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<title>roychikiyaのブログ</title>
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<title>056_英検１級に合格した娘（次女１９歳）を見て思ったこと</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br>「003_英検1級、娘の５回目の挑戦を見て思うこと」でご紹介した下の娘（１８歳）が、５回目にしてとうとう英検１級に合格しました。</p><p><br>「石の上にも三年」という諺（ことわざ）がありますが、まさにそんな感じの頑張りだったと思います。<br><br>口に出さないまでも、これまでに何度も不合格だったこと、悔しかったと思います。<br><br>しかしやり遂げた。<br><br>素晴らしいことだと思っています。<br><br>さて、苦節２年、英検１級に合格した娘はもちろん立派なのですが、その娘を見て感じたことがありました。<br><br>それは「とにかくうれしい」ということです。<br><br>自分が合格した以上にうれしく感じるのです。<br><br>若い時はこんな感情は微塵もなかったように思います。<br><br>つまり、自分が合格したり成功しないと意味がないという、ひねくれた考え方だったということです。<br><br>それがいつの頃からか、こんなふうに「昔と違う感覚」になった自分に驚いています。<br><br><br>さらに分かったことは「自分の子供の成功は、自分のことよりもよりもうれしい」という感覚です。<br><br>うれしさの質と量が違うというか、うれしさがこみ上げるというか、うれしさがいい意味で重たいのです。<br><br>実は、こうした感情は会社でも同じで、部下や後輩が成功したり褒められたりする姿を見ると、自分のこと以上にうれしく思えるようになっていると自分に気が付くことがあります。<br><br>年を取ったせいなのか、うれしいと感じる神経が一本増えたのか、はたまたスピリチュアルな何かが舞い降りてきたのか。<br>&nbsp;</p><p>これからの人生、何となく思うのですが、こうした幸福を求めて生きていくのも"粋な生き方"だなと思えるようになってきました。<br><br>いづれにしても、英検１級に合格した娘を誇りに思いますし、これまでの努力をとてもかけがえのないものとして、大事にしていってくれればと思っています。<br><br>ということで、ここまで読んで頂きありがとうございました。ではまた、ロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12707850521.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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<title>054_６０歳定年、あと６年が我慢できない今の気持ち</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br>ブログ「053_定年を自分できめるということ」でも告白した通り、決して会社が嫌いなわけではないのですが、平均寿命まで生きられてあと３０年。<br>&nbsp;</p><p>限られた命の時間を家族と有意義に使えるのかということを考えると真剣に怖くなります。<br><br>ある先輩からは「自身の経験から、５５～６０歳の人生の在り方がその後３０年を決める。社畜になるなよ」と言われました。<br>&nbsp;</p><p>この言葉の意味はとても深いと思っています。<br><br>確かに若い頃に比べると会社に対する貢献意欲は随分と薄らいでいるのは確かですが、それとは反比例して、部下や後輩のためにという意識は、若い頃に比べれば２倍にも３倍にもなっているということも強く感じます。<br>&nbsp;</p><p>ですから、間違っても社畜にはならないと思いますが、もしかすると、今世間で言われる"妖精"になりかけているのかもしれません。<br><br>そう考えると、妖精になってしまう状況のタイミングと"限られた命"を自覚した時期が重なったことが、僕の気持ちを動揺させるというか、落ち着かせないのかもしれません。<br><br>このまま平々凡々と６０歳を向かえた後にその後のことを考えるのか、会社に身を置きながら（保険を掛けながら）妖精と化して次の人生の準備をするのか、会社の中で無理やりひと暴れして会社に貢献するのか、はたまた一旦　今の会社を辞めて（退路を断って）次へ進むのか・・・、選択肢は山ほどあると思うのですが、どれがベストなのかは今は分かりません。<br><br>ただ、このままではいけないということは自身の気持ちの中でハッキリしています。<br>&nbsp;</p><p>焦ってもしょうがないことなのですが、日を追うごとに、一日一日があまりにも早く過ぎ去ってしまうので心が痛みます。<br><br>ずっと昔のことですが、母から「身の周りの全ての出来事に感謝の気持ちをもって歩めば道は見えてくる」と教わったことあります。<br><br>今こそそうした境地で物事や人生に関わらなければいけないのでしょうが、何が心の障壁となっているかと自問すれば「今の生活を失ってしまうことが怖い」というのが本音です。<br>&nbsp;</p><p>感謝して歩んでも収入が切れてしまえば、家族みんなが困ってしまう。<br><br>あ～、また言い訳を言ってしまっている自分が出てきてしまった。<br>&nbsp;</p><p>この"言い訳おじさん"のキャラクターを抹殺しない限り、僕は先には進めないと分かっているのですが・・・<br><br>変わりたい、変わらなければ自分が駄目になる、でも怖い・・・こんなやり取りが幾度となく自身の中で繰り返されます。