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<title>黒シャツのつぶやき</title>
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<description>これは、僕の「クラス通信」です。とは言え、「お知らせ・連絡」の類いは一切ありません。日々の出来事、思った事、考えた事を、徒然なるままに語ります。あなたも僕のクラスの一員になりませんか？</description>
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<title>因果論に縛られるのではなく</title>
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<![CDATA[ 「疲れているから、運動できない」「忙しいから、運動する時間が無い」・・・全部、「自分が運動しないため」の「いいわけ」でした^^;<br><br>仕事を辞めてから始めたジムも、既に半年が経ち、徐々に体に変化が現れ始めています。まず、何より「疲れない」。いや、疲れるな。でも、我慢できる。ふふ。なんと言うか、どんなに仕事をこなしても、「次」への余力がある。気力というべきか。ついでに、と言っては何ですが、家でも元気^^家族との会話が楽しく、料理を作るのも以前より楽しい。前回、４５歳でも変われる、ってなことを書きましたが、本当に「心身ともに」変われるんですね。<br><br>今、僕は確実に以前より働いています。朝早く・・・は変わらないけれど、夜遅くまで。でも、週に何度かはジム通いをしています。たかだか３０分～１時間程度の運動しかできないけれど、以前は、「時間がねぇ～！」と言ってはだぶついたお腹の言い訳にしていたけれど、その頃より忙しくても、ジム通いはできるのです。<br><br>第１段階は、終わりました。とはいえ、僕の設定した第１段階というのは、「階段を昇っても息が上がらない」「普通に１０分歩ける」「肩の関節の稼働率を上げる」といった、「普通の人間に戻りたーい」ぐらいのハードルの低さ^^;;<br>今度は、第２段階です。それは、夢の「腹筋を割る！」　う～んびっくりマーク少ないかな。「腹筋を割る！！！！」ってな感じで。まぁ、肉体改造です。もちろん、キャプテンアメリカみたいにはいかないだろうし、西島さん（MOZUの）のようにもいかない（骨格が違いすぎるT^T）のは分かっているけれど、でも、頑張る。「◯◯だからできない」などと、因果論に縛られるのではなく、「僕はこうするために、一歩を踏み出すのだ」という姿勢で、これからの人生を生きたいと思っているのです。<br><br>先日、仕事帰りに家の近くを車で通った時、外を歩いている親父を目撃しました。まぁ、８０歳になるから仕方ないのかもしれないけれど、あまりに年老いたその姿に、軽いショックを受けました。ヨレヨレの服を着て足を引きずるように歩く父は、小さかった。涙が出そうになり、眼を背けてしまいました。<br><br>僕は思ったのです。家族の為にもカッコいい父親でいよう、と。息子や娘が、そして妻がそんなことを望むかどうかは分かりません。でも、僕は、自分の為にも、できるだけかっこ良くいたい。そう思いました。もしかしたら、妻がもう一度僕に恋してくれるかもしれない。そんな下心も、なくはないけれど^^<br><br><br>突然ですが、今日をもって、このブログへの投稿を中断致します。<br>「忙しいから」ではありません^^;　時間は作れば、いくらでもあります。<br><br>そもそもこのブログ自体が、「発信する場所を求めて」始めたものでした。<br>僕は、その場所を見つけたのです。<br>今後は、新しい職場で、新しい生徒の為に、新たな気持ちで情報を発信していければと、そして、それに全力を注ぎたいと思っています。<br><br>短い間でしたが、ご愛読頂いた皆様、本当にありがとうございました！<br>心から感謝申し上げます。<br>もし、再び、発信の場を求めて心がうずきだしたら・・・その時は、また書きたいと思います。<br>同じ「黒シャツのつぶやき」というタイトルで^^<br><br>では、またいつか★
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<link>https://ameblo.jp/satandk-4869/entry-11828919528.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Apr 2014 11:34:49 +0900</pubDate>
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<title>それは４５歳のおじさんにだってできることなんだ</title>
