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<title>光の羅針盤 SEASON 3</title>
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<description>自称変態評論家でございます。主な話題は現代風俗(性風俗ではございません)、音楽(歌・ピアノ・作曲)、自動車全般、アイドル(AKB48など)、政治、教育、島根県事情、メンタルヘルス、祭関係、美食などが多いと思います。</description>
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<title>最後の良心</title>
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<![CDATA[ 私はお互い様という心を大切にしている。<br><br>人は一人では生きていないのだから、私的な関わり合いはもちろん、仕事においても「あなたあっての私」という精神を忘れてはいけないと考えている。ただの一会社員ならば、自分の成績のために利益や売り上げを追求するのも仕方ないが、経営者は少なくともそうした気持ちを持っていて欲しいと私は思うのである。<br><br>そうした意味では、経営側との意識のズレを感じている部分がある。これが絵に描いたような悪徳経営者ならばさっさと去るところだが、下手に人がいいからタチが悪い。きっと悪気があってやっているのではないからなのだろう。<br><br>うちの社長はよく「お客に迷惑がかかる」「お客のため」という言葉を口にする。しかし、その言葉を従業員が素直に受け取れなかったり、どこか曲がって聞こえてしまうのは、その思いの真意が本当にお客さんのためではなく、自分のためであるからだと思う。<br><br>うちの経営者は人のためになり、人を大切にし、そこから商売につなげて自分も相手も笑顔になるという考えは欠落している。いかにお金を引っ張り出す口をたくさん作るかということが第一なのである。それが無くなれば自分が困る。だから「お客に迷惑はかけたくない」。<br><br>それを感じ取るから従業員はそのやり方から一歩引いたところにいるようになる。仕事だから割り切ればいいかもしれない。けれど、誰だっていい気分はしない。自分の仕事で人に感謝されたいし、人の役に立ちたいものだ。<br><br>社長はお得意様からこそたくさん金を取らないといけないと云う。そのために関係を作っているのだという。お客さんが人ではなくお金に見えている。経営とはそういうものなのだろうか。商売とはそういうものなのか。私が非現実的な理想を掲げているのだろうか・・・。<br><br>たまたま今はまぐれでそれが成功している。ただ、それは一時的なもので、成功しているように見えているだけだと思う。長続きはしないだろう。いつかやっていることがバレる時が来る。目先の実績や利益だけを追求しすぎている。まだ若いからそうなるのかもしれない。でも、気が付いたときにはもう手遅れとなるだろう。<br><br>10年、20年先のことを考えたら私はもっと本当の意味でのお客さん第一主義が必要であると思う。正直、申し訳ないけど10年後どころか5年、いや3年後にはもう私はここにはいないと思う。だから割り切ってぼったくり商売をやっていればいいかもしれない。でも、私はだからといって自分の生き方や人生観を捻じ曲げようとは思わない。今はそれで実績も出しているから文句も言われまい。<br><br>私はおこがましいかもしれないが、この会社の最後の良心でいたい。でも、それは決してヨコシマな動機ではなく、本当にお客さんに感謝している上、1人の人間として関係作りをしていくことを一番大切にしているからだ。だから自分がしたことに対してお客さんも返してくれる。結果は付いてくるものだ。<br><br>だから私がいなくなった時、その意味がわかるようにしておきたい。私がごっそりお客を持っていくことで。
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<pubDate>Tue, 07 Feb 2012 20:41:45 +0900</pubDate>
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<title>すぐに投げ出すな！</title>
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<![CDATA[ 鉢呂 前経済産業大臣が辞任した。原因は失言だという。ひとつ明らかになっているのは福島県を視察して言った「死の街」という発言。これは実際テレビカメラの前でも言っており、国民の目にも明らかである。そしてもうひとつの理由が、放射能を付けた付けないという言動である。マスコミが主張しているものの、これは極めて不明点の多いことである。なぜなら、カメラも何もなく記録に残っていない。我々国民が判断することができない理由も含んで辞任するという。<br><br>私は真実は一体なんなのか、いろいろと調べていたが、さまざまな情報を総合するとおそらくこういうことではないかと分析する。<br><br>福島県から戻り、記者の前に現れた鉢呂氏は大臣などが被災地を視察する時によく着ている防災服を着たままだったという。当然放射能が多い地域も行っている服のままであるから、その防災服に付いている放射性物質については心配はある。その点、記者がしつこく言った場面があったようだ。しかし、就任したばかりということもあり、震災対応で寝る間もない大臣であるから、当然着替えている時間もなく、少しイラっと来た鉢呂氏が記者に一歩近寄ったというような話である。マスコミはその先を「放射能をつけてやる」などと言ったとしているが、そうした発言があったかどうかは確証がない。確かに、放射性物質が付着している服を着ていて、それを指摘され近づいて来れば「俺に付ける気か!!」ということになる。つまり、この事件に関しての本当の解釈は、新聞記者が「ボク、大臣に放射能付けられそうになった!!」ということである。まったくもって個人的な恨みを記事にしたに過ぎない。