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<title>no name</title>
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<description>ブログの説明を入力します。</description>
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<title>男と女の問題。テレビ。思った事。</title>
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<![CDATA[ 夫婦の不倫や浮気をテーマにしてトークをしていたのを見かけた。<br>いつも不思議に思う。<br>男の浮気はどうだとか、女の浮気がどうだとか。<br>どちらに責任があるとか、浮気するほうが悪いとか、される方が悪いとか。<br>一体何の話をしてるんだろうって思う。<br>例えば、私は一度も結婚も浮気もした事がないが、どちらかが浮気をしたとする。<br>それは確かに裏切りだ。性行為は、お互いの信頼を確認する作業だからだ。<br>お互いの恥ずかしい所を見せ合って、お互いの臓器に近い、弱い部分を触れ合って、<br>そうしてお互いの弱点を晒しても決して傷つけない関係である事を肉体で確認しているんだと私は捉えている。<br>それを行う必要があるのは独身の時に伴侶を探す為。<br>結婚してからはお互いの関係を、気持ちの上ではなく物理的に確かめあう為。<br>それを、本来必要の無い他者と行う事は、伴侶に対しての裏切りであるのは私も同意見だ。<br>だがそこから先、男が、女が、浮気した側が、された側が、そんな議論は正直何の話だろうと疑問に思わざるを得ない。<br>どっちが悪いとか、どっちに責任があるとか、そういうのも何でそんな話するのかよく分からない。<br>夫婦二人で辿った道の一つであるのなら、まず、そこでどちらが悪いとか、そういう問題以前に、許せないなら別れるべきだと思う。<br>しかし、許して一緒に生きるなら、浮気したという事象に対して縛られるのではなく、それに対して傷ついたものの存在を二人で真摯に受け止めて、浮気した側も、された側も、どちらかがどちらかを罰するとかではなく、二度とそんな悲しい事が二人の間で起こらないように、二人で何をすべきか寄り添って一緒に考えるべきなんだと思う。<br>だって罰を与えればすっきりして忘れるという単純なものではないからだ。<br>必要なのは、共に立ち向かう意識や姿勢。二人の結束の強さだと思っている。<br>そこに男女の隔たりは要らないし、加害者や被害者の概念も無いのだと私は思う。<br>あるのは、ただただ二人の今後の人生だけであって、善も悪も、意味も価値も無い。<br>ただ、そうした結果、もう一度浮気が起こった場合は、問題の焦点を見直す必要がある。<br>もう、それは浮気ではない恐れがある。<br>伴侶に対して、そもそも本気ではないという事。<br>これは、いかなる理由があっても別れなくてはならない。<br>夫婦というのは、つがいである事の印だ。<br>人間風に綺麗にいうと、愛し合っている証だ。<br>愛しあっていないのにその証を付けるとなると、他の目的の為の証となってしまう。<br>財産の共有、戸籍の共有だろうか。<br>だが、本来結婚とは、愛し合う二つの動物が、一緒に生きる事を示す印を持つにあたって、<br>財産や戸籍も共有する必要があるというだけで、財産や戸籍が第一の目的ではない。<br>つまり、お互いに愛し合っていないのに夫婦でいるという事実は、結果的に財産や戸籍目的に結婚するという行為を正当化するという事になるのではなかろうか。<br>それって犯罪だ。<br>だから、こういう問題って答えはシンプルなんだと思う。<br>あえてわざわざ議論する意味が分からない。<br>合理的に考える事を、情が無いと悪し様に言う人間がいるけれど、私はそうは思わない。<br>誰しも情はあるし、考える知能はある。<br>考える事を止めて、ただただ答えをよく分からないものへと変化させるのは、人間の悪い所だと思う。<br><br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 22 Dec 2014 14:02:02 +0900</pubDate>
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<title>スベリ芸の人</title>
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<![CDATA[ いや、むしろ今回主張したいのは、飲み会の席などで単にスベル人、である。<br>芸だったらそれはそれで本人的にも良いだろうし、周りも納得かもしれない。<br>セールストークもそうだけど、トークは生ものだから、面白い事言ってもウケない事なんて沢山あるし。あと、テレビでやってる事を飲み会でやっても中々ウケない。<br>テレビでやってる流れでウケようとするなら、忘年会の出し物であるとか、そういう企画でなければ難しいと思う。<br>そんなことよりスベル人だ。これはもう、一回そうなると、挽回するのは難しいのである。<br>そういう人の特徴は、「皆が求める事を言わない」のだ。<br>フェイストゥフェイスのトークは、顔を突き合わした皆でトークを作って盛り上げていく。<br>そんな中で、例えばこないだあった話だが。<br>ある女性が、相当酔って、誰かを指名し「こーんにーちわー！」と言う。<br>それに対して指名されたほうも「こんにちわー」と返して、周りがいやいやなんなんだこれ、おかしいだろ、など口々に思い思いの事を言い、笑う。<br>確かに、それを私は面白いとは毛頭思わないが、そこは付き合いである。勿論笑うし、突っ込みもする。<br>だが、スベル人は、そんなルールをどうも無視してしまうのだ。<br>いや、その席では私が悪かったのかもしれない。<br><br><strong>「○○さんこーんにーちわー！」</strong><br><br>と私にフリが回ってきたのだ。<br><br><strong>「こーんにーち……何させんねん！」