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<title>勘違いの整体カイロは百害あって一利無し　</title>
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<description>TVでやってる整体やカイロって無茶苦茶です。強く揉む、グリグリ押すのは、最悪です。不調→整体→壮快→不調と繰り返す整体スパイラルで更に骨格不良。原因箇所を的確に矯正すれば、整体に通い続け無くても良いのです。</description>
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<title>名演技</title>
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<![CDATA[ しばらく空いてしまいました。また少しずつ思い出して書いて行きたいと思います。<br><br><br>初日のセミナー終了が１０時頃でしたので、毎日こんな具合か？と不安でしたが、逆に考えれば、高い料金を払ってるんだから、たったの１週間、辛抱しなければと考えたのでした。<br><br>兎に角、始めての事ばかりで疲れましたので、部屋に帰って、相部屋の踊りのお師匠さんと少し会話して直に寝ました。<br><br>翌朝、目覚ましの音で目が開き、隣のベッドで寝ているお師匠さんの布団から何やら見えます<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif" alt="はてなマーク"><br><br>なな何と<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif" alt="目">　お師匠さんのケツです。こんな至近距離で男の生ケツを見たのは始めてです。朝から恐ろしいモノを見てしまいました。セミナーも凄いですがお師匠さんも凄い方でした。<br>それと同時に不安が過り、『私にはその気はありません。ここに居ないと思って下さい』と心の内でお願いしていました。<br><br>刺激的なセミナー２日目を迎え、セミナー会場に向かったのでした。<br><br>何と！<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/146.gif" alt="むっ">会場には、又してもホワイトボード一杯の文字が書き込まれて居り、早速、書き写している者が大勢居ました。<br><br>技術の説明やホワイトボードの書き写しで午前の部が終わり、さあ！昼食です。<br><br>何と！そこには会長の姿がありました。始めてその姿を拝見し、凄く強い印象がありました。<br><br>太い眉毛に大きな目。恰幅の良い身体に黒っぽいスーツ。凄い威圧感がありました。<br>まるでヤクザ屋さんの幹部そのものでした。<br><br>食事の会場のテーブルは、結婚披露宴の様に一段高く、横一直線に並んだ処に『幹部支部長』とか『統括本部長』とか呼ばれていた人達が座る上席と、我々受講者は、向かい合って座る下席となっていました。<br>食事は簡素にピラフがテーブルに並べられています。そして、上席はと言うと、会長の席以外は、同じピラフが並べてありました。<br>会長の席にも遅れて食事が運ばれて来たのですが、何と<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/075.gif" alt="ナイフとフォーク">美味しそうなごちそうです。<br><br>しかし、ここで会長が怒り始めました。<br><br>『何故！皆さんと同じ食べ物では無いのですか！<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/036.gif" alt="爆弾"><br><br>社員やスタッフは、その怒りにアタフタおどおどとしています。<br><br>直ぐさまごちそうは取り下げられ、皆と同じピラフが会長にも。<br><br>『私だけ特別扱いは良くありません。私は皆さんと同じなんですよ。』と会長が話していました。<br><br>それを聞いた受講者の中から「素晴しい！。会長って善い人<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/033.gif" alt="恋の矢">」と聞こえて来ました。<br><br>私には全くその気持ちが起りませんでした。何故かと言うと、今迄何十回と同じセミナーをやって来てるんです。その都度、食事も毎回有り、会長も今回が始めてで無い筈。<br><br>あの１泊２日の、宝塚のセミナーの『皆さんを褒めちぎって下さい』と言うK課長の言葉が、私の脳裏にしっかりと残っていたからです。<br><br>どう考えても、人の良い会長をアピールする為のパフォーマンスとしか取り様が有りませんでした。<br><br>大変素晴しい演技でした。<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/304.gif" alt="合格"><br><br>しかし、もっと気になったのは、あの美味しそうなごちそうは何処へ行ったんだろう。<br><br>勿体無い事をやるもんだわ<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/034.gif" alt="むかっ"><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10466895949.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Feb 2010 18:30:30 +0900</pubDate>
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<title>ホワイトボードを写せ</title>
