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<title>りんごのブログ</title>
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<description>～起業を目指す大学4年生の熱い日々～</description>
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<title>ただの愚痴です</title>
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<![CDATA[ <p>ここ最近実家に帰ることが多いいのですが、やはり実家は落ち付かないというか、居心地が悪いです。</p><p>理由は親の不仲です。毎晩毎晩いや、毎分毎分口論を繰り広げます。</p><p>本日も相変わらず・・・</p><br><p>本当にどうでもいいようなことですぐに口論になります。私が小学生の時ぐらいからそんなこんなが続いているのに未だに離婚しないのが不思議でなりません。</p><p>年に一度は姉（私は兄弟）といつ親が離婚するかを話し合うほどです。</p><br><p>この年になると（まだまだ若ぞうですが）はっきりいってどちらでもいいですが、口論する姿を見ると「離婚すれば？」といつも思います。</p><br><p>本人同士はどう考えているんでしょうかね。「子供のため」とか言って離婚しないなどほざいた日にゃ</p><p>ふざけるなと言いたい!！と姉と笑って話してます＾＾</p><br><p>ああ。2日連続の親の愚痴を綴ってしまいました。別に病んでいるわけではないですがかなりのストレスになっているのは間違いないですね。親不孝者のいい例です＾＾</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/rinngo712/entry-11090172984.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Nov 2011 21:57:09 +0900</pubDate>
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<title>激闘</title>
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<![CDATA[ 昨日久しぶりに実家に帰り母と私の就活の話で少し口喧嘩をしました。<br>「旅館に就職しようと考えてる」<br>その言葉を聞いた母は「何で大学を出てまでそんなとこに就職なんかするの？」<br>と強い口調で言い放ちました。<br>その質問のしかたに私はぶん殴ってやろうかと思うほど（親不孝ものです）カッときましたがぐっと堪えて母の言い分を聞くことに。<br>しかし理由を聞いても私は納得しません。子どものことを大切に思う気持ちは伝わりますし<br>そのことに感謝は多いにしています。がたとえ親と言えど子の意志を否定することは出来ないのではないでしょうか。<br><br>私たちの時代は生まれた時から生きることには何不自由なくモノも環境も整っていました。<br>ほとんどの人（子ども）はそこまで大きな苦労はしてこなかった（個人差はあると思いますが）でしょう。<br>しかし、不自由なく。が自由であるかと言われるとそうではありません。私たちは親たちによって舗装された道を歩かされていたにすぎないのです。あたかも自分の意志で歩いているかのように。<br>長い間そのことに気づかずにいました。それもそうです。舗装された道は綺麗です。でこぼこでもないし<br>砂利道でもありません。そのような綺麗な道ではつまずくこともなければ、転んで怪我をすることもありません。そんな道の上を歩いていれば何も問題は起こらないのです。そして道に迷うこともありません。<br>そんな生き方、生かされ方を私たちはしてきました。<br><br>親にとって子どもはいくつになっても子どもです。それは間違いないでしょう。<br>しかし今までの通りに親に先導された道を歩きたいかと言うと答えはノーです（就活において）。<br>子どもであろうとも自分の歩く道は自分で決めます。自分で決めたいのです。<br>そうは言っても今まで自分の意志で歩いたことはないので歩き方を知りません。道の選び方、見つけ方を知りません。どうすればいいのかわかりません。迷います。もしかしたら迷い方も知らないという状況かもしれません。<br>だからまた誰かによって舗装された道を探し、その上を行こうとする。（意図的に乗せられると言った方が正確かもしれませんが）<br><br>そうする内に私たちは『考える力』をなくします。他者から与えられたものを自分の考え。と錯覚してしまっているからです。そこには「本当の自分の考え」は存在しません。<br>しかしその「本当の自分の考え」がない状態を気づき、悩み、不安に感じている人は多くいます。<br>そういった人たちは時にその悩みや不安を解消するために（本当の自分をつかむために）「資格」を武装しようと必死になって勉強します（資格をとることを否定している訳ではありません）。そしてその勉強している自分を「本当の自分」と感じ突き進んで行きます。