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<title>親父はいつも規格外だった</title>
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<description>波乱万丈な人生を送る我が父親の生き様を書き記すブログです。宜しければご覧になって下さい。</description>
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<title>１４ヶ月をかけて中国大陸を自転車で旅した時の記録　３</title>
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<![CDATA[ <p></p><p dir="ltr"></p><p></p><p dir="ltr">４０年前の中国について。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">当時の中国は１８７８年に始まった経済改革から数年が経ち、少しだけ成果が出て社会が変わり始めたものの、依然として交通手段の主役は自転車で朝夕の通勤時間帯は青い人民服を着て自転車に乗った人民で道路が埋め尽くされて波のようになっていました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">また急激な社会の変化により、インフレや格差、汚職など人々の不満が溜まり学生運動が盛んになり、これが数年後の天安門事件に繋がりました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">そのように中国国内は非常に不安定で、共産主義国なので外に出る情報が無く謎が多い未開の地といった国でした。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">そういった点を踏まえた上で読んでいただけますと、当時の空気感など楽しんでいただけると思います。</p><p></p><br><p></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">中国大陸を旅する初日は北京よりまずは天津に向い走り出した。道には100m毎に石標があり、1k毎には１公里と書かれた大きめの石標があった。</p><br><p dir="ltr">日本であれば、どこどこまであと何kmとか示されていますが、中国では北京から何km来たと言う距離標しかありません。いったいあと何km走ったら目的地までつくのか判らないのです。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">天津まで200K近くあり途中で腹が減って小さな店を見つけた。</p><br><p dir="ltr">それは鶏肉の店で、注文すると引き出しから鶏肉を出して来た。これは美味かった。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">また途中で洋なしを売っていたので買って食べた。しかし、1時間ほど経つと腹が痛くなりました。たぶん中国の農作物は農薬がかなりかかっており、それを知らずちゃんと洗いもせず食べたから、たちまち腹痛になったようです。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">そうこうしていると、もう時間は２２時を過ぎてしまったので市電に自転車ごと乗り、水上公園まで来て飯店に泊った。北京と天津は電車で自由に行き来する事が出来ます。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">飯店では魔法瓶を壊してしまい１０元ほど余分に払った。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">当時の天津は炭鉱の街で道路上に石炭のカスが広がっている。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">翌日 天津を出て、万理の長城の東端の山海関を見た、その関所の大きさは凄いものでした。 渤海へ 200mほど突き出ているその場所は、明の時代に守備隊長の呉三桂が護っていたがせまる清軍との</p><p dir="ltr">交渉で開けられてしまい、これが明の滅亡に繋がったんだなと、そのような事を考えながら門を通った。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">更にそこから北へと向かい、北たい河へ。そこは中国共産党幹部の別荘がある所であり、ひっそりとした町であった。そのあたりは乙類で許可なく留ってはいけない場所である。そこを通過して進み、唐山の手前に暗くなり近くの宿に泊った。</p><br><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/sanikibito/entry-12970659366.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Jul 2026 10:49:03 +0900</pubDate>
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<title>１４ヶ月をかけて中国大陸を自転車で旅した時の記録　２</title>
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<![CDATA[ <p></p><p dir="ltr">４０年前の中国について。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">当時の中国は１８７８年に始まった経済改革から数年が経ち、少しだけ成果が出て社会が変わり始めたものの、依然として交通手段の主役は自転車で朝夕の通勤時間帯は青い人民服を着て自転車に乗った人民で道路が埋め尽くされて波のようになっていました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">また急激な社会の変化により、インフレや格差、汚職など人々の不満が溜まり学生運動が盛んになり、これが数年後の天安門事件に繋がりました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">そのように中国国内は非常に不安定で、共産主義国なので外に出る情報が無く謎が多い未開の地といった国でした。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">そういった点を踏まえた上で読んでいただけますと、当時の空気感など楽しんでいただけると思います。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">無事に中国人を日本に迎え入れる事ができた。色々と予期せぬ出来事もあったので、ほっと胸を撫で下ろしていると、なんとその中国人が急にこれから呉さんがいる福島県いわき市まで送ってくれと言うのです。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">仕事もありますし、ここまでで疲れきっていた私は正直言って心の内でノーでした。