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<title>松永遼のブログ</title>
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<description>33歳。ブルーグラス/バンジョー/アコースティックギター</description>
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<title>下戸の戦い方</title>
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<![CDATA[ <p>昔よりも酒を飲まなくなった。</p><p>もともと強くはない。ビールを1杯飲めばすぐに顔が赤らみ、そのうち眠気を催し、盛り上がっている宴席で眠り出したり、帰りたいという気持ちを顔に出してしまったり、その場の楽しさに水を差すような存在になってしまう。</p><p>一応、大人だから、失礼のないようにしたいし、酒席の興を削ぐようなことはしたくないと頑張ってはみる。</p><p>しかし、そんな理性のようなものは場の雰囲気とともに崩壊し、しまいには本心がダダ漏れとなり「なぜ、こんな夜遅くまで酒好きに付き合わなければならないのか。なぜ、飲めない自分がそちらの常識に合わせなくてはいけないのか」と怒りにも似た感情が溢れ出てしまって、口数が少なくなり、険悪なムードを作ってしまうこともある。</p><p>だから、そもそも酒席を避けるか、最近では居酒屋でもノンアルコールビールを用意してくれることが多いので、冒頭の乾杯だけはそれを手にして場の空気に合わせるようにしている。</p><p>無理に付き合うことはやめた。</p><p>というより、こちらが飲めないということだけでハマらない相手とは、おそらくいずれにしても長くは付き合えないだろう。</p><p>向こうだって「俺の酒が飲めないのか、つまらない奴だ」と思っているだろうから、やはりウマが合わなかったということで致し方ない。</p><p>20代の頃は先輩方にご馳走していただくことも多く、礼を欠いてはいけない立場だった。何よりも体力があったので、無理をしてでもついていった。</p><p>だが、30代に入ると人付き合いでの諦めのようなもの、線引きのようなものをしてしまうようになった。</p><p>自分はもう、一部の酒好きの皆さんが掲げる「社会常識」には適合できる気がしない。それで何か損をするなら、もう仕方ない。甘んじて、受け入れる。</p><p>サラリーマンの世界には、先輩方からいただいた恩を下の世代に返すという慣習があるが、自分は酒ではない形で後輩たちに何かを返そうと思う。</p><p><br></p><p>そんな自分が、社会に出て十数年が経って、少し思ったことがある。</p><p>若造がただ生意気になっただけなのかもしれないけれど、下戸の一意見として聞いてほしい。</p><p>やはり、こと仕事の話において「腹を割って本気で話そう」という場は酒席であるべきではないと思う。</p><p>特に自分より上の世代の男性に多い印象があるが、仕事上でトラブルがあったり、深い議論を必要とする出来事があったりするとすぐに「一度飲みに行こうよ」という人がいる。</p><p>にんまりと笑顔を作り、こちらの肩に手をかけてきそうな距離感で「酒を酌み交わしながらゆっくり話せば分かるよ」と言うのだが、これが下戸からすると全く理解できない。</p><p>率直に言えば、酔いで理性を外さなければ仕事の本質的な部分について語れないのは仕事人として失格だと思う。</p><p>...などと仏頂面で身も蓋もない正論を吐くと「そんな固いこと言うなよ。分からない奴だな」と酒好きの方の声が今すぐにでも聞こえてきそうだ。</p><p>なかなかに分かり合うのは難しい。</p><p><br></p><p>本音を言えば、酒好きのペースで物事を進められたくないのだ。</p><p>下戸には下戸の戦い方があるし、人との向き合い方もある。</p><p>それもまた人それぞれか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ryomatsunaga/entry-12913504142.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Jul 2025 09:33:17 +0900</pubDate>
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<title>可能性</title>
