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<title>近畿大学の中身を公にするブログ</title>
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<description>近畿大学の体制と職員たちの言動を公にします。</description>
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<title>【短縮版】近畿大学薬学部の体制と言動を世に問う</title>
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<![CDATA[ <p>この記事は、記事「<a href="https://ameblo.jp/ryogahata/entry-12358727822.html" target="_blank">近畿大学薬学部の体制と言動を世に問う</a>」の短縮版である。<br><br>2018/04/03 執筆</p><p>2020/09/19&nbsp;最終修正<br><br>わたしの名前は、畑 凌雅（はた りょうが）。<br>わたしは、2014年4月から2016年1月までの間、近畿大学薬学部創薬科学科（4年制、薬剤師にならないコース）の学生だった。<br>大学を中退している。<br><br>今回、わたしは近畿大学在学中に大学内で認識した事柄について、世に問うつもりだ。<br>以下にそのことを書く。<br><br>わたしが出席した授業では、次のようなことが行われていた。<br><br>・教員が基本的に、何かに書かれてある文章を読み上げているだけ。<br>・事柄の断片のみが説明され、説明につながりがない。<br>・事物の定義が説明されずに、説明が進んでいく。<br><br>わたしはこういうことが行われる授業には出たくなかった。<br>しかし、近畿大学薬学部では、学生に対して授業への出席の義務がかけられていた。<br>（2018年の1月時点でもこの制度は存在している。）<br>そのため、学生たちは自身が機能していないと判断した授業にも出席しないといけなくなる。<br>わたしはこの制度はおかしいと思った。<br>それで、わたしは薬学部の職員たちに、学生から授業への出席の義務をなくすべきだと言った。<br>しかし、彼らは反対した。<br>その理由を彼らに問うと、「制度を変えると秩序が乱れる」「これが大学の法律だ」といったような答えが返ってきた。<br>彼らは、当初は学生から授業への出席の義務をなくさない理由としてそういうふうに答えていたわけだが、後になって大学設置基準の内容を持ち出してきて、出席義務をなくすことは大学設置基準に違反すると主張してきた。<br>しかし、実際には違反していない。<br>それは大学設置基準を読めば分かる。<br>薬学部の職員たちは、大学設置基準の内容を曲解して、それを制度を変えない理由にしたのである。<br><br>また、わたしが制度を変えようとしたことで生まれた、薬学部職員たちの言動をいくつか選んで次に示す。<br><br>・わたしが授業では先述のことが行われることを指摘した上で、ある教員は授業は機能していると言った。<br>・「おかしいと思うことを、おかしいと指摘することは、おかしいことだ」という内容のことを言った。<br>・学生から授業への出席の義務をなくさない理由を、大学設置基準に違反するからとしていたにも関わらず、わたしが出席の義務をなくすことは大学設置基準に違反していないと証明しても、その人は制度は変えないとした。</p><p>わたしがなぜ制度を変えないのかと問い詰めると、その人はそれには答えず物理的に逃げて行った。<br>・「優秀な人間は生まなくていいんです」<br>・わたしが「どうして機能していないと思う授業に出席しなければいけないのか」と問うと、その人は「制度だからです」と答えた。<br><br>この他にも世に示さなければいけない彼らの言動は多くある。<br>わたしは、この近畿大学の件についての詳細を次の記事に書いた。</p><p>&nbsp;</p><p>記事「<a href="https://ameblo.jp/ryogahata/entry-12358727822.html" target="_blank">近畿大学薬学部の体制と言動を世に問う</a>」<br>この記事には、近畿大学の職員たちの言動が、名前が判明している人はその名前も添えて書かれてある。<br><br><br>正当化、曲解、こじつけ、虚偽、でたらめ、はぐらかし...<br>彼らはそういうことに自分の知性を使った。</p><p><br>彼らは、「学生を解放して学生が自主自律して学んでいく環境を作る」という考えを理解できない。</p><p><br>教育は世の未来に関わるのに、このままでいいのだろうか。<br>彼らがいる大学に、国のお金が助成金として支払われ、そのお金の一部が彼らの給与となっているのに、このままでいいのだろうか。<br><br>日本社会は声を上げるのだろうか。それともこのまま見過ごすのだろうか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ryogahata/entry-12365516097.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Sep 2020 22:08:06 +0900</pubDate>
