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<title>ろんの大学生日記</title>
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<description>明大生ろんの精進日記。</description>
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<title>僕がAIESECで活動している理由</title>
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<![CDATA[ インターンから帰ってきました。インターンのことに関しては後日またちゃんと書きます。<br><br><br>僕がアイセックで活動している理由。<br><br>よく個人と委員会と組織で分けて考えているけど、理由は至極簡単。<br><br><br>社会にインパクトを与えたいから。<br>その活動の場としてこの場所を選んでいるにすぎない。　<br>そんな感じ。<br><br>社会にインパクトを与えるっていうのは、<br>”できる限り多くの人が幸せになるような影響を与える”ということ<br><br>僕はこの組織の理念と共感したから入った<br>僕の理念は、子供たちの可能性を最大化させること<br><br><br>子供たちにフォーカスをしている理由は、僕自身が可能性を最大化させることが難しいと思うような幼少期を過ごしてきたから。<br>そしてなにより、そこからここまで変わることができたから。<br><br><br>僕は小学生のころから母子家庭で育ち、<br>両親がそろっているころからも、親の顔色や姉の顔色を窺って、我慢してきた。<br>なんとなく始めたサッカーも、いつも親は月謝が高いことでけんかしてる。<br>合宿のお知らせがきて、いつも親はけんかしてる。<br>けんかしてる声で起きて、びくびくしながらその様子をのぞきにいって、と思えば姉がその様子を見ていた。二人で息を殺しながらじっと、タバコを吹かしたその喉で金切り声をあげている母親を見ていた。<br><br><br>だから僕は小学生のころ、合宿には３回しか参加したことがない。<br>僕が宿泊行事があまり好きでないのはきっとこのトラウマがあるからだと思う。<br><br><br>中学生になって、クラブチームでサッカーをすることはできなかった。<br>弱小の部活動でサッカーをするしかなかった。<br><br>周りが塾にいっている中、僕はそのようなところにいくことなんてできなかったというか、<br>そもそも自分の家庭環境のことはほとんど理解していたから、そんなところに行きたいだなんて思うこともなかった。<br><br>中学のころから自分は大学には行かず、美容師かなにかになると思って生きていた。<br><br>だから周りが高校受験だとかで私立を受験していても、<br>法政と早稲田がどのように違うのかなんてわからなかったし、中央や明治、立教の存在なんて知る由もなかった。<br><br>僕はなるべく勉強しないで入れる高校の中で一番マシなところに進学をしようとした。<br>中学の先生には、自分の実力にあった高校をきちんと選べていると褒められた。<br>なにを言っているんだ。俺が本気を出したらO高校に入ることなんて簡単だ。<br>本気で思っていたし、今の自分を振り返って、きっとできたと割と本気で思う。<br><br>でもそれをしなかった。理由は簡単だった。<br>あきらめていたから。<br>良い高校にいこうが大学に行けるわけもなく、<br>自分の人生はこんなもん、そのハードルが見えていたし、そこを越えるつもりもなかった。<br>だけど中学の卒アルにはこのように書いてある。<br>有名人になってなかったら、怒るよ？って<br><br><br><br>高校時代もそんなもん。<br>自分のやりたいことなんてうまくいく人生なんかじゃなかった。<br>だって自分の人生は、未成年である以上親が規定しているんだもん。<br>親の束縛を越えたことなんてできない。<br>グレることはなかった。かっこわるいと思っていたし、なにより、グレたところで自分の人生がどうにかなるわけじゃなかった。<br>それよりも真面目にバイトして収入があるほうがよっぽどマシだった。<br><br><br>でもそんな生活をいつまでもしていていいって、あきらめの悪い僕はとてもじゃないけど思えなかった。<br><br>大学受験を決心した時のことは今でも明確に覚えてる。今でもそのときの情景が鮮やかに残っている。<br>そのときの自分はまさか自分の人生がそこで変わったなんて思いもよらなかったと思う。<br>でもそれほど僕の中では強烈な決断だった。<br><br>「自分のような才気ある人間が活躍できていないのは社会、母親らの環境が悪いせいだ」<br>自分のような能力があってそれなのに半ば途中で諦めている人間がこの世の中にどれだけいることか。この世界にどれだけいることか。この世の中を変革するという大義名分を持って生まれた人間がどれだけいることか。その可能性がどれだけつぶされていることか。<br>そんなことを真剣に考えた。<br><br>もし自分がこのまま大人になって、今ここで考えたことを話した時、周りの人たちは僕の声を聞いてくれるだろうか。　いや、きっときくわけがない。<br>じゃあ聞く立場まであがってやる。今まで自分が社会のルールに則って生きてこなかったけど、<br>今回だけは聞いてやる。乗ってやる。<br><br>自分の現状から最も効果的に結果を出すことができるだろう早稲田を第一志望にした。<br><br><br><br>浪人は二年した。その中で僕の人生は180度変わっていった。<br>自分は今まで自分の人生に諦めてきた。何をやっても無駄だと思ってやってこなかった。<br>自分の人生は自分の手で変えることなんてできないと思っていた。<br>でも今はこうして、明確なビジョンをもって、そのビジョンを成し遂げるために大学受験をしている。<br>だれにだって越えられないハードルなんて存在しない。<br>やれば誰だって、なんでもできる。自分はそれを証明できる。<br>少なくとも自分と同じような思いをしている子供たちのことは、救いたい。<br><br><br><br>これが僕の<br>子供たちの可能性を最大化させる。ということ。<br><br>僕の人生はこれで２回目。<br>１回目の人生は19の秋まで。<br>２回目の人生は19の秋から。<br><br>僕が人のために生きるようになった日。<br>これが僕の生きる理由。<br>これが僕のしなない理由。やり残していること。<br><br>満足したなら死ねばいい。<br>感謝をしているなら恩を返さなきゃいけない。<br>その恩を返す人は別にその人本人じゃなくていい。<br>誰かから受けた恩を返す。そうやってみんなが生きていくことができたらみんなが幸せになれるって思った。<br>それに自分が気づいたなら、誰かが始めないといけない。たとえそれが僕一人からでも。<br><br><br>アイセックはつまり僕の人生そのものだった。<br><br><br>自分の能力を最大化させるために活動するのも、<br>自己成長をなによりもまず優先しているのも、<br>自分自身が他者の成長機会を最大化させることができないと影響力なんて持てないと思うから。<br>他者成長機会を最大化させるための自己成長。<br>僕は大学に入ってからこれ以外の成長はしていない。<br>そして僕の身につけている力、スキル、人格のすべては、<br>僕のビジョンを達成するために必要なことだからやっていること。<br><br>僕はできる限り僕の周りにいる人たちが自分の可能性を最大化させられるようにできたら良いと思う。<br>それができていなかったら落ち込むし、悔しいし、怒りもする。<br>自分勝手な生き方をしている人には腹が立つ。自分の欲求を満たすためだけに生きている人たちが何かをいってきて腹が立つ。<br><br><br><br><br>アイセックって、俺らがブランドじゃないと。<br>決してその組織の委員長だけがこの世の中に対して問題意識を投げかけていればいいものじゃない。<br>決してその組織の運営陣だけが社会にどれだけインパクトを与えればいいかを考えればいいわけじゃない。<br>そこに所属している人間すべてが、自分の天職を見いだして、自分の可能性を最大化させることによってこの世の中にプラスの影響力を及ぼせるように活動していて欲しい。<br><br>自分が社会にどんな影響を及ぼしたいか<br>自分が社会にでてどのような影響を及ぼすことができるか<br>社会にでて必要とされる人材になれるか<br>社会にでて問題解決をしていくことができるか<br>社会から必要とされる人間になれているか。<br>常に自問自答しながら活動していれば、今目の前にある機会や活動はがらりと色を変えて成長へといざなってくれる。その活動の意義を各々が感じ取って、語れて、人々を魅了していくことができる。<br>そうなったら間違いなく、人々はアイセックに影響されていく。<br>その数が増えれば増えるほど、アイセックの及ぼす変革は世界を変えていく。<br><br>その為に、今なにができるか。<br><br><br>僕はそういう風になっていたい。<br>僕はそういう風な人生でありたい。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ryu3888/entry-11931037484.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Sep 2014 16:07:28 +0900</pubDate>
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<title>インターンで学んでいること</title>
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<![CDATA[ 僕たちがインターンとってまず最初に思い浮かべなければならないのは、<br>海外インターンのことだろうと思う。<br><br><br>インターンに参加する目的がその人にとってなんであれ、<br>機会というのは、経験として自身に沈殿していくような外的要因のように思う。<br><br><br>いろんな人がいてその中の一人として自分が感じてたり、学んだりしたものを備忘録としてここに記載していこうと思う。<br><br>僕がみんなに伝えたいことと学んだことは二アリーなので、少し分けて書くくらいにとどめる。<br><br><br>僕がみんなに伝えたいこと<br>①経験から何を学び取れるかはその人の裁量による<br>②経験から何を学び取れるかはその人に対してサポーターがいるかどうかによる<br>③経験から何を学び取れるかはそのサポーターに対してどこまで当人が信頼関係を築けているかによる<br><br><br>なぜ同じ経験をしている人たちの中でこうも差がつくのか。<br>なぜバックグラウンドの違う中でそれぞれの特性がフラットな状態になるのか。<br>フラットになった状態でより効果の高い成長機会を獲得している人としていない人でなにが違うのか<br><br><br><br>僕は基本的にマインドからはいる人間なので、ここを明らかにしていくのがとても大事だと思う。<br><br><br>具体例として挙げるのが対自分対インターン生<br>ということにする。<br><br><br>共通点は、同じ機会に参加しているということ<br>高い評価をもらうためにがんばりたいと思っていること。<br><br>ここまではそうだと思う。<br>僕と他の人たちで圧倒的に違うなって思う点は、<br>その機会からどれだけ成長することができるかを常に考えて行動していること。<br>その機会をどれだけ最大化させ、自身を成長することができるかを常に考えていること。<br>高い評価、目標にどれだけ具体性をもった定性的目標を掲げ、それらに対してPDCAをまわせているか。