<br>&nbsp;</p><p>会社や日常生活の中ではテキパキと決断する自分のキャラクターとは真逆の、じれったくて、うっとうしくて、僕が一番嫌いなタイプの"言い訳おじさん"が僕の心の一等地に鎮座してしまっています。<br><br>まずは、こいつと戦うと決意しよう。そして少しづつでも自分らしい在り方を見つけだそうと思う。<br><br>まさか自分の中のもう一人の人格と戦うことになるとは思いもよりませんでしたが、どうやらそういうことになってしまったようです。<br><br>こうして言葉にしてみると、自分の中の弱いところや嫌なところが形として見えてくるので、色々と考える機会になるので、自分自身を客観的に見れるようになっています。<br><br>それで自分で書いてておかしな話ですが、自分の心の中のことを書いていると、時々気持ち悪くなります。<br>&nbsp;</p><p>これは心の内を文章化した時の副反応であり、これを乗り越えてこそ次があると信じて、これまで以上に書き続けていこうと思います。<br>&nbsp;</p><p>自分の中の"言い訳おじさん"と戦うということ以外、全く結論の出ないとりとめもなく書き続けてしまいました。</p><p>&nbsp;</p><p>でも限られた命の時間を大切に使い切るために頑張って戦おうと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>長々とごめんなさい。<br><br>ここまで読んで頂きありがとうございました。ではまた、ロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12707942580.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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<title>053_定年を自分できめるということ</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br>僕が１９９２年代に入社した当時の定年年齢は５５歳でした。<br><br>それが、親父が退職する２０００年頃には定年年齢は５５歳のまま６０歳まで働ける問うようなグレーゾーンが設けられ、２０１０年には６０歳が定年年齢となりました。それが今や、定年年齢が６５歳になろうとしており、希望すれば同じ会社で７０歳まで働けるという信じがたい状況になりつつあります。<br><br>しかし、５５歳 定年年齢の時代の平均寿命が８０歳だったわけで、割合からすれば、人生の６９％が会社人生となり、今は１００歳 人生なので、その６９％とすれば、７０歳定年としても、なんら不思議ではないですよね。。<br><br>その一方で、６５歳定年、７０歳定年と逆行する形で、世の中ではＦＩＲＥ（Financial Independence Retire Early /経済的自立と早期退職）という価値観のムーブメントも話題に上っていますよね。<br><br>&nbsp;７０歳定年（＝死ぬまで働く）という現実にあらがう方法の一つがＦＩＲＥであるならば、それを実現できる人はごく僅かな人たちだということも理解しています。<br><br>生活が苦しくお金が必要な人や、ＦＩＲＥにあこがれる人を狙って、ネット上には様々な儲け話や「一生お金に困らない」というキャッチコピーが溢れかえっていますが、この言葉にとびついて多くの方が悲しいことになっているということも容易に想像できます。<br><br>かく言う私も、こうした甘い言葉に乗せられてアフェリエイトに手を出して大金を失うという痛い目にあった一人ですので、こうした方々の気持ちはよく理解できます。<br><br>こうした経験から学んだことは、結論から言うと『定年は自分で決める』 ということなのです。<br><br>実現できるかどうか分かりませんが、その重い腰を上げるためにも、まずは定年時期を自分で決めることが 「退路を断つ」 初めの一歩だと気が付いたのです。<br><br>そうすることで、そこへ目がけてどのように行動していけばよいか、退職後はどのように生きていけばよいかという具体的な計画と行動に結びつくということを改めて理解したのです。。<br><br>簡単なことではないのですが、今まだ残されている気力を、会社で７０歳まで使うのか、残りの人生の礎を築くエネルギーに使うのかで、<br>６０歳以降、７０歳以降の人生が大きく変わっていくのだということが、おぼろげながら分かってきたいのです。<br><br>多くの先輩から「６５歳まで働くんじゃなかった。こんなこと（奥様病死）ならもっと家族と一緒に過ごすことを選べばよかった」とか、「６５まで働くと、それ以後全く生きる気力がわかない。</p><p>&nbsp;</p><p>今では妻に迷惑をかけている。家庭にいずらい」「長く外で働いた後では、地域の方との交流がなかなかうまくできない」という話をお酒の場で聞かされます。<br><br>こういうふうにだけはなりたくないと反面教師にさせてもらっていますが、中には全く反対の先輩もいて、とても参考になる話をしてくれます。<br><br>その方は、５０歳の時に室長という立場を捨てて外資系へ転職しましたが、５５歳で退職し家族と介護施設を開いたのです。<br><br>介護施設といっても小さな介護施設なのですが、ご本人と奥様、二人の成人した子供さんの４名で切り盛りしていると言っていました。<br>&nbsp;</p><p>とても充実した人生を送っていると、満面の笑みを浮かべていました。<br><br>僕も「こんな人生が送りたい」と思いました。そうです、５年前のあの時は思っただけでした。<br><br>こんな思いが時間の経過を経てどんどん熟成されてきたのでしょうか。<br><br>最近その時の印象ばかりが心に浮かび上がるのです。<br><br>決して会社が嫌いなわけではないのですが、限られた命の時間を、家族と本当に有意義に使えるのか、真剣に考えると、怖くて仕方ないのです。