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<title>近畿大学薬学部の体制と言動を世に問う</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">2018/01/31 執筆</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">2020/09/19&nbsp;最終修正<br><br>わたしの名前は、畑 凌雅（はた りょうが）。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">わたしは、2014年の4月から2016年の1月まで近畿大学薬学部創薬科学科（4年制、薬剤師にならないコース）の学生だった。<br>大学を中途退学した。<br>退学した理由は、大学の授業がおもしろくなく、大学に通う意味がないと思ったからである。<br>わたしは大学に入学した頃から、授業がおもしろくないと感じていて、大学に約半年通った後、大学に通う必要があるか悩んで休学した。<br>休学は1年に及んだ。<br>休学が解除になれば、大学に行こうとは思っていたが、実際には行く気になれなかった。<br>結局、学費納付猶予</span><span style="font-size:1em;">期間を経て、2年近く大学に籍を置くこととなった。<br><br>ところで、なぜわたしは近畿大学薬学部の授業がおもしろくないと感じたのだろうか。<br>例えば、わたしが出席した授業は次のようなものだった。<br><br>・教員が基本的に、書かれてある文章を読み上げているだけ。<br>・事柄の一部だけが説明され、説明につながりがない。<br>・事物の定義が説明されず、その事物が何なのか分からないまま説明が進んでいく。</span></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">わたしは、このような授業にはもう出たくないと思った。<br><br><span style="font-size:1em;">しかし、薬学部では各科目において、全授業回数の3分の2以上の出席が義務付けられていた。<br>科目の授業が全部で15回あれば、10回以上の出席がないと、その時点で単位の取得は不可能になる。<br>この制度がある限り、薬学部の学生は、自身がその授業は機能していないと判断しても、それに出ないといけなくなる。<br>わたしは、この制度はなくしたほうがいいと思った。<br>そこでわたしは、薬学部の事務や教員などに、学生から授業への出席義務をなくすべきだと言った。<br>しかし、彼らはその考えに反対した。<br>この件で、彼らがしたことや言ったことを彼らの名前を出して、世に公開しようと思う。<br>それだけ彼らの言動は世に問われるべきだとわたしは思う。<br>また、彼らの中には、わたしが個人的にお世話になった方々もいて、その方々には感謝しているところはあります。<br>しかし、だからと言って、その方々の言動だけを公開しないわけにはいかない。<br>とか言いつつも、わたしが世に問われるべき言動をしたと思っているのは、わたしがお世話になったその方々がほとんどである。<br><br>それでは、以下で彼らがしたことや言ったことを紹介する。<br><br>薬学部教員 仲西 功<br>・先述の授業があることをわたしが指摘した上で、仲西は授業は機能していると言った。<br>・わたしが授業は機能していないと言うと、仲西は机を叩いて、「みんな頑張ってやってるんだから、そんなこと言わんといてくれ！」と言った。<br>・大学を新設するのに最低限必要な基準が定められた大学設置基準に書かれてある、当該科目が1単位として成立するために行われなければならない授業時間を、学生が授業に出席しなければいけない時間と解釈して、学生から授業への出席義務をなくすことは、大学設置基準に違反するという考えを、制度を変えない理由の一つにした。<br>（実際は、授業への出席義務をなくすことは、大学設置基準に違反していない。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">大学設置基準によれば、例えば講義においては、一定の時間の授業が行われていれば、その科目は1単位として計算され、そのように単位が計算された科目を学び修得した学生が、試験を受けた上で単位の授与が行われる。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">つまり大学設置基準は、例えば講義においては、その科目が単位を持つものとして成立するためには、一定の時間授業が行われなければいけないとしているものの、学生の授業への出席に関しては言及していない。）<br>・学生から授業への出席義務をなくさない他の理由として、ある機関（名称は忘れた）の「学生を授業に出席させよ」という考えに従うことを挙げた。<br>・わたしが、先述した授業が行われないように教員たちに呼びかけてくれと仲西に言うと、彼は、各教員に授業のやり方があるから、また誰の何の科目のどういう説明が分からないのかを言わない限り、教員への呼びかけや指摘はしないとした。<br><br>薬学部教員 西脇 敬二<br>・仲西と同じように大学設置基準の内容を解釈して、出席義務をなくすことは、大学設置基準に違反するという考えを理由に、制度は変えないとした。<br>・わたしが大学に入学するときに書いた、大学の制度に従うという誓約書を持ち出してきて、「これ、読め！」とわたしに言った。<br>・「おかしいと思うことを、おかしいと指摘することは、おかしいことだ」という内容のことを、わたしに言った。<br>・「お前、大学やめろ！」とわたしに言った。<br>・わたしに「お前、おかしい」と言った。