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<title>rnamekawaのブログ</title>
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<title>日本アカデミー賞を受けて</title>
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<![CDATA[ <p>　</p><p>一個人として。</p><p>&nbsp;</p><p>あまり書くこともないのだけれど、一個人として、制作キャストスタッフ全員の皆様にお疲れさま、おめでとう、といいたい。</p><p>&nbsp;</p><p>　新海作品はたぶん、これからも、ファンとして、ともに歩んでいくと思う。</p><p>　そこに少しく立ち合えて、私としても嬉しい。</p><p>&nbsp;</p><p>　次回作、そしてこの作品に携わった方の今後の活躍を祈念して。</p><p>　</p><p>　お疲れさまでした。</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/rnamekawa/entry-12253131964.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Mar 2017 03:41:40 +0900</pubDate>
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<title>「君の名は。」終戦</title>
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<![CDATA[ <p>　十分と感じたので、終戦宣言と行こう。</p><p>　決して話しつくしてはいない。全然足りない。が、語りとしては多分、尽くした。</p><p>　気が付くと半年が経っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>　「君の名は。」を語ってきた、そしてこれからも語るうえで、やはり避けて通れない問題点の一つが、３年を隔てた入れ替わりとその差異・災害の認識であるように思う。</p><p>　それについてはありとあらゆる場所で、十人十色に、語られてきた。そして多分、本作を受け入れられるか否かの本質は、ここにあると言っても過言ではない。</p><p>　</p><p>　観る側がいかに想像力を持ちうるか。それは単に物語風に終わるものではない。他人への心配り・共感・和の心。そういった根深い問いを内包しながら、本作は去っていった。</p><p>&nbsp;</p><p>　それはそれでよいのではないかと思う。アンチにとって残る心象はないのだが、ファンにとっては様々な想いと思い出が、この作品に凝縮されているのだから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>言葉足らずで心が余るのが良い。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>では、どこかで。</p><p>（感想歓迎ですけど、来ないよねｗ</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 23 Feb 2017 05:47:52 +0900</pubDate>
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<title>君の名は。考察⑥　映像・画質と作品を考える（仮）と雑感</title>
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<![CDATA[ <p>　本作を考える上で、いな、新海作品を考える上で避けては通れない映像について少しだけ考えてみよう。問題点として考えられるものだけ。</p><p>&nbsp;</p><p>　問題の本質を先に投げうってしまうと、「言の葉」と比べて映像は向上しているのか、あるいは据え置きか、落ちているかという疑問でもある。</p><p>　そして端的に答えるならば、例えば映画館でIMAX上映を等しく、そして通常の上映で等しく、更に端末での上映で等しく（BDなど）鑑賞して比較して始めて議論できるし答えも出る問題であるには違いない。</p><p>　ただ敢えて書いておくと、例えば解像度や輝度・さらにコンピュータ・アシステッドの画自体が評価を左右するのであってはならない。レビューに書いたように、新海作品の画の本質は心象風景にあると思えるからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>　そこを踏まえたうえで、自分自身の着眼点として映像の質は問うておきたい。</p><p>　というのも、残念ながら、本作はまだ地方のイオンの一スクリーンでしか観ていないからだ。（本当はIMAX上映中に仕事を離脱しつつ日帰りで見に行く予定だったのだが、大雪で挫折を余儀なくされた）</p><p>　なので、私が観たことになるそのスクリーンは、複数回において、画像として期待していたものを全く超えなかったばかりか、例えば予告編の高画質を自宅で観た時よりも劣っているように見えた、というのがある。