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<title>〜3月という月 〜 あの時の福島で、そして今、未来</title>
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<description>～もしも放射線の飛ぶ街に住むことになったら～　福島のあの時、今、そして未来を思い、心を紡いでいきます</description>
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<title>2017 6月の庭</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/amemberentry-12285475777.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Jun 2017 21:21:16 +0900</pubDate>
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<title></title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/amemberentry-12285474354.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Jun 2017 21:16:57 +0900</pubDate>
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<title>あの原発事故のニュース</title>
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<![CDATA[ http://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20110315/1300_s_toukaimura.html<br><br>今でも読むと<br>あの時の恐怖が蘇ります。<br>忘れたくても忘れられない<br>忘れられてはいけないのかもしれません。<br><br>あの時の自分は、冷静だったのでしょうか。<br>まざまざと蘇るのに、思い出すとどうしても夢の中の出来事のように思えるのです。<br>まるでSFの世界。<br><br>今日は5年ぶりに、2作目となった「アリス イン ワンダーランド 時間の旅」を観てきました。1作目は震災前だったのだと思いますが。<br>観ながら、やはりあれから不思議な世界に迷い込んでしまった気がしました。<br>悪夢なら覚めて欲しい。<br><br>ずっとそう思って、もう5年と4カ月が経ちます。随分と除染も進み、食品のbq数も減り、地物を使ったレストランにも平気で行きます。<br>あの頃は、空気も水も土も山も川も海も、想い出さえも全て汚染されてしまったようで、とてもとても傷ついていました。そんな中で暮さねばならないことをとても悔しく思いながら、それでも一歩一歩出来ることをしながら進んで来ました。<br><br>多くの方々に、目をかけ声をかけ心をかけて頂き、ここまでこれたことをいつも感謝しています。<br>なかなか平常に戻れなかった自分を、もどかしく見ていた方もいらっしゃるでしょう。それが当たり前、自分も同じという方もいらっしゃるでしょう。<br>皆様に支えられながら、自分が周りにも少しでも何かを与えることが出来ているのなら、少し救われる思いがします。<br><br>てなことで、随分とブログもご無沙汰してしまいました。<br>なんだか今日は、思いだして眠れそうにないので、つらつらと気持ちを書いてみたりしました。<br><br>あれからの日々を、取り戻しながら大変だった分まで、楽しく充実して幸せに進んでいけたらいいなと思います。<br><br>皆さまも、どうか幸せになってくださいませ。それをいつも願っています。<br><br>🌹より💕
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/entry-12181966856.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Jul 2016 01:26:29 +0900</pubDate>
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<title>リスクコミュニケーション その２</title>
