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<title>妄想日記</title>
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<description>フツーに生きてて出会ったあるテーマについて思ったことを自分なりに解釈してのせていきます。Mixiでも日記やってます。ここはそこで書いた日記の転載になるかんじです。</description>
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<title>胡蝶の夢</title>
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<![CDATA[ <p>～オレらはだれかの夢の中の登場人物？～ <br><br>でお届けします。 <br><br><br>まぁ、テーマだけみてみると、その辺の不二子不二夫の漫画にありそうな感じですが、まぁ聞いてやってください。 <br><br>とりあえず、今回のお話に大きくかかわってくる事が <br><br>明晰夢（めいせきむ） <br><br>という夢のことです。 <br><br>かるく明晰夢について説明すると、 <br><br>明晰夢とは自分で夢であると自覚しながら見ている夢 <br><br>です。 <br><br><br>明晰夢内での自分に干渉する事柄は実際に現実で感じてるかのような気分になれるみたいです。 <br><br>例えで言うと、鉄砲を撃ったらその反動を感じる。みたいな。 <br><br>さらに言うと、明晰夢をみるために多少の訓練さえこなせば思いのままの夢も見ることができる。 <br><br><br>この思いのままの夢というのが今回のポイントそして今回のテーマ。 <br><br><br>思いのままの夢を見れるということは、自分達は誰かの夢の中の登場人物であることはありえまいか？ <br><br><br>この疑問が頭に浮かび始めてからいろんな仮説がムワムワと湧いてきました。 <br><br>まず＜仮説１＞ <br><br>自分が見る夢に出てくる登場人物、彼らは夢の中の人物だと起きたらわかる。 <br><br>しかし夢の中での彼らの行動を実際にイジることはできただろうか？ <br><br>オレは一回もできたことはない。なんでも出来そうな夢の中でさえ相手を思い通り動かすことなんて出来ない。だいっキライな異性に逆レイプてきな事をされる夢をみるくらいだし。 <br><br>そして、自分の夢のなかで、自分を客観的に見たことはあるか？と考えてみても、自分の経験上それもない。 <br><br>ほんとに夢で行動している自分はリアルの自分なのか？ <br><br>リアルと違う自分であるならば、その夢の中での自分はその夢の中で思ったように動いている。 <br><br>つまり、夢の中の登場人物には自我がある？という仮説。 <br><br><br>で＜仮説２＞ <br><br>死んだらどうなる？ <br><br>言い換えると、生き物としての命を失ったらどうなる？ <br><br>を考えてみる。 <br><br>実際そんな死後の世界なんてわかる人いるわけがない。それがわかるとか言うのは悪徳占いのペテン師とかでしょう。 <br><br>ここで夢の話に戻ると、 <br><br>オレははっきりいってよく夢の中で死にますｗ <br><br>死にそうになるってのが正しいかな？実際死にそうになったら飛び起きるし。つまり夢の中でも死んだことがない。 <br><br>で、夢の中で死んだとしよう。でもリアルでは目が覚めるということでその夢の中の死後を経験しているわけだ。 <br><br>夢の中の自分は死んだけど、リアルでまた違う自分の人生の続きをする。 <br><br>つまり、死ぬ＝目が覚める <br><br>という仮説。 <br><br><br>そして仮説２からつながるように <br><br>＜仮説３＞ <br><br>だんだん話がぶっとびはじめました。 <br><br>みんなはいつ物心がついた？いつから記憶がある？ <br><br>およそ一般人は早くて２歳、平均的には３～５歳くらいだと思います。 <br><br>じゃ、物心がつくまではなんで記憶がない？ <br><br>中には、母親の子宮の中の記憶もあるっていう人とかもいる事実により、脳の発達の差というわけでもなさそうだ。 <br><br>オレは、夢をみてるんじゃないかと思う。 <br><br>起きてるときは実は夢遊病のようふらふらとにただ栄養補給をするための行動なんじゃないかと。 <br><br>で、物心がついたその瞬間はつまり夢から覚めたんじゃないかという仮説。 <br><br><br>＜仮説２＞からつなげると、 <br><br>今、この現実に生きてる自分の人生が終わる＝死を迎える <br>↓ <br>＜仮説２＞により、死後の世界はわからない＝夢から覚める <br>↓ <br>で＜仮説３＞、物心がつく。それ以前の記憶はない＝夢の内容を覚えてない。 <br>↓ <br>以後仮説２と３のループ <br><br><br>という風に考えてみた。 <br><br>オレが勝手に仮説を立てた事項は現在の科学では証明できないはず。 <br><br>そうならば、オレの仮説もあながち可能性は０ではないのでは？ <br><br><br>ここで、ちょっと話がとんで（内容もさらにぶっとびはじめます） <br><br>＜仮説４＞ <br><br>神様の話になります。 <br><br><br>神様はまぁ、どこの宗教かは別に無宗派の自分にとってはべつにキリストだろうが、だれだろうがいいんだけど、 <br><br>共通するところは全知全能である、という事ではないか。 <br><br>この全知全能と明晰夢 <br><br>共通点があるように自分は思う。 <br><br>自分の思い通りの夢を見ることが明晰夢であるならば <br><br>その明晰夢の中では自分はいわゆる「神」にすらなれるのではないのだろうか？ <br><br>そしてその夢の中のキャラクターはその「神」＝自分の思うがままに進む。 <br><br>これはつまりオレらの世界でいう「運命」なのでは？ <br><br>神のみぞ知る運命。 <br><br>これが＜仮説４＞の大体の内容です。 <br><br><br><br>ここまでで自分の中では大体筋がつながりました。 <br><br>ここで今回のテーマを究極的に導き出しました。 <br><br>「自分達は誰かの夢の中の登場人物である」 <br><br><br><br>ここで一応証明されている定義 <br><br>＜定義＞ <br><br>人間は基本的に夢はほぼ必ず見ている。 <br><br>ただ、覚えてるか否かの違いだけ。 <br><br><br>この定義を利用し、今回のテーマを前提にあたらしく仮説を立てます <br><br>＜仮説５＞ <br><br>夢の中で、今まで出会ったことのない人物がでた事はないか？ <br><br>自分はあります。しょっちゅうでます。なぜか大抵異性ｗ <br><br><br>これは＜定義＞と＜仮説３＞から言うとと、「前世」の記憶なんじゃないか？ <br><br><br>ほぼ１００％夢は見ている。 <br><br>覚えているかどうかの違い。 <br><br><br>そうなると、前世＝現世＝どこかの誰かの覚えてない夢 <br><br>なんじゃないのか？という仮説です。 <br><br><br><br>大体思いついた疑問はこの辺で終わります。こっから先は特に連鎖的には思いつきませんでした。 <br><br><br>夢を見ている時間なんて短いから人の一生分を見るなんて不可能だ！ <br><br>とか思うけど、 <br><br>明晰夢なんてものが存在するということは＜仮説４＞から人が神になることですら可能になるとでました。 <br><br>なんでもできる、つまり時間軸をずらすことすら可能なのでは？ <br><br>わかりにくいから、言い換えると、 <br><br>実際は８時間くらいしか寝てない、でもその夢の中では８時間で一生が終わるようなスピードで進めているということ。 <br><br>さらにわかりやすく言うと、 <br><br>普通の人間の一生を８０年と考えたとき、 <br><br>実際今この世界での１０年は夢をみている人にとっての１時間かもしれないということ。 <br><br>ここでこれ書きながらで思いついた＜仮説６＞ <br><br>ここでいう「人」は人間でない可能性もあり。他の生物が見ている夢である可能性もある。 <br><br>＜仮説３＞から死んだら物心がつく＝つまり、生まれ変わる。 <br><br>輪廻転生って言葉がある。必ずしも人間に生まれ変わらないって事だったはず。 <br><br>それはつまり、他の生き物が見た夢だからでは？ <br><br>こうなると輪廻転生のシステムも合点がつく。 <br></p><p>仮説７ <br><br>科学の進歩も夢から来ているのでは？ <br><br>仮説２と３から言うと <br><br>夢の記憶は現世に引き継ぎます。 <br><br>つまり前世で学者などだった場合、覚えてる覚えてないは別として、どっかしらのその知識が隠れてるはずです。 <br><br>それが夢をふと思い出すかのように思い出せたときにそれを本能的に応用し、新たなる発明があるんじゃないか？と。 <br><br>また、歴史は繰り返すというのも夢からきてるんではないかと同様にいえます。 <br><br>つまり <br><br>ある自分がいる <br>↓ <br>それは誰かの夢の登場人物 <br>↓ <br>そしてその誰かも誰かかの夢の中の登場人物 <br>↓ <br>そして・・・以下略 <br><br>このループをさらに詳しくいうと <br><br>誰かの夢 <br>↓ <br>誰かの夢の夢 <br>↓ <br>今現在の自分がいる←オレらがいるのがココ。 <br>↓ <br>それは誰かの夢の登場人物 <br>↓ <br>そしてその誰かも誰かかの夢の中の登場人物 <br>↓ <br>そして・・・以下略 <br><br><br>というループであるということです。 <br><br>つまり、もしかしたらｵﾚらは気づいてないうちに凄まじく大きな何かの神的存在にはすでになってるのかもしれませんね。 </p>
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<link>https://ameblo.jp/richiemorio/entry-10214792993.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:20:00 +0900</pubDate>
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<title>足下を見る mixiの日記から。</title>
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<![CDATA[ みんなに公開する日記ってほんとに難しい。 <br><br><br>オレの場合、なんかについて批評したい時があった場合そのなにかを誰かが好きである可能性を先に考えてしまう。 <br><br>で、もし該当者がいるようなら控えめで表現してしまう。 <br><br>該当者がいないようならばボロクソいってしまうけど。 <br><br><br>で、違うケースとして、 <br><br>「該当者がいない」と思ってたけど、実は自分の知らないだけで、実はいたかもしれない。 <br><br>その人がその日記やら発言やらを聞いたとき、とりあえずまともに受け入れることはできないでしょう。少なくともオレはそうです。 <br><br><br>じゃその気に入らない部分を日記や発言の主にぶつければいい、と思うかもしれないけれどやっぱり日記を見てる人は基本的には仲間です。 <br><br>正解のない世の中、なにについても批評はでます。一般に公開してしまうと参考になる意見、まったくならない意見がマイミク（仲間）内に比べ全然数多く飛び交うでしょう。 <br><br>そうなるといちいち弁解も面倒だし、賛同してくれる人と一緒に賛同しない人を否定してしまうこともある。 <br><br>賛同する人がマジョリティならば、やはり少なくとも賛同しない人はマイノリティと感じ、少なからずのがっかり感があるでしょう。 <br><br>そのマイノリティである人がタフな人ならば、そんなの関係ねぇっ！！って完全に批評をシャットアウトすることもできますが、オレはそんなのはキライです。聞く耳を持たない人の世界には立ち入ることはものすごく面倒なことなので。 <br><br>矛盾するけども、シャットアウトする人でも、その批評内のみで済ますならば、全然いいと思います。 <br><br>気に入らないのはシャットアウト後、一度でも自分に不快な思いをさせた相手から発する意見、その人の周りの人などすべてをシャットアウトする人です。 <br><br>ただひとつの趣味の違いが１つあるだけでまるでその人の趣味は全て自分とは合わないと判断するのはどうか？もっと広く相手のことを観察し、吟味しそして合う合わないを決めるなら妥当だとおもう。 <br><br><br>話がそれたんで戻すと、批評されたことに対して自分の正直な意見をいえばいい、っていいましたが <br><br>実際みんなはいえますか？自分の正直なキモチ。 <br><br>オレははっきり言っていえません。 <br><br><br>なぜならたった一言でその仲間との摩擦ができる可能性があるからです。 <br><br><br>顔を合わせていないインターネット上で相手も全く知らん人なら別です。オレは攻撃あるのみで本音でどしどしぶつかります。 <br><br>しかし、日記の場合、ましてやマイミク公開とかだとヴァーチャルでの気まずさは基本的にそのままリアルな世界にも引き継ぐと思うんです。 <br><br><br>そうなるとヤじゃないですか。 <br><br><br>だから基本的にレビューはまだしも、人の意見や（特に）趣味などに対する批判を日記などで全体や制限公開でもしてる人ははっきり言ってオレは卑怯だとおもいます。言いたいことを言わせてもらえない。 <br><br>実際顔を合わして何かについて批評するのは至って結構だと思います。 <br>いろいろな批評により新しく何かが生まれるというメリットの方が全然一瞬の不快感というデメリットよりいいんで。 <br><br><br>要するに言いたいことはインターネット上でなにかについて批評するならば、MixiなどのSNSサイトではなく、個人のブログでやってくれってことです。 <br><br>個人のブログならばその批評をみて、賛同する人がいるならば見続けるだろうし、反対する人も友人かどうかもわからないのではっきり本音で叩けるでしょう。 <br><br>はっきり言って友人のオンライン上の批評は迷惑です。その友人の性格を疑うようになってしまいます。 <br><br>そしてやめて欲しいのが、どこかで自分の意見が否定されたとき、その意見に賛同を仰ぐような日記や意見。 <br><br>そんな意見でても友人はどっかで傷つき、こっちを頼ってるわけだ。その傷ついた理由が明らか友人が間違ってもはっきりとお前が間違ってる！というのは至難の業だと思います。これも足下を見てしゃべってる感じがしていやです。 <br><br><br>一番の理想が、本音でお前が間違っている！とはっきり言える、そして言っただけで不仲にならないような友達を持つことですね。 <br><br><br>これが親友ってやつなんだろうな。 <br><br>だから批評をする時は敵を増やすこと覚悟でやってほしいです。 <br><br>オレもよくマイミクの日記のコメントとかに批評的な意見をコメントするときがあります。オレは本音で敵に回す事覚悟で語ってるだけです。実際オレはマジで批評する友人のことを大して大切に思ってないのかもしれないなー。自分の気に入ってる人に本音でぶつかって避けられたら落ち込むもん。ということは本音で言える人は落ち込まないってことか…？ <br><br>この世の中に「嘘」って重要なんだなって思った。 <br>映画「Liar Liar」はよくできた話だなそう考えると。 <br><br><br>じゃ、オレがそういう人間だとわかって付き合い続けてくれる人達、これからもよろしくです。 <br><br><br>わけわかんない内容を長々とサーセン！ｗ <br><br>～追記～ <br><br>この日記でいうやめて欲しい批評っていうのは <br><br>「ネガティブ」な批評です。 <br><br>ポジティブな話は誰がいつ聞いたってよほどひねくれてない限りいいものだと思います。 <br><br>（極端な）例 <br><br>ネガティブ：　○○（何でもいいです。）のどこがいいのかわからん。なんでみんなはそんなに好きなの？こっちの方がいいじゃん。系の何かを否定し、何かを持ち上げる批評。 <br><br>ポジティブ：　○○ってマジかわいいと思う！！△△も良いけど！！とか比べてはいるが、Alternativeを否定してない批評。<br>
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<link>https://ameblo.jp/richiemorio/entry-10214792822.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:18:13 +0900</pubDate>
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<title>疑心暗鬼</title>
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<![CDATA[ <div id="diary_body" _extended="true">みんなは自分がよければそれでいい？ <br><br>それとも自分を犠牲にして他人を良くする？ <br><br><br><br>自分がよければそれでいい <br><br>って考え方は果たして自己中心的と考えてもいいのだろうか…？ <br><br><br>最近の世の中では自分を犠牲にして他人を良くするということが当たり前なことだと人々は認識していると思う。 <br><br><br>そういう考え方こそ自己中心的ではないのか？ <br><br>必ず相手がいたわってくれると考えている。 <br><br><br>オレが今回いいたいのは別に「助け合い」や「８９３」ほどの極端な意見じゃないんだよね。 <br><br>オレは自分がよければなんでもいい方だけど、流石に目の前で誰かが大けがして死にそうだったら見捨てたりはしない。ちゃんと病院に運ぶか救急車は呼ぶだろう。 <br><br><br>だから例で考えてみる。 <br><br>＜例その１＞ <br>これは実家（ヨコハマ）の方の友達とちょっと話したことだけど <br><br>自分は徒歩で青信号の横断歩道を渡っている <br>自分と同じ進行方向に向かってる車が右折しようとしている <br>でも自分が歩いてるから車が右折できない。 <br><br>というケースを考えて欲しい。 <br><br>ここから先、オレと実家の友達の意見が分かれたんだ。 <br><br>ドライバーとしては（実家の友達の考え方）「後ろもつっかえるし、自分も気まずいから呑気にわたるんじゃなく、もっとそそくさと申し訳なさそうに渡れよ。