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<title>更級雑記</title>
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<description>国文学科卒業の８人で運営のレビューブログ。「はじめに」を読んでね。</description>
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<title>虚構推理</title>
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<![CDATA[ <p>自称・城平京信者が再びやって参りました。</p><p>以前に『名探偵に薔薇を』で絶望に打ちひしがれ、さて今作ではどんなやりきれない展開を叩きつけてくださるのか…と！</p><p>&nbsp;</p><p>『虚構推理』（城平京）</p><p>&nbsp;</p><p>作品の中ほどまで読んで、これは本当に推理小説なのか？と混乱した。</p><p>主人公・岩永琴子は片目が義眼、片足が義足という1つ目1本足の美少女。彼女の裏の顔は妖怪、あやかし、魔などと呼ばれる人ならざるもの達に知恵を貸す“おひいさま”</p><p>岩永のパートナーとなる桜川九郎は幼い頃に人魚とくだんの肉を喰った不死の身体。旅行中にカッパと遭遇したことにより入籍直前だった恋人と別れることになる。</p><p>そんな九郎の元カノである弓原紗季はとある町の警察で働く交通課巡査。彼女の町では少し前にグラビアアイドルの変死体が見つかり、今はそのアイドルの亡霊と思われる“鋼人七瀬”が鉄骨を振り回して大暴れ。</p><p>…などと、登場する言葉のどれもこれも、地に足を着いていない！</p><p>城平先生はこんなファンタジー染みた世界で論理的な推理をやってのけようというのか。</p><p>&nbsp;</p><p>それを、やってのけるのである。</p><p>ただしそれは真実の解明という意味での推理ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>「真実はいつも１つ！」と有名な男の子は言うけれども、同じ推理ものというジャンルで城平先生は真っ向からそれを否定しにかかった。</p><p>事件の真犯人も手段も、読者と登場人物はとっくに知っている。</p><p>岩永が挑むのは、言葉と心理を巧みに操った“虚構を真実にする推理”である。</p><p>ああ言えばこう言う、議会か討論会かという論理の応酬が物語後半の怒涛の展開。</p><p>推理小説とはこうあっても良いのか！と驚くと共に、むしろこれはもっと社会的なジャンルなのではないかとも思う。難しいことはわからないけれど。</p><p>&nbsp;</p><p>ところで、この物語にはそれほど絶望感は無かった。</p><p>今まで読んできた城平先生の作品の中では軽いだろうという終わり方。</p><p>物語で魅せると言うより、手法で魅せる作品なのではないか。</p><p>それにしても後に続くような引きはあるけど…。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>余談ですが。</p><p>城平作品の登場人物はいつも魅力的。『虚構推理』はそんな過去の登場人物たちの面影を感じることが多かったように思います。</p><p>岩永の恋愛に対しての猪突猛進具合はスパイラル・アライヴの伊万里を彷彿とするけれど、彼女ほど馬鹿ではなく小さな身体で知略を駆使する姿は理緒ちゃん寄り。</p><p>紗季はクールなキャラクターだけど、岩永の言動に感嘆する口調が絶園のテンペストのフロイライン山本を思い出すような。とても漫画的で、小説という媒体で見るのは少し違和感が。</p><p>ただし過去を悔やむ姿にはやはりスパイラルの亮子ちゃんの面影も…と、これまでのキャラクターの魅力を踏襲したような、じわっとした楽しさもあり。</p><p>そういう要素は是非はあるかもしれないが、私は好きです。</p><p>&nbsp;</p><p>ふぶき</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/sarashina8/entry-12206884535.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Oct 2016 01:19:42 +0900</pubDate>
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<title>文房具図鑑</title>