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<![CDATA[ リスコミはまだまだ研究途中の分野であるらしい。<br><br>原子力災害に関しては、多義的な問題が大きく、科学的な不確実性も含めて科学者も議論の決着をみていない事でもあるし、それを見ている市民も、その対応も含めて行政への不信不満があり、なかなか納得の方向へいかないのではないだろうか。<br><br>そしてリスクコミュニケーションは、やはりコミュニケーションなのであるから、お互いの主張を聞き、議論して、結果を政策に取り入れてこそ目的達成なのでは無いだろうか？<br>一方的な説明や連絡なら、コミュニケーションとは言えない。それは指示、伝達にしかすぎないであろう。<br><br>やはり人々の価値観を大切にして、合意形成が成されるものであること、リスクを受ける者ステークホルダーに選択の余地があるものでないとリスクコミュニケーションという名の意味が無いであろう。<br><br>原発事故後普段の10倍も100倍も放射線があり事故前なら放射線管理区域並の<br>所に、除染もせずに平気で普通に暮らせという方が無理である。<br>知らないという事を良いことに、寝た子を起こすな不安を煽るなと、リスクを受け入れるのか避けるのかさえも選べずに、暮らせられた事は、行政等への不信感や怒りとなり、その後のリスコミにも悪影響を与えたのではないだろうか。<br><br>人間は意思や感情を持って生きている。動いている。それを無きものの様に、それまでの生活や価値観を無視してのリスク比較や押し付けは、受け入れられなくて当然ともいえる。<br>どのリスクを選ぶかは本人の価値観が決める事なのだ。<br>それが、経済的な事ばかり優先され、社会的な判断でと言われても、我々は1人1人意志を持って生きているのだから。<br><br><br>子ども被災者支援法では、この原発事故で被害を受けた県内外のそういった人々の救済をうたっている。<br>段階的にでも（支援対象地区から）対応が1日でも早くなされ、皆が安心して暮らせる日が1日でも早く実現させる事が今後の課題であろう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/entry-12056716528.html</link>
<pubDate>Fri, 31 Jul 2015 21:34:41 +0900</pubDate>
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<title>自主避難した者、している者、しなかった者。</title>
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<![CDATA[ 　自主避難者への対応どうなっていくのだろう。<br><br>　原発事故後に一次避難した人々や自主避難した人々を、避難せずに残った人々は快く思っていない…　それは、この4年間なんとなく感じる。<br>　<br>　自主避難をしないで住んでいる者から見れば、4年間住む所の支援をして貰っていただけ良いと思うかもしれない。<br>　線量が高めの所でも対応なしで4年間過ごして来た人々から見たらそうだろう。<br>　私は一次避難をしてわりと直ぐ、4月半ばには福島に戻ったが、それでも「避難した、逃げた、放射能を気にしている人」の部類に入れられレッテルを貼られている様な気がする。<br>　一方、長く4年間自主避難している人々から見たら、2011年に福島に戻った私の様な人々は、ずっと住んでいる人々の部類だろうから、福島にずっと住んでいる人に見えるだろう。<br><br>　自主避難している人々、過去にしていた人々は、自主避難しなかった福島の人に気を遣い、身を潜めるようにしている。放射線などを気にしている事も含めて、申し訳無い思いで生きている感じがする。<br> 原発事故がなければ、放射性物質の事がなければ、「気にしている人」「逃げた根性なし」「協調性のない人」などというレッテルを貼られたりそういう目で見られるというストレスも無く普通に自宅で過ごせていたのに…。<br>　特に県内の人同士が責めるのは、その気持ちも分からないでは無いが…とても哀しい。<br><br>　身の回りに増えた放射性物質や放射線のリスクをどう捉えるか、どのリスクを回避するのがその人やその家族にとってベストなのかは、それぞれに考え方や判断基準が違うのだから、そっとしておけばよいのだ。<br>　その人やその家族が悪いのでは無いし、良い悪いという問題でも無い。<br>誰かに迷惑をかけている訳でもなく、寧ろその人や家族は辛い思いを抱いている事だろう。<br>　住み慣れた家、故郷に戻りたい思いは、自主避難者だって同じだ。<br>　しかし現時点で戻った時のその人の中でのリスクが、戻らないよりも大きいと判断しているのだから、それを責める事なんて誰が出来るだろうか。<br><br>　自主避難の借り上げ住宅代を自分達の税金のから出したく無いという事なのか？だったら、何にだったら出してもいいのか？<br>　税金の使われ方なんて、本当に困っている人々に使われているのだろうか…。