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<title>朝未明(あさまだき)</title>
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<description>ブログの説明を入力します。</description>
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<title>入院</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　2月の中旬から血尿が続き、病院でのCTやMRIなど諸々の診察と検査を受けた結果、膀胱に腫瘍があって、十中八九は癌であるとの診断結果が出ました。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　もともと血圧が高めなため、20年くらい前から通院を続けている掛かり付けの、家から歩いて10分の最寄りの総合病院。ここへ私、人生初めての入院をしたわけです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　「かなり小さい腫瘍で、早期発見だったので手術はおそらくすぐに終わりますよ」という医師の優しいお言葉や、「全身麻酔などと言うとちょっと臆病になられる患者さんもおられますけど、あっと言う間に麻酔が効いて、気が付いたら手術は終わっているというような感じです」と笑顔で語ってくださる麻酔担当の先生のお言葉も、しかし「実際に腫瘍を削ってみないとわかりませんので100パーセント軽症だとは言い切れませんけれども」だとか「まれに麻酔で意識がお戻りにならない患者さんもおられますので、一応念のため、ご身内の方にも投与の同意書のサインをお願いします」といった、芝居の台本で言えば、まさに伏線となりうる思わせぶりなセリフにどうにも引っ掛かりを覚え、根っからの小心者の私にはせっかくの優しさに満ちたお言葉の数々も心の支えとは成り得ず、どうにも後ろ向きな発想ばかりが浮かんできて相当に憂鬱な日々を送っていました。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　更にはこの2カ月、刻々と流れてくるウクライナのニュースに命そのものに想いを巡らすことも多く、現地で家族や知人の死を悼み自分自身の明日を憂う人々の言葉が骨身に染みてもおりました。勿論、戦場と個人的病と同列に語っているわけではありませんが、しかし……。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　また新作戯曲執筆のため、今年になって読み始めている児童虐待や戦争孤児、大阪大空襲や満州からの帰国の関連本など、命と直結する活字ばかりを読み漁っていることもあって、精神は疲弊するばかりで。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　けれども不思議なもので、ウクライナのニュースやかつての日本の戦争も、己が健康体であればおそらく気付かなかったであろう痛みや怖さも相当に敏感に感じ取れている気がして、むしろ、だからこそガムシャラにニュースを食い入るように見つめ、前のめりに戯曲を書き進めていたような気もするのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　入院したのは病院三階の相部屋で、そこに病床は4台ありましたが、一人おじいさんが臥せておられるだけでした。おじいさんとは結局最後までお話しはできませんでしたが、カーテン越しに聞こえてくる看護師さんやお医者さんとの会話から、この方は何日か前に手術をされ、しかしこれまでも何度も手術をされているようで、全快の方向にはなかなか向かわず、しかも家には認知症の老齢の奥様がおられて、お子さんがおられないのか、この方が入院中は奥様の介護もままならないご様子で。退院自体が思うようには見通せず、そういった生活全般のことにも、できうる範疇で先生や看護師さんが相談に乗っておられるような感じでした。私が入院した日は、おじいさんのシャックリが止まらず、実際数秒に一回はされている頻度で、それ自体に相当体力が消耗されている感じでした。夜中も病室に頻繁に来られる看護師さんが、「しんどいです」と苦しむおじいさんを様々な言葉で励ましておられて、そうした声掛けこそが看護なんだと思えたのでした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　入院翌日が手術でした。点滴の針を左腕にさしてコロコロと支柱を動かしながら地下の手術室へ。緊張が極度に達すると、何故か心が平静になるのが意外で、自動ドアが開いた手術室の様子や機械の細部を眺められるくらいに変な余裕がでてきました。これぞまさに俎板の鯉。ひらきなおりの極致。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　手術台に寝かされ酸素マスクを口元に当てられて、いよいよ全身麻酔へ。「大きく息を吸って、そして吐いて。それを三回繰り返してください。はいその感じです。それが終わったら更に四回目、そして五回目も息を吸って」と言われたところで、本当にそこまでのところで意識が無くなったのです。その「五回目も息を吸って」まではハッキリ覚えているのです。もう少し緩やかに徐々に意識が無くなるのだと思っていたのですが、例えるなら催眠術師の掛け声「3、2、１，ハイ！」でガクンと首の垂れるあの感じ。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　で、すぐに「手術終わりましたよ」の声が聞こえるではありませんか。（実際に手術に要した時間は30分余りだったそうです）起きた時は意識が若干朦朧としており、でも「え？　　もしかして手術完了？かも……」と前後の流れを即、繋げることはできましたし、ストレッチャーで地下から三階の病室に向かうまでの天井の模様も色も</span><span style="font-size:1.4em;">ハッキリと確認できました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　部屋に戻ってから少し眠ったようですが、この後、なかなか思うように大量の尿が出ず、カテーテルの管とその先の尿の溜まった袋を看護師さんが度々確認してくださるのですが、こればかりは自身の意志でどうすることもできず、痛み用の麻酔が切れたのか私も小さく唸っているものだから……夕方から入れ変わった担当の若い看護師さんが「詰まっているのかもしれません。一度膀胱洗浄をしましょう」とお医者さんを連れて来てくださって、しかしまさにその時突然に看護師さんが、「出てる、出てる、勢いよく出てる」「良かった。安心した」と喜びの声をあげられて……体勢を起こすことができない私でしたが、その声のニュアンスに相当に尿が流れていることが伝わってきたのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　この後も、この当直の看護師さんが何度も何度も病室に来られて、「出てます。出てますよ。順調に出てます。大丈夫。大丈夫」と喜んでくださるのですが、この声が嬉しくて……更に私、この時初めて気づいたことがあって、この看護師さんのイントネーションが、どうも関西のそれではない。と言うか、これはもう間違いなく九州なんです。特に語尾のところが「～と」と付くことがある。活字で表せば殆どが共通語なんですが、「と」と言うのは例えば「なんばしよっと」の語尾の「と」。「おられると」とか「されとると」とか。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　舞台化された私の近作戯曲で、登場人物(主役)の看護学生役が九州出身という設定だったために、変に親近感が湧いてしまい、しかもこの看護師さんは他の方と白衣の色が違っていて、夕方からの勤務体系（夕方から多分深夜の2時か3時まで）であることからも、もしかしたらそれこそ実際に看護学生さんかもしれないと勝手に想像を膨らませたのです。(しかしこれ、後で確認すると当直用の白衣だったそうです)</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　本来であれば入院の日、手術の日、その後の三日間の合わせて五日間が入院ということでしたが、術後の容体が落ち着いていたため、一日分が短縮となり、一昨日に無事に退院することができました。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　今後三か月ごとの定期検査は必要ですが経過観察程度で今回の手術は終了しました。しかし膀胱癌の再発率は高いそうで(50％)、長い付き合いになることは覚悟するしかありません。もともと我が血筋は癌家系で、いつかは何らかの癌には罹るだろうと想像はしていましたが、還暦になってすぐに罹患するとは流石に思っていませんでした。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　入院を経験したことで、国民健康保険の限度額適用制度や、生命保険の補償額など、改めて我がこととして今さらに理解することもできましたが、ま、そんなことより何より、命には終わりがあるという至極当然のことを改めて今回強く認識した次第です。癌と判明してからの、戯曲執筆にあたっての関連本の読み込み量はどんどん加速し、入院中も窓際に本を並べて、ベッドを起き上がれるときは只ひたすらにノートに物語を書き続けていました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　生きている間に、あと何作脱稿できるか。切実に思うようになったということです。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/rerox2/entry-12740017764.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Apr 2022 11:20:41 +0900</pubDate>
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<title>映画『Coda あいのうた』</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　CODA（コーダ）とは「ろう者の両親を持つ健聴者」という意味です。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　私の知り合いにも何人かのCODAはおられます。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　出会った頃はまだ小学生か幼稚園児だったのに、今では就職されたりご結婚されたりで成人になられた方が殆どです。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　手話通訳やろう運動に比重を置いている当方の聞こえる劇団員にとっては沢山のCODAとのお付き合いもありましょうが、私の場合はほぼ演劇に関してのろう者との出会いオンリーであり、従いましてそれほど多くの知人がいるわけではありません。ろう団員の方の聞こえる子どもさんに創作活動をお手伝いして頂いたことがあった程度で、幼少の頃から成人されるまでのCODAとしての暮らしぶりは実際あまり知らないことになります。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　それでも時にCODAとしての在り方に心が動かされたことはあります。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　例えば20年ほど前の劇団公演の打ち上げ宴会時、表方裏方全員に至るまでの一人一人のスピーチタイムがあって（これはおそらくどの劇団でも宴会場で必ずやってます）、ろう役者さんの手話での一言挨拶を、まだ小学校に上がったばかりの息子さんが日本語音声に通訳されたことがあります。普段は劇団員同士で音声通訳をするのですが、私としてはお酒も入っていた勢いもあって、まだ幼気なお子さんに「お父さんの通訳をしてよ」とお願いしたような経緯だったかと思います。するとその子はお父さんの流れるような手話を、まだ声変わりもしていない幼い声で見事に通訳をされたことに驚きました。　しかも、その子の表情は真剣そのもので、お父さんの一言一言を見逃さないような緊張感もあって。　</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　〝一般的な家庭〟であれば、大人世界の対話など頭上を通り過ぎていって当然の年頃なのに、その子はお父さんの表情も含めた手話を一字一句見逃さないように見つめている。わからない単語が出てきた時は、手話で聞き返して確認している姿も覚えています。その手は本当に小さくモミジみたいな五指でしたが、しっかりと父親に確認している。この親子のつながりの深さに只々感動したのでした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　しかし一方で別のことも考えてしまいました。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　この子にとってはこれが日常なんだと。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　それって相当に大変なことなんじゃないかと。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　手話通訳者を依頼するような機会ではなく、例えば日々の買い物やちょっとした町内会での集まりなど、この子はずっと立ち会っているのではないかと。ずっと親のために通訳をしているのではないかと。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　ＣＯＤＡって、もしかしたら可成りのストレスも溜まるんじゃないだろうかと想像したのでした。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　そして、何より救われないのは公演打ち上げという大人の酒席の場で息子さんに唐突に通訳をお願いをした私の行為であって、それこそまさにプレッシャーのかかるハラスメントではなかったのかと後日になって反省したわけです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　さて今回観た映画『Coda あいのうた』はまさにそのことをリアルに伝えてくれるドラマでした。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　2015年に日本で公開されたフランス映画『エール！』のハリウッドリメイク版ですが、二つの作品の違い等はここでは述べませんが、今作『Coda』に限って評するならば、家族愛だけに留まらず青春映画の要素も強くて、多少なりともろう者と関わってきた私だからではなく、仮に自分にそうした接点が無かったとしても同じ深さで感動できたのではないかと思えるくらいに。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　「こういうお父ちゃんやお母ちゃんやお兄ちゃん、ええよなぁ」との憧れを持って。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　両親と兄がろう者のデフファミリーのロッシ一家に、唯一の聴者として生まれ育ったのが妹のルビー（エミリア・ジョーンズ）。彼女が主人公です。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　一家はアメリカの片田舎（マサチュ―セッツ洲）の漁港で漁師を生業としています。自分以外の家族がろう者であるために、ルビーは漁港で中間卸売り業者などへの手話通訳交渉役という立場もあって、ハイスクールに通いながら夏休みや早朝の漁には家族と共に船で沖に出る日々を送っています。通訳だけでなく実際に網を引き揚げたりして働き手として家計を支えている。「ヤングケアラー」としての負担は肉体的にも精神的にも大きい。漁をする姿から、親や兄への手伝いはきっと彼女が幼い時から続いてきたのだろうと想像できます。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　彼女には一つ天賦の才がありました。それは歌うこと。彼女は物凄く歌が上手かった。