</p><p>　あ、ここへ来て、「君の名は。」鑑賞における地方格差が！　と騒いでおこう笑</p><p>&nbsp;</p><p>　そう思ったのは映画館のスクリーンの解像度その他の問題があると思うのだが、それはおいておいて、本作の映像評価の立ち位置というものを大胆に予想してみたい。</p><p>&nbsp;</p><p>　一つヒントになる情報は、以前「ほしを追う子ども」の制作において、監督が「長編ということもあり背景は以前ほど描きこんでいない（大意）」　といった趣旨の発言をしていたことである。本作も前作から経てのことであるし、時間・予算的にかなりの妥協をしていたように見受けられる。そして星を追う子どもでは、背景の塗りにベタが多かった印象を受けなくもない。</p><p>&nbsp;</p><p>　すると本作でも、よく思い出すと引きの背景で・・？と思えなくもない節がある。</p><p>　ただ、緻密さの判断はスクリーンというよりも端末での再生環境に判断が委ねられると思うし、そもそもシンゴジラのように解像度が現行より上がっている可能性もある。</p><p>&nbsp;</p><p>　しかもそもそも美的な判断を、数字に委ねるほどの愚行もあるまい。</p><p>&nbsp;</p><p>　監督の映像の最も評価すべき点は、風景や背景を、一つの言葉や詩として驚きや共感といった、鑑賞者を揺さぶりうる題材として、アニメーションの中に昇華させたことにある。正直これは宮崎駿作品あってのものだとも思うが、これは項を改めよう。</p><p>　　</p><p>　さて。言の葉の映像（特に雨の描写）は世界アニメーションでも屈指のものだろう。ただ、それを盾に本作が美的に後塵を拝していると見下してしまってよいのだろうか。</p><p>　こう私が考える背景に、およそ１０年ほど前、秒速で監督を知った、それにまつわる話がある。「桜花抄」とそこに描かれた美は、詩的にそして美的に、私を捕らえて揺さぶって離さなかった。それは今思えば、単に映像表現として前衛的でテクニカルなだけであったばかりでなく、叙情詩としての圧倒感であったような気がしてならない。</p><p>　それは詩として、やはり言の葉には及ばないのかもしれない。ただ言の葉が、一人称（視点）を軸とした恋愛劇というこれまでの新海作品を踏襲するものであったのに対し、本作はより万人受けのする詩を提供した、そしてストーリー展開が最優先される中で決してマイナスにならない映像を本作は提供したのであって、深海作画を世に知らしめるという意味で十二分なものであったとまとめておきたい。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/rnamekawa/entry-12248194171.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Feb 2017 04:06:45 +0900</pubDate>
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<title>君の名は。考察⑤　作品の評価を考える　と雑感</title>
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<![CDATA[ <p>君の名は。に関する色々な話題も２月はめっきり大人しくなり、波風という点ではほっとし、話題性という点では少し寂しくもある今日このごろ。</p><p>&nbsp;</p><p>そういえば関係ない話、少し前ローソンの５００円ガチャを一回だけやってきた。何がもらえるか、まあなんでも良かったのだが、、</p><p>　「一番くじ」だった。うんうん。</p><p>あ、F賞のミニグラスだった。店員のおっちゃんは「なんでも一緒みたいですねえ」と言っていたので適当に一番前のものもらって帰って（開けたらあほとバカでした）、よく見るといろいろ種類あったじゃないか、と気づいたりもして。</p><p>&nbsp;</p><p>あとそのうち、カップラーメンからのノートもらえるイベントは一回やってみよう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さて。</p><p>今さら感があるとかいう話しはおいて、題名のもの。</p><p>個人的な作品評価は、４か月近く熟成して自分なりにようやくまとめて書いた例のレビューで間違いないのだけれど、世間一般の評価や中長期的な評価について少しく考えてみよう。</p><p>&nbsp;</p><p>世間での認知度が上がり興行成績が上がるにつれて、この作品に対するアンチ的な評価もまた大きくなった、というのは全体的な傾向として見られる。</p><p>私が見ていたのは主に以下の４か所＋１</p><p>&nbsp;</p><p>①ヤフーの映画レビュー</p><p>②ヤフーのトップ記事とその感想</p><p>③某掲示板の速報</p><p>④ツイッターの検索</p><p>⑤たまに某掲示板の本スレ・興行スレ</p><p>&nbsp;</p><p>①トータルで考えるとものすごい作業量なのだが、実は、全部目は通している笑。