<br><br>薬学部教員 松野 純男<br>・仲西や西脇と同じように大学設置基準の内容を解釈して、学生から授業への出席義務をなくすことは、大学設置基準に違反するという考えから、それはしないとした。<br>・薬学部の何らかの要項に書かれていないことを書いてあると言った。<br>（後でわたしはその要項を読んだが、そこには松野が言っていたことは書かれていなかった。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">さらにその後にわたしがそのことを松野に言うと、彼はそれについては何も言わず、別の話に変えた。）<br>・松野は、わたしの話について「論理的ではない」「客観的ではない」と言ったが、わたしが「どういうところが？」と訊くと、松野はそれには答えず、別の話をし始めた。<br>・わたしが、薬学部の運営の仕方に照らし合わせて、学生から授業への出席義務をなくすことは、大学設置基準に違反していないことを証明すると、松野は、これまで大学設置基準が障壁となって学生から出席義務をなくすことはできないとしていたにも関わらず、出席義務はなくさないとした。わたしはその理由を松野に問うたが、松野は答えない。松野は「忙しいねん」と言い、それからわたしに何度も「出てけ！」と言ったが、わたしは松野の研究室から出ていかないでいると、松野が研究室から出て行った。<br>（このときわたしが行った証明のようなものを詳しく説明すると、大学設置基準には、科目の単位の計算において例えば講義については、15～30時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもって一単位とする、と書かれてある。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">近畿大学薬学部には例えば1.5単位として定められた科目があり、その科目は22.5～45時間までの範囲での時間の授業をもって1.5単位として計算されることになる。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">仲西や西脇や松野は、その範囲の時間を、学生が授業に出席しなければいけない時間だと解釈している。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">薬学部では、全授業回数の3分の2以上の出席が義務で、たいてい90分の授業が全部で15回の科目が多く、その科目で言えば最低10回授業に出れば出席義務を達成することになる。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">90(分)×10＝900(分)＝15(時間)。この時間は、22.5～45時間の範囲にない。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">しかし、これでも学生は試験で及第点を取れば、単位がもらえる。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">薬学部の運営が間違っていなければ、22.5～45時間の範囲の時間は、学生が授業に出席しなければいけない時間ではなく、行われなければいけない授業の時間である。）<br><br>薬学部教員 眞砂 薫<br>・わたしに「優秀な人間は生まなくていいんです」と言った。<br>・わたしが、眞砂の言うことに対して、疑問に思うところがある度に「なんで？」と言っていると、眞砂は「なんでって言うな」と言った。<br>・「私たち教職員には生活がかかっていますから。制度を変えると、国からの助成金が減ってしまって大学の経営が成り立たなくなってしまうんです。」という内容のことを言った。</span></p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">（後にわたしは、大学への助成金を扱っている機関に電話をかけ、学生から授業への出席義務をなくすと、大学への助成金が減るのかと問い合わせたが、「別にそういうことはない」という答えが返ってきた。）<br><br>薬学部事務部<br>（大西 陽子）・大西は「授業についてどう思ったとしても、授業には出ていただかないといけない。」という内容のことをわたしに言ってきて、わたしがそれに対して「どうしてですか？」と問うと、大西は「制度だからです。」と答えた。<br>（中年の男）・わたしに突然、「なんやお前！」と言ってきた。<br>（中年の男）・「賛同している人の数が多い意見のほうがまともだ」ということをわたしに言った。<br><br>薬学部教員（仲西・西脇・松野）・薬学部事務部（大西）・学生生活課（女（名前は知らない））<br>・わたしの母親を大学に呼び出し、彼女に「制度は変わらないかな」と言った。（わたしの母親による情報）<br><br>大学の授業を肯定するために弄される詭弁。<br>大学設置基準の内容やその他の事柄の曲解。<br>制度を変えない理由は別のところにありながらも、その理由を大学設置基準に結び付けるこじつけ。<br>わたしを排斥するための虚偽やでたらめ。<br>わたしから逃れるためのはぐらかし。<br><br>彼らは、こういうことに自らの知性を使った。</span><br>&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">結局、わたしは大学にいる間に制度を変えられなかった。<br>わたしは、悶えるほどの怒りを抱えた。<br><br>彼らは、「学生を解放して学生が自主自律して学んでいく環境を作る」という考えを理解できない。