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<title>rin-desertのブログ</title>
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<description>ブログの説明を入力します。</description>
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<title>TOP</title>
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<![CDATA[ <div style="text-align:center;"><font size="5"><span style="color:rgb(96, 191, 0);">ブログのお引っ越ししましたm(__)m</span></font><br></div><div align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/aa/73/j/o0454034114592815935.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_454_341" style="" height="341" width="454"></div><br><span style="color:rgb(96, 191, 0);">新しいブログはこちら↓</span><br><h1><a target="_blank" href="http://rindesert2.blog.fc2.com/" name="pagetop" id="pagetop">どうも |^・ω・)/</a></h1><span style="color:rgb(96, 191, 0);"><span style="color:rgb(0, 0, 191);"><a href="http://rindesert2.blog.fc2.com/" target="_blank">http://rindesert2.blog.fc2.com/</a></span><br><br>相変わらずマイペースで更新中(￣-￣)ゞ</span><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rin-desert/entry-12527325921.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Jun 2012 16:15:47 +0900</pubDate>
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<title>ヤフ撤退します</title>
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<![CDATA[ 「いいね」ボタンですか？<br>これのおかげで、マイページの新着情報がパニックになっていて、朝から混乱してしまいました。<br>新着記事クリックすると、まるで存じない方のブログ記事へ飛ぶんですか。<br><br>このバグ現象を理解するのに、大変時間かかってしまったわ。<br>でもって、この「いいね」ボタン、自分のブログなのに非表示設定とかできないんですか？<br><br>以前よりヤフの、余計なお世話的「お友達連座システム」には辟易してましたが、さすがに今回はキレ気味です。<br><br>システム改変に振り回されるのは、もうこりごりだ。<br>つか、付き合いきれません。<br><br><br>きょうび、記事内容も当初のテニプリからずいぶん乖離していることだし、いい加減潮時です。<br>次の記事から、他のブログへ移行します。<br>４年以上お世話になっただけに使い勝手にも慣れ、名残惜しいんですけど、自分のペースを第一にしようと思ったら、ヤフの時流に私は合いません。<br><br><br>そんな訳で、今までお付き合い下さいました皆さま、お世話になりました。<br>ファン・お友達以外の方でも、拙宅ブログへ足を運んで下さいましたご奇特な皆さま、ありがとうございました。<br>今後もちびは描き続けますので、御縁があれば大海のミジンコを発見できることでしょう。<br>いままで可愛がっていただき、本当にありがとうございました。<br><br><br>これから次の移住先を探さねばなりません。<br>皆さま、それまでお元気で。<br>では、ごきげんよう！　ヽ(*⌒∇⌒*)ﾉ::･'ﾟ☆｡.::･'ﾟ★｡.::･'ﾟ☆｡<br><hr style="WIDTH:100%;HEIGHT:2px;"><span style="COLOR:rgb(192,0,0);">追記</span><br><br>数か所でブログ立ちあげてみて、記事の作り勝手とか、画像アップのしやすさとか、テンプレなどの雰囲気とか、実験してみました。<br>結局以前お世話になっていたＦＣ2がもっとも扱いやすかったので（免疫があるせいか？）、出戻ることにしました。<br>新しく開設したので、以前のアドレスではないです。<br><br>決め手は、ブログお引っ越し機能と、プラグイン（っての？）の自由度でしょうか。<br>あとは、ここでならある程度ハメを外してもお目こぼし貰えそうだっていうブログイメージ。<br>テンプレートも豊富なんで、相性のいいスタイル（デザインの意味ではなくて）が見つかれば、使い勝手もいいことも経験済み。<br><br>ヤフーの、ユーザーにシステムを利用するか否かの自由さえ与えず、手前勝手なサービスを強制するやり口、露骨な閉塞的村社会システム（ヤフポイントなんかいらねぇよ）に、つくづくうんざりしているだけですので、<br>タイトルもニックネームも　ヤフと同じモノを使います。<br>あくまでブログ継続に拘る(￣- ￣ )うむ。<br><br>４年半の全記事を引っ越しさせるのは、それはそれで後処理が大変。<br>李舜臣とか切腹とか、史跡めぐりネタとか、継続記事が多ので、みちゅなりくんだけ取りあえず連れて行きます。<br>ちびはごっそりこちらに置いていきますが、テニプリ関連の新規記事も、今後はＦＣ2へアップします。<br><h1><a id="pagetop" href="http://rindesert2.blog.fc2.com/" name="pagetop" target="_blank">どうも |^・ω・)/</a></h1>今日から、↑こちらへ記事アップしました。<br>よければたまに、ちびらの顔を見にでも、遊びに来てやってくださいませ　ヾ(*￣▽￣)ﾉ<br><br>記事内容は、相変わらずです・・・(￣ω￣;)<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rin-desert/entry-12527325919.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Jun 2012 11:47:18 +0900</pubDate>
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<title>wikiと韓流で学ぶ　秀吉の唐入り③</title>
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<![CDATA[ <div><a href="http://www.epcott.co.jp/isunsin/index.html" target="_blank">不滅の李舜臣　</a>４話目。</div><div>一気にやらなきゃ、話を忘れる。<br></div><div>いよいよ秀吉の唐入りプロジェクトの終末戦、露梁海戦です。<br><div style="TEXT-ALIGN:right;"><span style="COLOR:rgb(255,0,0);">クリックすると大きくなる地図↓</span><br></div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/cf/e8/j/o0573041614592815914.jpg" alt="イメージ 7" class="alignRight popup_img_573_416" height="145" width="200"></div><div style="COLOR:rgb(0,0,255);"><a style="COLOR:rgb(0,0,255);" title="慶長" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7" target="_blank">慶長</a><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">三年(</span><a style="COLOR:rgb(0,0,255);" title="1598年" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/1598%E5%B9%B4" target="_blank">1598年</a>)、日本軍最左翼の要衝である<a style="COLOR:rgb(0,0,255);" class="mw-redirect" title="順天城" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%A4%A9%E5%9F%8E" target="_blank">順天城</a>守備の<a style="COLOR:rgb(0,0,255);" title="小西行長" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E8%A1%8C%E9%95%B7" target="_blank">小西行長</a>らは南下してきた明・朝鮮軍の九月十九日から十月四日にわたる陸海からの攻撃を退け、十月九日には明・朝鮮水軍も拠点であった古今島へ退いた（<a style="COLOR:rgb(0,0,255);" title="順天城の戦い" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84" target="_blank">順天城の戦い</a><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">）。</span></div><div style="COLOR:rgb(0,0,255);">その後、<a style="COLOR:rgb(0,0,255);" title="豊臣秀吉" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E5%90%89" target="_blank">豊臣秀吉</a>死去に伴う帰国方針が朝鮮在陣の日本軍に伝えられ釜山へ撤退することとなった。</div><div style="COLOR:rgb(0,0,255);"><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">小西行長は明将</span><a style="COLOR:rgb(0,0,255);" class="mw-redirect" title="劉綎" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E7%B6%8E" target="_blank">劉綎</a>と交渉して無事に撤退することで合意が成立し、十一月十日、船団を仕立てて退去を図った。</div><div><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">ところが、このとき日本軍帰国の情報は明・朝鮮水軍も知るところとなっており、順天城退去の直前に急遽光陽湾に再進出して退路を遮断した。このため小西行長らは順天城へ引き返さざるを得なくなった。</span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E6%A2%81%E6%B5%B7%E6%88%A6" target="_blank">青字部分wiki引用（以下同）</a></div><div><br></div><div>ここまでが、前回までのお話。</div><div>４話はここから。</div><div><br></div><div>反逆軍李舜臣のせいで身動きとれない小西君を救出するべく軍を出すかどうかで、巨済島にいる島津君ら協議中。</div><div>期日になっても合流できない小西君を、置いて帰ろうかどうしようか。</div><div>助けに行くにもリスク高すぎ。</div><div>このまま帰国やむなしか。</div><div>&nbsp;</div><div><div>「この際、李舜臣を潰しましょう」ってな、李舜臣将軍を執拗にライバル視している（本来ここにはいないはずの）脇坂の発言で、話が納まる。</div></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/d7/0e/j/o0293020114592815916.jpg" alt="イメージ 1" class="alignLeft popup_img_293_201" height="201" width="293"><br></div><div>「よし、では、先鋒は脇坂だ」</div><div>「はっ」</div><div>「豊臣秀吉公より賜りし刀を貴殿に下賜せん。これで李舜臣の首を必ず捕るのだ」</div><div>「ははーっ」</div><div><br></div><div>←という様なシーンなんですが、秀吉の名前を聞いたとたん、武者どもが直立不動になるという、奇怪な光景が楽しめます。</div><div>日本人にとっては、なかなかシュールなギャグシーンっすね(￣ｍ￣〃）</div><div><br></div><div>ところで、画面手前の二人のうち、どっちかが立花宗茂でしょうか？（まだこだわる）<br><br><div>と、ここで、島津くんの立場で露梁海戦を考える。</div><div>島津くんとしては、この露梁海戦は協議するまでもない戦いだったと思われ。</div><div>なんといっても、停戦講和の証、人質（朝鮮王子）と貢物は現在小西君の手にあるわけで、小西君の命はどうであれ、この人質と宝物はなんとしても日本へ持ち帰らねばならない。</div><div>手ぶらで帰ったり、人質や宝物を海の藻屑としてしまったら、慶長の役に出陣した武将は皆、武士面目に関わるどころか、お家お取り潰しの可能性大だ。</div><div>現に、明・朝鮮軍を前に敵前逃亡した武将は所領没収されているわけで、この場合、人質を置いて帰っては、所領没収または大幅削減する口実に使われる可能性がすこぶる高い。</div><div>当然李舜臣の首なんかどうでもよく、首尾良く人質を撤退地点へ送ること、これが島津隊御一行のミッションだったはず。</div><div>結果、李舜臣を戦死させて、島津義弘の功績はさらにアップしてしまい、これはこれで後の日本での火種の一つになるんですけど・・・。