</p><p>あまりはっきり書くのも問題だとは思うが、そう思えるということで書いておくと、おそらく業者でない熱心な信者（群）によるステルスマーケティングと捉えられかねない☆５と、それに対抗したアンチ☆１の両方の投稿が非常に多かった。秋ごろから凄惨な応酬が繰り広げられ、おそらく疲れてきたであろう信者側は興行実績や獲得した賞を並べ始める一方、アンチの弁はやや紋切型（ご都合主義や脚本の破綻・希薄なメッセージ性・子供向け・BGMなどが主流か）に流れたものの、両者でおそらくは複数の投稿者がスタンドアローンコンプレックスとなっていたようにも見受けられて興味深い。</p><p>それはさておき、この戦いの中で、当初4.6？ほどであった評価は、漸減し続け今に至っている。惜しむらくは、その中に良識的な個人の、賛否両論の生き生きとした批評の多くが埋没してしまったことである。いかにたとえ短文とはいえ、本当の一個人の若者が「面白かった。感動した。☆５」と評価しても、多くがこのレビュー戦争の中に埋もれてしまった事実は憂慮すべきである。ただ映画の「感想」という点では、ツイッターを媒体としたもの・そしてそれによる拡散が大きかったのではないかとも思う。もちろん称賛という点においてだが。</p><p>&nbsp;</p><p>②③⑤に添えて</p><p>2016年の年も深まってきたあたりからだろうか、こういった場所での「大人」の感想や評価が散見されるようになってきた。作品を貶めるのではない立場の登場である。曰く（個人的な印象）、</p><p>・興行収入として成功した作品だが、名作には遠い。</p><p>そこに各映画賞の受賞・落選の事実などが合わさりながら、また色々なスタンスでの細かい評価が分かれながら、若者が離れ大人が残ったその大人の感想として、多くみられる評価である。</p><p>こういうのがまさに現状としてあるように思われる。ただここに一つの問題がある。「君の名は。」はたしかに若者を中心にして流行した（「社会現象」になったとかという曖昧な判断は私はしない。流行したのは事実という立場）のだが、その流行の事実がさらに多くの人を呼んだ、流行したから流行したのであって、名作だから、作品に魅力があったから成功したのではない、という論調が少なからずあるということである。これはアナ雪にも見られたのではないかと思われる現象だが、私はアナ雪は観ていないので、これには触れないでおく。</p><p>さて、果たしてこれは本当なのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>ここまで来て(￣ー￣)ﾆﾔﾘとされる方もいるかもしれない。本作が公開前・公開当初どのようであったかを。</p><p>元々の新海ファン（私）・RADファン・映画ファンで予告に惹かれた人などなど・・・テレビや報道では朝の特定の番組などを除いては露出していなかった、誰も何十億とも予想できていなかった、あの夏の終わりを。</p><p>&nbsp;</p><p>④ツイッターに添えて</p><p>とするならば、本作の人気をまさに「支えた」のは、初動から１か月の間にわたって観た人々であるのではないか。そしてそこで出てくる感想や評価の第一は、「面白かった・感動した」であり、その漏れ出た声としてツイッターが挙げられる。またそれがリピーターや新規を呼び込むことになり、圧倒的な観客動員につながったのだ。</p><p>監督が「若者のために」という映画である以上、その時点での評価は推して量るべし、なのであり、今この現状は公開を長く続けているがゆえのジレンマなのだとも受け取れる。</p><p>&nbsp;</p><p>さて少し脱線したので、今後のことを考えよう。本作が今直面しているような批判にさらされているのは事実であるし、安心して気が付くと気の移ろいやすい若者に後年見放されないとも限らない。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば参考すべき作品群として、あえて「もののけ姫」「エヴァ」「ときかけ」などを挙げておく。</p><p>&nbsp;</p><p>もののけ姫は宮崎監督の渾身作であり、ナウシカ２がもしなければテーマ性として監督の代表作と言ってもいい作品である。その力強さは圧倒的であったが、メッセージ性が強すぎること・賞や興収で千と千尋の陰に隠れたことなどから、評価が割れてもいた。近年では逆に、千と千尋を招来した最高峰と称賛するケースも増えているように思う。</p><p>エヴァは書くほどでもないのだが、新劇場版が完結せずスルーされているところに鑑みると、個人的には、監督自身がこの作品を弄んでいるか貶めているような気がしてならない。おそらく手に余るのだろう。テレビ版を知るだけに、これから先、後年の評価が心配である。</p><p>ときかけは稀有な作品である。位置づけ的には「片隅」に近しい。私も当時テアトル梅田に阪急に乗って観に行ったクチなのだが、若者を中心にすがすがしい感動を共有できるとは、思ってもみなかった（当時）。その後若干埋没してしまった感や、それほどでもないといった評価も見受けられる。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、本作が今後どういう評価を受けるか、それは第一に監督の次回作のスタンスに寄るところが大きい。