<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>しおちゃんのしょっぱい人生</title>
<link>https://ameblo.jp/saltylife99/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/saltylife99/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>今日こそは洞窟から抜け出すぞと洞穴を掘る生活</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>中退してから</title>
<description>
<![CDATA[ 大学生活は特に大きな変化はなかった。<br>しかし、母の期待に6年越しに答えられなかった私への干渉はひどかった。<br>新歓に誘われ、鍋パーティーに参加した。気付けば9時前であり、大学から家まで片道1時間だったため到底門限に間に合わなかった。<br><br>間に合わないことを伝え、ラインを閉じた。<br>そろそろ帰ろうかと10時前に再びスマホを見ると着信が20件以上。<br>最終的に「警察に連絡します」とラインが来た。嘘か本当か分からなかったが、悪寒がした。<br><br><br>母は9時を数分でも過ぎると一分おきに電話をかける。<br><br><br>日に日に、お門違いではあるかもしれないが「そんなにこの大学に入ったことが許せないのか？」と思うようになった。<br><br><br>親のために決めたのに、じゃあもういいや。<br><br><br>そう思ったのは早かった。<br>母に納得してもらうために神妙な顔で、もう一度国公立に挑戦したいと言った。母は、やるなら国立大学一本、それしか認めない。と言い、なかば賛成した状態だった。<br><br><br><br>あっさりと1ヶ月で中退した。<br><br><br><br>そこから母は予備校を提案していた。適当にバイトをしながらふらふらするつもりだったが、母はあくまで本気で娘が受験をする用で色々と用意をはじめてくれた。何か申し訳ない気持ちがしたので、まぁ親が納得するならと1年間頑張ることにした。<br><br><br><br>のも束の間、やはり私が勉強に専念するなどできないことであった。コンタクトデビューやメイク、服に目覚めた私は一気に垢抜けた。男子校出身だったり、女性経験がなかった予備校の男子たちがみんな優しくしてくれた。今まで経験したことのなかった異性との交流にただただリアルが充実した。<br><br><br>また、予備校には高校時代にはいなかった頭のレベルの高い人たちにも出会えた。東大や京大、その他有名大学にあと一歩及ばず浪人を決意した人たちが多く在籍していた。もちろんそういった人たちとも仲良くなれた。<br><br><br>ちなみに現在の彼氏も予備校時代の友人である。<br><br><br><br>そういった人たちと絡むと、次は自分が賢くなった気持ちになる。次々に自分を出来る自分に塗り固めてしまう。現実は見たくなかった。模試はサボったし、授業もあまり出ていなかった。<br><br><br>もちろんそんな状態で成功するはずもなく、受からなかった。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saltylife99/entry-12638063124.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Nov 2020 03:06:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>高校時代</title>
<description>
<![CDATA[ 高校時代、私は何かになりたかった。<br>別の何かに。<br><br>というのも、私は中学時代からアニメや漫画にどハマりしており、アニメのキャラに恋をしていた。もちろん3次元でも恋はしていたが、悉く駄目だった。<br>別に可愛くもなんともないのに顔にランキングをつけ、私は普通より可愛いと思っていた。この時点で相当痛いのはお気づきだろう。<br><br><br>更に私は黒歴史を生み出してしまう。<br>コスプレにはまったのだ。<br>最初は夢小説という、アニメ漫画キャラと非公式女主人公の恋愛創作小説を一生懸命読んでいた。<br>そこに飽き足らず、実際に美少女になりたいというお門違いな願望が暴走した。<br><br><br>本当に今見ても目を潰したくなるような写真の面々である。そんな写真を何故か鍵付きではあるが当時開設していたデコログに載せた。あるとき、クラスの男子に私のコスプレ写真が出回った。ついでに好きだった男の子にも見られボロクソ叩かれる羽目に。当時はそんなもん勉強どころじゃなくて本当につらくてつらくて仕方がなかったが、いかんせん黒歴史なもんで親にも相談出来ない。母が、娘がコスプレして喜んでるなんて聞いたら発狂してしまう。そう思った。<br><br><br>そっと、コスプレはベッドの引き出しにしまった。今でもそこはあけていないので多分、まだある。<br><br><br>高校になると、自称進学校で重要となるのは大学受験である。私は、正直理系が大の苦手になっていた。