<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>kouzouのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/saku2kozo/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/saku2kozo/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>聴くとひきこまれてしまう・・・</title>
<description>
<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dsaku2kozo%26ENTRY_ID%3D11086707385%26ENTRY_END_DATE%3D2011%2F12%2F07"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="泣ける歌詞は？"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=7711">泣ける歌詞は？</a> 参加中<br><div>本文はここから<br><br><br><br></div><br><br><font size="5"><font color="#0000FF">「ＨＹ」</font></font>の<font size="7"><font color="#FF0000">仲宗根　泉</font>　</font>さんの唄う<font size="6">「ＮＡＯ」<font color="#EE82EE"></font></font>つよくならなきゃ・・・と、想います。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saku2kozo/entry-11086707385.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Nov 2011 10:42:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>常に自由を感じられる自分になるには・・・</title>
<description>
<![CDATA[ 　<font size="6"> さて、ＫＯＵＺＯＵのブログ今回は、お約束の自由を感じるためには、について書いてみたいと思います。<br>　前々回のブログでは、自由と責任はセットであるというお話をしました。そして前回、いい人＝大人の人間という定義を提示しましたが、今回の自由であり続けるとはということに両方とも関係がありますので、ぜひともバックナンバーを読んでいただけたなら幸いです。<br>　<br>　公共の自由という定義が、実はみんなが自由だと感じられる自由なのです。いつものように明鏡国語辞典によりますと、Public 公（おおやけ）共（共有された）という意味です。そこでの自由、さてもう解かった方はいますか？<br><br>　少し掘り下げてみましょうか、責任のある自由とは、どういう状態を示すのか？公共の自由となると責任の取れる自由となります。まずは責任ありき、その上での自由です、ここで前回のブログのキーワード「大人の人間」定義が重要となってきます。法律上は２０歳以上で大人とされています。<br><br>　さて、みなさん２０歳になると、出来ることが増えますよね。選挙権が与えられて、タバコが吸えて、お酒が飲める。選挙権が与えられる←社会に影響を与える権利を持つということ！噛み砕いて言えばそういうこと・・・<br><br>　さて、ちょっとここで視点を変えますね。１８歳になるまで、何をするにも保護者の同意が必要といわれてうんざりした経験ありませんか。そこでみんな大人にあこがれるわけですね、さぁ、ちょっとまってくださいよ保護者がいる＝自由がないのように思いますけど。保護者がいる＝護られている＝不自由この図式は異論のある方いませんか？してはいけないことと、してよいことがセットでひとつになるならば・・・<br><br>　自分の定義する大人とは、していいこと、してはだめなことの線が引けて、なおかつ緊急時にはここまで踏み込んでもよいという基準を持ってる人間と定義しておきたい。結局、みんなこの線引きに悩んでおり、きちんと線の引ける人間は責任をはたしつつ自由に生きることが出来るというお話・・・<br><br><br>　<font size="7">自分の目指す姿は「粗にして野だが卑にあらず」というところでしょうか・・・</font><br><br>ではまた。<br><br>KOUZOU<font size="7"></font></font><font size="6"></font><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saku2kozo/entry-11078882257.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Nov 2011 20:29:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>いい人なんだけど・・・それって、じぶんにとってだめな人（ものたりない人）ってこと？</title>
<description>