<br>一方でそのやり方に違和感を感じている人もいます。その人は違ったアプローチ方法で「本当の自分の考え」を探ろうとします。しかしこのやり方は他者から見えにくいものです。特に前者から見たら何もやっていない姿かのように見えるのでしょう。だから「お前も資格をとれ」などと訳のわからないことを口にします。「なぜそれをとる必要があるのか」と聞いても「 それで仕事が出来る」としか答えない（資格が何も役に立たないと言っているのではありません）。しかし後者はそんなことはどうだっていいんです。知りたいのは自分が何を考えているのか。です。そこをつかめないでいるから苦しんでいるのです。<br>そこで私たちが求めているのはアドバイス（舗装された道）なんかではありません。「共に悩んでくれる」ことを求め、そこから自分の力で自分をつかんでいきたいのです。<br><br>我が子、大切な人を思う気持ちは痛いほど伝わってきます。しかし私はそんな人たちの作品でもなければロボットでもありません。一人の人なのです。自分の意志で歩きたいのです。失敗してもいい。痛い思いをしてもいいんです。それらを経験しないことが幸せな人生ではないのです。沢山の生傷をつけながらも自分の道を歩んでいきたいんです。<br><br><br>なんか長々と叫んでしまいましたが、まぁいいのです。無視しておけば。気持ちだけは受け取りますが。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rinngo712/entry-11089664476.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Nov 2011 00:48:46 +0900</pubDate>
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<title>点</title>
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<![CDATA[ 先週の話です。<br><br>実践的な経営塾、ふくおかビジネスアカデミーに特別講師の方がお越しくだり、『働き方』をテーマに貴重なお話をしていただきした。<br><br>仕事とは何か？<br>何のために働くのか？<br>そもそも働くとはなにか？<br><br>まだアルバイト経験しかなく働くこととは何かつかむことがなかなか難しい我等学生にも、大変イメージしやすいように話してくださいました。<br>また講師×学生との対談も気づきの多い場となりました。<br><br>今回のこの学びの場で私が一番『掴んだ！』と感じたことは自分の成長の定点観測点(以前大学教授から言われたこと)とはこれか、ということです。<br><br>今まで私には自分がどの段階でどういった成長を遂げたのかが全く見えていませんでした(成長しているのかも疑わしい)。<br>それは過去の自分と今の自分とで比べられる正確なモノ(点)がなかったからです。正確にはその点が何なのかがわかっていませんでした。<br><br>しかし今回、講師の方からの問いがきっかけでその点(らしきモノ)を<br>掴んだと思っています。<br><br>それは『なぜ？』という問いでした。<br>ある私の日常生活の中のでの行動に対してその問いは投げかけられました。通常、このような問いには～だから。という回答の仕方をしますよね。私もそのとき～だから。と答えました。<br><br>ここです。ここで私はおかしな点に気づいたんです(話が急ですよね汗)。<br>何でもいいですがイメージしてください。例えばこんな質問にどう答えますか。<br><br>あなたはなぜ彼(彼女)と付き合っているの？<br><br>A1,相手のことが好きだから。<br>A2,相手が自分のことを好きだから。<br><br>どちらの回答がしっくりきますか。<br>私は前者の方がすっと入ってきます。<br>それはなぜでしょうか。<br>理由は起点の違いです。<br>前者は自分が起点となり付き合う選択をしています。自分が相手を好きだから、と。しかし後者は相手がその選択の起点となっています。<br>この場合付き合っているという現状の起点(原因)は相手にあるんです。自分の意志ではないように思われます。<br><br>話を戻します。<br>先に述べた、講師の方からの質問もこれに似た質問でした。<br>それに対しての私の回答は後者のようなものでした。<br><br>すぐさま私はその自分の回答に対して違和感を感じなぜそのような言葉を発したのか考えました。<br>その答えは先に述べた通りです。<br>そのには自分の意志で動いてると思い込みながらも実はそうではない、自分の意志で動くことから逃げていた自分がいました。<br>しかしすぐさま修正です。<br><br><br>この気づきこそが私は点であると感じています。小さな気づきかもしれないけれども、確実にこの点は私の心に刻まれここにも残すことができています。こういった小さな点を積み重ね、一つ一つの点と点を繋ぐことができたら何か大切なものが見えてくるのだと思います。<br><br>そしてその点は他者との関わりの中、自分との関わりの中で気づいていくものではないでしょうか。<br><br>Android携帯からの投稿
