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<title>三架　sanka</title>
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<description>宅建おばさんのクリスチャンライフ</description>
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<title>試練とともに脱出の道も備えて下さる神様。</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-weight:bold;">”あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることの出来るように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。”　</span>（第1コリント10章13節）</p><p>&nbsp;</p><p>ALSを発症し、今もまぶたさえ自由に動かす事が出来ず、14年目の治療を続けている友人がいる。</p><p>&nbsp;</p><p>その彼女は、家族の愛に包まれ、子供の成長を喜びながら、いつかこの病気を治してくれる薬が出来るという希望をもって生きている。</p><p>&nbsp;</p><p>その友人が発症して間もない頃</p><p>「筋肉だけが無くなっていき、動けなくなるのに視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感はそのまま残っているの」と、私に囁いた。</p><p>&nbsp;</p><p>私は投げかけられた言葉に、自分の想像を遙かに超えた試練が、彼女を待ち受けている事実に気付き、どんな言葉もむなしく思え、彼女の顔さえ見る事が出来ず目を閉じてしまった事がある。</p><p>&nbsp;</p><p>神様だけが彼女の苦しみを癒やす事が出来ると思って、</p><p>「神様がいつかあなたを救って下さる日が来ると信じている」と言うや否や、</p><p>「私をこんな病気にした神なんか信じない」と優しい彼女からは今まで聞いた事がないような強い口調で私の言葉を跳ね返した。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、私は神が彼女の苦しみを癒やして下さると信じ、祈り続けた。</p><p>その後、私は2度と神様の話はしなかったし、彼女の考えも変わっていないように思っていた。</p><p>でも、奇跡が起きた！</p><p>&nbsp;</p><p>数年後、彼女は洗礼を受け、クリスチャンになった。</p><p>&nbsp;</p><p>介護をしていた看護師からひどい扱いを受け、命の危険に晒された事もあったようだが、間一髪で救いの手が伸びて助かったと聞いている。</p><p>&nbsp;</p><p>気管切開を受ける決心をし、生きる希望を選んだ道は正しかったと言って弱い私を勇気付けてくれる。</p><p>&nbsp;</p><p>神が試練とともに脱出の道を備えて下さり、その道を見つけた彼女を祝福して下さっている事に感動を覚えずにはいられない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12448325558.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Mar 2019 20:04:38 +0900</pubDate>
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<title>恐怖に支配される宗教、愛に包まれる信仰</title>
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<![CDATA[ <p>私の祖母は体があまり丈夫ではありませんでした。</p><p>丈夫になりたい、助けて欲しい、そんな思いが宗教へと向かっていったようでした。</p><p>&nbsp;</p><p>私が物心ついた頃に、祖母と母は有名な宗教団体に入っていました。</p><p>時々、母に連れられて夜の家庭集会に参加した事を、大好きなお人形を抱えて遊んでいた思い出として、ぼんやりと覚えています。</p><p>&nbsp;</p><p>祖母も母も私が成人する頃には、仏壇はあったものの特にその宗教に熱意があるようには見えませんでした。祖母も体が丈夫になったという訳でもなく、いつも病院通いをしていましたが、習慣として仏壇に手を合わせる程度だったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>ある日、宗教嫌いの父が、その宗教団体から離れる事を決め、その団体の代表の方々と、我が家で脱会について話合いをしていた時の事です。</p><p>&nbsp;</p><p>最初は落ち着いて話をしていた双方が、次第に熱を帯び興奮してきました。</p><p>ついに、大声でお互いを罵りあい、喧嘩になりました。</p><p>たまたま側にいた兄が必死で止めに入り、事なきを得たのが幸いでした。</p><p>&nbsp;</p><p>怒った団体の代表の方は、</p><p>「バチが当たりますよ。いいですね。」</p><p>と, 捨て台詞を投げかけて帰っていかれたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>その時、私は宗教は恐怖によって縛られているのだと気付かされました。入る時には広く開かれた門が、出る時には何と狭い事か・・・</p><p>&nbsp;</p><p>その後、私たち家族は「バチ」に怯えながら生きてきたのか、と問われたら、その答えは<span style="font-weight:bold;">「いいえ」</span>です。</p><p>&nbsp;</p><div>なぜなら、家族の身に起きた不幸や災難を「バチ」のせいにしなかったからです。</div><div>&nbsp;</div><div>それから、数十年後に両親はイエス・キリストを信じました、どのように信仰に導かれていったのかはすでにこのブログに書いた通りです。</div><div>&nbsp;</div><div><span style="font-weight:bold;">”主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。”</span>（詩篇34編18節）</div><div>&nbsp;</div><div>悲しみや孤独や苦痛に、精神的にも肉体的にも打ちのめされそうになった時、神が側にいて助けて下さるという希望があります。<br>　<br>神は愛、です。</div><div>&nbsp;</div><div>これを、宗教とは言いません。</div><div>神を信じ続ける事を、信仰と言います。</div><div>&nbsp;</div><div>一度、聖書を手にとってみませんか？</div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12436384034.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Jan 2019 16:10:25 +0900</pubDate>
