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<title>ribupo58361のブログ</title>
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<title>久地の梅林</title>
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<![CDATA[ あはれや、庭の梅三四本、何も肥料をやらざれど、春くれば、花を著く。鶯も來り鳴く。裸男、窓の内にて、之を聽いて、獨り樂しみ居りしに、『今日は』とて、十口坊來たる。午食を共にして、一二時間雜談に過ごしけるが、十口坊曰く、『梅の時候になりぬ。何處かへお伴申さむ。さるにても梅は何處が好きか。教へ給へ』といふに、裸男得意になり、『花といへば櫻、花見といへば、櫻を見にゆくことをいふ。梅も、花は花なれども、梅を見にゆくことを花見とは云はずして、梅見といふ。又探梅とも云ふ。この探梅の探の語が面白し。探るは、活動的也、又奮鬪的也。櫻の咲く頃は、春風駘蕩、猫も杓子も浮れ出す。さるに、梅花の頃は、春寒料峭たり。霜柱もあれば、雪さへ降る。梅を探るには、寒風と戰はざるべからず、雪と戰はざるべからず、泥濘と戰はざるべからず。元來梅そのものが氣骨ある木也。氣骨ある人に非ずんば、梅と同化する能はざるべし。青年にして、梅を探る者あらば、われ高尚なる趣味を解するものとして、之を取る。老人にして梅を探る者あらば、必ずや意氣地なき老いぼれにはあらず』と陳べ立つれば、『そんな村夫子的御説法は眞ツ平なり』と冷かす。<br>『さらば、梅の名所を説かむ。先づ大和の月瀬が第一なるべし。熱海の梅園は、山腰に據り、清溪流れて、雅致あり。小田原城址の小峯山、水戸の第一第二の二公園にも、梅林あり。杉田は横濱より二里餘、小山を負ひ、海に面して、梅多し。本牧の三溪園にも梅林あり。鶴見の花月園にも梅あり。近く東京の南郊にては、大森驛畔の八景園、池上の曙樓、蒲田の梅屋敷、原村の立春梅などあり。小向の梅園は無くなれり。江東にては、向島の花屋敷、四木の吉野園に梅林あり。龜戸の臥龍梅は、惜しや、老木枯れたり。江東梅園も、木下川梅園も廢れたり。龜戸天神の梅林も無くなれり。西郊角筈の銀世界も無くなりたり。市内にては、湯島天神、芝公園、深川公園などにも梅林あるが、關東にては、青梅在の吉野村の梅を見ずんば、梅を説くの資格なかるべし。四面みな梅、多摩川其の中を貫きて、一村みな梅、老梅も多し。越生《おごせ》在の津久根にも、越ヶ谷にも、多摩川畔の久地にも、梅林あり。越ヶ谷と久地とは、われ未だ之を見ず』と云へば、『さらば其の久地の梅を探らむ』といふ。山神も隨行せむことを乞ひしが、『今から行きては日暮れむ』とて躊躇す。『知らずや、梅は晩が香氣高きもの也。又梅に副へたきものは、清き水也。林和靖の「疎影横斜水清淺、暗香浮動月黄昏」の句は、古今の絶唱也。久地は多摩川畔にあれば、その清淺の水もあり。今から行けば、時も亦好きに非ずや』と、裸男知つた風の事云へば、なるほどと山神感服して、共に出で立つ。<br>　目白より山手線の電車に乘り、澁谷に下りて、玉川行きの電車に乘り、大山街道を通りて、終點の二子の渡に下る。臺地に據りて、眺望の佳なる行善寺あり。清水堂に擬して造りたる祇園閣の下に瀧を設けて、夏の浴客を待ち、猿、鹿、鶴などを飼養して小兒の目を喜ばしむる玉川遊園地もあり。菖蒲園もあり、櫻楓園もあり。酒樓相接して、夏は鮎狩に賑ふ處也。渡舟にて多摩川を渡り、右に折れて堤上を行く。空曇りて、風寒し。川とはなれて、ぽつ／＼梅花を見る。右手に農家なくなりて、始めて二三町の彼方に、一堆の香雪を見る。堤を右に下りて、身はいつしか其の香雪の中に入る。屋根門の内に、大なる藁葺の一構へあり。川邊氏とて、この地の豪農也。梅はその構外の前にあり、横にあり、後ろにもあり。老いたるもあれば、若きもあり。麥畑入り込み、竹林、雜木林相接し、松林もあり。