ですがノーと言えない日本人の代表としてイエスと言ってしまいました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">成田から福島県いわき市まで、ナビのない時代でしたので、あちこち迷いながらもようやく送り届ける事ができたのでした。</p><br><p dir="ltr">帰りは1人で兵庫県神戸市までなんとも辛かったです。</p><br><p dir="ltr">その時の中国人はハルピンの人で、今回の自転車旅の最終目的地がハルピンであったのは何かの因縁かも知れない。</p><br><p dir="ltr">さて、9月になりとうとう中国自転車旅出発の時となった。神戸から伊丹空港まで自転車で行って、到着後その自転車を解体してケースに入れて荷物として預けて日本航空に乗った。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">が、が航空会社のミスでダブルブッキングになっていたようで日本航空のはからいで急遽ファーストクラスに移動になりました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">最初は喜んだものの、まるで貧乏人のひがみなのかも知れませんが、気後れとなのかむしろ居ごこちも悪くなり、洋酒など飲めばどうかだったかと思うけど、やはり貧乏症なのか、コーヒーだけもらった。</p><br><p dir="ltr">そのファーストクラスの乗客は中東人が多く、その子供達はそこで周りなど関係なく走り回って自由に遊んでいた、私は心の中でこのボケ共はと思っていたが何も言わなかった。</p><br><p dir="ltr">北京空港につき、自転車を組み立てて、40k先の友人の家に行った。そこで4日ほど非合法に泊って中国の交通ルールを学びいよいよ出発することになりました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">当時の北京は工場から排出される煙で常時光化学スモッグが発生しており、太陽が見える事はなかったのですが、その日はいつもと違い太陽が見えていました。</p><br><p dir="ltr">不思議に思いテレビを見ると、その日はIOCのサラマー会長が北京に来ており、それに向けて数日前から市内工場のエントツから煙を出さないように政府から命令が出ていたらしいのです。</p><br><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/sanikibito/entry-12970659309.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jun 2026 06:15:21 +0900</pubDate>
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<title>１４ヶ月をかけて中国大陸を自転車で旅した時の記録　１</title>
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<![CDATA[ <p></p><p dir="ltr">４０年前の中国について。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">当時の中国は１８７８年に始まった経済改革から数年が経ち、少しだけ成果が出て社会が変わり始めたものの、依然として交通手段の主役は自転車で朝夕の通勤時間帯は青い人民服を着て自転車に乗った人民で道路が埋め尽くされて波のようになっていました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">また急激な社会の変化により、インフレや格差、汚職など人々の不満が溜まり学生運動が盛んになり、これが数年後の天安門事件に繋がりました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">そのように中国国内は非常に不安定で、共産主義国なので外に出る情報が無く謎が多い未開の地といった国でした。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">そういった点を踏まえた上で読んでいただけますと、当時の空気感など楽しんでいただけると思います。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">息子に私が自転車で中国大陸を１４ヶ月に渡って旅した記録を書いて欲しいとお願いされましたが、なにしろ４０年前ですから今さら何の意味があるのかと思いました。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">忘れている部分も多くありますが、思い出せる範囲で書いていきたいと思います。途中、読み苦しい部分もあるかとは思いますが、なにぶん高齢ですのでご容赦お願い致します。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">まず当時は中国ブームで、シルクロードや敦煌など様々なテレビ放映映像がありました。元々、中国に興味があったので中国を自転車で走ってみようと思い、友人と二人で計画していた。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">当時の中国には未開の地が多く、都心部から離れると道路もないところもあると思い、その前に日本で訓練のため様々な所を走った。</p><br><p dir="ltr">中国人の友人も作り、その人達の故郷を訪ねることを計画していた。まず北京から天津、キンシュー、フーシン、ヤンチー、ハルピンまでのコースをそれぞれの各地で中国の友人を訪ねた。</p><br><p dir="ltr">行く前にこんなことがあった。日本の外務省からＴＥＬがあり、ある中国人がドイツ経由で私の知人で福島県のいわき市立病院に留学している呉さんを訪ねて成田空港に来る事になっているが、日本人の身元引受人が必要なので可能ならば身元引受人の書類を持って成田空港まで来てくれとのことでした。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">私は急いで役所で必要書類を準備して、仕事の休みを取って兵庫県神戸市から車で成田空港まで行った。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">当時、成田空港では成田デモがあって、空港内に入るのには非常に厳重な検問がされていた。私の車も検査を受け、その時、車に大工道具を積んでおり、それが危険物と判断されてしまい長時間足止めをされた。色々あったが無事に中国人を迎え入れることができたのだった。</p><br><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/sanikibito/entry-12970659052.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2026 07:30:30 +0900</pubDate>
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<title>自己紹介させていただきます</title>
