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<title>気まま旅行記～一人旅ノスゝメ</title>
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<description>今まで行った旅行について旅に目覚め、無謀でも想いだけで飛び出した記録</description>
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<title>沖縄一人旅～四日目、美しい海と星</title>
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<![CDATA[ 万座毛を後にした私は、美ら海水族館のある本部方面へと向かった。<br>しかし私は美ら海水族館には行っていない。とても行きたかったが、私は水族館に行くと１日かかるので、今回は見送ることにしたのだ。魚を見ているのは好きで、一つ一つじっくりと見てしまう。更に食用の魚だと、どうやって食べようかなどと考えてしまい、水槽の前で１日眺めているのだ。<br><br>私は前日に宿で知り合った同い年の女の子から、本部半島の北側にある古宇利島という島の海が、あり得ないほど綺麗だと聞いていたのを思い出し、一路古宇利島へと車を駆った。<br>沖縄本島の周りには、橋で渡れる島がいくつかある。古宇利島もその様な島の１つであり、気軽に行ける離島だ。<br>古宇利島へと手前の屋我地島を通り、橋を渡って到着した頃には、太陽がすでに傾き、空はオレンジに染まっていた。<br>駐車場に車を停め、ビーチへと向かって歩いていく。どうやらこの島は恋人達の聖地らしく、周りはカップルが多かった。<br>後から調べたことだが、この古宇利島は沖縄版アダムとイブのいた地だそうだ。それでカップルが多かったようだ。<br>砂浜に降りると、仲良さそうに歩くカップル達と、地元の子供達が夕方というのに海で遊んでいた。橋の欄干から飛び込んだり、無邪気にはしゃいでいる。<br>私は端の方まで歩き、そこの岩に腰掛けた。<br>海は限りなく透明である。ビーチは砂というより、細かい珊瑚の欠片のような粒々が敷き詰められていた。<br>浅い海が遠くまで続いている、透明な水はしばらく行くと、徐々に水色かかり、スカイブルーの海となっていた。市民プールの水より遥かに透明である。<br>その透明度に感動した私は、靴を脱ぎ捨て、くるぶし辺りまで足を海水に浸した。<br>それを写真に撮ると、どこが水の境かわからないほどであった。<br>透明な海水に明るい水色の海、鮮やかなオレンジの空と子供達の声、そして寄り添う恋人達。<br>沖縄というのは本当に関東では味わえない、映画のような空間を与えてくれる。<br>ふと、足元で動く小さなものを見付けた。<br>しかし、動いたようなやっぱり動いてないような…<br>しばらく凝視していると、貝殻がひとりでに動いている。<br>ヤドカリである。私は本物のヤドカリを初めて見た。<br>その後、釣りを始めた私は関東の海でもヤドカリを目にすることになるのだが、初めて本物を見たときはなんとも感動した。<br>そしてちょこちょこうごく貝殻がとても可愛らしい。その貝殻を持ち上げると、ヤドカリは貝の中に閉じ籠り、ハサミで蓋をしている。<br>しばらくそのまま持っていると、わしゃわしゃと姿を表すのだが、まだ持たれていると気付くとまた閉じ籠る。<br>なんだかお茶目に見えて愛くるしかった。<br>しばらく景色とヤドカリを堪能し、足を拭いてスニーカーをはき、車へと戻ろうと浜辺を歩いていると、砂浜の坂の上からコロコロとヤドカリが転がり落ちてきた。<br>なんとも可愛い奴らである。気付くとその浜にはヤドカリがたくさんいた。<br>そんな微笑ましいヤドカリ達を後にし、車に戻る。<br><br>車に戻った私は、重大なことに気が付いた。<br>それは今夜の宿を確保し忘れていた事だった。<br>移動の途中で、携帯でホテルを予約するか、見付けた民宿にでも泊まろうかと考えていたのだが、民宿はなかなか見当たらず、ホテルの予約も忘れていた。<br>仕方無いので、古宇利島から橋を渡って本島に戻り、民宿を探したが無く、そのうち辺りは真っ暗になってきた。<br>こうなったら仕方無い、今日は車中泊と決め、行ける限り車でいろんなところに行くことにした。<br>無計画でもなんとかなる、一人旅の良いところである。<br>暗くなったので、コンビニで軽く食事を済ませ、給油もし、どこかまた島に渡って星を見ることにしたのである。<br><br>せっかくならば、砂浜で波の音を聴きながら星を見ようと、ビーチが綺麗だと聞いていた瀬底島へと向かう。<br>瀬底島は古宇利島から本部半島を挟んで反対側にある。本部半島を突っ切っていく。<br>瀬底島へ辿り着いたときは、夜も9時を過ぎていた。<br>島内は灯りも少なく、ひっそりとしている。<br>瀬底ビーチへと向かうと、夜間は立ち入り禁止となっていた。仕方無いので、どこか暗い場所を探し島内を走り回ってみた。<br>島の中心辺りは何かの作物のビニールハウスが立ち並び、そのビニールハウスは梨畑の様に灯りが付いている。暗い島内に、その辺りだけが煌々と光っている。<br>その畑を抜け、坂を下ると真っ暗な場所を見付け、そこに車を停め、空を眺める。<br>月の無い黒い空には、無数の星が光っていた。<br>一面の星空である。どんな空気の澄んだ冬の丹沢でもこんなに星を見たことは無い。<br>星が有りすぎて星座がわからないぐらいである。<br>ほんとに星空が綺麗だった、感動で一人思わず声が出た。満点の星空といえる夜空を初めて見た。<br>時間も忘れ、心地よい潮風に吹かれながら、ただただ空を眺めていた。<br>どのくらい眺めていただろうか、ふと我に帰り、次へと向かうことにした。<br>石垣島や西表島などはこれより更に星が多いというから、一度見に行ってみたいものだ。<br><br>今日の宿は車のなかと決めたが、その車をどこに停めるかである。<br>沈む夕陽、満点の星空は見た。それなら朝日を見よう。<br>本島の東側に東村という場所があり、そこには慶佐次湾のヒルギ林というマングローブが自生する汽水の川がある。<br>朝日を見て、マングローブを見ようと、東村へと目指すことにした。<br>本島の西側から東側へと行くには、中央の山を抜けていかなければならない。<br>地図で道を見付け、深夜の山原を走り抜けていった。<br>島を横断するその一本道は、両側を鬱蒼とした森に包まれ、登り下りを繰り返しながら、豊かな自然を突き抜いていた。<br>途中、ポツンと自動販売機があり、そこでさんぴん茶を買う。ジャスミン茶の事である。<br>ジャスミン茶は沖縄ではさんぴん茶と呼ばれている様だ。どこの自販機にも必ず500mlの缶入りさんぴん茶が売られていた。<br>すると、森の中からなんとも形容しがたい鳥のような奇妙な鳴き声が響いた。<br>周りは真っ暗な森林である、さすがに私も怖くなったが、もしかしたらヤンバルクイナ？などと少し期待もした。<br>その声の主は姿を現さず、私は車に乗り込み、更に先へと進んだ。<br>対向車も全くいない。街灯もない真っ暗な道は私ただ一人だけである。<br>そんな道を走っていると、急に道路の真ん中に異様な物を見付けた。<br>茶色く平たい丸い何かだ。<br>慌ててブレーキを踏み、タイヤで踏まないようにハンドルをきったが、見付けたのがすぐ手前だったので、車はその物の上を通った。何も衝撃がなかったので、踏むことも、車の下に当たることもなく、無事に通り過ぎることが出来た。<br>車のライトが照らしたその何かは、とぐろを巻いたハブであった。<br>いきなり目の前に物が出てきた驚きと、思いもよらず沖縄名物？のハブに出会った事に一人興奮していた。<br>さすが自然が豊かな場所である、変な鳴き声の生物も、ハブも、そこには生きていた。<br>それにほんとに蛇ってとぐろ巻くんだなぁと、今まで偶然に鉢合わせた蛇はいずれも這っていたので、とぐろを巻いてるのは初めて見た。<br>そんな道も森を抜け、遠くまで黒く広がっている海へと出た。<br>どうやら東村に着いたらしい。<br>ヒルギ林の方へと向かい、東に面する海辺の広い道路を見付け、車をそこに停めた。<br>窓を開けると、潮風と波の音がする。<br>時間は１時をとっくに過ぎていた。<br>朝から深夜まで運転し続けていた為、さすがに疲れていた。<br>シートを倒し、目をつぶると、いつの間にか眠っていた。<br>四日目の後半は殆ど行き当たりばったりで進んできたが、予定通りでは味わえない面白さを見付けることが出来た。
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<link>https://ameblo.jp/ryosuke-1989/entry-11878138741.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Jun 2014 23:17:03 +0900</pubDate>
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<title>沖縄一人旅～四日目、海と島</title>
