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<title>Theatre</title>
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<description>観劇の備忘録。独り言。</description>
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<title>『盛綱陣屋』『蝙蝠の安さん』＠国立劇場</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Sat, 14 Dec 2019 01:00:06 +0900</pubDate>
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<title>『タージマハルの衛兵』＠新国立劇場小劇場</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Sat, 14 Dec 2019 00:05:23 +0900</pubDate>
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<title>Mercury Fur @シアタートラム　あらすじ編</title>
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<![CDATA[ <em></em>［作］　フィリップ・リドリー　<br>［演出］　白井 晃<br>［翻訳］　小宮山智津子<br>［美術］　松井るみ<br>［照明］　齋藤茂男<br>［音響］　井上正弘<br>［衣装］　太田雅公<br>［殺陣］　渥美博<br>［出演］　高橋一生：エリオット　<br>　　　　　瀬戸康史：ダレン　　<br>　　　　　中村 中：ローラ　　<br>　　　　　水田航生：ナズ　　<br>　　　　　小柳 心：スピンクス　<br>　　　　　小川ゲン：パーティプレゼント　<br>　　　　　半海一晃：パーティゲスト　　<br>　　　　　千葉雅子：姫　　<br><br><br><br>2003年、英国のイラク戦争参戦がきっかけで書かれた本作品。時代はさだかでないがこの舞台で爆撃されるのがバクダッドではなくロンドンだ。一種のパラレルワールドものなのだと思う。<br>2005年、ロンドン初演時のレビューを読むと結構叩かれている。残虐描写が激しく、さらに生け贄となるパーティプレゼントを子役でやったみたいなんだよね。英国チーム徹底してます。白井演出の日本版は全体の推定年齢をあげて、パーティプレゼントも「青年」って設定でした（原作脚本では10歳の少年）。<br>白井版はどこの国の話なのかもぼやかしていた。元の脚本も断片的な台詞で構成されているので人によって見えた世界は全く違ったと思う。以下私の見た世界をおおまかに書かせていただきます。<br><br><font color="#00BFFF">ロンドンの東、廃墟となったカウンシルフラットの一室のみで舞台は進行する。真っ暗な舞台空間に懐中電灯の光が差し込む。廊下に見立てた客席通路を使って現れる兄弟。「バタフライ」の売人エリオット（高橋一生）と弟のダレン（瀬戸康史）だ。２人は「パーティ」の準備に取りかかる。窓が開けられ明るい光に照らされる室内。<br></font><br>この照明の使い方が印象的だった。光とともに次々に明らかになる陰惨な事実。戦火にさらされたロンドンの町と人々の描写がとても恐ろしい。<br><br><font color="#00BFFF">雪のように降ってくる繭、孵化するのは「バタフライ」。食べると幻覚の見える生物。激しい空爆、崩れ落ちる大英博物館のガラス天井、略奪される美術品、London Zooから逃げ出す動物達、暴動、凄惨な殺戮、斬首される母親、強姦される少女、燃え上がる父親の身体。</font><br><br>おぞましさのオンパレードだ。ただしこれらは全て登場人物の記憶として断片が語られるだけ。地獄は観客の頭の中にだけ浮かび上がる。<br>滅茶苦茶苦しかった。役者全員の取り付かれたような演技で耳を塞ぐ事も意識をそらす事も出来ない。想像する方が100倍恐い。ラスト近くでようやく血糊が出てくるのだが、正直その時ホッとした。<br>そして残虐さと同じだけ愛の表現が舞台中に満ちていた。<br><br><font color="#00BFFF">バタフライ中毒の弟ダレンを叱りつけながらも愛おしむ兄エリオット。２人が昔を思い出しながらじゃれ合い抱きしめ合うシーンのなんと無邪気な事。