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<title>風俗について語るときに我々が語ること。</title>
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<description>風俗にかかわる実証実験による、自己探求と幾ばくかの考察</description>
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<title>私について</title>
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<![CDATA[ はじめまして。<br>コンサルタントの末端に名前を連ねている。<br><br>人は風俗に行く。日々のストレスを晴らすため、癒しを得るため、一時の恋愛を求めて。<br>いろいろ理由はあるだろう。<br>私がそうする理由も書くことによって、露見するだろう。<br>露見することによって、私の「私」に対する理解が深まるかもしれない。<br><br><br>思えば、私の人生は、風俗とともにあった。<br>いや、そんなことは無いのだが、風俗に行くということはあまりおおっぴらに語れることではない。<br>もちろん、人による。<br>おおっぴらに語ることができる人もいる。<br>公私へだてない人もいる。<br><br>確かに、私も友人のいくらかにはそのような話をする。<br>しかしながら、つまびらやかにそういった話をするかというと、そうではない。<br><br>語られない自己と語られている自己に、自然と分断が生じる。<br>それは風俗に限ったことではない。<br>人が生きるということはそういうことだ。<br><br>しかし、語られない自己が、抑圧されている自己なのであれば、我々は語る必要がある。<br>それは、誰かに伝えるためではなく、吐き出すために語られなければならない。<br>もし、誰かに伝える必要があるとするならば、届ける必要があるならば、それは我々の耳にだ。<br><br>我々は、人生をかけた問わず語りをしているようなものだ。<br>
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<pubDate>Fri, 31 Oct 2014 23:39:35 +0900</pubDate>
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