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<![CDATA[ ネットで話題になってたのが気になって！<br><br>『文房具図鑑　その文具のいい所から悪い所まで最強解説』（山本健太郎）<br><br>小学6年生(当時)の山本健太郎くんが夏休みの自由研究で作った、手書き100ページに及ぶ文房具図鑑を書籍化！<br>定価(著者希望小売価格)は3兆円(税別)です。<br>本屋さんではそこから約99.99999995%オフの1500円で販売されています。<br>もう…定価もそうだし、タイトルの“最強解説”とか、図鑑のあちこちにいる変なオジサンの落書きとか、随所に子どもらしさが滲み出ていて本当に素敵なんです！<br><br>けれどもクオリティは全く“小学生”じゃない。<br>原寸大だったり、そうでなくてもとにかく細かく書き込まれた手書きの文房具のイラストに、実際のユーザーとしての忌憚の無い意見と文具に関する知識が詰まった文章。<br>開いて数ページで圧倒されてしまいました。<br>1ページを書くのにもかなりのエネルギーを使うはずなのに、飽きることなく100ページを完成させる小学6年生の男の子って…それだけでも彼がいかに文房具を愛しているかが感じられます。<br>驚いたのは彼の文房具図鑑に対して各文具メーカーが自社商品1つ1つに対してコメントを寄せているんですよね！<br>大きいところではコクヨさんだけは無かったようですが…キャンパスノートだけで6ページも割いてくれてるのに…。<br>「健太郎くん」「山本君」「博士！」と、メーカーがこぞってお礼を言ったり豆知識を披露したり、真面目に反論したり…<br>この本の出版にどれだけの人が動かされたんだろうとまた圧倒されてしまう。<br>巻末にも改めて各メーカー(こちらにはコクヨさんも)、文具仲間、家族、学校の先生や友達からのコメントが寄せられ、最後に健太郎くん直筆の原稿用紙によるあとがきが。<br>各方面からの愛に溢れた1冊に、なんだか読み終わったら感動してちょっと泣きそうになりました。笑<br><br>将来の夢は漫画家だという健太郎くん、表現力も素晴らしいです。<br>ジェットストリームのクリップ部分に付いている飾りに対して「このほうせきは賛否ある」とあると、きっと真面目な顔で論じているんだろうな…とほっこりするし、<br>「これを見て、「あっ！コレ見たことある！」って思った人は完ぺきなアラフォー世代だろう」というのはBOXY-100<br>また自分のイラストに対して「絵が変になってしまったクソ！！！」と憤慨したり、ふふってなります。何度声に出して笑ってしまったことか。<br>ボールペンは(ボ)、メモ類なら(メ)とアイコンを設定したり、「もしこの文具をかって使い心地がわるくてもせきにんはとりません！！」と注意書きを入れたり、背表紙には発行人や発行所まで入れる芸の細かさ。<br>まさか書籍化するなんて思いもしなかった時から、きっと誰かに読んでほしい1つの本として完成させようと思っていたんだろうなぁ。<br><br>そしてやはりそこかしこに現れる子どもらしさ。<br>金銭感覚もそうですね、200円の修正テープは良いけど260円の修正テープは高いとか、大人向けの3000円筆記具なんてもってのほかでしょう。<br><br>全体をとおして本当に面白かった。<br>なんというか、彼の努力と根気、それを支えた周囲の愛情…この本には確かに定価3兆円の価値があるように思えます。<br><br>ふぶき<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarashina8/entry-12150358504.html</link>
<pubDate>Fri, 15 Apr 2016 00:23:06 +0900</pubDate>
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<title>ネーミングの言語学　ハリー・ポッターからドラゴンボールまで</title>
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<![CDATA[ ハリー・ポッターからドラゴンボールまで？<br>なんて魅力的なタイトルだろう！<br>これを読めば数多の創作物のキャラクターの“名前”を学術的に読み解け、小説やコミックが一層楽しくなるに違いない！<br>…と思ったそこの貴方、ご注意あれ。<br><br>こいつぁ、立派なタイトル詐欺だぜ。<br><br>『ネーミングの言語学　ハリー・ポッターからドラゴンボールまで』（窪薗晴夫）<br><br>身も蓋も無い言い方をすれば、この本はただの真面目な学術書だ。<br>確かに第１章はハリポタに登場するキャラクターの名前の特徴から始まり、全５章の最後はドラゴンボールについてのコラムで終わる。<br>その他にもディズニーキャラクターやトムとジェリーなど色々なキャラクターの名前は登場するが、それぞれ各章の“導入”でしかない。<br>内容の部分は主に言語学の音韻論、その中でも特に音節構造とアクセントについてが中心となっている。<br><br>音節とはざっくり言うと…まぁ日本語でいう仮名１文字。実際に発音できる最少単位のこと。<br>日本語では子音１つ＋母音１つ（もしくは母音１つのみ）が１音節で、例外的に小さい「っ」や「ん」や伸ばす「ー」も一緒になって１音節となるわけだが、英語は違う。<br>１音節の中に子音が２つだったり３つだったりする。例えばstreetは最初に出てくる母音の前に[str]と３つも子音がある。