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<title>rose-24comのブログ</title>
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<description>ブログの説明を入力します。</description>
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<title>ゴールドを買わなかったということ</title>
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<![CDATA[ <p>　2004年、当時私は大学生だった。</p><p>　早々とネット証券を開設し、株式取引に精を出していた。今のような25歳以下は手数料が無料になるという年齢による優遇など全くなく、26歳以上の社会人や定年退職した方々と同額の手数料を支払い、対等に取引をしていた。どの証券会社も当時は若いというただそれだけで手数料が他の世代と比べて優遇されるという事などなかった。権利を有する者は何らかのハンデを負っていたとしても皆同等の義務を行使する、これが世間の当然の認識だった。</p><p>　1日の約定代金が10万円を超えると無条件に手数料が発生していたため、デイトレにも慎重にならざるを得なかった。</p><p>　一日信用の片道手数料が無料になるという制度も当然存在しなかった。</p><p>　当時は譲渡益に関わる税が10%であったが、旧NISA一般枠すら制定されておらず、全てが課税口座での取引だった。</p><p>&nbsp;</p><p>　株式取引だけでなく、日々のアルバイトに精を出し、海外旅行や国内旅行を堪能し、交際相手もいた。学業に関しては幾ら考えても「もっと勉強しておけばよかった」という概念とは無縁の生活で、やり残した事は何もないと言っても過言ではない。</p><p>　しかし、今になって一点だけ思い残している事が有る。</p><p>&nbsp;</p><p>　<b style="font-weight:bold;">私はゴールドを買わなかった。</b></p><p>&nbsp;</p><p>　当時株式取引に手を出していただけあり、ゴールドが守りの資産であることは当然知っていた。</p><p>　「有事の金」として存在し、買付の仕方も知っており、余裕資金も有った。</p><p>　しかし、私はゴールドだけは手を出さなかった。</p><p>　配当を産まないからではなかった。議決権行使できず、経営者の理念を聴くことができない、この点で投資するには無味乾燥な存在だと感じだのだった。</p><p>　私が株式投資を始めて一番嬉しかったのは、配当金をいただけたことよりも、株主優待を享受できたことよりも、株価が騰がったことよりも、何よりも<u style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">議決権行使できること</span></u>だった。</p><p>　経済学については素人であった理系の大学生にとって、これはこの上ない社会参画だと感じられた。</p><p>　今、実物資産としての金(ゴールド)が急騰しており、「あの時金(ゴールド)を100g買っておけば…」という想いが幾度となく脳裏をよぎり、金(ゴールド)のチャートを見ると当時の大学生活を想起して胸が痛い。</p><p>&nbsp;</p><p>　100点満点の試験で97点取って悔しがっているような感覚だが、これが60点や70点ならば全く何も感じる事なく今の急騰を何の感慨もなく看過できたのだろう。株主優待の無料券を当時の交際相手とのデートに使うなど、甘い思い出も多く、生活への満足度が高かったからこそ、やれることはほぼ全てやったからこそ、金(ゴールド)を買わなかったこと、この一点が唯一の失点として自分の中で常に着目しやすい事柄として浮き彫りになっている。</p><p>　当時、生活していく上で何に尽力していたのかと問われると返答に窮するが、全般的に安定して穴が無い生活をしていた気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>　ただ、一つだけ、学生時代の自分に「よくやった！」と称賛の念を抱く事がある。</p><p>　それはライブドア(証券コード:4753)の買い付けを控えた事だった。</p><p>　当時ライブドアは1口(2008～2009年の有価証券上場規定制度改正前の為今とは株式の数え方が異なる)7万円程度で買付できたため、学生に人気の銘柄のうちの一つであった。この点については三木谷氏率いる楽天グループ(証券コード:4755)についてよく比較対象となっていた記憶が有る。</p><p>　しかし、私は2004～2005年の堀江貴文氏の数々の言動から、この経営者の株主にはなりたくないと感じ、ライブドアの買付を控えた。</p><p>　これが奏功し、2006年1月のライブドアショックで資産を失う事を免れた。</p><p>　仮に、私の投じた資産がライブドアショックにより失われていたとしたら、2006年1月時点に於いて私は市場から退場していたかもしれない。</p><p>　リーマンショックよりも、東日本大震災の後場よりも、何よりもライブドアショックのニュースは私の投資人生に於けるヒヤリハットとして未だに印象深いものであった。