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<title>どこにいても　どこかに隠れてても　どこまでも　長く・・・</title>
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<description>アメリカ留学生活、4年目。自分のTrial,Life,Hobbies,Thoughts,etcを綴る。そして、とても届かないほど、遠いところに住む君へ、わたしを送れたら、いいな、と思う。</description>
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<title>イースター島ウルルン滞在記</title>
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<![CDATA[ 飛行機を3回も乗り換えて、ロスから16時間。 <br>イースター島10日間のホームステイ。 <br>ホストファミリーは、原住民族のナパ・ヌイ族。 <br>彼らは、公用語がスペイン語で、 <br>ナパ・ヌイの言葉、文化も強く守ろうと努力していた。 <br>人口約4000人のうち78%が、この民族がまだ住む。 <br>島は、端から端まで、約20キロメートル。 <br>歩いて、一周しようと思っても、無理ではない距離。 <br><br>島の収入が、観光でしか成り立っていないため、 <br>島の人は、観光人慣れしていて、優しかった。 <br>南米旅行を繰り返してきて、わたしは何度か <br>「日本人だからお金を持っている」とか「女だから」と <br>甘く見られることがあったけれども、この島の人たちは、 <br>人口4000人の中で、みんながみんなを知って、 <br>親戚などでつながっているため、なにも悪いことは考えない。 <br><br>ということで、10日間のわたしの移動手段は、 <br>「歩き」と「ヒッチハイク」だけだった。 <br>夜、外を歩いていても、人よりも、 <br>馬の糞を踏んでしまう方が、怖いくらいだった（笑）。 <br><br>8月9日水曜日 <br>チリの首都サンティアゴで、一日観光してから、 <br>イースター島に向かう予定だったけれども、 <br>南半球であるチリは今、冬。 <br>気温は2℃。 <br>薄着しか持っていなかったわたしは、即座にチリの新聞を開き、 <br>天気予報をチェックする。 <br>イースター島の気温は、22－15℃であった。 <br>空港で、“ゴリ押しスパニッシュ”を使い、 <br>一時間後に旅立つ飛行機に変えてもらい、 <br>予定より早くイースター島に到着する。 <br><br>自分の予定を変更したことを、 <br>ホストファミリーに知らせたかったのに、 <br>空港の公衆電話が壊れていたため、 <br>そのままタクシーで、ホストの家へ。 <br><br>やっと着いたけれど、家に誰もいない… <br>どんなに待っていても、誰も帰ってくる様子がない… <br>でも、家にカギがないので、 <br>わたしは勝手に家にあがり込んで、 <br>台所にあったフルーツを食べてしまった（笑）。 <br><br>それから、ホストマザーのルシアが、 <br>家に帰ってきて、挨拶を交わす。 <br>勝手に食べたことを謝ったけれど、 <br>まったく、彼女は気にすることなく… <br>ランチにパスタを作ってくれた。 <br><br>それから、モアイを見に出かける… <br>けれど、モアイがあるのは、 <br>家から1分もあけば、そこにあって、 <br>「やっぱり、いた！」という感じで見上げた。 <br>初めて、モアイにカメラのレンズを向けて、 <br>モアイをよく見ると <br>「君、すごい顔しているね」 <br>と、独り言を言ってしまった（笑）。 <br><br>夕日の時間まで、一人で海岸沿いを歩いていると、 <br>三重県の公務員、森さんという男性に出会う。 <br>「どうして、イースター島に来たんですか？」と聞くと、 <br>「3週間前に、競馬で28万円当たって、 <br>モアイでもデカイものを見に行くかー！」と <br>思ってしまった、おもしろさ抜群の人。 <br>「そのおもしろさ、公務員じゃ、もったいないですよー」と <br>わたしは言い、日が暮れるまで話してしまった。 <br><br><br>イースター島は、2・3日居れば、 <br>普通に島を満喫できるくらい小さな島である。 <br>そこに10日間もいるわたしは、観光ガイドに、 <br>ほとんど目を通さないで来た。 <br>3日間一人で滞在して、次の日帰る、この森さんから、 <br>ある程度のイースター島を、得、 <br>予定をある程度、立てることが出来た。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/saecology/entry-10016466149.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Aug 2006 15:35:13 +0900</pubDate>
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<title>カルロスの母。</title>
