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<title>サムライエッセンス</title>
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<description>往古の武士道・武術の心法・技法・思想の中から、有意な知恵を抽出して、発信します。</description>
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<title>「サムライ」の原像－その成り行きを探る（４）</title>
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<![CDATA[ <span style="FONT-SIZE: 18px"><p style="TEXT-ALIGN: left" align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><strong><span style="FONT-SIZE: 18px"><font color="#840084">手の外なる大将－戦国武将の資質①</font><br></span></strong></span>建武の新政から南北朝の対立を経て、突き上げの多極化、つまり戦国時代を迎えます。下克上といわれる戦国の世では実力本位の傾向が強まり、既存の権威は失墜します。ではこの時代における「実力」とはいかなるものなのでしょうか？「サムライ」として戦闘時に発揮する個人の武力は当然必要ですが、その他に、戦闘指揮、戦略・戦術を立案する知恵、戦時におけるヒト・モノ・カネ・情報の動員力、平時における領民の統治力、人脈、人徳、運などなど、全人的な力が戦国の「サムライ」の実力と呼ばれるものでした。このようにトータルな力量に優れていなくては生き残れない時代であったのです。<br><br></p></span><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"><span style="FONT-SIZE: 18px">武田信玄・勝頼に仕えた高坂弾正が著したとされる『甲陽軍鑑』によると、実力者揃いの「サムライ」たちを束ねることができる真の大将の資質を「手の外（ほか）」という言葉で形容しています。<br></span></font></span></p><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"><span style="FONT-SIZE: 18px"><br>武士は手の外を仕り、下よりつもられぬが、本の大将なり。</span></font></span></p><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"><br><span style="FONT-SIZE: 18px"><br>部下より見積もられない「手の外」を行うのが本物の大将だというのです。常に部下の発想の外で考え、結果につなげるリーダーシップを発揮する。このような働きなくして、現場の実力者が心服して従うことはないのでしょう。それが命がけの現場ならなおのことです。</span></font></span></p><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"><strong><font color="#840084"><br><br><span style="FONT-SIZE: 18px">武辺・慈悲・情け－戦国武将の資質②</span></font></strong><br><span style="FONT-SIZE: 18px">戦国の世を生きる実力稼業において、武将は『甲陽軍艦』で「手の外なる大将」と形容される、部下からみて予想外な働きを示すことが必要でした。この「手の外なる」働きには、３つのベクトルがあると、大久保彦左衛門忠教が著した『三河物語』の中に記されています。３つとは、「武辺」と「慈悲」と「情け」の３つです。</span><br><br><br></font></span></p><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"><span style="FONT-SIZE: 18px">「武辺」というベクトルは、言わずもがな戦闘力の度合いです。戦国時代では要は一番強い人が大将になっているようなものですからね。戦闘稼業のサムライにとっては外せない第一の前提となる要素です。ただこの「武辺」だけあればいいのかといえば、そのようなことはありません。「武辺」だけ優れていても、負け戦になれば部下は逃げていきます。一緒に討ち死になどしてくれません。二つ目三つ目のベクトルが必要になってきます。<br><br><br></span></font></span><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"><span style="FONT-SIZE: 18px">「慈悲」と「情け」は、共に主君からの思いがけない贈与のことを指します。「慈悲」は褒美や恩賞、恩赦など、主にモノに関わる贈与であり、贈られる対象は無制限で、部下だけとは限らず、領民や敵に対しても行われることがあります。これに対して「情け」は主君から部下に対してのみなされることで、主に心情的な働きかけを指します。『三河物語』では、この「情け」を徳川家康の祖父にあたる松平清康のエピソードで説明しています。<br><br></span></font></span></p><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"><span style="FONT-SIZE: 18px">清康が食事をとっていた時のこと、突然自分用の汁椀の中味を空けて、家来一同にこれで酒を飲めといって差し出した。一同が畏れ入っていると、「なぜ飲まぬ、さあさあ」と重ねて勧める。一同は、いくら何でも主君が使われるお椀を手に取るのは恐れ多いといよいよ畏まって平伏していると、清康は「サムライであることに上下はない、構わぬから飲め」と言う。あまりに辞退するのも悪かろうと思った家来一同は、恐る恐る避けを頂戴すると、清康はにっこりと笑って、家来たち一人残らず三杯ずつ飲ませよと命じた。帰路家来達は語り合った<span style="FONT-SIZE: 18px">。「このご酒杯と殿のお言葉を思うに、たとえ宝物を山のように賜ったとしても、このお情けには替え難い。ただ今の酒杯の酒をなんとみるか。これは我らの首の血である。このお情けには、妻子を顧みず、主君の御馬の先にて討ち死にしてご恩に報ずることこそが<br><span style="FONT-SIZE: 18px">今生の面目、冥土の思い出というものだ。」と。<br><br></span></span></span></font></span><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"></font></span></p><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"><span style="FONT-SIZE: 18px">以上のような、「慈悲」や「情け」という、物心両面の思いがけない贈与と、手の外なる「武辺」とが一体となって示されることが、戦国に世におけるリーダーたる条件であったといえます。