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<title>サテンのブログ</title>
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<description>その場で思った事を書きます</description>
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<title>匿名性と民主制</title>
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<![CDATA[ <p>私は匿名性というのが嫌いだ</p><p>なぜ嫌いかと言えばまともな論戦もせずレッテルと罵倒だけで語る人間が余りに多くなっているからだ</p><p>理由は明白で匿名であれば周りの目を気にせずに済むからだろう。そして自身が匿名であり愚かである以上他の匿名も愚かである、そんな論理がまかり通ってしまう</p><p>私は民主主義というのを偏愛している。これは殆ど信念といった類のものだが、民主主義国家を退廃させる一番の方法は主権者が主権者自身を貶めることである。匿名性というのはこの連鎖を産むだけではないかと思う。韓国のネット掲示板は実名制であると聞いたことがあるが民主主義国家としてはそれが一番適切ではないか。</p><p>日本人は政治家が不正をすれば捕まる健全な国家から学ぶべきである。そうしなければ「あいつも犯罪してるじゃん」という屑が平然とのさばる。まだわからないのか?</p>
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<pubDate>Sat, 27 May 2023 11:43:18 +0900</pubDate>
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<title>これからの日本</title>
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<![CDATA[ <div>政治家が犯罪をしても罰せられなければ大衆も犯罪を犯すようになる。しかし人間は犯罪者になることに恐れを抱く</div><div>その恐れを取り除くにはどうするか</div><div>それは簡単な話で政府が犯罪を奨励すれば良い。外国人から収奪することを合法化すれば大衆は意気揚々と犯罪者になれる</div><div>現状の日本人はここまで来ている</div><div>たとえ国連のような組織から政府が批判されても大衆は跳ね除けるだろう</div><div>なぜなら大衆は被害者になることを望むからだ</div><div>たとえ自分たちが外国人を嬲っても強制されただけである、という言い訳を欲しているのである。たとえ政府の無能故に困窮しても国民は政府を指示する</div><div>非難するとすれば</div><div>岸田首相の「国民自らの責任」に対する批判がよく日本人の被害者意識を現している</div><div>日本人は政府が傲岸不遜である分には耐え忍ぶ事ができるが、人民は責任を持つという民主制の常識に耐えられないのである</div><div>これは何も新しい価値観ではなく戦後から続いていたことである</div><div>戦後、それまで国策映画を撮っていた木下恵介は戦争協力者である自分を正当化するために日本人全てが被害者である、と言って戦争責任から逃げ出したのだ。</div><div>先程挙げた通り国家の行いは人民自身が償うべきだが木下恵介はそれをおこたった。同時代の黒澤も時代劇へ逃走する</div><div>最初に人民を糾したのは子供だ</div><div>大島渚は『太陽の墓場』で皇国を懐かしむ中年を粛清した。宮崎駿は『未来少年コナン』で戦争を始めたのは大人だと激しく怒った</div><div>数年前までは彼らの作品が自分の祖父母と話している気持ちにさせてくれたのだが、今は自分の子供と話している心持ちになる</div><div>十年後の子供達はどう感じるだろうか</div>
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<pubDate>Tue, 14 Mar 2023 21:48:29 +0900</pubDate>
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<title>そうゆうことか</title>
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<![CDATA[ <p>最近になってようやく監視社会を政府が推奨するのかわかった。</p><p>責任を有耶無耶にしたいからだ。</p><p>大人というのは自身の失敗に対して何らかの償いをしなければいけない。監視社会はこれを否定するためだけに存在しているのだ。</p><p>誰かに刺されるかもしれないという考えは自身の被害者性しか頭に入らず、自分も加害者に廻るかもしれないという加害性がない。</p><p>被害だけを語る人間は殺人を犯しても『自分は本来こんなことをする性格ではない、もののはずみだった』と言い続けるだろう。動機=加害性の共有をしない社会に安穏としていればこんな無責任な発言が出てきてもおかしくはない。</p><p>政治家たちは国民が加害性を頭から消すことで、贖罪や責任というものを一掃するつもりなのだ。そうすればたとえ政治家が汚職をどれだけしようとも主権者たちは黙認するからだ。</p><p>日本はこれから子供だらけになるだろう。当然だ。責任はとらないが自分の言うことは聞いてほしいというのは子供の論理だ。だからガキの言う事なんぞ本来鼻で笑ってやれば良いものをこれからの大人達はそうしたもっとも子供らしい子達に対して同族嫌悪を顕にするだろう。</p><p>これからの日本は被害妄想と我儘が取り柄の二流民主主義国家として歴史に名を刻むに違いない。</p>