お前がささっと渡れば万事おｋなんだよ。」 <br><br>と思うらしい。 <br><br>オレが思うは「別に青信号をどう歩いたってオレの勝手じゃないか？」 <br><br><br>という考え。 <br><br><br>勘違いしないで欲しいのは、この日記を相手の言い分を否定するようなものにしようとは一切してないということ。そのへんよろしく。 <br><br><br>お互い（ドライバーも歩行者も）、それぞれの事情なんてしったことないでしょ？ <br><br><br>ドライバーはうんこがもれそうでたまんないから早く家に帰ってトイレに行きたいかもしれない。だから早く渡れよと思うかもしれない。 <br><br>歩行者もうんこもれそうで、早く歩くと生まれてしまうからのこのこ歩いているかもしれない。かつ歩行者はなにも悪いことはしていない。歩行者優先のこの国の中で青信号を渡っているんだ。 <br><br><br>結局モラルという言葉に頼らなくてはいけなくなる。 <br><br>そしてこの例のモラル的正解は歩行者が早く渡ることであるとは思う。 <br><br><br>＜例２＞ <br><br>日本の高速道路を走ってると考えます。 <br><br>８０KMが制限速度だとします。 <br><br>３車線あります。 <br><br>一番右車線に１００ｋｍで走ってる車がいます。 <br><br>その後ろから１２０ｋｍで走ってきた車がいるとします。 <br><br>というケースをかんがえてみる。 <br><br>後ろから来た車は一気にどけと言わんばかりに車間距離をつめてくるでしょう。 <br><br>前の車はタダでさえ１００ｋｍだしているんだ。これ以上は流石に法は破れない。でもこっちからの景観が好きなんだ。 <br><br><br>という状況になっているとしたら恐らくコレの正解もモラル的に１００ｋｍで走っている人がどくということでしょう。 <br><br><br>＜例３＞ <br><br>これはちょっとややこやしい例になると思うけど <br>電車の中。 <br><br>ある程度座席が埋まっている。立っている人もちらほら。 <br><br>なケースを考える。 <br><br><br>ある仲間同士が向かいあわせに座る。会話がしたいからしょうがなく少し大声で会話をする仲間同士。 <br><br>一方、優先席付近ではない別なところで彼ら並の声で携帯でしゃべってる明らか頭悪そうなギャル。 <br><br>もう一方、優先席付近でもメールなどで忙しい一般大衆。 <br><br><br>このようなケースの時、モラル的な正解はなんだろう？ <br><br>ギャルに携帯での通話は遠慮しろというか。 <br>友達同士で大声で会話してる人達を付近の迷惑だと注意するか。 <br>優先席付近では携帯電源落とせというか。 <br><br><br>一般的にでてくるのは上２つだとおもう。 <br>じゃなんで３つめはなかなか出てこない？ <br><br><br>答えは簡単、 <br><br>自分に迷惑がかかってこないからだ。 <br><br><br><br>結局人間てのは奇麗事を並べるだけ並べるが、それは全て <br><br>「自分のタメ」 <br><br>につながるからではないか。 <br><br><br>かつ、注意する人なんかいるのか？注意をするような人が「こういう人がいて～周りの迷惑考えろ」ていう事をいうのは別にかまわないが <br><br>自分で注意できないのに明らか迷惑そうな顔などで見てきたりする人はなんだ？卑怯じゃないか？ <br><br>大抵他人に迷惑をかけてる人はそのことに気づいていない。誰かがちゃんと言ってあげないとダメだ。 <br><br><br>携帯でしゃべってるバカギャルも迷惑かけてるとは思わないだろう。自分の声がまさかそこまで大きいとも思わないだろう。 <br><br>対面同士でしゃべってる人もまさか自分達が迷惑をかけているとは思わないだろう。 <br><br><br>それをあえて破る人間は本当のクズだ。 <br><br>---------------------------------------- <br><br><br>自分を犠牲にして他を助ける目的はなんだ？ <br><br>結局は自分のタメなんじゃないのか？ <br><br>目の前で誰か大けがしたらそれは助けるだろう。 <br><br>もし見捨てたら世間が何を言うかわからない、自分も良心を痛めつけられる。そんなこといやだろう？だから助ける。 <br><br><br><br>モラルってなんだ？ <br>常識的に考えて、ってなんだ？ <br><br><br>どっかのだれかが勝手に作った理想論をオレにぶつけないでくれ。 <br><br>なぜ自分の幸せを犠牲にしないといけないんだ？ <br><br><br>弱者を助けるのも「自分が誰かを助けたor助けている」という事実を周知して欲しいからではないのか？その人達を助けたことにより犠牲にされた自分の時間は誰が保障してくれるんだ？ <br>自分に得がないことをあえてする理由がわからない！ <br><br><br><br>オレって <br>すごい悲しい人間なんだろうな。 <br><br><br>っていうこの文も結局は… <br><br>んにゃ、疑心暗鬼バンザイ。<br></div>
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<link>https://ameblo.jp/richiemorio/entry-10214792636.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:16:59 +0900</pubDate>
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<title>ある夏の詩</title>
