<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>Johnのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/right-and-bright/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/right-and-bright/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>国語科　『すがたをかえる大豆』より―教育学ノート3</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111120/15/right-and-bright/45/ed/j/o0640047811622659603.jpg"><img border="0" alt="Johnのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20111120/15/right-and-bright/45/ed/j/t02200164_0640047811622659603.jpg"></a>現在私のクラスで学習を進めている国語科『すがたをかえる大豆』より、この1週間で自分なりに考え深めたことを記したいと思います。</p><br><p>　『すがたをかえる大豆』は、ダイズやイネの研究をしている農学者の国分牧衛氏による文章ですが、内容としては難しい内容ではなく、大豆を題材とした典型的な解説文といっていいと思います。なので、子どもたちの文章理解もけっこうスムーズにいっています。前期に学習した『イルカのねむり方』、また世界的な昆虫学者、科学者として知られるアメリカのウィルソン博士が登場する『ありの行列』（この作品は、けっこう覚えのある方多いのではないでしょうか？私の小学校時代にも教科書にありましたから）は、文章理解にけっこう時間がかかりました。なので、今回の『すがたとかえる大豆』では、文章をていねいに読み込んで内容を理解するといった形態の学習ではなく、もっと違った学習方法で行こうと思っていました。はてさてどうするか…。</p><br><p>　そこで思い至ったのが、『すがたをかえる大豆』の読み取りを通して、子どもたちに先人たちの知恵について理解を深めてもらおうというものです。</p><br><p>　この文章で展開される内容としては、大豆が様々な工夫や手立てによって、いろいろな食品にすがたを変え、私たち日本人の食生活を大きく占めているということです。文章の中では、煮豆、きな粉、豆腐、納豆、みそ、しょうゆ、枝豆、もやしなどが登場します。どの食品も、私たち日本人にとってなじみ深いものばかりですが、それぞれの食品は、先人たちが考案した様々な工夫、手立てによって誕生しています。子どもたちには、それぞれの工夫と手立てについて知ってもらい、その上で、①<strong>先人たちがなぜそのような工夫や手立てを考案して大豆のすがたを変えたのか、そして②それによって得たメリットとはなんであったのか</strong>ということを、子どもたちなりに考えることができたらと思います。</p><br><p>　①に対する回答を私なりにするなら、「人はよく生きようとしているから」ということになると思います。</p><br><p>　どういうことかというと、単純に考えれば、先人たちが大豆をきな粉にしたり、豆腐にしたり変化させたことは、彼らにとって何か「よいこと」があるからだという他ありません。申し訳なくも勉強不足で、きな粉や豆腐の起源といったものにはまったく触れていないのですが、意識的にせよ偶然ひき起こったことにせよ、現代にいまだ人々の食生活を支えているものですから、人々にとって何かしらの「よさ」があるに違いありません。先人達が大豆をあらゆる姿に変化させてきたのは、その行為自体に彼らにとって何らかの「よいこと」「よさ」があったからこそであり、それは人々が「よいこと」「よさ」というものを希求する存在であるということの証左でもあると思います。それが、①の命題に対する、「人はよく生きようとしているから」という私なりの回答に結びつくのです。子どもたちに対しては、「人がよさを求める」からこそ、大豆を変える技術であったり知恵であったりが生まれるのであるということを投げかけ、彼らに先人たちの知恵や技術の起源ともいうべき、人間の心や思いということを考えてもらえたらと思います。</p><br><p>　②に対してはどうなるかというと、まさに①の回答について説明したことをふまえれば、「では、先人たちが感じたり思ったりした『よさ』とは具体的にはなんであったのか」ということになると思います。私なりにまとめて言えば、それは「価値の創造」といえます。意識的にせよ無意識的にせよ、人々は価値を創造するという「よさ」に惹かれて、大豆をあらゆる食品に変化させたのではないかと思うのです。</p><br><p>　価値の創造という言葉は、最近巷でもめずらしくない言葉であると私は認識していますが、私の知る限り、もともとは日本の教育者である牧口常三郎先生の言葉であろうと思います。