（演者のエミリア自身の歌声がこの映画の魅力の一つでもあります）</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　ルビーは新学期になって合唱クラブに入部するや顧問のＶ（ヴィ）先生からコンサートでの歌唱役を抜擢され、それと同時に音楽大学への進学を目指すようにもなるのですが……。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　両親にすれば彼女の歌声が聞こえないので、その才能がわからない。しかも大学へ行くとなるとお金も必要だし、何より家族とは離れ離れになるわけで、そうなると今後は誰が仕事上の通訳をするのか。ルビーは家族にとっては必要な任務があって、親としても絶対に手放すわけにはいかない。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　しかしコンサートでの娘の歌声に聴き入る聴者の観客の表情を見て、涙を流して感動している観客の様子を見て、ルビーの父フランク（トロイ・コッツァー）は娘の歌唱を切に知りたくなるのです。実際の声を聞きたいのではなく娘の心を知りたいとでも言うか……そうして映画終景で娘の歌声を、歌に込めた想いを、ある方法で“聴き取ろう”とするのです。そうしてそれは父フランクの心に確実に伝わったのでした。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　翌朝、これがつまりは入学に大反対していた音楽大学の入試当日なんですが、その実技試験会場へと娘ルビーを家族全員で車で送り届けるや、審査員（試験官）以外立ち入り禁止の歌唱中の様子を家族だけが試験会場のホール二階客席に忍び込んで見守ることに。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　それに気づいたルビーは最愛の家族へ向けて、副題の通りの『あいのうた』を届けるのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　この映画の魅力は何と言っても、重く湿りがちな“障害者像”を明るく吹き飛ばしたことにあると思います。多様性という言葉が最近多く聞かれるようになりました。ひと昔前に比べて、ドラマの設定を現在に置いた場合であれば重くて暗い作品はかなり少なくなりました。しかし逆に実際の“障害者”の気持ちとはかけ離れた作品も散見されます。無理に明るくしてようとしている作品。役の設定を障がい者に置いているだけで実際の生活感からは程遠くて背景の薄い作品。そういう違和感は障がい者と接点の全く無い人であっても作品の中に感じてしまうんじゃないかと思うんです。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　今作は、「こういうろう者いるよなぁ」だとか「手話を話すことで、こういう行き違いやジョークはあるよなぁ」だとかの、（私にでもわかる範囲で）ろう者あるあるがきっちりと描かれていて、それがつまり広く一般に「こういう人いるよなぁ」だとか「こういう行き違いやジョークはあるよなぁ」とした普遍にまで高められている気がするのです。その上で日常生活に底抜けの明るさが確かにあって。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　暗くしないという安易な方向性ではなく、リアルに描けば描くほど暗くならないというドラマツルギーとでも言うか。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　個人的な世界をとことんリアルに追求すれば、それが普遍に通じる典型。家族愛も恋愛も。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　例えば父フランクはやたら開けっ広げでスケベで奔放な性格。演者の男優トロイさんがたまらなく魅力的で本年度のアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたのも頷けます。更に母ジャッキー役を演じたマーリー・マトリンさんは86年の映画『愛は静けさの中に』で主演のサラ役で演技を絶賛された方で、今作でも娘への愛情を見事に表現。さらに兄レオ（ダニエル・デュラント）も、父親譲り？の女性への口説きと手の速さ、ここぞという時に人生の勝負に打って出る男気と妹への気遣いもひしひしと伝わってきて……時には喧嘩もするけれども、ルビーを取り巻くロッシ一家のつながりは強くて家族愛に満みちているのです。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　家族間の関係が希薄な昨今、こうしたファミリーがとても羨ましく思えるのは私だけではないでしょう。この“結束力の源”に障がいを置いているからこそ、重くもならないし湿りもしない。愛情が通底している。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　そうなんですよ。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　この映画は“障がい”を描いているのではなく“結束力の源としての障がい”を描いているんです。何事をも吹き飛ばすパワーの源泉が、聞こえない親と聞こえる娘の関係そのものにあるんです。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　実際のろう俳優で家族を配役したことで、画面にも家族間に音声言語ではない手話対話としての独特のロッシ家のテンポも生まれ、ろう者と聴者の文化の間を行き来するルビー役のエミリア・ジョーンズ嬢の逞しい姿が更に輝きを増したのだと思います。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　ろう者の登場する映画には結構ろう者コミュニティが描かれることが多いのですが、今回は家族以外のろう者は現れず、またルビー以外の手話通訳的な立場の人物もおらずで、現代のアメリカにあって、ちょっとそこは不自然な感じもしましたが、ルビーの孤軍奮闘ぶりを浮き上がらせるには必要な設定だったのでしょう。啓発物のような福祉制度上の課題を物語に大きく絡ませると、家族ドラマとしての焦点がぼやけたかもしれません。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　むしろ私はロッシ一家に関りをつないでいく何人かの聴者の存在、例えばルビーのボーイフレンドのマイルズ（フェルディア・ウォルシュ）、兄レオにナンパされた聴の女性、彼ら彼女らはそれまでろう者との直接的な接点がなく手話を知るよしもない。そんなこと全く関係なく、つながりを深めていくプロセスに惹かれたのです。とりわけ良い味を醸し出していたのがルビーの歌の才能を見出した合唱部顧問のV先生。風貌がどことなく宮本亜門氏に似ていると思ったのは私だけでしょうか。亜門先生（エウヘニオ・デルベス）がレッスン中に、歌わせながらルビー心の壁を取り払っていくシーンなどは泣けて仕方がありませんでした。言葉ではなく歌を通して心を解放させていく師弟の姿に。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　役者だけでなく、この映画の魅力の更なる一つは役者によって語られる“手話言語”そのものではないでしょうか。私は勉強不足でアメリカ手話（ASL）が全くわかりません。なのであくまで感覚としてですが、作中でのろう役者の使う手話は文法も含めてまさにろう者の日常の言語そのものであったと思えるのです。音声言語とは全く違う力を発揮していた気がします。思いますとか気がしますとか実に頼りないのですが、英語で書かれた口語セリフを単に手話に置き換えたのでないということは手話力に拙い私にでも経験上、肌感覚としてわかるのです。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　この映画の監督シアン・ヘダー氏自身が手話を習得してキャストに演出をつけたこともあるでしょうが、自ら聴覚に障がいがあり俳優でありダンサー、監督で教育者でもあるアレクサンドリア・ウェイルズをアメリカ手話の監督として迎えいれたことが大きな要因なのでしょう。アメリカ手話と英語とを直接翻訳するのは難しく、シナリオのセリフをどのように手話言語として表現するのかは大きな課題だったに違いありません。アレクサンドリアは演劇に精通し、またろう文化や歴史にも詳しく、作品の時代、地域、性別等などによって、どの手話が相応しいのかを決定していったそうです。父親の性格や生い立ちであれば、どのような手話が良いのか。母親の娘に対する想いであれば、どのような手話が良いのか。一つ一つを考えていったのでしょう。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　口語体のセリフを考える時、語順や語彙、句点にするか読点にするか等も執筆中に細かく悩んだりするのですが、それと似たような作業を手話でも緻密に行った結果が、今作手話セリフの魅力となったと思えるのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　こうした視点を書きますと、ああやっぱりろう者とつながりのある人の方がこの映画を強く感じ取れると思われるかもしれませんが、繰り返しになりますが、そんなことないのです。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　この映画は面白い。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　多くの人が面白いと思うはず。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　絶対。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　【追記：3月27日、第94回アカデミー賞で『Coda　あいのうた』が作品賞を、トロイさんが助演男優賞を受賞しました。これを受けて日本でも各地の映画館で上映の機会が増えるはずです。是非ご覧頂ければと思います】</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/rerox2/entry-12724130762.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Jan 2022 18:21:05 +0900</pubDate>
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<title>こんにちは 京都市電</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　一カ月ほど前の地元紙朝刊に「京都市電関係資料」が京都市有形文化財に指定され、それを記念した展示会が12月5日まで市内歴史資料館で開催中との記事が掲載されていました。「こんにちは 京都市電」と銘打った催しです。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　明治23年に完成した琵琶湖疎水の水力発電を用いて、明治28年に開業した日本で初めての営業用電車。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　原子力でも火力でもなく水力発電。蒸気ではなく当然ガソリンでもなく電気が動力。今こそ求められる究極のエコカーが、平成でもなく令和でもない明治から昭和までのおよそ100年間、京の町の碁盤の目をそれこそ縦横無尽に走行しておったのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　私が京都市電を懐かしむのには、実は一つ大きな理由があります。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　中学に入学したての頃、私はある一冊の本と出会います。〝ナショナルテープレコーダーご購入特典〟。その名も『音の冒険ブック』。特典ですので当然非売品ということになります。この本を父親の知人（実家が電気屋さん）から頂いたのでした。当時流行し始めていた野外録音の指南書で、相当数の挿絵も載っていて、これを松下電機にまだ在職中だった無名の弘兼憲史氏が担当されており、今となってはかなりのレア本です。野鳥や秋の虫の鳴き声、祭りや花火大会や蒸気機関車の走行音などの録音ノウハウがわかりやすく書いてあって、13歳の私はこの本をむさぼり読んだものでした。ボロボロとなりましたが今でも手元に残しています。<br>　そうしてお年玉を溜めて翌年にやっとラジカセ（Sonyスタジオ１９８０Ⅱ）</span><span style="font-size:1.4em;">を購入し、この日から私の何でもかんでもの録音人生が開始したのです。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　その一番の恰好のターゲットが、あの頃から徐々に廃止となっていった京都の路面電車の走行音や車内音だったのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　朝刊で展示会の記事を読んだ私に真っ先に浮かんだのが、自分で録音した音源のことでした。思い立って探してみるとカセットテープ10巻があって、インデックスには手書きの文字で「京都市電」と書いてありナンバリングまでしてある。果たしてこれを今でも聞くことが可能か不安ではありましたが、これまた私が高校の時にバイトして買ったカセットデッキ（SonyTC-D5M）で再生してみますと、なんとしっかりと聞くことができたのです。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　中学2年の私が息を殺して録音した音源群。白川通り、河原町通り、丸太町通り、今出川通り……車内での『次は四条河原町』といったアナウンスだけでなく、例えば錦林車庫前から乗車してきた児童が誰かに話しかけている『（乗車賃は）子どもは35円やで』の声もあって。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　その三年後、私が高校二年生の時に京都市電は全廃となるのですが、この時も朝の5時過ぎ発の烏丸車庫発の一番電車の外周線（北大路→西大路→九条通り→東山通り）を録音したり……圧巻なのは、その最終日（昭和53年9月30日）の本当にこれが最後となる最終電車。私は何としてでも乗り込みたくて、高校をサボって朝から順番待ちに。あまりに早く並びに行ったので駅員さんも「もう来たんかいな。一番乗りやで。ほんでも今何時やと思てんにゃ……ほな取り合えずそこにでも座っとき」と呆れながら停車場の一角を確保して下さったことを思い出しました。そうして待つこと約15時間。夜11時45分発、京都駅発烏丸車庫行の最終花電車に私は乗り込んだのです。それはもう押し合い圧し合いでした。その時の乗車音も聞き取れます。録音状態としてはマイクに風防を付けていたものの見事にゴボゴボとノイズが入りまくっているのですが、しかし京都駅に姿を見せた花電車を群衆が拍手と歓声で迎える音。運転手さんへの花束贈呈の様子。動き始めると沿道を並走する車のクラクションの喧騒。人々の拍手。八坂神社では「ワ～」という歓声があがったり。そうして終点の烏丸車庫では車掌さんの「長い間ありがとうございました！」の絶叫のあとの車内での「バンザイ！」の連呼。本当にお祭り騒ぎでした。ヘッドホンで43年前に自分の録った音を確認しながら心が高揚していくのがわかります。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　何とも不思議な気持ちになりました。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　結局カセットテープ10巻を全て聞き返し、それを同時にWAVファイルにデータ保存しました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　そうしてその音源のことを「こんにちは京都市電」を主催されている京都市文化財保護課の方に電話でお伝えしたのです。写真の提供などは市民から結構持ち込みがあるものの音は全く無いとのことでした。私が個人で所有していても特に活用することもなさそうだし、先日全てのデータをお渡しし、ご自由にお使いくださいとお伝えしました。「今回の催しは間もなく終了しますが、今後何かに使用するときは必ず連絡します」とのことでした。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　閉会前に何とか件の展示会も観に行くことができました。会場には子どもさんも来館されていて、どのような思いで市電の資料を眺められているのか尋ねてみたい衝動にもかられました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　それにしても……目を閉じて音だけを聞いていると、何となく朧げにですが、当時の街並みが（少なくとも今現在ではない街並みが）脳裏に浮かんでくるのが不思議で……映像ではなく音だけなのが逆に遠い記憶を喚起する感じで……と同時に録っていた中学や高校の時の自分の情熱が照れくさくもあり……あるいはまた録音に残っている声の主の乗客の多くはもう既に鬼籍に入られているのだろうななどと考え始めると、ふと亡くなった自分の祖父母のことを想い出したりと、やたらとノスタルジックになっていく自分もいたりして……そうするとそこから反転して、この録音癖が大学へ入学してすぐの演劇の音響担当につながり、そうしてやがて音を対極に見つめる劇団の旗揚げや劇作にたどり着くことに思い当たり、つくづく一本の道を歩いているなぁと……京都市内を走り回る市電のアナログ音を聞きながら自分の半生を俯瞰した一カ月でもありました。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/rerox2/entry-12714717312.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Dec 2021 11:31:51 +0900</pubDate>