<br>この本はこうした子音・母音に対する感覚の差など、日本・英語間の違いを説明している本だと言った方が正しいと思う。<br>ネーミングというか、早口言葉やしりとりといった言葉遊び、吃音、ことわざ慣用句など扱っている事例は多岐にわたるし、名前も創作物に留まらず企業・組織名や実在の人物名の話の方が多いのでは？<br><br>しかし学術書だからといって堅苦しくなく、実例をふんだんに盛り込んでいるので読みやすい。<br><br>ゴドリック・グリフィンドール<br>ヘルガ・ハッフルパフ<br>ロウェナ・レイブンクロー<br>サラザール・スリザリン<br><br>彼らはハリー・ポッターシリーズにおいて、ハリーたちが通うホグワーツ魔法魔術学校の創設者（そこから、各寮の名前となる）として知られているが、４人の名前には共通点がある。<br>それは、姓名が同じ子音で始まるということ。（＝頭韻を踏む）<br>カタカナ表記の日本語の感覚だとわかりづらいが、英語の感覚を持つ人たちにとってはそうでない名前と比べてリズムが違う。…らしい。<br>彼らだけではない。<br>セブルス・スネイプも、マッドアイ・ムーディーも、ミネルバ・マクゴナガルも、ピーター・ペテグリューも、日本語だと訳がわからないが忍びの地図も、暴れ柳も、嘆きのマートルも、他にも多くの名前が頭韻を踏んでいる。<br><br>…まぁ、“ネーミング”の部分に期待して本を手に取った私からすると「では何故ハリーやロン、ハーマイオニーといった主要キャラは頭韻でないのか？」という辺りが気になったが。<br>そこは畑違いだったらしい。<br><br>ふぶき<br><br>
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<pubDate>Fri, 25 Mar 2016 20:59:41 +0900</pubDate>
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<title>魔女の1ダース～正義と常識に冷や水を浴びせる13章～</title>
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<![CDATA[ 『悪魔と魔女の辞典』という本を読んだことがあるだろうか。<br>かくいう私も真剣に読んだことはなく、ただ学生時代に言語学を齧った関係でちょっと手に取ったことがあるような気がする。出版社も何も覚えてないけど。<br>その辞典によると<br>希望―絶望を味わうための必需品<br>謙遜―自慢したいことを他人に言わせるための一種の方法<br>などなど、痛快な語彙の説明がされているらしい。<br>その中で「ダース」は「13個1組をさす」そうで、まさに悪魔の辞典。<br>そして西洋では不吉な数字とされる13も、東洋ではまたおめでたい数字とされている。<br>ある文化圏での「正義」や「常識」は異文化から見るともろくも崩れ去ってしまう、そこから付けられたのがこの本のタイトル。<br><br>『魔女の1ダース～正義と常識に冷や水を浴びせる13章～』（米原万里）<br><br>著者の米原さんはロシア語通訳者で、その経験を活かしたエッセイをいくつか出版しており『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』は以前に読んで面白かったと記憶している。<br>異文化・異言語間での価値観の相違やすれ違いのエピソードは彼女の実体験から語られるので、リアルで笑えてしまうと同時になるほど！となる。<br><br>北京―モスクワ国際列車で国境を超えた瞬間に豹変した食堂車の実態。<br>「販売元：福島県」表示の罠。（これは本当に思い当たる！今でいうとインバウンドの現場でも起こっていそう！）<br>イスタンブールの中年男たちが目をギラギラさせて参加するバスツアーとは。<br><br>さてここで、作中のなぞなぞを。<br>サウジアラビアの王子様が日本に来て見つけ<br>「豪奢で華やかで気品があって威厳がある。これぞ余が探し求めていた理想の車じゃ」と帰国後愛用するようになった車とは？<br><br><br>…と、確かに面白かったと言える本なのだが、どうにも読むのに疲れてしまうと感じるところがあった。<br>なんだか集中できないし、読むのに酷く時間がかかった。<br>どうしてだろうと考え一応私の中での結論は、合間に挿し込まれる強烈な政治（及びマスコミ）批判に疲れてしまうということ。<br>文字の上での印象なので実際にそうとは断言できないけれど、現代（といってもこの本は20年前のものだが）日本に対する物言いは妙に尊大というのか、随分と下に見た言い方をするのだなぁと感じた。<br>少なくとも私はその語り口が好きになれなかった。<br>後は、米原さんの著作で恒例なのだろうと思うけれど下ネタ満載というところ。<br>“下ネタ”というのは要するに“シモ”の話であり、人はそれを大っぴらに口にすることを避けるためにたくさんの言い換えのための語彙を生み出す。<br>それは日本語のみならず多くの言語で共通する事象で、その豊富さゆえに偶然「日本語では普通の言葉なのに、ロシア語でははしたない言葉に！」みたいなことが起きてしまう…。<br>理屈はわかるし、そう思えば言語学の視点から見て興味深い。<br>けれども、この人は本当に中学男子かという風に喜んでそういう話を山ほど盛り込んでくるから、それはそれでうんざりしてしまうのだ…何せ私は清純な乙女だから(笑)<br><br>しかし解説で触れられているように、13章にわたるエピソードの数々…自身の体験や人から聞いた話をこれだけ克明に記憶し本にする彼女の能力にはびっくりしてしまう。<br>広い世界を少し垣間見れるのは確かな1冊だと思う。<br><br><br>では最後に先ほどのなぞなぞの答えを。<br><br>その車とは…霊柩車、だそうで。<br><br>ふぶき<br><br>