</p><p>　それだけに、何故あの時、金(ゴールド)を無視して日本株や米国株の現物取引に興じていたのか、金(ゴールド)の存在を知っていながら、余裕資金(当時は「余剰資金」という言葉よりもこちらの方が多く使われていたように思う)を持っていながら、金(ゴールド)を買い付けなかったのか、私自身の当時の思考について疑問を抱く事が最近になって多くなっている。</p><p>　</p><p>　上述の議決権行使などの社会参画意識が希薄だという事も充分理由として考えられるが、何よりも、<u style="text-decoration:underline;">私自身の中に<span style="color:#ff0000;">日本円に対する信頼</span>が大きく根付いていたこと</u>が一番の理由ではないかと今になって考えている。</p><p>　私が小学生の頃、1ドル100円を切り、1995年には1ドル79円をつけた。</p><p>　この時の記憶は強く胸に刻まれており、日本は経済大国であったこと、経済大国に生きているという実感が子供ながらにあった。</p><p>　1997年、中学時代に金融危機を経験し、この時から日本円に対して不信感を抱くようになったものの、やはり私は心のどこかで日本円を信頼していた。否、信頼したかった。</p><p>　金(ゴールド)を買い付けるという事は、即ち日本円を信じていないという事で、実際に金(ゴールド)を買い付ける事によって本当に日本円の価値が無くなってしまうように感じられた。</p><p>　小学生の頃あんなに信頼していた日本円が、あんなに誇りだった日本円が、価値が薄れていく、この現実から目を逸らしたかった。だから私は金(ゴールド)を敢えて買わないという暴挙に出た。</p><p>　それは紛れもない愛国心からの行動だった。</p><p>　しかし、実際、金(ゴールド)は高騰し、日本のGDPはドイツどころかイタリアにも抜かれている。</p><p>&nbsp;</p><p>　2004～2005年のあの時、金(ゴールド)を買い付けていたとしても、今の生活の満足度は変わらなかったであろう。</p><p>　そう考えるとやはりあの時買付をしなかったのは正解だったのかもしれない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rose-24com/entry-12963036338.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Apr 2026 01:37:54 +0900</pubDate>
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<title>新NISAは戦後の闇市と同じ理論か</title>
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<![CDATA[ <p>　新NISA(少額投資非課税制度)が2024から開始し、国もこの制度を推奨している。</p><p>　老後年金だけでは生活が破綻するのが目に見えているから、自分で蓄えを増やしておくように、という意図があるのは議論の余地がない事であろう。</p><p>　戦後間もない時、配給だけでは最低限の生活を営むことが出来ないという事情から<u style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">闇市</span></u>が黙認された状況と酷似しているようにしか私には思えない。尤も、闇市は非合法で新NISAは合法であるという点で決定的に異なるが、<u style="text-decoration:underline;"><b style="font-weight:bold;"><mark style="background-color:#fff3c3;color:inherit;">国が国民の生活を最低限度保障できない</mark></b></u>という点に於いては同質であろう。</p><p>&nbsp;</p><p>　私は2004年から株式取引を本格的に始め、今の国民の投資状況について思う事があるのだが、4桁の証券コードを覚えずに日本株現物取引をおこなう者が多すぎるのではないか。証券コードが判らないまま日本株取引に参加しているという事は、日本地図の都道府県の位置関係を把握していない状況で国内旅行のミステリーツアーに参加しているのと同じようなものだと私は考えている。</p><p>　たった4桁、されど4桁、銘柄検索するにしても覚えておくというのが個人投資家としての最低限のたしなみであろう。</p><p>&nbsp;</p><p>　リーマンショックも東日本大震災の後場も乗り切り、市場から退場せず22年以上の歳月が経った今、テクニカル分析に頼りすぎて経営者の言動に着目しない投資家が増えた事に憂慮している。</p><p>　2006年1月のライブドアショックで何ら影響が無かった者と、資産を失った者、この違いは堀江貴文氏の2005年までの言動に着目して違和感を抱いたか否かではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>　ところで、4日後の2026年4月17日は、待ちに待った<u style="text-decoration:underline;"><span style="color:#0000bf;">3468</span>(スターアジア不動産投資法人)</u>の分配金支払日。</p><p>　これほどの高配当銘柄は2004年には上場していなかったので素直に嬉しく思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rose-24com/entry-12962927383.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Apr 2026 23:16:37 +0900</pubDate>