</div><br></div><div>さて、決行日は、無血撤退のタイムリミット１１月１５日の期限超えの１１月１７日の夜。</div><div style="TEXT-ALIGN:right;"><span style="COLOR:rgb(255,0,0);">島津軍は脇坂軍の後ろ、黒地に白十字↓</span><br></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/7d/b4/j/o0307023114592815919.jpg" alt="イメージ 2" class="alignRight popup_img_307_231" height="231" width="307"></div><div><br></div><div><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">既に撤退のため巨済島に集結を終えていた</span><a style="COLOR:rgb(0,0,255);" title="島津義弘" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E7%BE%A9%E5%BC%98" target="_blank">島津義弘</a><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">、</span><a style="COLOR:rgb(0,0,255);" title="宗義智" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E7%BE%A9%E6%99%BA" target="_blank">宗義智</a><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">、</span><a style="COLOR:rgb(0,0,255);" title="立花宗茂" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82" target="_blank">立花宗茂</a><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">（当時の名乗りは親成）、</span><a style="COLOR:rgb(0,0,255);" class="mw-redirect" title="高橋直次" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%9B%B4%E6%AC%A1" target="_blank">高橋直次</a><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">らの左軍諸将や撤退の差配に出向いていた</span><a style="COLOR:rgb(0,0,255);" class="mw-redirect" title="寺沢正成" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%B2%A2%E6%AD%A3%E6%88%90" target="_blank">寺沢正成</a><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">はそれを知り、急遽五百隻（三百隻とも言う）の兵船を仕立て、救援のため十七日の夜、順天へと向かった。</span></div><div><span style="COLOR:rgb(0,0,255);">これを知った明・朝鮮水軍も迎撃するため封鎖を解き露梁津へと東進する。</span><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E6%A2%81%E6%B5%B7%E6%88%A6" target="_blank">wiki引用</a></div><div><br></div><div>先鋒脇坂隊の、帆の家紋が素晴らしい。</div><div>一目でわかる、視聴者思いの有難さ。</div><div>やっぱ家紋って便利だな。<br></div><div>なかなか壮観な絵でした。<br></div><div><br></div><div>一方、国賊となった李舜臣反逆軍ですが、島津隊が出撃した事を知り、さっそく迎撃態勢に。</div><div>一度は日本軍と停戦の折り合いがついていた明海軍でしたが、李舜臣軍のノリに押されたか、運命を李舜臣とともにすることに予定変更＞ま、無血期限切れだしね、残党狩りの大義名分がたつのかしら。</div><div style="COLOR:rgb(0,0,255);"><br></div><div style="COLOR:rgb(0,0,255);">十八日未明、露梁津を抜けようとした日本軍は南海島北西の小島、竹島の陰に潜んだ明水軍と同じく南海島北西の湾、観音浦に潜んだ朝鮮水軍とに出口で待ち伏せされ、南北から挟撃される形で戦闘が始まった。</div><div><br></div><div>ドラマでは、明海軍は、本来参戦予定ではありませんでした。<br>小西隊の監視程度だったようです。</div><div>が、いざ戦闘開始されると、明海軍は小西隊の監視を放棄。</div><div>日本軍を李舜臣海軍と挟み撃ちにする事に予定変更してました。</div><div>&nbsp;</div><div>ちょっとここで、明海軍の立場で考える。</div><div>明国は今現在、自国の大将首を散々捕られながら、日本の大将首は一つも取ってないというヘタレっぷり。</div><div>これでは属国朝鮮国に対しても、大国明国の体面が保てないではないか。</div><div>国賊に落ちたとはいえ、ここで万が一李舜臣が大将首捕りでもしたら、いよいよ己の立場が悪くなる。</div><div>もしここで自分が大将首、それも島津の首を揚げられれば、俺ってどんだけ英雄？ってな起死回生を目論んでの参戦だった、ような。</div><div>明海軍将軍の立場も、それなりに「大人しくしている訳にはいかない立場」、「李舜臣に褒美をもっていかれる訳にはいかない立場」だったはず。</div><div>ドラマで描かれるような、明海軍大将が、「李舜臣に感服して共に戦う」ってのも結構ですが、大国将軍の立場としては、どうしたものでしょうねぇ？</div><div>&nbsp;</div><div>さて、明海軍が手薄になった所を、小西君は、しめしめと集合地点へ航海していきます。<br>とはいえ、ドラマでは李舜臣憎しの小西君。<br>一度は李舜臣軍を島津隊と挟撃しようとするんですが、そこをヨシラ僧に止められ、思いとどまります。<br><br>史実に照らし合わせれば、小西隊は貢物や捕虜（朝鮮王子）を日本へ連れて行かないとならない重任を負っているので、むやみに戦闘参加はできません。<br>小西隊の戦闘を避けるべく南方迂回は当然のことと思われますし、島津隊もそのために船を出しているようなものです。<br><br></div><div style="COLOR:rgb(0,0,255);">日本軍前衛は被害を出しつつも明・朝鮮水軍先鋒を観音浦へ押し戻し、先鋒が撃退されたのをみて押し出して来た明水軍主力と島津本隊および後続他家入り乱れての混戦となる。</div><div style="COLOR:rgb(0,0,255);">先陣を切っていた島津軍に損害が大きく、島津の将<a style="COLOR:rgb(0,0,255);" title="樺山久高" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E5%B1%B1%E4%B9%85%E9%AB%98" target="_blank">樺山久高</a>率いる一隊は、海峡突破に成功したものの本隊と分断され、当初に朝鮮水軍の潜んでいた観音浦に逆に押し込められて浅瀬に座礁して船を失い、徒歩で南海島を横断して東岸へ脱出せざるを得ないという状況にもなった。</div><div style="COLOR:rgb(0,0,255);">主将の島津義弘の乗船も潮に流されて後落し、敵船から熊手などを掛けられ切り込まれそうになる窮地に陥り、他家の救援も得てようやく脱出できたと伝えられる。</div><br>そうとう日本軍不利の激戦だった模様。<br><div><span style="COLOR:rgb(255,0,0);">↓主要人物らしくて、やっぱり最期の尺長い</span><br></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/34/a8/j/o0230017914592815922.jpg" alt="イメージ 3" class="alignLeft popup_img_230_179" height="179" width="230"></div><div>島津隊…じゃないや、脇坂隊と李舜臣の凄まじい船上砲撃戦が繰り広げられ、日本は始終おされ気味の様子。</div><div>とはいえ李舜臣の部下将校たちも次々やられてしまい、敵味方関係なく、船上は阿鼻叫喚、地獄絵図です。</div><div><br></div><div>とはいえ、日本作品では見れない水上戦の様子。</div><div>モリを打ちつけたり、熊手縄で敵船を引き寄せたり、あんな手こんな手がタップリ堪能できて、とても面白かった。</div><div>wikiの解説にあるような混戦状態が映像で見られるって、すごいです。結構お金かかってるよね、これ。</div><div>韓国様様だ…(ﾉω･､) </div><div><br></div><div>で、李舜臣の首を捕らないとならない脇坂君ですが、なかなか李舜臣の乗る大将船までたどり着けません。</div><div style="TEXT-ALIGN:right;COLOR:rgb(255,0,0);">↓日本刀の威力を見せつける脇坂君</div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/fd/83/j/o0250016114592815923.jpg" alt="イメージ 4" class="alignRight popup_img_250_161" height="161" width="250"></div><div>そんな折、脇坂大将船に乗り込んできた李舜臣の腹心中の腹心将校（名前、忘れた）と、漢らしくタイマンバトル。</div><div>剣術対戦するんですけど、この李軍将校の剣を秀吉下賜の名刀が打ち砕きます。</div><div>日本刀、すげぇ、の瞬間。</div><div><br></div><div>激闘の末、脇坂君勝ちますが、最期の力を振り絞って脇坂にしがみ付いたこの将校と一緒に、船からおっこっちゃいました。</div><div>李軍将校は、その後味方船に救出されますが、李舜臣将軍と会話後、息を引き取ります。</div><div>脇坂は？脇坂はどうなったか不明。</div><div>もしかして、この英雄将校に、海の藻屑とされたことになってるんだろうか？？<br></div><div><br></div><div>ところで、韓流時代ドラマでは、この剣の強度ってのが勝敗を決する重要なファクターなんでしょうかね。</div><div>チュモンでもやたら鉄製武器の強度に拘り、この強度開発が軍事力の優劣基準でした。</div><div>日本では、腕だの技だのに持っていかれて、意外と実質的な強度面はスルーされがちな気がする謎。</div><div><br></div><div style="COLOR:rgb(255,0,0);">自ら太鼓打つ李将軍↓</div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/f5/16/j/o0266021414592815927.jpg" alt="イメージ 5" class="alignLeft popup_img_266_214" height="214" width="266"></div><div><br></div><div>さ、主人公の李舜臣ですが、自軍の被害も大きく、兵士の士気鼓舞する太鼓打ちも射ぬかれ戦死してしまいます。</div><div>鎧を脱ぎ棄て、自らばちを取り、最終決戦の構え。</div><div><br></div><div>夜間の海上戦、おまけに煙幕モウモウ状態なんで、綺麗な絵が取れず、すみません。</div><div>すごいカッコいいシーンだったんだけど…。</div><div>太鼓、綺麗だし。<br></div><div><br></div><div>そんな李将軍を狙う、一人の鉄砲隊兵（所属藩不明）。</div><div style="TEXT-ALIGN:right;"><span style="COLOR:rgb(255,0,0);">↓ゴルゴ雑兵</span><br></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/53/ce/j/o0247020414592815928.jpg" alt="イメージ 6" class="alignRight popup_img_247_204" height="204" width="247"></div><div><br></div><div><br></div><div>フラグ立ちました。</div><div>危うし李舜臣</div><div><br></div><div>…ってところで、４話目はおしまい。</div><div>第３巻からは、李舜臣将軍の幼少期からの生い立ちにタイムスリップしそうな気配です。</div><div><br></div><div>掴みに４話も使うとは…さすが100話超えドラマ、余裕だな。</div><div>あらゆる部分の尺の取り方が贅沢すぎる韓流ドラマ。</div><div>せっかち者には、この間延び感がなかなか苦痛だったりします…(￣-￣;)ﾝｰ</div><div><br></div><div>ここから暫くは、文禄・慶長の役と直接関連しないお話になりますんで、記事も暫くお休みとなりましょうか。</div><div>キャスティングに秀吉・家康もいますんで、日本のお国事情なんかも時折出てきそう。</div><div>日本の様子などが出て参りましたら、随時記事にしたいと企んでおります。</div><div>物語の顛末・戦後処理問題なども、ＤＶＤ進捗に合わせて先延ばし。<br></div><div><br></div><div>次は切腹ネタか…</div><div><br></div><div>ではっヽ(*⌒∇⌒*)ﾉ</div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Mon, 25 Jun 2012 13:53:54 +0900</pubDate>
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<title>wikiと韓流で学ぶ　秀吉の唐入り②</title>
