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<title>吉本隆明試論</title>
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<description>若い頃から愛読してきた吉本さんの思想について、わたしなりに理解していることや、なぜ自分が彼の思想に惹かれてきたのかを自問して、断片的、間歇的にでも控えておこうと考えて始めます。</description>
<language>ja</language>
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<title>「手仕事」の大切さについて</title>
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<![CDATA[ <p>「手仕事」の大切さについて</p><p>&nbsp;</p><p>　 いまから半世紀以上も前のころでしょうか、吉本さんの講演会に行って、抽象的な言葉に終始する難解な彼の国家論（のちに共同幻想論となる）などを手ぶらで聞いてはさっぱりわからないまま帰ってくるような中で、比喩だけれど、非常に手触りのきく感覚的な言葉で彼が語る言葉で印象にのこるものがありました。</p><p>&nbsp;</p><p>　 そのひとつは、「25時間目でやるしかないんですよ」という言葉で、これはよく分かるし、詩人らしい表現だなと思って受け止めました。1日は24時間しかないけれど、その24時間は全部奪われている。つまり自分がこうしたい、と思うように自由には生きられない時間だ。</p><p>&nbsp;&nbsp;仕事の場では自分がほんとうにやりたいと思うようなことではなく、生計を立てるための労働を強いられている。そして最小限の人との付き合いに要する時間もあり、家族と過ごす時間もあり、生命や生活を維持するために最小限必要とされる睡眠その他の必需時間というのもある。</p><p>&nbsp; そうするとわたしがわたし個人として、全く誰にも気兼ねせずに自由になにかを感じ、思い、想像力を羽搏かせ、考え、限りなく学び、なにか創り出していく、そんな充実した[「わたしだけの時間」はどこにもみつけることができない・・・そういう「実感」は、多かれ少なかれ誰にでもあるのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　そのとき、この世界で、それにもかかわらず何かを生み出すためには、「25時間目」を使うしかないではないか、と。その比喩は実感的に腑に落ちる形でよくわかるという気がしたものです。若いころには私もこの言葉を励みに、「25時間目」を使って原稿用紙に書きつけるような毎日を過ごしていた時期があります。</p><p>&nbsp;</p><p>　もうひとつ、そのころよく聞いたのは「文学というのは結局&lt;手仕事&gt;なんですよ」というふうな言葉でした。それと共に「プロの作家とアマチュアとを分けるのは、本が売れているかどうかじゃない。毎日原稿用紙に向かって書いているかどうか、それがプロとアマの分かれ目なんです。」というようなことも併せて言っていたかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　これは、ピアニストが日に８時間前後もピアノを弾くのを日課にしていて、一日でも休むと指が思うように動かないということも聴いていたので、作家でもそんなふうに来る日も来る日も必ず毎日原稿用紙に向かって書くことがプロの条件なんだな、その種のたゆみない持続性というのが何か創造的なものを産みだす上で決定的な条件なんだな、という意味ではよく理解できました。</p><p>&nbsp;</p><p>　&lt;手仕事&gt;というのは、そういう意味合いの比喩だと受け止めていました。そして、思春期にすぐれた文学に接して自分でも何か習作めいたものを書き始める多くの若者たちと同じように、私にも、その忠告に忠実に従おうと、どんなに酔っぱらって帰っても、とにもかくにも一日も欠かさずに書こう、と思い決めて原稿用紙のマス目を埋めていた時期がありました。</p><p>&nbsp;</p><p>　私の場合は意志薄弱で持続力を欠いていたこともあって、そんな時期は、せいぜいあしかけ５年前後が精いっぱいで、ただ原稿用紙をやたら中途半端な書き物で埋めたというだけに終わりましたが、それはいまさら反省しても後悔しても仕方のないことで、ここで取り上げたいのは、自分のことではなくて、この&lt;手仕事&gt;についての吉本さんの言葉について、当時は思い及ばなかった、もう少し深い意味合いについてです。</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんの&lt;手仕事&gt;という言葉を上に述べたような比喩として受け止めるにあたって、もうすこし実感に即した理解の仕方をしていたことにも触れておく必要があるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　というのは、例えば、私たちはしばしば、「表現」とか「コミュニケーション」ということに関して、こんな図を描いて説明されてきたのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230814/17/saysei-ryumeiron/bb/cc/j/o0567017215325161812.jpg"><img alt="" height="127" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230814/17/saysei-ryumeiron/bb/cc/j/o0567017215325161812.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;ところが、すこし詩や小説の習作めいたものを書く習慣がついた人ならだれでもすぐに分かるでしょうが、自分が書くということは、決してこの図が示すような、あらかじめ頭の中に「ある」メッセージを文字に書きつける、というような行為ではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>　頭の中で自分の思いなり考えなりを言葉にして固めてしまってから、それを文字にすることももちろんありますが、そうして書き続けていこうとしても、実際には難しいでしょう。また、ある場合にはそんなふうに自分の頭の中に「ある」ものを文字に置きなおしているだけだと思えるかもしれませんが、もしもそんなふうにあらかじめ頭の中に既に「ある」ものだけを書くことを自分に課したら、たちまち行き詰ってしまうでしょう。一見そのようにして書いたように思える文章も、決して生き生きとした文章にはならないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　私たちが自分のこうした「書く」経験を自省してみればすぐに分かることは、いったん「書く」という行為に入ってしまえば、「思う」ことも「考える」ことも、「書く」ことと同時一体的ものになってしまうし、そうでなければ書き続けられないということです。</p><p>&nbsp;</p><p>　確かに頭の中には色々な思いや考えが錯綜し、様々なイメージが浮かんで消えています。しかし一旦それを表現しようとし、ペンをとるなりキーボードを打って文字を書き始めれば、言葉というのは、いくら頭の中に多様かつ曖昧な概念や感情の要素があっても、たとえば話言葉なら時間軸に沿って線形的に進めていくしかないものだし、書き言葉も書き付けることで記録されて後戻りはできるものの、基本的には時間的な順序に従ってなされる逐次的な行為でしか実現しません。</p><p>&nbsp;</p><p>　 どんな感情であれ考えであれ、そのような線形的、逐次的性質をもち、一定の規則をもった言葉の列として実現されてはじめて、聴き手なり読み手なりに理解される、或る感情や考えとして確定されるわけで、それまでは「曖昧な多様」なるものとしか言いようがない、本人にとってだけ理解可能な内面の未分化な感情や考えにすぎないわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>　　従って、発語し、あるいは書くことによって、言葉は内面的な（心理としての）表出から、不可逆の表現としての言語に変わり、他者にとって理解可能な、確定的な感情や考えの表現になります。</p><p>同時にまた、それは表現者にとって、通常「自己表現」と言った言い方をする場合の「自己」を確定することでもあります。「曖昧な多様」としての心理的なものを不可逆な表現として言語に外在化することで、対他的に理解されることが可能になると同時に、発話或いは書く者自身が、そこではじめて自分がなにを思い、なにを考えていたかを知ることになります。</p><p>&nbsp;</p><p>　それはいわば発語あるいは書字という行為に伴う反作用のようなものでしょう。こうしてたとえば書くことによって、自分の思い、自分の考えに、そのつど向き合うことができるので、つぎに発する言葉、つぎに書く言葉は、その向き合ったことの結果を反映せざるを得ないしょう。つぎの言葉は、そうしたひとつ前に発しあるいは書いた言葉で確定された自身の思いや、考えのありようによって選択されていくでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　私たちが頭の中でいくら考えても堂々巡りしていたのに、とりあえず書き始めてみようとして、一旦書き始めると、次々にあたかも自動的に言葉が繰り出されてくるかのように連想が働き、想像力が活性化されて、書かないでは思いつかなかったようなことが次々に思いつけるような状態になって書きおおせることができた、というふうな体験を多かれ少なかれ誰もが持っているではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　このような繰り返される体験から、吉本さんの＜手仕事＞に関する言葉、とにかく手を使って書くことが、感情や思想をただ表現するだけでなく、それを深め、よりよく表現する力を養う上で不可欠だという言い方には納得させられるものがありました。</p><p>こういう実感的な納得は、吉本さんの言い方が、単なる比喩というより、もう少し&lt;手仕事&gt;という行為の具体性や、「手」という身体の部分にアクセントを置いた（そう言ってよければ「こだわった」）言い方であるように思えたので、そこのところを納得する上では、悪くない了解の仕方だったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　こうして、若いころの私の、&lt;手仕事&gt;という言葉に対する、喩としての理解や、ささやかでも幾分か書いてきた体験にともなう実感からの納得の仕方は、決して間違いではなかったと思いますが、彼の言葉の背後には、さらに深い思想的な意味があったことにまでは、当時はまったく気づきませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>　ずいぶん後になって、『心的現象論本論』、さらにその意図あるいは要点を彼自身が易しく語った『心とは何かー心的現象論入門』（弓立社2001年）を読んだときに、吉本さんが&lt;手仕事&gt;という言葉を使ったのが、単なる比喩ではなく、また単に実感にもとづいて直観的に語った言葉だったのでもなく、&lt;手仕事&gt;という言葉の文字通りの意味の背後に彼なりの根拠があったこと、「身体論」の思想的なコンテクストの中で「手」とは何かを追究した結果であったことを初めて知りました。</p><p>&nbsp;</p><p>　この点はもう少し厳密に、立ち入って理解するためには、吉本さんの『心的現象論』を少し読み込んでみなくてはなりません。&lt;手仕事&gt;が大切だ、という言葉の背後には、吉本さんがそこで展開した「身体論」があったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここからは吉本さんの言葉に即して語ろうとすると、彼の著書の引用ばかりをつないでいくことになりそうです。そこには重複もあるし、語られる文脈が少しずつ違って、例えば彼は身体論を語る上でも精神病理学的な症例の分析をひとつの有力な手段としていて、その観点から身体像を明らかにしようというモチーフが強く働いているところがあって、ごく一般的な言語表現の場面に引き寄せて考えたい、ここでのモチーフにとって、そのままある記述を切り取ってはめ込んでも必ずしもうまくいかないところもあるので、少々乱暴ではあるけれど、私が読みとった限りでの吉本さんの身体論的な「手」の位置づけと、そこから言われている「手仕事」の大切さについての考え方を、要約的にひとつづきに書いてみようと思います。</p><p>もちろん私の理解が浅薄だったり、間違って理解しているところがあるかもしれないので、あくまでも私が理解できた範囲での要約ということになります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp;私たちが私たち自身の身体について語るとき、もちろんひとつには見て触れることも出来、身体の内部感覚として感じ取ることもできる、この生身の身体のことを語ろうとするわけだし、それは多かれ少なかれ現代に生きる私達日本人あるいは世界中の人間まで広げても、そこに大きな違いはありません。そして、時間的に過去に生きた人たちにまで遡ってみても、同様に、大した違いはありません。まあ現生人類の発生とそれ以前の境目くらいまで行けば、だいぶ違ってくるでしょうが、いわば科学的な認識で客観的な対象物として見られた身体というのは、現生人類の発生から現代まで、また自分の身体から世界中の人たちの身体まで、さして変わりはないとみて差し支えないわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>　しかし、私たちが、これが自分の身体だと理解している身体像は人にもより、また時代により、社会により、大きく異なります。</p><p>　私たちがなにげなく自分の身体だと考えているものは、現実的な（物質的対象としての）身体ではなく、思惟され、表象された身体にすぎないこと、その思惟もまたまったく即物的、生理的な脳作用に帰せられるものではなく、それから独立した心的な作用であること、けれども主観的には物質的な感性的な作用であることを言い切った最初の人はフォイエルバッハだったとして、吉本さんは高く評価しています。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちが、物質的、感性的なものだと考えている身体は、実際にはそうした表象であり、心的なものですから、いわば文化の側に属して、時代や社会の「もののみかた」によって大きく変わってきています。私たちが古代の人間を象った土偶や彫像を見て異様に感じるのは、今の私たちがもつ身体図式と古代の人々の持つ身体図式との違い、大きな落差を見ているためだということになるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>吉本さんはこの身体像としての「手」について、最初に思想的にその役割を重視した哲学者はヘーゲルだと述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>ヘーゲルは特定の個人の身体は個人に元々備わったものだが、同時に個人は行為の積み重ねとしてしか存在しないから、個人の身体は個人の生み出した自己表現だとも言える、という風に考えていて、とりわけ言葉を発する口や労働をする手はものごとを実現し成就する器官で、そこには行為そのもの、あるいは内面そものがこめられている、とみています。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、いったん外化された言葉や労働のもとに個人はもはや自分を保持したり所有することはできず、そこでは内面がまったく外に出されて他人の手に渡されている、というふうな言い方をしています。そこでは外面と内面の対立が消滅し、外面が内面の表現というだけでなく、内面そのものになっている、というのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　ヘーゲルは手相見たちが、手というものが個人の運命の元の姿を表現していると見ていることに注意をうながし、自己実現の実行器官である手を見れば、そこに魂をもって生きる人間が宿り、もともとみずからの運命を切り開いていく人間の、その元の姿がそこに表現されていると考えられているのだと述べています。</p><p>　</p><p>　人相学においては、精神は肉体的な外形のうちに認識できるものとされ、その外形が精神の本質をあらわすことば―見えざるもののあらわれ―とみなされており、人相学の対象となるのは外に向かって行動すると同時に、内面へと還って来て内面を見つめるような個人のありさまをあらわすものであり、運動としてあらわれる表現や静止した表情であっても、その本質からしてそこにある屈折の感じ取れるような表情だと考えています。</p><p>&nbsp;</p><p>　こうした活動の器官である手が、存在であると同時に行為でもあるというとらえ方、あるいは内面のありかたがそこにそのままあらわれて他に対して存在しているというとらえ方は、器官の内には行為が動作として含まれるだけだというこれまでの器官のとらえ方とは違って、器官のもとにあらわれる行為は、行為の外形ではあっても、あくまでも個人のもとにとどまる外形であり、外界に現れた行為の結果とは別ものであり、器官を内面と外面の中間項としてとらえなくてはならない、とヘーゲルは考えます。</p><p>&nbsp;</p><p>　彼にとって、手のような器官は、「内面と外面とを統一する中間項としての器官」だということになります。それ自体が外面的な存在ではあるのですが、同時にこの外面性は内面へとりこまれていて、個人の全体からみれば偶然的要素を多く含む個々の仕事や境遇等々のうちに分岐していく外界の総体を形作る運命などにみられる多彩で複雑な外面性とは対立する、単純な外面性でもあって、この対立する複雑な外面性に対してであれば、その内面をなすものと考えることができるようなものです。</p><p>&nbsp;</p><p>　従って、個人の個性や生まれつきの特性を、教養にもとづくその変化も含めて、行動や運命の本質をなす内面ととらえれば、その内面の本質が最初に外にあらわれたものが、口、手、声、筆跡、その他さまざまな器官やそこに見られる恒常普遍の性質だということになり、そういうものがまずあって、そのあとに、さらにその外にある世の現実にむかって内面が表現されるのだということになります。</p><p>&nbsp;</p><p>こうした「内面」、精神的な個人が肉体に作用するためには、勿論それ自体が身体に座を持たなければならないわけですが、その座である身体は器官として存在するけれども、外界に向けて行動を起こす器官ではなくて、自己意識が内面にむかって行動を起こす器官であって、その行動は自身に還ってくるわけです。そうした器官の典型が労働の器官としての手だというわけです。ヘーゲルはそのような器官を、一方の極にある精神が他方の極にある外界の対象に向き合うときに、その中間にくる道具ないし部品とみなされるべきものだと述べています。</p><p>そういう器官はまた、一方の極をなす意識的な個人が、自分と対立する肉体的現実との関わりの中で、自己の自立性を守るための器官でもあり、個人は外界に向かうのではなく、行動のうちで自分に還ってくるのだとも述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>これは「書く手」の役割と意味をとても適切に分析した言葉のように思われますし、吉本さんの身体論のベースも、こうしたヘーゲルの身体論にあるように思えます。</p><p>&nbsp;</p><p>吉本さんはヘーゲルに言及したところで、「手」が身体状態と個体の環界にたいする相互関係の仕方を語ることには二つの理由があるとして、そのひとつは、「手」が「類」的な意味でながいあいだの人間の環界に対する働きかけの仕方の歴史によって創り出されているということだとしています。これは誰でもわかることですね。</p><p>&nbsp;</p><p>　いまひとつは、個体の生誕の当初から、「手」の発達や相が内臓器官の働き方の発達や相と相関してきたということだ、としています。　</p><p>&nbsp;</p><p>　これについては、どのような事実を指しているのかはよくわかりません。系統発生的には手や足は古生代の終わりに水棲動物が上陸をはじめ、鰓が肺に、ひれが上肢と下肢に発達したものですから、ヒトの動物性筋肉としては最終段階で発達したものでしょう。</p><p>&nbsp;系統発生を繰り返すと言われる個体発生でも類似のことがみられるはずですが、とりわけ手が植物性器官としての内臓の発達やその働きかたと相関してきた、というのがどういう根拠にもとづいた記述か、いまのところは私にはわからないのです。　</p><p>　発生（進化）学や解剖学の所説に関して吉本さんが強い示唆を受けた三木成夫の主著をみても、「手と足」という一項のある『ヒトのからだ―生物史的考察』も含めて、とくに手の役割や発生に関して内臓との関連を述べたような記述は見当たりません。</p><p>&nbsp;</p><p>　しかし、強いて関連があるとするならば、三木成夫が『海・呼吸・古代形象』の「内臓の感受性が鈍くては世界は感知できない」という論文において、動物性器官由来の体壁に分布する脳―神経の知覚に対して、植物系器官由来の内臓系の内臓感覚の重要性を述べた中で、その内臓感覚を鍛えるために幼児たちがとる行動、「撫でまわし・舐め回し」の感覚・運動の協働作業を解説している部分に響き合うところがあるように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　三木によれば、幼児が目につく物をみさかいなく手にとっていたのが、次第に眺めるだけで満足するようになる上で、ほんものの「舐め回し」の記憶がかけがえのない礎石となるものであり、そうした視感覚を支え続けているのであり、たとえばコップの円さを実感するためには、その縁をなぞり続けたかつての口唇の記憶の裏打ちが不可欠なのだそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>それゆえ、豊かに育った内臓の感受性は、単に体の内部に光をあてるだけのものではなく、とくに入口の領域のそれは、ものの「すがたかたち」いいかえれば、その「こころ」を感じ取るための、隠されたつっかい棒になる、という言い方を三木成夫はしていました。口もまた手に準じて、そのような内臓感覚につながる器官であり、ものの「心」を感じ取り、また自らの「心」を表現する器官であるということなのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>これを吉本さんは、＜手＞は「環界と個体の（唯一の）直接的な通路」であり、「自己の内的器官と外的器官とをつなぐ（唯一の）通路」だと表現しています。この場合の内的器官とは三木成夫のいう植物性器官、内臓系諸器官（内胚葉由来の器官）であり、外部器官とは動物性器官、体壁系器官（外胚葉由来の器官）でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>手は知覚作用としては触覚作用をもつだけですが、これはほかの体壁系諸器官に共通するもので手固有のものではありません。にもかかわらず、「掴む」とか「握る」といった観念作用の比喩が手の言葉によって表象されるのは、手が知覚作用としてではなく、「理念」としてあるからだ、というのが吉本さんの主張するところです。手に理念から感情にわたるすべての観念の表現を見ようという考え方は、上に見たヘーゲルの身体論、＜手＞についての考察を下敷きにしているでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>このように＜手＞は人間の観念作用を外化したものであり、こうした＜手＞の特異な作用を根本的に説明するには、＜手＞が他の身体器官と同じように＜行なう＞ものであるということよりも＜了解する＞ものだということを強調すべきだと、吉本さんはそこか一歩先へと議論を進めます。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここでいささか突然に＜了解＞という概念が登場することに戸惑わざるを得ないですが、吉本さんの『心的現象論』では、「序説」での考察以来、＜了解＞作用というのは＜時間性＞に結びつけられているので、そこから必然的に、＜手＞の特異性は＜時間＞の拡大と構築に関与することにある、という主張につながっています。</p><p>&nbsp;</p><p>吉本さんが＜了解＞を＜時間＞と結びつけたのは、フォイエルバッハの身体論に示唆を受けていると思いますが、人間の身体一般が了解する仕方がどういう身体的根拠をもつかを問うていくとき、つまり身体が自分の身体を了解するというとき、この了解は自己了解であり、主観的な＜時間＞性を意味している、という理解が核心にあります。</p><p>&nbsp;</p><p>身体が自分の身体を了解することと、自分の身体を関係づけることが同一のことを意味するとき、私たちは「いま・ここ」にある自身の身体を自身の身体として認識することができ、これが自分以外のあらゆる存在との関係を認識する基準なると考えられているのだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>その＜時間性＞の拡大と構築とはどういうことか。たとえば労働する手によって（またその延長としての技術によって）環界に働きかけることによって環界自体を＜手＞としていく作用において、＜手＞のむこうにはいつも＜技術＞の問題があらわれ、＜技術＞的手段と化した環界はそれ自体が＜手＞と呼ばれても良いものになっていく。これはマルクスが、人間が自然に働きかけることで、自然が人間化される（同時に人間がその分だけ非有機的自然になる）と言ったことと同じことを指しているでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>人間は＜手＞の延長としての＜技術＞を進歩させることで、類として、そういう＜技術＞的な蓄積をなしとげていきます。それは自然に対する理解と実践知、つまりここでいう＜了解＞を積み重ねていくことであり、したがって＜手＞というものはただなにか行動するというものにとどまるものではなく、そうした類としての人間の＜了解＞の蓄積された水準を表現するものでもある、ということになるでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、そうしたたゆみない人間の＜了解＞の営みは、人間の個体としての死を超え、個人の生命曲線の限界を超え行こうとする意志の行為であり、また超えていく行為、別の言い方をするなら、人間が生命体としてもつ時間を＜拡張＞し、＜構築＞していく営みそのものでもある、ということになるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　こうした＜手＞の＜了解＞という作用と対比的に語られているのが、＜足＞が身体に即した＜空間＞の限度を意味するということで、＜足＞は＜空間＞の拡大と構築の働きに特性をもつとされています。そして、これは＜手＞の＜了解＞という作用が＜時間＞の拡大や構築に関わるのに対して、＜関係＞の拡大や構築に関わるものとされています。</p><p>&nbsp;</p><p>　ところで言葉を話したり書いたりできるための最小限の条件は、自己表出の時間意識とでもいうものがあるということでしょう。たとえばフーコーは、言語をほかのあらゆる種類の記号から区別する固有性とはなにか、と自問して、それは継起的な語の配置だと自答しています。話し言葉であれ書き言葉であれ、言語は思考のように一挙に全体を把握することも提示することも不可能であって、継起的な順序に従って語をリニア―に配置し、あるいはそれを辿ることによってしか、なにかを表現したり、理解したりすることはできません。</p><p>&nbsp;</p><p>　そこに言語固有の性格があり、吉本さんの言葉を使えば、「自然的時間性」とも、また「内的意識の時間性」とも異なる「自己表現の時間性」という位相が想定される根拠があります。</p><p>&nbsp;</p><p>　たとえば、どんな文例だっていいのですが、これも吉本さん自身が挙げている例文でいえば、</p><p>&nbsp;</p><p>　　<u>　A　</u>　<u>　B　</u>　<u>　C　</u>　　<u>　D　</u>　&nbsp;&nbsp;<u>&nbsp;E&nbsp; </u>&nbsp; &nbsp;&nbsp;<u>&nbsp; F</u><u>　</u>　 <u>&nbsp; G </u></p><p>　　わたし　 は　　ずっと　　憂鬱　　 で　　あっ　&nbsp; た</p><p>&nbsp;</p><p>という表現が有意味にたどれるための、最小限度の条件として、</p><p>①&nbsp;&nbsp;&nbsp; A→B→C→D→E→D→F→G　と発語の順序の意識があること。</p><p>②&nbsp;&nbsp;&nbsp; たとえば発語Ｂにおいて、発語Ａ→Ｂの流れ込みの意識と発語Ｃ→Ｄ・・・への流れ出の意識とが存在すること</p><p>③&nbsp;&nbsp;&nbsp; さらに発語Ａと発語Ｂと発語Ｃ・・・の区切り、あるいは非連続の意識がなければならない</p><p>④&nbsp;&nbsp;&nbsp; 発語Ａにおいて、＜わたし＞と＜わたしの発語＞Ａのはじまりの関係の意識と、発語Ｇにおいて＜わたしの発語＞Ｇと＜わたし＞のおわりの関係の意識が存在しなければならない</p><p>といったことを吉本さんは述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>　こうした発語の流れは、概念化された意識に対応するもので、内的意識の流れそのものではありません。「内的な時間意識」は、「表現的な時間意識」においては、意識の概念化を経て表出されるので、語の順序（秩序）を制御する時間意識は、「内的意識の時間」ではなく、独自の位相における「表現的な自己の時間性」なのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　言葉を語ったり書いたりするいわゆる自己表現、あるいはそうして語られ、書かれた言葉を理解する、＜了解＞するという行為は、このような表現的な時間性の外化であり、またそうして外化（表現）された表現的な時間性をたどり、＜了解＞する、ということにほかなりません。</p><p>　</p><p>　「表現的な時間意識」が「内的な時間意識」とは異なる位相にあるために、上の例文の「ずっと」のような表現が可能になるのであって、それは一見、「内的な時間意識」の永続状態に対応するような表現なので、虚構の対応のようにみえるけれど、それは間に概念化という意識の働きが介在しているからで、概念の虚構を意味するに過ぎません。</p><p>&nbsp;</p><p>　この「表現的自己の時間意識」は、「内的時間意識」とは違って、現実（「自然的時間」）によって直接左右されることはありません。そのため、「自然的時間」やその滲入を受ける「内的時間意識」から自由に、その概念化の中心を現在に置くことも過去におくことも未来におくこともできます。</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんはまた、「話す」という「概念」の構成の仕方は、＜今＞（話す瞬間）という時間において＜過去＞と＜未来＞の時間性を空間化することだと述べています。</p><p>「話す」ことにおいては、表現的な時間意識もまたその語った一瞬で消えてしまうのですから、＜過去＞も＜未来＞も話しているいまこの一瞬に凝縮された形でしか存在しないので、この一瞬のうちで前後の言葉、つまり＜過去＞と＜未来＞の時間性を表出するとすれば、この一瞬にこうした時間性を空間化して表現（あるいは理解）する以外に、表現（あるいは理解）を成り立たせるすべはない、ということではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>また、「書く」という行為は、＜未来＞を＜現在＞において＜概念＞化することによって＜過去＞へと追いやってゆく時間性によって意味が構成されるとも述べています。これは体験的によくわかる言い方だと思います。</p><p>書いている最中は、いままさに書いている言葉はいわば「むこうからやってくる」言葉であって、そう言いたければ＜未来＞に属しているわけですが、これを今この瞬間に書字として定着することによって＜過去＞へと追いやっているわけで、このときの＜未来＞＜現在＞＜過去＞という「表現的な時間意識」が、書くという行為そのものを成り立たせ、同時に書かれたものをその「表現的な時間意識」に沿って理解することを成り立たせているわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、こうやって一旦書かれた言葉は、そのどこに焦点を定め、その中心から＜現在＞、＜未来＞、＜過去＞のどの時間領域へと「表現的な時間意識」の流れをたどる場合であろうとも、繰返したどることができます。</p><p>これはいわゆる「推敲」にあたる行為になりますが、こうした「表現的な時間意識」の自由な辿り直しの繰り返しによって、その「表現的な時間意識」と「内的な時間意識」との対応は強固なものになっていきます。それが推敲によって表現がより十全な自己表現として感じられるようになっていく過程なのでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>これは「書く」という過程に固有のものですから、実際に書かなければ、いくら頭の中で「いいアイディア」をあたためていても、「内的な時間意識」と深く強固に対応する「表現的な時間意識」の外化としてのすぐれた表現を生み出していくことは難しいでしょう。「書く」ことの繰り返し、書かれたものの「表現的な時間意識」を不断に「内的な時間意識」と照合させ、その対応がぴたりとしたものかどうか、強固なものであるかを問い続け、表現を鍛えていくことでしか、すぐれた表現を生み出すことはできない、ということでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>とにかく「書く」ことを始めないと、「表現的な時間意識」などというものは存在しえないのですから、その「内的な時間意識」との対応もなにも確かめようがないし、「表現的な時間意識」の外化としての具体的な表現を磨いていくこともできない、ということになります。</p><p>&nbsp;</p><p>以上に述べてきたようなことが、吉本さんの「手仕事」の大切さということについての発言、とりわけ「作家というのは要するに手仕事なんですよ」という風な発言に象徴されるような、「手仕事」にこめられた意味になるのではないかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>私自身、こうした理解にたどりつくまでは、日に８時間もピアノを弾くといわれるプロのピアニストの修練のように、作家だって来る日も来る日もたゆみなく原稿用紙を埋める手作業に明け暮れることが、すぐれた作品を成就するための必要条件なんだよ、という趣旨のことの喩として「手仕事」の大切さという趣旨を受け止めてきました。</p><p>また、個人的には、「書く」という作業が決して頭の中にあるものをただ紙の上に書き付けるというようなものではなく、書くこと自体が思いを生じさせ、思考させ、書き続けさせるということを体験的に知る中で、実感的に腑に落ちる言葉として受け止めたにとどまっていました。</p><p>しかし、吉本さんの「心的現象論」を読むにいたって、ようやくその背後に彼が様々な思想を参照しながら到達した、身体についての理解、とりわけ「手」の役割、その意味についての考え方があったことを理解できたような気がしています。今回はその概略を記憶にとどめておこうと思って書きました。</p><p>～～～～～～～～～～</p><p>&nbsp;</p><p>（参考資料）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; この一文を書く上で参照した吉本さん自身の身体論についての言及や、彼が引用した思想家の文章の該当する箇所、及び関連の深い箇所について、いちいち本文では断わらなかったので、ここにそのエッセンスを転載しておきます。最後のフーコーだけは吉本さんの引用に関わるものではなく、私の一文の末尾で触れた言語表現の本質に関連してここに加えておきました。</p><p>&nbsp;</p><p><b>吉本隆明「障害者問題と心的現象論」（『心とは何か―心的現象論入門』弓立社2001）</b>より</p><p>&nbsp;</p><p>　　＜身体とは何か＞、＜身体の像とは何か＞というふうに、人間が身体のイメージをつくるばあいに、その根本になっているのは何かといいますと、それは大きく分けて二つあります。一つはじぶん自身の身体をどういうふうに＜了解＞しているか、ということなんです。じぶん自身の身体を、あるいは、じぶんが他人の身体をどのように＜了解＞しているか、ということです。</p><p>　　この了解の仕方ということが一つあります。これは一般的にいいますと、ある物事を理解することと同じですけれども、他のさまざまな事物に対する理解の仕方とただ一つ違うことは、理解している本人が、じぶんの身体を理解している、ということが他の全てのことと違うわけです。つまり、じぶんの＜身体とは何か＞という問を発したときに、問を発したじぶん自身が、じぶんの身体とじぶんの精神機能とを使って問を発しているということなのです。つまり、じぶんを使ってじぶんに問を発していることが、全ての事物の理解の仕方と身体についての理解の仕方が違うところです。</p><p>　だから、じぶんの身体をじぶんがどのように理解するか、ということが人間のあらゆる理解の仕方の基準になっていることがわかります。（p171)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;　それからもう一つあります。これは、じぶんの身体とじぶんがどのように＜関係＞をもつかということです。つまり、じぶんがじぶんの身体とどのように折り合いをつけているか、その折り合いのつけ方がもう一つ根本的な問題です。</p><p>　これは、ひとりの人間が他の人間と関係する、その関係の仕方のなかに現れます。（p171-172)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp; 現実に生きている人間は、大なり小なり、みんなとの折り合いがうまくいっていないのです。つまり、じぶんがかんがえているじぶんの身体と、じぶんがかんがえているじぶんの＜精神図式＞というものと、他者からみたじぶんの身体というもの、あるいは、じぶんの＜精神図式＞というものは食い違っているのです。これが、現実に生きている人間のさまざまな悩みの根柢にある問題です。(p172-173)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp; この問題は、他者との関係づけ、関係の仕方というもの、それから人をどのように了解するか、了解の仕方というものの食い違いが、身体障害とか、精神障害とかいうものの根底にあることがわかります。(p173)</p><p>　　</p><p>　この問題のなかには、身体の問題でありながら身体の問題でないところに、領域を必然的に拡げてしまうところがあります。なぜならば、それはじぶん自身にたいする、あるいは、じぶんの身体にたいする考え方との折り合いというものが、他者にたいする関係の仕方の基準になりますから、他者との関係の仕方というものは、それ自体が＜社会＞というものを提起してしまいます。ここに＜社会の障害＞という概念が登場してくる理由があります。つまり、＜社会とは何か＞、それから＜社会の障害とは何か＞という問題が必然的に提起されてくるわけです。(p173)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><b>吉本隆明『心的現象論本論』（文化科学高等研究院出版局2008年）</b>より</p><p>&nbsp;</p><p>（身体論）</p><p>&nbsp;</p><p>　＜手＞が身体状態と個体の環界にたいする相互関係の仕方を語ることには、つぎのような理由がかぞえられる。</p><p>　ひとつは＜手＞が＜類＞的な意味でながいあいだの人間の環界にたいする働きかけの仕方の歴史によって創りだされているということである。もうひとつは個体の生誕の当初から、＜手＞の発達や相が内臓器官の働き方の発達や相と相関してきたということである。そして、その意味では、＜手＞は環界と個体のただひとつの直接的な通路であるとともに、自己の内的器官と外的器官とをつなぐ唯一の通路であるといってよい。芸術家はまた別のことをいうかもしれない。＜手＞を動かしてみなければ、けっして引きだすことのできない識知があり、芸術はただ＜手＞の識知によってのみ創造されると。（ｐ45）</p><p>&nbsp;</p><p>　社会的存在としての＜手＞、いいかえれば環界に働きかけることによって環界を＜手＞とする作用にあって、人間の＜手＞のむこうにいつも＜技術＞の問題があらわれる。＜技術＞的手段と化した環界は＜手＞と呼ばれてもよい。ただこの＜手＞は人間の内的器官とむすびつく通路を具えてはいない。機能的に人間の＜手＞を極度に拡大しうる作用をもっているだけだ。（ｐ46）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;　＜手＞に帰せられる知覚作用はただ触覚作用だけであるといっていい。しかも触覚作用は＜手＞に固有なものではなく、＜身体＞の全領域にわたっている。そうだとすれば＜把む＞とか＜握る＞とかいう観念作用の比喩が＜手＞の言葉によって表象されるとき、＜手＞は知覚作用としてあるのではなく＜理念＞としてあるといってよい。（p46）</p><p>&nbsp;</p><p>　＜手＞がいかに外延的に環界を＜手＞と化することによって＜技術＞的手段をつくりだし、それを＜機械＞と命名してあやつるとしても、＜手＞の退化が想定しにくいのは、＜手＞が人間の観念作用の外化したものという意味をもっているからであるとおもえる。この＜手＞の特異な作用を、なによりも根本的に説明するには、＜手＞が他の身体器官とおなじように＜行なう＞ものであるということよりも＜了解する＞ものであるということを強調すべきである、とわたしにはおもえる。このことを別の言葉でいえば、＜手＞の特異性が＜時間＞の拡大と構築に関与することにあるといってもよい。</p><p>　人間の個体が描く生誕から死への生命活動の曲線を、人間はなによりも＜手＞の働きによって超えようとする。・・・（中略）・・・環界を＜技術＞化して、たんなる天然の＜物＞を整序された＜物＞へと構築するとき、この構築物が経済的なあるいは社会的な範疇で＜生産物＞あるいは＜商品＞と呼ばれるとしても、この構築作用の働きそのものは＜時間＞の拡大と構築自体を意味しているようにみえる。それは外化された＜了解＞であり、いずれにせよ個体の生涯が限る＜時間＞を超えようとする作用に根ざしている。＜手＞がつくりあげるのは物質的であっても観念的であっても＜了解可能＞あるいは＜了解期望＞の系であって、このことは、結果的につくられたものがどのカテゴリーで解釈されるかということとは、一応別問題であるといっていい。（ｐ47）</p><p>&nbsp;</p><p>　＜手＞が＜了解＞的につまり＜時間＞的に、＜足＞が＜移動＞的につまり＜空間＞的に働き、その＜時間＞と＜空間＞とが生物の個体の生涯の＜時間＞と＜空間＞とを超えたところで連結しうるようになったとき、その生物は＜人間＞と呼ばれるようなものになった、というように、わたしにはおもわれる。（p49)</p><p>&nbsp;</p><p>　（ヒトは歩行も発語もできず内的、外的器官とも未発達のまま胎外に出産されたという、ポルトマンの指摘が正確だとすれば、類人猿との比較でそういうことがいえることには、両者の差異を語る有意味性がなければならないはずだ。）この苛酷な自然条件なるものは、ポルトマンという著者の指摘が正確だとすれば、＜足＞をあまりつかうことができない（つかうことを要しない）狭領域であり、しかし＜手＞を過剰につかわざるをえない条件であった。</p><p>　そして＜足＞をあまりつかうことができないのに＜手＞を過大につかわなければならない自然条件は、余儀なく直立姿勢を固定化させたにちがいない。なぜならば＜足＞を不釣合に少ししかつかわず、＜手＞を不釣合にたくさんつかわざるをえない条件では、＜原人間＞たるものの環界にたいする働きかけと、その構築物は＜時間＞的な拡大に向かわざるをえないとかんがえるほかないからである。</p><p>　このような自然条件に長世代にわたって耐えたということは、極限としていえば、＜足＞はまったく動かさないのに＜手＞は＜了解＞の、＜時間＞の構築物を繰返し生産しつづけることができる可能性をつくりだしたことを意味している。そして、このことは＜意識＞の、あるいは＜観念＞の作用そのものであり、人間はその条件に耐えたとき、すでに観念作用をもつという前提に立っていたということにほかならない。（p51-52)</p><p>&nbsp;</p><p>　幼児は母親の胎内から分割されたときから、まず自己の＜身体＞と他者の＜身体＞との区別がつかない状態で環界にさらされるわけだが、このばあいの＜他者＞は、まず母親の＜身体＞を意味するため、もし他者をじぶん以外のひとつの＜身体＞という意味でつかえば、たとえ幼児期を脱したときでも、他者との出遇いは、まずじぶん以外のひとつの＜身体＞であり、その関係は意識として＜性＞であらざるをえない。この原型は母親との最初の関係である。それゆえ幼児はじぶんの＜身体＞と他者の＜身体＞とを区別し、じぶんの＜身体＞を客観化しうるようになったときも、「個人個人が分離」される抽象ではない。幼児の＜個＞はそのまま、他者のひとつの＜身体＞との関係のうえで、はじめて＜個＞であるということを逃れることはできない。</p><p>　ある＜個体＞が、他者であるひとつの＜身体＞との関係のうえにたって、はじめて＜個＞であるといった、乳幼児期以来の基礎をとりはずして、＜個＞であるじぶんがじぶんの＜身体＞のうえに直かに立つことになるのは、たぶん、＜アドレッセンス＞の時期である。この時期に＜身体＞ははじめて、母親に象徴されてきたひとりの他者との関係のうえに立った＜身体＞という圏から外へとびだして、じぶんの＜身体＞意識がじぶんの＜身体＞に直かに関係することになる。（p72-73)</p><p>&nbsp;</p><p>　この不安定な＜アドレッセンス＞の時期に、じぶんの＜身体＞への関係づけと了解の系がある原基または座として体験される＜空間＞と＜時間＞を獲得する。</p><p>　そしえ、いっさいの了解の系は＜身体＞がじぶんの＜身体＞と関係づけられる＜時間＞性に原点を獲得し、いっさいの関係づけの系は＜身体＞がじぶんの＜身体＞をどう関係づけるかの＜空間＞性に原点を獲得するようになる。（p73)</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>（関係論）</p><p>&nbsp;</p><p>　あらゆる枝葉を排除したあとで、人間の現存性を支えている根拠は＜わたしは―身体として―いま―ここに―ある＞という心的な把握である。この把握は感性的であっても知覚的であっても、悟性的な識知であってもさしつかえない。このばあい＜わたし＞は、さまざまな度合の自己識知であり、それが＜身体＞に関連づけられている。この自己識知に、＜身体＞がことさら介入されてこないばあいでも、自己識知の根源としての＜身体＞は、無意識の前提になっている。＜いま＞は現在性の時間的な言い回しであり、＜ここに＞は空間的な言い回しである。このばあいもっとも問題なのは＜ある＞という概念である。こお＜ある＞という概念は、ふたつの否定的な態様をとりうるだろう。ひとつは、実在性の次元で身体が、客観的に＜ある＞にもかかわらず＜ある＞と感じられない（識知されない）ことがありうるということである。もうひとつは、＜ある＞にもかかわらず＜ない＞という否定的な志向性に決定的に支配されることがありうることである。（p177)</p><p>&nbsp;</p><p>　＜うつ＞病にとっての本来的な他者のもっとも拡大された境界は、じつは、＜表現化された自己＞であるようにおもわれる。以前に、フッサールの『内的時間意識の現象学』（邦訳、立松弘孝）を検討したさいに、表現的な自己の時間性について言及したことがある。＜表現的な自己の時間性＞は、内的意識の時間性とも自然的時間性とも異なった位相に自己表現の時間性として存在しうる。</p><p>&nbsp;</p><p>　<u>わたし</u>　<u>は</u>　<u>ずっと</u>　 <u>憂鬱</u>　<u> で</u>　 <u>あっ</u>　<u> た</u></p><p>　　A　　 B 　　C　　　D　&nbsp; &nbsp; E　&nbsp; &nbsp; F　　G</p><p>&nbsp;</p><p>　いま、＜わたし＞が、このように表現した。この表現が有意味にたどれるための、最少限度の条件は、（１）A→B→C→D→E→F→G　というように発語の順序の意識があることである。（２）たとえば発語Bにおいて、発語A→Bの流れ込みの意識と発語C→D・・・への流れ出の意識とが存在することである。（３）さらに発語Aと発語Bと発語C・・・の区切り、あるいは非連続の意識がなければならない。いいかえれば、これらの発語の流れは＜概念＞化された意識に対応するもので、内的意識の流れそのものではないということが、ふまえられていなければならない。もちろん、発語Aにおいて＜わたし＞と＜わたしの発語＞Aのはじまりの関係の意識と、発語Gにおいて＜わたしの発語＞Gと＜わたし＞のおわりの関係の意識が存在しなければならない。このようにして「わたしはずっと憂鬱であった」という表現の意味を成り立たせる構成的な時間性は、内的時間意識そのものでもなければ、その移し替えでもなく、特異な表現的な時間性である。この表現的な時間性は、「ずっと」という発語によって、内的時間意識のある持続時間と対応させることができる。「ずっと」ではなく「一生」という発語であったならば、その意味構造は、内的時間意識の永続状態に対応することになる。この対応は虚構の対応のようにみえるが、それは＜概念＞の虚構であり、内的な時間意識は、表現的時間意識においては、意識の＜概念化＞を経て表出されるからである。</p><p>　＜うつ＞病にあらわれる他者は、じつは＜表現的な自己＞にほかならず、たぶん＜うつ＞状態にとって、じっさいの他人、社会等々はこの＜表現的自己＞の外側の存在であり、この内側に関与しうるのは、ただ、表現的他者としてだけである。</p><p>&nbsp;&nbsp;＜表現的自己＞との関係において、＜うつ＞病者の特質は、順序A→B→C→D→E→F→Gに固執することである。かれにとっては、事象Ａのつぎには事象Ｂがこなくてはならず、そのつぎには事象Ｃがこなくてはならない。また、事象Ａにぶつからないさきに事象Ｂにぶつかることはっゆるせない。