今目の前で困っている人々に使わず、どこに使うのか？<br><br>　自主避難者にだけでは無い。<br>　福島で暮らしながらも気を使いながら、下がらない放射線を気にしながら暮らしている人々へ、より安心して暮らせる生活が出来る様にする為には、行政はどんな対応をしているのか。<br>　国策として進められて来た際のこの事故。　<br>　東電の賠償もかなか進まないし、被災地の人々の復興もなかなか進まない事は、伝えていく必要があると思う。<br>　支援対象区域は、個別対応を手厚くしていく事が今後の被災地の為になるであろう。<br><br>　既に 被災地は復興して、みんなハッピーですというSTORYが見たい人々には申し訳ないが、勿論元気でハッピーな人々も沢山いるが、まだまだ復興はすすんでいないという事も、見て見ぬふりをしないで頂きたいと思う、５度目の暑い夏。<br><br><br><br>皆んな本当は気づいているんだろう…。<br>だけど、地面をならすみたいに、凸があったら平らにしたいんだろう。<br>だけど、凹にも何かを埋めないと、平らにはならないんだけどね…。
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/entry-12054065492.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Jul 2015 16:13:32 +0900</pubDate>
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<title>復興費はどこに？2015年7月の我が家の屋根</title>
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<![CDATA[ 我家の屋根は原発事故後４年と4カ月が過ぎても屋根瓦表面で0.36～1.0μSv/hもある。<br><br>室内の空間線量も0.2μSv/hで、道路の方が若干低い。<br><br>部屋の中は天井に近い程線量が高い。<br>1階の方が2階よりも線量が低い。<br><br>事故直後は、室内の空間線量は床を除いてほぼ360度からの放射線の影響があった。<br><br>今は2013年7月に除染が行われ、半減期や自然減衰もあるので周りからの影響よりもより居住空間に近い屋根瓦からの影響が大きい。<br>屋根瓦は除染したと言っても、ブラシで擦り水をタラタラと流しモップで拭き取っただけなので屋根瓦の表面は今でも2000cpm以上ある。<br><br>屋根瓦が原因と分かっても、葺き替え代は400万円近くする。それを誰が出すのか？<br>これを自費で払おうとすると、あまりにも高額過ぎて、なかなか葺き替えに踏み切れない。<br>そしてもう４年が過ぎて5回目の夏が来た。<br>もう、放射線を気にする生活と訣別したい。<br>本当に本当に考えないで、安心して暮らしたい。<br>事故後は３～4μSv/hあったであろう屋根瓦。まだまだ1μSv/hあり、我が家の室内の空間線量に影響している。<br>事故直後は0.6～1.2μSv/hもあった。<br>それを見て、だいぶ下がった…とは思うが、しかしそんな中を放射線管理区域並の空間線量の中を暮らせと、何の措置も対応もなく暮させられて来たことに、怒りを感じる。<br><br>早く家の空間線量を、事故前の空間線量に戻したい。戻して欲しい。<br><br>国策として進めてきた原発の事故によるこの被害、東電は勿論だが賠償して欲しいし、除染は国の認可が無いと自治体では出来ない除染方法もある。被災地の復興に本当に力を注ぐのなら、実際に困っているこういう所の費用を認めて欲しい。<br><br>東京オリンピックにかける費用や、諸々の風評被害復興解消にかける費用はもの凄くあるではないか。<br><br>支援法の支援対象区域ではあるが…<br>被災地で本当に必要とされている所に、復興費がまわっているのだろうか？<br>1日でも早く、被災地の人々の生活が元に戻れる様な政策を実施して欲しいと強く願う。
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/entry-12053708887.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jul 2015 16:58:04 +0900</pubDate>
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<title>リスクコミニュケーション</title>