所謂梅林的ならずして、野趣愛すべし。掛茶屋の赤毛布に腰を卸せば、老婆茶を侑む。『持主は誰れ』『川邊氏』、『何本かある』『凡そ六百本』、『幾何の收入かある』『四五百圓』、『梅林は此處だけなるか』『一昨年までは、山の彼方の上作延《かみさくのべ》にも梅林ありたるが、今は梅を切りて、栗を植ゑたり』。これにて要領を得たるが、老婆はなほ梅の根元に堆き藁を指して、『藁が一番梅の肥料になる』といふ。又『花の速く咲けるは、其の實の生ずること遲く、花の遲く咲けるは、其の實の生ずること早し』といふ。これは三人とも初耳也。『いづれが酢きか』と問はざりしは、拔かりたり。人に譬ふれば、前者は小僧上りにして、後者は學校出なるべくや。<br>　梅林を辭して、西に數十間行けば、一帶の小山樹木を帶ぶ。多摩川の分水、其の麓を洗ふ。水閘の下、數十間の間、水清くして深く、流るゝこと駛く、目覺むる心地す。風の寒きをも厭はずして、立ち盡しぬ。［＃地から１字上げ］（大正五年）<br><a href="" target="_blank">http://blog.livedoor.jp/dzg676hqd3/</a>
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<link>https://ameblo.jp/ribupo58361/entry-11434011721.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Dec 2012 20:09:49 +0900</pubDate>
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<title>くさびら</title>
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<![CDATA[ 御馳走《ごちそう》には季春《しゆん》がまだ早《はや》いが、たゞ見《み》るだけなら何時《いつ》でも構《かま》はない。食料《しよくれう》に成《な》る成《な》らないは別《べつ》として、今頃《いまごろ》の梅雨《つゆ》には種々《さま／″＼》の茸《きのこ》がによき／＼と野山《のやま》に生《は》える。<br>　野山《のやま》に、によき／＼、と言《い》つて、あの形《かたち》を想《おも》ふと、何《なん》となく滑稽《おど》けてきこえて、大分《だいぶ》安直《あんちよく》に扱《あつか》ふやうだけれども、飛《と》んでもない事《こと》、あれでなか／＼凄味《すごみ》がある。<br>　先年《せんねん》、麹町《かうぢまち》の土手三番町《どてさんばんちやう》の堀端寄《ほりばたより》に住《す》んだ借家《しやくや》は、太《ひど》い濕氣《しけ》で、遁出《にげだ》すやうに引越《ひつこ》した事《こと》がある。一體《いつたい》三間《みま》ばかりの棟割長屋《むねわりながや》に、八疊《はちでふ》も、京間《きやうま》で廣々《ひろ／″＼》として、柱《はしら》に唐草彫《からくさぼり》の釘《くぎ》かくしなどがあらうと言《い》ふ、書院《しよゐん》づくりの一座敷《ひとざしき》を、無理《むり》に附着《つきつ》けて、屋賃《やちん》をお邸《やしき》なみにしたのであるから、天井《てんじやう》は高《たか》いが、床《ゆか》は低《ひく》い。――大掃除《おほさうぢ》の時《とき》に、床板《ゆかいた》を剥《はが》すと、下《した》は水溜《みづたまり》に成《な》つて居《ゐ》て、溢《あふ》れたのがちよろ／＼と蜘蛛手《くもで》に走《はし》つたのだから可恐《おそろし》い。此《こ》の邸《やしき》……いや此《こ》の座敷《ざしき》へ茸《きのこ》が出《で》た。<br>　生《は》えた……などと尋常《じんじやう》な事《こと》は言《い》ふまい。「出《で》た」とおばけらしく話《はな》したい。