それは途惑うからではなくて表現的時間に振幅がなく、固いピアノ線にそって流れているようなものだから、いきなり事象Ｂに遭遇することは、未遂の意識を累積させるからである。（p190-191)</p><p>&nbsp;</p><p>　＜話す＞という＜概念＞の構成の仕方は、＜今＞（話す瞬間）という時間において＜過去＞と＜未来＞の時間性を空間化することである。表現された自己は、＜今＞を過ぎた瞬間に、他者との関係へと空間化される。＜今＞という時間性の持続によってだけ意味構成される。＜書く＞ということは、＜未来＞を＜現在＞において＜概念化＞することによって＜過去＞へと追いやってゆく時間性によって意味が構成される。それとともに＜書かれたもの＞は、どの時間領域においても反すうすることができる。この反すうの過程で、内的時間意識との強固な対応性を見つけだすことができる。＜うつ＞状態は、＜話す＞という比喩とはかかわりがない。＜書く＞という比喩の状態で、任意の＜時点＞を中心に順序や完備への固執が起こることを指している。（p195ー196)&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><b>フォイエルバッハ「身体と霊魂、肉体と精神の二元論にたいする反論ー1849年ー」</b>（木村彰吾訳 『フォイエルバッハ選集　哲学論集』所収 法律文化社 [世界の思想22]&nbsp; 1970）</p><p>&nbsp;</p><p>　　・・・脳作用においては、随意的・主観的・精神的活動と不随意的・客観的・物質的活動とは同一であって区別されえない。われわれの意識にとってさえ、思考は随意的でも不随意的でもある作用である。ところが、思考においては、主観的活動と客観的活動の対立が消失しているからこそ、思考はわれわれの意識にとって絶対的に主観的な活動なのである。ある時には満腹であり、ある時は空腹であると私が感じる胃、鼓動しているのが聞こえたり感じられたりする心臓、外官の対象としての頭部、要するに私の肉体を私は私の脳作用によってのみ知覚すのであるが、脳作用はそれ自体によってのみ知覚するのであって、したがって、脳作用は私にとって、少なくとも直接には、もはやなんら客観的なものではなく、私から区別されうるものではない。脳作用がこのように感じられず対象化されないということから、「霊魂と精神」を脳作用へではなく、心臓の鼓動や呼吸作用へ置きかえる古代民族やすべての教養のない人びとの心理学的偶像崇拝も明らかになる。(p318)</p><p>&nbsp;</p><p>　　真理は唯物論でも観念論でもなく、生理学でも心理学でもない。真理はただ人間学だけであり、感性・直観の立場だけである。なぜなら、この立場だけが私に全体性と個別性をあたえるからである。霊魂が考えたり感覚したりするのでもなく―というのも、霊魂とは人格化され実体化されて、ひとつの本質へと転化した思考と感覚と意志の機能、もしくは、現象にすぎないからであり、―また、脳が思考し感覚するのでもない。というのは、脳はひとつの生理学的抽象であって、全体から抽出され、頭蓋から、顔から、肉体一般から説餡された、それ自体だけで固定された器官であるから。ところが、脳は人間の頭部と肉体に結合されているかぎりでのみ、思考する器官なのである。外部は内部を前提している。ところで、内部は自己を表出することによってのみ自己を現実化する。生命の本質は生命の表出である。（p329)</p><p>&nbsp;</p><p>　　</p><p><b>ヘーゲル『精神現象学』</b>（長谷川宏訳 作品社 1998）</p><p>&nbsp;</p><p>（自己意識と身体と音関係―人相学と頭蓋論）</p><p>　　個人は外にむかっても内にむかっても存在する。自覚した存在として自由に行為するだけでなく、それ自体としても存在する。そして、この二面が対立し、内容的にかかわりあう運動をはじめると、そこに、構図の上では心理学の求めたものと同じ関係があらわれてくる。つまり、意識の運動と、確固たる存在としてあらわれる現実とのあいだの対立が、個人のもとにあるものとして―そのまま個人に備わるものとして―あらわれてくる。ここに確固たる存在とは、特定の個人の「肉体」のことで、それは、行為の結果として出てくるのではなく、個人にもとから備わったものである。が、個人は同時に行為の積みかさねとしてしか存在しないから、個人の肉体は個人のうみだした自己表現だともいえる。同時に、それは、自然のままの物体を超えた記号であって、個人がもとからある自然をどう作りかえようとしているかがそこに見てとれるのである。（p210)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp;&nbsp; 肉体は生得の存在と後天的に形成された存在の統一体であり、個の自立性の浸透した現実存在である。肉体は、形のきまった、生得の、不変の部分と、行為によってはじめて生じてきた特徴とを内にふくんでその全体がなりたつので、その存在が、意識と運動の支配する個人の内面を表現する。この内面は、もはや、内容と内実を外部の状況から得てくるような、形式的で、内容を欠いた、あいまいな自己活動などではなく、それ自体で一定の根本的な性格をもち、それが活動として形にあらわれるのである。この二面のあいだの関係がどのようなものであり、どのように内面が外面に表現されるのかをあきらかにするのが、以下の課題である。</p><p>　　外面は第一に「器官」として内面を目に見えるものとし、他にたいする存在たらしめる。器官のうちにあらわれる内面は、活動そのものである。ことばを発する口や労働をする手は、―お望みなら、それに脚をつけくわえてもいいが―、ものごとを実現し成就する器官であって、そこには行為そのもの、ないし、内面そのものがこめられている。が、器官を通して内面が得た外面的な結果は、個人とは切り離された現実の成果である。</p><p>　　外に出ていったことばや労働のもとに、個人はもはや自分を保持することも所有することもできず、そこでは、内面がまったく外に出されて他人の手にわたされている。だから、この外面的な結果は、内面を表現しすぎているともいえるし、反対に表現しありないともいえる。表現しすぎているというのは、内面が外面へとあふれだして、外面と内面の対立が消滅し、外面が内面の表現というにとどまらず、内面そのものとなっているからである。表現したりないというのは、内面がことばや行動に移されると自分とはどこかちがうものになり、その結果、変転つねなき場へと投げこまれ、話されたことばや実現された行動がゆがめられて、特定の個人の行動の真実とはちがうものが作りだされるからである。(p211)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp;&nbsp; いうまでもなく、手は、運命にたいして外的なものというより、運命と内的にかかわるもののように見える。運命とは、特定の個人が当初の内面的性格として潜在的にもっていたものが、おもてにあらわれたものにすぎないのだから。そして、潜在するものを知るには、たとえば、全生涯をおわってみなければそれを知ることはできないと考えた古代ギリシャの賢人ソロンの言にしたがうよりも、手相術師や人相学者のもとにおもむくほうがてっとり早い。ソロンが運命の転変を見わたそうとするのにたいして、手相術師や人相学者は潜在する元のすがたを見ようとする。そして、手が個人の運命の元のすがたを表現していることは、手が、ことばの器官たる口に続いて、人間の自己表現や自己実現の有力な手段であることからも、容易に推測される。手は幸運を作りだす魂のかよった名工だというわけだ。手は人間の行為をあらわすものだといえるので、自己実現の実行器官たる手を見れば、そこに魂をもって生きる人間が宿り、もともとみずからの運命を切りひらいていく人間の、その元のすがたがそこに表現されているというわけである。</p><p>　活動の器官が、存在であるとともに行為でもあるというとらえかた、あるいは内面のありかたがそこにそのままあらわれて他にたいして存在しているというとらえかたは、これまでの器官のとらえかたとはちがっている。器官のうちには行為が動作としてふくまれるだけで、行為の結果は外界にしか存在しないから、内面と外面はばらばらにわかれてたがいに異質なものとなり、したがって器官を内面の表現ととらえることは不可能だ、との考えがこれまでの器官論だったとすれば、新しい考えでは、器官のもとにあらわれる行為は、行為の外形ではあっても、あくまで個人のもとにとどまる外形であり、外界にあらわれた行為の結果とは　別ものであって、となると、器官を内面と外面の中間項としてとらえねばならないことになる。</p><p>　内面と外面とを統一する中間項としての器官は、なによりもまず、それ自体が外面的な存在である。が、同時に、この外面性は内面へととりこまれている。器官の外面性は単純な形をとる外面性であって、それは、個人の全体からみれば偶然の要素を数多くふくむ、個々の仕事や境遇、あるいはまた、多くの仕事や境遇のうちに分岐していく外界の総体たる運命、など見られる多彩な外面性とは対立している。単純な手の相や、ことばの個人的特徴を示す音質や声域―さらにまた、声よりももっと確定的にことばを定着させる文字、とりわけ手書き文字―などは、すべて内面の表現ではあるが、その単純な外形を、行動や運命のたどる複雑な外形と対比した場合、複雑な外形にたいしては、その内面をなすものと考えることもできる。したがって、個人の個性やうまれつきの特性を、教養にもとづくその変化をもふくめて、行動や運命の本質をなす内面ととらえたとすると、その内面の本質が最初に外にあらわれたものが、口、手、声、筆跡、その他、さまざまな器官や、そこに見られる恒常不変の性質である。そういうものがまずあって、そのあとに、さらにその外にある世の現実にむかって内面が表現されるのである。（p214)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp; 心理学においては、外界の現実が、精神に影響をあたえて精神に意識的に反映され、精神の理解に欠くことができないものとして、とりあげられた。他方、人相学においては、精神は肉体的な外形のうちに認識できるものとされ、その外刑が精神の本質をあらわすことば―見えざるもののあらわれ―とみなされた。もう一つ、現実の側にあるものでなお残っているのは、眼に見える、固定された、純粋な現実存在のうちに、個人の本質が表現される場合である。</p><p>　いまいう関係と人相学的な関係とがどうちがうかといえば、人相学の対象となるのは、外にむかって行動すると同時に、内面へと還ってきて内面を見つめるような個人のありさまをあらわすものであり、運動としてあらわれる表現や、静止した表情の場合でも、その本質からして、そこにある屈折の感じとれるような表情である。が、残された以下の観察で対象となるのは、それ自体がなにかを表現する記号となるのではなく、自己意識の運動からは切り離されて独立し、たんなる物としてそこにあるような、まったく静止した現実体なのである。</p><p>　こうしたものと内面との関係については、まず、どちらもそれ自体で存在するものが、必然的に結びついて関係をつくるのだから、関係は「因果」の関係としてとらえなければならないように見える。</p><p>　さて、精神的な個人が肉体に作用を及ぼすことができるためには、原因となる個人そものが肉体的な存在でなければならない。原因となる精神的個人が身を置く肉体は、器官として存在するが、この器官は外界に向けて行動を起こす器官ではなく、自己意識が内面にむかって行動を起こす器官であり、外面にむかう場合としては、自分の体を相手とする場合しかない。となると、どの器官がそれに該当するのかが問題となる。一般的に器官のことを考えると、たとえば、労働の器官としては手がすぐに思いうかぶし、性欲の器官としては生殖器が思いうかぶ。が、そうした器官は、一方の極にある精神が他方の極にある外界の対象とむきあうときに、その中間にくる道具ないし部品と見なされるべきものである。が、ここにいう器官は、一方の極をなす意識的な個人が、自分と対立する肉体的現実とのかかわりのなかで、自己の自立性を守るための器官であって、個人は外界にむかうのではなく行動のうちで自分に還ってくるから、その存在は他にたいする存在とは考えることができない。（p220)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><b>フーコー『言葉と物―人文が科学の考古学』</b>（渡辺一民・佐々木明訳　新潮社 1974）</p><p>&nbsp;</p><p>　(第四章　語ること）</p><p>&nbsp;　&nbsp;&nbsp; 言語記号（シーニュ・ヴェルバル）の特質とは何なのであろうか？言語記号にたいして、他のあらゆる種類の記号（シーニュ）よりもよく表象を表示し分析し再構成することを可能ならしめる、あの不思議な力とは何なのか？記号のあらゆる体系のうちで、言語（ランガージュ）固有のものとは何であろうか？</p><p>　　一見したところ、語はその恣意性あるいは集団的性格によって規定できる。ホッブズのいうように、言語はそもそもの根底において覚えの一体系から成っている。これらの覚えは、個人が最初みずからのために選んだものであり、こうした標識によって、個人は表象を想起し、たがいにつなぎあわせ、分解し、それらに操作を加えることができるわけだ。そしてまさにこれらの覚えが、約束ごとなり暴力なりによって集団全体に強課されたのだが、いずれにしても語の意味は、各人の表象のみに属するのであって、それがあらゆる人々に容認されるにせよ、結局のところ個人ひとりひとりの思考のなかにしか実在しない。「語は語っている人の観念の記号にほかならぬ」とロックは言う。「何びとといえども、語を、自分自身の精神のなかにある観念以外のものに直接記号として適用することはできない。」こうしたわけで、言語を他のあらゆる種類の記号から区別し、表象作用において言語に決定的役割を演じさせるものは、言語が個人的なものか集団的なものか、自然的なものか恣意的なものかということからくるのではない。むしろ、言語が表象を否応なく継起的順序（＝秩序）にしたがって分析することからくるのである。じじつ、音は次次にしか発音されえないし、言語は思考全体を一挙に表象することができず、それを線上の順序に沿って部分ごとに配置せざるをえない。ところでこの順序は、表象とは無縁のものである。たしかに、思考もまた時間のうちで継起するが、コンディヤックにならって、ある表象のすべての要素は一瞬のうちにあたえられ、反省のみがそれらをひとつずつ展開することができると認めるにせよ、デステュット・ド・トラシにならって、それらの要素はその順序を感圧することも記憶することも実際にはできないほどの速さで継起すると認めるにせよ、ひとつひとつの思考はある統一体を形成している。命題のうちに展開しなければならぬのは、このようにみずからのうえに凝縮された諸表象にほかならない。つまり、わたしの視線にとって「あざやかな色は薔薇の内部にある」としても、わたしの言説（ディスクール）のなかでは、わたしはその色が薔薇の前か後かにくるのを避けることができないのだ。もし精神が観念を「知覚するがままに」発音する力をもっていたとすれば、精神が「それらをすべて同時に発音するであろう」ことは疑いない。けれども、まさしくそのようなことこそ不可能なことである。なぜなら、「思考は単一な操作である」のに、「言表することは継起的操作だ」からだ。ここに言語固有のものがあるわけで、これこそ言語を、表象（言語はその表象をさらに表象するものにほかならないのだが）からも、他の種類の記号（言語はこれ以外には何の独異な特権もなくそれらの記号に属しているのだが）からも、区別するものにほかならない。言語は、外的なものが内的なものに対立し、表現が反省に対立するように、思考に対立しているのではない。恣意的あるいは集団的なものが自然的もしくは個別的なものに対立するように、他の種類の記号―身ぶり、無言劇、翻訳、絵画、寓意画―に対立するのでもない。ただ、継起的なものが同時的なものに対立する仕方で、それらすべてに対立しているのだ。言語は、思考や他の種類の記号にたいして、幾何学にたいする代数学の位置に立つ。つまりそれは、さまざまな部分（または量）の同時的比較にたいして、段階を逐次的に追わなければならないひとつの順序をおきかえるのだ。言語が思考の＜分析＞だというのは、こうした厳密な意味においてである。それは、たんなる截断ではなく、空間における順序の根本的創設にほかならない。</p><p>　古典主義時代が「一般文法」と呼んだ新たな認識論的領域は、まさしくここに位置している。そこに、ある種の論理学の言語理論にたいする純然たる応用のみを見るのは誤りであろう。しかしまた、そこに言語学の予兆ともいうべきものを読みとろうとするのもひとしく誤りであるだろう。＜一般文法＞とは、＜表象されるべき同時的なものとの関係における、言語上の順序の研究である）。一般文法の固有の対象は思考でも言語でもなく、言語記号の列として理解された＜言説（ディスクール）＞なのだ。この列は表象の同時性から見れば人為的であり、そのかぎりにおいて言語（ランガージュ）は、反省的なものが直接的なものに対立するように思考に対立する。とはいえ、この列はすべての言語（ラング）において同一ではない。あるものは行為を文の中央に、他のものはそれを文の末尾におき、あるものは表象作用の主たる対象を、他のものは付属的状況を最初に名辞化する。『百科全書』が指摘するように、異なる言語（ラング）をたがいに不透明にし、相互の翻訳を困難ならしめているのは、語の相違というよりはむしろ、それらの言語（ラング）における諸要素の継起関係の不両立性にほかならない。学問、とりわけ代数学が表象に導入する明証的、必然的、普遍的な秩序（＝順序）から見れば、言語（ランガージュ）は、自然発生的、非反省的で、いわば自然的といえるのかもしれない。また言語（ランガージュ）は、それを考える際の観点によって、すでに分析を経た表象とも、自然状態にある反省ともいえるだろう。じつをいえば、それは表象と反省とを結ぶ具体的紐帯である。それは、人間相互が意思を通じあうための道具であるよりも、表象が反省と通じあうためどうしても通らなければならぬ道なのだ。＜一般文法＞が十八世紀の哲学にとってあれほどの重要性をもつにいたった理由はここにある。（p106-108)</p><p>&nbsp;</p><p>[この項おわり]</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; to&nbsp; be&nbsp; continued ・・・・</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12816227007.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Aug 2023 17:52:53 +0900</pubDate>
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<title>「自己表出」とは何か～その生理的・身体的根拠</title>
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<![CDATA[ <p>「自己表出」とは何か～その生理的・身体的根拠<br><br>　「自己表出」とは何か、ということについて、吉本さんが時枝誠記や三浦つとむの言語論を基礎にその理論をつくり上げて来た面と、のちに振り返ってその影響を理論的にしばしば語るようになったマルクス『資本論』の価値形態論の論理展開に学んだ面とを、それぞれ言語学的アプローチ、経済学的アプローチとして述べてきました。<br>　しかし、もうひとつ、「自己表出」という概念を語る上で重要な視点として、解剖学者三木成夫の解剖学、進化学、発生論的な学説によって「自己表出」の概念に生理的・身体的根拠を得た、という吉本さんの自己認識に触れておく必要があるでしょう。<br><br>　ただし、三木成夫の著書は、「自己表出」という概念を中核として展開された吉本さんの最初の理論的な主著『言語にとって美とはなにか』の段階では、吉本さん自身がまったく知らなかったもので、吉本さんは「<b style="font-weight:bold;">『ヒトのからだ』について、わたしなどの無智を根底から揺さぶってくれたのは、三木成夫の著作や講演の本に接したときだった。恥ずかしいが七十才に近くなってからだ。</b>」（「三木成夫『ヒトのからだ』に感動したこと」 うぶすな書院の三木成夫著『ヒトのからだー生物史的考察』の解説）と書いています。<br>　吉本さんは1924年生まれだから、70歳は1994年なので、おそらく1990年から二、三年の間に三木成夫の著作に出遇ったのでしょう。その時期といえば、それまでに展開してきた共同幻想論や心的現象論を踏まえ、全幻想領域を包括しながら『言語にとって美とはなにか』の表現論を拡張する形で、いわば二次元から三次元的へ思想が扱う時空間の次元を上げて展開する試みとも言える『ハイイメージ論』が刊行され始める時期に当たっています。<br><br>　三木成夫から吉本さんの思想が直接受けた具体的な恩恵がどういうものであったかについては、吉本さん自身が的確に語っています。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">わたし自身は仕事のうえでは、この著者</b>（引用者注：三木成夫）<b style="font-weight:bold;">から具体的な恩恵をうけた。わたしはわたしたちがふつう何気なくこころ＞と呼んでいるものはなにを意味するのか、そしてその働きはどんな身体整理の働きとかかわっているのか、またわたくしたちが感覚作用とか知覚とか呼んでいるものとどこがちがうのか、ながいあいだ確かな考えをつくりあげられずにいた。そのくせ内部世界とか内面性とかいう言葉で、漠然と文学の表現と＜こころ＞の働きのある部分をかかわらせてきた。だが＜こころ＞という働きとその表出、また感覚のはたらきとその表出のかかわりと区別がどうしてもはっきりしない。<br>　こんなときにこの著者ははっきりと決定的な暗示をあたえてくれた。この著者は内臓の発生と機能と動きが腸管系の植物神経に、感覚の作用を体壁系の筋肉や神経作用にむうびついている側面をもつこと、また腸管系の入口である口腔と出口である肛門の両端は、体壁系の感覚にむすびついて脳の働きに依存しているが、その両端を除くと脳とのむすびつきはぼやけてしまい、ただ肉体の奥のほうで厚ぼったく、ずしりとした無明の情感や情念のうごきにかかわっている。この指摘と洞察は、とりわけわたしには眼から鱗がおちる気分だった。</b>（三木成夫著『海・呼吸・古代形象』うぶすな書院 1992所収の吉本さんによる巻末解説）<br><br>　この吉本さんの言葉はわたしたちにもよく分かるような気がします。そもそもカントをはじめ様々な哲学者たちの認識論を読んでも、対象の知覚から始まって、それで知覚野に入って来る多様なものが先験的な意識の統合作用で整序され、想像力に媒介されて悟性に受け渡される云々といった具合に、その間に「こころ」が入る余地がありません。「こころ」は知覚する主観の側のあいまいで漠然とした内部世界を指していて、一向にその正体がわかりません。文学の世界ではもっぱら表現されるところの「内面」だとか「内部世界」だとか、これまた曖昧な言葉で語られてきたわけです。<br><br>　しかし、わたしたちにとって、それはいくら学問的にぴたりと言い当てられなくても、自明のものとして「ある」ので、ただそれを理解するのに、ほかにもっていきようがないと思って、脳の働きの一部なんだ、というくらいに思ってきたわけです。<br><br>　それを感覚的な知覚とは明確に区別される、内臓器官と結びついた表出として「こころ」（の動き）をとらえ、さらに言語表現における「自己表出」の根拠としてとらえた、三木成夫の発生学的・解剖学的な知見とそれに触発された吉本さんの考えで、はじめてわたしたちも「こころ」とは何かについて、或る確かな理解が得られたように感じられたのではないでしょうか。<br><br><br>　少し戻って三木成夫の学説自体に目を向けてみましょう。彼は『胎児の世界ー人類の生命記憶』（中公新書1983）において、人間の胎児が受胎32日目から一週間の間に水棲段階から陸棲段階への変身をとげる過程を、胎児の顔貌が魚類（受胎32日目）から両生類（受胎34日目）へ、さらに爬虫類（受胎36日目）へ、哺乳類（受胎38日目）へと変わっていく、進化の過程が母胎において再現される、いわゆる系統発生を繰り返すと言われる個体発生のありさまを、写真を掲げて詳細に示し、この水棲動物から陸棲動物への進化がいかに劇的な変化であったか、鰓呼吸から肺呼吸への転換とそれに伴う解剖学的な大きな変化について述べ、かつまたそれを再現する胎児のこの時期が母体にとっても胎児にとっても最大のクリティカルポイントであって、それがいわゆる「つわり」や、流産の危機となっていることを明らかにしていました。<br><br>　こうした記述の中に三木成夫の学説の特徴を垣間見ることができます。いずれも、発生史的な解剖学の観点から考えられたことですが、ひとつは呼吸器の形態に関するもので、鰓呼吸から肺呼吸に変わるときに、もともと鰓の周辺にあった筋肉（平滑筋）は分散して肺の運動には寄与することができず、肺単独では大気を吸ったり吐いたりできないので、体壁（首から胸腹にかけての）の一部を活用してその伸縮によって呼吸を可能にするように進化したということです。少しあとになって胸腔を袋のように閉じることで形成される横隔膜もそうした体壁の一部だったものを引っ張ってきたもので、これを引き下げることで胸腔・腹腔を陰圧にして肺に空気を吸い込むことができるようになったといいます。<br><br>　従って、本来なら心臓などと同様に、即時的な運動能力は低くても、疲れを知らず働きつづける平滑筋（植物性筋肉）によって構成されるべき肺の運動に関わる筋肉が、肺では、即時的な運動能力の高い、ただし疲れやすい、骨格筋（動物性筋肉）によって構成されることになり、呼吸と運動とが相矛盾するものになった、ということです。私たちが激しい運動をすれば呼吸が苦しくなり、なにかに驚いたり、物事に集中するときには息をつめたりするのは、こうした呼吸と運動との矛盾によるものだというのです。<br><br>　さらに三木成夫の学説はアカデミックな実証的な学説の域を超え、無機的自然をも包括し、植物から動物への進化論的なヴィジョンにおいて宇宙論的な広がりを持っています。</p><p><br>　いうまでもなく植物というのは自分たちをとりまく地球の環境に素直に応じた生き方をしていて、豊かに降り注ぐ陽光のもとで地上のどこにでもある簡単な無機物、水、二酸化炭素を材料にして、自力で生命の源である栄養素をつくり上げ、養って、生ー殖－死のリズムを、四季の変化に従わせて生きています。<br>　ところが動物は生まれながらに植物の持つ合成能力を欠き、自然の中の空気と水は利用し得るものの、栄養源はひたすら植物がつくりだす実りに頼るほかはありません。</p><p>　植物のように居ながらにして自分を養うことができないために、植物という餌を求めて動かざるを得ない。それは地球の動きに逆らった動き（泳ぎ、のたうち、飛び、歩く）であり、そのために感覚―運動に拠って、餌を求めるという狭い目標に振り回される生活を意味した。　</p><p><br>　解剖学的に見れば、動物の身体を輪切りにして断面を見ればわかるように、単純で分かり易い腔腸動物のようなものから、わたしたちヒトの身体に至るまで、よけいなものを削ぎ取って単純化していくと、それは一本の中空の栄養を吸収するための管のようなものであることが分かります。</p><p>　その先端が口で、もっといえば内壁が少し捲れて開いたのが顔にあたる。末端は肛門です。</p><p>　そして、発生の最初の胚の段階で内胚葉と呼ばれる部分、腔腸動物でいえば一個の卵細胞が分裂を繰り返して胞胚と呼ばれる球状になり、それが内側へ凹んで形成した内壁となったものが原腸と呼ばれていますが、これが消化器の原型であり、発達すれば植物性器官と呼ばれる消化―呼吸系の内臓群を形成します。</p><p>　他方、外肺葉から発達する外壁にあたるのが、これら内臓系を取り巻き守り、外界の変化を感知する、動物性器官と呼ばれる筋肉、神経系諸組織に当たります。<br><br>　このようにしてヒトも含めて動物の身体は二つの系統でそれぞれ発達してきたわけですが、両者の間には関係もあり、植物性器官の特に両端の部分は神経が発達して脳に結びつき、受ける刺激を伝え、また脳からの指示を受ける形で、脳・神経系の関与の度合いが大きいわけです。<br><br>　こうした動物の身体を成り立たせているシステムを全体としてみると、合成能力をもたないという意味では植物のシステムに比べて、大事な機能を欠いているわけですが、それを植物の合成する栄養を横取りすることによって補っています。他方、植物の生命維持のシステムのエネルギー源は太陽であり、その光を取り入れ、大気から酸素や二酸化炭素等を吸収し、大地からは水や無機物を吸い上げる宇宙と一体化した循環システムとして、その基本的な体内の循環システムを形作っていますが、その中心となるのは太陽です。<br>　動物の場合は、植物ないし他の動物を摂取し、これを栄養素として分解して血流にのせ、エネルギー源として全身に分配するのは心臓です。従って、動物の身体システムにとって、心臓は植物の身体を成り立たせるシステムにおける主役と言っていい太陽にあたるわけで、比喩的に言えば、動物は植物における太陽及びそれと身体との循環系を体内に取り込んだのだと言ってもよいでしょう。</p><p><br>　こうした進化学、解剖学、発生学的な知見に裏付けられた、無機的世界から植物へ、さらに植物から動物全体の壮大な循環系とその相互関係にわたる宇宙的な時空をみすえたヴィジョンは三木成夫の大きな特徴であると言えるでしょう。<br><br>　吉本さんは、このような思想の方法を、マルクスの価値形態論と折口信夫の詩の発生論に匹敵する希有な思想として高く評価し、「初期論的な方法」と呼んでいます。　　</p><p>&nbsp;</p><p>　「初期論的な方法」とは、「初期という枠組みを仮定して、その内部の構造と、展開の方向と、反覆の仕方の組み合わせとして、事象が膨らんでいく過程を位置づけることだ」と説明されています。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">たとえばマルクスの価値形態論の論議には、アダム・スミスの労働価値の説が「初期」として含まれている。スミスは野原の一本軒になったリンゴの実の価値は何だろうかと言う考察からはじめる。木に近づいていって、幹にのぼり、そのリンゴの実をもいで木からおり、戻ってくる。そのあいだに支払った労力がリンゴの実の価値だということになる。そしてここには商品の価値の初期の萌芽があるとみなせる。商品は運動し、価値も運動する。だが価値の源泉は野生のリンゴをもぐための労力にあることをマルクスは手ばなさなかった。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　折口信夫もまた、日本語の言葉が自然の景物に当りをつけ、それを描写する仕方が、こころを叙する唯一の方法だと知るようになったとき、こころの暗喩としての自然の景物描写が、詩の発生をうながしたとかんがえた。この初期状態からはじまって、こころをじかに叙する抒情詩時代がくるまで、自然の暗喩を言葉が組みかえてゆく過程はつづいたとみなした。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　三木成夫はこの本のなかで植物と動物をおなじ方法で位置づけ、ふたつのかかわり方を解剖している。それをいってみれば、動物のからだから腸管をとってきて管の表と裏をめくり返し、露出して外側になった粘膜と開口した無数のくぼみを、外に引っばりだしたものが植物に対応すると述べている。この引っぱりだされたくぼみは、植物の葉っぱと根っこにあたる。いいかえれば植物は動物にとって初期だとみなされる。<br><br>　この対応はもっとさきまでゆく。動物の体内にある心臓は、植物では光合成のもとである太陽にあたる。植物のからだ（幹）は天空（葉）への触手から大地（根）へ、また大地から天空へと太陽の光合成を心臓機能に対応させるかのように循環する。そんな像がつくられている。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　そしてこの植物像の成り立ち方を初期条件とすれば、植物では胚細胞が外界の太陽を循環系の中心（心臓）として天空をふくめた宇宙にまたがっているのに、動物は肺胞形成と腸胚形成によって、太陽をふくめた外界の循環系を、からだ（体壁）に内臓したことになる。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　ここでは植物は動物にとって「初期」になっている。また植物にとっては、太陽や天空のような外界は無生物的な「初期」にあたっている。</b>（前掲『海・呼吸・古代形象』解説。適宜改行を加えて引用しました。）<br>　<br><br>　三木成夫の所論にはほかにいくつも面白いところがあります。例えば、体の持つ生理的なリズムに関しての話です。</p><p>　肺を動かす呼吸筋を骨格筋に委ねてしまったので、他の骨格筋同様に、眠っている間に疲れて機能しなくなるおそれがあるはずですが、それが休みなく働き続けるのは、肺につながる神経は鰓呼吸の時代に鰓につながっていた神経と同様にその座を延髄に据えているからで、「延髄が呼吸筋を寝かさないようにたたき起こしている」のだと言います。そして、この延髄では一定周期で神経興奮が起こっていて、これに関連して血圧や呼吸の深浅や、脈搏の周期的な強弱のリズムが生まれているのだというのです。<br><br>　そして、延髄を持つ動物はみな必ず16秒のリズムを持っている（ほかに、「いまわのいびき」のように25秒のリズムもあるそうですが）といいます。そして作曲の基本原則が４小節８秒で、８小節16秒。小学唱歌の「春のうららの隅田川」が８秒、「上り下りの舟人が」で16秒。また「菜の花畑に入り日うすれ」で12秒、「見渡す山の端かすみ深し」で24秒。この二種類で小学唱歌は成り立っているのだ、と。</p><p>　さらにロックは８ビート、16ビートが常識、能（謡曲）の「松風」は８拍子、16拍子だと。また海の波打ち際で聞く波のリズム、母親の身体の中で胎児が聞く母親の心臓のリズム、血圧のリズム、みな同様だと言います。（以上、三木のリズムについての話は、前掲『海・呼吸・古代形象』p44-45によります。）<br><br>　こうしたリズムに関する基本的な原理は、当然言語におけるリズムの発生を考える上でも深く関わってくるに違いありません。<br><br>　また、吉本さんが三木成夫の学説の最も重要な指摘として挙げているのは、先に述べたような、鰓呼吸から肺呼吸へ進化する過程で生じた、呼吸と運動との矛盾です。これは既に述べたように、私たちが物事に集中したり、一瞬驚いたときなどに「息を詰める」ような身体反応を生じることや、運動するときにたちまち「息が切れる」こと、あるいは慢性覚醒不全の疲労状態で知らぬ間に無呼吸に陥ることなど、さまざまな生理現象の理由を解き明かしてくれるわけですが、吉本さんは一歩踏み込んで、言語の発生の場面に引き寄せて、次のように理解しています。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">それからもう一つ、とても大切なことがあります。人間の心身の行動というのは自然な呼吸を妨げることなしには行なうことができない、というのが公理だとすれば、この公理を、もう少し凝縮して、公理の公理みたいなものをかんがえるとすれば、もう一つあります。<br>　それは、人間の言葉というものは、人間の自然な行為を極端に妨害することなしには、発生しなかったというが、逆にいえるとおもいます。</b>・・・（中略）・・・<b style="font-weight:bold;">今日お話した径路でいえば、人間が人間の自然な呼吸を意図して妨げることができるようになって、初めて言葉を生みだしたといえるとおもいます。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　なぜかといいますと、皆さんがすぐおわかりのように、「アー」とか「ウー」とか云っているあいだは、人間の呼吸は、それほど妨げられずに、音声で「アー」とか「ウー」とか「スー」とかいえるわけです。そんなに妨げずに云えます。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　だけど、「バカ」とか「お前」とかいうふうに、これは言語学上でいえば音声の分節化ということですけど、音声の分節化ができるためには、</b>・・・（中略）・・・<b style="font-weight:bold;">一等初めに猿から分かれて言葉を持つか持たないかという時だったら、ものすごい集中力で、じぶんの呼吸を「ウウッ」と止めたり、「ウウッ」の次に「アッ」と云ったりということができるようにならなければ、言葉というものは生みだせなかったといえます。</b>（『心とは何か―心的現象論入門』弓立社2001年P99-100）<br>　<br>　おそらくこうした三木理論の心的現象への適用は、言語論における「発語（表現）と沈黙」に関しても、生理的・身体的根拠を包括した解釈を可能にするでしょう。<br><br>　更に吉本さんは、上記の呼吸と運動との矛盾の原因である植物性器官と動物性器官の異なる系列という認識の延長上に、心的な異常とか心的な病の根拠をも見ているようです。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">人間の心の異常さとか病気とかいうものは、その人の身体器官の問題でいえば、その人の植物性の神経器官あるいは内臓器官の神経的な作用と、それから感覚器官の神経的な作用とのあいだに、何らかの意味でずれがあったり、わだかまりがあったり、それからこのばあいは並行関係ですけど、並行関係があったりというのは、その両者の境目のところで、何らかの意味の正常でない要素が起こったりあったりすれば、それは心の異常とか心の病気とかの一つの大雑把な根拠になりうるんじゃないかとおもわれるのです。</b>（同前P89-90)<br><br>　<br>　吉本さんはその後もいたるところで、三木成夫の所説から受けた影響について語っています。繰り返しにはなりますが、少しずつ表現に違いがあるので、証拠物件として少し列挙しておきましょう。</p><p>　今回のテーマに関しては吉本さん自身の言葉の引用に終始しましたが、彼自身が三木成夫の所説とそのどこにどう影響を受けたかについて詳細に幾度も書いたり話したりしているので、これ以上のよけいな解釈なり説明は無用だと思われます。<br><br><br>「心について」（『吉本隆明＜未収録＞講演集&lt;2&gt;心と生命について』筑摩書房2015所収） より<br><br>　<b style="font-weight:bold;">実はここ二、三年のあいだに三木成夫さんの著書を読んで、はじめて心というのがなにかを、提示できそうにおもえてきました。ひと口にいいますと、人間の身体とそこから出てくるさまざまな情念とか感情の問題のあいだには、おおきくふたつの区別ができるとおもいます。ひとつは、ようするに感覚です</b>。・・・（中略）・・・<b style="font-weight:bold;">そうすると、感覚作用のなかに心の働きは含まれるかどうかということになります。つまり感覚的に気持ちのいい対象物を目にしたために、気持ちがいいとおもったり、情念がすっきりしてきたりというようなことがあるから、心が介入してくるといえます。　　</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　そうすると、またあいまいになってきそうですが、それは感覚的な作用のなかに心の作用がまぎれこんでいくという意味で心が介入するとみられるわけで、感覚作用は心本来の作用とは違うことです。感覚作用ははっきりと人間の五感からうけた反応というので感じるさまざまな情念の動きとか感情の動きとかです。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　そうすると、心とはなにかというのをおなじようないいかたをしますと、内臓の動きとか働きというものの関係を主にして起こってくる情念の動きが心の働きだとかんがえればいいことになります。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　そのことがぼくにはながいあいだあいまいなままでした。つまり感覚作用と心の作用をどう区別したらいいのかあいまいなままつかっていました。三木さんの本を読みますと、心の作用は、五感である視覚とか聴覚とか触覚とかいうことではなくて、内臓の働きに関連するさまざまな情念の揺れ動きによって起こるものといえば、いちおうはっきり区別できることになります。</b>（p53）<br><br>　<b style="font-weight:bold;">三木さんの本を読みまして、心の働きから出てくることばは自己表出的なことばというふうにかんがえればいいということにはじめて気がつきました。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　つまり、漠然と、ことばというのは指示表出と自己表出の交差したものだとかんがえてきたけれど、身体的あるいは生理的にいえば、内臓器官の働きに関連する表現のしかたというのが自己表出で、感覚器官の働きに関連することばの働きかたが指示表出だとかんがえれば、これは一種の身体的あるいは生理的基礎というので、自分のかんがえかたに根拠を与えられるのではないかとはじめて気がづきました。</b>（p57）<br><br>　<b style="font-weight:bold;">人間の身体器官を、起源とする考え方は、全く三木さんの考え方によるわけですけど、これを人間の心の動きと結びつけたのは、ぼくが結びつけたのです。ぼくは、それをぼくの言語論と結びつけたくて、植物性の器官からくる心の動きは自己表出であり、それから動物誌の神経つまり感覚からくる心の動きは言葉にならない前の言葉の指示表出だ、その二つがあって、それが心の動きなんだと、ぼくはそういうふうに結びつけてきたわけです。</b>（P94)<br><br><br>『詩人・評論家・作家のための言語論』（株式会社メタローグ　1999.3.21)より<br><br><b style="font-weight:bold;">&nbsp; もっと生理的に、人間の身体に結びつけてかんがえれば、自己表出は内臓そのものにかかわりのある表現です。胃が痛くて、おもわず「痛い！」という。心臓がどきどきして、おもわず「あっ」といったりする。つまり、人間の内臓に関係づけられるこころの表現は、言葉の自己表出の側面が第一義的にあらわれると理解するのがいちばんよいとおもいます。<br>　さらにいえば、言葉の自己表出は人間がもつ植物神経系とかかわりが深いとかんがえればよいでしょう。人間の内臓は、脳で意図して動いているのではなく、植物神経によってひとりでに動いているのです。<br>　指示表出は感覚とかかわりが深い言葉の表現です。感覚は植物にもないわけではありませんが、反射神経的な動きしかありません。動物のようにじぶんで体を動かしたり、眼を働かせたり、耳で聞いたりすることはない。眼や耳など動物神経で働いている器官は感覚器官ですけれども、それを介して脳に結びついており、それを第一義とする表現は言葉の指示表出に関係があるとかんがえればわかりやすいとおもわれます。</b>（p79)<br><br>&nbsp; <b style="font-weight:bold;">　三木成夫さんの著作をはじめて読んだときにはほんとうに驚きました。なぜかといえば、三木さんの方法論が、価値形態論におおけるカール・マルクス（1818～83)、国文学研究における折口信夫（1887～1953）と同じだと感じたからです。そして三木さんの書いた『胎児の世界』を読んでいるうちに、この人の考え方とぼくの言語論とを対応させることができるんじゃないか、と気づいたのです。</b>（p80～81）<br><br>　　<b style="font-weight:bold;">やや乱暴にまとめますと、三木さんは人間について、大腸、肺、心臓など植物神経系の内臓の内なる動きと、人間の心情という外なる表現は対応し、また動物神経系の感覚器官と脳の働きは対応しているとかんがえています。そのうえで三木さんは、植物神経系の内臓のなかにも動物神経の系統が侵入していくし、逆に血管のような植物神経系の臓器も動物神経系の感覚器官の周辺に介入しているといっています。ですから、内臓も脳とのつながりをもっていることになります。何らかの精神的なショックを受けて、胃が痛くなるとか、心臓がドキドキするということがあるのはそのためです。<br>　　そのとき人間は、動物神経と植物神経の両方にまたがる行為をしているわけです。植物神経系と動物神経系は、内臓では植物神経が第一義に働き、感覚器官では動物神経から脳へという働きが第一義に働きますが、第二義的には人間の精神作用は、心の動きと感覚器官の織（物）なのです。三木さんはそういっているのだとおもいます。</b>（p82)<br><br>&nbsp; &nbsp;<b style="font-weight:bold;"> ぼくがはっとしたのはそこのところで、それならぼくの言語論における自己表出は、内臓器官的なものを第一義とした動きに対応するのではないかとおもったのです。必ずしも、対象を感覚が受け止めたりみたりすることがなくても、内臓器官の動きというものはありうるし、人間の精神の動きや表現はありえます。つまり植物系器官を主体とした表現を自己表出といえばいいのかとかんがえました。<br>　では、指示表出は何かといいますと、眼でみたり耳で聞いたりしたことから出てくる表現です。たとえば、ぼくがだれかの顔をみて、「あいつの人相はわるい」と表現したとすれば、それは指示表出です。これを三木さんの考えと結びつけていえば、指示表出は感覚器官の動きと対応することになります。</b>（p83～83)<br><br>&nbsp; &nbsp; <b style="font-weight:bold;">そうかんがえていきますと、じぶんはこれまで文字で表現された作品で言語論をつくってきたけれども、じぶんにも文字で表現される以前の言葉だとか、赤ん坊のように言葉が分節されない以前の表現というものまでも含めた言語論ができるのではないか、別にフェルディナン・ド・ソシュール（1857～1912）の言語論のむこうを張る気はありませんが、じぶんの言語論の体系を文字以前のところまで拡張することができるんじゃないか、と気がついたわけです。</b>（ｐ８３）<br><br><br>『ヒトのからだー生物史の考察』の解説より<br>&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; &nbsp;　</p><p><b style="font-weight:bold;">　三木成夫によれば腸管から消化・呼吸系のさまざまな器官（胃・肺など）が分化して発達してくる。血管系からその一部が分化して心臓が形成される。つまりこれら内臓器官は、植物性の器官の高度に分化したすがただといえるものだが、三木成夫によれば「ヒトのからだ」の特筆すべき点は、この内臓器官の壁に筋肉が発達し、そこに神経がとおるようになることだ。</b></p><p><b style="font-weight:bold;">　別の言葉でいえば、植物性の器官のなかにいわば動物性ともいうべき筋肉や神経が張り出してきて、その壁の蠕動運動によって器官内部のものが運搬されるようになる。また同時に「からだ」の外からの刺激にたいしても植物性の内臓器官は微妙に反応するようになる。　三木成夫によればわたしたち「ヒト」の心情のうごきは主にこの植物性の内臓器官の反応とかかわっている（血がのぼる、胸がおどる、心が痛むなど）。そして代表的なのが心臓の脈動の変化と心情のうごきとのあいだの関係で象徴される。</b>・・・（中略）・・・　<b style="font-weight:bold;">こういう三木成夫の「ヒトのからだ」の植物性器官と動物性器官の密接なからみあいと、高度な分化を述べたところは、わたしの言語論にいわば「ヒトのからだ」まで下りた根拠を与えることになった。<br>　わたしは表出される「ヒト」の言葉は、自己表出と指示表出のからみあう構造とみられるという言語論をつくりあげていた。このばあい、言葉の自己表出というのは、心臓に象徴されるすべての内臓器官が、刺激によって動かされたり緊張やその逆のゆるみを産みだし、そのことから心情の揺らぎをつくりだすという三木成夫の考え方に対応させることができる。それが、すぐにわかったような気がした。またわたしが言葉の指示表出とよんでいる側面は、対象物にたいする認知と反射の表現だから、主として動物性の感覚器官の動きと機能に関係づけられることがわかった。この「ヒトのからだ」の植物性器官と動物性器官との高度にからみあったすがたこそが、「ヒト」が分節された言語を発する、身体からの根拠にほかならないといえよう。&nbsp;&nbsp; &nbsp;&nbsp;&nbsp; </b>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>（この項おわり。）</p><p>　to be continued ・・・</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12814779697.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Aug 2023 21:28:47 +0900</pubDate>
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<title>「関係の絶対性」とはなにか</title>