<br><br><br>そして最終的にこの条件を最も満たした「手の外なる大将」の代表格が織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の３名ということになるでしょう。彼らによって戦国の世に終止符が打たれ、サムライたちの在りようにも大きな変化が生じるようになっていきます。</span></font></span></p><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"></font></span>&nbsp;</p><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0"></font></span>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/samurai-essence/entry-11253381833.html</link>
<pubDate>Thu, 17 May 2012 22:18:18 +0900</pubDate>
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<title>「サムライ」の原像－その成り行きを探る（３）</title>
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<![CDATA[ <div style="TEXT-ALIGN: left" align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><span style="FONT-SIZE: 18px"><b><span style="COLOR: rgb(132,0,132)">朝廷の逆襲－建武の新政</span></b><br>「サムライ」は、これまで荘園の統治を任されていた「現場監督」という立場から、源氏の棟梁（頼朝）から自分の所領統治を認めてくれた（所領安堵）ことに恩義を感じ、それが求心力となって鎌倉幕府を支えてきました。<br><br>しかし元寇による疲弊と、北条氏に連なる勢力の専横に対する不満から、鎌倉幕府は徐々に「サムライ」たちからの信任を失っていきます。このスキに進められた朝廷による倒幕の動きが、後に建武の新政につながっていきます。<br><br>この建武の新政の中核となったのが、後醍醐天皇。後醍醐天皇は、天皇が自ら政治を執り行う体制を目指していましたので、この政権の本質は朝廷による完全なトップダウン政権であるといえます。「サムライ」たちによる突き上げに対する朝廷側の逆襲といったところでしょうか。<br><br>ただこの新政権、単純にトップダウンとも言い切れない特徴を持っています。領地を持った「サムライ」よりもボトムに位置する人々を抜擢したという点で、ボトムアップ的な要素もあるのです。抜擢されたのは、</span></span><span style="FONT-SIZE: 18px"><span style="FONT-SIZE: 18px">鎌倉幕府側から「悪党」と言われた人達で、後世に忠臣の鑑と讃えたれる</span></span></div><p align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0">楠木正成もこの中に属します。<br><br>宋の国の中央集権に憧れ、新しい体制を目指した後醍醐天皇でしたが、政治の実務においては一貫性のない対応で、「サムライ」たちの支持を失っていきます。足利尊氏の離反によって体制は瓦解し、朝廷を２つ（後醍醐天皇の南朝と足利氏が擁する北朝）に割った争いへと突入していきます。<br><br><b style="COLOR: rgb(132,0,132)">建武の新政の歴史的意義</b><br>建武の新政は後醍醐天皇の理想実現を目指した理念先行型の政権でしたが、それ故に現場のニーズに応えることができず、いたずらに混乱を招き、戦国乱世の遠因となっていきます。<br><br>しかし別の角度で見ると、非常に興味深い取り組みであったともいえるのです。それは、これよりずーっと先の世の、幕末～明治維新における行動のバックボーンとなるひな型を提示したということです。<br><br>後の世のためのひな型はの３つのかたちで示されました。<br>一つ目は、後醍醐天皇が天皇自ら中心となって政治を執り行うことの意志を示したこと。<br>二つ目は、後醍醐天皇に仕えた北畠親房が『神皇正統記』において、天皇は日本の神代の時代からの統治者の子孫であり、南朝の正当性を示したこと。この考えは幕末における尊皇攘夷の思想に発展していきます。ちなみにこの『神皇正統記』で初めて「日本は神国である」という表現が出てきます。<br>最後の三つ目は、楠木正成が天皇に対する忠義の典型を自らの生き様で示したということです。楠木正成は、湊川の合戦で討ち死にする際に、弟の正季と「これより七たび生まれ変わって朝敵を打ち滅ぼさん」と語り合って、共に刺し違えたと伝えられています。それを裏付けるかのようにその後の楠木一族も、自らの滅亡も顧みず、最期まで北朝に対して徹底的に戦い続けました。楠木正成のとった行動は、後の世の尊皇の志士たちにとって理想の生きざまとなり、彼らの行動の原動力になっていきます。<br><br>このように後の世に対する影響を考えれば、「型を示した」という点で、建武の新政は日本の歴史上大きな意味があったといえます。<br><br></font><font size="+0"><b><span style="COLOR: rgb(132,0,132)">突き上げの多極化－戦国バトルロイヤル<br></span></b><span style="COLOR: rgb(132,0,132)"><span style="COLOR: rgb(132,0,132)"></span></span></font></span></span><span style="FONT-SIZE: 18px"><span style="FONT-SIZE: 18px"></span></span><span style="FONT-SIZE: 18px"><span style="FONT-SIZE: 18px"><font size="+0">但し、いくら後の世に対して意義あることであったといっても、近い未来に対しては、大きな混乱を呼び起こしたことも確かで、朝廷を南北に割っての争いは、「サムライ」だけでなく、もっとボトムな階層も巻き込んだ、いわば突き上げの多極化の時代、下克上の戦国の世につながっていきます。<br><br>これまで「お上」に対する突き上げは、「サムライ」の専売特許でしたが、この頃にはもっと多様な階層からの突き上げが起こっています。ますは困窮した民衆が蜂起した土一揆。荘園領主や守護大名などの領地外からの支配に抵抗した在地領主（国人）による国一揆。一向宗（浄土真宗）信者による一向一揆。いずれも江戸時代に起こった一揆と比べても、インパクトがまるで違い、一国の支配者を揺るがし、打ち倒すほどの迫力のちがいがありました。<br><br>中世の時代において、このような下からの突き上げが盛んに起こったのは世界史上まれなことで、日本以外には見られません。このことは注目しておくべきです。当時の世界の大半は、トップダウンが圧倒的に強く、上下間の格差は相当あったといえます。日本は比較的下からの突き上げを許容する自由さが当初からあり、それが原動力となって日本の歴史を突き動かしていったのです。<br><br><br><br></font></span></span></p>