<br><br>自分のため、家族のため、そして娘たちのために何かを残したいと強く思うようになってきたのです。<br><br>うまく言えませんが「自分が生きた証、妻に対し夫がいた証、娘たちに対して父がいた証」を残したいと思うのです。<br><br>このブログ日記も、実はそうした潜在的な想いの一つから出発したのかもしれないです。<br><br>しかしブログだけでは足りず、近い将来、この想いをできれば自然な形でカタチにしたいと考えています。<br>&nbsp;<br>そのためには、もっともっと考えないといけないようです。頑張ってやっていこうと思います。<br><br>ということで、ここまで読んで頂きありがとうございました。ではまた、ロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12707848182.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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<title>052_娘二人で東京散策、一泊二日の旅で思うこと   皆さんこんにちは。ロイチキ屋です</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br>いつまでも子供だと思っていた娘たちも　一人は２３歳になり、もう一人は１９歳になりました。<br><br>二人とも学生で選挙権を頂くなど、もう立派な大人なのですが、親としてはやはり心配は尽きないものです。<br><br>そんな二人が申し合わせて東京へ１泊２日の旅をしてくるというのです。</p><p><br>今時こんなことくらい、とるに足らないことなのでしょうが、僕にとっては一大事でした。</p><p><br>実は下の娘が起業を目的にあれこれと活動しているのですが、その勉強会が東京であるために“旅”をすることになったのです。<br><br>初めての東京なので、保護者として長女を付けたと後から分かったのです。<br><br>後から分かったというのは、妻と長女が話し合ってそう決めたそうなのですが、「なるほどね。なかなかいいアイデアだ」 と思えたのと同時に、何だか笑いがこみ上げてきました。<br><br>&nbsp;子供だと思っていた長女が次女の保護者替わりをする（＝保護者替わりになれる）ということを理解したとき、自身の心の中で　「娘たちの成長をしっかりと受けとめて、大人として扱っていくべきなんだな」 という想いが頭をよぎりました。<br><br>そうしたら、とたんに笑いが止まらくなってしまったのです。<br>&nbsp;<br>毎日　顔を合わせている娘たち（特に長女）の成長を、僕は主観的にとらえ、妻は客観的にとらえていた。<br><br>だから妻は、自身の代わりに長女を自身の代わりに次女の保護者につけるという発想ができたのだと思うのです。<br>&nbsp;<br>娘たち二人は、東京での仕事や散策を終え一泊した次の日に名古屋へ戻り、それぞれの大学へ直行していきました。<br><br>とても楽しかったようで、次回も同じような計画を立てているようです。<br><br>娘たちが時代に取り残されないようにと、きめ細かく気配りしていたつもりの自分が、実は思いっきり時代遅れになっていたという笑えない現実に、何だか年を感じた出来事でした。<br><br>ということで、ここまで読んで頂きありがとうございました。ではまた、ロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12707635885.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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<title>051_ヒューマノイドとＡＩが日本を救うと僕は思う</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br>何だか難しそうな話だなぁ～って思わないで聞いて下さいね。僕は会社員なんだけど、コロナ禍になってから色々感じ始めていることがあるんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>世の中には同じことを僕以上に感じている人はたくさんいることも知ってるよ。</p><p>&nbsp;</p><p>でも敢えて自分の言葉でこの気持ちを残しておきたいんだよね。<br><br>それは何かっていうと「人間の尊厳、個人の尊重」のためにこれからは、もっともっとヒューマノイド型ロボットやＡＩの力が必要ってことなんだ。<br><br>コロナで感じたことは「人間ってこんなに簡単に死んじゃうんだ」ってこと。</p><p>&nbsp;</p><p>しかもコロナが原因で死んじゃったら、大事な人と最期のお別れもできないなんて考えただけでも怖い話だよね。</p><p>&nbsp;</p><p>僕だったら間違いなく気がおかしくなっちゃうよ。</p><p>&nbsp;</p><p>これって、冗談じゃないんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>本当に怖いんだよね。実はロイチキ屋の初代看板犬が天国に行った時に僕は重篤なペットロスを経験し、「僕ってこんなに弱かったんだ」って自覚した時から“自分以外の死”が心底怖い、嫌いになったんだ。<br><br>コロナが原因で死亡したときの話に戻るけど、この話って本当に他人事じゃないと思う。<br><br>でさ、会社員のロイチキ屋は仕事していて最近いつも思うんだよね。</p><p>&nbsp;</p><p>思うというより取りつかれちゃってんだよね、ヒューマノイドとＡＩにさ。</p><p>&nbsp;</p><p>どういうことか話をするね。