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<![CDATA[ <p>「関係の絶対性」とはなにか</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;「マチウ書試論」は、『全著作集』４（勁草書房1966）に収められた時の解題によれば、以下のような経緯で世に出たものです。</p><p>&nbsp;</p><p>「昭和29年から30年にかけて執筆され、一部は『現代評論』に発表されたが、のち『芸術的抵抗と挫折』『われらの文学22 江藤淳吉本隆明』などに収められた。冒頭から62頁11行までは、昭和29年６月１日、『現代評論』（第一号 季刊 現代文学社発行）に、「反逆の倫理（左副題「―マチウ書試論―」）の標題で発表された。初出誌の仮名遣いは現代仮名遣いあった。</p><p>62ページ12行から81ページ８行すなわち「２」の末尾までは、昭和29年12月１日、『現代評論』（第２号）に、「反逆の倫理（Ⅱ）（左副題「―マチウ書試論―」）の標題で発表された。この初出誌での仮名遣いは歴史的仮名遣いであった。</p><p>81ページ10行すなわち「３」の第１行から106ページ最終部までは、昭和29年あるいは昭和30年に執筆され、未発表のまま奥野健男氏が保管されたのである。のちに全篇とりまとめて現代仮名遣いにより昭和34年『芸術的抵抗と挫折』に収められた。」（全著作集４解題p670-671）</p><p>&nbsp;</p><p>昭和29年といえば吉本さんは30歳、すでに厖大な習作詩「日時計篇」（1951,1952）などを経て、孤独な内面を透明で硬質な論理的言語によって構造化するかのような定本詩集『固有時との対話』（1952）、一転してその内部世界を現実社会の秩序に向け、歴史的現実と向き合う対他的言語として解き放つ　『転位のための十篇』(1953)を刊行してほどないころであり、前年には研究者として勤務していた東洋インキ製造株式会社青砥工場労働組合の組合長および同組合連合会の会長に選任され、賃上げ等の要求闘争に奔走するも闘争方針をめぐって紛糾、孤立し敗北、吉本組合長率いる執行部は総辞職に追い込まれ、翌29年早々の前執行部を狙い撃ちにした人事異動をめぐる闘争にも敗北、母校東京工大への「長期出張」を命じられ、さらに翌31年に本社への再配属を命じられるが、「つめ腹を自らの手できって」退職する、という時期に当たっています。</p><p>&nbsp;</p><p>戦争中には自分なりに戦争イデオロギーを信じてきた「軍国少年」が敗戦時に味わった深い挫折、繊細で孤独な感受性を備えた生来の詩人的な資質、戦後社会への大きな違和感、組合闘争における挫折といった私的な生活史の裏面に伴ってきた、大きな思想的転回（転向）と新たな認識を武器に構築していった独自の思想的基軸によって、日本社会の歴史的現実に分け入り、世界認識にまでのぼりつめていく端緒となった時期であり、この「マチウ書試論」には、その原型的な姿が明瞭に刻まれています。</p><p>&nbsp;</p><p>副題に「反逆の倫理」とあるように、これは新約聖書に対する独自の読みを通じて、吉本さんが自身の「秩序」に対峙する思想のありようを確かめ、その相対性を吟味し、その根拠を追究しようとしたものだと考えられます。</p><p>&nbsp;</p><p>吉本さんがよく使う「秩序」という言葉は、ニュートラルな＜秩序＞の意ではなく、むしろ既存の支配的な社会秩序であったり、政治的な権力が強いる体制的秩序といったものを意味し、これに抗うことを「反秩序」とみなしていることは明らかです。ここに言う「反逆の倫理」とは、この一書が、そうした既存の支配的秩序に抗う側の倫理が正当化されるとすれば、それはどのような根拠によって可能か、を問うものであったことを示しています。</p><p>&nbsp;</p><p>こうした「秩序」とそれに抗う「反秩序」の関係を、吉本さんは、旧約聖書に表現された、紀元前後のパレスナ地方一帯におけるユダヤ民族の間で支配的であったユダヤ教の教団・教会的秩序と、これに抗う形で登場した新約聖書に表現された「イエス・キリスト」一派の思想との近親憎悪的な対立に見て、新約の「反逆の倫理」がどのように形成され、なぜそれが力を持ち得たのか、またその倫理は如何に正当化されうるか、を探究していきます。</p><p>&nbsp;</p><p>その際、歴史的現実としての「イエス・キリスト」に関しては、吉本さんはもっぱらA.ドレウスの『キリスト神話』（Arthur Drews，Die Christusmythe, 1909. 原田瓊生訳 岩波現代叢書　1951）に依拠して、イエスの歴史的存在を否定し、試論の対象としたマタイ伝を、旧約聖書の文言を使って自身の母胎であるユダヤ教とその体制を批判した思想書とみなして議論を進めます。従って、イエス・キリストは新約書の作者がでっち上げた架空の人物とされています。</p><p>&nbsp;</p><p>ドレウスは、紀元前586年～前536年に起きたユダヤ民族のバビロン捕囚時代、捕虜として他国に生きた彼等の間で、ペルシャの二元論の影響によって、それ以前の唯一神教的な一元論的世界観に転換が起こり、神と世界とが分離し対立関係に立つにいたり、それに伴ってペルシャのミトラ（光明、真理、公正の霊であり、人間のための神的な友人、仲介者、救済才者、世界の投福者～ハイラント）の観念の影響で、天地を仲介する「神の子」であり、「救済者」（メシア）であるような、人間的にして神的な存在の観念が、紀元前１～２世紀ころから紀元１世紀にかけて発生し、ユダヤの黙示文学において明瞭な形を取って現われた、というところから始めて、神と世界、神と人間を仲介する「言葉（ロゴス）」あるいは「智慧」の働きや、「身代わりの牡山羊」（scapegoat）の観念、受難の後に死んで再び甦る「神の下僕」の「復活」等々のイエス・キリストを構成する神話のキー概念が、いかにペルシャあるいは更にバビロニアにまでさかのぼる起源をもつものかを実証的に探究し、「イエスの歴史性については、ユダヤ人側の典拠と称すべきものは、ただの一つもない。」（同書 p172）とし、さらにローマ人側の典拠を探究してこれまた全く典拠となるものは見当たらないこと、さらにキリスト敎以外の証拠を探索して最終的に、「以上述べた所を綜合して考えると、イエスの歴史性を立証するに足る、キリスト敎外の典拠は無いことになる」（p192）との結論を導き、「福音書以外には歴史的のイエスを承認する資料は存在しない・・・」（p199）と断じています。</p><p>&nbsp;</p><p>ドレウスのこの著書は、新約書成立前後あるいはそれ以前のユダヤ民族の置かれた状況や思想的宗教的な空気を伝えてくれて、大変興味深いものです。もちろん出版されて長い歳月を経た古い書物ですから、歴史学や古文書学で新たな発見があってドレウスの「実証」がある部分で覆されたり、修正されたりといったことはあったかもしれません。彼の議論はいまでは成立しない、といった意見のあることも仄聞したことがあります。</p><p>しかし、それは本稿で述べる趣旨にはほとんど関係がありません。ドレウスの実証にどれだけ瑕疵があろうと、イエスの歴史的実在が実証されようと、たしかにマタイ伝を一人の作者の創作のようにみなし、歴史的存在としてのイエスをドレウスに倣って否定した吉本さんの議論の前提は修正を迫られるでしょうが、そんな歴史的、古文書学的なイエスの実在性なり新約書の成り立ちなりの事実認識の当否は「マチウ書試論」の評価に本質的な影響を及ぼすものではないからです。</p><p>「マチウ書試論」の狙いは、思想（とその母胎となった思想と）の（あいだの）ドラマを抽出し、そこにみられる思想の生理とでもいうべきもの、あるいは思想の正当性、相対性について問い、思想はいかにしてその根拠を獲得しうるのかという普遍的な問いに答えようとするものであったと思います。このテーマに即して考えれば、イエス・キリストが歴史上の人物であったか否かなどということは問題にもならないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>ドレウスの著作は、虚心にただの物語のようにして読んでも大変面白い読み物でした。</p><p>&nbsp;</p><p>「エピファニウスが異端史の中で誌しているイエスという名は、ヘブル語ではCurator, Therapeutês すなわち医者及び救済者という意味」だとか、「古代バビロニアの名称魔術（Namenszaubel）は、昔から神の如き救主の観念と結ばれていて、イエス（ヨシュア）という名はすでにキリスト以前の宗教の中で悪鬼を逐い出すために使われていた」(同書p50)ものらしく、パピルスに記された句には「我はヘブル人の神イエスの名によって祓う」という言葉が残されているといったことも述べられていて、イエスが実在の人物であろうとなかろうと、そういった人物が現われ、或いはそういったメシア思想が広がり、民衆の間でイエスの名で信じられていた，といった状況があったという見方には大変説得力があるように思われました。</p><p>&nbsp;</p><p>フェニキア人の間では、神の名がイスラエルと呼ばれていたとか、疫病流行の終息を祈願するために自分の息子イエウド（ユダ）即ち「独り子」に王の衣服を纏わせて犠牲に捧げていて、アブラハムが長男をヤハウェに献げようとしたのもそうした信仰的習俗にもとづくものだとか、そのアブラハム（高祖）とはイスラエルの別名であり、ヘブル人本来の神名で「強大な神」(Gewaltiger Gott)というのだったが、それが一支族の氏神ヤハウェの名に取って代わられてしまい、もとのアブラハムという神名はただその属していた民族名として用いられるだけになってしまったのだ、といった歴史的事実についての記述も私には初めて触れるもので、大変興味深く読みました。</p><p>&nbsp;</p><p>なお、イザヤ書においてアシュカル（Ashkal）またはアシュル(Ashur)、すなわちヤハウェ・アシュル（Jahawe-Ashur）と呼ばれる神の名は、「著名なヘブル学者の意見では、イエホーシュア（Jeho-Shua）、ヨシュア（Joshua）、イェシュア(Jeshua)、イエシュ（Jeshu）、またはイエス（Jesus）の原型」（同書p78）だそうです。ヨシュアといえば、モーゼの死後そのあとを継いで神の言葉に従い、イスラエルの民を率いて他民族を虐殺しながら故国へと導く旧約聖書のヨシュア記の主人公で、割礼や過ぎ越しの祭の創始者とされる人物で、それがイエスの像と二重写しになってくるわけで、とてもスリリングな記述でした。</p><p>&nbsp;</p><p>吉本さんはこのドレウスのイエス実在否定説に基づいて、新約書のマタイ伝を、当時の宗教的、思想的な秩序を支配していたユダヤ教に対する「近親憎悪」によって、旧約書の文言を武器として逆手にとった反逆の倫理を構築した、すぐれた思想書として読み込むことによって、対立する思想が演じるドラマにおける思想の生理ともいうべき、現代にも通じる普遍性を抽出し、秩序に抗う反逆の倫理の根拠を問う、というモチーフに導かれて、マタイ伝の思想を批判し、これを越えていく道筋を見いだそうとしたのだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>色々な人がこの著作を論じたり評したりしていますが、それらをいま読むと、プロの評論家のような人たちにも、この論考は或る種の強い衝撃を与え、また難解なものとして受け止められてたことが分かります。</p><p>&nbsp;</p><p>その理由はいくつか考えられると思いますが、まず吉本さんが論じる対象は、通常日本で流布れている翻訳ではつねに「マタイ伝」と表記され、イエス、モーゼ、ヨハネ、パウロ等々、おなじみの名で記され、語られてきたのですが、吉本さんはこれをすべてフランス語読みのカタカナにしてしまって、マチウ書、ジェジュ、モイズ、ジャン、ポオルなどと呼んでいます。従来の日本語訳聖書に慣れた者にとっては、強い違和感を覚えざるを得ないのです。（本稿では一般的な呼称に従って、マタイ、イエス、モーゼ、ヨハネ、パウロ等々と呼んでおきます。）</p><p>&nbsp;</p><p>この点について、吉本さん自身が、「マチウ書試論」が初めて単行本に収録された『芸術的抵抗と挫折』の「あとがき」（昭和34年２月25日）で、次のように述べています。</p><p>&nbsp;</p><p><b>「マチウ書」というのは、いわゆる「マタイ伝」のことであり、わたしは、ここで勝手に「マチウ書」とかえてしまった。登場人物の名前も、書名もかえてしまった。エンゲルス、ルナン、シュバイツァー、モーリヤック、波多野氏などのキリスト教に関する論策など、手当り次第によんだが、最後によんだアルトゥル・ドレウス『キリスト神話』（原田氏訳 岩波書店）によって、実証研究のすごさをしっておどろき、ドレウスの業績を忠実に信奉した。</b>（全著作集5 p692-693）</p><p>&nbsp;</p><p>　また、そんなふうに書名や人物名を変えてしまった点については、『吉本隆明自著を語る』というインタビュー構成による著書（2007年6月30日 （株）ロッキング・オン発行）で次のように語っています。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　・・・実際に教会に行って牧師の話を聞くと、馬鹿なことばっかり言ってるわけですよ（笑）。僕はもう「何言ってやがんだ、話にならん！」と思ってね、だから牧師さんから実際の影響を受けたとか、そういうことはないんです。結局自分で文学的に読んで、それで自分なりに書くっていう。でもなんか照れくさくてか馬鹿らしくてかわからないけど（笑）、あからさまに新約聖書のマタイ伝について書いてあって、主人公がイエス・キリストだっていうふうには書く気がしなかった。だからなんとか違う名前にすればいいと思って、マタイ伝はマチウ書、イエスはジェジュっていうふうに言い直そうじゃねえか、って自分で決めて、そういうふうにしちゃったんですよ。それでのちのちまで「おまえ、そりゃ発音が違うぞ」なんて悪口を言われましたけど（笑）。</b>　（同書p39-40）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp;この「照れ」というのは何となくわかりますね。相手は広く信仰の対象である神やイエスやお弟子さんたちの言葉だと信じられている言葉で構成された書物ですから、そうした信仰をもたない者がその言葉を大真面目に扱おうとするとき、或る種のてらいがあるのは感覚的によくわかるような気がします。</p><p>　言葉に新しい思想を込めようとし、あるいは詩人や小説家がその作品において自分の感情や思想を表現しようとするとき、できる限り手垢のついた言葉を避けようとするのは当然で、さんざん手垢のついた新約書の日本語訳の言葉を全部、これまでの聖書訳としては聴きなれない言葉に置き換え、ニュートラルな名辞によって論理を展開したい、と考えるのは、言葉の感覚に鋭敏な詩人としてはむしろ当然のことでもあったでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんの著述を分かりにくい、難解だ、と否定的なニュアンスで評する評論家の類はあとをたちませんが、彼等のほとんどは、まともに吉本さんの著作を読もうともせず、ただ自分たちに分かりやすい手垢にまみれた言葉を使ってくれない吉本さんに不満を漏らすばかりで、なぜ彼がそうした言葉を用いなくてはならなかったのかを考えてみようともしないのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　たしかに言葉に他者とのコミュニケーション機能のみを見て、吉本さんのいわゆる「指示表出」を中心に見ていくなら、彼らのような怠惰な読者にも「わかりやすい」手垢にまみれた言葉しか使わない文章を書くことはできるかもしれません。</p><p>しかし、そうした共同規範としての言語を突き破るような形で「自己表出」に重点を置いた言葉の使い方をしようとする限り、ときには「指示表出」をカッコに入れ、あるいは置いてきぼりにし、またそれをも「自己表出」に奉仕させるような形で言葉を使っていく、ということはいつでもあり得ることだし、詩を書き、自前の新たな思想を生み出していく吉本さんの言語がつねに「自己表出」にアクセントを置いたものであったことは申すまでもないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんの言葉が難解だとか、分かりにくいとか、勝手な造語だとか否定的なニュアンスで言われることの背景には、そうした「表現としての言語」に対する無知、無理解と、新しい思想を語る言葉を読み解こうとするささやかな労さえ厭って、自分にわからないことを著者の責に帰する評論家の類の怠惰があるように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>つぎに、キリスト教の教会関係者や信者にとってはむろんのこと、一般の人たちにも、実証的にではないにせよ、2000年も昔の遠い世界に、イエス・キリストその人なり、それに近い人物がいて、新約書の思想を説いて民衆に深く広い影響を与えた、ユダヤ教の一派、いま原始キリスト教団と呼ばれているような宗教集団があったのだろうな、程度の漠然とした感じではあっても、イエスないしそのモデルになるような宗教的指導者を歴史上の実在する人物として想定するのが、まずまず一般的な受け止め方ではないかと思いますが、吉本さんの立論は、ドレウスの実証研究に全面的に依存したとはいえ、最初からイエスは歴史に実在した人物ではなく、新約書の思想を創出した思想家が創造したフィクショナルな人物だと決め込んで、その論述を進めています。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、ドレウスは新約書の記述がいかに旧約書の文言を拾い集めて再構成したものに過ぎないかをきめ細かに実証してみせる点では、これを踏襲した吉本さんとかわりはありませんが、ドレウスの場合はそうすることによって、新約書を生み出した原始キリスト教団の思想がいかに民族宗教としてのユダヤ教の伝統の中にすっぽりと納まり、そこから生まれたものであるか、そこにいかに多くのものを依存しているかを実証的に明らかにし、古代ユヤ民族の遭遇した運命とそこから生み出された宗教思想の土壌と文脈のうちに原始キリスト教やその教団のありようを重ね、位置づけることを主眼とする歴史学的、宗教哲学的な要請に従った著述であることには注意しておく必要があるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>吉本さんはそのドレウスの実証研究が導き出した、歴史的イエスの否定や、新約の思想がいかに旧約書の文言を寄せ集めて構築されたものであるかについては踏襲しながらも、そこに彼が見出したものは、ユダヤ教の思想とその歴史のうちにおさまる思想や教団の姿ではなく、むしろそれらに激しく抗い、憎悪し、打ち倒そうとした反逆の思想であり、反逆者たちの一団であって、ドレウスと同じように自身で旧約書と新約書の記述を対照しながらも、ドレウスのようにただその新約の記述がどの旧約の記述を拾い集めたのであるかを実証して、新約の記述を旧約の記述のうちに回収し、位置づけるというのではなく、その旧約のどこを、どのように拾い集め、再構成することによって、元の記述とは似ても似つかない、旧約書の思想にするどく対立する新たな思想を生み出したのか、というところに、吉本さんの全関心は集中しています。</p><p>&nbsp;</p><p>吉本さんのこのようなテキストの読み方は、普通に私たちが思想書や文学書を読んで、書き手の思想や感情を理解しようとするときの読み方と何ら変わるところはなく、その対象となる書物の記述を信仰の対象として受け止めるのではないことは無論のこと、ドレウスのように、その記述が書かれた時代の歴史的状況や当時の無数の歴史的文書の文脈のうちにどう位置づけられるかいった歴史家や古文書学者のような読み方とも縁のないもので、あくまでも書かれた言葉を、「表現としての言語」として受け止める読み方であり、文字に書かれた言葉を、内面的な表出意識との関わりにおいて、ひいては作者の思想や感情、さらにはその背後にあるあくまでも表現者の個性を通して垣間見える時代や社会へとつながるものとして読む、私たちが日常的にやっている読む行為にほかなりません。</p><p>&nbsp;</p><p>それが或る意味で異様にみえたりするのは、こと聖書に関しては、だれか個人としての思想や感情をもった作者がいて、その内面とつながる表現としての言語を読んでいるのだ、という意識をもつことがむしろ例外的であって、その言葉が先験的な、すでにそこにある（神の）言葉、たとえ神を信じない人にとっても、いわば共同幻想としての規範的な言語としてそこにあるようなものとみなされてきたことによるのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんのマチウ書試論は、そうした先験性を突き破り、この書の思想をつくりあげ、この書を書いた一人の「作者」を想定し、その内面、思想と感情のありかたを鋭く剔抉して見せた徹底性によって、漠然とした共同幻想としての聖書の受け止め方をしてきた読者に或る種の衝撃を与えた面があったと言えるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　次に、論考の内容について考えてみると、吉本さんはマタイ伝の思想を、その母胎であるユダヤ教の思想や現世的な秩序に抗い、激しい思想的な「近親憎悪」をバネとして、敵の言葉をすべて自らの武器に転じて敵を撃つ、いわば極度に屈折した性格をもつものであることを、全編を通じてくどいほど激しい言葉で繰返し強調しています。　　　　　　　　　　</p><p>&nbsp;</p><p>　たとえば「姦通するなかれ」という旧約の戒律も、イエスの言葉では「誰でも情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである」となります。これでは生身の人間、立つ瀬がないでしょう。</p><p>また「目には目を、歯には歯を」という戒律に関しては「悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」。これは素直な態度などではなく、屈折した心情による底意地の悪い不貞腐れた態度というほかなはいでしょう。</p><p>　「また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。」悲しいとき悲しい表情をし、苦しいとき苦しい表情をすることは自然なことであって、よほどひねくれたものでなければ、それを偽善だと貶めはしないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>イエスの言葉は、病的な猜疑心とか被害者意識に凝り固まったもののように屈折し、人の内面に倫理的な強迫観念を植え付ける偏執狂のような粘っこさ、しつこさ、攻撃性があります。</p><p>吉本さんも言うように、その背後には当時の時代と社会を支配した既存の宗教的、政治的権力、現実の秩序から原始キリスト教団が被った苛酷な迫害と無数の死があったと考えるほかはないでしょう。それがこのような特異な反逆の思想を生み出した、というのが「マチウ書試論」の前半の趣旨だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　論じる吉本さんの口調は、ほとんどマタイ伝の著者に感情移入したように激しく、パセティックで、マタイ伝の著者画素の思想の母胎であるユダヤ教に対して投げつけた偽善者よ、蝮の子らよ、といった激烈な言葉に同化し、重なって見えます。</p><p>そこには、吉本さんが私生活において例えば組合闘争で体験したような、彼が率いる戦闘的な支部組合と経営者らに融和的な組合連合との確執や、最も抑圧された存在でありながらむしろその状態に甘んじ、その解放を夢見て秩序に抗う者を疎外し、孤立を強いる、吉本さんが詩に書いたような大衆に対する激しい近親憎悪、あるいはさらに、戦中から戦後にかけての思想転換の中で遭遇した、戦争協力者でありながら戦後になって反戦者や革命者を気取る無自覚な転向者らへの不信と憎悪、といったものにまで遡る、秩序への不信、怒り、憎悪がすべて、そこに叩き込まれているようにさえ見えるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　その激烈な調子が、この論考を読む者に異様な衝撃を与え、このあとにすぐ述べる「関係の絶対性」というキーワードに関しても、奇妙に感情的な言葉のように受け取る、数多くの誤読をももたらしたと私は考えています。</p><p>&nbsp;</p><p>　そして最後に、この論考の最終章（第３章）の最後に近い部分に登場する「関係の絶対性」という耳慣れない言葉が、少なからぬ読者を戸惑わせたことは疑いありません。しかもこの言葉は「マチウ書試論」の要をなす最も重要な概念であり、キーワードとして突出した言葉であったために読者に衝撃を与え、同時に躓きの石ともなったのでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　「<b>偽善な立法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている。「もし、わたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう」と。このようにして、あなたがたは預言者を殺した者の子孫であることを、自分で証明している。</b>」（マタイによる福音書 23-29 日本聖書協会1955年改訳『聖書』による）</p><p>&nbsp;</p><p>　この「白く塗りたる墓」として知られるエピソードを掲げ、吉本さんは続けて次のように述べています。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　すべての悲惨と、不合理な立法と支配の味方である現代のキリスト教は、当然この言葉をうけとらなければならない。加担の因果は、秩序というものを支点としてめぐるのである。加担の意味が現実の関係のなかで、社会倫理的にとらえられなければならないのはこのときである。ここで、マチウ書が提出していることから、強いて現代的な意味を描き出してみると、加担というものは、人間の意志にかかわりなく、人間と人間との関係がそれを強いるものであるということだ。人間の意志はなるほど、撰択する自由をもっている。撰択のなかに、自由の意識がよみがえるのを感ずることができる。だが、この自由な撰択にかけられた人間の意志も、人間と人間との関係が強いる絶対性のまえでは、相対的なものにすぎない。律法学者や、パリサイ派が、もしわれわれが父祖のときに生きていたら予言者の血を流すために、かれらに加担しはしなかったろうと言うとき、それはかれらの自由な撰択の正しさを主張しているのだ。</b></p><p><b>　だが、人間と人間との関係が強いる絶対的な情況のなかにあってマチウの作者は、「それなのに諸君は予言者であるわたしを迫害しているではないか。」と主張しているのである。これは、意志による人間の自由な撰択というものを、絶対的なものであるかのように誤認している律法学者やパリサイ派には通じない。関係を意識しない思想など幻にすぎないのである。それゆえ、パリサイ派は、「きみは予言者ではない。暴徒であり、破壊者だ。」とこたえればこたえられたのであり、この答えは、人間と人間との関係の絶対性という要素を含まない如何なる立場からも正しいというよりほかはないのだ。秩序にたいする反逆、それへの加担というものを、倫理に結びつけ得るのは、ただ関係の絶対性という視点を導入することによってのみ可能である。</b>（「マチウ書試論」ｐ137-138　講談社文芸文庫）</p><p>&nbsp;</p><p>　「関係の絶対性」という言葉が異様に響くのは、ひとつには「関係」（人間関係）という概念自体がむしろ「相対的」という概念を連想させるところがあるせいでしょう。</p><p>もちろん天皇制国家の戦時中における天皇とその「赤子」だと考えられた臣民たる国民との関係、あるいは一般に軍隊における上官と部下の兵隊、あるいはワンマン親父ないし関白亭主とその妻子、教祖と信徒等々のように平等ではない固定した関係について、「絶対的（な関係）」という言葉を用いることはありふれたことだし、「関係の絶対性」が形容矛盾に類する用語法だとは言えません。</p><p>しかし、そうした特殊な事例を考えないで、抽象的な複数の対等な人間同士で考えれば、その関係はつねに相対的なものであり、実際この概念が生れて来る前提として、もともと人間関係というものが相対的なものであって、主観的にこれが絶対に正しいと考えても、それは客観的にみれば個人的な主張に過ぎず、ほかの者もまた自分と同様にこれが絶対に正しい、と異なる意見を主張することができるし、その人間と人間の間だけではいずれが本当に正しいかを判断することができない、相対的な関係にすぎません。</p><p>&nbsp;</p><p><b>マチウの作者は、律法学者とパリサイ派への攻撃という形で、現実の秩序のなかで生きねばならない人間が、どんな相対性と絶対性との矛盾のなかでいきつづけているか、について語る。思想などは、決して人間の生の意味づけを保証しやしないと言っているのだ。</b></p><p><b>人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は撰択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。</b>（同前 p139）</p><p>&nbsp;</p><p>すなおに吉本さん自身の書いていることを読めば、どれほど主観的には絶対的な真理だと主張したい思想であっても、それはまた他者も異なる主張を絶対的な真理だと主張できる、相対的なものに過ぎず、思想の正当性を保証することはその思想自体あるいは両者の関係の内部だけでは不可能であって、いずれの思想もその根拠を持ち得ない、と述べていることが理解できます。</p><p>&nbsp;</p><p>ではどうすれば思想の正当性は保証されるのか、思想が根拠を持ち得るのかといえば、「（加担というものは、）人間の意志にかかわりなく、人間と人間との関係がそれを強いるもの」であり、「（加担の因果は、）秩序というものを支点としてめぐる」ものであって、その意味は「人間の心情から自由に離れ、総体のメカニズムのなかに移されている」のだ、と語られています。</p><p>&nbsp;</p><p>私がまだ二十歳前の大学へ入ったばかりの年頃に、地方都市から出て来て生まれてはじめてマルクス等々の本に触れ、大学の友人や先輩たちが既に身につけていたマルクス主義的なものの考え方に触れたとき、では自分たちの身の回りに見られる圧倒的多数のごくふつうの生活者が、搾取され、疎外され、支配され、抑圧された存在であるはずであるにも関わらず、なぜむしろ彼らこそが自分たちを搾取し、疎外し、支配し、抑圧する権力を変わらずに支持しつづけ、むしろそうした大衆を「解放」せんとする反体制を標榜する党派の連中を忌み嫌うのか、ということは、素朴な疑問として胸のうちに宿さざるをえませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>それは上に引用した「人間は・・・貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る」状態に当たっています。</p><p>吉本さんは、私がたまたま聞きに行った当時の講演のあとの質疑の中で、この辺りに触れた質問に答えて、脈絡を辿ることも難しい訥々とした語りではありましたが、僅かひと言、そのことに触れて、「そこに＜構造＞があるわけですよ」と言っていたのを鮮明に覚えています。</p><p>&nbsp;</p><p>当時の私にはもちろん彼のいう「構造」の意味は分からなかったけれど、いまではそれが、このマチウ書試論で発した疑問の延長上に「共同幻想論」が生れたことも、あの「構造」が「共同幻想論」の解き明かす、「人間と人間との関係が強いる」ものの実体であることも理解できます。</p><p>&nbsp;</p><p>　「関係の絶対性」について吉本さん自身が、後日、これを「客観性」と言い換えてみせたことがあります。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　＜確信＞が思想の真理を保証しないということは、すでにわたしにとって体験としてははっきりしていた。すると思想の真理を保証するのはなにか。なにかわからないとしても、それが思想の数だけ恣意的にあらわれる主観的な＜確信＞や＜正義＞ではないことだけは確かである。これははっきりつかめなかったが、＜関係の絶対性＞と名づけることができるようにおもわれた。ここであらわれる＜絶対性＞という言葉は、観念の問題でないとすれば＜客観性＞とよぶべきところであった。そこで、わたしにとって、<a name="_Hlk138694704">人間の社会的な存在の仕方のなかにあらわれるこの世界との関係の総体</a>はなにか、それはどのような基軸によって構造的に捉えることができるかという問題が、おぼろげながらあらわれたのである。もしこれが解き尽くせるとすれば、それは＜関係の絶対性＞の具体的な内容となりうるはずであり、それは思想の党派性の彼岸にある人間と世界との関係の絶対性として、すくなくともあらゆる思想が現実のさまざまな場面でつきあたる接点の領域に関するかぎりでは、思想の真理性の基準となりうるはずである。この問題が幻想論の領域として確定されるために、すでにわたしは十数年を使ってしまった。</b>（『情況』所収「基準の論理」 p30-31 河出書房新社1970）</p><p>&nbsp;</p><p>　これで大体吉本さんの「関係の絶対性」というキーワードについては誤解の余地なく誰にでも理解できるはずだと思うので、このへんでやめてもいいのですが、上のような吉本さんの文言を見て、例えば『吉本隆明という「共同幻想」』を書いた呉智英は、「なぁーんだ、あの難解な『関係の絶対性』って、この程度のことだったのか」と言い、それなら「関係は客観的」だとか「思想は主観的、関係は客観的」と対比的にまとめれば、さらに分かり易くなるだろう、などと述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>吉本さんが亡くなって（2012年３月16日）、何を書こうと直ちに本人から反撃される心配がなくなってから（笑）、多くの「吉本隆明論」の類が書かれ、或いは単行本として出版されてきましたが、呉の著書は、その中でも最も下らない雜本の一つなのですが、彼がほとんど他者の文章を読む能力を持たないことがこうした議論でよく分かります。</p><p>&nbsp;</p><p>たとえば吉本さんが「呉は阿呆だ」「呉はノーテンパーだ」と言ったとしましょう。それを吉本さんがあとで、「呉は馬鹿だ、と言ってもいいですよ」と言ったとしても、それは大雑把に指示する対象のありようを表現したとみなすのが当然であって、表現として「同じ」であるはずがないのです。</p><p>「呉は阿呆だ」を「呉は馬鹿だ」と言い換えてしまえば、「阿呆」という関西でよく使われる言葉ののんびりとした、必ずしも攻撃的でもなく、突き放すのでもない、揶揄するようなニュアンスが失われてしまいます。また、「呉はノーテンパーだ」という表現を「呉は馬鹿だ」に置き換えてしまえば、「ノーテンパー」という言葉の響きがもつ軽くふざけかかってからかうような調子は消え、文字通り呉を馬鹿だと指示・判定し、断言することだけが残されてしまいます。同じ対象の在り方を指示する言葉であっても、自己表出から見られた言語としてはまったく異なる言葉なのです。</p><p>&nbsp;</p><p>これと同じことで、「関係の絶対性」という言葉と「関係の主観性」という言葉とは表現としての言語としては全く異なるものであって、そういうことは当然のこととして読めなければ、他者の表現を理解することなど、とても出来ないことは明らかです。</p><p>&nbsp;</p><p>「マチウ書試論」では、マタイ伝の作者と吉本さんが想定した思想家たちが属する原始キリスト教団と、その母胎でもあり、抑圧者でもあったユダヤ教の既存秩序との思想的な対立の構図を描く中で、双方の主張をそれぞれ相対する敵の主張との関係において相対的なものとみなし、ではいずれかが自らの思想を真理として正当化する根拠はどこにあるかを問う、という文脈において、このキーワードが使われているために、「関係の相対性」に対して「関係の絶対性」という概念（言葉）が立てられたのであって、単独で見られたある思想が「主観的」か「客観的」かという視点とは異なるものであることは自明です。敵方の主張に対して、お前の主張は主観的だ、と表現することはもちろんできますが、それは或る思想が主観的か客観的かというその思想の性格についての判断であって、その客観性の判定基準として再び「関係の絶対性」（構造）が持ち出されることはあっても、主観－客観という対立軸は両者の関係の記述言語としては二次的なものにすぎません。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり、吉本さんが「マチウ書試論」執筆時に、「関係の絶対性」という言葉を選んだことには、彼なりのポジティブな選択の意志が働いているのであって、主観―客観の「客観」ではなく、相対―絶対の「絶対」という言葉を用いたことには、厳密にいえば、対立する双方の思想の相対性の否定を強調する意味合いが潜在的に含まれていることを見落すべきではないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>月村敏行は講談社文芸文庫版『マチウ書試論』の解説 “「関係の絶対性」と「秩序」” で次のように述べています。</p><p>&nbsp;</p><p><b>「秩序」はさまざまな関係に織りなされているから、「秩序」を構成する関係ではなく、「秩序」を「反逆」として超える「関係」こそが「絶対性」として提出されたのだ。しかも、前後の文脈では、原始キリスト教の、ユダヤ教に対する仮借ない憎悪と攻撃的パトスは充分なまでに強調されている。「関係の絶対性」とは敵対感情の絶対性、あるいは敵対の絶対感情として、その内実が説かれたに等しかった。しかし、こういう敵対の絶対性ならば、当時の世間は、例えば、ブルジョアジイ対プロレタリア、自由主義対社会主義、右翼対左翼等々、敵対性の世界観にはち切れていたから、キリスト教がそうであったことに驚いたとしても、そのこと自体は容易に呑みこめることであった。しかし、吉本は敵対の絶対性を「近親憎悪」とまで呼んで、極度にまで強調しながら、「関係の絶対性」として提出したのだ。「秩序に対する反逆」というはるかで強烈な意味を附与して、である。</b>（月村の解説p343-344）</p><p>&nbsp;</p><p>「関係の絶対性」を「敵対感情の絶対性」あるいは「「敵対の絶対感情」とするのは、吉本さんの書いていることからみれば明らかな誤読にすぎません。</p><p>対立する双方の思想をそれぞれは絶対的な真理と考えているかもしれないけれど、実際にはそれは相対的なものにすぎず、その真理を根拠づけ、正当化しうるのは、そうした確信としての絶対感情ではなく、「秩序を支点としてめぐる関係の絶対性」であり、「人間の社会的な存在の仕方のなかにあらわれるこの世界との関係の総体」にほかならない、というのが吉本さんの主張であって、後に彼自身が、観念の問題でなければ「客観性」と呼ぶべきところだったというように、あくまでも秩序との関係を軸とする「この世界との関係の総体」という客観性を指した言葉であって、決して近親憎悪だの敵対感情を指す言葉ではありえません。</p><p>&nbsp;</p><p>また、鶴見俊輔は、『共同研究 転向』下巻（思想の科学研究会編。平凡社1962）第三篇第五章（急進主義者）第三節「転向論の展望―吉本隆明・花田清輝」において、吉本の「マチウ書試論」の「原始キリスト教の苛烈な攻撃的パトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感を正当化しうるものがあったとしたら、それはただ、関係の絶対性という視点が加担するよりほかに術がないである。」という言葉の引用に続けて、吉本の言葉を鶴見流に解釈して次のように述べています。</p><p>&nbsp;</p><p><b>言葉ではどうとも言うことはできる。しかし、一回かぎりしかないこの状況で、この人間があの人間に対してもつ関係は絶対的なものであり、あいまいさをゆるさない。そこには一つの関係、一つの事実しかない。敗戦の状況において、誰が誰にどういう絶対的関係をもったか、誰が秩序の反逆者であり、誰が疎外者の味方であったか、その関係が絶対的なものとして吉本の内にやきつけられたのである。</b>（『共同研究 転向』下巻 p351）</p><p>&nbsp;</p><p>ここでは「関係」が「この人間あの人間に対してもつ関係」に矮小化され、両者の遭遇の一回性のことを「絶対性」と呼んだものだという理解が示されています。遭遇する両者それぞれの思想、立場の相対性こそが問題であるにも関わらず、遭遇の一回性を絶対的なものとみなすことによって、遭遇した敵対者への絶対感情としての憎悪、攻撃的パトスを正当化することになり、そのような近親憎悪をいだく相手との関係を吉本さんもまた「絶対的なものとして」心に刻んだのだ、という論理になっています。これまた鶴見らしくもないひどい誤読です。</p><p>&nbsp;</p><p>月村にせよ鶴見にせよ、「マチウ書試論」における吉本さんの、原始キリスト教団のユダヤ教的秩序に対する近親憎悪的な激しい憎悪感や攻撃的パトスに感情移入するような文体、内容に引きずられて、吉本さん自身が自分の思想的敵対者に対して、そうした激しい感情を抱き、かつそうした絶対感情を敵との関係性として（一過的な関係であることを自身にとっての「絶対性」の根拠として、あるいは「秩序を超える反逆」という関係性を根拠として）肯定しているかのような誤謬に陥っています。</p><p>&nbsp;</p><p>そのせいで、鶴見などはこの転向論の末尾で、吉本さんが「関係の絶対性から生まれた私怨」にとらわれているかのような、まったくの誤解にもとづいて、「こうした根本的な再建方針を考える上で、吉本が新約聖書解読にさいして用いた『関係の絶対性』の原理は、さまたげになりはしないか」と述べ、その吉本とは対照的に、「新約聖書の根にあるのは、関係の絶対性から生まれた私怨だけでなく、この私怨を変容させる力をもつ世界の架空像」であり、これを通して現実世界の絶対的な関係を相対的な関係としてとらえ、これを粘り強い変革への努力がなされるのであって、吉本もそれを見習え、と言わんばかりの、誤読にもとづいた上から目線のお説教まで垂れた上で、「新約聖書に対する吉本の独自な読み方は、今もなお吉本をおしとどめている。」などという見当違いの判定で結んでいます。</p><p>&nbsp;</p><p>少しは俊才らしい著作をものにしてきた鶴見さんにしてこれかよ、と呆れ失望せざるを得ませんが、彼は私が入学したての大学に講演に来て、盛んに「ヨシモトリュメイ」が、と興奮気味の口調でその思想の一端を紹介しながら、高く評価して、私に一体「ヨシモトリュウメイ」ってどんなひとなんだろう？と初めて意識させ、吉本さんを読むきっかけを与えてくれた恩人だし、もう亡くなられた方なので、あまり悪口は言いたくないけれど、誤りは誤りだから、はっきり指摘しておかなくてはならないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、吉本さん自身は、彼等の理解とは全く逆に、そうした個人の絶対感情であれ思想的確信であれ、すべて相対的なものに過ぎず、真理を保証することができない、根拠のないものであると述べているのです。だからこそ、その真理を保証し、思想を根拠づけるものは何であるのかをこの「マチウ書試論」で探究し、その結果「関係の絶対性」に行きついたのであって、月村や鶴見の理解は、逆にこの言葉から、相対的な「絶対感情」や主観的な思想的立場に過ぎないものの肯定へと逆戻りするような解釈に過ぎません。</p><p>&nbsp;</p><p>ついでに蛇足であることを承知で言っておけば、鶴見の転向論は、花田と吉本の二人を対照させて、形式的公平のみを心掛ける、だれにでもニコニコ笑顔で好かれる凡庸な教師や哲学者みたいに、両者を妙に「公平に」扱おうとするあまり、吉本さんの転向論が、あらゆるそれ以前の転向論における倫理臭をきれいさっぱり一掃したことの意義など、本質的な点を見逃した、貝合わせ遊びのような表面的な花田・吉本比較論になってしまっています。</p><p>だから、随所に吉本さんの議論を「かたよりがある」とか「視野の狭さ」というふうな根拠のない評言が見られます。しかし、吉本さんの転向論は、鶴見のような（日共に対する）同伴者的な進歩的知識人にはとうてい批判することができなかった宮本顕治ら指折り数えられるほどの戦時中に獄中に長期にわたって捕らわれ、戦後解放されて英雄視された、いわゆる「非転向」組をも、大衆から乖離した思想を固守していたにすぎず、「日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかまえそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思考転換」を指すという吉本さんの転向の概念に即して、転向の一形態と認めた吉本さんの「視野の広さ」と、単に共産党のような党派的な思想からの離脱を転向と見なすような倫理臭を脱却できない鶴見らの転向論の「視野の狭さ」とを並べ比べてみれば、どちらがどうかははっきりするでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>その後の吉本さんの思想的な歩みと、鶴見の歩み全体とを眺めてみても、誰がどうみても『言語にとって美とはなにか』から『共同幻想論』へ、あるいいは『心的現象論』へ、さらに『ハイ・イメージ論』といった仕事と、鶴見の大衆社会、大衆文化、メディア論等々の仕事ぶりとを比べてみれば、どちらに「かたより」があり、どちらの「視野が狭い」かは一目瞭然でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>もっとも、当時吉本さんはまだ論壇デビューからそれほど間もない気鋭の批評家であり、花田は座談会などの席で大御所気取りの横柄な態度で、寡黙な吉本さんを頭から抑えつけようとするかのような発言を繰り返していたことが、ずいぶん後年になって刊行された資料集などを見ればよく分かりますが、いわゆる論壇とか文壇とりわけ左翼系のその種の世界では、こうしたならず者が大きな顔をしていて、吉本さんのようにそんな権威など認めない一世代若い気骨ある論客を押さえつけようと躍起になっていたようです。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな中で、いち早く吉本さんの抜群の創造力に着目し、こんな形で花田とならべながらも吉本さんの転向論を高く評価して論じた鶴見さんの先見性は評価すべきことだったかもしれません。その点は今の時点で見るのと、当時の時点での評価の仕方とは違ってしまうのは仕方のないことかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>（この項おわり）</p><p>&nbsp;</p><p>　　To be continued ・・・</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12809592744.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Jun 2023 21:46:39 +0900</pubDate>
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<title>「自己表出」とは何か～「疎外」論からのアプローチ</title>
