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<title>在家修行とは　</title>
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<description>仏教を学び、在家で修行する日々を綴っています</description>
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<title>日々の瞑想</title>
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<![CDATA[ <p>維摩会では座禅瞑想の指導も行なわれています。</p><p>最近、維摩会のHPに瞑想ビデオが開設されました。</p><p>４５分間で映像と音楽を聴きながら出来るようになっています。</p><p>&nbsp;</p><p>近年、早朝や夕方、あるいは夜お寺で座禅が出来るところが増えてきました。</p><p>&nbsp;</p><p>どこかに出かけていくのもよいですが、まずはビデオで心を静めて習慣化できるよい機会になるのではないでしょうか。</p><p>最初に瞑想に入るために誘導するガイダンスも入っています。</p><p>&nbsp;</p><p>気軽に始めたい方、習慣化したい方にお勧めです。</p><p>&nbsp;</p><p>是非試してみてください。</p><p>&nbsp;</p><p>私は一時期早朝に瞑想をやっていた時期がありました。</p><p>軽い体操とお祈りをして座ると、その日一日のスタートが違います。</p><p>&nbsp;</p><p>なかなか仕事があると、朝に瞑想する時間が取りにくいのですが、</p><p>例えば、この週は早朝瞑想の週とかを決めて、行なったりするのもいいかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ただ座るという時間がきっとかけがいのない時間となっていくと思います。</p><p>脚を組んで出来ない方は椅子に座ってでもよいと指導されています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/reoreo0911/entry-12747989944.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Jun 2022 08:23:18 +0900</pubDate>
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<title>在家仏教　維摩会（6）</title>
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<![CDATA[ <p>最近、自分の中で大きな気づきがありました。</p><p>自分は今までこの現実から逃げてきただけだったと気がつきました。</p><p>この現実って一体何？ということから始まり、それはいつからそういう気持ちに至ったのか、</p><p>そして一体何から逃げてきたのかを考え始めました。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の嫌なもの、不快なものから逃げていただけに過ぎないと、そこまでは分かりました。</p><p>それって自律した大人ではないと感じました。非常に恥ずかしいことでした。ああ、自分は自分の足で立っていないのだと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>ここ一番というとき、自分を一歩進ませるときに、決まってそこで逃げる行為を繰り返してきました。いつも逃げの体勢で生きている者にとっては、そのような努力精進はできないと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>それは自分だけがそれに陥っていると思ったんですが、いやいや、そうではないらしい。</p><p>たとえば、僭越ながら、太宰治の「人間失格」という本のことを思い出しました。</p><p>太宰治と比べることはなんだかいささか躊躇がありますが、自分もいつも心の中で人間失格というレッテルを自分に貼ってきたように思います。</p><p>ああ、彼もこの現実から、苦から逃げてきた人物だと。</p><p>&nbsp;</p><p>そしてそうだ、ニートの人もそうだよな、と。少なからず皆が何かから逃避している。蓋をしている。らしい。。。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、もう一つ感じたのは、人間というのは、目先の色々な嫌なことに右往左往して気がつかないかもしれないけれど、この人生は苦しみでしかないということを本質的に感じ取っているのだなと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、仏教には、仏の心を知るための、凡夫の心がけというものがあります。</p><p>法華経はまさにそれを説示している経典と言えるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>自分はだめだという思いがあります。その考えは自分の仏性を否定する考えです。</p><p>私はしょっちゅうその思いに囚われます。その思いは、つまり、よりよくするための努力をしないと主張しているようなものです。面倒くさいものから逃げているんです。</p><p>&nbsp;</p><p>仏の教えに従うことと、真逆な行為なのだと。</p><p>常に自分は仏となれるのだと、如来と一体になれるのだと、その意識を持ち保つことが大事だと教えています。</p><p>&nbsp;</p><p>維摩会では、このような教えを仏教哲学のご講義を通して、そして自己分析をする場として、自分の性と、真実の姿とは何かを学ぶ場となっています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/reoreo0911/entry-12739035927.html</link>