実際、鉢呂氏はそのようなことは言ってないだろう。なぜなら、新聞各紙全部が全部表現が違う。<br><br>これは大変な問題である。なぜなら記者の勝手な私怨で国民のために働いている大臣を辞任に追い込む。映像にも音声にも残っていない不確実な根拠により、国民が知ることができない理由で、大臣を辞めさせるのである。こんなことが通るならマスコミはすべての人間を陥れることができる。ありもしない捏造によって人の人生を台無しにして来た事実は枚挙に暇がない。こうした誤った権力の乱用というものを、そろそろ厳しく罰する法律を作るべき時に来ている。<br><br>私は鉢呂氏はこうした言動の責任を取ったのではなく、こうしたマスコミの腐った手に乗ってしまったことで辞任したと見ている。確かに与党経験が未熟な民主党議員はそうした揚げ足取りをされまくっている。まだ、マスコミを信用していたりする人もいる。やはり一人前の政治家になるためには、そうしたメディアとの関係をどう築けるかということが重要になってくる。私は、前の記事で野田総理はマスコミの息があまりかかっていない総理でいいと言った。短期間の代表選によって、マスコミにコントロールされることなく、日本の総理が決まった。しかし、メディアにとってはそれはおもしろくないことである。今までほとんどの政権で、総理になれたのも俺たちのおかげだろ？と言える関係を築き、そしてうまい汁を吸ってきたのだから。しかし、野田総理はそうではない。さて、どうしてやろう。大臣を何人辞めさせられることができるかな・・・。こういうことである。俺たちの力があれば大臣の一人や二人の首など飛ばしてやれる。マスコミは今、そればかり狙ってつまらん質問をしては失言を引き出すことに一生懸命だ。<br><br>つまり、これからまだまだ槍玉に挙げられる大臣は出てくる。その度に大臣は辞任するのか。私は最近のこのすぐに辞任するという風潮はおかしいと思っている。プリクラ流出したからグループ辞めます、ブログが発覚したからキャプテンは辞める、この前もあるマイナーなアイドルが体調不良で仕事を遅刻しただけでその仕事を降りていた。なんなんだろうかと思う。一見すると辞任することは重い責任の取り方のようにも思える。しかし、本当はそうじゃないだろう。人間なのだから間違いはあるし、失敗だってある。そうしたことを乗り超えながら立ち向かう姿勢こそが、今必要なことじゃないか。そういう芯の通った人間が政治家として求められるし、マスコミがなんと言おうと良い仕事もしているのなら総理、党はもとより野党もそれを認めて守るくらいの一体感がなぜない。私はどちらかといえば自民党に望みを持っていたが、野党になってからの自民党はひどいもんだ。君たちが与党の頃はまったく同じことをしてなかった？と問いたい。くだらない足の引っ張り合いをする暇があるなら、この国のためのことを考えて欲しい。今は政権の座に就くことは二の次にしろ。<br><br>私はもっと国民にはその先の報道しないところを見てもらいたいと思う。鉢呂大臣は実は大臣就任前から福島をよく訪れて、子どもたちが安全に生活できるように尽力していたということを。この辞任を大変残念に思い、マスコミはいらんことをしてくれたと思っている人は被災地だけでなく自民党にも実はいる。経済産業省の内部でもアグレッシブに悪い人材を放出しようとしていたという。良い仕事をしようとすると叩かれる。おそらく、記者と官僚は癒着しているのだろう。<br><br>国民はこんなことにもう騙されてはいけない。マスコミが国民不在で勝手に政治を牛耳るなどということはあってはならない。こんなマスコミは早急に放送免許を取り消さなければならないし、私たちも見ないようにしないといけない。そして、今のこの国に必要なのはすぐに辞任する逃亡癖のある人間ではなく、良いことを最後までやり通せる肝の据わった人である。私たち国民もすぐに資質がないとか、辞任しろというのではなく、その人の本当にやろうとすることで評価して、くだらない言葉狩りに惑わされないようにしなければならない。
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<link>https://ameblo.jp/saiteruotoko/entry-11016113277.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Sep 2011 21:34:26 +0900</pubDate>
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<title>誰が言ってる？増税賛成</title>
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<![CDATA[ 新聞社のHPの記事に「復興増税に6割が賛成」なる話が出ていた。安住とかいう財務大臣もテレビに出演し、「税金を納めてもいいだなんて、こんな尊い声はない」などと発言していた。しかし、私は不思議でならない。誰がそんなことを言っているのか？聞いたことがないのである。<br><br>我々のような若い世代に増税してもいいよと言えるような生活をしている者はいない。私のような曲がり者は例外としても、まともに人生歩んでいるやつだって、生活が苦しいと言っている。日本の会社の97%を占める中小企業に勤務している20～30代の給料は、もはや仕事をするのが馬鹿馬鹿しくなるレベルにあるのだが、それでも仕事があるだけマシとみんな我慢しているのである。<br><br>そういった現実の中で、まだ私のような気楽な独身族は最低限の贅沢もできるが、結婚して子どもでも産まれれば家計のやりくりに苦労するのが普通である。特にこの島根・鳥取の賃金レベルの低さは悲惨なもので、大学生のアルバイトと変わらない！と思うくらいである。共働きが当たり前。2人で働いてやっと都会の1.5人分の収入を得る。<br><br>そんな我々の世代に、誰が増税OKと言う者がおるのか。結論から言えばおりません。では、誰がこんなことを言っているのか。老人なのでございます。散々借金を作り、若い世代に先送りして来た高齢者。現在も若い世代よりもたくさんの年金をもらっている年金生活の老人が、ワシは先も短いし（貯蓄だってたくさんあるから）、少しくらい増税されてもかまわないと、こう言っているに過ぎない。