互いに繰り返す「ものすごく愛してる」。何もかもなくした兄弟にたった一つ残された宝物の言葉。</font><br><br><font color="#00BFFF">この狂った世界を生き延びるため、兄弟とその仲間は「パーティ」を開く。少年／パーティプレゼント（小川ゲン）を小児性愛者／パーティゲスト（半海）に引き渡し、集団で嬲り殺すのだ。パーティゲストの快楽のために。<br>次々と現れるメンバー。<br>廃墟に住むナズ（水田航生）はバタフライ欲しさか、寂しさからか仲間に加わる。<br>エリオットの恋人ローラ（中村中）はパーティプレゼントの衣装とメイクの担当だ。<br>最後にグループのボスであり、ローラの兄でもあるスピンクス（小柳心）。彼は「姫」と呼ばれる盲目の中年女性（千葉雅子）を伴って現れる。<br>姫は実はエリオット／ダレン兄弟の母。夫が子どもと自分を殺しかけた挙げ句焼身自殺を図ったショックで正気を失っている。今は年若いスピンクスを「パパ」と呼び彼の庇護の元暮らしている。<br></font><br><br>ダレンとナズの友情、エリオットとローラの刹那的な恋情、スピンクスが姫に見せる細やかさと狂おしい思い。これらの人間らしい感情はとても丁寧に描き出されていた。その一方で彼らは平然と他人の命を奪う。<br><br><font color="#00BFFF">準備を進めるうちに薬漬けだったパーティプレゼントが急死してしまう。パーティを続けるためにスピンクスはナズを代わりの生け贄にしようとする。反対するエリオットとダレン。しかしパーティを中止するわけにはいかなかった。<br>大規模な空爆と軍の進攻が明日に迫っていた。町から逃げ出すための情報はパーティゲストが提供する事になっている。パーティの成功と引き換えに。<br>スピンクスの「逃げなければローラや姫がどうなると思う」の言葉にエリオットとダレンは従わざるを得ない。<br>そしてナズをプレゼントにしたパーティが始まる。<br></font><br><br>ここからのワンシーンは扉を閉じた隣室で行われるので観客には声と音しか聞こえない。その前段階でランボーのベトナム戦争、拷問されるプレスリー、精肉業者の肉吊フック、といったイメージが語られていたので頭の中の想像図は...ええ、もうここがこの舞台で一番苦しい時間でございました。<br><br><font color="#00BFFF">嬲り殺される者と嬲り殺す者。声と音。</font><br><br>二度目に見た時なんて後ろの人が出て行っちゃったくらい。<br><br><font color="#00BFFF">やがてナズを探しにローラが現れる。パーティゲストの死体と寝室から聞こえる物音で全てを察して凍り付くローラ。すると寝室のドアが開き、ダレン続いてエリオットがわななきながら逃げでてくる。精肉業者の白い作業着とガスマスク。服と手にべったりとついた血糊。<br>悲鳴をあげるローラ。</font><br><br>室内で何が行われているのか視覚的に明らかになる瞬間。ローラの悲鳴と同時にほんとんどの観客は彼女に同調したと思う。もうここからの観客と舞台の一体感は凄かったです。<br><br><font color="#00BFFF">パーティを中止しようとするダレンとエリオット。必死に逃げ出そうとするナズ。あくまでパーティを続けようとするスピンクスとパーティゲスト。もみ合いになるうちにダレンがゲストを撃ち殺してしまう。逃げるための情報を何も得ないうちに。<br>全てが終わったと打ち拉がれるスピンクス。しかし彼らにはまだ守らなくてはならない姫とローラがいる。<br></font><br>ここでグループのリーダーがスピンクスからエリオットに変わるわけなんですが、打ち拉がれてそれでも姫の呼ぶ声に従って立ち上がるスピンクスの姿がとても深かった。彼もまだ大人になりきれていない少年。ここに集って狂ったパーティを開いていたのは子ども達なんだと感じさせるシーンでした。<br><br><font color="#00BFFF">エリオットとダレン兄弟以外は逃げるために部屋から出て行く。残された兄弟は何か情報がないかゲストの荷物を探しまくる。<br>情報は一切なく失望するエリオット、そこへ爆撃の音が聞こえてくる。<br><br>予定よりも早く空爆が始まったのだ。もはや逃げる事は叶わない。今度は自分たちが殺戮される番なのだ。<br><br>空爆が激しくなり次第に明るくなる窓の外。エリオットはダレンを抱きしめ彼の頭に銃口をあてる。苦しませないように、安らかな死を。かつて彼らの父親がしようとしたように。<br>無言で引き金に指をかけるエリオットにダレンが必死に訴える。