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<link>https://ameblo.jp/samurai-essence/entry-11250559397.html</link>
<pubDate>Mon, 14 May 2012 17:44:35 +0900</pubDate>
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<title>「サムライ」の原像－その成り行きを探る（２）</title>
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<![CDATA[ <div style="TEXT-ALIGN: left" align="left"><span style="FONT-SIZE: 18px"><b><span style="COLOR: rgb(132,0,132)">北条氏による「サムライ」統治の定着</span></b><br>征夷大将軍になった源頼朝の後、その血が三代<br>実朝で絶えてからは、京都から迎えたお飾りの<br>将軍が代を重ねます。<br><br>そして鎌倉幕府は、平氏である北条氏（清盛たち<br>から見れば裏切り者ですね）が執権として実権を<br>握ります。北条氏は、拮抗する他の御家人を蹴落<br>としつつ、「サムライ」による広域的な領国統治は<br>着実に進んでいきます。<br><br>北条氏主体の鎌倉幕府の歴史的な意義を考えて<br>みると、それが「サムライ」たちによるボトムアップ<br>によって興った最初の成り上がり政権であったこと<br>がいえます。また、当初から独立自尊の気風に<br>富んだ「サムライ」たちを全国規模で束ねた結果、<br>のちに起こる元寇において国を守るための体制を<br>整えることにつながったともいえます。<br><br><b><span style="COLOR: rgb(132,0,132)">元寇－「サムライ」たちのふんばり</span></b><br>日本に攻め込んできた元王朝、正しくはモンゴル<br>帝国ですが、13世紀始めにチンギス・ハンが建国<br>してからまたたく間に版図をユーラシア大陸規模<br>まで拡げたグローバルレベルの帝国でした。<br>制圧された国に対しては、帝国側の支配を押し<br>付けることなく、現地での自治を認めるという、<br>極めて現場感覚に優れた統治を行っていた国で<br>あったといわれています。<br><br>このモンゴル帝国に対して唯一屈服しなかった<br>のが日本の鎌倉幕府ということになるんですが、<br>このことはそれほど後世の日本史家からは評価<br>されていない気がします。<br>評価の内容をやや乱暴に表現すると、「世界が<br>モンゴル帝国として一つにまとまろうとする流れ<br>に対して、独りよがりに抵抗し、たまたま天候<br>（暴風雨）に恵まれたために、負けを免れたに過ぎ<br>ない。本当は抵抗せずにグローバルな体制に<br>組み込まれた方が日本の発展につながったので<br>はないか。これだから日本は当時から閉鎖的で<br>ダメなんだ・・・等々」ということになりましょうか。<br>このようにやや自虐的なニュアンスでの評価が<br>多いと思われますが、私はそのように考えません。<br><br>そもそも国が他国からの侵略に屈服するという事<br>は、生殺与奪の権利を他国に握られてしまうこと<br>に他なりません。それを防ぐために国を挙げて<br>必死に戦うことは当たり前のことです。世界規模<br>の版図を有するモンゴル帝国に対して一歩も<br>退かなかったわたしたちの祖先に対して、もう少し<br>誇りに感じてもよいと、私は思っています。それに<br>暴風雨に助けられたといっても、運も実力のうち<br>ですからね。また、当時元寇に対して「サムライ」<br>たちを仕切っていたのが、執権であった北条時宗<br>なんですが、彼は当時１９歳だったといわれてい<br>ます。これだけを取り上げてみても、すごいもん<br>だなと思っています。<br><br>元寇でのふんばり過ぎがもとで、その後鎌倉幕府<br>は弱体化し、朝廷からの逆襲によりひっくり返って<br>しまいますが、この時代を通じて「サムライ」の<br>基本的なメンタリティ、各々の土地に根ざした独立<br>自尊の気風が確立し、それが後世にも影響を<br>及ぼしていきます。</span><span style="FONT-SIZE: 18px"><span><span style="COLOR: rgb(132,0,132)"></span></span>（</span><span style="FONT-SIZE: 18px">続）</span><br></div><span style="FONT-SIZE: 18px"></span><span style="FONT-SIZE: 18px"><p align="left"><br><br><b style="COLOR: rgb(132,0,132)"></b><br>&nbsp;</p></span>
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<link>https://ameblo.jp/samurai-essence/entry-11246877473.html</link>
<pubDate>Thu, 10 May 2012 15:05:39 +0900</pubDate>
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<title>「サムライ」の原像－その成り行きを探る（１）</title>
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<![CDATA[ <b><span style="COLOR: rgb(132,0,132); FONT-SIZE: 16px"></span></b><span style="FONT-SIZE: 16px"><b><span style="COLOR: rgb(132,0,132)"></span></b></span><span style="FONT-SIZE: 18px"><div style="TEXT-ALIGN: left" align="left"><b><span style="COLOR: rgb(132,0,132)">そもそも「サムライ」はいかなる存在だったのか？</span></b><br>「サムライ」の中にある有意な何かを抽出する前<br>にまず、「サムライ」のそもそものところを明確に<br>する必要があると思っています。<br><br>これから、「サムライ」の発祥から現在に到る<br>まで、「サムライ」という存在がどのように変遷<br>してきたかをザックリと描いてみましょう。