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<title>おたんびーの人生こぼれ話</title>
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<description>高校生から不登校になり、半ひきこもりの時期を経て現在外こもりの人のつぶやきです。</description>
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<title>ひとりごと</title>
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<![CDATA[ <p>あえて誰の目にもつかないよう、XでもFacebookでも告知しないでこっそりここに書きます。</p><p>&nbsp;</p><p>最近のXには辟易しています。私のタイムラインだけかもしれないけど、独り言を書いているようで承認欲求を満たしたい人が多すぎます。というかそれが全てです。ツイートの元々の意味を分かっていない複数回の長文に分けてのポストや、脊髄反射的なポスト。毒吐きや愚痴も多く読んでいるだけで心が荒んできます。</p><p>&nbsp;</p><p>Xで真面目な議論をしようとしている人もいますが、私はXは建設的に議論を深掘りするのには向いていないと思います。そういうのはnoteでやればいい。</p><p>&nbsp;</p><p>なんだかんだ言って私も誠子さんのYouTubeの動画更新報告で使っていますので完全に縁は切れませんが、雑音の多さはかつての２ちゃんねる（現５ちゃんねる）と同じくらいひどいと感じます。ちなみに私は現在５ちゃんねるはやっていません。とうの昔に足を洗いました。</p><p>&nbsp;</p><p>XもTwitterだった当初は、もっとポジティブな使われ方を想定していたのかもしれませんが(初期のmixiもそうだった)、悪貨が良貨を駆逐するように、ネットでは人間の悪い面の方が強く出てしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>色々考えた結果、精神的に健全な生活をしたいなら、XやFacebookなどに投稿しないで、空き時間で漫画でも読んだ方がずっと生産的だという結論に達したので、今日はずっと「この世界の片隅に」の原作漫画を読んでいました。</p>
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<pubDate>Tue, 05 Aug 2025 21:41:14 +0900</pubDate>
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<title>最近のSNS考</title>
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<![CDATA[ <p>ちょっと愚痴っぽい話になりますが、最近X(旧Twitter)を見るのに疲れてきています。</p><p>私のタイムラインだけかもしれませんが、悲鳴、愚痴、恨み言、毒吐き等、ネガティブな情報の方が圧倒的に多くなってしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>玉石混交と言いますが、前に比べると圧倒的に石が多くて、ほんの少しの良い情報を得るために延々と他人のネガティブな投稿を見るのは割に合わないかなあと。フォロワーを増やし過ぎたためかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>私はただ単に全国の不登校・ひきこもりの支援団体・当事者団体の活動の様子を見て、いいねを押したいだけなのですが。</p><p>&nbsp;</p><p>なので最近はthreads(スレッドもしくはスレッズ)という、facebookをやっている会社のSNSをはじめてみました。まだ始めたばかりなので分からない部分も多いのですが、こちらは情報収集というより、あいさつや近況といったコミュニケーションに重点を置いた初期のTwitterに近いような感じがしました。</p><p>&nbsp;</p><p>SNSといえばmixi2が話題に上って来てますね。mixiの時はリアルの知り合いに紹介してもらいって参加させてもらいましたが、あまりの居心地の良さに「ここは天国か…」と錯覚しそうになったほどです。でも、長くは続きませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>「人間性善説を信じて、インターネットに天国を作ろう」という試みをしたのだと勝手に解釈していますが、悲しいかな人間性悪説をベースにした（と私は思っている）５ちゃんねる（前２ちゃんねる）が今でも続いています。私も昔は見ていましたが、今は見なくなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>今はまだXが圧倒的に大きい母数を持っていますので、情報を広く周知させたい場合はXを使いますが、いずれ他の手段も考えてみたいと思っています。</p>
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<pubDate>Sat, 04 Jan 2025 20:12:31 +0900</pubDate>