<br><br>これはまったく国民の意見を反映しているとは言えないわけです。若い世代を無視した増税議論であり、野田首相の言う「負担を次の世代に先送りにしない」という耳障りのいい言葉は、実は「負担を次の世代に押し付ける」という意味なのです。<br><br>私たちの世代としては、負担先送りいいじゃないとなります。当然です。今までそうしてきたのになぜ突然私たちの世代になったとたん、親や祖父母世代の作った借金と自分たちの代で起こった災害などの負担を一緒にかぶらなければならないのでしょうか。そんなバカなことはあるかとなります。<br><br>税金は平等に徴収しなければなりません。同じ痛みを分かち合わなければならない。そのためには金持ちからは多く取らなければならないし、年金生活の高齢者からも取らなければいけない。さらに、増税をお願いする政治家や役人は賃金を3割以上カット。そうしなければいつの間にか恒久的な増税になるに違いありません。その他、わけのわからない公益法人をすべて廃止したり、日銀に多少のお金は新規で刷らせるといったことも必要です。<br><br>こうしたあらゆる手を打ち、すべての人、世代が痛みを分け合わなければ我々の世代は増税なんて受け入れることはできません。私たちの世代だって黙っているわけではない。東京がロンドンのようになる日はそう遠くないと私は思っています。もう40代以上に日本は変えられないと思う。<br><br>無能な彼らが「ゆとり」と笑う世代が日本を救うことになると私は確信しています。私は少しだけ上の世代になってしまうけれども、早く若い世代の手にこの国を取り戻さなければならない。そう思っている同世代の人は多いのではないかと思います。
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<link>https://ameblo.jp/saiteruotoko/entry-11011417799.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Sep 2011 22:11:17 +0900</pubDate>
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<title>総理を選ぶ視点 -マスコミの本音は-</title>
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<![CDATA[ 本日、野田佳彦氏が国会で第95代内閣総理大臣に指名された。日本国では象徴であるが事実上の国家元首である天皇陛下から任命を受けなければ就任にならないため、正式な総理大臣の就任は9月2日の見込みである。<br><br>元々今回の民主党代表選挙では、有力とされていたのは前原と野田の2名であった。しかし、最終局面で小沢一郎が海江田万里を支持する旨発言したため、突然海江田が主役クラスに躍り出た。「神輿は軽くてパーがいい」。小沢が言ったとされる有名な台詞である。そもそも経済産業大臣として今回の原発問題関連の追求により「ボクもうイヤ・・・」といわんばかりに委員会で泣き出し、責任を取って辞任すると言っていた人間が代表選＝総理候補者選びに出ようというのがそもそも理解不能（なぜ昇格する？）だったが、おそらく裏で小沢に出馬をそそのかされたのだろう。<br><br>党内でその時点で最大のグループを誇っていた小沢の支持を得られれば、この乱立状態の中で総理になれる可能性は一気に高まる。本来海江田など絶対総理になれるわけがないのだから、たとえ小沢の犬に徹することになっても悪い話ではない。しかし、小沢もドSだ。「僕が小沢政治を嫌いなほんとの理由」なんて本を書いた人物を神輿で担ぐ。これで総理になれば海江田は二度と小沢に足を向けて寝られない。頭が上がらない。際立つは海江田の身の程知らずと愚かさである。<br><br>その海江田総理実現。これだけは避けなければならなかったわけだが、さすがの民主党議員もわかっていたのか。突然髪型を変え威厳がある風に偽ったが、短時間では風格の無さや頭の悪さを誤魔化すことはできず、あの幼稚な演説でやっぱりやめたという議員も多数いたようだ。<br><br>本来なら、私は前原総理十分あったと思う。というよりも、野田総理の方が意外な展開であろう。しかし、前原は昨年韓国人からの献金問題で外務大臣を辞任しただけでなく、お世話になった人とはいえ韓国籍の人物を外務大臣の椅子に座らせている写真などが流出。若年層人気が一気に落ちてしまったばかりでなく、この代表選のさなかにも外国人からの献金が発覚しており、今この人を推すのは危険という雰囲気が流れてしまった。そのため、今回の入閣もなく政調会長となっている。<br><br>今回、代表選が唐突に行われて、あっという間に決まってしまった件についてはマスコミだけで非常に批難されていた。しかし、この日程を決めたのは誰だろうか。岡田幹事長だろうか? なかなかやるなと思う。少なくともこの日程を決めた人物は、多少この国のことをまじめに考えている人ではないかと思う。もちろん民主党のこともだ。当然これで失敗すれば民主党は選挙で大敗し、存続すら危うい。<br><br>なぜ、私がそう思うのかというと、例えばこの民主党代表選を立候補から投票まで1週間取ったとしよう。私はおそらくそのくらいの期間があれば前原総理になったと思う。前原は純日本人にとってはあまり喜ばしくない政策を求める筋の人も支援しているし、何より野田よりはるかに甘いマスクで今時テレビなんか見ている層のウケもいい。1週間もあればおバカの「お」はおばさんの「お」と言われる人たちを前原推しに変えてしまうことは十分に可能である。そして、国会議員もまた情けなくその雰囲気に流され勝ち馬に乗ろうとする。<br><br>マスコミは政策論争ができないとか、こんなに簡単に日本の総理大臣を国民不在で決めていいのかなどとキレイごとを並べて不満を露にしていたが、なんのことない本音は俺たちが総理を決められないじゃないかと！ということである。<br><br>今の日本、本当に大変な時である。震災だけではない。この国の行く末がどうなるのかという大事な絶対に外せない総理選び。