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<title>s-u-meのブログ</title>
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<description>自分の感じたことを感じるためのブログ。</description>
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<title>推しと私の距離</title>
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<![CDATA[ <div>つくづく思うけど</div><div><br></div><div>最近どこの界隈もオタクがでしゃばりすぎというか、見ていて怖い</div><div>ファンとアイドルは一定の距離を保たれるべきものだと私は思って今も過去も推しを応援してきた。</div><div><br></div><div>ファンなのに、オタクなのに、スタッフをSNSで晒したり、本人の悪口を言ったり、どうしてこんな世界になってしまったのか。</div><div><br></div><div>正直、｢ライブ撮影可｣の価値もよく分からない。</div><div>たまに推しをこの目で見れるその奇跡にみんな感動しているのかと思っていたけど、違うんだね。</div><div><br></div><div>難しい世の中</div>
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<link>https://ameblo.jp/s-u-me/entry-12902242466.html</link>
<pubDate>Sun, 11 May 2025 21:48:39 +0900</pubDate>
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<title>言葉の意味</title>
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<![CDATA[ <p>SNSが普及して、顔を合わせなくても言葉を伝えられる時代になった。</p><p><br></p><p>便利な時代だなあと思う反面、｢言葉にするべきこと｣と｢言葉にしなくてよいこと｣の区別がつく人が少なくなってきているように思う。</p><p><br></p><p>SNSがなかった時代に生きた人達でさえ、この時代に慣れきってしまったことで、昔は出来ていたことが出来なくなってしまっているのでは？</p><p><br></p><p>誹謗中傷が典型的な例。</p><p><br></p><p>この人が気に入らないな、と思ったって、どうしても言葉にしたいのであれば陰口で済ませればいいことだと思う。</p><p><br></p><p>わざわざ火力が強くなるSNSで発言する必要はないのでは？</p><p><br></p><p>私は基本的に本人に伝えられないことであれば、陰口であっても言うべきでないという考えでここまで生きてきた。これからも変わらない。</p><p><br></p><p>みんな私のように生きて欲しいとは思わないが、せめて自分の言葉に責任を持つことと｢言葉にしなくてよいことは言葉にしない｣ということが出来ないとSNSは向かないし、人間としてとても軽薄だ。</p>
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<pubDate>Tue, 01 Apr 2025 16:16:35 +0900</pubDate>
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<title>ハラスメントの弊害</title>
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<![CDATA[ <p>〇〇ハラスメントが毎日のように増えているけど、</p><p>なんだか生きにくくなってきている気がする。</p><p><br></p><p>おそらく、パワハラやセクハラは名称をつけることによって、みんなが認識しやすくなり、｢人が嫌がることはやめましょうね｣を広めるために作られたのかなと思う。</p><p><br></p><p>というか、わざわざ名称をつける必要はあるのか</p><p><br></p><p>人が嫌がることはしないってみんな分かっているはずなのに、それにわざわざ名前をつけるって変なの。</p><p><br></p><p>ハラスメントという言葉のおかげで、嫌なことをされた時にハッキリと｢これが嫌でした、こうして欲しいです｣と言える人も減っている気がする。</p><p>なんとなく嫌な気持ちがしたからハラスメントにあてはめよう、こんな人が多くなっている気がする。</p><p><br></p><p>世の中暗いなあ。私はもっと色んな人と話したいのに。</p>
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<pubDate>Mon, 24 Mar 2025 15:53:28 +0900</pubDate>
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<title>人生が豊かでないといけないという縛り</title>
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<![CDATA[ <p>女性にとっての幸せを問われる意味とは？</p><p>&nbsp;</p><p>昨今、多様性が謳われる時代で、女性にとっての結婚や子育ての位置付けも変化しつつある。</p><p>これら全ては、人には人の生き方があり、それを理解し合おうという考えによるものだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>人生を語るには必ず「幸せ」という言葉がついてまわり、皆それを求める。</p><p>&nbsp;</p><p>ここで私が疑問に思うことは、「人生は豊かでないといけないのか」ということだ。</p><p>&nbsp;</p><p>人並みの絶望しか知らずに一生を終える者</p><p>なに不自由な思いをせずに死んでいく者</p><p>明確な絶望から逃げられずに人生に幕を閉じる者</p><p>&nbsp;</p><p>これら全て「人生」だ。</p><p>&nbsp;</p><p>人生は豊かであるべきだという考えに、社会の人々は狂わされているとつくづく思う。</p><p>私を含め、生きたいように生きている人を、”それ以外”の人々が白い目で見てしまうこの世の中がそれを体現している。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「プロミシング・ヤング・ウーマン」</p><p>&nbsp;</p><p>この映画を見てあなたは、主人公を「復讐に人生を捧げた女性」だと感じるか、「ただ生きたいように生きている人間」だと感じるか。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/s-u-me/entry-12890063490.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Mar 2025 20:33:46 +0900</pubDate>
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<title>なぜ生まれてきたのか。</title>
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<![CDATA[ <p>今日は｢ソウォン 願い｣をみた。</p><p><br></p><p>ソウォンが治療を受けていくなかで、｢なぜ生きているのか。｣と発言した。</p><p>自分はこんな思いをしてまでなぜ生きているのかという意味があるように思えた。</p><p><br></p><p>また、違う場面では</p><p><br></p><p>｢つらい目に遭った人が笑顔でいるのは、周りの人に つらい思いをさせないためだ｣</p><p><br></p><p>という言葉が出てくる。</p><p><br></p><p>作中では笑顔が印象的なソウォンの内なる思いを表したものだろう。</p><p>誰も私のせいで悲しませたくない、ソウォンのそんな思いが作中の様々な場面で垣間見えた。</p><p><br></p><p>ソウォンは何もしていない、むしろ被害者であるのにどこか自分を責めるような気持ちで、周囲の人々の行動を見ている場面もある。</p><p><br></p><p>すごく悲しかった。</p><p>心優しいソウォンが死にたいとは思わず、｢なぜ生きているのか｣、そう思ってしまうような世の中が本当に悲しかった。</p><p><br></p><p>いつからこんな世界になってしまったんだろう。</p><p>自分はこの世界のどこに加担してしまっているのだろう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/s-u-me/entry-12889803961.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Mar 2025 17:58:24 +0900</pubDate>
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<title>自分の感じたことを感じるってなに</title>
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<![CDATA[ <p>「ナミビアの砂漠」をみて、自分の感じたことを感じることが大切という台詞に</p><p>ハッとさせられた。</p><p>&nbsp;</p><p>今までの人生で私は、自分が感じたものを一度客観的に考え、その場に応じて修正して「感じ直す」ことをしてきたと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>同じ映画の中で、思うことは誰でも自由にしていいと言ってきた人に、主人公が「じゃあロリコンが頭の中で感じていることも自由なんですか」的なことを言い返す。</p><p>&nbsp;</p><p>確かになあと思った。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、別にいいんだと思う。思うこと、感じることは自由だし不可抗力だから。</p><p>&nbsp;</p><p>それなのに、私は感じ直そうとしてしまうのはなんでなんだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私の脳内では、誰かと話すときやどこかに行ったときに、</p><p>&nbsp;</p><p>その場に相応しい自分と純粋な自分</p><p>&nbsp;</p><p>でよく会話が行われている気がする。1人討論会が一日中行われている状態。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これからは感じたことをストレートに感じられるようになりたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/s-u-me/entry-12889679863.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Mar 2025 17:59:56 +0900</pubDate>
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