五月雨《さみだれ》のしと／＼とする時分《じぶん》、家内《かない》が朝《あさ》の間《あひだ》、掃除《さうぢ》をする時《とき》、縁《えん》のあかりで氣《き》が着《つ》くと、疊《たゝみ》のへりを横縱《よこたて》にすツと一列《いちれつ》に並《なら》んで、小《ちひ》さい雨垂《あまだれ》に足《あし》の生《は》えたやうなものの群《むらが》り出《で》たのを、黴《かび》にしては寸法《すんぱふ》が長《なが》し、と横《よこ》に透《すか》すと、まあ、怪《け》しからない、悉《こと／″＼》く茸《きのこ》であつた。細《ほそ》い針《はり》ほどな侏儒《いつすんぼふし》が、一《ひと》つ／＼、と、歩行《ある》き出《だ》しさうな氣勢《けはひ》がある。吃驚《びつくり》して、煮湯《にえゆ》で雜巾《ざふきん》を絞《しぼ》つて、よく拭《ぬぐ》つて、先《ま》づ退治《たいぢ》た。が、暮方《くれがた》の掃除《さうぢ》に視《み》ると、同《おな》じやうに、ずらりと並《なら》んで揃《そろ》つて出《で》て居《ゐ》た。此《これ》が茸《きのこ》なればこそ、目《め》もまはさずに、じつと堪《こら》へて私《わたし》には話《はな》さずに祕《かく》して居《ゐ》た。私《わたし》が臆病《おくびやう》だからである。<br>　何《なに》しろ梅雨《つゆ》あけ早々《さう／＼》に其家《そこ》は引越《ひつこ》した。が、……私《わたし》はあとで聞《き》いて身《み》ぶるひした。むかしは加州山中《かしうさんちう》の温泉宿《をんせんやど》に、住居《すまひ》の大圍爐裡《おほゐろり》に、灰《はひ》の中《なか》から、笠《かさ》のかこみ一尺《いつしやく》ばかりの眞黒《まつくろ》な茸《きのこ》が三本《さんぼん》づゝ、續《つゞ》けて五日《いつか》も生《は》えた、と言《い》ふのが、手近《てぢか》な三州奇談《さんしうきだん》に出《で》て居《ゐ》る。家族《かぞく》は一統《いつとう》、加持《かぢ》よ祈祷《きたう》よ、と青《あを》くなつて騷《さわ》いだが、私《わたし》に似《に》ない其主人《そのしゆじん》、膽《たん》が据《すわ》つて聊《いさゝ》かも騷《さわ》がない。茸《きのこ》だから生《は》えると言《い》つて、むしつては捨《す》て、むしつては捨《す》てたので、やがて妖《えう》は留《や》んで、一家《いつか》に何事《なにごと》の觸《さは》りもなかつた――鐵心銷怪《てつしんくわいをけす》。偉《えら》い！……と其《そ》の編者《へんじや》は賞《ほ》めて居《ゐ》る。私《わたし》は笑《わら》はれても仕方《しかた》がない。成程《なるほど》、其《そ》の八疊《はちでふ》に轉寢《うたゝね》をすると、とろりとすると下腹《したはら》がチクリと疼《いた》んだ。針《はり》のやうな茸《きのこ》が洒落《しやれ》に突《つゝ》いたのであらうと思《おも》つて、もう一度《いちど》身《み》ぶるひすると同時《どうじ》に、何《ど》うやら其《そ》の茸《きのこ》が、一《ひとつ》づゝ芥子《けし》ほどの目《め》を剥《む》いて、ぺろりと舌《した》を出《だ》して、店賃《たなちん》の安値《やす》いのを嘲笑《あざわら》つて居《ゐ》たやうで、少々《せう／＼》癪《しやく》だが、しかし可笑《をかし》い。可笑《をかし》いが、氣味《きみ》が惡《わる》い。<br>　能《のう》の狂言《きやうげん》に「茸《きのこ》」がある。――山家《やまが》あたりに住《す》むものが、邸中《やしきぢう》、座敷《ざしき》まで大《おほき》な茸《きのこ》が幾《いく》つともなく出《で》て祟《たゝ》るのに困《こう》じて、大峰《おほみね》葛城《かつらぎ》を渡《わた》つた知音《ちいん》の山伏《やまぶし》を頼《たの》んで來《く》ると、「それ、山伏《やまぶし》と言《い》つぱ山伏《やまぶし》なり、何《なん》と殊勝《しゆしよう》なか。」と先《ま》づ威張《ゐば》つて、兜巾《ときん》を傾《かたむ》け、いらたかの數珠《じゆず》を揉《も》みに揉《も》んで、祈《いの》るほどに、祈《いの》るほどに、祈《いの》れば祈《いの》るほど、大《おほき》な茸《きのこ》の、あれ／＼思《おも》ひなしか、目鼻《めはな》手足《てあし》のやうなものの見《み》えるのが、おびたゞしく出《で》て、したゝか仇《あだ》をなし、引着《ひきつ》いて惱《なや》ませる。