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<![CDATA[ 君を <br>初めて見たときはなんともなかった。 <br>君を <br>２回目に見たときから僕の夢が始まった。 <br><br>「許されていない片思い」だというけれど <br>行き場所のないこの思いを僕は <br>どうすればいいのかわからないまま <br>無情に時だけが経っていく。 <br><br>君を <br>３回目に見たときもう僕の頭は君であふれていた <br>でも近づけば近づくほど <br>君が遠ざかっていくのを感じていた。 <br>そのままいなくなってしまえばどれほど気分は楽だったろう <br><br>「男なら」というけれど <br>そんなの僕にはムリだ <br>でもわかっているんだ <br>なにかを起こさないと君は <br>夢のまま夢のように消えるだろう <br><br>君を <br>４回目に見たとき、君はすごく僕にやさしくしてくれた <br>それはやさしさなのか、気まずさなのか <br>僕にはそんな事どうでもよかった <br>ただただ舞い上がっていた <br><br>「時間をかけてるんだ」といったけれど <br>ただ怖かったんだ <br>見せかけでも、嫌々でも僕にやさしい君に会えなくなるのが <br>嫌だった <br><br>君を <br>諦めようとすると君はやさしくなる <br>この気持ちに気づいているのならそんなやさしさなんていらないんだ <br><br>５回目がきたら打ち明けようと思ってた <br>でも５回目が来る前にこの夏の夢は終わった <br><br>夢から覚めた今 <br><br>君と <br>もし５回目に会えたのならば <br>迷わず言おう <br>後悔しない様に <br>言えなかったあの言葉を･･･ <br>
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<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:15:11 +0900</pubDate>
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<title>ある夏のできごと</title>
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<![CDATA[ さっきコンビニにいったらセミの声が聞こえた。 <br><br><br>梅雨は終わりなのか？ <br><br>霞がかったつくばよ、いったい今の季節はなんなのだ？ <br><br><br>これからセミによる、セミのための饒舌な合唱が始まるのか。 <br><br><br>また新たな夏の始まりか。 <br><br><br><br><br><br>最近よくみみずが歩道で干からびてるのをみる。 <br><br><br>彼らは何を思い、リスクの少ない土中を抜け出してまで危険な外界へと進むのだろう。 <br><br><br>わずか３メートルくらいの道幅を渡りきるのに命を賭して挑む彼ら。 <br><br><br>最初の土中から３メーター先の新天地に何を望む？ <br><br><br>なぜ今の場にとどまれない？ <br><br><br>人間が山をみると登るのと同じ感覚なのだろうか？ <br><br><br>「そこに山があるからさ」 <br><br><br>考えてみるとそうだ。 <br><br><br>たったこれだけの理由で、人間は命を賭ける。 <br><br><br>な　　ぜ　　だ　　！ <br><br><br>別に今の場所でいいじゃないか。 <br><br><br>理解できない。 <br><br><br>もしもだ、 <br><br>人間よりさらに大きな生き物がいたとして、それが山で遭難した人間をみたら今の自分のように不思議に思うのだろうか？ <br><br><br>そう考えると人間もみみずも同じではないか。 <br><br><br>どんな命も平等だ。 <br><br><br>俺はできれば蚊もころしたくない人間だ。みていてその干からびた、つぶされたミミズは痛々しい。 <br><br><br>なぜ人間ってのはこんなにも他の生き物に対する命を軽くみてしまうようになってしまったのか。 <br><br><br>今、人間はみみずの様に少しずつ、少しずつ地球から新天地を求めさまざまな冒険を繰り広げている。 <br><br><br><br>帰りはみみずを慎重に慎重に、踏まないように、矮小なる生物の無謀だが大変に勇敢なる挑戦を見守るように歩いた。
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<link>https://ameblo.jp/richiemorio/entry-10214792328.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:13:49 +0900</pubDate>
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<title>知能と破壊</title>
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<![CDATA[ 今回は <br><br>知能の発展の意義性 <br><br>について自分の考えを述べようかと。 <br><br><br>今、人間は環境や食物連鎖の破壊をしているというよね。 <br><br>前回の自分の哲学日記のげんくんのコメントで思ったんだけど、 <br><br>そのコメントの内容をまとめると <br><br>・地球に人間のライバルがいない <br><br>・人間にとってかわるものがあっても結局知能があれば破壊へと進む。 <br><br><br>この２番目の点が今回一番きになるところです。 <br><br>ほかの動物で例えたら、人間が飼った元野生動物はそうとう訓練しないと野生に返せないっていうじゃない。 <br><br>人間に飼われた時点で、 <br><br>「人間からくいもんもらえる」 <br><br>っていう新たな知識が芽生えるわけだ。 <br><br><br>それがライオンであった場合、 <br><br>そのライオンが野生に返され、ろくに狩りができないとすると、そのライオンは飢餓で死んでいくでしょう。 <br><br>本来あるべき食物連鎖を破壊してることになるよねこれは。 <br><br>ライオンが食べた肉からできた糞が大地に養分を与え、そこから新しく草などが生え、それを食べる草食動物がいて・・・ <br><br>というループをそのライオンは死ぬことでしか貢献できなくなる。 <br><br><br>これをまた違う風に言いまわすと <br><br>ライオンは楽を覚えたから野生動物の社会に入れなくなった。 <br><br>さらに言うと、 <br><br>ライオンは楽をするという知識を与えられたから、野生動物の社会に入れなくなった <br><br>ってことになると思うんだ。 <br><br><br>人間の今の科学も究極的な目的はやはり <br><br>楽をすることでしょう。 <br><br><br>しかし、楽をするためには努力しなければならない。 <br><br><br>その努力の過程には破壊が伴う。環境であれ、食物連鎖であれ、なんにでも。 <br><br>挙句の果てには、その進化した知識でもって、戦争などの新たな破壊も起こりえる。 <br><br>どんな時代にも戦争は起こるだろう。人間とはそういう生き物だ。 <br><br>みんなが楽をするために築いた知識を、他の人間を殺すために使う。 <br><br>なんというくだらなさ。 <br><br>それが延々と続くと最終的には破壊するものもなくなる。 <br><br>地球がなくなる。 <br><br>他の惑星もへたすりゃなくなる。 <br><br><br>結局破壊してしまうための知能、何のためにこれ以上発展させる？ <br><br><br>先のライオンの話だと死ぬことで本来のサイクルに戻れるといったけど <br><br><br>死なないといけないのなら、なぜ知能をつける？ <br><br><br>人間をひとつの種として考えると。原始人のときのように、マンモス追いかけてワーワーやってた時の方が（幸せの定義は人によって違うけれど）幸せだったのではないか？ <br><br><br>結局破壊してしまう存在、何のためにこの世にある？ <br><br>その破壊を死でしか治せない存在、何のために今を生きる？ <br><br><br>「破壊しないかもしれない」 <br><br>という希望すら破壊されてしまったら、どうしよう。<br>
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<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:12:19 +0900</pubDate>
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<title>ガン？</title>
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<![CDATA[ ～今日のリチャ哲学～ <br><br>テーマ <br><br>～ガンは治してはいけない！？～ <br><br><br>よく、環境破壊もろもろの理由により、 <br><br>「人間は地球にとってウイルスだ」 <br><br><br>というフレーズを聞くとおもいます。 <br><br><br>みんなはどう思ってるのかは知らないけど、僕は結構核心をついている気がします。 <br><br><br>地球を細胞の一つとして考えると確かに人間はウイルスな気がしない？ <br><br><br>だって完全にその細胞の破壊をしているわけだから。 <br><br><br>そしてウイルスっていうのは、ある細胞を壊したら、今度は次へと進むらしいじゃん。 <br><br><br>今は夢物語かもしれないけど、地球人が移住できる可能性があるところは火星らしいじゃないですか。 <br><br><br>夢物語も現実となり、いざ地球人が火星へと移住したならば今度はまた年月はかかるが、いずれは火星をも浸蝕してだめにしてまた次へと移る。。。 <br><br><br>これはもはや最初に破壊された地球ががん細胞になったとしかいえなくないか？ <br><br><br>地球という大モトのがん細胞から次から次へと転移していく。 <br><br><br>そして宇宙には無限にもあるかもしれない星ぼしがある。 <br><br><br>すべてを侵しつくしたとき、結局は細胞の元である体が死んでしまう。 <br><br><br><br>今の人類は特にウイルスに対する特効薬っていうのは特に存在しないらしいじゃないですか。白血球の力を強める薬とか血清などで直すしかないらしいじゃない。 <br><br>そして奇妙な話で、ウイルスを殺すウイルスがあるというよね。それを打つことにも効果がでるらしい。 <br><br><br>この「ウイルスを殺すウイルス」っていうのが自分的にはすごく気になるものなんだよね。 <br><br><br>今までの仮定を考えると、人間がウイルスであるならば、人間を殺してしまう主な代表的なまぁ、ウイルスではないけど病気のガンがそれであるといえるよね。今んとこ不治だし。 <br><br><br>その不治の病とされるガンは抗生剤などで、進行を遅らすしかできないじゃない。すさまじい副作用をもたらすやつ。 <br><br><br>ここでまた地球＝細胞で考えると、その細胞の主である「なにか」が存在しているとして、地球という名の細胞に異変がみられ、かつその異変を直すにはもはや手遅れで進行を遅らすしかないかという状態にその存在がいるとするじゃん。 <br><br><br>そこで抗生剤を打ったとしよう。これが今地球に見られるさまざまな天変地異を引き起こしてるのではないか？と思う。アメリカの竜巻や、インドネシアの大地震等々。細胞には傷はつくかもしれないが、確実にがん細胞である人間の数は減らせるので、進行も遅くなるだろう。 <br><br><br>人間の観点による時なんていうのは、人間にしか通用しない。 <br>人間の測りも人間にしか通用しない。 <br><br><br>人間が宇宙というものにくらべたらそれはそれはちっぽけなものでしかない。 <br><br>今の人間が自分の細胞の動きを見るのに何十万分の一くらいの顕微鏡を使わないといけないのと同じように。 <br><br><br>だから僕らは誰かの体内にいるかもしれない？という可能性はありえると思う。 <br><br><br>ここで思った。 <br><br><br>よく雑誌やテレビなどで言う「地球からのしっぺ返し」 <br><br>これは主に地震や自然現象にいわれるけど <br><br><br>僕はしっぺ返しはガンであると思う。 <br><br><br><br>ガンを治すことができるなら、みんな治すでしょう。 <br><br><br>地球が人間を取っ払いたいならとっととたまに起こる地震とか津波なんてめんどいことせずいっぺんに火山噴火とかで終わりでしょう。 <br><br><br>つまりやりたくともできない。 <br><br><br>できないんだから。 <br><br><br>じゃ、できてしまったらどうする？ <br><br><br>一気に人間はくたばるよね。 <br><br><br>そして同様に地球人がある体内にいるというある体の持ち主も同じくだれかの体内にいるとして、それのループが無限にあるとしてその人間らも一気にくたばってしまうよね。 <br><br>つまり、足元をみられているんではないかと思う。 <br><br>治したらお前らの大元もくたばるぞという考え。 <br><br><br>これが人間に与えられた最大の地球人へのしっぺ返しだと思う。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/richiemorio/entry-10214792079.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:11:00 +0900</pubDate>
