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<title>教員志望フリーターの日々</title>
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<description>某県の片田舎住まい、個別指導塾のアルバイト講師をしながら教員を目指しております。思考のトレーニングとして、色々書いてみようと思います。</description>
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<title>信頼ってなんだろう</title>
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<![CDATA[ やはり過去の質問例。<div><br></div><div>「理想の教師像を教えてください。」</div><div><br></div><div>…ごくごくありふれた質問です。多分、多いのは</div><div><br></div><div>「親しみやすい」</div><div>「頼れる」</div><div>「子どもをよく見ている」</div><div><br></div><div>…とか？</div><div><br></div><div>ここでふと思う。自分はどんな先生が好きだったろうか…と。</div><div><br></div><div>まず間違いないのは、</div><div>「理不尽なことを言う」先生は嫌いだった。<br></div><div><br></div><div>それから、</div><div>「おかしいことをちゃんと指摘してくれる」先生は、怒ると怖いけど、同時にどこかで凄いなと思っていた。</div><div><br></div><div>「納得」というのは一つのキーワードなのかなと思うようになっています。「理解」と言い換えてもよい。</div><div><br></div><div>どういうことか理解できないことは頭に入ってこないし、</div><div>何か価値観を「共感できるような理由も示さず」押し付けられると非常に不愉快だった。</div><div><br></div><div>もちろん言い方もあると思いますが…</div><div><br></div><div>学習面でも生活面でも、生徒が「納得」できる、「理解」できるように指導していくことがきっと「理想的」で、</div><div><br></div><div>そのためには常に、子どもに対する確かな観察と、その思いの理解が必要です。</div><div>子どもの気持ちや考え、置かれている環境に立脚していない指導は、響かないと思うのです。以前の「祖父の介護を家庭内でしてるとこのやんちゃ中学生」に近いものがあるのかな…？</div><div><br></div><div>こうした指導のできる教師が、必然的に「信頼される」教師になり得ると思っています。それはきっと、生徒と保護者どちらからも…</div><div><br></div><div>まだまだ具体的ではありませんが。</div><div><br></div><div><br></div><div>もう少し、試験までは時間があります。まだ色々、考えてみようと思います。</div>
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<link>https://ameblo.jp/s-te6/entry-12062198845.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Aug 2015 23:27:22 +0900</pubDate>
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<title>学校と保護者</title>
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<![CDATA[ 前回の記事にも関わる内容。<div><br></div><div>過去の面接で実際にあった質問というので、<div><br></div><div>「保護者とはどういう関係でありたいと思いますか」</div><div>「保護者の方とどう連携を取ろうと思いますか」</div><div><br></div><div>というのは定番の類の質問のようですね。</div><div>それから、不登校生徒への対応を聞いてからの、</div><div>「こちらの思いが伝わらず、保護者の方からきついことを言われたらどう対応しますか」</div><div><br></div><div>というのもありました。</div><div><br></div><div>学校と保護者は(保護者の方針で「学校に全く行かせるつもりはありません！」とでも言われてしまったら私には対処法が浮かびませんが…)互いに独立することなどあり得ないし、またはどちらかが優位に立つ、上の立場になると言う事はないと思っています。</div><div><br></div><div>保護者は子の教育にも対する第一義的責任を負うものです。しかし、その一方で学校教育は「民間サービス」ではないのです。(もちろん公立と私立では性質が少し異なるかもしれません)需要と供給という話からは外れた存在です。</div></div><div><br></div><div>大学まで来るとかなり変わってきますが、少なくとも公立高校の授業料が無償となっている(例外有)中、決して学校は保護者や子どものニーズを実現するためだけの機関ではない…とも言えると思います。ここがややこしくて、上手く考えがまとまっていないのですが。</div><div><br></div><div>しかし、そうは言っても第一義的責任が～とか云々言っている以上、最終的な教育方針や進路など、決定するのは子どもとその保護者です。