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<pubDate>Tue, 08 Mar 2016 22:04:22 +0900</pubDate>
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<title>名探偵に薔薇を</title>
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<![CDATA[ 私は城平京信者だ、と声を大にして言っておきながら私は彼の小説を読んだことがなかった。<br>スパイラル～推理の絆～<br>スパイラル・アライブ<br>絶園のテンペスト<br>そして絶賛連載中☆天賀井さんは案外ふつう<br>確かにスパイラルのノベル版は読んだことあれど、漫画原作者としての城平先生のファンでありながら小説家としての彼の作品を知らないのはいかがなものか。<br>城平先生が書くものに間違いは無い！と信じているが、それは本当か。<br>こうしてようやく手にしたのが彼の長編デビュー作。<br><br>『名探偵に薔薇を』（城平京）<br><br>1998年初版ながら10版以上重ねているのはさすがだなぁと思いながら。<br><br>この作品は二部構成。<br>第一部『メルヘン小人地獄』は、多数の新聞社や雑誌出版社に猟奇的な童話『メルヘン小人地獄』が匿名で送りつけられることから始まる。<br>小人たちに悪行の限りを尽くし、その後あっさり死んでしまった博士、<br>恨みつらみを全く関係ない人間を殺すことで晴らそうとする小人たち、<br>ハンナはつるそう<br>ニコラスは煮よう<br>フローラはむこう<br>その数日後、童話をなぞったような連続殺人が始まる…<br><br>第一部は場面の描写に圧倒された。<br>残虐の限りを尽くしたような殺人現場は想像するだけで気分が悪くなるグロテスクな様なのに、それがとにかく美しい。<br>というより、あえてその場面だけ通常の地の文と語り口調を変えて詩的表現にしている。<br>これによって凄惨な現場は日常と少し切り離された、何か額縁に入った作品に見えてくる。そりゃそうか、これは童話なのだから。<br>連続殺人の最後のターゲットにされたのは主人公・三橋壮一郎が家庭教師をしている、裕福な社長家の娘・鈴花。愛されるために生まれてきたような、可憐な少女。<br>城平先生の操る犯人は容赦が無く、なんでここまで追い詰めてくるんだ！と憤慨したくなる。<br>一切の救いが無くなったように思われた三橋は、最後の手段で友人で名探偵の瀬川みゆきに頼ることになる。彼女こそこの物語の真の主人公。<br><br>しかし私は第一部を読み終えた時点で違和感ばかり覚えていた。<br>事件に翻弄された三橋を差し置き、話の後半で唐突に登場した瀬川は異物にしか見えなかったから。<br>あまりにも作者にとって都合の良い“天才的な名探偵”すぎる、と。<br>三橋や、刑事の田畑、家族を守ろうとする出版社社長の克人、彼らの必死の動きはなんだったというのか。<br>やはりスパイラル以前の長編デビュー作…城平先生といえど、まだ未熟な部分があったのだろうか…などと上からにも程がある感想まで抱く始末。<br>…第二部を読むまでは。<br><br>第二部『毒杯パズル』<br>第一部のキーワードとなる“小人地獄”は毒薬の名前である。証拠を残さず確実に対象を殺せる完璧な毒薬。<br>この小人地獄が使用されることから始まる第二部を読み、私は頭を抱えた。<br>どうして、城平先生は解いてはならない謎を突き付けてくるんだろう。<br>どうして、逃れようのない因果と運命を叩きつけてくるんだろう。<br>冒頭に城平先生の作品をいくつか挙げたが、とりわけスパイラル～推理の絆～が好きな方にこの作品はオススメしたい。<br>スパイラルの登場人物・ミズシロ火澄のセリフにこういうものがある。<br>「希望や…思てつかみ出したら結局その怪物に喰い殺されることになんねん」（12巻より）<br>その作品を創った人と同じ人が書いている。<br><br>そして第一部の違和感。<br>これすら伏線だったと気付いた衝撃と言ったら…！！<br>三橋壮一郎が主人公であることに意味があった。<br>瀬川みゆきが突然現れることに意味があった。<br><br>頭が下がる思いばかりだ。<br><br>ふぶき