それに芸能人的な人気の視点なんて絶対入り込んではいけない。ましてや日本の腐りきったマスコミの意向が反映されてしまうなんてあってはならないことである。マスコミに借りを作ってはいけない。それを最小限に阻止したという点で、私は民主党を少し評価している。<br><br>野田新総理大臣は、自身が「どじょう」と言ったように見た目はカッコいいとは言えないし、まだカリスマ性もそんなに見えなければ、国民から人気があるわけでもない。しかし、これまでの日本の総理はそうした変なことで選ばれすぎた反省がある。今はそういう時ではない。実務派、誠実な人柄、党内だけでなく野党も含めて信頼を得られる人。そうした人が一番総理になるべき時である。また、変なイメージ先行ではなく、リアルから入れる人。私が積極的ではないにせよ、この候補者の中では野田氏を推したのはそうしたことからである。<br><br>振り返れば11年前。小渕総理も存在感が地味であれこれ言われた。よく考えれば見た目が地味とかそういうことを総理に求めている日本のマスコミのレベルの低さをこの歳になれば理解できるのだが、当時の私はなんとなく確かに小渕氏ってちょっと華がないよな・・・なんて思ったりしていた。だが、そんなことで国のリーダーを決めるのはもうやめよう。そのためには野田新総理には十分な実績を残してもらわないといけない。私は期待している。
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<pubDate>Tue, 30 Aug 2011 23:14:29 +0900</pubDate>
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<title>瓦礫処分問題について</title>
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<![CDATA[ 菅直人まもなく前首相が、放射線に汚染された瓦礫を処分するための中間貯蔵施設を福島県内に設置することを要望したという。ただ、最終処分地と考えていないという点は引っかかるものがある。<br><br>これから書くことは福島や東北の方々にとっては非常に厳しいものであり、気分を害する人もいるかもしれない。しかし、明日はわが身。同じく原発から30キロ圏内に住む住人であり、また小さい頃から広島のお隣で無言の圧力もあり、原爆など核兵器に関する教育を、おそらく東日本の子どもより圧倒的にたくさん受けてきた一人の意見として受け止めて欲しい。<br><br>私は今回の件に関しては賛成であり、最終処分地も原則県内であるべきだと思う。つまりは、福島で出た瓦礫は福島県内で処分。岩手で出た瓦礫は岩手で処分というように、外には持っていかないということを徹底しなければならないと思う。<br><br>これには1つは、放射能などに汚染された物質を汚染されていない地域へ持ち出すというのは、絶対にあってはならないことというのがある。みなさん覚えているだろうか。2年くらい前、宮崎県で口蹄疫が流行し、宮崎県内の牛や豚などが大量に殺処分された。同様に、この島根県でも鶏インフルエンザが起これば鶏は全羽が殺処分されたのである。<br><br>なぜ処分されるのかというと、少しでも被害を少なくするためである。同じ地域、あるいは他県にウイルスが広がれば食の安全だけでなく、畜産物の安定供給にも関わる問題が生じる。農家の生活も大打撃を受ける。こういったことで全力で拡散を阻止するわけである。<br><br>今回、こっそりと東北で出ている瓦礫を他の都道府県に持ち込んで処分するといった提案が出ているが、それは口蹄疫や鶏インフルエンザウイルスを全国にわざわざ拡散させることと同じである。目に見えない放射性物質。だからこそ楽観的になってしまうのか。いや、おそらく陰には悪い企みも相当にあるに違いない。<br><br>つまり、今後福島を中心に東北では必ず放射性物質による健康被害が明らかになってくる。信用できないこの国の政府。電力会社ともグルであってもおかしくない。細野豪志原発問題担当大臣が真っ先に外で処分するなどと発言することは、本当に危機感を感じる。原発問題担当の大臣である。それまで素人だったとしても、ここ半年で原発や放射能汚染に対して、それなりに学んだはずだ。そんな人がこういうことを平気で言う。怖すぎる。いやはや、本気でそんなことを言うのであれば、細野の地元である静岡でまずはやるべきだ。静岡県民に選ばれたのであるから当然のこと。本気で安全と思っているならなんの躊躇もないはずだ。<br><br>福島県民のみなさんにとっては残念な話だが、汚染物質はむやみに移動させない。これは原子力事故の世界的常識、鉄則である。チェルノブイリですら何もかも放置。いまだ住民は帰ることを許されていない。チェルノブイリのことを少しでも知っている人ならわかったはずだ。この国の政治家が国民の生命と財産を守ると普段言っていることは全部嘘だったこと。何もかも旧ソ連以下の対応だったことも。<br><br>この他、瓦礫の処理は地元の雇用、被災者の自立支援につながるということもある。私はそういった意味でもなるべく被災地で処理をして、その人材はすべて地元の人を登用すべきだと思っている。ある被災者がこういうことを言っていた。ボランティアに対する違和感だ。直後は本当にありがたかったボランティア。今も無償で来てくれる善意を前に表立っては言えないけれど、半年近く経った今、本音は彼らがやっている瓦礫の片付けなどは私たちに仕事としてやらせて欲しいという切実なものだ。時給がいくら安くてもいい。その日自分で稼いだお金で食えるだけでいいから、それが自分の復興の第一歩なんだという訴えである。<br><br>私はそれまでボランティアに関しては大賛成だったが、この方の訴えを聞いて、いつまでもボランティアが押し寄せるというのも問題なんだと考えを改めた。被災者自立のためにかかる費用は国が負担しても私はいいと思う。被災者の人たちだっていつまでもボーっとしていたいわけではない。何か足がかりを求めておられると思う。そういった人たちの声にも耳を傾けて欲しい。<br><br>福島県内の方、そして高い濃度で汚染されてしまった地域の方には厳しいが、向こう30年はいろいろ難しい。戻って住むことは諦めるしかない。