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<![CDATA[ ハワイに向かう大韓航空機の中、僕はとても素敵な映画に出会った。<br><br>いくつもある映画の中で、それは２本目に見たものだった（１本目に何を見たかは覚えていない。ついこの間のことなのに）。題名は「About Time」。残念ながら、今のところ日本での公開予定は無いそうだが、こういう映画こそ、是非配給して欲しいと心から思う（僕にお金があったら、そういうことに遣いたいなぁ・・・なんて）。<br><br>初めは、期待なんてしていなかった。平凡な題名。平凡な始まり。ぱっとしない主人公（失礼！）。でも、見ているうちに、どんどん引き込まれていった。素敵な出会いというのは、そういうものだ。僕は、一目惚れのような感情より、始まりは平凡で良い、じわじわとゆっくりとしみ込むようにやってきた気持ちを信じる。<br><br>主人公ティムは、何とも平凡な、彼女もできない普通の青年。だが、２１歳になった時、彼は父親から「ある秘密」を聴かされる。それは、「彼の家系の男はタイムとラベルができる」ということだった（「男だけ」というのが、実に面白い。きっと、女性と男性では使い方が違うんだろうな^^）。方法は実にシンプルで、例えばタンスなど暗いところに入り、戻りたい時間と場所をできるだけ正確に思い浮かべるだけ。そこから出ると、既にタイムスリップ終了。とても簡単^^。<br><br>このすごい力を、彼はとても大切なことに遣う。それは、「彼女を見つけること」。いいなぁ。こんなすごい力を、何の大義も無く、何のストレスも感じず、迷わず彼女探しに遣うんだから。でも、男にとっては、重要なことだ。<br>そして、彼は「メアリー」と出会う。<br><br>書きたいことは、いっぱいある。でも、あんまり書いちゃうと、万が一公開された時にマズいのでこの辺で。<br><br>ただ、僕がなぜこの映画に引かれたかに、少しだけ触れたい。<br><br>できれば、実際に見て感じて欲しいのだけれど、僕がこの映画からもらったものは、「心の持ちかたで、いかに世界が変わるか」という、これまた実にシンプルなメッセージだ。日々、何気なく経験していることが、自分の考え方一つで全く違って見える。<br><br>例えば、人ごみで、自分を押しのけるように進んでいった男性に対し、舌打ちをするのか、「何か急いでいることがあるんだな。間に合えば良いな」と思って見送るのか。例えば、会社の同僚に無言でいるのか、「お疲れ様でした」と笑顔で接するのか。例えば、一日の終わりに、「今日も大変なことばかりだった。嫌なことばかりだった」と考え、ため息をつくのか、「うん、何か良い一日だった」と思い、ベッドに入るのか。それは、「ちょっとした」気持ちの持ち方の違いに過ぎないが、そのちょっとしたことの繋がりが、「日常」だ。「タイムトラベル」なんて、たいそうな力を遣わずとも、人生はいくらでも思い通りにすることができるのだ。<br><br>もちろん、「やりなおしたい」と思うことも、時にはある。なぜあの時もっと優しくしてやれなかったのか、なぜあの時違う言葉を言うことができなかったのか、なぜあの時あんな受け取りかたしかできなかったのか。時間を遡ってやり直せるなら、どんなに良いか。<br><br>でも、この映画を見ていて、思ったのだ。本当にやり直した方が良いのだろうか。失敗も含めて、それが僕の人生。やり直したいけれど、やり直せないのが人生。<br><br>だからこそ、日々を、刻々と過ぎ行く一つ一つの時間を、自分の意志で「素敵な未来」に繋げていこうと思った。簡単なことだ。「トイレットペーパー無くなったら、替えておいてって言ったでしょ？」という妻の言葉に、不機嫌になるかわりに、笑顔で「ごめん！」と言えば良いのだ。無理な追い越しをしていく車に対して、怒鳴るのではなく、「危ないから気をつけて！」と思えば良いのだ。そういう風にすることを、「難しい・面倒くさい」と思うのではなく、「やってみるか！」と口に出してみるのだ。<br><br>SEKAI NO OWARIの「天使と悪魔」の歌詞にこうある。<br><br>何かを変えるってことは<br>自分自身を変えるということと<br>ほとんど同じななんだよ<br><br>「僕ら」が変わるってことは<br>「世界」を変えるということと<br>ほとんど同じなんだよ<br><br>恐らく、僕が大きな影響を受けた「嫌われる勇気」という本に語られる、アドラー哲学が言いたいことも、そこにある。<br><br>僕は、仕事から離れていた数ヶ月の間に、僕のこれからの人生を左右させる本や映画に出会うことができた。それは、まさに僕が望んで手に入れたものだ。<br><br>僕は、生まれ変わる。それは４５歳のおじさんにだってできることなんだ。今、この瞬間からだって。<br><br>では、また★<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140421/09/satandk-4869/29/34/j/o0275018312915384626.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140421/09/satandk-4869/29/34/j/t02200146_0275018312915384626.jpg" alt="" width="220" height="146" border="0"></a><br>
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<link>https://ameblo.jp/satandk-4869/entry-11828684705.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Apr 2014 07:30:46 +0900</pubDate>
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<title>「歳のいった新人」として、一生懸命働いています</title>