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<pubDate>Wed, 17 Feb 2016 13:23:29 +0900</pubDate>
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<title>ナチス・オブ・デッド</title>
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<![CDATA[ 米軍が保有するナチスの秘密基地に黄金が？！よっしゃちょっと忍び込んでもらってくるか！！騒いでたら米軍に見つかった！撃たれた！なんとか秘密基地に入り込んだ！ナチ公の死体があるぜ！と思ったらナチスのゾンビが襲ってきたぜ！ぶっ殺した！！！ファック肝心の黄金がねぇ！！！死んだ！！！<br>っていうPOV（1人視点）のよくあるゾンビ映画です。なんだこれ。<br><br>米軍が保有してるのに未調査のナチス秘密基地とか米軍の緩すぎる警備力とか色々突っ込みどころはありますが、潜入してるドイツ人青年マーカスが何故か妙に強い。危険な場所に潜入しているわりに武装していないので、戦闘はその辺の落とし物か素手なんですが何故かナチゾンビを圧倒します。そしてマーカス、他人を煽る。友人を煽る、米軍を煽る、ナチスを煽る、映画本編1時間の間大体煽ってる。<br>そしてなんといっても一番の見せ所、「ハイル・ヒトラー！」大総統閣下ゾンビとのタイマンスデゴロ！！何故！ゾンビヒトラーと一騎打ち！！何故！周りのゾンビは助けに入らない！！何故！お前はそんなに煽るんだマーカス！！！！<br><br>そんな映画でした。こういうB級ゾンビ映画に慣れている人なら受け流してくれるけどゾンビに耐性ない人には「ハァ？」って言われそうです。<br>私はそこそこ楽しみました。<br><br>（編集：もつ）<br><br>
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<pubDate>Sun, 31 Jan 2016 07:40:48 +0900</pubDate>
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<title>ローズマリーの赤ちゃん</title>
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<![CDATA[ 　ローズマリーとその夫・落ち目の俳優であるガイはNYのあるアパートに越してくる。そこは過去怪しい事件が起こった曰くつきの豪華なアパート。隣人のカスタベット老夫妻はお節介なほどに甲斐甲斐しく親切で、嫌がる妻をよそにガイは老夫婦と息子のように親しくなる。そんな中ローズマリーは妊娠するが、彼女の周囲では不審な出来事が続く。<br><br>　1968年のアメリカ映画です。ホラーとは銘打ってあるもののポルターガイストや心霊現象系のホラーではなく、ローズマリーの感じる不信・不快・恐怖を一緒に感じるホラーといったもの。親切心を押し付けてくる隣人と夫とのすれ違いから孤独を深めるローズマリーは、折々に見る奇妙で屈辱的な夢と現実に起きる事件や妊娠への不安と周囲への疑念で徐々に追い詰められます。全ては現実か、彼女の妄想か？その境界は曖昧なまま物語は佳境へ入るのです。<br>　題名と前半でローズマリーの身に何が起きているのかは予測しやすいですが、彼女の回想？夢？のシーンを挟むことで映像的に混乱します。キリスト教の知識があると分かりやすいのでしょうが…。オチはしっかりと物事の真偽を明確にしていて、それまでのモヤモヤはスッキリしますが、エンディング後のローズマリーの人生を思うと後味が悪い。<br><br>　この映画は確かに怖いのですが、ローズマリーの服装がほとんどAラインのワンピースでレトロかわいい。白襟で大きなボタン留めがアクセントです。焦燥したローズマリーの体と反対に始終服装がきれいでかわいいです。デザインだけでも参考にしたい。<br><br>(編集：もつ)<br><br>　<br>　　
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<pubDate>Sun, 24 Jan 2016 08:20:01 +0900</pubDate>
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<title>シンデレラの罠</title>