学校が強制することは認められない。</div><div><br></div><div>では、保護者と学校の関係とは如何なるものか？</div><div><br></div><div><br></div><div>私が思うに…教師とは教育のプロである必要があります。</div><div><br></div><div>ですから、子どもに指導することはもちろん、保護者に対してもアドバイスや、場合によっては厳しい指導を行う必要があるのだと思います。</div><div><br></div><div>ただし、それも学校のご都合ではいけません。家庭の事情を汲みつつ、必要に応じて学校から情報公開をするというのも重要です。</div><div><br></div><div>昨今のいじめ対応は、こうした部分て失敗していないかな？とも個人的には思います。</div><div><br></div><div>それから、冒頭の「不登校生徒の保護者への対応」。</div><div><br></div><div>保護者は逆に言えば、素人ということになります(表現はともかく…)。だいいち、自分の子どもが不登校になってしまった時、完璧に導いてあげることが出来る保護者など普通はいないと思います。そんな経験のある人、全体で見れば少数派なのです。</div><div><br></div><div>こうした中では、保護者だって不安を抱えたり、苛立ちを覚えたりすると思います。それが普通です。</div><div><br></div><div>教師には、こうした保護者への適切なフォローと、ともに子どもを支援するという姿勢を持ち続けることが求められます。</div><div><br></div><div>モンペと言っても…モンペになる理由が、あるのでしょう。それが学校の方針と相容れないから「厄介」扱いされるのかもしれません。</div><div><br></div><div>結局、学校と保護者は相互に意見しつつ、立場は違えど子どもを育てる立場にある…いわば協働する関係でなければならない、と思うのです。</div><div><br></div><div><br></div><div>本格的にまとまりを欠いていますが、ここらで終わり。</div><div>もう数日で二次試験です。</div>
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<link>https://ameblo.jp/s-te6/entry-12061821346.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Aug 2015 22:15:09 +0900</pubDate>
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<title>家族とか喫煙とかに関する雑感</title>
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<![CDATA[ 教育というのは、そもそも学校が全責任を負うものではない…と考えています。<div><br></div><div>学校の責任が大きいのは間違いないです。しかし、教育基本法では</div><div><br></div><div>「父母その他の保護者が子の教育において第一義的責任を負う」</div><div><br></div><div>ことが示されています。</div><div><br></div><div>____________________</div><div><br></div><div><br></div><div>私が受けている某県教員採用試験の個人面接、過去にこんな質問があったようです。</div><div><br></div><div>「喫煙している生徒を見つけた場合、どのように指導しますか。」</div><div>「万一生徒が喫煙をやめなかった場合は、どのように対応しますか。」</div><div><br></div><div><br></div><div>個人的には、この質問に答えるのは少し難しいと思っています。</div><div><br></div><div>その要素は…</div><div>①「飲酒」「薬物」ではなく「喫煙」である</div><div>②(これは飲酒や薬物だろうと同じ)その生徒の「立場」で悪質性の度合いが違うのでは、という疑問</div><div><br></div><div>が、あるからです。</div><div><br></div><div>①飲酒は、量によっては死に直結します。</div><div>薬物は、死に直結することもあるし、依存が進むと自分の意思で自分を制御することが困難になってきます。そのため顕著に行動に異変が現れます。</div><div><br></div><div>差し迫った生命の危機が、実感されやすいものです。</div><div><br></div><div>しかし、喫煙は(もちろん危険はありますが)飲酒や薬物と比して、身体機能の低下や生命の危機が発生するまでの期間が長いと思っています(素人の知識なので違ってることは大いにあり得ますが)。</div><div><br></div><div>つまり、「それが自身にとって害である」ことを実感させにくいのではないか？と思うのです。</div><div><br></div><div>これはつまり、「別に死ぬわけじゃないし、禁止される理由が分からねー」ということになりかねないかな、と思うのです。</div><div><br></div><div>事実として、未成年喫煙の禁止は法律で定められています。しかし、喫煙した子ども本人に対しては「没収」が行われるのみです。本人の喫煙そのものに対する意識が変わるかどうか、疑わしいとさえ思ってしまいます。