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<![CDATA[ １週間のセミナーは、約１０年前に受けたので、忘れた所も可成り有るが、何とか思い出してみます。<br><br>普段は、結婚披露宴として使われているホールの様ですが、１５０名位の受講者と、それぞれの地域から来たスタッフで、会場は満杯状態でした。<br><br>参加者は、関西だけで無く、東北や関東方面、九州等の全国から来ていました。<br><br>先ず、開講式で、本部スタッフと講師の紹介が有り、その後、各受講者の自己紹介が有ったと思います。<br><br>その後、同じ会場でセミナーの開始です。<br><br>すっかり模様替えされた会場に、床一面に敷かれたマットに、２人一組でペアになって受講すると言う形なんです。<br><br>本部のスタッフが、ペアになってマットに座れと指示しますが、誰とペアになって良いのか、また、どのマットを使って良いのやら、戸惑っている者が殆どです。<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif" alt="はてなマーク"><br><br>全国に会員が３万人の国内最大のカイロプラクティック組織とうたって居ると言う事は、年間数回のセミナーを何十年間は行なって来た事になる。なのに、まるで素人の始めての段取りの様で、腹が立った。<br><br>我々の責任者のK林さんを見つけ出し、関西の場所を固めて、ペアの組み合わせ、マットが不足している事を訴え、「高い授業料払って来とんのや！、素人みたいな事せんと、ちゃんとやってくれ！」と怒りをぶちまけた。<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/036.gif" alt="爆弾"><br>その甲斐あって、地域単位で場所が分けられた。何でも『支部』と呼んでいたが、その時は、意味が分からなかった。<br><br>ドタバタしたスタートだったが、何とかセミナーが始まった。<br><br>先ず、最初は触診の基礎から。<br><br>ペアの一人がうつ伏せになり、もう一人が触診すると言う形で、確か、骨盤だったと思う。<br><br>ペアの骨盤を確認したら、術者役はマットを一つ移動して、横の人を確認し、また直ぐに横に移動を何回も繰り返し、一人一人、骨盤の形が違う事を知れと言う意味だったのだろうと思うが、まるで、陸上競技のハードル走の様に次から次と飛び越えて行くのだから、まともに確認なんか出来る筈が無い。ましてや、始めて行なう者ばかりである。準備体操位にしか思えなかった。<br><br>その後は、順に、足首の回転、膝関節回転など技術的な事を進めて行った。<br><br>技術の合間に、ホワイトボードにぎっしり書き込まれたテクニックの名称をノートに書き写せと言う指示が有り、せっせと書き写した。しかし、毎回同じ事をしているのなら、何で資料として渡さないのか？と疑問が湧いて来た。<br>中には、カメラを持って来ている者が有り、書くのが面倒だから写真に収めようとしていたが、スタッフから厳重に注意されていた。なぜ駄目なのか理解出来なかったが。<br><br>兎に角、書き写している時間が勿体無いのと、広い会場にホワイトボード一つに、非常に細かい文字でぎっしり書かれている。そろそろ書き終えた頃にボードを裏返し、そこには同じ様にぎっしり書かれていた。うんざりするが、書き写さなくては駄目だった。<br><br>非常に効率の悪い進行で、初日のセミナーが終了したのは、午後１０時だった。<br><br>しかし、これは初日の事だけだと思ったが、そうではなかった。
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10451342872.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Feb 2010 17:00:00 +0900</pubDate>
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<title>整体カイロセミナー　in　京都</title>
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<![CDATA[ 『初級整体カイロビジネスセミナー』<br><br>何か、やたら長ったらしい名前のセミナーで、整体やカイロプラクティックの基礎知識も無い私にとっては、整体もカイロプラクティックも同じだと思っていたので、あの時、何も違和感は有りませんでした。<br><br>ホテルの玄関ロビーには、セミナーを受ける大勢の方達が集まって居り、身動きが取れないのでした。<br><br>その中には、先日、セミナーでご一緒した方のお顔を確認したので挨拶を交わし、雑談をしてました。<br><br>そこで始めて出会った方なのですが、同じ兵庫で、姫路方面から来られたダンプの運ちゃんが、何やら紙を見せ乍ら、「怪しい！やばいで！、怖いで<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif" alt="叫び">」と言っているんです。<br><br>何が書いてあるのか気になったので見せて頂くと、週刊誌の記事をコピーしたものでした。<br><br>それは、健康食品の販売で、全＃健康生活普＄会、日本カイロプラクティック＠合会の岩＃会長が薬事法違反の罪で逮捕されたと言う内容でした。<br><br>そのとき始めて、『全＃健康生活普＄会、日本カイロプラクティック＠合会』と言うのを知ったのですが、聞いていても全く分から無かったのですが、どうも、このセミナーの主催者だろうなと予想したのでした。<br><br>このコピーを持って来たダンプの運ちゃん、この後どうされるのか気になりました。こんな記事を持って来たんだから、セミナーを受けずに帰るんだろうな？と、私自身も心配になったのです。<br>しかし、費用は先払いしていますので、当日キャンセルで、お金が返って来なかったら損だなと思い、ここ迄来たんだから、どうにかなるだろうと腹に決めました。<br><br>何だかんだと言っていたダンプの運ちゃんも、大人しくなり、セミナーを受ける事になった様でした。<br><br><br>受付を済ませ、荷物を置くため、各部屋に入って行きました。<br>客室は２人部屋で、同じ兵庫の方が相部屋でした。この方も、初対面で姫路方面から来られてました。<br><br>何とか流の踊りの先生と言う事で、男の踊りの師匠は始めてお会いしましたので「おっしょはん」と呼ばせて頂きました。只、何かオカマっぽいなと言う感じが不安を誘いましたが。<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif" alt="ガーン"><br><br>いよいよ、セミナーの開校式の時間です。会場に向かいました。<br><br>大広間にはトレーニングウエアの大勢の受講者と、白衣を着た先輩先生達で満員状態でした。<br><br>さあ、これから約１週間、セミナーの始まりです。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10447975128.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Feb 2010 18:27:11 +0900</pubDate>