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<![CDATA[ 四日目は、朝10時頃宿を出発した。<br>今日は一旦チェックアウトである。車で北上しながら名所に寄り、北部で一泊し、また翌日那覇に戻ってくる予定だ。<br>荷物を車に積む。今日も暑く、いい天気である。<br>この沖縄旅行は、最高に天気のタイミングが良かった。実は出発の前日まで沖縄には台風がいた。私が沖縄に着いたときには、すでに台風は去り、滞在期間中は突然のスコールを除いてずっと天気に恵まれていた。そして、私が帰る日には台風が近付いており、私は台風から逃げるように関東へと帰ってこれたのだ。<br>行きが１日早かったとしたら、飛行機は沖縄に降りられなかったかもしれない。<br>帰りが１日遅かったとしたら、台風の影響で飛行機は欠航、予定外の滞在の延長を余儀なくされていた。<br>そんな好天の下、今日は一日中海沿いドライブだ。<br>好きな音楽をかけ、北へと向かって出発した。<br><br>出発してすぐ、あることを思い付き、携帯で調べると近いことが分かった。沖縄の特徴とも言え、当時話題になっていた場所である、方向も同じなのでちょっと寄り道することにした。<br>しばらく走っていると、アメリカンなお店がチラホラし始め、いきなり鉄柵の向こうが開けた。<br>オスプレイ問題で騒がしくなった普天間基地である。<br>この時はまだオスプレイは山口県の岩国にいたため、普天間飛行場にはいなかったが、周りにはオスプレイ反対の幟が至るところで翻っていた。しかし、意外だったのがオスプレイ歓迎の幟や幕も有ったことだ。<br>その歓迎派の主張は、オスプレイの配備がないと沖縄は中国に乗っ取られるというものだった。<br>極端すぎる気もするが、沖縄の米軍の戦力が落ちるのは、そういう心配も生むのかと県外の人には気付かない憂いが有ったんだなと、少し考えさせられた。<br>それにしても沖縄というのは、武力というものが付きまとう宿命の島である。<br>そんな事を考え、ここが普天間基地かと思い、運転しながら基地の中を眺めていると、後ろを走っていたパトカーが赤色灯を回し始め、こちらに何か拡声器で言っている。<br>ビクッとした私は車を左に寄せて停車しようとした。スピードはそこまで出してないし、携帯もいじってないし、シートベルトもしている。何の違反だろ？<br>と思っていたら、パトカーはそのまま私を追い越し、何事もなかったかのように赤色灯を消して走り去っていった。<br>ポカンとして、イラッとした。無駄に驚かされたのである。<br>何を言っていたのかは、音楽をかけていたので聞き取れなかったが、違反では無いのであれば基地を見ていたのがいけなかったのだろうか。<br>しかし迷惑な警察である。<br><br>朝ごはんを食べていなかったので、早めの昼食も合わせて食事にすることにした。<br>普天間基地の周りを、ご飯やさんを探しながらぐるぐるまわっていると、突然の豪雨である。<br>やはり南の島というのは、こういうのが常なのだろう、歩いてる人たちは驚いた様子もなく、慌ててもいなかった。<br>そんな雨の中、24時間営業のタコス屋さんを見付けた。<br>せっかくなので沖縄名物の一つであるタコライスを食べようと近くに車を停め、雨の中ダッシュでお店に向かった。<br>中はなんだか暗い。ちょっとボロいしホントにやってるのか？と少し店の前で考えていたが、扉を開けてみれば分かるだろうと扉を開けた。しっかり営業中であった。<br>食券でタコライスの大盛りを買い、カウンターの中のオバチャンに渡す。<br>しばらくするとタコライスが出来上がった、思った以上のボリュームであった。<br>実際私は初タコライスである。まぁそんな大したものじゃ無いだろと思っていたが、これがなかなか美味い。味はジャンクだが、好みである。<br>サルサがどうしたものか米に合う。サラダも一緒に混ぜて食べるのが美味しい。<br>結構な大盛りだったが、軽く完食してしまった。ハマりそうだ。<br>関東に戻ってから、何度かタコライスを食べたくてしょうがなくなることがあった。しかし、こちらにはなかなかタコライスを食べれるところが無いのである。24時間営業のタコライス屋さんがこっちにも出来たら絶対に通ってしまうと思うのだが。関東進出を願うばかりである。<br>タコライスを食べ終わり、外に出ると雨はもう止んでいた。雨による湿気でムンムンとしている。<br>腹ごしらえも済んだところで、海沿いを目指して出発した。<br><br>海沿いを北上している途中で、嘉手納基地の横を通った。戦車が前を横切ったり、装甲車と並走して中の黒人兵士と目があったりした。<br>嘉手納基地や普天間基地、他の基地もそうだが基地の門の看板に、鳥居の絵があったのは正直驚いた。<br>やっぱり米軍の日本のイメージは鳥居なのだろうか？国家神道を掲げて戦った日本に対する敵軍のアメリカ軍には、やはり鳥居は特徴的なシンボルに思えたのだろう。<br>嘉手納基地を越え、読谷や恩納辺りから海岸沿いの道路はリゾート様を呈して来た。<br>道路は広くなり緩やかなカーブを描く、両端や分離帯にヤシの木、ソテツが並び、ホテルは海を向いていた。<br>先ほどまで空を覆っていた雨雲は去り、陽射しが眩しく照らしている。<br>今までは観光地の沖縄を見てきたが、ここにはリゾート地の沖縄があった。<br><br>そのうちに最初の景勝地、残波岬へと到着した。残波は泡盛の銘柄としても有名である。<br>残波岬の先端は断崖絶壁であり、白い灯台が建っている。<br>崖の上から見える海の濃い青に灯台の白、ゴツゴツした岩の灰色に鮮やかな草の緑、そして真っ青な空。<br>一幅の絵画の様とはこういう事を言うのだろう。<br>ダイビングスポットでもあるのか、恐らくアメリカ人であろうダイバーがボンベを背負って海から戻ってきた。これから潜るらしいアメリカ人と途中で会話をしていたところを見ると、多分非番の米兵だろうか。<br>灯台の横の岩場に登り、一番高いところから眺めてみると、正面は水面がキラキラと光る海が眩しく、右方向に目をやると澄んだ海水越しに珊瑚が離れた場所からも綺麗に見えた。<br>左方向を見ると岬から続く海岸に、なんだか不思議な浜が見えた。高い崖である岬から水面まで下っていき、白く泡のように見える浜があった。<br>そこまで行けば水際から海中を眺められそうだと思い、またその浜も気になったので、私はその浜へと向かった。<br>照りつける太陽は、海と共にあるととても美しい光りとなるが、人にとってはとても暑い熱源であった。<br>しばらく歩きその浜へ着くと、浜の手前も1.5メートル程の崖というか壁が続いていた。<br>泡のように見えたそれは、砂などではなく泡が弾けた様な、軽石の表面の様な形をした岩地帯である。<br>飛び降りたら変な風に足首を曲げそうだ。しかも転んだら結構な怪我をしそうである。降りられそうな場所を見付け、気を付けながら降りると、なんだか不思議な風景であった。<br>手前はおかしな岩の白い浜、その先は澄んだ水から段々とエメラルドグリーンに、その先は濃い青である。<br>この場所もとても画になる素晴らしいところだ。<br>しかしそのゴツゴツした岩の浜は、スニーカーの底に突き刺さり、一歩一歩気を付けなければ足を挫きそうで、水辺まで辿り着けなかった。<br>だが、この残波岬の上からとは違う、素晴らしい景色を見れたことに満足し、汗をぬぐいながら車へと戻った。<br><br>車のエンジンをかけ、クーラーから出てくる冷気にホッとし、次の場所へと向かう。<br>次に訪れたのは、真栄田岬だ。<br>ここは沖縄版青の洞窟と呼ばれる洞窟が、崖の下に開いている。<br>本島でのダイビングやシュノーケリングのメッカとなっているようで、周りはダイビングショップだらけで、ダイバーやシュノーケリングの人達ばっかだった。<br>崖の上から海を覗くと、たくさんの人達が気持ち良さそうにプカプカと浮いている。<br>岬から見る景色は綺麗だが、きっと真栄田岬は地上からより海中からの方が綺麗なのだろう。<br>水着やウエットスーツ姿の人達を尻目に、私はここを離れた。<br><br>次に私は恩納村谷茶にある、元アメリカ軍核ミサイル発射台を改装した施設を訪れた。<br>興味ある方は調べてみてほしい。<br>そこは核ミサイルを中国に向けて配備されていた場所である。<br>今は資料館になり、平和を願う像などが設置されている元発射台は中国を向いている。<br>取り壊しの計画などもあったそうだが、この発射台を平和の灯台にとの願いを込め、形を変えて保存しているのだ。<br>中の展示は戦争の悲惨さを考えさせられる、大変心に響く物だった。<br><br>その施設を後にした私は、次の景勝地の万座毛へと向かった。<br>万座毛は、広く海へ突き出た崖である。万人が座れる原っぱと言う名のその広い崖の上は、いろんな植物で覆われていた。<br>珍しい植物も多いらしく、植物の説明が書かれた看板も、そこかしこに立っている。<br>もうひとつ有名なのが、象の鼻の形をした崖である。<br>万座毛の原っぱから見える、崖の先端を残し、ポッカリと穴の空いたその崖は、像が鼻を垂らしている形に見えるのだ。風化が作り上げた造形だ。自然というのは本当に面白いものを作り出す。<br>この万座毛も有名な観光スポットの一つらしく、たくさんの観光バスと、団体のツアー客で賑わっていた。<br>私はそのツアー客をすり抜けながら、万座毛の観光を終え、近くに見えた美しい小さな湾へと少し寄り、万座毛を後にした。<br><br><br>
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<pubDate>Thu, 12 Jun 2014 15:05:05 +0900</pubDate>
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<title>沖縄一人旅～三日目、食で繋がる</title>
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<![CDATA[ 日没までに瀬長島へ着こうと車を飛ばしていた。最初は順調であったが、那覇市内はやっぱり混んでいた。<br>そんな時、市内にあるマングローブが生えてる湖、漫湖を通った。車内が和んだのは言うまでもない。<br>この湖は、市内の中にあるというのにマングローブが生えており、中心部から少し足を伸ばすだけでマングローブが見れるのだ。<br>この漫湖は、淵を覆うようにマングローブが生えている。<br>…これ以上触れるのは止めよう。<br><br>瀬長島に着いたのは、日没直前であった。<br>太陽が水面に触れ始めた時である。<br>丁度良いタイミングで瀬長島の砂浜に二人は立っていた。<br>オレンジから真っ赤に染まる夕空の下、水平線に沈んでいく太陽はとても美しい。<br>玉泉洞で降られた雨は嘘のように空は晴れており、綺麗なグラデーションに染まっている。<br>那覇空港の手前にあるこの島は、着陸する航空機が順序良く、高度を下げながら飛んでいく。<br>JALやANA、LCCのジェットスターや乗ってきたエアアジア、海外のチャイナエアラインなど。<br>時折、那覇空港は自衛隊の基地も併設されてるため、戦闘機や輸送機、ヘリコプター等も降りていった。<br>飛行機好きな人にもなかなか面白い島である。<br>私は特に飛行機が好きなわけではないが、乗り物全般が好きな男の子である、見てて飽きなかった。<br>太陽も海の下に姿を消し、残光も僅かになってきた。空も茜から漆黒へと変わってきたので、宿に戻ることにした。<br>こうして沖縄戦績巡り二人旅は終わった。<br><br>宿に戻り、近くのスーパーを携帯で探し向かう。<br>結構な距離があった。往復3キロぐらい歩いただろうか。今日は沖縄の食材で自炊することにしていた。ニンニクと唐辛子は前日公設市場で買っていた。<br>いろいろ魚や肉を見て回る。いろいろ悩んだが、沖縄県の魚ともされ、赤い色と黄色の筋が鮮やかなグルクンと呼ばれるタカサゴを購入。<br>パスタの乾麺とその他の食材を買い、来た道を戻った。