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<title>懐かしのアニメ</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">　先日まで開催されていた２０２０東京オリンピック。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　日本選手はあまたのメダリストとなり、試合後のコメントを聞く機会も多かった。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　中でもスケートボード女子ストリートで、西矢椛選手は若干13歳でありながら過去日本人最年少で見事金メダル。また銅メダルとなった中山楓奈選手も16歳。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　色んな意味で若さがさく裂した競技だった。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　試合後のインタビューで、本番競技中に中山選手と交わした会話内容を問われた西矢選手が「ラスカルの話をしてました」と答えたのだが、すぐにSNSで話題となる。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　かく言う私も「……え？　ラスカル？」となった。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　間もなく還暦を迎える初老の男に、このセリフはヒットした。まったく想定外の単語の登場だ。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　ラスカルって、まさか！　いやいや、そんなはずは……。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　一方の中山選手は「ラスカルの曲を聴いている」と、試合中の会話で年少の西矢選手に情報を共有したという。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　アニメ『あらいぐまラスカル』。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　初放映は1977年。今から44年前のことだ。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　♪ありがとう僕のともだち　ラスカ～ルに合わせてく～れ～て～</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">のエンディング箇所は私も歌える。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　♪しろつめぐさの花が咲いたら～</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">の冒頭の箇所も歌える。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　即日、当該アニメ制作会社はこのインタビューで飛び出した「ラスカル」発言を自社キャラクターを指すものであって欲しいという願いもあっただろう、さっそく二人に向けて受賞を祝福するイラストを発表する手際の良さだ。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　あらいぐまラスカルがスケボーに乗ってジャンプしている絵が祝辞と共に発信された。見切り発車といってしまえばそれまでだけれど、このクイックレスポンスを可能にする会社の柔軟性には脱帽する。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　かくして翌日、この二人の選手が交わしたラスカル談義はまさにアニメのテーマソングであったことが判明する。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　中山選手はCS放送のキッズステーションでアニメを観、テーマソングにも惚れ込んだらしい。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　44年の時を超えて、世代を超えて……放映当時だてに名作劇場と銘打っていなかったことが証明されたわけだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　と、やはり前振りが長くなってしまったが、ここからが今回のブログの本題になる。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　私が近年溜息をつきながら眺めてしまうTVコマーシャルがある。そして見た後に何時も必ずボヤいてしまう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　「一体どうしちまったんだ……アルムおんじ……」</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　家庭教師ト〇イに『アルプスの少女ハイジ』のキャラクターが登場するようになったのはいつ頃からだろうか。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　最初は、もともと放映されていた映像に、後付けで合成されたオリジナルキャラクターである家庭教師の『ト〇イさん』がはめ込まれていたのだが、近ごろはコマーシャル用に新たにアニメが制作されている。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　初期の頃はハイジやクララがメインだったと記憶するが、回を重ねるごとに存在感を増してきたのが『アルムおんじ』だ。今や完全に主役の座を奪ってしまった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　カルピスこども劇場『アルプスの少女ハイジ』の初放送は1974年。『ラスカル』よりも更に3年前だ。私は１２歳、小学６年の時だ。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　裏番組には、これまたアニメの金字塔『宇宙戦艦ヤマト』があったのだが、しかし当時の視聴率は『ハイジ』の圧勝に終わる。当初一年間を予定していた『ヤマト』も、放映回数を半分に減らさざるを得なかった。それぐらいに家族みんな、団欒で観たのが『アルプスの少女ハイジ』だった。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　原作はスイスの作家、ヨハンナ・シュピリ（スピり）。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　１歳のハイジは両親と死別し、母方の叔母に育てられるが、叔母の仕事の都合で5歳になった時に父方の祖父である『アルムおんじ』に預けられることになる。アルムとは放牧地のことを意味するらしい。アルプスの山で放牧を生業とするおじさんという設定だけで、本名は小説でもアニメでも不明だ。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　シュピリの原作によると、おんじは若いころに賭け事やお酒で身を滅ぼし、傭兵として外国の戦地に赴いた過去がある。当時暮らしていた村では、実際には人を殺してもいないのに人殺しと噂をされ、村には住めなくなったという経緯があり、アニメでも冒頭そのようなことを連想させるセリフがほんの少しだけ出てくる。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　ハイジが預けられた当初は、山小屋で一人暮らしをする人間嫌いの偏屈じいさんというキャラクターだったが、同居を始めたハイジの幼くて真っ直ぐな純粋さに次第に心が解放されていく。ハイジ自身もこのおじいさんが大好きになっていく。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　なんとも心洗われる物語だ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　それなのにだ。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　『家庭教師ト〇イ』のおんじときたら、</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　カンナで木材を削りながら、密かにラップを口ずさんだりしているではないか。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　人間嫌いがラップを歌うか？</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　キャラの崩壊としか言いようがない。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　最新のコマーシャルに至っては、大会場の壇上でまるでIT企業のCEOのようにプレゼンテーションをする始末だ。ヤギのゆきちゃんまで従えて。ゆきちゃんをアルプスからわざわざ連れてきたのかと思うと悲しくなってくる。CMでのゆきちゃんの「メェ～」という鳴き声は果たして何を意味するのだろう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　しかしながら私は私自身の気持ちが変化していることに最近気付いた。気付いてしまったのだ。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　きっとコマーシャルに馴染み過ぎたのだろう。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　アルムおんじは元来、世界を股にかける起業家であって、アルプスの山には避暑目的で過ごしていただけではなかろうかと。山小屋での人を寄せ付けぬ姿は富豪ゆえの世を忍ぶ仮の姿であって、本来はバリバリの経営者なのではないかと。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　再放送を観たのもずっと以前になってしまって、アニメのおんじよりもCMのおんじの説得力のほうが強まったゆえの逆転現象。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　おんじは、ロッテンマイヤーさんよりも学があって、ゼーゼマンさんよりも遥かに財産のある、世界長者番付の影の常連、大金持ちではなかろうかと。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　こんなカオスを抱えた私です。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　せめて世の子どもたちが、どんな形であれアニメ『アルプスの少女ハイジ』を観てくれればと。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　そのキッカケがCMならば、それはそれで良しとすべきと致しましょう。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/rerox2/entry-12691949971.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Aug 2021 12:32:33 +0900</pubDate>
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<title>マスク考</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">去年の今頃から、世界中でマスクは必需品となりました。今では街なかを歩いては、スーパーマーケットに入っては、マスクをしていない人を誰も見かけなくなりました。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">私も外出時には不織布マスクを毎度毎日付けております。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">そしてある時、ふと感じたのです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">何故か女性の視線が私の顔に向けられているのを。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">最初は、マスクに何かがくっついているのだろうかと思いました。しかし、それが1週間以上続くに至って、ついに一つの仮説を立てることとなったのです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">私は意外と男前な目をしているのではないだろうかと。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">マスク以外の部分がイケメンなのではないだろうかと。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">しかし、そんなはずはない。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">実際、私の目はどちらかと言うと吊り目です。キツネ目の男なのです。顔のパーツで分けるとすれば鼻はダンゴです。口はおちょぼです。アゴは髭剃り後の青が目立ちます。そして体に比して顔そのものがデカいです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">要するに、非常にアンバランスな顔なのです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">ところがマスクを付けてからというもの、例えば公営バスに乗った瞬間、はたまた例えばエレベーターのドアが開いた瞬間、それはもう女の人からの痛いほどの視線を感じてしまい……ああ、これは私がきっと顔半分の男前なのだと思い至ったのでした。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">これまでの５８年間で、初めての視線の連打です。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">いいですか。５８のオッサンに視線が集まるのですよ！</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">これ、ホンマでっせ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">「正真正銘のオットコマエさんやビジンダーさんたちにとっては、これがきっと日常なんだろうな」と、私も疑似体験をすることで悟ったのでした。