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<title>うつ体験記まとめブログ</title>
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<title>席替え</title>
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<![CDATA[ 私がうつ病を発症したのは自動車部品メーカーに勤務していたときでした。<br>最初に配属された部署で営業、購買、設計、試験、実験など会社の一通りの仕事を覚えたので、会社の便利屋になってしまいました。<br>毎年部署移動させられて短いときは３ヶ月といった部署もありました。<br>自覚症状はありましたが、まさかうつ病になるとは思いませんでした。<br>夜はよく眠れなくなり、仕事中でも眠ってしまうことがありました。<br>派遣社員の人が「派遣社員並みの仕事をこなされていますね」といわれたこともありました。それだけハードな仕事をこなしていました。<br>うつ病になったきっかけは席替えです。<br>これがきっかけでうつ病の症状がはっきりと出てきました。<br>何もする気が起きない、自分から率先して行動しない、笑顔が無くなったなどです。<br>結局そこの自動車部品メーカーは退職しました。<br>それからが茨の道でした、うつ病を隠して就職活動をしたので、仕事がこなせないことがあり、また、動悸が起こる事があり仕事も休みがちでした。<br>その結果１９回転職しました、自動車部品メーカーに勤務していたときに取得しておいた２級ホームヘルパーで現在は介護師として仕事をしています。<br>社長もうつ病体験者なので理解してくれるので助かっています<br>
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<pubDate>Wed, 18 Apr 2012 23:28:18 +0900</pubDate>
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<title>つらい現実</title>
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<![CDATA[ その度に私の痛心は治りました。 私はだんだん販売の頭痛薬を飲まなくなっていきました。 飲んでいた市販の頭痛薬は１週でなくなっては買うという感じでした。<br>私は主人の通っている病院にいくことにしました。<br>その時、病名は言われませんでした。<br>私は仕事を辞め子供を置いて主人と暮らすようになりました。<br>息子には毎週お金を振り込み週に１度様子を見に行っていました。<br>私は気づかないうちに小学生の時父にされた事を息子にもしてしまっていました。<br>そうです。私は息子から、辛い現実から逃げたかった。<br>母を亡くした父もそうだったかも知れません。<br>しかし私は父をいまだにゆるすことができません。<br>今、息子も私を許してはくれていないと思っています。<br>病院の診察料や薬代が２人で１万円くらいしお金がなくて病院にも行けない時もありました。<br>
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<pubDate>Tue, 17 Apr 2012 19:44:16 +0900</pubDate>
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<title>頭痛薬</title>
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<![CDATA[ しかし自律神経失調症は病名ではありません。 でもその飲み薬を飲まないと具合が悪くなるので飲んでいました。 付き合いだし私は痛心のことはなんとなくいいませんでした。 でもあまりに痛く昼の仕事を休んだり晩の仕事を休んだりするようになりました。 私はこのままではいけないと思いその頃付き合っていた主人に相談しました。<br>本当はいけないのですが主人が処方されている安定剤をもらいました。<br>２０分くらいたった時自分でもびっくりするくらい頭の中が<br>すっきりしました。<br>頭痛がおこる度に安定剤をもらっていました。その度に私の頭痛は治りました。<br>私はだんだん市販の頭痛薬を飲まなくなっていきました。<br>飲んでいた市販の頭痛薬は１週間でなくなっては買うという感じでした。<br>
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<pubDate>Mon, 16 Apr 2012 21:10:05 +0900</pubDate>
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<title>主人</title>
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<![CDATA[ 主人は若い頃、暴走族で父親から勘当され離れた土地に１人で派遣社員<br>として働いていました。<br>夜の仕事で知り合ったので私は軽いのりで接客していました。<br>その内お互いの身の上話をするようになりました。<br>話しているうちに、だんだん心を開いていきました。<br>そんな時主人が自律神経失調症で通院していることを知りました。<br>話を聞いてみると前職の営業回りで倒れて救急車で運ばれてわかったそうです。<br>しかし自律神経失調症は病名ではありません。<br>でもその薬を飲まないと具合が悪くなるので飲んでいました。<br>付き合いだし私は頭痛のことはなんとなくいいませんでした。<br>でもあまりに痛く昼の仕事を休んだり夜の仕事を休んだりするようになりました。<br>私はこのままではいけないと思い当時付き合っていた主人に相談しました。<br>