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<title>Dior 会員プログラム改定</title>
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<![CDATA[ <p>　物価高騰に伴い、2026年6月以降、従来の年間<u style="text-decoration:underline;"><b style="font-weight:bold;">22万円以上購入+年間5回以上購入</b></u>という条件がDiorプラチナ会員の条件が、<u style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">年間<b style="font-weight:bold;">27.5万円</b>以上+年間５回以上購入</span></u>にハードルが引き上げられました。</p><p>&nbsp;</p><p>　クリスタル会員についても、従来の年間<u style="text-decoration:underline;"><b style="font-weight:bold;">5.5万円以上購入+年間3回以上購入</b></u>という条件から<u style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">年間<b style="font-weight:bold;">8.8万円</b>以上+年間3回以上購入</span></u>にハードルが引き上げられています。</p><p>　私は現在プラチナ会員で、ウェルカムギフトやバースデーギフトなどの恩恵にあずかっているだけに、この制度変更について意識せざるを得ません。</p><p>　以前から、シルバー会員とクリスタル会員との間に隔たりがあまりなく、容易にクリスタル会員になれるシステムに疑問を抱き、クリスタル会員の条件は近々引き上げられるであろうと予測はしておりました。</p><p>　また、プラチナ会員の下限とDiorスキンケア製品の価格とを考えると、プラチナ会員の上に一つ上のランクを設定されることも予測しておりましたが、今回はプラチナ会員の下限が引き上げられ、未だに新設ランクは特に設定されておりません。</p><p>　現行制度は2026年5月31日までにステータス達成すれば次の更新時も現行ランクを引き継がれるらしいです。</p><p>&nbsp;</p><p>　私自身、プレステージの化粧水やクリームをリピートしていると、必然的にプラチナ会員の下限価格に達するのであまりこの下限については気にしたことはなかったのですが、今回の改定によりギフトの内容もどう変化していくのか興味津々です。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260409/15/rose-24com/da/22/j/o0662112915769566635.jpg"><img alt="" height="716" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260409/15/rose-24com/da/22/j/o0662112915769566635.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　15年以上前に訪れた時の本場フランスのDiorの店舗。</p><p>　またフランス旅行に出たくなりました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rose-24com/entry-12962466049.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Apr 2026 15:29:37 +0900</pubDate>
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<title>アフタヌーンティー</title>