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<title>平安はどこからくるのか？</title>
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<![CDATA[ <p>クリスマス、お正月をお祝いしてほっとしたのもつかの間、九州では地震が相次ぎ、心穏やかざる日々が続いています。</p><p>&nbsp;</p><p>頂いた年賀状に</p><p>「今年は自然災害もなく良い年でありますように」</p><p>と書かれたものが多くありました。</p><p>&nbsp;</p><p>愛する人を失ってどうして生きていけば良いのか、</p><p>何故、自分がこんな病に苦しまなければいけないのか、</p><p>人生のどこかでこんな思いを持たなければいけないのが人の道です。</p><p>&nbsp;</p><p>私は我が子も両親も亡くした経験を持っています。</p><p>&nbsp;</p><p>特に子供をなくした時には、「なぜ、なぜ……」と下を向き、前を向いて生きていけない日々が続きました。</p><p>&nbsp;</p><p>それから数年後、イエス・キリストを信じ、主から与えられた平安によって人生に向き合う事が出来るようになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>それは、</p><p>命はどこから来て、どこへいくのかが理解できたからだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる事を、私たちは知っています。”</span>（ローマ書8章28節）</p><p>&nbsp;</p><p>神は私たちを強くするために、試練を与えられる事もあります。</p><p>そんな時は、神を見失ってしまう時期もありました。</p><p>しかし、その困難を乗り越える力を与えて下さるのも神です。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えて下さいます。”</span>（第1コリント10章13節）</p><p>&nbsp;</p><p>恐れと不安のなかに生きる私たちに最も必要な物は、平安ではないでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。”（ヨハネ14章27節）</span></p><p>&nbsp;</p><p>主を信じ、主にある平安を信じる事が必要です。</p><p>どんな時も主を信じきれる人々にあたえられる平安です。</p><p>&nbsp;</p><p>あなたも聖書を開いてみませんか？</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12431781185.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Jan 2019 19:33:36 +0900</pubDate>
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<title>救い主イエス様降誕のお祝い（クリスマス）</title>
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<![CDATA[ <p>12月に入ると、イエス様のお誕生日をお祝いするクリスマスの曲があちらこちらで聞かれるようになります。</p><p>&nbsp;</p><p>12月25日は、クリスチャンにとって、この日は救い主がお生まれになった事をお祝いする記念の日です。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜ、イエス様が人としてお生まれになったかは以前書きましたが、旧約聖書の中で、イエス様の降誕を預言している箇所を御紹介したいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”ベツレヘム・エフラテよ。</span></p><p><span style="font-weight:bold;">あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。そのでることは、昔から、永遠の定めである。”（ミカ書5章2節）</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。（イザヤ書：9章6節）”</span></p><p>&nbsp;</p><p>新訳聖書（新改約聖書第2版）の中で、イエス様が何故ベツレヘムでお生まれになられたのかが詳しく書かれていて、主の使いが羊飼いたちのところに来て、<span style="font-weight:bold;">「きょうダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです」（ルカ2章11節）</span>とすばらしい喜びを知らせています。</p><p>&nbsp;</p><p>旧約聖書、新訳聖書を通して多くの預言がされていますが、イエス様の初臨までの預言はすべて成就されています。</p><p>&nbsp;</p><p>初臨以降、これから起こる携挙（けいきょ）や再臨（ここで説明するのは難しいので後日書きたいと思います）にも備えなければいけません。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜなら、聖書に書かれている事がすべて事実なので、これから起こると預言されている出来事は必ず成就すると信じられるからです。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちに時間は止められません、同様に神様のご計画は、私たちの意思に関係なく進んでいるのです。　このご計画を私たちが知っていても知らなくても関係ありません。</p><p>&nbsp;</p><p>黙示録だけではなく、旧約聖書、新約聖書の中にも、現代、未来に起こると預言されている箇所がたくさんあります。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、過去、現在、未来が幾重にも重ねて書かれているので、それを完全に解き明かすのは、人には不可能に思えます。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちに出来るのは、神を信じ、来たるべき未来に備える事だけです。</p><p>&nbsp;</p><p>どうぞ、一度聖書を手にとって下さい。</p><p>そして、天地を創られた神が私たちの真の神であり、私たちが神のところに帰る事が出来るように、人となってイエス様がこの世にこられた事実を知って頂たいと願っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12423611205.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Dec 2018 10:28:35 +0900</pubDate>
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<title>悔い改めよう、神は裁きさえ思い直される</title>