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<![CDATA[ <p><b>「自己表出」とは何か～「疎外」論からのアプローチ</b></p><p>&nbsp;</p><p>　 本稿は前回までの "「自己表出」とは何か～経済学からのアプローチ" の追補のようなものになります。</p><p>　</p><p>　 前回まで、古典派経済学からマルクスの『資本論』で展開された価値形態論にいたる経済学的な価値（形態）論が吉本さんの言語論にどう示唆を与えたかを主として『ハイ・イメージ論』における「拡張論」の記述をたどることで確認してきました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;　これとほぼ同じ内容をより分かりやすい講演での話し言葉で要約的に語ったのが、『言葉という思想』に収められている「幻想論の根柢 ―言葉という思想― 」（1978年5月28日同志社での講演。単行本は1981年弓立社発行）です。</p><p>&nbsp;</p><p>　 同様の内容とはいえ、そこには語り特有の表現もあり、『ハイ・イメージ論』にはない説明の仕方などもあって、吉本さんの「自己表出」という概念を理解する上で参考になります。少し前回までの繰り返しになりますが、おさらいしておきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「言語は音声や文字で表現されますが、音声とか文字はそれ自体としてみたら（物質としてみたら）それは空気の振動だとか活字になった妙な形をした記号だとかいうことで、裏からみても、表からみても、どうひっくり返しても、それだけのものです。しかし人間の内的な意識のある表現だとして、あるいは文字に固定された記号としてみたら、言葉はある価値づけの対象になるといってよいでしょう。つまり単なる物あるいは音波にしかすぎないものが、何か価値がつけられるものになります。」</b>（p8）</p><p>&nbsp;</p><p>　 言語に「価値」という概念を導入する根拠が語られているわけで、古典派経済学やマルクスが、経済学的な価値を形成するものを人間の抽象的人間労働に見いだしたように、ここでは「人間の内的な意識」に言語の価値を形成する源が見出されているということになります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;&nbsp; ここでの展開から少し外れて寄り道することになりますが、経済学的範疇と言語学的な範疇とは、単に無関係な領域の用語や論理の進め方がうまくあてはまるから、便利なツールとして「類推」によって借りてきた、といったものではない、という点について、吉本さんが両者の関係をどう考えていたかについて触れておきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;吉本さんが自身の言語観の源泉として、マルクスをはじめスミス、リカードゥらに古典派経済学者に言及するときには、だいたいスミスの「抒情詩」的な世界からはじめていて、そのスミスの「抒情詩」以前の世界については触れていません。しかし私の知る限り、ただひとつ、「経済の記述と立場―スミス・リカード・マルクス―」という講演（1984年11月２日、日本大学における講演。『超西欧的まで』弓立社刊1987年所収）に次のような記述があります。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「スミスの『使用価値』とか『交換価値』という概念の作り方を、もっと元に戻してしまったらいったいどういうことになるでしょうか。つまり、スミスが『国富論』でやっているよりも、もっと元に、もっと自然のなかに、牧歌のなかに戻してしまうのです。・・・（中略）・・・</b></p><p><b>&nbsp; こういうさまざまなおもい浮かべ方のなかで『価値』といわれると、なんだかおおげさに感じながら、なんとなく心の中では大切なものなんだ、というものをおもい浮かべてみます。そういうことは、たぶん『価値』という言葉をおもい浮かべたときの根柢にある感情、あるいは感覚なんじゃないか、とおもいます。</b></p><p><b>&nbsp; その根柢には、＜なんか知らないが、具体的な何かというんじゃなくて、なんとなく大切なものなんだ。しかし、その大切なものをどういうものだというふうにしてしまったら、もう、大切なものがどこかで壊れてしまう。ましてや、それを『価値』という言葉でいってしまったら、とても重要なものがそこから抜け落ちてしまうような感じがする＞ということがあるとおもいます。</b></p><p><b>　そうすると、『価値』という概念を経済学のほうにではなくて、牧歌、あるいは自然感情、または人間の自然本性のほうにどんどん放ってしまいますと、とても漠然とした＜なんとなく大切なもの＞というところに源泉があるところまでいってしまいます。</b></p><p><b>&nbsp; そこまでいってしまえば、それは、ほんとの古代の素朴な牧歌といいましょうか、そういうものになっていきます。つまり、なにか大切なもの、しかし形がなんだかってことはいえないし、それは外にあるものなのか、あるいは形のない心の中にあるものなのか、それもいえないというところまで、ずうっと牧歌的なもののほうに概念を放してしまいます。</b></p><p><b>&nbsp; そこのところがたぶん、『価値』という概念の『起源』にあるものだとおもいます。</b></p><p><b>　スミスもやはりそういうものからつぎつぎに、感覚とか感情とかをしぼりこみ、削り落として、『交換価値』とか『使用価値』という経済学上の概念を作っていったとおもいます。</b></p><p><b>　ところで問題なのは、スミスがそうして『価値』概念を作ってしまったとき、すでにもう人間が＜なにか知らないけれど大切なものだ＞というイメージでおもい浮かべるものから、なにか重要なものが抜け落ちています。こぼれ落ちてしまっているのです。そうすると、こぼれ落ちてしまったものは、ふたたび経済学的な範疇にたいしてどこかで逆襲（復讐）するにちがいありません。・・・（中略）・・・</b></p><p><b>　このばあいこぼれ落ちた部分をもとにして、それになにか別の形をあたえていったものが、たとえば文学であり、絵画であり、音楽であるといえましょう。それらが経済学、あるいは経済概念にたいして復讐をしているのか、または調和を求めているかわかりませんが（それはさまざまなばあいがありうる）、とにかくそういう形で経済の範疇から離れていって、別の分野を作っているといえるとおもいます。」</b>（『超西欧的まで』p186）</p><p>&nbsp;</p><p>　このあと、いまマルクスの思想が様々な批判にさらされているのは、マルクスが描いた経済学的な＜ドラマ＞にあっても、すでに＜牧歌＞を歌おうとしても歌うことができなかった、その＜歌＞のなさ、という急所を突かれているのだという意味の現在に生きる私たちにとって興味深い記述がつづきますが、ここでの展開にはとりあえず関わりがないので省略します。</p><p>　</p><p>　上の引用に見るように、吉本さんの考えでは、言語の「価値」という概念は、ただ全く異なる経済学の領域での「価値」の概念を類推で借りて来た、というだけのものではなく、古典派経済学の価値概念がその起源においてすでに取り落としてきた、「価値」概念以前の、起源としての「価値」概念、経済学的な「価値」概念からこぼれ落ちた「なんとなく大切なもの」といった前価値概念とでもいうべきものが、別の形を与えられて生れて来た、文学なり絵画なり音楽なりといったジャンルの「価値」概念を構成していくことになったもの、ということになるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　経済学的な「価値」概念と言語学的（あるいは芸術論的な）「価値」概念は、こうして人間の様々な感情の中で、「なんとなく大切なもの」として未分化な形で抱かれたものを源泉とする、同じ土壌に生い立ち、ひとつの根幹から分かれた枝であって、それぞれに様々なものを削り落とし、洗練され、またそれだけ当初の様々な感情を失いもしながら形成されてきた同根の概念だということが言えるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　さて寄り道から元に戻りますが、言語に価値という概念を導入する根拠を述べた簡単な先の記述に続いて、言葉が価値の対象になるのは、それが言葉がある事がらを指し示し、それを伝えるという自然な機能によることはすぐに理解されるけれど、この自然な機能も、その言葉の話し手や書き手の意志と関連付けて考えれば、自然な機能のほかに何かがつけ加わることになる、と（自己表出という概念を示唆する）留保がつけられます。例えば、ある事がらをぼんやり指し示そうとか、よりはっきり指し示そうとか、ここは強調して伝えようとか、曖昧にしておこうといった意図が、音声や言い回しのリズムを変化させます。であるなら、言葉が価値の対象となるというときには、そうしたことも感情に入れておいたほうがいい、ということになる、と。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「どういうことかと申しますと、言葉は話し手や書き手の意識や意志と関連させてかんがえるとき、ある事がらを指し示し、それを伝えようとする無意識の、あるいは意識されたモチーフがあるのですが、このモチーフや目的とはさしあたりかかわりがない、ある普遍的な表出を実現しようとするものだということです。いいかえれば、言葉は＜指し示し＞＜伝える＞という機能を実現するのに、いつも＜指し示さない＞＜伝えない＞という別の機能の側面を発揮するということなのです。」</b>（p9)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; このあと吉本さんは、こうした点で言葉とよく似た性質をもつものとして、流通価値にある商品を取り上げます。缶ジュースを例にとり、それは単に金属製の缶で、中に液体が入っているだけのものだが、これを人間の社会的な労働によってつくられたものだと考えれば、ある価値づけができることになる。</p><p>　その価値づけは、この缶ジュースが商品として「・・・・のために」使われるということの中に既に含まれているが、それは缶の中の液体が、化学的なある液状の成分だというのではなくて、飲み物であるということから生まれた価値づけにほかならない。それはその商品としての使用性、あるいは飲料として美味しいもの、栄養のあるもの等々という役に立つ性質としての価値づけだ。しかし、「この缶ジュースが本来的な価値として価値づけがなされうるのは、だれかの手によってこのものが製造されたといいうことのなかから生じ」る、と吉本さんは言います。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「そう見做すときにはじめて鑵ジュースが、金属の容器のなかにはいった化学的な液体成分だという物質的な規定を＜カッコに入れ＞たあとにも露出してくる特性、飲んで美味しい、栄養がある等々の、すくなくとも人間が関与してくるとき生れる普遍的な特性が与えられるからです。</b></p><p><b>　これは飲んで美味しい、栄養がある等々の＜ために＞鑵ジュースが製造されたり、使われたりするのだということとちがいます。むしろ飲んで美味しい、栄養がある等々＜としての＞鑵ジュースということに近いといってよいとおもいます。＜・・・としての＞という特性のもとにあらわれる物質ということから関与される、人間のある関与の仕方のなかに、ひとつの価値づけの本来性があるようにみえます。」</b>（p10)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; こうして商品も言語も、物質性を＜カッコに入れ＞られた価値の世界が明示されていきます。それがここでは、＜のために＞使われる言葉においても、その言葉がいつも同時に具えている＜としての＞言葉としての性格としてとらえられています。</p><p>&nbsp;</p><p>　そして、「その果てには意図的に、言葉を＜としての＞性格だけで使おうとする欲求が生れてくることがありえます」（p12)と、文学（芸術）としての言語の領域が示唆されています。</p><p>&nbsp;</p><p>　20エレの亜麻布 ＝ １着の上着</p><p>　</p><p>　マルクスが示したこの単純な価値形態の等式を文法的にみると、「20エレの亜麻布」は主語、「１着の上着」は目的語、「値する（＝）」は主語（主部）と目的語（目的部）をつなげる動詞の等価的表現であり、主部があってそれがある目的部を誘い出し、それが「値する」という動詞で等価的に結び付けられている、という文章の構成だが、これを文法的な表現とみずに、文学的な表現とみなせば、次のような表現に置きなおすことができる、と吉本さんは例をあげて経済学的な概念を言語論的な概念に置き換えていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>　あの美しい亜麻布＝天使の上衣</p><p>&nbsp;</p><p>　つまり「あの美しい亜麻布は天使の上衣のようだ（に値する）」あるいは「あの美しい亜麻布は天使の上衣だ（に値する）」</p><p>&nbsp;</p><p>　ここでは「天使の上衣のようだ」あるいは「天使の上衣だ」という直喩あるいは暗喩の表現が「等価表現」、つまり「本来的価値の側面で言葉を使おうとするための表現」であることがわかる、と。</p><p>&nbsp;</p><p>　このように、なにものかの等価形態のようにおかれる言葉は、そのように意図したときから＜指し示すこと＞＜伝えること＞という言葉の自然形態のようなものから意図的に離脱しようとするものではないか、と吉本さんは述べています。「それはある普遍言語が目指されているといってよいのかもしれません」と。（p16)</p><p>&nbsp;</p><p>　ここで吉本さんは再度商品にもどり、商品に価値づけがなされるのは、まず商品が使用価値として様々な用途に対する欲求に見合った自然形態をもっているからであり、いまひとつは共通の価値基準でありうるような、そして計られ交換されうるような価値本体であり得ること、この二つが商品を商品たらしめている条件、つまりそれが單なる物質ではない特性だとみることができる、と言い、マルクスのいう価値形態において相対的価値形態以外のすべての商品が等価形態として共通の役割を担うことができるなら、等価物としての使用性だけが使用価値であるような普遍商品（貨幣）によってそれらは置き換えることができるはずだとし、それと同じことが言語についても言えないか、次のように述べています。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「＜指し示す＞とか＜伝える＞とかいう用い方からできるだけ遠ざかったところで、ひたすらある内的な状態の等価であるような側面においてだけ言葉を行使するようにするのです。その言葉は使用性を喪失するような使用性であり、また普遍的な等価であるような価値表現をもとめる言葉になります。そしてもしかすると現在、文学はこのばあいの言葉を、極限としては視野のうちにいれているかもしれません。」</b>(p13)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; つまり商品世界における貨幣のように、等価物としての使用性以外の使用性を喪失した（カッコに入れた）普遍言語とでもいうべき言葉のありようが生れているはずだ、ということですね。これは前に引用したような吉本さんが具体的な現代日本文学の作品を分析したところで、例えば島尾敏雄の言語について指摘しているように、一見具象的な事物や出来事を描写しているように見えて、実はまったく非現実的な内容であって、その指示性自体が完全に自己表出に奉仕するためにのみ使われている例で私たちも、きわめて具体的に理解することができます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; なぜ私たちがこういう普遍言語をめざすのかは定かではないけれど、「さしあたってわたしたちが言葉の＜概念＞とかんがえているものの本性のなあに、普遍性が目指されうる根拠が潜んでいると言えるでしょう。＜概念＞自体が普遍性をもつのではなく、＜概念＞の構造のなかにその要素が潜んでいるということだとおもいます＞（p16)というのが吉本さんの見立てです。</p><p>&nbsp;</p><p>　「いま、『200エレの亜麻布は10ポンドに値する』という云い方をかんがえると、目的部にくる物（商品）が消えてしまって、商品でみれば普遍的で抽象的な貨幣になっています。そこでは等価物に共通化と抽象化が同時におこなわれているわけです。</p><p>　この等価物の状態が言語のうえでかんがえられるとすれば、言語の＜概念＞とみなしているもののところに根源があることはまちがいありません。けれども具体的に美としての言語、文学的な言葉についてその状態を探りあてることは難しいことがわかります。」（p16)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;先の等式、</p><p>&nbsp;</p><p>　　あの美しい亜麻布 ＝ 天使の上衣</p><p>&nbsp;</p><p>の等価表現は、同じ＜概念＞ここでは＜美しい＞という概念を暗示する無数の喩、たとえば「虹の切れはし」「クジャクの羽根」等々　に置き換えることができます。吉本さんはそれを「＜美しい＞という＜概念＞のまた＜概念＞（＜概念＞の冪乗）をあらわすもの」だとみなしています。</p><p>&nbsp;</p><p>　そして、それに当たるものが何かを言うことはできないが、価値形態論における「普遍的等価形態としての貨幣という概念が、対応を言語に要求するものとすれば、それはすでに存在しているはずであり、また可能なはずであり、けれどそれを具体的に言いうことができないようにおもわれます」（p17)と述べています。</p><p>　しかしそれは一般的に貨幣に相当するものは言語においてはこれこれである、と概念として示すことはできないでしょうが、具体的な言語表現においては、先に述べたように、例示することが可能なのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　さてこの「幻想論の根柢」でも前回の『ハイ・イメージ論』と同様に、吉本さんはマルクスによる貨幣の資本への転化までたどって、その過程を言語表現の過程に重ねてみせています。</p><p>&nbsp;</p><p>　つまり、商品が流通する際の基本得ｔきな図式は、</p><p>　</p><p>　　　　Ｗ&nbsp; ―&nbsp; G　―　Ｗ</p><p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; (商品）　（貨幣）　（商品）</p><p>&nbsp;</p><p>という循環ですが、商品が資本に転化する流通の仕方を考えると、その基本的な図式は、</p><p>&nbsp;</p><p>　　　 Ｇ　―　Ｗ　―　Ｇ’（Ｇ’＝Ｇ＋α）</p><p>　</p><p>　つまり商品が資本的な流通過程に入ると最初に貨幣があり、次に商品を買い、その商品がまた貨幣に変わるという過程になります。ここで二つ問題が出てくる、と吉本さんは指摘しています。ひとつは、あとのほうの貨幣（資本）が最初の貨幣より大であること、もうひとつは、一度商品が資本の過程に入ったばあい、その根本的な衝動とは、中間に商品という媒介はあるが、その本質的な過程とは単にＧからＧ'だということ。つまりGからG'を産みだし、それがいつでもプラスαがついている、ということだ、と。</p><p>&nbsp;</p><p>　次に今回のテーマである「疎外」という言葉が登場するので、そのまま吉本さんの言葉を引用してみます。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「現実形態としてはかならず貨幣があり、商品が売買され、またお金に代（ママ）えられるという最初の基本過程を確実に踏んでゆきます。しかし本質過程は単にＧからＧ'（つまりお金からお金）へというそれだけのことです。ここのところで、本質過程（形態）と現実過程（形態）とのあいだに分裂、分離がおこるということができます。</b></p><p><b>　この本質過程と現実過程との分裂、分離は＜疎外＞とみなされます。そして＜疎外＞ということはそのまま＜表現＞だとかんがえることができます。」</b>(同前 p20)</p><p>&nbsp;</p><p>　この疎外、本質過程と現実過程との分裂・分離を言語の場面に置き換えれば、言葉の非指示的、非伝達的側面を強調したり誇張するためにのみ、言葉を行使することによって、自然な使用性を離脱していく過程と重ね合わせることができます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; そして、こうした分裂を招くのは、言葉の＜概念＞の構造のなかに使用性ではない要素が存在するためだ、と。従ってまた、ひとつの＜概念＞に対応するどんな言葉であっても、すでにそれが行使されたときには、本質過程と現実過程との分裂、分離、疎外の過程に入っていると考えてよいはずだ、というのが吉本さんの考えです。</p><p>&nbsp;</p><p>　だから特別に文学の言語についてだけそれは言えることではなくて、一般に流通する言語についてもいえるはずです。</p><p>　しかし、少なくともモチーフの違いは区別していいだろう、と。</p><p>&nbsp;</p><p>　流通過程における W-G-W の過程の主人公は、ある商品をお金に変えて、そのお金で別の必要な商品を買いたいというモチーフをもつでしょう。これに対して、Ｇ－Ｗ－Ｇ' 過程の主人公は、お金を商品に変えて、その商品をまた売ってお金に換えることで、お金を増殖したいというモチーフを持っているでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　これと同様、日常的に流通している言葉では＜指し示す＞＜伝える＞ことがモチーフの言葉だけれど、美的な言葉はただ言葉の価値のために、そしてはじめから価値増殖のモチーフをもって行使される言葉だと言えるでしょう。</p><p>　文学的言語においては、価値の自己増殖ということが本質的な過程であり、言語の美を求める本質的な衝動だということになります。</p><p>&nbsp;</p><p>　こういった説明は前回の『ハイ・イメージ論』のそれと基本的に変わらないので、容易に理解することができますが、先に引用した「本質過程と現実過程との分裂、分離は＜疎外＞とみなされます。そして＜疎外＞ということはそのまま＜表現＞だとかんがえることができます」という一節に登場する＜疎外＞の概念は、吉本さんがマルクスの自然哲学から学んだという独特の解釈による疎外概念で、この講演の中でこんな形で唐突に登場して、この部分でのみこうした使われ方をしたのでは、ちょっと理解できないのではないかという気がします。</p><p>&nbsp;</p><p>　もちろんここでの文脈から逆に、「本質過程と現実過程の分裂、分離」のような事態を「疎外」と呼ぶのだ、というふうに理解すれば素通りしてもこの文脈を理解するのに支障はないのですが、それではなぜわざわざ＜疎外＞という言葉を使ったのかという疑問を生じるし、そもそも吉本さんにとってこの言葉はどんな意味を持っているのかがここだけでは理解できません。　</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんが比較的早い時期にマルクスの自然哲学における疎外概念についての独自の解釈を述べたのは、1964年に発表された「マルクス紀行」でしょうか。今それが収められた手元の『吉本隆明全集撰４ 思想家』（大和書房1987）によって関連のある一節を引用してみましょう。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「ここで、断わっておかなければならないが、わたしは、本稿の当初から屡々、＜表象＞という言葉をつかっている。ところで、芸術論（たとえば『言語にとって美とはなにか』）では、おなじことを＜表出＞という言葉でのべている。</b></p><p><b>　芸術と疎外について誤謬だらけの見解をのべている人物と同類の男たちが誤解するから断わっておくが、わたしの＜表象＞あるいは＜表出＞という言葉は、＜疎外＞すなわち＜疎外＞の止揚の欲求を意味している。ただし、現実的カテゴリーでの＜疎外＞（疎外された労働）という誤謬の＜疎外＞をまったく意味していない。」</b>（ｐ320）</p><p>　</p><p>　ここですでに、吉本さんの疎外概念が、いわゆる「マルクス主義」系統の書き手が、疎外という概念を、疎外された労働といった使い方で使ってきたのとは全く関係がない、ということが明言されています。</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんはマルクスの自然哲学の疎外概念を踏襲していることを公言しているわけですが、そのマルクスの疎外概念がどのような含意をもつかについて、吉本さん自身は次のように述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>　<b>「＜疎外＞という概念は、マルクスによって、あるばあいには、非幻想的なものから幻想性が抽出され、そのことによって非幻想的なものが反作用をうけるという意味で、またあるばあいには、人間の自然規定としてぬきさしならぬ不変の概念であり、したがって人間の自己自身にたいするまた他の人間にたいする不変の概念として、またあるばあいには、＜労働＞により対象物と＜労働者＞とのあいだに、したがってその対象物を私有するものとのあいだに、具体的におこる私的な階級概念としてつかわれているが、もちろんかれの思想にとって重要なのは、それがどのようにつかわれていても、累積と連環によって他の概念におおわれているという点にあった。そこにマルクス思想の総体性が存在している。」</b>(前掲書 ｐ326-327）</p><p>&nbsp;</p><p>　少し戻って、では吉本さんが理解したマルクスの自然哲学に発する疎外概念はどのようなものであったのか。それをわかりやすく述べた文章を引用しておきましょう。これは「情況とはなにか」という1966年２月１日から７月１日までの間に６回にわたって講談社が出していた『日本』という雑誌に「時評」として連載された文章で、のちに『自立の思想的拠点』に収められました。以下は『吉本隆明全著作集』13勁草書房1970に掲載されたものから引用しています。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「マルクスの＜自己疎外＞の概念は、・・・（中略）・・・</b></p><p><b>　(1) 人間は、自然体である（自然の一部である）にもかかわらず外的自然と対象化関係に入ると自然を人間化し（自然の疎外態）、人間を自然化するという相互規定性をなすことによってしか存在しない。</b></p><p><b>　これがマルクスの自然哲学である。</b></p><p><b>　(2) この自然哲学は、社会（市民）の基底である生産諸関係という対象化の場においては自然を加工することによって自己を自己の生産物から疎遠にする。これが社会哲学または経済哲学である。</b></p><p><b>　(3) 生産行為を基底とする社会的な自己対象化において人間は対自‐対他構造である自己幻想をうみだす。これが観念の自己疎外の哲学である。この観念の自己疎外の哲学は、共同性の問題として、宗教・法・国家の哲学となる。」</b>（全著作集13 p382)</p><p>&nbsp;</p><p>　同じことを、もう少し丁寧に解説してくれるのは、フーコーとの対談を収めた『世界認識の方法』（中央公論社 １９８０)には「表現概念としての＜疎外＞」という、吉本さんがインタビューに応じて語った記録でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　長くなりますが、吉本さんのマルクス理解を、ひいては彼自身の言語、市民社会、国家等々に関する思想の基底をなす考え方で、いわばそれらに通底するマスターキーのようなものですから、あとで自分で参照するためにも、敢えてそのまま引用しておきましょう。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「マルクスが『経済学・哲学草稿』ではっきりと述べている＜自然＞哲学は、ぼくの理解の仕方ではこういうことになると思います。</b></p><p><b>　人間がなんらかの意味で、事実の世界のなかで現実の活動―実践といっても行為といってもいいんですが―をするばあい、いちばん基本にあるのは、人間の自然としての部分、つまり身体を動かすことであり、何にたいしてかというと、外的対象として外部の自然です。このことは人間の（身体を動かす）活動が、外的な自然を、何らかの意味で観念的にか現実的にか変形する、ありは手を加えて加工することを意味し、同時に、人間の身体もまた外的な自然によって変形される、そういう一種の＜交換＞を意味しています。このことがマルクスのかんがえた＜自己疎外＞の自然規定ということだとおもいます。</b></p><p><b>　つまり人間が身体という有機的自然を介して外界の無機的自然に働きかけると、外界はそのまま人間を受けいれるのではなく、いわば人間化されて人間の＜非有機的身体＞になってしまう。そして人間の身体も自然化されて＜自己疎外態＞となる。そういう相互に規定しあう＜交換＞がどうしても生じてきます。人間は本来の自分以外のものになることによってしか外界＝自然に働きかけることはできず、自然ももとあった自然以外のものにならずには人間と接触できないということですね。これが初期マルクスの＜自己疎外＞概念の基底にあるものだとおもいます。」</b>（p125)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;この自然哲学をベースに市民社会についての理解に移っていきます。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「マルクスのかんがえた市民社会の核である経済領域は、やはりマルクスの＜自然＞哲学からの＜自己疎外＞態なのです。そして経済社会領域はマルクスにとっていちばん＜自然史＞的カテゴリーとして扱える領域なのですね。マルクスはそういうものとみなしています。</b></p><p><b>　ぼくにとっては＜疎外＞という言葉は、広い意味の＜表現＞（表象）という概念とおなじだと理解してくださっていいとおもいます。そのほうがはっきりするとおもいます。つまりマルクスの＜自然＞哲学は、市民社会の核である経済社会構成にたいして＜自己疎外＞として関係しています。このことをマルクスの主体的な＜自然＞哲学の＜表現＞が、マルクスの経済カテゴリーの規定なのだといいかえてよいとおもいます。そして市民社会の＜自然＞的なカテゴリーである経済社会構成の＜表現＞として法、国家、宗教、文化などの観念的な領域がかんがえられたといえます。」</b>（同前 p126)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; また、しばしばマルクスが自然過程と見なした経済社会構成のカテゴリーについて吉本さんは、これを現実のカテゴリーと見なす誤謬について警告して次のように述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>　<b>「マルクスの設定している経済社会カテゴリーというのは、市民社会の事実的な世界とおなじものではなく、その理念的な写像なのです。いいかえれば、マルクスの＜自然＞哲学の＜疎外態＞なのであって、マルクスが＜自然史＞的に扱えるとかんがえた理念の像なのです。</b></p><p><b>　事実世界での人間の具体的な生活をかんがえれば、当然のことのように、一人の賃労働者が、賃労働の職場以外で、たとえば家庭で質屋をやっているとか、近所の主婦を雇って造花の工場を営んでいるとか間貸しをしているということがありえます。するとその場面では一種の＜資本家＞とか＜ブルジョワジー＞として機能していることになるでしょう。そんなことはまったくありふれたことでしょう。現実社会の具体的な生活では人間は一人で何役も演じて、相互に連鎖している―これは疑いようもない当然のことです。」</b>（同前 p127)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; マルクスの経済社会カテゴリーは、彼の自然哲学の疎外態だと吉本さんは言っているのですが、この言葉だけではなかなか腑に落ちるところまで行きません。『経済学・哲学草稿』にみられるいわゆる初期マルクスの疎外論はヘーゲルに由来するものですから、じゃヘーゲルの疎外概念はどんなものだったか、そう問われて、吉本さんは、それはマルクスのヘーゲルに対する理解の仕方に乗り移ってみると一番はっきりすると言い、次のように答えています。少々引用が長くなりますが、とても重要で、かついまただちに私が理解できているかというと極めて怪しいので、のちのち省みるためにも、ここでそのまま引用しておきます。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「＜歴史＞をあつかうばあい、ヘーゲルはまず、―ぼくもそうですが―＜無限者＞＜普遍者＞といった理念の側から現実の方へたどってゆきます。そして＜歴史＞が時代を超えて実現されていく過程は、普遍的な世界理念が実現されていく過程だとみなされています。これは、人間の現実世界での活動の積み重ねが＜歴史＞だという考え方と逆で、＜普遍者＞あるいは理念の側から人間の現実世界での活動をみていくことです。別のいい方をすれば人間の＜歴史＞は理念が実現されてゆく過程で、理念の実現のために逆に具体的な人間の活動がある、というようにかんがえることを意味します。この考え方自体が観念的であるかどうかが問題なのではありません。理念と現実の分離のさせ方が問題なのです。マルクスはこの分離のさせ方、したがって分離の棄却の予想をヘーゲルにおける＜疎外＞の概念だとみなしました。ぼくはそう解釈しています。</b></p><p><b>　この考え方のなかでなにが重要なのかといえばただ一つ、人間の理念がえがく＜歴史＞と現実の人間の具体的な活動の結果とはどうして食いちがうのか、そこのところにあるとおもいます。そこをヘーゲルはどう捉えているかというと、食いちがうこと自体が＜疎外＞であり、同時に、その＜疎外＞自体が＜疎外＞を止揚する原動力となり、食いちがっている理念と現実の活動を結びつけているとかんがえます。ここからは＜疎外＞は常態の概念を意味しています。＜歴史＞がじぶんを＜疎外＞として実現することは必然的な常態の概念なのです。この＜疎外＞は同時にその打ち消し、つまり＜歴史＞の消去として存在しています。　</b></p><p><b>　ヘーゲルは＜世界理念＞の実現を＜歴史＞の本来的な過程とみなしていますから、この常態の持続こそが＜歴史＞の過程だということですんでしまいます。</b></p><p><b>　マルクスはそれですますことができずにそこのところで、理念として描かれる＜歴史＞と現実世界での人間のさまざまなな活動の結果のあいだにある分離を結びつけている構造は何かをかんがえました。そしてマルクスの眼の位置からヘーゲルを眺めてみると―ここがマルクスのヘーゲル解釈のいちばんの要めだとおもいますが―、ここに介在する構造が＜否定の否定＞だということに気づいたのだとおもいます。</b></p><p><b>　人間の現実世界でのさまざまな活動は、実現されるはずの＜歴史＞の理念を＜自己疎外＞します。あるいはその活動と理念のあいだに分裂が生じます。この分裂した理念と現実とが＜否定の否定＞という関係で結びつけられています。マルクスはそう理解することでヘーゲルの＜歴史＞の理念はそのまま生きることができるとかんがえたとおもいます。ヘーゲルが＜理念的なものは現実的なものだ＞、あるいは＜現実的なものは必ず理念的なものだ＞とかんがえた場合の理念と現実とを結びつけている自己同一性は、マルクスによれば＜否定の否定＞なのです。」</b>（前掲『世界認識の方法』　p121-122）</p><p>&nbsp;</p><p>　ここで持ち出される＜否定の否定＞という言葉も、弁証法の論理用語でひどく抽象的なものですから、そう簡単にカントの言う「形象的な表象」に置きなおして腑に落ちるところまでいくことができません。ただ、これについても吉本さんは比喩的に語っていて、その比喩自体はとてもイメージとしてわかりやすいものです。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「マルクスはヘーゲルの理念としての＜歴史＞（世界史）の概念を＜否定の否定＞という構造で常態と認めているのだと思います。</b></p><p><b>　ヘーゲルの＜歴史＞理念は間違っているのか。観念的なものにすぎぬのか。この問いにたいするマルクスの答えは、ヘーゲルはけっして間違っていないし、観念的でもないということなのです。ただし人間の現実世界でのさまざまな活動の＜否定の否定＞が、実現さるべき＜歴史＞の理念だとするならば、そのばあいの理念には条件がいります。つまり具体的な、あるいは事実的な＜歴史＞ということではなく＜発生＞史ないし＜起源＞（源泉）として理解するならヘーゲルのいっていることは許容されるという概念です。マルクスの理解の仕方はそうなっていると解釈できます。</b></p><p><b>　＜否定の否定＞という概念は比喩的にいいますと、現実世界でのある具体的な人間の活動の総和を＜歴史＞として、この＜総和としての歴史＞を一度否定しますと、一つの媒介的な観念がでてきますね。現実性の否定としての媒介的観念です。この媒介的観念は観念にちがいありませんから、歴史を織物のようなものに比喩しますと、縦糸だけの写像です。それをもう一度否定しますと、こんどは横糸で否定するということになるのです。そうすると残るのはたかだか点になってしまう。ヘーゲルの＜歴史＞の理念は世界点になってしまうのです。つまり＜発生＞です。けれども＜発生＞史の概念としてならヘーゲルの＜歴史＞の理念は正当なとマルクスはみなしているとおもいます。」</b>（同前 p123-124）</p><p>&nbsp;</p><p>　少なくともこれだけの記述で、ヘーゲルの疎外概念が彼が本質的な過程だとする理念としての＜歴史＞と現実的な過程としての人間の諸活動の総体との常態的な「食いちがい」自体を指しており、またその「食いちがい」自体が「食いちがい」を打ち消す（止揚する）原動力となって、食いちがう理念と現実の活動を結びつけている、というふうなものだということは、ヘーゲルの『精神現象学』や『歴史哲学講義』に曲がりなりにも目を通した限りでは、よく分かるように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　ヘーゲルが講義で論じた「歴史」は、「事実そのままの歴史」（ヘロドトスやツキディデスが書いたような「自分たちが目のあたりにし、自分たちがそのおなじ精神を共有できる行為や事件や時代状況を記述し、もって外界の事実を精神の王国へとうつしかえた」歴史）や、「反省をくわえた歴史」（リヴィウスの『ローマ建国史』のように、叙述の精神において現在をぬけだし、歴史家自身の精神によって素材をさばいた通史、あるいは過去の叙述を今の生活に生かそうという実用的な歴史、批判を主眼とする歴史、あるいは芸術の歴史、法の歴史、宗教の歴史など個別の分野を扱う歴史）と彼自身が区別していうところの「哲学的な歴史」です。それを特徴づける唯一の思想は、「単純な理性の思想、つまり、理性が世界を支配し、したがって、世界の歴史も理性的に進行する、という思想」だと彼は述べています。（『歴史哲学講義』序論、p24 長谷川宏訳　岩波文庫 上　1994）</p><p>&nbsp;</p><p>　<b>「理性にとって前提となるのは理性そのものだけであり、理性の目的が絶対の究極目的である以上、理性の活動や生産は、理性の内実を外にあらわすことにほかならず、そのあらわれが、一方では自然的宇宙であり、他方では精神的宇宙―つまり、世界史―なのです。」</b>（同前p24-25)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; <b>「世界史の本体は精神であり、精神の発展過程です。・・・（中略）・・・精神の実体ないし本質は自由である・・・（中略）・・・世界の歴史とは、精神が本来の自己をしだいに正確に知っていく過程を叙述するものだ、ということができる。」</b>（同前 p26-39)</p><p>&nbsp;</p><p>　<b>「自由の原理を世俗の世界に適用し、世俗の状態に自由を浸透させ自由を確立するには、長い時間の経過が必要で、その経過が歴史自体なのです。原理そのものとその適用（現実の精神と生活へのその浸透）とのちがいについてはさきにもふれましたが、このちがいは歴史哲学の根本命題であって、思想の本質をなすものとしてそれをしっかりおさえておかねばなりません。」</b>（同前 p40-41)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; 貨幣の資本への転化の過程で生じる、本質過程と現実過程との分離と同じことが、もっと大きな世界史のスケールで起きているわけで、現実に生きる個々の人々の想いや行動の総和としての歴史と自由を本質とする理念の自己実現としての歴史とのこうした食いちがい自体を、ヘーゲルは＜疎外＞としてとらえ、また同時にそれは＜疎外＞の打ち消し（止揚）として自由が実現されていく過程だと考えている、というのが吉本さんの理解だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　だからこの疎外概念はマルクス主義者がいうような、例えば資本主義社会における労働の疎外といったものに限定される概念ではなく、人間が人間である限り避けようのない常態であって、それは人間が自然との間で相互的な関係にはいることが人間としての生存条件であるという自然哲学の「疎外態」（表現）だからなのだ、ということになるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　したがって、『経済学・哲学草稿』において、生産労働の結果のみならず、生産活動そのもののうちにも示される＜疎外＞（自己疎外）を語るときには、＜疎外＞と＜外化＞という言葉をほとんど同一視して、「疎外ないし外化」と、区別せずに表現しています。労働というのは人間の自然に対する働きかけであって、そこにおいて不可避的な人間と自然の相互作用（自然の人間化、人間の自然化という相互の間の「交換」）は人間の生存条件であり、「疎外ないし外化」とはそのような常態的な人間のありかたを示しているわけです。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「労働者が生産の作用において自己を疎外されないとしたら、その生産物にたいし疎遠なものとして向き合う、といったことがどうして起こりえよう。生産物とは、まさしく、生産活動の結果にほかならない。労働の生産物が外化の形を取るのだとすれば、生産活動自体が外化へと向かうものであり、活動の外化であり、外化の活動でなければならない。労働対象の疎外という結果に集約されるのは、労働という活動のうちにある疎外ないし外化にほかならない。」</b>（長谷川宏訳 p97)</p><p>&nbsp;</p><p>　こうしたマルクスの自然哲学における人間と自然との相互作用（自然の人間化、人間の自然化）を人間の生存条件とみなし、従ってまたこうした＜疎外態＞を「常態」だとみなす考え方は、のちの『資本論』においても変わることなく踏襲され、貫徹されています。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「だから、労働は、使用価値の形成者としては、有用的労働としては、あらゆる社会形態から独立した、人間の一実存条件であり、人間と自然との物質代謝を、それゆえ人間的生活を、媒介する永遠の自然必然性である。」</b>（『資本論』Ⅰ-１-1-2 資本論翻訳委員会訳 p73)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; Als Bildnerin von Gebrauchswerten, als Gesellschaftsformen unabhängige Existenzbedingung des Menschen, ewige Naturnotwendigkeit, um den Stoffwechsel zwischen Mensch und Natur, also das menschliche Leben zu vermitteln.</p><p>&nbsp;</p><p>　現実的な過程と本質的な過程の分離、分裂を＜疎外＞とみなす用語法は、商品流通の基本的な図式であるW-G-Wが市場における商品流通の現実過程としては貫かれながら、貨幣の資本への転化によって、G-W-G'つまり資本の自己増殖を本質過程とし、事実上商品（使用価値）をカッコに入れてしまって、資本の増殖自体を自己目的とする過程となって分離していくところに適用されれば、『資本論』における価値形態論から貨幣の資本への転化、資本の蓄積へと進む論理展開になるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　また言語表現において、事物を指示し、意志を伝えるような機能を担いながら、その陰に非指示的、非伝達的な自己が自己に向き合う面とを併せ持った、指示表出と自己表出の構造として表出意識を対象化する表現の過程が、次第に累積的連続的に高められていく自己表出の波頭をさらに高めること自体を自己目的化して、指示表出をカッコに入れてしまって（自己表出が特定の指示表出と結びつかない）事実上なにも現実的な事物を指示したり、なにかを伝達するという現実的な過程としての機能を失い、指示表出もまたもっぱら自己表出に奉仕するような（スミスのいう「哲学」の領域に踏み込んで）文学（芸術）としての本質的な過程として分離していく場面にも適用すれば、『言語にとって美とはなにか』における言語の価値についての議論から表現転移論へと進む論理の展開になっていくでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんが、自分が芸術論でいう＜疎外＞を＜表出＞あるいは＜表現＞と言い換えてもいい、と言っているのはそういう意味だろうと思います。そこにはヘーゲルの＜疎外＞概念の原型的なイメージである、現実過程と本質過程との食い違いと、その食い違い自体が食い違いを打消す（止揚する）原動力だという考え方がずっと貫かれていることがわかります。</p><p>&nbsp;</p><p>　ヘーゲルの「哲学の歴史」に触れたついでに、彼が世界史の発展の原理を具体的にどう考えていたか、その部分を引用しておきましょう。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「さて、世界史は、自由の意識を内容とする原理の段階的発展としてしめされます。・・・（中略）・・・ここではただ、第一段階は、すでにのべたような、精神が自然のありかたに埋没した状態であり、第二段階は、そこをぬけだして自由を意識した状態である、というだけでよい。この最初の離脱は自然を媒介にして生じたもので、自然との関係を断ちきれず、いまだ自然の要素につきまとわれているがゆえに、不完全で部分的なものです。第三段階は、いまだ特殊な状態にある自由から純粋に普遍的な自由へと上昇し、精神の本質が自己感情としてとらえられた状態です。この三段階が、一般的過程をあらわす基本原理です。」</b>（同前 p101)</p><p>&nbsp;</p><p>　こうしたヘーゲルが世界史を語る自信に満ちた調子は、岩波文庫1994年版の訳者長谷川宏が解説で言うように「ヨーロッパ近代と過去と現在と未来にたいする確固不抜の信頼が自信のみなもとをなす」ところから来るのだろうと私も思います。近代思想を拓いたカントに深く影響され、ルソーに深く共感し、さらに宗教改革、啓蒙思想、フランス革命といった近代精神の開花へと直結する歴史的大事件を間近に経験し、それらに底流する自由と理性の胎動に直接触れたヘーゲルが、そこに世界史を支配する理性のはたらきを見たのは或る意味で当然であったかもしれません。イェーナ時代に、ベルリンへ進軍するナポレオンを目撃したヘーゲルが、ナポレオン個人を「世界精神」をみなし、その世界精神が馬に乗って通ると表現した逸話はよく知られています。理念の自己実現としての世界史は、若きヘーゲルにとって、理念の問題である以前に眼前で疑いようもなく展開される、感覚で直接とらえられるような真理だったのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; このような世界史の発展段階というのはしかしながら、先の吉本さんの＜否定の否定＞という云い方をすれば、事実としての歴史（人々の想いや行動の総和）のうちに含まれるあらゆる個々の感情なり行動なりを否定し去って、いわば空間的な要素を捨象して時間軸上に投影したものにほかなりません。</p><p>　</p><p>　これは私なりの理解のしかたなので間違っているかもしれませんが、例えば吉本さんがイメージ論で打ち出していた「世界視線」からみれば（具体的にはランドサットのもたらす超高空からの視線からみれば）地上に存在し、動き回っている人や車はもう見えず、海岸線や平野と山を区切る大河や開発された街と農村地帯であるとか、そんなものしか見えなくなるでしょう。</p><p>　そういう現実の写像が、様々なベクトルを持って存在する、事実としての個々の人々の想いや行動の結果でありその総和であるような歴史のひとつめの「否定」にあたるのではないか。つまり吉本さんのいう織物の比喩では経糸による否定に当たります。</p><p>　</p><p>　しかし、それはなお過去から現在、現在から未来へ向かうリニアな時間軸を失わない写像だと思いますが、これもちょうどランドサットからの「世界視線」で見るように、その時間軸を眺めるなら、個々の時間の経過、それによる変化といったものは消えて（捨象されて）しまいます。これが第二の否定、吉本さんの織物の喩えで言うと、緯糸によって否定して得られる写像ということになります。</p><p>&nbsp;</p><p>　そうすると、あとに残るのは吉本さんの言葉では「発生（史）」あるいは「起源」という概念だけだ、と。つまり経糸と緯糸で＜否定の否定＞をすれば、世界史の写像は「点」しか残らないものになってしまう、と。それがヘーゲルの「哲学的な世界史」であり、あの質的に区別された「段階」として表現された、理念が自己実現していく過程としての歴史だったのだ、ということが言われているのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　理念として描かれたヘーゲルの世界史という概念に意味がないかといえば、そうではなくて、こうした＜否定の否定＞として、理念のスクリーンに投影すれば、＜発生＞という「点」だけは残り、＜発生＞史（起源）の概念としてなら、ヘーゲルの世界史の理念は正当だとマルクスはみなしていた、というのが吉本さんの理解ですね。ぴたりと腑に落ちるところまではいきませんが（笑）、こうした受け止め方ができるなら、それに近いところまで直観的な理解は出来そうに思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　これは＜発生（史）＞とか＜起源＞と吉本さんが言っているものが何を指しているの理解にかかってきますが、＜発生＞にせよ＜起源＞にせよ、それまでに無かった新しい＜質＞が生れて来ること、あるいは或る質的転換の概念だと言っていいでしょう。</p><p>　だから、ヘーゲルが世界史だ、歴史の動向だと言っているもの、先に示したように、精神が自然のありかたに埋没した状態から抜け出して自由を意識した状態へ、さらにまだ自然の要素につきまとわれたその状態から普遍的な自由へと向かい、さらにそこから精神の本質が自己感情としてとらえられる状態へと発展していく事態とは、まさにそういう＜否定の否定＞を経た現実の世界史の「点」としての理念的な写像、＜発生（史）＞にほかならない、ということになるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　マルクスの描いてみせた経済社会史におけるもろもろの経済社会カテゴリーというものも、決して市民社会の事実的な世界と同じものではなくて、その理念的な写像であり、マルクスの＜自然＞哲学の＜疎外態＞であって、マルクスが＜自然史＞的に扱えると考えた理念の像だ、というのが吉本さんの考え方です。（「表現としての＜疎外＞」『世界認識の方法』p127による)</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「マルクスの＜自然＞哲学は、市民社会の核である経済社会構成にたいして＜自己疎外＞として関係しています。このことをマルクスの主体的な＜自然＞哲学の＜表現＞が、マルクスの経済カテゴリーの規定なのだといいかえてよいとおもいます。そして市民社会の＜自然＞的なカテゴリーである経済社会構成の＜表現＞として法、国家、宗教、文化などの観念的な領域がかんがえられたといえます。」</b>（同前 p106）</p><p>&nbsp;</p><p>　自然の一部である人間（有機的自然としての身体）が自然（無機的自然としての外界）に働きかけ、両者の間で相互に作用しあう関係（代謝）に入ることによって、自然は人間化されて人間の非有機的身体と化すことになるし、同時に人間の身体は逆に自然化されてそう言いたければ自然の非無機的自然と化す・・・わざわざそんな抽象的な言葉で言わなくても、果樹の実でもとってきて食べることを考えてみれば、それを食べることによって、果実は私の胃腸でそれを構成していた様々な物質に分解されて吸収され、私の身体に取り込まれて同化していくでしょうし、このとき私の身体のほうも、僅かかもしれないけれども、その果実の栄養素等によってある変化をこうむって、それを食べるまでの私とは僅かではあれ異なる私になるわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>　この同化と異化からなる代謝といわれる自然との相互作用が人間の生存条件であって、人間というのはこうしてもともとの自分以外のものになることによってしか自然（外界）に働きかけ、関わって行くことができないし、自然のほうもまた、もともとの自然以外のものにならずして人間と関わることができない、という相互関係にあります。</p><p>&nbsp;</p><p>　こうした関係をヘーゲルは＜自己疎外＞つまり、本来の自分以外のものになる、という意味合いの概念でとらえ、マルクスの自然哲学というのは、このヘーゲルの疎外概念を踏襲し、経済社会を論じる場合にもそれを貫徹しているというのが吉本さんの示したところだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　だれもがこういうとき引用する箇所ですが、マルクスの『経済学・哲学草稿』の該当箇所を引用しておきましょう。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「人間の普遍性は、実践的には、まさしく人間が自然の全体を自分の非有機的身体とする普遍性のうちにあらわれるので、そこでは、自然の全体が直接の生活手段であるとともに、人間の生命活動の素材や対象や道具になっている。自然とは、それ自体が人間の身体ではないかぎりで、人間の非有機的な肉体である。人間が自然に依存して生きているということは、自然が人間の肉体だということであり、人間は死なないためにはたえず自然と交流しなければならないということだ。人間の肉体的・精神的生活が自然と結びついているということは、自然が自然と結びついているというのと同じだ。人間は自然の一部なのだから。」</b>（長谷川宏訳　光文社古典新訳文庫 p100-101)</p><p>&nbsp;</p><p>　自然と人間の相互作用の関わりかたを自然哲学における＜自己疎外＞の自然規定だとすれば、この自然哲学を基礎に、次にその自然哲学からの＜自己疎外態＞として、市民社会の核として経済領域におけるマルクスの理念が構成されることになり、さらにこの市民社会の自然的な（マルクスが自然史的カテゴリーとして扱えると考えた領域であるところの）カテゴリーである経済社会構成の＜疎外態＞として、法や国家や文化といった観念的な領域（吉本さんのいう共同幻想の領域など）が考えられることになる、ということですね。