</strong><br><br>で、ひと笑い作ってしまったのだ。まあ、これでウケる位の空気だったからというのもあったし。私はこれでこのフリも終わるだろうな、という計算の元であったのだ。<br>だが……<br><br><strong>「（私の隣に居た人に）●●さん、こーんにーちわー！</strong>」<br><br>うわあ。次来たかー、下手にハードルあげちゃったなー。と罪悪感を感じた。<br><br><br><strong>「……うん、夜だからこんばんわですよー」</strong><br><br><br><br><br>…………<br>…………<br><br><strong>なぜだ</strong>。<br><br>思いつかないなら「こんにちわ」で返せばいいし、皆それを望んでいる筈だ。<br>なんでわざわざヒネってスベルんだろう……。<br>その後、その人は事あるごとにフられる結果となり、しかもことごとくヒネってみたり、一旦断ってハードル上げたり、なんだかスベル方向へ自らもってゆくのだ。<br>結論から言うと、一般の会話でヒネル必要はあまり無い。<br>それよりも、皆がどんな答えを欲しがっているのかを察知する方が話しは盛り上がるのである。<br>お笑いは緊張と緩和というけど、それはあくまでショーとしてのものだから、みんな集まってグダグダしている場合は、緊張はいらない、緩和のみである。位思って参加しなければならないと思う。<br>なぜか分からないけど、意図せずスベッてる人を見ると、こっちが恥ずかしくなるから、不思議なものである……<br>
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<link>https://ameblo.jp/sada4969/entry-11917638794.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Aug 2014 00:04:54 +0900</pubDate>
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<title>書きかけて辞めた</title>
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<![CDATA[ 凄い長文を書いてた。<br>でも辞めた。<br>書いてて思った。<br>「才能があるってのは、実は大した事じゃないんだな」<br>って事と。<br>「努力って、自分のさじ加減次第のもんで、してもしなくてもどっちでも良いものなんだろうな」<br>って事。<br><br>何かを手に入れる為に行う行為は、色々あるって事だよね。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sada4969/entry-11916972478.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Aug 2014 17:39:10 +0900</pubDate>
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<title>平和祈念式典のスピーチの件で思った事</title>
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<![CDATA[ 凄く大衆が怖いと思った。<br>私はどちらかというと外見より中身を重視するタイプです。<br>だから、言葉そのものより、その中身を重視してます。<br>でも、こういう場でのスピーチは自分の言葉じゃない事は、皆分かってると思ってた。<br>スピーチライターの書いた台本を、演じて読み上げるものだって認識してた。<br>例えば舞台は、第３回公演のときと、第４回公演でセリフ同じじゃん！　って言う人って居ないんじゃないかなあ。<br>平和祈念式典って、「変わり続ける」必要ないと思う。<br>毎回同じ事やって、同じこと言うくらいで良いと思う。<br>だって、その方が、｢変わらないもの」の方が記憶に残るんじゃないのかな。<br>重要なのは、この場合気持ちだけだから。<br><br>そんな事より。<br><br>そんな表面的で形式的な言葉から、中身を批判されるんだ、って思うと、凄く怖くなった。<br>自己紹介とかも、「おい、●●社の面接のときと同じじゃないか！」とか言われるんだろうか。<br>別に、その時の心情としては必死かもしれないのに、そんな批判のされ方したら、もうどうしていいか分からない。だってさ、自己の人生観や価値観は変わってないのに、毎回同じこと聞かれたり、同じテーマに対してコメント求められるたびに、コロコロ中身替えなきゃいけないのか、って思うと喋れなくならないだろうか。<br>怖いです。世の中も人間も、怖いですね。<br>
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<pubDate>Sun, 17 Aug 2014 14:01:44 +0900</pubDate>
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<title>今からイイコト言います</title>
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<![CDATA[ 自分の人生に、意味や価値が無い。と思っている方、その通りです。<br>正しくは、貴方がそう思っている以上は、そうなのです。<br>神は居ると思いますか？　居るとすれば、それはあなた自身です。<br>あなたは、世界の全ての意味や価値を定義する権利があります。<br>あなたは、自己の内外の世界に干渉し、変化を与える権利があります。<br>その気になれば、奪う事も出来るでしょうし、生み出す事も出来るでしょう。<br>だから、もし、人生になんの意味も見出せない時に遭遇したら、<br>それはあなたの脚本が悪いだけ。<br>今すぐ書き直してしまえばいいんです。<br>もし、辛くてどうしようもない瞬間に遭遇した場合は、チャンスです。<br>面白いストーリーに悲劇は付き物、とびっきり面白い美談を創ってください。