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<![CDATA[ ＜おことわり＞<br>これから書く事は、前の職場と、今の職場・・・的な「比較」の話ではありません。純粋に、「今の職場について」という視点で、純粋に（２度目。ふふ）お読みください。<br><br><br>仕事が始まって２週間。僕は「歳のいった新人」として、一生懸命働いています。授業の準備をし（苦手なプリント数えを、もうどれくらいやっているだろう）、部活動の顧問をし（何も分からないから「おまけ」だけど）、行事のお手伝いをし（何も分からないから「おまけ」だけど。ふふ）、とにかく自分にできることを一生懸命に。<br><br>・・・う～ん、何だかすごく楽しい。初め、誰も僕の事を知らなかったけれど、授業や部活動が始まってからは、僕を尋ねて生徒が来る。「先生、部活のことですけど・・・」「先生、小テストは・・・」「先生、社会の先生ですよね？」あ、それは僕では無いな（笑）<br><br>　誰かの「目的語」になるのは、心地いい。僕は、ここにいて良いんだ、と思えるから。もちろん、いい感じの理由で来てくれれば、それに超したことはないけれど、そうじゃ無くても良い。「先生！ちょっと良いですか！ぷんぷん！」なんて（既にありました^^;）。<br><br>僕は、例えば、厳しい事を言って生徒に嫌われても良いと思っています。それは、少なからず「心に引っかかっている」ということ。愛情を持って、ブレずに投げかける厳しさは、いつか、何かの瞬間に届く（かもしれない^^;; ）。僕が一番嫌なのは、「別に～」とか「ふつう」とかでくくられること。「熱い」と言われようと、「うざい」と言われようと、別に良い。おじさんがここに生きていて、おじさんがこんな風に考えていて、それを語ることの何が悪い。人に対して、無関心な人間にだけは、なって欲しくない・・・僕はずっとそう思って、教師をやってきたのです。<br><br>焦りは、ない。気負いも、ない。毎日、信じられないほど忙しいけれど（僕は、自分が「かなり働いてきた人間である」と思ってきたけど、完全なる思い込みでした）、体力は、まだある。気力も、まだまだ、ある。今日も、たくさんの生徒と話をしました。先生方とも少しずつ近づいていると思います。そりゃあ、色々あることは、分かっています。痛いほど、分かっています。でも、僕は、働くことで社会に組み込まれたように、皆に認識されることで確実に新しい学校に組み込まれようとしています。<br><br>では、また★<br>
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<pubDate>Mon, 14 Apr 2014 19:38:03 +0900</pubDate>
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<title>これから始まる日常で薄れてしまわないように</title>
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<![CDATA[ ４月になった。一般企業では、４月は３月とそう変わらない月かもしれないし、日本の学校制度においても「開始の時期」をずらそうとする動きがあるようだが、僕らは物心ついた頃から、４月を「物事の始まりの月」として認識してきた。当然その前月は「終わりの月」だ。何かが終わり、何かが始まる。<br><br>５時起床。シャワーを浴びて目を覚まし、ヒゲをそって軽く食事をとったら、今日出すゴミを整理して６時に家を出る。愛車のモコに乗って借りている駐車場へ。車を停めて駅に向かう。早朝の春の風は、まだほんの少し冷たく、でも心地よい。新調した革靴が少し足に痛い。<br>消費税が変わるほんの少し前に買う事のできた「定期券」で改札を抜け、他のサラリーマンに混じって並んだ時、僕の頭の中に、不意にこんな言葉が浮かんだ。<br><br>「僕は再び社会に組み込まれた」<br><br>それは、決して嫌な感覚ではない。あんなに嫌いだった人ごみにもまれながら、僕が感じたのは、ある種の「安堵」だ。僕は新しい居場所を見つけ、所属し、守られる。新卒で社会人になった時、決してそんなことは考えなかったし、感じなかった。失って初めて分かる、というのは、人の常だ。<br><br>接続の駅に着く。時間には余裕をもって出ているので、人の波をやや見送ってから階段を登る。う～ん・・・足が、体が軽い。いや、体重はそんなに変わっていないけれど、これはジムに通った成果といっていいだろう。ふと、夕べの娘を思い出す。「パパ、明日から仕事だから、夕食宜しくね」と言った僕に、娘はとても自然にこう言った。「あ～、そうか！おめでとう^^　頑張ってね！」不意打ちを食らった感じがして、思わず泣きそうになった。娘とこんな風に自然な会話ができるようになったのも、７か月のモラトリアムのお陰だな。僕は、お腹と足に力を入れてグイグイ歩いた。ホント、頑張らなくっちゃな。<br><br>僕の人生の第２章が始まる。そんな風に言うほど、劇的でもかっこ良くも無いけれど。でも、朝起きて、飯を食って、「向かうところがある」という「普通」は、何にも代え難い。もちろん、「帰るところがある」という「普通」も。僕は、そのことを肝に銘じる。これから始まる日常で薄れてしまわないように。<br><br>では、また★
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<link>https://ameblo.jp/satandk-4869/entry-11811556504.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Apr 2014 14:25:40 +0900</pubDate>