みんながみんな同じ考えだと思わないけど一緒に考えてみてほしんだ。<br><br>コロナが蔓延して「生と死」を強く意識するようになったんだよね。それで「人間の価値＝生きている価値って何なんだ」って考えるようになったんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>現実は「働かなきゃいけないけど、職場や外出中にコロナに感染して死にたくない」って気持ちが強くなってきて、その気持ちが見えない未来への恐怖に変わっていくんだよね。もうプチ的な病気だよね。<br><br>それでも生きていくためにはどうするかって考えるじゃないですか。</p><p>&nbsp;</p><p>そうすると行き着く先は、ワクチン、マスク、黙食、面直なし、テレワークなどなど、ありきたりのことしか思いつかばないんだけどさ、でもね、そもそも何で人間がやらなければならない仕事なのっていうこと、会社に山のようにあるでしょ。</p><p>&nbsp;</p><p>その仕事するために命かけて会社に行ったり、ハラスメント受けながらテレワークしたりとか、ありえないと思い始めてきたんだ。<br><br>で、ビビィッと体に電気が走って確信したのがヒューマノイドとＡＩなんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>これは今流行りのＤＸじゃないからね。ＤＸとは全く違った視点や感情から出ている発想だからね。（←実はＤＸ嫌いのロイチキ屋です）<br><br>でさ、会社にいると僕だけじゃなくて同僚や関係部署の人からこのヒューマノイドやＡＩに助けてもらいたいという空気というか、もはや未来の匂といってもいいものをめちゃくちゃ強く感じちゃうんだよね。</p><p>&nbsp;</p><p>これってほぼ確信に近い感覚なんだよね。<br><br>この感覚の根底にあるのは、さっき言った「人間の尊厳、個人の尊重」をもっともっと推し進めるために必要な根本的な解を色々な人が待ち望んでいるということだと思うんだよね。<br><br>「人間の尊厳」に反しているっていうのは、例えば、人として価値を生まない作業をさせているとか、人間の方が安いから使っているとか、人の成長を考えず年中同じことをさせているとか・・・人を道具みたいに扱うことをいうんだと思うんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり「時間＝人の命」ってことを全く考えていないことだと考えているんだ。言葉では「そんなこと当たり前じゃないか」と言われる人も多いけど実際は全く“人でなし”が多いのが現実だよね。<br><br>人間はみんな人の子だし、相手を自分の子供のように考えれば決してそんな雑な扱い方はできないと思うんだけど、人間って残酷で残虐的で自分勝手なところあるから他の人の扱いに対してもそんなことになっちゃうんだろうね。<br><br>今ネットを検索すると、ＡＩソフィア、ＡＩハン、Boston Dynamics社の人型ロボット｢アトラス｣、テスラAIロボットなどなど、恐ろしいレベルのヒューマノイドやＡＩが紹介されているよね。</p><p>&nbsp;</p><p>こうしたテクノロジーが人類にとってネガティブなものになると投稿する人も多いけど、僕は、人間尊重されていない現場で働いている人の救世主になってくれると信じているよ。<br><br>で、そうなったら人間って何するのっていうところが問題なんだけどね、実は！単に「単純作業ではない、価値ある仕事して下さい」って言っても難しいよね。</p><p>&nbsp;</p><p>だからこれから人は「何が価値があるか」ってことを考えることが仕事になると思うんだ。とても難しいことだと思うけど、これこそが「人間の尊厳」を形にするってことなんじゃないかな。<br><br>生きる価値、人間の価値を見つけるってすごく難しいことだと思うけど、世の中が変わるような大きなことじゃなくてもいいと思うんだよね。本当に身近な小さなことから始めればいいと思うんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば、誰かの考え方に心のそこから“共感”するっていうのも人にしかできない価値なんじゃないかなと思う。<br><br>僕はそう信じて小さな価値を見つけて積み上げて残りの人生を家族と一緒に、用心しながら、大切に、悔いなく暮らして行こうと思う。そして近い将来、ヒューマノイドやＡＩが家族になれる日が来たら僕はロイチキ屋の一員として盛大に向かい入れたいと思うね。もちろん、家族一人一人の人間の尊厳をとことん追求するためだよ。<br><br>ということで、ここまで読んで頂きありがとうございました。ではまた、ロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12702102827.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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<title>050_わずか１年で３０個以上の単語を理解した看板犬</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br>「014_看板犬と話ができたらいいなっていう妄想」というブログを書きましたが、なぜそんなことを思たのかと、よくよく考えてみたら "意外と会話できている" ということに気が付いたからです。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/18/roychikiya/03/1a/j/o0263074515022651545.jpg"><img alt="" height="745" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/18/roychikiya/03/1a/j/o0263074515022651545.jpg" width="263"></a><br><br>というのも、ある方から「この子、人間の言葉をよく理解しているね」 と言われ、看板犬が日常的に理解していることを書き出してみたのです。