<br>「逃げよう」<br>「大丈夫。これまでだってやって来たじゃないか」<br>「信じて。どうすれば良いか分かってる」<br>「俺たち生き延びられる」<br>「ものすごく愛してる。言ってエル。ものすごく愛してる」</font><br><br>激しくなる爆音に負けない叫びをあげる瀬戸ダレン。銃口をあてられているのにしがみつくように守るようにエリオットを抱きしめる。<br>対する高橋エリオットも素晴らしくて、ここ照明絞っているのが勿体なかった。あの苦しげな愛しげな表情。いくどもいくども銃口を構え直し流す涙。キツく抱きしめる腕。<br><br><font color="#00BFFF">「言って！エル」<br>最後のそして最大の爆音が轟き暗転。<br><br>しばらくの静寂のあとライトがつく。誰もいなくなった室内にかすかに煙が立ちこめる。<br>「Climb Every Mountain」が流れている。<br></font><br><br>ここのラストシーン、私はトラムで二度見たのですが暗転のタイミングが違っていました。<br>一度目は爆音とほぼ同時に暗転だったので、エルが撃ったのかどうかは観客の想像にお任せする姿勢。高橋さんの気迫がすごかったので私は「頑張って引き金弾いたんだろうな」と思いました。<br>一週間後に見た時は爆音の後もしばらく明るいままでして、ダレンがかすかに手を動かしてエルを抱きしめ直したんです。それから暗転。明らかにエルは撃てなかった。エルよりダレンのパワーが勝ってた。<br>正直言ってエルがダレンを撃ち殺すか否かはどちらでも良い話。リドリーの言いたいテーマも別のところだと思うんですが、こうした変化を付けたって言うのはやはり観客へのサービスだったのかな。嫌悪感だけで終わって欲しくなかったんでしょうかね。<br><br>長々とストーリーだけ書いてしまいましたが、私が見た世界はこんな感じでございました。<br>細かいサイドストーリーこそがテーマに近い話なのですがその辺りはまた別に書き記します。バタフライとは何か。ミノタウルスの挿話。「ものすごく愛してる」の裏の意味。エルとローラの関係。姫とスピンクスの関係。焼身自殺した父親。ナズの家族。パーティプレゼントの家族。ゲストの夢想とよく２時間ちょいでこれだけ詰め込めたなと思う脚本でした。リドリーの脚本もすごいですが、今回の白井さんの演出はお見事だったな。本当に引き込まれました。<br><br>ラストに流れたサウンドオブミュージックのClimb Every Mountain。白井さんの考える彼らのその後はこの曲なんでしょうね。リドリーの原作でラストにこの曲は出てきません。<br><br><br>Climb Every Mountain<br><br>Climb every mountain<br>Search high and low<br>Follow every byway<br>Every path you know<br><br>Climb every mountain<br>Ford every stream<br>Follow every rainbow<br>Till you find your dream<br><br>A dream that will need<br>All the love you can give<br>Everyday of your life　<br>For as long as you live<br><br>Climb every mountain<br>Ford every stream　<br>Follow every rainbow<br>Till you find your dream <br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 16 Feb 2015 10:59:27 +0900</pubDate>
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<title>「星ノ数ホド」新国立劇場小劇場　基本データ</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Wed, 03 Dec 2014 22:11:22 +0900</pubDate>
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<title>「ご臨終」新国立劇場小劇場　基本データ</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Mon, 10 Nov 2014 17:48:37 +0900</pubDate>