本作を本作単体では、評価しづらいのだ。言の葉のような中編をはさむのか、本作で出た豊富な資金を頼りに一大スペクタクルを展開するか。何にせよ前途多難に思えてしまうのだが、そこは図太い監督の肝と無精髭に期待し拝むところや大である。</p><p>&nbsp;</p><p>にせよ、結局のところ本作が名作であると、あってほしいと願う私は、やはり、根からの新海信者なのだろう笑</p><p>&nbsp;</p><p>また気になったところがあったら続きで書きます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rnamekawa/entry-12246625495.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Feb 2017 01:34:51 +0900</pubDate>
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<title>今期アニメのただの覚書</title>
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<![CDATA[ <p>　全く期待できないで始まった今期アニメだが、いろいろ予想外で面白いものも多い。</p><p>　とりあえず視聴しているものを書いてみる</p><p>&nbsp;</p><p>・このすば２・・・これが覇権とか世も末、という意見が散見されるが、個人的には1期から面白く観ている。こういうアニメもいいな、という印象。</p><p>&nbsp;</p><p>・ACCA13区監察課・・・タッチが少女漫画に見えるが、組織に生きる人間の権謀術数が見て取れて面白い。一話で出てきた地方監察官のお姉さんが以後出てきてないのには異論を唱える。</p><p>&nbsp;</p><p>・鬼平・・・人物作画に違和感を感じるところもあるが、脚本・演出合わせて高いレベルにある。岩男さんが出てきてファンとしてはにっこり。ダークホースと呼ばれるのも納得。</p><p>&nbsp;</p><p>・クズの本懐・・・雰囲気的に悪の華に近い印象を受ける。思春期を中心とした男女関係から人間の欲望の心理を描こうとしていて、展開が楽しみ。</p><p>&nbsp;</p><p>・風夏・・・大作・名作志向とは離れているが、気楽に観られる点・音楽を楽しめられる点が良い。そういえば制作がイカ娘と同じらしい、海の家の様子が似ていて笑った。</p><p>&nbsp;</p><p>・南鎌倉高校女子自転車部・・・けいおんとばくおんを足して３で割った感じ。ただ、鎌倉を美しく描いていて背景が見ていて心地よい。Elfenファンにはいろいろ感慨深い画も多い。</p><p>&nbsp;</p><p>・幼女戦記・・・個人的には一番面白く観ている。魔法少女ものに対抗している印象を受けるが、それよりも主人公のセリフから伺えるコミカルさ・軽妙さ・ウィットを楽しめるのが独特で良い。欧州舞台がイゼッタから続いているのは理由があるのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>基本楽しめればそれが一番だと思うので、挙げなかったものを卑下しているわけではないです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rnamekawa/entry-12243425038.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Feb 2017 00:12:15 +0900</pubDate>
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<title>君の名は考察④ 三葉は瀧の手に何を書こうとしたか？「問題」補遺</title>
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<![CDATA[ <p>　前回の続きにしてまとめなので、前回を未読の場合は、</p><p>　このくそ見にくいブログのどこからか辿ってそちらを先に読んで頂くのがよいかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　前回から、書いた内容を漬物のように浸しておいて、自分の今現在での答え（解釈）がまとまったような気がした。忘れないうちに書きとどめておきたい。ただこれは例えば秒速のラストがハッピーか否かについての議論と同じく、畢竟個人の見解が究極のファイナルアンサーであるということは予め確認しておく。</p><p>（例えば個人的に、雲の向こうや秒速の結末はカタルシスを偽装したバッドエンドであり、本作の結末は、ハッピーエンドの中に、ヤフーレビューに書いたような困難な前途を予期させる、といったあくまでも個人に根差した解釈、ということになるのです。）</p><p>&nbsp;</p><p>前回の議論を踏まえ、私の立場ををまとめておくと、</p><p>・瀧は名前を書いた場合、いずれかの時点で名前が消えてしまうことを予感していたかは、どちらとも取れる。