<br>さて、調理開始である。<br>初めて使うキッチンだ、どんな器具があるか、どんな調味料があるかを確認し、段取りを決める。<br>まずはグルクンの頭を残して下処理をする。下味と小麦粉を付け、表面をフライパンで焼き、白ワインと水を加え煮立たせる。更にアサリやプチトマトも加える。<br>１品目は「沖縄の魚、グルクンのアクアパッツァ」<br>パスタを茹で、島ニンニクと島唐辛子をゆっくり火に掛け、オリーブ油に香りと辛味を移す。<br>刻んだパセリを加え、茹で汁で乳化させ、パスタを和える。<br>２品目は「スパゲティ アッリョオーリオ・エ・ペペロンチーノ アル 沖縄」<br>簡単にペペロンチーノ沖縄風とでもしといた方がいいだろうか。<br>沖縄風とは言っても、沖縄テイストは入っていない。ただ沖縄の食材で作っただけである。<br>この二品に、残った食材で簡単なサラダを作った。<br>品数は少ないが、結構なボリュームになってしまった。グルクンが2尾セットだったので、2尾使ったのである。<br>1尾元板さんにあげようかと思っていたが、ハーフさん達ともう食事を済ましていたらしく、お腹一杯との事だった。<br>食べきれるかな？なんて思いながら食べていると、他の宿泊者がこのイタリア料理に興味を持ち出した。<br>料理の名前や作り方を説明しながら、味見をしてもらっていた。皆美味しいと言ってくれ、嬉しかった。自分が作ったものを美味しいと食べてくれる事は私にとって最高に嬉しいことである。<br>そしてこういう料理は女性にも受けがいいようだ。ここで二人の女性と仲良くなることが出来た。<br>一人はそこそこ年上の女性、もう一人は同い年の子であった。<br>この二人にアクアパッツァ完食の手伝いをしてもらいながら、いろいろ話しているうちに仲良くなった。<br>やはり食というのは、人と人を繋げてくれるものだと実感した。<br><br>食事も終わり、片付けを済ませて一服しに外へ出ると、灰皿の周りで何やら盛り上がっている。<br>その中心には一人の外国人がいた。<br>英語で挨拶をしてみる、返ってきたのは流暢な日本語であった。<br>その外国人はドイツから来たらしく、二度目の沖縄だそうだ。日本が大層好きらしく、独学で日本語を勉強し、今回はしばらく沖縄に滞在するんだそう。<br>日本の事や各地方の話しに興味津々で、話も盛り上がり、すぐ仲良くなった。<br>今から海入ろう！なんてテンションが上がってるドイツ人だったが、周りが危ないからと却下されたため、ちょっとしょんぼりしていた。<br>そんな感じに盛り上がっていると、ドイツ人は今からみんなでクラブに行くんだ、一緒に来ないか？と誘ってくれたが、次の日の予定もあるし、今日の疲労もあったので残念だが断った。<br>ドイツ人は他の人達とクラブへ行き、私は起きてから動き続けていた為、結構疲れていたので早めに眠ることにした。<br>かなり充実した一日であった。<br>
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<pubDate>Mon, 09 Jun 2014 00:39:22 +0900</pubDate>
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<title>沖縄一人旅～三日目、沖縄の歴史を想う</title>
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<![CDATA[ ひめゆりの塔の次に向かったのは、これまた戦争の被害者となった若者達の慰霊碑である、<br>健児の塔 である。<br>この健児の塔はとてもマイナーであり、ほとんど知られていないのではないだろうか。<br>しかし、この健児の塔もまた悲しい忘れてはいけない歴史を今に伝えている。<br>簡単に言うならば、ひめゆりの塔男子版である。ひめゆり隊の少女達と同い年の少年達で編成された鉄血勤皇隊を弔っている。<br>彼ら沖縄健児達は、10代半ばという若さで日本軍の戦闘員として戦場に駆り出された。<br>陣地や壕を掘ることなどが主な仕事であったようだが、沖縄戦末期になると最前線で戦わされたり、特攻作戦も行っていた。背中に爆弾を背負い、そのまま敵陣まで走り込んで自爆攻撃をしていたそう。一度に何人も走らせ、一人が到達すればいいという考えで、まるで物のように扱われた健児達は、その若い命を戦場にて散らさなければならなかった。<br>また戦闘員であるため、投降にすぐに従わない場合、米軍の火炎放射の犠牲になる健児達もいたそうだ。<br>何とも痛ましい、悲惨な歴史である。<br>戦争というのは、どうしてこうも人を残酷にすることが出来るのだろうか。<br><br>健児の塔は、海辺の崖の中腹にあった。特に駐車場や売店などもなく、ちょっとした広場に車を停めるような感じだ。もちろん資料館などは無いし、案内の看板すら無い。<br>本当に合っているのか不安になりながら、崖を下る階段へと進んでいった。<br>思ったより長い道のりである。<br>途中、3つ程健児の塔ではない慰霊碑があった。<br>それぞれ想いと悲しみがあるのだろう。しかし、あまり人の目に触れず、ひっそりと佇む慰霊碑に切なさを覚えた。<br>その道の一番奥にしっかりとした、立派な慰霊碑がある。<br>沖縄師範健児の塔 である。<br>これは後から作られた物らしく、最初に作られた健児の塔は、その横にちょこんと建っている小さな石碑である。<br>この健児の塔とひめゆりの塔を建てた人は同じだそう。<br>その塔の裏側へと回ると、そのまま森の奥に下っていく道がある。<br>その道を進んでいくとガマと呼ばれる天然の洞窟が口を開けていた。中は真っ暗である。<br>周りも木々がうっそうとしており、薄暗い。少しひんやりとした空気が流れている。<br>素直に言うなら不気味な雰囲気さえある。<br>そのガマは鉄血勤皇隊の健児達が、米軍に追い詰められ、集団自決した場所である。<br>真っ暗なガマの中を携帯のライトで照らしながら入っていくと、コンクリートで壁が作られている。その壁を照らしてみると、そこには文字が刻まれていた。<br>このガマはそのまま健児達の遺骨が納められており、納骨堂としてあった。<br>健児達の苦しみを想うと、胸が苦しくなってくる。<br>そっと手を合わし、静かにその場を後にした。<br><br>ここから次の目的地へと向かうのだが、今日の全行程の全てを回ることが不可能な時間帯になってきた。<br>予定していた行き先は、玉泉洞、斎場御嶽、久高島である。<br>相談した結果、久高島は船で渡らなければならず、5時頃には復路の船が終わってしまうため、帰れなくなる危険があり、この時間から渡っても忙しくなってしまうとのことで、久高島は断念することに。<br>琉球王朝では聖域とされ、ニライカナイに続く島とされた久高島。島内には琉球王朝時代の遺跡や祭壇が多く、最も神聖とされる場所は国王以外の男子禁制なのだそう。<br>そんな島で、私はイラブーを食べようと決めていたのだ。<br>イラブーをご存知だろうか？イラブーとは近海で捕れる海蛇のことだ。ウミヘビを干して燻製にした沖縄のご当地食材である。<br>那覇の公設市場にも黒く燻製された、さながら干からびた様なウミヘビが吊るされて売っている。<br>久高島ではそのイラブーを食べさせてくれる飯屋さんが在るそうだ。<br>イラブーは次の機会に取っておくこととした。まだ味わったことの無いウミヘビを食べることが出来ないと思うと、至極残念ではあったが、好奇心と探求心から離れた理性の何処かがホッと安心していたのは、本当である。<br><br>次なる目的地、玉泉洞はおきなわワールドというテーマパークの中にある。伝統的な民家や植物園等があり、琉球ガラスや三線の体験などが出来る。<br>しかし、私達の今日の目的は文化体験ではないので、それらには寄らず玉泉洞だけ行くことにしていた。<br>だが、久高島を諦めたこともあり少し時間に余裕があった為、玉泉洞を出て時間があったら見て回ろう。<br>等と話していた車中、いきなり大雨が降ってきた。<br>これが南国特有のスコールと言うものであろう。<br>道路は一気に川と化し、フロントガラスは滝となっていた。<br>きっとすぐ止むだろうと、首里のオジーもそんなこと言っていたと話しているうちに、豪雨の中おきなわワールドへと到着した。雨は弱まる気配すら無い。ゲリラ豪雨さながらの大雨である。<br>砂利の駐車場に車を停めると、そこはもう沼と化していた。<br>傘など無い、出てくるときは晴天であった。<br>意を決した二人は豪雨の中飛び出し、屋根のある場所まで懸命に走る。<br>スニーカーがびしょびしょになるのもいとわず走った。長い。100メートルぐらい走った。<br>やっとの思いで屋根のあるチケット売り場にたどり着くと、もはや全身ずぶ濡れである。<br>ここまで来たら進むしかない。チケットを購入し、そのまま玉泉洞へと向かった。<br>初めての鍾乳洞である。いつか行ってみたいと思っていたので、天井からいくつも垂れ下がる鍾乳石には感動した。<br>中はかなりジメッとしており、気温もそこそこ高い。メガネが曇ってしまうほどだ。<br>鍾乳洞の表面はテラテラと光り、鍾乳石の先端からピチョンピチョンと水が滴り落ちている。<br>底を綺麗な水が豊富に流れており、川になっていた。<br>年々成長する鍾乳石は、鉄の柵をも飲み込みながら一体となっていたり、高い天井から気をつけて歩かないと頭をぶつけてしまうほどの長さに成長しているものもある。<br>大きな鍾乳石には名前が付いており、綺麗にライトアップされていた。<br>何十万年という時間をかけて自然が作り上げた、この東洋一の洞窟は、異世界に来たかのような気分にさせてくれる。<br>そして自然の雄大さに、人はただ感嘆の声をあげるしかない。<br>流れている水はひんやりと冷たく、所々で滝を作って涼しげな音を奏でている。<br>その水の中に小さな魚や、海老などが棲んでいた。<br>一際水の音が大きな場所に着くと、玉泉洞の目玉である天然の石のダムがあった。<br>結構水深の有りそうなダムから溢れ出る水は、クリーム色のツルツルとした緩やかな丸みを帯びた岩の上を流れ落ちていく。<br>ダムの中に飛び込んだらどんなに気持ちいいだろうかと思うほど、それは水と岩が織り成す芸術であった。<br>しかしこの鍾乳洞は、見学できるところは全体の一部分に過ぎないが、東洋一大きな鍾乳洞である、なかなか出口に辿り着かない。<br>雨で濡れた服と靴は、洞窟の湿気と汗で全く水分が飛んでいかない。むしろ滴ってくる水で更に濡れたようにも思える。<br>後半は若干の早足になりながら出口まで来たときには、外の雨はもう止んでいた。