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<title>塩味のブログ</title>
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<description>気ままな独り言</description>
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<title>10年目の独白：あの日、私の時計は一度止まった。</title>
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<![CDATA[ <p>それは、13時を過ぎた昼食後の休憩中のことでした。<br>何の前触れもなく襲ってきた強い吐き気。それが、私が覚えている「日常」の最後の一幕です。<br><br>次に目覚めたとき、私は自分がどこにいるのかも、何が起きたのかも分からず、ただ「ベッドに縛り付けられているような感覚」の中にいました。<br><br>原因は**「両側椎骨動脈解離」**。<br>それに伴う脳梗塞が、私の体の自由を奪っていました。<br><br>橋（きょう）という、生命の根幹に関わる部分の梗塞。<br>医師からは「これ以上の処置はできない」と告げられたといいます。<br><br>意識が混濁する中で、私は妻に「あとは頼む」と弱音を吐きました。<br>返ってきたのは、突き放すような、けれど力強い言葉でした。<br>「自分でなんとかしなさい」<br><br>今は亡き母からも、同じように背中を叩かれました。<br>「這ってでも、なんとかしなさい」<br><br>その言葉を胸に、生きるためのリハビリが始まりました。<br>けれど、現実は無情でした。<br>2日後には言葉が奪われ、3日後には、まるで左側からカーテンをゆっくり閉めるように、左耳の音が消えていきました。<br><br>とろみがなければ飲み込めない食事。<br>ナースステーションの片隅で、ヘッドレスト付きの車椅子に座り続けるだけの訓練。<br>自分の排泄さえままならない、先の見えない2ヶ月間。<br><br>正直に言えば、今後どうなるかなんて全く想像できなかったし、想像したくもありませんでした。<br><br>ただ、暗闇の中で「這ってでも」という言葉だけが、私をこの世界に繋ぎ止めていた気がします。<br>そんな絶望の淵にいた私が、回復期病院へ移る直前、自分の力で排泄ができたとき。<br>それは、失われた自分を、ほんの少しだけ取り戻した瞬間でした。</p><div id="oiqdiza" style="display: none;">&nbsp;</div>
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<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 19:24:51 +0900</pubDate>
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