<br><br><br>なんか自分の話で恐縮なんだけど、こういうのは毎日の生活の中で自分がイベントだと認識したものすべてに行うようにしているし、それをみんなもやればいいと思ってる。<br>もちろん、毎日目標をたててそれに対して取り組んでいくことができればそれに越したことはないと思うけど、そこらへんは自分の甘さとまだまだ戦っていかなきゃいけないところだなーとは思う。<br><br><br><br>これをインターンじゃなくて海外インターンに置き換えて考えてみてもそうで、<br>その機会の中にどれだけの外的要因があって、それに対して自分がどれだけのチャレンジをしたか、<br>そのチャレンジに取り組む際に目標をかなり明確に具体的に立てて、どれだけ考えて行動できたか。<br>この辺はめちゃくちゃ大事。<br><br><br>最近例に出してあげているのは、大学受験の話<br><br>目標設定っていうと、なんとなくこんな感じってみんな決めがちだと思うんだけど、<br>目標と目的をはき違えている人が多すぎるんだよね。<br><br>目標っていうのは、いつまでに何をすればいいのかが明確になっている状態を指す。<br>目的は、目標が達成されたときに自分が何を結果として得ることができているのかの状態を表しているわけだ。<br><br><br>だいたいみんな目標を設定しようっていうと、<br>「早稲田大学に合格します！」<br>みたいな目標設定の仕方するんだよね。<br><br>うん、で？具体的に今日からなにするの？<br>「うーん、とりあえず物理の問題解きます！」<br><br>これがみんなが陥ってるやつ。<br><br>こうやってみると如何にあほなこといってるかわかるよね。<br><br><br>例えば目標設定で、<br>「３日後までに自分のキャリアを明確にします！」<br><br>って言うのを掲げた時に、<br>ふーん、で？今日からなにするの？<br><br>「とりあえずヒアリングしまくります！」<br>っていって３日後にまた聞くと、<br>「達成できなかったです！」っていう。<br>なんで達成できなかったと思う？<br>ってきくと、<br>「ヒアリングがあまかったです！」っていう。<br><br>なんで早稲田合格できなかったの？って聞いて<br>「物理の問題解く数が少なかったです！」って言ってるのと同じだからね。<br><br>目標っていうのは、いつまでに何をするかをできる限り明確に、定量的に表すことのできる状態にして初めて効果を発揮するわけだよね。<br><br>例えば早稲田に合格する、だったらまずしなきゃいけないのは<br>早稲田に合格するためにはどのような方法があるかどうかを調べること。<br>だよね。<br>それでわかるのが、指定校推薦だったり、AO推薦だったり、一般入試だったりするわけだ。<br>この中から一番自分として成果が期待できるものを選択していくわけで、<br>成績が終わってたりなにか突出したものがない場合は、一般を選択していくことになるわけだ。<br>ここで次にやるのが、具体的に一般入試でどうやったら合格になるのか<br>考えていくと、どうやら一般でうかるのはセンターと一般がありそうだ。<br>どうやら３教科で受けることができそうだ。<br>３教科のうち、英語と国語は必須っぽいぞ<br>後は社会科選択を１つえらんで受験すればよさそうだ。<br><br>自分は日本史の知識と興味が他の教科より高そうだ。<br>だとか、<br>政経選択なら合格点とりやすそうだ<br>とかそういう自分と大学の分析とかをしながら、受験項目をしぼっていって、<br>じゃあ実際に何点くらいとれば合格できるのか、を調べて、<br>今自分は何点くらいとれているのか、<br>なぜ点数がとれていないのか、<br>なぜ英語が苦手なのか、どこができていないのか<br>文法ができていないようだ、単語力が少なそうだ。<br>ここまで解って初めて、<br>目標設定ができるわけなのよ。<br>ここで初めて、<br>１ヶ月後までに単語を2000語覚える！<br>とか<br>１花月後までに文法１章暗記する！<br>とかね。<br><br>これに対するインディケーターとして、<br>テストを設けていくみたいな感じだよね。<br><br>僕がよく使っているのは、<br>「その目標を達成するために今日からできることはなに？」<br>っていう質問をするわけだけど、これをキチンと行うことができているかどうかを見ているわけ。<br><br><br>逆に、目の前に成長機会や外的機会が会った中で、<br>その中で行うこと、取り組み、機会の粒感を自分のto doに落とし込んだとき、<br>それらが自分の目的の達成プロセスにどれだけ影響力があるのか、<br>影響させるまでにどれだけそれぞれに取り組むことができ、効果が期待できるのか<br><br>を考えていけば、基本的に前者と同様の価値にすることができるよね。<br><br><br><br>①経験から何を学び取れるかはその人の裁量による<br>②経験から何を学び取れるかはその人に対してサポーターがいるかどうかによる<br>③経験から何を学び取れるかはそのサポーターに対してどこまで当人が信頼関係を築けているかによる<br><br>その機会からどれだけ成長することができるかを常に考えて行動していること。<br>その機会をどれだけ最大化させ、自身を成長することができるかを常に考えていること。<br>高い評価、目標にどれだけ具体性をもった定性的目標を掲げ、それらに対してPDCAをまわせているか。<br><br><br>そこで大事なのが冒頭で記載したこれらをどれだけ真剣にやっているか、だよね。<br>もし仮に自分で行うことができなくても、サポーターがきちんとついていて、サポーターに対して向き合っていれば、それなりの効果を見込むことができると思う。<br><br><br>自分なりに考えて動いているつもり、もこれだめな言葉だから気をつけてほしくて、<br>確かに自分が成長できるかどうかはその人の裁量によるんだけど、<br>成長できなかったらそれはその人のせいではあるから、他の人が何か言うようなことはないんだけど、<br>少なくとも、自分なりにガンバッテイルつもりになっているやつは、向上の余地がない。<br><br>こういうこと言うやつはたいてい、なぜ自分なりにガンバッテイルつもりなのに成長が見込めないのか、を思考していない。<br><br><br><br><br><br>最終的に何がいいたいかっていうのはね<br><br>どんなに恵まれた機会にいようが、その機会から学びとるものを最小化してしまう可能性もあるし、<br>どんなに恵まれていない環境にいようが、そこから学びを最大化させて成長できる可能性もあるってこと。<br><br>これができるかどうかは、その人の素質によるけど、<br>その素質は今僕がいったことを結構鵜呑みにして意識しながら活動すれば、誰にでも備わる力だっていうこと<br><br><br>一番大事なのは、その機会それぞれを獲得しようって思っている理由をできる限り詳細まで考えることと、そこに対して全力で取り組むことだよね。<br><br>全力も最近マジックワードになってきてこまる。<br>自分なりに全力を出して成長できないのであれば、自分なりの全力をうたがえ。<br><br><br>自分なりの全力で満足してるから成長しないことに気付け。<br><br><br>なんかインターン中に学んだことってより、インターン中に考えていたこと。<br>になっちゃったけど、まあいいか。<br>また機会があれば書いていきます。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ryu3888/entry-11924950507.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Sep 2014 21:48:39 +0900</pubDate>
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<title>頭にきてもアホとは戦うな</title>
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<![CDATA[ これが僕の今回のインターンにおけるチャレンジであり、屈辱でした。<br><br><br><br>僕の参加しているインターンでは、朝礼のあとに10分間ほどグループディスカッションを行うのですが、その際に言われた一言<br>「まじ議論の質悪いわ。」<br>「僕たちのグループが一番議論の質が悪いので昼休みにでも話し合いませんか？」<br><br><br>これは誰に向けられていたか、間違いなくファシの僕に対してですね。<br><br><br>彼の言い分もださないと僕の個人的な解釈になってしまうため、想定で書くのですが、<br><br>物事を考えていくためには前提として定義付けをする必要があり、それはMECEなどのフレームを使って行っていく必要がある。<br><br>だからまず話し合わなければならないのは前提の共有なんだと。<br><br>確かにね・・・<br>それっぽく聞こえるのは僕の解釈が混ざっているからです。<br>具体的な状態を例にだして話すと、<br><br><br>今後の○○の果たすべき役割について考えよ。<br>誰にどのような価値であるかを意識して考えなさい。<br><br><br>このお題に対して、ファシの僕は大体10分間でこんか感じのストーリーできたなって思ったので、<br>まず意見の発散をしてもらうために、いつも大体待ってるんですよ。意見言うの。<br>で、ちょっと出たくらいに、その意見をもとに、<br>「今の意見には誰っていうところを明確にする話があったと思うんですけど、この誰の範囲をきめていきたいですよね」<br><br>って感じで進めていく訳です。<br><br>そこで理解者さんが「誰の想定は様々なパターンがおこり得るため、今は○○の目的を考えましょう。私は・・・」<br>みたいな感じでおっしゃるわけですね。<br><br>僕は今回において<br>「○○の果たすべき役割は理解者さんがいっていたことで問題ないと思います。<br>これを想定してやっていきましょう」<br><br>って感じでやっているわけなんですよ。<br><br>じゃあ○○の定義は決まった。その次にやっていかなきゃいけないのは、<br><br>誰に、どのような価値を、○○は担うべきなのか。<br><br><br><br>ですね。<br><br>ここでクラッシャーの登場ですが、<br>誰にをMECEで考えてそれぞれに注力するかどうかを決定するためのメリットデメリットの洗い出しをしましょう。<br><br>っていいだすわけですね。<br>！？！？！？！<br><br>ですよ。<br>いや、10分でそれやるの？笑<br><br>ここでクラッシャー２が登場し、バトルじゃないんだけど、<br>そのそれぞれの想定の具体的なところが～<br>この人が具体性が云々しか言いません。<br><br><br>さすがにこれじゃおわんねーよって感じになるので僕はこういうときだいたい理解者さんの顔を見るんですね。<br>そうすると大体目があっているので、司会進行します。<br><br>「今回の議論で出したいアウトプットは○○が果たすべき役割を果たした時にどのような価値がもたらされるか、ですよね？　そこを話していきたいです。」<br><br><br>価値を考える前に誰に、をMECEで出したいクラッシャーと<br>価値を考える前に具体的な例示がないと納得しないというクラッシャー２がいます。<br><br>具体性をもたらそうと<br>「例えば価値を考えていった時に、果たすべき役割とかが変わる可能性だってあるわけです。」<br><br>具体厨が<br>「抽象度が高いから具体的に説明して」<br>っていってくる。<br>げ、失敗したw<br>しかたない<br>「例えばgoogleエンジンとかありますよね？　あれって本来の価値って何だったんでしょう？<br>検索エンジンが発明されて、現在ではSEOとしての事業も存在する。そうなったときに検索エンジンの果たすべき役割が変わってきている。