数学や理科は偏差値40台であったし、英語も苦手だった。比較的ましな文系に逃げて、適当にやりすごそう。文理選択での面接では、担任は間髪入れずに「文系だよね」と確認され、3分程度で終了した。しかし、ここでネックだったのが母である。<br><br><br>母は、国公立理系以外に食べていける職など無いと言う。母は根っからの文系でピアノを専攻にしている教育系の学科を卒業している。その時点で疑問はあるが、その頃はまだ母が絶対だったので、一生懸命逃げ道と妥協策を探した。<br><br><br>それが公立の看護学部の受験である。とりあえず公立を目指すといえば許されるし、まだ国公立の看護は理系のカテゴライズだった。今は知らないが。なにより私立看護は国公立と違ってほとんどが文系選択可能なところが多かった。<br>もちろん私は国公立に行こうとは思っていなかった。数学や理科が苦手なのに行く術がなかったからである。<br>全落ちを装い、私立看護に行く気しかなかった。<br><br><br>それからはさも国公立を目指しているかのような勉強をし、いや、多少受かれば嬉しいなとは思っていた。母は喜んでくれるだろうし、自分への重荷も減る気がしていた。しかし現状厳しいのは言うまでも無かった。結局、センター試験は5〜6割で到底受かる割合も取れず、取り敢えず前期日程だけ受けて落ちたのを確信して帰宅した。<br>そこそこ賢い私立看護に受かっていたし、私はそれで満足だった。<br><br><br><br>満足しなかったのが母である。母は、自分の周りの友達の子供たちが良い大学に決まったことを羨ましそうに、これみよがしに伝えてきた。そして溜息をついた。3月、卒業して教習所や卒業旅行、みんなで遊んだりできる月なのに私は結局どこにも行けなかった。英語のクラス分けテストの勉強をずっとしていた。遊んでいいかお伺いを立てたら「〜ちゃんはどこ大なの？」と聞かれるし良くも悪くも嫌な反応をされるから高校生最後の3月は家に引きこもった。<br><br><br>門限は9時に家、バイトはしないか教育系。<br>成績は必ず4分の1には入る、看護師の他に保健師か助産師の免許は必ず取る。<br><br><br>これが条件だった。<br>楽をしたいがために妥協に妥協した結果がこれである。また、入学金、授業料込みの100万円を持たされ「これが100万の重みだ」と父に言われた。<br><br><br>私の反抗期の糸が切れた。<br>ぷつり、と「お前らのせいやからな」と悪態のつく自分が現れはじめた。<br><br><br>別に看護師になりたいわけでもない、でも看護学部に入ったら看護師として生きなければいけない。もっと可能性があった。別にみんなと同じで会社のOLでも良かった。なんだってよかった。<br>私、別に頭良くなかったじゃん。何を求められているんだ？私はどこに行くべきだったんだ？<br><br><br>そりゃ、行けるなら国立に行きたいよ。<br><br><br>でも、国立で何をしたいかとかすらない。そもそも成績が足りない。努力をするほどいきたいわけでもない。親が黙るから。親が安心するから。<br><br><br><br>じゃあお前らが国立大行けよ。低学歴がレールを敷こうとすんなよ。<br><br><br><br>そんな気持ちがどんどん大きくなった。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saltylife99/entry-12638062413.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Nov 2020 02:26:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>中学時代</title>
<description>
<![CDATA[ 正直、中学時代は記憶がない。<br><br>ストレスしかなかった。<br>1〜7時間目まで授業があり、部活動は週に2回。俗に言う自称進学校だった。<br><br>もともと細身だった私は中学時代で10キロ以上太った。合宿の集合写真で、母が私を見つけられたかったレベルで顔が丸くなっていた。<br><br>ここも成績順でクラス編成されており、私は3年間ずっと上から2番目、真ん中の成績でいつづけた。正直中学時代は成績に対する母の怒りに慣れてたし、ごまかすスキルが高くなっていったおかげもあってか勉強面の悩みは全く無かった。勉強をあまりしなくても、上から2番目の真ん中の成績は何ら自分にとって難しくなかったのがひとつ理由にあると思う。<br><br><br>ただ、私は何かと物言いが刺々しかった。友達以外のクラスメイトには特に刺々しかったと思う。普段仲良くしてない内気な女の子に、校則違反の雑誌を貸した。その雑誌が見つかり、「しおちゃんの雑誌です」と先生に暴露した女の子を総攻撃した。<br><br><br>今考えても大人気なかったなと思うが、その子は不登校になってしまった。不登校になったのは少しの間だけではあったが、クラスの女子は私の意見に賛同してくれていたし、教員たちは私をいじめ加害者の目で見ていた。担任は最後まで中立な立場でいてくれたが、校則違反が多かったことや、母が厳しい人だったことを踏まえて気が病んだ故の行動なのでは？と思っているような発言もちらほら見られた。<br>一方母は私の味方だった。