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<![CDATA[ <p>可能性はまだこの手にあった。</p><p>14歳。サッカー部でひたむきにボールを追いかけていた頃、グラウンドに「集合！」という大きな声が響き、監督である顧問の前に整列して、姿勢をただし、その言葉を聞いた。</p><p>「いいか、お前らにはまだ技術もパワーもスピードもない。身体だって大きくない。しかし、まだ中学生だ。高校生になって身体がぐっと大きくなるかもしれない。これから練習を重ねて、いつか才能が開花するかもしれない。若いお前らには可能性だけはある。だからもっと練習しなさい」</p><p>14歳にもなれば、さすがに自分の身の程について分かり始めている。顧問の激励に対して、顔だけは神妙にして耳を傾けながらも「いやいや、可能性があると言ってもなぁ...」と内心、斜に構えていた。小生意気なものだ。</p><p>だが33歳になった今、冷静に振り返ってみれば、あの時点において、たしかに彼の言葉に嘘はなかった。</p><p>言葉を受け取ったのは14歳の少年たちだ。その後、どんな飛躍的な成長が訪れても不思議ではない。あくまでも可能性だけで言えばJリーガーになることだって完全には否定できない。あの頃はまだ、奇跡と呼ばれる未来でさえ、扉は閉じられていなかった。</p><p><br></p><p>なぜ、こんな話を長々と始めたかというと可能性について考えさせられる存在に出会ってしまったからだ。</p><p>娘が生まれた。</p><p>腕に抱いた我が子をしばし見つめていると、彼女が小さな体に秘めている可能性の大きさと広さとに、ふと思いを巡らせてしまった。</p><p>そうか、この子は今からであれば、何にでもなれるのか。</p><p>「可能性は無限大」どこかの安っぽいCMコピーのような言い回しだが、生まれたばかりの赤ん坊などまさにその通りなのだ。親バカになっている訳ではない。単純な事実として、彼女はスポーツ選手になる可能性も、ミュージシャンになる可能性も、宇宙飛行士になる可能性も、はたまた犯罪者になる可能性も、0歳の今の時点においては全てを持ってしまっている。その重大さに無自覚なまま、すやすやと眠っている我が子の表情を見ていると、言い知れぬ畏れを感じた。</p><p><br></p><p>人は誰でも生まれたときには、膨大な可能性を手にしているのだ。</p><p>自分もそうであったはずだ。年月が経ち、人生の選択を何度か越えていくなかで、もうすでにこの手からいくつもの可能性が失われてしまった。</p><p>しかし我が子は、まだ真新しいままに、それらの全てを持っている。娘はどの可能性を選び、どう生きていくのだろう。自分は親として、彼女が持っている可能性のいくつを広げ、いくつを閉ざしてしまうのだろう。</p><p>無垢の輝きは神秘的にも思えたが、彼女を抱く腕に感じる責任は、やはり重かった。</p><p><br></p><p>卓球の福原愛選手は幼少期の英才教育が後の世界的な活躍に繋がっている。ある一つの可能性に焦点を絞り、自分の生活のほぼ全てをかけて傑物となったスターは多い。いや、そんな成功例を持ち出すのは親バカの下心が出過ぎているか。我が子に当てはめるのも酷だろう。可能性との幸福な出会いを少しでも多く作ってあげられればそれでいい。</p><p><br></p><p>しかし、我が子の未来について思いを巡らせるほど、自分の願いがシンプルであることに気がついた。</p><p>本質だけが結晶となったような願いだ。</p><p><br></p><p>どうか、幸せになってほしい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ryomatsunaga/entry-12868490595.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Jul 2025 16:54:50 +0900</pubDate>
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<title>やってきて、よかった</title>
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<![CDATA[ <p>6月。株主総会シーズンを迎えてしまった。</p><p>1年が過ぎていく体感速度は、年齢を経るに従って早くなるという説は果たして本当なのだろうか。</p><p>この時期になると、職場の同僚たちと「１年が経つのが早すぎる！年末年始の新春輸送が終われば、翌週には株主総会が来るんじゃないか？」とよく冗談を交わしていたが、今年もそれが大げさな感覚ではなかったかもな、とは思えている。</p><p>忙しいことは幸せなこと、という考えはコロナで大打撃を受けた業界を生きるうえで痛感したが、今期は一心不乱に仕事に取り組むことができ、充実した1年ではあった。</p><p><br></p><p>入社11年目、現在の部署が８年目ということもあり、自分の仕事は後輩指導が多くを占める。</p><p>営業担当ではないため、日常業務の中でお客様や取引先から感謝されるという事例は、実はそれほど多くはない。</p><p>そんな中、後輩から「仕事の説明が分かりやすい」と言葉をかけられたことがあった。嬉しかった。</p><p>自分の未熟さを見誤って勘違いをしてはいけないけれど、褒められたり、喜ばれたりという出来事はやはり大きな励みになる。求められることは何よりの力になる。</p><p>仕事とは...なんて口では小難しいことを言っていても、つまるところ人間の心持ちなんて、とてもシンプルな仕組みで動かされることなのかもしれない。</p><p>そして、それは分野が違えど同じなのではないだろうか。</p><p><br></p><p>毎年、これからの時期は海外サッカーの移籍市場のシーズンである。</p><p>あくまでも推定額とはいえ、自身の移籍金や年俸がはっきりと報道されるのだから、ずいぶんと酷なことだなと思う。