それを『カール・マルクス』に収められた「マルクス伝」（1964)で吉本さんは次のように述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>　<b>「『ヘーゲル法哲学批判』で、＜法＞・＜国家＞が市民社会の外にあらわれたように、こんどは市民社会が、＜自然＞の外に、＜自然＞にたいする人間の働きかけの対象化としてあらわれるのである。」</b>（『全集撰』４ 0357)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; ここでいう「対象化」は＜疎外＞と言い直してもよいでしょう。自然哲学の疎外態として市民社会があらわれ、市民社会の疎外態として法や国家が登場する、というわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>　自然に対する人間の働きかけとしての労働をなぜマルクスが「＜疎外＞された労働」と呼ぶかと言えば、その活動が人間から①自然を疎外し、②人間自身を、人間自身の活動を、人間の生命活動を阻害し、その上に人間を累から疎外する。類的生活を個人的生活の手段にしてしまうからだ、と言います。（前掲『経済学・哲学草稿』p101)</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;　本来の労働、生産的生活は「類的生活」であり、「生活を生み出す生活」として、その生命活動のありかたのうちには、活動が自由で意識的であるような人間活動の類的性格がこめられていたはずなのですが、その生命活動ないし生産的生活（要するに労働）が、単に肉体的生存の維持という欲求を充足するための手段としてしかあらわれない状態、つまりその生活が「生活の手段」としてしかあらわれない状態を指して＜疎外態＞というわけです。</p><p>　だからそのような一面性を基盤として成り立っていく市民社会の経済社会のありよう自体が、自然と人間の関係としての人間の生存条件である常態的な＜疎外＞（自然哲学における疎外）の、そのまた疎外態として形成されることになるわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>　　ここでマルクスが人間の生産的生活は、本来的には「類的生活」であって、「生活を生み出す生活」、「自由で意識的であるような人間活動の類的性格」などと述べているのは、たぶんにヘーゲルの「類」と「個」についての関係を語る口振りを踏襲しているように思います。</p><p>&nbsp;</p><p><b>　「人間は類的存在なのだが、二つの点からしてそういえる。一つは、実践的・理論的に、自身の類をも自分以外のものの類をも自分の対象とするがゆえに類的存在であり、さらには（といっても同じ事項を別の形で表現したものにすぎないが）、自分自身を現有する生きた類として扱い、自分を普遍的な、したがって自由な存在と見なすがゆえに、類的存在である。」</b>（マルクス『経済学・哲学草稿』長谷川宏訳 p99-100 光文社古典新訳文庫）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; このような人間の「類」としての本来的なありようから考えていって、そうした理念から現実の労働のような人間活動がそこからどう外れ、＜疎外＞された状態にあるか、とする発想というのは、ヘーゲルが歴史というものを、もともとそれ自体で充足していてほかに何も必要としない理念の自己実現の過程、理念の自己疎外でありその打ち消しであるものと考えた発想とまったく同型の雛型にもとづくものだと言えるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　マルクスもまたヘーゲルと同様に、理念の側から考えて現実過程を見ているし、いわゆるマルク主義者が下部構造として事実のレベルと見なしている経済社会構成史も、マルクスにおいてはヘーゲルの世界史と同様、その理念的な写像なのだ、ということを忘れるべきではないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　言語からかなり遠くまで来てしまいましたが、言語表現を＜疎外＞＝＜表出＞＝＜表現＞だと吉本さんが言う考え方の源をたどれば、こうしたマルクスの自然哲学から経済哲学、法や国家の哲学をも貫通する「疎外ないし外化」へ、さらに遡ればヘーゲルの言う理念の自己実現の過程としての世界史、理念の「疎外＝疎外の打ち消し」について言われる＜疎外＞の概念に行きつくことが、腑に落ちる形で理解できるのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　もともと何かを指し示したり、伝えたりするために（対他的な指示表出として）使われた言語のうちに同時に表出され、構造として組み込まれて内在した、何も指し示したりせず、伝えたりもしない、いわば無ではない沈黙としての内部意識の自動表出（対自的な表出）によって、他の言語との関係の中に置かれることによって＜価値＞として現われ、その内部意識の表出（自己表出）として、指示されるものが何かとは関わりのない、表出意識のありよう、強度や起伏や明瞭度といった主観的要素を表わし、その累積が、指示や伝達のための用具であるかにみえる言語のはたらきの現実過程と分離した本質過程として自己増殖し、対他的な言語（指示表出）をも自身に奉仕させるまでに自立的な働きをして、いわば指示表出をカッコに入れ、あるいは置き去りにして、自己表出自体の増殖、それがさらなる高みへと上昇することのみをひたすらめざすような言語となっていくとき、普通の日常的な言語が、もっぱら文学（芸術）表現としての言語と化していくのだというところに吉本さんが明らかにした表現としての言語の本質があることを先に述べました。</p><p>&nbsp;</p><p>　それはまた、もともと何かの用の足しに使われるべきものとしての使用価値であった、自然形態を供えた物が、市場において他の商品と（交換されることによって）等値され、自身とは異なる自然形態を供えたその商品によって自身の＜価値＞を現わし、ほかの諸商品との関係の中で、その商品に投入された労働（言語における内部の表出意識と同様に）を源泉とする＜価値＞（交換価値）として、本来の自然形態としての商品の使用価値をカッコに入れ、あるいは置き去りにして、その価値の自己増殖を図る（商品の等価形態を集約した貨幣の資本への転化、その自己増殖）循環的な過程に入り、&nbsp;&nbsp;&nbsp; W-G-W という現実過程と、G-W-G' という本質過程とが分離していく、&lt;疎外＞の過程とまったく同形であることが、ここまでくればよく了解できるのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　もともと経済学的な類推によるアプローチということで述べれば済むところでしたが、吉本さんもマルクスもヘーゲルも＜疎外＞という概念を核心のところで使って議論を展開していたため、今回は＜疎外＞概念の理解を中心に自分なりの理解を書いてみました。</p><p>&nbsp;</p><p>　これで、大体吉本さんの「自己表出」について、吉本さん自身が明らかにしてきた源泉から辿りなおす作業は区切りということにできるのではないかと思います。あとは吉本さんが『ハイ・イメージ論』であらためて振り返って自身の議論との距離感を確認しているソシュールの言語論との関わり、というよりも「すれ違い」のというほうが適切かもしれない問題と、具体的な内容には触れずに吉本さんが影響を受けたとか、自身の『言語にとって美とはなにか』をそれに当たるものとして評価してもらったと述べていた、群論のような数学の分野でいう「表現論」との関係をどうするか、というところです。</p><p>&nbsp;</p><p>　しかし、前者はソシュールが日本の追随者は言うまでもなく世界でも言語論の主流とされ、いわゆる構造主義の源とされるなど、人文科学全般の基礎学のような受け止められ方をしていることもあり、事実その懐が深そうですから、単に吉本さんのソシュールについての議論をなぞってみても仕方がないので、いくぶんかは時間をかけてソシュール自体を自分なりに読み込んでからの作業とするほかはなさそうだし、後者についても群論について全く無知な今の状態でいきなりその表現論とは何ぞや、いったいその何が言語論にどう示唆を与えうるのか、といったことを明らかにしようというのは無理な話ですから、なにも今から高等数学を学ぼうなんて思わないけれど（笑）、せめて言語論になにが示唆を与えうると吉本さんや彼にそんな声をかけた遠山啓さんや彌永昌吉さんの言葉の意味合いがおぼろげながらでも窺えるところまでいければいいな、と考えています。それには少しまた時間がかかるでしょうから、「自己表出」へのアプローチはひとまずここで終わりというか、中断して、別のキーワードについて書き継いでみようかと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>　to be continued ・・・</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12807673948.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Jun 2023 15:50:57 +0900</pubDate>
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<item>
<title>「自己表出」とは何か～経済学からのアプローチ  その2 ～マルクスの価値形態論</title>
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<![CDATA[ <p align="left">マルクスの「価値形態論」から<br><br>　前回は、スミス、リカードゥ、ベイリーの経済学における価値論について、吉本さんの理解をなぞっただけに終わり、それが言語論とどう関わるのかという点にまで到達せずに終わりました。しかし、それはスミスの労働価値説を「抒情詩」、リカードゥのそれを「物語」（本来抒情詩であるべきスミスの価値を、そのままで物語化しようとした）、ベイリーの「価値とは（交換）関係にほかならない」というリカードゥ批判を「解体した物語」（関係だけあって内在的な人格のない登場人物から成り立つ物語）だと述べた吉本さんの評価を、ただその言葉だけ引き写したのでは理解することが難しいので、それぞれの経済学における価値論のどういう点がそう見られるのかを検証しながら、この段階的な評価をたどってきたわけです。<br><br>　これでようやく、吉本さんが『言語にとって美とはなにか』を構想する上で、直接な影響を受けたマルクス『資本論』の価値形態論へ進むことができます。先の抒情詩から物語へ、そして物語の解体（人格のない登場人物の関係によって描かれる物語）へと転移してきた古典派経済学の価値論は、マルクスの『資本論』による「価値形態」という概念の導入によって、吉本さん流に言えばシテとワキが演じる「劇」へと転じることになります。<br><br>　ここでのポイントは、マルクスがその価値形態論において、「価値」と「価値形態」とを区別し、ベイリーのように価値形態の手をつけながら、価値関係を量的規定性の観点からしか見ないために両者の混同から抜け出せなかったのに対して、量的関係から独立した商品間の価値関係における役割の違いを価値形態の概念を創出することによって明確にとらえたことでしょう。<br><br>　吉本さんはここで「マルクスは具象性の領域をこえて、スミスのいう『哲学（人）』の領域へ」歩み入ったとか、「価値に形態を認知するためには、たんに価値には使用価値と交換価値があることを認識しただけではだめ」で、「それらの価値を形態として認知するためには、このふたつの価値概念にたいして、もうひとつその把握を客体化する視線がくわわらなければならない」といった独特の言い回しで説明していますが、正直言って、マルクスの価値形態という概念を理解する上では、かえって少々わかりにくくなっているように思います。<br><br>　「哲学（人）」というのは前に引用したように、分業で細分化していく多様な職業のいわば、底の方に降りて行くときに見いだすことができる、それら多様な職業、仕事に共通して役立つ技術革新を引き起こすような思考の領域であり、そういう思考を生きる人のことを言っていると思います。<br>　しかし、吉本さんはさらに、この喩を拡張して、「労働は価値の哲学」であり、「価値は商品の哲学」であるから、「労働は哲学の哲学だ」というふうな、概念を冪乗していくような表現をしたり、「（使用価値と交換価値という）このふたつの価値概念にたいして、もうひとつその把握を客体化する視線」というふうに、それがどういう視線なのかを直接指示しないで抽象的な言い方にとどめるような表現に終始していて、分かりやすいとは言えません。ですから、ここは直接にマルクスの言葉を読むほうが分かりやすいと思います。<br><br><b>　「ある一つの商品の簡単な価値表現が二つの商品の価値関係のうちにどのように潜んでいるかをみつけ出すためには、この価値関係を、さしあたりその量的関係からまったく独立に、考察しなければならない。人は、たいてい、これと正反対のことを行なっており、価値関係のうちに、二種類の商品の一定分量どうしが等しいとされる割合だけを見ている。その場合、見落とされているのは、異なった物の大きさは、それらが同じ単位〔統一体〕に還元されてはじめて、量的に比較されうるものとなるということである。それらは、同じ単位のもろもろの表現としてのみ、同名の、それゆえ同じ単位で計量されうる大きさなのである。」</b>（マルクス『資本論』1-1-3-2 p84～ 資本論翻訳委員会訳 新日本出版社1982 第１分冊。以下同書の引用は同じ）<br><br>　ここまでは当然のことだとすぐ納得できます。ここに付された注において、マルクスはベイリーらが価値形態と価値とを混同しているから価値形態の分析で何の成果もあげられなかったのだと批判しています。<br><br><b>　「</b><b>20</b><b>エレのリンネル＝１着の上着</b><b> </b><b>であろうと、</b><b> =20</b><b>着の上着</b><b> </b><b>であろうと、</b><b> =X</b><b>着の上着</b><b> </b><b>であろうと、すなわち、一定分量のリンネルが多くの上着に値しようと少ない上着に値しようと、このような割合はどれも、リンネルと上着とは、価値の大きさとしては、同じ単位の諸表現であり、同じ性質の物であるということを、つねに含んでいる。リンネル＝上着</b><b> </b><b>が等式の基礎である。」</b>（同前）<br>　<br>　これは上記の前節のつづきですね。大事なのは次です。吉本さんのいうシテとワキの明確な役割の違いを指摘してマルクスが価値形態論において「劇」を創造していく部分です。<br><br><b>　「しかし、質的に等値された二つの商品は同じ役割を演じるのではない。リンネルの価値だけが表現される。では、どのようにしてか？リンネルが、その『等価物』としての、またはそれと『交換されうるもの』としての上着にたいしてもつ関連によって、である。この関係のなかでは、上着は、価値の実存形態として、価値物として、通用する。なぜなら、ただそのようなものとしてのみ、上着はリンネルと同じものだからである。他方では、リンネルそれ自身の価値存在が現われてくる。すなわち、一つの自立的表現を受け取る。なぜなら、ただ価値としてのみ、リンネルは、等価値のものとしての、またはそれと交換されうるものとしての上着と関連しているからである。」</b>（同前）<br><br>　ここは最も重要な部分ですから、原文を引用しておきましょう。ドイツ語は大学の教養課程でいちおう学んだけれど、それ以後ご無沙汰ですから、全然読めるわけではないけれど、知らない言語と違って、基本的な文の構成や個々の単語についても、何となく馴染があって、邦訳とつきあわせれば、キーワードにあたるものの原語が何なのか、もとの表現はどうなっているのか、くらいは確かめられます。引用は、ウェブサイトから拾ったものです。<br><br>　Aber die zwei zualitativ gleichgesetzten Waren sielen nicht dieselbe Rolle. Nur der Wert der Leinwand wird ausgedrückt. Und wie? Durch ihre Beziehung auf den Rock als ihr "Äquivalent" oder mit ihr "Austauschbares". In diesem Verhältnis gilt der Rock als Existenzform von Wert, als Werding, denn nur als solches ist er dasselbe wie die Leinwand. Andrer seits kommt das eigne Wertsein der Leinwand zum Vorschein oder erhält einen selbständigen Ausdruck, denn nur als Wert ist sie auf den Rock als Gleichwertiges oder mit ihr Austauschbares bezüglich.&nbsp;<br><br>&nbsp; 「質的に等値された二つの商品は同じ役割を演じるのではない」（ die zwei zualitativ gleichgesetzten Waren sielen nicht dieselbe Rolle）、これが価値形態論のポイントなんでしょうね。<br>　また、20エレのリンネル＝１着の上着 という等値の上着は、「価値の実存形態（Existenzform von Wert）」、価値が具体的な形をとって現れた存在形態、現象形態だということでしょうね。<br>　そしてこの等値によって、リンネル自身の「価値存在が現われてくる」（kommt das eigne Wertsein der Leinwand zum Vorschein）、「すなわち、一つの自立的表現を受け取る」（oder erhält einen selbständigen Ausdruck）。<br><br>　この部分に関するマルクスの説明はとても懇切丁寧です。このあと酪酸と蟻酸プロピルの関係を例にとり、両者は異なる物質だが、炭素、水素、酸素という同じ化学的実体から、しかも同じ比率の組成で成り立っているが、これが等値されるとすれば、この関係の中では「蟻酸プロピルは単にC2H8O2の実存形態としてのみ通用し、第二に、酪酸もまたC2H8O2から成り立っていることが述べられるであろう。すなわち、蟻酸プロピルが酪酸に等値されることによって、酪酸の化学的実体が、その物体形態から区別されて、表現されるであろう。」(p86）と化学物質の関係の表現を例にとって説明しています。<br><br><b>　「われわれが、価値としては諸商品は人間的労働の単なる凝固体であると言えば、われわれの分析は諸商品を価値抽象に還元するけれども、商品にその自然形態とは異なる価値形態を与えはしない。一商品の他の商品にたいする価値関係のなかではそうではない。ここでは、その商品の価値性格が、他の商品に対するその商品の関連によって、現われ出るのである。」</b>（同前p86）<br><br>　つまりこの「等値」によって、上着に潜んでいる労働と、リンネルに潜んでいる労働という、もともと質の異なる労働が抽象的人間労働という共通の性格を持つものに還元され、そのことによって価値を形成する労働の独自な性格を表わすのだというわけです。<br><br><b>　「もっとも、リンネルの価値を構成している労働の独自な性格を表現するだけでは十分ではない。流動状態にある人間的労働力、すなわち人間的労働は、価値を形成するけれども、価値ではない。それは、凝固状態において、対象的形態において、価値になる。リンネル価値を人間的労働の凝固体として表現するためには、リンネル価値は、リンネルそのものとは物的に異なっていると同時にリンネルと他の商品とに共通なある『対象性』として表現されなければならない。」</b>（同前p87）<br><br>　ここも重要なポイントだと思うので原文を引用しておきましょう。<br><br>　Es genügt indes nicht, den spezifischen Charakter der Arbeit auszudrücken, woraus der Wert der Leinwand besteht. Menschliche Arbeitskraft im flüssigen Zustand oder menschliche Arbeit bildet Wert, aber ist nicht Wert. Sie wird Wert in geronnenem Zustand, in gegenständlicher Form. Um den Leinwandwert als Gallerte menschlicher Arbeit auszudrücken, muß er als eine "Gegenständlichkeit" ausgedrückt werden, welche von der Leinwand selbst dinglich verschieden und ihr zugleich mit andrer Ware gemeinsam ist.<br><br>　<b>「流動状態にある人間的労働力、すなわち人間的労働は、価値を形成するけれども、価値ではない。</b>（Menschliche Arbeitskraft im flüssigen Zustand oder menschliche Arbeit bildet Wert, aber ist nicht Wert. ）<b>」</b><br><br><b>　「それは、凝固状態において、対象的形態において、価値になる。</b>（Sie wird Wert in geronnenem Zustand, in gegenständlicher Form. ）<b>」</b><br><br>&nbsp; <b>「</b>（リンネル価値が価値となるためには・・・）<b>ある『対象性』として表現されなければならない</b>（muß er als eine "Gegenständlichkeit" ausgedrückt werden）」<br>　<br>　この間から半世紀ぶりくらいに再読して、こういった記述がなんと含蓄に富んだ記述であることかと改めて思いました。先走って言語に類推していくなら、人間の意識の中でまだ「流動状態にある表出意識は、価値を形成するけれども、価値ではない」、「それは、凝固状態において、対象的形態において、価値になる」、「（表出意識が言語として価値をもつためには）ある『対象性』として表現されなければならない」、つまり発語されるなり、文字として書かれなくてはならない・・・・そんなふうに読むことができるでしょう。<br><br>　上着もまた、リンネルと同様に、それだけを取り出してみれば、ひとつの単なる使用価値にほかならず、何ら価値を表現するものではありません。しかし、いったん上着がリンネルと等値されれば、その関係のなかでは、その使用価値には関係のない「価値の担い手(Träger von Wert)」、マルクスの言葉によれば「体化された価値(verkörperter Wert)」、「価値体(Wertkörper)」としてのみ通用することになります。<br><br>　この時逆に、リンネルにとっては、価値が上着という「形態」をとることによって初めて、上着がリンネルに対して価値を表わすことになるわけです。つまり、そうやってリンネルは、その自然形態（リンネルのあるがままの物としての形態）とは異なる価値形態（上着という物＝使用価値、上着の自然形態であらわされる価値形態）を受け取ることになります。<br>　マルクスはこうした商品価値の分析の内容いっさいは、リンネルが他の商品（上着なら上着）と関係づけられるや否や、リンネル自身が自分だけに通じる「商品語(Warensprach)」で語るのだ、と述べています。<br><br>&nbsp; 相対的価値形態の内実を述べた一節の終わりに、マルクスは次のようにその趣旨を要約しています。<br><br><b>　「したがって、価値関係の媒介によって、商品Ｂの自然形態が商品Ａの価値形態となる。言い換えれば、商品Ｂの身体が商品Ａの価値鏡となる。</b><b>* </b><b>商品</b><b>A</b><b>が価値体としての、人間的労働の物質化としての、商品Ｂに関連することによって、商品</b><b>A</b><b>は、使用価値Ｂを、それ自身の価値表現の材料にする。商品</b><b>A</b><b>の価値は、このように商品Ｂの使用価値で表現されて、相対的価値という形態をもつ。」</b>(同前P90)<br><br>&nbsp;Vermittelst des Wertverhältnisses wird also die Natrralform der Ware B zur Wertform der Ware A oder der Körper der Ware B zum Wertspiegel der Ware A. * Indem sich die Ware A auf die Ware B als Wertkörper bezieht, als Materiatur menschlicher Arbeit, macht sie den Gebrauchswert B zum Matereatur ihres eignen Wertausducks. Der Wert der Ware A, so ausgedrückt　im Gebrauchswert der Ware B, besitzt die Form des relativen Wert.<br><br>　&nbsp;「商品Ｂの<b>身体</b>が商品Aの<b>価値鏡</b>となる（der Körper der Ware B zum Wertspiegel der Ware A）」というふうな言い方はほんとうに分かりやすいですね。この箇所に原注がついていて、こういう考え方が商品に限らず、人間にも、またそれ以外のこの種の論理と類推が当てはまる多くのことに示唆を与えるように思います。本筋からはどうでもいいようなものですが、気に入っている箇所なので引用しておきます。<br><br><b>　</b><b>&nbsp;</b><b>「見方によっては、人間も商品と同じである。人間は、鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、はじめはまず他の人間に自分自身を映してみる。人間ペーターは、彼と等しいものとしての人間パウルとの関連を通してはじめて人間としての自分自身に関連する。だが、それとともに、ペーターにとってはパウルの全体が、そのパウル的肉体のままで、人間という種族の現象形態として通用する。」</b>（同前P90-91)[私は聖書の邦訳ではペテロ、パウロで教えられてきたので、ペーターとかパウルとか言われると別人みたいに聞こえて仕方ないので、以下ではペテロ、パウロとします。]<br><br>　&nbsp;つまり、人間も商品も、自身の等価物、自分と交換できるようなほかの商品と関係することによって、はじめて自身の価値をマルクスの言葉で言えば「体化（verkörperter）」すなわち手触りのきく具体的な形態として具現化されたものとして実現（表現）できるということでしょうね。<br><br>　ｘ量の商品A = ｙ量の商品B<br><br>&nbsp; この単純な関係にそうした意味が隠されているとは、とマルクスの分析を読むと何度でも新鮮な驚きを覚えます。こうして相対的価値形態と等値されることによって等価形態としての商品Ｂが価値体でありうるのは、あくまでもそうしたAとの関係によって価値を賦与されているからこそ、であるにもかかわらず、私たちはそういう関係ができてしまうと、最初から商品Ｂにはそのような「価値」が実体として内在しているかのように思ってしまいます。<br>&nbsp;&nbsp;<br>&nbsp; だから商品の一つに過ぎなかったものが貨幣となったときに、私たちは貨幣に対して多かれ少なかれ「フェティシズム」に陥ることになるのでしょう。この原初的な事情が無ければ、その後の貨幣の流通や資本の蓄積といったことの背後にあるわたしたちの基本的な衝動、そうした活動に赴かせる原動力のようなものが見えてこないし、マルクスの綿密な価値形態論も、マルクス自身がそんな風に見えるかもしれないが・・・と言っていたように、なんだか言葉の遊びのようにさえ見えてくるでしょう。<br><br>　マルクス自身も貨幣が一商品であることが問題なのではなく、一商品がなぜいかにして貨幣になり得たのか、ということが問題なのだと述べていました。そうした「貨幣の秘密」がこの単純な関係のうちにすでに隠されていたのだ、ということに、この部分の記述を読むと、いつもあらためて新鮮な驚きを覚えます。<br><br>　マルクスは労働価値説に立っているので、あくまでも価値を形成するのは抽象的人間労働で、これは自然と自然の一部である人間が相互に関わり合う中で自然を人間化し、人間を自然化する相互規定的な疎外関係（マルクスの自然哲学における疎外概念については後日また触れざるを得ないでしょうから、ここではパスしておきます）から必然的に生まれてくるものです。<br><br>　従って、これは人間が人間として誕生してからの歴史全体を通じて変わらない、超歴史的な概念だと思います。ときどき科学技術（史）の専門家などのなかにも、自然と人間とのこうした関わりに関して、たとえば技術の本質を論じる際に、私がいいなと思う武谷光男の「技術とは人間実践（生産的実践）における客観的法則性の意識的適用である」という定義に対して、労働手段の体系という風な言い方で技術の本質論に「階級的視点」を導入しようとするような異論があったりしたらしいことを半世紀ほど前に武谷の本を読んでいたころ仄聞したことがありましたが、それと同じで、社会関係の在り方によってその本質を左右されるようなものではありません。<br>　この自然と人間の関係性は資本主義社会以前、人間が人間になった時点から変わらない、いわば人間の超歴史的な生存条件なので、マルクスのいわゆる価値法則というのは古代社会だろうが資本主義社会だろうが何も変わるものではないはずです。<br><br>　ただ、その価値が自らを交換価値として具現化するときには、現代であれば資本主義社会の市場において他の商品との関係に置かれることによって、市場での交換価値として自己実現を図るわけですから、当然そこでは資本主義社会の市場原理に従い、当然またそこに資本制固有の価値形態の発展の仕方があり、その過程で人間自身のあり方が本来的なものから外れていくことも生じ、一般的にはそういう現象を労働の或いは人間性の「疎外」などと言って、階級的視点が必要だといった主張も一定の根拠をもつわけです。それは超歴史的なことではなくて、まさに歴史的な、資本制社会、あるいは前資本制社会における市場社会の形成に伴うできごとであったと思います。<br><br>　しかし、ここでマルクスが書いている「価値鏡」の喩のようなことは、人間にとって普遍的なありようなのではないでしょうか。だからこそ、彼も、パウロとペテロの例など挙げて注をしたためたのでしょう。<br>　「相対的価値形態」というのは積極的、能動的な主体の役割をしていて、吉本さんが能の演者に喩えてシテ役だと的確に指摘していました。他方、これと等値される、吉本さんがワキに喩えた、「等価形態」は、消極的、受動的で、相対的価値形態と等値されることによって、つまりそのことでいわば社会的な関係によって規定されることで初めて、「価値形態」として価値対象性をもつことができるようなものですね。ペテロの例でいえば、ペテロはパウロとの関係に置かれることによって、その主体的なありようを社会化され、こういう人間であるというペテロとしての対象性（世の中のひとたちが認知する対象としての人間ペテロ）を獲得するということでしょう。<br><br>&nbsp; この論理は私たちのさしあたっての関心事である言語論にも拡張できそうに思えます。<br>&nbsp; いまのところ単なる類推による比喩としてしか言えないけれど、言語表現の際の「こちら側」、つまり内面の表出意識をマルクスのいう抽象的人間労働、つまり価値を形成する実体だとみなせば、それを表現する言語の指示（表出）的側面（外在的な対象と関わり、これを～つまり言語の場合は対象の概念をということになりますが～指示する表出意識）は、他の言語との関係の中に置かれていて、もし何らかの他の言語と等値されるなら、その関係によってその別の言語にいわば「等価形態」としての「価値」を与え、同時に自身はそのまったく自身とは別の指示性をもつ言語によって、自身の価値を表現（具現化）することができる、ということになります。<br><br>　抽象的に言うとわかりにくそうですが、たとえば暗喩表現のようなものを考えてみれば分かりやすいでしょう。星空を表現するのに、いろんな言葉がある中で、「螺鈿のように輝く星空」ということから、「螺鈿」という暗喩を用いるとすれば、それは「星空」とは本来の指示性としては全く別の言葉ですが、「星空」と（作者の内部で）等値されることによって、「等価形態」としての価値を受け取り、また同時に「星空」という作者の表出は「螺鈿」と等値される（この言葉に置き換えられ、書かれる）ことによって、それ自身の価値を（よりよく）具現化することになります。<br><br>　この場合「螺鈿」という言葉は、ただ「星空」との関係において価値を獲得しているだけで、単独でこの言葉だけいじってみても、文字通り「螺鈿」の辞書的な意味合いしかないわけです。しかし、「等価形態」として「星空」との関係性の中に置かれることで、価値となり、一定の文脈の中で読む人の心を動かす表現となります。吉本さんがいう「自己表出」というのは、この「等価形態」としての価値形態を指している、と言ってもいいのではないでしょうか。<br><br>　少し先走り過ぎたかもしれません。吉本さん自身の『ハイ・イメージ論』所収の「拡張論」の記述に戻ってみることにしましょう。<br><br><b>　「大切なことはこのリンゴの価値物としての実存の仕方に、マルクスが形態という概念をあたえたことだった。これはスミスにもリカアドオにもベイリーにもおもいもおよばなかった。マルクスが自負するなら、ここですべきであった。</b><b>…</b><b>（中略）・・・価値に形態を認知するためには、たんに価値には使用価値と交換価値があることを認識しただけではだめなはずだ。それだけのことならスミスもリカアドオもすでに、このふたつの価値概念の在り方を熟知していた。だがそれらの価値を形態として認知するためには、このふたつの価値概念にたいして、もうひとつその把握を客体化する視線がくわわらなければならない。」</b>（吉本『ハイ・イメージ論』Ⅱ 前掲書P37)<br><br><b>&nbsp; </b><b>「ベイリーの価値をめぐる考察が、関係だけからできた記号的な登場人物（たとえば男１，男２，男３・・・、女１，女２、女３・・・、といったような）をめぐる解体された物語だとすれば、マルクスの価値のつかみ方は記号的な登場人物が演ずる劇だといってよい。そしてそのちがいはマルクスには形態にまでたかめられてゆく形式の認知があったのに、ベイリーはせっかく価値の本質に肉薄しながら、ぼんやりした形式の把握しかもたなかったことだ。</b><br><b>　スミスの抒情詩的な把握にそくしていえば、わたしが一個のリンゴを子供のもつ二個のネーブルと等価として交換する関係にはいったとき、リンゴとネーブルの価値形態は、ふたつの形態しかとることができない。しかも価値のこのふたつの形態は、たがいに対立し、背反するものだということを、マルクスは、はじめてはっきりと見出したといえよう。」</b>（吉本前掲書　P37-38)<br><br><b>&nbsp; </b><b>「価値形態をめぐって演出されたマルクスの商品の記号の劇は、ふたりの人物を、対立し二律背反する姿で登場させた。シテは相対的価値形態とよばれワキは等価形態とよばれる。・・・（中略）・・・このふたつの価値は対立するほかなく、またあるひとつの商品の価値は、同時に相対的価値の形態と等価形態とをとることができない。ふたつは背反関係におかれる・・・（中略）・・・価値（体）としての商品をみるかぎり、商品は能動的な価値形態としては相対的価値形態の系列をつくり、受動的な価値形態として等価の系列をつくり、このふたつの系列はたがいに対立し、背反しあうから、ひとつの商品は同時にこのふたつの系列に帰属することはない。・・・（中略）・・・劇としていえば、ひとりの俳優はシテとワキを使いわけることはできるが、おなじ幕で、同時にシテとワキとして舞台のうえにいることはできない。」</b>（同前P39-40)<br><br>　こうした理解を踏まえて、吉本さんはマルクスのこの論理構造を、自らの言語美における言語の価値論ともいうべきものへと換骨奪胎を図ります。<br><br><b>　「</b><b>1960</b><b>年か</b><b>61</b><b>年ころ、わたしたちは価値（体）としての商品をめぐるこのマルクスの劇を、言語体のほうへ拡張しようとしていた。</b><br><b>　あるひとつの商品は、価値体として相対的価値形態の系列の要素のひとつとみることもできれば、等価形態の要素のひとつとしてみることもできる。だが同時にこのふたつの系列の要素であることはできない。にもかかわらず、相対的価値形態の系列と等価形態の系列とは、暗喩としてひとつの商品を価値（体）としてさしている。そうだとすれば、もともと相対的価値形態の系列と等価形態の系列とを、構造として内在させたひとつの価値体の集合にまで、商品の概念を拡張すれば、言語もまたこの価値体の集合にふくまれるはずだ。わたしのかんがえでは、マルクスのいう形態の概念は、このばあい内在する構造という概念に拡張されていなければならないとおもわれた。」</b>（同前P40）<br><br>　このように、「相対的価値形態の系列と等価形態の系列とを、構造として内在させたひとつの価値体の集合にまで、商品の概念を拡張」したところに、吉本さんの換骨奪胎のポイントがあるようです。そうすることによって、これを言語を指示表出と自己表出の内在的な「構造」として読み替えることができるからです。<br><br><b>　「商品の相対的な価値形態は、使用価値の違いが実体のちがいだというひとつの系列をうみだす。また等価形態は（交換）価値がじぶんじしんにたいする差異によって任意の実体におきかえできるようなひとつの系列をうみだす。わたしたちは価値としての言語体はこのふたつの系列を構造として内在させるものとみなした。」</b>（同前P40)<br><br>&nbsp; 言語に置き換えてみれば、相対的価値形態は、指示表出の違い、つまりその言葉が何を指すか、その違いによってひとつの系列をうみだす。また等価形態は、自己表出の違い、つまりその言葉がどのような視点、どのような視角、どのような距離から、どのような強さで表出されるかといった表出意識のありよう自体の差異を、たとえば様々な喩の言葉のいずれかを選んで置き換える言葉の系列を生み出すわけです。<br>&nbsp; 例えば美しい、綺麗などとの差異において醜いという態様を指す、というふうに指示表出の違いによって相対的価値形態の系列が生み出されるし、他方、その醜さの暗喩としての豚、猿、化け物等々、同じ表出価値を持つと考えられる様々な任意の実体としての言葉の系列を生み出すでしょう。<br><br>　相対的価値形態と等価形態の両系列を言語の内在的な「構造」とみなしてしまうところに、読んできて或る種の飛躍を感じざるを得ないところはあるのですが、他方で、言語論的アプローチで書いてきた時枝誠記や三浦つとむの言語論をベースに考えたときに、こうした両系列の内在化された構造として言語をとらえる見方になるのはごく自然な展開のようにも思えます。<br><br>　吉本さんの強みは、言語にとって抽象的な概念を使っていても、つねに具体的な言語表現が、前に引用したカントが「思考を定めるとはどういうことか」の冒頭で言っていた「形象的な表象」として脳裏にあって、それが例えばどういう言語表現のことを指しているのか、直観的には明々白々なもので、吉本さん自身が直観的確信をもって語ることができているところにあるような気がします。<br><br>　吉本さんはその後具体的に言語表現について、この重ね合わせの実例を示してくれています。<br><br><b>　「一個のリンゴ＝二個のネーブル</b><br><b>　これの読み方はつぎのような変形や省略ができる。</b><br><b>&nbsp;(1) </b><b>一個のリンゴの価値は、二個のネーブルに値する。</b><br><b>&nbsp;(2) </b><b>一個のリンゴの価値は、二個のネーブルのそれ（価値）だ。</b><br><b>&nbsp;(3) </b><b>一個のリンゴの価値は、二個のネーブルのそれ（価値）のようだ。</b><br><b>　</b><b>(1)</b><b>が価値等式のふつうの言いまわしだとすれば「の」「のよう」「だ」などが言いまわしをかえて演じている役割は、等価形態の系列にあたっている。だがこれらの助詞や助動詞「の」「のよう」「だ」などは、それだけで相対的な価値形態をとることができない。ただ相対的な価値形態を補ったり、つなげたり、動勢をあたえたりといった役割をはたすだけだ。</b><br><b>　ここで言いかえをやってみる。価値としての商品のばあいの相対的な価値を指示表出、等価を自己表出とよぶとすると、表出体としてのすべての言語は、みかけのうえで指示表出が極大で自己表出が極小であるような言語と、指示表出が極小で自己表出が極大であるような言語を、ふたつの限界として、ふたつの差異系列を内につつんだ構造をつくっていることになる。たとえば「リンゴ」という言語は、指示表出が極大で自己表出が極小とみなされる言語（品詞類）だ。また女子「の」は指示表出が極小（ゼロに近い）で自己表出が極大であるような言語（品詞類）だとみなすことになる。」</b>（同前p42）<br><br>　ここでは品詞の概念がすっかり相対化されてしまっています。これは『言語にとって美とはなにか』をはじめて読んだときも、実に鮮やかな印象を受けたものです。小学校以来習ってきて、いやでたまらなかった文法の基礎としての品詞の細かで個別的な性格の違いや特徴、区別の認識が、全部スコラ的などうでもよい枝葉末節の議論として吹っ飛んでしまうかのように、もろもろの品詞が、かくも鮮やかに一つの原理のうちにグラデ―ションを成してみごとに位置づけられるとは思ってもみなかったのです。<br>　<br>　言語の指示表出を相対的価値形態に、自己表出を等価形態に重ねようとするとき生じる幾つかの疑問について吉本さんはここで触れています。<br>　例えば使用価値としてのリンゴは具体的な自然形態としてのリンゴの像をすぐに連想できますが、言語の指示表出としてのリンゴは、リンゴという概念を指示するだけで、自然形態としてのリンゴの像を呼び起こすためには、もうひとつ言語の表出に想像作用を喚起する条件を想定するか、あるいはまったく別の想起作用を付け加えるほかはない、と。<br>　また、単なる価値形態は関係性だけで想定できるが、表出体としての言語は、かならず一方に表出すべき主体を設定することになる、そこは経済学的な範疇に属する価値形態と言語における価値形態とは異なるだろう、と。　ただ、そこもあえて対応させるとすれば、吉本さんは「表出はマルクスの商品の価値形態論では支出される労力に当っているようにみえる」として、「この意味では人間はふたつの系列の差異を表出する表出体にかかわることになる」と述べています。<br><br>　言語における指示表出と自己表出を経済学的範疇としての相対的価値形態と等価形態になぞらえ、言語を両表出が内在的な構造として対象化されたものとみなすことで、言語とは何か、という自問にはひとまず自答できるところまでたどりついたわけです。しかし「言語にとって美とはなにか」という言語美を扱う自問の領域に踏み込むためには、さらにその先へ行かなくてはならない、と吉本さんは言います。<br><br>　「いずれにせよ、わたしたちはこのところ『言語の表現としての文学（芸術）まできて、マルクスが価値体としての商品にあたえたふたつの価値形態の系列、いいかえれば相対的な価値形態と等価形態にあたえた概念を越境して、等価価値形態の表出が（自己表出が）どんな使用価値との対応を[も？]もとめずに、等価の等価（等価内部における等価）を目指すような領域にはいる。いいかえれば文学は言語の価値形態の『哲学』であるといった領域にまで拡張される。この拡張はわたしたちの考察ではじめて実現されたものだった。<br>　マルクスの価値論のうち、わたしたちの目指した領域（言語の表現としての文学〔芸術〕）に対応することが暗示されるのは、しいていえば等価の普遍形態としての貨幣が、資本に転化する過程を論じたところだ。」（同前p43-44)<br><br>　この「等価価値」が自己増殖していく過程、「自己表出」の高まりが更新されてさらなる高みへ上昇していく過程を、吉本さんは、G'=G+⊿Ｇ というマルクスが示した資本の自己増殖の過程になぞらえています。<br>　そこではもう商品を貨幣に変え、その貨幣でまた商品を買い、という循環過程における商品、使用価値はいわば用済みで、普遍的な等価形態である貨幣が資本に転化する、繰り返される循環過程、資本の自己増殖だけが本質的な過程であるということになります。こうした循環過程を繰り返す無限の衝動は、言語の自己表出がより高い自己表出をめざす無限の衝動に対応するものだと考えられています。<br><br>　こうして「通常の文脈に必要な自己表出を超えた余剰分（⊿Ｇ）を生みだそうとし、そのこえた部分によってだけ、皮肉にも文学（芸術）とよばれるようになる領域にはいってゆく。この不断によりたくさんの価値増殖にむかおうとする表出で価値形態のふたつの系列の領域を越境して価値形態の『哲学』の領域にはいる」と、吉本さんは再びアダム・スミスの言葉を使って述べています。<br><br>　ここで吉本さんは再度、言語表現における価値増殖がどう表れるか、というひとつ手前のところに戻って、これを単純な実例を挙げて説明しています。<br><br><b>「　</b><b>(1) </b><b>彼の眼は真っ赤だった。</b><br><b>　</b><b>&nbsp;(2) </b><b>彼の眼は兎（の眼）のように真赤だった。</b><br><b>　</b><b>&nbsp;(3) </b><b>彼の眼は兎（の眼）だった。</b><br><br><b>　</b><b>&nbsp;(1)</b><b>はただ彼の眼が真赤だったことをじかに言表している文だ。</b><br><b>　</b><b>&nbsp;(2)</b><b>は直喩的ないいまわしで、たんに意味をのべるだけなら「兎（の眼）のように」という直喩はいらないはずだ。だが、彼の眼の描写を鮮明にするために、彼の眼の像をひとたび兎の眼の方にちかづけて、真赤だという述意につなげる。この迂回を介して</b><b>(2)</b><b>の文章は</b><b>(1)</b><b>にくらべて意味はおなじだが価値は増殖される。</b><br><b>&nbsp; </b><b>この「兎（の眼）のように」は等価表現であり、真赤ということを指示する無数の語の系列によって置きかえることができる。たとえば「ぐみの実のように」、「血の色のように」、「夕陽を映したように」等々。ようするに真赤を指示する等価形態でありさえすればよい。</b><br><b>&nbsp; (3)</b><b>の文は、暗喩の表現になっている。「彼の眼は兎（の眼）だった」というのは、べつに兎でつくってあるとか、兎の眼がはめこんであるという意味ではなく、彼の眼の赤さの像（イメージ）と兎の眼の赤さの像（イメージ）をこの文によってむすびつけた暗喩の表現になっている。</b><br><b>&nbsp; </b><b>このばあいの「兎（の眼）」は、おなじように真赤を指示する等価表現で「ぐみの実」でも「血の色」でも「夕陽を映した」でっもおきかえることができる。ただ意味をのべるだけならいらないのだが、価値の増殖のためにつかわれた暗喩の表現になっている。</b><br><b>&nbsp; </b><b>この場合</b><b>(1)</b><b>の文章よりも</b><b>(2)</b><b>と</b><b>(3)</b><b>の文は、価値の増殖分をつけくわえられているとみなされる。</b><b> </b><b>」</b>(p46-47)<br><br>&nbsp;その上で、上に述べた「ふたつの系列の領域を越境して価値形態の『哲学』の領域にはいる」というその先を、吉本さんは次のように説明してします。<br><br><b>　「わたしたちは価値形態がふたつの差異の系列をなしている構造体としての言語という領域をこえて、ただ自己表出のたえまのない波形のインテグレーションをさして、価値とよぶようなべつの領域にはいりこむことになる。ここでは言語は指示表出といえども指示表出としての機能によってではなく、自己表出の波形と自己同一性に融合するかぎりで意味をもつことになる。わたしたちはたぶんこの領域で、ある側面では自己表出の普遍性に出遇っており、べつの側面では実体的な差異の系列（指示表出）を喪っていることになる。」</b>(p48)<br><br>&nbsp; こうして「価値（自己表出）そのものの自己増殖とその拡張だけがモチーフになってゆく」ような過程に入り、「価値（自己表出）の内部でひそかにどんな持続された形態（波形）によって、自己増殖がはかられているかだけが問題だし、それを読みとることの感性的な銘記の形態（波形）だけが文学（芸術）上の摂取ということになる」と。<br><br>　ここまできて、相対的価値形態と等価形態の演ずる劇からはじまって、資本の自己増殖まで、資本論の価値形態論から貨幣の資本への転化あたりにまでいたる論理と二重写しになるような方法で、言語表現の構造を解き明かす過程はひとまず終わりを告げます。<br><br>　そのあと、吉本さんは現代の言語論の源流をなすソシュールの議論と自らの議論とを対比的に振り返りながら、『言語にとって美とはなにか』執筆当時の吉本さんがソシュールを誤解した批判され、自身でも的確に評価しえなかったところがあると認め、あらためて現在からみてソシュールを評価し、自身の言語表現の思想との距離を確認するということを、腰を据えてやっています。<br>　この、ソシュールと吉本さんとのすれ違いに関しては、またいつか少しソシュール自体を読み込んでから、やれるならやってみたいと思っていますが、ここではひとまず古典派経済学からマルクスまでの経済学の価値（形態）論との関わりから吉本さんの「自己表出」という概念に近づくという試みはひとまず完了したということにしたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp;to be continued ・・・</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12807041890.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Jun 2023 10:17:45 +0900</pubDate>
