましたよ。<br><br>時事通信 2010年12月31日(金)15時24分配信・・・によると、<br><br>　大型の肉食恐竜<font size="3"><font color="#FF0000">ティラノサウルス・レックス</font></font>のほか、<br>　鳥類に近い小型の羽毛恐竜が属する<font color="#FF0000"><font size="3">コエルロサウルス類</font></font>は、<font color="#FF0000">肉食性との見方が強い</font>　が、<br>　<font color="#FF0000"><font size="5">木の実や草などの植物も食べていた</font></font>種が多かったことが<br>　化石などの分析結果で裏付けられた。<br>　米シカゴ・フィールド博物館の研究チームが31日までに米科学アカデミー紀要電子版に発表した。<br>　コエルロサウルス類は白亜紀（1億4500万～6500万年前）に生息した二足歩行の獣脚類恐竜。<br>　<font color="#FF0000">完全な肉食性のティラノサウルスの方が例外的かも</font>しれないという。<br>　研究チームは同類の90種の化石について、口や歯の形、<br>　植物をすりつぶして消化するためにのみ込んだ石の有無などを調査。<br>　44種が植物を食べていた可能性が高いことが分かった。<br>　鳥類につながる系統は、口がくちばしとなり、首が細く長くなったことで、<br>　木の実などのさまざまな植物性の餌を食べられるようになった可能性があるという。<br><br>確かに、<br>肉食であるほうが生き残るには不利でしょうからね。<br><font color="#0000FF">植物食の生き物のほうが、<br>現在も圧倒的に多い</font>ことから考えても、大いに納得がいきます。<br>しかし、<br>あれだけ有名なＴ・レックスのほうが「例外」扱いされるとは…。<br>なんか不思議な感じがしますね。
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<pubDate>Sat, 01 Jan 2011 00:34:10 +0900</pubDate>
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<title>カラス天狗のミイラ、正体がついに・・・・。</title>
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<![CDATA[ <font size="5">カラス天狗、正体はトンビの骨…Ｘ線ＣＴで解析</font><br>読売新聞 11月9日(火)14時47分配信<br><br>  <a href="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101109-00000590-yom-soci.view-000" target="_self">写真はこちら</a>  <br><br>　「カラス天狗(てんぐ)のミイラ」として知られる和歌山県御坊市所蔵の<br>　「<font size="5"><font color="#FF0000">生身迦樓羅王尊像</font></font>(しょうじんかるらおうそんぞう)」（江戸時代）の正体が、<br>　　同県によるコンピューター断層撮影（ＣＴ）で、２羽の鳥の骨や粘土で作った造作物と分かった。<br><br>　　像は高さ３９・３センチ。木製の岩座に立った姿で、厨子(ずし)の中に納まっている。<br><br>　　県が３年前、エックス線ＣＴで解析。粘土を材料にした頭に鳥の頭部を納め、<br>　　くちばしを外に出し、手足も鳥の足と粘土で作ってあることが分かった。<br>　　骨格から<font color="#FF0000"><font size="5">トンビ</font></font>とみられる。<br><br>　　その後<br>　　<font size="6">「夢がなくなる」などと公表を控えていた</font>が、<br>　　県立紀伊風土記の丘（和歌山市）での展覧会で、結果を公開することにした。<br><br>　◆カラス天狗＝山伏装束で深山に住むという想像上の生き物。<br>　　鼻の高い大天狗と違い、くちばしを持っている。<br>　　剣術が得意で京都の鞍馬山で牛若丸（源義経の幼名）に教えたという伝説がある。 <br><br>　はは。<br>　なんかわかる気がする・・・。<br>　たとえホントのことでも、知りたくないことってあるよねえ。。。<br>　<br>　妖怪とかちょっといてほしい気もするもん。