<br><br>まず先に結論から言ってしまうと、<br>「サムライ」とは、命がけの「現場」に身を置く戦闘<br>を生業とする人達で、統治者としてトップダウンす<br>るよりは、どちらかといえば「現場」からボトムアッ<br>プ（統治者を突き上げる）する立場に身を置く素性<br>であったといえます。<br><br><b><span style="COLOR: rgb(132,0,132)">「サムライ」の発祥</span></b><br>「サムライ」の起源は、遠く平安時代に遡ります。<br>自ら土地を開墾し、私有した土地を権威付け<br>するために、皇室や摂関家、寺社などの有力者<br>に荘園として寄進し、自分は現地の統治者に<br>おさまるというのが、「サムライ」の最初の在り<br>ようでした。<br><br>またはこんな説もあります。民俗学者の折口信夫<br>さんによると、野に臥し、山に臥して暮らす「野伏<br>（のぶし）」「山伏（やまぶし）」の「ぶし」こそ、「武士<br>（サムライ）」の語源ではないかというのです。<br>確かに「サムライ」は戦闘を専門とする道々の輩<br>と捉えることもできますから、これも一理ある考え<br>だと思います。<br><br>いずれがルーツであるにせよ、「サムライ」には<br>山野自然という、都とは対極の、ローカルな<br>「現場」が存在基盤となっている点ではどちらも<br>共通しています。大地に親しむ根生いの存在が<br>「サムライ」の原点であるといえましょう。<br><br>また、都の有力者の権威があるとはいえ、現地を<br>実効支配するためには、相応の実力が必要と<br>されます。「サムライ」には当初から誰にも頼らず<br>自分の居場所を命がけで守るという、自立の気風<br>が求められていました。<br></div><b style="COLOR: rgb(132,0,132)"></b><p align="left"><b style="COLOR: rgb(132,0,132)"><br><font size="+0">最初の突き上げ－源平の台頭</font></b><br><font size="+0">これまでは、あくまでの現地の荘園の実効支配を<br>任されるのみに甘んじていた「サムライ」でした<br>が、皇室や貴族に代わって、より広域な領土の<br>統治を初めて認めさせたのが、源氏と平氏でした。<br><br>まず始めに平氏の清盛が朝廷内で太政大臣に<br>昇り詰め、朝廷の代表として広域の領土を統治し<br>ました。<br>その後、源氏の頼朝を御輿に担いだ板東武者が<br>蜂起し、平氏を滅ぼします。その後は頼朝は都に<br>は入らず、鎌倉の地に幕府を構え、都とは一線を<br>画す立場を取りました。</font><span style="FONT-SIZE: 18px"><br><br><font size="+0">頼朝は各地に守護と地頭を配置</font></span><font size="+0"><span style="FONT-SIZE: 18px">これまでの荘園<br>領主に代わって、領国を支配しようとします。<br>このときを境にボトムアップする「サムライ」とトップ<br>ダウンの朝廷との間に長い長い勢力争いが繰り<br>広げられるようになったのです。（続）<br><br><br><br></span><br><br><br><br></font></p><font size="+0"><span style="FONT-SIZE: 18px"></span></font></span>
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<link>https://ameblo.jp/samurai-essence/entry-11245730053.html</link>
<pubDate>Wed, 09 May 2012 06:45:50 +0900</pubDate>
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<title>このブログを始めるにあたって</title>
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<![CDATA[ <p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">　現代において「侍（サムライ）」という言葉は、</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">「困難に負けない</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">意志の強い日本人」を形容する</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">場合によく使われます。そのときは</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">概ね肯定的な</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">文脈の中で語られています。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3"><br></font></span><br></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">「武士道」という言葉は、「～とは死ぬことと見つ</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">けた</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">り」（ｂｙ</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">『葉隠』）という有名なフレーズと</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">ともに殺伐としたイメージで</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">語られたり、新渡戸</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">稲造の『武士道』を引き合いに出して、日本が</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">誇る</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">道徳的な思想として語られたりして、否定・肯定</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">相半ばする</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">両義的な文脈の中で揺れているように</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">見えます。