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">「お目出度い奴だ」と嗤われるのを覚悟で、その実感を知り合いの男性に伝えますと、何と彼も「ボクも同じなんや。コロナ以降、しょちゅう女性から見られるようになったわ」と言うのです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">そうすると、これは私だけの、ごく稀な狭い範囲の現象ではなくて、日本中、いや世界中で多くの</span><span style="font-size:1.4em;">男たちが視線を浴び出しているという世界規模のできごとなのかもしれません。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">ところが、ここで一つ困ったことがあります。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">私は戯曲執筆のため、自宅以外に、近所のマクドナルドに行くことが多々あります。二階建てのそこそこ大きな店です。お店では昨年の今頃までは、それこそ中学生たちの一団や子ども連れの若いママさんグループが賑やかにハイデシベルで会話されていたのですが、一度目の緊急事態宣言が発出されて以降、店内は異常に静かになり、けたたましさが無くなりました。少し前に若干大きめの声で携帯で話されていた男性が、他のお客さんに諫められたシーンを見ました。或いはまた、飲食が終わってマスクをつけずに会話が盛り上がっていた大人の男二人連れに、「話すのであればマスクをしてください」と注意した人もおられました。何だか凄い監視社会になってきたと言うかギスギス感が充満しているというか……まあそれはそれで違う意味で問題なのだとは思うのですが、そのことはここではさて置き、つまりは……賑やかさが常であったあのマクドナルドがまるで図書館状態になっているのです。この現象はとてもありがたく、集中して執筆にとりかかれるのです。私にすれば防音室で物音ひとつしない完ぺきな静寂などは逆に耐えられず、今のこの店のように適度な外音や店内でオーダーを取るやりとり程度のボリュームが聞こえるくらいが丁度良いのです。見渡せば、多くのお客様が本を読んだり、パソコンで仕事をしていたり、とにかくこの静かな環境を求めて来店されているのがわかるのです。たとえ話すときでも、ひっそりと会話をされている。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">お店の売り上げには余り貢献していなさそうな人たちが多いので、マックとしてはどう思われているか知りません。が、つい最近のニュースによると全国のお店で販売が好調らしくて、デリバリーが伸びたことだけではなく、静けさを求めた客数の増加も業績アップにつながっているのではと、自分に都合よく解釈しています。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">では何が困ったことなのかと言うと……、</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">私もマックには勿論マスクをつけて入店します。オーダーをレジ前で告げると商品待ちの客同士が密にならないように、店員さんが商品を（例えコーヒー一杯でも）既に二階の客席に座っている私の番号札を目印に持ってきてくれるのです。で、私はおもむろにコーヒーの紙コップの蓋を外し、砂糖とミルクを入れてかき混ぜて、蓋を閉めてコーヒーを飲もうとします。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">そしてマスクを外します。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">この瞬間です。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">私がオトコマエでないことが一気にバレるのです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">ダダバレとなります。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">私の顔をさっきからチラチラ見ていた女性が、「あぁあ」とガッカリ落胆するのがわかります。そして二度とチラ見をしなくなります。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">マスク姿で入店したことで、（仮説に従えば）なまじ男前オーラを発信してしまったがゆえに……。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">だから私はコーヒーを飲むときは必ず辺りの席を確認します。視線の有無をチェックします。そうして誰も見ていない瞬間を狙って、マスクをチョロッと外して、素早くコーヒーを口に含み、電光石火のスピードでマスクオンします。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">５８歳です。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">マスクを外した瞬間は、パンツを脱いだくらいの気恥ずかしさです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">ヒヤッとした寒さを感じます。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">そうした感覚は、私は若い頃に既に体験しておりました。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">思い出しました。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">あれは私がまだ二十歳そこそこの大学生だった頃、某女子短大の学園祭に行ったことがありました。この短大はそれほど大きな規模のキャンパスでもなく、他大学から訪れている男子の学生数もそれほどいませんでした。秋の日は釣瓶落とし。グランドには照明が灯り、ステージではカラオケ大会が始まりました。そして私は無理やり？ステージに上げられてしまったのです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">ステージ下には数百人の女子大生らが私を見つめておりました。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">ここで一つ説明を追加しておきますと、私はその日はずっとサングラスを掛けていました。あの頃は松田優作に憧れ、浜田省吾にかぶれていたので、真っ黒のレイバンのサングラスを掛けておりました。そしてそのまま私はマイク片手に歌ったのです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">渡哲也の♪「くちなしの花」を。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">すっかり日の沈んだステージ。舞台を見つめる女子大学生たちは、沢山のペンライトを頭上で揺らして盛り上げてくれたのです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">至福の時間でした。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">幸せでした。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">歌い終わって、私がステージを降りかけた時、客席から声がしました。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">「サングラスを外してヨ！」と。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">するとつられるように多くの黄色い声が響きます。「サングラスを外してヨ！」「外してヨ！」「外してヨ！」と、まるでシュプレヒコールです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">勢いに押されて私はステージの真ん中に戻り、サングラスを外したのです。すると一瞬の沈黙があって、そのあと一斉に</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">「なーんや」の声が。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">……溜息交じりで。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">エコーのように。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">「なーんや」</span></p><p><span style="font-size:1em;">「なーんや」</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">「なーんや」</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">はい。トラウマ一丁できあがり。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">マスクは顔の上だけ。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">サングラスは顔の下だけ。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">どっちかだけだと私は男前。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">両方つなぐとダメなのよ。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">期待値高かった分だけ、真っ逆さまに急降下。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">そういうことです。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">そういうことを、マスクをつけるようになって改めて実感したという、それだけの話です。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">いまだ自意識だけで生きている５８歳です。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">マスク無しでは生きていけなくなりました。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/rerox2/entry-12656035682.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Feb 2021 17:18:39 +0900</pubDate>
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<title>コロナ禍での紅白歌合戦</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 1.4em;">　　大晦日、ＮＨＫの紅白歌合戦を観ました。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　私は何が何でも紅白を観る派ですから。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　学生の頃のバイト期間からずっとサービス業（生花店・ファストフード店）の店長をしていたために、どちらも大晦日はかき入れ時であり、日が変わっても夜中ずっと店頭に立っていました。花屋の時はキーパー(大型冷蔵庫)などの大掃除でしたし、ファストフード店は八坂神社のおけらまいりからの帰り客を見込んでの24時間営業でした。ですので、20年間ほどは紅白を生放送で観ることなく過ごしており、“一般的な大晦日”に浸ることが全くありませんでした。ちなみに年間を通して日曜日も出勤していましたので、お昼番組の「ＮＨＫのど自慢」を観ることもありません。現在の仕事(主に公共相手の造園業)に代わってから、やっと「のど自慢」も「紅白歌合戦」も視聴できるようになりました。この“人並みの日曜日感や年末感”が愛おしくて、今でも両番組を観るとつい嬉しくなってしまうのです。子どもの頃はほぼ必ず家族と共に観ていましたから、そういうノスタルジーを求めているのかもしれません。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　ところで一昨日の夜の紅白です。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　私的には、コロナ禍にあって、どのような演出をされるのかが気になっていました。演出と書くと、いやらしい打算の響きも交じってきますが、今をどうやって表現するかのプロフェッショナルの技とでも言うか……歌自体は歌手の力ですが、ライブとなれば音響や照明、装置なども含めた総合力が問われます。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　しかもこの日、東京都内での新たなコロナ感染者数が単日で1300人を超えたと発表。今年初めて四桁となり、再び緊急事態宣言の発出の可能性が現実味を帯びてきた中での大晦日の紅白歌合戦。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　それぞれの歌手の、歌そのものを聞かせることに重きを置いた演出だったと思いますし、ディスタンスも計算されていたようです。聴きごたえはありました。歌番組としての王道をいかれたと思います。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　が、例えば司会のウッチャンや大泉洋氏の現場テンションが、私のところまで届きにくかったのも事実です。ウッチャンが涙し、大泉氏が「ブラボー！」！と何度も叫ぶ根っこの部分が、私にはどこか異質というか……。そりゃ皆さんは進行役として失敗はできないというプレッシャーもあって、コタツに入ってほっこり観ている私とは、そもそも血圧状態からして違うでしょう。現場にいる人とテレビの前で視聴する人との感覚は、そもそも等しく共有することは無理だし、私自身、演劇は生で観るべきで、後日視聴するＤＶＤの録画映像とは根本的に違うということも生理的に熟知しています。それでもあえて言わせてもらえるのなら、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　私が思うところですが……ウッチャンも大泉氏も共にライブの人です。お客様を目の前にしたパフォーマンスで叩き上げられてきた人たちです。お客様が一人でもいてくださる有難さを熟知されているお二人が、ＮＨＫホールという大空間に、本来なら満席のはずの観客がたったの一人もいない、そんな客席に向かってリハーサルを超えた最高のパフォーマンスを伝えようとする歌手たちの想いを目の当たりにし、無観客の客席の、その先にあるテレビ視聴者に届かそうとする熱意や矜持に圧倒されたため、そこに涙されたのではないでしょうか。と思うのです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　本当に私の個人的な思い込みで申し訳ないのですが、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　だとしたら、あくまで、だとしたら、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　私などは、そこをもっと共有したかったと思うのです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　つまり、無観客という状況を更に強く感じたかった。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　これは無理なことなんでしょか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　多分無理なのかもしれませんが。