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<title>カイロプラクティックセミナー</title>
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<![CDATA[ 待ちに待ったセミナーの日が来ました。<br><br>指定された宝塚のホテルに着きました。<br><br>会場の受付に行くと、あのキューピーさん似のK課長の姿が有りました。<br><br>『やあ～、良く来てくれました！』　元気なお声で迎えてもらいました。<br><br>持ち物の事を何も聞いていなかったので、ジャージでセミナーを受ける事だった様ですが、持って来ていません。<br>仕方ないので、そのままジーンズで受ける事に。<br><br>一通り、参加者全員の自己紹介が終わり、実技の説明です。<br><br>２人１組で、受ける側と施術側を交代で行ないます。<br><br>操体法と言うものらしいのですが、受ける側の方が術者の様な感じで、セルフ整体の様な気がしました。<br><br>ゆっくりしたペースで進みますので、何も分からない素人私には、丁度良いのでした。<br><br>参加者の年齢は２０代から６０代位で、中には、聾唖の方も居られました。<br><br>和気あいあいと和やかな雰囲気でプログラムも進み、初日の予定は全て終了しました。<br><br>夕食後、缶ビール等で軽く飲み会が計画されていたのですが、私は、夜、予定があったので、食事だけ済ませ、帰宅しました。<br><br><br>翌日、９時から始まるセミナーに遅れない様、８時頃には、セミナー会場に入っていました。<br><br>K課長を中心にスタッフが数名、徐々に集まって来ます。<br><br>K課長の部下の方が２名と、町民センターで出会ったSさんとFさんは、分かったのですが、他の方は、何なんだろうと思っていました。<br><br>スタッフの殆どが揃った様で、K課長中心にミーティングが開始されました。<br><br>その間、私は、部屋の隅でボーットして座っていました。<br><br>すると、K課長の相変わらず元気な声の話が耳に入って来ました。しかし、ちょっと引っかかる無い様がありました。<br>それは、『兎に角、何でも良いから、褒めて下さい。どんなに出来なくても、上手いですね～と言って持ち上げて下さい。』とスタッフに合わす様に言っているのです。<br><br>？？？？？？<br><br>私は、あれは一体どういう意味なんだろう？と、何か変だなぁと少し疑いを持ってしまったのです。<br><br>そして、２日目のセミナーが始まり、実技を習っていると、口裏通り、『上手いですね！』の掛け声が聞こえて来ました。<br>何か白々しいなと思い乍ら、知らぬ振りをして、「ありがとうございます」と返事していた。<br><br>セミナーも予定通り終了し、皆、修了証書を貰い浮き浮きしていました。<br><br>K課長の特別な説明が有るそうです。<br><br>その内容は、このセミナーで習った内容は、家庭で出来る程度で、お客さんに提供出来るもので無いので、本格的に習い人は、翌月に基礎セミナーが有るので、是非参加して欲しいと言う事でした。<br><br>そして、会場は、京都市内のホテルと言う事でした。<br><br>成る程、『兎に角、褒めろ』とはこういう意味だったのでしょうか。次のセミナーに誘う為に。<br><br>でも、何でもっとスマートに出来ないのかなぁ。私は、始めから技術を習いたいと思って来ているのに、こんな回りくどい方法を取らなくても。<br><br><br>その場で、基礎セミナーに参加の意思の有る方は、申し出下さいと言ってたので、取り敢えず、参加する旨を伝えた。<br><br><br>そして、基礎セミナー。<br><br>京都のホテルに到着です。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10444871986.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Jan 2010 16:42:56 +0900</pubDate>
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<title>カイロプラクティック</title>
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<![CDATA[ 今迄お伝えして来たのが、私が整体をする事に興味を持った経緯で、ここからは、具体的に始めた事を綴って行きたいと思います。<br><br><br>妻のヘルニアの痛みと痺れは無くなり、あの苦しそうにしていたのが、まるで嘘の様でした。<br><br>私は、妻の腰が治った整体を習いたいが、フィンランドに行って迄もと考え、何か他の方法は？と常々思っていました。<br><br>そして、しばらく経ったある日です、ジャストインタイムって言うんでしょうか。新聞の折り込みチラシが入ったんです。<br><br>”無料体験”　”短期開業”と書かれ、カイロプラクティックを習いませんか？と言う勧誘のチラシだったんです。<br><br>近所の町民センター（当時）で、説明会と無料体験で、開催時間も記されてました。<br><br>どんなものか知る為に”無料体験”を受けるには良い方法であり、”短期開業”も仕事を持って居る者にとっては、大変ありがたい事だと思い、午前中、直ぐに会場に向かったのです。