</p><p>ビッグクラブへ移籍し、照れながらも笑顔を作る若手選手。戦力外となり、下部リーグのクラブへ移籍し、厳しい減俸を受け入れ、顔を強張らせるベテラン選手。</p><p>誰でも評価を下される瞬間は、どうしても人間としての素の部分が出てしまうものだ。</p><p>とはいえ、その姿さえも晒され、物語として観客に消費されてしまうのが彼らプロスポーツ選手の宿命である。</p><p>「お金の問題じゃない。自分のことを本当に求めてくれるクラブでプレーがしたい」</p><p>新たな移籍先を探す選手や、クラブの対応に疑念を持ち、フロントと衝突してしまった選手がときにこぼす感情的なセリフは、プロといえども、金銭面での評価以上に自分の存在価値を肯定してくれるシンプルな言葉にこだわるときがあるのだな、と思わされる。</p><p><br></p><p>「あなたには職場にいてほしい」</p><p>「あなたと一緒に仕事がしたい」</p><p>その言葉たちだけでは確かに飯は食えない。</p><p>しかし、現役を終えるとき、もしくはこの命が終わるとき、思い出すのはおそらく、その言葉たちの方だ。</p><p>誰だって、本質はシンプルだ。</p><p>誰かに喜ばれ、こんな言葉を心から吐くことができる瞬間を、きっと求めている。</p><p>「やってきて、よかった」</p>
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<link>https://ameblo.jp/ryomatsunaga/entry-12906994077.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Jun 2025 22:50:22 +0900</pubDate>
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<title>新しい日々へ</title>
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<![CDATA[ <p>中高6年間一緒だった友人から連絡が来た。</p><p>久々に会わないか。</p><p><br></p><p>彼は、とある挑戦のために、出身地である三重県に帰ってきていたのだが、聞けば、今年の春過ぎから、東京の会社に就職することとなり、奥さんやお子さんたち家族も連れていくと言う。</p><p><br></p><p>向こうへ行けば、なかなか会える時間も取れなくなるので、互いに予定を擦り合わせたが、結局二人ともそれなりに忙しく、やっと都合がついたのが平日の昼間。</p><p>僕が働いている会社近くの、少し洒落た洋食屋で一緒にランチをとることになった。</p><p><br></p><p>「忙しいところありがとう」とお互いに声をかけ合ったが、そんな気遣いをさせてしまっているのだから、二人の現在地は、高校生だった頃とはやはり少し違うのだろう。</p><p><br></p><p>新天地では、地域活性化に関するコンサルティングを行うという。</p><p>彼の言葉の端々からは新しい挑戦への静かな覚悟が感じられた。</p><p>自分が知っている高校生の頃の彼よりも目の前にいる彼は頼もしかった。</p><p><br></p><p>高校時代。今から15年ほど前。</p><p>僕らは学校が終わると、普通電車しか止まらない田舎の寂れた駅に向かって自転車で帰りながら、くだらない話から将来の話まで、たくさんのことを語り合った。</p><p>その時間のひとつひとつは、振り返れば懐かしい青春の日々である。</p><p><br></p><p>駅近くの駄菓子屋で、お菓子ひとつ買うのにも小遣いを計算して頭を悩ませていたのが、昼間からレストランを予約し、生意気にコースランチを頼み、相手を気遣いながら、いっぱしの大人として品良く洋食を食べている。</p><p>話題はお互いの仕事や家族のことばかりだ。</p><p>今の彼には守るものがある。</p><p>そしてそれは自分も同じだ。</p><p><br></p><p>長い、長い、時間が経った。</p><p>僕たちはそれぞれに歩いて来て、少し遠くまでたどり着いた。</p><p>多くのことが変わったのだと思う。</p><p><br></p><p>僕にももうすぐ娘が産まれる。</p><p><br></p><p>すべてが変わっていくなかで、変わらない友情があることに少し励まされながら、僕たちは新しい日々を迎える。</p><p><br></p><p>彼も、僕も、笑っていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ryomatsunaga/entry-12894138373.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Apr 2025 15:18:09 +0900</pubDate>
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<title>オルヴィエートにて</title>