与えたい価値も変わる。とも見れる訳です。」<br><br><br>具体厨は負けません「そんなこといったらボールペンだってそうじゃないですか笑」<br>おれ「そうですよ！本質は変わりません。」<br><br><br><br>ここで終了<br>ここで「議論の質が悪い」<br>っていわれるわけですね」<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><strong><br>やるせねーよ<font size="7"></font></strong><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>たまらん。僕は理解者に逃げ込み、その旨を伝え、<br>議論の方向性と最終的なゴールを共有しましょうという話をしてもらうことをおねがいしました。<br><br><br>理解者さんは<br>「深掘りしてもなんもでてこない相手に深掘りするのが悪い」<br>というFBをくれました笑<br>個人的にはその意見の根拠をもとめてるだけだったのにこれしたらだめなんだwwww<br><br><br>でも納得のいく話なので、GDはがんばってそこも意識しようと。<br><br>コンサルだったら打ち負かしたらか勝ちかもしれんけどね笑<br>っていってた笑<br><br><br><br><br><br>で、まぁだいたい共通見解をとってもらうところをやってもらうんですよ。<br>なんでこの人の時はこんな素直にうんうんいってんだよ。<br>到達点を決めようという話に納得を言っているはずなのに<br>相変わらずそれをするためにはまず前提MECE～<br>もうね、なにいってるかわからんですよ。<br><br>10分間でやらなきゃいけないのはアウトプットをだすこと。<br>前提MECEをやってたら終わらないから、今日はそこは仮置きして、妥協点をみつけて、その中で議論をしていきましょう。っていう理解者さん。<br><br>これをいってんのに！これをいってんのに！<br>そのためにはまず前提として想定の洗い出しとメリットデメリットの洗いだしが～！<br><br><br>もう黙れ。もう黙ってくれ。<br><br>あげくクラッシャー２は<br>「議論の到達点決める必要なくね？」<br><br>っていってくる。<br>別に統一の見解なんかつくらなくてよくねっていってくる。<br>人の意見を聞いてなるほどっていっていればいいらしい。<br><br><br>これが僕のいっていたきしょい東大院生です。<br><br><br><br>本当に耐えたと思う。<br>「議論を円滑に進めるために到達点をきめましょう。その到達点として妥当なのが解説なのではないですか？　ビジネスの一般論としての模範解答に到達するために議論を進めていくのが最も妥協点のとれる到達点だと思います」<br><br>っていったらなんかいきなりクラッシャーが切れだした。<br><br>「お前なんなん。<br>いまお前話さえぎったろ。今おまえ俺がなんていおうとしたかわかってるの？」<br><br><br>おれ「前提を話しあわないと目的をきめることができない、とかですか？」<br><br><br>「はいほら違うじゃん。もうね、お前１個下なんだっけ？　え、タメなの？<br>別にGDでいくらできなくてもね、C評価になるだけだからね、べつにおれはいいけど<br>まじうざいわ。」<br><br><br><br><br><br>おれ「なんの話をしてるんですか？」<br><br>「今はもう課題に取り組む時間だから今ここで話してこないでくれない？　ほんと相手にすんの大変だわ。」<br><br><br><br><br><br>おれは切実な対応した。これだけは自信ある。<br>本当に信じてほしい。<br>それでもこういわれるわけだ。<br>クラッシャー２「名前、なんだっけ？　俺くんだっけ？　<br>俺くんは本当もっと人の話聞く姿勢もったほうがいいよ本当に」<br><br><br>理解者さんがいなくなった途端これだからね。<br>もうなんかおれに恨みでもあるんじゃねーかって勢いだよね。<br><br>とにかくクラッシャーは自分の言ってることがなんだか多分理解できない人なんだと思う<br><br>一番最初と途中と最後で言ってることが180度変わってんだもん。もう無理だよこれ。つらくて死にそうだよ。<br><br><br>＠やってるとGDの力つくけど、周りが最終的な到着点を擦り合わせしようっていう意識がひくすぎてなんもできない。<br>みんな自分の意見が正しいと思ってて、自分の意見を通すために議論してんだもん。<br>こんなんじゃアウトプットだそうと論点戻しても、<br>その論点を戻すための発言がその人たちの意見を否定（つまり聞いていない）<br>ことになるわけだからタチわりーよ。<br><br>そーゆー相手には<br>反唱してそれもふまえてやっていきましょうみたいに相手の意見を通したっぽく気持ちよくさせてあげないといけないよねって言われたけどさ。<br>まぁ確かにその通りなんだけど、<br>いくら他責的な考え方をしないでできることをやろうとしても、相手が悪すぎる。<br><br><br><br>一応「僕たちの班がうまくいかなくて困ってるんですけど・・・」<br>って人事に相談したら、<br>「あーあの右隣の子でしょ？わかるよ」<br><br>社員さんも手を焼かせているらしい。<br><br><br>こんなんでモチベやられるのはさすがに悔しすぎるので<br><br>頭にきてもアホとは戦うな。<br><br>自分の正しさは<br>僕のアウトプットで証明してみせる。<br><br>絶対に。<br><br><br><br>あいつらの中には<br>２年のくせに<br>明治のくせに<br><br>自分のほうが優秀だって<br>おもってんだろうけどね<br><br><br>１位とって証明します。<br><br><br>あたまに来ても、アホとは戦いません。<br>今までの自分は戦いまくってたから<br>今回は自分の目標達成のためにがんばって克服しようと思います。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ryu3888/entry-11922550183.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Sep 2014 21:38:31 +0900</pubDate>
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<title>EUREKAなみんなへ</title>
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<![CDATA[ EUREKAのみんなへ<br><br>ごめんなさい。今回は自分の考えをみんなに読んでもらいたい思いが強いため、そっちメインで書いていきます。<br><br>嫌われる勇気、おすすめしていますが、マジでみんなに買ってほしいですね。こんなにずっと言い続けることないですね。わろた。<br>自分の中の哲学となっているものが完成版として本になりました！！って感じですね。<br>僕のあの長い長い自己紹介を読んだ人は、大体イメージができると思います。<br><br>～ちょい引用～<br><br>きみはなんのために勉強をしてきたのですか？<br>そしてなぜ今勉強をしているのですか？<br><br>否、<br>きみたちは誰によってその制約を課されているのですか？<br>今のきみたちは誰によって生かされているのですか？<br><br><br>この世の中で自由であることはすなわち社会不適合であることを意味するらしいです。<br>それすらもくだらないと思う信念があれば<br>どうてことはないです。<br><br>僕たちの選択しているものは<br>外的なコントロールを受けた、いわば制約の中での選択でしかない。<br>僕が僕の意志で生き続けるためには、<br>それらを自覚し、限りなくその要因を拒む必要があります。<br><br>普通で終わりたくないきみに。<br>人からの信頼とか<br>人からの承認とか<br>人からの賞賛とか<br><br>自分に嘘ついて生きるのを少しだけやめることができたら<br>究極の幸福追求の権利が用意されています。<br><br>【意義】<br><br>僕は僕であり続けるために戦う必要がある。<br>それは僕の生き方であり、僕の変わらないエゴだと思う。<br><br><br>この世界は一部の人間によって均質化がはかられ、一部の人間が得をするために人々が生きている。<br>少なくとも僕からはそう見える。<br><br><br>この世界に順応することを強要されたら、屈してはいけない。<br>その指示に従えば、君の人生はそこで労働者として一生を遂げることを意味してしまう。<br><br><br>人に順応してはいけない<br>自分の限界を決める要因をこれ以上他者に作ってはいけない。<br><br>幸せを最後まで追求しなければいけない。<br>少しでも自分が妥協していて、正当化しているのではないかと疑ったら<br>究極的に幸福追求を目指す権利を与えられる。<br>そうすれば、自己実現の領域は訪れる。<br><br><br><br>【価値観】<br><br><br>価値観は生き方を形容する<br>生きるということは僕の世界において何を意味するのか<br><br>この世界はどこまでも広く<br>この世界はどこまでも目の前にしか存在しない<br><br>僕が生きるのは<br>僕が満足をするため<br>だから<br>僕が生きると<br>世界は幸せになるようにできている<br><br><br><br>この考え方を是非身につけてみてください。<br>そのためには嫌われる勇気を読むのが一番はやいです。<br><br><br>なに、そう難しいことではないです。<br>僕がここまで成長したのは浪人から今にかけてですね。<br>３年もかかってないです。<br>これからも成長していきます。限界なんてないからね。<br><br><br><br>人の評価を気にした生き方は窮屈です。<br>これをしたら誰かからなんか言われるかもしれない・・・だからやらない<br>私に対してどう思っているかな、嫌われないためには・・・<br>もうね、そういうのはもうね、考えなくていいんです。<br>誰かが自分に対してどう思うかなんて、どうでもいいんですよ実は。<br><br>自分の顔を気にしているのは自分だけ。<br>人間のすべての悩みは対人関係である。<br><br>この本の中で、僕の生き方は肯定されており、この生き方こそが最も幸福になれる方法であるとも確信しています。<br>僕の生き方に対して周りがどう思うかは僕の問題ではないし、君たちも君たちが取り扱う問題ではないことなのかもしれないですね。<br><br>まぁそんな感じ。<br><br><br>ワークスのインターンに参加していて感じていること<br><br>自分が成長できるかどうかは自分自身によってしか決定されない。<br>このことをきちんと理解していますか？<br><br><br>明日からリプラン合宿が始まります。<br>どこかで、私たちに対して誰かが何かを与えてくれる場だと思っていませんか？<br>そう思っていたら多分ほとんど成長できないです。<br>リプランに対してもそうだけど、リプラン中に自分が成し遂げる成長や目標を設定し、その達成のために取り組む姿勢を持っていれば、たとえ達成しなくても、主体的に活動したからこそ”失敗を学ぶことができます”<br>失敗を学ぶ経験をしたことがありますか？<br>僕は失敗をしたことはありません。なぜか？<br>なぜでしょう。かんがえてみてください<br>挫折の数なら誰よりも多いかもしれないです。なぜか？<br>挫折の数だけ挑戦してきたからです。　僕は今までで成功したなって思ったことがあまりないです。なぜか？　常に困難を選択しているからです。そして常により高い目標を設定しているからです。<br>時には達成することもあるかもしれませんが、達成してしまったことがある種、失敗になります。目標設定をミスってしまったことを指す、かもしれません。