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<![CDATA[ リスコミについて…<br><br>今回の原発事故後の様々な基準値について、被災者はどう捉えているのだろうか？<br><br>もし学術的にその基準値が正しいのならリスク評価も学術的に妥当、けれど論文等間違っている事もある。<br>リスク評価して決定したものがどう受けいれられているかがリスク管理。<br>今までもそれは押し付けが多かった。<br>受けいれる側との合意形成が出来ておらず、リスク管理、リスコミとしては上手くいっていないと感じているのは自分だけだろうか。<br><br>リスク評価は本当に妥当なのだろうか。<br>そうでは無いからTwitter上でも、専門家やその他の方々が議論していて、決着をみていないし、なかなか収まらず、そういう事もあり受け入れられない人々がいるのではないかと思う。<br><br>リスク評価が学術的に妥当という事の中に、経済的な観点も入っているのだとすると、科学的ではなくなるし、政治的判断が入っているのなら、それも同じ事。<br><br>その辺りからも不信感の元がある。何となくスッキリしないのはその辺りなのだと思う。<br>リスク管理という名の、リスクの押し付けと受け入れを強制するリスコミになっていると感じるのは、そのあたりに原因があるのだと思う。<br>もちろん、合意形成かなされていないというのも問題である。<br>……………………………………………………<br><br><br>例えば、身近な例え話をするのなら…<br>子どもや保護者が利害関係者で管理職や教育委員会などが行政だとします。<br>担任が児童生徒にとって指導力不足の不適格教員だとします。しかし教員免許も持っているし一生懸命やろうと努力しています。<br>しかし児童生徒や親にとっては疑問だらけのしかも子供らにとってむしろマイナスの状況しか産まない担任だとします。<br>管理職や教育委員会は担任は適切な指導をしていて問題ないからそのまま<br>の状況で過ごしてくださいと言ったとします。<br>その時、児童生徒や保護者がその担任をすんなりと受け入れられるでしょうか？<br>児童生徒に対する不適格な数々の対応や状況を見て、上の者の判断が間違っている上の者は理解していない、この担任を押し付けて受け入れろと言っていると感じると思うし、受け入れられないと思うのです。<br><br>例えて言えば、そういうオカシナ事になっているという事です。<br><br>多くの人々がその担任が適切な方だと思うのならそんな問題は起きないし、その担任が不適格だと騒ぐ方が極々少数なら、受け入れ側や個人的な問題かもしれません。<br>しかし、ある適度の数々の受け入れられない人々がいるという事は、やはりどこかにそのリスク評価が妥当で無いからだという可能性があるからなのではないかと思うのです。<br><br>全て100%の人が良い、などという事象はそうそうない事だと思いますが、受け入れられない人々の割合が多くなればなる程、そこには何か問題があるのだという意識も持つ事も、とても大事な事だと思います。<br><br>そういう事が、このリスク評価、リスク管理、リスコミで感じられるのです…
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/entry-12053700764.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jul 2015 16:45:23 +0900</pubDate>
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<title>私達だって　皆さんと同じ人間です 　　　　　　(RT数193　お気に入り数５２)</title>
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<![CDATA[ ツイッターで２０１５／３／９に　なにげなくつぶやいた呟きが<br><br>RT数　１９３　<br>お気に入り数５２　となっている。<br><br><br>『　他の県は年１ミリSvとか、<br>　０．２３マイクロSv/h以上なら　すぐ除染なのに<br><br>　福島だけ　<br>　年２０ミリSvで帰還させられるとか<br>　年１ミリSvは０．６マイクロSv/時ですなんて、<br>　無茶なこと言わないで頂きたいです。<br><br>　私達だって皆さんと同じ人間です　』<br><br><br><br>福島の除染は、<br>（２０１５．３月現在　福島県調べ）<br><br>全体計画を１００として現在<br><br>公共施設　７７．１％<br>住宅　　　４７．５％　　<br>道路　　　２２．９％<br>農地　　　６３．８％<br><br>自治体によっても除染のやりかたや、除染の目安のcpm（汚染の度合い）、目的成の空間線量や、達成までの年数などなど　ずいぶんと違っている。<br><br>福島市をいてみても、<br>２０１３年の除染基準値はコリメータ（鉛で遮蔽するもの）で、０．