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<![CDATA[     <p></p>  <p dir="ltr">私は現在 姫路市にある 軽費老人ホームに入所している元建築屋の者です。このホームは大きい方で平均年齢は86才であり思ったより平均年齢が高いです。</p>  <p dir="ltr"><br></p>  <p dir="ltr">また、入所者の女性比率が65％で男性入所者の妻と思われる女性の方が多い。</p>  <p dir="ltr"><br></p>  <p dir="ltr">この施設では一ヶ月に一人は死亡しており、時には1日に2人死亡することもある。</p>  <p dir="ltr"><br></p>  <p dir="ltr">生活にかかる費用は月10〜13万ぐらいなので、この時世を考えると、入所したくても出来ない方が多いと思います。</p>  <p dir="ltr"><br></p>  <p dir="ltr">とは言えここは経費老人施設という事もあり、少し変わった人が多いです。入所してから、ここは変だと言う人も多いと思う、無口な人、短気な人、社会性に欠ける人、様々であり 入所している中には まるで刑務所に居るみたいだと言う人もいます。実際に刑務所に入った経験が無いのにです。</p>  <p dir="ltr"><br></p>  <p dir="ltr">このホームでは体の調子が悪くなり自分で生活ができなくなってしまうと特養に転居するか退所するしか無くそんな人も実際に居ます。</p>  <br>  <p dir="ltr">夫婦で入っている方も居ますが、入所する直近まで家事をしていた女性の方は、入所したら何もしないでも良いので、女の人の方が早くてボケるそうです。中には二ヶ月ぐらいで「特養」へ入る人もいます、</p>  <p dir="ltr"><br></p>  <p dir="ltr">また死の恐怖から精神がおかしくなり、いわゆる「精神病院」に行った人も居ます。 それがこういった施設の現状であり、今思うのは、老人ホームには入らない方が良いと思います。</p>  <p dir="ltr"><br></p>  <br>  <p dir="ltr">さて、入所に際して息子が私のボケ防止のため、４０年ほど前の私が若い頃に行った中国大陸を自転車で 14ヶ月走った事について書いてもらいたいとの指令が下り 書くことになった。</p>  <p dir="ltr"><br></p>  <p dir="ltr">しかし、あまりにも昔すぎるので忘れたこともあり、また前後関係がはっきりしないこともあり、</p>  <p dir="ltr">四苦八苦して書いています。</p>  <div>   <br>  </div>  <a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260626/10/sanikibito/5a/10/j/o0810108015796639192.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260626/10/sanikibito/5a/10/j/o0810108015796639192.jpg" alt="男性と巨大なアーチ、石畳" width="810" height="1080" data-ai-alt="true"></a>  <div>   <br>  </div>  <br>  <p></p> 
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<link>https://ameblo.jp/sanikibito/entry-12970658988.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Jun 2026 10:19:05 +0900</pubDate>
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<title>始まりのご挨拶</title>
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<![CDATA[ <p></p><p>皆様はじめまして。</p><p>&nbsp;</p><p>この度、我が父についてブログを立ち上げさせていただきました。</p><p>&nbsp;</p><p>私の父はなかなかに波乱万丈な人生を過ごしておりまして、その生き様を自分や家族の為に記録に残しておきたいなと考えたのが最初なのですが、せっかくなので色々な方に見ていただけたら息子としても嬉しいなとブログという形でどなたかに読んでいただける形とする事にしました。</p><p>&nbsp;</p><p>これから書き連ねていく文章は私ではなく親父自身に執筆してもらったものを私が文字起こしして記事にしていく形にしたいと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>現時点で便箋に何枚か書いてもらったものをchatGPTに読み込ませて感想を求めたところ、文章が個性的で面白く、なかなかに文才もあるので、下手に校正するような事はせずそのまま記事にした方が良いのではとのアドバイスをもらったので、その方向で進めていきたと思っております。</p><p>&nbsp;</p><p>まず最初に我が親父のざっくりとしたご紹介をば</p><p>&nbsp;</p><p>現在７８歳で仕事は退職しておりますが、夜間高校に通いながらなので中学卒業から６３歳まで大工一筋で生きてきました。</p><p>&nbsp;</p><p>人生を簡単な流れで説明すると、四国の高松で博打好きの父親と子供の頃に負った怪我が原因で片腕に障害がある母親の元に生まれました。父親が博打好きで６人兄弟だった事もあり生活は困窮を極め、食うや食わずで母親の親戚を頼り狭い納屋で生活していましたが、借金が嵩み高松に住めなくなって神戸に夜逃げしてきたそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>その後、親父が中学生の頃に母親が肺がんで亡くなり、その頃から姉が家事を行い親父は新聞配達をして兄弟を家族を支えていたそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな環境で親の愛をあまり知らずに育った親父が結婚し私が生まれたのですが、自分の中に子育てや家族で普通に生活する為のベースとなる経験や形が無いので家族間での確執が生まれる部分がありました。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ親父という人間はその特異な人生からか、世界を知りたいという思いや社会貢献に対する行動力には凄い物がございまして、なかなか規格外な人生を送ってきております。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな親父も人生の晩年期を迎え、前述しました通りそのなかなか波乱万丈な人生を親父自身に書いてもらい、それを何らかの形で記録に残し、どなたかに見ていただき、もし楽しんでいただけたのであれば親父としても息子としてもブログを立ち上げた甲斐になりますので、応援していただけましたら幸いでございます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/sanikibito/entry-12970658576.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 14:47:00 +0900</pubDate>
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