<br><br><br>多分君たちの設定する目標は、ライセンスをとる！とかそんなチープな目標になることでしょう。それはキミが求めているものを明確にしていないからです。<br>ライセンスをとる！という目標に対して、なぜそれが必要なのかを考えていないことも問題ですね。<br>それに加え、まだまだ人の評価を気にして目標設定をしているからですね。<br><br>自分のなりたい像をはやく決定してみてください。そのなりたい像に対して、自分の足りていないと思う点を考えてください。<br>その足りない点を補う為に、今回のリプランをどのように過ごすかをアクションベースで考えてください。<br>そして主体的にその達成のために行動してください。<br>いやまじで。だまされたと思ってやってみ。多分きみの人生が大きく変化することを保証する。<br>僕は嘘つきですが、基本的にピュアです。本質において嘘をついたことはないですね。<br><br>さて、ここらへんできみたちは、自分のなりたい像がわからない！ということでしょう。<br>僕からすると、は？ナニイッテンノ？まじきもい。<br>ですが、あえてここはやさしく諭します。<br><br>アドラーの目的論によると、その考え方は、<br>「今の自分から変わりたくないから、自分のなりたい像がわからないからきめることができない、という言い訳を作っている」<br>ということになります。<br><br>今これを読んでるお前、本気で変わりたいと思ってる？<br>ほんとの本気？じゃあなんでそのためのアクションとってないの？きっしょ<br><br><br>ぼくからすると、みんな今の自分から変わりたくないと思ってるんですよ。<br>本気で変わりたいと思ってたら、自分に足りない要素なんて即時その場でめちゃくちゃ出せる。<br><br>「今本気になれないやつはその後の人生において本気になることはない」<br>インターン中に学んだ言葉です。僕は本気だして生きてます。<br><br><br><br>他責的な言い訳をしないでください。<br>キミを変えられるのはきみしかいないし、<br>キミが変わらないのはきみのせいでしかないです。<br><br>僕ができることは、キミが変わりたいと本気で思ってもらうところまでです。<br><br>ここから先はキミが自分で選択してください。<br><br>あなたは本当に変わりたいですか？<br><br>本当に変わる為に、この合宿にどのように取り組みますか？<br><br><br>僕はこのインターンで３段階成長する予定です。<br>みなさんの成長もまた、楽しみにしています。
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<link>https://ameblo.jp/ryu3888/entry-11919041412.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Sep 2014 20:50:21 +0900</pubDate>
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<title>本の魅力</title>
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<![CDATA[ <br>人にプレゼントをわたす時、本を選ぶことが増えて来た分、自分もまた本をもらうこともふえてきたんだけど、掃除をしている折につい目に止まった本が、今の自分を呼んでいるような気がしたから、手を止めてしまった。<br><br><br>そこの本から学べることは確かに定量的に説明できるものでないもの。<br>でも自分は、定量的にできるもののすべてが正しいとは思えないし、定性的な、目に見えないものに価値があっていいのではないかって思っている人間だからこそ、今回この本で学んだことを自分の経験や考えに沿って文章化する作業をすることにした。<br><br><br><br><br><br>この本から考えるきっかけになったのは<br>対今の自分<br>対他者<br>対未来の自分<br><br><br>みたいな感じがあって<br><br>その中でも特に、自分がどうあるべきかみたいなところについてが今の自分には良いメッセージ担っていると思う。<br><br><br>最近の自分といえば、今の自分は<br>①何がやりたくて<br>②何が得意で<br>③何が人のためになるか<br><br>を考えていく中で圧倒的に②がかけているような気がしていた。<br>もちろんその中で自分が見いだしているものがある。それがこの本に書かれている<br>『スーパーゼネラリスト』<br>って言葉だと思う。<br><br><br><br>スーパーゼネラリスト、確かに自分の目指すべき方向性についてはばっちグーな気がする。<br><br>でもなんだかこれだけでは足りないと考えるようになった。<br>今の自分に足りていないもの。それが、<br>スーパー人格者<br>になることだと思った。<br>もしかしたらその領域を常に羨望していたのかもしれない。<br>でも今回のインターンを通して、まだまだ自分は全然人格形成を図れていないことに気づかされてしまったから、もっともっとこの領域を深めなくては行けないと思う。<br><br>それは社長になった人間でさえもそうだと思う。如何に自分が能力で認められていても、<br>器の小さい人のことを全面的に尊敬することはできない。少なくとも自分はそういう人間だと思うし、そういう人が大半だと思う。<br>自分が人に対して本気のFBをしている、そういう発言は、確かに一理あると思う。<br>でもその一部分に、自分の能力を誇示したいという反応を示してはいけない。<br>これではせっかくの能力が台無しになる。<br><br>こういう小さなところこそが、人を動かす大原動力になることを知っているからこそ、<br>自分はその境地に達しなければならない。<br>今の自分は実年齢も精神年齢も若すぎる。しかし、だからこそ<br>より早い段階でその境地に達することができる。<br><br><br>本当のリーダーになるために必要なことはスーパーゼネラリストになること。<br>これだけでは実は足りない。<br>スーパーゼネラリストがスーパー人格者になって初めて、<br>スーパーリーダーになると確信する。<br><br><br><br>自分が身につけなければならないもの。<br>さらに身につけたいもの<br>そして身につけられるもの<br><br>それぞれが相互に混ざり合って、自分はバケモノ達を凌駕できる。<br>
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<link>https://ameblo.jp/ryu3888/entry-11909925447.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Aug 2014 20:49:11 +0900</pubDate>
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<title>２日間のインターンを通して学んだこと</title>
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<![CDATA[ <br><br>自分の人生において転換期ってどんなタイミングでくるのかなーって振り返ってみて、明確にあのときだなっていえるような、その当時におけるここだって思ってたよねってところが３カ所くらいある。<br><br>１つは中学の時で、<br>親とけんかしたときに、自分の未来に対して投げかけた言葉。<br>「今の生活に問題があるとしたら、未来の俺が殴り込みにくるに違いない。<br>今の生活を送っていて未来の俺が殴り込みにこないということは、今の自分に問題がないということ」<br><br>こう思ってた。すげぇ暴論。<br><br>これは転換期というよりも、転換できない期とでも呼ぶべきか笑<br><br>２つめから自分の人生がころっと動き出してきた。<br>確か高２の６月くらい。<br>「この世の中にいくら問題があったとしても、フリーターが声を荒げてもだれも聞き入れてはくれない。自分が正しいと思い、自分の言いたいことを人に伝えるためには、ある程度この腐った世の中のルールに乗らなければならない。ならば、今ここで大学受験というくだらないルールにのる必要がある」<br><br>自分ならなんでもできると思っていたし、できないのは本気をだしていないからだとも思っていた。<br>それは勉強においてもそうだろうと思った。だから自分の知りうる中で一番偏差値の高いであろう早稲田の法学部をとりあえず第一志望におくことにした。<br><br><br><br>３つめは浪人のときか。<br><br>世の中のすべてが自分をあざ笑う感覚を経て、<br>自分の生きる理由、しなない理由を見つけた瞬間。<br>「この世の中において、自分の力を信じていながらも、なんらかの要因でそれが発揮できていなかったり、自分の可能性をすぐにあきらめているひとが多い。自分も受験勉強を始めるまでそうだったように。でもそんな障壁はいつでも乗り越えられる。それに気づいたのであれば、気づいた人間が変えるために動く義務がある」<br><br><br>「本来ならここであきらめて死ぬことは簡単だった。物事そううまくはいかないから。<br>でも自分は恵まれすぎていたから、このまま何も恩返しをせずにしぬことは僕にとって罪になった。僕が信頼のできるみんなから得たものは、なにもその人たちだけに返す必要はない。この恩返しは誰か別の人に与えられて、その人もまた同じように誰かに返してくれさえすれば、それでいい。<br>僕は太宰に比べてすこしバカで愚直だったから、死なないで済んだし、これからも自ら死ぬつもりはない」<br><br><br>大学生活は現在の延長にあるような気がして、明確な転換期といえるものを挙げるのは難しいかもしれないけど、大学生活中に何転もしているような気がする。<br><br><br><br>今回のインターンを振り返ってみると、そのような転換期になるようなエピソードだなと感じるようなものだったのではないかと思ったりもする。<br><br><br><br>インターンの内容については具体的にふれることができないけど、間違いなく言えるのは、<br>僕がこのインターンに参加することを決意したいのは、100万人に１人の人材になる必要性についての理解があったからだと思っている。<br><br><br><br>世の中を変革しうる人間や人材はどのような割合で存在するのかと考えたとき、<br>もちろん、偉人レベルまでいくとすごい割合になってしまうかもしれない。<br>でもこの日本社会にすくなくとも多大な影響を及ぼすとしたら、１億ちょいいるなかの100人になれば良いと思う。<br><br><br>それをビジネスの側面での定義での100万人に１人というのが今回のインターンだったのではないか。<br><br><br>このインターンを通して痛感したことは、自分と同じ人種、もしくは自分より優れているであろう人間との恊働の難しさ。<br>それを通して、自分を殺してチームに貢献することの難しさ。<br><br>それに伴って、自分より上の人間があとどれだけいるのか。<br>社会人は僕個人という人間に対して、確かに一定の高評価をくださる。<br>「新卒というマーケットの中ではトップクラスに優秀なんだと思うけど、キミならもっと上にいける」<br>「こんな言い方をすると失礼になっちゃうかもしれないけど、１個上の世代にはなるけどバケモノだなって感じる子たちは今回の選考を通して４人いた。この子たちと比べるとまだまだだなって印象を受ける」<br><br><br><br>人事の人には目をかけてもらっているからこそ、自分が多分一番困難になるであろう人材をぶつけられたのかなって思っている笑<br><br>この前メールに流した内容があるからその転用でここら辺ははしょる。