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<pubDate>Sun, 15 Apr 2012 23:34:58 +0900</pubDate>
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<title>頭痛</title>
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<![CDATA[ しかし、あまりにも心痛が続き毎日、頭痛薬を手放せなくなりました。 激しい時には頭痛から吐き気までしていました。 でも誰にも頼れず登校拒否の息子にも学園に行きなさいとも自分のことで 精一杯で言わなくなっていました。<br>しかし、あまりにも心痛が続き毎日、頭痛薬を手放せなくなりました。 激しい時には頭痛からむかむかまでしていました。 でも誰にも頼れず登校拒否の坊っちゃんにも学園に行きなさいとも自らのことで 精一杯で言わなくなっていました。<br>息子も学校の話も自分の話もしなくなりひきこもり状態になりました。<br>私はそんな日常から逃げたくて毎日どうしたら楽になれる。そんな事ばかり考えるようになっていきました。そんな暮らしをしている中、今の主人と知り合いました。<br>
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<pubDate>Sat, 14 Apr 2012 22:22:32 +0900</pubDate>
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<title>地獄</title>
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<![CDATA[ 私は小学校４年生のときに母を亡くしてから地獄が始りました。 ５年生の時に仲が良かった兄の仲間に強姦されかけました。 そして母亡くなった事で自暴自棄になった生みの親が中学校１年生に家出 私と兄の２人人生が始まります。<br>今どきなら児童相談が訪問し施設行きだったと思います。 父の家出をきかっけに学園にも行かなくなりました。 １７歳で結婚し２０歳の時男の子をお産しやっと幸せになれると思っていました しかし夫はギャンブルにはまり私は風俗で働く事になります。<br>大人になった私は夫と離婚し子供と２人で生活を始めます。<br>そして昼と夜に仕事し自分の安心できるのは寝る時だけでした。<br>そんな生活が続き息子が中学２年生から登校拒否になってしまいました。<br>その頃から毎日、頭痛がおき私は、夜の仕事でお酒を飲むからかなと<br>あまり気にしませんでした。<br>
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<link>https://ameblo.jp/rscg0010/entry-11222150843.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Apr 2012 20:04:36 +0900</pubDate>
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<title>席替え</title>
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<![CDATA[ 私がうつ病を発症したのは自動車部品メーカーに勤務していたときでした。<br>最初に配属された部署で営業、購買、設計、試験、実験など会社の一通りの仕事を覚えたので、会社の便利屋になってしまいました。<br>毎年部署移動させられて短いときは３ヶ月といった部署もありました。<br>自覚症状はありましたが、まさかうつ病になるとは思いませんでした。<br>夜はよく眠れなくなり、仕事中でも眠ってしまうことがありました。<br>派遣社員の人が「派遣社員並みの仕事をこなされていますね」といわれたこともありました。<br>それだけハードな仕事をこなしていました。<br>うつ病になったきっかけは席替えです。<br>そこで自分の仕事と違う席に配属されて上司に訴えました。<br>これがきっかけでうつ病の症状がはっきりと出てきました。<br>何もする気が起きない、自分から率先して行動しない、笑顔が無くなったなどです。<br>結局そこの自動車部品メーカーは退職しました。<br>それからが茨の道でした、うつ病を隠して就職活動をしたので、仕事がこなせないことがあり、また、動悸が起こる事があり仕事も休みがちでした。<br>その結果１９回転職しました、自動車部品メーカーに勤務していたときに取得しておいた２級ホームヘルパーで現在は介護師として仕事をしています。<br>現在の社長もうつ病体験者なので、理解してくれるので助かっています。<br>
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<link>https://ameblo.jp/rscg0010/entry-11221434890.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Apr 2012 22:16:34 +0900</pubDate>