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<![CDATA[ <div>結婚した。</div><div>自分の話から書き始めてしまって申し訳ない。</div><div><br></div><div>昨日、式を終え、この文章を書いている。</div><div>お越しいただいた方々には、心から感謝申しあげます。</div><div><br></div><div>僕たちは自分たちが思っていたよりもずっと深く、そしてずっと多くの方に愛していただいていたのだなと、今さらに気付かされたというのが正直な心境だ。</div><div>いざ、ステージから降りて、こちら側からその場所を見つめてみれば、やはり「眩しいな」と思う。</div><div>スポットライトが当てられている。</div><div>声援が集まっている。</div><div>僕らは幸せな舞台に立たせてもらっていたのだ。</div><div>今は、静かにそう思っている。</div><div><br></div><div>いやはや、いかん。</div><div>感傷的になって気取っている場合ではない。</div><div>未来の方が長い。独り立ちの時だ。</div><div>母屋を離れた。</div><div>生易しい旅にはならないはずだ。</div><div>必要な覚悟もした。</div><div>僕は妻の人生を担いでいる。</div><div>そして、自分の人生も妻に担がれている。</div><div>答えは2人のなかにある。</div><div>それ以上でも、それ以下でもない。</div><div>得るものは得てくる。</div><div>そして、あえて言いたい。</div><div>必ず、幸せにする。</div>
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<link>https://ameblo.jp/ryomatsunaga/entry-12771944227.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Oct 2022 13:30:58 +0900</pubDate>
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<title>猫を撫でているとき</title>
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<![CDATA[ 猫を撫でているとき、こちらもまた、猫に撫でられているのだ。<div>いや、別に何か哲学的なことを言おうとしたわけではなくて、かわいい猫を撫でることは何にもまして心癒されることだなと、ただそれだけのことだ。</div><div><br></div><div>28になった。仕事が中心の毎日である。</div><div>疲れた身体で家に帰ると、仰向けになって腹をこちらに差し出し「ほれ、撫でろ」と言わんばかりの猫（メス・1歳）の姿がそこにある。</div><div><br></div><div>「しょうがないなぁ」と言い訳のように一言呟いてから、わしゃわしゃと手で撫でてやると気持ち良さそうな顔をして、やがて目をつぶり眠ったような顔をするから余計に愛おしい。</div><div>心情の部分ではどちらが撫でられている側なのか、もはやわからない。</div><div>少なくとも、仕事の疲れは和らぐ。</div><div>彼女の存在は忙しい日常のなかで安らぎだ。</div><div><br></div><div>間に言葉が無いから良いのだろうか。</div><div>面倒な論理も込み入った利害関係もない。</div><div>いや、猫の側からしてみれば、エサをくれるだとか、遊んでくれるだとか、彼女にとっては重要な"利"が飼い主の後ろ側に見えているから愛想を振りまいているのだろうけど。</div><div><br></div><div>でも、そうかと思えばこちらがため息をついているようなときに限って、いつもより近くに寄ってきて甘えるような仕草を見せてくれたりする。こちらの気持ちが分かっているのかなと都合よく解釈するけれど、それが合っているかどうかは別にして、何か精神的な繋がりが猫との間にあるのだと感じられる瞬間は愛おしいものだ。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>人間社会は複雑だ。誰だって名前があり、ときに肩書きがあり、ときに役割がある。</div><div>「あなたはあなたのままでいい」と言われても、多くの場合、字面通りには受け取れない。たいがいは互いにとって都合の良い期待される関係の節度があり、それを逸脱しないことが暗黙のうちに了解されている。やはり法を犯してはダメだし、倫理を侵してはダメなわけで、すべてを許し、存在そのものを肯定することは社会のしがらみのなかでしか生きられない人間にとって、深い愛や覚悟を試されることで、簡単なことではない。</div><div><br></div><div>なんだか、大きな話になってしまった。</div><div><br></div><div>大学を卒業し、1,2年目だろうか。</div><div>仕事に慣れず、謝ってばかりの毎日が辛かった。</div><div>体力的にも、精神的にも、限界が来ていた。</div><div>そんな頃、自分を案じる両親に大きく助けられた。