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<title>ヒストリーボーイズ（ラッジはオックスフォードに行ったのか）</title>
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<![CDATA[ 公演が終わってはやひと月。喪失感は深まるばかり。でも記憶って薄れていくな。忘れないうちに細かな事を書き留めていこう。この後の記事は本当に備忘録です。<br><br>でラッジ君の事。<br>ナショナルシアター（以下NT)版と日本版がかーなり違っておりました。<br>優秀なボーイズの中ではただ一人の凡人。得意はスポーツ。と、ここまでは一緒なんだが。<br><br>＜NT版＞ラッセル・トヴェイ<br>ボーイズが「AAA」の成績を取った中でも彼一人は「ABB」。それでも皆からよくやった！と抱きつかれる彼。そういう位置づけなのね。そんな彼が最終的には最難関のクライストチャーチに受かってしまう。原作脚本では底辺公立校出身者に下駄を履かせるイギリスの受験制度を皮肉る存在（と思う）。<br>始終自信のなさそうな態度。ボーイズ達の遊びにも加わりきれず、いつも真面目一方。父が用務員をしていたという理由でクライストチャーチに受かっても暗い表情。「大学なんてくそくらえ」とふてくされて去って行く姿は寂しさに満ちていて、この後大丈夫なのか心配になる。<br><br>＜日本版＞小柳心<br>NT版よりは明らかに賢そう。「AAA」はとれなくとも「AAB」って感じ。そして授業態度が素晴らしかった。目が真剣。常に本当に常にノート取ってた。一言も聞き漏らさないぞという気迫に満ちていて、こういう目をした子が馬鹿のはずないと思わせた。<br>ボーイズ達の遊びに加わりきれないのはNTと同じでも日本版は「馬鹿馬鹿しい遊びだ」と結構上から目線。小柳ラッジは誰よりも地に足がついてて感性が非常に真っ当。教養なくともそれがなんだと開き直ってる感もあった。裏口で合格しても「何が悪い！悪いのは取る方だろう」と決して挫けない。ラッジの強さ、真っ当さって日本で上演するには必要だったと思うのよ。ガリ勉して詰め込むスタイルは言ってみれば日本の受験生。ラッジが堂々としてるのを見るとなんかスカッとした。自分も受けた日本型詰込み教育の何が悪い！と思えた。<br>小柳ラッジの揺るぎなさは最後の場面にきちんと繋がる。リントット先生が将来のボーイズを紹介していくシーン。ラッジがこの台詞を堂々と言うんだよね「tout comprendre c'est tout pardonner」（全てを理解することは全てを許すこと）<br>NT版では皮肉っぽく言うんだが、小柳ラッジのこの台詞はちゃんと重みがあった。そこに行くまでの人生がちょっと垣間見える感じで。この台詞って登場人物みんなに関わる内容だから日本版ラッジの言い方がとても感動出来た。<br><br>ラッジは結局大学に進学したんだろうか？映画の日本語字幕だと入学辞退するとなってるんだが、（英語自体はそこまで言っていないんだけどね。これってなんで「入学辞退」になったんだ？）日本版脚本ではどちらとも取れる。でも小柳ラッジは進学したんじゃないかな。あの力強さは。<br>本当に小柳ラッジ良かったよ。ハイトナーとベネットに見せたいくらいだった。
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<pubDate>Tue, 28 Oct 2014 22:30:37 +0900</pubDate>
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<title>ヒストリーボーイズ（デイキンの衝動）</title>
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<![CDATA[ デイキンはハンサムで頭が良くて女好き。日本版デイキン、まさにこの通りでとても素敵だったと思います。ただ100％混じり気のない陽。陰がゼロだったのが惜しかった。デイキンは陽に見せかけて実は陰って役柄だと思うので。<br><br>私の感性が低いのかもしれませんが、日本版のデイキンを見ても彼がアーウィンに惹かれる理由もその後の行為もなぜなのか全く分かりませんでした。ところが映画と脚本を読むとその辺りは非常に明快。<br><br>地方のグラマースクールでトップ層にいるボーイズ。詩を暗誦し哲学を論ずる、きっと彼らの属するローワーミドルの社会では抜きん出た存在。オックスブリッジ合格もその後の輝く未来も手に入ると信じていたと思う。