<pubDate>Sat, 23 Apr 2022 19:54:01 +0900</pubDate>
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<title>在家仏教　維摩会（5）</title>
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<![CDATA[ <p>維摩会ではDJもやっていて、昔懐かしの曲や今の歌とか、そしてやはり、維摩会の話とか、仏教の話とかしています。</p><p>&nbsp;</p><p>よく仏典に、お釈迦様の見せる奇跡の技を見て驚嘆し、そして説法を拝聴して、無上の悟りへの発心をするという話が良く出てきます。</p><p>また、その不可思議な荘厳な世界を現出されたかと思うと、元の世界に戻っている、という場面の出てきたりするわけですが、それを見て、お弟子さんたちがこの世の無常を感じたという話もあります。</p><p>こういう話を拝読させていただくと、自分は果たしてそのように感じ、世の本質を感じることができるだろうかと考えたりします。</p><p>&nbsp;</p><p>先に唯識のお話を触れましたが、これは禅定の中で、自己分析をしていった結果、哲学として、唯識を著わしているわけです。</p><p>その叡智を、何もわかっていない自分が今現在も何も分からないけれども、その恩恵にあずかれるということがとてもありがたいと感じています。</p><p>&nbsp;</p><p>維摩会は、色々な形で、自己分析や世の理、そしてさらに超越した、凡夫には垣間見られない御話をうかがえる機会があります。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、聞いているだけで良いのか。</p><p>聞薫習という言葉があるとおり、法を拝聴するということの重要性も仏教では説いています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/reoreo0911/entry-12736745246.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Apr 2022 21:55:28 +0900</pubDate>
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<title>在家仏教　維摩会（４）春秋館にて</title>
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<![CDATA[ <p>4月８日は釈尊のおたんびょうびと言われています。</p><p>それに先立ち、４月２日に灌仏会がありました。春秋館で座禅をしました。</p><p>それぞれが座を組んだのです。</p><p>３時間の瞑想でした。初めての方もいらっしゃり、リモートでの参加の方も大勢いらっしゃいました。</p><p>&nbsp;</p><p>午後は自分のとらわれから離れる、端的に説明しますと、悪感情に振り回されないその方法を大乗仏教唯識の教えをいただきながら、実修しました。</p><p>これは執着を離れるという方法でもあります。とらわれとは執着そのものです。</p><p>そして更に深い話も触れることができました。</p><p>&nbsp;</p><p>唯識の四分の話です。</p><p>&nbsp;</p><p>これから少しずつ仏教についてのお話していきたいです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/reoreo0911/entry-12735685274.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Apr 2022 23:49:03 +0900</pubDate>
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<title>在家仏教　維摩会（３）</title>
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<![CDATA[ <p>仏教では煩悩を滅することを説いているわけですが、それをどのように滅しているのか。</p><p>そして昔は出家して、修行に没頭するわけですが、普通に働いてあるいは家族を持ちながら、修行するとはどういうことなのか。</p><p>そもそも、出家在家問わず、仏教の説く修行とは、その実践はどのように為されていくものなのか。</p><p>それから、欲を捨てると、何にも感じなくなってしまうのではないかという問いかけがどこからか出てきたりもします。</p><p>しかし、本当に仏陀は一切の喜怒哀楽をお捨てになって生きられたのか。</p><p>きっと、例えば、真理に違ったことをしたら、お弟子さんたちをお叱りになられたのではないだろうか。</p><p>ということを思うのです。</p><p>&nbsp;</p><p>では、感情を捨てるということの本当の意味はどのようなものなのでしょうか。</p><p>そして、本当に感情の否定を意味しているのでしょうか。</p><p>もし否定されるものであるならば、なぜそれは存在しているのでしょうか。</p><p>前回にも話したように、欲というのも本当にすべての欲が否定されるものなのか。</p><p>本来備わっている欲や感情。それをどのような方向性に用いていくべきなのか。</p><p>仏教は、その方向性は、悟りの道ということになるのは明らかです。</p><p>&nbsp;</p><p>きれいな花が咲いてきれいだと思う心。これは否定されるものなのか。</p><p>それは過剰な感情でなければよいのか。</p><p>怒りはどうだろうか。三毒の一つとされていますが、正義の怒りはどうだろうか。</p><p>この正義とは、自分の価値観の中の正義というものがあるから。本当に正しい義かどうか</p><p>分からない。道理に基づいた正義であれば、そうでないものに怒るのもだめなのか。</p><p>&nbsp;</p><p>ひとつひとつ自問自答して、さりとて、それは自分のフィルターがかかった物の判断でしかないわけで、自分の枠の中で回っていても、愚かでしかないです。</p><p>&nbsp;</p><p>自分のような正しい判断、道理や本質を見抜けない者には、やはり適切な指導を受ける必要があると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/reoreo0911/entry-12730528531.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Mar 2022 00:07:59 +0900</pubDate>