</div><div>彼らは「寝られているか」「食べられているか」という二点のみ気にしてくれた。</div><div>要は自分が仕事ができなくても、自分が生きていることを許してくれているわけで、そんな大袈裟なとは思うかもしれないが、これは仕事で思い詰めていた毎日のなかでは大きな支えとなった。</div><div>仕事ができなくても、自分の存在を認めてくれる誰かがいるだけで、心がすっと軽くなった。</div><div><br></div><div><br></div><div>世の中の会社では毎日誰かが謝罪している。</div><div>仮に自分が過ちを犯しても、この猫は変わらず尾を振り、自分を出迎えるのだろう。理屈を外して受け入れてくれる存在はやはり尊い。</div><div><br></div><div>これが家族か。</div><div><br></div><div>猫を撫でながら、そう気付いた。</div>
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<pubDate>Mon, 13 Jan 2020 18:59:00 +0900</pubDate>
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<title>「余白」を考える</title>
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<![CDATA[ 自分と近い距離で接したことのある方は、ちょっとでも熱が入ると、この男が途端に早口で喋り始め「ああ、この人はスイッチが入ると、こんな感じなんだな」<div><div>「というか、最初何のこと喋っていたっけ？」</div><div>「え、それ、今関係ないだろ。蛇足ではないか」と思ったことがあるのではないか。</div><div><br></div><div>業務関連のメールも長文になりがちだ。</div><div>要点を短文でまとめ、さっと伝えればよいものを、その理由から雑感も含めて1から10まで書いてしまう。</div><div>夢中になって、書いてしまって、読み直しては嫌になる。</div><div>画面が文字で埋まる。</div><div>目を通すのにも骨が折れる。</div><div>なんだか進んで読む気がしない。</div><div>長いゆえに大事な内容が頭に入ってこない。</div><div>文字がいっぱいで目がチカチカする。</div><div>面倒だから、あとで読むことにしようかな。</div><div>そう思われてしまって、相手をうんざりとした気分にさせてしまっているのではないか。</div><div>しょうがない、書き直すか。と青白く光るパソコンの画面に向かい、それ以上に青白い顔を近づけてまた文字を打ち込む。長々と。</div><div>繰り返す、負の連鎖。</div><div><br></div><div>つらつらと述べ始めてしまっているが、これこそがもはやその一端をあらわにしてしまっている。</div><div>端的に言えばよいのに。</div><div>そう、テーマは「余白」である。</div><div><br></div><div>え、じゃあ、今までの前文は何だったの？</div><div>これが余白とどう結びつくの？</div><div>むしろ画面の余白を長ったらしい文字で埋めてしまっているではないか。</div><div><br></div><div>その通りだ。</div><div>申し開きもない。</div><div>こうやって、今まで自分は大事な余白を潰してきた。</div><div>考えることに、想像することに、軽やかな自由を与えてくれる余白を、理屈っぽく、うだうだと、言い訳がましく、長い蛇足で埋めてきてしまった。</div><div><br></div><div>簡単に言おう。</div><div>いらんことを喋ってきた。</div><div>いらんことを書いてきた。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>無印良品のアートディレクターである原研哉さんの著書「白」で、原さんは余白について次のように語る。</div><div>【人と意思疎通を行うときは、一方的に情報を投げかけるのではなく、むしろ相手のイメージを受け入れる方が有効である場合が多い。</div><div>つまり、「いかに多く説得したか」でなく「いかに多く聴けたか」がコミュニケーションの質を左右する。</div><div>たとえば、何かがいっぱいに満ちた容れ物を差し出されると受け取るしかないが、空っぽの容れ物を示されると、そこに自ら何かを入れようと、能動性が引き出されます。それがコミュニケーションの理想だと思うんですよ。】</div><div>出展:原研哉「白」</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>受け手が想像するための「余白」をどう残すか。</div><div>本当の難しさはそこにある。</div><div><br></div><div>これは会話やコミュニケーションに限らないのではないか。</div><div><br></div><div>音楽も。文章も。絵も。建築も。サービスも。教育も。</div><div><br></div><div>奏でられていないもの。