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<pubDate>Thu, 17 Nov 2022 09:36:41 +0900</pubDate>
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<title>照明弾が好き</title>
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<![CDATA[ <p>私はミリタリーは単調なものだと思っていた。のろまな兵器が整列して進むさまは愚鈍で退屈でしかない。</p><p>だから私はミリタリーには興味がなかった。</p><p>そんな私に変わった観方を提供した作品がある。アンドレイ・タルコフスキー監督の『僕の村は戦場だった』だ。</p><p>人一倍愛国心の高い少年が周囲の軍人に引き留められながらも敵地に潜入する話だ。大人たちが子供はそんなことをしなくていい、と止めながらも結局はとめられない歯がゆさが印象的であったけども何よりも鮮烈なシーンがあった。</p><p>それは少年が敵地に向かうために浅瀬をとおっていた時のことだ。</p><p>少年を止められなかった大人たちがついていく中、浅瀬に照明弾が降っていたのだ。</p><p>綺麗だった。まるで流星群のように降り注いで水面に反射していた。私はこの光景を観ている間しばし戦争を忘れていた。まるでおとぎ話のように美しく感じられたものだ。</p><p>事態の深刻さと相反するように風景を美しく撮るのがタルコフスキーの真骨頂といえるかもしれない。思えば彼の卒業制作品『ローラーとバイオリン』もそうだった。</p><p>初めてできた友達であるロード・ローラーの運転手との約束を反故にしてしまった少年は夢の中で青年とまた会えることを夢想する。雨上がりのアスファルトに反射している光が少年の孤独をより一層協調していた。</p><p>タルコフスキーという人はたしかに詩人めいた感性を持った人だ。絶望や孤独を鮮烈に語れるのは詩人にのみ許された特権である。彼は優れた皮肉屋でもあるが同時に優れた感性をも持ち得ていたのだろう。</p><p>私は『僕の村は戦場だった』の他にファンタジックに描いた作品を知らない。最近でいえば『少女終末旅行』も楽しめたけど毛色が違うような気がする</p><p>私は『僕の村は戦場だった』の相反性の虜になってしまったのだ。こんな鮮烈なミリタリー作品には中々出会えない</p><p>戦争、孤独といった陰鬱なテーマとは別の異相を映し出すのが優れた監督の力だと再認識した次第である</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>追記</p><p>よく考えたら戦メリもミリタリー映画に入るかな？これも好きな映画だ</p>
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<pubDate>Sat, 04 Jun 2022 15:50:53 +0900</pubDate>
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<title>自覚と思考停止</title>
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<![CDATA[ <p>「誰かを創作で傷つけたくない」</p><p>こういった芸術大学の学生が増えているのだそうだ</p><p>私の周りは変わり者だったのでそんな話は聞かなかったが、そういった人が多いのは芸術大学のキャンパスに通っていた身として肌で感じた。普通に炎上とかを大きな声で話題にしているものはいたし</p><p>冒頭であげた発言は本人からすれば善意かもしれないけれども結局は数十年前から続いている自主規制という名の思考停止状態と何も変わっていない。</p><p>創作は人を傷つける。だから作家たちは主語を自分とし、行為に対して自覚的になれるのだ。それを「他人を傷つける」の一言ですますのはただの条件反射だ。自身の頭で考えたことではない。それはやがてバットが凶器になるからといって野球を規制するような滑稽な事態になってしまう</p><p>テレビの放送禁止歌たちは規制といってもあくまでガイドライン以上のものではなかったそうだ。しかも1988年に効力が切れてもテレビの現場では自主規制が続いたらしい。この放送禁止歌を扱ったテレビドキュメンタリー『放送禁止歌』の舞台裏を扱った本をよんだがもう20年以上前の話でありながらも先ほど挙げた作家たちの自主規制によく似通っている。</p><p>インターネットというのは私たちが如何に自分の行為に対して自覚的になれるかというのを試してきているのかもしれない。</p><p>荷が重い。実際に「じゃあ君はそんな覚悟があるのか？」と言われたら私は口ごもるだろう。おそらく私以外の人も自信をもって「ある」といえる人はいないはずだ。</p><p>放送禁止歌の規制も本来はガイドライン以上のものでしかなかったのがテレビ局がそれに追随するようになってしまった。私には現代の作家がこれと同じような事態にならないかが心配である</p>
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<link>https://ameblo.jp/satoken24/entry-12746373072.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Jun 2022 11:03:47 +0900</pubDate>
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<title>この世でもっとも醜いもの</title>