一言で説明できる概念ではありませんが、ここでは「以前よりも価値が上がる」ということで理解を共有してもらえたらと思います。</p><br><p>　さて、話を戻しますが、今回の題材と価値の創造がどう関係しているのかというと、そんなに難しいことではありません。つまり、大豆がきな粉や豆腐やみそ、しょうゆに変化したことで、私たち人間にどのような価値の向上がみられたのかということです。</p><br><p>　私なりに思いつくのは、たとえば、大豆を煮豆にすることで消化がよくなるということであったり、みそやしょうゆにすることで長期にわたって保存がきくようになったこと、また枝豆として食べることで、大豆そのままよりも栄養が豊かに摂取できる（らしい笑）といったことです。他にも味のバリエーションが増えたり、他の食材と組み合わせることで多彩な料理を生み出すことになったり（ここまでくると芸術の領域ですね！）と様々に価値の創造がみられます。</p><br><p>　子どもたちに対しても、こういった価値の創造という人間の文化的な営みがあってこそ、大豆が様々にすがたを変え、今もなお私たちの食生活を支えているということに気付かせたいと思っています。</p><br><p>　この学習を終えて、子どもたちが大豆を食する時、以前よりもちがった気持ちや思いにかられてくれると、私の今回の教育実践も何かの意味があったということができるのではないかと思います。</p><br><p>　まあ…うまくいくかはわかりませんが…笑　勝負心豊かに、今週頑張っていきたいと思います★</p><p>　</p><br><p>　<br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/right-and-bright/entry-11084064798.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Nov 2011 15:17:38 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>小学校3年生　社会科の授業―教育学ノート2</title>
<description>
<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111114/23/right-and-bright/e4/9b/j/o0640047811612054771.jpg"><img border="0" alt="Johnのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20111114/23/right-and-bright/e4/9b/j/t02200164_0640047811612054771.jpg"></a> <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111114/23/right-and-bright/ca/14/j/o0640047811612054770.jpg"><img border="0" alt="Johnのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20111114/23/right-and-bright/ca/14/j/t02200164_0640047811612054770.jpg"></a></p><br><p>11月14日（月）　2時間目　社会　学習テーマ　「わたしたちのまちのお店」</p><br><p>　今日の2時間目、わが3年3組は「わたしたちのまちのお店」の学習テーマのもと、社会科の学習に取り組みました。</p><p>　前回までの授業の流れを簡潔に説明すると、私たちの住む地域にどのようなお店があるのかをクラスで話し合い、実際に各家庭がどこで買い物をしているのかを調べるために、”買い物日記”を作成しました。これは、どのお店で何を買ったのかを記すものです。クラスの子どもたちの買い物日記をそれぞれ確認した結果、どの家庭も主にスーパーマーケットで買い物していることがわかりました。そこから、学習問題として「どうして、みんなは、スーパーによく行くのか」といういうことが持ち上がったのです。今日の授業では、まさにこの学習問題を解決するための話し合いが行われたのでした。</p><br><p>　この授業の私の願いは、子どもたちにとって身近な存在であるスーパーをめぐって、自分たちが疑問として抱いた学習問題の解決を、科学的な思考を駆使して論理的に説明することができるということ。さらに、問題に対する自分たちの回答が依然としてまだ予想の段階であることに気づき、その予想を確かなものとして実証するための方法を考え出すことにありました。</p><br><p>　ここでいう科学的思考とは、問題に対してきちんとした根拠をもとに仮説（予想）をたて、その仮説の実証性を実験や調査などによって論理的あるいは合理的に明らかにする手続きのことである。今回の授業で私が期待したのは、子どもたちが学習問題への回答を単なる思い付きなどではなく、自身の見聞や体験をもとにして論理的に考えてそれを説明することにありました。もちろん、彼ら（3年生）なりにの話です。