<br><br>出口がそのまま植物園になっていたので、亜熱帯気候の植物を眺めながら、あれはなんだろう？なんて話ながら進んでいく。<br>思ったより玉泉洞が長かった為、あまり他の見学の時間は取れなかったが、とりあえず一服とパイナップルソフトクリームを食べて一休み。<br>せっかくだからお土産屋さんも見ていくことにした。<br>お土産屋さんに向かう間、おきなわワールドはいろんな所から三線の音色が聴こえてくる。沖縄感満載ののんびりとした空気が流れていた。<br>お土産屋さんでお土産を物色していると、ハブ酒の試飲を勧められた。<br>初めて飲むハブ酒である。このハブ酒も沖縄で味わってみたい物の一つであった。毒蛇のハブを泡盛に丸々漬け込んだものだ。<br>ちっちゃいカップにちょこっとだけハブ酒を注がれる。<br>ちょっと少ないなぁなんて思ったが、それをクイッと飲んでみた。<br>思わず目を見開いてしまった、ものすごい衝撃である。<br>薬草酒よりもかなりパワフルである。味がというか、その物自体のパワーが凄いのだ。ビックリしてしまった。<br>味自体は美味しくない。薬草酒のように独特な臭みもある。やっぱり精力剤として、薬として飲むものなのだろう。<br>少ししか飲んでいないのに、すぐ体がポッポと熱くなってきた。<br>恐るべしハブ、アカマムシなど比べ物にならないパワーである。<br>とは言ったものの、私はアカマムシにお世話になったことは無いため、ただの想像ですが…<br>アカマムシに頼らずともまだ私は元気です。<br><br>お土産も買い、気付くと服も乾いてきたので、最後の目的地、斎場御嶽へと向かった。<br>斎場御嶽（せーふぁうたき）とは、神聖な島、久高島を望む高台にある琉球王朝の遺跡である。<br>国王の即位や、宗教行事を行っていた神聖な場所であるらしい。そして過去にはここも国王以外の男子禁制だった場所だそうだ。<br>それにしても斎場御嶽をせーふぁうたきと読むには日本語の感覚を無くさないと読めない。私は読み方が解らず、さいじょうごごくとずっと呼んでいた。<br>斎場御嶽は森の中に、岩で出来た祭壇が何ヵ所かある。<br>見た限りでは、神体や仏像のようなシンボルは特に無く、どの様に祈っていたのだろうか。<br>また、祭壇の上段は今でも男性立ち入り禁止の所があった。<br>文化であるし、信仰の場所であるからそういうのはしっかり守りたい。女性も露出を控えた服装が好ましいそうだ。<br>キリスト教徒じゃないからといって、十字架を引っこ抜いてバット代わりにしないのと同じように、彼らの聖地を汚さないようにするのは常識であり、礼儀であろう。<br>一通り見学し戻っていると、石畳の横に窪みに水が溜まった水溜まりの様な、池のような物があるのに気が付いた。<br>そこに立っている立札には、その窪みは米軍の艦砲射撃による着弾の跡だという。<br>やはり沖縄の歴史には、太平洋戦争が関わってくるのだ。<br><br>最後の斎場御嶽も見終わり、今日の目的は達した。<br>せっかくだから行けなかった久高島が見える浜で一服していこうと海岸沿いを走る。<br>どうやらこの知念辺りは漁師の町なのか、砂浜は無く、小さな漁港の様なものが点々とあった。<br>適当に港の方に降りていき、護岸に腰を掛け、一服していた。<br>この太平洋に面するこの東側の海は、海草が多いようで東シナ海に面する西側の透明な海と違い、濁っていた。そして潮の匂いというものがする。<br>だから東側に漁師が居るのだろう。海草が生えるというのは、海に栄養があるということ。海に栄養があればプランクトンが増え、魚が集まる。<br>しかし、潮の流れの影響なのだろうか、外国の文字で書かれたゴミが漂着していた。<br>いま沖縄では漂着物のゴミが問題になっているそうだ。<br><br>空も次第に晴れて来て、日もかなり傾いてきた。<br>すると元板さんが、那覇空港近くの橋で渡れる瀬長島に行かないかと、そこから見る海に沈んでいく夕陽がとても綺麗なんだそう。<br>もう辺りは夕景になっており、間に合うかわからないけど、行ってみようということになり、瀬長島へと急いだ。
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<link>https://ameblo.jp/ryosuke-1989/entry-11873188526.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Jun 2014 19:54:33 +0900</pubDate>
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<title>沖縄一人旅～三日目、沖縄戦に思いを馳せて</title>
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<![CDATA[ 三日目の朝、今日は9時にレンタカーを受け取り、9時半には出発の予定である。<br>携帯のアラームはかけてあった。アラームを止めた記憶はある。<br>はっと目を覚ますと、なんと時間は9時を回っていた。<br>体はダルく、若干頭が痛い。どうやら二日酔いの様だ。<br>しかし、飛び起きた私は、身支度を済ませリビングに向かう。<br>元板さんがリビングで寝っ転がっていた。<br>慌てて謝る私に、<br>「いいよ～俺もいま起きたとこだから」と。<br>良かった、時間に厳しい人じゃなくてと一安心。<br>ただ、レンタカー屋は遠く、一度那覇空港に戻り、そこから送迎のバスで向かうのだ。<br>出発は10時頃になることを伝えると、元板さんはその間に支度しとくよと、穏やかであった。<br>ハーフさんはもう出掛けていたようだった。<br><br>慌てて出た外は、前日同様よく晴れており、かなり暑かった。モノレールの駅に着いたときには、やっぱり汗だくであった。<br>二日酔いのボーッとした頭にこの暑さはなかなか辛かったが、今日は一人ではないし、前日行けなかった海軍司令部にも行きたいし、他にも回りたいところが沢山あるので、ぐだぐだしている余裕は無かった。<br>那覇空港に着き、送迎のバスを待つ。待っている間も二日酔いはあったが、汗をかいたおかげか、レンタカー屋に着く頃には二日酔いはすっかり抜けていた。<br>もしかしたら若さもあったのかも知れない。まだ数年前の事だが、二十歳そこそこと二十代半ばでこんなにも飲んだ次の日が違うのかと驚いている所である。<br>レンタカー屋に向かう道中、かなり混んでおり、思っていた時間を過ぎていた。貸し出しもすぐ終わるかと思ったが、他の観光客が多く、20分ほど待たされてしまった。<br>車を受け取り、渋滞する道を急いで宿へと戻る。<br>結局出発は10時半頃になってしまった。<br><br>待っていた元板さんを乗せ、戦跡巡り二人旅が始まった。<br>元板さんは全て私に任せるとの事だったので、まず前日行けなかった海軍司令部へと目指した。<br>やはり道は混んでいたが、30分ほどで到着することが出来た。<br>海軍司令部壕の入り口は丘の上にあり、南部一帯を見渡すことが出来る。そこから地中に迷路のような壕が掘ってあるのだ。<br>ここが太平洋戦争最大の激戦を繰り広げた、沖縄戦の日本軍の中心である。<br>本土の防波堤とされた沖縄の指揮を執った場所である。<br>丘の一番高いところに、大きな沖縄戦の犠牲者を弔う慰霊碑が建っている。<br>その近くに車を止め、建物に入る前に二人で一服を済ます。<br>建物に入ると、いきなり階段であった。その階段を下ると、チケット売り場と司令部壕の入り口となっている。<br>そこでチケットを購入し、壕の中へと進む。<br>更に階段へと進むと、近代的な建物がいきなり岩むき出しの壁へと変わる。<br>その壁にはミノや、ツルハシの跡が残っている。<br>この壕は米軍が攻めてきて、急遽人力によって掘られたそうだ。<br>壕の中は地下であるからヒヤッとしていたが、所々水が滲み出しており、湿気が凄かった。そして何故か陰鬱な雰囲気を持っている。<br>地面は滲み出した水と、岩の成分でなのか滑りやすくなっている。壁もテカテカと反射していた。<br>奥に向かって下るようにトンネルが掘られており、その脇に間隔を開けて部屋のように掘られている場所が出てきた。<br>実際にそこを部屋として使用していたそうだ。<br>通信室や救護室、仮眠室や兵隊詰所など。<br>進んでいくと、何故か私と元板さん二人揃ってなんか嫌な部屋だねと、話していた部屋に入ると、確か司令室だか作戦室だったかであり、壁には無数の小さい穴と、その周りの壁に何か削られたような跡があった。<br>その部屋の説明を読むと、沖縄戦の末期に、敗北を悟った将校がその部屋で、手榴弾によって自害したそうである。無数の小さい穴と削れた壁は、手榴弾の爆発の跡であった。<br>その跡を眺めながら、二人は無言にならざるを得なかった。<br>他にも刀やピストルによる自害した部屋もあったが、何故かここの部屋だけ特に異様に二人には感じた。<br>一部崩落により見ることが出来ない場所があったが、見学できるところは全て見て、二人は海軍司令部壕を出た。<br>外は壕内より湿気は無かったが、やっぱりかなり暑かった。<br><br>司令部壕を出発し、次に目指したのは南部の先端、喜屋武岬である。読み方はきゃんみさき。<br>北海道と同じで沖縄は読み方がよくわからない。まだ喜屋武はいいとしても、南風原は"はえばる"である。全く漢字からは想像が出来ない。<br>そんな喜屋武岬は、沖縄戦による悲劇の地であった。<br>沖縄本島の中腹から攻めてきた米軍は、北部を制圧し、日本軍および島民を南部へと追い詰めていった。<br>首里も制圧され、海軍司令部も陥落。<br>間違った教育により、米軍の捕虜となると、女性は凌辱され、男性は拷問を受けると信じ込んでいた沖縄島民や、日本軍兵士は、間違った教えを抱きながら、生きて恥を晒すなら皇国に殉じて尊い死を、と皆この南端の喜屋武岬から<br>「天皇陛下、万歳！」<br>と叫びながら身を投げたそうだ。<br>沖縄版『バンザイクリフ』である。<br>砂利道を進み、サトウキビ畑の間を進んでいくと、小さく開けた場所が出てくる。<br>前はひたすら続く水平線に、透き通った青い海。空も負けじと真っ青であった。<br>左斜め前には白い灯台、右側には喜屋武岬の悲劇を伝える慰霊碑とモニュメント。<br>崖の下を覗くとゴツゴツとした磯に、海底の地形がわかるほどの透明な海の水。<br>そして周りは太陽の光を浴びて輝く緑たち。<br>風光明媚とはこのことか、と言えるほど美しい場所であった。<br>しかし、この喜屋武岬が悲劇の舞台になった当時は、崖の下の磯には人の死体が無数に漂い、透き通った綺麗な海は、真っ赤に染まっていたという。