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<link>https://ameblo.jp/rinngo712/entry-11088390518.html</link>
<pubDate>Thu, 24 Nov 2011 22:14:00 +0900</pubDate>
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<title>ふくおかビジネスアカデミー</title>
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<![CDATA[ 約一週間前に笑売の達人こと吉住氏による、我ら学生のための学びの場<br>「ふくおかビジネスアカデミー」が開催されました。(詳細は"笑売の達人"を検索して下さい)<br><br>今回のテーマは「逆転の発想」。その内容を綴っていこうと思ったのですが、<br>今回は以前吉住氏が自身のブログで記した「集客するために必要なのは経営学だけではない」<br>と「私たちがこのふくおかビジネスアカデミーで学ぶことについて」を合わせて考えていこうと思います。<br><br><br>吉住氏は「集客するために必要なのは経営学だけではない」、「テクニックやノウハウ等の知識を得るだけでは不十分」と述べています。このテクニックやノウハウの中に経営学も含まれるのでしょう。<br>つづけて吉住氏は上記のモノを獲得する前に「自分の土台」の形成が必要だと説いています。<br>「自分の土台」とはその人の意志や思考、生き方などを言います。これらを明確に、鮮明に形成されなければ集客するには難しいというのです。<br>  なぜ事業をしたいのか、どんな人にどんなモノ・サービスを提供したいのか・・・<br>深く深く、何度も何度も自問自答を繰り返して「自分の土台」を見つけていかなくてはなりません。<br><br>  ではなぜテクニックやノウハウ等の知識だけでは不十分なのでしょうか。<br>それはテクニックやノウハウは手段であって、目的にはならないからです。<br>また、集客したい。というのも目的にはなりません。集客はあくまで結果でしかありません。<br>なぜ集客しなくてはならないのか。<br>儲けたいから、儲けなくてはならない状況だからというような身勝手なものももちろん目的ともいえません。<br>  また、テクニックなどの知識ばかりを経営の要素として並べてもそれら同士が深く結びつくことがなければストーリーとして面白くないものになってしまいます。<br>いくらモノがよくても面白くないストーリーからは質のいいサービス・感動はうまれにくいと私は思います。現在はモノがいい、だけで売れる時代ではないのです。<br><br>  ではいったいどうしたら経営はうまくいくのでしょうか。<br>その問を私たちは常に持ち、テクニック等の手段ではない「何か」を自身の思考や価値観、意志<br>などを要素レベルで掘り進めながら答を導き出すことに挑戦しています。<br>それが「ふくおかビジネスアカデミー」での学びのスタイルです(だと考えています)。<br><br>  <br>
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<link>https://ameblo.jp/rinngo712/entry-11053241958.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Oct 2011 20:59:22 +0900</pubDate>
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<title>自分に必要な力とは...</title>
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<![CDATA[ 最近自分を表現する機会が増え何だか楽しい日々を過ごしています。<br>文章を書いたり、人と話をしたり。そんな場が少しずつ増えてきています。<br>特に今は文章を書くことが多くなってきています(ブログはなかなか更新してないが^^;)。<br><br>以前までは文章一つ書くのにも1、2時間、長い時には3時間ほどかかり、<br>この作業をなかなか好きになれませんでした。<br><br>しかし今ではほんの少しですが以前よりスムーズに文章を書くことができるようになってきました。<br>またそのことで書くこと、表現することの楽しみも感じることできるようになり、<br>次は何を書こうか。と意欲的に文章を書くようになりました。<br><br>今後、これを習慣化していけばまた更に文章を書く力がつき論理的にモノごとを考える力<br>が養われると思います。<br>以前から私が意識している「発想の転換」とはもしかしたらこの論理的思考を<br>鍛えることで得られる力なのではないかと密かに思っています。<br><br>そう考えると、今まで以上にペースを上げて文章を書くことに力を入れていこうと思ったり次第であります。