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　演出では一定の客席をつぶし、会場をいくつかに分散し、もしかしたら曲終わりの拍手もＳＥで増強し、テレビの視聴者に対して「いつもとは違う紅白。観客がいないことを忘れさせるくらいに大規模な仕掛けと、会場にいる目の前の観客受けするＭＣを排したスムーズな進行の紅白。そして、いつもよりも歌を軸にした原点回帰の紅白」を目指していることは感じました。そこは流石にスゴイと思ったのですが……逆に観客が入っていないことを薄めていたような気がしたのです。隠していたとまでは言いませんが。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　しかし、だからこそ現場では例年と違う空気というか、大ホールでの生放送では観たことのない世界……ウッチャンや大泉氏、二階堂さんや桑子アナには、歌の上手さだけでなく、無観客のほぼ誰もいない会場で渾身の力を振り絞る歌手たちやそれを最大限に引き出そうとされるスタッフの面々の必死の熱情に打たれていたような気がして……そこが、私も共有したかったと。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　曲最後の拍手の音などは殆ど無く、客席には観客がいないという中での歌唱であることを、もう少し具体的に伝えていただければ、歌手さんや司会者さんたちの現場感に更に近づけたのではないかと思うのです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　無観客でも私たち視聴者を楽しませようとしてくれているパフォーマーやスタッフの想いは、例えば、その場にいなければ絶対に伝わらない病院で働く人たちや社会生活を維持してくれている人の献身と二重写しになってきたのではないかと。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　2020年の最後の同じ時間に、顔が見えずともテレビの先にいる人に向けてライブパフォーマンスをする歌手たちの、スタッフたちの熱が更に伝わってくるような演出。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　それが、どんな演出と問われれば……私にも答えようがないのですが、それでも、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　ほんと、的外れな私見かもしれませんが……ウッチャンや大泉氏の受けた現場での感動を、更に共有したかったと思いました。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/rerox2/entry-12647755345.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Jan 2021 14:33:00 +0900</pubDate>
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<title>2020年　戯曲賞</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 1.4em;">　劇団大阪50周年記念戯曲募集で、応募作が佳作を頂きました。執筆に至る経緯は先のブログ、「久し振りの京都公演②」で記した通りです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　タイトルは『空蝉が鳴いている』。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　令和の子どもの貧困と昭和の空襲を絡ませた作品で、もともとは以前に一人芝居用に脱稿した『陽だまりの椅子』（未上演）という作品があって、それを複数の役者で演じられるよう書き改めたものです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　ここでは詳細は述べませんが、私の母方の祖父（母の父）が東京大空襲で絶命したとの“噂”が親戚筋で囁かれているようで、あの戦禍に対するざわつきが私の心で、くすぶり続けていることも執筆動機の一つでした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　応募してから発表までの間に、コロナウイルスが世界を席巻しました。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　戯曲賞の結果発表は5月1日でしたが、なかなか表彰式の日程が定まらず、主催者の劇団大阪さんも悩まれたようです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　第二波がおさまりつつある中、ようやく11月18日に開催の設定をされたのですが、ここにきて第三波が強まったこともあり、結局表彰式は中止となりました。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　私としては、この審査の期間中、審査員の方々や劇団の皆さんに作品を読んでもらえて、もうそれだけでありがたかったし、長引くコロナで外に向かって何ら動けぬ閉塞感に窒息しそうで、だからこそ受賞が心の大きな励みになったことは間違いありません。審査委員長の渡辺えりさんを始め、演劇界で長く活躍されてきた方の審査評は、今後の創作の糧にもなりました</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　それに、仮に11月18日に表彰式が行われたとしても、私自身、出席が難しい状況でもありました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　前回のブログで書きました父の膀胱癌の手術が、まさに丁度その日、11月18日に決まったからです。父は「手術のことは気にせず、表彰式に参加すればいいよ」と言ってくれていたものの、私は直前まで迷っており結論が出せずで……ですから劇団大阪さんから表彰式が中止になったとの知らせが入った時には、正直ホッとしたのです。高齢の父のことでもあり術後の容体も心配ではありましたし、だからと言って出席を見送ったりすると劇団大阪さんに不義理したことも含めて父自身が私に対して申し訳なさを感じてしまいそうだったからです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　父の癌や世界に蔓延したコロナと、今年がこのような年になるとは思ってもいませんでした。来年がどんなふうになるのか予測もつきません。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　しかし一つだけ言えるのは、だからこそ戯曲を書き続けようと思うのです。世界中が命と向き合っている今、私が私であるとブレずに認識できるのが、唯一セリフの執筆だからです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　誰かが読んでくれる可能性があるから。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　人との接点を持てる可能性があるから。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　本番で上演されれば、観劇してくださった人と心を通わせる可能性があるから。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　さあ、今度は何を書こうかと思いを巡らしている時が、苦しくても私の生きている意味を意識し実感できる時間であり、そこから立ち上がる劇世界をいつか誰かと共有したいと、今年は特にそこへの飢えが強く、何としても書かんとあかんと鞭打たれた年でもありました。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　劇団大阪の皆さんといつかお会いした日に、しっかりと御礼は言うつもりです。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/rerox2/entry-12642396431.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Dec 2020 16:08:06 +0900</pubDate>
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<title>実家</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 1.4em;">父が癌になった。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">もともと前立腺癌を患ってはいたが、投薬治療を続けてきたおかげで殆ど完治していたのだが、先月になって度重なる血尿があり、病院でＣＴスキャンやＭＲＩの検査を行った結果、膀胱癌と判明した。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">88歳の米寿。昭和７年生まれ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">耳も相当遠くなり、体温の調節もスムーズにいかない。まだ真冬でもないのに暖房は相当に効かせないと寒いらしく、こたつと石油ファンヒーターとエアコンを総動員。私が家に帰るとテレビの音量はかなり大きくて部屋の温度も高温だ。そうしないと父は日常を過ごせない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">脊柱管狭窄症も悪化したから歩行が極めて頼りなく、シルバーカーを押すことでスーパーへやっと買い物ができる程度。なかなか危なっかしい感じだが、その店は幸い実家の近所なので散歩がてらに買い物に行くのを日課にしていた。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">その父が癌になった。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">まあ歳が歳だから仕方のないことなのだけれど。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">このささやかな日常のルーティンを、術後も続けられればと思う。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">実家ではもともと父は母と二人で暮らしていたのだが、母が10年前に突然心臓発作で他界したその日から、私は実家へ再び戻って父と同居するようになった。実家のそばに私の家があるので、毎日仕事から自分の家に一旦帰宅して用事を済ませてから、夜の8時くらいに実家に帰るようにしている。夕食を作り、父と食事をとりながらテレビを観ながら雑談をして……父は一階で、私は二階で眠る。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">そういう暮らしを10年続けてきた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">その父が10日ほど前に膀胱癌を除去するための内視鏡手術を受けて数日間入院をした。病院はコロナ患者も受け入れているから面会もできない厳戒態勢で、まあその方がこちらも安心ではあるのだけれど、父の入院中、私は自分の家に寝泊まりをせず、無人となった実家に一人帰り、そこでご飯を食べ、テレビを見て眠る。そういう日を父の退院まで数日続けた。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">家を家だけにしてはいけないと思ったから。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">私の出勤中も、ずっと部屋の明かりはつけっ放しにしておいた。無人の家を真っ暗にはしたくなかった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">考えてみれば、私が実家でたった一人で過ごすのは、先述の脊柱管狭窄症で父が入院して以来のこと。この家で一人で眠ることは、58年生きてきてその時と今回と二回だけ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">床に就いて思うのだが、この状況は実に寂しいことだと改めて気づかされた。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">私は、もともと沢山の親兄弟と共にここで暮らしてきたからだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">私の実家は大正時代に建てられた長屋の一番奥の二階建ての小さな木造の借家。私が生まれたのが昭和37年だから、その時で既に築40年以上は経っていたわけで、今では築100年ということになる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">家賃は現在月３万円。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">一階が京間の6畳と6畳。二階は6畳と3畳。家の裏には猫の額ほどの庭がある。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">その間、家族は瓦を新調し、トイレを汲み取りから水洗に、和式から洋式に、木造だった玄関の扉や窓枠もサッシに替え、おくどさんから流し台に替え、間取りも若干の増築を行った。庭にたった一本生えていたイチジクの木は伐採され、そこに物置を据えたのは私が小学生低学年の頃だったか。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">時代と共に、実家はグラデーションのように徐々に姿を変えた。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">この家は我が家族の歴史をずっと見てきた証人とも言える。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">私が生まれる前は祖父母、父、父の妹、父の弟の5人暮らしだった。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">やがて父の妹（叔母）が嫁いでいき4人に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">そこへ母が嫁いできて5人に戻る。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">で、昭和37年に私が生まれて６人家族に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">２年後に弟が生まれて７人家族に増えた。この辺りから私の記憶は始まる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">間もなくして叔父が結婚で家を出て再び６人に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">数年後に妹が生まれてまたまた7人に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">祖父母、父母、私、弟、妹。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">よくもまあ、こんな狭い家に7人が暮らせたものだと思うのだが、昭和のあの頃はまだ大家族が残っていて、多くの家族が小さな家にひしめき合って暮らしていた。西陣界隈の友だちの家に遊びに行っても、みんな似たり寄ったりの環境だった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">しかしその後、祖父が他界し6人に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">弟が結婚し家を出たので5人に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">妹が結婚し家を出たので4人に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">祖母が他界したので3人に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">母が亡くなったので2人に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">そうして父の入院中は、とうとう私１人ということになった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">家の中には家族の生きてきた証があって、例えば祖父はまめな人であったからトイレの水道の蛇口あたりに「水は少しだけ流して、あとはキチっと閉める」と短冊のような紙に自筆で書かれた文字が壁に残っている。