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<![CDATA[ <div><a target="_blank" href="http://blogs.yahoo.co.jp/rin_desert/36126249.html">前回のつづき</a></div><div>不滅の李舜臣　の２話３話のお話です。</div><div>続けるんですか？って、続けますとも。</div><div>記事作って、やっとちょっと理解できるレベルなんですもの。<br></div><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">慶長３年10月中旬位までの地図↓</span></div><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">（クリックで大きくなります）　　</span><br></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/ee/77/j/o0650054714592815867.jpg" alt="イメージ 1" class="alignRight popup_img_650_547" style="" height="168" width="200"></div><div>さすがに地図がないとわけわかんないので、適当なところで拾ってきました。<br></div><div><br></div><div>（慶長３年）<span style="color:rgb(0, 0, 255);">10月7日になると、ついに包囲中の地上軍は撤退し、明軍は古順天に1万余を残し、劉綎自身は富有まで撤退した。</span></div><div style="color:rgb(0, 0, 255);">これにともない水軍も10月9日、海上封鎖を解いて古今島（<a target="_blank" style="color:rgb(0, 0, 255);" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8E%9E%E5%B3%B6%E9%83%A1" title="莞島郡">莞島郡</a>古今面）に撤退した。</div><div style="color:rgb(0, 0, 255);">明軍の退路上には投棄された兵糧が散らばっており、この幾らかは日本軍が戦利品として入手した。</div><div style="color:rgb(0, 0, 255);"></div><div><span style="color:rgb(0, 0, 255);">こうして明、朝鮮の西路軍、水軍による順天城攻略作戦は失敗に終わった。</span><a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84">（wiki引用）</a></div><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(192, 0, 0);">↑しまった、李の字、間違えた</span><br></div><div>ドラマ見たせいなのか、↑の「明軍退路に投棄された兵糧」は、なんだか明陸軍がわざわざ置いて行ってくれた餞別だったようにも思われますなぁ。</div><div><br></div><div>さて、秀吉死去が８月１８日。</div><div>８月２５日には、朝鮮と停戦講和すべく使者が日本から派遣され、</div><div>８月２８日に、三成は撤退準備・受入れ体制整備のため、博多へ移動。<br></div><div><br></div><div>４話までのドラマでは描かれてませんでしたが、９月上旬には、日本の講和使者は朝鮮宮廷に到着しているはず。</div><div>日本側が突きだした講和条件は、</div><div>1.朝鮮王子の人質</div><div>２.朝鮮からの貢物提出</div><div>朝鮮にとっては決していい条件じゃない。<br></div><div>協議、協議で待たされていたのでしょう。</div><div>停戦調印されたのは１０月上旬。</div><div><br></div><div>順天倭城攻防戦より数日前、９月下旬～１０月上旬の津島義弘が大活躍した泗川倭城戦、加藤清正が活躍した蔚山倭城戦での日本軍の圧倒勝利が功を奏したか、とうとう朝鮮側が折れたようです。</div><div>無血撤退（ようは撤退中、攻撃はしない約束）期限を１１月１５日とする旨取りきめられ、１０月１５日には小西君のいる順天倭城にも使者が伝えに来ているようです。</div><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">日本と言えば、これ！手裏剣もしゅしゅっと披露↓</span><br></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/e7/c9/j/o0263020814592815871.jpg" alt="イメージ 6" class="alignRight popup_img_263_208" style="" height="208" width="263"></div><div>小西君が秀吉の死を知るとしたら、この順天倭城攻防戦後に撤退命令を持ってきた使者から。</div><div>でも、８月末に講和使者が派遣された情報つかめたら、察知できた範疇かもしれないですな。<br></div><div><br></div><div>ともあれ脱出のタイムリミットは１１月１５日。</div><div>1カ月以内に、李舜臣が攻撃の目を光らせている朝鮮海域から出なくてはならん。</div><div>ミッション・インポッシブルですな。</div><div>小西君、大忙しだ。</div>わざわざ忍者を使って李舜臣暗殺を企てるも、あえなく失敗。<br><div style="color:rgb(0, 0, 255);"><br></div><div><span style="color:rgb(0, 0, 255);">これを受け小西らは明軍の劉綎</span>（明の陸軍大将）<span style="color:rgb(0, 0, 255);">と和議を締結し、人質</span>（朝鮮王子？）<span style="color:rgb(0, 0, 255);">を受領して撤退の手筈を整えていた。</span></div><div style="color:rgb(0, 0, 255);">しかし、11月7日、明・朝鮮水軍は秀吉死去に伴う日本軍撤退の動きを知ると根拠地の古今島を発ち、11月10には順天沖に現れ海上を封鎖し撤退を阻んだ。</div><div style="color:rgb(0, 0, 255);">このため、小西らは明水軍の陳璘と再交渉をして撤退の約束を取り付けることに成功し、人質も受け取った。</div><div><span style="color:rgb(0, 0, 255);">ところが、日本軍の撃滅を望む朝鮮水軍の李舜臣がこれに激怒し猛抗議すると、陳璘も約束を反故にして順天の日本軍が帰国することを阻んだ。</span><a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9#.E6.85.B6.E9.95.B7.E3.81.AE.E5.BD.B9">（wikiコピペ）</a></div><div><br></div><div>というわけで、「不滅の李舜臣」の２話～３話は、この順天倭城攻防戦直後～小西軍撤退戦前夜の約１カ月の間に起こる、すったもんだのお話です。</div><div>とはいっても小西・日本サイドのすったもんだではなく、李舜臣水軍内部に起こるすったもんだ＞当たり前</div><div><br></div><div>朝鮮朝廷は、９月上旬には日本からの停戦申入れの打診を受け、講和推進派と反対派に分裂。</div><div>想定外の被害を被っている明国では、当然講和賛成、つか、なんでもいいから早く帰ってくれ状態。<br>というのも、明は明で飢餓だの満州からの攻撃だので、すでに存亡の危機状態で、国そのものがすっかり疲弊してたから（だから秀吉に狙われたともいえるけど）。<br></div><div>９月末～１０月初めに行われた、順天倭城・泗川倭城・蔚山倭城への一斉攻撃は、講和に応じるか否かを決める、連合軍の賭け戦だったと言えましょうか。</div><div><br></div><div>しかし、無残に連合軍は悉く敗退。</div><div>これにより、停戦賛成派が一気に優位に。</div><div>もはや、唯一強気で講和反対を主張しているのは、李舜臣海軍のみ。</div><div><br></div><div>１０月１５日には朝鮮朝廷が日本と停戦条約に調印した、にも関わらず、李舜臣将軍は、断固それを拒絶。</div><div>国が停戦と定めたにも関わらず、将軍が日本へ攻撃続ければ、これは国家反逆罪だ。</div><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">すでに小西君とはツーカーの劉さん↓</span><br></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/67/55/j/o0204017414592815872.jpg" alt="イメージ 7" class="alignRight popup_img_204_174" style="" height="174" width="204"></div><div>明国と朝鮮朝廷は、あくまで戦闘的な李舜臣将軍から指揮権を剥奪し、明国陸軍大将の<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E7%B6%8E" title="劉綎" class="mw-redirect">劉綎</a>に全指揮権をゆだねることに決定。</div><div>この劉さん、前回、小西君から賄賂もらったお礼に、兵糧置いていってくれた人ですね。<br></div><div><br></div><div>もはや李舜臣将軍は、自分の権限で部下を動かす事が出来なくなります。</div><div>絶対絶命。<br></div><div><br></div><div>そんなわけで、李舜臣軍内部でも、</div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/70/a5/j/o0242018514592815875.jpg" alt="イメージ 2" class="alignLeft popup_img_242_185" style="" height="185" width="242"></div><div><br></div><div><br></div><div>断固日本を許す訳にはいかない</div><div>今潰しておかないと、また奴らはやってくる</div><div>問題を先送りにするだけだと主張する<br></div><div>←戦闘派と</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/68/3e/j/o0241020814592815881.jpg" alt="イメージ 5" class="alignLeft popup_img_241_208" style="" height="208" width="241"></div><div><br></div><div>今、国に逆らい、逆賊になってまで戦う意味があるのか<br></div><div>これ以上の犠牲者を出してまで戦う意味があるのかを問い、<br></div><div>今はいったん引き、次に備えるべきと主張する<br>←反対派　に分裂。<br></div><div><br></div><div>関係ないけど、この人、なんかタイプだヾ(´ε｀*)ゝ ｴﾍﾍ</div><div><br></div><div>延々と議論され、反目し、朝廷の特使を監禁したり、剣も飛び出す諍いなんかに発展。<span style="color:rgb(255, 0, 0);"><br><br></span><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">毎回必ずあるよ、抜刀シーン↓</span></div></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/1a/ac/j/o0307018314592815883.jpg" alt="イメージ 8" class="alignRight popup_img_307_183" style="" height="183" width="307"></div><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);"><br><br></span></div><div>李舜臣将軍も、ばらばらになりつつある水軍と、自分の強硬姿勢の善悪に悩み苦しみます。</div><div><br></div><div>が、ここからが何気に韓国風味なんですが、李舜臣将軍から受けた恩義や、将軍に対する忠義の理をを唱える人が出てきて、なんだか軍内部が「将軍のために戦おう」ってな雰囲気に急傾倒。</div><div><br></div><div>まぁ、日本ドラマでもそんなシーン、あるわね。</div><div>でもって、感動しないと、人として不味そうな場面だったりするわね？</div><div><span style="color:rgb(255, 0, 0);">↓朝鮮水軍、全員一致団結、誓いの図</span><br></div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/c7/79/j/o0298020114592815886.jpg" alt="イメージ 9" class="alignLeft popup_img_298_201" style="" height="201" width="298"></div><div>そんな訳で、水軍全員（ここ重要）の熱い思いを受け、将軍は、朝廷からの最後通告もはねつけ、断固日本軍を壊滅する事を宣言。</div><div><br></div><div>そん時の強硬理由は</div><div>1.後の災いを防ぐため<br></div><div>2.殺された仲間の仇討</div><div>って感じだったかな。</div><div>まぁ、ともかくこのまま引き下がるわけにはいかないってな熱い意思を伝えてました↓</div><div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/6a/5a/j/o0228019414592815889.jpg" alt="イメージ 10" class="alignRight popup_img_228_194" style="" height="194" width="228"></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>さて、一方日本軍です。