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<![CDATA[ <p>僕は哀しい</p><p>一人でいるのが哀しい</p><p>哀しいから泣いた</p><p>その涙が君たちを思っての涙だったらどんなに良かったろう</p><p>この涙は僕を思っての涙なのだ</p><p>自分を憐れんで流す涙ほど醜悪なものはない</p><p>僕の目から流れたのは膿でしかなかった</p><p>僕は醜い</p><p>他人を思いやる事ができない</p><p>僕は一生を一人で過ごさなければいけない</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 22 May 2022 20:45:26 +0900</pubDate>
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<title>作家を把握する</title>
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<![CDATA[ <p>大言壮語なタイトルだがどうにも知識不足に思われる。このまま放置するのもなんだし、ということでアップロードしてみる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>作品はそれ個別では情報に過ぎない。ほかの作品、書物、教養との共通項がなければ把握したと言い切れない。</p><p>今回はこれまでなんとなくネットで調べたのにヒットしなかった、(個人的に)共通項のある作家たちを記してみようと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>今敏、吾妻ひでお</p><p>しょっぱなからマニアックな作家で申し訳ない。おそらく片方は知っていてももう片方はしらないという方も多いのではないだろうか？私の周りでも今敏氏は何人か知っていたが吾妻ひでお氏の話をしている者は一人だけだった。私事で恐縮だが私の両氏とのファーストコンタクトは『千年女優』、『ななこsos』である。今敏氏は『パプリカ』のポスターをガンダムエースで見たのが厳密には最初だ。ガンダムエースは連載作品の合間に白黒で印刷された広告が載っているのだが、『パプリカ』の女性の裸体にガラクタ達の入れ墨が彫られているかのようなポスターに思わず「気持ち悪い」と思ったものである。</p><p>吾妻ひでお氏の『ななこsos』でおっぱいの集合体の上に女性の頭を乗っけたコマを観た時に似たような気持ち悪さを感じたものである。</p><p>無論、このようなグロテスクなイラストだけで語ろうというわけではない。個人的には両氏ともシリアスにおいてギャグマンガの構成を持ち込んでいるのではないだろうか、と個人的に思われるからである。</p><p>今敏氏の作品を観た方はお分かりであろうけども氏は作品のトーンとして積み上げてからひっくり返すことを信条としている。『千年女優』、『パプリカ』などがそうであろう。(『千年女優』を観た方に断っておくがあくまで「トーン」であってキャラクターの主張を曲げたわけではない。念のため)『パーフェクトブルー』なんかも良質なｂ級映画として好きである。</p><p>これに対して吾妻ひでお氏はインタビューにおいても先の今敏と同じように積み重ねてからひっくり返すことがギャグ漫画の常道であるとも語っている。そして吾妻ひでお氏はこれをシリアスな漫画にも持ち込んでいるのだ。</p><p>吾妻ひでお氏の非ギャグ漫画は劇画アリス、ｓｆ作品、童話のパロディなど多岐にわたる。個人的な極めつけのギャグ漫画は実はこの中にあるのではないかと思うのだ。</p><p>それは『狂乱星雲記』シリーズの『霧の街』である。</p><p>私が初めてこの作品をよんだのは２０１９年に氏がなくなった後である。触れるのが遅いような気もするが『ななこsos』が軽くトラウマだったのだ。許していただきたい。</p><p>この霧の街は常に建物、住民の姿が安定しておらず主人公は不定形の街に喘ぎながらもなんとか気楽にくらしている。そんな中、主人公は昨日と同じ形をした女の子と出会う。そして女の子に惹かれて「リアリズムクラブ」に入会する。リアリズム万歳。だが主人公は「リアル」では女の子には振り向いてもらえない。結局、主人公はリアリズムを破棄し「ロマン」を求めるようになる...。</p><p>皮肉である。主人公にとっては悲劇であるけども傍から見た私たちにとってはリアリズムとロマンの昏倒に思わず笑わずにはいられないのである。今敏氏は自身のブログにてキャラクターにとっての悲劇が喜劇を生む、ということを熱弁しているがそれはこの『霧の街』にも当てはまるだろう。</p><p>今敏の作品は映画が有名なだけあってシリアスに属するのかもしれない。けれども今敏氏と吾妻ひでお氏にはこうした共通項があるように思われてならないのである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>三島由紀夫、デヴィッドリンチ、三池崇史、北野武</p><p>こっちも中々ヒットしないので対比してみる。実際、これらの取り合わせはあまり語られない印象がある。三島は好きでも残りの三人はスルー、否定的な反応が幾度だし北野武は好きでも三池崇史は黙殺するものが多数であった。私の周りにも三島由紀夫の信奉者がいたが彼は三島の作品を読まず演説だけを聴いている身で三島は北野武を否定するのではないのか、という体たらくであった。</p><p>一般的に三島由紀夫ほど自身にかけられた誤解を利用した作家はいないだろう。これは三島由紀夫自身も気づいているだろうが三島由紀夫は美術的な審美眼と本の流通の違いが理解できなかった。大島渚との対談では大真面目に「なぜ美男美女を出さないのか」というぐらいである。