また退職後はレタリング教室へ通っていたから「愛鳥週間」をデザインした手製のポスターなどが未だに何枚か飾られている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">母が嫁いできた時に持参した婚礼家具の箪笥や鏡台は使い手もなく家に残されたままだし、妹が小学校の時から長年愛用していたスチール製の学習机もそのまま置いてある。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">今では見掛けなくなってしまったユニットタイプの風呂もあり、いつだったか入浴中の老齢の祖母がどうした訳か中に閉じ込められて出られなくなったため、真っ赤な大型車で駆け付けたレスキュー隊員によってユニットバスの天井を外されて救助されたこともあった。その時の隊員が無線で誰かに知らせた言葉、「老婆確認！」が今も忘れられない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">大掃除の時は畳をあげてホコリを払うと共に下敷きになっていた古い新聞を読み漁って、随分と掃除の邪魔をしたものだ。台風の時は木製の雨戸をガタガタと閉めたし、停電となればそれこそ懐中電灯や蝋燭の灯りの中で雨風の過ぎるのをやり過ごした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">そんなこんなで築100年の家は今や傾いており、開いたままのふすまは閉じることができない。一昨年の積雪の後、二階のひさしが雪の重みに耐えられずへしゃげてしまった。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">ネズミやゴキブリは出るわ出るわで、一度など父の就寝中の布団にイタチが入ってきたことがあった。すでに足腰の弱っていた父が夜中に気配で気付き、瞬時に父は飛び上がったという。まるでアルプスの少女ハイジで牛の接近に驚いて立ち上がったクララのように。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">本当に思い出は尽きることがない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">私自身、父が歩行が容易でなくなってからは、ホームセンターで木材を購入してはインパクトドライバーを使って家中の至る所に手すりを取り付けてきた。今となっては私なりに結構家の歴史に痕跡を残していることになる。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">そういう実家に私1人で寝ころびながらボンヤリと天井を見上げると、言葉にならない感慨が湧き上がってくる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">家が生きているというか。見ているというか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">命とは次元の異なる存在として。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">宿っているのは、ここに暮らして逝った人の魂かもしれない。お墓とはまた別物の。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">「家を家だけにしてはいけない」と思った感情は、おそらくそんなところから生まれてきているのだろう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">晩年の祖父や祖母は長く寝たきりとなって、この天井を見つめていた。母が急逝したのも、この天井の下だった。弟や妹が、父母に結婚の意志を伝えたのも、この天井の下だったはずだ。叔父や叔母が就職のこと、結婚の相手を告げたのもおそらく、ここだったのだろう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">この家は私の知らない一族の喜怒哀楽を全て見てきたに違いない。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">もしかするとあと何年か先には、それこそ私1人だけの実家となるのかもしれない。その時、私はこの家をどうするのだろう。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">この天井に見つめられてきた私は。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">これは不謹慎な考えだとは思うのだけれど、いつか、でも近い将来、南海トラフ大地震が起これば、間違いなくこの家は倒壊する。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">そうなれば私はこの家と共に消えてもいいかなと、少しだけ願っているふしがある。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">今更に別のどこかに、私の新しいふるさとを求めることなど到底できそうもなく、そういう年齢でもなくなってきているので、ふと思ってしまうのだ。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">そう思ってしまう自分を、愛おしく感じてしまうのだ。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/rerox2/entry-12640935486.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Nov 2020 13:10:39 +0900</pubDate>
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<title>電子音声</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 1.96em;">　</span><span style="font-size: 1.4em;">人工的な音声が巷に流れ始めたのは何時頃からでしょうか。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　人の、生身の肉声ではない機械的に合成された声によって何かを伝えられるということに今や慣れきった感があります。少なくとも私は。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　それでもです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　どうにも引っかかって仕方がない時もあるのです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　初期の頃の、例えば電車やバスの行き先や到着を知らせるアナウンスといった福祉として不可欠な音声は別にして、或いは「車ガ・バックシマス・ゴ注意クダサイ」とかの危険を知らせる警報音声なども別にして、平成から令和へと時代が進む中、「それって本当に必要？」と首をかしげたくなる疑似音声はあります。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　例えば先日もコンビニエンスストア大手の○ーソンでのこと。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　午前8時前、私は菓子パンとドリンクを手にしてレジへと歩みました。前を並ぶ他の客もなく、つまりはコロナによるディスタンスをとる必要もなく、即のレジ前カウンターでした。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　店員さんが私の商品のバーコードを読み込んでいる時、ふいに至近距離から電子音声が流れ出したのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　「有料ノ・レジ袋ハ・必要デショウカ？」</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　私は若干うろたえた後、発せられた音声元に向かい「要りません」と答えたのです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　声の出どころはレジスターでした。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　すると私の返事に反応してか、キャッシャーのパートのおばさんが、マスク越しに「ぷっ」と吹き出されたのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　私：「え？　これってレジに答えるんじゃないんですか？」</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　店員さん：「いえいえ。私に答えて頂ければいいんです」</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　私：「でもだって、レジが尋ねてきたんですよ」</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　店員さん：「すみません。私に答えて頂ければ……」</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　私は決してイチャモンおじさんではありません。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　もしかしたらレジが私の声に対応して何らかのリアクションをするのかもしれないと、咄嗟に本気で思ったのでした。何故って、最近そういう機械が出回っているではありませんか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　「アレクサ、灯りをつけて」。「アレクサ、テレビをつけて」……するとご主人様からの言いつけよろしく、スイッチオンとなってしまう、あの手の音声反応マシーンが。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　それとは別に、これは私の過去の職歴（ファストフード店長）から判断して、多分このレジスターもPOSレジに違いない。つまり店舗と本社とが回線でつながっていて、各店舗の販売状況を管理し、商品発注等の機能をも備えたものであろうと。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　そうすると、ひょっとしてレジからの質問音声の続きとして、本社から直接、個人客と対話する機械音声が発信され、私との受け答えも更に続いていくのではないかと。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　きょうび、レジといっても、あなどれないんですよ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　まあ、菓子パンの購買で瞬時にそこまで具体的に細かく推察したわけではありませんが、生理的に私はレジの機能性を信頼しているようでして……だから、レジに向かって「要りません」と答えてしまったのでしょう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　しかし、店員さんは「レジにではなく私に答えて頂ければ」と仰る。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　ちょっと別のパターンになりますが、これまた例えばコンビニでアルコール類を購入した時にレジの画面に未成年でない方はこちらのボタンを押して下さいと指示されることがあります。もう10年くらい前からでしょうか。あれもなんだか合点がいかないし機械に命令されているようで当初は嫌々画面にタッチしていましたが……重ねて言いますが私はイチャモンおじさんではないし、むしろ今ではすっかり抵抗感も失せてしまい、条件反射のように勝手に手が動くようになってしまいました。言い訳がましくなりますが、だって、この場合は機械が指示してきたことに対して機械に直接リアクションをすればよいのだから。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　或いはまた、コンビニのカウンターではありませんが、例えば各種ポイントカードの発行について電話で質問をする時など、必ず電子音声が流れて、「○○であればプッシュボタンの１を、そうでない場合は２を押してください」と指示を出してきます。これもその都度、こちらがピッピッと押していき、そのやりとりを終えた後で最後にはしっかりと「オペレータ―にお繋ぎいたします」と、生身の人へと導いてくれたりします。電話中、一体自分はどこへいざなわれるのだろうと不安はよぎりますが、機械音声に言われるがまま、ついていけばゴールへと導いてくれるのです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　けれども今回の「有料ノ・レジ袋ハ・必要デショウカ？」はどう聞いたって"機械からの質問"なわけです。それなのに、その質問を機械に返すわけでもなく、キャッシャーを担当する生身の人間に返さなければならないって、これって一体なんなのでしょう？　百歩譲って、「コノ質問二関シテノ・オ答エハ・レジ打チノ方ヘオ願イシマス」くらい、道筋を誘導して欲しいんです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　まあ、それ以前に、レジ袋の要・不要程度の問い掛けならば機械に担当させるのではなく、「人間がやりなさいよ」と言いたくなります。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　繰り返しますけど、人が尋ねるから人へ答えるわけで、機械が質問してきたことを何故に人に答えねばならないのでしょうか。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　ここからは私の推測になりますが……、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　今回のレジ袋有料化への周知が行き渡っていなかったがために、日本のどこかのコンビニの現場、レジでの接客中に一部のお客様と店員の間で話がこじれたことがキッカケだったのかと思うのです。いえ、ですからあくまで推測です。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　レジ袋に代金が発生することに激怒したお客様がおられた。そしてそのことにアルバイトの店員がうまく対応できなかった。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　しかし、だとしたら尚更に、機械に頼っていいものでしょうか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　そりゃ、毎回毎回お客様にアルバイトさんが必ず声で有料化を告げるのは難しいかもしれません。目茶苦茶忙しいピークタイムなどでは特に。でも、それって企業教育の問題で、そこを徹底せずに機械が肩代わりするのは方向違いだと思うのです。もっと大きく言えば、何故プラスチックごみが世界中で問題になっているのかを、社員だけでなくパートさんやアルバイトさんに、ちゃんと伝え、問題意識を持たせ、自分の"声"で説明できるようにすることのほうが大切ではないでしょうか。それを本社が全く怠っているとは思いませんが、貫徹するのは難しいし高望みであるかもしれませんが、それにしたってレジに機械で伝えさせるということは教育の怠慢、手抜きに見えて仕方がないのです。