<br><br>『さて、土曜日から２日間、僕はサマーインターンにいってきたのですが、<br>とても良い成長機会になったなと満足しているのですが、反面、自分の課題や弱み、自分のバリューの発揮の仕方にめちゃくちゃ悩むきっかけにもなりました。<br>今回の僕が参加するにあたって目標設定をしていたのは、<br>「自分と同じようなタイプの人間と出くわしたときに、どのような立ち回りをしていくか」<br>を常に意識して活動することです。今はこの組織の中でも声の大きい相田ですが、世の中にはまだまだリーダー経験が豊富な人間や、ハイパースペックで自信がある人間がたくさんいます。そういう人たちと恊働して何かをやることは今後も間違いなく起きるであろう。というのが僕の仮説でした。<br>そのような人間が存在する中でも、そのまま自分がリーダーとして主導権を握るのは簡単だったことだと思います。でも僕はあえてそれを選びませんでした。なぜなら、今回自分がインターンに参加しているのは、１００万人に１人の人材になるためであり、自分の満足度を高めるためのインターンではないからです。　だからこそ、より困難な課題に取り組んでいくことを選びました。<br>僕はこのインターンを通して常に、自分にできることは何か、このチームに必要なことはなにか、このチームの問題点は何で、それをどのようにしたら良いのかを、ワークをやりながら考える必要があり、またそれがうまくいかず相当ストレスがたまりました。さらに、自分のモチベーションをコントロールするのが難しかったです。というのも、僕という人間は基本的に主導権や発言権がないと一気にテンションが下がるようにできているみたいで、テンションは下がっても活動は本気で取り組むという謎の現象に見舞われて死にそうになってました。<br>そのような中でも結果として、僕たちのチームは全員がフルスロットルの本気になり、見事最終的に１位になることができました。メンバーの能力を最大化させるというのが今回の自分の立ち回りだと考えて行動していた自分としては、このチームに対して間接的に貢献した点に関しては他の誰よりもうまくいったでしょう。しかしながら、自分が直接的に貢献をしたかといわれればそうはみえなかったことでしょう。この点に関して、自分の満足度を優先して、自分の成果にこだわるのか、自分の満足度を殺してメンバーの成果を最大化させるのかで苦しみました。<br>最終的に黒子に回ることを選び実践していましたが、自分にとってはいまひとつ、まだできたなって思ってしまう点が多く残る形になりました。しかしこれは大きな収穫です。<br>今回のインターンを通し、自分は確実に、どんなにハイスペックな人間やリーダーシップ力に優れた人間がでてきても、自分がリーダーシップの領域で負けてはいけないと再確認するきっかけにもなりましたし、自分には絶対に勝てる部分があることを確信しました。その為にはまず、リーダーポジションに自分以外の人間がいて、その人が主導権を握っている状態を経験する必要が必要でした。<br>今後もそのような機会はあると思います。そのような時に自分がどの役割を担っていくべきなのかの状況判断を的確にしていくこと。<br>もう一点として、自分の課題や目標を設定し、自発的にその達成のために取り組むことの重要性。』<br><br><br><br>今回ここで特筆したいのは、<br>自分より優秀な人間をぶち抜かなければ自分に未来はないという話。<br><br>ハイパースペックな人間はだいたい<br>英語しゃべれます<br>プログラミングできます<br>３カ国語はしゃべれます。<br>月40万くらいかせいじゃいます<br>8000万かせぎました。<br>googleでインターンします<br>企業３つ経営しています。<br>MIT通っていました。<br>大学通いながら東大院いってます<br><br><br>みたいなのを何個も掛け合わせてるような連中。<br><br>じゃあ自分がこいつらよりも優れている定量的指標は持ち合わせているのかといわれたら<br>ないねって感じ。<br><br>論理的思考力は確かに一部分では優れているのかもしれない。<br>人材コンサルやコーチングなど、人を見抜いたりその人の能力を引き出したりすることはできるかもしれない。<br>ある程度うまくプレゼンできるのかもしれない<br>経営判断や戦略をたてるのがうまく、先見性は高いのかもしれない。<br><br>でもこれらの能力を人に伝えることって難しい。<br>みんながすごいねって思うような、客観的事実を持ち合わせていく必要があるし、<br>それらを経験してから学んだこととして語るもの、それが今自分に一番欲しいもの。<br><br><br>それはなにも自分に箔をつけるためにしたいわけではない。<br>これは自分に箔をつけることによってさらなる挑戦機会を得ることができると考えているから。<br><br><br>今自分に備わっている挑戦は１つだけあって、<br>今はその機会を徹底的にやり抜いて、１位をとってくること。<br><br>そこのインターンの概要を説明するとどこのインターンかばれるんだけど、笑<br>20日のインターンの中で問題解決力を高めるもので、その内容はまさに１人４役とも言える内容。<br>この中で自分がしなければならないのは、自分自身のどこに問題を設定し、解決を図っていくのか。<br><br>この機会の中できちんと入社をきめてこなければ、次のステップに進むことすらできないと考えている。<br><br>というのも、今自分にとってしなければならない選択肢に、自分で事業を実際につくることだと考えているから。<br><br>起業はあくまで手段、でも今の自分に一番たりないのは圧倒的無茶な経験。<br>いままではある程度誰かから与えてもらうことのできる経験がすべてだったように思う。<br>今の自分に必要なのは、自分の手で成長機会を創造し、成果や結果をだすこと。<br>その手段としての起業は、自分にとって、学生のうちにできる最大の挑戦のように思える。<br><br><br><br><br>この点について思考してみたとき、今まさに自分の人生はが決定したような感じがした。<br>このまえの長期インターンに断りの電話を入れたときも、自分の人生を一歩また別の方向に、確実に踏み切ったという感覚がある。<br><br>言葉というのは、それだけの力がある。自分自身、そのことを信じているタイプだ。<br>不言実行も確かに華やかかもしれない。でも自分にとってそれは、<br>できなかったときの言い訳を作っているようで気に入らない。<br><br>これを成し遂げてやる。<br>そう言えないやつになにができるというのか。<br>自分のだした答えはそこにあった。<br><br><br><br><br>とりあえず残りの夏休みの使い方をかんがえながら、起業のスタイルを考えていきたいと思う。<br><br>大学４年の１年間がだいぶ勝負になるからこそ、<br>残り１年と8ヶ月、僕の所属する組織の代表としての活動と両立させるために今から動き出さないといけない。<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ryu3888/entry-11909111792.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Aug 2014 02:59:58 +0900</pubDate>
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<title>超一流か、変革者か</title>
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<![CDATA[ 人生には様々なドラマがある。<br>その中で自分の歩んできたドラマに口を出されたくないと思っているのが大多数の人間だと思う。<br><br><br>その中で、自分の生き方として何を選択し、どのような人生を歩んでいくのが”自分にとって正しいのか”を今から定義してみようと思う。<br><br><br><br>僕はこの今の世の中を基本的に、エリートと資本家の茶番と位置づけている。<br>これは別に、批判してもらってもかまわない。けど、僕はほかの人の解釈に文句をいうつもりはない。<br><br>資本主義経済というのは、その形態が発展するほど格差が生じるようにできている。<br>この経済体制を構築しようと考えるのは、一部の資本家とエリートから始まるようにできている。<br>資本主義自体は悪いものではないというのが僕の見方だけど、僕は基本的に資本主義が好きではない。<br>というより、気に食わない。<br>それはまた最後で述べることになると思う。<br><br>エリートと資本家は一部で混合している。政治家という領域がそれだと思う。<br><br>そう、政治家は私腹を肥やすためにこの世の中のシステムを改造できるだけの権力を持っているという認識がある。<br><br>だから僕はこの世の中を茶番と定義する。　<br>この政治家を支える既得権益もまた、大雑把に資本家と定義している。<br>ただ、僕は資本家のすべてを悪者扱いするつもりはなく、資本家は資本家で、悪いことをしているわけでもないだろう。現に、ボランティア精神旺盛な人が多いのも事実だと思う。<br>ただ、私腹を肥やすために国家を改造しようとする人間がいるだろう感覚は多分、仮説として正しいと思う。<br><br><br>さて、これが僕にとっての世の中である。<br>つまり、この世の中で”労働者”をやってる以上は一部の人間のために働いている感覚が僕の中で常につきまとってしまう感覚があるということ。<br>昔からそうだけど、僕は”権力者”に”理不尽な制約”を課されるのが死ぬほど嫌いなタチだ。<br><br>僕の世の中はこうして構築されているから、”格差”言い換えると”階層”が存在している。<br>それは目には見えなく、誰かに定義づけられたものではない。<br>また、そのベクトルや領域は様々だ。<br>例えば、僕vsメッシやネイマール（ネイマール残念です・・・）は<br>”ベクトルが違う”ということになる。<br>これはつまり、「得意分野が人によって異なり、得意分野で超一流になることがある」ことを意味している。<br>では、僕の生きていく世の中はどのように構成されているか。<br>僕はビジネスの世界で生きていくことを検討している。<br>サッカーや野球、一部の芸術活動は特殊な才能を持った人間だけが戦えるフィールドで、<br>マイノリティな世界を構築している。<br>世の中から隔絶された空間ということができれば、その逆も然り、その才能もまたビジネスの為に”行使”していると考えることもできる。　プロサッカー選手には常に”ビジネス”がつきまとう。<br>これを労働者と捉えるかどうかはその人次第だと思う。僕は彼らをヒーローとして認識することもあるし、幸せな人生を送ることのできる人々だと認識することもある。<br>残念ながら、僕にはその才能がなかった。<br><br>ビジネスはだれでもできる。甘い世界だと、贔屓にしている社長がおっしゃった。その意見には賛成している。これは資本主義社会の恩恵だとも思う。<br><br>ビジネス以外の世界はなにか。<br>政治か、あるいは国際政治か。　俗世を離れることもそうだろう。<br>いろんな世界があるが、マジョリティはビジネスであろう。<br>だからこそ、マジョリティが構成する階層分けが存在する。<br><br><br>これはあくまで学生的観点だから、その解釈に間違いがあると思うが、<br>自分の頭の中に<br>SSS<br>SS<br>S<br>A<br>B<br>C<br>D<br>E<br>F<br><br><br>の階層が存在していると認識する。　ちなみにこの階層は日本社会のみにフォーカスをしている。<br><br>これらの割合を定義するとするならば、<br>Cが丁度真ん中にくるように階層分けをし、SSSの割合を0.001%にするのが適切だろう。