４マイクロSv/時の基準で行っていたが、<br>年月が経過し半減期や自然減衰もあり全体の空間線量が下がってきたため、<br>除染基準を０．２３マイクロSv/時で行っている。<br><br>しかし、既に除染の住んだ地域こそが、空間線量率の高い地域であったのに<br>以前の除染基準値であっさりと表土除去されてしまった為に、<br>他の除染していない区域よりも数値が以前高めという状態になってしまっている。<br>（仮置き場が決まっておらず、汚染土を増やしたくないとう思惑があったのかどうかわからない）<br><br>０．２３を切っている区域も、一度は除染して欲しい・もっと低くして欲しいという意見があり、<br>費用は決まっているのであろうから、<br>そのあたりは除染しても高線量の住民も、そうでない住民も、皆複雑な思いだ。<br><br><br>避難解除された区域は、２０ｍSｖ/年でも帰還（してもかまわない）となっている。<br>帰還したい人を、この線量で帰還させないという科学的理由もないということらしいが<br>はたしてその科学が、小さな子どもを持つ者や、<br>今までの様な安心した生活を営みたいと思う人々に受け入れられるのだろうか。<br><br>先祖代々の土地や家を守る為、住み慣れた家に戻りたいと喜んで帰還する人々にとってはそれは<br>喜ばしいことなのだろう。<br><br>しかし、その線量を基準値とみなし<br>人体への影響が無い数値　人が住んでも全くリスクが上がらない数値だという様なことを<br>暗喩的に言っているような気がしてならない。<br><br>「子ども被災者支援法」はどうなってしまったのだろう。<br><br>１ｍSv/年の約束は　どうなってしまったのだろう。<br><br>「目標を達成できないから」<br>「費用が掛かりすぎるから」<br>「０リスクなどどこにもない。いろんなリスクと比較してうけいるべき」<br><br>そんな　こじつけたようなさまざまな理由で<br>基準値を決めないで欲しい。<br><br><br>個人積算線量から逆算して、<br>これまで計算していたよりも１ミリSvになる空間線量が高くても大丈夫だったから<br>というだけの理由なのに　<br>子どもがコンクリートの中で過ごす時間が長かったという理由だけなのに<br>０．６マイクロSv/時が１ｍSvですなんて<br>言わないで頂きたい。<br><br>事故前から　それは放射線管理区域で　<br>私達は気をつけていたはずです。<br>しかも　そんなところに住んでなんかいませんでした。<br><br><br>事故前今で、<br>私達は　放射線に対する強さが変わった訳ではありません。<br><br>私達も　県外に住む皆さんと同じ人間です。<br><br><br><br><br>そんな、思い意見への賛同が<br>RT数や　お気に入り数に　現れているのではないかと思うのです。<br><br><br><br>２０１５／３／１２
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/entry-12000803576.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Mar 2015 22:30:07 +0900</pubDate>
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<title>あれから４年目　５回目の春</title>
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<![CDATA[ <br>４年目の　５回目の春<br><br>この時期は　<br>どうしても　あの時を思い出し　<br>ブルーな気持ちになる<br><br>そして<br>傷ついた福島を思うと　切ない<br>福島全体が　　傷ついている<br>それを想うと　哀しい<br><br><br>今も自主避難で家族と離れて住んでいる人々<br>仮設住宅で　いつ帰れるともしれぬ　ふるさとを思う人々<br>懐かしく　幸せだった失われた　日々を思い出す人々<br><br>大切な人を飲み込んだ　今は穏やかな海をぼんやり見つめる人々<br>大切な人を忘れられない人々<br><br>涙を流し<br>悲しみと　怒りがわきあがってくる人々<br><br>傷ついた福島に住むことが　とても辛く哀しい人々　<br><br>そんな様々な人々の　気持ちを<br><br>とっても　強く強く感じて<br><br>やりきれない気持ちになる<br><br>また思い出すと　悲しみの奥底からぬけだせなくなる<br><br><br>この中で<br>いったい自分には何ができるのか<br><br><br><br><br>明日になれば　明日になれば…<br><br><br>自分に出来ることをして<br><br>支えてっくださる人々に感謝し<br><br>笑顔で　進んでいきたい<br><br><br><br><br><br><br>２０１５／３／１５