</div><div><br></div><span style="color:rgb(0, 0, 255);">既に撤退のため巨済島に集結を終えていた</span><a target="_blank" style="color:rgb(0, 0, 255);" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E7%BE%A9%E5%BC%98" title="島津義弘">島津義弘</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">、</span><a target="_blank" style="color:rgb(0, 0, 255);" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E7%BE%A9%E6%99%BA" title="宗義智">宗義智</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">、</span><a target="_blank" style="color:rgb(0, 0, 255);" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%AE%97%E8%8C%82" title="立花宗茂">立花宗茂</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">（当時の名乗りは親成）、</span><a target="_blank" style="color:rgb(0, 0, 255);" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%9B%B4%E6%AC%A1" title="高橋直次" class="mw-redirect">高橋直次</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">らの左軍諸将や撤退の差配に出向いていた</span><a target="_blank" style="color:rgb(0, 0, 255);" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%B2%A2%E6%AD%A3%E6%88%90" title="寺沢正成" class="mw-redirect">寺沢正成</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">はそれを知り、急遽五百隻（三百隻とも言う）の兵船を仕立て、救援のため十七日の夜、順天へと向かった。</span><a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E6%A2%81%E6%B5%B7%E6%88%A6">（wiki引用）</a><br><br>無血撤退の約束を反故にされ、立ち往生してる小西君。<br>タイムリミット１１月１５日になっても待ち合わせ場所にやってこない小西君にヤキモキする日本軍。<br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/b9/99/j/o0246019914592815895.jpg" alt="イメージ 11" class="alignLeft popup_img_246_199" style="" height="199" width="246"><br>←すでに猛将として、日本のみならず朝鮮・明でも知名度を上げた島津義弘　６３歳、<br>言わずと知れた薩摩　鹿児島城主　６０万５０００石<br><br>ちなみに、関ヶ原では成り行きで西軍に付き、合戦では訳わかんない「島津の退き口」をご披露して、周囲をいろんな意味でびっくりさせたことで有名っすね。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/25/a0/j/o0252016014592815900.jpg" alt="イメージ 12" class="alignRight popup_img_252_160" style="" height="160" width="252"><br><div style="text-align:right;">→<br></div>小西君の娘婿。<br><a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E7%BE%A9%E6%99%BA">宗義智</a>　３０歳。<br>対馬　府中城主　禄高不明、10～15万石くらい？？<br><br>関ヶ原では小西君と一緒に西軍に付くけど、敗戦後、朝鮮遠征の戦後処理に当たらせるため、罪状不問、所領安堵。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/9c/4c/j/o0239019114592815903.jpg" alt="イメージ 3" class="alignLeft popup_img_239_191" style="" height="191" width="239">←なぜここにいる？<br><a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%87%E5%9D%82%E5%AE%89%E6%B2%BB">脇坂安治</a>　４４歳　淡路　州本城主　３万石<br><br>日本での知名度、そうとう低いですが、賤ヶ岳の七本槍の一人ですな。<br>そんでもって、関ヶ原では小早川同様の寝返り組っす。<br>結構むかついてるんで、関ヶ原の陣跡も行く気なく、ノーマークです(｀ε´)ぶーぶー<br><br>これと言って、ぱっとした事してないような…？<br>つか、司馬遼太郎の「<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/%E9%A6%AC%E4%B8%8A%E5%B0%91%E5%B9%B4%E9%81%8E%E3%81%90-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8F%B8%E9%A6%AC-%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4101152241/ref=sr_1_1?ie=UTF8&amp;qid=1340467298&amp;sr=8-1">馬上少年過ぐ</a>」で読んだ分しかしらんです。<br><br>wikiでの<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E6%A2%81%E6%B5%B7%E6%88%A6">露梁海戦</a>（朝鮮遠征最終戦）では参加したという記載ないんですが、ドラマ版特別ゲストですかね。<br>どうやら、李舜臣を敵視している天敵武将ってキャラ設定みたいっすよ？<br>李舜臣の最期には、やっぱ天敵登場してもらおうという、強引な製作意図でしょうか。<br><br>今後見る気萎える天敵チョイスなんですけどーっヾ(｡｀Д´｡)ﾉ彡☆<br>こいつより立花宗茂だせよ、と、ついイラっとしてしまいました。<br><br>というわけで、第４話、露梁海戦、出陣へと続く。<br><br>４話までは記事続けます…たぶん。<br><div style="text-align:right;">参考文献：<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%88%90-Truth-In-History-21/dp/4775308319/ref=sr_1_10?s=books&amp;ie=UTF8&amp;qid=1340470053&amp;sr=1-10">石田三成　相川司</a><br></div><hr style="width:100%;height:2px;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">おまけ</span><br>そのころのみちゅなりくん<br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/ec/34/j/o0354026514592815909.jpg" alt="イメージ 4" class="alignLeft popup_img_354_265" style="" height="265" width="354"><br>このころ、よしちゅぐくんは家康君と仲よしです。<br><br>みちゅなりくんは、家康君の交友関係が気になって仕方ありません。<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rin-desert/entry-12527325913.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Jun 2012 01:42:36 +0900</pubDate>
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<title>wikiと韓流で学ぶ　秀吉の唐入り①</title>
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<![CDATA[ さてさて、韓国風味の戦国武将を堪能中でございます。<br><a href="http://www.epcott.co.jp/isunsin/" target="_blank"><strong style="FONT-WEIGHT:normal;">不滅の李舜臣</strong></a><br>秀吉編制軍と戦った、朝鮮の英雄将軍のお話です。<br>２巻分見終わりました。<br>残りあと５０巻…。<br><br>いやもう、この戦、難しいわややこしいわ。<br><a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9">うぃっき</a>見るだけで、うげうげしちゃいます。<br>活字多すぎ。<br>ちょっくらwiki引用しまくって、記事作りしてみました。（<span style="color:rgb(0, 0, 255);">青字</span>はwiki引用部分）<br>ドラマで、wikiには載ってないあんなこととかこんなエピソードをフォロー。<br><br><span style="color:rgb(255, 0, 0);">１話のあらすじ</span><br>ドラマは、秀吉の第二次朝鮮遠征、慶長の役（慶長２年１２月～慶長３年１１月（1597年１1月～1598年10月）の、小西行長軍が駐留する順天倭城攻防戦（<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84">順天城の戦い</a>）から始まります。<br>時は慶長３年１０月３日、戦も終結間際。<span style="font-weight:bold;"><br></span>そんでもって、関ヶ原の戦いの２年前です。<br><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">宇喜多君と藤堂君の作ったお城（順天倭城）↓</span><br><span style="color:rgb(255, 0, 0);"></span></div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/a2/36/j/o0479059714592815838.jpg" alt="イメージ 1" class="alignRight popup_img_479_597" style="" height="249" width="200"><span style="color:rgb(0, 0, 255);">慶長の役が始まると順天郡の光陽湾奥部の沿岸に1597年11月から、</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%96%9C%E5%A4%9A%E7%A7%80%E5%AE%B6" title="宇喜多秀家">宇喜多秀家</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">、</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%A0%82%E9%AB%98%E8%99%8E" title="藤堂高虎">藤堂高虎</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">によって築城が始められ、突貫工事により城は12月に完成し、小西行長に引き渡された。</span><div style="color:rgb(0, 0, 255);"><br></div><span style="color:rgb(0, 0, 255);">順天新城の完成後は、</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%A5%BF%E8%A1%8C%E9%95%B7" title="小西行長">小西行長</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">、</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E9%8E%AE%E4%BF%A1_%28%E6%B3%95%E5%8D%B0%29" title="松浦鎮信 (法印)">松浦鎮信</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">、</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E6%99%B4%E4%BF%A1" title="有馬晴信">有馬晴信</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">、</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B3%B6%E7%8E%84%E9%9B%85" title="五島玄雅">五島玄雅</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">、</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E5%96%9C%E5%89%8D" title="大村喜前">大村喜前</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">の五氏13,700人が在番していた。<br><br></span><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/7e/df/j/o0227021014592815841.jpg" alt="イメージ 2" class="alignLeft popup_img_227_210" style="" height="210" width="227">←小西君　４３歳<br>肥後　宇土城主<br>２０万石<br>キリシタン<br><br>見慣れない髷ですが、家紋は忠実。<br>つか、家紋の存在感が新鮮…。