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<![CDATA[ <p>旧約聖書の中に、4ページ（4章）からなるヨナ書という短い物語があります。</p><p>彼を通して神が<b>、情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直される</b>（4章2節）方である事を知る事が出来ます。</p><p>&nbsp;</p><p>ヨナ書は、次のように始まります。</p><p><span style="font-weight:bold;">”アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。</span><span style="font-weight:bold;">立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。”</span>（ヨナ書1章1～2節）</p><p>&nbsp;</p><p>この主のことばを、ヨナは拒否しました。そして、ニネベには向かわずタルシュシュへ船で逃れようとしましたが、人が神の御顔から逃れるのは不可能でした。</p><p>&nbsp;</p><p>主によって大風が海に吹き付けられ、ヨナが乗った船は難破しそうになりました。彼はこの嵐が、自分のせいで降りかかった災いだと悟りました。ヨナは船長や水夫たちに、船から海に投げ込まれてしまいます。</p><p>しかし、主の海には、備えがありました。</p><p>&nbsp;</p><p>主は大きな魚にヨナをのみこませ、悔い改めのチャンスを与えられたのです。（童話ピノキオのお話はこの物語を元に書かれたと言われています。）</p><p>&nbsp;</p><p>ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいました。その苦しみの中で、彼は主に祈り、悔い改め、救いを求めました。</p><p>すると、</p><p>主は情け深く、あわれみ深い方です。魚に命じ、ヨナを陸地に吐き出させました。そして、彼にまた、次のような主のことばがあったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>それは、”<span style="font-weight:bold;">「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる。」”(3章4節)</span>というニネベ滅亡の預言でした。</p><p>&nbsp;</p><p>今度こそ、ヨナはニネベへ行きました。その町に入って、一日中歩き回って預言を叫び続けました。</p><p>&nbsp;</p><p>これを聞いたアッシリヤの首都ニネベの王とその民たちは、神を信じ、身分の高い者から低い者まで悔い改めました。</p><p>神は彼らが悪の道から立ち返るために努力している事をご覧になり、神が下すと言われたわざわいを思い直され、そうされなかったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>ニネベは滅びずにすんだのです。</p><p>&nbsp;</p><p>たとえ、神の前に悪が上がっても、悔い改め、神に立ち返る事が出きるなら、神が下すと言われたわざわいを、思いなおして下さる事があるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>神は怒るにおそく、恵み豊かです。</p><p>それは、神がお造りになった人間を愛しておられるからです。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちを愛しておられる天地を創られた創造主に目を向けるのか、木や石で作られた像に目を向けて生きるのか・・・・・</p><p>&nbsp;</p><p>ぜひ一度、聖書を手にとって頂きたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12414698583.html</link>
<pubDate>Sat, 03 Nov 2018 10:08:47 +0900</pubDate>
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<title>イエスさま、そのお答え、あっぱれ！</title>
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<![CDATA[ <p>中国の有名な女優さんが脱税の罪で、罰金8億元の支払を命じられたとの事、その額に驚愕してしまいました。</p><p>本人は、「何故私だけ、他の人もしているのに」と思っているかもしれません。ひょっとしたら罰した側にも過去に同じように脱税した人がいるかも、と思ってしまうのは私だけではないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>聖書には</p><p><span style="font-weight:bold;">”あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁（はり）には気がつかないのですか。</span></p><p><span style="font-weight:bold;">偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。”</span>（ルカ7章41，42節）</p><p>&nbsp;</p><p>人の欠点は探せば、すぐ見つかるでしょう。</p><p>他人に厳しく、自分に甘い、は人の常ですね。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、他に聖書の中にぜひご紹介したいお話があります。</p><p>&nbsp;</p><p>姦淫の現場で捕まえられた女を、律法学者とパリサイ人が連れてきて、イエス様が何と言われるか試して聞きました。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”「モーセの律法で、こういう女を石打にするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」”</span>（ヨヘネ8章5，7章）</p><p>&nbsp;</p><p>イエス様は、問い続けてやめない人達に、命令する訳でもなく、怒るわけでもなく、自分の胸に手をあてて考えてみなさい、と答えられたのです。　それを聞いた彼らは、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエス様とその女だけが残されました。</p><p>&nbsp;</p><p>イエスは聞かれました。”<b>「あなたを罪に定める者はなかったのですか」彼女</b><b>は言った。「だれもいません。」</b></p><p><span style="font-weight:bold;">そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」”</span></p><p>&nbsp;</p><p>人を裁くのは難しいですね。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”さばいてはいけません。さばかれないためです。”</span>（マタイ7章1節）</p><p>&nbsp;</p><p>この聖句、肝に銘じたいと思います、でもちょっと難しいけど。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12409573836.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Oct 2018 19:00:16 +0900</pubDate>