</p><p><br>すると、何ということでしょう。<br><br>ざっと数えただけで３０個の単語を日常的に理解して生活していたのです。具体的には下記の単語です。<br><br>・ママ<br>・パパ<br>・姉ちゃん<br>・じいちゃん<br>・ばあちゃん<br>・散歩<br>・ピピ（イタリア語で「オシッコ」）<br>・カカ（イタリア語で「ウンチ」）<br>・キチェ（イタリア語で「誰かいるよ」注意をひく言葉）<br>・お留守番、パパ会社、<br>・パパの車行くよ、<br>・ご飯、<br>・クッキー（犬用のクッキー）<br>・水飲む、<br>・抱っこ、<br>・プロレスするよ（パパと一緒に大暴れする）<br>・ポーンするよ（ボールをフライングキャッチする遊び）<br>・お座り<br>・待て（止まる）<br>・ヨシ（次の行動をとる許可）<br>・横断<br>・ブーブー（車に乗る）<br>・ドライブ（車で移動する）<br>・チャポチャポ（お風呂）<br>・ボーボー（ドライヤー）<br>・お手<br>・お代わり<br>・ゴロン、<br>・みんな一緒<br>・おいで<br>・ノンノン（ダメという意味）<br>・自分の名前<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/12/roychikiya/77/25/j/o0688079615022506351.jpg"><img alt="" height="486" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/12/roychikiya/77/25/j/o0688079615022506351.jpg" width="420"></a><br><br>これには僕も驚きました。ロイチキ屋の家族構成は大人６人＋看板犬で、みんな大の犬好きな上、家には常に誰かがいて、看板犬と会話しているという環境なのです。<br><br>ですから、犬と言えども、一日中これだけ言葉のシャワーを浴びせられたら嫌でも言葉を覚えてしまうということなのでしょう。<br><br>はっきりしたことは言えませんが、「大好きだよ」とか「可愛いね」とか「ずっと一緒だよ」というと、目を細めて僕に顔を押し付けてくるので、理解しているのではないかと信じています。<br><br>いずれにしても、愛犬との言葉によるコミュニケーションは間違いなく可能で、看板犬が話すことはできないにしても、この二代目看板犬は限りなく僕たちの気持ちを理解してくれるという確信は持っています。</p><p><br>だからこそ、一方的な愛情の押し付けにならないよう、僕らが看板犬の気持ちに寄り添いながら、同じように限りなく理解してあげることが大事だということを改めて考えさせられています。<br><br>コミュニケーションの基本は「如何に相手に興味を持って接することができるか」だと聞いたことがあります。<br>&nbsp;</p><p>人間同士の時と同じよう、人間×犬の場合も、全く同じではないのでしょうか？<br>&nbsp;</p><p>僕にはそんな気がしてなりません。大事な家族の一員です。<br><br>ということで、ここまで読んで頂きありがとうございました。ではまた、ロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。<br><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12706711163.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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<title>047_看板犬に添い寝する幸せ</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br>ロイチキ屋の看板犬は、優しくおっとりした外見のイングリッシュコッカースパニエルですが、実は鳥猟犬としての歴史を持つ活発で高い運動機能を備えている犬種です。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211104/12/roychikiya/13/67/j/o0952067315026176113.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="438" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211104/12/roychikiya/13/67/j/o0952067315026176113.jpg" width="620"></a></p><p><br>被毛は絹のように滑らかで柔らかな細毛なのでとても上品な見た目で素敵なのですが、手入を怠るとすぐに毛玉ができてしまうので大変な面もあります。<br><br>ですが、とても人なつこく明るく陽気な性格なので家庭犬としも魅力たっぷりな犬種です。<br><br>ロイチキ屋のイングリッシュコッカースパニエルの体の模様は、白色毛をベースに黒色がアクセントで耳とお尻にあり、黒ブチが顔と肩口にちりばめられています。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/12/roychikiya/77/25/j/o0688079615022506351.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="717" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211028/12/roychikiya/77/25/j/o0688079615022506351.