<br><br><div><span style="color:rgb(0, 0, 255);">1598年秋、</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E" title="明">明</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">・</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE" title="李氏朝鮮">朝鮮</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">連合軍は朝鮮半島南岸の倭城群を攻略すべく総力を挙げての一大攻勢を企画し、東路軍、中路軍、西路軍、</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E8%BB%8D" title="水軍">水軍</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">、の4軍に編成されて南下を開始した。</span><br style="color:rgb(0, 0, 255);"><span style="color:rgb(0, 0, 255);">この内の、西路軍、水軍が順天に攻撃目標を定めた。西路軍は明軍21,900人で</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E3%83%86%E3%82%A4_%28%E6%98%8E%29" title="劉テイ (明)">劉綎</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">が率い、朝鮮軍は5,928人で</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A9%E6%85%84" title="権慄">権慄</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">が率いた。水軍は</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E3%83%AA%E3%83%B3" title="陳リン">陳璘</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">率いる明水軍19,400人、朝鮮水軍7,328人は</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%88%9C%E8%87%A3" title="李舜臣">李舜臣</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">が率いた。</span><br><br><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">すげぇ、</span><span style="color:rgb(255, 0, 0);">ユニフォーム</span><span style="color:rgb(255, 0, 0);">（</span><span style="color:rgb(255, 0, 0);">水ゼッケン</span><span style="color:rgb(255, 0, 0);">）もある朝鮮水軍↓<br></span><div style="text-align:left;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/ed/5e/j/o0178013414592815846.jpg" alt="イメージ 3" class="alignRight popup_img_178_134" style="" height="134" width="178"><span style="color:rgb(0, 0, 255);">3日、劉綎は陳璘に「今夜水陸共同で夜襲を決行すべし」と伝えた。</span><br></div><div style="color:rgb(0, 0, 255);text-align:left;">ここにおいて陳璘は午後8時頃水軍を率いて上げ潮に乗じて進み、夜半城下に迫り日本軍と攻防戦となる。</div><div style="text-align:left;"><br></div><div style="text-align:left;">ドラマでは真昼間に正々堂々と攻めてきてました。</div><div style="text-align:left;">あれですか、「夜襲は卑怯」とかいう、大河・清盛でやってた孫子の例のアレでしょうかね。<br><br></div><div style="text-align:left;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">夜襲上等！の豊臣軍は、昼でも卑怯者でした↓<br></span><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/e6/e7/j/o0299022214592815850.jpg" alt="イメージ 4" class="alignLeft popup_img_299_222" style="" height="222" width="299">李舜臣率いる朝鮮水軍の、鉄砲だ大砲だの猛攻撃の最中、劣勢に立つ小西軍。<br>朝鮮軍捕虜を甲板に立たせ、楯にします。<div>自軍の兵、部下が楯になっている事を知り、人命第一の朝鮮海軍の攻撃が止みます。</div><div>「やったー、作戦成功だ！」と喜ぶ小西君の家臣。</div><div><br></div><div>と、ここで違和感。</div><div>こんな作戦とる武将、初めてみた。</div><div>まるでアメリカ映画で見るような人道的心理戦術だわね。</div><div>「人は石垣作戦」なら理解できるんだが。<br>意味違いますか？そうですか。<br></div><div><br></div><div>結局この作戦は、自国と李舜臣を敬愛する捕虜兵たちの自殺的行為で失敗するんですけど、こういう顛末って、日本のドラマやアニメでも見かけたりしますから、「ふーん」って感じです。<br>あれですよ、「何してるんだ。俺に構わず撃て！」ってヤツですよ。<br></div><div>作戦失敗して残念そうな小西君と、李舜臣の為に命を投げ出す勇敢な捕虜兵たちにうろたえる小西君家臣。</div><div>なんか小西軍、いい人じゃん…って、小西君、クリスチャンでした。<br></div><div><br></div><div style="color:rgb(0, 0, 255);">戦闘中俄に引潮となると、明水軍の唐船二十三隻（『宣祖実録』、李舜臣の『乱中日記』では沙船十九隻、號船二十餘隻）が浅瀬に座礁する。これを日本軍が炎上させた。</div><div style="color:rgb(0, 0, 255);">明兵に死傷及び捕虜となるものが甚だ多く出て、生還した者は百四十余名に過ぎなかった。</div><div style="color:rgb(0, 0, 255);">朝鮮水軍でも安骨万戸<a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A6%B9%E5%A3%BD&amp;action=edit&amp;redlink=1" class="new" title="禹壽（存在しないページ）">禹壽</a>が弾丸に撃たれる。</div><div style="color:rgb(0, 0, 255);">翌4日も明・朝鮮の水軍による攻撃は継続されたが、城の守りは堅く撃退された。</div><div><br></div><div>小西君、そうとう苦戦していたようでしたが、どうやら半日ほどで撃退した模様です。<br>ちなみに、<a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A6%B9%E5%A3%BD&amp;action=edit&amp;redlink=1" class="new" title="禹壽（存在しないページ）">禹壽</a>　さん、ドラマでもその最期は相当尺取ってました。<br>思わず伏見城で玉砕した鳥居元忠を思い浮かべてしまいました。<br>明海軍は大敗で差し支えなさそうですが、朝鮮海軍は明海軍大将（都督）・陳璘を救出するなど、決して負けませんでした。<br><br></div><span style="color:rgb(0, 0, 255);">このように3日、4日と水軍は海上からの攻撃を実施した。にもかかわらずこの間、劉綎の陸兵は動かなかった。これは満を持して行われた2日の総攻撃の損害が大きかったことと、東方で</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B3%97%E5%B7%9D%E5%80%AD%E5%9F%8E&amp;action=edit&amp;redlink=1" class="new" title="泗川倭城（存在しないページ）">泗川倭城</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">を攻撃した中路軍が島津軍に大敗を喫しており、その敗報が伝わっていた事情がある。<br></span><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/46/e6/j/o0289022014592815853.jpg" alt="イメージ 5" class="alignLeft popup_img_289_220" style="" height="220" width="289">他に、小西君の差し金で、賄賂もらっちゃった事情もあった模様です。<br>これはさもありなん。<br><span style="color:rgb(255, 0, 0);"><br>←赤い服着ているのが劉綎（明国陸軍）</span><br><span style="color:rgb(255, 0, 0);"><br></span>明の陸軍は、会合衆にいたとも言われる堺の豪商の息子・小西君に完全に買収されてます。<br>その才能、関ヶ原で発揮できなかったことが悔やまれます。<br><span style="color:rgb(255, 0, 0);"></span><span style="color:rgb(255, 0, 0);"><br>←中央の黒衣の坊さんは要時羅さん<br><br></span><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/62/92/j/o0230023114592815857.jpg" alt="イメージ 6" class="alignRight popup_img_230_231" style="" height="231" width="230"><br>ヨシラ？誰？<br>どういう人だがよくわかんないけど、実在する小西君の家臣だった模様。<br>交渉役の従軍僧か？<br>策士らしいけど…策士ってなに？<br>ドラマでは、いつも小西君の傍にいる重臣のようです。<br><br><span style="color:rgb(0, 0, 255);">順天への攻勢を退けた日本軍であったが、8月に秀吉が死去して以降、幼児の</span><a style="color:rgb(0, 0, 255);" target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E9%A0%BC" title="豊臣秀頼">豊臣秀頼</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">が後を継いだ豊臣政権では、大名間の権力をめぐる対立が顕在化し、政治情勢は不穏なものとなっており、もはや対外戦争を続ける状況にはなかった。</span><div><br style="color:rgb(0, 0, 255);"><span style="color:rgb(0, 0, 255);">そこでついに10月15日、秀吉の死は秘匿されたまま五大老による帰国命令が発令された。<br><br><span style="color:rgb(255, 0, 0);">↓フライング発言で、視聴者をびっくりさせる小西君</span><br></span><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/a2/8c/j/o0301031714592815861.jpg" alt="イメージ 7" class="alignLeft popup_img_301_317" style="" height="317" width="301"></div>日本へ帰国するまで内緒にされているはずの秀吉死亡の情報を入手している小西君。<br>そのうえ、帰国命令発令前（現在１０月４日）なのに、帰り支度に焦ってます。<br><br>さらに、この時点から関ヶ原参加の意思を表明。<br>三成喜ぶ、とんだフライング発言です。<br>ちなみに三成は、まだ奉行職を解かれてもいません。<br><br>それにしても、小西君の兜、なんともレトロ…。<br>江戸末期に流行った鎌倉時代モードでしょうか。<br>他の武将たちの兜のデザインも楽しみです。<br><br>さて、「不滅の李舜臣」、１話目のお話では、ここまでお勉強できました。<br>タイトルで「秀吉の唐入り①」としてますが、②があるかどうか未定です（①で疲れた…）<br><div><br></div><br>そうそう、「不滅の李舜臣」、今回ご案内の一話目のみなら、今なら無料で観れますよ<br><a target="_blank" style="color:rgb(0, 0, 255);" href="http://gyao.yahoo.co.jp/player/00005/v12086/v1000000000000001038/">不滅の李舜臣</a><span style="color:rgb(0, 0, 255);">　</span><br>暇と気力と興味のある方はどうぞ。<br><hr style="WIDTH:100%;HEIGHT:2px;">韓国の、感情の剥き出し方がいささか単細胞な戦国武将も新鮮ですが、<br>エレガントな戦国武将ってのも、なかなかオツでございます。<br>こちらは10分程度のミニドラマです。<br><br><a style="color:rgb(0, 0, 255);" href="http://www.youtube.com/watch?v=wcc30VZjWN8&amp;feature=related" target="_blank">ＢＢＣ版　関ヶ原の戦い</a><br><br>家康の人心掌握戦ってな視点なんで、家康の持ち上げ方や戦況に処々異論ありましょうが、まぁジェネラル家康って思えばいいんじゃね…？<br><br>「殿」は英語だと　my lordって言うんですね。<br>へー…(￣o￣)←それだけ覚えた<br><br>そりゃそうと、井伊様がやけにカッコいいんですけど…さすが国宝・彦根城主は扱いが違うな( ￣っ￣)むぅ<br><br></div></div></div>