「いで、此上《このうへ》は、茄子《なすび》の印《いん》を結《むす》んで掛《か》け、いろはにほへとと祈《いの》るならば、などか奇特《きどく》のなかるべき、などか、ちりぬるをわかンなれ。」と祈《いの》る時《とき》、傘《かさ》を半《はん》びらきにした、中《なか》にも毒々《どく／＼》しい魔形《まぎやう》なのが、二《に》の松《まつ》へ這《は》つて出《で》る。此《これ》にぎよつとしながら、いま一祈《ひといの》り祈《いの》りかけると、その茸《きのこ》、傘《かさ》を開《ひら》いてスツクと立《た》ち、躍《をど》りかゝつて、「ゆるせ、」と逃《に》げ※［＃「廴＋囘」、第4水準2-12-11］《まは》る山伏《やまぶし》を、「取《と》つて噛《か》まう、取《と》つて噛《か》まう。」と脅《おびやか》すのである。――彼等《かれら》を輕《かろ》んずる人間《にんげん》に對《たい》して、茸《きのこ》のために氣《き》を吐《は》いたものである。臆病《おくびやう》な癖《くせ》に私《わたし》はすきだ。<br>　そこで茸《きのこ》の扮裝《ふんさう》は、縞《しま》の着附《きつけ》、括袴《くゝりばかま》、腰帶《こしおび》、脚絆《きやはん》で、見徳《けんとく》、嘯吹《うそぶき》、上髯《うはひげ》の面《めん》を被《かぶ》る。その傘《かさ》の逸《いち》もつが、鬼頭巾《おにづきん》で武惡《ぶあく》の面《めん》ださうである。岩茸《いはたけ》、灰茸《はひたけ》、鳶茸《とびたけ》、坊主茸《ばうずたけ》の類《たぐひ》であらう。いづれも、塗笠《ぬりがさ》、檜笠《ひがさ》、菅笠《すげがさ》、坊主笠《ばうずがさ》を被《かぶ》つて出《で》ると言《い》ふ。……此《こ》の狂言《きやうげん》はまだ見《み》ないが、古寺《ふるでら》の廣室《ひろま》の雨《あめ》、孤屋《ひとつや》の霧《きり》のたそがれを舞臺《ぶたい》にして、ずらりと此《こ》の形《なり》で並《なら》んだら、並《なら》んだだけで、おもしろからう。……中《なか》に、紅絹《もみ》の切《きれ》に、白《しろ》い顏《かほ》の目《め》ばかり出《だ》して褄折笠《つまをりがさ》の姿《すがた》がある。紅茸《べにたけ》らしい。あの露《つゆ》を帶《お》びた色《いろ》は、幽《かすか》に光《ひかり》をさへ放《はな》つて、たとへば、妖女《えうぢよ》の艷《えん》がある。庭《には》に植《う》ゑたいくらゐに思《おも》ふ。食《た》べるのぢやあないから――茸《きのこ》よ、取《と》つて噛《か》むなよ、取《と》つて噛《か》むなよ。……<br><a href="" target="_blank">http://blog.goo.ne.jp/miminyan4269</a>
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<link>https://ameblo.jp/ribupo58361/entry-11434009009.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Dec 2012 20:06:14 +0900</pubDate>
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<title>空襲ドラマ</title>
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<![CDATA[ 先般放送局文芸課長久保田万太郎氏から、ラヂオ放送用の「空襲ドラマ」を書いてみないかと勧められ、少々面喰つたが、いろいろ考へた末、ひとつやつてみようといふ気になつた。<br>　　　　　　　　　　○<br>　これは無論、今度の防空演習に因んで、半ば宣伝、半ば余興として考へだされた試みであらうが、僕は、第一に、あらゆる音響効果を使ひ得る何よりの機会だと思ひ、その方面でだんだん興味を感じだしてゐる。<br>　なにしろ、東京の空へ敵の飛行機がやつてくるといふ想像は、これはまあつくとして、いよいよさうなつた場合に、われわれ市民は、どの程度まで「しつかり」してゐられるだらうか。