</div><div><br></div><div>②例えば、</div><div>1)友達に強く勧められ断りきれず、一本喫煙した</div><div>2)自分で喫煙するつもりで、何らかの手段で入手(購入)し、喫煙した</div><div><br></div><div>という二つのケースでは、(喫煙そのものには変わりないにせよ)明らかな相違があると思うのです。</div><div><br></div><div>前者はどちらかと言えば、従属的な喫煙とでも言いましょうか。後者は喫煙することを自ら欲しています。</div><div><br></div><div>同じ喫煙でも、両者では指導の仕方は少し変わるのではないか、というのが僕の考えです。</div><div>前者はとにかく断ることを選択できなかったことに対して厳しく指導することはしたとしても、それ以上に強く指導する必要はないかもしれません。その子の中には少なくとも「吸う・吸わないの葛藤」が存在していたからです。</div><div><br></div><div>後者はそうはいきません。明らかに葛藤はありません。場合によっては生徒の家族とともに厳しく注意、指導することが要求されます。たばこの入手経路が家族の可能性もありますし、そうでないにしても喫煙防止に家族の力も必要だと思われます。</div><div><br></div><div>こうしたところでは、保護者の第一義的責任というものが顕著に見えてきます。</div><div><br></div><div>そして、喫煙するまでの過程によっては必要な指導が変わるのではないか、と思うのです。</div><div><br></div><div>てなわけで、喫煙している生徒の指導は一概には言えないのかも？と思ったのです。</div><div><br></div><div>そして、学校だけで完結しない指導のあり方を必ず考えることが、学校・家庭双方のためにも良いのだと思うのです。</div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/s-te6/entry-12060426669.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Aug 2015 23:00:54 +0900</pubDate>
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<title>ちょっとしたご報告</title>
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<![CDATA[ 久しぶりの更新になってしまいました。ちょっと気持ちが落ちていたので…<div><br></div><div>といいつつも、某県の採用試験を受験していたわけですが、一次試験に無事通過いたしました。</div><div>もうしばらくがんばります。</div>
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<pubDate>Sat, 08 Aug 2015 23:56:38 +0900</pubDate>
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<title>敬うということ</title>
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<![CDATA[ 今日、塾で小学5年生を相手に授業を行いました。<div>国語でやったのは「敬語」。</div><div><br></div><div>テキストには、</div><div>「尊敬語:相手を敬う意思を示すことば。」</div><div>だとか、</div><div>「謙譲語:みずからへりくだることで、相手を敬う意思を示すことば。」</div><div>というようなことが書いてあるわけですが(正確な表現は忘れましたが)</div><div><br></div><div>そもそも「敬う」って…何？と。</div><div>そこを説明するのに大変苦しめられました。</div><div><br></div><div>どう「敬う」という概念を教えるのがよいのでしょう…</div><div><br></div><div>という疑問が残った1日でした。短いですが終わり。</div>
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<pubDate>Tue, 04 Aug 2015 23:31:57 +0900</pubDate>
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<title>質</title>
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<![CDATA[ 教育評論家の「尾木ママ」こと尾木直樹氏が、こんなことを言っていました。<div><br></div><div>原文ママではありませんが、趣旨は概ねこんな感じ。</div><div><br></div><div>「教員採用試験の倍率が低下している自治体が増えています。これは由々しき問題です。低倍率では教員の質の確保が困難になります。」</div><div><br></div><div>ちなみにどこの自治体でも概ねそういう傾向だと思いますが、小学校教員がもっとも倍率が低く、中学→高校と倍率は増えます。</div><div>また、中学以上でも教科によって倍率の高低差があります。飽和状態の社会や、副教科といわれる教科においては高倍率傾向があるようです。</div><div><br></div><div>しかしその一方で、新書『残念な教員』の著者、林純次氏はこんな趣旨のことを言っています。</div><div><br></div><div>「質という部分で言えば、中学・高校のそれに比べて小学校の教員は遥かに質が高い。