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<pubDate>Wed, 10 Nov 2010 00:23:21 +0900</pubDate>
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<title>土偶　国内最古級１体出土！なんかリアル・・・　</title>
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<![CDATA[ <br>　滋賀県文化財保護協会は２９日、同県東近江市<font color="#FF0000"><font size="3">永源寺相谷町の相谷熊原（あいだにくまはら）遺跡</font></font>で、縄文時代草創期（約１万３０００年前）の竪穴住居跡５棟が見つかり、国内最古級の土偶１体が完全な形で出土したと発表した。同時期の住居群跡は全国で数例、土偶は三重県の粥見井尻（かゆみいじり）遺跡で２点しか発見されていない。移動生活から定住が始まった時期の暮らしや文化がうかがえる、貴重な発見となりそうだ。<br><br>　発見された土偶は<font color="#FF0000"><font size="3">高さ３．１センチ、最大幅２．７センチ、重さ１４．６グラム</font></font>。<font color="#0000FF"><font size="3">女性の胴体のみを、胸や腰のくびれも優美に表現</font></font>し、底は平らで自立するのが特徴だ。上部に直径３ミリ、深さ２センチの穴があり、棒で別の頭部をつないだなどの可能性もある。<br><br>写真はhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100529-00000013-maip-soci.view-000<br><br>　相谷熊原遺跡は、三重県境の鈴鹿山脈から流れる愛知（えち）川の南の河岸段丘にあり、山間地と平野部が接する場所にある。竪穴住居群は、緩い斜面約１００メートルの間に５棟連なって確認された。規模の分かるものは直径約８メートルのいびつな円形で、深さ約０．６～１メートルと、これまでの例より深く、しっかりした構造だった。<font size="3"><font color="#FF1493">作るのに相当な労力がかかる上、多くの土器や石器も出土しており、一定時期でも定住したことが考えられる</font></font>という。<br><br>　現地説明会は６月６日、午前１０時と午後１時半の２回。雨天決行。問い合わせは県文化財保護協会（０７７・５４８・９７８０）。【南文枝】<br><br><br>5月29日17時35分配信 毎日新聞<br><br>だそうです。<br><br>なかなか面白いもんが見つかりましたね。<br><br>しかも、こういう形の土偶って、あまり出土しないですよね。<br><br>胸のふくらみとくびれのみ表現するって、<br><br>やはり当時は「象徴」的な表現が多かったんでしょう。<br><br>美術歴史で見ると、<br><br>象徴を表現するいわゆる「抽象画」は、<br><br>出てくるのが後のほうです。<br><br>これは、<br><br>私の勝手な感想ですけど、<br><br>美術において原点回帰がおこっているんでしょうか。<br><br>私の好きなクレーの絵なんて、<br><br>はっきりいって子どもの落書きみたいなもんですが、<br><br>それでも心をひきつけてやまない。<br><br>美術はものすごく不思議です。<br><br>おっと、<br><br>全然関係ない話題でしたね。<br><br>とにかく、<br><br>この土偶はみごとに捨象された彫刻ではあります。<br><br>ただ、<br><br>歴史的価値から見れば、<br><br>実はもっと奥が深い。<br><br>この竪穴住居も、<br><br>移動生活から定住生活に移るころをよく伝えていて、<br><br>分岐点がより明確になるかもしれません。<br><br>ぜひ、滋賀県にいってみたくなりました。
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<pubDate>Sat, 29 May 2010 21:22:11 +0900</pubDate>