<br><br>私自身、整体もカイロプラクティックも知りませんので、唯一、我が家の整体体験者である妻を引き連れ、フィンランドのおっさんの整体との違いを比較してみたかったのです。<br><br><br>会場に行ってみると、３人の白衣を着た先生が居られ、他は私の家族だけでした。<br><br>白衣を着た先生の事を紹介しときます。<br><br>先ず、喋るのが仕事の様な方で、目の下にクマのあるキューピーさんに似た、Kさん。<br>東京の本社から来られた、課長さんだと言う事です。<br><br>次に、姫路の方から来られたSさん。<br>人の良さそうな方で、親切に色々と説明して頂きました。カイロプラクティックを始めて半年位だと言われてました。<br><br>そして、隣町から来られたFさん。<br>何でも、K西電気の所長さんで、定年後の為にカイロプラクティックを習い始めたと言う事です。<br>あのK西電気の所長さんもカイロプラクティックを習うんだったら、これは間違い無いだろうと思いました。<br>Fさんの、何故か自信の無い、おどおどした態度が可笑しかったのですが。近畿の方ならご存知でしょうが、K西電気保安協会♬のコマーシャルのキャラクターと同じ雰囲気なんです。<br>それも仕方ない事で、つい３ヶ月前に北海道まで行って受講されたばかりだったんです。<br><br><br>一通り、カイロプラクティックについての説明を受けましたが、訳が分からん事を話されていた様に思います。私にとっては、どちらでも良い話だったんです。<br><br>さて、いよいよ待ちに待った、施術体験です。<br><br>妻も、腰が少し重いと言ってましたので、同時に受ける事に。<br><br>床には、白いシーツを被せたマットが敷いてあります。<br><br>妻は、K課長に施術を受け、私は、SさんとFさんに半分ずつ交代でやってもらいました。<br><br>始めての体験で、どうすれば良いのか分かりませんでしたが、FさんSさんの指示通りに身体の向きを変え、足をぐるぐる廻して貰ったり、腕をぐるぐる廻して貰いました。<br><br>私がやってもらってる横で、K課長が妻を整体しています。私の受けているのとは少し違う様だなと感じました。<br>K課長が妻に話しているのを聞いていると『ヘルニアと言う病気は、ありません。』と。<br><br>私は、県立病院の医者が検査の結果、ヘルニアだと診断したのに、”ヘルニア”と言う病名すら無いと断言しているその自信は一体何なんだろうと不思議だった。<br><br>そうこうして居る内に、整体も終了し、Sさんが私に『楽になったでしょう？』と言われたが、何も分からない事を伝えると、『午後からK林先生が来ますので、又来て下さい』と変な誘いを受けたが、適当に誤摩化した。<br><br>しかし、妻は、腰が楽になった様で、喜んでいた。<br><br>体験の後、K課長が、『今月、宝塚のホテルで、勉強会が有るので来て下さい。費用は３万円です』<br><br>私としては、技術を覚えたいのが目的だから、断る理由は無く、参加の意思を伝えた。<br><br>しかし、K課長は、私が必ず来るかどうか心配だった様で、取り敢えず、５千円でも良いので入金して欲しいと言う。<br>そんな事を言われると、”お金だけ取ってトンズラ？”と逆に疑ったのだが支払った。<br><br>当然の事だが領収書を書いてもらったが、K課長の名刺の裏に、金額とサインだけだった？。<br><br>大丈夫かなあ？。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10441786677.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Jan 2010 18:00:00 +0900</pubDate>
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<title>整体を始めた切っ掛けの続き　4</title>
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<![CDATA[ 県立病院のリハビリを諦めた妻は、毎日毎日、吊り輪にぶら下がって腰の負担を軽くしたり、ほっかほっかカイロを患部に張り頑張っていたが、脚のしびれは全然変化無しだった。<br><br>そうこうして居る内、久し振りにフィンランドに行こうと言う事になった。<br><br>１才半の子供をベビーカーに乗せ、スーツケース２個とバッグ２個、おまけにハンドバッグに子供のバッグ。当然、ヘルニアの妻には無理なので、自力で持つ場合は殆ど私が運ば無くてはならなかった。<br><br>子供を抱っこするのも、妻には相当辛そうだった。<br><br>私のフィンランド滞在は、１０日程で、子供と妻を残して帰国した。<br><br>私の帰国後、妻から電話が有り、兄の勧めで整体とやらを受けに行くと言う。<br><br>何でも、フィンランド語で整体とも呼ばない、又、カイロプラクティックとも全く違う。<br>４００年以上前の、古くから伝えられている技術らしい。<br><br><br>フィンランドに行って１ヶ月後、妻と子供が帰って来る。妹と兄も一緒だと言っていた。<br><br>当日、関空に迎えに行くと、義兄と義妹がやって来た。空のベビーカーを押し乍ら。<br><br>「Terve! 」『Terve』と挨拶を交わし、回りを見たが妻と子供が居ない？。<br><br>どこかと思っていると、柱の陰に隠れていた。<br><br>何と！なんと！、妻は子供を抱っこして立っている。<br><br>「腰は大丈夫か？」に『全然痛くない。脚も大丈夫』<br><br>あんなに痛いと言っていたのが、見事に治っているのである。<br><br>何回行ったのかと聞くと、たったの１回だけだと言う。<br><br>その時始めて、整体は凄い！と興味を持った。妻の変化を目の当たりにしたのだから、疑う余地は全く無かった。<br><br><br>さて、どんな事をされたかと言うと、先ず、非常に痛いマッサージの様な事をされ、首から腰迄、クリッ！クリッ！と押されたらしい。<br><br>その後、気功の様なパワーで背中が熱く感じたらしい。<br><br>整体が終わると、その整体のおっさんが、『明日は、ハンマーで身体を殴られた様な重さを感じるが、何もせずに寝ていたら良い』と言われたが、その通り、１日中起き上がれなかったらしい。<br><br>しかし、その日の夕方には、身体が凄く軽くなり、痛みも全く感じなかったと言う事だった。<br><br>う～ん、実に不思議な事が有るもんだ。<br><br>しかし、これは何とかして習わなければならない技術だと強く思った。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10438603612.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Jan 2010 14:31:52 +0900</pubDate>