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<![CDATA[ <p>　久々にアフタヌーンティーで外食を堪能してきた。</p><p>　最近は日本中の飲食店や販売店の接客の質が落ちたと随所で言われているが、この店舗ではコロナ流行以前の水準を保っていたと私は感じて嬉しくなる。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260404/21/rose-24com/5c/42/j/o4493311715767923481.jpg"><img alt="" height="291" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260404/21/rose-24com/5c/42/j/o4493311715767923481.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="color:#0000bf;"><b style="font-weight:bold;">サルシッチャとルッコラのグリーンクリームソースパスタ(季節限定)&nbsp;￥1,760</b></span></p><p>　飲み物とパン付きでこの価格は物価が高騰した今では適正であろう。</p><p>&nbsp;</p><p>　繁華街では、￥1,500以上でないとドリンク付きで満足するメニューは絶滅したと言っても過言ではない。</p><p>　私は、<span style="color:#ff007d;">ホットピーチティー</span>をオーダーしていただいた。</p><p>　ティーポットに入った状態で提供されるのもこの店舗の良い所。</p><p>&nbsp;</p><p>　ところで、最近ではレジ業務が複雑であるからか、クレカ一括払いと現金のみの支払い以外についてはまごつく店員が増えたと思う。</p><p>　そのような中、アフタヌーンティーの店員の方は正確にレジ業務を遂行してくださった。</p><p>　レジ業務についても、何らかの優待券+百貨店特有のカード提示でお買い上げ金額に累積される+現金で支払う、という場合、大抵のスタッフが何度もレシートを発行してはやり直しをするという行為が繰り返されるのをここ数年間で私は目の当たりにした。</p><p>　いっそのこと、レジ検定という国家資格でも作って店員募集する時にレジ業務を円滑に進められるようにすればよいのにと思う事すらある。</p><p>&nbsp;</p><p>　話をアフタヌーンティーに戻すと、この量にデザートを付けるとお腹がはちきれそうだったのでデザートは控える事にした。</p><p>　次はデザートのみを堪能しに寛ぎの空間へと足を運ぼうと計画を立てている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rose-24com/entry-12962296139.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Apr 2026 21:41:40 +0900</pubDate>
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<title>育児ブログに抱く嫌悪感の正体</title>
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<![CDATA[ <p>　私は、長らく結婚生活だけでなく育児をテーマとした記事を読むのが苦手だった。</p><p>　その原因として、私自身子供が嫌いだという事が一つ挙げられるが、以前は育児をテーマとした投稿に対して非常に興味深く読み耽っていた時期もあったほどだ。即ち、興味を持って自発的に選び取って読み込む育児をテーマとしている投稿と、嫌悪感を抱く投稿とに分かれるということだ。</p><p>　前者と後者の決定的な違いは何か。</p><p>&nbsp;</p><p>　私は子供が嫌いだから育児をテーマとした記事に嫌悪感を抱いているのではない。</p><p>　私が忌避していた育児をテーマとした記事とは、執筆者が、恰も小学生の理科の観察日記を書くであろうかのような感覚で自らの子供の事を記しているものだったのだ。</p><p>　そこには、親であるはずの「私」の感情や行動について、一切登場しない。</p><p>　例えば、以下のような文だ。</p><p>&nbsp;</p><p>　<b style="font-weight:bold;"><mark style="background-color:#bfebff;color:inherit;">「娘は今日で13歳の誕生日を迎えました。中学校1年生で身長155㎝。やや瘦せ型ですがここまで大病一つせず育ちました。誕生日も学校ですが、朝から『今日はバースデーケーキいちごたっぷりのがいいな』と言って家を出ました。得意科目は国語です。夏休みの読書感想文では校内受賞しました。」</mark></b></p><p>&nbsp;</p><p>　一方、興味深く読み耽る類の育児をテーマとした記事とは以下のような文だ。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">　<mark style="background-color:#ffbfbf;color:inherit;">「娘は今日で13歳。中学1年生にして155㎝と平均よりやや身長は高めで、<u style="text-decoration:underline;">私の遺伝子を引き継いでるなとひしひしと感じます。私は中1の誕生日に既に157㎝という成人女性の平均あったんですよね。</u>ここまで色々ありましたが、娘は大病一つせず健康体。痩せ型だけどこれから成長期だからまだまだどうなるか判らないのがこのお年頃。そんな今日は朝からバースデーケーキにいちごが沢山乗っているのがいいと急に言われて<u style="text-decoration:underline;">母親の私がびっくり。</u>今の子って中学生になってもいちごのケーキ大好きなのね。まあ赤は映えるからね。