そういった地の瓦礫をわざわざ処理することにどれだけの意味があるのかも私は疑問である。<br><br>また、食物関係も県外に出荷しない方がいい。消費するなら県内でするべきである。本当にきつい言い方であるが、福島県内の農作物、食品全部続けることができないくらいのことが起こったのだ。これは安っぽい同情心とか被災者を応援したいという気持ちは抜きにしなければならない。こういう部分こそ国民の生命と財産を守ると公言している政治家が政治的責任において、はっきり地元の方々に宣告すべきなのである。それに対する賠償は当然しっかりとされなければならないわけだが、日本は政治家も逃亡癖があるため、こうした厳しい判断からは常に逃げている。<br><br>ただ、私たちは福島で起こっていることを他人の不幸、自分には関係ないことで済ましてはいけない。災害や有事の際に原発事故が起こると、ここまで何もかも失ってしまうことをよく記憶し、このようなものに頼ってきた自分たちの生活を見つめ直さなければならない。そして、いつそういうことが自分の身にも降りかかるかもしれないということを考えなければならない。今回の件でもおそらく自覚しないだけで健康被害を受けることは多々あると思う。自分の事として受け止めないといけない。私は福島をはじめ東北の物は今後当面避ける。この国では自分の身を守れるのは自分しかいない。
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<link>https://ameblo.jp/saiteruotoko/entry-11000184785.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Aug 2011 13:21:36 +0900</pubDate>
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<title>シナリオを書いているのは誰だ</title>
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<![CDATA[ 島田紳助元司会者の突然の引退表明一色となっているメディア。<br><br>なんとなく不自然である。芸能ニュースで特集されるのはいいが、一般の普通のニュースのトップでかなりの時間を割いて、一人の芸人の引退が報道される。我が日本国内ではそう珍しいことではないが、よくよく考えると違和感がある。<br><br>今のこの現状、日本の政治の行方、経済の行方、世界情勢、さまざまに大きな変革や事件が起こっているときに芸人が引退するという話をここまでやることに、どれだけの意味があるのだろうか。<br><br>確かに、テレビでしか情報を得ないような人たちにとって知りたいことは島田紳助の引退かもしれない。昨今のテレビを取り巻く状況を見るとそろそろバカな人のテレビ局、知的レベル高い人のためのテレビ局をはっきり分けて欲しいと思ってしまう。<br><br>だが、今回の引退劇は実に不可解な点が多い。原因発覚から3日での引退。司会をしているテレビ番組をすべて放り出す形での引退は、知る人が語る義理がたいと言う人柄とは結びつかない無責任な終わり方である。例えばテレビ局のひとつのクール終了の9月いっぱいまで番組を勤め引退という対応もできたはずである。<br><br>世間では潔いとかキレイな方向に持っていかれようとしており、世間のおばさん方はそれに頷いたりしているが、ここまで急いで番組を投げ出してまで芸能界や吉本興業を去る理由は何か。そこに絶対何かがあると考えるのが大人である。<br><br>犯罪行為がなかったとしたら何か。法的に問題がないといえ、昨日の時点であることも考えられよう。今後の展開では何か犯罪が出てくる可能性もある。しかし、私個人的には可能性は低いかなと思う。一番考えられるのは法的に問題があることをしたけれども、引退することで水に流してもらったということか。<br><br>不祥事を起こしたことが明らかになれば、一般の会社でも逮捕や告発の前に辞表を促されることはある。長年芸能界や吉本にとっても功績のある人だから、もっとも重い引退という決意によって、許してもらったというのは十分にありうる。それは一体なんだったのか・・・。<br><br>どちらにしても、島田紳助氏は自分でも非常に危険な状態であることはわかっていたと思う。最近はずっとそのような状態でやってきたのではないか。ここ数年の彼を見ると最後にできる限りのことを精一杯やっておこうというようにも思える。作詞も多数して印税収入も確保した。いつか来るその時に備えて常に覚悟はできていただろう。だから何かがバレた瞬間に引退したのである。<br><br>しかし、国民が注視しなければならないのは、このような時期にくだらない芸能ネタで世間を騒がすということだ。日本の政治は非常に重要な場面に差し掛かっている。29日には民主党の代表選。実質総理大臣が決まる。おそらくこの1週間は島田紳助ネタで朝のニュースも夕方のワイドショーも一色になる。<br><br><strong>これで得をするのは誰なのか</strong>。これを仕掛けた人物は、一体何を目的に何を達成したがっているのだろう。島田氏はとても大きな何かを握られていた。今回利用されたと見るべきである。権力か暴力団か、マスコミか芸能関係者か。<br><br>少なくとも暴力団との関係があったから引退なんてこれほどわかりやすい嘘もない。芸能界＝暴力団はさすがに言いすぎか。しかし、まぁ同じ穴のなんたらと言ってもいいくらい密接に関わっている。昔はあったが今は断ち切ったなんて言っているコメンテーターがいたが大嘘である。<br><br>我々は注意深く世の中の展開に目を光らせなければならない。
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<link>https://ameblo.jp/saiteruotoko/entry-10996742843.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Aug 2011 23:57:52 +0900</pubDate>