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>一見ダルメシアンに見えるとこもあるのですが、よく見るとイングリッシュコッカースパニエルなのです。<br><br>その看板犬との生活は、今年の１１月で１年になるのですが、今や目に入れてもいたくない大事な家族の一員です。<br>&nbsp;</p><p>初代看板犬（同じくイングリッシュコッカースパニエル）が天国に行った２０２０年３月２７日、僕の中で何かがバラバラに壊れてしまったことを今でも鮮明に覚えています。<br><br>その後は、俗に言うペッドロスになってしまったんですが、言葉にできないほど辛かった。<br>&nbsp;</p><p>「これは夢であってほしい。朝目が覚めたら、いつものように、あの子が目の前で尻尾を振って優しく見つめていてくれるにちがいない。あの子が死んだなんて、これは悪い夢だ」と自分に言い聞かせ眠りにつく日々が続きました。<br>&nbsp;</p><p>私の心は落ちるところまで落ちてしまし、いい年した男が、会社にいても涙が止まらなくなってしまうところまで行きました。<br><br>この時期、家族や会社の友人にはとても心配かけ、大変申し訳ないと思っています。あんなに自分の心がコントロールできないなんて、自分でも信じられない事態でした。&nbsp;<br><br>そんな僕を心配して、２代目の看板犬を家族に向かい入れることを決めてくれた家族には本当に感謝しています。<br>&nbsp;</p><p>あの辛い日から１年８ヶ月経った今、毎晩僕の布団に入ってきてくれる二代目看板犬に添い寝をし、心の底から幸せな気持ちを感じながら思うことがあります。<br>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211104/12/roychikiya/07/0e/j/o0641084915026174407.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="821" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211104/12/roychikiya/07/0e/j/o0641084915026174407.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>この幸せな気持ちのまま、ずっと夢を見続けさせてほしいということです。<br><br>一代目を失ったときのショックが今でもトラウマのように残っていて、ついついこんな気持ちになったしまうのですが、こういう考え方は、２代目の子に対して大変失礼だということも分かっています。<br>&nbsp;</p><p>しかし、いつかこの子を失うことがとても怖くて、こんな考え方になってしまう自分は、明らかに、僕は未だペッドロスの中にあるということも理解しています。<br><br>でも今目の前にいる二代目の子は現実に生きているのだから、今この瞬間の命や僕に向けてくれるこの子の気持ちにちゃんと応えてあげられる気持ちで関わっていくことが、一代目の供養にもなるし、二代目への感謝にもなると信じて、この子と心豊かに生活していきたいと思っています。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211104/12/roychikiya/6a/3a/j/o0621083215026174647.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="831" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211104/12/roychikiya/6a/3a/j/o0621083215026174647.jpg" width="620"></a><br><br>ワンコたちが僕に“生”に関わる意味を、命をかけて教えてくれています。<br><br>家族にも、初代看板犬にも、二代目看板犬にも、みんなみんなに感謝しながら生きていきたいと思います。<br><br>ということで、ここまで読んでくれたあなた、貴重な時間を頂きありがとうございました。<br>ではまた、ロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12706228774.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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<title>046_高血糖より低血糖の方が怖いと感じた瞬間</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br>先日妻とドライブに出かけたとき、生れて初めて低血糖という症状を自己体験しました。<br>&nbsp;</p><p>正直怖かった。高血糖が続くと合併症で、目や足にジワジワと症状が出るようですが、低血糖の場合は、突然症状が襲ってくるんだということを身をもって体感しました。<br><br>なぜ低血糖だと分かったかというと、僕は１年前から「FreeStyle リブレ」を常時装着し、血糖値の推移を自分で観察しているので、<br>体に少し震えが起った時に測定したら、血糖値（＝正確にはグルコース値）が４５になっていたことで理解できました。<br><br>僕の父(８１歳：存命)も糖尿病で、５０歳の時から血糖値に悩んでいたけど、薬も飲まずに、食生活の改善や適量の運動を生活に取り込み、この年まで元気にやってきています。