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<pubDate>Thu, 21 Jun 2012 11:31:37 +0900</pubDate>
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<title>ここはひとつ、君に腹を切ってもらわないと困るのだ</title>
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<![CDATA[ <div style="text-align:center;"><font size="5"><span style="color:rgb(0, 0, 255);"></span></font><font size="5"><span style="color:rgb(0, 0, 255);">誰が</span></font><font size="5"><span style="color:rgb(0, 0, 255);">見たのだ？　語ったのだ？</span><br></font></div><div align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/37/fc/j/o0384028814592815831.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_384_288" style="" height="288" width="384"><br></div><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">今さら何を検証すれば、大谷吉継の切腹を立証できるのだ</span><br></div><br>関ヶ原関係ドラマでは、「必ず」の確立で登場する、<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E5%90%89%E7%B6%99">大谷吉継</a>切腹シーン。<br>小説でも、今のところ吉継は「必ず」切腹しておりますよ。<br>しかし手持ちの歴史本では、吉継の最期を「切腹」とはせず、「自害」「自刃」と記載してるものが多いっす。<br>とくに検証性の高い本では「切腹」ってな表現をしてないので、実際のところ吉継が腹掻っ捌いたかどうかは不明。<br><br>そもそも小早川はじめ東軍にボロボロにされてる大谷軍。<br>合戦現場から大谷陣跡まで約500ｍ足らず、大谷陣跡から吉継が自害したとも伝えられる墓まで300ｍ。<br>山中で道が悪いとは言え、いつ敵が追いつくか解らない近距離だけに、家臣と会話を交わしたりだの別れを偲んだりだの、ドラマみたいな悠長な事してらんないわね。<br><br>首は家臣が運び去り人知れず埋めたと伝えられているけど、そこいらに放り出されたままであろう吉継の首から下は、一体どこへいったのだ？<br>吉継の体についての記載は、まるで見当たらないぞ。<br><a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%A0%82%E9%AB%98%E5%88%91">藤堂高刑</a>は<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E6%B5%85%E4%BA%94%E5%8A%A9">湯浅五助</a>の忠臣ぶりに心打たれて吉継の首探しを諦めたそうだが、放置されているはずの首から下チェックくらいしなきゃ不味くないか？<br>死んだか逃げたか解らんじゃないか。<br>首も体も見つかってない<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B7%A6%E8%BF%91">島左近</a>には、ちゃんと生存説も存在してるぞ。<br>吉継が切腹という名誉ある自害をしたとするなら、歴史における首から下の扱いがずいぶんぞんざいだな。<br><br><br>さて、関ヶ原合戦の西軍大名で自害してるのは、大谷吉継くらいでしょうか。<br>みなさん、逃げるか討ち死にしてますな。<br>つか、合戦場なんだからそれが当たり前だと思うんだけどね。<br>病身ってところで退却も叶わず、敵前に首を晒されたくない吉継の自害はやむなしと心情的に思う。<br>それだけに、関ヶ原での西軍大敗を象徴するべく合戦中に自害する大谷吉継は、ドラマに欠かせないシーンだったりするのだろう。<br><br>まぁそんなわけで、ここは悲運の武将の華として、大谷吉継には、甲冑着たままでもできる頸動脈切断などではなく、あえて腹を出し、武士の誉れの切腹で盛り上げて戴きたい。<br>という、大人の娯楽（小説・ドラマ）のご都合のため、歴史検証が蔑ろになってるかもしれませんな。<br><br>とはいえ吉継の最期を切腹以外で演出されたら、大谷ファンとしてはこの上なく不快だったりもする。<br>もとい、死因検証を許さない程、名将の自害＝切腹　は、私、もとい日本人のフォークロアと申しますか。<br><hr style="width:100%;height:2px;">ＮＨＫ大河の清盛に出てきた<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%82%BA%E6%9C%9D">源為朝</a>　が、史上初の切腹武士というところから興味をもった切腹。<br>自分の腹を掻っ捌くという、衝撃度は絶大であるが、死に方としては効率的とはいえない自殺方法が、なぜ「潔い」だの「天晴れ」だの褒めそやされるようになったのか気になります。<br><br>だって、自分の腹、切り裂くんだぜ？<br>腸とか出てきちゃうんだぜ？<br>気色わるっ。<br><br>そもそも腹を裂いた位じゃ人は短時間で死ねないことぐらい、観た事なくても想像できるわ。<br>そんな死ぬまでに時間かかる変態的自傷行為のどこが「潔い」んだ。<br>ハンガーストライキくらい、意味がわからん。<br><br>補助手段として、腹掻っ捌いてから頸動脈切るとか、心臓や咽喉を突くとかありますけど、最初から首切ったり心臓突く方がよっぽど潔いじゃないか。<br>そんなに自分の腸が見たいのか？<br>変態め。<br><br>海外では、長く苦痛を与える事が出来、ヴィジュアル的インパクト絶大故に見せしめに用いられてきた腹裂きの刑。<br>これをわざわざ自分でやらかす神経がわからん。<br>現代日本でこんなことやったら、「ばっかじゃないの？」で葬られること間違いない。<br>それだけに、この自傷行為が英雄たる武士の美談に、牽いては武士道精神論にまで崇め奉られるようになる発端や経緯をぜひ知りたい。<br><br><a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9">うぃっき</a>はじめネットでは、どうにも情報が頼りない。<br>前述してますが、切腹関係の本はそれなりにあるようですが、殆どが絶版になっているありさま。<br>古本取り寄せするにしても、その本の学術的価値はいたって不透明。<br>絶版になる位なので、あまり期待できない内容なのかもしれない。<br><br>そんな訳で密林で手に入る適当そうな本をざっくり読んでみたのですが、解ったようなよく解らんような。<br>胸のつかえがとれたようなすっきり感がないだけに、頭の中も上手くまとまらず。<br>まぁ、ちょっと適当に「取りあえずまとめておこう」程度の状態ですが、記事にはしますo(￣＾￣)o<br><hr style="width:100%;height:2px;">同時に、ちょっと趣向の異なる韓国ドラマを見始めました。<br><a target="_blank" href="http://www.epcott.co.jp/isunsin/">不滅の<strong style="font-weight:normal;">李舜臣</strong></a><br><br>豊臣時代の<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9">朝鮮征伐</a>のお話です。<br>日本じゃまず映像化されない戦国時代ドラマですんで、お隣韓国のものでお勉強したいと思います。<br><br>近所のツタヤには置いてなかったんで、わざわざネットレンタルですよ(￣"￣;)<br>全104話、52巻。<br>月８本借りれるんで、見終わるのに半年以上かかるわよ。<br>先、長ぇ・・・。<br><br>切腹前に、次は、ちょっとこれがらみの記事。<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rin-desert/entry-12527325893.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Jun 2012 20:30:42 +0900</pubDate>
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<title>首実検場と、本日のみちゅなりくん</title>
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<![CDATA[ ヤギアイス食って程良く疲れも癒されたので、関ヶ原歴史民俗資料館のお向かいにある家康最後陣跡へ。<br><br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/37/5a/j/o0350026414592815803.jpg" alt="イメージ 1" class="alignLeft popup_img_350_264" width="350" height="264">広いです。<br>ブランコとかもある公園になってます。<br>どこの陣跡より、面積広くて開放的。<br>「家康公、扱い違うなー(￣-￣;)」って感じ？<br><br>私、家康君は、どうしても嫌いになれない武将でして。<br>息子の秀忠は大嫌いだけど。<br>三英傑（信長・秀吉・家康）って言えば、親近感感じるのはやっぱ家康かなぁと。<br>なんだかんだ言って、東京育ちのせいなんでしょうかね。<br>派手な信長だの秀吉だのは、どうも今一つ苦手っす。<br><br><div style="TEXT-ALIGN:right;"><span style="COLOR:rgb(255,0,0);">上写真右奥にある、床几場↓</span><br></div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/70/12/j/o0349026514592815806.jpg" alt="イメージ 2" class="alignRight popup_img_349_265" width="349" height="265">合戦指揮した場所兼<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E5%AE%9F%E6%A4%9C" target="_blank">首実検</a>場だそうで。<br><br>ここに湯浅君の首や、平塚君の首も持ってこられたんでしょうかね。<br><a href="http://blogs.yahoo.co.jp/rin_desert/35998006.html" target="_blank">ウォーランドの家康くん</a>が脳裏に浮かび、ちょっと感慨深いです。<br><br>当初、桃配山って所（毛利陣地にほど近い）に陣取ってたそうですが、合戦場からあまりに遠すぎるため、ここまで繰り出てきたそうな。<br>確かに桃配山じゃ、なんも見えんわ。<br><br><br>この時点で３時。<br>またもや昼飯食いそびれた。<br>相変わらずランチ難民です。<br>「飯食いに行くかー」って訳で車に乗ったんですが、三成陣跡近くを通りがかった。<br><br>渋るダンナを叱咤し、再度笹尾山へ～ヾ(〃^∇^)ﾉわぁい<br><br><font size="3"><span style="COLOR:rgb(255,0,127);">そんな訳で、本日のみちゅなりくんヽ(*⌒∇⌒*)ﾉ</span></font><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/ef/c5/j/o0298027414592815811.jpg" alt="イメージ 6" class="alignRight popup_img_298_274" width="298" height="274"><br><br>今日の笹尾山は、中腹の広場で<br>三成兵と井伊兵が合戦中だったり→<br><br><br><span style="COLOR:rgb(255,0,127);">(ﾉﾟοﾟ)ﾉ ｵｵｵｵｫｫｫｫｫｫ-</span><br style="COLOR:rgb(255,0,127);"><br><br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/d8/42/j/o0201037814592815814.jpg" alt="イメージ 5" class="alignLeft popup_img_201_378" width="201" height="378"><br><br><br><br><br><br><br>笹尾山フモトの左近陣跡で、<br>←左近（？）が観光客相手に抜刀指南してたり、<br><br><br><span style="COLOR:rgb(255,0,255);">ヽ(▽＾〃ヽ)ヽおおおー、かっこいい！</span><br><br><br><br><br>ヤギアイスの原料が草食ってたり　↓<br>（嘘。こいつ、オスでした）<br>してました。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/da/88/j/o0349026114592815819.jpg" alt="イメージ 3" class="alignRight popup_img_349_261" width="349" height="261">前回（ＧＷ中）に来た時は見かけなかった風景です。<br>立ち寄って正解。<br><br>足軽雑兵風石田隊と井伊隊の方は、どうやらガイドさんのようで、観光者からの質問にお答えされてました。<br>相方が、井伊隊ってのが憎いですね。<br><br>「写真撮らせてもらっていいですか？」と訊いたら、みなさん、快くポーズしてくれました。<br>ヽ(*⌒∇⌒*)ﾉ::･'ﾟ☆｡.::･'ﾟ★｡.::･'ﾟ☆｡ﾜｰｲ!!<br><br>ガイドさんに「小早川の陣まで行ってきたんですよ」なんて話したら、<br>「陣跡は、あの山の鉄塔あるところですよ。遠いでしょ？」なんて話になり、<br>ついでに気になってる「南宮山の毛利陣跡も、小早川陣跡位歩きますか？」と訪ねてみたら<br>「あっち（南宮山）はねー、関ヶ原じゃないのよ。隣町になっちゃうんだ」とのこと。<br><br>・・・なるほど、家康最初陣跡の桃配山は関ヶ原町だが、そのすぐ裏手・南宮山の毛利陣営は垂井町管轄なのか・・・(￣-￣;)<br>でた。行政区画割り。<br>毛利のことは、垂井町へ行け、か。<br>いやいや、そういうことは役所行くたびに目の当たりにするので、心得ておりますとも…。