（ただ名前が薄れることを高山・宿で経験済み。）</p><p>・その予感よりも、互いの名前を書こうと持ち掛けたとき、もし三葉の名前が手に残っていた（あるいは名前を覚えていられた）ときに、それを頼りに自分が会いに行く、という決意を持っていたからこその言動ととらえられる。（そうすれば、再開したときに名前はまた告げればよい、ということで名前よりもすきだと書いた。）</p><p>・三葉は瀧が何を書いたかは確認してはいない。（見えなかったのと、状況把握）</p><p>・ゆえに、前回膨らませたわりに、三葉は意外と単純に映画で描写された通り（純粋派。性格的に「すき」とは書けないだろうという立場でもある）というもの。</p><p>&nbsp;</p><p>で結論。</p><p>　平仮名か漢字かは不明だが、三葉は劇中に表面上描写されている通り、名前を書こうとした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>とここまで書いて、例の反論が頭をよぎるのでそれに対する持論を書いておきたい。</p><p>&nbsp;</p><p>「み」が真っすぐ見えるという表象自体が、良し悪しはともかくリピーター戦略なのである。良く注意して複数回視聴してくれるファンへのご褒美的な。「―」も、不自然な書く位置も、すべてはここに収束する。</p><p>&nbsp;</p><p>だが、本作の当初の立ち位置をもう一度改めて考えれば、そのような細かい解釈以前に、本作は大きな設定を成り立たせなければならないことに改めて気づく。</p><p>入れ替わり、ズレ、再生・・・</p><p>そうしたことを観客に理解させなければ、山頂でのカタワレ時も何にもならない。とすれば、ピークの一つである山頂での邂逅を、そこまで描写に反して言外の意味を持たせるか？というのが所与の作為を想像しての疑問であり、自然な解釈と言えるのではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>あと、容易に想像できることだが、所与の作為のまま進んで、転んだ三葉が手の平を覗いたからこそ得られた作中随一の山場の感動を、それを外してどう補完できるのか、という問いをあえて投げかけておく。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/rnamekawa/entry-12242154014.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Jan 2017 02:23:07 +0900</pubDate>
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<title>君の名は考察③ 三葉は瀧の手に何を書こうとしたか？「問題」</title>
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<![CDATA[ <p>　これを「考察」ではなく「問題」としたのには理由がある。議論の途中は大体既出のものを踏襲しているので、そういう方は最後のほうだけご覧いただければ十分かと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>「カタワレ時」に山頂で2人が邂逅したとき、</p><p>瀧「なあ、三葉、目が醒めても忘れないように、名前書いておこうぜ」</p><p>&nbsp;</p><p>で、瀧が書いたのは平仮名で「すきだ」</p><p>&nbsp;</p><p>それに対し、三葉は瀧の手の平に何を書こうとしたのか、というもの。</p><p>主に可能性は以下の４つ。</p><p>&nbsp;</p><p>①「みつは」</p><p>肯定点：話の流れ的に一番自然である。</p><p>否定点：入れ替わりの最中に三葉が瀧の手の平に書いた「みつは」の筆跡と異なる。（散々既出だが、「み」の書きはじめが違うというもの。）</p><p>&nbsp;</p><p>①の主に否定点を踏まえ、以下の解釈が出た（？）。</p><p>&nbsp;</p><p>②「すきだ」ないし「すき」</p><p>肯定点：実際に書いた　「―」の筆跡に合う。瀧が書いていたとき三葉はそれを見ていたのだから、瀧に合わせた（相思の確認）</p><p>否定点：流れ的に一番不自然</p><p>&nbsp;</p><p>③「三葉」</p><p>肯定点：①と同様、話の流れに自然である。更に「―」に合う。</p><p>否定点：この場だけ、しかも時間がないと言っているのに漢字で書く訳がない。手の平スペースなさすぎ</p><p>&nbsp;</p><p>④その他</p><p>肯定点：もう観た人の解釈でよくない？</p><p>否定点：他って具体的に何よ？</p><p>&nbsp;</p><p>ここで④は考察を省略する。</p><p>①②③についてだが、どれも尤もな理由であるものの、否定点が大きくなりすぎてどれも決定的な解釈にならない。</p><p>&nbsp;</p><p>①ストーリーを楽しんで鑑賞しようとするなら一番良いし、初見での印象もこれ。ただ筆跡が一番問題であり、流れに「自然」ととるなら、あの状況でのみ筆跡が変わるとは考えづらい。