何より授業のレベルが良質である。」</div><div><br></div><div>さあ、どうしたもんかな。中学・高校の教員の質が低いと言われる背景には様々あります。</div><div><br></div><div>部活動指導が多くなり、進路等のことを含めた庶務が大変に増えるために授業準備に割く時間が少なくなる一方、高度な内容を扱うために「講義形式」で教授することになり、実はそれ程に教材研究・授業準備をしなくても授業が「出来ている感」が出易い…など。</div><div><br></div><div>要するに「準備しなくても授業出来ちゃった」というところでしょうか。</div><div><br></div><div>私は某教育大学を卒業しています。その中で高校公民科免許取得の必修科目「公民科教育」の授業を受講しました。その際に、担当教授の言い放った一言、</div><div><br></div><div>「はっきり言って教科書さえあれば、授業は出来ちゃいます」</div><div><br></div><div>実際の授業実践を扱ってくれるのかな、と意気込んで受けた割に、この一言であしらわれ、しかもその後はどちらかと言えば哲学的な問題を扱う授業にシフトチェンジ。</div><div><br></div><div>もう、がっかりしました。</div><div><br></div><div>それでいいのか…？と。</div><div><br></div><div>結局、自分で実践例を調べることにしたのです(が、これが中々出てこない…)。</div><div><br></div><div>もちろん、ある種伝統的な講義形式を全面否定するわけではありません。効率の部分で言ったらこれ程良い教授方法は他にないからです。</div><div><br></div><div>しかし、せめて他の教授方法を検討することはしておきたい。</div><div><br></div><div>こういうことは今後、もし教員になることが出来たら頭を抱えて悩むことになるのでしょうか…答えは見えませんが。何が正解かも分からないのが、教育の難しいところです。</div>
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<pubDate>Mon, 03 Aug 2015 00:09:48 +0900</pubDate>
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<title>「集団行動」について考える</title>
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<![CDATA[ 私は教員志望と言っている以上、教育実習も行いました。<div>某公立中学校、2年生でした。ちょうど文化祭の時期、クラスは合唱コンクールの練習の真っ最中。</div><div><br></div><div>吹奏楽をやり続けていた私には当然…白羽の矢が立ってしまい、クラスの合唱指導を行うことになりました。</div><div><br></div><div>中学校の教育実習では、自分の免許教科について(私なら社会)と、道徳について研究授業を行います。</div><div>社会はともかく、道徳については」こういうシーズンだし」と安易な考えで、」周りとと協働する大切さ」について考える教材を取り上げ、研究授業を行いました。</div><div><br></div><div>結局この授業、結論としてはそこまで悪くない方に行きました(勿論、失敗もありましたが)。が、中に1人だけ象徴的なことをワークシートに書いてきた生徒がいました。</div><div><br></div><div>その生徒は合唱がとにかく嫌い。私の実習は文化祭の2週前までで終わりでしたが、聞くところによると文化祭直前に練習を脱走、当日も1人だけあからさまに歌っていなかった。(それでもクラスは最優秀賞=1位を取っちゃったんだけどね…)</div><div><br></div><div>そんな生徒、ワークシートに</div><div><br></div><div>「先生の言いたいことは分かったし、それが悪いこととは思わない。けどそれでも私は「みんなと一緒に」動きたいとは思えない」</div><div><br></div><div>と、書いてきました。</div><div><br></div><div>実習中だった私は、それを一意見として受け止める…というよりは受け流していました。が、今になると妙に心の奥に引っかかるものがあります。</div><div><br></div><div>いじめの研究を行っている、内藤朝雄という方がいます。その人はある著書の中で</div><div>「集団でまとまることを強いる」ことの問題を論じています。</div><div><br></div><div>集団で生活することには、何か無視できない負の部分も大きいのではないだろうか。</div><div><br></div><div>最近、そんなことを思ってしまいます。</div>
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<pubDate>Fri, 31 Jul 2015 18:12:28 +0900</pubDate>
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<title>それはどうなんだと</title>
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<![CDATA[ 度々話題に出すやんちゃ中学生。<div>今日聞いてみた。</div><div><br></div><div>中:「早く帰りたいー」</div><div><br></div><div>い@た「なら何しにここへ来てん」</div><div><br></div><div>中:「えー…？先生と遊びに」</div><div><br></div><div>…これはこれで私自身の立ち回り方を見直す必要がありそうですね…という自省も込めたお話。</div><div><br></div><div>今日はなんか忙し過ぎて、思考を巡らすことも出来なかったので終わり。</div><div><br></div>