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3"><br></font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">階級としての侍（武士）は、明治維新後に消滅して</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">しまいまし</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">た。</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">でも</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">「サムライ」という概念は当事</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">者がいなくなっても、</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">様々な文脈で</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">奇妙に変形しな</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">がら今も生きながらえてい</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">るわけですね。</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">このよう</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">な様々な「サムライ」にまつわ</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">る語られようを見る</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">につけ、</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><br></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">私は長年「なんだかな～</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">（汗）」という</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">思いを抱き続けてきました。</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">もう少し</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">ましな形で</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">語られるべき実質を持っているのに･･･と、とても</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">残念に思っています。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3"><br></font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">このブログでは、「サムライ」について歴史的・</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">思想的な視角から</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">捉え直し、そこから得られた理解</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">について書</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">き記していきます。</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">また戦闘者であった</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">「サムライ」を当事者側の視角で捉えるべく、</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">彼ら</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">が実践した武術についても縷々綴っていきます。</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3"><br></font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3"><br></font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">願わくば「サムライ」の中にある、現代、そして</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">未来の人にとって</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">価値ある何かをエッセンスとして</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">抽出して、表現することを、この</font></span><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">ブログにおける志</font></span></p><p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;,&quot;serif&quot;;"><font size="3">とします。</font></span></p><br><br><p><font size="3" face="Century"><br></font></p><br><p><font size="3" face="Century"><br></font></p><br><p><font size="3" face="Century"><br></font></p><br><p><font size="3" face="Century"><br></font></p><br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 01 Mar 2012 22:46:39 +0900</pubDate>
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