<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>月はナミダと云った</title>
<link>https://ameblo.jp/rusty0m/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/rusty0m/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>私の日記を基本とし、気持ちによっては皆さんと共有したい事も載せていきます(ˆ ˆ)/人付き合いが苦手な面がありますが少しずつ克服しておりますので、どうぞ暖かい気持ちで接して頂ければとても助かります&lt;(_ _)&gt;笑</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>【日記】辛かった日々</title>
<description>
<![CDATA[ 近頃はよく、私にとっての暗黒期の３年半の、特にいちばん辛かった時期に起こった嫌な記憶を思い出す。暗黒期から抜け出してから去年あたり迄はその頃の記憶を思い出すこと等なかった。きっと無意識に自分を守っていたのだろうが、最近になって少しずつ記憶が蘇ってきた。心がトラウマを乗り越えようとしているのが判る。<div><br></div><div>誰だったかな。サイトで見つけたのだが躾と虐待の定義として次のようなことが書かれていた。｢親の発言や行為に一貫性があり、それにより子供が理解できるのが躾であり、親の発言や行為に一貫性がなく、それを行っても子供が理解できないのが虐待です｣。その文を読んだ時に、漸く私は過去に自分がされていた事が虐待であったことを認めた。認めざるを得なかった。</div><div><br></div><div>母は元々、私が自慢したいほどの人だった。完璧な人間でも母親でもなかったが、とても愛情が伝わってくるので私は母が大好きだった。そうして私は思春期に入り、訳も分からずに徐々に毎日が辛くなり、学校に行かなくなった。母と先生は学校に行くように私に言うが、私はなかなか行かない。そんな日々が日常になっていき、きつい仕事を頑張ってくれていた母は先生からのプレッシャーに追い詰められたのか、言うことを聞かない私に感情的に怒るようになった。私はその場しのぎで学校へ行くと言っておきながら結局は行かないということ繰り返し、そのうち母は少しずつ私への態度がキツくなりだした。最初は私に嘘吐きと言い始め、髪を引っ張られることが度々あるようになり、｢私を犯罪者(虐待する親)にする気か｣と脅されたり、何度も施設へ引き渡す話や母と仲の悪い姑(私も嫌いで苦手な人)のところで暮らすよう言われたり、力はあまり入っていなかったが首を絞められたり、２階の階段の一番上から髪の毛を掴んだまま引きずり降ろされたり。あの頃の母は確実におかしくなっていた。(後々、姉達に聞いたが私が物心のついた頃には既に母はおかしくなり始めていたらしい)</div><div>その一方では、学校の先生と戦ってくれたり、私が辛くなくなるようにと色々なことをして力になってくれていた。母と休学(中学校)を決めてからは、母は私に酷いことをしなくなった。</div><div><br></div><div>当たり前だと思うが、あの３年半は全てが嫌になることが度々あった。</div><div>｢何が原因で自分はこんなに辛いのだろうか｣</div><div>｢どうしてあの人は私の話を聞いてくれないのだろうか｣</div><div>｢私はあなたが辛いのを知っているのに、どうして私が辛いことに気付いてくれないのだろうか｣</div><div>｢どうしてそんなに私のことが憎いのだろう｣</div><div>｢あの人に酷いことをされるのは嫌なのに、どうして私は言うことを聞けないのだろう｣</div><div>｢どうして死ねないのだろう｣</div><div>こんなことばかりを毎日のように思い、良いこともあったが殆ど状況が変化しないまま時が過ぎて行き、遂に私は限界が来た。そしてその時に思ったそのままの言葉を言ってしまった。当時の私は人として善良なほうであったと思う。なので自分の人生で人に対して、ましてや親に一番言ってはいけないことを言う日が来るとは思っていなかった。しかも傷付けたさに意地悪で言ったのではなく、瞬間的だったが確かに願ったのだ、死んでほしいと。それを私が言った直後の母の様子は覚えていない。しかし、時間を置いて父が間に入って話し合いになった時、私が言った酷いことについて母は完全に私を責めていた。母はとても傷付いただろう。私は母に酷いことをされたし言葉で責められもしたが、母は一度も私に対して｢死ね｣とは言わなかった。そこまでは思ってなかったのかも知れないし、理性が働いて我慢していたのかも知れない。何にせよ、母に捨てられそうになっていた私が本気で死のうとしなかったのはそのお陰だったのだろう。だからこそ今になって思う。母はもしかすると、私より傷付いたのではないだろうか、と。当時に戻っても誰もわからないことだが。</div><div><br></div><div>暗黒期を抜けてから私は何度も母の事を許そうと考えてきた。だが未だに出来ずにいる。いつのことだったか、一緒にニュース番組を見ていた時に育児ノイローゼにより我が子を死亡させたというニュースが流れた。すると母は｢私もきっと育児ノイローゼになっていた｣と言ったが、その口ぶりや表情に虐待を自覚している様子は見られなかったので、私も｢あれは虐待ではなかったのだ｣と思うことにした。その時の私は、｢仕方ない｣｢悲しい｣｢どうして現実を見ようとしないんだ｣と、母に対してかなり複雑な思いをした。</div><div><br></div><div>母は私のしたことを許しているのだろう。なのに私は今も母を許せず、更には過去にされたことを思い出した時には密かに怯えている。私は酷い人間だ。今はこんな自分さえ許せそうにないから、誰でもいい、せめて誰かに酷い私を許して欲しい。母に死ねと言った私を、母を許せない私を許して欲しい。客観的な第三者に許してもらえたら、私も自分を許せるだろうか。過去を乗り越えられるだろうか。</div><div><br></div><div>これを書くのに２時間以上は費やしている。過去も気持ちも、とても整理できた。暫くは悩むだろうし嫌な思いもするだろうが、トラウマを乗り越えようとしている自分の心の変化や成長を素直に嬉しく思う。</div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/rusty0m/entry-12299993817.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Aug 2017 09:33:00 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