<br>でも抜け目ないデイキンには分かっていたんだのではないか。受験のライバルになるのはイートン、ハーローに代表されるプライベートスクールに通う少年たちだ。彼らは自宅の書斎で詩を味わっている。育つ過程で自然に教養を身につけている。ヘクターに短時間に教え込まれた自分たちとは大きく違う。この育ち、階級の超えられない壁はオックスブリッジに入ったとしても続くかもしれない。デイキンはこの点はすごく不安だったに違いない。<br><br>そこに現れるアーウィン。既存の常識も習って来た全ても超えてドラマをぶち立てろ、オックスブッリジの教授たちの度肝を抜け。こう言われてデイキンが夢中にならないはずはない。イートン・ハーローの学生が思いもつかないエッセイを、オックスブリッジの教授たちが見た事もない新説を。アーウィンとのエッセイ推敲の作業はデイキンにとってとても刺激的なものだったに違いない。真実なんてどうでも良い。上位の階級にいる奴らを鼻をあかす。最高にスリリングなゲームだ。フィオナを攻略する西部戦線が色褪せてしまう程に。<br><br>映画版だとだんだんアーウィンに傾倒していくデイキンの様子がすごくよく分かる。二人の視線が絡む辺りも肝。日本版はうーん。デイキンの驚き顔のバリエーションは堪能できたのですが、そこに恋情が滲んでいたかというとちょい微妙。まっすぐな心の綺麗な役者さんだもんね。せめて映画版にしかないアーウィンとデイキンのタバコシーン。あれを取り入れたらもう少し良くなった気がするんだけど。<br><br>合格を勝ち取り、もはやアーウィンとの繋がりがなくなると実感出来たとき、デイキンが衝動に突き動かされてアーウィンに迫ったのが溜まらなく切ない。性的に早熟なデイキンにはアーウィンの視線の意味も、自分がゲイではないという事もちゃんと分かっていた。<br>それでもアーウィンに詰め寄った彼。<br>ああするしか彼との絆を守る方法はなかった。もしアーウィンがゲイでないのならば、生涯の師弟もしくは仲間としてつきあっていけただろう。しかしアーウィンが自分に求めているものはそれではない。そして自分が追いすがらなければ、この臆病な人は逃げてしまう。全部見えていたんだろうな。<br>このシーンは映画版のドミニクが最高に巧い。押しまくっているのにどこかで怯えている。アーウィンを圧倒する男の色気と少年としての繊細さが程よくミックスされてて、本当にこのシーンの彼が好き。日本版デイキンはただひたすらに押すだけなんだよね。明るく爽やかに迫るだけなの。とても格好くて素敵なんだけど、なんでそうするのかさっぱり分からずで。うん惜しかったです。<br><br>デイキン役の彼が役者としてダメと言う訳ではないのですが、どう考えてもこの役は彼のカラーじゃなかった。彼はあの美貌をいかしてオーソドックスな役柄が似合う。こういう屈折した役は、うーん、今はしなくて良い気が。<br>デイキンは彼じゃない方が良かったとは思うものの、彼がいなきゃこれだけチケット売れなかったのも事実。デイキンをカバーするために中村氏があのシーンで発奮したのは間違いないので、これはこれで良かったのかも。
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<pubDate>Wed, 15 Oct 2014 06:31:23 +0900</pubDate>
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<title>ヒストリーボーイズ（ヘクターの最後の台詞）</title>
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<![CDATA[ 日本版のヘクターに魅力を感じることが出来なかったことを告白しておく。<br>浅野さんは大好きなのだが、今回の役は全く心に響かなかった。<br><br>私の耳が悪いのか台詞が聞き取れない箇所が多く（文学作品、地名を語るシーン）、ボーイズへの憧憬の気持ちも感じられなかった。偏屈な自分の理想を貫く教師としては完璧だったが。<br>このヘクター像が日本版ヒストリーボーイズの特徴だったのかもとは今は思う。<br><br>テーマの一つである最後のヘクターの決め台詞。これも日本版だと全く感動出来なかったのだが、英語を読んだ瞬間に全てが分かって落涙した。英語だとこう始まる<br><br>Pass the parcel. That's sometimes all that you can do.<br> <br><br>parcel（小包）って単語。これがすごく効いている。