</p><br><p>　子どもたちからは実際次のような仮説（意見）が出されました。</p><br><p>　・スーパーにはいろんなものがそろっているので、いっぺんに買い物をすませることができて便利だから</p><p>　・自分たちの家から近いところにある</p><p>　・値段がほかの専門店（八百屋、肉屋、魚屋）とくらべて安い…★</p><p>　・サービスがほかの専門店とくらべてよい　（例）半額セール、ポイントカードなど…★</p><br><p>　最初の二つの意見については、実際にスーパーに行ったことのある子どもたちにとって納得の意見であったようです。実際に彼らの体験の中で、スーパーが家から近いところにあること、そしていろんなものがそろっていることは明らかであったので、これ以上つっこんだ意見はでませんでした。</p><br><p>　上記の★印がついた意見については、みなが当たり前のように納得する顔を見せたので私は様子を見て次のように問いかけた。</p><br><p>　「ほうほう…スーパーの方が専門店よりも値段が安いとな？それははたして本当かな？証拠を見せてもらおうか！！スーパーの方が安いという証拠を！！」</p><br><p>　そう言われた子どもたちは、少し困惑した表情をみせて「証拠はまだない…でもきっとそうだと思う！」と言い返してきた。</p><br><p>　「そして、スーパーの方がサービスがいいっていうけど、八百屋さんや肉屋さんはサービスしていないのかい？」</p><br><p>　「半額セールとかはさすがにないんじゃない？」</p><br><p>　「実際に見てきたのかな？それかお店の人に聞いた？」</p><br><p>　「いいえ…それはまだ…」</p><br><p>　「ということは、値段が安い、サービスがよいというのは、まだちゃんとした答えなのではなくて、みんながたてた予想だということだね。まだ今はそれが本当なのかはわからないということだ」</p><br><p>　「みんながたてた予想が正しいかどうかを確かめるためにはどうしたらいいかな？」</p><br><p>　このような流れで授業は展開されたのであるが、いつになく子どもたちは熱心に考え、意見を言っていたように思います。まだ全員が完全に授業に参加できているわけではないのですが…。</p><br><p>　結果として、予想を確かめる方法としてあげられたのが</p><p>・お母さんに聞く</p><p>・お店の人にインタビュー</p><p>・実際に自分が買い物に行く</p><p>・お店を取材　写真をとらせてもらう</p><br><p>　でした。</p><br><p>　今回の授業が完璧だったとはいえないのは当然ですが、思っていた以上に子どもたちは、きちんとした自身の見聞や体験をもとにした事実や根拠を彼らなりに打ち立てて、論理的に物事を考え意見をいうことができたのではないかと思います。</p><br><p>　日本の学習指導要領では、「科学的な思考や表現」は理科における観点別評価規準として掲げられています。しかし、社会科の学習であっても、学習対象が社会的な事象というだけで、問題に対して仮説を立て、それを実証的に明らかにしようとする科学的思考は当然重要であると思います。社会科学では、同一の結果が出ないとこともあるということが、理科での学習―すなわち自然科学とは違うところではありますが、科学的に物事を考えて対象を認識する能力を育てることにとってとても大切だと思います。</p><br><p>　</p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/right-and-bright/entry-11078897274.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Nov 2011 23:51:48 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>読書記録　『子どもの姿に学ぶ教師』―自身の教育学ノートにかえて</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20111113/21/right-and-bright/fd/25/j/o0230033911609471134.jpg"><img alt="Johnのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20111113/21/right-and-bright/fd/25/j/t02200324_0230033911609471134.jpg"></a> 鹿毛雅治　著　『子どもの姿に学ぶ教師』　読了しました。</p><p>ここで書かれていることは、主に三点。学習論、教育評価論、授業論がそれです。</p><br><p>　三点を貫く大きなテーマとしてあるのは、”子どもの学習意欲を高める”ということ。すなわち、子どもの意欲を活発にする豊かな学びについて学習論で語られ、子どもの意欲を支えるための教師による教育評価の在り方が教育評価論で展開されます。そして、子どもの豊かな学習を実現するためのよりよい授業についてが授業論で議論されています。