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<title>「自己表出」とは何か～経済学からのアプローチ  その1　スミス、リカードゥ、ベイリー</title>
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<![CDATA[ <p>「自己表出」とは何か～経済学からのアプローチ &nbsp;その1 &nbsp;<br><br>　吉本さんは、色々なところで、自身の『言語にとって美とはなにか』の「自己表出」・「指示表出」という概念が、マルクスの価値論の示唆を得て生まれて来たものであることを明らかにしています。<br><br><b style="font-weight:bold;">　「1960年か61年ころ、わたしたちは価値（体）としての商品をめぐるこのマルクスの劇を、言語体のほうへ拡張しようとしていた。<br>　&nbsp;あるひとつの商品は、価値体として相対的価値形態の系列の要素のひとつとみることもできれば、等価形態の要素のひとつとしてみることもできる。だが同時にこのふたつの系列の要素であることはできない。にもかかわらず、相対的価値形態の系列と等価形態の系列とは、暗喩としてひとつの商品を価値（体）としてさしている。そうだとすれば、もともと相対的価値形態の系列と等価形態の系列とを、構造として内在させたひとつの価値体の集合にまで、商品の概念を拡張すれば、言語もまたこの価値体の集合に含まれるはずだ。わたしのかんがえでは、マルクスのいう形態の概念は、このばあい内在する構造という概念に拡張されていなければならないとおもわれた。」</b>（『ハイ・イメージ論Ⅱ』 p40 福武書店 1990 初出「拡張論」『海燕』1987年6～10月号）<br><br><b style="font-weight:bold;">　「価値としての商品のばあいの相対的な価値を指示表出、等価を自己表出とよぶとすると、表出体としてのすべての言語は、みかけのうえで指示表出が極大で自己表出が極小であるような言語と、指示表出が極小で自己表出が極大であるような言語を、ふたつの限界として、ふたつの差異系列を内につつんだ構造をつくっていることになる。」</b>（同前p42)<br><br><b style="font-weight:bold;">&nbsp; 「わたしたちの発想は</b><span style="font-size:0.83em;">（引用補：ソシュールとは）</span><b style="font-weight:bold;">ちがっていた。マルクスの商品の価値形態の概念を拡張して、すぐに価値としての言語体の形態論を展開しようとしたのだ。わたしたちが言語の価値を指示表出価値と自己表出価値のふたつの系列に分離し、それらの系列が同時に出あう場所に言語の構造体を設定したとき、いつも『資本論』における商品の価値形態論との差異と同一性が念頭におかれていた。わたしたちはマルクスの価値形態論の影響下に出発しながら、どこでどう越境すべきか測っていたといえる。」</b>（同前 p50）<br><br><b style="font-weight:bold;">　「ぼくがマルクスから学んだことに、もうひとつあります。　それは言語論です。・・・（中略）・・・ぼく自身の言語論は、マルクスの『資本論』の価値形態論から作りあげました。・・・（中略）・・・価値には使用価値と交換価値とがあるんですが、交換価値こそが価値だというわけです。商品の価値は何か、交換できることだ。つまり何時間の労働と交換できるか、というのが価値なんだ、というとらえ方です。<br>　言語論にじつはこの考え方をもっていくことができるとおもうんです。言語は、自己表出と指示表出というふたつの表出からできています。そして、潜在化した指示表出を通った自己表出が言語の価値です。それはまさに、マルクスが交換価値が要するに価値なのだといってるのとおなじことで、自己表出が価値なんです。指示表出というものは潜在化されていて表に出ず、自己表出されて表に出たものが言語の価値となります。」</b>（「三木成夫の方法と前古代言語論」1993年の講演。『新・死の位相学』春秋社,1997所収）<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「僕の指示表出と自己表出という概念は、マルクスの価値論の使用価値と交換価値という概念から重大なヒントを得ていますが、・・・」</b>（『吉本隆明が語る戦後55年②』 三交社 2001 p48 談話収録1995.5.18)<br><br><b style="font-weight:bold;">　「僕は要するに、”使用価値”に該当するものを”指示表出”として、”交換価値”に該当するものとして”自己表出”っていう二つの概念を作ったわけ。で、この二つがあるとね、文体論ができるわけですよ。それで大体枠組みができて、あとは書き始めたわけです。」</b>（『吉本隆明 自著を語る』 ロッキング・オン 2007 p128　初出はSIGHT第27号2006年１月号)<br><br><b style="font-weight:bold;">&nbsp; 「この使用価値と交換価値という概念は、ぼくの芸術言語でいうと、自分なりに自分が納得できる言葉である『自己表出』と、コミュニケーションのための言葉である『指示表出』に対応します。<br>　&nbsp;初めはそう考えて、使用価値に当るのが『自己表出』*で、交換価値に相当するのが『指示表出』*であるとしておけばいいのではないかと思っていましたから、『言語にとって美とはなにか』でもそう書いたわけですが、しかし考えていくうちに、そこのところはもう少し詰めておいたほうがいいのではないかと思うようになりました。つまり、自己表出を縦糸とすれば指示表出は横糸で、この縦糸と横糸で織り上げられた織物が言語であると、どうもそういうふうに考えたほうがいいのではないかと思うようになりました。」</b>（『日本語のゆくえ』光文社 2008 p66）<br>&nbsp; <span style="font-size:0.83em;">＊引用者注：「自己表出」と「指示表出」が逆で、入れ変えないと誤りです。談話の記録あるいは編集の際のミスでしょう。</span><br><br><br>　この連載の第一回でもちょっと触れたと思いますが、『言語にとって美とはなにか』が出版されて、まだそれほど一般に広く読まれてはおらず、これを正面から論じた書評や評論の類もほとんどなかったころ、学生だった私は、雑誌『思想の科学』に掲載された、この著作を論じた２つの評論を読みました。その雑誌が手元になくて確認できませんが、二人の論者のうち一人は平田某という人だったと記憶していますが、その人の文章の末尾近くに、「吉本の自己表出、指示表出というキーワードから、すぐに資本論の交換価値、使用価値を連想するような輩が居るだろうが、ふざけるなと言いたい」というような趣旨（私の記憶にある限りでの趣旨で、引用ではありません）の、かなり居丈高な言い方で、吉本さんの自己表出、指示表出という概念の源流に資本論の価値形態論を見ることを頭から否定し、素直な読者を威嚇するかのような言葉が書かれていました。<br><br>　それを読んだとき、えっ？あれが『資本論』の商品分析に範をとった記述でなければ、いったい何なの？連想するのは当然じゃないの！と思い、不思議なことを言う人もあるものだと、ひどく違和感を覚えた記憶があって、いまだに強く印象に残っています。吉本さんの発想と論理展開の仕方は、まさに『資本論』の商品の分析と論理の進め方を踏襲し、マルクスの経済学批判の方法を吉本さん流の言語美学の方法へと換骨奪胎するもので、それはよほど鬼面人を驚かす類の人と違うことを言って目立ちたいような輩でない限り、誰が読んでもすぐにわかることだったと思います。<br><br>　マルクスが『資本論』第二版のあとがきで、当時ドイツで流行していた、ヘーゲルを「死せる犬」扱いしていた<b style="font-weight:bold;">「僭越で凡庸な亜流主義」に腹を立てて、自身は『資本論』の執筆にあたって「かの偉大な思想家の弟子であることを公言して、価値理論にかんする章のここかしこで、彼独自の表現様式に媚を呈しさえした」</b>（長谷部文雄訳 『世界の大思想(18)』 p20 河出書房新社 1964）と書きつけたのでした。<br><br>　吉本さんもまた、この著作における言語の分析と論理の進め方において、記述のスタイルにおいて、まさに「かの偉大な思想家の弟子であることを公言して、ここかしこで、彼独自の表現様式に媚びを呈しさえした」と言ってもよい姿勢を隠そうとしていません。<br><br>　しかし、吉本さんが資本論から直接示唆を受けてこの著作を書いたことや、具体的にどういう示唆を受けたかについて、自身で語ったり書いたりするようになるのは、私が記憶する限り、同著作が出版されてから、かなり年月が経ってからであったように思います。たぶん『ハイ・イメージ論』の着想を得て、その時点でのより拡張された視野、視点の高度から、『言語にとって美とはなにか』を振り返ったときに見える光景を語り出したのがきっかけだったのではないかと思います。そして、そのときには、上記の『ハイ・イメージ論』所収の「拡張論」で展開されたように、ただマルクスから示唆を受けたと語るだけではなく、彼自身が具体的に経済学的なタームと対照させながら自身の言語美の論理を拡張された視野、より高度な視点からとらえかえす形で仔細にあとづけています。<br><br>&nbsp; 「自己表出」というキーワードについて再確認するために、これまで言語論的なアプローチということで、時枝誠記、三浦つとむの言語論などを取り上げてきましたが、今回は言語論や芸術論の延長上にあるものではなく、まったくジャンルの異なる経済学の発想と論理、具体的には吉本さん自身が直接大きな示唆を受けたと述べてきたマルクスの『資本論』の商品論（その中心としての価値形態論）の示唆がどのようなものであったかを、吉本さん自身の言葉をたどることでざっと再確認しておきたいと思います。<br><br>&nbsp; 吉本さん自身が『言語にとって美とはなにか』を書くにあたって、資本論の論理から何を学んだかを一番丁寧に振り返ったは、同書の＜表現としての言語＞から言語芸術論へという問題意識をさらに拡張し、「世界視線」とか「パライメージ」といった新たな概念を使って、より高度な視点と、したがってまたより広い視野のうちに人間の認識と表現をその高度化した現在的な水準で扱おうとした『ハイ・イメージ論』（第Ⅱ巻）の中の「拡張論」で、『言語にとって美とはなにか』執筆当時をあらためて振り返り、その意味合いを「拡張論」執筆時点から自己分析してみせた部分だろうと思います。従って、ここでは、その論考に沿って吉本さんの考えの道筋をたどってみることにします。<br><br>　吉本さんは「拡張論」の冒頭から、アダム・スミスの『国富論草稿』を引用して、そこでスミスが、分業の効用を、一本の壜を一人でつくる想定から説き起こして、これを分業によってつくる場合には一人あたり60万倍も大量に生産できる、と語るところを取り上げ、「わたしには読むたびに澄明な抒情詩を読むような感じ」がする、と述べています。そんな印象がどこから来るのかといえば、スミスの分業の像は、<b style="font-weight:bold;">「分業がはてしなくたくさんの分野をこまかにしてゆけば、それに一対一で対応する労働者の数が無限大の大きさのほうにむかい、それにともなって生産量もまた無限大のほうにおおきくなり、賃金もまた無限大のほうに増えてゆくことが、無意識のうちに前提されている」</b>（拡張論p9）ところからです。<br><br>　スミスは人間が分業によって生産量の増大を見出したのは、叡智によって有効さを増す方法がわかったからではなく、人間が本来的にもつ性向の必然的な結果だとみなしています。<br><br><b style="font-weight:bold;">　「分業からこのように多くの利益が生ずるが、この分業は、もともと、それがもたらす一般的富裕を予見し意図する、人間の智恵の結果ではない。それは、そのような廣汎な効用を考慮しない、人間本性における一定の本能<span style="font-size:0.83em;">（プリンシプル）</span>あるいは性向<span style="font-size:0.83em;">（プロペンシティ）</span>の、すこぶる緩慢なかつ漸進的ではあるが必然的な、結果なのである。これは、すべての人間には共通であって、他の動物にはまったくみられない、ひとつの性向、すなわち、ある物を他の物と取引<span style="font-size:0.83em;">（トラック）</span>し交換<span style="font-size:0.83em;">（エクスチェンジ）</span>し交易<span style="font-size:0.83em;">（エクスチェンジ）</span>する性向である。この性向がすべての人間に共通であるということは、十分にあきらかである。」</b>（スミス 前掲書　p82-83)<br><br><b style="font-weight:bold;">　「われわれは、こうして交換&nbsp;barter and exchange によって、自分たちに必要なこれらの相互の世話の大部分を、たがいに人から受けるのであるが、それと同様に、文明社會の全富裕の基礎となる分業を、はじめて発生させるのもまた、このおなじ交換性向 trucking disposition である。狩猟民族や牧畜民族において、ある蠻人が、他の者よりも早く上手に弓矢を作りうると、みとめられる。そして、彼は、ときどき、これらの弓矢を、彼の仲間の鹿の肉や家畜と交換する。このようにして、次第に、こうする方が、自分自身で野原にでかけて狩をするより多くの肉や家畜を獲得しうることに氣づくにいたる。そこで、彼自身の利益と安楽への顧慮から、弓矢つくりが彼の主な仕事（ビジネス）となり、こうして彼は一種の武器製造業者となるのである。」</b>（同前p88-89)<br>&nbsp;&nbsp;<br>　たしかにこうしたスミスの眼にうつる人間のすがたもまた、吉本さんがいうように「抒情詩的」です。むろん動物たちに交じって山野を駆け巡っていた人間がその本来的な「性向」として交換を志向し、分業によって互いの差異を固定化していく先に、これとは違った散文的な世界の光景が待っているのではあるけれど、スミスが目にしているのは、この「交換性向」にもとづく取引、契約、購買等々によって、人間が自然を脱し、利益、効力、経済等々が支配する世界へと跳躍を果たす、その跳躍台に立ったばかりの人間たちの姿だと言えるでしょう。<br><br><b style="font-weight:bold;">　「動物は、壮年に達するとまれにしかその仲間の助力を必要としないけれども、人間は彼の同胞の助けをつねに必要とするのであって、しかもそれを彼等の恩恵<span style="font-size:0.83em;">（ベネヴォレンス）</span>にのみ期待しても無駄なのである。それよりも、彼が、自分の利益に、彼等の自愛心を關與させることができれば、すなわち、自分が彼等にもとめていることを彼等がすれば、彼等自身の利益にもなることを、相手に示しうるならば、彼ははるかに首尾よくその目的を達することができるであろう。…（中略）…われわれは、肉屋や酒屋やパン屋の恩恵によって、食事をえようとするのではなくて、彼等の自分の利益への關心によってさうしようとするのである。われわれは彼等の人類愛<span style="font-size:0.83em;">（ヒューマニテティ）</span>に訴えるのではなく、自愛心に訴えるのであり、われわれ自身の必要を彼らにかたるのではなく、彼等の利益をかたるのである。」</b>（同前p85-86)<br><br>　スミスの目にうつる人間はそうした新しい世界へ向かう跳躍台の上に立つ希望に満ちた姿をしていたに違いありません。<br><br>　　『国富論』の分業の概念に、吉本さんはもうひとつの洞察があったと指摘しています。それはスミスが壜製造業者や労働者のあいだから「哲学（者）」を発見したことです。これはスミスを直接引用するほうが分かりやすいでしょう。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「すでに知られていて、またすでに一つの特定の目的に適用された諸力を、もっとも有利な方法で使用することは、才能ある技術家の能力をこえるものではない。しかし、全然知られていず、また、類似のいかなる目的にもこれまで使用されていなかった、あたらしい力の使用をおもいつくのは、単なる技術家が生れながらにもっているよりも、廣汎な思考と観察を有する人々にのみ、なしうることである。ある技術家がそのような発見をするならば、彼はそれによって、自分が、表面上の職業は何であろうと、単なる技術家ではなくてほんとうの哲学者であることを、しめすのである。ほんとうの哲学者だけが、蒸気機関を発明しえたのであり、以前にはかんがえもつかなかった自然力を使って大きな結果を生みだすことを考案しえたのである。」</b>（アダム・スミス『國富論草稿』p79 水田洋訳。日本評論社 世界古典文庫86）<br><br>　スミスによるこの「哲学（者）」の発見に対する吉本さんの評価は次のようなものです。<br><br><b style="font-weight:bold;">　「スミスの詩的な哲学、その経済<span style="font-size:0.83em;">（エコノミー）</span>の抒情詩をほんとに独創的にしているのは、こういう人間の内外のちがい</b><span style="font-size:0.83em;">（引用注：分業で生じる社会的差異や分業人の性格の違い等々）</span><b style="font-weight:bold;">をひとつに融合しておなじものにしてしまう『哲学（人）』という概念を着想したことにあった。かれが『思索すること』、『推理すること』のなかに、たくさんの勤労大衆が分業のそれぞれの場面で考えこみ、思いつき、推理したたくさんのひらめきの断片をすべて吸収して、おなじ器のなかにおさめ、それを社会にさしだす機能の世界をみた。」</b>（吉本「拡張論」p14)<br><br>&nbsp;このスミスのいう「哲学（者）」の細分化、知識の増加についても、肉体労働の分業に伴う労働の細分化、生産量の増大と同じ像が思い描かれています。<br><br><b style="font-weight:bold;">&nbsp; 「哲学または思索は、社会が進歩すると、自然に、他の一切の職業<span style="font-size:0.83em;">（エンプロイメント）</span>とおなじく、市民のうちの一特定階級の唯一の職業<span style="font-size:0.83em;">（オキュペイション）</span>となる。そしてそれは他のあらゆる職業<span style="font-size:0.83em;">（トレード）</span>とおなじく、多くのことなった部門に細分される。それで、われわれは現在、機械学、化学、天文学、物理学、形而上学、倫理学、政治学、商業学、批評学の、諸哲学者をもっている。そして、哲学においても、他の職業<span style="font-size:0.83em;">（ビジネス）</span>におけるごとく、仕事<span style="font-size:0.83em;">（エンプロイメント）</span>の細分が、技巧を改良し、時間を節約するのである。各個人は、彼の固有の部門において一層の熟達者となり、そして、それによって、全体としての仕事はますます多くなり、知識の分量はいちじるしく増加するのである。」</b>（前掲 スミス 『国富論草稿』水田洋訳 p80-81)<br><br>&nbsp; そして、分業の特殊な一つの分野としてあるはずの、こうした「哲学（者）」の特殊な役割と仕事が、吉本さんによれば「人間社会のうえにでてくるすべての大文字の問題をつつみこんで、きりひらいてゆく」ことになります。それがスミスの考えた制度、国家、宗教、社会道徳の成り立ちだった、と。これはマルクスの政治経済思想煮も大きな影響を与えたとされています。<br><br>　そうしたスミスの「拡張」を証拠立てる記述は次のようなものです。<br><br>　　　<b style="font-weight:bold;">「富裕で商業的な社會においては、また、思索すること、すなわち、推理することが、他のあらゆる職業<span style="font-size:0.83em;">（エンプロイメント）</span>とおなじように、非常に少數の人たちによってなされる一つの特殊な仕事<span style="font-size:0.83em;">（ビジネス）</span>となる。これらの人たちは、尨大な勤労大衆の有するすべての思想と推理とを、社會に供給するのである。ふつうの人に、彼の特殊な職業の範囲内ではおこらない問題について、彼がもっているすべての知識を、正確に吟味させてみよう。そうすれば、彼は、自分が知っているほとんどすべてのことが、他人からか、本からか、わかいときにうけた学問上のおしえからか、あるいは學識者ととりかわした時折の會話から、えたものであることがわかるであろう。そしてその非常にわずかの部分のみが、彼自身の觀察と反省の産物であることに、氣がつくであろう。のこりのすべては、彼の靴や靴下とおなじように、ある人々から購入されたのであって、彼等は、その特殊な財貨を、つくりあげて市場に提供することを、その仕事としているのである。このようにして、人は、宗教、道徳、政府という大問題について、つまり彼自身の幸福や彼の國の幸福にかんする、すべての彼の一般的な思想を獲得したのである。これらの重要な問題のすべてにかんれんする、この全體系 System は、ほとんどつねに、もとは他の人々の勤労<span style="font-size:0.83em;">（インダストリ）</span>の産物であったことがわかるであろう。これらの人々から、彼自身もしくは彼の敎育にあたった人々は、他の商品の場合とおなじように、彼等自身の労働の生産物の一部との交換、交易によって、それを獲得するのである。」</b>（同前 p96-97)<br><br>&nbsp; こうして、動物生とさほど変わりない自然の光景の中に生きる人間が、もちまえの本来的な「性向」（交換性向）によって、取引、契約、購買等々を梃子にして自然を脱し、仕事（職業）を無限に多様化し、細分化していくことによって、生産力を飛躍的に高め、利益、効力、経済等々の導く経済社会をつくりだしていったという、分業の水平的な「拡張」と同時に、スミスはそうした勤労大衆の（活動）の中に彼のいわゆる「哲学（者）」を発見することによって、多様化し細分化していく諸々の仕事の中から生まれるあらたな思索や推理の果実をひとつにして社会に提供する「特殊な」機能を、いわば細分化した人間の諸活動を通底する領域に見いだし、そこに宗教、道徳、政府といった「大問題」（吉本さんのいう「大文字の問題」）に関わる思想領域を拓く、分業の垂直的な「拡張」を果たした、というのが吉本さんが言わんとするところでしょう。<br><br>　スミスのこうした一貫して牧歌的、抒情的な思想の性格については、これから言語論との関わりで核心になる「価値」論に関して、最もわかりやすく、象徴的な形でその像が語られていたのを、吉本さんに強い印象を与えていたようです。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「アダム・スミスには、彼自身が書いた『国富論』のノートのような文章（『国富論草稿』）があります。ずいぶん昔、日本評論社の世界古典文庫から水田洋さんの翻訳で出ていましたが、そこにはこんなことが書かれています。<br>　― 人間が自然採集したものを食べて生きつないでいた時代、たとえばリンゴの木が野原に一本植わっていたとする。その木にはリンゴの実が生っている。では、そのリンゴ一個の価値はどういうふうに決めたらいいのか。アダム・スミスはノートのなかでそういう例を挙げ、こう答えています。要するに、リンゴの実を欲しい人間がいまいる場所から木のところまで歩いていって、その木に登り、そうしてリンゴの実をひとつもぎ取ってから木を降りて、また元の場所へ戻ってくる。それだけの労働がリンゴ一個の価値だと考えればいいんだ、と。<br>　この説明はとてもわかりやすくて、ぼくはそれを読んで労働価値説というものの最初の発想がわかったような気がしました。」</b>（『日本語のゆくえ』p62-63 2008年 光文社）<br><br>　こういう受け止め方には、私が考える吉本さんらしさが典型的に現れているように思います。<br><br>　日本でいわゆる思想的な種々の問題を考え、抽象的な言葉を使って論じようとすれば、間違いなく明治以来の輸入学問で急ごしらえにその都度作り出してきた翻訳語を使わざるを得ないのは、日本語で書く者にとっては誰しも避けようのない事態ですが、下手をすると、そうした翻訳舶来用語の操作に習熟することが哲学することだとか、ものを考えることだと錯覚してしまうようなことになりかねないところがあります。<br>　私が比較的最近、事情があって読まざるをえない羽目になって、或る若い哲学徒のフーコー論を或る程度の準備体操をした上で、私としてはかなりじっくりと腰を据えてつきあう体験をしました。それは彼の初めての本格的な論文である博士論文としてそれを書き、首尾よく博士号をとったので、それをもとにした著書として出版にこぎつけたわけで、著者はたぶんそれまでの７～８年の間、必死でフーコーの全著作を（おそらくは原書で）読み込んで構想を温めて執筆したのだろうと思います。それを書いた意図も明確で、フーコーの個々の著作の読みもそれぞれ丹念でよく考えられていて、アカデミズムの中でやっていけるだけの思考力を十分に感じさせるものでした。<br><br>　ところが、その記述のところどころで、表面的には文章として意味をなしているように書かれているけれども、いったい何を指し、何を言っているのかと首を傾げざるを得ないような箇所に遭遇しました。つまり翻訳語としてのいわゆるアカデミックな哲学畑でのジャーゴン（専門用語）の類を自在に駆使しているのですが、それらの言葉の内実がどんなことを意味しているのか、一向に明らかにならないのです。<br><br>　普通はそういうところがあれば、周囲で互いに切磋琢磨する同じような志をもった者がいて、これじゃ何を言ってるかわからんよ、とか、これは具体的にはどういうことをイメージしているの？とか、率直に問いかけ、それに即座に応えられなければ、自身の考えがまだ十分に練られておらず、自身でも本当には分かっていないことに違いないので、あらためて再考し、書き直すほかはないのです。しかし、周囲にそういう環境がないと、表面的には哲学用語らしきものを操作してつじつまが合っているような文章ながら、全然意味をなさないものができあがってしまうことがあるものです。<br><br>　私はこの若い哲学徒に、かつて読んだカントの次のような言葉を贈って自分の言いたいことを伝えようとしたのでした。<br><br><b style="font-weight:bold;">　　「われわれが自分たちのもっている概念をどんなに高め、しかもその場合どんなにそれらを感性から抽象しようとも、これらの概念にはやはりいつでも形象的な表象がまつわりついているものだが、これらの表象の本来の使命は、これらの表象がなかったならば経験から引き出されるこのとのできないような概念を、経験的使用に役立たせるところにあるのである。というのはもしこれらの概念になんらかの直観（この直観は、結局なんらかの可能的経験から取り出された実例でなくてはならぬが）がその根底に存していないとしたならば、われわれは自分たちのもっている概念に対してさえも、どうして意味と意義とを与えようとするのだろうか？もしわれわれが後になってこの具象的悟性作用から形象の混合を・・・まず最初には感官による偶然的な近くの混合を、つぎには純粋な感性的直観一般さえも・・・取り除くならば、かの純粋悟性概念が残るが、この純粋悟性概念の外延はいまや拡大されたものであり、思考一般の規則をふくんでいる。一般的論理学でさえもこのような方法で成立してきたのである。そしてわれわれの悟性や理性の経験的使用の中には、考えるべき多くの発見的方法がおそらくまだ隠されたままでひそんでいるが、これらの方法は、もしわれわれにそれらを注意深くかの経験から引き出してくることが分かれば、抽象的な思考においてさえも、おそらく有益な格率によって哲学を豊かにすることができるだろう。</b>（カント「思考を定めるとはどういうことか」の冒頭の文章。門脇卓爾訳、カント全集vo.12 批判期論集、理想社 &nbsp;1786年）　　　<br><br>　ここでカントが概念にはいつでもまつわりついているという「形象的な表象」こそが、抽象的な概念を本当に「腑に落ちる」ように納得させ、理解させる鍵だと私は思います。そして、そういうものを欠いて、翻訳舶来語としての抽象的な哲学用語などを、単に論理的な文の接続として矛盾が生じないように接続してできあがるもっともらしい「哲学論文」など一文の価値もないと考えています。<br><br>　吉本さんがすごいと思うのは、彼の書いてきた文章、それを構成する概念、それを表現するキーワードには、丹念に読めば、ことごとくカントの言う「形象的な表象」が背後にくっついていて、一見どんなに目新しい概念だったり、吉本さん独自の用語で最初は戸惑っても、私たちが吉本さんが書くときに頭の中にあったに違いないその「形象的な表象」を探り当てたときは、ほんとうに得心がいき、腑に落ちるというところです。<br><br>　そして、そういう吉本さんの言語表現に対する一貫した姿勢は、他者の文章に対する読みにも貫かれていることが、上に引いたような言葉によく表れていると思うのです。もちろんスミスの価値論は『国富論』に書いてあるので、それを読めば分かるし、そこでの記述のほうが厳密で論理的です。しかし、そういう厳密で論理的に隙のない論述をするスミスの頭脳にずっと宿っていただろう「形象的な表象」として、吉本さんが「草稿」に書かれていると話している、ひとりの人間が一本のリンゴの木の実をとってくる場面の像があり、彼がいまいるところから木のところまで行って、木を登り、リンゴの実をひとつもいで、いまいるところへ戻って来るまでの「労働」が、そのリンゴ一個の「価値」なのだ、と考えていたと理解できるなら、私たちは吉本さんと同様に、スミスの「価値」概念を腑に落ちるかたちで納得し、理解できるのではないでしょうか。<br><br>　吉本さんがこのあと、スミスに続いてリカードゥを、さらに彼を批判したサミュエル・ベイリーを、そしてその先にマルクスの価値形態論の意味を言語表出論との関連において論じていくとき、これらの思想家の著作への吉本さんの読みは、すべてそうした「形象的な表象」をとらえようとする姿勢に貫かれています。<br><br>　それは、スミスに「抒情詩人」の牧歌的な歌を見、リカードゥにそれでは立ち行かなくなった複雑化した生産関係の社会を描く、身もふたもない散文の世界で必死でスミス的な原初の抒情世界の商品に内在する労働＝価値概念だけは手放すまいとした書き手を見出し、またそのリカードゥの価値概念を、関係概念を欠くものと批判したベイリーを関係概念の導入による「価値の物語化」だとみなし、さらに価値形態論によってマルクスが商品の価値としての実存の仕方に「形態」という概念を与え、「相対的価値形態」と「等価形態」という相対立する登場人物が演じる「劇」を書いた、というふうな言い方を吉本さんがするとき、吉本さんの目にはスミスやリカードゥ、マルクスが、その価値論の論述の背後につねに「まつわりついて」いただろう「形象的な表象」が見えていたのだろうと思います。<br><br>　こうした吉本さんらしい表現は、しばしば彼が詩人でもあったために、詩人的な資質に帰せられたり、それゆえまた論理的な厳密性を欠く曖昧さであると誤解したり、彼が必要（必然性）あって用いる概念や造語あるいは論理について、特異で恣意的なもののようにみなすような者が少なくありません。しかし、こうした表現なり読み方なりというのは、彼の言語観から当然導かれるものであって、翻訳舶来用語の操作で配列された文字列をその指示性だけをたどって論理の糸を取り出せば事足りる機能主義的な言語観で切ってみても、その表現にも読みにもまったく理解が届かないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　スミスが「抒情詩人」で、リカードゥが「散文家」ならベイリーは「物語作家」であり、マルクスは「劇作家」だという読み≒表現は、別段詩人的なレトリックといった美学的な要請によるものではなく、それぞれの価値論の核心にあるものを、その本質と構造を見極め、相互の差異を明確にしながら、「形象的表象」として抽出するとき、そのように読み、そのように表現しうるということを語っているにすぎません。<br><br>　私たちは例えば小説を読むときには、誰でも知らず知らずそういう読み方、つまり登場人物の行動や表情や他者との関わり方等々の背後に、その人物の性格を思い描いて、一人の統合的な人格として展開される物語の中でのふるまいを理解し、あとで友人と感想を述べあうときも、あの主人公は・・・とその性格や生き方やそれとの関連においてその時々の行動や言葉を話題にして語り合うでしょうし、そうした登場人物たちを創造した作者について論じるでしょう。吉本さんがスミスやリカードゥ、ベイリーやマルクスを読むときも、それと同じように、言語表現を読み、理解する時に誰もがしているごく当たり前の読み方をしているだけだと思います。<br><br>　むしろ、そうではなくて、ひたすら登場人物たちの、その時々の個別的な行動や表情や言葉だけを追っかけるのに汲々として、この行動はこういう意味、この表情はこういう意味、この言葉はこういう意味、といった学界の約束事（規範）の連鎖とみて、その指示性だけを辿って、表現の「意味」を理解しようとするほうがよほど変ではないでしょうか。しかし、そういうことをやってきたのが、舶来思想を漢語やカタカナ語に置き換えて、舶来の規範を借用し、その表層的な論理を読み＝表現することが、学問することであり、思想を論ずることのように錯覚してきたのが、明治以来の日本の大部分の知識人たちだったのではないでしょうか。<br><br>　それはさておき、先ほど引用した、吉本さんが労働価値説についてのスミスの「形象的な表象」と言っていい、一本のリンゴの木に生った一個のリンゴの実の価値についての像の記述が、吉本さん自身はスミスの『国富論草稿』にあって、水田洋の翻訳で日本評論社の世界古典文庫から出ている、と出版社まで具体的に述べているので、間違いはないはず、と思うのですが、私がまさにその世界古典文庫を古書で入手して水田洋の翻訳による同書を全部読んでみたのですが、そこには吉本さんのいうスミスの語ったリンゴの実による労働価値の「形象的な表象」についての記述が見当たりません。私も齢をとってぼけてきているから絶対とは言いませんが、スミスの草稿は大した分量でもないので、二度、三度目を通しましたが、やはり見つかりません。或いは出典については、吉本さんの勘違いかもしれません。<br><br>　しかし、スミスが一本の壜を職人が一人で作ろうとすればせいぜい一日に一本しか作れないだろうが、これを分業によって仕事を細分化して作れば・・・と分業が生産量を飛躍的に増大させることを述べているところは、もちろんちゃんとあって、吉本さんが指摘するように、それだけで十分にスミスの「抒情詩人」としての面目は躍如として、理解できます。<br><br>　私も吉本さんが挙げたような例をどこかで読んだようなおぼろげな記憶があるので、ひょっとすると『国富論』自体の中にそんな記述があったかなぁ、と大昔に斜め読みした同書をパラパラめくってみましたが、どうもその限りではそうした記述が入る余地がないようです。スミスは、リカードゥのように価値論を冒頭に置いて「価値とは何ぞや」という抽象的な議論から始めたりせずに、分業から説き始めて、その先で貨幣の起源と用途を論じる中で、あっさりと「価値」という言葉には使用価値、交換価値という二つの異なる意味がある、と言って、その交換価値を規制する諸原理を研究する上で、「なにがこの交換価値の真実の尺度であるか」と問い、この問いを「すべての商品の実質価格は、どこにあるか」と言い換えることによって、「この実質価格を構成する、つまりつくりあげる、さまざまな部分はなんであるか」という第二の問いを導いています。（『国富論』(上）P31 水田洋訳 河出書房新社1965年 世界の大思想14）<br><br>&nbsp; そして、そのあとはこの「実質価格」を構成するのは労働だ、という労働価値説の展開になりますが、そこでは「価値（交換価値）」と「価格（実質価格）」が同一視されて、リカードゥの価値論のような抽象度の高い透明な記述ではなくて、つねに具体的な商品の価格における名目価格と実質価格の違いといった現実が彼の脳裏を去来しているような書きぶりです。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「各人は、人間生活の必需品、便宜品、娯楽を享受する能力が、どのていどあるかに応じて、富裕または貧乏なのである。しかし、ひとたび分業が十分におこなわれるようになってからは、それらのうちで、かれ自身の労働がかれに供給しうる部分は、非常にちいさいものにすぎない。それらのうちの圧倒的大部分を、かれは、他の人々の労働からひきださねばならず、かれが支配しうるその労働の量、すなわちかれが購買する能力のあるその労働の量に応じて、かれは富裕であり貧乏であるにちがいない。したがって、ある商品を所有し、みずからそれを使用ないし消費するつもりがなく、それを他の諸商品と交換するつもりの人にとって、その商品の価値は、それによってかれが購買または支配しうる労働の量にひとしい。だから、労働が、すべての商品の交換価値の、真実の尺度なのである。<br>　あらゆるものの実質価格、あらゆるものがそれを獲得しようとのぞむ人に、ほんとうに支はらわせるのは、それを獲得するさいの苦労と手数である。あらゆるものが、すでにそれを獲得した人およびそれを手ばなすかなにかほかのものと交換しようとのぞむ人にとってもつ、真実のねうちは、それによってかれ自身が節約しうる苦労と手数であり、それが他の人々に課しうる苦労と手数である。貨幣または財貨でかわれるものは、われわれ自身の身体の苦労によって獲得されるものとおなじく、労働によって購買されるのである。その貨幣あるいはそれらの財貨は、たしかに、われわれからこの苦労をのぞいてくれる。それらは、一定量の労働の価値をふくみ、それをわれわれは、そのときに等量の労働の価値をふくみ、それをわれわれは、そのときに等量の労働の価値をふくむと考えられるものと交換する。労働は、すべてのものにたいして支はらわれた、さいしょの価格であり、本源的な購買貨幣である。」</b>（同前 P32）<br><br>　しかし、ともかくも「労働が、すべての商品の交換価値の、真実の尺度」だというスミスの主張の背後に、吉本さんの記憶に残るあのリンゴの木に生った一個のリンゴの実の価値を、その実を取りに行って木の枝からもいで持ち帰るまでの「労働」にその源泉を見出した、牧歌的、抒情詩的な原初の光景が「形象的な表象」としてそこにあることは確かでしょう。そして、スミスは価値に異なる二つの意味があり、ときには使用価値を、ときには交換価値と呼ぶと述べていますが、彼の「形象的な表象」において、価値と使用価値は対立的な形相を見せることなく、ひとつに融け合っているかのように見えます。スミスの見るその表象は、マルクスが後にその価値に「形態」を見出し、相対的価値形態と等価形態という明確に分離し、かつ対立しあうことで演じられるドラマの様相とは、まったく違った牧歌的な像であることが見て取れます。<br><br>　さてリカードゥは、生産関係が複雑になっていく現実をその理論のうちに繰り込むことによって、スミスの＜抒情詩＞の世界における使用価値と価値との融合しているかのような原像が分離して、それぞれの物語（実際には交換価値の物語）を書かざるを得なくなっていく中で、スミスの原初的な牧歌の光景だけは手放したくなかったようで、『経済学および課税の原理』の第一章を「価値について」から始め、そのリード（冒頭に置いた要約）部分でこう述べています。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「ある商品の価値、すなわちこの商品と交換される他のなんらかの商品の分量は、その生産に必要な相対的労働量に依存するのであって、その労働に対して支払われる対価の大小に依存するのではない。」</b>（リカードウ『経済学および課税の原理』(上巻）P17 羽鳥卓也・吉澤芳樹訳。岩波文庫 1987年)&nbsp;<br><br>　スミスが述べたように、水や空気は大きな有用性をもつが交換価値はほとんど持たず、金は殆ど有用性を持たないが最大の交換価値を持つ例にみるように、効用は交換価値の尺度ではないが、そうは言っても効用は交換価値にとって不可欠であり、まったく欲望の充足に寄与し得ず、有用性のないものは、如何にその獲得に大きな労働量を必要としても、交換価値を持たない。従って、ある商品が効用をもつという条件のもとで、リカードゥはこういいます。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「商品が効用をもっておれば、その交換価値は二つの源泉から引き出される。つまり、その希少性からと、その獲得に要する労働量からとである。」</b>（同前 P18)<br><br>　しかし、商品の中には希少性のみによってその価値が決定されるものもあります。珍しい彫像や絵画、稀覯本、特別な品質の葡萄酒等々がそうしたものです。これらの価値はその生産に最初必要だった労働量とは全く無関係です。しかし、それは市場で取引される商品総量の中ではごく一部を占めるに過ぎないので、<b style="font-weight:bold;">「商品、その交換価値、およびその相対価格を規定する法則を論ずる際には、われわれはつねに、人間の勤労の発揮によってその量を増加することができ、またその生産には競争が無限に作用しているような商品だけを念頭におくことにする」</b>とリカードゥは限定を付して議論を進めます。<br><br>　そしてスミスを引きながら、<b style="font-weight:bold;">「社会の初期の段階には、これらの商品の交換価値、すなわち一商品のどれだけの分量が他の商品との交換において与えられなければならないかを決定する法則は、もっぱらそれぞれの商品に支出された相対的労働量に依存している」</b>（同前 P19)としています。<br><br>　そして、スミスが価値の源泉に労働を据えたことを高く評価しながら、その考え方を一貫せず、価値の標準尺度として労働以外のものを充てるスミスに対して、あたかも労働価値説の原理主義者のように批判を加えています。<br><br><b style="font-weight:bold;">　「アダム・スミスは交換価値の本源をきわめて正確に定義した。そこで、彼は首尾一貫して、あらゆる物の価値がその生産に投下される労働の増減に比例して騰落する、と主張すべきであった。〔だが〕彼はみずから別の標準尺度をたてた。そして、物の価値は、それと交換されるこの標準尺度の増減に比例して騰落する、と説いている。彼は標準尺度として、ある時は穀物を、別の時は労働をあげている。ただし、ここでの労働とは、ある物の生産に投下される労働の量ではなく、その物が市場で支配できる労働量のことである。すなわち、あたかもこの二つのことが同義の表現であるかのように、またあたかも、ある人の労働の効率が二倍になり、したがって彼が二倍の量の商品を生産できるようになったということのために、彼が必然的に労働と交換に以前の二倍の量の商品を受けとりでもするかのように〔彼は考えている〕。」</b>（同前 P20-21）<br><br>　他方でリカードゥは「ある商品の価値…（中略）…は、その生産に必要あ相対的労働量に依存する」というこの原理を固守しながら同時に、高度化する生産力と複雑化する生産関係の現実の前に、少しずつ修正を加えることを余儀なくされます。少し後に経済学のいわゆる「限界革命」の主役たちが明らかにしたように、発達した資本主義社会の生産関係は相互依存関係にある多くの市場ネットワークから成り、商品の価値はその相互作用の結果としての需給関係によって変化するので、リカードゥ流の労働価値説は生産技術の線形性を仮定し、労働を唯一の希少な資源とする仮定を前提としているために、複雑化した市場の諸要素が形づくる幾つもの価値体系が作用しあって一つの均衡価格をつくりだす市場メカニズムをとらえることができなかったのですが、リカードゥはその労働価値説と複雑化した現実の価格体系に生じる要素間の関係とのズレを、理論の根幹を変えず、微修正によって切り抜けようとしています。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「前節で述べた原理は、固定資本としての、機械の使用によって少なからず修正される。」</b>（同前 P43 第一章第三節のリード）<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「諸商品の生産に投下された労働量がその相対価値を規定するという原理は、機械その他の耐久的な固定資本の使用によって少なからず修正される。」</b>（同前 &nbsp;Ｐ７４ 第一章第四節リード）<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「価値は賃金の騰落とともに変動するものではないという原理は、資本の耐久力が不等であること、また、資本がその使用者の許に回収される速度が不等であることによっても、修正される。」</b>（同前 P49 第一章第五節のリード）<br><br>　それでもリカードゥはその記述のいたるところで、商品生産に投下される労働量の相対比率が変らないから商品の「価値」、従ってその「実質価格」は変わらないと、彼の原則を繰り返しています。<br><br>　こうして価値と使用価値が分化していない抒情詩的な原型を、そのまま複雑な社会条件に拡張していくリカードゥに的確な批判を加えたのが、サミュエル・ベイリーでした。ベイリーはリカードゥが固執したスミスの原型的な「価値」の「形象的な表象」であるリンゴの木に生った一個の実の価値というのは、そのもぎとられたリンゴの果実と、それをもぎとりに行って木に登り、もとのところへ帰ってくるまでの労力との「関係」として成り立っていることに着目し、リカードゥの理論が、そうした「関係」の概念抜きに、「価値」を一個の商品の属性としたり、商品に内在するものであるかのようにみなすものだとして批判します。<br>　<br><b style="font-weight:bold;">　「従って、一對象物の價値は、『その對象物の所有に由来するところの、他の諸財貨を購買する力を表現する』といふアダム・スミスの定義は、大體において正しいのである。而してこの定義は明白且つ首肯できるのであるから、これ以上形而上學的な検討をなさなくても、これを以下の吾々の推論の基礎と考へてよいであらう。<br>　この定義に從へば、價値にとって缼くことのできないことは、二つの對象物が比較されねばならぬといふことである。價値は單獨に、また他物との關聯なしに、考察された一物の屬性なりとすることはできないのである。一對象物の價値がその購買力であれば、購買さるべきあるものがなければならない。從って價値は絶對的または内在的なものを指すのではなくて、二つの對象物が交換されうる商品として相互に對立する關係を指すにすぎないのである。」</b>（サミュエル・ベイリー『リカアド價値論の批判』鈴木鴻一郎訳 p3-4 日本評論社 1941年）<br><br>　ベイリーはその著書の第一章「價値の性質について」の冒頭から、價値とは「何らかの対象物に対する評価」を意味し、「心に生ぜしめられた結果を指す」のだが、人はしばしば、色彩や芳香を外部的対象物の性質だと考える例のごとく、「感情とこれを生ぜしめた原因とに共通の名前を與へて」混同する、と述べ、價値という概念についても、対象物の一性質だと考えてしまいがちだが、それはこの種の混同による錯覚にすぎないのだという言い方をしています。<br><br>　また、彼は価値を「距離」にたとえて、或る対象物の距離の概念は、或る他の対象物を念頭に置かずには成り立たないように、「それと比較される他商品との関連において以外には一商品の価値について語ることはできない」とも述べています。<br><br>　価値の相対性を説くこうした自説への批判を意識して、次のように自問しています。<br><br><b style="font-weight:bold;">　「吾々がＡの價値はＢの價値に等しいといふ時は、この表現はそれぞれに内在的且つ絶對的な一性質を意味している、といふのは、さうでなければ、吾々は等一がこれら二つの價値の間に存在してゐるといふことを如何にして確言することができるであらうか？」</b>（ベイリー 同前 p6）<br><br>　これはもっともな疑問でしょう。吉本さんが「拡張論」（『ハイ・イメージ論』所収）で述べているところに従えば、獲物Aの価値が獲物Bの価値に等しいとして、そのBの価値が全く別の獲物Cの価値に等しいとするとき、AとBとCとのあいだになにか共通なものがなければ、Aの価値がCの価値にじかに等しいと確言できないのではないか、ということですね。算数というか三段論法の形式論理でいくと、A＝B、かつB＝Cならば、当然A＝Cということになりますが、この「＝」（一般にこうした数学的な形式論理）は一面的な抽象によって成り立つものですから、現実にはＡ＝Ｂの「＝」と、Ｂ＝Ｃの「＝」が全く異なる意味をもち、Ａ≠Ｃであることは幾らでもあり得ます。「価値」というものが欲求の充足であるとか、ベイリーのいうように「心に生ぜしめられた結果」としての感情であるとするなら、獲物Ａの価値と獲物Ｂの価値とを等しいとする感情と、獲物Ｂと獲物Ｃの価値とを等しいとする感情とは別のものであって不思議はないし、それゆえそれぞれの等式が成り立ったとしても、獲物Ａの価値がじかに獲物Ｃの価値に等しい、とすることはできません。<br><br>　この自問に対してベイリーは正面から答えていません。つまり、吉本さんの言い方を引用するなら、<b style="font-weight:bold;">「ベイリーは、リカアドオの価値が関係という概念なしに成り立っているのはおかしいと批判することはできた。だがそれなら獲物に内在する価値はほんとに存在しえないのかどうか、あいまいなままにすぎてしまった。」</b>（吉本「拡張論」p30）<br><br>　リカードゥを<b style="font-weight:bold;">「ほんらい抒情詩であるべきスミスの価値を、そのままで物語化しようとした」</b>と評する吉本さんは、こうしたベイリーを<b style="font-weight:bold;">「関係だけあって内在的な人格のない登場人物から成り立つ物語（解体した物語）を書いた」</b>人物と評しています。（吉本 同前 p30）<br><br>　ではベイリー自身は自問に対してどう答えたかといえば、こんな風に答えたのでした。<br><br>　<b style="font-weight:bold;">「この批難に答へて次のやうに云はう、吾々がＡの價値に等しいと斷言する時、吾々の表現の眞の意義を検討してみれば、吾々はそれが、ＡはＢと交換されるといふこと以外には何ものをも意味しないことを見出すであらうと。」</b>（ベイリー前掲 p6）</p><p>&nbsp;</p><p>　これは先の自問に正面から答えるものではなく、一種の肩透かし、問題の所在をずらし、正面から答えることを回避した自答だと言っていいでしょうね。<br><br>　ベイリーは「價値の性質について」を述べた第１章の結論を次のようにまとめています。<br><br><b style="font-weight:bold;">　「１．價値といふ言葉が二つの對象物の間の一關係を指すものである以上、ある他の商品との明白または暗々裡の關聯なくして、一商品が價値をもち、または價値において變動するといふことはできないのである。その價値はある物における價値、またはある物との關係における價値でなければならないのである。<br>　&nbsp;２．二つの對象物の間のこの關係は、他方の對象物に關して變動することなしには、一方の對象物に關して變動することはできないのである。AがBとの關係において騰貴するならば、Bは依然として不變であることはできないのであって、Aとの關係においては下落しなければならないのである。<br>　&nbsp;３．一商品の價値はただある他の商品の數量によってのみ表現することができるのである。<br>　&nbsp;４．Aといふ一商品の價値の騰貴は、この商品の等量がBといふ商品 ― それとの關係においてこの商品の騰貴が云はれるのであるが、― の以前よりもより多量と変換されるといふことを、意味するのである。<br>　&nbsp;５．Aの價値の下落は、それの等量がBのより少量と交換されるといふことを意味するのである。」</b>（ベイリー 同前 p28-29）<br><br>　こうしてベイリーはリカードゥの「価値の物語化」が単にスミスの「抒情詩」の原型を保存したまま条件を複雑化し、多様化したにすぎないと批判したけれど、そのベイリーはリカードゥの「価値として獲物に内在する労働量」という考えを否定したため、価値が物と物との関係性にほかならない、という前提の上に、自分の物語（解体された物語）を想定することになった、と吉本さんは述べています。（吉本 前掲「拡張論」p31)<br><br>&nbsp; 吉本さんは、ベイリーのこの想定が少なくとも潜在的には二つのことを意味している、として、次の二点を抽出しています。<br><br>① 価値を実際の社会条件に向って複雑にするリカードゥの拡張にとって、「関係」という概念は少なくとも二つの対立する記号的な登場人物を前提としていること。（なぜなら、「関係」は少なくとも二つ以上の相互性のうえにしか成り立たないから。）<br>②「関係」だけで、内在的な人格のない記号的な登場人物（つまり男1、男2、男3 ・・・、とか女1、女2、女3・・・とか）によって進行する物語は、わたしたちが「形態」についてはっきりした認知をもっていれば、すぐに劇に転化されるはずだということだ。<br><br>　第二の点からは、「ベイリーがもううすこしのところまでつめていった価値の物語化を、底のほうに拡張し、劇にまでもっていったのはマルクスだといってよい」とマルクスの読みにつながっていくので、それについては次回あらためてフォローしましょう。<br><br>　この①、②の意味することを、詩や物語や劇の喩えから商品の世界へ引き戻してみれば、リカードゥの商品という概念が使用価値と価値との分岐・対立を孕んでいると同時に、市場で対立する他の商品との交換関係においてその「価値」を表現するものであり、この相互関係においては、商品はただ抽象的な人間労働が投下された交換価値としてふるまうだけですから、まったく対等で相互に置き換え可能な等しい価値の無限の連鎖が水平面に広がる世界なのだろうと思います。<br><br>　マルクスはここへ「価値形態」の概念を持ち込むことによって、抽象的な人間労働が投下された交換価値の世界でありながら、同じ世界では役割交換ができない、対立しあう「形態」のもとで「関係」づけられていく動的な世界を切り拓くことになるのでしょう。<br><br>　to be continued ・・・<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>　<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>　<br><br><br><br>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12804536859.html</link>