三島はまずこの美意識が昏倒している者の共感を利用した。</p><p>次に何一つ主張を持てなかったことである。基地でとばした檄になんらの主張の意味はない。まず日本に形として残る遺物などはないのだ。もとから他国の混ぜ物で成立していたのを唐突に日本固有の文化と呼ぶのはただの思考停止である。</p><p>気づかないはずはないのだ。人間は案外自分がどんなあくどい事をしているかは自覚的であるから。三島の自殺はなんら政治的な主張を持たず、他者を否定したにすぎないのだ。なぜなら本来、『自殺の動機』というものは他者がつくるものだからである。所謂、「さぞかし無念であったろう」というのは結局他者が作り上げた虚構に過ぎない。</p><p>三島はその死因を自身の力で作り上げたのだ。そこに他者の入り込む余地などない。他者のない主張など主張といえるだろうか？</p><p>第一、巷では作家の応対姿勢を例に挙げて作家をやさしいと息巻いている輩がいるけれどもそれは結局なんら主張を持たない下種にすぎないのだ。</p><p>ここまで言えばわかるだろうが三島由紀夫は悪辣を語った作家なのだ。そしてリンチ、三池崇史、北野武らもその悪辣を継いでいる人物なのだ。</p><p>まず画をつなぐセンスである。観た方はお分かりだろうけども三人とも実写映画としてはあまりにもカット割りのテンポが速い。北野武氏はリンチの映画を「コミックブックのセンス」と評していたが私としてはこれは三人にも当てはまるものと思っている。三池崇史氏は唐突なカットが多く「結局、冒頭に出てきた大杉連はなんだったんだ？」、「ラストのかめはめ波はなんだったんだ？」なんてざらである。思い返してみると意味不明な映画が多いなぁ。『オーディション』は恐かった。</p><p>リンチも『イレイザーヘッド』でグロテスクな赤ん坊が出てきたが性欲に任せて作った赤ん坊をそう描写するのは三島由紀夫も『禁色』でやっているのである。</p><p>それに三島由紀夫も案外唐突な描写を入れる人で妹との近親相姦要素のある『家族合わせ』なんかはラストに唐突に子供たちが輪になって童謡を歌っているラストが出てきて終わる。読みながらキューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』のラストを思い出したりしたものである。あ、キューブリックもこの中に入ったりするかしら。</p><p>ともかく私として残念でならないのはこの三者と三島由紀夫を分けて語られるのはどうにも残念でならないのである。作家は基本的に信奉しない方がよいのだ。できれば共通項を見いだし自身の好きな作家を把握するに限ると思うのだ。それでも聞かない人には忠告しておくが後々にその作品を放棄しても何も文句を言わないでほしいのだ。だってあなたが勝手に作品を一過性の情報として処理したんだから。作品に何の罪があろうか。少なくともそれぐらいはわきまえてほしいものである。</p>
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<pubDate>Sun, 08 May 2022 01:56:06 +0900</pubDate>
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<title>愛の差異</title>
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<![CDATA[ <p>『愛とは協力することなんだ』</p><p>イタリアの映画監督ロベルト・ロッセリーニの言葉である。その通りだと思う。そして宗教的でもある。ところで映画では宗教的な愛は描かれただろうか?</p><p>&nbsp;</p><p>幾つか探してみよう。押井守。彼は違う。聖書がモチーフとして語られても宗教的な意味は一切ない。それだけで済むなら話はいらないという事になる。フェデリコ・フェリーニの『81/2』。筋は先程のロッセリーニの発言と呼応する。だがテーマとしてはあくまで『楽しかった』。それだけの映画だ。よってこれも違う。</p><p>では何が当てはまるか?</p><p>2つあるがこの2つは態度が違うのでそこに注目して考えてみる。</p><p>まずはアンドレイ・タルコフスキー監督の『ストーカー』。願いが叶うという遺跡へ「ストーカー」と呼ばれる道案内人が連れて行く一種のロードムービーだ。この映画は実に皮肉で満ち溢れている。願う事の虚しさ、そして困窮した現状を試練として捉えるストーカーの妻。何より極めつけは自分は神へ導いているというのに誰一人として願わぬ周りを軽蔑しているストーカーである。彼は神の使いを自称しているが結局彼は自身の宗教心に対する見返りを要求しているのだ。神は交渉相手ではない。すくなくとも西洋的な宗教ではその筈である。</p><p>しかし日本に置いては自然と神、人間は互いに対等な存在であったというのを民俗学の本で読んだ覚えがある。では日本人にはロッセリーニの言う『愛』は存在しないのだろうか?</p><p>ここで思い出すのが大島渚の『少年』である。この映画は実在した当たり屋一家（主人公、弟、母、父）がモデルで、これも一種のロードムービーの様式を持つ。</p><p>この家族は主人公が当たり屋をして家計を支えている。その一方で弟に宇宙人の話をしてあやしてあげたりもする。健気な少年だと余人には映るであろう。</p><p>だが少年はしばらく後になって、父と母が喧嘩をして一家が崩壊しそうになるのを目の当たりにし、こうなったのは自分が悪いのだとして自殺をしようとする。その兄を追いかける弟。兄は振り払おうとするがそれでも弟は兄を頼ってくる。しかし兄は何もしてやれない。この時、主人公は初めて気付くのだ。自分が一家を支えた理由に。この後、少年は雪だるまを宇宙人に見立ててある言葉を叫ぶ。これは実に痛切だ。だが同時に美しい。詳しくはぜひ本編を観てほしい。</p><p>先の『ストーカー』はある種落語に似ていて他者として描写する事によって客観的に(人物の差異が印象的だ。)宗教心に対する考察を与えている。後者はどちらかと言うと告白に近い。造り手自身が、なぜ他者へ協力をするのか。その理由を赤裸々に語っているように私には思われる。こうした差異を持ちながらお互い、ロードムービーの様式を持つのは興味深い。</p><p>かつて大島渚は『少年』に対して「私にとっての聖家族であった」と語っていたが撮った監督自身、恥ずかしながらも恍惚とした気持ちだったと思う。</p><p>映画は差異が必要であるというのはカット割りがあるのだから自明の理であるけどもこの両作品の違いは中々に興味深く思われたのでここに記した。</p>