</p><br><p>　ここでは印象的だった二つのキーワードをもとに、私なりの感想と学習の振り返りを記したいと思います。そのキーワードとは、「教育的鑑識」（educational connoisseurship）と「教育的瞬間」（educational moment）です。</p><p>　教育的鑑識とは、アイスナー（Eisner, E.W）によれば”教育の場で起こる複雑で微妙な事柄について識別する能力”のことをいいます。</p><p>　彼は、ワインの専門家であるソムリエを例にとって、教育的鑑識を説明しています。ソムリエがワインの色や香りからそのワインの特質について五感で判断し、客の好みや料理との相性を考えて最高のワインを提供するように、教師もまた、子どもの姿や行動からそれぞれの子どもの特質を判断して、それに応じてよりよい教育的な働きかけができるように方法的行為を実践することが専門家として求められているというのです。</p><p>　そしてもう一つのキーワード、「教育的瞬間」。これは、ヴァンマネン（VanManen, M）が述べた言葉で、「子どもたちのために何らかの教育的な働きかけが期待されるような状況に埋め込まれた瞬間」を意味します。私が勤務する公立小学校の普段のクラスの様子から例をとれば、男の子たちが廊下を走り回っていたまさにその瞬間が教育的瞬間といえるでしょう。なぜなら、教師である私は次のように思考をめぐらすからです。まず、廊下を走る行為は、子どもたち同士の接触が強く予想される行為であるため、子どもたちの安全のためにやめさせるべきものである―そして、その行為の危険性を、子どもたち自身が理解し、自主的に取り組むべきものである、と。私は以上のような思考をめぐらせながら、次の瞬間には走っている子どもたちの前を無言でふさぎ、睨みつけるか、わざと笑顔になってすぐに怖い顔にチェンジするか、大声で怒鳴るか―その方法的行為はさまざまあるにせよ、教育的な働きかけを子どもたちに施すことでしょう。</p><br><p>　この本で展開される学習論、教育評価論、授業論は、子どもたちの学ぼうとする意欲を高めるという大きなテーマに貫かれているということを述べましたが、そのテーマの礎となるキーワードが上記の「教育的鑑識」と「教育的瞬間」にあったと思います。なぜなら、子どもの学習意欲を高めるのは教師の仕事であり、教育的鑑識も教育的瞬間を見抜くことも、ともに教師に求められている能力だからです。</p><br><p>　さきほどあげた廊下を走り回る子どもたちの例の中で、私は教育的働きかけのいくつかを紹介しました。無言で道をふさぐ、睨む、笑顔から怖い顔へのシフトチェンジ、大声で怒鳴る―これらはほんの一端にしかすぎませんし、声の大きさや身体の動きも考えたら、その方法的行為は様々です。しかし、これほど多様な働きかけ方が想定されるのは、まさに教育的瞬間を見抜き、教育的鑑識を駆使して行為を判断して実践する教師の専門家としての”わざ”があるからです。そしてその”わざ”如何によって、子どもの意欲を高める、学びや教育評価や授業が決まるのだと思います。</p><br><p>　正直、日々多忙をきわめる学校教師たちに求めるにはかなりキツイことだとも思いましたが、子どもの意欲を高め、よくなろうとする子どもたちの心を育てるのが教師の本業のはず！！</p><br><p>　教育的瞬間を見抜く器量、そして教育的鑑識を駆使して優れた実践をすることのできる教師を目指して、これからも研究と実践を繰り返していきたいと思います。</p><br><p>　</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/right-and-bright/entry-11077751571.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Nov 2011 21:14:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ブログを始めます♪</title>
<description>
<![CDATA[ <p><font size="3">ブログを始めることにしました♪</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">普段の職場（学校）での気づきや、考えたこと、疑問に思ったこと、読書の記録などをつづっていきたいと思います。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">何か感想などありましたら、コメントしてください（‐＾▽＾‐）</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3"><br></font></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/right-and-bright/entry-11070896495.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Nov 2011 21:49:27 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