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<title>衝動買いと自己嫌悪について</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>メルカリを見ていると物欲が湧いてきてどうにも抑え切れなくなったので、こういう時はAmazonで中古のCDを4枚大人買いしてしまいました。中古なので4枚でも送料を入れて５千円もしません。</p><p>&nbsp;</p><p>物欲に負けてカメラなどを衝動買いしていた頃は、カメラを買う→お金が足りなくなる→焦って別のカメラをメルカリで売る、を繰り返し、気がつけば10年以上かけて集めてきたカメラのコレクションも大半を手放してしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>収支のバランスを考えないからこういうことになるのですが、親に尻拭いをさせたり、他人からお金を借りなかっただけまだよかったです。今では毎月予算を立てて、足が出ないようにしているのでなんとかやりくりできています。</p><p>&nbsp;</p><p>多額の金銭の浪費は、モラルのないセックス、ドラッグ、暴力と同じ自己破壊行為だというのが私の考えです。とはいっても、人間衝動買いしたくなる時もあるので、そういう時は安いものを沢山買うといいと思います。ドラッグストアのお菓子売り場や百均で気の済むまで買ってもいいのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さて、次の話題です。実は先月の後藤さんのラジオに投稿したメッセージなのですが、より多くの人に読んでもらいたいので共有します。</p><p>&nbsp;</p><p>私自身は思春期の時に自虐的なほど自己嫌悪していましたが、大人になってからはほとんどしなくなりました。でも、人生で一時期は自己嫌悪する時期があってもいいと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>自己嫌悪するというのは理想の自分があってそれになれない自分が許せないということなので、それだけ伸びしろがあるとも考えられるからです。</p><p>&nbsp;</p><p>世の中には悪い意味で開き直っている人も多いですがそれに比べれば自己嫌悪できる人ははるかに純粋で理想が高いと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ありのままの自分を認めるとは、開き直ることではなくて、自己嫌悪する自分も認めてあげることではないでしょうか。私はそう思えるようになってから、自然と自己嫌悪しなくなりました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/roxymig/entry-12839716094.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Feb 2024 21:06:33 +0900</pubDate>
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<title>手探りの日々</title>
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<![CDATA[ <p>前回のブログでは思いっきりネガティブなことを書きましたが、考え直してみるとやはり私が今すべきこと（できること）は、ひきこもりをこじらせないようになるべくワラタネに通うことと訪問看護を受けることくらいかなと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>本当は私はプライドがすごく高くて人に指図されるのが嫌なので、「働けるように努力しないといけないよ」「親が死んだ後のことを考えないといけないよ」などと言われるのがすごく嫌で嫌で仕方なかったのですが、もう反発する年でもないし、どんどん問題が現実に迫っているので、そうも言ってられないかなと。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、本当に今の社会は「運」だけで色んな境遇が決まってくると思います。と同時に、些細なことで人生がガラッと変わってしまう怖い時代でもあります。社会が高度に発達しているので、高い所から落ちる時は真っ逆さまです。足場がどんどん狭くなっていく中で椅子取りゲームをしているようなもので、乱世の始まりだと言っているYouTuberもいます。</p><p>&nbsp;</p><p>とりあえずそんな世界でも生きていかないといけないわけで、後藤誠子さんのYouTubeの次男くんの言葉ではないですが、先のことを考えすぎず目の前だけ見て今日明日を充実した人生にしていこうと思います。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 29 Nov 2023 22:02:27 +0900</pubDate>
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<title>この社会に参加する価値はあるか</title>