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<title>疲れた日々</title>
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<![CDATA[ とにかく人と接する事に疲れていました。<br>そんな頃主人の職場移動の話があり派遣会社の社宅に住んでいたので、<br>主人は仕方なく移動しました。<br>これだけ聞けばわがままに聞こえるかも知れませんが鬱の人にとっては<br>ものすごいストレスになります。<br>初めての仕事、初めての人との人間関係、普通の当たり前の事が苦痛になり<br>体や頭の中に症状がでてきます。<br>主人は営業もやっていたこともあり、どうしても相手に気を使ってしまい<br>相手に話を合わせそれがストレスで薬を飲まないと失神してしまうくらいでした。<br>世間では派遣切りが頻繁にニュースで取り上げていた時でした。<br>そして主人も例外ではなく派遣切りにあってしまいました。<br>私たちは決められた日付までに社宅を出ないといけなくなりました。<br>私たちはすぐにハローワークに行き初めて見たハローワークは<br>人で溢れかえっていました。<br>私たちは失業手当の申請と雇用促進住宅の申請に行っていたのですが<br>人がすごくて気持ち悪くなりながらも自分たちの順番を待ちました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/rscg0010/entry-11220548356.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Apr 2012 22:04:10 +0900</pubDate>
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<title>うつのきっかけ</title>
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<![CDATA[ 毎日たったの４時間のパートに行くのにも疲れるようになり夕食も作れない<br>日も何日かありました。のちに私の鬱のきかっけは母の死である事を知るのです。<br>毎日来る父の借金の取立て父を隠していると今では考えられませんが殴られる事もありました。母が死に父が失踪、そんな環境の中から私の鬱は始まっていったのです。<br>そして強姦未遂、兄にも言えず１人で不安と知らずに戦っていたと思います。<br>息子は中学卒業後の進路を就職して住み込みで働くと決めました。<br>試験をして面接をして見事に合格しました。<br>私達夫婦は相変わらず内科で薬を処方してもらい何とか仕事をしました。<br>食べ行くには体がどんなにつらくても頭の中がおかしくなりそうでも<br>おかしくなっていくのを自分で感じてもどうしようもない事でした。<br>私達夫婦は限界に近づいていました。<br>私はパートを辞め専業主婦で家の中で出来る仕事を探し家の中で仕事をしていました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/rscg0010/entry-11219484046.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Apr 2012 19:53:02 +0900</pubDate>
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<title>パート</title>
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<![CDATA[ だんだん息子の表情も明るくなり私と主人がそっと広場に行ってみると<br>自転車に乗れるようになっていました。<br>私と主人は２人で手を合わせ喜びました。<br>子供が通っている学校から電話があり息子と３人で行くと校長先生が、誰にも会いたくなかったら部活が終わる夕方に校長室に来れば学校に出席したことにしてくれる。と寛大に言ってくれました。それから息子は夕方学校へ行くようになりました。<br>私は大きなスーパーのレジのパートに薬を飲んでいる事を秘密に働きだしました。<br>しかしあまりにも忙しく特売の日なんかは、４時間で２００人以上のレジをこなさなければいけませんでした。<br>のちに主人も私も仕事が困難なくらいのうつ病と診断されるのですが、息子はその頃から<br>朝、学校へ行くようになり不登校の専門の教室で勉強するまでに改善してくれていました。<br>それが中学２年生の３学期の事です。<br>私はスーパーで働くパートの人ともうまくやれず、レジで忙しく時間だけたっていくの<br>を待ちわびるようになりました。パートの人とは一切話さなくなっていました。<br>私も気を使ってまで仲良くはしたくありませんでした。<br>パートが終わると必ず偏頭痛がし開放された気分になっていました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/rscg0010/entry-11218308299.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Apr 2012 14:32:49 +0900</pubDate>
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