<br><br>学生的視点により、<br>１(18歳)<br>２(19歳)<br>３(20歳)<br>４(21歳)<br>の４学年に分け、その１つの学年の人口を120万人と定義する（大学生ではなく、世代として認識している）<br><br>すると、感覚的に<br>SSSランクには12人の超一流を越えた者たちが存在し、<br>SSランクには1200人の超一流<br>Sランクには12000人の一流<br>Aランクには120000人二流<br>Bランクには240000人の三流<br>Cランクには500000人の一般<br>Dランクには240000人<br>Eランクには・・・<br>この下はあまり変わらない感じかなぁ<br><br>という風になっている。<br><br>日本の４学年には、４８人の超超一流がいるらしいが、感覚的にもっともっと少ない割合でSSSは存在するような気がする。<br>そしてSSランクには4学年で4800人存在する。<br>僕にとって、4800人という数字は単純に"多い"<br>これは僕の定義がずれている可能生があるかもしれない。しかし、　SSSランクとSSランクには隔絶した壁が存在していると見込んでいる。<br>それが<br>”雇用者か、被雇用者か”<br><br>この世の中は一部のエリートと一部の資本家が実権を握るようにできている。<br><br>資本家が被雇用者になることはありえず、政治家などのエリートが被雇用者になることはあり得ない。<br><br>この隔絶した差が間違いなく存在しているというのが僕の見解だ。そしてその理由として、<br>「被雇用者の労働賃金は常にピンハネされる」<br>ようにできていること。もちろん、雇用者に全額の利潤が支払われることはなく、税金などを支払う義務がある以上、国に雇用されていると解釈することもできるとは思う。<br>被雇用者を超一流と定義するのは容易い。ただ、僕にとってそのような人生は"面白くない"<br>なぜなら、社会にインパクトを残せる人間にはなれないから。<br><br><br>社会にインパクトを残すことにどれだけの価値があるのかはわからないが、少なくとも自分が20のときに掲げたビジョンを達成するときは間違いなく、この世の中を変革した時だ。<br><br>僕はこの資本主義経済は悪くはないが、気に食わない。という話をした。<br>それは僕のビジョンと深く関連している。<br>僕のビジョンは、若者、ないしは子供たちのスタートラインをフラットにすることにある。<br>この格差を生じさせることが是の世の中とは相反した思想を持つ。<br><br>僕がこのビジョンを達成したとき、<br>資本主義は昇華され、新たな経済体制が築かれることになる。<br><br>教育資本の再分配。<br><br>超SSSランクを目指すことは人生の最大のテーマであり、<br>SSランクとSSSランクの違いは<br>世の中に変革をもたらす者と、世の中に適合する者だと解釈している。<br><br>そして自分がSSSランクであるかどうかは、今後の僕の人生が決定する。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/ryu3888/entry-11890496646.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Jul 2014 20:43:17 +0900</pubDate>
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<title>感情というもの</title>
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<![CDATA[ 今日はある会社に行ってきた。<br>その会社は人を動かすのはたった６秒でできるという理念のもと、世の中にEQを広めていくことで人々を豊かにしていこうみたいな活動をしている会社。<br><br>今回その会社にいってきた理由は、その会社の行っている活動の一環である、アセッサーの方の模擬研修にクライアントとしてEQを測ること。<br>その結果を元にアセッサーの方が僕たちにコーチングのようなものをするためだった。<br><br>僕たちとしても、自分たちのEQを理解することで、今後の自己分析に役に立つことができるだろうみたいな感じで、割とノリノリの中で行ってきた。<br><br><br>で、今こうやって書こうとしているのは、そこから得た学びと感情というものを言語化する振り返りの時間がほしかったのでやってます。<br>だから、今日帰ってきたばっかだから落とし込みが十分じゃないかもしれないけど、その中で自分が学んだことと、これから学習していきたいことについて重点的に書きたいと思う。<br><br>割と思ったことを書いていくので、わかりやすさとかはご了承してほしい（笑）<br><br><br>ちなみに僕のEQについて簡潔に説明しながらEQについて説明していくと、<br><br>そこの会社が扱っているEQには８つのコンピテンシーがあって、<br>それぞれに応じたランクが５段階で示されているようになってる。<br><br>で、僕が一番高かったのが、<br>ノーブルゴールの追求というもの<br>楽観性の発揮<br>結果を見据えた思考<br><br>これらが５段階のうちの一番高いところまで到達していた。<br>もちろん、これらは自己申告に近いものなので、結果に左右される必要は必ずしもないんだけど、個人的にはこの結果は当たっているなという風に思っている。<br>というか、まぁ長期的目標とか、ビジョンの追求みたいなところが一番高くでるのも個人的には当たり前というか、<br>毎日のようにそこに対して思考しているのだから、そうだよねって感じ。<br><br>で、結構意外だったのは楽観性の発揮という項目が高かったこと。<br>これは何を意味するかというと、<br>「希望や可能性を信じ、自分から前向きな展望を持てること」<br>という説明がなされている。<br>楽観性という言葉は、ややもすると考えなしなイメージを持たれることが多かったり、<br>ポジティブとかいう言葉はその人の性格を表すように考えられがちだ。<br>しかしここで示していることはそうではなく、<br>危機的状況における発想の転換だったり、意思決定を行う際に、できないことにとらわれず、自分の持つ可能性を信じて決断ができることを意味している。<br><br>その点に関して自分は驚くほど成長していると思ったので過去を少しだけ振り返ってみる。<br><br>僕はどちらかというと、それこそニーチェよりも斜に構えるような人間だった（今でもそのような傾向はあるのかもしれないけど笑）<br>ペシミストといえばいいのか、悲観主義者ともいうべきか。<br>この日本社会は終わっているので、いくら努力しても無駄だろうとすら考えるような人間だった。<br><br>そんな自分が変わるきっかけがいくつかあった。<br>ひとつめは、自分が大学受験をすることを決断したとき。<br>ふたつめは、仕事で一緒になった方に言われたことを実践したとき。<br>みっつめは、今の組織に入ってから、知覚できない機会の損失を自覚したとき。<br><br>それぞれに対して簡潔に説明していくと、<br>大学受験を決心した一つ目の楽観性の発揮は、それこそ自分の可能性や希望というものに満ち溢れた選択だったように思う。<br>今でも信条にしているけど、子供、あるいは青年たちは、社会に出るまでは無限の可能性がそこには広がっていると思ってる。<br>それは自分も例外ではなく、その可能性を少しでも信じようとするならば、変わることができるというもの。<br>というよりも個人的には、可能性の発揮をした瞬間が自分にとって本来の方向性だという風に考えることができた。<br>つまり、特性として持っていたものでもあったんだけど、環境的要因からひねくれてしまったのだなと自分では思ってるということかな。<br><br><br>次に仕事の先輩が言われたことについて<br>「思っていることは行動や態度にでるのだから、まずは心から変えなさい」<br>これが自分にとって衝撃的な言葉だし、今の自分を形成している血肉にもなっている言葉。<br><br>これを僕は実践しようと思った。<br>自分にとってその当時（２浪目の９月ころ）は卑屈の真っ盛りであったから、だれかになにかをいわれても悪い風にしか受け取ることができなかった。<br><br>そんな自分が嫌だったから、その言葉の通り、なんでもポジティブに見ようとしてみた。<br>ただそのひとつの意識の変化がすごい効果をもたらして、最終的に今までのネガティブスパイラルが、ひとつのポジティブな考え方から、すべてが正のスパイラルに変わるような経験をしたんだ。<br><br>それができるようになってから、些細なことに自分が囚われていることがとても無駄なことなのだと自覚できるようになったし、<br>逆境の中で楽観性を発揮していることが、自分をコントロールする手段として非常に重要なことを知った。<br><br>僕は結果として自分の行きたい大学に行くことはできなかったけど、<br>そこで僕はすべてを投げ出すことはなく、ではその大学でできることは何か、を常に思考してきた。<br>そしてそれらのおかげで今の自分が形成されていると思うから、その意味で僕は自分の楽観性、すなわち、自分を信じる力というものに何度も助けられていると思う。<br><br><br>それこそ、ぼくが２浪を決心したときなんかもそうだ。<br>懐かしいな。話が流れるけど、１浪目の入試前、自分の本当にやりたいことは政治学なのではないかと悩んでいた時のことが今でも、その当時の図書館の風景のまま、残ってる。<br>僕はそこで、１浪して変な大学にいくのなら２浪でも自分のやりたいことができるところに行こうと決めることができたと思う。<br><br><br><br>３つめかー<br>これは語るのも苦しいような経験だったからなんかあまり人には言いたくない（笑）<br>んだけど、でもそれも自分にとって必要な事だとも思う（笑）<br><br><br>「機会は自分でつかむもの」<br>それは間違っていないと思う。<br><br>だからこそ、<br>「機会を損失しているのも自分の結果にすぎないということ」<br><br>一番怖いのは、<br>「その機会損失は自分の知らないところで起きているということ」<br><br>僕はたまたま僕の目の前で機会損失される瞬間に立ちあったから、変わることができた。<br><br>まぁ自分がそこでくじけなかったのは、隠すまでもなく、<br>一番大事な友人に情けない姿をこれ以上見せられないという感情によるものだったのかもしれないけど（笑）<br><br><br>自分がその組織に所属していくことができないと思った時に、<br>僕はたまたまその日に、<br>社会から必要とされない人材について大学の講師の方からお話を受ける機会があった。<br><br>僕はそこで、今自分が取っているアクションがそのままそれに当てはまるということを自覚してしまった。<br><br>思えば、自分が今まで所属していたコミュニティーで最後まで続くことがなかった。<br>そんな中今この目の前の組織から逃げ出してしまったら、きっと社会にでてからもその癖は直らないだろうという風に思ってしまった。<br>だから少なくとも今までで一番その組織に愛着のある時に、今だけは投げ出さず最後までやりきろうって決めた。<br>そんな決心を大学に入ってから、経験したんだ。<br>すごい辛かったし、すごい悩んだ。<br>でもだからこそ自分は成長できたし、<br>この結果にそれが反映されていると思う。<br><br><br><br>だいぶ話が長くなっちゃったけどそんな感じ<br><br>自分にとって、<br>ノーブルゴールの追求とか<br>楽観性の発揮とか<br>結果を見据えた思考とか<br>自分の感情パターンの認識とかが得意としているのは、自分が今まで経験してきて、成長したからこういう結果になっていると思う。<br>僕はそこだけは否定させないし、これだけ語れることがあるのだから、間違っていないと胸を張って言える。<br>しいて今ここで感情パターンの認識をするとしたら、<br>今僕がこの弁解を行っている理由は、<br>僕がEQの低い人間だと思われていることが癪だから、なんだけど笑笑<br><br><br>さて、それとは反対に<br>そんななかでも自分の中で課題みたいなところか必ずあって。