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<title>日本最古の石器が見つかった！！in島根</title>
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<![CDATA[ 12万年前、日本最古の石器＝人類史の起源探る資料－島根<br>9月29日17時3分配信 時事通信<br>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090929-00000103-jij-soci<br><br>なんと、日本最古の石器が、島根県で見つかったそうです。<br>島根と言えば、出雲のあるところ。<br>スサノオノミコトや天村雲、ヤマタノオロチなどの伝説の残る場所です。<br><br>出土したのは、尖頭器(スクレイパー)とよばれる、突き刺すための道具。<br>つまり狩りをしたりするための武器ですね。<br>これが、約11万年前の火山灰層から出たというのですが、<br>武器らしきものが島根から出てくるというのがなんともいい。<br>もちろん、神庭荒神谷遺跡からも武器が発見されていますから、<br>はじめてではないのですが、<br>日本最古の石器として出土したというのが<font color="#FF0000"><font size="4">ロマン</font></font>があるじゃないですか。<br><br>さらに研究が進むことを心よりお祈りしています。<br><br>
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<pubDate>Tue, 29 Sep 2009 20:08:53 +0900</pubDate>
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<title>おれたちは悪くない！！～最強の敵に挑戦～</title>
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<![CDATA[ 第三十七回『家康への挑戦状』。<br><br>会津の道路整備に精を出す兼続ら。<br>ときにすでに1600年を数えました。<br><br>謙信公の三十三回忌が行われたことで、久しぶりに仙桃院に会う二人は、<br>越後に新しく入った堀秀治によって、言われなき疑いをかけられます。<br>そして、家康より書状が彼らのもとに。<br>内容は、上洛し申し開きをせよ、というもの。<br>家内では、家康のやりかたに憤るものの、強気に出る者はおらず。<br><br>そのころ、景勝は亡き謙信公の言葉を思い出し、<br>われらに正義はある、とはっきり口にします。<br>そして、歴史に残るあの「挑戦状」がかかれます。<br>家康がぐうの音も出せぬほどの、あれです。<br><br>「直江状」<br><br>会津に対する疑いはムリもなきことであるが、<br>景勝は上洛できません。<br>それは、会津に国替えになったばかりで、たびたび上洛するひまはない。<br>さらに、<br>告げ口したやつの言い分を確かめもせず、疑うなど、<br>本当に公平だと言われている家康殿のすることでしょうか。<br>・・・・・・・<br>景勝に謀反の心があるのか、<br>家康殿に裏表があるのか。<br>うそつき者のことをお調べにならないなら、<br>いつでも受けて立ちましょう！<br><br>かなり意訳しましたが、<br>だいたいこんな内容でした。<br><br>これを、日本中の名のある武将が読んでいたとすれば、<br>かなり痛快です。<br>このころ、ここまで家康をコケに出来る人物はほかにいませんものね。<br><br>家康は当然、激怒。<br>そして、ついに諸将を集め、上杉を討伐する軍を編成します。<br>世に言う「会津出兵(討伐)」です。<br><br>そのころ、会津では、<br>大軍に攻められるとわかっていても、<br>いわゆる「上杉軍法」によって、大軍をぶっつぶす作戦を立て、<br>迎え撃つ気満々。<br><br>革籠原に陣を敷き、<br>「正義の砦」<br>とします。<br><br>自軍にこそ、義ありという思いが伝わってきますね。<br><br>一方、石田三成の下に、あの盟友が呼ばれます。<br>大谷吉継です。<br>らいを患いながら、その智将ぶりは天下に轟いていました。<br>古くの友人である二人は、固い友情によって手を取り合うのでした。<br><br>七月。<br>ついに石田三成が、多くの将を抱えて、十万の軍をもって挙兵します。