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<![CDATA[ わたしの名前はミシェル・イゾラ。<br>歳は二十歳。<br>わたしが語るのは、殺人事件の物語です。<br>わたしはその事件の探偵です。<br>そして証人です。<br>また被害者です。<br>さらには犯人です。<br>わたしは四人全部なのです。いったいわたしは何者でしょう？<br>（『クライム・クラブ』での紹介文　訳者あとがきより抜粋）<br><br>『シンデレラの罠』（セバスチアン・ジャプリゾ）<br><br>冒頭に挙げた紹介文に強烈に惹きつけられるこの作品を知ったのは、大学1年生の頃でした。<br>必修科目のため受けていた大嫌いな教授の授業の中で紹介されました。興味は持ったけれど、アイツの薦める本なんて…と思ったものです。<br>次にこの作品の名前を見たのは、敬愛する城平京先生の『絶園のテンペスト』のあとがきでした。<br>あの人が過去に読んできた名著であるならば、私も読もう。<br>本を手に取るきっかけなんてそんなものです。<br><br>ストーリーは紹介文のとおりです。ミステリにあるまじきネタバレ。<br>火事で大火傷を負い顔も焼け爛れ、皮膚移植によって一命は取り留めそして記憶を失った“わたし”。<br>事件のこともそれ以前のことも思い出せない“わたし”の頼りは世話係だと言うジャンヌ。<br>彼女は“わたし”のことをミシェル（通称“ミ”）だと教える。<br>美しく華やかで、我儘放題で奔放で、更には大金持ちの伯母さんの遺産相続まで予定されていたミ。彼女を取り巻く数多のボーイフレンドたち。<br>そして、ミと共に火事に巻き込まれ焼死したもう１人の娘ドムニカ（通称“ド”）。<br>ドの恋人は怒りをもってミを探しに来る。<br>そんな登場人物の間で繰り広げられる本当の“わたし”を巡る物語。<br><br>これだけの情報で、城平先生がお好きな方なら…とりわけ『スパイラル・アライブ』を愛読した方なら１つの展開を予想できるのでは？<br>私もまた、読み進めながら１つの可能性に思い至った。<br>そしてページはまだ真ん中辺りだというのに、まさにその展開になった。びっくりした。これがミステリの傑作と言われる作品なのかと。<br>そしてその疑念は吹き飛ばされた。<br>後半全てを使った壮大な答え合わせ。<br>えっ、そこで話を覆してくるの？<br>いやいや驚くことなかれ、最初からキャッチコピーで知らされているじゃないか！<br>「わたしは探偵、犯人、被害者、証人、その四人のすべてなのだ」（本文より）<br><br>私が読んだのは2012年初版の新訳版ですが、訳者の平岡敦さんによるあとがきがまたわかりやすく私のような素人でもこの作品の混乱を味わうことができます。<br>見えたと思った真相を再び闇に紛れ込ませてしまうセバスチアン・ジャプリゾの手法。<br>なるほど、となり読み直したくなる。<br><br>結局、“わたし”は誰なのだろう？<br><br><br>ふぶき<br><br>
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<pubDate>Wed, 09 Dec 2015 00:12:15 +0900</pubDate>
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<title>チャーリーとチョコレート工場</title>
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<![CDATA[ 　お久しゅうございます、あまさんです。<br>例によって久しぶりの投稿に心躍っております。わくわく。<br>さて、挨拶もそこそこにして<br><br>祝！！　金曜ロードショー『チャーリーとチョコレート工場』放送！！！<br><br>　ということで、今満を持して語りたいこの作品。<br><br>　私が初めて観たのは高校生の頃でした。<br>忘れもしません。今でも昨日のように思い出す、言葉にできない感動。<br>一生ものの出会いに恵まれたのは、初見がこの金曜ロードショー版だったからこそ。あの日これを観ていなければ、私の美声探知能力は目覚めなかったことでしょう。<br>「洋画は本来の俳優の声で観るべき」、「吹き替えは吹き替えでもＤＶＤ版の方が好き」等、ご意見は分かれるかと思いますが、私はつい、金曜ロードショー版・宮野さんの吹き替えで観たくなってしまいます。ＤＶＤの方も持っているのですけれどね。<br>　今回は、なぜ宮野さん吹き替え版推しなのかも含めて、作品に関する私の空想・妄想・私見をどしどし書き込みたいと思います。すでに同じ考えを投稿されている方もいらっしゃるかもしれませんがご容赦ください。また、今回は原作ではなく、あくまでも映画版の解釈をしていきたいと思います。<br><br>以下はネタバレを大いに含みますので、ご注意を！<br><br><br><br>①　ウィリー・ウォンカはなぜ子どもたちをもてなしたのか？<br>　あえて「もてなす」と表現したい、ウォンカのあの行動。チャーリーを含む５人の子ども（及びその保護者）をわざわざ工場に招待し、数々の過激な仕掛けを披露する彼。まず、なぜ工場に招待しようと考えたのでしょうか？　その理由は、本編終盤にてウォンカ本人の口から、工場の行く末を心配したためと語られています。うむ、そこまでは良いとして。どうにもその選出方法には悪意を感じます。工場の後継者を選びたいのですから、試練を与えて適性を見るのは当然と言えば当然です。いたずらっこと考えればそれまでですが、どうしても妄想力が働いてしまいます。子どもたちが興味を示すものをあえて提示し、どのような判断をするか高みの見物をするウォンカ。何だか楽しんでいるように見えますが、その様子がどこか自罰的に感じられてなりません。<br><br>②　ウィリー・ウォンカの過去とは？<br>　①に対する私なりの答えは、彼の過去にあると考えます。