<br>ほんとうにここでそんなことがあったのか？と疑いたくなるほど綺麗な場所であるが、だからこそ伝えていかなければいけない歴史だと思う。二度とこのような素晴らしい場所を悲惨の血に染めることが無いように。<br>慰霊碑に手を合わせ、二人は喜屋武岬を後にした。<br><br>次に向かったのは、沖縄の戦争遺跡と言えば第一に出てくるであろう、ひめゆりの塔である。<br>私自身、ひめゆりの塔の物語はよく知らなかった。だが、ここを外すわけには行かないだろう。言うなれば、名古屋城に行って下を向いたまま金のシャチホコを見ないようにするようなものである。<br>ひめゆりの塔に着くと、沢山の観光バスと人で溢れていた。さすが最もポピュラーな沖縄観光スポットである。しかし、このひめゆりの塔をちゃんと見学すると、観光と呼んではいけないと、思う気持ちになるのだ。<br>ひめゆりの塔の手前に多くの大きなガジュマルがあった。これがガジュマルなのか！と一人感動していた。<br>ガジュマルは歩く木と言われ、枝からたくさん長く垂れる気根を地へと伸ばし、そこから根を張り、やがて幹となり、元の幹は朽ちていくそうだ。長い年月をかけ、ガジュマルは歩いているのだ。<br>そんなガジュマルを見つつ、人だかりの中へ進むと、柵に囲まれた向こうに小さい白い石の柱が建っていた。<br>それがひめゆりの塔である。<br>前から小さい小さいとは聞いていたが、ほんとに小さかった。横の慰霊碑をひめゆりの塔と勘違いするのは無理もない。<br>そのひめゆりの塔の後ろから地中にかけて防空壕になっているようだ。その壕も実際ひめゆり隊によって病院壕として使われていたという。<br>ひめゆりの塔に手を合わせ、資料館へと向かう。<br> <br>資料館には当時の沖縄戦の様子や経過などの紹介や、ひめゆり隊全員の名前、実際に使われていた医療器具などが展示されていた。<br>また、ひめゆり隊の生存者のおばあさんが当時の事を話している映像の上映室などもあった。<br>これらの資料だけでもかなりショックだったが、最後の展示にひめゆり隊生存者全員の当時の様子を語った文集がある。その文集の内容は、担ぎ込まれてくる負傷者やその看護の様子であったり、追い詰められた日本兵の様子であったり、米軍の攻撃に怯える心情であったり、死に行く人や友との別れを惜しみ悲しむ内容など、実際に起こり、ひめゆり隊の方が感じたことが、ありのままその文集には詰まっていた。<br>私は一つ一つ噛み締めるように読んでいった。<br>十代の若い女学生の声に出せぬ苦しみと恐怖がひしひしと伝わってくるようだった。<br>日本人、いや世界の人達はこの文集を読むべきだと思った。戦争は悲惨だと言っても、実際に体験していない私達には、本当の戦争の悲惨さを知らない。この文集には本当の悲惨さが収められていた。<br>正直、資料館を出た後は気分が沈む。それもそのはずである。人々の苦しみの過去に触れて楽しいと言う奴は、犯罪者予備軍だろう。<br>平和な世に感謝しつつ、ひめゆりの塔から次の目的地へと出発した。<br><br>ひめゆりの塔近くで昼食を取ったのだが、ひめゆりのショックが大きかったのか、どこで何を食べたのか思い出せない。<br>それほどの衝撃はあったが、行けて良かったと凄く思う。<br>この時点で確か２時前位だったと思う。<br>今日の全行程踏破が、なかなか厳しくなってきた。朝の寝坊が響いているようだ。
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<link>https://ameblo.jp/ryosuke-1989/entry-11872790176.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Jun 2014 10:53:20 +0900</pubDate>
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<title>沖縄一人旅～二日目、旅の出会い</title>
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<![CDATA[ 首里城を後にした私は、国際通りを目的地にモノレールの駅へ向かった。<br>しかし、何処にモノレールの駅があるのかわからない。<br>とりあえず適当に歩き出してみた。<br>しかし、しばらく歩いても駅がありそうな雰囲気が無い。そのうち道は丘を下っていた。<br>明らかにこっちではないと確信したが、引き返すのも癪なのでそのまま進むことにした。<br>坂の途中から遠くにモノレールの線路らしき物が見えたので、それを目標にそっち方向へと歩いてみる。<br>しかし、完全に当てずっぽうで進んでいるので、全然モノレールが見当たらない。自分ではそんなつもりは無かったが、きっと人はこの時の私を迷子と呼ぶのだろう。<br>だが、すべての道はローマに通ずという、言葉があるように一時間程適当に歩いていたら、突然モノレールの駅を見付けたのである。<br>私は結構知らない土地では当てずっぽうで歩いてみると、意外と目的地に着くことが多い。<br>中々の方向感覚だと自負している。<br>そのモノレール駅から国際通りへと目指す。<br><br>国際通りに着くと、さすが沖縄一の大通り、人も車も店も沢山あった。<br>アグー豚や石垣牛が食べれる店など、魅力的なお店が多かったが、ここでは首里城のオジーが教えてくれた、裏道にあるソーキそばを食べることに決めていた。<br>実は琉球ロイヤルポークが食べれる店があったら無条件で入るつもりでもいたが、残念なことに琉球ロイヤルポークを扱っているお店は見当たらなかったのである。<br>まずは公設市場を目指して歩く。<br>市場本通りに来ると、その隣の平和通りがとても賑わっている。アーケードの中を沢山の人が行き交っていた。<br>平和通りへと進んでいくと、いろいろなお土産屋さんや、泡盛屋さん、サーターアンダギー屋さん、カットしたフルーツを売ってるような店など沢山の店が入っている。<br>通りの中央付近に公設市場があった。<br>公設市場の向こう側は市場本通りのようだ。<br>私はお腹が空いたので、ソーキそば屋を探した。<br>平和通りや、市場本通りにもソーキそば屋は沢山あったが、わざと小路を歩き、薄暗い角を曲がったりして良さそうなお店を探した。<br>ソーキそば屋は、細い小路だろうが関係無く沢山あった。<br>その中で勘を働かせ、それなりにボロい…いや、それなりに趣がある、美味しい物を出しそうなお店に突撃してみた。<br>店に入ると、オバーが一人で切り盛りしているようで、時間も飯時では無かったので、のんびり島らっきょの下処理をしていた。<br>そこに突然一人の観光客がそばを食べに来たのである。オバーは無愛想だった。<br>ソーキそばは確か、一杯450円であった。<br>安い。沖縄の物価は内地のそれよりいくらか安いようだ。実際、自動販売機も10円安かった。<br>出てきたソーキそばはすごくシンプルであった。<br>そば、スープ、ソーキ、ネギ、以上。といった具合だ。<br>ソーキそばというと、コシの無い柔らかい麺というイメージを持つ人も多いが、ここで食べた麺はしっかりとした固さとコシがあった。スープも鰹の出汁がよく出ており、ソーキもトロトロである。<br>旨い！オジーの言葉を信じて良かった。<br>後で会った人に聞くと、ソーキそば不味かったとか、850円もして麺がぐにゃぐにゃだったとかいう話を聞いたが、私が食べたソーキそばはとても美味しかった。<br>やっぱり地元の人が言うことは間違いない。<br>スープまで飲み干し、オバーにご馳走さまと言うと、無愛想だったオバーはニコッとさっきと打って代わって人懐っこい笑顔を見せてくれた。<br>美味しいそばを食べ、オバーの笑顔も見れて満足であった。<br><br>しばらく平和通りのお店を冷やかしたり、公設市場で魚介や肉を見て回った。<br>市場で試食させてもらった島らっきょがすごく美味しくて欲しかったが、あまり日持ちもしないし、臭うと言うことで帰る直前に買うことにした。<br>おっきなヤシガニみたいな蟹がいたり、みる貝のオバケみたいな貝、真っ青なアオブダイなど内地では見たこと無い食材ばかりで、飽きずにずっと見て楽しんでいた。<br>宿にはせっかくキッチンがあるので、何か作ろうと物色していたが、魚や肉は一旦断念し、島とうがらし、島にんにく、シークヮーサーを買った。<br>しかし、沖縄には島と付く名前のものが多い。BEGINが歌に歌っているほどである。<br>塩にまで島と付けるとか。<br>島とうがらしは鷹の爪とは違うので、島と付くのも分かるが、にんにくは何ら変わり無い普通のにんにくであった。きっと沖縄で出来たものには島と付けるのだろう。<br>だが、島関係で一番驚いたのは島ぞうりである。島ぞうりの正体はただのビーチサンダルである。湘南で売ってるビーサンと全く違いがない、ただのビーサンだ。そんなビーサンも沖縄に来れば、島ぞうりとなるのである。<br>また一つ沖縄の面白いところを見付けた気がした。<br>そんな買い物をしつつ、サーターアンダギー屋さんで揚げたてサーターアンダギーを買って歩きながらかじったり、泡盛屋さんで小さい泡盛の古酒を買った。<br>国際通りから宿へと戻るときにはすっかり夜になっていた。<br>予定違いな首里城などもあったが、結構楽しく観光出来たなぁと思いながら宿に戻ってきた。<br><br>疲れたなぁと転がりながら、宿の近くで食べれるとこは無いかと携帯で探す。<br>少し歩くが、良さそうな所を見付け、また夜の街へ。<br>思ったより遠く、2、30分歩いてようやく店に着くと、かなり盛況である。<br>入れるかな？とドアを開けると、すぐに案内してくれた。<br>通された席は柱の二辺にテーブルが付いた変わった席だった。その一辺には家族連れの他の客がおり、もう一辺に私が座る。<br>まず、ビールを頼む。なんとオリオンビールの生である。<br>汗かいたあとのビールは堪らなく旨い、格別である。<br>しかし、しばらくしてもメニューが来ない。忙しいのかな？と思っていたが、ビールも飲み干しそうである。<br>少し申し訳なさそうにメニュー下さいと頼んでみる。お持ちします！と言ったきり何も来ない。<br>ビールも飲み干した。流石にイライラしてくる。ビール一杯で帰ってやろうかと思ったとき、カウンターの中の料理人が気付いたようで、私をカウンターへと席を移させた。<br>どうやら私は、もう一辺に座ってる家族連れの待ち合わせの人だと店員が勘違いしていたようだ。だから家族連れの方にはメニューがあってこっちにメニューが来なかったのである。<br>すいませんでした、と謝られたし、まだ飲みたかったので泡盛の古酒、アグー豚の鉄板焼、そして豆腐ように挑戦してみた。