これは甚だ見当がつけにくい。阿鼻叫喚といふやうな「音響効果」は、空襲の惨状を写すに、是非ともなくてはならぬものかどうか。日本国民の名誉のために、果して手心を加ふべきかどうか？　僕は迷つた。<br>　　　　　　　　　　○<br>　次に、敵の飛行機を迎へ撃つわが防空部隊の活躍はどんなものであらう。敵味方の空軍入乱れての戦闘は、音響的に、生彩ある幻象《イメージ》を作ることがこれまた相当困難であらう。せめて、地上部隊、即ち、高射砲、高射機関銃の実弾射撃でも観て置いたらと思ひ、この方は、放送局を通じ、警備司令部石本参謀の斡旋で、千葉海岸飯岡における、砲兵学校高射砲隊の演習を観せてもらふことができた。普通、大砲の音といへば、「ドーン」にきまつてゐると誰でも思つてゐようが、なかなかそんな単純なもんぢやない。少くとも傍で聴いてゐると、なるほど、これでなけれやならんといふ感じの音である。重量と圧力と速度の混り合つた一種生々しい金属音である。しかも、この発射に伴ふ瞬間の爆音が、弾丸の空気を裂く凄壮な擦音につながり、更に一団の白煙を残して目標真近にさく［＃「さく」に傍点］裂する明朗快活な爆音に終る三段の経過は、砲戦描写に欠くべからざる手法だと気がついた。<br>　　　　　　　　　　○<br>　殊に、当日僕が識りたいと思つたのは、照空隊と砲隊との連絡、その間に使用される命令、報告、号令の用語だつた。「目標、東方上空の爆音、航速四十、運転始め、照射用意。第一分隊聴音よし。統一照射、十秒照射始め。用意測レ零五二・四三。目標追随、聴音機は東方上空を警戒せよ。目標東方上空の射光内の重爆、高度千二百、始め、航速十秒、航路角五百、五発……」といふやうな文句が、僕のノートに書きつけられた。<br>　　　　　　　　　　○<br>　九十九里浜を南に抱く絶壁の端に立つて、僕の空想は、太平洋の涼風に吹かれながら、戦争とラヂオ・ドラマの間を往復した。<br><a href="" target="_blank">http://miminyan.exblog.jp/</a>
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<link>https://ameblo.jp/ribupo58361/entry-11434006190.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Dec 2012 19:59:30 +0900</pubDate>
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<title>悔なき青春を</title>
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<![CDATA[ 皆様の現場録音を拝見して、きょうの真面目な若い女性の心持に同感いたしました。いくつかの感想もあります。女子職員の声に出されていた質問とその答について順々にとりあげてゆきましょう。<br>　(1)［＃「(1)」は縦中横］　今年度の計画という大きな質問には、どなたもできるかできないかわからない答をさけていられます。ほんとに、私たちは自分の心の中でだけ希望しているけれど、実現のたしかでもないことを他人にふいちょう［＃「ふいちょう」に白丸傍点］したくない心をもっています。落付いた心はそういうものです。でも、ふいちょう［＃「ふいちょう」に白丸傍点］しないにしても、あなたがた一人一人の胸のうちにはどんな計画があるでしょう。みんな、毎日を無駄にすぎるという感じなしに生きようとしていられます。悔いなく楽しく努力して、さっぱりした気持に生きようとしています。それには、やっぱり勤めている女性とすれば、自分の職場で今年はどうしたい、働く女性としてどう向上してゆくか、という問題もはっきりとりあげられると思います。