<br>前向きに生きろとは言いませんし、死ぬなとも言いません。<br>今を生きろとも言いませんし、堅実に生きろとも言いません。<br>あなたは、これまで多数の命や権利を奪ってそこに居るのだから。<br>悲観的になる必要はありません。あなたは神なのですから。<br>悲観的になったほうが、演出として面白いならそうしてください。<br>楽観的な世界観は、刹那的な面白さですから、長く楽しむ為には、悲観的な方がいいかもしれません。<br>だから、あなたのそのとびきり面白い世界が一定の成果を成した時。<br>その話を少しだけ、私に話してくれませんか？<br>私はいつまでも待ってます。<br><br>もう一度言います、あなたは、あなたの世界の神なのです。<br>すべては、あなた次第なのです。あなたに権利があるのです。<br>思い通りに世界の事象を変える事は出来ませんが、<br>それ自体の意味や価値は、あなたが定義する事が出来ます。<br>あなたの人生において、起こることすべてを定義し、それらをあなたの人生の一部として<br>形成する、あなたの物語の創造主。<br>私は、楽しみに待ってます。<br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 16 Aug 2014 00:27:01 +0900</pubDate>
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<title>バラエティ番組って作ってみたいですよね</title>
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<![CDATA[ ふと、そう思ったのである。<br>構成作家とかやってみようか。<br>テレビ、ラジオのバラエティ番組作成とか、燃えそうでしょ？<br>今まで見てきたから「面白い事を言ったり行ったりしなくていい」という独自の理論も生まれたくらいである。<br>要するに「面白気な雰囲気の演出」さえできていれば、そんなに面白い事しなくても、面白く思えるものだ。<br>この辺りは、詐欺師のセールストーク理論に通づるものがあるように思える。<br>実際に価値があるかどうか、という事はさして重要ではないって事。<br>
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<link>https://ameblo.jp/sada4969/entry-11910304686.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Aug 2014 17:55:47 +0900</pubDate>
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<title>ある声優さんのブログを見て……</title>
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<![CDATA[ ブログって<br>何を書いていいか分からないのだ。<br>反対語である何を書いてはいけないか、は凄くわかるのに、何故なんだろう。<br>書いてはいけない事が分かっているにも関わらず、書いていい事は分からない。<br>ムジュンしている。<br><br>事の発端は、ある人がもっともらしい事を言ったのである。<br><br><strong>「三ヶ月以上毎日更新したブログサイトは、人気になる可能性が高い」</strong><br><br>なんとなく確かにそうかもしれないと思わせるものがある。<br>残念な事に、実際の根拠となる事実自体は伺えなかったが、まあそうだろうなあと感じるだけの説得力がある様に感じたのである。<br><br><strong>しかし</strong><br><br>しかしである。そんな事はそもそも分かっているし、三ヶ月も毎日書くのはなかなか出切る事ではないと思うのである。<br>結果、私には無理だ。<br><br>というかそもそも私がブログをはじめたのは、文章を書くことが嫌になって、活字を見る事すら嫌でしょうがなくなったから、そのリハビリをしようと考えたからなのである。<br>他人の目に触れないただの日記でも良かったが、「他人の目に触れるかもしれない」という緊張感があった方がいいだろうと考えたのだが、実際、なにひとつ緊張感を感じないから不思議だ。<br>これが、実際不特定多数の目の前で書くとなると、もの凄い緊張感があると思うのだが……。<br>ともあれ、そういう理由だから、まあ実際は人気がどうとかはどうでもいいんだけど。<br><br>しかし、以下のブログサイトである。<br>http://ameblo.jp/moja-toneken/<br><br>偶然というかなんというか、ちょっと見てみる機会があったのだが、<br>なにやら、よく分からない声優さんのブログらしいが、注目すべきは今月である。<br>どうやらラジオの企画だかなんだかで、<strong>一ヶ月毎日更新しなきゃ罰ゲーム</strong>的な事をやっているのである。<br>なんだか友人にブログを書かせたりと卑怯な事を行っているが、私の注目しているのは。<br><strong>毎日書く事で、技術は向上するのか</strong><br>という事。<br>嫌々であろうがなんであろうが、毎日書くというのは凄い事だと私は思う。<br>それを一ヶ月という短い期間ではあるが、続ける事で、文章で魅せる技術に向上が見られるのか、という事である。<br>だって彼は、一応職業がら他人に見せ、受け入れられる為に書いているといっても過言ではなかろう。<br>どだい、ブログに限ったことではないが、短いストーリーで人に面白いと思わせるのは大概まず表面である。中身はそんなに重要ではない。<br>一発ギャグに中身はいらないし、すべらない話は中身より話術が重要であるように、<br>文章もそんな感じだと私は考えている。<br>だから、上記のブログの主も今月の終わりには今以上に面白くなるのだろうかという事なのだ。<br>それがもし今以上にならなかった場合は……私はブログを書くという行為の意味を失う。<br>他人の行動で結果が分かるのは、とっても楽で興味深いよね！！<br><br><br>