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<title>過去に関する個人的見解</title>
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<![CDATA[ 近頃、AKB48やNMB48のメンバーの過去に関する疑惑が発覚し、ファンの間で追求が行われる形になっている。<br><br>具体的には、プリクラなどの写真の流出や個人的なブログ(日記)が発見されるといった出来事で、内容は好きな人がいたり、恋人との交際が疑われるような記述と証拠と思われる写真、日ごろの不平不満などである。中には飲酒したのではないか?と疑われる記述など問題がないとは言えないものもあるが、概ねごく一般的な女子中高生の日常が露になったに過ぎない。<br><br>こうした個人攻撃という現象に関しては、またこれで長々となってしまうのでこの度は省くものの、今の日本の息苦しさや若年層に溜まった不満というものが、暴動やテロと同じような原理でインターネット上で起こっていると私は思っている。つまり、真の目的や憎むはその対象ではなく、世の中とか大人といった漠然としたものである傾向が強い。ただ、私の実感ではそれもこうした世界の中だけでは抑えられなくなりつつある。<br><br>私はアイドルグループのメンバーの恋愛に関して、グループで禁止と決まっているなら決まりを破ったという意味で、処分があるのは仕方ないことだと思う。しかし、あくまで過去のことについては劇場支配人の戸賀崎氏の言うように不問にすべきだと考える。<br><br>人生を見渡して生きている人間などいない。人間昨日までこうだったが今日から変わったということだらけだ。法律だって過去まで問えない。その時はよかったのだから当たり前である。<br><br>未成年の青少年がグループに入り変わっていく。成長の過程を共に分かち合うのがAKBの醍醐味である。彼女には過去がある。彼氏がいたこともあるだろう、好きな人だっていて当たり前だ。そうした普通の子がアイドルになりたいと思い、新たなスタートを切ってがんばっていれば、それでいいではないか。<br><br>もちろん、すでにグループで活動中の身であれば話は変わる。メンバーやファンとの信頼関係もある。決められていることを破ることは軽い気持ちでも裏切りと取られることもある。そういう世界なのだからそれは仕方ないと思うしかない。<br><br>だが過去は過去で流そうではないか。人に過去があるという当たり前のことも見えないで、アイドルを応援するというのは間違っているし、その頃知りもしなかった事にケチを付けたり、自分の思うような人物にしたいのなら生身の人間を応援するのはやめた方がいい。<br><br>しかし、戸賀崎氏のブログには気になる記述もある。それはAKB48の6年の歩みの中で色々なことが変わってきたという点である。これは、これまではこうだったが、今後は必ずしもそうとは言えないという方針転換を示唆しているとも取れる。<br><br>これまでAKB関係では、恋人と写ったプリクラのようなものが流出すれば、降格や卒業(事実上の解雇)など厳しい対応をしてきた面がある。しかし、先日のNMB48メンバーについては、謝罪コメントのみで特に謹慎すらなかったようだ。<br><br>私も仕方ないと思う。この時代、昨日まで素人だった子がアイドルになれば、近い過去のことが出てくることは想定の範囲内である。誰もが携帯を持ち、あちこちにブログやプロフのようなものを作っているだろう。本人は加入前に削除したとしても、友だちのものまでは完全に対策することは不可能である。<br><br>そうしたことでいちいち破門にしていたのではグループが成り立たない。ようするに、これまでがやりすぎた感がある。厳しい処分によってAKBを追われたメンバーのファンはいまだ辛さを引きずっている人もいるだろう。そういう人からすれば、なぜ彼女はダメで、彼女はいいのかという気持ちになるのは当然だ。<br><br>AKB48関連グループすべて、今後のこうした問題に対する処分のあり方に気持ちの変化があるとすれば、それを明らかにしなければならないし、場合によっては過去の対応に関するなんらかの見解も必要になるかもしれない。ファンとファンの対立を煽るような結果になるのは良くないだろう。
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<pubDate>Sun, 21 Aug 2011 14:05:29 +0900</pubDate>
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<title>逃亡癖 -逃げ続ける日本人-</title>
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<![CDATA[ 日本人の女子大学生がカナダ側のナイアガラの滝周辺において、不注意な行動の結果、不幸にも川に転落し、そのままナイアガラの滝に落下したものとみられ、現時点で行方不明となっているという事故のニュースが入ってきました。<br><br>この学生は19か20歳ということで、短期留学目的でカナダに訪れており観光をしていたとみられておるわけですが、この行動に関して日本国内ではさまざまな声が聞こえております。<br><br>具体的な概要について報道によると、この学生は危険な場所でありながら、安全柵に上り、記念撮影をしたということで、柵から降りる際、差していた傘に風が当たったためか、あるいは濡れている金属製の柵に足を滑らせたためか、川に落下したとのことです。<br><br>この事故について、特に国内で多いのが「自業自得」といったもので、大変に厳しい意見が圧倒的に多く、中には軽率な行為をしたということで、日本の恥といった声もありました。そして中には、現場付近の映像、写真などを見て、上れてしまう柵の低さを指摘する声も多数見受けられました。<br><br>私は、今回のこの件でひとつ発見がありました。それは、海外、とりわけアメリカやカナダ方面の人たちの受け止め方と、日本人の受け止め方の違いです。