<br>一方上杉は、<br>北の伊達によって白石城を落とされ、緊張が高まりますが、<br>石田軍の挙兵が勇気付けられるのでした。<br><br>そのころ、家康のもとでは。<br>十万の軍をもって挙兵した石田軍に、少々焦り気味。<br>そこへ、逆賊になってしまった？家康軍に参加したことに憤る福島正則は、<br>家康の下にねじこんできます。<br>しかし、口のうまい家康により、<br>秀頼君が人質になっているといわれ、心を動かされてしまいます。<br>形としては、明らかに主君である秀頼に向けて弓引く逆賊行為なのに…。<br>さすが「たぬき」家康です。<br><br>ここで余談ですが、<br>家康のバックにかかっていた掛け軸が気になります。<br>「八万大菩薩」<br><br>さて、家康は、石田軍に向かい、<br>ついに上杉討伐をいったんやめ、西へ引き返します。<br>後ろを見せた家康を、追うべきという意見が出ますが、<br>景勝は、「やり方がフェアでない」ということで断固拒絶。<br>兼続が弟・大国実頼は、それを振り切って軍を動かそうとします。<br>そして珍しいことに、兼続も同様の意見を述べ、景勝にはむかいます。<br>あまり見られない光景ですね。<br><br>さらに、景勝はこんなことを言います。<br>「ならぬものはならぬ。<br>　上杉の義にかなわぬものは。<br>　それでもいくなら、わしを斬ってからにせい！」<br>一触即発。<br>兼続は、刀に手をかけ…。<br>しかし、もちろん景勝を手にかけたりはしません。<br>そこへ、最上勢の侵攻が伝えられ、兼続はそちらに向かいます。<br>本当に、納得できない気持ちでいっぱいだったでしょう。<br>しかし、主君あっての武士。<br>逆らうことなどできません。<br>歯噛みしながらも、兼続は、今日の一言をいいます。<br><br>「<font color="#FF0000">われらは義を守ります。<br>　われらを守りたまえ。<br>　そして、石田治部輔に武運があるように！</font>」<br><br>ついに、ついに、<br>関ヶ原の戦いに向かう日本の行方は、いったいどうなってしまうのでしょうか。<br>わかっていてもドキドキしてしまいますね。<br><br>さて、次回『ふたつの関が原』。<br>関ヶ原の合戦に臨む武将たち。<br>さまざまな思惑が渦巻く中、いったいどうなる！？<br>次回もお楽しみに。
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<pubDate>Sun, 13 Sep 2009 20:50:48 +0900</pubDate>
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<title>さらば、越後～ああ、ふるさとよ！～</title>
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<![CDATA[ 第三十四回『さらば、越後』。<br><br>前回倒れた太閤・秀吉。<br>兼続のもとへ、三成から使者がやってきます。<br>目隠しまでして場所を明かさぬのは、ただならぬ気配。<br>秀吉の様子はずいぶんとやつれたようですが、<br>その口から発せられたのは、兼続のみならず上杉、越後を巻き込んだ内容でした。<br><br>「国替え」<br><br>ふつうは主君に逆らうなど、芳しくない行動をとったときくらいにしか<br>命じられることのないこと。<br>それが、なぜ上杉に？？<br><br>理由は「徳川のおさえのため」。<br>場所は、会津(現・福島県)。<br>雪深い越後では、すぐに動けないからというのです。<br><br>返事が出来ぬまま、もどる兼続。<br>景勝は、越後を捨てられないといいますが、兼続は、<br>「謙信公の志を継ぎ、さらなる高みを目指すべき」と主張。<br>それに対し、<br>「そなたは、越後より日本国をとるというのか？」<br>そして、兼続は、<br>「それこそが上杉の「義」」。<br>こうして二人の腹はきまりました。<br><br>そして、城中に達しを行ったのは、家老・兼続でした。<br><br>やはり家中からは非難ごうごう。<br>しかし、120万石の大大名になるとか、上杉は栄えるとか、<br>なんとか皆を説得のかかる兼続、惣右衛門でした。<br>やな立場ですね。<br><br>そのころ、泉沢久秀が病で臥せっていると聞き、たずねる兼続。<br>仮病で寝込んだ久秀は、どうしても行きたくないと強情をはっている。