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<pubDate>Wed, 13 Aug 2014 21:24:24 +0900</pubDate>
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<title>なんか見た</title>
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<![CDATA[ 急に思いましたが、イザナギとイザナミの子作りの会話ってね。<br>お互いの身体の構造を尋ねあって<br>「私の体には一つだけ足らない所があります」イザナミ(女）<br>「私の体には一つだけ余っている所があります」イザナギ(男）<br>　<br><strong>「私の余っている所と貴女の足らない所をあわせてみたらどうでしょう？」イザナギ(男）</strong><br><br>的な感じだったと思うけど、すっげえ間接的なようで直接的な、考えているようで雑な感じがしますね（個人の感想です）<br>あわせてみたらどうか？　って発想がね、学術的ではなくて最早願望的、つまりあわせたいんだよ感を感じるんですよね。<br><br>それは置いといて。<br><br>詩人のインタビュー的なものがテレビでやっていた。<br>詩を書くっていうのは、書く、ではなくて書き留めるなのだと。<br>自分の想いを書くのであれば、一回しか書けない、それ以降は嘘になる。<br>実際は感じた事を書き留めるのである。<br>つまりアクティブ（能動的）ではなくパッシブ(受動的）だ。と語っておりました。<br><br>うーん、確かにそうだと思うんだけど、なんだろう、いまいち釈然としない。<br>完全なるオリジナルってのは世界に存在しない。<br>何かの模写を組み合わせてオリジナルが出来るんですけどね、彼は、オリジナル、個を否定したい訳じゃないと思うけど、<br>なんか、根本的な考えから私と違う様に感じた。一回話しをしてみたいけど、名前も忘れちゃったｗ<br>確かにね、作家でも言える事なんですよ。経験してきた事を重ねて、考えてきた想いを重ねて、作品の骨組みが出来る。<br>でも、私が言いたいのは、物書きってのは、基本的に嘘つきであって、それは人間自体嘘を付く生き物であるからこそであると思う。<br>そして、詩人もまた、嘘つきだと思う。<br>だから、嘘を否定する詩人や作家は信用できない。<br>嘘の無い人間って、単純でつまらないと思う。
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<link>https://ameblo.jp/sada4969/entry-11796750389.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Mar 2014 15:01:25 +0900</pubDate>
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<title>学園ラブコメは無理です。</title>
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<![CDATA[ タイトルの通りなんですよ。<br>書くのも読むのも見るのも無理だ……。<br>頑張って頑張って描写をしようにも、なんだろう、ピタっと止まってしまうんです。<br>恥ずかしいとかじゃないんだよね。<br>思うに、自分自身が、「これは何が面白いんだ」って思って書いてるから、つまらないんだと思う。<br>で、結果箇条書きみたいな文体になってしまう始末。<br>元々三人称でやってきたのに、一人称でやろうってのにも無理があったんです。<br>でも、自分はコレなんだ！　って出来る範囲を自分で決め付けるのはもったいないし。<br>どうしたもんかなあ……。
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<link>https://ameblo.jp/sada4969/entry-11789308932.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Mar 2014 19:03:38 +0900</pubDate>
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<title>なんという面倒な……</title>
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<![CDATA[ リハビリの為にはじめたブログだけど。<br><font size="6"><strong>恐ろしいぐらい面倒くさい</strong></font><br><br><br><br><br>なんだろう、ネタなんかなくても、適当に書いて、それを続けてればなんかリハビリになってんでしょ、的な軽い考えだったのだけれども。<br>……甘かった……<br><br>一番の難関は、やもすれば<br><strong>え？　ブログ？　俺そんなのやってたっけ？</strong><br><br>という状態になってしまっていることである。<br>すぐにブログの存在を忘れてしまう。<br>向いていないのである。<br>というか、ブログに向き、不向きがある事にびっくりした。<br>しょうがないから、人気のブログとかを軽く見てみた。<br><br>しかし、なんというか、「なんの為に」というのが明確なのが多いんだね。<br>いや、これ以上書くと何かを批判してしまいそうだからやめとこう……<br><br>しかし、ブログって大変だなあ
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<link>https://ameblo.jp/sada4969/entry-11777410312.html</link>
<pubDate>Thu, 20 Feb 2014 20:38:57 +0900</pubDate>
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