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<title>整体を始めた切っ掛けの続き　３</title>
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<![CDATA[ フィンランド人の妻との生活も、習慣の違いこそあるが、それなりに努力してくれていた。<br><br>妻は、JEとの契約も終わり、一旦帰国し、その年の春に私の所に来た。<br><br>そして、しばらくして入籍だけを済ませたのが、夏の終わり。<br><br>後で調べたら、仏滅だった<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif" alt="ドクロ"><br><br>何故か私より妻の方がその事を気にしていたのが、何か変だった。<br><br>私のJEの次の仕事は、電機関係の仕事。大手電機メーカー　？菱の子会社T電機の下請けのM電機工業。<br><br>今でこそ派遣会社は当たり前だが、当時は未だ少なく、日当も結構良かったが、私は、派遣会社に抵抗が有り、ちゃんとした正社員として働きたかったので、人事担当者に、派遣会社なのか？と尋ねたが、絶対違うと否定していた。<br><br><br>M電機工業の人事社員との面接は、T電機の隣の古ぼけた住宅で社員寮として使っていたらしく、隣の部屋に布団が敷かれたままだったのが隙間から見えた。<br><br>見るからに、大丈夫かぁ？と不安だった。<br><br><br>人事担当であり乍ら、眉毛を剃り落とし、巻き舌を普通に操る姿には、８９３屋さん？と感じ、言葉の半分も信用していなかった。<br><br>しかし、魅力的な給料には勝てず、取り敢えず、入社した。<br><br>確かに、給料の話は嘘でなく、残業をそこそこすれば、今迄貰った事の無い金額が有った。<br><br>簡単な作業で給料が片手になるのだから、頑張って残業した。<br><br>後で分かったが、矢張り、あの人事担当は、８９３絡みだと分かったが、私が初めての地元者の派遣だから、T電機の社員からは信頼されたので、そのまま働く事に。<br><br>約３年後、バブルがはじけ、T電機が派遣切りを始め、いよいよ私も辞めなければならなかった。<br><br>他の派遣社員に比べれば、１年程長く居させてくれたから何も恨む事は無かった。<br><br>いや、それよりも逆に、感謝の気持ちの方が強かった。<br><br><br>その後、前に働いたJEの隣の会社に勤めたが、同僚が作業中器械に指を挟まれ、それを無理矢理引き抜いたので、第一関節から指の先を落としてしまった。<br><br>更に、その落ちた指を、先輩社員のおっさんがほうきで掃き、庭の植木の根元に埋めたと言う。<br><br>もしかしたら、手術でくっついたかもしれないのに。<br><br>指の持ち主の許可も得づ、勝手に埋めるとは、それも会社の敷地内に。凄い！凄すぎる。<br><br>その同僚の事故の１週間後、私自信も肘を器械に挟まれ、身動きが取れなくなったのを班長に発見され難を逃れた。<br><br>この会社に居たら、五体不満足になってしまう恐ろしさから、早く辞めなければと思っていた。<br><br>丁度、新聞チラシで、丹波篠山の岩？電機と言う会社が、外注作業者を募集していた。<br><br>その岩？電機は、不景気には関係無い様で、仕事が山ほど有った。社長の営業力が大きかったようだ。<br><br>始めから外注と言う事で仕事を求めに行ったのだが、社長が何故か、しばらく仕事を覚える為に研修に来たら良いと言ってくれた。おまけに月給制で残業代も別で、断る理由が無い。<br><br>始め１ヶ月の約束が、『半年居たら？』と言われ、その通りに。<br><br>更に半年が過ぎようとすると『１年居たら？』と言われ、またまたその通りに。<br><br>何ぶん居心地が良かった。おまけに、色々と仕事も覚えられた。<br><br><br>その頃に初めての子供が産まれた。男の子でした。<br><br><br>出産半年後のある日、３人で大阪南港からの帰り、阪神高速を通行中渋滞で徐行仕掛けた私の車の後方に、ドッカ～ン！と言う大爆音と衝撃が有りました。<br><br>当時乗っていた車は、ランクル７０。鉄のかたまりの様なものです。<br><br>追突した車は、ノーブレーキで追突したので前方が跡形も無く壊れ、走行不能。私のランクル７０はと言うと、恐る恐る後ろに回ったのですが、？？？何処？何処に当たったん？って言う感じでした。<br><br>警察官曰く、『これがランクルの値打ちやで。他のんやったらお釈迦やで』と、事故を沢山処理した経験者の納得のいく言葉でした。<br><br>しかし、これが災いの始まりだったんです。<br><br>車体が柔らかい車は、衝撃を車体で吸収しますが、逆に堅い車体の車は、車内の最も柔らかい人体で吸収してしまった様でした。それは、衝撃の瞬間、私の腰がグキッ！と鳴り、身を以て感じたのでした。<br><br>私は腰と首を痛め、妻も腰を痛めたのです。<br><br>また、チャイルドシートに寝ていた子供はスースーと眠ってしまったので心配したのですが、医者の話では、子供は何ともないと言う事でした。<br><br>その後、治療は通える近所の病院に切り替え、通院をしていました。<br><br>通院中、低周波治療や牽引を受けていたが、いくら受けても症状が変わらず、首の痛みが引かない事を伝えると、注射を打とうと医者が勧めた。<br><br>注射で治ると医者が言うので受けたが、なんと痛かった事。直接首の痛い箇所に打つではないか。<br><br>打たれて薬が入って来ている間、頭にしびれが起きていた。<br><br>「先生、頭がしびれてますけど」と伝えると、『何とも無いっちゃ』と何処の方言か知らんが、軽い返答。<br>その３日後、またしても首が痛い。