日本では大変厳しい意見が多く、このことを愚かな行為とし、追求する声も多いですが、アメリカやカナダでは愚かな日本の少女といった捉え方ではなく、概ね気の毒、かわいそうといった同情の声が多いように感じられました。<br><br>この違いは一体なんなんだろうかと私は考えておりました。そこでひとつ私なりに考えましたのは、自己責任、自分の意志といったものを重視する北米と、人の決めたものに巻かれる日本人の違いではないかと思ったわけです。<br><br>この滝は見るからに危険なものです。落ちれば命はないことぐらい子どもでもわかるわけです。そこを自分の意志で上り、写真撮影をしたということは、それを覚悟の上やったと捉えられているのではないかと分析いたしました。<br><br>少なくともそうした行動を大学生が取るということは、そうした先の予見も当然できており、その結果責任も誰が悪いわけでもなく彼女自身にあるといった感覚なのではないかと思われます。つまり、スタントマンと同じなのです。そうした中での事故ですから、まさに不幸な出来事であり、わざわざその行為を責めたり、批難したりするに及ばない。ですから同情の声が集まっていると思われます。<br><br>反面、日本人の反応というものは極めて受動的なものです。個人の意志や行動に関する責任といった本来求められる事を無視した捉え方です。大人なら当然このくらいのことはわかっていたという前提もありません。ですから、安全柵に上るという行為が批難されるのも、人が上ってはいけないと決めているからなのであって、人がやってはいけないと言っていることをやったのだから、この人は愚か者となっているわけです。<br><br>日本人の良くないところが見えてきます。今の日本人に「自業自得」という言葉を使う資格はあるでしょうか。日本人はあらゆる責任から逃げてきました。国や企業、その他自分よりも立場が上の人など、とにかく誰かに責任を押し付けて生きてきたと思います。嫌なことや面倒なことは人に任せ、何かあれば人のせいにして生きてきました。<br><br>とりわけここ10年はその傾向が極めて濃くなり、日本人の生活というものは、自分で自分の首を絞めるような生活となりました。何をするにも責任を回避することが第一。言いたいことも言えないような雰囲気。そうしたことから事なかれ主義が蔓延し、なんにでもフタをし、禁止してしまう逃亡癖のある国民だらけになりました。<br><br>こうしたことが結果的に不感症で想像力や予知力を低下させ、いつの間にか大人であれば当然わかるであろうことまでわからないことが前提となる国民総子ども国家を作ってしまいました。だから、ダメだと言っているのにやったことを批難し、なんで柵がこんなに低いのかと平然と言うのです。<br><br>歴史を紐解けばスタントをはじめ、転落事故や自殺などもこの周辺で起きているようですが、この柵が高くならなかった意味を日本人は考えなければなりません。<br><br>いみじくも8月は終戦の月です。戦後の国の成り立ち、あり方、教育などが日本人を変えてしまいました。日本のそうしたなんとなくいろんなことを見てみないようにしてきた66年間が、生き物が持っている本能まで衰えさせる結果となった面はあると私は考えています。やはり、自分の国ひとつ自分たちの手で守る意識がないというのは、平和ボケと言われて当然のことです。<br><br>私は今回の事故が我々に示していることは非常に大きいと思っております。おそらく日本人の抱える問題点がなければ、この学生が柵に上るといった行動はなかったのではないかと思います。<br><br>自分の考えをしっかり持ち、状況を的確に判断し動くことができる人。こうした人材が今の日本には必要だと思います。日本がよくわからないまま始めてしまった「生きる力」を育む教育といったものは何に重点を置くべきか。単にこの事故を嘲笑の対象にするのではなく、これからどういう日本人を育てて行けばよいのか考え直す材料としなければならないと思います。<br><br>最後にこの学生が発見されることを願っております。
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<link>https://ameblo.jp/saiteruotoko/entry-10990313452.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Aug 2011 21:02:24 +0900</pubDate>
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<title>名前についての仮説</title>
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<![CDATA[ 近年子どもの名前に関する議論は高まっております。言われているほど蔓延しているとは言えないのかもしれませんが、子どもの名簿を見る機会もある私としては、確かに意味合いから疑問に思う名前や、一体子どもをどう思っているのだろうかという点で疑問に思う名前を付けられている子どもも、この10年間で増えてきていると思います。<br><br>まず、これらにはとても大それた名前を付けられているケースと、人間に付けるにはふさわしくないようなイメージを彷彿とさせる名前の2つのパターンに分けられるようで、どちらにも共通しているのは読めないという点です。<br><br>「名は体を現す」などと昔の人は言いますけれども、私もこういう古臭いことを言いたくないと思いながら、今までの人生で出会った人を見てみると、そのような面は多分にあると思うと同時に、人の名前にはある種の趣と奥ゆかしさというものが必要なのではないかと思うわけです。<br><br>具体例を挙げていくとキリがないので、置いておきますが、しかし、社会の中である程度の地位を持った人や、あるいは研究者のような独特な世界にいる人には、やはりちょっとこの人はいい名前だなと思う人が多いと思います。<br><br>ただし、それはキラキラネームではなく、社会の中での役割がさりげなく語られているような、そんな名前であることが多いのです。<br><br>まだ私は親になったことがありませんから、子どもを持つ親の気持ちは想像するしかありませんが、確かに自分の子どもは一番かわいいのだと思いますし、王子様でありお姫様だと思います。