<br>私は怒って当然だし、その子が不登校なのはその子の弱さであって、話し合おうともせずに私が怖いとシャッターを下ろしたのは相手である。つまり負けたのは向こうである。<br>そういう意見だった。私も同意見だった。<br>総攻撃したといっても、「あの子に貸してばれたとき、すぐに人のことを売る奴だ。卑怯そのもの。」と周りに言いふらしただけだ。<br>まわりの女子たちが私の味方をしてくれたおかげで、立場が悪くなって来れなくなっただけでしょ。<br>そんな感覚だった。<br><br><br>結局彼女とは普通に会話をするまでは出来るようになったが、彼女は私に対して悪い感情を表に出したりしない人だった。そういう子が賢い女の子っていうんだろうね、きっと。私はまだ子供だった。<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saltylife99/entry-12638060923.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Nov 2020 02:05:21 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>小学生時代</title>
<description>
<![CDATA[ 小学生時代、私はどんどん迷走していく。<br>幼馴染の引っ越しが決まり、小学校は別々になった。当時はあまり気にしていなかったが、勉強自体に興味はなく、常に幼馴染に勝つことだけで突っ走ってきた私は早めのエンストを起こした。<br><br><br>学習塾の宿題がこなせなくなったのだ。<br>毎週ホチキス止めされた課題を出されるが、やる気が起きない。開いても何もわからない。<br>母は私のことを勉強が好きな子であると思っていたため、それはそれは鬼のような形相で宿題をサボる私に詰め寄った。<br><br><br>私はホチキス止めされた、何回やっても答えが合わない問題のページを抜き取り「なくなった」と嘘をついた。先生は今まで真面目に取り組んできた私のことを信じてその課題は全問正解のファイルに無事しまわれることになった。<br><br><br>学校での成績は低学年は一重丸、二重丸だった気がする。ひとつでも一重丸があると母のご機嫌を損ねてしまう。転校生で現れた女の子がとても優秀な子で、いつもその子の通知表を見てこいと言われていた。<br>オール二重丸のその子の通知表と、2個一重丸がついている私の通知表。心の中で本当にすごい！と感心する反面、これを母が知ったらどうなるかといった恐怖心があった。<br><br><br>結局、その子と私の成績は同じだと言った。<br><br><br>そんな生活を何年も続けていると、母が私立中学のパンフレットを取り寄せ始め、中学受験用の学習塾の下見に出かけていった。既に私の成績はトップから中の上だった。<br><br><br>学習塾に入ってからは地獄だった。正直トラウマである。むしろあの頃が一番死にたかった。塾は毎週実力テストが行われていた。土曜日にテストが行われ、月曜日に結果が返される。クラス順位順に席が決められており、私たちは教室に行くたびに自分のクラス順位が晒される。<br><br><br>もっとも辛かったのは、幼馴染の特に賢いとも思わなかった女の子と塾で再会したが、あっという間に1番上のクラスに上がっていったことだった。<br>私はといえば下から2番目のクラス。の、前から2列から3列をいったりきたり。受験前には1番下のクラスにまで落ちていた。<br><br><br>はっきり言って毎週毎週憂鬱だった。辛さが加速して席順や順位をごまかしたこともある。一瞬でも喜んだ両親に、罪悪感どころか安堵しかなく、ずっと嘘をつけば良いのでは？とまで思った。しかし、一階にある防犯カメラを親が見て私の席は一瞬で特定された。その時も両親は怒り狂うだけで、「嘘をつくほど追い詰められていた」という思考には至らなかった。特に、私をトラウマにさせたのは私が寝室に入った後に父が「あの子は病気だ。どこか嘘つきが入るような病院に入れた方がいい」と怒り任せに言ったのをたまたま聞いたことである。<br><br><br><br>大好きだった少女漫画も、塾で使う教材も、友達から貰った缶の筆箱も、試験の結果次第で怒り狂う母によってどんどん破かれ、壊れていった。<br><br><br>そんな時に私が目覚めたのは万引きだった。<br>結論的に言えば私の万引きはバレることはなかった。なんとなくやめた。ただそれだけなのだが、別に欲しくもないのに、みんなが好きそうなペンやメモ帳を万引きして自分のものにしていた。<br><br><br>今考えてもこの行動だけは何の因果もなく、ただただ気が病んでいたのだろうと思う。<br>気が病んでいたせいか、自分の性格かは分からないがどんどん今まで仲良くしていた友達とも波長が合わなくなってきた。常に友達が敵に見えるし、自分がその場を離れたら周りは自分の悪口を言うのではないか？そんな心配も強くなった。<br><br><br>両親からは公立に行けば流されやすいお前は必ずヤンキーになる、みんなと同じの人生で良いのか、と受験が近づくたび鼓舞された。行きたい中学など無かった。平均値より上の中学をさも行きたそうに指さした。本当は早く終わって欲しかっただけだった。<br>今考えれば、中学なんてどうせ嫌でも行かされるのになぜわざわざ私立にしたのか分からないが。<br><br><br><br>受験の結果、第二志望の中学に行くことになります。<br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saltylife99/entry-12638059804.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Nov 2020 01:21:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>幼少期</title>