</p><p>「み　と書こうとしたんだがその瞬間に消えたんだよ！」</p><p>→「消える前に真っ直ぐ書いているだろ、どこ観てたんだよ」</p><p>「そのときには既に消えかかっていた、あと、ぺ、ペンの自重も・・・」</p><p>→「精神病院へどうぞ」</p><p>となり、やや一方的な水掛け論になる。</p><p>&nbsp;</p><p>②尤もであるものの、不自然。主に理由は２つ。</p><p>１．劇中から受け止められる三葉像からして、また「名前を書こうぜ」と言われたあとの、あの「うん！」の画から見てもその言葉通りに受け止めるはずだということ。</p><p>2．転んだあとで右手を覗き込んだときの反応が、初見に見えること。（「名前を思い出せんの」からの流れもあり）。名前が書いてあると思ってみたら予想外だった、というのが一番自然な流れ。</p><p>→「いや、むしろそれそのものが「すきだ」と騙し合った因果なのでは？」</p><p>となり、堂々巡りになる。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ②は大きく二つの前提に分かれるのではないかと思う。つまり、三葉は瀧に書かれた内容を確認していたかどうか、である。</p><p>&nbsp;</p><p>・確認していた派</p><p>「手先を見ていいただろ、当たり前だろ。」</p><p>この場合、「名前書いておこうぜ」に対し二人とも確信犯的に反したことになる。すると三葉の「うん！」の笑顔はどちらかといえば好意とその確認から来ているものととれる。するとよくよく考えると、これは視聴者に向けて「仕組まれた」壮大なミスリードになる。</p><p>&nbsp;</p><p>・確認していない派</p><p>「男の手は大きい。その下に女の手では、何が書いてあるか読めないのでは？」</p><p>「三葉にとって意外だったから、字を読むより状況把握していたのでは？」</p><p>「逆さまに書かれた字、三葉読めないんじゃないの？笑」</p><p>（あ、このセリフ調の言葉は書きやすいように論者を想定して書いているだけです、深い意味は全くないです）</p><p>確認していないからこその、×の字のような思いのすれ違いが見て取れて深い。だが、やはりあの状況で、そのように策略的である必然性がない。瀧がすきだと書いたのには、名前を書けば消えてしまうのを危惧したのが一番だと考えられる。</p><p>&nbsp;</p><p>さらに第3の立場として、</p><p>・中身は確認していないがそこだけ騙そうとした派</p><p>「瀧くんは名前書くやろうから、日ごろの仕返しせなあかんし、裏を書いてすきと書いてやったんやよ(^^♪　年上の余裕～」</p><p>&nbsp;</p><p>となり、はっきり言って、もう訳が分からない。</p><p>&nbsp;</p><p>さて長くなってきたので「問題」に移りたい。</p><p>個人的には、公式に発表がない限り、そんなもの個人の解釈の範囲に過ぎないしそれが作為だと考えられる。ただし人間はその先を考えたくなるもの。「あの世」から帰ってきた一等大切なものとして記憶を差し出さなければならなかったという設定（これはデフォルト事項）のように、観れば観るほど考察できてしまう「君の名は。」はまさにスルメのようである。</p><p>ただそれが相いれない解釈への排他的な姿勢につながってはならない。多様な解釈ができるというその点が本作の魅力であるとは、私もこの作品の評価の根幹に位置しているところである。</p><p>&nbsp;</p><p>ではそれを踏まえて最終的に何が問題であるのか。敢えて書くと、そこが本作の（脚本の）「ご都合主義」に重ねられてしまうという点であり、さらに解釈の余地をあえて残すという戦略が「あざとさ」につながりかねないという点である。</p><p>&nbsp;</p><p>余地をあえて残したと思える根拠は、「―」より以前に、</p><p>「三葉の書き出しが、手の平のあまりに中央に寄りすぎていること」</p><p>であると思う。</p><p>正直、これでは何とも書きづらいのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>劇中で三葉が書いた「みつは」と、瀧が書いた「すきだ」は、明らかに書き始めの場所が異なっている。件の三葉だけが、わけのわからないところからスタートしているのである。</p><p>&nbsp;</p><p>一つの解釈として、三葉はシャイで気が小さいから、あの局面ででかでかと書くことも憚られて小さく書こうとしてあの位置になった、ということが考えられる。（夢では見られていないから気兼ねなく書けた）</p><p>・・・考えられるとして、このように書いてきたら、そのようにも思えてきた。三葉はシャイなのだ。すると「すき（だ）」とは、たぶんやはり、あの局面においてさえ、書けなかったのではないだろうか？</p><p>&nbsp;</p><p>・・・問題点である。つまり余地を残すといった、こういった深みは、支持者には好まれるがアレルギー反応を起こす場合には猛毒になりうるということに他ならない。</p><p>ただ、もともと新海作品など、誰が始め期待していただろうか？　賛否両論ふまえてここまで盛り上がっただろうか？</p><p>そう考えると、以上全ても作り手の意図として糸のように手繰り寄せられるのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>次回作は、方向性がむずかしいなあ。</p>