<br><br>しかし、人には他人から与えられるべき称号というものがあり、自分や生んだ人間がそれを先に言ってはいけないことがあります。例えば、遠慮なく自分の子どもに姫などという字を付けるというのはそれにあたりましょう。<br><br>名前というものは大きくその人の人となりに影響を与えると思います。それは多くの場合において逆の方向で表していくのではないかと思います。<br><br>例えば、私の名前も当時にしては珍しい名前でしたが、まるで名前のように大空に羽ばたくことなく、ずっと地面の上で飛び立てずにおります。羽ばたかせたいのであれば、地面をイメージするようなお堅い名前の方がずっと早くに可能であったのではないかと思っています。<br><br>ただ、これで終わるわけではありません。このような名前を与えられたばかりに、逆に羽ばたかないことによって羽ばたくということを実現していくのだと思います。<br><br>つまり、そういった人生の脱線やあまり多くの人がしていない経験が、これからの人生に役立ち、最終的には成功に転じていくということなのだと前向きに受け取っていますが、そういったケースは見渡せば少なくないと思います。<br><br>というわけで、キラキラネームを付けられれば、輝かなかったことから得られるその人の独特の経験や、個性というものが、最終的にその人らしさとして何かしらに発揮されるわけです。それはそれでおもしろいと私は思いますが・・・。<br><br>とりあえず子どもに苦労させたくないなら趣があり、奥ゆかしい名前にしておく方が懸命そうです。
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<link>https://ameblo.jp/saiteruotoko/entry-10975659185.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Aug 2011 21:59:37 +0900</pubDate>
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<title>未来は与えられています</title>
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<![CDATA[ 20代前半の頃は、患っていたのですから当然のこと、ほとんど毎日体調が悪くて、今日は体調がいいなと感じる日は年に1回か2回という感じでした。<br><br>何かを食べることも、寝ることも、幸い人とのつながりは持てるようになった頃でしたが、あたりまえの生活や、生きている中で行う行動が、すべて自分にとっては重荷であり、何ひとつ無意識にできることがなかったように思います。何もかもがいちいち重い腰を決心して上げなければならないような日々でございました。<br><br>もちろん、こんなことは異常なことであります。そのような状況が永遠と続く日々に慣れてしまった頃、私は漠然とこんなことを考えていました。<br><br>たぶん、自分は30までは生きていないのではないか。<br><br>それにはいろんな可能性があったと思います。その精神的な疾患が肉体すら蝕む可能性。もしくは自分の手によって命を終わらせる可能性。<br><br>そんなバカなことを考えなくなったのは、実はつい最近のことのように思います。<br><br>そのくらい、体調が悪かったのですが、それでも人間生きるための欲求というものは殺すことができず、最低限のことはやらざるをえないのです。<br><br>そして、あのような状況にあっても周りの人たちの存在というもので、本来であれば絶対に不可能なことでもやってのけることができるのでございます。<br><br>私は、大阪を引き払って奈良にやってきた前後の2年間、そして奈良での素晴らしき出会いのあった4年間。この6年間はできるはずもないことをやったという思いがあります。<br><br>おそらく誰もそんなふうには感じていなかっただろうし、自分ですら客観的に自分を見ることができなかったので、そんなことも思っていませんでしたが、今思えば感嘆することばかりです。<br><br>とりわけ大阪から奈良に来た頃は、一番最悪な状況の中、一人で退学から受験、引越しに至るまでどうしてあんなことができたのだろうかと感心するばかりです。<br><br>私がやっていたことは、人から見ればあたりまえで最低限のことだったかもしれませんが、置かれている状況を鑑みれば、考えられないことだったと思っています。これは別に他人に理解してもらわなくてもいい。自分だけわかっていれば、これからの人生の原動力になる。それで十分なわけです。<br><br>でも、例えるとすればあの当時の私は80歳オーバーのおじいさんくらいの気力と体力しかなかったのではないかと思います。いや、もしかすると今の元気なおじいさんたちよりダメだったかもしれない。もちろん体は若いですから、隠し持った体力はあるにせよ、それを出すことがとても大変なことだったわけです。<br><br>そんな私も、もう30という生きていないと思っていた年齢に差し掛かりました。40は生きているような気がしています。50も生きているつもりです。そして、50代は自分にとって最高のピークがやってくるという妙な予感と、そこに至る建設的な計画もあります。<br><br>だいぶ未来に目を向けることができるようになったものだと思います。でも、当時未来がなかったわけではありませんでした。それに目を向けることができなかっただけなのです。<br><br>曇りや雨の日々もあるけれど、未来は常に傍らにあるのだと思います。
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<link>https://ameblo.jp/saiteruotoko/entry-10968400543.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Jul 2011 00:31:22 +0900</pubDate>
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