同じ箇所である。それを医者に伝えると、『では、また打とう』と言う。<br><br>それにはちょっと抵抗が有った。医者に聞いてみた。<br><br>私「痛いから注射。そしてまた痛みが有ると注射ですか？」<br><br>医者『そうだ』<br><br>私「で、その内神経が麻痺して分から無くなる迄何回も注射ですか。誤摩化しみたいですね。』<br><br>医者『そうだ！。そう言う事ダッチャ！』<br><br>私「そしたら、もう要りませんわ。怖いですわ」と断った。<br><br>医者って、病院って何なんだ？と今迄信じていたものが崩れて行く感じだった。<br><br>妻はと言うと、その病院の治療を諦め、自宅でぶら下がりを始めていたのだが、脚の痺れも出始めたので、県立病院でレントゲンとMRIで診てもらうと、相当酷いヘルニアと診断され、速手術をした方が良いと言われた。<br><br>だが妻は、手術は絶対にしないと言い、リハビリだけで治す事を選んだのだが、担当の理学療法士から、『腰が痛いのは、あなたの頭が可笑しいからや』と気違い扱いされ、怒り心頭で４、５回目で行く事を止めた。<br><br><br><br>続く<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10435435306.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Jan 2010 18:00:00 +0900</pubDate>
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<title>整体を始めた切っ掛けの続き　２</title>
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<![CDATA[ 器械を操作して物を造ると言う事は、最初は難しいが、慣れてしまうとどうって事無い作業の連続で、気持ちにゆとりが出来る。<br><br>だから、最初だけしっかり覚えれば、後は非常に楽な事を身を以て知っていた。<br><br>忙しいと、一日もあっという間に過ぎるだろうが、長い電線だから時間が異常に長く感じた。<br><br>退屈な仕事に欠伸も多く、仕事以外の事を考える事の方が多くなって居た丁度其の頃、知人から仕事の誘いが有った。<br><br>其の仕事は、某業界では日本のトップで、海外のライバル会社も注目している服飾関係の会社（仮名JE）の下請けだった。<br><br>兎に角、何か自分でやりたいと言う気持ちが強かったので、願っても無いチャンスだと思い、直ぐさま其の会社の責任者に会いに行った。<br><br>１ヶ月後、電線の会社を辞め、JE社で何日かの研修の後、自宅作業場で其の仕事をスタートさせた。<br> <br>農作業場兼車庫の一部をこの作業に使っても何ら差し支えが無いのは、農家の利点だろう。設備投資に金が掛からないのである。<br><br>ようやく約１年が経過した頃、決算をすると、全くの赤字。内職に少しご褒美が付いた様なものだった。<br><br>これでは、いくら作業効率を高めても、いくら作業コストを下げても、経営なんてもんや無いと判断し、仕事を辞める事にした。<br><br>その後、他の会社に入ったのだが、余りにも単純作業で気が狂いそうになったので、半年位で辞めてしまった。<br><br>その後、どうしようかと思っていたのだが、例のJEが、工業団地に近代的な大工場を建設し、操業を開始し、大量の人員を募集していたのを知った。<br><br>JEの下請けの仕事は、沢山有る行程の内の一つに過ぎず、仕事として面白く無かったが、会社に勤めた場合、全ての行程を覚える事が可能で、将来の発展も期待出来た。<br><br>しかし、この行動が、人生を大きく変えるチャンスにつながるとは、其の時には思ってもいなかった。<br><br><br>１年も経つと仕事も大分覚え、製造工程では、神戸のスタッフの仕事管理を任される様になった。<br><br>そして、２年以上が経った頃だったか、倉庫の中で材料を探していると、面白いものを見つけた。<br><br>沢山の袋一杯に入った材料のクズが、山の様に放置されていた。製造工程で残った悪い部分である。<br><br>それも長い間、何も利用されずにである。<br><br>”勿体無いなぁ～、何かに使えへんかなぁ”と考え、課長に頼んで、試作品を創る事を許してもらった。<br><br>其の際に、デザイン室に居た新人にパターンを作らせたが、其の新人は、自分がデザイナーだと思っていたんだろうか、「何でこんな馬鹿げた事をしなければなら無いの？」と言わんばかりの迷惑そうな顔でやっていた。<br><br>パターンと言っても、私が紙で作った物を、堅い材料に写し取るだけだから、何の技術も必要としないから、そう言う態度だったんだと思うが。<br><br>しかし、出来上がったサンプルは、想像以上に良く出来て居り、課長もびっくりしていた。<br><br>課長の絶賛に驚いた例の新人デザイナーさんは、『自分の作品』と周りに吹聴していたのには驚いた。<br><br>後で分かったが、この会社の自称デザイナーの殆どが似た様な者の集まりだった。<br><br>そして、課長が『これを会長に見せてみる』と言って、数日後、部長を通じて会長に見せたらしい。<br><br>しかし、それが会長のプライドに傷を付けた様で、直ぐさま会議を開き『これより素晴らしい物を作り出せ！』と、東京や神戸のデザイナーや販売責任者、おまけに役員迄も呼び寄せ激を飛ばし、凄い事になったらしい。<br><br>それも仕方ないかもしれない。入社して１、２年の若造が、数十年働いている者でさえ考えもしなかった物を作ったのだから。<br><br>おまけに会長自身も、自分がJEのトップデザイナーだと思っていると言う話を聞いた。<br><br>だから余計に、私の意匠以上に良い物を作らなければならないと思ったようだった。<br><br>しかし、結果は悲惨なもので、大勢のデザイナーがよってたかって考えた割には、お粗末で無理なデザインの為、他の私と同じ仕事を担当していた者達は、無理な仕事に困惑していた。<br><br>ある日、神戸本店に出張した際、店のショウウインドウに掛かっている物が目に入って来た。<br><br>何か見た事有るなぁと感じ乍ら、其の商品を見ると、タグに製作者名の私の名が有るではないか。