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<link>https://ameblo.jp/satoken24/entry-12740208495.html</link>
<pubDate>Fri, 06 May 2022 17:46:47 +0900</pubDate>
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<title>正論を語るくだらない影法師どもについて</title>
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<![CDATA[ ワタシはネットで所謂DQNにたいする愚痴を語っている輩が大嫌いだ。コイツラに共通するものは妬みだけだからである。<br>まず第一にDQNの知識を妬んでいる。いきなり長々と持ち前の知識をひけらかすDQNにも困ったものだがそれに対して苛立ちを持つのは知識不足の自身を恨んでいるに過ぎない。知らぬ知見に対しては沈黙を持って対するのが礼儀であることを忘れて他人に意義を申し立てる資格などない。最悪の場合、DQN以下の低能である可能性もあるのだ。<br>第2に才気が欠けているという可能性である。仮に相手の知識を知らずとも自らの知見との共通項を見出す可能性を持たねばならぬのである。これもまた果てしなく忍耐を要することであろうが捨ててはならぬことである。我々は表象を見るのではなく実態を把握せねばならないからだ。<br>そして、これが一番、頭に来ることなのだが彼らは議論に勝つことしか念頭にない連中であることだ。いままで上げたもの全てが当てはまる連中はどうにかして優位にたとうとする。自身の分をわきまえずに。つまるところ行き着くところは言論弾圧である。これは実に浅ましい、低能なボンクラの行いである。ワタシは現代人がSNSで愚痴を語るのを見ると実に不愉快になる。こういった連中が小市民を語るから社会が腐るのだ。資格の無いものは発言しないでもらいたい。まったく不愉快だ。
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<link>https://ameblo.jp/satoken24/entry-12736913580.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Apr 2022 20:40:09 +0900</pubDate>
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<title>逆行のフェティシズム</title>
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<![CDATA[ <p>宮台真司さんの『テネット』評を読んだ。宮台さんの著作は社会の勉強になるので読ませてもらっている。</p><p>今回はノーランと絡めて社会学の本を紹介してくださるだろう、とよんで拝読した。</p><p>今回は『表象は感染する』、『虚構の近代』という本が紹介されていた。読んでみようと思う。</p><p>そしてこの記事で何より気に入ったのがフェティシズムについての話だ。</p><p>宮台さんは逆行シーンは何か人を魅了させるものがあるのではないか、と述べている。</p><p>これも読んで私が思い出すのがデヴィッド・ボウイの『レッツダンス』のpvだ。</p><p>これは幼稚園生前後に観た。このpvに壊れたラジオが逆行するショットがある。幼心に妙に惹かれたものだ。</p><p>アトランティスが滅んだのは進んで当時の文明人が滅ぼしたのではないか、という仮説も中々に興味深い。</p><p>&nbsp;</p><p>読ませる文章にはなっていないが『記録』として記す。</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://realsound.jp/movie/2020/11/post-654252.html" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">宮台真司の『TENET テネット』評（前編）:『メメント』と同じく「存在論的転回」の系譜上にある</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">リアルサウンド映画部にて連載中の社会学者・宮台真司による映画批評。今回は10月17日放送のミュージシャン・ダースレイダーとのライブ配信企画「100分de宮台」特別編の一部を対談形式にて掲載する。