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<![CDATA[ <p>今日はちょっと疲れることや辛いことがあって、そのせいでちょっとネガティブな気分になっているのは十分承知の上ですが…</p><p>人間関係を全部リセットして、またひきこもりたいな、という思いに駆られます。</p><p>ここまで頑張っているのに報われない社会とか家庭とか何なんでしょうね、一体。</p><p>タイトルにも書いた「この社会に参加する価値はあるか」という問いに</p><p>「ない」と断定して、社会との関わりを絶った人たちがひきこもりだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>前にも書いたかもしれませんが、私はお人よしなので、人間関係をリセットできずに社会に片足を突っ込んでいますが、私からみるとひきこもりの人たちの意志の固さがうらやましくさえ思えます。理屈ではなく一番賢い選択かもしれません。誰の言葉にも耳を貸さず、あらゆる人の期待を拒絶して、ひたすら座して死を待ち続ける。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、座して死を待っているのは、社会に参加しているあなたたちもまた同じなんです。</p><p>&nbsp;</p><p>死ぬ時は前のめりに死のうが後ろに倒れて死のうが死ぬのには変わりありません。社会に参加している人とひきこもりの人の違いなんてそれだけなんです。</p><p>&nbsp;</p><p>「オマエも分かってんだろ？さまよえる私たちの魂は行くあてなんてないのよ」</p><p>（山田花子・漫画家）</p>
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<pubDate>Mon, 27 Nov 2023 19:15:37 +0900</pubDate>
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<title>オカリナ演奏記〜ホテルのイベント編〜</title>
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<![CDATA[ <p>後藤誠子さんのラジオにも投稿しましたが、今日はホテルで祝賀会があり、知人に頼まれて市内のホテルでオカリナを吹いてきました。</p><p>この知人は、家の近所に住んでいる地元の青年会の元会長だった人で、私が住んでいる地元を盛り上げるために「虹の会」という団体を作り、さまざまなイベントを開いているのです。今日はその「虹の会」が結成１５周年ということで、地元の人を招いてホテルで祝賀会を開いた次第です。</p><p>この知人という人は、とにかく顔の広い人で、様々なところに顔を出しているのですが、私がオカリナを吹けるのを知ってから、北上市のうたごえに誘ってくれて、それから機会あるごとに私にオカリナを演奏する機会を与えてくれるのです。彼もうたごえでアコーディオンを弾いています。</p><p>それで今日は祝賀会で一曲吹いてくれないかと頼まれたので、いそいそとホテルに向かいました。「平常心ならうまくいく」と思っていましたが、いざ本番が近くなるとその平常心も怪しくなってきます。手に汗をかいて、オカリナが濡れないようにハンカチで何度もぬぐい、楽譜を何度も見ては指づかいを確認し、最後には指づかいもわからなくなってきました。</p><p>そこで、私は本番直前で考え方を変えました。「アタマで考えて吹こうとするから駄目なんだ、これだけ練習したんだからあとは手に任せて何も考えずに吹こう」</p><p>結果的にこれが良かったです。完全に緊張が解けず演奏は固かったですが、ミスなく吹けました。</p><p>実は私は過去にオカリナの発表会で大失敗をしたことがあります。まだ音符が読めずにドレミで曲を覚えていた頃のことですが、途中で演奏が止まってしまったのです。</p><p>なのでこういった多くの人の前の演奏にトラウマがあったのですが、亀の甲より年の功というか、なんとかうまくいきました。いい経験をさせてもらった、という話でした。</p>
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<pubDate>Sat, 25 Nov 2023 18:58:20 +0900</pubDate>
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<title>アラフィフにしてようやく分かったこと</title>
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<![CDATA[ <p>このところワラタネに行けなくなって、ようやく少し自分のことが分かりました。</p><p>私は、「いつでも少しづつ無理をしている」のです。</p><p>ほんの少しなので自分では自覚せず、次の日になると（見かけ上は）回復しているので、なんとも思わないのですが、やはりそういうちょっとづつの無理を数年単位で重ねていくと、ある日突然動けなくなるのです。高校生の時もそうだったように今になって思います。</p><p>&nbsp;</p><p>原因をたどれば幼少期のトラウマにたどり着くのですが、その話は何回もしているからここでは書きませんが、５０手前になった現在、やっと気がつきました。</p><p>&nbsp;</p><p>無理しない自分、本当は自分はどういう自分で何をしたくて何をしたくないかが、全く分からないのです。ただ、無理が重なって動けなくなると全ての社会的な繋がりを断ち切ってひきこもりたくなるのです。おそらく本当の私はものすごくテンションが低いだろうなとは思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ひきこもりにもいろんなタイプがあるので私のようなケースが全てだとは思いませんが、ワラタネスクエアに来る人たちを見ていると、テンションが低い人が結構多いです。でも、そういう人たちはちゃんと本当の自分を持っているんだなと逆にうらやましくなります。</p><p>&nbsp;</p><p>死ぬまでこの無理をする性格は治らないと思いますが、それでも本当の自分を探して、他人より自分のことを大事にできるようになれたらいいなと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/roxymig/entry-12816935159.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Aug 2023 22:03:57 +0900</pubDate>