<br>そんな彼に、あるとんでもない提案をするのです。<br><br>ここに残り、百姓か僧侶になって守ってほしい。<br><br>さらに、仙桃院も越後に残り、謙信公の遺骸を守るという。<br><br>運命が分かれ始めるのでした。<br>お船も京より竹松を連れてもどるのでしたが、やはり越後に残りたい模様。<br>涙を見せるものの、気丈に振舞う彼女に、<br>兼続は…。<br>そして京に戻っていったのでした。<br><br>ついに、景勝に上意があり、120万石の大大名に。<br>佐渡や会津、米沢など、多くの領土を得た上、兼続には米沢30万石を与えるというのです。<br>一方、残った越後には堀秀治が入ることになります。<br><br>さて、一方会津。<br>若松城に向かった兼続は、三成に会います。<br><br>三成は核心をつくような質問をします。<br>米沢を断ったのはなぜかと。<br>兼続らしい返答は「家中の者のことを考えたら、できるはずはない」。<br>彼らしい、人を思う心でした。<br><br>そういえば、久秀はどうなったかというと、<br>長男を連れて会津へ行くことを決断したのです。<br>その代わり、次男、三男を残し、百姓にさせることにしたのですね。<br>つらい心情を隠しつつ、<br>上杉のために決断した彼もまた、上杉の名臣だったのです。<br><br>千利休の娘・お涼も、兼続のもとを去ることに。<br>多くの人物の運命が、分かれ始めるときというのがあるのです。<br>そして次の段階へいくのです。<br>ここでどのような決断ができるか。<br>物語の登場人物とはいえ、それこそが生きる手本になる気がします。<br><br>そして、兼続こそ、今回もっとも心を痛めた人物にちがいありません。<br>越後の雪を見ながら、つぶやいた言葉が今日の一言。<br>「<font color="#FF0000">わしのしてきたことは、いったいなんだったのだろう？</font>」<br>すべてがむなしく思え、涙を流すのです。<br>越後の地を守り、民を守り、そうしていくことこそが謙信公の恩に報いることだと<br>信じて歩んできた兼続。<br>やるせない思いが残ります。<br><br>そしてついに、国替えのときが。<br>仙桃院とはここで別れねばなりません。<br>みな、沈痛な面持ちでその場に臨む景勝・兼続の二人でしたが、<br>仙桃院に励まされてしまいます。<br><br>越後を出る前に、思い出の地に足を運ぶ二人。<br>思えば、雲洞庵での修行時代より、二人はずっと支えあってきました。<br>あのころの二人はもどってはこないけれど、<br>ここですごした時間は消えたりしない。<br>そして、越後を思い走り続けた日々もまたしかり。<br>美しい自然を前に、そんなことを思ったのかもしれません…。<br><br>町人さえもつれて、大名行列をつくって新天地・会津へ向かう一行。<br>振り返ると、そこには景勝が母・仙桃院の姿が。<br>二人にとり、それは越後の地そのものであったかもしれません。<br>ふるさとを捨て、新天地に向かう二人の姿は、<br>まさに後ろ髪惹かれるものであったでしょうが、その顔にはもう未練はありません。<br>そう、「さらば、越後」！<br><br>次回『家康の陰謀』。<br>いよいよ家康のどす黒い野望が牙をむきます。<br>秀吉の命が尽きかけているいま、家康こそ次の天下人とみなす者は多かったことでしょう。<br>さて、上杉はどのようにこの状況を乗り越えるのでしょうか？<br>家康につくか、あるいは秀吉の側を守るのか。<br>来週も必見です。
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<link>https://ameblo.jp/rekiblo/entry-10327028078.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Aug 2009 20:59:19 +0900</pubDate>
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<title>愛の一字は夫婦(めおと)の絆～言わねばわからぬことばかり～</title>