<br>　彼の家族である父親は厳格な歯科医です。その父は息子の虫歯予防に執心します。ゆえに、ウォンカは子ども時代にお菓子を食べることを許されなかった。しかし、人間たるもの「押すな」と言われれば押しますし、「のぞくな」と言われればのぞくものです。ウォンカ少年は、父の思いとは裏腹に、目を盗んで食べたチョコレートの美味しさに言うに言われぬ感動を味わうのでした。<br>　ウォンカは、父からの愛を得るためには捨てなければならないものに心奪われてしまいました。禁じられていたはずのチョコレートにこそ、彼の自由があったのです。それをとことん追い求めようとすることで、父との縁は遠ざかります。遠ざかるほどにチョコレートへの情熱は燃え上がり、そのまた逆も然り。そんな人生を歩む最中、あの工場見学を企画するに至ります。ああ、なんて哀愁を漂わせているの･･･。<br>　さて、子どもたちへの待遇について。あえて子どもたちの関心を刺激して、そちらに向かうように仕向けてお仕置きを実行。子どもたちは求めてはいけないものを求めた結果、罰を受ける。それを見るウォンカはあからさまに愉快そうなご様子。私の妄想フィルターが発動せざるを得ません。<br><br>お仕置きされている子どもたちって、まるで、ウォンカさんそのものではないですか。<br><br>③　工場見学は無意識の戒め？<br>　自分と似たような子どもが罰を受け、逆に最後まで「家族」を選ぶチャーリーが後継者候補に残る。偶然か必然か、それは最終的にウォンカの救いとなります。それまでのウォンカは、自由なようでいて、不自由だったはずです。どれだけチョコレートに愛情をかけても、本来愛を得たかったはずの父とは疎遠なまま。その溝を埋めてくれるのがチャーリーです。あの工場見学企画には、彼が自分を省み、罰し、最後は救われるという一連の流れがあるように思えます。<br><br>　長くなりましたが、最後に、宮野さんの吹き替え版の魅力は何か・・・<br>それは、ウォンカの「見た目は大人、頭脳（というか心）は子ども」感を引き立たせているように感じるところです。テンションの上げ下げが唐突で、声の高さも頻繁に変わる、意図的な不安定加減。先のように空想を広げる私にとって、彼の声色は誰よりも「ウォンカ」らしく思えます。<br>（まあ、単に私の感覚的な好みの問題でもあることは確かです。微笑み）<br><br>　こんな風によしなしごとをこぼせるのはやっぱり楽しいです。<br>金曜の夜に、乾杯。（なにゆえに）<br><br>ここまでご覧いただき、ありがとうございました(^^)<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarashina8/entry-12095290393.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Nov 2015 22:44:40 +0900</pubDate>
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<title>LOOPER ルーパー（反転ネタバレあり）</title>
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<![CDATA[ ミュージカルが好き。洋画のラブロマンスも良い。歴史や古典にもホイホイされる。<br>そしてもう１つ、私は時間や次元を超える話にめっぽう弱い。<br><br>LOOPER/ルーパー(2012)<br><br>好きな映画の１つに『インセプション』があります。<br>そこですっかり惚れ込んでしまったジョセフ・ゴードン＝レヴィット、そして彼が主演するタイムトラベルものといえば、これはもう観るしかないと。<br><br>そして見始めてすぐにジワジワと広がる後悔の念。<br>私には苦手なものがあった。<br>処刑、タイムリミット、カウントダウン…“死”の瞬間がはっきりと決まっていて、目に見えて近づいてくるプレッシャーがどうにもダメです。<br>LOOPERの世界観は、30年後の犯罪組織が暗殺のターゲットをタイムマシンで送ってくる。送られてきた標的をその瞬間に殺し、処分する暗殺者＝ルーパー。<br>殺される側に感情移入する時点で間違っている気もしないでもないけれど、時間を超えて地に足が着いた瞬間にバン！<br>まして身体を縛られ、頭には袋を被せられた上に口を塞がれ…なんだか今年の始め頃に話題となったテロ組織を思い起こさせる気も。苦手な奴にはこの時点でダメージ。<br>そしてルーパーには規則がある。<br>暗殺の仕事を辞める時には組織に報告をし、その後送られてくる“30年後の自分”を自らの手で殺すこと。そして多額の報酬を得て余命30年を生きる。あぁ。<br>物語は、契約を打ち切っていないはずのルーパーの元に“30年後の自分”が送られてきたことから展開。そして主人公・ジョーの前にも…。<br>袋を被っていなかったその男はジョーの前から逃亡。今と未来を変える戦いの始まり。<br><br>始まってしまえばすっかり余裕。<br>散弾銃は“死”がはっきり見えないので好きです。