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<title>りえの日本生活</title>
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<description>日常の読書と日本語勉強の呟き</description>
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<title>上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください！感想文</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><h2 class="limited038_heading01" data-entrydesign-alignment="left" data-entrydesign-count-input="part" data-entrydesign-part="limited038_heading01" data-entrydesign-tag="h2" data-entrydesign-type="heading" data-entrydesign-ver="1.53.2" style="margin:4px 0;font-weight:bold;color:#333;font-size:20px;line-height:1.6;min-height:32px;overflow-wrap:break-word;text-align:left;border-left:8px solid #674D05"><font face="宋体">上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください！感想文</font><span style="display:block"><span class="amp-nodisplay" contenteditable="false" role="presentation"><span style="display:block;width:100%;height:6px;border-top:1px solid #674D05;border-right:1px solid #674D05;border-bottom:1px solid #674D05;box-sizing:border-box">&nbsp;</span></span></span></h2><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p align="justify"><font face="宋体">この二日、上野さんと田房さんがフェミニズムについての対談を読みました。本は五つのパーツがありました、女性の難しいところ、女性はどう社会と家庭という戦場で戦える、婚姻、恋愛と育児をじっくり考えること、フェミニズムと性の話題、あとはどんな人はフェミニズムを自称できること。読んでる最中にものすごく共感しつつ、東アジア、もしくは全世界の女性とも似たような悩みや苦しみを抱えてるという事実に凹んでしまい一方で、こういう状況を変えようとする人々たちを見て、改めて社会全体もどんどんこういう大きくなる力を無視できなくなるでしょうかと期待しています。</font></p><p align="justify">&nbsp;</p><p align="justify">第一章<font face="宋体">では、主に母親と娘の間に微妙な関係性について語っていました。なぜ母親は毒な親になるのかという話題に興味を湧いてきた。これは中国でも結構似たような状況で、上野さんからよると、やはり母親は少女時代の時長子として扱われず自分の母親に無視され、自分の価値と存在を証明するために反抗しながら、自ら母親になる途端娘に自分の意志を押し込むようになります。娘を支配することで、母親は自分の価値を示すことができる。だから母親は圧迫者であり、犠牲者でもあります。母親は娘に自分の思うように生きてほしいということは非常にわかります。しかし興味深いのは母親と息子の間にこういうパータンがありません</font><font face="宋体">。それは</font><font face="宋体">異性だからなのか、息子を社会に期待してる男性像として</font><font face="宋体">育つためにこういう対抗関係がないのでは</font><font face="宋体">未だにわかりません。</font></p><p align="justify"><font face="宋体">そして上野さんから</font><font face="宋体">描かれた</font><font face="宋体">日本のベビーブームの頃の父親</font><font face="宋体">像</font><font face="宋体">は、家庭中に見えないキャラだと認識されているようです。</font><font face="宋体">伝統的な家庭では</font><font face="宋体">母親と娘が喧嘩してる時に、父親は中立に</font><font face="宋体">なって</font><font face="宋体">、調和</font><font face="宋体">の</font><font face="宋体">責任から逃したいというのはなんとなく分かります。</font><font face="宋体">私も</font><font face="宋体">たまに</font><font face="宋体">母親</font><font face="宋体">と意見がズレてる時、父親からのサポートを得ず、常に自分で飲み込んで、あるいは母親の味方になり、私を一人の境地に追い詰めたということになる。田房さんと私は似たようなことを経験してきましたし、同じような疑問を抱いていました。なぜこの時点で、父親は母親の陣営を選んだのでしょうか。</font> <font face="宋体">しかし、上野先生は、母親を選ぶのに適切な決定であると説明しました。これがなければ、娘は</font><font face="宋体">心理的に</font><font face="宋体">母親から離れるという任務を達成することができなかったからです。これまで読んでふと気がついたのですが、もし父親が私を支えてくれるとしたら、家族から離れて自立した個人になることは難しいのではないでしょうか。今思い返せば、当時の父親の選択は明らかに正解だと思いました。それでも、当時の私は父がもっと和解の役割を果たしてくれれば良いのではないかと望んでいました。