</div><div>書かれていないもの。</div><div>描かれていないもの。</div><div>作られていないもの。</div><div>創られていないもの。</div><div>教えられていないもの。</div><div>表されていないもの。</div><div><br></div><div>でも、とても大切な何か。</div><div><br></div><div>それはひとつのモノから、感情を引き出し、自分以外の他者と繋がるために、実は決定的に大事なものではないか。</div><div><br></div><div>あなたにとって「余白」ってなんですか？</div><div><br></div><div>これを、ひとつの問いとしたい。</div><div><br></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/ryomatsunaga/entry-12539644475.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Oct 2019 23:04:45 +0900</pubDate>
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<title>松永遼のブログ　その16</title>
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<![CDATA[ <p>僕が住んでいる津市戸木町は車１台通るのがやっとの狭い路地が入り組んでいる。</p><p>&nbsp;</p><p>それだけに都会とは違って、隣近所との付き合いも深い。</p><p>&nbsp;</p><p>そのコミュニティーの形成に一役買っているのが「かんこ踊り」だ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「かんこ踊り」とは三重県に広く伝わる豊年を祝う踊り。</p><p>&nbsp;</p><p>羯鼓（かっこ）と呼ばれる小さな太鼓を抱えながら踊ることが由来となり「かんこ踊り」と呼ばれている。</p><p>&nbsp;</p><p>地元の若衆がかんこを抱え、長い柄の付いたしでを背負って踊り、大きな太鼓を叩くのは地域の子どもたち。</p><p>&nbsp;</p><p>戸木町では敏太神社で３年毎の１０月に行われている。</p><p>&nbsp;</p><p>遡ると室町時代から続いているそうで。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>かんこ踊りは津市の無形文化財に登録されているが、「無形」だけに書面などに記録された伝承ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>だから起源も曖昧だし、音頭・踊りともに失われてしまったものもあるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>それを取り戻すことはできない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>だからこそ</p><p>&nbsp;</p><p>次の世代の子どもたちのために</p><p>&nbsp;</p><p>地域の誇りとして</p><p>&nbsp;</p><p>今重要なのは、現状のものを途絶えさせることなく伝えていくこと。</p><p>&nbsp;</p><p>それに必要なのは、地域から生まれるみんなの力。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>太鼓を叩く子どもたちは毎晩、１ヶ月以上前から練習に励んできました。</p><p>&nbsp;</p><p>僕がそうであったように、子どもの頃に経験したことは決して忘れません。</p><p>&nbsp;</p><p>やがてこの子たちが大人になって、地域の子どもたちに太鼓を教える日がくれば嬉しい。</p><p>&nbsp;</p><p>地域に残る郷土芸能を、僕もいち踊り子として継承していきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そして、やはり郷土"芸能"なので見てもらう人がいることが重要だ。</p><p>&nbsp;</p><p>芸能として盛り上げて、町おこしのきっかけにもなってほしい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>たくさんのひとたちが準備し、練習してきました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>戸木かんこ踊り</p><p>&nbsp;</p><p>１０月１４日（土）１７：００～２１：００</p><p>　　　１５日（日）１２：００～１７：００</p><p>&nbsp;</p><p>津市戸木町敏太神社にて行います。</p><p>&nbsp;</p><p>郷土芸能の今を、ぜひ会場でお楽しみください。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://kanko-heki.jimdo.com/" target="_blank">詳しくはこちら</a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ryomatsunaga/entry-12314887479.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Sep 2017 08:24:56 +0900</pubDate>