<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dsaku2kozo%26ENTRY_ID%3D11074946195%26ENTRY_END_DATE%3D2011%2F11%2F22"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="「いい人」ってどんな人？"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=7671">「いい人」ってどんな人？</a> 参加中<br><div>本文はここから<br><br><br><br></div><br><br><br><font size="5">いい人、良く聞くフレーズであるがいまいち、どこが善い人なのかピンとこないのではないだろうか？<br><br>　自分の思う良い人、善い人、好い人を箇条書きにしてあげてみる。<br><br>　１．自分と相性がいい。<br>　２. 他人に優しい。<br>　３．持っている雰囲気がやわらかい。<br>　４．人間をよく理解している。<br>　５．人間として成熟している。<br><br><br>　こんなところでしょうか？もうすこし掘り下げてみましょう（笑）<br><br>　１．自分と相性が好い、人はいろいろな人がいるので波長の合う人、生理的に受け付けられない人がいるということには皆さんに同意していただけると思う。いわゆる親友という種類の関係性を持っている人は自分と波長の合う人、親和性が高い人である俗に言うウマの合う人というやつである。<br><br>　２．他人に優しい、この定義も否定される方はいないと思う。ただひとつ優しいと良い人の違いについて掘り下げておきたい。そのためには「優しい」とは、を定義しなければならない。優れているという漢字がつかわれていることから「優しい＝人として優れている」と定義してみる。<br><br>　さて、ここでまた難問である。人として優れているというのはどういうことか？、どんどん迷宮の奥に入り込んでいく感覚である。はて、人として優れている。ここは皆さん各論あるでしょう・・・<br><br>　うーん、と思っていたら箇条書きの４．５番にふと気付く、人間を理解していると成熟している人の共通項を考察してみる。<br><br><br>　ひらめき！！、いわゆる<font size="7">「大人の人」<strong></strong></font>！！どうでしょう？調子出てきましたよ（笑）自分の考える大人とは精神的、経済的に自立しているというのは大前提、さらに人に配慮できる人を「大人の人間」としておきたい。<br><br>　ここで、２０年前に上司の課長に言われた言葉を思い出す。<font size="6">「人と人の間のことを考えることができてはじめて人間になる。お前はまだ人だ！！」<strong></strong></font>とお叱りをうけた記憶が、当時、高校を卒業して１８歳だった自分は、いま思うと<font size="7">「わかもの」<strong></strong></font>ではなく<font size="7">「ばかもの」<strong></strong></font>だったことに気づくそれから２０年の月日が流れ・・・私は人間になれたのだろうか？いつも自分に問いかけている・・・<br><br>　なんだか、まとまりがありませんが眠くなってきたので寝ます・・・おやすみなさい・・・</font>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saku2kozo/entry-11074946195.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Nov 2011 03:56:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自由と責任について。</title>
<description>
<![CDATA[ <font size="3">　すべからく人間は自由をもとめるが、あなたの自由とはどういうものですか？と問われて貴方は何と答えますか？<br><br>　１．好きなことが出来る。<br>　２．何者にも縛られない。<br>　３．好きなところに好きなときに出かけられる。<br>　<br>　こんなところでしょうか？<br>　<br>　上記の３点について自由であることを否定される方いないと思いますが・・・<br><br>１．について、みんながすき放題名ことをしたら世界はどうなるでしょうか？世紀末覇者　ラオウが世界の王となるでしょう。力こそ自由の条件なりという世界観ですね。<br><br>２．について、「誰にも縛られたくないんだ・・・」と唄っていたのは、尾崎　豊　さんでしたね（笑）この世界には他者が存在しています。自分を規制する何者か、国家であったり、規則であったり、他人であったり、自分自身であったり、拘束されることから開放されることが自由である。という世界観ですね。<br><br>３．について、１と３は似ている気がしますが違いは何でしょうか？好きなときというのがキーワードです、好きなときがあるということは嫌いなときが存在していることを暗示しています。<br><br>　少し、視点を変えて責任について考えてみましょう。<br></font><br><font size="7"><strong>「責任」</strong></font><font size="3">手元の明鏡国語辞典によると<br><br>　①まかされていて、しなければならない任務。<br>　②ある行為の結果として負わなくてはならない責めや償い。<br>　とあります。<br><br>　ここでのキーワードはある行為は<font size="3"></font></font><strong><font size="7">「自由」</font><font size="3">とおきかえられないでしょうか？<br><br>　私の中では、自由と責任は対となる考えであり。誰もがこのバランスの上で自由！？不自由！？な生活を送っていると考えています。<br><br>　ここで、自由についての　３．に戻ります。嫌いなとき＝不自由と考えられないでしょうか？<br><br>おっと、ここで時間となってしまいました、父に夕飯を作らなければならないので失礼します。<br><br>次のブログは、常に自由を感じるためには・・・について、お楽しみに・・・</font></strong>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saku2kozo/entry-11074415474.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Nov 2011 17:20:33 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