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<title>昔の夢の続き。。。</title>
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<![CDATA[ 前回の日記に引き続き、なぜ悪夢を毎日見るのかを考えてみた。 <br><br>特に哲学的、心理的な知識は特にもちあわせてないが自分は夢の内容は現在の自分の肉体的、精神的状況に大きく左右されると思っている。そしてよく夢占いなどと称される占いの一種が指摘する夢のメッセージ性もややあたる方ではないかと思っている。 <br><br>案の定前回の日記を書き終え、眠りについたあとも悪夢をみた。悪夢の定義は人によって異なると思うがここでいう悪夢は…まぁ目覚めが悪くなるような夢、としておこう。 <br><br>つまり、悪夢をもう1週間も且つ連続に見続けていることになる。これは結構精神的にも肉体的にも負の影響を与えていると体感している。 <br><br>そこで悪夢を見始めるようになった1週間前にはいったい自分が何をしていたのかを再び考察してみた。 <br><br>特にプライベートな事情となるので、ここでの露呈は割愛させてもらうが、少なからずとも"良い日"であったとはいえないと断言する。 <br><br>確かに先週の金曜日は頭の中が真っ白になってしまうような出来事があった。しかし、この出来事は今まで積み重なったモノがついに爆発したという感じでもあった。つまり、この事態は事前に処理しておけば悠然と回避でき得る事であった。 <br><br>冒頭の自分の仮定（現在の精神的、肉体的状況により夢の内容が左右される）に先週の状態を照らし合わせると間違いなく、先週の金曜日の自分の状態は精神的、肉体的共に参っており、だからこそ悪夢を見た… <br><br>と先週の金曜日に関してはこのように結論は出るはずなのだ。 <br>しかし、どうも理解できないのが金曜日以降連続的に悪夢を見続けることだ。 <br><br>悪夢を最初に見た次の日、土曜日。それは特に変哲のないのんびりとした <br>一日であり、夜も仲間同士で酒を飲み楽しく過ごしたはずなのだが、その日も悪夢を見てしまう結果になってしまった。 <br><br>この日だけを考慮すると自分の出した仮定を否定している。 <br><br>やはり自分の出した仮定は否定されて終わりなのか－？ <br><br>いや、違うはずだ。 <br><br>察するに、金曜日の出来事がトリガーとなり、今まで自分に封じ込めてた不安、焦燥、後悔、悲愴が一気に抑えきれなくなったのだろう。 <br><br>そうであるならば、今現在もこの念に駆られている今夜も間違いなく悪夢を見るはず。 <br><br>そうでないのなら、自分の趣味を満喫してるはずなのに、空虚感には襲われないはず。 <br><br>多くの人はこれをただの"考えすぎ"という一言で終わらせてしまうだろうが自分は深刻に悩んでいる。 <br><br>この悪夢が引き起こすネガティブなスパイラル効果は試験を目前とした今はまったくもって好ましくない… <br><br>試験からのプレッシャーから開放されれば悪夢からも醒めることができるかもしれないがそんなのは待ってはいられない。 <br><br>できるだけ早く解決せねば。 <br><br><br><br><br><br>…最後に <br><br>"北京で羽ばたいた蝶の羽ばたきが後にアメリカで竜巻を起こすことになる" <br><br>(Edward Lorenz - Chaos Theory)
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<link>https://ameblo.jp/richiemorio/entry-10214791955.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:09:45 +0900</pubDate>
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<title>夢のはなし。１年前の自分</title>
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<![CDATA[ <div id="diary_body" _extended="true">毎日毎晩 <br><br>悪夢 <br><br>ばっかりみます。 <br><br>今日みたらついに1週間目突入してしまう。。。 <br><br>よく見るのが高所から落ちる夢。気になって検索してみたら <br><br><br>高所から落ちるのは、先行きの不安、成果や実績がつねに求められる現実。 <br><br><br>だと。 <br><br>言われてみれば確かに先行きの不安、成果や実績がつねに求められる現実の中で生きてるな。 <br><br>高校のころそれなりにはできたが、レベルが低かった英語でNZの高校で3年間とか。こん時も大変だったなぁ。まったく意味わかんないの。経済学の教科書の単語１つ１つに和訳を乗っけてたころが懐かしい。 <br><br>卒業のころになっては「自分こんな言葉もわかんなかったのかよ！」とか思ったけど。 <br><br>そしてなぜか受かった筑波大。 <br><br>推薦で入ってきたし、みんなが必死に勉強したセンターや2次試験とかを通ってない上、学力レベルの低い西洋の学校からきたもんだから入学早々学力レベルに差を感じたし。（特に数学。） <br>こんなんで卒業できんのかとかも思っちゃうくらい。 <br><br>最近テスト前だし特に精神的に疲労してるし、挙句に風邪らしきものも引いてしまったのもあるんだろうな。この悪夢には。 <br><br>リアルにもう寝るのが嫌だ。 <br><br>鬱だ。<br></div>