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　接客とは決してマニュアルに縛られるものではなく、こうしたイレギュラーに対応することで、逆に顧客が増えていく可能性だってあります。人が接客をするとは、そういうことではないでしょうか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　ちょっと話がずれますが、初音ミクがいかに美しく歌い上げようと、故美空ひばり嬢の歌唱がＡＩでそっくりに蘇ろうと（どこがそっくりやねんとドン引きしましたが……）、人間の声は人間が発してこその声ではありませんか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　人間の声には力があり、機械の声には力がありません。接客を機械に中途半端に頼るのはいかがなものでしょうか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　ね。もっと人間を鍛えましょう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　話があらぬ方向へ飛んでしまいましたが、これも2020年の、機械と人間との付き合い方の過渡期ならではのバタバタなのかもしれません。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　100年後には、人間よりも機械音声のほうが、機微の伝わる細かな感情表現ができているかもしれませんので。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　100年後と言わず、コロナの影響やキャッシュレス決済の浸透もあって、日本中の店舗からレジの人がいなくなる日も近いのかもしれません。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　そうして、人が接客しないほうがスムーズで効率的になるのかもしれません。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">　ただ令和の二年。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　人と機械が共存しているわけですから、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　グダグダと書きましたけれど、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　せめて、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">　「これは機械に対して反応してください。これは人間に対して反応してください」とハッキリ境界がわかるような仕組みでお願いします。</span></p><p>　　<span style="font-size: 1.4em;">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　</p>
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<link>https://ameblo.jp/rerox2/entry-12628763672.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Oct 2020 19:37:18 +0900</pubDate>
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<title>緊急事態という宣言</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 1.4em;">コロナウイルスの感染拡大を受けて、昨晩、安倍総理大臣が緊急事態宣言を発令した。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">会見では様々な要請が出されたが、要は日本国民全員に、これまで以上に家から出ることを極力自制して欲しいということだろう。「できるだけ家にいてくれ」ということだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">私自身、今現在は仕事に行っていない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">だが今のところ、コロナとは全く関係のない理由で、仕事に行っていない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">ずっと机に向かって新作台本を書いている。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">元々私は非正規であって閑散期であるこの時期の2～3ヵ月は、毎年おおむね戯曲を書くことに費やし、本来の仕事はしていない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">本来の仕事というのは何かと言うと、戯曲執筆ではそうそうお金にならないので、稼ぐためにやっている仕事のこと。そこでギリギリの生活費を得て、毎年自転車操業のようにして戯曲を書いてきた。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">職場では閑散期であるから、私の意志とは関係なく仕事がないこともあって、アルバイトの私が仮に出社したくても断られるという状況でもあるけれど。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">自ら求めていることとは言え、毎年この時期は精神上よろしくない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">この先の人生を想うと、殆ど何の展望もない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">我ながら、大丈夫か？と思う。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">世の中と私が分断されている感じ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">私はひたすらパソコンに噛り付いて、生産性ゼロの可能性もある当てどない書き物をしている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">セリフを打っている。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">途中、執筆の気分転換も兼ねて、たまに原付バイクで少量の買い物がてらに街ナドに出掛けることがある。平日だと確実に社会が動いている日常があって、特にこの時期だと大学生たちの卒業式の袴姿、子どもたちの入学式の真新しいランドセル、新社会人としての真っ新なスーツ姿の人たちともすれ違う。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「ああ、動いている」と思う。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">私は春のスタートの景色を横目で見やる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">長い冬が終わって皆、新しく前へ動き出そうとする気配が充満している中で、きまって「私は一体何をやっているのだろうか」と俯く。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">無性に社会からの“置いてけぼり感”を味わう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">気分転換だったはずなのに、最後には溜息をつく。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">人恋しくて出て行っては、しおれて帰ってくる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">３月、４月、５月……春は私にとって孤独を感じる時期。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">非力を感じる時期。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">毎年それを繰り返して、20年が過ぎた。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">その孤独の中で執筆を続けてきた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">そうこうするうちに、春先のこの期間、私は積極的には出歩かなくなってしまった。特に平日の昼間は出ないようになった。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">世の中がしっかり動いているのを見ると、自分の今が怖くなるから。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">出歩くとすれば、土曜日か日曜日。何となく世の中全体が休日感に包まれる日を選んで外出をするようになった。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">鴨川沿いの府道でバイクを止めて、桜を見上げる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">休日だと、みんな今日は仕事を一様に一服しているから、私も何とか外気に身を置いて息ができる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">皆、休憩しているのだ。私も一服ついて、生きていてもいいじゃないかと深呼吸をする。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">こうやって週末に息継ぎをすることで、また再び月曜日から金曜日まで、まるで海底を潜航する感じで過ごす。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">執筆という目的があるにせよ、私の有り様は、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">社会に対する「ひきこもり」と言ってもいいかもしれない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">現実から極力目をそらす期間だ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">結構息苦しい。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">そうして20年間、書き続けてきた。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">ところが今年は景色が違う。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">全然違う。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">毎年の私の漠とした不安と、世界全体が同調している。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">結果的に。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">誤解を恐れずに言うならば……今年は私はいつもの不安を感じない。焦りを感じない。孤独を感じない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">許されている感じに浸っている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">息ができている。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">不安という感覚が重なり合って麻痺しているだけだろうか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">己の不安を、世の中の不安で相殺しているだけだろうか。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">実際、辺りを見渡せば、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">ほぼ全ての演劇公演が中止となっている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">これは恐怖だ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">悲しいことだ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">演劇人の知り合いが多いから、みんなのことを想うと辛い。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">早く日常が戻ってくれなくては、困る。本当に困る。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">昨夜も新聞の文化欄を読むと、６月某日の公演予定の演劇記事が掲載されていた。役者の意気込みなどがインタビューされている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">しかし、この先それが実現するかは正直微妙だ。いけない発想だとは思うのだけれど。稽古だってまともにできてないんじゃないかと心配になる。公演に向けてベストの稽古が組めたのかと心配になる。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">街はどうだろう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">例年のごとく原付バイクで（特に今年は必要最小限となった）買い出しに出ると、人の少なさに驚く。国の要請を守ろうとする様子に、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「日本人って凄いなぁ」などと妙に感じ入ってしまう自分がいる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">インバウンドで賑わった京都の喧騒を疎ましがっていたはずなのに、実際周りから外国人の賑わいや意味不明の多言語の違和感が無くなってしまうと、それが逆に寂しくもあって、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「ボクはチャラかったんだ」と、自分の本音に出会えて、心の内の数パーセントがときめいている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「これって新鮮な感覚だ……」などと。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「京都が多人種の街であることを、僕はとっくに受け入れていたんだ……」などと。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">そんな風に客観的に風景を眺めている自分がいる。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">まあ、そこまではいいとして、</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">今朝の新聞のチラシには近所のホームセンターの色刷りが入っていた。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「東京都ではホームセンターが営業停止要請が出るかもしれんのに……」</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">京都だって、この先わからない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">感染者数は、宣言の都市に含まれてもおかしくはない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「このホームセンターのチラシで、はたして集客や売り上げに貢献しているのだろうか？」