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<![CDATA[ 普通の旅行客は、このイースター島を旅の通過地点としか思っていない。 <br>2・3日で、一周できてしまう小さな島なだけあって、 <br>ほとんどが、タヒチ島からの旅行の「ついで」に、 <br>このモアイたちを見に来るだけだった。 <br>そんなところに、10日間もいようというわたしは、 <br>とりあえず「歩いて、島を一周してみる」「馬に乗る」というのが、 <br>旅の目的だった。（馬の話は、また今度！） <br><br>イースター島は、二つの火山から、島が出来た。 <br>そして、先住民たちは、その二つの大きな山をけずって、 <br>モアイを作った。 <br>今はもう、死火山になっていて、大きくできた穴には、 <br>雨水がたまり、それが島の飲料水となっている。 <br>溶岩の間から、生い茂る草や花を、上から見下ろすと、 <br>自然の力って、美しいと実感できる。 <br><br><br>8月10日（滞在2日目）と15日（滞在6日目） <br><br>ORONGOという二つあるうちの小さい方の山を、 <br>一人で登った。だいたい3時間くらいかかるけれど、 <br>そこは、左側に死火山。右側に、海。 <br>標高300メートルある崖っぷち。 <br><br>一度目に行ったときに、入場口で色々、長話をしてしまい、 <br>スペイン語を話せる日本人は珍しいと言われ、 <br>入場料の$10を、無料にしていれてくれた <br>カルロスおじさん。（写真１） <br>「絶対に誰にも、言っちゃダメ！」と言って <br>タダにしてくれたけれど、今はもう時効だろう。 <br><br>おじさんの優しさが忘れ切れず、 <br>また山を登って、会いに行くと、 <br>また無料で入れてくれたにもかかわらず、 <br>300メートル下の崖のまで、下ろしてくれた。 <br>これは、もちろん、世界遺産で、普通は下りてはいけない。 <br>けれど、先住民はその崖を、毎日下りて、 <br>魚釣りなどをしていたため、 <br>ちゃんと崖の間に足を置ける跡が残っている。 <br>すごく怖かったし、本当に足を踏みはずしたら、 <br>海に落ちて、岩に頭を打って、死ぬところだったと思う。 <br><br>おじさんと死火山を、見下ろして、 <br>色々な話をしばらくしていた。 <br>毎日、数百人も旅行者が来る国立公園ではあるけれど、 <br>みんな、写真をバシャバシャ撮って、立ち去るだけ。 <br>テレビのインタビューなども受けるけれど、 <br>ことが済むと、人は立ち去る。 <br>わたしのように、2度も戻ってきてくれた人はいない、 <br>と言われた。 <br><br>カルロスおじさんが、ここで働き始めたのは、約4年前。 <br>アルツハイマーを持つお母さんを連れて、 <br>ここに来たとき、この崖っぷちで、突然、発作が始まり、 <br>死火山の中に落っこちてしまった。 <br>それから、警察などが捜索したのに、お母さんの遺体は、 <br>なぜか見つからなかったそうだ。 <br>「とても悲しい出来事だったけれど、 <br>　死火山の横に咲く、紫色の花をお母さんだと思って、 <br>ここで働き続けている」と語ってくれた。 <br><br><br>（写真２）死火山と海の間の崖の上の道 <br>（写真３）死火山に茂る草花。紫の花が見える。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/saecology/entry-10016466128.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Aug 2006 15:34:13 +0900</pubDate>
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<title>MiCasa TuCasa</title>
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<![CDATA[ わたしのホームステイ経験は、 <br>アメリカ・コスタリカ・イースター島に及ぶ。 <br>色々な国の色々な家族と、少しの間、 <br>過ごさせてもらったけれど、このルシアママが一番、 <br>何事に関しても、ビジネスとしてのホストファミリーでなく、 <br>本当に「家の子」として接してくれたお母さんだった、 <br>と今、思う。（写真１） <br><br>「ミ・カサ　ツゥ・カサ」 <br>という南米のことわざがある。 <br>「わたしの家は、あなたの家」 <br>のように使ってくれていいのよ、という意味。 <br><br>ルシアママの接し方は、 <br>なにもそこに壁を感じさせない優しい教育だったと思う。 <br><br>＊ <br><br>初めて、起きた朝、 <br>「これから、どうなるのだろう？」と不思議に思いながら、 <br>台所に歩いてゆくと、ルシアママは、 <br>朝ごはんの用意を笑顔でしていた。 <br>それから、ポンっと、わたしにバスケットを渡してきた。 <br>一瞬、はてなマークが浮かんだけれど、 <br>「庭に行って、落ちている果物を拾ってきて！」と言われた。 <br><br>「庭」と言っても、人が植えたような植物は、そこにはない。 <br>ジャングルの中に、ただ家が立っているような感じ。 <br>パパイヤ・アボカド・タロ芋・オレンジ・グアバなどがある。 <br>そこになっているもの、 <br>すべてが生活のなにかの役に立つものだから、 <br>とりあえず、分からないものでも、わたしはカゴの中に入れた。 <br><br>この朝のフルーツ拾いは、わたしが帰る最後の日まで続いた。 <br><br><br>滞在３日目くらいからだろうか？ <br>ルシアママは、もう一つ、朝の仕事をわたしに頼むようになった。 <br>それは、台所の裏にある、ガスの元栓を入れること。 <br>しかも、スイッチを入れるんじゃなくて、マッチで火をつけると、 <br>ガスが入ったことになるやつ。 <br>昭和時代にも、見たことのないものだった。 <br><br>こうして、なにか物事を頼まれること。 <br>きっと、自分がこの島で「お客様気分」でいたら、 <br>とても嫌なものに、感じていたと思う。 <br>けれど、わたしは、仕事を与えられることで、 <br>ここの一員として、認められているような気がしたので、 <br>断らずに、受け入れた。 <br><br>＊ <br><br>わたしのホストファミリーは、 <br>純粋なラパヌイ族の血を引き続く家族だった。 <br>このラパヌイ族、日本で言えば、 <br>アイヌとか琉球を思ってくれればいい。 <br>日本本州・チリ本土の力が強くなって、 <br>先住民の方が差別対象、 <br>あまりいい教育を受けられるほどの経済力もなく、 <br>だんだんと、数が少なくなってきていているのも、現状。 <br><br>わたしが滞在している間、 <br>イースター島では、年に一度の島の健康診断がありました。 <br>チリの自衛隊が、島に数日間滞在して、全員を診察するのです。 <br>普段、熱心にカトリック教を信仰しているルシアママは、 <br>ボランティアとして、これを手伝っていた。 <br>わたしの朝ごはんを作ってくれる傍ら、 <br>朝8時から4時まで、ボランティアをしていた。 <br><br>ルシアママが、それを始めて4日目だっただろうか？ <br>夕方、わたしが家に帰ると、ソファに、 <br>ぐでんと身体を倒していた。 <br>「ケ・パソ？（どうしたの？）」と聞くと、 <br>ボランティアを首になったと言う。 <br>結局、島の人は、計算や都会のことに慣れていない。 <br>チリ本土から来た人の方が、計算も速いし、 <br>容量もいいから、仕事が簡単だ、と言われて、 <br>チリ人に仕事を取られてしまったのだそう。 <br><br>その日の夜は、とびきり風が強く寒かった。 <br>ルシアママも疲れていることだったし、 <br>みんなで外食をした。（写真２） <br><br>魚が多く取れるイースター島のレストランには、 <br>日本人観客向けにSASHIMIがあります。 <br><br>昔、ルシアママがSASHIMIをオーダーして、 <br>「わさび」がなにか？ということを知らずに、 <br>そのまま「わさび」を食べてしまって、 <br>「目が飛び出た！」という話を、 <br>いつもわたしにしてくれていたので、 <br>わざわざ、SASHIMIを <br>わたしのためにオーダーしてくれた。 <br><br>「一度、日本人がSASHIMIを食べるところを <br>見てみたかったのよ！」 <br>と、とても簡単で、珍しい注文を、ママはした。 <br><br>外は、ビュービュー風で、寒かったけれど、 <br>ほんのりと暖かい家族の時間だったと思う。 <br><br>＊ <br><br>ルシアママが、ボランティアを辞めてから、 <br>近所の8ヶ月の赤ちゃんを、毎日ベビーシッターしていた。 <br>この子は、チリ人とラパヌイ族のハーフ。（写真３） <br>赤ちゃんを抱えているのは、9歳のホストの子供、ピヨ。 <br><br><br>南太平洋の島に生息する <br>アボリジニー（オーストラリア）、マオリ（ニュージー）、 <br>フィージー、タヒチ、そしてラパヌイ族たちは、 <br>アジアから南に下ってきたという説が強いらしい。 <br><br>わたしは、この赤ちゃんのbabysittingを横で見ていて、 <br>ルシアママが、オムツを取り替えるときに、 <br>ちゃんと「蒙古斑」があるのを目撃しました！ <br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/saecology/entry-10016466095.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Aug 2006 15:33:18 +0900</pubDate>
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<title>モアイを造る男たち</title>
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<![CDATA[ イースター島の海は、遊泳禁止である。 <br>アナケィナという島の一番北東に、 <br>ビーチがひとつだけあって、泳げるのはそこだけ。 <br>それも、約200メートルくらいの小さいビーチある。 <br>島の9５%は、溶岩に囲まれていて、 <br>押し寄せてくる波は、とても強い。 <br>こんなんだったら、先住民たちは、 <br>この島から一歩も出れないでいた様子が、よく理解できる。 <br><br>イースターの海は、とても深いブルーで、気取らず。 <br>どこからか、押し寄せてくる強い波が、岩にぶつかっては、 <br>塩吹雪のごとく、バーンと強い波音を作っていた。 <br>「きっと、その海の中に入ったら、 <br>　波に飲まれて、死ぬのだろう。 <br>　だったら、そっと眺めているだけのほうがいい」 <br>とわたしは思った。 <br><br>島中、どこに行っても、海が見えるのに、 <br>滞在期間中一度も、海に入ることはなく、 <br>偶然、女の一人旅同士で仲良くなった <br>佐渡組藤井さんと、「男の海だね」と眺めていた。 <br>（写真１） <br><br><br>8月16日　水曜日 <br><br>滞在してから、ちょうど一週間が経った。 <br>わたしはもう、島の人の風潮や、考え方なども <br>だんだんつかめてきていて、気がついたら、 <br>島を手ぶらで、散歩するくらいになっていた。 <br><br>その日は、ルシアママがお昼にBBQをするというので、 <br>朝、市場に魚を一緒に見に行った。 <br>ママは、その後なにか用事があるらしく、 <br>わたしは特にすることがなかったので、 <br>「ここら辺で、ブラブラして遊んで帰る」と別れた。 <br>市場の中を一人で歩いていると、 <br>突然、あるラパヌイ族の男に話しかけられる。 <br><br>「君、ここでなにしているの？」 <br><br>「特に、なにも…」 <br><br>その男の顔が、 <br>驚くことにナイナイの岡村君そっくりなのだ！ <br>わたしは、「やっぱり、岡村君の顔って万国共通なんだ」 <br>と関心しながら、石に腰をかけて、彼と話し始めた。 <br><br>彼は8人男兄弟。 <br>お兄さんが、市場で魚を売っていて、 <br>一緒に着いてきている、と言う。 <br>お仕事は、朝、魚釣りで、魚を売る。 <br>昼間は、家で土産用のモアイを作っている。 <br>そして、ラパヌイ音楽をしているらしく、 <br>CDデビューをしているらしい。 <br>9月に、チリのサンティアゴまで行き、 <br>コンサートをする予定なので、 <br>今はそのために、お金を貯めているんだ、と話してくれた。 <br><br>（写真２）出会ったときの岡村君。 <br>岡村そっくりぶりを撮りたくて、 <br>「サングラス、取って！」と言ったのに、 <br>「これでいい」と言い張って、はずしてくれなかった。 <br>芸能人ぶりを出したかったのか？ <br><br>　　　　　　　　　　　　＊ <br><br>長髪かつマゲを結うのが、ラパヌイ族の男の伝統スタイル。 <br>モアイ像の上に乗っている帽子のようなとんがった石は、 <br>そのマゲをイメージしたものらしい。 <br>また、「独身男」はマゲを結い、 <br>結婚のときに、その髪を切り落とす儀式が、一時あったらしい。 <br>ラパヌイ族を見ていると、 <br>確かに家族を持っている男の人たちは、髪が短かった。 <br>時には、例外に、妻子持ちでも、長髪男はいた。 <br>それは、観光客に気を引く理由。 <br>または、だんだん減っていくラパヌイ族であるがゆえに、 <br>伝統として、残していきたい理由の2里が考えられた。 <br>（写真2の後ろに立っている男の人のが、伝統的なマゲ） <br><br>　　　　　　　　　　　＊ <br><br>（写真3） <br>岡村君に、「俺の家を見せたいから、車に乗れ」と言われた。 <br>トラックの荷台だったけれども、 <br>こんな体験も初めてだったので、躊躇はしなかった。 <br>そして、ほかの男兄弟も、みんな一緒だった。 <br>市場で売れ残った魚を、街中を走り回って、 <br>売りさばくのを、わたしも手伝い。 <br>岡村兄弟の仕事場兼、自宅に着いた。 <br><br>そこは、わたしが初日に通りかかったとき、 <br>「なんだか、変な男の集団だなー。 <br>　こいつら、絶対、かかわらねー。」 <br>と思っていたところだった。
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<pubDate>Thu, 31 Aug 2006 15:31:59 +0900</pubDate>
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<title>モアイを造る男たちⅡ</title>
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<![CDATA[ 8月17日　木曜日 <br><br>この日は、朝から激しい雨だった。 <br>どこにも行けないで、一人家でテレビを見ていると、 <br>空が突然、カーッと晴れたので、出かけることにした。 <br><br>わざとらしく、昨日行った、岡村君の家の前を通った。 <br>そうしたら、「アミーガ！（友達）」と叫ばれる。 <br>案の定、わたしは8人男兄弟の中で、有名人になっていた。 <br><br>＊ <br><br>彼らは、木彫りと石彫り両方のモアイを <br>彫刻刀を使って、造る。 <br>イースター島で売られているモアイ像の40-50％が、 <br>この兄弟たちの手から、作られているらしい。 <br>しかも、適当なんかじゃない。 <br>見せてもらったけれど、 <br>ちゃんとした参考文献のもとに、本物に似せて造っている。 <br>彼らが、モアイ一体を作るのに、 <br>所有する時間は、普通サイズのもので、約1時間だそう。 <br>けれど、腕が疲れるため、1日5体を造るのが精一杯。 <br><br>＊ <br><br>どうやら、ラパヌイの男は、気になる女に名前の次に、 <br>歳を聞くのが、習慣らしい。 <br>わたしが「24だよ」ということを言うと、 <br>8人兄弟の末っ子・トゥキと、一番、歳が近いことが分かった。 <br><br>「お前、馬に乗りたいか？」と聞かれた。 <br><br>わたしは、ずっとイースター島に来る前から、 <br>「イースター島に来たら、馬に乗りたい！」 <br>と漠然と思っていたので、速攻、OKした。 <br><br>そして、トゥキと馬に乗って、海岸をおデート☆ <br>（写真１） <br><br>彼から、色々なラパヌイに関する話を <br>聞くことができた。 <br><br><br>＊ <br><br>ラパヌイ族は、チリに占領されてから、 <br>だんだんと数が減ってきて、伝統も失われつつある。 <br>もともと、文字があったって、 <br>モアイ像があったって、ラパヌイ族の中で、 <br>引き継がれてこれたこと自体が、少ないのだから、 <br>ちゃんと守っていかなきゃいけないものだと思っている。 <br><br>自分たちは、「チリ人」と呼ばれるより、 <br>「ポリネシア人」と呼ばれていたい。 <br>なぜなら、ラパヌイ族に今、残っているものと言えば、 <br>「ラパヌイの血」と「ラパヌイ語」だけ。 <br><br>だから、自分は、ラパヌイ族としか、 <br>一緒になる気はないけれど、最近のラパヌイの女は、 <br>チリ人でも、誰でも、気にしないで一緒になる。 <br>結局、そういう男の方が、 <br>金があるからに決まっているからだ。 <br>でも、自分はラパヌイの血が残せないのなら、 <br>子供なんか作る気がない、と語ってくれた。 <br><br>また、ラパヌイ語というのは、 <br>一つの言葉が4・5通りの意味を成したり、 <br>時と場面によって、意味が変わってきたり、 <br>とても複雑なため、 <br>本や教科書にしてまとめることが、とても難しい。 <br>生活の中で、身体で覚えていかければいけない言葉だということ。 <br><br>トゥキは、ラパヌイ語を話せない子供たちが、 <br>最近増えていることを、真剣に語った。 <br>島の学校では、ラパヌイ語の授業が設けられているけれど、 <br>英語を勉強した方が、観光業などに使えるため、 <br>あまり価値を成していない。 <br>それが、とても悲しい、と言った。 <br><br>＊ <br><br>馬乗りから帰ってくると、 <br>トゥキの貴重な仕事時間を、わたしは邪魔していたため、 <br>わたしも、モアイ作りを手伝った。（写真２） <br>彫り上がったモアイを、紙やすりで擦ってゆく作業を <br>させられただけだったけれど、一体を終わらせると、 <br>わたしの腕は、チョー痛くなっていた。 <br>このモアイ彫り、男でも「腕が痛い」と言っている理由を <br>わたしが、体感できた体験だったと思う。 <br><br>「少し、休もう」ということで、 <br>トゥキと、彼の兄・ティオと3人で、 <br>コーヒーを飲みに行くことにした。 <br>けれども、街の中心の、おしゃれなカフェに入ろうとすると、 <br>わたしたちは、追い出された… <br>もう一軒のカフェの椅子にも座ると、 <br>「出て行け！」と言われた。 <br><br>それらの飲食店は、観光客相手に商売をしているため、 <br>見た目の汚い原住民が、客として来られては困るのだ。 <br>観光客10人＋原住民1人くらいの割合だったら、 <br>入れてくれるらしいけれど、 <br>観光客わたし１人＋原住民2人のわたしたちは、ダメだった。 <br><br>「こんなところで、ごめんね」と言われて、 <br>結局連れて行かれたのは、 <br>ラパヌイ族だけしか来なさそうな小さなカフェだった。 <br>壁には、 <br>なぜかニューヨークのツインタワーの写真が、飾られていた。 <br><br>「結局、自分たちの都合のいいように、 <br>弱い者いじめしかしない」 <br>と、３人で、タバコをふかしていた。 <br><br>（写真３） <br>右・トゥキ。左・ティオ。 <br>ティオも、岡村君とCDデビューしている <br>ミュージシャンである。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/saecology/entry-10016466045.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Aug 2006 15:30:55 +0900</pubDate>
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<title>モアイを造る男たちⅢ</title>
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<![CDATA[ 8月18日　金曜日 <br>いよいよ、明日帰るという日。 <br><br>日の出前に、目が覚めてしまった。 <br>昨日のトゥキからの話を、わたしは思い出していた。 <br>ラパヌイの「血」と「言葉」が、だんだんと薄れていく様子は、 <br>ウルルン2で話した、風に吹かれて、 <br>削れていくモアイ像のことを、思い出させた。 <br>けれども、それに対して、勇敢にあの8人兄弟は戦っている。 <br><br>彼らが、歌を歌う理由は、 <br>歌を通して、ラパヌイの言葉を残したいから。 <br>兄弟みんな、20代後半・30代前半の年頃なのに、 <br>「ラパヌイの血が、純粋に残せないんだったら、 <br>結婚する意味がない」と1人が言っていた。 <br><br>彼らは、「守る」ものが、何かをはっきり把握している。 <br>自分たちを守るために、守っているのだ。 <br>排他的な結婚拒否理由が、 <br>民族の繁栄を押しとどめているかもしれない。 <br>そして、その行為は、とても愚か者かもしれない。 <br>だけど、いざとなったら、男の方が本気で <br>守りたくなるのかもしれない、と、わたしは思った。 <br>「血を守る」ということは、男の本能なのである。 <br><br>＊ <br><br>スペイン語の環境に居すぎて、日本語か英語が、 <br>無償に話したくって仕方がなかったので、 <br>買い物がてら街に行って、誰かに話しかけようと計画した。 <br><br>① 市場の前で、日本のテレビ局が取材しているのを目撃。 <br>ジャーナリズム専攻のわたしは、 <br>話しかけようと近づいたけれど、話している内容が、 <br>チョー日本人で、ビジネス的なことだったので、やめた。 <br><br>② 女性日本人観光客に、「島に住んでいるんですか？」 <br>と、住人に間違えられる。（とうとう、間違えられた！） <br>その女性は、結婚してても、子供がいないので、 <br>旦那さんのお金で世界中を、一人旅している人だった。 <br>ランチを一緒にしたのだけれど、 <br>なんだか彼女の生き方に、わたしは賛成できず、 <br>その場を去った。 <br><br>③ 島住民のドイツ人、イギリス人男性二人と、 <br>昼間から、ビールを飲む。 <br>ドイツ人は、島でタクシー運転手をしながら、 <br>ラパヌイの女の人と、１年前に結婚。 <br>島に住んでからは、２年になるという。 <br><br>イギリス人は、島のレストランを経営しつつ、 <br>最近、ラパヌイの女と離婚したらしい。 <br>しかも、結婚期間６ヶ月。 <br><br>２人の男性は <br>「結婚してみると、女はすぐmaterialisticになる。 <br>酒とタバコがないと、ここでは生活できないね。」 <br>と言っていた。 <br><br>わたしは、その男に嘘のメルアドを渡し、別れた。 <br><br>＊ <br><br>「日が暮れるまで、どうする？」 <br>と自分に問いただしてみると、 <br>わたしの「行きたい場所」というのは、 <br>あそこしかなかった。 <br>また、 <br>わざとらしく、モアイを造る男兄弟の家の前を通ると <br>「アミーガ（友達）」と叫んでくる。 <br><br>ホビナという、20代後半女性にそこで出会う。 <br>彼女はナパヌイ族だが、 <br>高校・大学とサンティアゴ（チリ首都）に行き、 <br>英語を勉強し、今はホテルで働いている。 <br>「7年間、島を離れていたけれど、 <br>いつも島に戻ることばかり考えていたわ。 <br>だから、島で働くために、英語を勉強した。」 <br>と語ってくれた。 <br><br>ティオに「ガブリエラ（3歳）の女の子と <br>一緒に遊んでいろ！」と、言われた。 <br>友達の子供を、ベビーシッターしている最中だったらしいが、 <br>なにもすることのない、わたしに頼んだほうが、 <br>彼の本業が、はかどるみたいだった。 <br><br>（写真1）仕事中のティオ。（2）ガブリエラ。 <br><br>しばらくすると、 <br>ティオがジュースを買いに行こうと言うので、 <br>ガブリエラを真ん中にして、 <br>親子みたいに3人で手を繋いだ。 <br>お店まで行く途中、ティオがずっと <br>「ハガ・アウ・キア・コイ！ <br>ハガ・アウ・キア・コイ！」と、 <br>ガブリエラに向かって、繰り返し言っていた。 <br>ラパヌイ語で、「アイ・ラブ・ユー」という意味。 <br><br>「ガブリエラは、ラパヌイとチリ人のハーフで、 <br>まったく、ラパヌイ語を話したがらない子だから、 <br>こうして繰り返し、言わなきゃいけない」 <br>と、ティオは言った。 <br>そして、その横で、ガブリエラは1人で、 <br>スペイン語で歌を歌っていた。 <br><br>＊ <br><br>今夜は、岡村君とティオが、 <br>街のクラブ「カバイオ（馬）」で歌うというので、 <br>わたしも誘われた。（写真3） <br>島最後の夜だったので、遊ぶ気満々だった。 <br>そのクラブには、観光客はそんなにいなく、 <br>ラパヌイの人たちが、飲んで歌って、踊っていた。 <br>ライブが終わると、なんと、みんなで洞窟に行き、 <br>また飲んで、歌って、踊った。 <br><br>わたしのお別れ会の意味をなしていたのか、 <br>彼らにとって、普通のことなのか、 <br>分からなかったけれど、 <br>世界遺産を体感できた最高の夜の思い出だったと思う。 <br>その夜は、プラネタリウムのように、星がきれいに見えた
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<pubDate>Thu, 31 Aug 2006 15:27:11 +0900</pubDate>
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<title>最後の日</title>
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<![CDATA[ 8月19日土曜日 <br><br>朝の4時くらいまで、 <br>洞窟でジャンジャンやっていたのに、 <br>いつもと同じように、7時に起きれた。 <br>ホストファミリーは、まだ誰も起きて来ないので、 <br>イースター島、特有の溶岩の上に寝そべって、 <br>青空の上を流れていく白い雲を見ていた。 <br><br>ルシアママが「おはよう」と、 <br>いつもと変わらず言ってきた。 <br>一緒に、庭のフルーツを拾いに行き、 <br>ガスの元栓をマッチでつけて、その日も始まる。 <br><br>「おいしい、おいしい」と、毎朝2個も3個も <br>食べていたパンが、その日は1個食べるのだけで、胸がつまった。 <br><br>「いつ、また帰ってきてくれるの？」 <br>と、ルシアママは、何度もわたしに聞いた。 <br>そんなことを聞かれるたびに、泣きそうになったけれど、 <br>ママが笑顔だから、泣けなかった。 <br><br>家族みんなに別れを言ってから、 <br>モアイを造る男8人兄弟の家まで、走った。 <br><br>男たちは、昨夜の飲み会のことなんか気にせず、 <br>その日も朝から、モアイを彫っていた。 <br><br>「コモ・エスタ？（元気？）」 <br>「ビエン（うん、いいよ）」 <br>と、答えたわたしの声は、完璧に嘘をついていた。 <br><br>「とりあえず、座れよ」 <br>と、いつものように、男たちは椅子を出した。 <br>目がみんなと合わせられなくて、長い前髪で、 <br>自分の顔を隠していた。 <br><br>ティオと、トゥキが、それぞれ彼らの造ったモアイを <br>わたしにプレゼントしてくれた。 <br>「俺たちにできるのは、これだけだから…」と。 <br><br>トゥキが、わたしのバックパックを背負うのを <br>手伝ってくれたけれど、持ち上げたとき、 <br>「おまえ、こんなに重いのを、1人で持って帰るのか？」 <br>と言ったので、 <br>「あなたたちのモアイが、重い」 <br>と、わたしは答えた。 <br><br>みんなと、いつもより強くHUGをした。 <br>岡村君には「妹だからね」と言われた。 <br>最後の別れ際に、馬に乗せてくれたトゥキが”ALOHA”と言った。 <br><br>ラパヌイ族も、ハワイ人と同じように <br>“ALOHA”という言葉を使うのを、わたしは気づいていた。 <br>本当の“ALOHA”という言葉の中には、 <br>「こんにちは」「さようなら」 <br>「賛成」「乾杯」「アイ・ラブ・ユー」 <br>と何通りもの意味が含まれているのを、 <br>わたしは知っていた。 <br><br>なんて、今この場面に、 <br>ふさわしい、美しい一言なんだろう、と思った。 <br><br>これに返せる言葉が、見つからなかった。 <br>泣きたかったけれど、こんなイイ男の前で、泣けないと思った。 <br>振り返ったら、吸い込まれてしまいそうな <br>気がしたから、振り返らないで歩いた。 <br><br>わたしの持ち金は、ちょうどタクシーで、 <br>空港に行けるくらいだったけれど、また来れることを期待して、 <br>そのお金を取っておくことにした。 <br>空港までは、1人で歩いた。 <br><br>首都サンティアゴまでの5時間の飛行機の中、 <br>わたしは、ずっとすすり泣きをしていた。 <br><br>
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<link>https://ameblo.jp/saecology/entry-10016465914.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Aug 2006 15:25:49 +0900</pubDate>
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<title>あとがき</title>
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<![CDATA[ 15歳のとき、南太平洋の島・フィージーに行った。 <br>ちょうど、そのとき、わたしは、 <br>人生の目的や価値というものから、真っ暗で、 <br>それでも、高校に入りたてのわたしは、 <br>それから進路を決めていかなければいけない、難しい立場に立っていた。 <br><br>フィージー島で、わたしが見たものは、 <br>15歳の男の子が、成人になる儀式。 <br>この部族は、男を15歳で成人と認め、 <br>その子の誕生日の日に、トゲのついたツルで、 <br>みんながたたいていく。 <br>その痛みに耐えられて、成人として迎えられる。 <br><br>わたしは、その儀式を、 <br>偶然、目の前で見たけれど、衝撃的だった。 <br>そして、自分をなんて甘くて、 <br>優しい環境に住んでいるのだろう、 <br>と羞恥心を抱いた。 <br>カタコトの英語で、 <br>「わたしも、15歳だから、その儀式を受けたい」 <br>と、言ったけれど、それは男しかしない儀式で、 <br>女には与えられないと、説明を受けた。 <br><br>その旅行から帰ってきて、 <br>わたしは「しっかり生きよう」と思ったし、 <br>「勉強しよう」「大学行こう」「語学力をつけよう」と思えた。 <br>それから、アメリカ留学。 <br>メキシコ・カナダ・コスタリカ・ブラジルと、 <br>一人旅を続けてきたのは、 <br>そのとき抱いた劣等感を突き破るためのものだった。 <br><br>20歳のとき、自分の成人式のお金を、 <br>キレイな格好するより、中身を磨きたいと、旅費につかった。 <br>そして、23歳。2004年冬。 <br>3年遅れて、やっと、日本式の方法で、 <br>自分で自分を認められた、わたしは一人ぼっちの成人式をした。 <br><br><br>そのときから、ずっと「イースター島へ行く」と言っていた。 <br>もう一度、 <br>南太平洋・ポリネシア文化のあるところに、 <br>わたしは帰ってみたかったのだ。 <br>あと、小学校2年生の夏休みの自由研究に、 <br>「世界の七不思議」の本を読んで、紙ねんどで、 <br>モアイを作って持っていったことを覚えていたからだ。 <br><br><br><br>こうして、本当のモアイ像を見ることが出来て、 <br>そして、モアイ像を作っていた部族の末裔と <br>会話をすることが出来て、本当によかったと思う。 <br><br>少しずつ、モアイ像が、日々かけていくように、 <br>人の文化・言語・考え方も、風に流れて、変形し、失われてゆく。 <br>それは、自然的な現象ではあるけれど、 <br>イースター島のラパヌイ族たちは、 <br>語り継がれ切れなかった謎さえも大切に守り、 <br>それを自分たちの文化なのだと、今から伝えようとしている。 <br><br><br><br>わたしは、言語・文化・人種・国籍・宗教などを超えて、 <br>人がcommunicateするのは可能だと思う。 <br>だけど、それらを強く意識して持つことは、 <br>“who you really are”　 <br>ということを確信させるものだと思う。 <br><br><br>そして　わたしは　世界を愛してる・・・・・ <br><br>
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<link>https://ameblo.jp/saecology/entry-10016465827.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Aug 2006 15:21:44 +0900</pubDate>