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<link>https://ameblo.jp/richiemorio/entry-10214791878.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:06:46 +0900</pubDate>
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<title>妄想　～江川達也より～</title>
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<![CDATA[ みんなが現実と思ってる現実とはどこまで現実なんだろう？？ <br><br>見たり聞いたりして得た情報をみんなの頭の中でまとめて、現実というものを決め付けているんじゃないだろうか？ <br><br>みんなが現実と思ってるものの中には、みんなの傷つきやすい心に、都合のいい妄想が多く含まれているんじゃないんだろうか？ <br><br>みんなの頭の中では妄想と現実はどこまで区別されているのだろう？ <br><br>みんなの頭の中の現実と本当の現実は、どれ位違うのだろう？ <br><br>みんなの（変な風にいうと）現実度、妄想度は一体どれ位だろう？ <br><br><br><br>人はみんな、同じものを見ても聞いても、頭の中では違ったものとして受け止める。 <br><br>例えば、人それぞれ好みのタイプが違ったり、好きな音楽のジャンルが違うとか。 <br><br>例えばある人は「あの人はないっしょ」って言ってても自分は恋に落ちてしまうこともあるよね。 <br><br>でも、恋に落ちた人は、大体、相手を間違ってることが多いと思う。それは、相手に自分勝手な妄想を巡らし、幸せな気持ちになっているんじゃないのかな？ <br><br>実際、付き合ってみれば付き合ってみるほど、妄想は裏切られると思う。 <br><br>そしたら、"妄想度"は低下して、"現実度"が上がるわけだよね。 <br><br>でつまり恋が冷める、みたいな。 <br><br><br><br><br>でも、世の中には、現実に裏切られるほど（つまり妄想度が低下するほど）、さらに妄想が膨れ上がるというヤバイ人もいるわけだよねｗ <br><br>現実を謙虚に受け止めてから次なる妄想をすれば多分幸せにはなれると思うけど、ヤバイ人ってのは自分の妄想を守るために妄想を繰り返し、頭の中の現実度を低下させて、現実とかみ合っていかなくなってしまうわけだ。 <br><br>あるエリートサラリーマンとか、官僚とかが自殺してしまうのを見ると、この人達は妄想のパターンが少なかったんだろうなぁ...と思ってしまいます。 <br><br><br><br>これからは現実は"妄想"で成り立ってるで話を続けると、 <br><br>学校教育によって妄想のパターンは減らされ、妄想的学校教育は現実的でない妄想を植えつけてしまう。 <br><br>そこで日本は、高学歴になればなるほど、妄想パターンはへってしまうと思う。 <br><br>例えば、官僚主義妄想、社会主義妄想、軍国主義妄想。 <br><br>植えつけられた妄想以外の妄想ができなくなっていく。だってそうじゃん、学校とかではその妄想以外が非現実的だと植えつけられたのだから。 <br><br>さらにさっき言ったように、自分の守る妄想を妄想してしまい、妄想の幅はどんどん狭くなってしまう。 <br><br>変な話だけど、科学や哲学、歴史、道徳なども妄想であると思う。 <br><br>これらは日々塗り替えられてるよね。だから新しい妄想が生まれているわけ。 <br><br>調べたところ（ってか考えてみればわかると思うけど）、数学は、最初から妄想であると自らの世界を規定しているところが他の学問に比べて潔いよね。（妄想と仮定の使い分けが難しいところだとおもうけど） <br><br>突飛な話、数学にのみ、正しいか正しくないかがあると思う。 <br><br>妄想のルールを決めて、そのルールに基づいて、論理的に正しいか正しくないかを決める。 <br><br>この辺数学は筋の通った妄想であると思う。 <br><br>それでも、現実ではない。現実に似ているところはあっても、ちょい違う。 <br><br><br><br><br>現実が妄想を否定してしまったとき、現実を認め、古い妄想を捨て、新しい妄想ができる人、古い妄想を持ち続けたいために妄想の上塗りをしてごまかしていく人、人生の局面においてはやっぱり分かれていくと思うんだよね。 <br><br>どんな状況でも、状況を認め、次なる妄想をいろんなパターンで新しく創れるひとは、必ず幸せになると思う。 <br><br>さっきの話に戻すと、恋に落ちた相手が妄想と違っても、見方を変えてみれば、素敵かもしれないし、もしくは、他の人を探す楽しみにつながっていくかもしれない。 <br><br>だから現実に裏切られれば裏切られるほど、"妄想力"は上昇して、どんな苦境にあっても幸せを感じることができるんじゃないかな？ <br><br>逆に考えてみると、妄想を守るための妄想を繰り返すことにより、"妄想力"は低下して、現実とのつじつまが合わなくなって、それを埋めるために、誰かが自分を陥れたとか、疑心暗鬼になって、"悪い"妄想の虜になって、何もかも信じられなくなってしまい、現実をシャットアウトして、妄想の中に入り込み、どんどん自分のネガティブな妄想で自分を不幸にしていってしまうと思う。 <br><br>NEETなどがこの場合であると思う。 <br><br><br><br>まとめて言いたいことを言うと、 <br><br>大切なのは、自分に都合の悪い現実を受け入れ、次から次へと新しい妄想ができる"妄想力"を持つことであると思う。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/richiemorio/entry-10214791488.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Feb 2009 06:03:03 +0900</pubDate>
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