と余計なお世話の計算をしてしまう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">テレビをつける。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">地上波はニュースだけでなくエンタメ番組もコロナ一色だ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">番組途中で流れる様々なコマーシャルが気になり始めた。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">例えば旅行会社のCM。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">外出を控える要請が出ているのに「今時旅行なんて無理やん……」と思う。広告料、物凄く高額だろうに大丈夫なんだろうかと。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">例えば自動車のCＭ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">各国でロックアウトがされて自動車工場も閉鎖されていたりするのに、まして外出も行楽も仕事も自粛される中で、「車を買う人なんておらへんやん……」と思う。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">例えば栄養ドリンク。例えば白物家電。etcのCM、CM、CM。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">映像の中では密閉密集密接の三密の、現状ではやってはいけない“触れ合う日常”が、タレントたちの笑顔で映し出される。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">私はＣＭ画面に向かってつい愚痴ってしまう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「そんな近くで相手に喋ったら飛沫感染するかもしれんやん……」。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「それより、まずはマスクせんと」。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「ちゃんと換気しとるんやろか」。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">当たり前だが、これらのコマーシャルが収録された時はコロナなんてこと全く想定もしていなかったわけだ。だからこそ世相とのギャップが浮き上がり、能天気に映るタレントの笑顔を遠くに感じる。CMを出した企業だけでなく、実際に演じたタレントさんは、今このCMをどんな気持ちで眺めているのだろうか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「今こんなコマーシャルを流せば流すほど、違和感を強くするだけで、視聴者は離れていくだろう。購買欲なんか出るはずないじゃないか」と思ってしまう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「金を掛けてコマーシャルを放映する意味なんて無いのに」と思ってしまう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">毎日状況が悪化することを伝える番組と、明るさに満ちたコマーシャルの強烈な違和感。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">経済に向けたベクトルが真逆に向かっていることが、生理として伝わってくる。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">各国の代表者が、ほぼよーいドンで、それぞれ自国の舵取りに追われている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">大統領や総理だけでなく、それぞれの市長、村長、町長などの首長たち。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「まるで危機管理の能力を競い合う大統領や首相の国別対抗のオリンピックのようだ」などと揶揄してしまう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">「俺の政策は、あいつの政策よりもマシだろうか。秀でているだろうか」と、エゴサーチする首長の顔が浮かんでしまう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">日本の各地で統合型リゾートと称してカジノを併設する構想があるけれども、或いはまた５年後には大阪夢洲（ゆめしま）で万国博覧会が開催されるそうだが……世界中から人が集まった時点で新たなウイルスが発生したら、どうなるのだろうか。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">今の外界の様子、新聞やメディアの在り方、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">世の中の異常事態を、どこか冷めた目で評論している自分がいる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">冷めた目と言いつつ、一方で目を背けることなく、外界のあり様を積極的に眺めている自分がいる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">そしてしっかりと日常と自分をつなごうとしている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">怖い怖いと言いながら、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">世界の日常を俯瞰している自分がいる。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">芝居の台本を書いている身であるから、世界情勢や社会の変貌をウォッチするには、またとない機会だから。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">気が付くと、私は健全に呼吸が出来ている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">これまでの4月は、ずっと世間を無視していたのに。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">ひきこもっていない自分がいる……。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">繰り返しになるけれど、春の執筆期間は、人間社会が確実に進行していることを意識の外に置いていた。社会の進行を無視することで書いていた。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">しかし、今やそれは逆転した感がある。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">社会がこれだけ停滞している様を見ると、例えばたったの一行でもセリフを書けた時点で、相対的に何か私が世の中よりも一歩前に進んだように錯覚をしてしまう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">書くことに集中すればするほど、心が浄化されていく気がするくらいだ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">と言って、書いている作品はコロナにまつわるものではなく、次元の全く異なる世界を書いている。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">出口の無い執筆作業の20年間が私を逞しくしてくれた、などと言うつもりはない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">むしろ、世界の状況が益々恐ろしいことになっていきそうなのに、自分の精神不安を重ね合わせて上手くバランスがとれているとホッとしている自分の感覚が怖い。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">なかなかに筆が進んでいるじゃないかと、焦燥感が消えている自分の健全さが怖い。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">世の中が委縮して恐怖に呑み込まれそうになっている世界の姿を見て、私の精神状態は安定してきたわけか。落ち着いてきたわけか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">だってそうだろう、世界が不健康になったがために私の不健全さが目立たなくなったと一息ついているじゃないか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">これが正直な気持ちだ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">私って、こんな人間だったのか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">これじゃまるで、人の不幸をエネルギーにして執筆しているみたいじゃないか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">いや、</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">いや、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">そうではない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">今ほどしっかりと世界をメディアを気にしていることは、かつて無かったはずだ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">今ほど自分と世界がつながっているという認識を持てたことが無かったはずだ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">私の生きるための仕事だって、この先確保できるかどうかわからない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">アルバイトなんて、最初に契約を切られる立場だ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">不安定は目の前に迫っている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">私自身が罹患するかもしれない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">大切な人がコロナで命の危機に陥るかもしれない。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">恐怖は目の前にある。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">他人事ではないぞ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">絵空事ではないぞ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">それは感じている。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">これまでにない恐怖感があるからこそ、外界が気になって仕方ないわけだろ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">未知の恐怖感を感じているからこそ、自分の不安定さと相殺できているわけだろ。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">それでも尚、依然として現実とは一定の距離を置き、置いただけでなく、自分の精神は安定してきていると感じるのは何故だ？</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">その余裕は何だ？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">きっと私が今現在、コロナウイルスを心の底、芯から恐ろしいとは思っていないからだろう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">まだ、どこかでドラマを見ているような浮ついた感覚があるからだろう。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">世界中で亡くなった方がいるのに。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">愛する人を亡くした人がいるのに。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">まさに阿鼻叫喚。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">世界の医療崩壊の映像は現実なのに。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">私は結局、人の痛みをわかっていないんだ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">本当には怖れていないんだ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">こんなことで、戯曲が書けるのか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">浮ついた気持ちのままに、戯曲を書いてきただけじゃないのか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">（ああ、ここでもまた「書けるのか」などと傍観している……そういう次元じゃないだろう）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">人としてどうなのか。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">だめだ。これでは。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">もっと本気で、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">自分と世界をつなげろ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">人と人が分断されている今こそ、</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">自分と人をつなげろ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;">恐怖を見つめろ。</span></p><p><span style="font-size: 1.4em;">余裕かました自分の精神こそが、恐怖の対象であることを知れ。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 08 Apr 2020 13:18:40 +0900</pubDate>
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