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<title>なんだろう、この気持ち</title>
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<![CDATA[ <p>自分でも分からないのですが、とりあえず記録として残しておきます。</p><p>&nbsp;</p><p>今年の春頃からワラタネスクエアに行くと疲れるようになってきた。自分では疲れていると思ってはいないが、なぜだかワラタネスクエアに行く頻度が徐々に落ちて、遂に今週は一度も行っていない。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の気分が鬱なのだろうかとも思ったが、それにしては長期間続いている。</p><p>うまく言えないのだが、無性に人と会いたくない、一人になりたい気分。</p><p>&nbsp;</p><p>今日は誠子さんのラジオの放送があったのだが、それにもメッセージを書けなかった。</p><p>３年ほど続いたメッセージの投稿に穴を開けてしまった。</p><p>ひねり出せば何か書けたかもしれないが、今日は無理しないでおこうと思ったので。</p><p>&nbsp;</p><p>自分でも何が原因か分からないのが厄介だ。はたから見ればワラタネスクエアという居場所があるのはかなり恵まれていて、何が不満なんだと思うかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>３年もワラタネスクエアに通い続けたのになんで今更、と自分でも思う。</p><p>でも、今日もワラタネスクエアに行こうと車で家を出たのだが、ワラタネスクエアに近づくと無性に不安になってきて、結局家に帰ってきてしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>不登校、ひきこもりの時から何も変わっていないのか。ワラタネスクエアでも駄目なのか。</p><p>本当に、なんで今更、という言葉しか浮かんでこない。</p><p>似たような経験がある。郵便局で配達のバイトに採用されたのだが、なぜか不安になって仕事を始める前に取り消して辞めてしまった。</p><p>今度、かかりつけの心療内科の先生に話してこようと思う。それ位しかできることがない。</p><p>&nbsp;</p><p>前回のブログの記事にも書いたが、やっぱり、ひきこもりの人が居場所に通えるようになって仕事も始めてハッピーエンド、というように簡単にはいかないものだ。それでも家のことは出来ているので、外こもりといったところか。</p><p>&nbsp;</p><p>とりあえず来月はワラタネフェスがあるので、その時までにはなんとかしようと思う。</p>
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<pubDate>Fri, 04 Aug 2023 23:17:09 +0900</pubDate>
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<title>ひきこもりに終わりはあるのか</title>
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<![CDATA[ <p>私は今、ひきこもりの期間を経てワラタネスクエアという居場所に通っているわけですが、ではそれでひきこもりが解決されたとは全然思っていないのです。このままワラタネスクエアに関わり続けて、後藤誠子さんやそこで知り合ったみんなと協力して、いずれ仕事にもついて…というのは違うなと感じています。親や社会はそういう「物語」を望んでいるのでしょうが、そんな簡単なことではない。現に今でも、すべてを投げ出してまたひきこもりたいなと思うこともあります。</p><p>&nbsp;</p><p>斎藤環さんの本か何かで読んだのですが、東日本大震災の時に、ひきこもりの子どもが、津波が来るから逃げろという親の言葉を拒否して、家ごと津波に飲まれて行方不明になったケースがあるそうです。不謹慎かもしれませんが、親にとっては不幸なことだったかもしれませんが、逆にそこまで突き抜けてひきこもりを貫いたのは、ひとつの生き方だと思うのです。</p><p>&nbsp;</p><p>私なんかはお人よしなので、他人の期待通りに先回りして行動してしまうので、そんなふうに親や周囲の期待を拒絶することができず、無理をして倒れてしまうことが今でも多々あります。親に勝てなかったので、そういうふうに親や周囲の期待をきっぱりと拒絶できるひきこもりに憧れさえ持ってしまいます。正直なところ、私も親に暴言を吐いて自分の思うままに生きるひきこもりになってみたかったという思いもあります。良い悪いではなく、それも生き方なのです。親にしてみればたまったものではないと思いますが。私はそこまで突き抜けて悟れていないので、中途半端に社会に関わっているだけです。