<br>そしてさっきの料理人が、お通しも出さず迷惑かけたから、何か好きなもの一品お通しとしていかがですか？と言ってくれたので、沖縄らしいやつを！と注文してみた。<br>すると、ミミガーなんていかがでしょう？とミミガーをサービスしてくれたのだ。<br>ミミガーも食べてみたい物の一つだったので、嬉しかった。さっきのイライラもすでに忘れていた。<br>泡盛はロックで出てきた。内地で飲むとキツくて匂いもクセを感じるが、何故だろう？全然飲みやすく、クセが美味しいのだ。古酒だから、というのもあるとは思うが、関東に帰ってきて古酒を飲んだが、やっぱりキツく感じた。<br>美味しい、スースー飲めてしまう。<br>アグーは相変わらず肉にパワーがあるなぁと。肉自身の味が濃く、パワフルなのである。私はイベリコよりアグーが好きだ。<br>ミミガーもコリコリしてて酒のツマミにはもってこいであった。ミミガー自体にはほぼ味は無いものの、ごま油と塩、ネギと和えてあって美味しかった。<br>豆腐ようの最初の一口はドキドキであった。珍味と呼ばれるものはだいたい味が激しい。もし嫌いな味だとハンマーで撲られたような衝撃になる。<br>恐る恐る食べてみると、なんと旨いではないか。生臭くないイカの塩辛と言ったところか。食感はクリームチーズである。<br>泡盛に浸けて作るそうで、塩辛の味の後から泡盛の香りがしてくる。<br>なので泡盛との相性はこの上無くバッチリである。<br>沖縄で一番衝撃を受けた、面白かった食べ物は豆腐ようである。お土産に買うほどグッと来た。<br>沖縄は美味しいものが多い。和でも無く、中華でも無いが、和の要素も中華の要素もある様に思える。それが沖縄料理なのだろう。<br>キレイにたいらげ、泡盛も飲み干して、その店を後にした。<br><br>また2、30分かけて宿へと帰る。その途中にコンビニで酒を買い、戻った。<br>宿に戻ると、リビングにはすでに人が少なくなっていたが、酒を飲みながら話してる人達がいる。<br>私はその横でテレビを見ながら缶のオリオンビールを開けた。<br>しばらくビールを飲みながらテレビを見ていると、横で飲んでいた男二人組が私に話しかけてきた。<br>いつ来たんですか？とかいつまでいるんですか？と言った具合に。<br>二人組のうち、一人はここ何日か前に来たようで、もう一人は１ヶ月近く滞在しているようだ。<br>三人で話していると、三人とも関東出身の１個上と２個上であった。<br>更に驚いたのが、２個上の１ヶ月近く滞在してる人は元板前だったのだ。元板さんとしておこう。<br>もう一人はレストランでウェイターをやっていたハーフの人だった。ハーフさんとしておこう。<br>偶然にも関東の年の近い飲食関係者が集ったのである。<br>三人は食の事でかなり話が盛り上がった。飲食業界人にしかわからない苦労や、料理観など熱く話していた。<br>そのうちみんなの酒がなくなり、ちょっとお腹すかない？という話になった。<br>私はもうお腹一杯だったが、元板さんが近くに朝までやってる食堂があるから行ってみないか？と誘ってくれたので、三人で夜食を食いに行くことに。<br>歩いて10分ほどの所にその食堂はあった。<br>席につき、それぞれ注文をする。<br>お腹一杯なのに、私はまた食べてみたかった沖縄料理を見付けてしまった。ラフテーである。<br>私はラフテー、ハーフさんはソーミンチャンプルー、元板さんは野菜のチャンプルーを頼んだ。<br>もちろん皆で回し食い。<br>野菜のチャンプルーは島豆腐が入っており、美味しかった。ソーミンチャンプルーもソーメンなのに、それをおかずにご飯が食べれるという美味しい料理であった。<br>そして、ラフテーである。ラフテーは角煮に似た、沖縄の豚の煮込み料理という前知識で食べてみると、なんとそのまんま豚の角煮であった。角煮は美味しいから、同じラフテーも美味しかった。<br><br>みんな満腹になり、店を出て、追加で酒を買い込み、宿へと戻る。<br>宿に戻るとみんな寝ているようだ、リビングには誰もいない。<br>そんなリビングで三人の宴会が再開された。<br>この日はかなり飲んだ。三人とも結構飲んでいた。<br>明日どうするの？という話で、ハーフさんは他の人と出掛けるそうであり、元板さんは暇をしているようだった。<br>私は朝にレンタカーを取りに行き、南部を中心に戦跡を巡る予定だと話すと、元板さんが興味を持ち、まだひめゆりの塔などにも行っていないと言っていた。<br>元板さんがもし良かったら一緒に連れてってくれない？とのことで、私も快諾し、三日目は元板さんとの二人旅が決まった。<br>時刻はもう4時を回っていた。<br>元板さんと9時半出発を約束し、それぞれベッドへと帰っていった。<br><br>こうして旅先の友人が出来、二日目は終わった。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ryosuke-1989/entry-11866557615.html</link>
<pubDate>Sat, 31 May 2014 05:00:43 +0900</pubDate>
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<title>沖縄一人旅～二日目、思わぬ行き先</title>
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<![CDATA[ 初の沖縄の朝を迎えた。<br>予定では10時頃から動き出す予定である。<br>目を覚まし、狭いベッドの上で背伸びをする。<br>携帯の時刻は一時を指していた。<br>ヤバい、寝坊である…だが、寝坊しようが今日の予定を取り止めようが、誰にも怒られないし、誰にも迷惑はかからない。一人旅ゆえの気軽さである。<br>しかし、時間的にも予定していた今日の行程は踏破出来そうもない。<br>今回の旅にはテーマがあった。<br>沖縄の名所と戦蹟巡り である。<br>初日は首里城、国際通り、海軍司令部壕であった。<br>首里城はモノレールでも行けるので、後日に回すとして、今日は海軍司令部と国際通りへ向かうことにした。<br>携帯で海軍司令部までの行き方を調べる。<br>モノレールでバスターミナルのある駅まで行き、そこからバスで向かう。<br>閉館まで一時間ぐらい見学出来そうである。<br>身支度を整え、リビングに行くと、外は眩しいほど明るく、南の島の太陽の凄まじさと暑さが室内からも感じられた。<br>その明るさは、関東の同じ時期のそれとは違い、遠いところへ来たんだなぁと私に思わせた。<br>宿の人に挨拶をし、太陽の下へと歩き出す。<br>暑い。数分もしないうちに全身から汗が吹き出してくる。<br>ただ、私は暑いのはそんなに嫌いじゃない。汗かく位がちょうどいいと思っているので、そんなに苦では無い、と思われたがやっぱり暑いものは暑かった。<br>モノレールの駅に着いたときには汗だくである。飲み物を買い、モノレールへと乗り込み、バスターミナルのある駅まで向かう。<br><br>バスターミナルは大きかった。そして、他所から来た人にとってはとても複雑であった。<br>モノレールが唯一の鉄道である沖縄では、島民の移動手段は専らバスだそうだ。しかもその中心地であるから、バスターミナルは大きく、停留所の数も多い。<br>ネットで調べた停留所で待ち、調べた番号のバスがそんなに待たずに来たので助かった。<br>炎天下の下、いつ来るとも知れぬバスを停留所が合っているのかという不安を抱えながら待つのは、中々の苦行で有るからだ。<br>もう一度番号を確認し、空いてる席に座る。料金は後払いの様だ。<br><br>道は混んでいた。広くない、くねってる道に沢山の車と路上駐車である。都市というのはどこも渋滞が宿命の様だ。<br>しばらく乗っていると、なんだかさっき見えたバスターミナルが見えてきた。<br>なんとこのバス、近くをぐるっと一周してきて戻ってきたのである。<br>あれ？なんで!?と困惑しているうちに、バスはターミナルを発車した。<br>すると、さっきと違うところを曲がり、違う道へと進んでいくではないか。<br>良かった、大丈夫そうだ。と一安心。<br>音楽を聴きながら、バスに揺られること40分ほどであったろうか、坂をぐんぐん登り始めた。<br>もうそろそろ着きそうだなぁと窓の外をキョロキョロしていると、車内アナウンスが流れた。<br>「次は終点、首里です。」<br>我が耳を疑うとはこう言うことだろう。<br>私が目指してた海軍司令部は南風原などの南部の方である。糸満市だったか宜野湾市だったか。<br>首里は首里城のある那覇市の北部だ。<br>全く逆方向である。しかも今日は見送りにした首里城の近くである。<br>確かに調べた番号のバスであったし、その情報は那覇市のホームページから手に入れた物だった。<br>戸惑ったが、終点とも言っているし降りる他はない。<br>仕方なく首里で降りると、そこは丘の上であった。停留所からも那覇の市街が眺められた。<br>近くには首里城への案内看板も出ている。<br>時間的にももう海軍司令部へは行けない。ここまで来たら首里城と国際通りに変更だ。<br>こう言う意図しない事が起きても柔軟に対応出来、責任の追及なども無いのが、これも一人旅の良さである。ただ、この時の戸惑いや驚きを一人で処理しないといけないという寂しさも確かにある。<br>早くも私の気持ちは切り替わっていた。首里城観光を楽しむ気満々である。<br>少し歩くと、小ぶりな朱色の門が出迎えてくれた。<br>ここが首里城か！と、感動しながら門の横に生えているハイビスカスに目を奪われていた。<br>小ぶりな朱色の門をくぐり、少し行くと首里城の建物が見えてきた。<br>中心の城であったとは言え、山城のような造りであり、内地の城とは大分趣が違う。<br>同じ日本ではあるが、元は琉球王国。内地とは違う文化なんだなぁと思わせられた。<br><br>ちょっと進んだ所に小屋があり、その横に喫煙所が有ったので、水分を補給しつつ、一服。<br>小屋にいた案内係のおっちゃん、つまり沖縄のオジーが、<br>「内地の人？どこから来たの？」と。<br>そこから話が盛り上がり、いろいろと沖縄の事を教えてもらった。<br>ソーキそばは国際通りの裏道に入ったとこにある店の方が美味しい、国際通りのは美味しくないのに高いとか。<br>沖縄の人は傘ささない、降ってもすぐ止んですぐ乾くからとか。<br>ちょうどいた場所がケツメイシのアルバムのジャケットの撮影場所だとか。<br>気付けば30分近く話し込んでいただろうか、少し日が傾いている。<br>話している間も、観光客が通る度にオジーは<br>「ハイサイ」<br>と挨拶していた。