“時間の逆行”が大きなテーマとなっている現在公開中の映画『TENET テネット』から「記憶と記録の構造」を読…</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">realsound.jp</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img alt="" class="ogpCard_image" data-ogp-card-image="" height="120" loading="lazy" src="https://realsound.jp/wp-content/uploads/2020/09/20200925_tenet_imaxr_4.jpg" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120"></span></a></article></div><p>&nbsp;</p><div class="ogpCard_root"><article class="ogpCard_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%"><a class="ogpCard_link" data-ogp-card-log="" href="https://realsound.jp/movie/2020/11/65381.html" rel="noopener noreferrer" style="display:flex;justify-content:space-between;overflow:hidden;box-sizing:border-box;width:620px;max-width:100%;height:120px;border:1px solid #e2e2e2;border-radius:4px;background-color:#fff;text-decoration:none" target="_blank"><span class="ogpCard_content" style="display:flex;flex-direction:column;overflow:hidden;width:100%;padding:16px"><span class="ogpCard_title" style="-webkit-box-orient:vertical;display:-webkit-box;-webkit-line-clamp:2;max-height:48px;line-height:1.4;font-size:16px;color:#333;text-align:left;font-weight:bold;overflow:hidden">宮台真司の『TENET テネット』評（後編）:ノーランは不可解で根拠のない倫理に納得して描いている</span><span class="ogpCard_description" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;line-height:1.6;margin-top:4px;color:#757575;text-align:left;font-size:12px">リアルサウンド映画部にて連載中の社会学者・宮台真司による映画批評。今回は10月17日放送のミュージシャン・ダースレイダーとのライブ配信企画「100分de宮台」特別編の一部を対談形式にて掲載する。“時間の逆行”が大きなテーマとなっている現在公開中の映画『TENET テネット』（以下、『TENET』）から…</span><span class="ogpCard_url" style="display:flex;align-items:center;margin-top:auto"><span class="ogpCard_iconWrap" style="position:relative;width:20px;height:20px;flex-shrink:0"><img alt="リンク" class="ogpCard_icon" height="20" loading="lazy" src="https://c.stat100.ameba.jp/ameblo/symbols/v3.20.0/svg/gray/editor_link.svg" style="position:absolute;top:0;bottom:0;right:0;left:0;height:100%;max-height:100%" width="20"></span><span class="ogpCard_urlText" style="overflow:hidden;text-overflow:ellipsis;white-space:nowrap;color:#757575;font-size:12px;text-align:left">realsound.jp</span></span></span><span class="ogpCard_imageWrap" style="position:relative;width:120px;height:120px;flex-shrink:0"><img alt="" class="ogpCard_image" data-ogp-card-image="" height="120" loading="lazy" src="https://realsound.jp/wp-content/uploads/2020/11/1116_tenet_main.jpeg" style="position:absolute;top:50%;left:50%;object-fit:cover;min-height:100%;min-width:100%;transform:translate(-50%,-50%)" width="120"></span></a></article></div><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 08 Apr 2022 16:58:50 +0900</pubDate>
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