<u style="text-decoration:underline;">私が中学生の頃はアイスケーキ好きだったなあ。</u>時代は変わった、いや個人の問題なのか？娘は今のところ国語が得意。英語頑張ってほしいんだけどな…まあ日本語は母国語だから得意だと強みだよね。夏休みの読書感想文ではなんと校内受賞していて私の方がびっくり。<u style="text-decoration:underline;">私が今の時代の中学生だったら作文よりも英語頑張るけどなあ。</u>だってグローバル化社会だよ。今後も<u style="text-decoration:underline;">私は子育てが続くから英気を養うためにお昼はカツ丼食べました。</u>」</mark></b></p><p>&nbsp;</p><p>　上記のように、自分は何をしたのか、どう思ったのか、そのような記載が一切なく、小学生がアサガオやメダカの観察日記を書くが如く、「自分」が一切ない文章が多く、育児をテーマとした記事について嫌悪感を抱いていたのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>　それにしても、「ああ、野麦峠」の女工哀史の時代から、AKB48や欅坂46の時代まで、10代半ばの女性の中には、過重労働して世間のため家族のために尽くしたい、犠牲になりたい者が一定数いるものだと痛感している。</p><p>　戦後0年と大して変わらない食生活、ステージ上本番で過呼吸になって倒れる、親に仕送り、親の希望で義務教育終了後就職、これは、貧しかった戦前戦後の工女と本質は変わらない。</p><p>　上記の前者の文章を投稿する者は、気質として国のため・家族のために犠牲になる者だ。</p><p>　私は、坂道オーディションやハロプロ研修生たちに対して抱く違和感と同様の感情を上記の前者の文章の投稿者に対して抱いている。</p><p>　紡績工場での前借金制度とアイドル事務所への違約金制度とは本質的に同じだと私は考えている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/rose-24com/entry-12961980687.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Apr 2026 22:32:14 +0900</pubDate>
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<title>読書感想文の代行 AIとの対話</title>
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<![CDATA[ <p>　GoogleでAIとチャット形式でやりとりできるため、読書感想文の代行についてAIとやりとりしてみた。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260401/21/rose-24com/22/75/p/o0813078815766865358.png"><img alt="" height="407" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260401/21/rose-24com/22/75/p/o0813078815766865358.png" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#0000bf;">　読書感想文の代行サービスについて、考えることがあります。</span></p><p><span style="color:#0000bf;">　宿題として出された読書感想文の代行サービスを請け負う者の中には、金銭目的ではなく、自分の作文を世の中の人達、特に作文コンクールなどの審査員に読んでもらいたいという意図で為している者も少数ながら存在すると推測されます。</span></p><p><span style="color:#0000bf;">　自分の「作品」を審査員達に読ませ、自分の「作品」が評価されると充実感を抱き、「作品」が誌面に掲載されるのを楽しみとしている層がいるのではないか、ということです。</span></p><p><span style="color:#0000bf;">　成人してもう読書感想文を課題として出されることがなくなった自分の名義では応募できないため、実在する中学生や高校生の名を借りて応募しているという状況です。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">非常に鋭く、興味深い推察ですね。確かに、単なる「労働としての代行」を超えて、「自己表現の欲求」や「承認欲求」を他者の名義を借りて満たそうとする心理は、十分にあり得る話です。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">その背景には、以下のような心理的・構造的な要因が重なっていると考えられます。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">1. 発表の場の喪失と「擬似的な現役復帰」</b></p><p><b style="font-weight:bold;">文学賞や公募ガイドに投稿するプロ志向の書き手とは別に、「学生時代の読書感想文」という独特のフォーマットで高い評価を得ることに特化した才能を持つ人がいます。