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<title>僕の「モラトリアム」が終わろうとしています</title>
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<![CDATA[ 後少しで、僕の「モラトリアム（猶予期間）」が終わろうとしています。<br><br>仕事を辞めた頃の僕は、正直言ってボロボロでした。<br>誰かと会っていなければ、何かをしゃべっていなければ、皆に支えてもらえていなければ、<br>僕はきっと壊れていたと思います。<br><br>このブログを始めたのも、「自分を現実につなぎ止めておくため」ということが大きかった。<br>物事を考える事で、文章を書く事で、精神面でのバランスをとっていたのです。<br><br>だから、初めの頃は、今後どう生きて行くか、相当に迷走していました。<br>しかし、色々な方と会い、お話をさせて頂く中で、<br>自分の中に「やはり学校の教師として生きて行きたい」<br>という思いが強くなっていたことに気づきました。<br>ちょうどその頃です。ある人のお陰で次の仕事への目処がついたのは。<br><br>僕らはきっと、「なるようになる」ように生きているんだな・・・最近強くそう思います。<br>だからって、運を天に任せているだけではだめ。必死に悩み、苦しみ、あがく先にこそ、「なるようになる」が待っているのだと思うのです。「人事を尽くして天命を待つ」・・・昔から、人として生きる上での真理は変わらないんですね。<br><br>先日、新しい学校の打ち合わせに行ってきました。<br>生徒達は元気で明るく、先生方も仕事熱心。<br>もちろん、どんな学校にも、どんな会社にも問題はあるでしょうけど、<br>残りの教師人生を、この学校で過ごしたい、そう素直に思いました。<br><br><br>僕は今、ハワイ島にいます。そして、部屋のベランダにあるソファーでこれを書いています。贅沢だ～^^;;<br><br>ここは、ワイコロア・ビーチ・リゾート内にあるKing's Landというコンドミニアム。広大な敷地の中に、プールやゴルフ場、ショッピングセンターなどがありますが、今回の目的は「ゆっくりすること」。妻は、日々の過酷な仕事から解放されたひと時を、僕は、モラトリアムの最後の時間を、娘や息子は・・・まぁ、それなりの時間を、あまり何もせず、ゆっくりと過ごそうと思っています。贅沢に時間を使い、英気を養う。また次の一歩を踏み出す為に。<br><br>では、また★<br><br><br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140326/07/satandk-4869/a4/51/j/o0800060012887314396.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140326/07/satandk-4869/a4/51/j/t02200165_0800060012887314396.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140326/07/satandk-4869/a9/28/j/o0800107212887314395.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140326/07/satandk-4869/a9/28/j/t02200295_0800107212887314395.jpg" alt="" width="220" height="295" border="0"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140326/07/satandk-4869/2e/44/j/o0800107212887314394.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140326/07/satandk-4869/2e/44/j/t02200295_0800107212887314394.jpg" alt="" width="220" height="295" border="0"></a><br>
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<pubDate>Tue, 25 Mar 2014 19:58:18 +0900</pubDate>
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<title>黒シャツ簡単料理Vol.c5　〜豚肉ともやしの炒め物　大根おろし乗せ〜</title>