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/entry-12000783091.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Mar 2015 22:14:10 +0900</pubDate>
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<title>2011.3.11  ～３月という月～　あの時ふくしまで</title>
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<![CDATA[ ももちゃんの甲状腺検査結果が届いた。<br>結果は[A]<br>ママはほっとため息をついた。<br><br>「ママ、ももちゃんはどうしてこうじょうせんの検査をするの？何かの病気なの？」<br><br>「ううん、違うのよ。ももちゃんは病気じゃなくてとっても元気だもの。<br>あのね、<br>ももちゃんが赤ちゃんの時にね、「東日本大震災と原発事故」があってね…。<br>ちょうど今日と同じ、もうすぐ春ですよっていう３月１１日だったのよ。」<br><br>ママはあの日のことを思い出した。<br><br><br>今は　何にもなかったような　ふくしまだけど。<br>ちょっと　哀しいお話もあるのよ。<br>ももちゃんのママも、みんなもいろいろあったけどと　頑張ってきたの<br>ももちゃん聴けるかな？」<br><br>「うん、ももちゃんもうすぐ小学生になるから、だからなんでもわかるもん。大丈夫！」<br><br><br>それなら、ももちゃんにわかるように　あの時のことお話しようかな。<div><br></div><div>りーさんに聞いたお話しよ。</div><div><br>＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾<br><br>３月という月　　～あの時の　ふくしま～<br><br>【～２０１１／３／１１～】<br><br><br>ももちゃんの住むふくしまは<br>緑がたくさんあって、果物も、お野菜も、空気も、水も、お魚も美味しいところ。<br>桃やリンゴががとてっもおいしい所でね。春には梅や桜や梅が一斉に咲いて<br>うつくしま　ふくしま<br>「桃源郷」と呼ばれる位　きれいな所。<br><br><br>その日りーさんは、<br>ももちゃんももうすぐ通う　小学校でお仕事をしていたの。<br>学校には「保健室」ていう所があるのよ。<br><br>その日はね、２０１１年の３月１１日でね<br>もうすぐ春ですよ、っていうまだ寒いけど、ぽかぽかお天気の日だったの。<br>お仕事は年度末だから、いろいろまとめなくちゃならなくて帳簿を書いていたの。<br><br><br>そしたら、１４時４６分頃にね…<br>「かたかたっ」って　<br>ちょっと音がしてね　小刻みな揺れがあったの<br>あれ？って思ったら、<br>お部屋のついたてが「つー」と動いたの。<br><br><br>次の瞬間<br>「ぐあたがた～がたがたがた～がたがた～がたがたがた～ミシミシミシミシ～」って<br><br>一気に大きく大きく建物が揺れ出してね。<br>机の引き出しがでてきたり、机の上の物が落ちたり<br>棚も倒れる位に揺れ出したのね。<br>りーさんは、「これは中にいたら危ない！」と思ってね、一階にいたからすぐに外に出たの。<br>そこは中庭でね、芝生の上だったけど外も電線がびゅんびゅんうなっていたわ。<br><br>もしかして、地面も割れちゃうんじゃないかと思うくらいの揺れでね、立っていられなかったから芝生に小さくなってしゃがんでいたの。<br><br>上からガラスが降ってこないかな？なんて上を見ながらね。コンクリート４階建ての建物が崩れるんじゃないかと思うくらいの、今までに経験したことのない大きな大きな揺れだったの。<br>屋上に着いている放送用のスピーカーが、小さくがたがた揺れていてね、それが落ちてこないかはらはらしたわ。<br><br>教室では、みんな先生の指示に従って避難訓練通りに机の下に頭を隠して潜っていたの。<br>でも、机ごと滑るように動いて<br>「ｷｬ───(*ﾉдﾉ)───ｧきゃー｡ﾟ(ﾟ´Д`ﾟ)ﾟ｡ｳﾜｧ─ﾝ」という<br>ももちゃんみたいに小さい子どもたちの　悲鳴や鳴き声が聞こえて来たの。<br><br>りーさんは、「早く外に出た方がいいよ」と呼びに行きたかったけどね、地震の揺れが多きくて歩けない位だったの。<br>そして、大きな揺れは弱くなって収まったかな？と思うとまた次の揺れがどんどん来てね。<br><br>やっと少し揺れが収まって、みんな続々と教室から校庭に避難したの。<br>りーさんはね、大きな声で「けがをしたひとはいませんか？具合の悪い人はいませんか」と<br>子どもに声をかけてね。