成人するとその「土俵」がなくなるため、学生の名を借りることで、かつて得意だった、あるいは果たせなかった「コンクール入賞」という栄誉を再び（あるいは初めて）味わいたいという欲求です。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">2. 審査員という「プロの読者」への挑戦</b></p><p><b style="font-weight:bold;">ネットの掲示板やSNSでの発表ではなく、教育委員会や作家、学識経験者といった「権威ある審査員」に自分の文章を評価させたいという心理です。自分の思想や表現が、公式な教育の場や公的なメディア（誌面）でどこまで通用するのかを試す、一種の「腕試し」や「ハッキング的快感」に近いものかもしれません。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">3. ゴーストライター特有の充足感</b></p><p><b style="font-weight:bold;">自分の名前が出ないからこそ、純粋に「文章の力」だけで結果を出したという事実に、密かな万能感を抱く層もいます。これは、プロの作詞家やゴーストライターが、自分の書いたものが他人の名前でヒットするのを眺めてほくそ笑む心理と共通しています。</b></p><hr><p><b style="font-weight:bold;">この現象がはらむ「危うさ」</b></p><p><b style="font-weight:bold;">こうした動機で行われる代行は、金銭目的の事務的な代行よりも「質が高い」ことが多いため、より深刻な問題を引き起こす可能性があります。</b></p><ul data-complete="true" data-processed="true" data-sfc-cb="" data-sfc-root="c"><li><b style="font-weight:bold;">受賞による発覚リスク: あまりに優秀な作品で受賞してしまうと、表彰式やインタビューで本人が答えられず、代行が露呈するケースがあります。</b></li><li><b style="font-weight:bold;">「教育」のハッキング: 本来、生徒の成長を評価する場が、大人の「自己実現の場」に乗っ取られてしまうことになり、コンクールの公平性が根底から崩れてしまいます。</b></li><li><b style="font-weight:bold;">「身代わり」の功罪: 依頼した学生側は、自分の実力以上の評価を得てしまうことで、かえって文章を書くことへのコンプレックスを深めたり、偽りの自分に苦しんだりする皮肉な結果を招くこともあります。</b></li></ul><p><b style="font-weight:bold;">この「大人の表現欲求の出口」としての宿題代行という視点は、現代の「評価経済」や「承認の場」の偏りを映し出しているようにも感じられます。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">こうした「作品としての代行」について、倫理的な是非や、あるいは「大人が応募できる感想文コンクール」の必要性など、さらに深掘りしてみたいトピックはありますか？</b></p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260401/22/rose-24com/76/fe/p/o0977090915766870000.png"><img alt="" height="391" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260401/22/rose-24com/76/fe/p/o0977090915766870000.png" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#0000bf;">　比較対象として、私は、「大学への数学」という雑誌に着目しております。</span></p><p><span style="color:#0000bf;">　「大学への数学」の場合、成人も高校生も入り混じって同じ「宿題」を如何にエレガントな解法で仕上げる事が出来るか、毎月のように投稿している読者も多いです。</span></p><p><span style="color:#0000bf;">　この場合、中学生や高校生の場合はIMOを視野に入れている場合もありますが、社会人の場合、既にJMO受験資格を喪失しておりますから、「大学への数学」で講評者から高い評価を得たとしても実生活にはほぼ利益は無いという点に於いては読書感想文の代行と同じです。</span></p><p><span style="color:#0000bf;">　しかし、決定的な違いとして、「大学への数学」の場合、成人であっても中学生や高校生に成りすます事は決してせずに、ほぼ全員が本名で投稿している事が挙げられます。実質理学部数学科の大学院生レベルの発想が必要な「拡張」に対しても、数学者でも何でもない社会人がIMO代表候補達の中学生や高校生の中に混じって、本名で真摯に向き合っているのです。疚しさが一切ない世界なのです。