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<![CDATA[ <p>第三十回『女たちの上洛』。</p><br><p>秀吉の天下統一により、<br>各国の大名たちは京に家族をおくように命じられます。<br>ま、体のいい「人質」ですね。<br>しかし、景勝の妻・菊姫は、これを断固として拒否します。<br>困る景勝、兼続。</p><br><p>しかたなく京に行く二人でしたが、<br>京で政務を執る兼続の弟・大国実頼は、<br>他の大名の妻が北政所(ねね)や淀(茶々)の機嫌をとるため<br>日参していることを告げ、<br>遅れをとらないよう進言します。</p><br><p>一方国許では、病にふせっているふりをした菊は、<br>身重のお船の必死の説得にも耳を貸そうとしません。<br>そんななか、お船が産気づき、おおわらわ。<br>菊はそれに立会い、心を洗われるような気持ちになるのでした。<br>生涯母になることができなかった菊姫ですが、<br>景勝同様、親になることを望んでいたはずです。<br>なんだか哀れにもみえます。</p><br><p>そんななか、利休が蟄居(ちっきょ)させられたことを聞き、<br>訪ねる二人。<br>お涼もいうのですが、<br>私たちに非は無いのだから、絶対に頭を下げたりしない。<br>このころ、秀吉の行動をいさめる人物は<br>利休くらいになっていました。<br>そんな彼をうとましく思った秀吉は、<br>ついに切腹を命じます。<br>←表向きは、寺の門の上に利休の像を勝手に作ったことに<br>　秀吉が腹を立てた、ことになっています</p><br><p>利休という人物は、誰よりも誇りを愛し、<br>損とわかっていても信念を曲げることのない気高い人物。<br>町人の身分でありながら、侍のような心をもった人でした。</p><br><p>ところで、このような事態を作ったのは石田三成。<br>秀吉の天下のためなら、憎まれることもいとわない。<br>非情という言葉がこれほど似合う者もおらぬくらい、<br>この男の想いは「天下を守る」ことに向かっていたのです。<br>兼続は、あまりに人情の無いふるまいをいさめて言います。</p><p>今日の一言ですね。</p><p>「<font color="#ff0000">この世は人で成り立っておるのだ。<br>　人には情がある。<br>　それがわからぬなら、人はついてこぬ！」</font></p><p>三成はこれには応えません。</p><br><p>さて、春日山にて。<br>どうしても上洛しようとしない菊に、景勝は強権を発動します。<br>これにとうとうプッツンする菊。<br>部屋に戻るなり、小刀で命を絶とうとします。<br>必死でとめるお船。<br>子ができないことがものすごく心を苦しめていて、<br>景勝がいつか側室をもったとき、<br>自分の居場所がなくなるのでは？？と、<br>不安でたまらなかったのです。<br>しかし、これを景勝に言うことはできません。<br>みかねたお船、ついにあの言葉を発します。</p><br><p>―私も奥方様ととも上洛いたします―</p><br><p>この言葉によってどれほど菊が救われたか。<br>そして景勝もその心を理解しなかったことを反省し、<br>ねぎらいの言葉をかけます。<br>これもお船の心遣い。</p><br><p>さらにすばらしいのは、これを聞いた兼続です。<br>乳飲み子までおいて行くというお船の心を誰よりも理解し、<br>心を春日山に残さなくて済むよう、<br>子らの面倒をしっかりみることを約束します。<br>しかも、この展開、<br>お船はかならず夫がわかってくれると確信までしていた模様。<br>夫婦の間の絆の深さがよくわかるエピソードですね。<br>こういう夫婦になりたいものです。</p><br><p>さて次回『愛の花戦』。<br>上洛を果たした二人の女性。<br>京ではさらに複雑な動きが。<br>天下をとった秀吉と、他の大名の水面下の攻防が、<br>まだまだ続きます。<br>来週もお楽しみに。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/rekiblo/entry-10307928882.html</link>
<pubDate>Sun, 26 Jul 2009 20:51:05 +0900</pubDate>
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<title>天下をとるは争わぬため～北も東も～</title>