<br>言われてみりゃ、関ヶ原で手に入る陣跡ウォーキングパンフレットからも、南宮山はがっつり省かれてました。<br>そうですね、自治体間で越権行為はいけませんね・・・。<br><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B0%E7%9B%B8%E6%AE%BF%E3%81%AE%E7%A9%BA%E5%BC%81%E5%BD%93" target="_blank">南宮山で弁当食う</a>のは、また今度。<br><br><span style="COLOR:rgb(255,0,0);">笹尾山から裏へ抜ける道↓</span><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/05/30/j/o0343025714592815824.jpg" alt="イメージ 4" class="alignLeft popup_img_343_257" width="343" height="257">前回取り上げそこなったんですけど、三成陣跡展望台の裏手には風情ある抜け道があります。<br>ここを下ると、「<a href="http://www.kanko-sekigahara.jp/event/sasaoyama/index.html" target="_blank">笹尾山交流館</a>」なる休憩所があって、そこで<a href="http://www.kanko-sekigahara.jp/event/costume/index.html" target="_blank">甲冑体験</a>させてもらえるそう。<br><br>ふもとの左近陣跡で、左近らしき武将スタイルの人が足軽数名に剣術指南してましたけど、あれも甲冑体験コースの一つなのかしらん？<br>ちょっといいなぁと思ってしまった。<br><br>写真撮らせてもらえないかなぁ…とタイミング見ていたら、そばにいたスタッフと思しき方が気を利かせて声掛けくださり、左近（勝手に左近だと思ってる）も撮影させていただいちゃいました。<br>みなさん、親切～～ヾ(*⌒∇⌒)ﾉ　うほっ<br><br><br>笹尾山交流館の隣接施設は、「町で力入れてる産業」と売り子の<span style="TEXT-DECORATION:line-through;">おばちゃん</span>お姐さんに教えてもらったヤギ牧場があって、見学もできるみたいですね？<br>本日は、笹尾山駐車場手前の空き地に、ヤギが４頭ほどお迎えしていました。<br>ずいぶん人慣れしているようで、お触り自由です。<br>綺麗で、ふわふわ。かわいいです ヾ(≧∇≦*)〃<br><br><br>二度目の笹尾山でしたが、前回より楽しかった。<br>そんなわけで、今回も昼飯を食べそびれたまま、結構遊び呆けました。<br><br>またいずれ関ヶ原には遊びに来たいんですが（おススメ西軍ウォーキングコース歩いてないし）、<br>さすがに次はちょっと別のトコ行きたい。<br>次は、長浜か安土どっちにする？佐和山とか、姉川とか、シズガタケも捨てがたい・・・ってな協議中。<br>６月は月末まで遠出は難しそうだし、梅雨入りもしたことだし、雨天・長浜、晴天・安土かなぁ…。<br><br><br>・・・私はそろそろ切腹の段取りしたいし・・・_〆(´Д｀;<br>借りてきたチュモンＤＶＤもとっとと観てしまいたい←ちょっと飽きてる<br><br><br>それでは皆様、また適当な時にお目にかかりましょう　(｡･ω･｡)ﾉ　じゃね<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rin-desert/entry-12527325889.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Jun 2012 13:50:03 +0900</pubDate>
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<title>関ヶ原歴史民俗資料館…と、お土産</title>
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<![CDATA[ しまった、<a target="_blank" href="http://www.rekimin-sekigahara.jp/">歴史民俗資料館</a>の外観写真撮るの忘れた…。<br>さらにスキャナーの具合が悪く、パンフすらブログアップできません。<br>ショック・・・・・・((((＿ ＿|||))))<br><br>お詫びに<a target="_blank" href="http://www.youtube.com/watch?v=53nTqt91wgk&amp;feature=player_embedded">火縄銃の撃ち方の動画</a>をリンクしておこう。<br>名古屋には鉄砲隊ってのもいるのか…。<br>武将隊より気になります。<br><br>さて、民俗資料館の展示物は、ほとんどがレプリカではありますが、それはそれで見ていて楽しかった。<br>小早川陣営の鳥瞰図も楽しい。<br>なにせ、今行ってきたばかりの所ですから、あの山に、兵をどう配置してたのか確認できるのはいいですねぇ。<br>ちなみに<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%BA%E6%88%A6%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C2%E3%81%A4%E3%81%AB%E5%89%B2%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E7%A9%BA%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%90%88%E6%88%A6%E3%81%AE%E5%85%A8%E8%B2%8C-%E5%8F%8C%E8%91%89%E7%A4%BE%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF-CG%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-11/dp/4575450332/ref=sr_1_6?ie=UTF8&amp;qid=1339138443&amp;sr=8-6">関ヶ原関連のＣＧ絵本</a>にも、資料館と同じ松尾山の兵配置図がありました。<br>ブログアップしちゃってもいいかなー、とも思ったんですけど、スキャナー絶不調なんで、本買ってください。<br>このシリーズ、見てるだけで楽しいので好きです。<br><br>そうそう、資料館の話でした。<br>資料館２階の、島左近や大谷吉継の甲冑装束（もちろんイメージレプリカ）の展示も、<br>なんかマニアックっす(￣m￣* )<br>何気に関ヶ原気風は西軍贔屓…な気がする。<br><br>火縄銃ばかりに気を取られ、つい忘れがちな「大筒」の実物が観れたのは有難かったです。<br>徳川が小早川へ発砲したのは大筒ってな話もあり、「どんなでかい銃火器なんだろー」と思ってたけど、大筒とか言いながら思いのほか小さいんで拍子抜け。<br>ぽってりしたショットガンみたいです。<br>もっとカノン砲みたいな大型なのかと勘違いしてたので、勉強になりました。<br><br>せっかくなんで、展示物と同じようなタイプの<a target="_blank" href="http://www.youtube.com/watch?v=BLycJmev8UM&amp;feature=player_embedded">大筒の発砲動画</a>もどうぞ。<br>世の中には、いろんな鉄砲隊がいるんですねぇw(￣o￣)w ｵｵｰ!<br><br>三成は関ヶ原に大砲もっていっていた説とかあって（何の本で読んだか忘れてまった…）、小説（確か「群雲関ヶ原へ」）でも見たし、大河ドラマ天地人でも、確か三成は大砲ぶっ放してました。<br><a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%BA%E6%88%A6%E9%96%A2%E3%83%B6%E5%8E%9F%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8C2%E3%81%A4%E3%81%AB%E5%89%B2%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8F%B2%E4%B8%8A%E7%A9%BA%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%90%88%E6%88%A6%E3%81%AE%E5%85%A8%E8%B2%8C-%E5%8F%8C%E8%91%89%E7%A4%BE%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF-CG%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-11/dp/4575450332/ref=sr_1_6?ie=UTF8&amp;qid=1339138443&amp;sr=8-6">関ヶ原関連のＣＧ絵本（前述）</a>とか見ても、カノン砲みたいな大砲の絵はあるけど、発砲の記述には一切当たれず。<br>関ヶ原に大砲は本当にあったんだろうか…？<br>今後は、大筒と大砲に気を付けながら本とか読むように心がけよう…σ(￣、￣=)<br><br>さて、大筒がどんなんだか知ると、「徳川の砲撃にビビった小早川が東軍に寝返った」ってのがにわかに疑わしくなったりします。<br>なにせあの松尾山。<br>大筒の威力たるや、いかがなものなんでしょうかね。<br><br><br>さてさて、今回は、歴史民俗資料館でお土産買いました(≧ω≦)ｂ<div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">関ヶ原のＤＶＤと本のセット（関ヶ原限定販売）3800円・税別↓</span><br></div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/a3/4f/j/o0292030814592815795.jpg" alt="イメージ 1" class="alignRight popup_img_292_308" style="" height="308" width="292">堺屋太一と小和田哲男？<br>なんだか贅沢なＤＶＤです…w(ﾟoﾟ*)w<br>ここ（資料館）でしか買えないレアものです。<br><br>館内でも受付でお願いすればＤＶＤ見せてくれるそうですが、２時間以上かかるみたい。<br><br>ＤＶＤ手にして見ていると、<br>「それねー、本とＤＶＤのセット販売なのよー」<br>って、売り子のおばちゃん。<br>いや、それでも4000円程度なら許容範囲。<br><br>「堺屋太一と小和田哲男って、すごい豪華ですねー」って話を振ると、<br>「そうなのよ、小和田先生、関ヶ原大好きだから」と、小和田ネタで変な盛り上がりが始まる。<br>そんなわけで、今回はこのおばちゃんと１５分くらい与太話してました…ヾ(´ε｀*)ゝ毎度<br><br>「もうね、関ヶ原は、陣跡のほかに見るとこも特産もないからねー」ってな自治体の台所事情から、<br>「今ね、町の特産にしようと力いれてるヤギのアイスクリーム。よかったらたべてってねーヾ(´▽｀*)」<br>とおススメされたので、資料館隣のアイスクリームショップで食べてきましたヾ(〃^∇^)ﾉわぁい♪ <br>ジェラードっぽいあっさりしたアイスクリームで、夏でもさっぱり食べられそうで美味しかったです。<br>癖とか全然ないのね、ヤギ乳。<br>関ヶ原お立ち寄りの際は、是非ここでお金おとしたって下さい。<br><br><br>さて、おうち帰ってからさっそくＤＶＤ見たのですが、思った以上に面白かった。<br>30分のＮＨＫ歴史番組４本組みたいな濃さ。<br>合戦シミュレーションも解りやすいし。<br>凝ってますよ、これ。<br><br>メニューは<br>1.（関ヶ原）解説<br>2.豊臣政権株式会社の内実<br>3.巨いなる企て<br>4.関ヶ原の一日（三成編）<br>5.関ヶ原の一日（家康編）<br>6.「関ヶ原」への七〇〇日（年表）<br>7.関ヶ原百科大全<br>約152分と盛りだくさんです。<br>年表とか百科大全もみてたら、３時間はかかる。<br><br>一話目の「豊臣政権株式会社の内実」は、各大名禄高を持ち株に見立てた、株主勢力関係解説。<br>登場人物がスーツ、キャラ振りが会社役職ってのが、なんかやけに解りやすい。<br>「ハゲタカの劉さんですか(￣Д￣;)？」な三成のシルエットの格好よさに、バチが当たりそうだ。<br>やっぱり三成（社長室長兼企画室長・39歳）は、メガネかけたスマートなスーパーエリート社員設定でした。<br><br>武将を会社の役職で説明してキャラ付けするの、小説（<a target="_blank" href="http://www.amazon.co.jp/%E5%B7%A8%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%8B%E4%BC%81%E3%81%A6-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-193%E2%80%905-%E5%A0%BA%E5%B1%8B-%E5%A4%AA%E4%B8%80/dp/4167193051/ref=sr_1_2?ie=UTF8&amp;qid=1339258015&amp;sr=8-2">巨いなる企て</a>）でも見られる堺屋氏定番の解説手法なんですけど、小説以上に露骨にやっちゃってるよってな大胆な構成にびっくりした。<br>それを真剣に見ている自分に笑っちゃうっていうか(〃⌒∇⌒)ゞ<br>だんなはこの株式会社風人物紹介ドラマが解りやすかったみたいで、大変よろこんでました。<br><br>「巨いなる企て」読んだ方には、是非一度観ていただきたいですなぁ。<br>とくに宇喜多秀家！(ﾉ∇≦､)ﾉ彡☆うひゃぁ<br><br>関ヶ原当日の一日を追った編は、大人の日本昔話みたいな、これもまたコアな凝りよう。<br>絵は夜中一人で見たくない位ちょっと怖いし、お話もなかなかグロいです。<br>三成編・家康編とあり、両者の心象風景が伺えるというよくできたＤＶＤ絵本でした。<br><br>ほか史料集も見ごたえありますし（これはやっぱ本の方が見やすい）、買って損した気にならないですね。<br>関ヶ原でしか手に入らないってこともありますし、歴史ファンにはちょっとおススメしたいマニアックなお土産です。<br><br><br>さ、ヤギアイスもおいしかったし、お土産も買ったし、資料館お向かいの「家康最後陣跡」でも観てくるかー。<br>ってことで、まだ少しつづくm(__)m<br><br>
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<pubDate>Sun, 10 Jun 2012 01:42:42 +0900</pubDate>