笑<br><br>辻褄が合っているかどうか、矛盾は無いか、タイムトラベルものはごちゃごちゃ考えなければならないけれどそこが好き。<br>未来側ではなく過去側が舞台になっているので、未来のジョー（オールド・ジョー＝ブルース・ウィリス）は話のオチを知っているのでは？というのは自然な流れで彼から発せられた「俺の記憶は曇っている」でひとまず解決。<br>もちろん、彼は自分の生きる未来を変えに過去へやってきたのであり、その理由となる30年間はきちんと生きている。<br>ただしそれは「オールド・ジョーが逃亡せず殺されて、余命を知った上で生きた30年間の記憶」であるので今現在逃亡し生き永らえている以上、未来の30年は変化し続ける。起きていない出来事であるからして、記憶に無いのもまぁ…自然か。<br>ジョセフさん演じる現代のジョーが起こす行動により決定された未来は“思い出す”ことによって確定。うんうん。<br><br>時を超える話では、このブログでも『イルマーレ』を紹介したことがあります。<br>2年前を生きるアレックスが、ケイトとの文通をきっかけに木を植えたところ、未来のケイトの目の前…何も無かった空間に突如大きな木が！という場面が好きだと書きました。<br>その逆パターンに感服しました。<br>オールド・ジョーより先に過去へ飛ばされた男。<br>逃亡中に気付いた恐ろしい事実、それはつい先程まであったはずの自分の手の指が跡形も無く…。<br>現代の身体を通じて30年後の身体に送られる、疑いようのない脅しのメッセージ。<br>追手に屈しなければ1本、2本…と指は消え、腕は消え、このままいけばいずれ命すら“30年後には存在しなかったもの”にされてしまう。<br>ぞっとするけど、効果的な手法だと思いました。<br><br><br>ここからは映画を観た方向け！（反転）<br><br><span style="color: rgb(255, 255, 255);">結末を見た最初の印象は、ジョー本人以外の未来にはさほど影響を与えず話を完結させたなと思いました。<br>ひとまず黒幕たるレインメーカーの存在は消えた。<br>ジョーの存在も消えたために、30年後に過去へ送られるオールド・ジョーもいなくなり物語は始まらなくなってしまったわけだけど、オールド・ジョーと出会わなくてもシドは平和に成長するだろうからやはりレインメーカーは存在しない。<br>黒幕のいない未来は守られる。<br>オールド・ジョーが来ない以上ルーパーという職業壊滅せず淡々と続いていくのかもしれないし、契約を切って自分を殺す奴は殺すだろうけどあくまで日常の延長として流れていくはず。<br>親友セスは死なずに済んだかもね。<br><br>しかし、だ。<br>オールド・ジョーが現れない過去であれば、ジョーが自身を殺す選択をする必要も無いはず。<br>そうなるとジョーは生き続け30年後も存在することになる。<br>綺麗にまとめようとするならば。<br>ジョーの死んだ現代→オールド・ジョーのいない30年後→オールド・ジョーが来ない現代→ジョーは生き続ける→（レインメーカーは現れない）→契約を切っていないのに自分が送られてくることはない→オールド・ジョーは平和に暮らす→オールド・ジョーが来ない現代…<br>時が文字どおりループしているのであれば、ジョーが死ぬのはこの1回きりだったかもしれませんね。<br>むしろレインメーカーが可愛いシド坊やの悪いパターンの結果であるなら、映画で描かれていたより前のループがもっとごちゃごちゃしていたのかもしれない。<br>それこそジョーが見た、サラが死ぬパターンのように。<br><br></span><br>やはり混乱しますね。<br>でもその後味が堪らない。<br><br>さて冷静にツッコミをいれさせてもらうと、舞台を断定してしまうのは失笑を買うことになりかねないと思うのですよね。<br>舞台は2044年。タイムマシンのある未来は2074年。<br>20世紀に作られた夢とロマンが溢れる映画ならともかく、2012年なんてつい最近。<br>今の時点で私たちは、60年後の未来でタイムマシンが完成しているなんて信じられるだろうか？<br>「いやー無理！」ってなっちゃうでしょう。<br>2044年の彼らは空飛ぶバイクにも乗っているけど…それもなんか、子どもの描く未来図みたいで…西暦に見合うリアリティが無いといいますか。<br>そこだけちょっと残念かな。<br>突然の超能力も、びっくりでした。<br><br>若いとも、そうでないとも言えるジョセフさんの色気もさることながら、この作品で最も迫真の演技を見せたのはシド坊や役のピアース・ガニォンくんではないでしょうか！怖かった！<br>そして愛すべきヘタレ、キッド・ブルーにも乾杯。<br><br><br>ふぶき<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarashina8/entry-12078781530.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Sep 2015 00:55:58 +0900</pubDate>
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