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<![CDATA[ 久しぶりのレシピです。<br><br>これは、完全な思いつきですね^^; ちょっと胃が疲れていたのもあって、何かさっぱりしたものを、と思って作りました。まぁ、胃が疲れているなら、炒め物とかしなければ良いんですけど（汗）<br><br>思いっきり簡単で、しかも美味い。是非お試しください^^<br><br>＜材料＞（２人前・・・くらい）<br>・豚のバラ肉　　２００g<br>　★いつも、しゃぶしゃぶ用のを使ってます<br>・もやし　　　　１袋<br>　＋野菜　　　　タマネギ・人参など適当に^^<br><br>※野菜パックなら　大１袋<br>　★僕は、もやしを中心に、色々な野菜が入っているパックを利用してます。<br>　　ちょっと割高でも、毎日の事なので、楽が一番^^<br><br>・酒　　　　　　大さじ２<br>・鶏ガラスープ　小さじ１（無くても良いです）<br>・塩、コショウ　少々<br><br>・大根　　１／２本<br>　★１本使ってもOKです♪<br><br>・ポン酢<br><br>＜作り方＞・・・ってほどでもありませんが^^;;<br>１、ちょっと深めのフライパンに油を少々。豚肉を炒めます。<br>２、肉の色が変わったら、野菜を投入。お酒と鶏がラスープを入れて炒めます。<br>３、もやしがややクタッとなったら、塩こしょう。<br>４、お皿に盛って、大根おろしをたっぷり乗せます。<br>５、ポン酢をかけてお召し上がりください！<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140314/10/satandk-4869/aa/77/j/o0800060012874622241.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140314/10/satandk-4869/aa/77/j/t02200165_0800060012874622241.jpg" alt="" width="220" height="165" border="0"></a><br><br>ご飯が進みます。でも、お腹いっぱいになっても胃もたれしませんでした(^^)/"
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<pubDate>Fri, 14 Mar 2014 09:31:38 +0900</pubDate>
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<title>長時間の思考機会が失われているのではないか</title>
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<![CDATA[ 統計を調べたわけじゃないから分からないけれど、どうも最近「短絡的」と思える事件が多いように思います。特に、えっ、そんなんで人を殺しちゃうの？っていう。<br><br>「人を殺す」っていうのは、ある意味、最後の最後まで越えてはいけない境界線のように思うわけです。「なぜ人を殺しちゃいけないの？」「殺しちゃいけないから」というループ問答がそれなりの説得力を持つくらい、それは自明の事のように感じられます。にも関わらず、それを簡単に（・・・どうも、そう見えてしまう）乗り越えてしまう。一体なんなんだろう。<br><br>僕の中に、ずっと気にかかっていることがあります。それは、「長時間の思考機会が失われているのではないか」ということ。もちろん、それが「短絡的事件」に直接関わっているかどうかは分かりません。でも、すごく気になるんです。<br><br>僕の小さい頃、学校や食事の時間以外、つまり友人との遊びの時間や一人でいる時間をどのように過ごしていたか思い出してみると、小学校の低学年の頃は「鬼ごっこ・高鬼・陣取りゲーム・メンコ」などを近所の道路や広場でやっていました。高学年になると、野球チームを作ったりしてたなぁ。中学に入ると、スポーツタイプの自転車にはまり、自分で改造していました。今思うと、恐ろしくなるくらい遠出したりして。後は、友達とラジオ番組のまねごとをやってテープに吹き込む事に熱中。オーディオにも凝った。お金はなかったから、自己満足でしかなかったけれど^^;;高校になると、バンド。ドラムの練習に熱中し、行事に没頭しました。<br><br>もちろん、今もこうしたことは行われていると思います。けれど、一つ大きな違いがある。それは、僕の青春期の時間内に、「パソコン・携帯」が無いということ。<br>現在、さすがに僕の生活の中にも、人並みに「パソコン・携帯」が入り込んでいます。というか、それ無しでは生活が成り立ちにくくすらなっています。それで気づいたこと。それは、「時間が細切れにされる傾向がある」ということです。仕事をしていても、メールやラインのメッセージが気になる。電車に乗っているときは、ゲームやネットでいくらでも時間つぶしができる。<br><br>僕らの若い頃、時間がある時の選択肢は少なかった。テレビ（テレビも今ほど多チャンネルではなかったので、「これ」という番組以外は見ませんでした）、ラジオ、読書。そして、今思うと、その中に、「思考」というのがあったように思うのです。いや、いつもじゃありません。でも、ふと気になったことがあった時、何にも邪魔されず「思考する時間」があったように思うのです。何かについて、何時間も考え続ける・・・そんな経験を、今の人はどのくらいしているのだろう。何かに思い悩み、誰とも接触せず、言葉も発する事無く、何もせず、ただひたすら自分自身と向き合う経験というのは、もはや一部の人間（学者など）にしか許されないものになってしまったのではないか・・・僕は、最近そんな風に思うのです。<br><br>学校で、心に引っかかることがあった。家に帰りながら、一人それについて考えてみる。途中で訳が分からなくなり、頭がぐちゃぐちゃになっても、それでも止めない。家に着いて部屋に入り、ああでもない、こうでもないと考える。思考し続ける。気づくと、外が真っ暗になっていて、夕食の時間になっている。もう３時間も考え続けてたのか～。