</font></p><p align="justify">&nbsp;</p><p align="justify">第二章<font face="宋体">で一番印象に残ったのは三つのポイント。第一に、妻や母といったレッテルに縛られるのではなく、女性が勇敢に個人的な視点を表現すべきだというということです。個人な意見は政治化な意見。第二に、女性の解放は最初的に性的解放の実現すること、つまりより体系的で包括的な性教育を必要としており、社会は女性が健康で安全な避妊手段を提供し、女性がより良い性生活を享受できるようにする一方、痴女と呼ばれることなく、女性として性な快楽を楽しめること。第三に、田房さんは、社会は</font>A<font face="宋体">面と</font><font face="Times New Roman Regular">B</font><font face="宋体">面に分かれており、</font><font face="Times New Roman Regular">A</font><font face="宋体">面は経済や仕事などの社会生活を表し、</font><font face="Times New Roman Regular">B</font><font face="宋体">面は家族、病気、育児などの背後にある生活を表していると述べました。男性は基本的に</font><font face="Times New Roman Regular">A</font><font face="宋体">面で戦えるが、女性はほとんどの場合、</font><font face="Times New Roman Regular">A</font><font face="宋体">と</font><font face="Times New Roman Regular">B</font><font face="宋体">面の間を行き来する必要があり、そのプレッシャーは想像に及ばず。この三点には深く同意します。中国の女性も同様の課題に直面しています。まず、幼い頃からの家庭教育で、女性は安全ズボンを着用し、短いスカートは履かないように規制されます、さもないと女性は犯されやすくなります。それは本当に女性が犯されやすいなのか、あるいは男性は女性が自分の付属品であることを当然のことと思っており、自由に女性に遊べることができると思うでしょうか。第二に、社会が女性に特別な避妊手段を提供できない場合、女性の体と心に大きな害を及ぼし、人間性を抑圧し、寛容な生活を送ることを余儀なくされる可能性があります。これは明らかに女性を解放する際に最優先に考えるものの一つです。第三に、社会が男性と女性に異なる期待を与えるということは、女性が社会生活の中で脆弱な立場を変えることを困難にしています。男性は、これが社会的意識によって引き起こされていることに気付かなければ、パートナーがなぜそんなにストレスに溜まりやすいなのか、なぜ喧嘩しやすいなのかのが理解できるのでしょう。したがって、フェミニズムは男性が</font><font face="Times New Roman Regular">B</font><font face="宋体">面の生活にもっと参加するよう促進する必要があると私は信じています。そうすれば、女性の負担を軽減することができ、男性も人生の両面のバランスを取ることの難しさをよりよく理解し、女性の気持ちを理解することができます。しかし、既得権を持つ側として、現在の</font><font face="Times New Roman Regular">A</font><font face="宋体">面生活を譲れる男性陣がどれだけいるでしょうか、それはまた、社会全体として思考すべきものだと思います。</font></p><p align="justify">&nbsp;</p><p align="justify">第三章<font face="宋体">では主に、長い社会的発展の後、さまざまな世代の女性の結婚と子育てに対する見方も大きく変化したことについて説明します。かつて</font><font face="宋体">、</font><font face="宋体">日本の女性は家庭に溶け込むために企業に就職し、選ばれたサークルでパートナーを選ぶことさえありました</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">このようなマッチング</font><font face="宋体">の</font><font face="宋体">結婚観は、人々が配偶者を選ぶときに今でも最も重要である標準</font><font face="宋体">のようです</font><font face="宋体">。そしてかつて</font><font face="宋体">ベビーブーム</font><font face="宋体">世代の女性たちは家庭生活で火薬に満ちていまし</font><font face="宋体">て</font><font face="宋体">女性たちは男性が助けてくれない理由について直接不平を言っていました</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">この口論では、男性はいわゆる家族の責任</font><font face="宋体">を逃げていると承認されることができます。しかし</font><font face="宋体">現在、カップルは口論を避ける傾向があり、妻は夫と直接口論するのではなく、逆にソーシャルメディアに痛みをぶつけます</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">上野先生は、一人が一人を殺すという古い見方を結婚と家族関係に戻す必要があるかもしれないと述べました。</font><font face="宋体">苦痛の</font><font face="宋体">日々の積み重ねは、自分のためにも家族のためにも</font><font face="宋体">決して</font><font face="宋体">良くありません。私はこれに同意します。結婚は決して容易ではなく、結婚と子育てを過小評価することは苦しむことになるでしょう。女性は夫との</font><font face="宋体">交流</font><font face="宋体">にエネルギーを使う必要があり、夫の背後にある社会の利益を非難し、戦い、</font>A<font face="宋体">面と</font><font face="Times New Roman Regular">B</font><font face="宋体">面の境界を破り、夫を引っ張る必要さえあります。