parcelと聞いて浮かぶのは小包、箱に詰められたクリスマスギフト、遠方の親戚から届いた贈り物、ワクワクしながら開けるもの、取り出して喜ぶもの（あるいはがっかりしたり）。これがparcelだからこの後に続く台詞の情景が浮かんで来る。<br><br>Take it, feel it, and pass it on.<br><br>箱詰めされた中に入っているのは知識や教養だけでなくガラクタかもしれない、誰かの思い出なのかもしれない。でもそれを取り出して感じる。会った事のない誰かの思いを共有する。そしてまた箱詰めして送り出す。<br><br>Not for me, not for you, but for someone, somewhere, one day.<br><br>私のためでなく、君のためでもない。いつか受け取る、会う事のない誰かのために。<br>ここは一幕最後、ヘクターがポズナーにハーディの詩を語るシーンと対をなす台詞で、本当に感動的。<br><br>Pass it on, boys.<br>That's the game I wanted you to learn.<br><br>ここもgameって単語が素晴らしい。 ヘクターの授業はこれから世の中に巣立って行くボーイズの少年として最後のそして最高の遊びの時間だった。<br>そして最後にもう一度<br><br>Pass it on.<br><br>作り過ぎてるけど、泣ける。胸を打つ。<br>これが日本語だともちろん同じ構成にはできない。それは仕方がないのだけれど、メインのフレーズが日本語だと<br><br>「自分が受け取った荷物を次の人に渡せ」<br><br>「parcel」を「荷物」にしたのが日本版の最大の特徴だと思う。<br>荷物になるとparcelのもつ箱詰めされたもののイメージがなくなる。ギフトのイメージも、開けた時のワクワク感も消える。代わりにもっと重たいもの、どちらかと言うと運ばなくてはならないもの、「重荷」のニュアンスが出て来る。<br>これは意図して「荷物」にしたんだろうな。ナショナルシアターのヘクターはただただ文学を愛し、大好きでたまらないものを生徒たちに分け与えた。そういう子供っぽいひたむきさが前面に出ていた、が、浅野ヘクターはもっと使命感を持って教育にあたっている。文学・芸術の愛好家というよりもまさしく教育者だった（彼が心から文学を愛していたのかもちょっと疑問なくらい）。日本で上演するにはこのタイプの教師にした方が観客の共感を得易かったのかも。非常に日本らしいヘクターであった。<br><br>と、なんとなく浅野ヘクター像が分かった気もするんだが、一幕最後の「鼓手ホッジ」の浅野ヘクターの演技は未だによく分からない。<br>あのシーン、映画だとヘクターの詩歌のひいては過去の作家たちへの愛溢れるシーン。更にはポズナーに向かって手を伸ばして結果触れない。後半アーウィンに「（愛の対象に）触れてはいけない」と告げる台詞に繋がる重要なシーン。台本にも手を伸ばすと書かれているのに、浅野さん確か腕を組んだままだったと思う。私が見た回だけなのかもしれないが。なんで手を伸ばす動作を入れなかったんだろう。ただ悲しそうに達観した表情で語るだけなんだよね。ここも台詞の聞こえが悪くて私が入りきれなかっただけなのかもしれないが。<br><br>いずれにせよ、最後まで分からないヘクターでした。ベネットはヘクターのカウンターパートとしてアーウィンを作ったと書いていて、オリジナルはヘクターが主だと思うが、日本版は完全にアーウィンの方が勝ってしまっていました。そういう作りにしたんだろうな。なんたって中村倫也初主演なんだもんな。<br><br><br>＜おまけ＞<br>ヘクターの決め台詞を原作単語を落とさない方向で日本語にしたら、難しい。今のところこんな感じ。<br><br>次の人に渡していくんだ。時にそれは君たちに出来る全てのこと。<br>受け取ったモノの蓋を開け、取り出して、感じる。そしてまた次の人に渡す。<br>私のためではない、君のためでもない、いつか、どこかで受け取る誰かのために。<br>次の人に渡したまえ、諸君。<br>これが君たちに学んで欲しかったゲーム。<br>次の人に渡せ。<br><br>ああなんかしっくりこない。もっと良い訳ないかな。<br><br>ちなみに日本版はこんな感じだったと思う。gameも落ちてた。綺麗にまとまっててすごいんだけどね。<br><br>自分が受け取った荷物を次の人に渡せ<br>時にはそれだけが君たちに出来ることだ<br>それを受け取り  感じて 次の人に渡す<br>私のためでも  君のためでもなく  誰かのために<br>いつかどこかで  次の人に渡すんだ<br>それを君達に学んで欲しかった<br>次の人に  渡せ<br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 14 Oct 2014 15:55:26 +0900</pubDate>