伸びをして、ダイニングにご飯を食べにいく。食べながら、家族と会話しながら、テレビを見ながら、それでも何となく頭の片隅で考えている。風呂に入る。ゆっくり湯船に浸かりながら思考の続き。部屋に戻る。今日は見たいテレビもない、聴きたいラジオ番組もない。ベッドに寝転がり、考え続ける。いつの間にか眠る。<br>そして、次の日の朝。歯を磨いている瞬間に、ふと昨日考えていた事への答えを思いついたりする。<br><br>僕は、こういう経験が、僕らが思っている以上に大切なのではないか、と考えています。ちょっと考えても答えが出るときは出る。しかし、熟考する、というのは、出てきた答え云々よりも、そのプロセスが大事なのです。その行為は「思考を鍛える」。いや、「思考する体力を鍛える」と言った方が正確かもしれません。「思考する体力をつける」ことで、様々な状況・事態への臨機応変な対応が可能となります。また、選択したものの「正しさ」の精度が高まります。だから僕は、「細切れにならない思考習慣をつける」努力が必要だと思うのです。<br><br>うちの子もそうなのですが、最近の人は、すぐに結果を求めたがります。自分のことについても、そう。ちょっと努力しただけで、大きな評価を欲しがる。「こんなに努力したのに」という言葉は、本当の努力をしていない人のセリフです。「お前、今の言葉、よく考えて言ったか？」息子が僕からよく言われる言葉の一つです。「考えたよ」と即答する息子にとっては、ほんの数分（数秒かも）が、「よく考えた」となるのです。<br><br><br>今や、短絡的な事件の加害者は、若者だけの特権では無くなっています。４０代～６０代（時には７０代！）が加害者の事件も結構あるのです。もしかしたら、事態は思ったよりも深刻なのかもしれませんね。<br><br>では、また★
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<pubDate>Thu, 13 Mar 2014 12:37:22 +0900</pubDate>
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<title>だからって何でも良いわけではない</title>
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<![CDATA[ 再び、パソコンがインターネットに繋がらず、ずっと更新ができずにいましたm(_ _)m　無線ルーターとは繋がっているのに、その先が繋がらない。どういうことかわかりませんT^T　某会社への電話も何十分待っても繋がらない。もう別の会社に変えようかなぁ^^;;<br><br>さて、「ウンザリ」している人もいると思いますが、再び佐村河内氏の事がマスコミを賑わせています。彼は、何の為に、あの会見を開いたのでしょうね。まぁ、初めに謝罪したので、「謝罪会見」と言えなくもないのでしょうが、その後の展開を見ていると、「釈明会見」の色合いが濃いかな。<br><br>会見では、彼の耳の問題について、かなりの時間を割いてやり取りが行われていましたが、見ていて途中から気分が悪くなってしまいました。あれは、例えば、クラスの中で公然と分かりやすい嘘をつく「痛いヤツ」を、皆で吊るし上げている図、です。皆がそれを嘘だってわかってるのに、本人にそれを認めさせ、頭を下げさせないと気が済まない・・・そんな感じ。いや、むしろ、嘘の上塗りをさせて、「また嘘ついてるよ。どうしようもねーなー（苦笑）」的な心理かなぁ。<br>何か事件が起こった時、その事実を明らかにしたり、原因を究明したりする事はとても大切なことだと思います。しかし、例えば今回のような事件の場合、「佐村河内氏が嘘をついていた」という事実がはっきりしており、本人も認めているわけで、後は被害を受けた会社なり個人なりが彼を訴え、裁判所で責任が追求されれば良いと思うのです。彼が会見を開くって言っても、誰も相手にしなければ良いのに。<br><br>そもそも、ここまで大々的に嘘をついてきた人間が、「天地神明」にいくら誓ってもどうにもならないのです。謝罪の言葉はもちろんのこと、「これからこうして行きたい」という決意を口にした瞬間に、その言葉は虚しいものになる。それが「嘘をつくこと」の報いなのです。嘘つきは言葉を使って人を欺いたのですから、行為でしかあがなうことはできない・・・僕はそう思うのです。<br>彼は、耳が聞こえるんですよ。そして、作曲はできない。それで終わり。診断書も、証言も、どうでも良い。<br><br>僕は、そんなことより、僕らがもっと学ばなくてはならないことがあると思っています。<br>誤解を恐れずに言わせてもらえば、それは、「耳が聞こえない」「被爆二世」という言葉への「無条件の降伏」とでも言うべき我々の心情です。今回、そうした風潮に流されず告発した記者や、その曲の出来への疑問を呈し続けていた作曲家の方はすごいな、と思います。<br><br>私たちは、どうも「弱者」や「被害者」、あるいは「感動」に弱い。そうしたことに盲目（もちろん比喩的な意味で）になり、物事の真価が見えなくなる、というのは良くある事です。国語教育においても、一時は「子供の純粋な思考や言葉の選び方」を必要以上に持ち上げ、教材化されたことがありました。子供が作った俳句や詩等を授業で取り上げたのです。しばらくして、「子供の純粋な」というのは、「子供の未熟な」と紙一重である事に気付き、この動きは下火になったようですが^^;;<br><br>障害があること。何かの被害にあうこと。そうした事への配慮は必要だし、本当に困っている人への援助も、もちろん必要です。