<br>僕が苦手としているのは<br>感情のナビゲート<br>共感力の活用<br>というものだった。<br>これには納得のいく結果になっている。<br>理由としては、<br>よく人に言われるし、自分が苦手だと自覚しているから（笑）<br><br>というよりも自分がEQ低いって思われているのは、みんなは自分と触れ合う時にしか感情リテラシーを発揮しないものと誤解をしているからだと思っている笑<br><br>それぞれの言葉について説明をすると、<br>感情のナビゲートに関しては、<br>感情を戦略的なリソースとしてとらえ、その感情を評価し、活かしたり変化させたりすること。<br><br><br>共感力の活用に関しては<br>周囲の人の感情を理解し、適切に対応すること<br>と記載されている。<br><br>これらが苦手な自分というのはつまりどういうことかというと、<br>僕は自分の感情をうまくコントロールすることができず、反感を買いやすい。<br>そして、他者の感情よりも自分の感情を優先してしまうので、軋轢が生まれる。<br>というものだと思う。<br><br>僕は人の感情がどのように作用するのかについては理解していると思う。<br>でも理解はするけどそれに対応しようとは全く考えていないというのが課題として挙げられると思う。<br><br>自分がなぜそのような感情を抱くのかについてはいくらでも説明ができる。<br>でもその感情をどのように対処していこうかということを今まで考えたり、行動に表したりしてこなかったから、<br>言い換えると、自分の感情を常に垂れ流しにしていたから、成功するものも成功しなかった。という風に言える。<br><br>特に、自分がこうしたいと思うものを優先してしまうせいで、他者の感情を無視する、つまり共感力を活用できない点が、今の自分の足かせになっていると思う。<br><br><br><br>今回のことがらから自分が学んだことは、<br><br>感情をコントロールするためには、自分の感情の原理をきちんと理解すること。<br>そのうえで、感情をコントロールするのではなく、行動をコントロールしていくこと。<br>が重要なのだということがわかった。<br><br>厳密には再確認させられた、という言葉が近い。<br><br>最近の自分はとにかく自分にストレスを与えないために他者との関わりを避ける傾向が強かったように思う。<br>しかしながら、自分がストレスを受けず、かつ周囲の人間と円滑にやっていくためには、<br>自分がそういう人たちと積極的に関わっていき、行動をコントロールする技術を身に付けていくことが絶対不可欠なのだということがわかった。<br><br>自分のことを話し、そこから気づいたことを新たな挑戦として設定していくことが今回のイベントを通してでき、そしてそれが重要であることがわかったから、<br>僕は自分の感情原理を理解したうえで、行動の抑制をしていこうと思う。<br>それらの細かい技術は、<br>最近読んでいる、プロカウンセラーの聞く技術　という本が教えてくれるし、<br>コーチングの一環として人と接していく練習を通して、徐々に改善していきたい。<br>そうして自分の課題を解決して、EQを武器にできるようにしたい。<br><br><br><br><br><br>さて、これから学んでいきたいものについても少しだけ言及していくと、<br><br>感情というものは１つ１つの感情が複雑に絡みあって形成していくことを知った。<br>たとえば今日の話でいえば、<br>自分が他者に対してイライラしてしまう理由はなにか、を考えていた時にまず最初に挙げたのは、その人が思考をしないことだといった。<br><br>その時に僕が問われたのは、<br>でも海外にいけば、労働外のときにもバリバリ働く君と、労働外になぜ働く必要があるのかと考える人もいる。そのようなときにも自分はその人たちにイライラするのか、と問われた。<br><br>不思議なことに、自分はそのような、自分と違った価値観を持つ人のことは許容できるらしい。<br><br>そこからわかることは、<br>自分がイライラしてしまうのは、その人が自分の行っていることをできるようになればいい、なるべきだと、他者に対して期待をかけているからそうなってしまうのではないか。<br>ということだった。<br>確かに、自分にとってどうでもいい存在にイライラすることはない。<br>僕にとってすべての若者が自分のように物事を考えられるべきだと考えているから、<br>それができない人たちに執拗にイライラし、その結果、攻撃的になるということがわかった。<br><br>じゃあ自分の行動をどのようにしていけばよいか。<br>確かに僕は究極的にその人たちが思考できるようになればいいと思ってる。<br>そこは変えることができない。<br>だから、行動を変えていくこと。<br>きっとイライラしてしまうのはしてしまうもの。だから自分はそれを伝えずに、<br>どのようにしたらその人たちの思考力、目標設定がなされるようになるのか<br>という観点のみに集中していくことが必要だと思う。<br><br>このように、<br>自分の感情がどのように自分の行動に結びついているのか、ということは意外と盲点になってることが多い。<br>だからこそ、これからは自分の感情の動くトリガーを理解していくこと。<br>さらに、他者の感情原理をキチンと認識すること。それらを学んでいきたい。<br>そして、なぜその人がそのような感情を抱くようになっているのか、について客観的に分析し、好奇心を寄せていくことで、自分の感情をナビゲートし、共感力を活用していきたいという風に思う。<br><br><br><br>以上が今回僕が学んだことの顛末だ。<br><br>このテーマとは異なるけど、<br>コーチングの際に使うことができるなと思ったのが<br><br>他者の発しているシグナルを見逃さない。<br>ということ。<br>その人がいま話したいことや、思っていることは、無意識のうちにキーワードとしてでてくることが多い。<br>そこに対して深堀りを行っていくことで、その人をジョハらせていくことができるだろうということを学んだ。<br>ちなみにジョハるっていうのはジョハリの窓の未知の領域を広げることを略している（笑）<br><br>これは面白いと思った。<br>無意識のうちに使っている言葉は、その人を象徴する言葉になっているという考えは自分にとって新鮮な学びだった。<br><br><br>今後の自分の成長を促進するツールとして、EQはかなり役に立つと思うので、<br>興味のある人はぜひ自分のEQを調べてみてほしい。<br>
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<pubDate>Sat, 10 May 2014 19:29:35 +0900</pubDate>
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<title>自己紹介３</title>
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<![CDATA[ 衝突は僕にとってさまざまな想いを増幅させるだけの効果があった。<br>僕の価値観において、人と衝突することは悪ではなかった。<br>めんどくさいという言葉で片付けるのはすごく簡単な事だと思う。<br>でも、人にわかってもらうとかわかってもらえないとか、もらいたいとかそういうのを関係なくして、<br>僕が僕であり続けるために、僕は主張し続けるし、きっとこれからもそういう人生だと思うし、<br>僕はそのために生まれてきたんだって胸を張っていえることになっている。<br>僕が僕であることの理由は、なんでもよかったのかもしれないけど、ただ少なくとも、僕を形成する要素は僕が21年間生きてきたものから成り立つと信じているので<br>僕がここで語ったことがそのまま僕になると信じていたい。<br><br>人を動かすを読んでみて、僕はなんだろ、それが世の中をうまく生きていくために必要なことだということが分かったし、<br>何かを成し遂げるために必ず必要なことなのかもしれないと、カーネギーと対話を通じて感じていたと思う。<br>今の自分にその本が必要だと思ったから手を伸ばしたし、今でも人を動かすを読むことはみんなにおすすめしたいと思う。<br>でもあの本を読んだからといって、誰しもがカーネギーのように人とうまくやっていく術を身に付けるわけではないということは、<br>僕の身の回りの人たちを見ていればわかることだと思う。<br>大事なのは、そこから何を読み取るか、その読み取ったものが自分自身の中でどのような価値をもたらすのか。<br>僕がそこから学んだことは、自身の感情を如何にしてコントロールすべきか、という内容のほうが色濃く残っているから、<br>人によってそこから学べることは違うと思う。でも、だからこそ、<br>人が学んだものを自分も得たいと思うし、それを常に友人に対して実践していると思う。<br>僕はそれを疑似経験と呼んでいる。<br>自分が生涯得られる経験には限りがあり、自分の経験したいものを自分で選んでいる側面がある。<br>でもそれでは本当に豊かな人生は送れないと思うし、それこそ成長できない。<br>だから、僕は人が経験したことを自分も経験すべく、その人の立場を自分に置き換えて考えることを実践している。<br>そこで口癖にしているのは、自分だったらどうしよう。なのだと思う。<br>そうやってさまざまな経験を増やせたことは、自分の見識と、自分の見れない世界を見るのに非常に役に立っている自信がある。<br><br>そう、僕は常々、自分以外の人が見ている世界に対して異常なほど好奇心を寄せていると思う。<br>自分の経験できる世界には限りがあるとわかっているので、僕はできるだけ人の世界を覗きたいと考えてる。<br>それはきっと小学生の時からそうなんだけど、僕は僕の知らないことに対して異常なほど不快感を抱く人間だったから、<br>僕はいろんなところに首を突っ込んでは怒られていたし、それは今でも直らない自分という人間の特徴なんだと思う。<br><br>僕は自分の知らない街に行くのが好きな人間だと思う。<br>景色を見ることが好きだと思う。<br>僕がそこで感じているものは、<br>僕がその景色の一体になっているという感覚だと思う。<br>僕は僕がそこにいる感覚をずっと味わっていたいと思う節がある。<br>出来る限りその感覚を、大好きな人と共有したいとも思う。<br><br>しらない街には僕のしらないストーリーが縦横無尽に存在していて、<br>それは僕が知りえない、その人たちの世界がそこにはあって、<br>その世界を知らないことが僕にとって不快感を抱かせるタネになってる。<br><br>僕はその意味で、他者の歴史を知りたいとも思う。<br>それは僕の経験しえなった事実と、その人が今まで抱いてきた思考と感情とその他もろもろを知るきっかけになっていると思う。<br>他者の歴史に興味を寄せ、知りすぎると、<br>その人がどのような歴史を歩いてきたかが帰納的にわかってしまう問題点もあるから、<br>僕は人のことを見た目で判断するようになってしまった。<br>でも、それは僕にとって大きな長所にもなり得ているので、僕はその能力を存分に発揮していきたいし、そうすべきなんだろう。<br><br><br><br>僕が僕の存在する世界以外に対してほんの少しだけ寛容的になっていったのは、もしかしたら大学にはいってからのことなのかもしれない。<br>今でもそうだけど、今よりももっと、僕の身の周りの人間が過ごしてきた日常にはなんのユーモアもなんのハードルもないような気がして、<br>苦労のない人生はその人のその後の人生を選択するうえで、苦労のないものを選び続けるだろうなんて思って、<br>僕がそれを嫌だと思うだけだけど、僕からすると、社会の労働者として生きることになんの思考もせず甘んじることで、自分の保身に走る人間は単純に<br>悪なんだとおもう。<br>でも、それは究極的に僕の価値観でしかないことはわかっていて、でもそこに対して寛容になれない弱さもある。