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<link>https://ameblo.jp/rinngo712/entry-11040289755.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Oct 2011 22:42:52 +0900</pubDate>
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<title>ハウステンボスに行って来ました。</title>
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<![CDATA[ 先日、某旅行会社の学生限定格安ツアーに友人と行って来ました。<br>何と1,000円でハウステンボスを満喫できるという学生には嬉しい企画。<br>新たな商品を模索中なのかモニターツアーとのことだった。<br>ツアー終了後にアンケートを書くことが義務付けられていたこともあり<br>ただ楽しむだけではなく色々なところに目を付けながら園内を回りました。<br><br>園内に入り早速私たちは宝探しゲーム(有料)の案内を受け、楽しそうだったので<br>料金を支払いそのゲームを体験してみました。<br>この宝探しゲームは、暗号の書かれたカードを解きながら<br>園内に隠されたメッセージを探すというもので、難易度が初・中・上・最上級と<br>４つのレベルが用意されていました。私たちはその中級を選択し挑戦しました。<br>この中級はだいたい1時間ほどでクリアできるという目安がありました。<br>しかし、私たちにはいささか難しく約5時間(寄り道をしながらではあるが)もかかりました。<br>なかなか暗号のの示すものがわからず苦労しましたが、十分楽しめました。<br><br>宝探しゲームをしながら思ったことなのですが、ハウステンボスは何が楽しめる場所なのだろう<br>と疑問に感じました。確かに宝探しゲームは楽しめました。しかしそれはハウステンボスだけでしか<br>体験できない楽しみなのでしょうか。そもそもハウステンボス(オランダ)とどういう繋がりがあるのだろうか。まだ疑問はあります。なぜハウステンボスでONE PIECEのイベントがあるのでしょうか。<br>ハウステンボスとどういう繋がりが………<br>私はハウステンボスと言えばオランダの街並みが再現され「オランダに来やぞ」という体験が出来るものと思っていました(実はハウステンボスに行ったのは今回が初めて)。<br>しかし実際はONE PIECEのイベントが全面に押し出されているまでは言いませんが<br>それに近いものを感じ、オランダっぽさを体験できたかというとそうでもありませんでした。<br>そもそもオランダっぽさが何かわかりませんが^^;<br><br>今回は格安ツアーであったためハウステンボスまで行きましたが、<br>次回、正規の料金で行こうとは思いませんでした。<br>なぜなら単純に、そのお金を使うなら他のことに使おうと思うからです。<br>その他の同じ金額でいける観光地に行ったり、街で買い物をした方が楽しめると<br>思うからわざわざまた長崎まで行こうとはしないと思います。<br>また格安で行けるなら行くとはおもいますが(*^^*)<br><br>そんなことを偉そうにアンケートにだらだらと書いたのですが<br>ハウステンボスに期待をしているからこそ素直に書かせていただきました。<br>今後のハウステンボスに期待です。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rinngo712/entry-11026514138.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Sep 2011 00:12:22 +0900</pubDate>
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<title>リアルな自分</title>
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<![CDATA[ 先日ふくおかビジネスアカデミー(内容は笑売の達人を参照してください)の勉強会が行われました。<br>夏休みに行われたのは今回が2回目。<br>前回は想像力を働かせ、考えるワークが中心となりました。そこでは抽象的な内容になり(実際は<br>具体的な例を出していただいていたが)府に落とすことが出来ませんでした。<br>なぜ抽象的(具体的な例を出されながらも)な内容を府に落とすことができなかったのか。<br>それは話の概要をつかめずにいたからではないのかな。と今は考えています。<br>話の中で出てくる単語ばかりに気を取られ、話全体を一歩引いたところから見よう(つかもう)としなかったことが問題だったのかもしれません。<br>ではこの問題(この問題提起が正しいかそうではいかはおいておく。あくまでも仮説にすぎないからだ)を解決するにはどうしたらよいのでしょうか。<br>私の考えはこうだ。話を「聞く」姿勢から「探る」姿勢へと変えることが大切だと思う。<br>なぜならそういった姿勢で勉強会に挑むことでまず頭を働かせる状態をつくることが出来るからである。<br>「探る」とは論点(話し手の)を考えることに繋がる。