<br>だが、沖縄滞在の間、メンソーレやハイサイはこのオジーが言っていたのしか聞いていない。やっぱりそんなものなのだろうか？看板などにはいたるところに有ったのだが。<br>オジーに別れを告げ、首里城の本丸、と呼んでいいのか分からないが、本丸へ向かった。<br>途中、泡盛で有名な瑞泉と書かれた門を見付けたり、本丸の後ろにクレーンが長く出てたり、各所巡りながら遂に本丸へ。<br>中央の広場から眺めると、なんだか雰囲気は中国風である。<br>拝観料を払い、中に入ってみると、畳に床の間、障子や襖など室内は何とも和風である。しかし、色使いは中国風である。<br>なんだか琉球の歴史を表している様に思えた。<br>中国と日本の貿易の中継地点であり、中国の冊封を受けながら皇帝に献上品を送り、同時に薩摩に対しても献上しながら、属国とされた琉球。<br>そんな琉球王国を表している様に私には写ったのだ。<br><br>首里城を後にしようと、最初に通った門の方へ歩いていく。さっきのオジーはもういなかった。<br>そこで一つ大事な事を忘れていたことに気が付いた。<br>首里城と言えば二千円札にも描かれている守礼門を見ていない。<br>これは危なかった、しかし大体の所は巡ったし、それらしきものは見ていない。<br>はて、何処にあったろう？と近くの地図で確認すると、どうやら私が向かっている先にあるらしい、首里城の入り口に建っている様だ。<br>首里城の入り口…<br>そこで私は気が付いた、最初に見付けた小ぶりな朱色の門が守礼門だったのである。<br>私がハイビスカスに目を奪われていた小ぶりな朱色の門が守礼門だったのである。<br>中学生の時に行った京都の平等院鳳凰堂もそうだが、硬貨やお札に描かれている建物はどうしても大きく、とても立派な物と思ってしまう。<br>鳳凰堂も正直、あれ？っと思ったが、守礼門も正直、あれ？っと思ってしまった。<br>守礼門まで戻ると、確かに門の上部に守礼門と書いてある。<br>何故この門が首里城の代名詞になり得たのであろうか？<br>沖縄テイストの小ぶりな朱色の門である。<br>改めて守礼門を写真に納め、首里城を後にした。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ryosuke-1989/entry-11865972103.html</link>
<pubDate>Fri, 30 May 2014 12:30:31 +0900</pubDate>
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<title>沖縄一人旅～沖縄、初上陸</title>
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<![CDATA[ 横に気兼ねすることなく、窓に張り付き、房総半島、三浦半島、そして遠くに富士山を眺めながら高度を上げる飛行機。<br>気流の乱れによる高度の急な変化に時々ドキッとしながら、いつしか相模湾沖の雲の上へといた。<br>飛行機が安定姿勢に入ると、電車さながらの機内販売が始まった。<br>LCCは飲み物、食事、ブランケットなど全て有料なので、大きなカートをガラガラと曳いてるCAさんから直接買うのである。<br>私は、飛行機に乗ったときから既に旅行気分になっており、成田空港で我慢したので、缶ビールとナッツを赤い制服のCAさんから購入した。<br>既に富士山も見えなくなり、辺りは真っ白な雲と、夏の眩しい太陽だけになっていた。時々雲の隙間から見えるのは海しか無かったので、iPodのイヤホンを耳につけ、音楽を聴きながらビールとナッツで一杯やっていた。<br>音楽はDefTech。既にビーチ気分全開である。<br>もくもくとキノコのような積乱雲を眺めつつ、時たま気流の意地悪にヒヤッとしながらビールを飲み干す頃には、またうとうとしてきていた。<br>そのまま私は眠り、気が付いたときには奄美諸島を越え、那覇空港へ着陸体制に入る少し前だった。<br>ゴミの回収に来たCAさんに、空のビールの缶とナッツの袋を託し、トイレを済ませてベルトを締める。<br>飛行機は徐々に高度を下げ、那覇空港へと着陸していった。<br>ここで残念だったのが、着陸時に起こる頭痛がこの時にも起きてしまったのだ…前に飛行機に乗ったときは、あまりの痛さに冷や汗が止まらず、着陸するまで頭を抱えてうずくまってしまっていた。心配した友人が頭痛薬をくれ、なんとか着陸したときには治まったものの、今回はそんなことがあったのを忘れ、頭痛薬を持っていない。<br>前回ほどの痛さでは無かったものの、冷や汗をかいて、必死に痛みに耐えていた。<br>しかし、その痛みも飛行機を降りるときには治まってくれたので、ホッと一安心であった。この頭痛がしばらく続くようだったら、きっと沖縄のファーストインプレッションは悪く、きっとその後飛行機で旅をする事は無かったかもしれない。<br>それほど私の着陸時の頭痛は酷いのだ。そしてきっと気圧の変化に私の体は弱い。<br><br>那覇空港は、エアアジアでもボーディングブリッジが繋がれていた。<br>機体とブリッジの繋ぎ目から流れ込んでくる沖縄の空気は、暑かった。関東のそれ以上であった。<br>しかし、その暑さがまた沖縄感を感じさせ、遂に念願の沖縄に来た！と一人感動していた。<br>着陸した時は夕暮れであったが、荷物を受け取り、那覇空港を出たときはすでに暗かった。<br>沖縄唯一の鉄道であるモノレール「ゆいレール」に乗り、那覇市街へと向かう。<br>宿の最寄り駅に降り立つと、飛行機の遅延もあって、予定より2時間ほど過ぎていた。<br>しかし、降り立ったはいいが、ガイドブックを買ってないので地図がなく、宿のホームページの地図も大雑把で何処をどう向かえばいいのかわからなかった。<br>とりあえず適当に歩き出してみたが、そんな調子で見付かるわけもなく、携帯の地図アプリでなんとか探し、宿を見つけた。<br>中に入り、名前を伝えると、料金を前払いで支払って、各所の簡単な説明を受ける。<br>リビングでは宿泊者たちがゲームをやっていたり、テレビを見ていたり、酒を飲んでいたりと自由に夜を楽しんでいた。<br><br>荷物を荷物置き場に置き、携帯の充電器などを自分のベッドに持っていき、ボディバッグ１つだけを持って夕飯を探しに外へ出た。<br>ずっと重い荷物を背負っていたので、体が軽くなった気がした。<br>出る前に宿の人にどこか沖縄料理を食べながら泡盛飲めるとこはないか？と聞いたら、大通り沿いにならあるだろうとの事で、大通りを目指して歩く。<br>体は軽くなった気がしたが、長距離の移動の疲れがあるらしく、足は重かった…<br>一台のタクシーが通りすぎ、すぐ止まる。なにやらそのタクシーの運転手が私に向かって何か話しかけているようだ。<br>何だろう？と思い近付いてみると、<br>「兄ちゃん、どこ行くの？」と<br>ご飯を食べれるところを探していると伝えると、<br>「ここら辺じゃあんま無いさ～500円でお店まで連れてってあげるよ」<br>関東の人間からしたら500円でタクシーは安い！実際疲れている状態で歩き回るのが嫌に思ってきた時だったので、そのタクシーにお願いした。<br>後から分かったことだが、沖縄のタクシー初乗りは当時500円だったので、特別お得というわけでもなく、向かった先もワンメーター程だった。<br>「兄ちゃん、内地の人ね？」<br>と言われ、本当に内地と呼ぶんだ！と少し嬉しくなった。ただ、少し沖縄に居れば、いろんなとこで内地の人と聞かれるので、本州、四国、九州の事を内地と呼んでしまう自分になれる。ちなみに北海道の人も本州、四国、九州は内地と呼ぶ。<br>帰りも電話してくれたら迎えに来ると言うことで、電話番号を貰い、私は店の中へと進んだ。<br><br>一人カウンターに通され、まずオリオンビールを頼む。瓶からコップにオリオンビールを注ぎ、飲む。うまい！<br>内地で飲むとなんか物足りない…感じがしていたオリオンビールだが、現地で飲むと美味しく感じるから不思議だ。むしろいつも飲んでいたキリンやアサヒが重く、濃く感じてしまう。気候のせいもあるのだろうか？<br>泡盛もそうだが、料理やお酒というのは、その土地に合った進化をしてきており、その土地の文化である。だからこそ土地のものはその土地で食すのが一番美味しいのであり、当たり前でもある。しかし、ここまで感じ方が変わるのはとても面白く、食に携わる身として興味深かった。やはり、食は文化である。<br>食事はミーバイと呼ばれるハタの唐揚げと、テビチーを頼んだ。<br>料理を待っている間、壁に沖縄の魚一覧が貼ってあったので眺めていた。熱帯魚のようなカラフルな魚が多かったが、ほとんど鯛の仲間であった。そこから察するに沖縄の魚料理は淡白な物が多いのだろう、水温も高いだろうから脂は乗らず、あっさりした魚が多そうだ。<br>実際、沖縄では唐揚げといって丸揚げにした魚料理が多いのはそういう理由だろう。きっと刺身や焼き魚だとパサついたりして美味しくないのかもしれない。また気温も高いので、保存も利かなかっただろうから、少し悪くなっても食べれる唐揚げという文化が広まったのだろうと考えられる。<br>ミーバイの唐揚げも淡白な味であったが、揚げることによってふっくらし、油の旨味もあって大変美味しかった。<br>そして何よりテビチーが凄く美味しかった！テビチー、つまり豚足の煮込みである。<br>予想はあっさりと煮込んだものと思っていたが、角煮のような甘辛い味付けで、プルンプルンのトロトロでかなり旨かった。<br>沖縄で一番美味しかった物と聞かれたらまずテビチーを挙げるだろう。あれ以来、定期的にテビチーが食べたくなってしまうようになった。<br>まだ飲み足りなかったが、まだ到着したばっか、あと5日もある。大人しく帰ることにした。<br><br>さっきのタクシーのおっちゃんに電話すると、遠くにいて少し時間がかかるとのこと。<br>自分が何処にいるかもよく分からなかったので、店の前で待つことに。<br>後から分かったことだが、そこは松山という那覇の繁華街で、いろんな夜のお店があった。<br>私もタクシーを待つ間、ポン引きのおっちゃんに声をかけられた。<br>貧乏旅行をしており、到着したばっかだからお姉ちゃんと遊ぶ余裕は無いよと伝えると、残念そうにしていたが、タクシーが来るまでしばらくそのおっちゃんと世間話をしていた。<br>当時話題になっていたオスプレイだの、東日本大震災はどうだっただの。<br>そんな話をしてるうちにタクシーが来て乗り込む。<br>タクシーの運転手にもお姉ちゃんのお店で遊ばないか？と営業された…<br>初めての一人旅である。タクシーがそういう店と繋がっているのは知らなかった。<br>断ったが、エッチなお店もあるよと食い下がってきた。面倒だったので、まだ沖縄にいるから、また明後日ぐらいに電話するよとその場をかわし、宿の近くで下ろしてもらい、500円を払って宿へと戻った。<br><br>時間も遅くなっていたので、リビングには人がほぼいなく、汗にまみれた体をシャワーで流し、外でタバコを吸いながら話してる人たちに挨拶しながら私も一服し、2時を過ぎた頃にベッドにもぐり就寝。<br>こうして初の一人旅初日は終わった。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ryosuke-1989/entry-11864452070.html</link>