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<title>ヒストリーボーイズ　基本データ</title>
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<![CDATA[ 「ヒストリーボーイズ」<br>この秋一番観劇した作品となりました。脚本、役者、演出、とにかく舞台の全てが自分のツボで未だに忘れられない。消化のために覚書。以下ほぼ公式からの引用です。公演が終わった今になって読むと優れた紹介文だったと分かる。<br><br>儚い青春の一時期、怜悧なきらめきを放出し、型破りな教師から人生の深淵を学ぶ少 年たち。彼らは羨むほどの可能性と同時に悩みを抱え、斜に構えた軽口を飛ばしながら 自らの道を力強く切り拓いていく。2004年にイギリスから発信された青春群像劇は、 2006年にはブロードウェイに渡って人気を博し、舞台版キャストがそのまま総出演した映 画も同年に公開された。その話題作がいよいよ日本に登場だ。<br>　注目すべきは驚きと興奮のキャスティング！ 少年たちを触発する新任教師アーウィン役に、今回が舞台初主演となる中村倫也。作品ごとに新たな魅力を開花させている中村の、さらなる新境地が覗けそうだ。頭脳明晰、容姿端麗のリーダー格であるデイキン役に扮する松ざか桃りを始め、8人のボーイズもいずれ 劣らぬ個性派揃い。そして浅野和之が、名優リチャード・グリフィスの遺したイメージを覆し、オリジナルとは真逆の観点から老教師ヘクター役に挑む。<br>　指揮を取るのは翻訳劇の巧妙な隠し味を探り当て、爽快に提示してくれる気鋭の演出家・小川絵梨子。シニカルユーモア満載の会話劇をいかにさばくか、その手腕に期待がかかる。遠い日の情熱と胸の痛みを呼び起こす、日本のヒストリーボーイズの奮闘をしかと見届けよう。<br><br>（ライター：上野紀子）<br><br><br>作：アラン・ベネット　 翻訳：常田景子 　演出：小川絵梨子 　<br>出演：中村倫也　松ざか桃り　太賀　橋本淳　小柳心　渋谷謙人　Spi　大野瑞生　林田航平<br>　　　鷲尾真知子　安原義人　浅野和之<br><br>2014年8月29日（金）～9月14日（日）<br>会場：　世田谷パブリックシアター<br><br>2014年9月18日(木)～21日(日) <br>会場：　森ノ宮ピロティホール<br><br>美術：堀尾幸男<br>照明：原田保<br>音響：長野朋美<br>衣裳：ゴウダアツコ<br>ヘアメイク：鎌田直樹<br>音楽：nanoline<br>演出助手：長町多寿子<br>舞台監督：二瓶剛雄<br>フランス語指導：穴澤万里子　<br><br>舞台製作：クリエイティブ・アート・スィンク 加賀谷吉之輔<br><br>版権コーディネーター：マーチン・R・P・ネイラー<br>票券：インタースペース<br><br>制作：清水光砂<br>アシスタントプロデューサー：北原ヨリ子<br>プロデューサー：江口剛史<br>主催・企画・製作：シーエイティプロデュース<br><br>宣伝美術：永瀬祐一<br>宣伝写真：西村淳<br>宣伝スタイリスト：ゴウダアツコ<br>宣伝ヘアメイク：岩田恵美<br><br><br>
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<pubDate>Tue, 14 Oct 2014 15:30:43 +0900</pubDate>
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<title>「クリプトグラム」最後に</title>
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<![CDATA[ 「クリプトグラム」に関する投稿はこれで四本目。<br><br>　　　　書き過ぎだよ。。。。。<br><br>備忘録として細かい感想だけ書いて終わりにしよう（ネタバレ無し）。<br><br>谷原章介さん（デル）：<br>はまり役でした。代表作だと思います（と勝手に断定）。気弱で劣等感まみれなのに、要所要所ではドニーとジョンをちゃんと受け止めてる。男らしい包容力に溢れた姿でした。相反する二つの要素がしっかり解け合ってて良かったなぁ。初めに観た時はどうしても、素の格好よさに目がいってしまったんだけど、二度目以降は彼の身体的演技に目が釘付けで、谷原さんって事忘れるくらい。