しかししばしば私はこの論点を無視することがある(意図的ではない)。そうすると話し手と聞き手の間にギャップが生じてしまう。<br>話し手と聞き手の論点にギャップが生じると、話は思わぬ方向に進んだり、話し手の伝えたいことと、聞き手に伝わることとがずれてしまう。これを解消することが先の問題解決に繋がる一つの方法だと今のところ考えている。しかしそれを具体的にどのようにして解消(論点を探っていく)していくかがわかっていないことが問題なのかもしれない。<br>しかしそうだとしても焦ることもない。なぜならそれを今まさにふくおかビジネスアカデミーで学んでいるからだ。<br><br>前回の話が長くなってしまったが今回の話に戻そうと思います。<br>今回の勉強会は前回のとは違いケーススタディでした。<br>とあるNPOの代表を務める女性の事業の状況に関するインタビューを聞き、その問題点を探るということをしました。<br>その女性は障害者を雇用し小規模なレストランを経営していて、なかなか思うように売上を伸ばせずにいるそうです。ざっと、ではありますが事業内容、経緯、現状の話を聞きましたが、うまくいかないのはある意味当然。という感じを受けました。なぜなら、なぜその事業をするのかが見えにくかったからです。<br>事業を行う上でこのなぜ。を明確かつ深く考えなければ事業を継続することは難しいでしょう。<br><br>さて、今回のワークで感じたことは「なぜ」の大切さと難しさです。事業を行う上でも、生きて行く上でもこの「なぜ」を追求していくことは必要だと思います。それは自分を知ること、他者を知ること、社会を知ることに繋がると思うからです。<br>ただそれは一朝一夕で身につくものではないと実感しています。毎日毎日、何度も何度も繰り返し鍛えなければいざという時、自分が望む時に発揮されません。<br><br>私はこのふくおかビジネスアカデミーという学びの場でそういった思考力を鍛えることを目指しています。興味がある方はどうぞご参加ください。<br>
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<link>https://ameblo.jp/rinngo712/entry-11014512497.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Sep 2011 01:00:23 +0900</pubDate>
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<title>何のための大学？</title>
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<![CDATA[ 大学生(私も含め)は期末試験を何のために受けているのだろう。<br>おそらく皆、単位取得のために受けている。と答えるだろう。<br>何のために単位を取得するのかという問いには、<br>卒業するためだと言うだろう。<br><br>そういった人達は何のために大学に通い講義を受け勉強しているのだろう。<br>なぜ高い学費を払ってまで大学に来ているのか。<br><br>高学歴社会だから大卒というブランドはもっておきたい。<br>やりたい仕事は大卒でないとできない。<br>やりたいことを見つけるためetc...<br><br>決してそう答える人たちが間違っているだとか、悪いと言いたいわけではない。<br>しかし、そういう人に限って大学の講義、試験を義務課題のようにこなしていく。<br>果たしてそこから何が得られるのか。<br>使い方も知らない知識を増やすだけではないか。<br>それが今の自分に必要なことなのか。<br><br>答えなどわかりません。<br>しかし、どこかでそれらの点と点を線で結ばなければ<br>意味がないように思います。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/rinngo712/entry-10969455601.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Jul 2011 23:47:32 +0900</pubDate>
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<title>書くこと2</title>
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<![CDATA[ いよいよ明日から大学の学期末試験がはじまります。<br>もう早いもので私も4年生になり、試験も残すところあと2回(順当に単位を取得出来ればの話)<br>となりました。<br>しっかりと復習をしてのぞみたいと思います。<br><br>試験間近になると毎回のように思うのですが、<br>つくづく自分は質問力が低いな、と感じます。<br><br>わからないことがはっきりとわかっていない、<br>わからないことをわからないままにしていることが原因の<br>一つと言えると思っています。<br>これはテストに限って言えることではありません。<br>普段のありとあらゆる場面でこの悪い癖は現れています。<br><br>なぜこの悪い癖は現れるのでしょう？