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<title>松永遼のブログ　その15</title>
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<![CDATA[ 二項対立で論じることができる問題はほどんどない。<div><br><div>善意は度が過ぎれば"正義"となり、修復不能な溝を生む。</div><div><br><div>多面的な議論は雑に一括りにされ、直接的な衝突にもなりうる。</div><div><br></div><div>"いい人"になろうとすれば、どこかで誰かを"わるい人"にしてしまうリスクもある。</div><div><br></div><div>論じることの目的はそこにはない。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">ただ、いろんな人の正義が混在しているなかで。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">どれも尊重したいけど、そうすると誰かの正義を潰さなくちゃいけない。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">でも、結局は向き合わないといけないし、繋がっていかないといけないし、調整していかないといけない。</span></div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">バラバラなものをバラバラなままでどこまで共存させられるか。</span><br></div><div><br></div><div>どこかでそのヒントを自分たちで見つけなくちゃいけない。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>変わってきたことももちろんあるだろう。</div><div><br></div><div>"正しい"ことはその時代ごとに違うのかもしれない。</div><div><br></div><div>もちろん、それを求めるのは甚だ難しい。</div><div><br></div><div>が、求めるべきでも、ある。<br></div></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/ryomatsunaga/entry-12139637689.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Mar 2016 01:04:21 +0900</pubDate>
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<title>松永遼のブログ　その14</title>
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<![CDATA[ 忙しいでしょ？<br><br>...と、最近よく人に聞かれますが。<br><br>うん、多分忙しいんでしょう笑<br><br>"忙しい"とは"心を亡くす"と書きますが、幸い心はなくしていないようなので、忙しい？と聞かれてもちょっと間をあけて「...あ、そうですね」ってな具合で、せっかく心配してくださっている相手の方に対して、なんともはっきりしない答えをしてしまいます。<br><br>夜遅くまで職場にいることはありますが、まだまだ言われたことをこなすのに精一杯なところです。<br><br><br><br>ただ最近、自分が社会とつながっていることを確かに感じていて。<br><br>ぼやっとした言い方だけど、自分がした仕事によって、見知らぬ誰かがハッピーになる。<br><br>大袈裟に言うとそれが社会を変えていくことになると僕は思っています。<br><br>自分以外の人に何か感じてほしい、何か変化が起きてほしい。<br><br>きっとそこに集中するべきなんだろうな。<br><br>別に悪い揺らぎ方ではないと思うけど、ここ２，３日揺らいでいました。<br><br><br><br>１５くらいの頃、家に帰ると自分の部屋でギターを弾いて歌っていました。<br><br>何時間も。時間が経つのを忘れて。<br><br>今もそれくらいの気持ちで仕事に没頭したい。<br><br>なんか、そうしないと、変われない気がしています。
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<pubDate>Sun, 13 Sep 2015 22:59:24 +0900</pubDate>
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