猫背、歩き方、うつむき加減、視線、口調。うーん忘れられない。<br><br>安田成美さん（ドニー）：<br>綺麗でチャーミングで、可愛いドニーでした。観ていてうっとり。でもそれじゃあこの役駄目なんですよね。マメットの描いている母親と真逆ですよ。台詞もフリも完璧で始終苛立っている冷たい母親を熱演だったのですが。。。見る側の問題だったのかもしれません。安田さんの善良さを打ち消すだけの想像力が私にはありませんでした。もうちょっと毒のある人をキャスティングして欲しかったかな。そして安田さんは別の役で拝見したいです。<br><br>坂口湧久さん（ジョン）：<br>お見事。この一言です。どれくらい細かく演技つけられてたんだろう。どんな動作一つをとっても心情が現れていて意味のない動き無し。三回観たけど動きは全く同じで、全部計算されたものだったんでしょうね。あの膨大な台詞に加えてたいしたもんです。<br>大人になっても是非役者を続けて欲しいです。今小６で、これから舞台に立つには難しい年齢。すっぱり舞台出演はお休みして、しっかり身体を作って欲しい。今の舞台俳優は大型化してるから、身長は出来る限り伸ばさなきゃね。沢山本読んで、沢山音楽聴いて、色んな経験してください。間違ってもダラダラ子役を続けて、結果つぶれてしまわないように。切に切に祈ります。<br><br>小川絵梨子さん（演出）：この世代の人が今、どの世界でも一番面白いですね。彼女の演出作品はじめてみましたが繊細緻密って言ったら大げさ？でもそれだけ想像力を刺激されました。同年代の森新太郎作品がどかーんと観客の心を打つなら、彼女の作品はじわじわと心に攻め込まれて気づいたら心に刻まれちゃったよって感じかな。次も観たい。新国立劇場のマンスリープロジェクトは絶対行こう。<br><br>美術と音楽も良かったのですが、それよりも何よりも<strong>プログラム</strong>！！ものすごく凝ってるよ、これ。表紙は白地に黒でタイトル（英語と日本語）。中央に黒い線が斜めに数本。で台詞（英語ね）の断片が地紋として印刷されてるんです。光にかざすと浮かんできます。しかもところどころ文字が落ちてるんですよ。例えば「blanket」は「bl nke 」ってなってるわけ。パッと見は暗号にしか見えないんだけど、じっと見ていると何の単語かは分かる仕組み。こんなところも暗号解読させるのか！（そういやフライヤーも同じ趣向だったな）<br>表紙をめくると裏には階段が。表紙の黒い線と思ったのは階段のラインでした。その次は赤い透明なフィルムに白い小さい四角が散っているページ。前のページに重ねて見ると階段が真っ赤なライトに照らされたように見える。火事のイメージなのか？血のイメージなのか？英語の脚本だとプロローグにキャンプの唄の歌詞がのってるんだが、ランタンから出火して大火事になっちゃう唄だそうで、そのイメージなのかも。<br>その次のページからも全て地紋に文字が印刷されてます（これは意味が取れない！！分からない！！！）。中表紙には劇中の小道具（ロウソク、ティーポット、写真立て、釣り竿などなどなど）のシルエット。それ以降のページも全て文字の入った地紋。そしてそして地紋部分をよーく見ると、さらにさらに小道具が１ページに一つずつ浮かび上がるようになっています。凝り過ぎだ！！中表紙の次には湖と湖畔に立つボートハウスとキャビンの写真。この写真が良い！イメージぴったり。<br>デザイナーの方も脚本も読み込んだんだろうか？いやあ私も楽しませていただきました。<br>あ、中身はですね、可もなく不可もなくかな。1996年に書かれたマメットの評論、小川さんと中屋敷さんの演出についての対談、役者の略歴。それくらいなんですよ。デザイナーの努力と比べるとちょっとどうなのよ、って内容でした。<br><br>こんなもんかな。そういや明日は大千秋楽でした！<br>もしこれから舞台を観るという方がこれを読んでいたら、観劇中は暗号は解こうと思わずに純粋に舞台を楽しんで欲しいです。台詞回しは早くて独特。観ながら暗号解読するのはマメット専門家か観劇オタクでもない限り無理です。取り敢えず役者たちの演技をじっくり観て欲しい。台詞は難解でも演技はとても分かり易いので。<br><br>長々おつきあいありがとうございました。<br><br>
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<pubDate>Mon, 02 Dec 2013 01:51:38 +0900</pubDate>
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