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<title>salian-readingのブログ</title>
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<description>読んだ本について記録します。</description>
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<title>2026本屋大賞「インザメガチャーチ」を読んだ。</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: left;"><span style="font-size:1em;">Salianです。面白い本を読んだので、自分が思ったことをただただつらつら書いていくためのブログです。感想でもないし、啓蒙でもない、本当にただ頭に浮かんだことをレポートっぽく書いてみようかなという。それだけです。立派なことは書いていませんし、何か社会を変えようと思って書いているものでもありません。誰かと共有出来たらうれしいと思って書きます。</span></p><p style="text-align: left;">もう読んだ人か、読む気のない人だけ進んでください。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p align="center"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260527/11/salian-reading/69/9d/j/o0500072815786624887.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="320" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260527/11/salian-reading/69/9d/j/o0500072815786624887.jpg" width="220"></a></p><p align="center">&nbsp;</p><p align="center"><span style="font-size:1.4em;">現代社会における「意味供給」と</span></p><p align="center"><span style="font-size:1.4em;">チャ</span><span style="font-size:1.4em;">ーチマーケティング及びファンダム経済</span></p><p align="center">&nbsp;</p><p>人間がどのように「意味」を必要とし、どのような仕組みで獲得するのかという問題が本作の軸であると私は受け取った。特に現代社会において、宗教や伝統的共同体の弱体化に伴って、「意味供給システム」が多様化・分散化している点は見逃したくない重要なポイントである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">1.「意味供給システム」について</span></p><p>&nbsp;</p><p>人間は単に情報や利益のみならず、「自分の存在や行動が何を意味するのか」という枠組みを求める。その枠組みを「意味供給システム」と呼ぶことにする。過去、この枠組みは階級社会や宗教が担い、それを個人が追い求める必要はなく、元から与えられるものであった。「この神を信じなさい」「経典に書いてある通りに動きなさい」「生まれたときから与えられている仕事をこなしなさい」という命令があったのだ。しかし、現代はこの役割をアイドルや推し活といったファンダム文化、SNSコミュニティやインフルエンサー文化、自己啓発やライフスタイル思想、MBTIなどのアイデンティティ分類体系、政治的・イデオロギー的コミュニティ、AIとの対話関係などが担っている。これらは単なる娯楽や情報ではなく、「自分とは何か」「何を信じるか」「どこに所属するか」というそれぞれのアイデンティティを提供する、言い換えればそれぞれの拠り所を提供するという点で共通しているといえるだろう。</p><p>これらの移行が起こった要因として「正解の流動化」という現代社会の流れがあげられるだろう。実際に哲学者のバウマンは現代社会を「liquid modernity」と表現し、安定した所属や価値観が崩れた状況を論じている。現代社会において、決まった正解は用意されていない。自分が自分らしく好きなように正解を設定し、それに向かって好きに努力することが認められている。というよりそうすることが義務付けられているように感じることもある。それはすべての人間に選択肢を与えると同時に、旗の立っていない大海原に何も持たせずに頬りだすことと同義になりうる。そんな中で自分なりの正解を見出せなかった層は自分が生きる意味、海原に立つ、とても分かりやすい旗として前述したような「意味供給システム」を頼ることになるのだ。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">2.