でも、「必要以上」である必要はない。援助も、評価もです。<br>「パラリンピック」を見ていて思うのは、「本当にすごい」ということです。それは素人でも分かります。彼らを見ていると、「障害」とされていることが「障害」に思えない。何より、彼ら自身がそう思っていない、思って欲しくないのだと思います。<br><br>佐村河内氏の件については、彼の「演出」にまんまと引っかかり、無批判に賛美していた音楽関係者や批評家、マスコミも反省すべきだと思います。「世の中の風潮」に流されず意見を言うのは難しい。でも、言葉にする以上、批評家たちも「ある種の覚悟」は必要だと思うのです。「嘘」をついた人間は、もちろん悪い。しかも、それで社会的に大きな迷惑をかけた。でも、「批評家」と呼ばれる人たちも、メディアを通じて発言する以上、それが「社会的風潮」を創りだしているという意識を持つべきだと思います。記者会見を開かないまでも、当時、佐村河内氏を必要以上に持ち上げた評論家、批評家の人は、「私は当時、こんなことを言っていました。済みません」くらいのことを文章にしても良いんじゃないかな。<br>言論の自由は尊重されるべきです。でも、だからって何でも良いわけではないのだと、僕は思うのです。<br><br>では、また★
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<pubDate>Mon, 10 Mar 2014 08:21:52 +0900</pubDate>
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<title>望んでいないなら、放っておけ</title>
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<![CDATA[ 今週の「スーパープレゼンテーション」（毎週月曜日、夜１１時からNHKＥテレで放送）の話者はアルネスト・シローリ氏。イタリア出身の彼は、開発援助の専門家です。話の詳細についてはネットで見ることができるので、ここでは割愛しますが、僕がとても興味を引かれたのは、彼の話に出てきた、経済学者シューマッハ氏の本「Small Is Beautiful」の言葉でした。<br><br>「if people do not wish to be helped, leave them alone. 」<br><br>もし人々が望んでいないのなら、放っておきなさい・・・そんな意味でしょうか。これは、開発援助の際の心得です。現地の人々が望んでもいないのに、上から目線で行って押しつけで技術やお金を与えたとしても、決してうまくはいかない、というようなことなのでしょう。こうした言葉や自分の体験から、シローリ氏は「Want to help someone? Shut up and listen!（「人を助けたい？ なら 黙って話を聞け！」）」という結論を導きだします。<br><br>僕は、教育に携わりながら、いつもこのことで頭を悩ませます。シューマッハ氏の言っていることとは、対象も局面も違いますが、それでも、「望んでいない生徒」に何かを教えることの難しさを、痛感しながら教師を続けてきました。「望んでいないなら、放っておけ」・・・そうできれば、こんなに楽なことはない。「開発援助」というのは、経済と、つまりは生活と直結しているので、「望んでいる人」というのは、ある程度切羽詰まった状況にあると同時に、「何とかしなくては」という意識の高い人たちです。必要性にも迫られ、やる気もあれば、援助する側に求められるのは、後は「技術力」と「資金力」です（もちろん、人材は必要でしょうが）。<br><br>しかし、教育というのは、ちょっと違います。現代社会の、特に経済的に豊かで政治が安定している国においては、「学ぶ」というのは、数多くある選択肢のうちの一つに過ぎません。「いや、そんなことはない。今やほとんどの子どもが高校まで進学し、公立の中高一貫校ができているくらいだから、ほぼ『義務教育』のような形で子どもたちは『学んでいる』じゃないか」と言う人もいるかもしれません。でも、戦渦にある少年や少女が口にする「医者になる為に勉強がしたい」という言葉の重さから考えれば、その違いは一目瞭然でしょう。<br><br>「どうしても学びたい」という意欲が薄まっている現在、教育の現場に求められるのは、専門科目に対する知識よりも「やる気を起こさせる技術」です。もちろん、「どうしても学びたい」という意識が強い、あるいは、仕方の無いこととして学ぶことを受け入れて積極的に学ぶ人もいます。そういう人には、高い専門知識で対応すれば良い。極端な話、「教える技術」なんてどうでも良いんです。だから、昔の大学の教授は、何の面白みも無い授業をしていても（失礼！）、全く問題が無かった。でも、今は違います。どうやって「気を引くか」、どうやって「飽きさせないか」。それが出来なければ、教師を続けて行くことが難しい世の中になりつつあるのです（いや、すでにそうなっている!?）。<br><br>もちろん、僕は、一教師として教育の世界に身を置く以上、その努力をして行くつもりです。しかし、今の教育界の動き、いや、それだけじゃないな、世の中の動きも含めて、僕はあまり良い方向に向かっているとは思っていません。人は、必要に迫られ追い込まれるからこそ、自分の内側から力が湧いてくるからこそ、より大きく持っている力を伸ばして行くことができるのではないか。世の中が、親切で心地よく、丁寧になればなるほど、人は頭や心を遣わなくなるのではないか。僕は、それが怖い。「望んでいないなら、放っておけ」・・・教師が知識や技術を高めつつも、本来ならそういう環境に、子ども達を置くべきじゃないか・・・僕は、そう思ったりするのです。<br><br>では、また★<br>