<pubDate>Thu, 25 May 2023 12:22:13 +0900</pubDate>
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<title>「自己表出」とは何か～もう一つの源流・折口信夫の詩の起源論</title>
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<![CDATA[ <p>　吉本さんの『言語にとって美とはなにか』をつらぬく核心的な「自己表出」という概念が生みだされる上で大きな示唆を与えた思想として、これまで時枝誠記の言語過程説と時枝自身がそれと不可分のものとみなしてきた詞辞論、さらに時枝の説を高く評価しつつ、唯物論的な観点から時枝が心的過程とみた言語を、主体の認識と発語されたり書かれたりしてそれが固定される音声や文字との客観的な「関係」に言語の本質を見て時枝の説を批判的に継承し、言語を「客体的表現」と「主体的表現」との二重性においてとらえた三浦つとむの『日本語とはどういう言語か』にみられる言語論という二つの源流について見てきました。<br><br>　それでほぼ十分だとは思いますが、もうひとつ吉本さんが言語論に向き合う以前から、その文学に対する比類ない透徹した認識において高く評価し、馴染んできたと思われる折口信夫の日本文学発生論、具体的には古代詩の信仰起源説から与えられた示唆について触れておくべきかも知れません。</p><p>　それは時枝や三浦の言語論のように、文学における言語を扱う具体的な方法的概念を修正しつつ批判的に継承した、というのとは違って、もう少し根源的な文学表現というものに対する考え方において、吉本さんがそれまで相手にしてきたマルクス主義系の生産様式だの社会的な諸要素だのといったものと表現とを直接結びつけたり、詩的なものの発生をそうした諸要素に求めたりする考え方や、欧米流の機能主義やプラグマチックな言語観にもとづく文学理論に泥むことなく、のちに自己表出として抽出されるような主体の内面における能動的な表出というモメントに固有の位相を見出し、そうした意識の自己表出が現実的な言語表現として外化されるとき、個人が切り拓く表出の先端もまた直ちに社会的に共有され、各時代の共同的な表出の水準を形づくり、絶えず更新されていく、という発想が芽生え、堅固な構築物にまで形作られていく背景には、日本の古代文学の発生、詩の起源を信仰にみた折口信夫の発想がそれらを生む豊かな土壌のように存在したのではないか、と考えられるのです。<br><br>　それを直接証拠だてている吉本さんの文章としては、たとえば「詩とはなにか」という、雑誌『詩学』の昭和36年7月号に掲載された論考が挙げられるでしょう。（著作集第５巻所収）</p><p><br>　これが雑誌に発表された昭和36年と言えば、「言語にとって美とはなにか」の連載がはじまる同人誌『試行』の創刊号が発行された年（同年９月発刊）ですから、おそらく２年余の研鑽を経て同書の構想も固まり、満を持して連載原稿の初回を書き始めようというときに、自分が手にした武器を試すかのように、詩人としての体験に根差しながら同時に普遍的な言語表現としての文学論の創造を明確に射程に入れた詩論を書いたわけです。したがって、それから４年後の1965年6月、『試行』第14号で「言語にとって美とはなにか」の14回にわたる連載が終わって、同年出版される最初の主著を理解する上で、この「詩とはなにか」はこの上ない手引きとなる内容の論考であると思います。</p><p><br>　吉本さんは同論考でまず折口が叙事詩の起源について書いている次の文章を引用します。<br><br>　「一人称式に発想する叙事詩は、神の独り言である。神、人に憑（かゝ）って、自身の来歴を述べ、種族の歴史・土地の由緒などを陳べる。皆、巫覡の恍惚時の空想には過ぎない。併し、種族の意向の上に立っての空想である。而も種族の記憶の下積みが、突然復活する事もあった事は、勿論である。其等の『本縁』を語る文章は、勿論、巫覡の口を衝いて出る口語文である。さうして其口は十分な律文要素が加って居た。全体、狂乱時・変態時の心理の表現は、左右相称を保ちながら進む、生活の根本拍子が急迫するからの、律動なのである。神憑りの際の動作を、正気で居ても繰り返す所から、舞踊は生れて来る。此際、神の物語る話は、日常の話とは、様子の変ったものである。神自身から見た一元描写であるから、不自然でも不完全でもあるが、とにかくに発想は一人称に依る様になる。」（「国文学の発生（第一稿）」全集第一巻）<br><br>　叙事詩の発生説として国文学の領域でどうかという評価を云々するつもりはないが、と断わりながら、吉本さんは「文学、芸術が人間の意識の自己表現に発したという面を、一貫して立証しているところに、わたしは折口学説の水準をみたい」と言い、「この学説の基本的な性格は、たとえ細部で修正されることがあっても、ほとんど恒久的な意味をもっている。」と高く評価しています。そして、この折口説を文学の信仰起源説といってしまえば、みもふたもないが、「人間の意識の自己表出された態様として文学発生をかんがえたものとみれば、その射程がきわめて広い範囲におよぶことはいうまでもない」とし、折口学説のかなめは、「詩の発生が（一般的には芸術の発生が）古代人の意識の自発的な表出力とかかわるものだということを実証と判断力によって貫いたところにある」と高い評価の理由を述べています。<br><br>　同様に、吉本さんは次に抒情詩の起源をめぐる折口信夫の次のようなことばを引用しています。<br><br>　「呪言の中のことばは叙事詩の抒情部分を発生させたが、其自身は後に固定して短い呪文、或は諺となったものが多かった様である。叙事詩の中の抒情部分は、其威力の信仰から、其成立事情の似た事件に対して呪力を発揮するものとして、地の文から分離して謳はれる様になって行った。此が、物語から歌の独立する径路であると共に、遙かに創作詩の時代を促す原動力でとなったのである。宮廷詩の起源が、呪文式効果を願ふ処にあって、其舞踊を伴うた理由も知れるであらう。呪言の総名が古くは、よごとであったのに対して、ものがたりと言ふのが叙事詩の古名であった。さうして、其から脱落した抒情部分がうたと言はれた事を、此章の終りに書き添へて置かねばならぬ。」(折口前掲書）<br><br>　吉本さん流にこれを言い直せば次のようになります。<br><br>　「古代人の意識の自己表出が神の口として、いいかえれば宗教的な自己表出の形をかりて叙事詩として語られたように、叙事詩の物語性が、さらに自発的な面で抽出されたところに抒情詩がうまれることが指摘されている。たいせつなのは、詩が、あたかも金太郎飴の切口のように、意識の自発的な表出性という断面をさらしながら分化するという特長である。詩としての詩の本質はこういう層面にあらわれるという示唆をここからうけとることができる。<br>　わたしたちが詩の（一般には文学の）形式とかんがえているものの本質は、意識の自発的な表出という断面をさしているが、おそらくこれが折口学説から引き出すことができるもっとも貴重な示唆のひとつである。」（吉本前掲書「詩とはなにか」著作集５　p148-149)<br><br>　「折口学説を信仰に封じこめないで、意識の自己表出として普遍化すれば、わたしたちは、画期的なひとつの学説をもつことになる」（同前p150)というのが吉本さんの評価です。<br>&nbsp; そのためにどうそれを受け取ればよいのかと言えば、「折口が信仰とよんでいるものを、意識の内発的な外化の能力といいなおせば、その形態が信仰的なものから芸術的なものに転化した過程はたどりうるはず」だということです。（同前p155)<br>　<br>　「発生期に叙事詩から抒情詩がわかれてゆく過程は、詩が、物語性を、いいかえれば何が語られうたわれているかを排除して、作者の、あるいは作者に憑いた超作者の自己表現性の断面によって分化されたものであることをおしえている。ヴァレリイが詩は節調ある言葉で、叫び、涙、愛撫、接吻、歎息などが暗々裏に表現しようとおもっているところを表現したり再現したりしようとする試みだ、とのべているところは、詩の本質を自己表現性としてみ、また、たえず詩の純化がその自己表現性をもとめておこなわれ、その断面で分化したことを指そうとしているようにみえる。まったくおなじように、ハイデッガー詩とは神々並びに事物の本質に建設的に名を賦与することだと云っているのも、中村光夫が詩が本質が歌であり、歌は言葉以前の肉声または叫び声であるといっているのも、詩が意識の自己表現としての面で純化されるという性質に、詩の本性をもとめていることを意味している。」（吉本前掲書p150-151)<br><br>　かくして「詩が意識の自己表出の面で発生し、たえずその面で分化をうけた言葉の表現であり、発生期には詩はいつもリズムの面からみられた言葉の指示性としてあらわれ、その実用性（生産物に影響を与えるというような）は言葉の指示性の面からみられたリズムとしてあらわれた」と理解することができます。<br><br>　ここでついでに、吉本さんが「自己表出」について直観的にわかりやすく、品詞を自己表出と指示表出のアクセントの強弱によってグラデーションをなすものという吉本さんの考え方に対して、名詞のようなものには自己表出性がほとんど無いのではないかという疑問が生じるのに対して答えるようにして語っている部分を前掲書から引用しておきましょう。<br><br>　「わたしたちは、詩がうまくかきおわったとき、散文である事実をうまく指示したときと比較にならない充実感または空虚感をもつ。そして、わたしたちの詩が他人に読まれたとき、詩の意味や主題やモチーフがまるで通じないとしても、この放出した感じだけは伝わるはずだという希望をいだくのである。巫女が神にじぶんがのりうつったことを信ずるように、わたしたちは詩においてじぶんが言葉にのりうつっていることを信ずる。放出感や充実感はその代償である、というのも巫女とおなじだ。・・・（中略）・・・つぎに、この充実感または放出感は、ある意味のことをはっきりと指しえたという感じとちがっている。Ａはかくかくの理由によってＢである、というようなことを散文でうまく論理づけても、ある澱のようなものが意識にさわっているのを感ずるが、詩をうまくかきおえたときには、澱がのこらないのである。<br>　また、この充実感や放出感は、憑いた感じに似ている。神憑ったのでもなければ、狐が憑いたのもなく、イデオロギーが憑いたのでもなく、自然が憑いたのでもなく、自己が自己に憑いた感じである。<br>　この自己が自己に憑いた感じは、まさしく詩の言語が、たとえば名詞のように事物を指す言語でさえ意識の自発的な表出としてかかれていることに対応している。」（同前p158)<br><br>&nbsp; さらについでのついでに前掲の論考で触れられている、あらかじめよくある誤解を解くために科学、たとえば数学の論文のようなものも自己表出の要素が考えられるのか、といった疑問に対して述べている部分を引用しておきましょう。詩の言葉は意識の自発的な表出である一方で、現実の世界では、言葉は交通の必要、事物の指示として表出されると考えられるのですが、吉本さんの考えでは、このいずれの場合も、前者は後者によって、後者は前者によって「うら貼り」されているので、科学的な記述といえども、厳密な意味で言葉の指示性の面でのみ想定することはできないのです。<br><br>　「わたしの概念では、数学論文でさえ意識の自己表出にうら貼りされているから、もし詩の読者が数学を理解する一定の力があれば、ある種の数学論文も意識の自己表出として、いいかえれば詩（初原的な芸術）としてよむことができるはずである。」（p160)<br><br>　また、古典が死語の世界にみえるという問題については次のように説明しています。<br><br>　「芸術の価値は、意識の自己表出のインテグレーションにほかならないから、一定の理解力をもつ読者にとって古典は死語のせかいであると否とにかかわらず価値があるのである。また、古典詩の価値は、その時代の定常意識を規準にして励起状態をかんがえることができるので、現代の定常意識を規準にしてその当時の励起状態をかんがえるのではない。モダニストたちが、たとえば『万葉集』が幼稚な詩であり、藤村の『若菜集』が、現在じぶんが書いている詩よりもつまらない作品だと錯覚するのは、現在の状態で直接過去の励起状態をはかるからである、」（同前p162）<br><br>　この「詩とはなにか」という論考は、「言語にとって美とはなにか」の基本的な概念をより分かりやすい形で、その発想が形成される過程での吉本さんの思考径路を示すように書かれていて、同書で本格的に論じられる（構成が論じられる手前まで、つまり文学的な表現も、意識の表出としての言語、表現としての言語と敢えて同一視したまま扱っている段階での）ほとんどの問題が出そろっているという感じがします。「自己表出」という言葉を分からない、分からない、とわけのわからない恣意的で奇怪な造語であるかのように評する評論家の類は、『言語にとって美とはなにか』にまったく歯がたたないのであれば、ぼやくにしても先ず同論考くらいは目を通してからにすればよいのに、と思います。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12800905969.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Apr 2023 17:36:36 +0900</pubDate>
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<title>「自己表出」とは何か～言語（美）学からのアプローチ その5 三浦つとむの『日本語はどいう言語か』</title>
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<![CDATA[ <p>三浦つとむの『日本語はどいう言語か』<br><br><br>　吉本さんが『言語にとって美とはなにか』を書く上で最も核心的な影響を受けたのが、三浦つとむの『日本語はどういう言語か』であることは、吉本さん自身が『言語にとって美とはなにか』の序で同書を挙げて述べているほか、その論考のいたるところで高い評価を交えて引用しながら自身の論を進めていることからも、よく知られています。また、三浦の同書の講談社学術文庫版（昭和51年刊）の解説では、自身のこの書との決定的な出遭いについて率直に書いています。<br><br>　プロレタリア文学をはじめとする文藝批評を続けてきた吉本さんは、それまでのわが国の文芸批評がことごとく印象批評の域を出ないものであることを痛感し、普遍性をもつ文学理論はいかにして可能かという課題を自身に課していたようです。<br><br><b style="font-weight:bold;">　「こういう問題を抱え込んで、さまざまな思いをめぐらしているとき、三浦つとむの『日本語はどういう言語か』という著書につきあたった。この著書は、啓蒙的なスタイルをとった小冊子だったが、内容は、きわめて高度で、画期的なものであった。その上、文学作品を解析するのに、これほど優れた武器を提供してくれる著書は、眼に触れるかぎり、内外の言語学者の著作のうちになかったのである。わたしは、抱えこんでいた問題意識に照らして、この著書の価値が、すぐに判った。この著書を、うまく、文学の理論につかえるのは、たぶんわたしだけだろうということも、すぐに直観された。」（</b>『日本語はどういう言語か』講談社学術文庫版解説）<br><br>　吉本さんは、三浦の同書のどこにそれほどの画期的な価値を見いだしたのか。三浦の言語思想のどこに彼自身の武器となるものを見いだしたのか。つづけて彼はそれを明かしています。<br><br>　「<b style="font-weight:bold;">まず、わたしは、文学作品の言葉を、＜表現＞という次元に位置づけなければならないことを、徹底的に思い知らされた。言葉が、紡ぎ出されてゆくためには、こちら側に、認識の動きがなければならぬ。読み手が、たどるのは、あちら側に＜表現＞された言葉だが、作品を紡ぎ出したこちら側にとって、言葉は、＜表現＞された認識の動きの結果である。そうだとすれば、読み手は、作品の言葉をたどりながら、同時に、作者の認識の動きを追っているのだ。また、言葉が紡ぎ出されたとき、紡ぎ出した作者は、いわば、言葉によって、逆にじぶんの位置をはっきりと限定される。こう云うと、いかにも簡単なようだが、どんな言語学の著書も、対象と認識と表現との関係を、これだけ明快に、指摘してはくれなかったのである。三浦つとむのこの基本的な指摘は、すぐに有効なことがわかった。 ・・・（中略）・・・ 対象―認識―表現という三浦言語学の基本的な骨組みは、ある文学作品を、創造するものの個からたどり、あたうかぎり創造の理論に近づきうる可能性を示唆していた。</b>」（同前）<br><br>　より具体的に三浦つとむのどのような考察が吉本さんに示唆を与えたかについても、三浦の同書の次のような箇所がおおきな示唆を与えた、として引用しています。<br><br>　「<b style="font-weight:bold;">ちょっと考えると、写生されたり撮影されたりする相手についての表現と思われがちな絵画や写真は、実はそれと同時に作者の位置についての表現という性格をもそなえており、さらに作者の独自の見かたや感情などの表現さえも行われているという、複雑な構造をもち、しかもそれらが同一の画面に統一されているのです。（三浦つとむ『日本語はどういう言語か』）　<br>　絵画や写真は、できあがったあちら側をみるだけではなく、描いたり、撮影したりしたこちら側をみなければならぬ、ということを示唆している。この示唆は、拡大されうる。そして拡大することによって、創造したものの内面的な暗がりを、いわば、表現された作品との統一において、きめ細かく再現することの可能性をも暗示している。この著書は、ふつう、わたしたちが、面倒さや、手段がみつからないことにさまたげられて、印象批評で流してきた批評の領域に、はじめて理論の手がかりを与えてくれた。</b>」（同前）<br><br>　「自己表出」とは何か その１で、私が三浦つとむがクリちゃんが机の前に坐って何か書いている二葉の絵を例に挙げて、それらの絵が吉本さんのいう「あちら側」、つまりクリちゃんという対象を表現していると同時に、クリちゃんを見てその姿を描いている描き手の視点、視角、対象との距離等々、吉本さんのいう「こちら側」のあり方をも同時にその絵のうちに表現しており、この絵を見る（読み解く、理解する）ということは、描かれた対象を見るだけではなく、同時に対象を描く作者の視点、視角、対象との距離等々といった手がかりを通して表現されている「こちら側」、つまり創造者の内面を見ることにほかならない、ということを明らかにしていたことに触れました。<br><br>　これを文学あるいは一般に言語表現に適用するなら、その言葉が指示する対象の客観像、作者の対象認識のみならず、それと同時にかつ不可分に表現される作者がその対象をとらえる視点、視角、対象との距離等々、主観のあり方をも読まなければ、その言葉を読んだことにはならない、ということを意味します。こうして吉本さんは例えばたった三十一文字の和歌の表現が、散文に置きなおしてその指示的な意味（対象像）だけたどれば、なんということもない表現で、どこに文学的価値があるのかわからない表現なのに、実はその表現はめまぐるしいほどの、認識の転換からできあがっていることに気づき、その転換こそが歌の美を保証していることに気づくのです。<br><br>　ここで「こちら側」と言っているものこそ、時枝誠記がその言語過程説において、言語の本質として述べた「言語過程」にほかならないでしょう。<br><br>&nbsp; ところで、三浦つとむは『日本語はどういう言語か』を書く上で、時枝誠記の言語過程説に大きな影響を受け、その現象学的な言語観を、いわば唯物論的に修正する形で自身の言語観を確立しています。三浦の時枝への評価は、彼自身が同書の中で要約的に明らかにしています。<br><br><b style="font-weight:bold;">　「　時枝氏の理論が、それまでの理論にくらべて優越した点としては<br>　　　　一、言語を過程的構造においてとりあげたこと。<br>　　　　二、語の根本的な分類として客体的表現と主体的表現の区別を採用したこと。<br>　　　　三、言語における二つの立場―主体的立場と客体的立場―の差別を問題にしたこと。<br>があげられます。また欠陥としては<br>　　　　一、言語の本質を「主体の概念作用にある」と考えたこと。<br>　　　　二、言語の「意味」を「主体の把握のしかたすなわち客体に対する意味作用そのもの」と考えたこと。<br>　　　　三、言語表現に伴う社会的な約束の認識と、それによる媒介過程が無視されていること。<br>　　　　四、認識を反映と見る立場が正しくつらぬかれていないこと。与えられた現実についての表現と、想像についての表現との区別およびその相互の関係がとりあげられていないこと。ここから主体的立場の規定も混乱していること。<br>などが指摘できます。</b>」（三浦つとむ『日本語はどういう言語か』講談社学術文庫版p111-112)<br><br>&nbsp; 時枝が言語を心的な過程として、その過程的構造を明らかにし、そこに言語の本質を見た点は吉本さん同様に三浦も高く評価しています。彼らが時枝言語過程説から受け継いだ最も重要な核心がそこにあったことが分かります。<br>また、吉本さんでは自己表出と指示表出の両要素が相補的に形づくるひとつの「構造」と考えられているがゆえに、連続的なグラデーションをなすものと考えられた品詞分類に関して、三浦つとむは時枝誠記の「不連続」的であり「次元が異なる」ものと考えられた詞・辞論をそのまま踏襲して、客体的表現・主体的表現として区別しています。<br><br>　三浦の時枝批判の要は、発語や書字として表現される言語の感性的・物質的側面を言語を考える上でどう扱うか、という点にかかっていると思います。</p><p>　時枝は、発語の際の音声や書字の際の文字などは、単に物理的な空気の振動であり、インクの染みの如き物理的な実体に過ぎず、そこに言語の本質、言語の意味なるものは存在しない、と考え、言語の本質、言語の意味は心的過程にあり、主体の意味作用、すなわち主体が対象を認識する仕方、主体の活動そのものが「意味」であるという考え方をしています。</p><p>　三浦によれば、これはそれまでの言語学説が「意味」を何らかの実体と考え、認識の対象や素材、音声や書字のような物理的要素に「意味」を求めたのを否定した点では正しかったが、実体を機能に置き換えた点は誤りであり、「意味」はそのような「機能」ではなく、「関係」とみなすべきだ、と批判しています。</p><p>　つまり、発語や書字における音声や文字は、それらが創造されるまでの過程的構造と、それらの創造されたかたちにおいて結びついており、この両者の「関係」こそが言語の「意味」なのだと主張しています。「わたしはりっぱな祖先を持つ」「彼女は暗い過去を持つ」「彼は秘密を持つ」の「持つ」という言葉のように、何ら現実に存在しないものを「持つ」と表現するのは、これらの人たち「わたし」や「彼女」や「彼」がそれらと「関係」を持っているからであり、それは「客観的な関係」である、それと同じことなのだ、と。<br><br>　時枝誠記の意味の考察も、その唯物論的な修正としての三浦の考察も、またそれを更に修正して継承する吉本さんの考察も、言語の「意味」が三浦のいう「実体」的なものつまり内容的な素材的なもの自体ではなく、また、言語は写真が物をそのまま写すように、素材をそのまま表現するのではないという主張に象徴されるように、「<b style="font-weight:bold;">主体のはたらきと言語の意味とのあいだに橋をかけようとする意図</b>」（『言語にとって美とはなにか』角川選書版p72)において共通しています。それが無ければ、言語の理論が具体的な文芸作品を読み解く武器となることはなく、普遍的な文学理論が成立する可能性は断たれるでしょう。それは創造の側から考察される文学理論としての核心だと言っていいでしょう。<br><br>　吉本さんは三浦の時枝の意味論への批判を、もう少し具体的な例を挙げて語っています。<br><br>　（時枝の意味論の）「<b style="font-weight:bold;">欠陥はつぎのようなばあいにすぐにあらわれるようにみえる。たとえば＜馬鹿だなあ＞というような言葉が、ある場面では、愛情やいたわりの意味をもち、ある場面では非難の意味をもつというような、わたしたちがしばしば日常語の世界で体験する事実にたいし、時枝のように、主体の意味作用に意味をもとめるとすれば、ちがった表現とならず同じ＜馬鹿だなあ＞となる理由をうまく解くことができない。また、時枝のいう主体の意味作用を＜馬鹿だなあ＞という外形的な表現とかかわりない愛情、いたわり、非難という内在的な意味作用と解すれば、なぜこういうちがった内在的な作用が、おなじ言葉としてあらわれるかを了解するのが難しくなる。</b>」（同前p72)<br><br>　これに続いて吉本さんが引用しているのは、三浦の時枝意味論への批判と三浦自身の言語論の核心に当たる部分です。<br><br>　「<b style="font-weight:bold;">認識を基盤にして音声が語られ文字が書かれたとき、それまでは単なる空気にすぎなかったものが音声になり、ペンの上にあるインクの一滴にすぎなかったものが文字となったとき、そこにはつねにそれなりの過程が存在します。音声や文字に直接結びついているのは、話し手・書き手の概念ですが、これは表象や感覚にむすびついていることも多いし、さらにこれらの認識の対象である現実の事物や想像の事物とのむすびつきが存在しています。ですから、音声や文字には、その背後に存在した対象から認識への複雑な過程的構造が関係づけられているわけで、このようにして音声や文字の種類にむすびつき固定された客観的な関係を、言語の「意味」とよんでいるのです。・・・（中略）・・・聞き手や読者はこのかたちに接し、そこにある関係を逆にたどって、かつて背後にあった認識をとらえようとします。これが『意味をたどり』『意味をとらえ』『意味を理解する』ことです。概念そのものは意味ではなくて、意味を形成する実体です。概念そのものの消滅は、これによって形成された意味の消滅を意味しません。意味は話し手・書き手の側にあるのではなく、言語そのものに客観的に存在するのであって、音声あるいは文字の消滅とともに、すなわち表現形式の消滅とともにそこに固定された関係が消滅し内容あるいは意味も消滅します。</b>」（三浦つとむ『日本語はどういう言語か』講談社学術文庫版p44）<br><br>　吉本さんは、「<b style="font-weight:bold;">主体の意味作用は言語に固定された客観的な関係に修正され、その関係には背後にある認識が対応することが、しめされた。三浦つとむの言語論のなかに、あたうかぎり正確にされた意味の考察があると言える。</b>」と高く評価しています。しかし、吉本さんは同時に、それはけっして満足すべきものではない、としてさらに修正を図っています。それはどういう点においてか、吉本さんが具体的な言語表現の例を挙げて、「意味がわからない」という問題を三浦の説明では解けないと言います。<br><br>　「 <b style="font-weight:bold;">&nbsp;(1) 言語に固定化された客観的な関係が、意味としてたどれないばあい、<br>　&nbsp; &nbsp; (2) またその客観的な関係以外の意味をしめしているようにみえるばあい、<br>　　&nbsp;(3) 客観的関係自体をたどるのが難しいようなばあい・・・、<br>　これらの実例で、言語の表現はいぜんとしてある意味をしめしているようにみえるのはなぜか。このもんだいをはっきりさせなければ、言語の美にちかづくことはできない。<br>　そして、必要なのは、現在のどんな文学的な表現の尖端をもつつむことができる意味概念だ。意味がわからないとみえるものも意味としてとりだされなければならない。</b>」（『言語にとって美とはなにか』p73-74)<br><br>　「意味が分からない」表現からも「意味としてとりだされなければならない」というのは理不尽に見えるけれど、彼が挙げている例をみればなるほどとうなづけます。<br><br>　吉本さんは、「意味」を論じた章の冒頭で、「言語の意味がわからないというとき、どんなことがふくまれているか、という逆のもんだいから意味に接近してみる」として、三つの実例を挙げています。<br><br>　（１） 天飛（だ）む　軽嬢子<br>　　　いた泣かば　人知りぬべし<br>　　　波佐の山の　鳩の<br>　　　下泣きに泣く　（「古事記」武田祐吉訳注）<br><br>&nbsp;（２）　私は胃の底に核のようなものが頑強に密着しているのを右手に感じた。それでそれを一所懸命に引っぱった。すると何とした事だ。その核を頂点にして、私の肉体がずるずると引上げられて来たのだ。私はもう、やけくそで引っぱり続けた。そしてその揚句に私は足袋を裏返しにするように、私自身の身体が裏返しになってしまったことを感じた。頭のかゆさも腹痛もなくなっていた。ただ私の外観はいかのようにのっぺり、透き徹って見えた。（島尾敏雄「夢の中での日常」）<br><br>&nbsp;（３） 朝<br>　　　&nbsp;きみの肉体の線のなかの透明な空間<br>　　　世界への逆襲にかんする<br>　　　最も遠し<br>　　　微風とのたたかい （清岡卓行「氷った焔」）<br><br>&nbsp; 吉本さんの説明するところでは、(1)は「軽嬢子よ、あまりひどく泣くと人にしられてしまうだろう、それだから波佐山の鳩のようにしのび泣きで泣いているな」という意味だけれど、そのわからなさ、というのは、現在まったく使われていない死んだ語法や、死語があるためです。彼自身の用語で言えば、死語とは自己表出としてある過去の時代的な帯のなかにあり、指示表出として現在性が死んでしまった言語をさすので、この詩の意味がわからないのは、指示表出として現在死んでいて、言葉の流がたどれないからだ、ということです。それでもこの詩の情感が、いまも何かを与えるのは、自己表出面から現在に連続する流れが感じられるからだといえる、と。<br><br>　これに対して（２）は、死語は使われていないし、わからない言葉もないけれど、この文章が指す事柄が実際にはありえないことなので、ある不明晰な印象が残ります。しかし、作品の文脈にはめこんでみると、事実としてありえない意味が、かゆさの感覚、またはかゆさに耐えられないで、それを逃れたいと欲求の感覚の暗喩になっていることがわかる、と。「危ない目にあった人間がとっさに＜畜生！＞と叫んでも、＜助けて！＞とわめいても＜畜生＞や＜助けて＞というコトバに意味があうのではなく、ただその状態で発せられた叫びとして意味があるように、これを自己表出の励起にともなう指示表出の変形とかんがえ、いわば、言語が、自己表出を極度につらぬこうとするために、指示表出を擬事実の象徴に転化させたものとしてみるのがいいのだ。」と吉本さんは解説しています。<br><br>　（３）では、すでに意味は擬事実をさすことさえ拒んでいて、拒むことにひとつの当為が認められる、とされています。そしてこれを詩脈全体のなかにもどしても意味がよみがえてくる可能性はない、と。しかし「意味がない」のではなく、ひとつの緊張した表出感が完結されているのをみることができ、「この詩人のなかで、したしい女性の裸身のイメージが、やわらかい愉楽ではあるが、たしかなたたかいでもある生活についての思想とむすびついて表現されているこことが了解できる」、「言葉の指示性を仕掛け花火にたとえてみれば、この詩はいわば打上げられて、頂に火粉を散らして消える打上げ花火のように言葉を使っている。仕掛け花火は、滝や人形や家の形を火粉によって描いて消えるが，打上げ花火はうちあげられた高みで飛散すればよいのだ」と。そして「<b style="font-weight:bold;">言語はここでは、指示表出語でさえ自己表出の機能でつかわれ、指示性をいわば無意識にまかせきっている。言語はただ自己表出としての緊迫性をもっているだけだ。</b>」と。(同前p69)<br><br>　要約すれば、「<b style="font-weight:bold;">（１）は言語の自己表出の歴史としては了解できながら、指示表出として死滅していること、（２）は自己表出の励起にともなう指示表出の擬事実への変形、（３）は自己表出のひろがりによって指示表出がつつまれていることを示す</b>」ものであり、「<b style="font-weight:bold;">意味がわからない理由はすべて、この中にかくされている</b>」と。そうして、「<b style="font-weight:bold;">ここからみちびきだせる共通性は、指示表出が、何らかのかたちで死滅したり、歪められたり、また覆われたりしていることが、意味がわからないこととかかわりがあることだ</b>」とされています。<br><br>　こうしてみると、言語表現を指示表出の面からたどることに何らかの障害がある場合に、意味がわからない、ということになるので、言語の意味と指示表出はほぼ重なる概念だと言ってもよさそうに思えるけれども、それなら、なぜそれにも関わらず上記３例のように「意味がわからない」表現がそれにもかかわらず、何かを意味するように思え、私たちの心を動かすような表現でありうるのか、という問題が、三浦つとむの「音声や文字の背後に存在した対象から認識への複雑な過程的構造が関係づけられた」その「音声や文字の種類にむすびつき固定された客観的な関係」こそが意味なのだ、という定義では解けない、と吉本さんは批判し、それは三浦が意味概念をつくる場合に、言語を指示表出の面でしか見ず、自己表出という観点を欠いているためだと指摘しています。<br><br>　もうひとつ例を挙げているのですが、万葉集の中の一首です。<br><br>　見渡せば春日の野べに霞立ち咲きにほへるは桜花かも（よみ人知らず）<br><br>　春日野に霞がたなびいていて、そこに咲き乱れている桜の木立ちがあり、その光景をひとりの人物（作者の対象化されたもの）が見渡している、という情景を誰もが受け取ることのできる表現ですが、それはここで使われる言葉がそれぞれの概念と動きと対象をあらわし、この一首に固有の順序と関係にしたがって続いているからで、そうして読みとっている表現された言語の関係を意味と呼んでいることになります。これを三浦つとむ流の意味概念から見れば、「見渡すと春日の野べに霞が立ち、咲きにおっているのは桜の花であるぞ」という概念が言葉の客観的な関係として固定されているものが意味だということなのですが、それだとこういう風景をただ見わたしてなぞったような無内容な短歌が芸術と言えるか、というふうな近代主義批評家たちの観点とおなじものになってしまう。そういう見方をすると、古典詩はすべて幼稚な無内容なことを五・七調でならべたものにすぎなくなってしまう。その理由は、自己表出を全く考慮しないで意味を考えているところから来るのだ、というのが吉本さんの主張です。<br><br>　「<b style="font-weight:bold;">いま、一人の＜よみ人知らず＞の作者がやっている自己表出という面をふくめて、言語の本質からこの一首の意味をかんがえてみると＜見渡せば＞で、作者の視線は眼のまえをさ迷い、＜春日の野べ＞で眼のまえの風景が春日野であることを確かめ、＜霞立ち＞で、その野に霞がたなびいているのを視線にやどしている。そして＜咲きにほへるは桜花かも＞で、その霞のなかに鮮やかに咲き乱れている桜の花に驚嘆している。・・・というような作者主体の視線と関心の移しかたの動きをもふくめて、この一首の意味とよぶべきであることがわかる。だから言語の意味をかんがえることは、指示性として言語の客観的な関係をたどることにちがいないのだが、このように指示表出の関係をたどりながら、必然的に自己表出をもふくめた言語全体の関係をたどっていることになる。</b>」（同前p78-79)<br><br>　三浦つとむの言語論では、時枝のいう詞と辞、対象を指示する言葉と、指示する対象をもたない言葉とを、時枝同様に、客体的表現と主体的表現にふりわけるために、この表出主体の内面（言語過程）と音声や文字に固定化される「関係」を吉本さんのように辿ることが困難で、ただ指示性においてだけ辿って行くことになります。このため、先に吉本さんが挙げていた三つの「意味のわからない」例のように、指示性において辿ることが困難であるにもかかわらず、　何らかの意味をうけとれるように読める表現が、なぜそうでありうるのか、という問題を解くことができず、また先の万葉集のよみ人知らずの歌のように、散文的に見れば他愛のない風景をただなぞっただけにみえる表現に心を動かされるものがあるのか（芸術としての価値があるのか）という問題をも解くことが困難だということになります。<br><br>　しかし、言語の本質が、自己表出と指示表出とを含むひとつの構造をなすものだと考えれば、吉本さんが解説してみせたように、これらの問題は解決することができます。吉本さんは結論的に言語の意味についてこう述べています。<br>　「<b style="font-weight:bold;">言語の意味とは意識の指示表出からみられた言語の全体の関係だ。</b>」<br><br>　つまり、言語を「指示表出」（どんな対象が指示され、表現されているか）を手掛かりに、その背後にあった作り手の内面（認識、思想、感情等々）との客観的な関係をたどっていくのではあるけれど、そうしながら、同時に必然的にその表現に構造として「指示表出」と一体的に、その指示表出を支え補い合っている主体の位置取り、姿勢、視点、視角、動き・・・等々のありようにほかならない「自己表出」をもふくめた言語全体の関係を「意味」として読み取っているのだ、ということになります。<br><br>　ここまで来れば、三浦つとむが時枝誠記の言語過程論から何を受け取り、どう修正し、またその三浦つとむから吉本さんが何を受け取り、どう修正したかは明らかになったように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp;もうひとつ吉本さんと、時枝、三浦の表現としての言語論を分かつ例として、リズム（韻律）を取り上げるのがよいかもしれません。時枝は、リズムの本質を言語における最も源本的な「場面」だとし、その「源本的」という意味は、言語はこのリズム的場面での実現を外にして実現すべき場所を見出すことが出来ないからだと述べて、これを音楽における音階や絵画における構図になぞらえています。吉本さん的に要約すれば、「まず意識に表出すべき場面の波がおこり、それにのっとって言語が表出される、そしてその場面がリズムであると」主張されていて、ちょうど「路上にロウ石や白墨でかかれた円のなかに、ビイドロ石をうまく蹴り込んで遊ぶ子供の遊戯」において描かれた円（リズム）とビイドロ石（言語）のようだと述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>　まあ三浦つとむは、詩や歌のリズムが言語の意味や対象と直接つながりをもたないことから、これを形式的な創造と考えるべきではなく、作者の思想が一面では本来の言語表現として、一面では感性的な表現として二重性をもって現れたものと理解すべきだと主張しています。</p><p>&nbsp;</p><p>　両者に共通するのは、言語の韻律が意味のような機能と直接かかわりのない特性だと考えていることだと吉本さんは指摘しています。これに対して、吉本さんは、言語の韻律は言語の基底のほうに非言語時代の感覚的母斑としてもっている「指示表出以前の指示表出を孕んで」おり、原始人が祭式のあいだに、手拍子をうち、打楽器を鳴らし、叫び声の拍子をうつ場面を、音声反射が言語化する途中に考えた場合に、そのような音声反応が有節化されたところで自己表出の方向に抽出された共通性を考えれば音韻となるが、有節音声が現実的対象への指示性の方向に抽出された共通性を考えれば言語の韻律の概念が導けるだろうと考えています。</p><p>&nbsp;</p><p>　対象と直接な指示関係を持たなくなってはじめて、有節音声は言語になったわけで、そのためにいまわれわれが考える韻律は言語の意味と関わりを持たないけれど、にもかかわらず詩歌のように、指示機能が韻律によって強められるのはそのためだというのが吉本さんの考えです。これによって、日本語の等時的な拍音で構成される音数律のリズムが、わずか三十一文字の散文化すれば何ということもない内容の言語表現の指示性を強め、表現者の主体的な選択、転換、喩といった表現のありようを強化して言語としての美の源泉の一角を構成しているのだということになります。つまり、吉本さんの考えでは、韻律は「意味」と無縁ではないのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　しかしこの問題は言語の美を具体的に語って行く中で問題にされるべきことで、いずれ『言語にとって美とはなにか』全体を辿って行く機会があればそのときに触れるべきことですから（もうそんな時間は私には残されていないことは分かっていますが）、ここでこれ以上深入りはしないことにしましょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12800049077.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Apr 2023 15:43:29 +0900</pubDate>
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<title>「自己表出」とは何か～言語（美）学からのアプローチ 　その４　時枝誠記の詞辞論をめぐって</title>