<br><br>更に値段を見ると、うひぇ～！、とんでもない値段！。<br><br>あのクズで作った物が、正規の材料で作った物と同じ値段で店に出ている。<br><br>なんと言う世界だ。と驚いたのと同時に、会社の全デザイナーに勝った！と実感した。<br><br>その後、会長が私の作業場にやって来て、何も言わずに真正面に立ち、じ～っと顔を見て立ち去った。<br><br>まるで『君があれを作ったのか？』と言いたげの様だったが、私は、軽く会釈だけで、仕事を続けていた。不気味なお方だ。<br>世界一の会社と豪語し、たった一人の若造のアイデアを全力で潰そうと企てた創業者である会長が、たかがこんな物かと思うと、実にバカらしく思えた。<br><br>そもそも、このアイデアを出した切っ掛けは会社の方針で、利益が上がる新しい考えには５０万円の賞金を出すと言う紙が、でかでかと壁に張り出されていたのだ。<br>実際、イタリア製の器械の意匠を模し、国産の器械に取り付けただけなのに、５０万円貰った人が過去に居た。それに比べると、私のアイデアは、全く新しい物を生み出し、会社の利益増大に大きく貢献した物だったのに。本当に価値の分からない会社だ。<br><br>後日、部長が、全社員の前で私の功績を紹介し、賞金の金封筒を出し、『はい！、５０万円』と言って私にくれた。<br>ところがどっこいである、後で中身を見ると、１万円札が３まい？だけだった。<br><br>仕方ないので、その夜、同僚と飲みに行き、ぱぁ～っと使ってしまった。<br><br>実に馬鹿げている。この会社の次元の低さに驚いた。また、気力が失せてしまったのを覚えている。<br><br>石の上にも３年と言うが、丁度３年居て会社の実態も分かり、教わる事も無くなったなと思っていた処、給料の良い会社の募集が有ったので、そちらへ転職した。<br><br><br>まあこの３年間、私の人生にとって、決して悪く無かった。<br><br>と言うのも、入社して約１年後だったろうか、外国からデザイナーがやって来た。<br><br>大学出の同僚が仕事で担当していたが、プライベートでは、何故か私と馬が合い、色々と世話をする様になった。<br><br>しかし、英語が全く出来なかった私は、中学の英語の辞書を片手に、単語だけを並べて会話に努力していた。そして、どこの国から来たかと問うと、フィンランドだと言う。<br><br>フィンランド　？？？　何処やったかな？位だったのだが、スカンジナビア半島の付け根と言うのが分かった時には、大変驚いた。<br><br>あれは中学生の時だったと覚えているが、社会の授業で習い、何故かスカンジナビア半島が頭に焼き付いてしまい、何でもない時に、不思議と頭に浮かんで来る事が有ったからだ。<br><br>あれは、この出会いに対するメッセージだったのかもしれないと思っている。<br><br>今、そのフィンランド人のデザイナーは、私の妻として日本で生活しているから、縁って言うのは凄いと実感している。<br><br><br>次回へ<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10430904982.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Jan 2010 09:56:43 +0900</pubDate>
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<title>整体を始めた切っ掛けの続き</title>
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<![CDATA[ あけましておめでとうございます<br><br>皆さん、正月休みはゆっくり出来たでしょうか。<br><br>不景気の影響か、自宅でDVD鑑賞と言う方も少なく無かった様で、レンタル屋さんには良いお年玉だったんでしょうね。<br>また、海外で年末年始を過ごされた方の出入国をニュースで見ると、矢張りうらやましいですね。<br><br>私の短い正月休みは、１、２、３で終わり、４日から営業始めました。<br><br>まっ、普段からマイペースにやってますから、盆も正月も大して気になりませんが。<br><br>と言う事で、前回の続きと参ります。<br><br><br>高卒で就職した某団体の仕事もようやく慣れた頃、段々と「何か他の仕事がやりたい」と考える様になった。<br>仕事自体が嫌と言うのでは無かったが、何しろ給料が安すぎた。<br><br>残業をしても残業手当は一切つかない。同級生の普通の会社に勤めている者に聞いた時には驚いた。<br>残業すると残業手当がプラスされると言う。結果、私の倍の給料を貰っていた。<br><br>基本給だけでも差があったのに。この時初めて、残業手当と言う存在を知った。ショックだった。<br><br>おまけに、昼間は各担当の仕事をし、夜に事業推進だと言って、保険や物販の営業が有り、ノルマが課せられる。ノルマ以上に成績を上げたからと言っても何の歩合も無いが、逆にノルマ以下だと自腹で保険や物品の購入を強いられる。<br>営業の不得意の職員の中には、毎年新規の保険に入り、古い保険をトコロテン式に解約する人も居た。<br><br>田舎で就職となれば、役場に次ぐ聞こえの良い団体だったが、中身は酷いもので、多分、３Kより悪かったんじゃ無いかと思う。”脳狂”と書いても良い位だと思っていた。<br><br>就職から８年後、いよいよ意を決した。<br><br>何をやりたいか！と言う具体的な目標を持たず、取り敢えず某団体を辞める事にした。<br><br>上司から引き止めも有ったが、矢張り、このままじゃ駄目だと思ったし、未知の可能性に挑戦がしたかった。<br><br><br>何の目的も無く辞めたので、どうしようかと考えたが、知り合いの勤める居酒屋でアルバイトをさせてもらった。<br><br>慣れてくると、客商売もなかなか面白い事が分かった。<br><br>厨房の裏話や職人さんの経験なんかを聞かせてもらい、参考になる事が多かった。<br><br>しかし、この居酒屋は、４ヶ月で辞め、職安で見つけた製造工場に勤める事にした。<br><br>其の会社は、電線を造る工場で、配属は押出行程だった。<br><br>押出行程と言うのは、電線にビニールやポリエチレンの被膜を、高温の器械を使って行ないます。