<description>
<![CDATA[ 幼少期、私は学習塾に通っていた。<br>他に習い事はしていなかった。幼馴染に影響されて学習塾に通い始めた私は、その頃は幼馴染と常に競争をしていた。<br>かけっこも、学習塾での進捗度も、全て出来の良い幼馴染に負けないよう一生懸命取り組んだ。<br><br>正直楽しかった。幼馴染と私は教室で常に算数・数学分野で一位、二位を争う優秀者だった。実際、幼稚園時代の3年間で私たちの間に割って入る生徒は現れなかった。<br><br><br>親は教育に厳しい人だった。特に母は負けん気が強く、倫理観も今考えたら独特だったように思う。<br><br>先に手を出したら負け。しかしやられたらやり返せ。必ず勝つのはお前だ。<br><br>これが母から教えられた教訓だった。<br>もちろんこの精神は私の中で根強く残っているし、何かとメンタルが強いのはこの教訓のおかげであると思っている。<br><br><br>幼稚園に入る前からひらがなの練習、もちろん泣いても泣いても正しく書けるまで終わることは無かった。足し算引き算は幼稚園に入る前から習得していた。小学生用の教育雑誌の計算ページが毎日ノルマだった。<br><br><br>そのかわり、おもちゃは欲しいだけ与えられた。りかちゃん、シルバニア、ドレミちゃん。何かを達成するたびに増えるおもちゃ。<br><br><br>もちろん性格は勝ち気。負けたら次は勝てばいい。<br>そんな思考だった思う。<br><br><br>そんな現実が崩れるのは小学生からだったと思う。<br>正直、私はここから少しずつ嘘をつくことを覚えていたような。<br><br><br>この頃を忘れられなかったのかはわからないけれど。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saltylife99/entry-12638057305.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Nov 2020 01:06:16 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私のことについて</title>
<description>
<![CDATA[ はじめまして。辿り着いてくれた方ありがとうございます。しおと申します。<br><br><br>ここは私の下手くそな生き方を存分に言い訳と共に下手くそな文章で綴るブログです。稚拙な部分があれば目を瞑って優しく見守って頂けると嬉しいです。<br><br><br>少しでも私が正直に、素直に、本当の自分で社会と、本当に好きな人と接することができますように。ここでは本当の自分を嘘偽りなく書こうと思います。<br><br><br>長らく私は虚勢を張り続け、嘘と思われないよう現実と虚構のギリギリのバランスを保ちながらうまく社会で生きている......と、これでも最近まで思っていました。もちろん、私の虚勢に気づいていた方もいたでしょう。<br>最近はそんな自分に拍車がかかり、もう何がなんだか分からず、面の皮が厚い流石の私でも思い悩むことが多かったのでこのブログを立ち上げました。<br><br><br>突然ですが私は争い事が苦手。もっと言えば「負けることが苦手」。負けん気が強い訳でもない。負けることで周りに失望されたり、自分が無力だと自覚するのが怖かった。歳が大きくなるにつれて、個人の価値はどんどん社会的な規模を身につけていきました。例えば学歴や就職先なんかはもっとも大きな例でしょう。<br>皆さんやジャンプの登場人物ならそんな状況に抗い、努力もしたでしょう。部活動の苦しさ、受験の苦しさを経て努力や忍耐を身につけた方も多いと思います。<br><br><br>私は、全ての苦痛から逃げました。<br><br><br>そしてさも、努力した人間のように前を向いて生きているというわけです。抽象的過ぎではありますが、そんなつまらない人生をだらだらと書く予定です。<br><br><br><br>最後ではありますが、もちろん私は死ぬ予定はありません。このブログは遺書でもなんでもありません。<br><br><br><br>しお<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/saltylife99/entry-12638056150.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Nov 2020 00:44:30 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