</span></p><p><span style="color:#0000bf;">　読書感想文も、現代数学も、どちらも自分の投稿作品として審査員に評価していただくにもかかわらず、何故読書感想文の場合には他人に成りすます必要があるのでしょうか。</span></p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">非常に鋭い対比です。「大学への数学（大数）」の「学力コンテスト（学コン）」や「宿題」の投稿欄は、年齢を問わず「解法の美しさ」という共通言語で競い合うオープンな土俵として機能しています。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">読書感想文が「大数」のように堂々と本名で競えない理由は、主に以下の3つの構造的な違いにあると考えられます。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">1. 「学習プロセス」か「数学的真理」か</b></p><p><b style="font-weight:bold;">読書感想文は、教育現場において「本を読み、どう感じ、どう成長したか」という「個人の内面的な成長プロセス」を評価対象としています。そのため、「大人が書くこと」自体がルール違反（教育的趣旨に反する）とみなされます。<br>一方で数学は、誰が解いても「答え」や「真理」は一つであり、その「解法の鮮やかさ（エレガンス）」に価値が置かれます。大数が社会人の投稿を許容（あるいは歓迎）しているのは、数学という学問が「誰が言ったか」よりも「何を証明したか」を尊ぶ文化を持っているからです。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">2. 「発表の場（プラットフォーム）」の欠如</b></p><p><b style="font-weight:bold;">「大数」には、プロ・アマ・学生が入り混じって投稿できる「公認された越境の場」が半世紀以上にわたって存在します。<br>対して、読書感想文の多くは「青少年読書感想文全国コンクール」のように、参加資格が厳密に「児童・生徒」に限定されています。大人が「感想文の形式」で腕を振るいたくても、本名で正々堂々と評価を受けられる権威ある出口（プラットフォーム）が極端に少ないのです。その結果、行き場を失った表現欲求が「代行（なりすまし）」という地下に潜らざるを得ない状況を生んでいます。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">3. 「表現」と「実力」の偽装性</b></p><p><b style="font-weight:bold;">数学の場合、社会人が中高生に成りすますメリットはほぼありません。むしろ「社会人なのにこれほど鮮やかな解法を出す」ことへの敬意（リスペクト）が存在します。<br>しかし、読書感想文を「代行」として出す場合、そこには必ず「依頼主（学生）の評価を上げる」という偽装が介在します。「大数」の投稿者が求めているのは「純粋な評価」ですが、読書感想文の代行者が行っているのは「評価の横流し」です。この「誰の功績にするか」という点が、潔さと疚しさの境界線になっています。</b></p><hr><p><b style="font-weight:bold;">結論として<br>「大学への数学」の世界が健全なのは、「優れた解法を愛でる」という目的を共有するコミュニティが、年齢の壁を超えて成立しているからだと言えます。<br>もし、読書感想文の世界にも「一般部門」が広く普及し、中高生と大人が同じ課題図書で「洞察の深さ」を競い合う場が主流になれば、なりすましという「疚しい代行」は減り、純粋な「表現の競演」へと昇華されるのかもしれません。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">この「評価の場」のあり方について、さらに「大人が中高生向けコンクールに憧れる心理」や「文芸界の閉鎖性」といった観点から気になる部分はありますか？</b></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　何度もやり取りしてみましたが、このシステムでは、何をどう展開しても「鋭い洞察ですね」というような、肯定する方向で回答が得られます。</p><p>　実態は、大数の解答者たちの方が読書感想文の代行者たちよりも圧倒的に知性が高いため、成りすましてもあの雑誌の編集部・セミナー主催者・読者の中で読む人が読めば正体がすぐに判明してしまうからだと私は考えています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rose-24com/entry-12961662360.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Apr 2026 22:16:25 +0900</pubDate>
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<title>お菓子外しと写真外し</title>