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<![CDATA[ <p>第二十九回『天下統一』。</p><br><p>ついに秀吉による天下統一に王手が。<br>天正15年、惣無事令を発し、<br>その理念に賛同した上杉も協力することになります。</p><p><br>しかし、そんな乱世の終わりを快く思わない者たちが。<br>北の独眼竜・伊達政宗。<br>小田原の名門・北条氏政。<br>この二人をどう治める？？</p><br><p>上杉にとり、この戦を最後の大戦とすることを宣言する景勝。<br>もう亡くなってしまったかつての戦友を思いながら、<br>南に向かうのでした。</p><p>北からの軍勢として北条を攻める上杉は、<br>途中真田や徳川と合流しながら、<br>ついに日本史上始まって以来の大軍勢となり、<br>小田原に迫ります。</p><br><p>そのころ、合流した小田原征伐軍は、<br>松井田城にてじっくりと攻めるのでした。<br>しかし、突然、<br>松井田城城主・大道寺政繁が降伏。<br>頑なな態度で切腹を望む彼に、<br>兼続は酒を振舞い、<br>あまつさえ城内に兵糧を運び、その命を救うことを<br>約束するのでした。</p><br><p>礼節をもって外交に当たり、<br>ついに政繁の心を開かせてしまう上杉外交。<br>他の武将の心にも響いたようです。</p><br><p>こうして松井田城を陥落させた兼続は、<br>それを報告すべく小田原へ。<br>その軍勢に圧倒される兼続でしたが、<br>舌を巻くことはそれだけではありません。<br>秀吉の才覚でした。<br>森の中にあっというまに城を築き、<br>北条を戦わずして落とす。<br>さらに、秀吉の哲学をあらわすよい言葉を発します。<br>「世の中は金。<br>　金あればこそ人は集まる。<br>　もし世の中が平和になるのなら、<br>　わしはいくらでも金を使う。」</p><br><br><p>しかし。<br>しかしです。<br>天下統一に向かい、動く秀吉らを嘲笑うかのように、<br>北の独眼竜はまったく動く気配を見せません。</p><p><br>これに対し、<br>粘り強く交渉を続けたのが何を隠そう我らが直江兼続。<br>果たして彼は小田原にやってくるでしょうか？</p><br><p>ある日知らせが届きます。<br>それは、伊達政宗が着陣したとの知らせ。<br>しかも白装束で現れたのです。<br>反意のないことを示すためと、<br>小田原に遅参したことへの謝罪の意味ですね。</p><br><p>さて、<br>北条最後の砦・八王子城を囲む兼続ら。<br>そこへ尋ねてきた者が。<br>そう、秀吉により領国に追い返された政宗です。<br>兼続は、進言を受け入れてくれたと喜びますが、<br>「おれはそなたに説得などされておらん。<br>　すべては俺の判断だ。<br>　天下への野望は捨てておらん！」<br>頑固ですね(笑)。<br>それに対し兼続は、<br>「武士はまず己の心と戦う必要がある」<br>「守るものなくして戦ったとて、<br>　何の意味がありましょうか？」<br>若さゆえの無鉄砲さをいさめた言葉でした。</p><br><p>一方、<br>石垣山一夜城の登場に、北条方は息を呑むばかり。<br>これで北条の命運はこれで尽きたのでした。<br>何を誤ったというのか！？<br>言っても詮無いことではありますが、<br>世の流れを見誤ったのでしょうね。</p><p><br>こうして、<br>北条氏政は切腹、息子・氏直は高野に追放となり、<br>名門・北条氏は滅びたのです。</p><p>ついに秀吉による天下統一がここになりました。<br>これで世の戦は無くなる。<br>兼続らの宿願が成っていくのですが、<br>まだ大仕事が残っているのはご承知のとおり。<br>関が原まであと10年。</p><br><p>今日の一言は、<br>「<font color="#ff0000">義を掲げて生きるのは、難しいことよ。<br>　しかし、その旗印を下ろすことはできぬ。<br>　上杉謙信の子なれば</font>。」<br>この言葉は、天下に向かい共に戦った亡き戦友に、<br>誓いを立てた景勝の決意に満ちた言葉です。<br>戦国の世に、義をもってあたる強さは、<br>われわれも見習いたいものですね。</p><br><p>さて次回『女たちの上洛』。<br>お楽しみに。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rekiblo/entry-10303097221.html</link>
<pubDate>Sun, 19 Jul 2009 20:58:08 +0900</pubDate>
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