<pubDate>Wed, 28 May 2014 21:53:48 +0900</pubDate>
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<title>沖縄一人旅～出発</title>
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<![CDATA[ さて、航空券も手に入れ、宿、レンタカーの手配も完了し、出発の日になった。<br>今回の宿はゲストハウスと言う風呂、リビング、トイレなどが共用で、ベッドは二段ベッドに簡単な仕切りが付いているような宿泊施設である。<br>洗濯機やキッチンなどがあり、長期滞在も出来るようだ。実際私がお世話になったゲストハウスには半年以上の長期で滞在している人もいた。<br>ゲストハウスにもよるが、一泊1500円前後で泊まることが出来る。ヨーロッパなどによくあるユースホステルの様なものである。<br><br>エアアジアは国内線でも出発空港は成田空港である。午後の出発だったため、昼前には家を出た。<br>8月の終わりとはいえ、まだまだ気温は盛夏の勢いを保っている。そんな真夏日の太陽のなか、成田空港行きのバスに乗る前にすでに汗だくであった。<br>一服を済ませ、バスに乗り込むと、当時悩まされていた不眠のため、バスの涼しさと振動についうとうととしてしまい、気付いたときには成田空港の入り口であった。<br>ゲートに着くと、警察官らしき人達がバスの中へ入ってくる。<br>成田空港では、空港内に入る前にIDチェックがあるのだ。<br>警察官らしき人達は、乗客にパスポートの提示を求めている。<br>警察官らしき人が、私にもパスポートの提示を求めてきた。しかし、私は国内線の為、パスポートを携帯してない。その旨を伝えると、<br>「じゃ免許証か何か」<br>とぶっきらぼうで無愛想である。<br>私は一瞬イラッとしながら免許証を渡した。<br>警察官らしき人は、私の免許証を軽く見ただけで、無愛想に返してくる。<br>果たしてこのチェックは必要あるのだろうか？また、周りは海外に行くのであろう、パスポートを提示しているなか、私だけ免許証と言うのに、何故か引け目を感じていた。そして、海外に行くのであろう周りの人達を羨ましく思っていた。<br>IDチェックが済むと、バスは各ターミナルへ向かって走り出す。 私は第二ターミナルで降りた。<br>やはり外はむせかえるような暑さである。<br>さっきのイラッとしたことや、成田空港までの移動、前日の不眠による疲労のため、すでに旅行先に着いた気分になってしまっていた。<br>成田空港は遠い…<br><br>早速、チェックインを済まそうと、案内板などを確認しながらカウンターを探す。なんとターミナルの端っこに仮設のようなものがあった。<br>一度気付かず、スルーしてしまったほどだ。<br>しかも、成田発那覇行きの飛行機は機材の到着が遅れるため、延発というお知らせがホワイトボードに書いてある。その影響でチェックインの受付開始は30分後からだった。<br>早速LCCの洗礼を受けた形だ。<br>タバコを吸ったり、コーヒーを飲んだりしてなんとか時間を潰してチェックイン開始となった。<br>部屋みたいな所へ入ると、自分で荷物をエックス線に通すのである。LCCは荷物の預けは別途有料であるため、全員がやるわけでは無いので、こういう仕組みにしているのだろう。<br>タグを付けられた荷物をカウンターに渡し、家のパソコンからA4の紙に印刷してきたボーディングパスを渡す。<br>その紙を確認し、荷物のタグの半券を貼られ、返される。チェックイン完了である。<br>搭乗の際も、この自分で印刷してきた紙でチェックを行う。飛行機も身近になったんだなぁとやけに実感した事柄である。<br>LCCは出発一時間前にはカウンタークローズしてしまうため、かなり早く着いていた。<br>この時、出発時刻まで一時間半もあったのである。<br>貧乏旅行であり、沖縄ではいろいろやることを予定していたので、ここでお金を使うことは出来ず、カフェなどにも行かず、ひたすらただ定刻を待っていた。<br><br>定刻まで30分ほどになったところで、セキュリティチェックを受けに動き出した。<br>久しぶりの飛行機である、セキュリティチェックは何もないのにドキドキしてしまう。<br>チェックを済ませ、搭乗口へ向かうと、そこはターミナルビルの端っこの屋外であった。<br>周りは室外機なのだろうか、喧しく動いている。<br>屋根はトタンを打ったような、さながら工事現場の屋外に作った事務所の様であった。<br>無論、外なので暑い。扇風機を回してるとは言え、やっぱり暑い。<br>アナウンスは拡声器であった。<br>エアアジアの元はマレーシアの航空会社である。だからなのか、マレー系の綺麗な女性が日本語と英語でアナウンスをしているのだが、外国語訛りの日本語で、しかも拡声器なので聞き取りにくい。何を言っているのか分からない…<br>時間になってもまだ機内に入れず、置いてきぼりにされたのかと不安になるほどだった。<br>しかし、更に遅延していたようで、定刻に遅れて搭乗のアナウンスが始まった。<br>飛行機に乗り込もうと向かうと、そこにはバスが。バスで飛行機の近くまで向かう。<br>駐機場は凄く広かった…<br>飛行機の近くに降り、タラップで機内へ。<br>実際にこんな間近で飛行機を見るのは初であった。中型機のA320とはいっても、大きな機体にジェットエンジンから出る風と音は、私のテンションを一瞬にして高いところまで持ち上げた。<br><br>機内に入り、座席に着き、ベルトを締め、窓の外を見る。<br>幸いにも私の横には誰も乗客がいなかった。膝や手荷物、トイレなど気を使わずに済むのはとても楽だった。<br>ドアが閉められ、飛行機が動き出す。<br>かなり端っこだったようで、滑走路までかなりの距離を走っていた。<br>久しぶりで、初の一人飛行機である。ワクワクとドキドキ、そして緊張が混じっていた。<br>私は絶叫マシンが大の苦手である。気流が乱れて飛行機が少し落ちるとかなりドキッとするのだ。<br>滑走路へ進入、一旦停止し、離陸のアナウンス。エンジンの出力が上がり轟音となると、機体は一気に加速し、そのまま離陸。<br>あの加速感はたまらなく面白い。落ちるのは嫌いだが、速いのは好きである。<br>離陸時の速度は時速300㎞以上なのだそう。一瞬だけF1ドライバーと同じ速度が体感できるのだ。<br><br>そして機体は一路、沖縄の那覇空港へ向かって飛んでいく。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ryosuke-1989/entry-11863541345.html</link>
<pubDate>Wed, 28 May 2014 05:37:33 +0900</pubDate>
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<title>沖縄一人旅～出発するまで</title>
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<![CDATA[ 沖縄旅行が私の一人旅デビュー、況んや処女航海である。<br>退職したばかりの時は、ぼんやり何処か遠くに行きたいと思っているだけだったが、私の友人が沖縄でのダイビングにはまっており、私を沖縄に誘ってくれた事が、沖縄への一人旅を決行するきっかけになった。<br>友人は一緒にいこうと誘ってくれたが、私は無職であり金もなく、しかもいきなり来週、再来週ということだったので断った。<br>しかし、私の心はその誘いからずっと沖縄に向いていた。私自身沖縄には一度も行ったことがない。周りの友人はほとんど高校の修学旅行で沖縄に行っており、とても良いところだと聞いていて、いつか必ず行きたいと思っていた。私の高校の修学旅行は何故か海外であった。その国は後に再訪することになるのだが…<br>元々海が好きな私は、一度沖縄の透き通った臭くない海を見てみたかったし、戦跡も訪ねてみたかった。<br>私は出来る限り安く沖縄に行ける方法が無いかと調べるうちに、当時話題になった格安航空会社、所謂LCCのエアアジアが国内に就航するとのことで、成田ー那覇間が片道3000円のセールをやるということを知る。<br>往復でも6000円。新幹線で名古屋まで片道で行くよりも安い！<br>これはチャンスとセール開始をパソコンの前で待つ。<br>…始まった！3000円で行ける日程を見つけ、考え、よし！行ける！と搭乗者情報を打ち終えると、なんとそのチケットは売り切れに。<br>くそ、遅かったか…と他の日程を見るとまだ売り切れてない日程がチラホラ。今度こそはと、今と全く同じ作業を終えると、そのチケットも売り切れに…<br>他の日程…あった！同じ作業…売り切れ。<br>何度か繰り返した結果、セールのチケットは手に入らず…恐らくサイトの更新が間に合わなかっただけで、ほとんどがすぐ売り切れてたのかもしれない。<br>しかし、3000円のチケットは手に入らなかったが、通常で片道6000円台のチケットがあった。<br>3000円から考えると損な気持ちもするが、往復約13000円で行けるならと、そのチケットを購入した。<br>その結果、期間は8月のお終いから9月初旬までの五泊六日の旅行に。<br>そのときはまだ旅行まで遠かったが、初めての一人旅に不安と期待が混ざりながら、とにかく情報を収集し、宿、旅行プランを決めていった。
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<link>https://ameblo.jp/ryosuke-1989/entry-11654097204.html</link>
<pubDate>Sun, 27 Oct 2013 04:04:00 +0900</pubDate>
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