<br><br>４階の天井板が落ちてきたり、一階の水道管が破裂したり、パソコンやテレビが<br>落ちてきたり、本棚が倒れて来たりしたけれど<br>幸運な事に　けが人・病人は一人もいなくて無事に校庭に避難出来たの。<br>ほっとしたわ。<br>児童が全員いるかどうか担任の先生が人数を確認したけれど、全員いて無事だったの。<br>よかったわ。<br><br>ところが、揺れが何度も何度も起こってね、しかもだんだん天気が悪くなってきて雪が降り始めたの。小さい子どもたちは、心細くてしくしく泣き出してね…<br>上着も着ないで外にでたから、寒くて寒くてぶるぶる震えていてね。<br>「大丈夫、だいじょうぶ」と肩をだいてなぐさめたのよ。<br><br>先生方が校舎内に戻ってね、子ども達の上着を持ってきて着せてくれていたの。<br>ありたけの毛布を保健室から持ってきて、泣いている子ども達何人かいっしょにくるんであげたのよ。<br>雪がすごくなってきたから、ブルーシートを持ってきてかけていた学年もあったの。<br>お家の人がむかえにくるまで、帰れないけれど、停電だし電話も繋がらなくてね。<br>なかなかお迎えもの大人も地震のせいで来れない人もいてね。<br>隣の幼稚園はわりと新しい建物だったから　そこにみんなで行って待っていたのね。<br><br>最後の子どもが帰る頃には、もうあたりは真っ暗になっていたわね。<br><br>そしたらね、<br>家族のことがとっても心配になってきたの。<br>地震のあと、メールで確認して無事だってわかったけどね。<br>家に帰ったらどんなことになっているのかな…と思いながら<br>停電で信号の消えた、真っ暗な道を家へ帰ったのよ。<br><br>ももちゃん、<br>あら　ねむっちゃったのね。<br><br>じゃあ今日のお話はここまでにするわね。<br><br>続きはまたね。<br><br>＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾<br><br>memo<br><br>　震災は突然やってくるものだ。あんなに大きな巨大地震があんなに突然私達を襲うなんて誰も予想していなかっただろう。<br>　<br>　私達は仕事で地震や火災や不審者を想定しての「避難訓練」をし、対応についてマニュアルを作り万が一に備えている。それは大切な子どもの命を預かる仕事だからなおさらだ。<br>　今回の巨大地震でも、けが人・病人が一人もでなかったのはそういった危機管理体制がしっかりしていたからだろう。<br>　<br>　それに比べて、歴史的な被害をまき散らしたあの場所はいかがなものだったのだろうか。大きなエネルギーを生む必要なものだからこそ、念には念を入れて策を講じておくべきだったのではないだろうか。<br>　「安心安全だ」「まさか大きな災害はこないだろう」「予備があるから大丈夫だろう」「そんなこと考えたらきりがない」「莫大な費用が掛かるのに、いつおこるとも知れぬ物にお金をかけられない」などという、危機感のない空気が蔓延してはいなかったのか。<br><br>　あの時現場にいらした方は、もしかしたら強く強く後悔されているかもしれない。<br>　二度とおきてはいけないこと。<br>　天災ならまだしも人災だとしたら、こんなに沢山の長く苦しむ人々を作ってしまった罪は、非常に重いだろう。もし罪の意識を持つ者がいたとしたら、それは非常に辛いことだろう。<br><br><br>＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾＾<br><br>memo2<br><br>　地震は初め「かたっ」と音がしたかと思うやいなや急に「がしゃがしゃ」と揺れ出した。<br>ちょうど会計簿を書いていた。その後その帳簿を見てみると、数字の途中まで書きかけてすぐにペンを置いた跡があり揺れ初めは、あっという間の出来事で初めから強い揺れに見舞われたことがわかる。<br><br>　それまでの穏やかな日常を、あっという間に非日常の世界に変えてしまう巨大地震。それを私達は甘く見すぎていたのかもしれない。<br>　震災直後しばらくは、誰もが備えをしっかりとしていただろうが、４年の月日でまだ人々の気持ちは危機感が徐々に薄れつつあるのではないだろうか。<br>　<br>　この震災の何を教訓とし、何が出来て何をすべきなのかもう一度考えて行動出来るようにしたいものだ。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/rozeree/entry-12000427454.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Mar 2015 23:30:51 +0900</pubDate>
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