第</font><font face="宋体">二</font><font face="宋体">章で述べたように、</font><font face="宋体">夫を</font>B<font face="宋体">面の生活に</font><font face="宋体">引き込ませることが必要です</font><font face="宋体">。フェミニズムはまた、女性を鼓舞し、男性が家庭生活により深く関与することを奨励するべきです。なぜなら、慎重な交渉が維持されなければ、夫と妻の関係は変わらない</font><font face="宋体">し</font><font face="宋体">、離れてしまうことさえあるからです</font><font face="宋体">。</font></p><p align="justify">&nbsp;</p><p align="justify"><font face="宋体">第四章では主に、おじいさん的</font><font face="宋体">な</font><font face="宋体">思考を社会的レベルから排除する方法について議論します。</font><font face="宋体">人々</font><font face="宋体">が子供の頃から受けた教育</font><font face="宋体">や</font><font face="宋体">メディアの報道</font><font face="宋体">で接触した</font><font face="宋体">情報の中で女性について話すとき、女性に弱い、保護されている、</font><font face="宋体">恋に憧れ</font><font face="宋体">というラベルを付けることがよくあります。</font><font face="宋体">よく</font><font face="宋体">男性の</font><font face="宋体">付属品として認識されています</font><font face="宋体">。日本であろうと中国であろうと、女性が不正</font><font face="宋体">に苦しむの</font><font face="宋体">を見たとき、</font><font face="宋体">普段の</font><font face="宋体">反応は、それが自分の娘や妻に起こったら許されないというものです</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">この論理に問題はないように思えますが、上野先生によると、女性は男性に従属し、女性は独立した個人として</font><font face="宋体">扱われないという</font><font face="宋体">考え方が反映されているとのことです。</font><font face="宋体">確かにそうです。</font><font face="宋体">私の周りの人々があらゆる種類の性暴力事件を聞くと、特に伝統的な教育を受けた女性は、この女性は他人を誘惑することに問題があるに違いない、またはなぜこの男性は良いガールフレンドを見つけられないのかとよく言います</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">この背後にある論理は、女性は自分自身の問題</font><font face="宋体">があるの</font><font face="宋体">に侵害</font><font face="宋体">された</font><font face="宋体">と考えて、女性を</font><font face="宋体">男性</font><font face="宋体">より低いレベルで扱うことでもあります</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">非常に悲しい</font><font face="宋体">考え方</font><font face="宋体">であり、現時点で変えるのは難しい</font><font face="宋体">と</font><font face="宋体">考えです。</font><font face="宋体">それでも</font><font face="宋体">、女性に与えられた</font><font face="宋体">ラベル</font><font face="宋体">を放棄する必要があることを社会に伝える声が依然として必要であり、さまざまな性的暴力事件の背後にある本当の理由をより客観的に見るために、思考の固有の枠組みを打ち破る必要があります。単に性別や特定の行動に起因するのではなく、</font><font face="宋体">裏には</font><font face="宋体">思考または心理的な理由である可能性</font><font face="宋体">を考えなければならないと思う</font><font face="宋体">。そして、</font><font face="宋体">こういう思考を</font><font face="宋体">普及</font><font face="宋体">するため</font><font face="宋体">、特定の教育基盤も必要です</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">上野と</font><font face="宋体">田房さん</font><font face="宋体">が言ったように、それは、男性が幼い頃から少女漫画を読み、女性が少年漫画を読む</font><font face="宋体">ことです。</font><font face="宋体">ジェンダーの固定観念</font><font face="宋体">に拘れ</font><font face="宋体">ではなく、人間であることの多面的な個性</font><font face="宋体">という考え方</font><font face="宋体">が、根源にあるこの深く根付いた思考を緩和するかもしれません。これはまだ考えなければならないことです。</font></p><p align="justify">&nbsp;</p><p align="justify"><font face="宋体">第</font><font face="宋体">五</font><font face="宋体">章では、フェミニストのアイデンティティと特徴について</font><font face="宋体">議論</font><font face="宋体">します。