<br><br>父は相変わらず、好物の甘いものや炭水化物を食べていますが、昔に比べれば驚くくらい少量になっていることも確かで、本人の意識が大きく変わったことは、家族から見れば一目瞭然です。<br><br>父の意識が大きく変わったのは、年末恒例の地区の飲み会の場で、公民館で倒れたことがきっかけだったようです。</p><p>&nbsp;</p><p>当時私たち家族は海外で生活しており、父が倒れたことは帰国後に聞かされたのですが、どうやらそれも低血糖が原因だったようです。<br><br>その時の症状を父に聞いてみると「急に体がフワーとして震えが来て立っていられなくなった」というのです。<br>&nbsp;</p><p>僕も同じ症状を体験したので、その恐怖はよく分かります。<br><br>これを聞いて思い出す有名な映画があるのですが、お判りでしょうか？<br>&nbsp;</p><p>アルパチーノが演じる映画「ゴッドファーザー Part Ⅲ」の中で、「手が震える、低血糖だ。何か甘い物を。糖尿病を患っていて・・・」と言って倒れるシーンがあります。飴を食べて意識を取り戻す場面があるのですが、まさにあのような感じです。&nbsp;<br><br>僕の場合、妻がコンビニでバナナやおにぎりを買ってきてくれたので、それでその場は難を逃れましたが、本当に怖かったです。<br><br>糖尿病を甘く見てはいませんが、（恐れずに言うならば）僕は医者から処方される薬で、薬漬けになるのは嫌だから自分自身の責任で頑張ると決め、１年前から色々と食事制限しながらやってきているのですが、血糖値の上の値ばかり気にして、下の値を侮っていたことが今回の原因だと思っています。<br><br>父の体験や考え方もこれからの僕の勉強の中に取り込んで、同じ体質という親子ならではの特徴も生かしながらやっていきたいと思っています。<br>&nbsp;</p><p>医者に頼らないことがどんなに馬鹿なことで、後々後悔することにつながろうとも、自分の健康は自分で守るというポリシーを貫きたいと思っています。<br>&nbsp;</p><p>妻も理解してくれ、一緒に勉強し最新の考え方を取り入れる協力をしてくれています。とても心強いということと同時に、ここでも心から感謝しています。後戻りできない人生なので、前向きに、ブレずに進んでいきたいと考えています。<br><br>ということで、ここまで読んでくれたあなた、貴重な時間を頂きありがとうございました。ではまた、ロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12706227998.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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<title>045_気になったから、直感で古民家探しに行ってみた</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br><span style="font-weight:bold;">「041_人生100年時代、今の会社生活と自分の気持ちを正直に考えてみた」</span>に　今後の人生の在り方について、今の自分の気持ちを素直に書いたのだが、少しだけ具体的に動いてみた。<br><br>田舎暮らしを目的に古民家探しなど、今の時代とても月並みで面白くないことだと思うかもしれないが、それでも何かせずにはいられなくて、変化を求めて妻と少しだけ実行に移してみた。<br><br>結論から言うと、僕も妻も「とても面白かった。また動いてみよう」という気持ちになったということだ。もちろん看板犬も同伴し、途中でおやつも食べながら、悲壮感など微塵も感じさせないピクニック感覚で実行できたのがよかった。<br><br>ドライブしながら妻がコンビニで買ったお菓子を口に入れてもらうと、ドライブしながらおやつを食べさせてもらえるなんて何年ぶりのことだろうと、売り出し中の古民家を見に行くことも忘れて、過去の記憶を一生懸命にぴっぱり出していた自分に気がついた。<br><br>何だか気持ちがワクワクして、これから先の人生がとても明るく感じられた。<br><br>二人の間に看板犬が鎮座して、右左とキョロキョロしながら、僕と妻の顔をかわるがわる見ていたのが印象的だった。二人の間にいつもと違う空気感が流れたのだろうと察していたが、それ以上に、家でも見ない食べ物が自分の目の前を行ったり来たりしたのだから、気になってしょうがなかったのかもしれない。<br><br>売り出し中の古民家はすぐに見つかった。不動産屋のホームページの写真は美しく、一目で興味を惹かれるものだった。<br><br>しかし・・・である。とても寂しく悲しい物語が物件の裏側にあるように思えてならなかった。この古民家に住んでいた人たちの暮らしぶりが目に浮かんだと同時に「この古民家はそっとしておいたほうがいいな」という気持ちになった。<br><br>それで、ついでだったので、もう一つ気になっていた古民家物件に車で移動することにした。１件も物件から車でおおよそ1時間くらい更に山の中に入った物件だ。</p><p>&nbsp;</p><p>古民家といってもリノベーション済みの高級古民家という感じの物件で、街中で同じクラスの中古物件（敷地：2,000坪）を購入したら、優に億は超えると思える立派な建物ものだ。<br>&nbsp;</p><p>しかし・・・である。あとはご想像にお任せするが、周りに全く民家がないのである。しかも畑という畑の周囲には、イノシシ＆鹿 除けのフェンスや高圧電流の電線が張り巡らされており、危なくて近づけたものではなかった。<br><br>現実の厳しさを二人の目で見たわけだが「こういう方向（田舎暮らし）ではないな」と、二人で確認できたことが大きな収穫だった。<br><br>加えて、途中で「ジビエの肉屋（地場のイノシシと鹿の肉を販売）」に立ち寄ったら、（人間には分からないのだが）看板犬が獣の臭いに恐怖して暴れ出したのには驚いた。