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<link>https://ameblo.jp/satandk-4869/entry-11774919286.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Feb 2014 09:23:38 +0900</pubDate>
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<title>一流の人がみなそうであるように、彼もまた、自分の演技に満足していない</title>
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<![CDATA[ 昨晩のフィギュアスケート、羽生選手、凄かったですね。パトリック・チャンはやっぱり素晴らしかったし、高橋選手も町田選手もいい位置に付けることができたようですが、羽生君は、ひとり違う次元に行ってしまっているような気がしました。もちろん、僕はフィギュアスケート素人ですから、詳しいことは分かりません。でも、こういう「芸術」に近いスポーツの場合、技術的な詳細が分からなくても、それがにじみ出る形で演技全体に関わってくると思うので、見ていて「すごいな」と思えるものは、やはり「すごい」のだと思います。<br><br>スケートの演技を見ていると、すぐに「良い演技」かそうでないかは分かります。スピード感、ダンスのしなやかさ、ジャンプの完成度、ステップ。そうしたひとつひとつが全体の雰囲気を創りだします。そして、そうしたものを底辺で支えているのは、僕は「リズム感」ではないかと思っています。どんなに身体能力が高くても、リズム感が無いと、ある程度までしか行けないんじゃないかな、と思うのです。あの、織田信長の子孫だという織田選手は、身体能力は高いのだと思うのですが、リズム感が無いな・・・と思っていました（ファンの方、済みません！）。<br><br>リズム感の無い人が踊ると、演技全体がしらけてしまします。ドラマの中で素人演技をする人がいたときに感じるような。そういう意味では、高橋選手というのは素晴らしいな、と思います。彼のステップやダンスは、見ている人を惹き付けます。彼は、ジャンプで多少の失敗をしても、その後のステップ・ダンスで再び魅了できる数少ないプレーヤーのひとりではないでしょうか。パトリック・チャンも、曲が始まり演技を始めた瞬間に、「ああ、この人はうまいな」と思わされます。彼らは、スケートリンクを離れても、つまり私生活においても、器用なんじゃないかな。これは僕の持論なのですが、リズム感のある人は、場の空気が読める、細かいところまでよく気がつく、そういう人なんだと思うのです。女性の扱いもうまかったりして^^;　<br><br>羽生君は、とんでもないリズム感を持っていると思います。彼は、「音に乗る」ことができる。それは、恐らく努力で手に入れたものではありません。天性のものの上に、死ぬほどの努力が積み重なって今の演技を生んだのだと思います。<br><br>曲が始まる。ゲーリー・ムーアの「パリの散歩道」。高校の頃、友人に教えてもらい、お気に入りのメタルテープに入れて聴きまくった曲だ。演技が始まる。すーっと滑り出すと、そこにゲーリーの泣きのギターが重なる。首・腰・手・脚、そうしたパーツ・パーツが有機的に連鎖し、曲の隙間を埋めて行く。そして、ジャンプ。見事な４回転。長く、しなやかな彼の手足に見とれる。どこにも違和感が無い。見ている者は、どこにも引っかからず、つまり「興ざめ」することなく、最初から最後まで彼の演技に没頭することができる。後半に向けて、さらにスイッチが入る。曲に乗っていた彼の演技が、いつの間にか曲を導いている。そして、ラスト。高らかに腕を突き上げ演技が終わる。見終わった瞬間、観客は、まるで質の高い舞台や映画を見終わった後のような高揚感と満足感に包まれていることに気づく。<br><br>ひとつの芸術ですね。本当に素晴らしい。かつて、１５歳の頃の浅田真央さんの演技にも、同じようなものを感じたことを思い出します。こうしたものを、タダでテレビで見れてしまうというのは、なんてありがたいことでしょう^^<br><br>一流の人がみなそうであるように、彼もまた、自分の演技に満足していないようです。まだまだ楽しませてくれそうですね。ガンバレ！若者！<br><br>それにしても、彼の体型は、どういうことなんでしょう。日本人じゃありませんよね？あの体型。パトリック・チャンの方が、親近感がある（笑）　浅田真央さんが出てきたときもそうでしたが、もはや「日本人」へのステレオタイプな先入観を捨てなくちゃいけない時代にさしかかっているのかもしれませんね。街を歩いている若者たちも、スタイル良いもんな～。<br><br>では、また★
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<link>https://ameblo.jp/satandk-4869/entry-11771879454.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Feb 2014 08:29:35 +0900</pubDate>
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