<br><br>ただ僕がおかしいと思うのは、自分のことなのに自分で考えようとしないことについてだけだと思う。<br>その思考停止した甘さを、他者に責任転嫁して、自分はなにもなかったように腑抜けた顔をしているのが単純に許せないような気がする。<br>思考停止をも価値観というのもまた、思考停止に陥っていると思う。<br>自分のことを自分が一番思考しないのは親不孝だとも思う。<br>それよりも強烈に僕が抱いているのは<br>君はなぜ生きているのか？<br>だけだと思う。<br>人間はただ漫然と時間を浪費するだけの為に生きていると、この地球の規模で見ると害でしかないと思う。<br>そして君が漫然と生きていけば生きていくほど、<br>生きていくことすら困難な人たちに対して失礼だと思う。<br>なぜ自分は生まれたのか、なぜ生まれなければならなかったのか。<br>それを親の自己満足で形容したくないからこそ、死ぬほど悩んでいいと思う。<br>死ぬほど悩んで死にたかったら死ねばいいと思う。<br>死ぬほど悩んで生きていきたいと思うなら、自分の人生に意味を少なくとも見出そうとしてほしいと思う。<br>その時間を先延ばしにしようとすることは僕にとって悪だ。<br>なぜなら、その時間は誰かにとって貴重なものであったに違いないから。<br>僕は不平等や不公平にはしぬほどうるさい。<br>それはなにも、自分の生きている世界だけではないと思う。<br>僕は少しだけ、その意味でベジタリアンの思考回路が理解できる気がする。<br>僕たちは、少しだけ恵まれすぎたから、その分だけ誠実に生きていてほしいと思っている。<br>僕は価値観を押し付けるようなことを言っているのはわかっているけど、<br>それでもみんながそう思って生きていけばいいと思うし、もっとwhyの部分を大事に、自分の存在価値の証明を成し遂げてほしいと思うし、<br>それが僕の生き方なんだって割と自信をもって言えると思う。<br><br>
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<pubDate>Wed, 30 Apr 2014 20:19:14 +0900</pubDate>
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<title>自己紹介２</title>
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<![CDATA[ <br>昔から、どこか人と自分の見ている世界が違うような感覚があった。それは大人になるにつれて、おかしなことであると教えられていたから、<br>あまり人にいうことはなかったし、それに気づいていくのも、中学生という時期的な問題もあって、<br>それを恥ずかしいものとして認識するようになっていった。<br>高校生になって、なんとなく確信に変わっていくようになっていった。<br>高校生のころの僕は、自分の見ている世界にこそ本質があり、正しいものだと思っていたから、それ以外のヒトたちの見ている世界がチープでしょうもないものだとして排他的でいた。<br>高校生のころの僕は、とかく精神状態がよくなかったように思う。たとえていうなら、振れるだけで切ってしまうナイフのような性格をしていたと思う。<br>僕は他者の存在を認識する力を失っていく感覚を、今になって自覚していると思う。<br>家庭環境と学校環境はその人の人格を変容させていくのにふさわしいだけの要素が揃っているように思う。<br>僕が中学生の頃、僕が頼れる存在はどこにあったのか、今では思い出すのも難しいかもしれない。<br>両親は僕11歳のころに離婚していて、僕は単純に、自分だけの部屋ができることを喜んだ。<br>もともと両親の仲が悪いことがすごく嫌だった。僕はその時の表現力でしていうことが適切だと思うから、嫌だなとだけ単純に思っていたことだけを伝えたいと思う。<br>でも、それだけだった。親は相変わらずパチンコで勝ったときはお小遣いをくれたから、僕にとってパチンコはいいことなんだって思っていた。<br>中学生になると、親が僕に反抗的になるような気がした。僕は俗に言われる反抗期に突入したのだと思う。<br>僕の家庭の中で起きていた諸問題は、とても酷いものだった。　<br>中学生になってからの僕はまだ表現する力が足りなかったので、親に口論で言い負かされてばかりだった。<br>まずは論理的になることを目指そうと思った。　結果として僕は論理性を身に付けることができた。<br>でもそれでも親は理解してくれなかった。今になってわかる。論理的に話ができるという能力は、問題解決の要素にはなるけど、対象によって問題解決を妨げる要因になるということが僕にはその当時理解できなかった。<br>親は僕の論理力を避けるようになっていった。<br>じゃあ出てけだの、死ねだの、言いたい放題言うだけになる親を真底憎んだし、様々な衝動に駆られることもあった。<br>いわば、修羅場として僕の家庭環境は存在していた。<br>父親には論理性で勝利することができても、暴力で勝つことがいまだできなかったので、とにかく悔しかった。<br>中学生の僕を能書きばかり垂れやがってと罵る親を僕は見下していた。<br>高校生になると、僕の身体つきも立派なものになっていき、親もまた老化には勝てなかったみたいなので、<br>いつのまにか殴り合いの喧嘩をすることはなくなっていったし、父親に関しては、その後僕の良き理解者になっていったので問題なかった。<br><br><br>中学生の頃から、僕はひとりでいることが多かったような気がする。僕は究極的に孤独であったことを今になって思い返して言えるような気がする。<br>僕は家が好きではなかったので、友人といる時間はかけがえのないものだった。　中学から一番近いところに住んでいるはずの僕が一番最後に家に到着しているのは、<br>友人たちと帰り、遊ぶためにしていたことだった。<br>中学の友人たちとは今では結構疎遠になってしまっているが、僕にとって彼らは僕が死なずに済んだ理由にもなっているので、感謝していると思う。<br>先も言ったと思うけど、人格形成は家庭環境と学校環境によるものがほとんどだと思うので、僕がいなくなってからの彼らの人格にはあまり関与できない。<br>それでもなお、僕が孤独に感じるのは、本質的に友人たちと自分の存在になにか隔絶した距離感があるような気がしてならなかったからだと思う。<br>それは僕の生きてきた経験というよりもむしろ、先天的な要因のように感じられる。<br>僕がこのような人間になったのは家庭環境と学校環境によるものがほとんどだと思う。<br>僕が家でできることはほとんど限られていた。<br>テレビゲームをしていると親にテレビを消されるかブレーカーを落とされてしまうので、そのうちしなくなった。<br>ギターを始めると親がギターを弾くことを拒み、僕のギターを勝手にリサイクルショップに売り出してしまった。<br>友達と始めたバンドで担当したのはベースだったので、かろうじて音が漏れることなく楽しむことができた。<br>家でできる唯一のことは、ゲームボーイと漫画と音楽とラジオを聴くことくらいで、そのほかの時間は考えることだけをしていた。<br>僕の今を形成しているのは、間違いなくその孤独の思考時間だと思っている。<br><br>高校生になるとその思考力に拍車がかかるようになっていった。携帯電話を所持しだしたからだと思う。<br>僕は文章を書くという営みをそこで覚えたし、それによって人に想いを伝えることもできるようになった。<br>大抵の内容はもしかしたらくだらないものなのかもしれないけど、僕にとって思考を文章化することと感情を文章化させることはとても大事なことになっていった。<br>僕の見ている世界はがどのように形成しているのかは、僕もきっとあまり理解していないけど、<br>高校生の頃に先生に確かに伝えた、僕の見ている世界をいつか表現したい、という思いは今も間違いなく失われていないと思う。<br><br>僕の高校は都立高校だったけど、勉強なんてしなくてもはいれるような高校だった。<br>偏差値でいったら49くらいのものだし、定員割れしているくらい人気のない高校だったと思う。<br>僕はできる限り戦略的に、勉強しなくても入れる高校を選び、さらにサッカーをしていくことを高校に通う目的にしようとした。<br>僕は半年もしないうちに部活を続けていくことが困難な状態になった。<br>となると、高校に通う目的がほぼなくなっていくということを意味することになる。<br>僕は高校に通わなくなった。勉強はもちろん、生きていくうえで必要のないものだと思ったので、しなかった。<br>親には高校を卒業したら面倒を見ないといわれていたので、そもそも僕には大学に通う権利すら与えられていなかった。<br>そうなるともはや、勉強が僕に何を与えてくれるのかわからなかった。<br>でも確かに、僕の中には自信しかなくて、学校で仕方なく受けさせられる模擬テストには、早稲田と慶應の名前だけを書いていたような気がする。<br>僕はその学校こそが僕にふさわしいものだと、根拠もない自信に満ち溢れていたから、それ以外の大学には興味もなかった。<br><br>僕は高校2年生の時に停学になり、学年最後の修了式に参加することができなかったことがある。<br>今になっては恥ずかしいものだけど、それが笑い話になって同級生とつながっていられるのなら、僕にとっては大切な経験だと思う。<br>僕はあの時僕の存在を認めてくれる人の存在が必要だった。<br>僕のことを認めてくれた存在は、今でも僕は頭があがらないような気がする。<br>その二人は、高校の担任の先生と、教頭先生だった。<br>教頭先生は、早稲田に行きますと校長先生に豪語した僕に対して、<br>お前は頭がいいから、頑張れよといってくれた。<br>僕は何をもって僕のことを頭が良いと形容するのか理解できなかった。<br>僕の名前を知っているわけでもない教頭先生が、なぜ、僕を理解するような言葉を残してくれたのか。<br>でも僕に差し出してきたその年輪を持った大きな手が、僕の存在を承認してくれるだけの感触を残してくれたのだけは覚えている。<br>不思議に思った僕は居ても立っても居られず、当時の担任にその訳を聞いてみると、<br>論理的に話すことができることをその要因として挙げてくれた。<br><br>担任は僕にそれとなく話したことがある。<br>お前の担任をおれ以外のだれが受け持つことができるんだって。<br>僕はその理由を知っていたし、僕もまた、ほかの教師が僕の担任をやってほしくないと思っていた。<br>僕のいるクラスに受けに来たくない先生がいることも知っていたし、僕は教師を見下していたし、<br>そんな生半可な授業をする教師がなぜ存在し、偉そうに物事を説くことができるのか不思議でしかなかった。<br>僕はそのような、自己利益の為に行う名目上の社会貢献に吐き気を催し、教師に、教育の本質を問いたくて仕方なかったし、現に、教師にはそのような気持ちでその職業についているのなら、やめちまえと言ったことが何回もある。<br>それが目上の人達に対していう適切な言葉だったかどうかはわからないけど、確実に、僕の中の問題意識を沸立てるものとしては十分な経験だったとも思う。<br>ちなみに、僕を受け持ってくれた担任の先生には本当に感謝をしている。<br>僕が停学になる前、僕は先生に対して、<br>今は自分は尖っていてもいいと思う。という話をした。<br>きっと今しかそうしていられないと思うから、僕はそうしていたいと思うと話した。<br>僕はその言葉を正しくするのには成功したと思う。あの時の経験は確実に僕の血肉になっているし、<br>僕を成長させる要因としてふさわしいほど大切なものになっているに違いないと思う。<br><br>
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<pubDate>Wed, 30 Apr 2014 20:18:32 +0900</pubDate>
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