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<title>自己中心文化　ミュージシャン編</title>
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<![CDATA[ 自分のことを永遠に話し続けるのが、 <br>　　　　　　　　　　　　　　　アメ人の自己中心文化の基本なのか？ <br><br>この夏、アメリカのロックバンドの通訳を、日本でしていたとき、 <br>3つのバンド、約20人くらいのアメ人と行動していたんだけど、 <br>みんな、すごい「話好き」だった。 <br>ていうか、ひたすら話している連中で、ずっと自分のことを、 <br>永遠に話していた。 <br>そして、ライブが終わっても、彼らが話し疲れるまで、 <br>2、3時間、通訳のわたしは待っていなければいけなかった。 <br>　　ベテランの方から聞いたのだけれど、 <br>　　こんなに楽屋で話だけで時間をもてあますのは、 <br>　　アメリカの西海岸の連中だけだそうです。 <br>　　言われてみれば、分かる・・・ <br>　　「イギリス人は、口数よりタバコ吸ってますよ」（楽屋で） <br>　　うん、想像できる！と思った。 <br>そんな彼らを見ていて、発見したことがあった・・・ <br>「彼らは自分が話す出番を待っているだけで、 <br>　　　　　　　　　　　　　　　相手の話なんて聞いてないんだ！」 <br><br>しかも、売れっ子、ミュージシャンの夜の生活も、自己中さまざま。 <br>既婚の30代後半の男が、堂々と、ストリッパーに入ってゆく。 <br>そういうことを、奥さんは、おおらかに許しているので、感嘆。 <br>または、苦労してきたミュージシャンも少なくないので、 <br>奥さんのことを非常に立てる人も少なくなかった。 <br><br>ビックなやつには、"ビックなハートのワイフ"が必要でもあるし、 <br>"ビックな支え"も必要であると学んだときでもあった。 <br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　＝　自己中心文化はこうして成り立つ。 <br><br><br><br>－－－ファンの自己中。 <br>どうしてか、熱狂なファンたちが、わたしの携帯番号を手に入れて、夜中の2時、3時に電話してきて、 <br>「○○に会いたいんですけど、どこで今夜飲んでますか？」と聞いてくる。 <br><br><br><br>"そんなこと知らねーよ!"というのが、わたしの本音であった・・・ <br>
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<link>https://ameblo.jp/saecology/entry-10006815195.html</link>
<pubDate>Tue, 06 Dec 2005 08:37:35 +0900</pubDate>
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<title>自己中心文化</title>
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<![CDATA[ 昨日の夜、ルーメのLISAが、モデルをしていた高校時代の写真を見せてもらっていた。彼女自身は「変わっていないでしょ？」と言っていたけど、 <br>わたしは、正直、写真のどこに彼女がいるのかも分からないくらいだった。 <br><br>そこに、韓ルーが帰ってくる。 <br>なにか、洋服を衝動買いしてきたみたいで、 <br>「見て！見て！」と超はしゃいでいた。 <br>だけど、彼女の買う服というのは、「30代後半のもの＋韓流。」 <br>「かわいいね」と言い返す、うちらも、ちょっとツライのが本音。 <br><br>初めの一つを韓ルーが、見せてきて、「かわいいね」と、一言、 <br>わたしとLISAが一度うなずいて、二人で、アルバムの話に戻る。 <br>　　　　　　　　　　　　　　　　　↓ <br>そうすると、また韓ルーが、違うものを出してきて、 <br>「どう？」と聞く。「うん、いいね」と答えて、アルバムに戻る。 <br>　　　　　　　　　　　　　　　　　↓ <br>そしたら、「じゃ、これは？」またまた韓ルー。 <br>「あは、かわいい」と瞬間見て、アルバムに戻る。 <br><br>と、こんな感じのかみ合わない状態がずっと続いた。。。 <br><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　＊ <br><br>　　　　LISAはLISAで、すごいアメリカ人的自己主張が強い。 <br>　　　　それは、彼女がこれまでしてきた事と、自分の考えを <br>　　　　永遠に話してくる。 <br><br>　　　　そして、韓ルーは、韓流の自己主張がある。 <br>　　　　それは、自分の持っているもの、手がけているもの、だけ。 <br><br><br><br>なにも、どこも、かみ合っていない二人の真ん中に立っている <br>自分に、内心爆笑。 <br>
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<link>https://ameblo.jp/saecology/entry-10006791261.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Dec 2005 16:56:34 +0900</pubDate>
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