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<pubDate>Wed, 25 Jan 2017 01:48:57 +0900</pubDate>
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<title>無題</title>
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<![CDATA[ <p>　imax　　まだ行ってない行きたい　観たい　うｂったｇじゃうちゃｈｆｓｈｓｊｓｊ</p>
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<link>https://ameblo.jp/rnamekawa/entry-12240641576.html</link>
<pubDate>Mon, 23 Jan 2017 02:01:37 +0900</pubDate>
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<title>2006年</title>
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<![CDATA[ <p>アニメOP動画を観ている。</p><p>&nbsp;</p><p>武装錬金、NHK、ゼーガペイン、FateStaynight、うたわれ、ハルヒ、ブラックラグーン</p><p>&nbsp;</p><p>ひぐらし、ギアス（縁なくてまだ観てないグループ）</p><p>&nbsp;</p><p>うむ・・・豊作でしたな・・</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>あれエルゴー2006?</p><p>リル・メイヤーはいいヒロインだったｗ</p>
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<link>https://ameblo.jp/rnamekawa/entry-12238518094.html</link>
<pubDate>Mon, 16 Jan 2017 03:39:17 +0900</pubDate>
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<title>君の名は考察② どこが良いのか？問題 　続き</title>
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<![CDATA[ <p>続き。あくまでとりとめなく。</p><p>&nbsp;</p><p>　評価できる土壌を持たなかった、という点に関して。</p><p>　本作に近い土壌を持つ作品として、タイムリープでいえば『時をかける少女』、飛翔物落下では『サマーウォーズ』が挙げられる。そういえば二つとも細田作品だったことは忘れやすい事実だが・・・</p><p>　非常に憶測でしかないのだが、本作品が興行的に成功した理由の一つ（リピーター除く）には、アニメという土壌の中でも本作品が新鮮に見えたからだと思う。</p><p>　分かりやすい他の例でいえば、音楽で人々の好みやニーズが細分化した結果、新しい（と思える）分野やジャンル、引いては聴いてみて良かったという体験が、本作でまさになされたと考える。</p><p>　言い換えると、時かけやサマウォなど、類似する作品群を容易に想像できながら（世代的にその前は知らんですがなｗ）、消費者としては映像・ストーリー・音楽・演出など目新しいものであるだけでなく、説教臭いテーマ性や小難しい論理展開を無視して感情移入しやすい作品としてできあがっていたのではないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　そう考えると本作は、あくまで私の中ではあるが初期宮崎作品、中でもナウシカの作品・世界観に近しい印象を受ける。（そのあたりはまた項を改めて・・）</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、本作はご都合主義とも揶揄され、一方で心ない業界人から叩かれたのも事実だ。</p><p>これをどう受け止めるか。</p><p>&nbsp;</p><p>これに対しては私は立場はおそらく変わらない。</p><p>つづく</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/rnamekawa/entry-12238191077.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Jan 2017 03:05:54 +0900</pubDate>
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