<br><br>『１ヶ月で押出行程をマスターさせろ』と言う社長命令だったらしく、上司が付きっきりで教えてくれたが、そんな簡単なものでは無かった。と言うのも、他の会社の押出行程は、約５年補助としての修行の後、器械を担当できると言うのを同僚社員から聞かされた。<br><br>第一、前の担当者も相当苦労していた様で、製品毎に器械操作のデーターを記録して居り、器械操作には悩まされていたと言う事だった。<br><br>とは言うものの、社長にそんな事を言われて萎えていたんでは、男が廃る。<br><br>やったろやないか！と言う気持ちに火がついたのであった。<br><br>悪戦苦闘を繰り返し、約３ヶ月後、なんとか器械の特性も理解し、準備に２時間も掛かっていたのが、１５分位で運転開始できる様になった。<br><br>兎に角、電線は長い。機械の調子と材料さえ備えておけば、寝ていても良いのである。楽である。<br><br>器械操作もマスターしてしまえば、暇で暇で仕方ない。<br><br>そして、またしても病気の虫が起きたのだ。<br><br><br>時間が無いので、続きは次回に。すみません。
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10428774490.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jan 2010 13:32:53 +0900</pubDate>
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<title>世間の年末は気ぜわしいけど</title>
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<![CDATA[ 今年も残り少なく成りました。<br><br>年末の大掃除や、餅つきやおせち料理の準備にと、忙しくされてる方が多いですね。<br><br>うちでは、何年も前から、おせち料理も餅つきもしなくなりました。<br><br>おまけに、玄関のしめ飾りも付けなくなりました。<br><br>何故かって？。<br><br>理由は簡単。面倒なだけなんです。<br><br>でも、面倒な気持ちになったのには理由はあります。<br><br>先ず、お餅つきですが。<br><br>子供の頃は、父と母が臼と杵で餅を付き、私と弟は、つき上がった餅を丸めたり、小豆あんこを包んだりと、年に一度の一大イベントを楽しんでいました。<br><br>そして、時代とともに、杵つきから機械つきに変わり、徐々に餅を食べる量も少なくなりました。<br><br>それに、一番の問題は、餅にカビが生える事でした。<br><br>１月１５日に鏡餅を焼いて、ぜんざいで食べるのですが、ひび割れてカビだらけの餅は、見るも無惨な姿でした。毎年同じ問題の繰り返しです。<br><br>そんな事で、折角のもちも無駄に成ったり、こどもの頃に比べ食べなくなったので、餅つきは、止める事にしました。<br><br><br>そして、おせち料理はと言うと。<br><br>先ず、買い出しから始まります。これは、凄いエネルギーが要ります。<br><br>大体、どこのスーパーも２９日頃からおせちの食材を販売し始めますから、買い物客で溢れています。<br><br>沢山の買い物をしてレジの順番を待っていると、平均で２時間は掛かりました。<br><br>そして、やっとの思いで買い物を済ませ帰宅し、一息ついた頃に、買い忘れた物が有る事に気付き、再度買い物に行っても、同じ様に２時間は掛かるのです。鷹の爪一個だけでも。<br><br>大方の調理は３１日にしますので、母は、大晦日は早朝から深夜迄動き通しです。<br><br>最後の料理が終わった頃には、新年を迎えているのが普通でした。<br><br>しかし、それだけ時間を掛けて作っても、食べるのはあっという間。<br><br>おまけに２日も食べたら、飽きてしまいます。<br><br>TVのCMでも、『おせちに飽きたら、カップ？ードル！』って言うのが出て来て、みんな飽きてるんだなあ～と感じました。<br><br>何気ないあんなCMが、食文化の変化を加速させて来たんだろうな。<br><br>以前は、正月に店が開くのは３日からでした。<br><br>だから、２日間は、おせち料理や餅を食べていても、当然の様に思っていました。<br><br>それが、２日から店が開く様に成り、またまた最近では、元旦から開く様になりました。<br><br>これではおせち料理を作ってもなぁ～、と言う事になりました。<br><br><br>最後に、玄関のしめ飾り。<br><br>大抵のお宅は店で買った物でしょう。うちもその内の一つです。<br><br>以前は、しめ飾りもいろんな形が有り、どれが良いかなとか良い乍ら、選んでいたんですが、何年か前から、変なしめ飾りが表れ始めました。<br><br>何が変かと言うと、色なんです。<br><br>しめ飾りは稲藁で作ってあります。<br><br>出来るだけ青みの掛かった、若い様な稲藁です。多分、しめ飾り用に保管していたんでしょうかね。<br><br>それがなんと！、明らかに染色しましたと言う様な、異様な色の物が出て来たんです。<br><br>まるで、銅板が錆びた時に出る、青錆の色なんです。毒物？と思う程、非常に気持ち悪い色です<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif" alt="叫び">。<br><br>多分、中国産だなと直感しました。<br><br>染料に何を使っているか分らんし、もし、どんど焼きの時に燃やした煙を吸ってしまったら？と考えると、買う気を失せるのに時間は掛かりませんでした。<br><br>しめ飾りが無くても、自分の気持ちを引き締めておけば十分です。<br><br><br>と言う事で、今回は、整体ネタでは無いですが。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sarvikas/entry-10421939987.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Dec 2009 10:33:31 +0900</pubDate>
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