内容については、前回の議論でも少し触れましたが、</font><font face="宋体">現在</font><font face="宋体">の東アジア社会では、フェミニズムについて言及する際に、過激で不人気で迷惑でいじめられるような見方を考えることが多く、</font><font face="宋体">フェミニズム</font><font face="宋体">がテレビで宣伝されている場合</font><font face="宋体">は抵抗されることが多いことです</font><font face="宋体">。現在、世界で起きている</font> Metoo <font face="宋体">運動、各国のトークショーでの</font><font face="宋体">性別</font><font face="宋体">の固定観念についての議論、</font><font face="宋体">東京</font><font face="宋体">大学での上野先生のスピーチなど、いずれも社会で激しい議論を</font><font face="宋体">行われていいます</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">一体</font><font face="宋体">フェミニストとは何か、上野先生も独自の視点を</font><font face="宋体">語りました</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">上野先生からよると、</font><font face="宋体">フェミニズムの本質は自己和解の戦い、</font><font face="宋体">いわゆる</font><font face="宋体">女性</font><font face="宋体">が</font><font face="宋体">自己嫌悪の目覚めの表れ、女性に自分自身を受け入れて愛するようにするため</font><font face="宋体">に</font><font face="宋体">社会的不正と戦うという考えであると信じています</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">そして、こ</font><font face="宋体">の</font><font face="宋体">考え方は、異なる社会では異なる方法で表現される可能性があり、同じ社会でも非常に異なる視点が存在する可能性があると思います</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">フェミニズムとは主張することを恐れないという考え方であり、自己申告の概念であり、多様であり</font><font face="宋体">、ひとり</font><font face="宋体">が</font><font face="宋体">一つ</font><font face="宋体">の派閥またはそれ以上の派閥であると言える</font><font face="宋体">ことです</font><font face="宋体">。急進的な人</font><font face="宋体">や</font><font face="宋体">穏健な人</font><font face="宋体">とも</font><font face="宋体">いますが、誰もが自由に話すことができます。だから、例えば伝統社会の男女はどうしても自分の考え方で</font><font face="宋体">フェミズムを</font><font face="宋体">解釈してしまいますし、女性</font><font face="宋体">内部</font><font face="宋体">でもフェミニストとは縁を切ろうという考え</font><font face="宋体">を持つ人</font><font face="宋体">はあります</font><font face="宋体">。しかし、</font><font face="宋体">それが認められないかどうか</font><font face="宋体">にかかわらず</font><font face="宋体">、すべての論争は良いこと</font><font face="宋体">だと思います</font><font face="宋体">。人々がこの問題を真剣に受け止め、</font><font face="宋体">表</font><font face="宋体">で議論していることを示しています。社会レベルで広範な議論が行われている限り、人々はフェミニズムについて</font><font face="宋体">昔と違う</font><font face="宋体">考えを持っている可能性があり、これまで</font><font face="宋体">性別に関する</font><font face="宋体">公共の行動</font><font face="宋体">や</font><font face="宋体">思考パターン</font><font face="宋体">は徐々に変えるかもしれません</font><font face="宋体">。したがって、私は個人的に、こ</font><font face="宋体">ういう</font><font face="宋体">議論と対立は、何世代にもわたるフェミニストが望んでいる状況かもしれないと考えています。この人たちの力が集まれば、新たな状況を打破できるのではないでしょうか。</font></p><p align="justify">&nbsp;</p><p align="justify"><font face="宋体">本書は主に日本におけるフェミニズムの起源と経験したさまざまな困難や問題について論じている</font><font face="宋体">。</font><font face="宋体">日本のみならず中国や世界の国々で</font><font face="宋体">フェミニズム運動してる人たち、フェミニズムの</font><font face="宋体">アイデンティティに混乱し、</font><font face="宋体">フェミニズムの本質について興味ある人にとって良い本だと思います。</font><font face="宋体">ここで言及されている議論は、</font><font face="宋体">さらなる</font><font face="宋体">詳しく</font><font face="宋体">議論することができると信じます</font><font face="宋体">。</font></p>
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<pubDate>Sun, 09 Oct 2022 17:21:07 +0900</pubDate>
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