<br>仮にその考えを理解できたとしても、自己保身につながる打算を働かせている場合、その人は制度は変えるべきではないという結論に至るか、あるいは自分の考えを主張できないでいる。<br><br><br>わたしは薬学部の制度を変えようとしていたわけだが、実は他のことも変えようとしていた。<br>それは、近畿大学で行われている授業評価アンケートの内容である。<br>そのアンケートは、全授業回の終わり頃に学生が授業を評価するもので、わたしが確認できている範囲内では、医学部以外のすべての学部で行われており、その質問内容はどの学部でも基本的に同じである。<br>授業評価アンケートの学生に対する質問の一つに、「授業の内容は理解できましたか。」とある。<br>これは一見して何の変哲もない質問のように思える。<br>この質問は、授業内の教員の説明で、授業で取り上げられた事柄を理解できたか、と訊いているのだろうか。<br>授業の内容、つまり授業で取り上げられる事柄は、授業時間外の学習でも理解できうる。<br>しかし、上述の質問は授業評価の文脈であるにも関わらず、授業時間外の学習も含めて、授業で取り上げられた事柄を理解できたか、と訊いている。<br><br>また、同アンケートの別の質問で「この教員の授業を10点法で評価してください。」というのがある。<br>わたしが大学に通っていた2014年の前期に行われた授業評価アンケートでは、この質問に併せて「ただし、7を普通とする」と書かれていた。<br>しかし、大学がインターネットで世に公表している授業評価アンケートの結果を見ると、そのようなただし書きはされていない。<br><br>以上のことから、わたしは授業評価アンケートの質問の取り方を変えるべきだと思ったし、授業の10点法評価で7を普通としているなら、アンケート結果にそのような注釈を加えるべきだと思った。</span></p><p style="text-align: left;"><br><span style="font-size:1em;">そこでわたしは、授業評価アンケートを作っている人にそのことを直接言いに行こうと思い、誰が授業評価アンケートを作っているのか、薬学部事務に電話で問い合わせた。<br>すると、男の人が電話に出て、「それは知らない。調べないと分からない。」と答えた。<br>わたしは、その男の話し方に隠している感じや、わたしを退けようとする感じがあったので、相手の話していることの詳細を掘り下げる形で、その男に授業評価アンケートを作っているのは誰なのか問い詰めた。<br>すると、その男は事務の大西に電話を代わり、大西は授業評価アンケートを作っているのは委員会だと答えた。<br>そして、その委員会が学務部の所管であることも答えた。</span><br>&nbsp;</p><p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">こうして情報を得たわたしは、授業評価アンケートを作っている委員会の長に直接話をしに行くため、その人は誰なのかと学務部に聞きに行った。<br>そこでは学務部の中年の男と、女がわたしに応対することになり、わたしは彼らに委員長は誰なのか問うた。<br>しかし、彼らはそれを答えない。<br>なぜ答えないのかと訊くと、中年の男は「（答えることは）仕事じゃないから」と言った。<br><br>その後わたしは、薬学部教員の仲西に、授業評価アンケートを作っている委員会の長が誰か知らないかと訊いたが、彼は「学務部が答えられないなら、答えられない」と言い、委員長が誰か答えなかった。<br>しかし、仲西は自身が授業評価アンケートを作っている委員会のメンバーであると言った。<br><br>わたしは、学生から授業への出席義務をなくすことを要望した文書を薬学部教授全員に、授業評価アンケートについて変えることを要望した文書を授業評価アンケートを作っている委員会の長に、送りつけた。<br>前者の文書は薬学事務を介して、後者の文書は仲西を介して送った。<br>そして、わたしは退学手続きを済ませ、大学から退いた。<br><br>その後、わたしの退学から2年経った。</span></p><p style="text-align: left;"><br><span style="font-size:1em;">近畿大学薬学部に電話で問い合わせたところ、制度は変わっていなかった。<br>薬学部は、これからも学生を制度で縛り付けるつもりなのだろうか。<br><br>また、インターネットで公開されている授業評価アンケートの結果を見ると、アンケートの内容は変わっていない。<br>授業評価アンケートを作っている委員会の人間は、授業を厳密に評価する気がないのだろうか。<br>授業の10点法評価で7を普通としているなら、わたしが文書で、アンケート結果にその注釈が入っていないことを指摘したにも関わらず、なぜその注釈をアンケート結果に付け加えないのか。<br><br><br>最後に。<br><br>教育は世の未来に関わる。<br>また、国のお金が助成金（あるいは補助金）という形で上述の人間がいる大学に支払われ、そのお金の一部が彼らの給与となっている。</span></p><p style="text-align: left;"><br><span style="font-size:1em;">日本社会はこの近畿大学のことで声を上げるのだろうか。それとも見過ごすのだろうか。</span></p>
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<pubDate>Sat, 19 Sep 2020 22:01:42 +0900</pubDate>
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