どんな時に現れるのでしょう？<br>どうすれば直るのでしょう？<br><br>わからないことをそのままにしている原因の一つは「近視眼的なモノの見方」しかできていない<br>ことではないか、と自分の中で思っています。<br>今解決しなくても何も問題はない、後からでもいい、今解決したところで<br>すぐに利益が出るわけではない。<br>そのような考え方しかできていないのでしょう。<br><br>もう一つ考えられる原因は「優先順位が決まってない」ということが考えられます。<br>上記のこととも似ているかもしれませんが、自分にとって本当に何が大切なのか、<br>今しなくてはいけないことは何か、それらが見えていないから「わからないまま」<br>を平気でしてしまうのだと思います。<br><br>そして三つ目に考えられるのが「思考を停止させる」ことです。<br>自分自身で考えるということを強制終了させてしまうのです。<br>考えたくない、考えることが疲れる。面倒だ。<br>そんなことを思って考えることを自らやめてしまうのです。<br>このことが一番の問題です。こいつをどうにかしなくてはいけません。<br>考えることは確かに疲れることですし、面倒なことです。<br>しかしその考えることをやめてしまったらどうなるでしょう。<br>おそらく人間としての成長は止まるでしょう。もっと言えば退化すると思います。<br><br>ではどういった場面で考えることをやめてしまうのでしょう。<br><br>難しい問題に出くわした時。<br>抽象的な問題に出くわした時。<br>私の場合、大きくこの二つに分けられると思います。<br>特に後者の時には考えることをやめてしまう確率は高いと思います。<br>なぜか？それは思考力の低さが原因でしょう。その中でも想像力の低さが<br>指摘できると思います。<br>抽象的な問題を具体的なものに置き換える、例える、繋げるといったことが出来ない。<br>だから何も見えないままで終わってしまうのです。<br><br>ならばこれらをどのようにして解決するのか。<br><br>それは書くことなしには解決出来ないと思います。そしてそれを継続することが大切です。<br>文章を書くにはそれなりに準備が必要です。情報収集のためのアンテナを張ることや<br>常に「なぜ？」を持ち歩くことなどがその準備に当てはまるのではないでしょうか。<br>私はこれらのプロセスの反復練習が何よりも大切だと思います。<br>最近気づいたと言った方が正しいですが…^^;<br><br>つまり質問力と書く力は深く関係していると言える。<br>これが私の(すでに言われていることかもしれませんが)見解です。<br>それらの力を養うという意味でも定期的にブログを更新しようと思います。<br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 25 Jul 2011 17:29:17 +0900</pubDate>
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<title>書くこと</title>
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<![CDATA[ 二週間くらい更新をさぼってしまっていました。<br>この二週間を振り返ってみるとわかることなのですが、<br>ブログを更新しなくなる=生活の質の低下<br>が明らかです。<br><br>なぜそうなるのか？<br><br>それは、その日一日を完結させないで次の日を迎えてしまうからだと<br>言えると思います。一日を完結させないまま次の日の朝を迎えるとどうなるか。<br>メリハリのないダラダラとした一日を送るハメになります。<br>あれやこれやと頭の中がごちゃごちゃとしたままで整理されていない状態になって<br>しまうからです。<br><br>こういった状態になると何も手につきません。先のことが見えないことに不安になり、<br>動けなくなります。目の前の見えることだけに終始囚われるばかりで、<br>未来を描くことをしなくなります。<br>こうなるとこれでもか、というくらいネガティブになり悪循環のはじまりです。<br><br>これでは何も前へは進みません。<br><br>とにかく動くしかありません。動いたら動いた分、考えたら考えた分<br>整理しなくてはいけません。<br>その整理が書くことです。<br>文章を書くことで頭の中を整理して、行動を反省してまた次の行動に繋げる。<br><br>その積み重ねが成長に繋がると思います。<br><br>何か特別なことをするのではなく、小さなことを積み重ねることが<br>何よりもの力になるのだ。そう信じてまた明日から頑張ります。
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<link>https://ameblo.jp/rinngo712/entry-10962215572.html</link>
<pubDate>Sat, 23 Jul 2011 01:38:08 +0900</pubDate>
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