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<title>聖書は預言の書（6）</title>
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<![CDATA[ <p>旧約聖書のイザヤ書の中にイエス・キリストの誕生について預言されている箇所を（5）でご紹介しました。</p><p>今回は、イザヤ書の中からイエス・キリストの苦痛と死の預言について書かれている所を1箇所ご紹介します。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめたれたのだと。</span></p><p><span style="font-weight:bold;">しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。</span></p><p><span style="font-weight:bold;">彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。”（イザヤ53章4～6節）</span></p><p>&nbsp;</p><p>そして、ご自身が生まれる数百年前に預言された事が成就する事を、イエス様は弟子たちに告知されています。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。”</span>（ヨハネ10章17，18節）</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”その時から、イエス・キリストは、ご自身がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。”</span>（マタイ16章21節）</p><p>&nbsp;</p><p>イエス様は<span style="font-weight:bold;">”わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇に書いてあることは、必ず成就する”</span>（ルカ24章44節）といわれた通り、十字架にかかり、死んで三日目に蘇られたのです。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”園の中央にある木の実について、神は「あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ」と仰せになりました。”</span>（創世記3章3節）</p><p>&nbsp;</p><p>アダムとエバが神様に背いてその実を食べた事により、人は死ぬ事が定められました。</p><p>　</p><p>イエス様が私たちの身代わりとなって死んで下さり、蘇られた事により、私たちは永遠のいのちを得る事が出来るのです。</p><p>ただ、そのためには条件があります。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。”</span>（ローマ書10章9節）</p><p>&nbsp;</p><p>私たち人間は、羊のようにさまよい、どうしたらよいかと迷う事が多々あります。　</p><p>そんな時、聖書を開いて読んでみませんか？</p><p>私たちを救うために、神様はイエス様をこの世に送って下さったのですから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12404210987.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Sep 2018 17:06:02 +0900</pubDate>
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<title>クリスチャンとしてこの季節に思うこと</title>
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<![CDATA[ <p>8月になると、お盆に帰省した親戚や友人たちとの楽しかった思い出がアルバムをめくるように蘇ってきます。</p><p>しかし、残念ながらアルバムと同じく、その思い出はセピア色をしていて、はっきりくっきりとはいきません。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも、今もお盆になると鮮明に蘇ってくる記憶があります。</p><p>それは、クリスチャンになる前の父の姿です。</p><p>&nbsp;</p><p>彼は仏教徒でしたが、ときどき神道という日本人に良くあるタイプの信徒でした。</p><p>&nbsp;</p><p>その父は、お盆になると、迎え火や送り火を必ず焚き、ご先祖様が帰ってこられるからと仏壇には色々なお供え物をして、過ごしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>子供だった私は、「何で、死んでしまった人達が帰ってくるのかな、引っ越しても私の家がわかるのかな」と何となく納得出来ずにいたものの、その疑問を父に聞いた事はありませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>勿論、私がクリスチャンになってからは、その疑問がはっきりと解けました、父もクリスチャンになってからは、我が家ではお盆も特別な行事をしなくなったので、</p><p><span style="font-weight:bold;">「人は死んでどこへ行く」</span>のか、</p><p>はっきりとわかったのだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>聖書にはっきりと書かれているのです。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている”</span></p><p>（ヘブル9章27節）</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか？」”</span>（ヨハネ11章25、26節）</p><p>&nbsp;</p><p>意味がわからないという方は、ぜひ聖書を開いて読んでみて下さい。</p><p>必ず、わかる時がきます。</p><p>　</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12400967510.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Aug 2018 22:42:32 +0900</pubDate>