<br><br>すぐに車の中に隠れたいと言わんばかりに、リードをぐいぐい引いて帰ろうとしたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>車に行きつく間、不運が続き、我々の真横をツーリング中のハーレーダビッドソンが爆音をあげて通り過ぎたものだから、可愛そうに、うちの看板犬は腰が抜けてしまうくらいのパニックになってしまったのだ。<br><br>・・・という看板犬の"においの相性"の新しい発見もあり遠出した意味はあったのだが、看板犬には少し気の毒な思いをさせてしまったと少々反省した。<br><br>次回の視察は、今回の教訓を生かしたものにするために、もう少し真面目にリサーチしてから出かけてみようと思っている。<br><br>しかし、久しぶりの夫婦水入らずでのドライブは楽しかった。次を楽しみにしている自分を感じながら、こんな気持ちがずっと続くといいなと願いながら今日のブログを閉じる。<br><br>ということで、ここまで読んでくれたあなた、貴重な時間を頂きありがとうございました。ではまた、お時間があればロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。<br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12705242735.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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<title>044_ZOOMで毎晩地球の裏側の外国人とつながっている娘を見て思うこと</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんこんにちは。<span style="font-weight:bold;">ロイチキ屋</span>です。<br><br>昔、チャップリン主演の「ライムライト」という映画の中セリフで「人生なんて簡単さ。勇気とね希望とねサムマネー」という名言がありましたが、今風に言い換えれば「人生なんて簡単さ。勇気とね希望とねネット環境」と言えないでしょうか？<br><br>僕の娘の一人は、それを実行している一人だと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>というのも、毎晩ZOOMで地球の裏側の外国人とつながっている娘を見ているからです。<br><br>今やネットの世界では国境などという概念はなくなり、人種が違おうが、言葉が違おうが、時差があろうが、つながる意志さえあれば簡単につながることができるわけですが、実行しようとすると意外とハードルが高いことに気が付きます。<br><br>特に日本人はそう感じるのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>ところが、同じ日本人でも現在19歳の娘にはそんな先入観など微塵もなく、数年前から難なく国境を越えて、英語圏の人との文化交流をしたり、そういう仲間に自身の英語の宿題のチェックをしてもらったり、ある時などは自分の描いた絵をどのようにインドで売るかというビジネスの相談までしているのです。</p><p><br>これには僕も驚いきました。</p><p>&nbsp;</p><p>日ごろから「世界のどこにいても仕事ができる環境を自分で創る」と豪語している娘の自信の根源は、こうした“世界中の個人との繋がり（つながり）”にあるのだと理解できました。</p><p><br>こういうこともあり、これからの時代はこういう時代なんだとしみじみ感じ入りながら、ふと僕が務めている会社のことを考えてみると、即座に真逆な世界観で働いていることに気付きます。<br><br>これが良いか悪いかというのではなく、これからはこういうビジネス感覚をもった若者たちが世の中を創っていくということです。<br>&nbsp;</p><p>つまり「国籍・言語・時差の壁を越えて個人が素早くつながり、素早く決断し次々とネットワークを広げていく。その過程でつながった価値観や技術、考え方が次々と化学反応や共創をしながら未来を作り出していく」という世界観です。<br><br>娘を見ていると、こうした世界観を当たり前のように使いこなしており、そういう時代になっていくということに何ら疑いを持っていないように見えます。</p><p>&nbsp;</p><p>僕らの時代もそうだったように、新しい世代が僕らの世代をアッサリと越えていく。<br><br>現役の会社員としての立場からは恐ろしいことですが、一人の親の立場からすれば、娘たちや若者たちのたくましさを素晴らしく感じると同時に、正直言って脱帽する場面もあります。</p><p><br>僕らの世代がやるべきことは、父や母の世代がそうしてくれたように、こうした未来を創っていく娘たちや若者たちの価値観をリスペクトし<br>足を引っ張ることなく、本気で支援していくことだと思うのです。</p><p>&nbsp;</p><p>そうして次の時代につなげてこそ、僕ら世代がいる意味も出てくるのだと考えるこの頃です。父と母たちの世代の方々の気持ちが、今よく分かる年になりました。<br><br>ということで、ここまで読んでくれたあなた、貴重な時間を頂きありがとうございました。<br>ではまた、ロイチキ屋のブログを見に来て下さい。ありがとうございます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/roychikiya/entry-12706227059.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Nov 2021 19:00:00 +0900</pubDate>
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