</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230731/16/roxymig/3e/46/p/o0500042515319295523.png"><img alt="" contenteditable="inherit" height="187" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230731/16/roxymig/3e/46/p/o0500042515319295523.png" width="220"></a></p><p style="text-align: left;">社会と関わっていると、どうしても「次は働けるよね」とか、「親がいなくなった時のことも考えないとね」という周囲の無言の圧力、社会が望む「自立への物語」を感じてしまいます。「うるせえ！俺にはそんなの関係ねえ！」と開き直ってしまえればいいんですけどね。繰り返しますがいい悪いではなく、それもひとつの生き方なのだと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/roxymig/entry-12814337069.html</link>
<pubDate>Mon, 31 Jul 2023 17:08:27 +0900</pubDate>
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<title>いじめに勝つべからず、ただ逃げるべし</title>
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<![CDATA[ <p>今日YouTubeをだらだら見て思ったことです。</p><p>&nbsp;</p><p>いじめをしている人間は必ず長い目で見れば不幸になるか、死んで地獄に落ちます。今はとてもそう思えなくとも、因果応報などあるもんかと思っていても、社会がどれだけ狂っていても、私にはそういう確信が生まれました。</p><p>&nbsp;</p><p>人をいじめる人間はたいてい家庭環境のせいかどこかが歪んでいて、歪んだ優越感を得るために何も言い返せない人間を探していじめをします。そういう人間に対しては逃げるしかありません。</p><p>&nbsp;</p><p>くれぐれも復讐してはいけません。復讐などしようものならいじめる人間の思う壺で、そういう人は地獄に行く道連れを探しているのです。もっとも、とても心がもたないので復讐するのを考えるだけならOKです。</p><p>&nbsp;</p><p>ここで唐突ですが、私の体験談を話そうと思います。私は２０年以上前、とある喫茶店でウエイターのバイトをしていましたが、なにやら私に敵意を持っている人間がいました。仮にHとします。マスターに聞いてみるとどうやら、Hは家庭環境が複雑で素行が悪く、前に喫茶店のマスターにウエイターのバイトを申し込んだが断られたので、ウエイターになった私を逆恨みしているようなのでした。私にしてみればそんなの知ったことではないのですが、私が働いているととにかく敵意を持って細かい嫌がらせをしてくるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな時に、喫茶店の向こうで火事がおきました。丁度私が働いている時でしたので、窓から消防車や救急車がどんどん集まっているのが見えます。Hもその時店にいました。そんな時私は何気なくあることを思いつきました。これは、チャンスではないのか？</p><p>一瞬迷いましたが、私はこの千載一遇のチャンスを使うことに決め、Hの前に立って指をさして笑いながら言いました。</p><p>&nbsp;</p><p>「君が火をつけたんじゃないの？」</p><p>&nbsp;</p><p>効果はてきめんでした。彼は表情を変えて、非常に悔しそうな顔をして喫茶店を去りました。この時私は彼に勝ったのです。彼が一生かかっても返せないような屈辱を与えたのですから。今でも、思い出すたびにざまーみろという優越感が湧き上がります。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、それから２０年以上経ちますが、このことを思い出すと優越感と同時に、私は本当に彼にあの言葉を言うべきだったのか、結論が出ない考えに襲われます。自分を守るためだったとはいえ、嫌がらせをされていたとはいえ、言って良かったのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>結論から言うと、やはり言葉を飲み込むのが正解だったと今は思います。その時は勝って一時の優越感を得ることができましたが、優越感を得るのと同時に後味の悪い感情が湧き上がってくるのです。彼の憎悪に、私も憎悪で応えてしまった。それこそが彼が意識していなくとも思う壺だったのです。私は彼にどんな嫌がらせをされても耐え忍ぶべきでした。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、今はいじめられていても、後から「いじめる方でなくてよかった」と振り返る時が必ず来ると思うのです。負けるが勝ち、という言葉もありますし、復讐は何も産みません。この社会は狂っていて、とてもそんな日が来るとは思えないかもしれません。でも、生きていればすべては移り変わるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>生きてさえいれば。</p><p>&nbsp;</p><p>とにかく逃げられるうちは逃げましょう。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/roxymig/entry-12813141746.html</link>
<pubDate>Sat, 22 Jul 2023 18:37:29 +0900</pubDate>
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