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<title>聖書は預言の書(5)</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">旧約聖書の中に<span style="font-weight:bold;">「イザヤ書」</span>という預言者の章があります。</span></p><p>&nbsp;</p><p>イザヤはユダ王国の後期の人で、ウジヤ王からヒゼキヤ王のころ活動した人です。</p><p>&nbsp;</p><p>ユダ王国とは、紀元前10世紀から紀元前6世紀にかけて古代イスラエルに存在した王国です。</p><p>&nbsp;</p><p>このイザヤ書の中に、「イエス・キリスト」の誕生について、数百年も前に預言をしているところがあるので紹介します。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;">”それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。</span></p><p><span style="font-weight:bold;">見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を【インマヌエル】と名付ける。”</span>（イザヤ書7章14節）</p><p>インマヌエルは、（神は私たちとともにおられる）という意味です。</p><p>（マタイ1章23節より）</p><p>&nbsp;</p><p>この預言は、今から2000年以上前にイエス・キリストがお生まれになった事によって成就しました。</p><p>&nbsp;</p><p>新訳聖書には</p><p><span style="font-weight:bold;">”「見よ、処女がみごもっている。そして、男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」</span>（マタイ1章23節）</p><p>この男の子こそ<span style="font-weight:bold;">イエス・キリスト</span>です。</p><p>&nbsp;</p><p>「処女がみごもる」なんて、あり得ない！と、クリスチャンでも密かに思っている人達がいるかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>近年、人体に革命的な発見がなされています。</p><p>iPS細胞、ＥＳ細胞、などなど。自分の体の一部から自分の臓器を造ったり、病を癒やす薬を造ったりと”あり得ない！”事が人体で起こっています。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちを造られた神様なら、マリヤの体の中でまだ私たちが知らない方法で受精卵をおつくりになるのは簡単かもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12395810395.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Aug 2018 20:10:38 +0900</pubDate>
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<title>科学者として聖書を信じる理由、って。</title>
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<![CDATA[ <p>ヴェルナー・ギット博士 （情報科学） ドイツ連邦共和国立 物理工科大学 ブラウンシュバイク校 名誉教授が、科学者として聖書を信じる理由のひとつに聖書の預言のお話をされているので、ご紹介します。</p><p>2013年の講演から引用させて頂ます。</p><p>&nbsp;</p><p>”アメリカの聖書学者が調べたところ、聖書の中の3268の預言が成就しています。まだ、成就されていないもの――例えば、イエス・キリストが再び来られるという預言――もあります。</p><p>&nbsp;</p><p>成就した預言の実例として　イスラエルの国民の追放と帰還を取り上げます。</p><p>&nbsp;</p><p>イスラエルの国民の追放について</p><p><span style="font-weight:bold;">『主は、地の果てから果てまでのすべての国々の民の中にあなたを散らす。あなたはその所で、あなたも、あなたの先祖たちも知らなかった木や石のほかの神々に仕える。これら異邦の民の中にあって、あなたは休息することもできず、足の裏を休めることもできない。主は、その所で、あなたの心をおののかせ、目を衰えさせ、精神を弱らせる。』</span>（申命記28章64，65節）</p><p>&nbsp;</p><p>また、帰還について</p><p><span style="font-weight:bold;">『それゆえ、見よ、その日が来る。―――主の御告げ。―――その日にはもはや、【イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる。】とは言わないで、ただ【イスラエルの子らを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる。】というようになる。わたしは彼らを先祖に与えた彼らの土地に彼らを帰らせる。』</span>(エレミヤ書16章14，15節）</p><p>&nbsp;</p><p>聖書にこのように書いてあります。</p><p>&nbsp;</p><p>この預言は1948年に成就しています。</p><p>ここで、北の国とはロシアの事です。</p><p>エルサレムとモスクワは経度が（エルサレムの真北にモスクワがある）同じで、1989年以降84万人のユダヤ人が旧ソ連から帰還しました。これは現在（2013年）の全ユダヤ人の人口の6分の1に当たります。"</p><p>&nbsp;</p><p>彼は科学者ですから、これで終わりではありません。</p><p>成就した預言の数学的確認計算もしています。</p><p>&nbsp;</p><p>すべての預言が成就する確率を等しく　P＝1/2とすると、</p><p>1個の預言が成就する確率は　1/2</p><p>2個の預言では　1/2ｘ1/2</p><p>&nbsp;</p><p>いままで成就した預言は　3268個なので</p><p>1/2ｘ1/2ｘ1/2・・・・・・・・</p><p>結果は　1．7ｘ10^(-984)（10－984乗）！</p><p>&nbsp;</p><p>すごい！！</p><p>単に当たる、当たらないという話ではありません。</p><p>このひとつひとつの預言が成就するためには、時代背景、民族動向、歴史など全ての条件が整わなければいけません。</p><p>人間が出来る事ではないですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>聖書は神が書かれたのか、人が書いたものか・・・・</p><p>考えてみて下さい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sanka-tak/entry-12390909227.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Jul 2018 17:23:43 +0900</pubDate>
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