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<title>結構思ってること等</title>
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<description>受け取る側の気持ちに沿ってないつまらない物かもしれません。</description>
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<title>表現とは。。。</title>
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<![CDATA[ <p>初めまして。早紅実（はぐみ）と申します。色々思うところがあり、重い腰を上げてブログを始めることといたしました。１つは、自分がこの世界で存在する矛盾や混沌に執着し、自分の行動や発言について言い訳がましい性分が関係していると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>まずは表現について。。。です。</p><p>&nbsp;</p><p>表現方法って美術とか音楽とか色々ありますけど、ブログは文章というカテゴリーに分類されるかと思います。美術とか音楽って、自分も表現方法として使ってはきたのですが、便利な面と不便な面がありますよね。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、表現する側の問題としては、単に技術が必要じゃないですか。伝えたいとか思いついたことがあったとして、それを正確に思い通り形にするのって、素人には難しいですよね。例えば、頭の中のイメージ通り絵を現実界に生み出すのって、まず上手くなきゃ無理。。。表現者であるならば、技術は最低限必要ですよね。まあ、「頭の中のイメージ」が、そんなに難しくなく表現できそうな代物なら話は別になるのでしょうが。</p><p>&nbsp;</p><p>そして受け取る側の問題としては、表現者が伝えたいことが、作品というフィルターを介して、正確に受け取ってもらえるのかという問題です。表現者が受け取る側に意図通りに伝わって欲しいと思えば思うほど、作品について言い訳したくなると思うんですよね。</p><p>ほら、展覧会とかで作家本人の絵の説明とかあるじゃないですか。アーティストの新曲のインタビューとかでもいいです。言い訳すればするほど本来伝えたいことからずれてしまうこともあるでしょうが。</p><p>&nbsp;</p><p>人間ってもともとの気質や生きていた環境で作品に触れた時の感じ方は一人一人違うと思うんです。形而下の物を介して正確に通じ合うのって難しい。。。。。言外のコミュニケーションの方がよっぽど信頼できると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>このように表現方法としての芸術は問題だらけ。。。と述べてしまいましたが、一方で、そこが魅力とも捉えられます。作品に触れてどう感じるか、受け取る側の感性に任せるのも素敵なことだと思うんです。作品の可能性に自由を持たせることができますよね。</p><p>&nbsp;</p><p>まとめると、表現者は生命（気質と環境）そのものから作品を生み出して、受け取る側はその作品を生命（気質と環境）そのもので感じる。。。。受け取る側がそれに成功した時、生命はなんらかの変化をしている。難しくなってしましましたが、自分がずっと考えてるのはこんなところです。</p><p>&nbsp;</p><p>なんで自分がこんなに「表現」というものにこだわるかなのですが、これって結構人間の生きる意味の根幹を成していると思うんです。まあ、これが自分の職業選択にも影響してきて、さらにブログを開始するに至ったのですが、それについては今後つらつら言い訳していけたらと思います。お時間ある際にご笑覧いただけますと幸いです。よろしくお願い申し上げます。</p>
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<pubDate>Sun, 04 Oct 2020 22:08:57 +0900</pubDate>
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