ファンダム経済と“教会的構造”</span></p><p>&nbsp;</p><p>ファンダム文化、特に本作で取り上げられたアイドルやキャラクター文化は、強い感情的結びつきと物語性を持つ。アイドルの成長物語、応援と参加感、ファン同士の仲間意識、投票・購入・ライブ参加といった儀式性。これらは「宗教的構造」と類似しており、時に“チャーチ的(教会的)コミュニティ”と表現される。私は現代の推し活分野に時々違和感を覚えることがある。チケットを当てるための大量のＣＤの購入などは経済を大きく動かすかもしれない。その人の帰属意識を高め、生きる意味を提供することに成功しているのだから、批判されるべきことではないということは理解しているつもりだ。しかしそれを一般倫理に当てはめてみるとそれは大量の資源の無駄遣いであり、善いことをしているとは言えないのではないかと思ってしまうのだ。推し活というものは客観的に「非合理」なのに巨大な力を持っているのだ。しかし、そんな非合理も昔から行われているものだ。宗教儀式、祭り、スポーツ、戦争、国家、芸術、、、このような「象徴的対象」に多くのエネルギーを注ぐことは、人類史上おかしなことではないのだろう。つかり人間は「合理的利益」だから動くというわけではないのだろう。ここで私がしたいのは「オタク文化批判」ではない。実際に本作も批判的思想が主題ではないと感じた。私の問いは「人間の熱狂や帰属欲求を、社会としてどこに配分すべきなのか」というものだ。これは作中で澄香の同級生として登場した　　の学びたい分野として話されている。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">3.熱狂とその軌道修正</span></p><p>&nbsp;</p><p>私はここで、その熱狂を社会的インフラに向けられないものかと考えた(これも本作で言及されているが、)。ボランティア活動、環境保全、公衆衛生、教育支援など”本当に必要な”分野である。実際に近代国家でも、ふふんふ大統領は現代的でファンダム的な熱狂を愛国心に向けることに成功しているのだ。私は特に医療支援についてフォーカスを当てて考えてみたい。</p><p>ここでアイドルの推し活と医療支援をファンダム経済的な視点で比較してみようと思う。一つ目は、結果の見えやすさである。医療問題は抽象的で成果が見えにくく、継続的な応援が見込みづらい。対して推し活は自分の推し活が即座に数字として表れ、かつそれが推しのためになっているという満足感が簡単に得られる。二つ目は、物語性の弱さである。作中にも度々登場した「物語」というファンダム経済におけるキーワード。作中において国見は「神がいない現代で人を操るには、物語を使うのがいいんですよ」と語る。ファンは物語に共感し、同乗し、自己投影し、しまいにはそのアイドルを自分そのものであると思い込みだす。医療分野にはそんな物語は作れないはずだ。医療現場は日々目の前の患者さんを限られた資源と人手で治療することで手一杯であるし、その患者さんの治療を物語風にして誰かに共有しようなどご法度なのだ。三つ目は、仲間やコミュニティの作りづらさだ。推し活は今や現代人のアイデンティティを象徴するようなものになっていると感じる。初対面の人と話すときも、「推しとかいる？」という話になるし、そこから広がるコミュニティも今ではメジャーな人とのかかわり方だ。推し活文化は人々の接着剤にもなりうる、最強のアイデンティティなのだ。医療支援でもそのようなコミュニティはできるかもしれないが、大流行でもしない限りその範囲は限られているだろう。</p><p>ここまで比較してみて感じることは、推し活文化は人間が作った「人間の脳に強く刺さる設計」なのだ。特に「正解が流動化」した現代では、簡単に縋りつける自分の軸となってくれるのだ。これらののめりこみやすい構造というのは、なかなか真似がしにくいものなのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>ここまでファンダム経済・チャーチマーケティングをより良い(自分が思う)方向に向けることを考えてきたが、歴史上、国家、宗教、イデオロギーが「正しい熱狂先」を強く定義したせいで抑圧や全体主義につながったこともあった。だからこそ現代は「個人が」「自由に」選べる時代になっているのだ(その結果引き起こされた空虚感もあるのだが)。だからこそセンシティブで、大規模なものには軽率に適用できるものではないのだ。そして、より分かりやすく、居心地のいいコミュニティが作られたのなら、そこに没頭するファンが大量にいるのだ。と理解した。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>まったくまとまらないがこんなところで終わります。</p>
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<link>https://ameblo.jp/salian-reading/entry-12967472954.html</link>
<pubDate>Wed, 27 May 2026 16:50:31 +0900</pubDate>
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