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<title>sakomaru4444のブログ</title>
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<title>「作品愛」という言葉に隠された危険</title>
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<![CDATA[ <p>※初めに、これはMAD作り始めて一年弱のぺーぺー野郎が書いた文です。MADの歴史や過去の事柄に関して疎い所があるかもしれませんがその辺りはご容赦頂けるとありがたいです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最近MADの採点系、競争系のイベントが増えてきました。</p><p>そんな中よく目にするのが<span style="color:#ff0000;"><span style="font-size:1.96em;">「作品愛を評価基準に入れろ」</span></span>という声。言いたい事は分かるんですよ、言いたい事は。</p><p>確かに現在のようつべ界隈を中心に技術至上化のMADの風潮を感じられるのは事実ですしそれに大して異議を唱えたくなる気持ちは私の中にも少なからずあります。その中でもっとソースに寄り添っている作品を評価してほしいという主張はよく理解できます。</p><p>ただその「作品愛」を評価基準に入れることがどれだけ難しく独り善がりな事であるかをあまり深く考えないままただ大会運営側にそれを主張する方々にもう少しよく考えてほしいと思い、少しだけここに<span style="color:#ff0000;"><span style="font-size:1.96em;">「作品愛を評価基準に入れることによって起こる採点の不明瞭化と対立」</span></span>について綴ろうと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>作品愛作品愛と言いますが、皆さんはMADのどの部分に作品愛を感じるのでしょうか。シーン選び？構成？</p><p>私はMADというとても短く作者の意図や主張を反映させにくいコンテンツの３分弱の作品だけでその作品の公平な作品愛を推し量る事なんてほぼ不可能だと考えています。</p><p>少し作り話を読んでください。</p><p>&nbsp;</p><p>『ここは作品愛が絶対的MAD評価基準として確立された世界。その世界のとある場所に、今流行りの「タイポグラフィーof背景アニメ」MADを作った者がいました。このMADはある大会系のイベントに出展され、３人の審査員によって審査されました。そのイベントでその者の作品を見た一人の審査員は言いました。</p><p>「この作品からは愛が感じられない！ただ自分の編集技術を見せつけたいだけじゃないか！もっと作品の良さを伝えろ！０点！」</p><p>もう一人の審査員は言いました。</p><p>「このMADの素晴らしい所は歌詞とアニメの内容がほぼシンクロしている点です。ですがもう少しアニメの人物の心情描写がないと作品愛が伝わりませんね。５０点」</p><p>さらにもう一人の審査員は言いました。</p><p>「この作品のすばらしいところは無機質なタイポグラフィーの中にある事によって際立つシーン選びの情緒の豊かさですね。背景の映像のシーンの選び方をよく見てください、愛に溢れていますよ。こんな作品初めて見ました、１００点。」</p><p>この作品は本戦には進めなかったが賛否両論様々な意見を生みそれまでの評価基準に異議を唱える作品だったとさ。めでたしめでたし。』</p><p>&nbsp;</p><p>どうだったでしょうか。審査員の意見は適当に作った物なのであまり深くは考えなくて良いのですが作品愛を基準にするとこういったイベントで「作品の評価の属人性」が増してしまうのです。</p><p>元々他者の作ったMAD作品を評価するという主旨の時点で大会系のイベントは審査員の属人性の高いものであるのですが、作品愛というのは色々な基準の中でも群を抜いて抽象的でその人のエゴによって作られた要素の高いものであり、これを評価基準に入れてしまうというのは無意味な討論や評価の不信を生んでしまう可能性の高い事なのです。自分が作品愛を滅茶苦茶込めた作品でも他者のエゴから作られた基準に当てはまらず「作品愛０点」なんてされたら流石にそういう物だと割り切っていても不快ですよね。</p><p>作品愛を評価に入れたがっている方々。貴方の作品愛のあると思っている作品は本当に他の人にとっても「作品愛のある作品」なのでしょうか？自分のエゴを押し通すために「作品愛」という聞こえの良い言葉を使って逃げてはいませんか？</p><p>１人のキャラクターにフォーカスする事やファンの間での隠れ名シーンを使う事は作品愛と同義ではありませんし必ずしも技術や表現の方法に力を傾ける事がその人が作品愛から離れていく事と同義ではないという事を考えていただければありがたいです。</p><p>&nbsp;</p><p>以上です。短く拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 13 Feb 2019 19:34:51 +0900</pubDate>
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