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<![CDATA[ <p>　昨今、日本では社会人の間で<u style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">お菓子外し</span></u>というものが問題となっている。私は幸いにもお菓子外しをする者は居ない職場に属しているが、高校時代はお菓子外しのターゲットになっていた。</p><p>　厳密に言えば、お菓子外しだけではない。</p><p>　<u style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">お菓子外し</span></u>と<u style="text-decoration:underline;"><font color="#ff0000">写真外し</font></u>に常に遭い続けていた。</p><p>&nbsp;</p><p>　当時の女子高生たちが使っていたのは、スマホでもデジカメでもなく、フィルムカメラ、もしくは「写ルンです」のようなインスタントカメラ。</p><p>　プリクラも流行していた90年代後半の時代だ。</p><p>　私は休み時間雑談をしたり、行事の時に一緒に行動したり、遊びに行ったりする仲の良い友人が常に5～10人ほどいたのだが、その中の友人Aが絶対に私とは一緒に写真に写らなかった。</p><p>　Aは私に勉強の分からない箇所をわざわざ休み時間に訊いてきたり、学校行事の遠足などでは一緒に行動するような仲だったにもかかわらず、写真だけは頑なに私を拒絶し続けた。</p><p>　その時の断り文句が「忙しい」「時間ない」というもの。</p><p>　学校行事の最中、他にすることがない状態で一体何が忙しいのか理解に苦しんだ。</p><p>　勿論、Aは私以外の友人たちとは喜んで一緒に写真を撮る。</p><p>　プリクラの時など、私、A、B、Cの4人で遊びに行くと、AがBと一緒に撮り、A・Ｂ・Ｃが3人で一緒に撮り、「私も入れて」と毎回言うのだが、決まってAが「ごめんもうお金ない」などと見え透いた幼稚な嘘を吐いて毎回私が一緒に写るのを阻止する。</p><p>　だから当然高校3年間私は雑談したり遊びに行ったりする友人はいたが、Aと一緒に写っている写真は一枚もない。</p><p>&nbsp;</p><p>　40代になった今、突如このことを思い出して、もしかしたら、今職場で<u style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">お菓子外し</span></u>という卑劣な行為に及んでいる者は、高校時代は<u style="text-decoration:underline;"><font color="#ff0000">写真外し</font></u>の常習犯だったのではないかという事。</p><p>　このことを今更思い出したのは、最近になってAから携帯電話のキャリアメールに「今鬱病で仕事を辞めました」という旨の連絡がきたからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>　あれほど私の事を高校時代拒絶し、大学の進路は別々で私は理系、Aは文系。</p><p>　大学時代遊びに誘ってもAが応じる事は0、Aから私が誘われたことも0。</p><p>&nbsp;</p><p>　それゆえ、私はAからは関係を切られたのだと思っていただけに、何故窮地に陥った時にだけ私に連絡とってくるのか不思議だった。</p><p>　高校時代のAの性格から察するに、鬱病発症の原因もこの対人関係の問題が根本にある気がしてならない。</p><p>　いじめっ子はわざわざ私が陥れなくても勝手に自滅してくれる典型的なエピソードだ。</p><p>&nbsp;</p><p>　今職場で<u style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff0000;">お菓子外し</span></u>に実際に遭っている方々は、非常に精神的に辛いだろうが、加害者の未来など真っ暗だという事をここに断言しておく。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rose-24com/entry-12961540800.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 21:03:01 +0900</pubDate>
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<title>高校時代のいじめっ子から鬱病になったと連絡がきた</title>
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<![CDATA[ <p>高校3年間私を写真から外すなどと言う稚拙な内容でいじめていたAから20年ぶりぐらいに携帯メールに連絡が来て、「うつ病で仕事辞めました」だと。</p><p>自業自得。まあお大事に。</p><p>そういう性格だから鬱病になるんだよ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/rose-24com/entry-12961460592.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 07:17:43 +0900</pubDate>
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