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<title>在家仏教　維摩会（２）</title>
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<![CDATA[ <p>自分の囚われをどう捉えていくか。ということについて考えていきたいと思います。</p><p>ここ数年、自分が思いもしなかったことが次々と起こり、如何に自分はこの社会で、努力してこなかったか。要するに、社会貢献するという、自分が社会で行き続けていくためのものをおろそかにしてきたか。というより、それは自分には必要のないものと思ってきた、ということに気がついたのです。</p><p>それから、自分の価値観の中でしか、生きていないことにも気がつきました。</p><p>これって、皆さんはどう考えてるんだろう。</p><p>以前の自分は、これは絶対という、それすらも意識できていませんでした。</p><p>仏教では絶対的なものは無いと説いていますよね。</p><p>&nbsp;</p><p>維摩会では、そういうことを気づかせてくれるようなところがあって。</p><p>ただ、今の手前勝手（未だ本当の心ではそう思っていないところがあります）の心はどこからくるんだろうと。そんなこと日々思いながら、気づいて改善する、そこまでが反省するということを学びました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/reoreo0911/entry-12730317797.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Mar 2022 21:42:08 +0900</pubDate>
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<title>仏教在家　維摩会（１）</title>
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<![CDATA[ <p>今、仏教にとても興味があり、経典や仏教用語等読んでます。</p><p>さて、仏教の基本的な教えは色々調べられますが、結局は実践といいますか、修行というものはどのようにしていけばいいのか。そういうことって、分からない方もいらっしゃると思うんですよね。</p><p>三毒を滅するとか、いわゆる自分の欲ですが、一体それは、生存本能や食欲、子孫を残そうという性欲、そのようなものも含めてすべて否定されるものなのか。やはり、自分独りで、どのように欲というものを捉え、無くしていくのか。なぜ、欲を捨てなくてはならないのか。</p><p>それをすると、一体どのようになっていくのか。それをきちんと指し示しているものは少ないのではないでしょうか。</p><p>よく、信じれば救われるという言葉がありますが、盲信や狂信は間違った道だと思います。しかしそれを自分がそれに陥っていないかということを含めて、その判断は、何かの囚われ、色眼鏡の中での、自分の価値判断に過ぎないかもしれない。</p><p>そういうことも仏教では語られているわけですね。とはいえ、自分は初心者です。</p><p>本格的に在家での修行団体があります。維摩会です。在家での修行を本格的におこなおうとしている団体です。</p><p>座禅もしています。皆ぞれぞれに取り組んでいます。</p><p>仏教哲学の講義もあり、その中で、ただ講義を聴くというものでなく、自分で思惟できるような形になっています。</p><p>&nbsp;</p><h2 class="limited_heading07" data-entrydesign-alignment="center" data-entrydesign-count-input="part" data-entrydesign-part="limited_heading07" data-entrydesign-tag="h2" data-entrydesign-type="heading" data-entrydesign-ver="1.49.3" style="background:url(https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/limited042_heading.png) no-repeat;background-size:178px 11px;padding-bottom:19px;margin:8px 0;font-weight:bold;color:#424242;font-size:20px;line-height:1.6;min-height:32px;line-break:loose;overflow-wrap:break-word;text-align:center;background-position:center bottom">&nbsp;</h2><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/reoreo0911/entry-12730147344.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Mar 2022 22:36:54 +0900</pubDate>
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