若い女性という誇や希望には、はっきりと社会に働く若い女性としての力づよい裏づけがあるのですから。それでこそノラクラ令嬢の身につけていない若さの美しささえあるのですから。職場の内での今年の計画、職業上の向上のための今年の計画にふれた答は、もっともっと多くなるべきです。篠山口駅の電話掛の方が「女性としての言葉づかい」を今年の計画に入れていられたのは味わいのふかいことですし、検車区の雑務手として働いている方が、男女同等の賃金に対して女性の責任を感じ、管理部の雑務手の方が、職場内の計画として、やはり女性の働く者としての責任を感じ直そうとしていられるのは心をひきます。<br>　第一の答と第三の答は自然つながっています。教習所に入ろうとしている方は、女性の社会的地位の向上について考えているし、働く若い女性の誇として実力を高めたいと思う方は、自然と経済の問題も知ろうとしています。<br>　働く［＃「働く」に白丸傍点］若い女性であるというよろこびと誇とはあなたがたの青春を一層かがやかしいものにするはずです。ただ若い娘というだけでは持てないゆたかさと実力があるはずです。結婚して、母になったとき、やはりその経験は子供にとって誇らしいものにもなるでしょう。<br>　(2)［＃「(2)」は縦中横］　ほとんどみんな読書が趣味の一つです。本がたかくて何と不便でしょう。組合の文化部に文庫がありますか？　回覧雑誌のグループをこしらえておいでですか？　もしまだでしたらおつくりになることです。どんな本をおよみですか？　文芸ものが第一でしょう。けれども、みなさんが女性の幸福を求めていらっしゃるし特に(4)［＃「(4)」は縦中横］(5)［＃「(5)」は縦中横］の問題では切実な意見をおもちですから、日本の女性が社会の間でどんな生きかたをして来たかということをもう一度考えさせるような婦人問題の本を読むことも意味があると思います。<br>　福鉄に働く女子職員ばかりでなく、すべての職場で、女性は、日本の男にまだつよくのこっている男尊女卑の気風に苦しんでいます。(4)［＃「(4)」は縦中横］への答として、すべての若い女性は、男がもっと女性を理解してくれるようにという訴えを示しています。<br>　日本で、労働組合のなかにさえも、まだ昔の男女差別の習慣がのこっているのは、日本の社会全体が、ついこの間までそんなにひどい封建的なしきたりにとじこめられていたからです。それは、みなさんの御家庭の実際をみてもわかります。めいめいの家の中で、お父さん兄さんたちはなかなか力のある支配者のようです。主婦たるお母さんは決して妻としてお父さんと同等ではありません。そして若い娘は、女の子は、と言われて男の子と差別されます。教育そのものが女学校と中学校で程度がちがい、どうせ［＃「どうせ」に傍点］お嫁にゆくのだからと、女の子の勉強は男の子ほど重大に考えられません。男の子はせめて中学か専門へやっても、女の子は高等までで結構とされがちです。男の子と女の子とそんな差別をつけながら、社会へ出て働くときはどうでしょう。男の社会でも官業のなかなどにはなかなか身分や上役下役のけじめがひどいものです。若いものより古手の人に権力があって、若いものがいい意見をもっていても、それはすらりと通らない場合も少くありません。組合の活動そのものを、腹の中で生意気と思う人もいるでしょう。まるで、いたち［＃「いたち」に白丸傍点］ごっこです。男は女を目下に見る。女を目下に見る男は上役や父兄や親類から目下に扱われる。同時に姑と嫁、嫂と義妹などの関係では女も同じ封建的な重苦しさを女の間にもっています。<br>　もう今日では、男女の間の古い差別は、男対女の問題ではなくなっています。日本の社会全体が、男と女、男同士、女同士苦しめあって互に抑えつけあっている封建的な感情から抜け出さなければならない時代です。社会の進歩ということは、ただ憲法がかわったり、民法がかわったりするだけでは実現しません。私たち働く男女が、自分たちの生涯について真面目に考え、選挙についても組合についても、一人ずつ責任をもって、進歩の方へ、民主的な方へと押しすすめるように生活を導いてゆかなければだめです。