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<title>小早川陣まで登ってみましたε=o(´ﾛ｀||)ｾﾞｲｾﾞｲ</title>
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<![CDATA[ 先日の土曜日、再度関ヶ原へ行って参りました∠(￣◇￣)<br>ダンナの希望で小早川陣跡と、前回行きそこなった歴史民俗資料館は絶対押さえたい。<br>と言う訳で、<span style="color:rgb(255, 0, 0);">リトライ関ヶ原・その1</span>　っす。<br>その1って、ええ、私、また関ヶ原へ行く気満々です　(￣Д￣)ﾉ ｵｳｯ<br><br><span style="color:rgb(255, 0, 0);">小早川くんとこ行く前に、通りがかったから寄った、福島正則陣跡↓</span><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/e3/8d/j/o0340025314592815760.jpg" alt="イメージ 1" class="alignLeft popup_img_340_253" style="" height="253" width="340">予定には入ってなかったんですが、小早川陣跡の途中にあったのと、福島正則って、実は地元のご城主様だったってこともあって、素通りも失礼かと。<br><br>出生地もすぐ隣の市らしいし、縁と所縁はあるんですけど、地元での認知度は酷く低い武将だったりします。<br>つか、知ってる人いるんだろうか？<br>知ってるが蓋をしているんだろうか？<br>ここいらのじいちゃんたちから、名前出た事ないと思うぞ？<br>戦国無双では、加藤清正と一緒にレギュに格上げされたんだが…。<br><br>愛知県のあま市には、明治まで「正則村」という村もあったので、もしかしたらそこが出生地だったのかもしれないですな。<br>無双で遊んでるあま市民（つか、旧美和町民）は、ご存じなんだろうか。<br><br>ちなみに正則君は、秀吉子飼いの家臣で、賤ケ岳では一番槍で活躍した好戦的な猛将でした。<br>三成君とは相性がめちゃくちゃ悪かったような説が有力でして、もちろん関ヶ原では「アンチ三成」の東軍でした。<br>どうやら近江人気質と尾張人気質は、相容れないモノがあったようですねぇ。<br>なんかちょっと解るような気がします・・・(￣∇￣;) ｱﾊﾊﾊ<br><br>そうそう、尾張に誇りを持っているご高齢者の中には、三河にも露骨にヤな反応される方が結構います。<br>尾張人のくせに三河人（家康）の腰巾着に率先してなり下がった正則君は、その時点で地元からスポイルされる運命だったのかもしれません。<br>尾張地方、現代になっても、なかなか面倒な空気が漂っておりますよ…。<br>かなり慣れたけどね。<br><br>まぁ、なんかそんな感じで、地元民からなんだか理不尽な扱いされている気がしますが、そういう武将がおりましたよ、と…。<br><br>さて、無駄話が長引いてしまった。<br>樹齢800年の大木を拝んで、関ヶ原第三の男、小早川くんとこへ行ってみよう♪(*￣∇￣)/<br><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">松尾山（小早川陣）の入り口↓</span><br></div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/b8/5c/j/o0352026614592815763.jpg" alt="イメージ 2" class="alignRight popup_img_352_266" style="" height="266" width="352">小早川君の陣取った松尾山の入口駐車場には、「杖を使ってお登りください」の看板。<br>何気に杖を使うことを強要されてる。<br>厭な予感がするので、素直に杖をお借りした。<br><br>こんな感じのいい雰囲気の自然歩道が延々とつづきます。<br>そう、延々と、延々と、延々と…。<br><br>入口にも書いてありましたが、陣跡まで40分間、延々と結構な上り坂が続きます。<br><br><br><span style="color:rgb(255, 0, 0);">徒歩20分辺りの風景↓</span><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/04/e2/j/o0355026714592815768.jpg" alt="イメージ 3" class="alignLeft popup_img_355_267" style="" height="267" width="355"><br>20分位歩くと、やっと関ヶ原の風景が望める所へたどり着きました。<br>下界がとても遠くて、見晴らしがいいとは言えません。<br><br>いったいどこに陣跡があるんだ、こんな山、武装して登りたくねぇ…杖持ってきて正解だった。<br>「小早川め、ぜってぇ赦せねぇ」ってな気分になること請け合いです。<br><br>もう汗だくだくです。<br>水筒とタオルは忘れずに用意してから登りましょう。<br><br><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">↓徒歩30分辺りの風景</span><br></div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/f6/09/j/o0252033814592815770.jpg" alt="イメージ 4" class="alignRight popup_img_252_338" style="" height="338" width="252">文句垂れながら30分程登ると、やっと陣旗が見えました。<br>ラストスパートの崖があります。<br>結構な傾斜角で、ここを登るのも降りるのも大変そう。<br><br>それもそのはず。<br>↓ここ松尾山は、松尾山城・山城の跡地でした<br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/a0/ff/j/o0797060214592815773.jpg" alt="イメージ 5" class="alignLeft popup_img_797_602" style="" height="76" width="100"><span style="color:rgb(0, 0, 255);">←↓※クリックすると大きくなります。</span><br><br>自然歩道には、一部石垣が残ってて、↓確かに山城だった面影が伺えました。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/eb/5e/j/o0507067614592815778.jpg" alt="イメージ 6" class="alignLeft popup_img_507_676" style="" height="133" width="100">この崖地も、もしかしたらその昔は石垣で覆われていたかもしれませんな。<br><br>自然歩道の脇には、侵入禁止の道もあり、昔の道なのか、さらに険しい獣道でした。<br>この狭くて険しい山道を、昔の人は忙しなく登り降りしていたんでしょうか。<br>地獄です・・・。<br><br style="color:rgb(255, 0, 0);"><span style="color:rgb(255, 0, 0);">小早川陣跡からの関ヶ原の眺め↓</span><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/b9/95/j/o0354025914592815781.jpg" alt="イメージ 7" class="alignLeft popup_img_354_259" style="" height="259" width="354">曇っていて視界が悪かったってことはあるにしても、三成陣跡（笹尾山）からとは比べようもない位、関ヶ原が遠い。<br>これじゃ下でなにがどうなってるのか、よくわかんないわ。<br>徳川に砲弾撃ち込まれて、やっと今の戦況が理解できたと言っても、別におかしなことじゃない気がするよ。<br><br>どのくらい遠いかって、このくらい↓<br><div style="text-align:right;"><span style="color:rgb(0, 0, 255);">※クリックすると大きくなります</span><br></div><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/21/21/j/o0875053914592815787.jpg" alt="イメージ 8" class="alignRight popup_img_875_539" style="" height="92" width="150"><br><br><br><br><br>山頂から采配振るうのは、まず無理じゃないの？<br>下まで遠すぎる。<br>伝達にも時間かかりそう。<br>そういうわけで、ここにいる時点で、やはり小早川秀秋本人は戦力外大将だったことが解りました(￣∇￣;) <br>まぁ、17～8歳じゃ、どうしたって今も昔も若造だ。<br>それよりも、小早川家臣団が徳川派と三成派に分裂して、すったもんだしていたと妄想ふくらます方が楽しい。<br>そういう小説あったとしても、小早川ネタじゃ多分読まないかもしれないけど…。<br><br>関ヶ原における寝返り組筆頭・小早川くんのお話は、まぁ、放っておくにして（どうであれ、やっぱり気分が悪い）<br>小早川陣跡は結構広くて静かです。<br>見晴らしは笹尾山の三成陣跡には劣ってしまいますが、<br>木のテーブルとベンチがあって、休息するにも、お弁当するにも適してます。<br>人出もそう多くなく（入口でＵターンしてしまう人が多いようだ。なにせ40分）、<br>静かでのんびりした雰囲気がいいですよ。<br>私が行った時には、お弁当食べている人もいました。<br><br>そんな訳で、ちょっとした遠足気分を満喫できるおススメスポットではありますが、大人になると、ここに来るまでが結構しんどいです。<br>運動不足を自覚されている方は、ちょっと有酸素運動しといた方がよさそう・・・。<br>我が家では、私よりダンナの運動不足の方が深刻なことがわかりましたm(__)m<br><br>さて、小早川陣跡を下り（帰りはサクサク帰れる。が、途中、やっぱり蛇に遭遇した）、資料館へ～(o^∇^o)ﾉ<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rin-desert/entry-12527325873.html</link>
<pubDate>Tue, 05 Jun 2012 02:08:56 +0900</pubDate>
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<title>切腹より気になった三国志・陸遜の死因</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/63/5a/j/o0493037014592815751.jpg" alt="イメージ 1" class="popup_img_493_370" style="" height="370" width="493"></div><br>切腹ネタに先駆け、↑の落書きしてたんですけど、各人死因を調べていたら陸遜の死因で筆が止まる。<br>憤死って…。<br><br>いやいや、憤死、だいたいのニュアンスは解ります。<br>そんな直接的な死因、今時の常識で考えたらありえず、「激しい怒りのうちに死ぬこと」と辞書にも出てきます。<br>心臓疾患とか、脳卒中とか、なんか持病あったんでしょうかね。<br>突発的な怒り（というか屈辱？）が心頭した時、確かに頭の状態が「やばい」って状態になったことあります。<br>そろそろ内臓にも自信がなくなるお年頃ですし、あまり頭に血が上るような目には会いたくないものです。<br><br>三国志のドラマ見ると、憤死するシーン、出てきてました。<br>印象的だった憤死の人と言えば、官渡の戦いで曹操に敗れた袁紹とか、北伐に来た諸葛亮に言葉戦いでいいように罵られた王朗とか。<br>両者とも景気よく血を吐いて死んでました。<br>そういえば周瑜も憤死だった！　諸葛亮に激怒して血吐いてたっ！！o(*'o'*)o<br>二人も憤死させるとは…やるな、孔明…Σ(￣ロ￣lll)　<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190919/14/rin-desert/b6/23/j/o0320024014592815754.jpg" alt="イメージ 2" class="alignLeft popup_img_320_240" style="" height="240" width="320">この流れで行くと、当然陸遜も「血吐いて死ぬ」ってところでしょうか…(￣ω￣;)<br><br>そうだな、中国人、血吐いて死ぬの好きだから、きっと血吐いてるな。<br>きっと中国では、憤死＝血を吐くのメタファーを崩せないほど出来上がってる常識なのだな。<br><br><br>さて、日本で「憤死」って聞かないと思っていたんですけど、思いのほか結構いるみたいですねぇ？<br>公家さんに多いようです。<br>清盛でも出てきてる崇徳天皇も、憤死者に分類されてるようです。<br>崇徳天皇なんて、その後怨霊説まで広く出回ってますので、その激昂の仕方や日本でも類まれな強いものなんでしょうな。<br><br>今後の大河ドラマでの、崇徳天皇の追い込められ方や恨み辛みの強さを鑑賞するってのもありかもしれんな。<br>中国の憤死と日本の憤死の演出文化の違いを知るのも悪くないっす。<br>なにせ後白河が恐れる程、強い怨念を残して亡くなるわけですから、ドラマ的には彼の死に様は見せ場にもなる所でありますが、あのＮＨＫが崇徳にそこまで強い個性を演出させることができるか、はなはだ期待できません。<br><br><br>さて、お取り寄せ中だった切腹本も届きました。<br>明日から細々と読み進めようと思います。<br>数少ない日本固有文化とも言える切腹ですが、意外と一般に出回ってる研究書って少ないみたいですね？<br>びっくりです。<br><br><br>切腹の前に、本日、ちょっと関ヶ原へリトライしてまいりました。<br>せっかくなんでそっちの記事からやっつけたいのですが、やっぱりちびどもを加えないと気が済まない性分。<br>しばらくまったりと遊びたいと思います。<br><br>ではっヽ(￣▽￣)ﾉ
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<link>https://ameblo.jp/rin-desert/entry-12527325865.html</link>
<pubDate>Sun, 03 Jun 2012 00:15:53 +0900</pubDate>
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