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<pubDate>Thu, 30 Jul 2015 23:14:52 +0900</pubDate>
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<title>そう思うとむなしい</title>
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<![CDATA[ 今日はある意味、めちゃくちゃなことを書いているという自覚がありますが、とりあえず思うことを文字に起こしてみようと思います。<div><br></div><div>今日、授業が始まるまでの10数分、室長が話していたこと。</div><div><br></div><div>今は少子化が著しいから、塾業界も生き残りが厳しいし、新規参入なんてリスクが高いだけ。フランチャイズならともかく、個人経営塾ならある程度利益が出たところで撤退し、別の収益率の高い事業を始める方が良いし、実際そういう経営者も増えている、と。</div><div><br></div><div>こうした資本主義の必然的な流れ=より多くの利潤を得るために活動するという中に、子どもの教育が組み込まれてしまっている、と思うと少し虚しい気持ちになってしまったのです。</div><div><br></div><div>露骨に表現するならば、金を得るために子どもの教育を行う、という。学校教員だってそうですが、教員ならば税金から給料が支払われるから、性質はちょっと違うのかな、と。</div><div><br></div><div>この辺りは私自身の中でも少しもやもやしているので、うまく言えないのですが。</div><div><br></div><div>もうひとつ。小学～高校での学習内容より更に高度な学習をしたい→塾に行かせる、ならばまあ、納得できるのです。</div><div><br></div><div>ところが一部の生徒は、学校での学習についていけない→補充的要素として塾に行かせる、ということが起きています。</div><div><br></div><div>義務教育内容(=無償)を、塾(有償)によって補っているわけです。</div><div><br></div><div>こうした部分は、子ども自身の学習習慣のなさや家庭での教育不足とか色んな要素もあるのでしょうが…ある意味では、学校教育の不足さを示す部分もあるのかな、と思ったり。</div><div><br></div><div>何か改めて読み返しても破綻した部分があるように思える話なのですが、とりあえず今日はこんなことを感じてしまいました。</div><div><br></div><div>明日は久々の平日休み。何しようかな。</div>
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<pubDate>Tue, 28 Jul 2015 20:49:06 +0900</pubDate>
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<title>動機</title>
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<![CDATA[ 今日の塾で、先日話題に出したやんちゃ生徒。<div>授業始まっての第一声が「先生は良いんだけど、この塾の時間が辛い。帰りたい。」</div><div><br></div><div>前者は有難いことですが、後者はやはり疑問に思うのです。</div><div><br></div><div>「学校に行かないかん理由が分からん」なら、まだ合点は行くのです。義務教育は、本人の意思に反して受けなければならない…というなら理解はできる。(そういった生徒を学校に惹きつける魅力を生み出す必要がある、とか教員的にはそういうことになっちゃうんだと思うのですが)</div><div><br></div><div>しかし、塾は通うのは任意ですから、「行きたくない→行くのをやめる」という選択が可能です。行きたくないと思いつつ塾に来てるというのは、生徒の本意ではない(内心はどうか分かりませんが)。</div><div><br></div><div>塾はもちろん、本人が行きたいと思えば自動的に行けるものではなく、少なくとも中・高程度であれば親の意向があります。行きたくないと思った場合も同じく…。</div><div><br></div><div>「行きたくない」と言い続ける子と、それでも塾に行かせる親。</div><div><br></div><div>わたしは塾で働いてる身分ですから、通塾していただくのは有難いことだと感じます。しかし、何か矛盾したものを感じる瞬間もあるのです。</div><div><br></div><div>今度、思い切って塾に何故来てるのか、聞いてみるのも面白いな、と思いつつ寝ることにします。</div>
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<link>https://ameblo.jp/s-te6/entry-12055287653.html</link>
<pubDate>Mon, 27 Jul 2015 22:21:41 +0900</pubDate>
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