<br>　そう考えると、第一の問に、やっぱり重大な意味のひそめられていたことがわかります。私たちが幸福になるということ、婦人の地位が向上するということは、どれも具体的な問題です。職場の女性に設備のわるい職場は現実に幸福でないし、女なんか！　という気分の職場が、婦人の社会的価値を認めていず、そこで働く若い女性が幸福でないのは自然です。<br>　(4)［＃「(4)」は縦中横］の答で、現在の男性に女性の価値を理解してほしいと願う声は、そのままそっくり、働くものとして生きることでは男も女も同じ立場なのだからと発展させられるべきです。男が女に対し高びしゃな態度をとっている社会では、その男も、自分を上から高びしゃにやっつける者をもっている社会なのです。若い女も男も、お互のその心持で団結して、明るい職場、明るい社会を作ってゆかなければ、あんまりつまらないと思います。<br>　(5)［＃「(5)」は縦中横］の男女交際ということも、男と女とが、ほんとうにそういう人間らしい心にたってつき合ってゆけば、皆さんが声を揃えて批判しておられるようなじだらく［＃「じだらく」に白丸傍点］で範囲をこしたつき合いは生れなくなるでしょう。若さという魔法つかいは、どんな真面目な話題も、簡素なたのしみもそこに青春の男女があれば、魅力的なものにします。下らないエロ雑誌に刺戟されて、働く若い人たちが人間としてならずもの［＃「ならずもの」に白丸傍点］のような無責任な男女関係に入ることはあんまり青春の価値を知らなすぎます。いまのデカダンスな空気は若い人の一部に、けじめのない男女関係があたりまえという気分をつくり出しています。けれども私たちは人間の男と女であって、他のけだもの［＃「けだもの」に白丸傍点］ではありません。性的にだけ生きているのではなく、性をもつ人間として生きているのです。だから、人間同士の性的な魅力というものは、直接な性の表現ばかりにあるのではありません。どんな真面目な話をしても女は女の声でしか話しません。男女の調和は自然であるだけに、あせってそのたのしさを誇張したら恋愛にも友情にも、真実はうすれます。男と女とは遊ぶだけの仲間ではなく、ともに生きてゆく一生の仲間であり、しっかりと生きてゆく男女の人間としての生活の上に、よろこびも、耐えてゆくべき苦しさや悲しさもあるわけです。そして、愛するということは、一緒にうれしがるばかりではなく、一緒に悲しむことのできる心であり一緒にその悲しさからぬけ出す努力のできる心をいうのだと思います。<br>　男が女性をリードするばかりでなく、女性も男性を導きます。たよりになるのはお互です。お互にたよりになれる人間の仲間としての男女働くものの誇を心にしっかりともって、社会の進歩を導くものとしての自覚をもって生きてこそ、青春に悔いのない日々が迎えられると思います。<br>　組合の機関紙で、こんな人間らしい話もできるのだから、何といっても組合は働くもののとりで［＃「とりで」に白丸傍点］です。御用組合にしてはたまりません。組合のつよくなることは特に婦人にとって幸福なのですから。<br><a href="http://plaza.rakuten.co.jp/12001568/" target="_blank">http://plaza.rakuten.co.jp/12001568/</a>
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<link>https://ameblo.jp/ribupo58361/entry-11433998508.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Dec 2012 19:53:57 +0900</pubDate>
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