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<![CDATA[ <p>「自己表出」とは何か～言語（美）学からのアプローチ 　その４　時枝誠記の詞辞論をめぐって<br><br><br>　ここで少し脇道に入りますが、前々回にちょっと触れた時枝誠記の詞辞論をめぐって、吉本さんと時枝との間で交わされたやりとりについて書いておきます。<br><br>　「やりとり」といっても、吉本さんの「言語にとって美とはなにか」が出版されたあとで、時枝がこれを批判する一文を書いたのですが、吉本さんはその時枝の文章に対しては反論めいた文章を書きませんでした。ただ時枝の批判は焦点が合っておらず、議論が噛み合わないといった趣旨のつぶやきを別の機会に発しただけで、両者の間でその後、議論が交わされたり意見交換がなされたという形跡はないので、内容的には時枝の一方的な批判に終わっています。<br><br>　そして時枝も吉本さんの『言語にとって美とはなにか』という著書全体を問題にしたのではなく、自身の言語過程説が引用される中で、時枝が言語過程説の根幹をなすと考える「詞辞論」に関して、吉本さんが詞・辞の概念を吉本さん自身の指示表出・自己表出の概念に重ねている点と、時枝が「次元の異なる」二分法で非連続なものとして考えた詞・辞を、吉本さんがどちらの傾向がより強いかによってグラデーションを成す連続的なものと考えた点とを、全く自身の考えとは対立する正反対の主張である、として、この点に批判を集中しています。<br><br>　時枝のその批判は、「詞辞論の立場から見た吉本理論」（《日本文学》1966年8月。のちに『吉本隆明をどうとらえるか』芳賀書店1970所収）という一文です。</p><p><br>　この論考で時枝はまず『國語學原論』で説いた自身の言語過程説の基本的な考え方を要約的に説明し、彼が理解する限りでのソシュールによる言語を「音韻と概念との結合体」とみなす言語観とは異なり、言語を「表現あるいは理解の行為（活動）」とみなし、言語の対象は音を媒介とする意味だとし、その「意味」とは「内容的な素材的なものではなくして、素材に対する言語主体の把握の仕方」であって、意味の本質は、「これら素材に対する把握の仕方即ち客体に対する主体の意味作用」だという主張をあらためて述べています。</p><p>　そして、このような言語による表現は、「素材的な事物事柄に対する概念的な把握という思考の働きなくしては成立することができない」ものであり、素材に対する把握から表出にいたる思考の心的過程こそが時枝のいう言語過程、すなわち言語にほかならないことを確認しています。<br><br>　ところで、言語をこのように思考の表現だとみなせば、「当然、客体界の表現に関する語（詞）と、能動的統一作用、即ち客体界に志向する主体の直接表現に属する語（辞）とがあり、思考の表現といふことは、言語の側からいふならば、詞と辞との合体において成立するといふことになる」と時枝は言います。<br><br>　この区分に関して時枝は、自身の言う「思考」を、「心理学的には結合の目的が意識せられた表象と表象との結合即ち統覚の一種。換言すれば自我の能動的結合作用（『岩波哲学小辞典』）。思惟―認識一般において、受容的な多様性の側面に対して、能動的統一化の側面を思惟といい、古くから感性的知覚に対立させられている。（平凡社『哲学辞典』）といった記述を借り、これをフッサールの現象学における「意識を、対象面（ノエマ）と志向作用（ノエシス）との構組（Konstitution)と説明しているものと同じ」だとして、ノエマとノエシスを自身の詞と辞に対応させ、その「能動的統一」が思考の表現としての言語にほかならない、としています。<br><br>　すなわち、①詞は客体的表現、辞は主体的表現であり、②思考は詞辞の合体によって表現される、と詞と辞の関係をまとめています。そして時枝は、詞と辞の区別を「表現過程の相違として説明した」と述べています。これは『國語學原論』で示された「詞の過程的構造形式」と、そこから概念的把握の第一次過程を除いた「辞の過程的構造形式」の対比を指しています。（同書p235-236)<br><br>　そして「詞の方は、指す対象があるところの表現であり、辞の方は、指される対象は無くして、表現主体の立場を直接に表現するところのものである」としています。詞の例として名詞を、辞の例として助詞・助動詞を思い浮かべれば、時枝のいうことはすぐ理解できます。</p><p>　かれはさらに、「意味的な関係からいへば、辞は、詞を包み、あるいは詞を覆うてゐる関係になってゐる」とし、「この関係を、私は、＜次元＞の相違と呼んだ」として、本居宣長が言葉を着物の布地に相当するものとし、辞をその布地に加えられる人間の縫う技術に相当するものとした見解を引いています。<br><br>　吉本さんとの違いを際立たせて、時枝は結論的に「詞と辞との間に、次元の相違が認められるといふことは、結局、詞辞の間には、連続性がないことをいったことであり、詞辞非連続論を言ったことになるのである」としています。<br><br>　しかし、吉本さんの「言語にとって美とはなにか」においては、「言語における詞・辞の区別といい、客体的表現といい、主体的表現というものが、二分概念としてあるというよりはも傾向性やアクセントとしてあるとかんがえることができるし、また、文法的な類別はけっして本質的なものではなく、便覧または習慣的な約定以上のものも意味しないことが理解される」とされているため、時枝はこれはまったく自分の詞辞論とは正反対だと批判します。<br><br>　「これは詞辞論とは全く正反対の、指示表出と自己表出との連続説であり、重層論であり、前項に述べて来た、詞辞が次元を異にするとする論の否定であり、詞と辞の間に対応関係があるとする論の否定である」<br><br><br>　この時枝の批判に対して、先に述べたように、吉本さんは反論めいた文章は書いていませんが、インタビュー記事で次のように時枝の批判に触れているところがあります。<br><br>　　・・・僕は文学理論という場合には、表現としての言語というふうに言語を考えて、そういうふうに扱っているわけで、単に言語の芸術というふうに扱っているわけではないんですね。表現としての言語ということが問題になると思うんですよ。それからまたその過程が問題になるということだと思います。<br>　いろいろな言語学者、たとえば時枝誠記さんみたいな人が僕の『言語にとって美とはなにか』を『日本文学』の中で批判していますけれども、ちっとも焦点が合わないと思うのは、表現としての言語というふうに僕が扱っているにもかかわらず、それを要するに言語の芸術としての文学というふうに扱っている、そういうふうに理解しているからだと思うんです。けれども、ほんとは表現としての言語というふうに僕は扱っているわけです。だからあまり論点が合わないといいうような形になる。基本点はそうだと思います。（中略）<br>　・・・（「言語にとって美とはなにか」に対して自分の構想が正確に受け取られて、その先へ進めるようなものがあったかと訊かれて）僕の見た限りでは、おそらく全部は見ていないでしょうけれども、そういう感じの批評、批判というものは一つもなかったと思うんです。まだほんとに読まれていないという感じが一番強いですね。ほんとに読まれていないから、まだ生命はあるはずだといいますか、前書きにも、10年ぐらいは先に行っているはずだと書きましたけれども、それは訂正する必要はますますないというような感じがするんですよ。正確に読まれ、正確に批判が提出され、また正確にそれが越えられるというようなものに、とにかく僕自身がお目にかかっていないし、特に言語学をやっている人の批判というのもありましたけれども、それは批判の中でももっとも貧しいものじゃないかという感じをもっています。それは僕の扱った表現としての言語という扱い方と、ただ言語、言語というのはあるものだというようなことを前提とした扱い方との非常なギャップがそこに出てきているんじゃないのかなと思うんです。（「表現論から幻想論へ―世界思想の観点から―」　『ことばの宇宙』1967年６月号掲載）<br><br>　いま、この論争にならなかった「すれ違い」的な両者の見解のわずかな触れあいを振り返ってみると、なにかとても奇妙なチグハグさを感じざるをえないところがあります。</p><p>　時枝の主張は彼の立場に立てばよくわかるけれども、彼がそれほど詞と辞を「次元が異なる」といった表現で言わなければならない必然性がよくわからないし、他方で、吉本さんの「焦点が合わない」、議論が噛み合いそうもない、というつぶやきについても、インタビュー記事の中でのわずかな言葉の片鱗でしかないので、彼が否定する「言語の芸術としての文学」という扱いと、自身の「表現としての言語」という扱いの違いが、具体的にどういうことを指しているのか、さらに彼が時枝の考え方自体を「表現としての言語」という言語の扱い方ではなくて、「言語の芸術としての文学」という扱い方だと考えているのかどうか、そのへんがクリアでない感じがして、両者が行き違いになってしまう理由がもうひとつ腑に落ちないところがあります。<br><br>　というのも、時枝の言語過程説を吉本さんが高く評価したのも、それが言語を道具と考えるのではなく、「表現としての言語」として扱ったからではないか。つまり既存の言語なるものがあって、これを使って文学を生むというのではなくて、そもそも言語というもの自体が「思想の表現」なのであって、「言語＝表現」だと考え、それが表出される心的過程を言語過程として把握したからこそ、言語の解析から出発して実際に生み出されている文学作品の解析まで一貫した観点と方法で貫くことができ、まさに「言語にとって美とはなにか」という言語美学が、その延長上に文学の価値を論じることを可能にしたわけでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; 吉本さんは「映画的表現について―映像過程論ー」（『キネマ旬報』1960年５月上旬号。『模写と鏡』所収。全著作集５のp639-660)では映画表現についても、時枝の言語過程説の考え方をそっくり受け継いで考察しています。吉本さんが時枝理論から受け取った核心はこの言語過程説にあり、時枝が批判するような時枝説否定の意図が吉本さんにないことは明々白々です。<br><br>　であれば、時枝の批判を、他の言語学者とひとくくりに「言語の芸術としての文学」という扱いをしている、とみなすのは適切だろうか、と疑問が生じます。</p><p>　時枝のソシュール批判が、いまの時点で見て、いかに見当違いであったにせよ、広義の言語道具説的な言語観に対して、言語を心的過程として「素材に対する言語主体の把握の仕方」「客体に対する主体の意味作用」それ自体だと考え、＜表現としての言語＞という言語観を打ち出し、言語それ自体に美の成立根拠を見いだして、その延長上に文学批評を展開する道を切り開いたことを吉本さんは高く評価していたからこそ、前々回紹介したような言語過程説の修正を試み、『言語にとって美とはなにか』へと発展していったはずです。<br><br>　しかし、もう少し吉本さんの上記のインタビュー記事を読むと、彼は言語学者たちの批判が「ただ言語、言語というのはあるものだというようなことを前提とした扱い方」からくるものだ、と批判していることが分かり、ここで吉本さんが何を考えていたかを理解する手掛かりがないわけではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>　「言語というのはあるものだ」という表現は曖昧ですが、これは補足して言いなおせば、「言語はそれを話したり書いたりする表現者の表現以前にそういう主体を離れて、たとえば社会規範として存在するものだ」という考え方を指すと言っていいでしょう。これに対して、吉本さん自身の「表現としての言語」は、表現されなければ存在しないものです。上記と同じインタビューの少し前のところで、彼は次のように語っています。<br><br>　「言語学者が言語を扱うという場合に、つまりそれは言語というものがなにか言語としてある、そういう扱い方をするわけです。しかし僕の考えでは、言語というようなものはないのです。つまり表現されなければならない。だから表現としての言語ということが問題になってくるわけです。そこでは表現過程というようなものが問題になりますし、また、表現された結果としての文字で書かれた言語、しゃべられた言語、そういうものが問題になります。ただ言語というようなものはほんとはないのです。けれども、たとえば言語学者が扱う場合にはいろいろなことを省略しているわけです。言語表現の過程というようなものにまつわる問題をみんな省略して、ある程度省略が可能だという前提で言語は言語として扱うというふうになっているわけです。ほんとはいわれなければ、あるいは表現されなければ言語というものはないわけで、文学の問題でもやはりそうだと思いますけれども、表現されたものとしての言語、それが主要な問題意識として出てくるわけです。」（「表現論から幻想論へ―世界思想の観点から―」『ことばの宇宙』1967年６月号掲載）<br><br>　私は時枝の言語過程説は、ここで吉本さんが批判的に述べている「言語というものがなにか言語としてある、そういう扱い方」には当たらないと思います。また「言語表現の過程というようなものにまつわる問題をみんな省略して」もいないと思います。だから時枝さんの名を挙げて、そうした批判をするのは見当違いだという気がします。<br><br>　言語過程説自体に関してはそうだと思いますが、時枝が吉本理論への批判で的を絞った詞辞論に関してであれば、他の文法学者と等しく「言語というものが言語としてある」社会的規範としての言語として、名詞や動詞か助詞・助動詞かといった品詞論の水準で語られていると見えないこともありません。</p><p>　ただ、時枝はあくまでも詞も辞も、「素材に対する言語主体の把握の仕方」つまり「主体の意味作用」としての言語として、対象を指し示す語であるか、表現主体の立場を直接に表現する語であるか、という心的過程から定義されていて、決して共同規範として意識とは独立の存在として「ある」と考えられているのではないことは、はっきりしています。<br><br>　ですから、私はここで紹介した吉本さんの時枝さんに向けられた反批判的なつぶやきは、根拠があるようには思えません。これが例えば、吉本さんが「橋本進吉について」（『ことばの宇宙』1968年11月号、『詩的乾坤』所収）という一文で、「＜文法＞的にあつかわれる＜言語＞の概念の水準は、具体的な個々の話し言葉や書き言葉の水準にはない。ただ、共同規範としての言語という水準にあるだけである」（『詩的乾坤p387)と述べた橋本文法のような言語観に対するものであれば正当な批判だと思いますが、時枝の言語論はそうではないはずです。<br><br>　一方、時枝の詞辞論からの吉本理論批判、とりわけ詞辞がグラデーションをなすという詞辞連続説に対する批判もまた、私にはすんなり納得できるものではありませんでした。詞と辞を「次元を異にする」ものとして峻別した詞辞論を土台として言語過程説を構成した時枝としては、吉本説はその前提を崩して言語過程説自体を否定するもののように思えたことは想像に難くはないけれど、客観的に見て、別段詞辞を時枝のように「次元の異なる」ものとして峻別せずに、吉本さん的に単なる傾向性の問題と考えても、言語過程説自体が崩壊したり否定し去られたりすることはない、と思います。そこは時枝の批判の仕方に飛躍があって、詞辞の非連続を認めない→即言語過程説の否定、ということにはなりません。<br><br>　だから、二人の反応を読んで、どちらもよく納得できないし、なにかとてもちぐはぐなものを感じていました。それで、以前にこの件に触れた人がいないかな、と思って探していたら、二つだけ正面からこの時枝―吉本の「やりとり」に触れたものが見つかりました。ひとつは藤井貞和「『表現としての言語』論の形成」（「三田文学」1968年８月。『鑑賞日本現代文学』第30巻1982年所収）、いまひとつが野村精一「表現としての言語―吉本隆明と時枝誠記の遭遇と交渉」（『現代思想』vol.2-9,1974年10月号）です。<br><br>　前者はどちらかと言えば時枝誠記の主張に寄り添って、「吉本が『指示表出・自己表出』を『詞・辞』へかさねあわせたことは何としても間違いであると私はけんきょに指摘したい」（前掲書p467)と書き、「吉本は時枝の『詞・辞』が自分の『指示表出・自己表出』といかにべつのものであるかを言うべきだたのであって、それをあざやかに示すためには吉本は『詞・辞』を批判すべきであった。右のような巨匠の抱き込みは手痛く反駁されてもしかたがない」と断じています。（同前p466) なにが「けんきょに」？（笑）<br><br>　私は吉本さんが時枝の「詞・辞」を三浦つとむの「客体的表現・主体的表現」とともに、自身の「指示表出・自己表出」 に重ねあわせたことを間違いだとは思いません。彼はまさに二人のその所説の核心を継承したのであり、だからこそ自分が「言語にとって美とはなにか」を書きはじめるにあたって、拠り所になりうる唯一の考え方だったと後に幾度も述懐し、同著の中においても敬意を表して言及してきたのだと思います。先に述べたように、私は時枝説から「詞・辞」の非連続説を取り除いても、彼の言語過程説は成立するし、そのすぐれた発想が三浦つどむや吉本さんの主張に継承されることに何の支障もなかったと思います。<br><br>　藤井貞和は吉本さんのいう「表現としての言語」が「表現機能としての言語、という意味ではない。言語とは表現である、の謂いである。」（p469)と正しく吉本さんの意図を理解し、言語を「人間の本質力」から見ようとする考え方だと指摘していますが、時枝の「詞辞論」を自己表出・指示表出に重ねあわせた、藤井のいう吉本さんの「間違い」については、「けっきょく吉本は表現（一般）からはじめてしまっているのではないか」というところに起因するものとみなしています。</p><p>&nbsp;</p><p>　というのは、「三浦（つとむ）がいうように客体的表現と主体的表現は場所的に分離し、詞・辞の区別の根拠をなしている」にもかかわらず、「言語が表現であるいじょう、実は表現（一般）における根源的な二重構造を、絵画や映画と同じように持ちつづけている」ため、そのような言語における表現（一般）に立ち返れば客体的表現と主体的表現の分離の成立する根拠自体が、このような言語が表現一般としてもつ二重性にあるので、吉本さんがこのような「言語における表現（一般）に立ち返ってそこからはじめたために、詞・辞を次元の異なるものとして峻別する時枝の趣旨に反することになったのではないか、といった論旨を展開しています。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここでは言語表現が他の芸術表現と同じ二重性（三浦の言う主体的表現と客体的表現の）をもつということと、詞辞が結局は程度の差（傾向性）にすぎず、ひとつこと（「連続」するもの）であることとが同一視されていて、わかりにくい議論で、好意的に読むとしても首を傾げざるを得ないところです。<br><br>　野村精一の「表現としての言語」は、これまで私が未見だった関連文書に言及している点で参考になる一文でした。とりわけ私が前述のように、時枝誠記がなぜ詞辞を「次元の異なるもの」と峻別するのかよく分からない、と思い、そうした判断を抜きにしても彼の言語過程説は成り立つし、三浦つとむや吉本さんが時枝理論に啓発され、それを修正しながら独自の言語美学を打ち立てていくことに何の支障もなかったはずだ、と述べた疑問に関連して書いている次のような一節は大いに参考になりました。<br><br>　「その晩年、我が学説我が文法を公認・流布せしむべく精力的であったかれ時枝の内部には、いわば一種の理論的硬直があったように思う。実は、当の国語学界内においてすら、言語過程説にのっとりながら、なおかつこの詞辞連続説を唱えようとする傾向は、その有力な部分において、極めて大きいのだ。個々の品詞分類の段階ともなれば、更に問題は多く、時枝没後にこの学派に属する人々の混迷の度合いは、いよいよ甚だしいといって過言でない。」（前掲「表現としての言語」『現代思想』1974年10月号p99）<br><br>　この一節に註があり、「早く大野晋・永野賢らによって批判があり、時枝自身も『詞と辞の連続・非連続の問題』（「国語学」第19輯）などで反論している。」として、阪倉篤義『日本文法の話』、渡辺実「詞と辞」（『続日本文法講座』１）「品詞分類と詞・辞」（講座『日本語の文法』別巻などを参照されたい。」とあります。</p><p><br>　ここに言及された「詞と辞の連続・非連続の問題」の「はしがき」の冒頭で、時枝は昭和28年５月に京都大学で開催された国語学界の研究発表会の後、諸氏と会食懇談した折に、池上禎三、阪倉篤義に詞と辞の連続、非連続の問題について自分から所信を質したところ、池上から「詞と辞とは連続してゐて、どこまでが詞で、どこからが辞であるといふやうには、はっきり、その境界線を引くことが困難ではないのでせうか」という意味のことを言われた、と書いています。</p><p>　さらにそのときには詞辞連続説の立場だったと時枝が思っていた阪倉篤義も、その後（昭和28年10月）に、佐藤喜代治の『国語学街路』を評して、詞辞論に言及し、「時枝博士の詞と辞との論に対して、著者が、対象化客観化の最も濃厚なものを一方の曲に据ゑ、それが著しく稀薄で、主体的志向作用の最も著しいものを他の極に据ゑて、而も両者を連続の層に於て眺めようとされる点に、府会興味と共感とを禁じ得ない」旨、付記しているのを読んで「いよいよ四面楚歌の思ひを深くした」と述べています。<br><br>　それでも時枝は、「詞辞を非連続とする考へは言語過程説の最も根幹的な思想であって、詞辞の分類を認めることは、即ち詞辞の非連続を認めることであり、詞辞の連続を認める立場は、即ち言語過程説の文法論を根本的に否定する立場でなければならないと考へられる」として、詞辞非連続説に拘泥し、かつその否定が即言語過程説の否定であると断じています。ここには非論理的な飛躍があると言わねばならないでしょう。<br><br>　私は学生時代に初めて『言語にとって美とはなにか』を読んだとき、時枝が批判したこの品詞分類相対説（詞辞連続論）の箇所に来た時、それまで曖昧模糊としていた文法の品詞分類というものの本質が鮮やかに理解できたような気がして、吉本さんの素晴らしい独創的な発想だと感心しましたが、実際にはずっと早くに国語学者の間で時枝の詞辞非連続論はむしろ評判が悪く（「四面楚歌」）、連続するものと考えて何が悪いのだ？という批判が強かったらしいことが、以上のような文献が示す情況証拠によってはっきりしてきたように思います。<br><br>　時枝が引く本居宣長のように、詞が布地で、辞がそれを縫い合わせる人間の技術だ、というふうな比喩で考えると、まるで「次元を異にする」ものになってしまうのも分かります。鈴木朖はテニヲハは「心の聲」だと言い、「詞は玉の如く、テニヲハは緒のごとし」あるいは「詞は器物の如くテニヲハは其を使ひ動かす手の如し」と述べていました（「言語四種論」）。</p><p>　こういう江戸期の国語学者の言語観を、言語道具説的な人間不在の言語観から人間を取り戻そうとする際の拠り所を見いだした時枝が高く評価し、その詞・辞論を継承したことはよく理解できます。しかし、比喩は比喩であり、具体的な表現としての言語はつねに時枝のいう詞と辞との、三浦つとむのいう主体的表現と客体的表現との二重性として表出されるほかはないものです。<br><br>　白黒のグラデーションで連続して移って行く色相をイメージするとき、その両端を白と黒、と呼ぶのは一つの便宜、相対的な呼称にすぎません。<br><br>　「どんなに白い白も、ほんとうの白であったためしはない。一点の翳もない白の中に、目に見えぬ微小な黑がかくれていて、それは常に白の構造そのものである。白は黒を敵視せぬどころか、むしろ白は白ゆえに黒を生み、黑をはぐくむと理解される。存在のその瞬間から白はすでに黒へと生き始めているの・・・（中略）・・・白の死ぬときは一瞬だ。その一瞬に白は跡形もなく霧消し、全い黑が立ち現れる。だが―<br>どんなに黒い黑も、ほんとうの黑であったためしはない。一点の輝きもない黒の中に目に見えぬ微少な白は遺伝子のようにかくれていて、それは常に黒の構造そのものである。存在のその瞬間から黑はすでに白へと生き始めている・・・」（谷川俊太郎「灰についての私見」.詩集『定義』1981年思潮社）<br><br>　たしかに日本語では名詞、形容詞、動詞などのように指示ずる対象をもつ詞と、そうした対象を持たず従って素材の概念化の段階を経ずに主体の意識を直接表現する辞とがいわゆる品詞として区別されるような別の系列の語で表現され、いわば空間的に分離されたものを統一するところに具体的な言語表現が成り立つ、というところが絵画表現などとの違いなのですが、この分離は絶対的なものではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>　詞として一番極端な指示性をもつ名詞を考えてみれば、「私」「わたし」「僕」「ぼく」「俺」「オレ」「おれさま」「自分」「うち」「わて」等々、私を素材化し、指示した表現は色々ありますが、指示する対象はこの私の概念的な意味でしょうが、それぞれの語感が与える概念的な「わたし」の像は異なるでしょう。表現する主体にとって、「私」と「俺」とでは、指示性としてはこの「わたし」の概念的な意味あるいは像ですが、このいずれを選ぶかは、相手に対して自分の関係をどうとらえ、どのようにその指示性を表現するかという主体の態度、意識のありようによって違ってくるでしょう。</p><p>　話し言葉で考えればわかりやすいけれど、同じ「火事」という言葉でも、たんたんと「火事」という場合と、せっぱつまった感じで「火事」と叫ぶのとでは、「表現としての言語」としては異なると考えるべきでしょう。指示性において、それは火事という同一のものを指すでしょうが、それを表現する主体の意識には大きな違いがあり、こうした名詞のような「詞」といえども、その表現において主体の意識は直接に表現されている、と考えるべきだと思います。<br><br>　そこに「私」「俺」「僕」などといった、これらの異なる言葉の三浦つとむ流に言えば「主体的表現」の違い、時枝流に言えば、主体の意識の表現としての違いがあります。時枝のいう「意味」という対象の指示性の面だけ見ていると、みんな同じ私という「素材」を指示する、同じ意味の言葉ではないか、と考えられるかもしれませんが、これらの言葉のどれを選択するかは、表現としては重要な違いであり、「主体の意識」の異なる表現であると言えましょう。そこに、こうした「詞」としての名詞であっても、「辞」としての面を持っていること、谷川俊太郎流に言えば、「一点の翳もない白の中に、目に見えぬ微少な黑がかくれていて、それは常に白の構造そのものである」のです。<br><br>　同様に、「辞」の一番極端な、指示性を全く持たず、もっぽら主体の意識を直接表現する言葉であるかのようにみえる助詞・助動詞を例にとってみても、たとえば「だ」「ある」「です」のような指定の助動詞は、たしかに何も具体的な指示対象をもっていないように見えます。これらの言葉だけで何か具体的な像を思い浮かべることはできません。</p><p>　しかし、「詞」にあたる別の言葉につくことによって、これらの言葉は、みずからが就く「詞」の意味を強めたり、ある距離を置いてとらえたり、敬語のような受け手を意識して丁寧なやわらかい印象をあたえたり、といった形で、それ自体は主体の意識のありようを直接表現しているのではあるけれど、対象（時枝の云う「素材」）の意味、つまり指示性を強めたり、やわらげたりする言葉だとも言えます。</p><p>　指示対象を自らのうちに持つわけではないけれど、みずからの前に置かれる「詞」の意味への指示性に働きかける志向性を孕んだことばとして「辞」にも、ちょうど白に見える色の中に「目に見えぬ微少な黑が隠れている」ように、指示性が潜んでいるというべきでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　その点は感嘆詞のように同じ「辞」でも、明示はされていなくても、指示対象が明らかに想定できる言葉のほうが理解しやすいでしょう。例えば「ああ！」という感嘆詞は、何かに心を動かされた、その意識のありようを対象を表現せずに、直接表現する言葉で、「辞」の一種と考えられていますが、その感嘆の対象が何であるにせよ、確かにあって、この言葉の指示性がその対象を志向していることは明らかでしょう。<br><br>　誰かが何か言うのに対して、それを肯定して「・・・ですね」「・・・だね」などという場合、これらの言葉自体は何も指示する対象を持たないように見え、肯定し、断定する主体の判断を直接表現しているだけに見えますが、実際には省略されている相手の言葉をこれらの言葉自体が志向し、潜在的に指示していると考えるべきではないでしょうか。<br><br>　もう一つ、以前にちょっとだけ触れましたが、韻律の問題があります。吉本さんは現在までの日本語文の表現において価値を生み出している源泉というのは、韻律、選択、転換、喩の四つで尽くされると述べています。選択、転換についてはこれまでも述べて来たし、喩についても理解しやすいのですが、韻律について、吉本さんは「有節音声が現実的対象への指示性の方向に抽出された共通性をかんがえれば言語の韻律の概念をみちびけるような気がする」（『言語にとって美とはなにか』p51）とし、言語が基底のほうに非言語時代の感覚的母斑として持っているものだ、と考えて、「言語の韻律は、指示表出以前の指示表出をはらんでいる」（前掲書p51)と述べています。<br><br>　時枝も三浦つとむも、韻律は意味のような機能と直越かかわりがないと考えていますが、吉本さんの考えでは「指示表出以前の指示表出」として、潜在的な指示性をもち、従って意味を強めたりやわらげたり、といった働きをするものと考えられています。それを具体的に展開すると、短歌や俳句の定型にみる韻律つまり音数律が、短歌で謳われる意味内容を強めたりやわらげたりする作用をするものと理解されることになります。短歌の意味内容を散文に書き直してみれば、どれも実に他愛ない内容なのに、なぜそれが例えば三十一音の短歌の定型として生成されると感動を与える表現になるのか、という疑問に対する解がそこにある、ということになります。<br><br>　韻律の問題等々は、いずれ『言語にとって美とはなにか』と直接とりあげて論じる機会があれば（そんな時間が私に残されているとはとうてい思えませんが・・・笑）、そこで詳細に論じるべきものですから、ここでは詞辞論との関係で、一見、指示性や意味とは無関係にみえる韻律が、「指示表出以前の指示表出」として潜在的な指示性をはらんでいて、時枝によって指示性をもたず「詞」とは次元の異なるものと位置づけられた「辞」とされる言葉もまた、そうした潜在的な指示性をはらんでいる、と考えることが出来るのではないか、ということだけを指摘しておくにとどめます。</p><p>　こうした理解によって、時枝の反発する「詞辞連続説」、吉本さんのグラデーションをなす自己表出と指示表出のいずれにアクセントを置くかという相対的な品詞論が、ごく自然な考え方として理解できるのではないでしょうか。<br><br>　詞辞論への寄り道はここで終えて、次回は時枝と吉本さんを結ぶ間に位置する三浦つとむの日本語論をとりあげてみましょう。<br><br><br>[追記（2023-4-21]</p><p>　</p><p>&nbsp; 昨日、竹岡正夫著『富士谷成章の学説に関する研究』を読んでいたら、富士谷では有名な語学論のほうではなくて、歌學論（表現論）である『換玉帖』に書かれた内容の詳細な紹介があって、これが大層面白かった。<br>　言語過程論は時枝誠記さんの専売特許のように思っていましたが、富士谷の歌の「次第」についてのこの論考の内容を見ると、まさにこれ言語過程論じゃないか、と思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>　歌はまず景物など歌う対象にあたって、景情未分、主客融合の境地である「境」に入り、この「境」をかたろうと「歌思」し、「旨趣」（むねおもぶき）を得るという段階を踏むというのですね。これは時枝の言語過程論で言えば、歌のもとになる概念としての意味や概念としての像をとらえる段階で、言語というものに形象化して表現する前に必ず経なければならない心的過程としての表出段階を指していると考えることができるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　この「旨趣」を「やすからしめんとすれば、体（かた）さだまる」とされています。つまり「旨趣」の段階で得たものを具体的な言語として形象化し、表現する段階が「体（かた）」。さらにそれができれば、次にいよいよ歌の生成、「上（あげ）」という最終段階が来ます。「あげは、むね趣をえてやがてさだまるもあり、又かたをさだめて後にさだまるもあり」とされています。<br><br>　富士谷の「換玉帖」では、ひとつひとつの段階について詳述され、詩（漢詩）と歌（和歌）の両方について、例を挙げて説明されているようで、それも竹岡氏の前掲書で詳しく紹介されていて、これを読めば大体富士谷の学説は理解できそうです。まだ最初の総論的な所を読んだだけですが、これはまさに言語過程論だな、と思いました。</p><p><br>　時枝さんは国語学史を書いて鈴木朖を発見し、その詞辞論を高く評価して、自身の詞辞論のもとにしたけれど、むしろ時枝さんが私などの関心をもつ文学理論に対して果たした大きな役割というのは、表現論や文学論にまっすぐつなげることのできる表現としての言語という観点で一貫して、言語を心的過程としてとらえた言語過程論にこそその核心があったと思うので、（彼自身は詞辞論と切り離せないと考えていたけれど）鈴木朖のテニヲハ論よりも、むしろ富士谷成章の旨趣論（言語過程論）をこそ最大限に評価して言及すべきだったんじゃないか、という気がしました。江戸時代の国学者ってのはすごいことをやっているんだな、といまさらのように思っているところです。</p><p>&nbsp;<br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12798539651.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Apr 2023 19:17:56 +0900</pubDate>
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<title>「自己表出」とは何か～言語（美）学からのアプローチ　  その３　時枝誠記・言語過程説の継承と修正</title>
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<![CDATA[ <p>「自己表出」とは何か～言語（美）学からのアプローチ　</p><p>その３　時枝誠記・言語過程説の継承と修正</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　前回確認した時枝誠記の言語過程説を吉本さんが正面からとりあげて論じたのは、たぶん「言語の美学とは何か～時枝美論への一注意」（昭和35年３月１日『理想』第322号掲載。1969年版の『吉本隆明全著作集』４所収）が最初ではないかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　これは昭和12年６月１日の日付をもつ時枝誠記の『言語過程に於ける美的形式について―言語美学の対象と方法―」（『文学』5の11、6の1, 1937-8掲載　註*）を論じたもので、吉本さんは、「ここで時枝が提出した言語過程の構造形式は、言語過程全体のなかに言語美学の成立条件をみようとする点で、画期的な意義をもつ」ものと高く評価しつつ、そこに含まれる問題点を指摘して、その修正を試み、翌年９月20日づけで発行される『試行』創刊号から連載する自身の「言語にとって美とはなにか」の言語観に直接つながる言語過程の分析を時枝の言語過程論の延長上に、修正・拡張する形で展開したものです。</p><p>&nbsp;</p><p>　時枝は彼のこの論文のモチーフを「言語の聴き手が、言語に対して持つ美的評価の事実、又かかる美的評価を喚起する根拠となる言語の過程的構造の条件、そしてかかる構造を規定する話し手の美的規範の意識が何であるか」を解き明かすことだとしています。</p><p>&nbsp;</p><p>　時枝は、「おめでた」（結婚妊娠出産）、「さわり」（月経）、「いたずら」（不行跡）などの例を挙げて、人はこれらの語がどんな事実か知っているにもかかわらず、この種の語を通しては何ら不快も羞恥も醜悪も感ずることがないのはなぜか、と問い、「これは、明らかに美醜快不快の根拠が言語の表出する素材には存しないことを語るもの」だとし、言語に対する美的鑑賞は、「言語過程自体を対象として行われる」のでり、もし言語美学が成立するなら、このような「言語過程全体を対象として発動する美的評価の事実の考察」でなければならないし、「かくの如き美的評価の根拠となる言語の過程的構造の種々なる形式条件の探究」こそが必要であって、さらに根本に遡るなら「かくの如き家庭的構造を規定する話者の美的規範の意識の探究でなければならない」としています。</p><p>&nbsp;</p><p>　こうした時枝の考えは、それまでプロレタリア文学を検討する過程で、まさに時枝が否定的にいう「言語の表出する素材」に、あるいは作品の主題に作品評価の根拠（時枝のいう「美醜快不快の根拠」）を置くいわゆるマルクス主義系の文学観やその派生物である「政治と文学」といった不毛な議論から離脱して、言語にとって美とは何かという問いに本質的に答えることができる文学表現の普遍的な理論を構築しようとしていた吉本さんの動機づけに重なるものであって、その要請に応えることのできる理論だったと言えるでしょう。</p><p>　</p><p>　時枝は「言語美学の対象は何処に求むべきか」と自問し、「言語美学は、言語を対象とする美的評価に就いての学であり、言語の美を対象とする学であり、言語に移入された感情、生命の学であるとするならば、その対象の領域は、何よりも先ず対象としての言語になければならない。対象としての言語とは、過程的構造を持った言語それ自体である。」と自答して、その過程的構造がいかなるものかを論じていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>　こうして時枝が抽出する「言語過程の構造形式」とは、例えば次の図で示されるようなものです。これは「言語過程の中、その形式の著しいものを摘出したのみで、更に考察するならば幾多の型を発見することが出来るであろう。」としています。また、これは「語の形式美を分析抽出したのであって、これを文全体に関聯させて考えるならば、問題は又別になるであろう。」と断わっています。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230407/18/saysei-ryumeiron/25/fe/j/o0546070615266760406.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="323" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230407/18/saysei-ryumeiron/25/fe/j/o0546070615266760406.jpg" width="250"></a></p><p>　すでに前回、時枝の言語過程論を確認しているので、こうした模式図で言語過程をイメージすることは容易に理解できますが、要になるのは、ｂの「概念的把握」の段階でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　これは、言語による表現が音楽や美術など他の様々な表現と決定的に異なるのは、「表出の過程に於いて見る時、音楽が感情情緒の直接的な表現であるに対して、言語は既に述べたごとく、感情情緒の概念化を通しての音表出である」という言語の本質観を反映した模式図です。</p><p>&nbsp;</p><p>　たとえば、「『悲し』と云う語の表出は、自我の活動である感情の直接的な表現ではなくして、かかる感情が一旦自我の外に置かれ、客観化され、そして概念的に把握されて表出されたものだからである。從って、『悲し』と云う語は、概念或は表象を喚起し得ても、感情それ自身を誘発することは出来ない。」と時枝は書いています。</p><p>&nbsp;</p><p>　この「從って」以下の最後の部分については、吉本さんはそんなことはないだろう、概念や表象を喚起するだけじゃなく、感情それ自身も誘発するぜ、と述べて、これから確認するように、概念的な把握に際しては、具体的な事物の概念的な形象はイメージとして残るのであって、たとえば「恋人」という言葉は形象的なイメージを喚起するだろうし、そのイメージがある感情を呼び起こすだろう、としています。それはそのとおりだと思います</p><p>&nbsp;</p><p>　それはさておき、それまでの部分、言語が概念的な把握という段階を経て表出にいたる過程だとするところは、『國語學原論』における次のような記述に対応しています。</p><p>&nbsp;</p><p>「表現素材ある具體的事物は、概念過程を經てこゝに一般化せられ、更に發音行爲に移された時、音聲は全く思想内容と離れて外部に表出される。」（『國語學原論』p88）</p><p>&nbsp;</p><p>「言語が、特定個物を、一般化して表現する過程であるといふことは、言語の本質的な性格である。」（同前）</p><p>&nbsp;</p><p>　さて上図の言語過程の構造形式について時枝の説明を簡単に見ておきます。</p><p>&nbsp;</p><p>　「<b style="font-weight:bold;">直線型</b>」とは、「例えば、具体的な一本の桜を、『桜』と概念し、『サクラ』と音声的表出をなし、『さくら』或は『桜』と文字記載する様な過程」であり、「直線的であり、未だ美的形式とは云えないかも知れないが、若し直線が平明簡素な美の条件となり得るならば、この過程も亦美的形式と認めてよいであろう」としています。</p><p>&nbsp;</p><p>　「<b style="font-weight:bold;">曲線型</b>」とは、「例えば、『死ぬ』と云う事実を、『なくなる』『かくれる』と概念して表出する場合」であり、「表出されるものを、それが直接的に判断される概念よりも、更に広い概念に於いて把握し、而も当初の事実を表出しようとする」ものであり、「かかる表出は、事物の直接的な露骨な表出を避けようとする処にある」としています。</p><p>&nbsp;</p><p>　なお、このような言語過程は、「話し手に於いて美的規範の意識があり、聴き手に於いて、かかる言語過程を快不快の対象と考える限り曲線型としての意味があるのであるが、この過程は、次第に直線型に移行する傾向があり、美的意識は絶えず新しい効果多き曲線型を想像することを余儀なくされる」とされています。</p><p>&nbsp;</p><p>　「<b style="font-weight:bold;">屈折型</b>」とは、例えば信長が若き秀吉を「猿！」と呼んだような場合を考えればよく、「聴き手が概念を通して予想外な対象に到達する過程、又話し手に於いては、対象を奇抜な概念に於いて把握して表出する過程を屈折型と呼ぶこととする」とされています。</p><p>&nbsp;</p><p>　川柳の「義貞の勢はあさりをふみつぶし」を文学における屈折型だと言い、「源左衛門、義貞に関する我々の聯想の常軌を遮断して、意想外な観念と結合させた処に滑稽がある」として、こうした屈折型の例が川柳には多数見られると述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>　そして、「屈折型の成立するのは、具体的事物の、聯想による概念的把捉によるのであるが、この屈折の強度により、それが与える感情は種々様々である。そして又屈折による印象も、最初は効果的であるが、これが曲線型と同様に直線型に移行する。」と言い、「夜のとばり」「小川のささやき」「愛の結晶」などの語が類型的と感じられるのは、それらが直線型に移行しつつあるから」だと述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>　「<b style="font-weight:bold;">倒錯型</b>」は、「『君は馬鹿だ』と云う代り『君は利口だ』と云う類であって、この場合、『馬鹿』をその反対概念に於いて把捉し、而も『馬鹿』の意味を表そうとする」ものだとしています。</p><p>&nbsp;</p><p>　源氏物語（若菜上）で女三宮が教養に欠ける所があるのを言うのに「（朱雀院は）をかしき筋なまめき故々しき方は人に勝り給へるを、などてかく<b><u>おいらか</u></b>に生ふし立て給ひけむ」（朱雀院は芸術的な趣味の豊かな方としてすぐれておいでになりながら、どうして御愛子をこう凡庸に思われるまでの女にお育てになったか）と表現している例を挙げています。</p><p>&nbsp;</p><p>この「おいらか」は、普通は、宣長が言うように（玉の小櫛）「尋常に、おほやうに、おとなしき意である」けれど、この例では「善意の意味を表出したものではなく、批難の意を含めて居る」ということです。たしかに、朱雀院の親としての女三宮への教育がなっていないと言っているところですから。</p><p>&nbsp;</p><p>　さて、時枝のこの論考を承けて、吉本さんはまずそこに二つの問題がある、と疑問を呈しています。</p><p>　第一は「ある対象を概念として把握し、それが客観化されることは、すべての表現に共通のもので、あえて言語表現にかぎらないのではないか」ということ。</p><p>&nbsp;</p><p>　第二に、「なるほど悲し、嬉し、楽し、などの言語は、直接に対象である具体的な精神状態を喚起しないかもしれないが、「恋人」とか「石」とかいう言語は、あきらかに直接に具体的な対象の形象的イメージを喚起するではないか」ということです。後者については先に述べた通りです。</p><p>&nbsp;</p><p>　第一の疑問については、吉本さん言う通り、絵を描いたり作曲したりする場合にも、まず「ある対象を概念として把握し、それが客観化される」過程を伴うと言えるでしょう。</p><p>&nbsp; &nbsp;言語表現の場合は、その概念として把握したものをたとえば「犬」という言葉で表出するとき、たとえ表現者が心のうちで自分の飼っている犬という特定の具体的な形象を思い浮かべていたとしても、表現においては「いぬ」あるいは「犬」などといった、受け取る人によってさまざまな異なる特定の犬を思い浮かべることができるような、普遍的な表現として表出する以外にありません。そこが言語と他のあらゆる表現芸術との違いでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんはこの概念化の過程について、さらに時枝理論を修正して、「具体的な事物を対象にして、概念的な把握がおこなわれるばあい、概念的な把握によって具体的な事物の概念的な形象はイメージとして残存し、けっして消滅しない」と指摘しています。ここが一つの大きなポイントです。</p><p>&nbsp;</p><p>　たしかに概念化によって表出は特定の具体的な形象を指定できなくなり、「いぬ」なら「いぬ」という普遍的な概念として表出されることになるけれど、それでもこの「いぬ」という表出は、具体的な特定の犬を指定はせずに様々な無数の犬と結びつき得るけれども、吉本さんが言うように「具体的な事物（イヌ）の概念的な形象はイージとして」喚起するわけですから、この表出にはそうした「事物の概念的な形象がイメージとして残存」していると言っていいでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここでそうした個々の受け取り手が勝手に思い浮かべる特定の犬の形象ではなく、それを呼び起こす言語自体の概念的なありようを表現するとすれば、それは現象学でいう本質直観でとらえられる「イヌ」というものの概念的な形象にほかならないでしょう。メルロ＝ポンティが『眼と精神』で書いていた本質直観の説明にこんな言葉がありました。</p><p>&nbsp;</p><p align="left">　「本質を直観しようとするなら、一つの具体的経験を考察し、それを頭の中で変容させ、それがあらゆる連関のもとで実際にどのように変容するかを想像することに努めればよいのであって、この変化を通じてそこに不変なままに止まるものがあれば、それこそが当該現象の本質をなすものなのです。・・・（中略）・・・</p><p align="left">&nbsp; &nbsp;たとえばこの電球のような或る空間形態の知覚を参照し、この空間形態に含まれているすべての連関を想像のなかで変容させてみればよいわけです。そして、その対象そのものが消え去らない限り変容されないものがあれば、それがその対象の本質です。メロディというものの理念を形成する場合をとってみましょう。どこかで聴いたことのある歌を思い出し、そのすべての音符が変わり、音符相互の関係もすべて変わったと想定します。そこに変わらないままに止まり、それがなければもはやメロディというものもありえないといったものが残るでしょうが、それがメロディの本質です。」（メルロ＝ポンティ『眼と精神』滝浦静雄・木田元訳。みずす書房）</p><p align="left">&nbsp;</p><p>　言語によって示される普遍的な犬の像というのはこうしたもので、これを聴いたり読んだりする受け手の側はそこから自分なりの特定の犬の形象を思い浮かべて理解することでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　この「概念的な把握によって具体的な事物の概念的な形象がイメージとして残存する」という視点から、吉本さんは時枝の描いた言語過程図のｂ「概念的把握」が、「意味概念と像概念との二重性において存在しなければならない」と指摘しています。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここで「意味概念」とは、たとえば「イヌ」ならば、四つ脚の哺乳動物で人類の古き友であり嗅覚が発達し…といった犬という動物を共通に（普遍的に）指示する情報を、情報をコンパクトに収めたDNAのらせん状連鎖を幾重にも折りたたんで詰め込んだものを思い浮かべればよいでしょう。</p><p>　</p><p>　また、「像概念」とは、私たちが「イヌ」という言葉を聞いたり、「犬」とか書かれた文字を見て、ふつうに思い浮かべる、それぞれの犬のイメージだと考えればよいでしょう。表現のレベルでの共通の（普遍的な）位相でとらえるなら、メルロ＝ポンティのいう本質直観でとらえられるイヌの像と言ってもいいでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　概念化の過程には実はこの二重性が伴い、表象段階の対象が、この概念化で意味概念と像概念に二重化し、しかもこの両者の間には一義的な関係がない、というのが吉本さんの指摘です。</p><p>&nbsp;</p><p>　少し先走って言えば、ここから、言語表現の過程に立ち入ってみると、「イヌ」と表現するとき、この言葉は単独では、上で引用したメルロ＝ポンティの言うような本質直観としてのイヌの像は表出できても、表出者が頭の中で思い浮かべている特定の犬の像をそれだけで表現することはできず、読者にも伝えることはできません。読者はイヌという言葉を聴けばそれぞれ勝手な異なる犬の像を思い浮かべるだけでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　しかし、表現者が自分の頭に思い描く特定の具体的な犬の概念的な像を表現して読者に伝えたいと思えば、この言葉をそれが可能となるような文脈の中に置いたり、この「犬」という言葉自体をほかの言葉（例えば「わたしたち人類の最も古い忠実な友」だとか）に置き換えて表現するでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　つまり、対象が意味概念と像概念とに二重化し、しかも両者の間に一義的な結びつきがなく、恣意性に委ねられているからこそ、これを表現者が結び付けたい意味概念と像概念の統一体としての言語として表現するためには、無数の選択肢からそれを実現するに最適の言語（像概念）を選び、強調したり、配列・組み合わせに工夫したり、その転換の仕方、他の言葉への関連付けの方法等々を工夫しなければなりません。</p><p>&nbsp;</p><p>　つまり、それが表現された言語の美学の問題として、のちに『言語にとって美とはなにか』で抽出される、韻律・選択・転換・喩と呼ばれるものになるわけです。同書で吉本さんは「この言語表現のうちで抽出される共通の基盤は、表現としての韻律・選択・転換・喩に分類すれば現在までの言語の表現のすべての段階をつくすことができる」（『定本言語にとって美とはなにか』p114,角川選書1990）としています。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここで取り上げている論考においては、まだ韻律・選択・転換・喩といった抽出はなされておらず、韻律はなお問題にされておらず、選択はそのまま取り上げられ、転換については、もうひとつの構造形式として吉本さんが追加した「主体の転換」として論じられ、「喩」に関しては、時枝の言語過程の構造形式を修正する形で、概念把握における「概念的な意味との連合」や「概念的な像との連合」という形でとらえられています。</p><p>&nbsp;</p><p>　この「喩」についての考え方は、ここで吉本さんが意味概念と像概念の二重性について述べたことの延長上で『言語にとって美とはなにか』においては「意味喩」と「像喩」という概念として結実することになり、具体的な作家の文章を解析していくときの武器になるものです。</p><p>&nbsp;</p><p>　これまで、「直喩」だとか「換喩」だとか「隠喩」だとか様々に分類されてきた喩について、それらの分類が本質的なものではないとして、吉本さんは上記のような言語過程を本質とする言語論を踏まえて、「意味喩」と「像喩」の本質的な区別によって具体的な作家の文章の特質を言い当てていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>　少し先走りましたが、ここで時枝の言語過程の構造形式を修正して、吉本さんが前掲論文で提示する構造形式は次のようなものです。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230407/18/saysei-ryumeiron/d1/0a/j/o0789063715266763905.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="259" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230407/18/saysei-ryumeiron/d1/0a/j/o0789063715266763905.jpg" width="320"></a>　<img alt="" contenteditable="inherit" height="338" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230407/18/saysei-ryumeiron/4c/8f/j/o0826084515266763695.jpg" width="330"></p><p>&nbsp;</p><p>1.&nbsp;「<b>基本型</b>」は、「対象であるaがそのまま概念的な意味と像把握から、そのままのかたちで表現の意味と像とをあたえるばあいをさしている」とされています。これは説明を要しないでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>2.&nbsp;「<b>意味連合型</b>」は、「具体的な対象を概念的に把握したばあい、その概念的な意味把握の面において、それに対応する概念的な意味が連合され、それが表現になってあらわれれるものをさしている」とされ、次のような表現例が引かれています。</p><p>&nbsp;</p><p>「<u>僕ら、村の人間たちは</u>＜町＞で汚い<u>動物のように嫌がられて</u>いたのだし、僕らにとって狭い谷間を見下す斜面にかたまっている小さな集落に<u>あらゆる日常がすっぽりつまっていたのだ</u>。」（大江健三郎「飼育」）</p><p>&nbsp;</p><p>　この例文では、「僕ら村の人間たち」という対象が作者の主体から村の人間という概念的な意味把握を受け、それは概念的な像把握を伴いますが、このとき「汚い動物」という概念的な意味が像をともなって村の人間の意味概念と連合することによって、「僕ら村の人間たちは＜町＞で汚い動物のように嫌がられていたのだし」という表現になって現れます。</p><p>この「汚い動物」が「汚い豚」のように更に関係概念をせばめたものであれば意味連合とならず、次に述べる感覚聯合になるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　また「あらゆる日常がすっぱりつまっていたのだ」という表現は、「あらゆる日常生活が絶えまなくその中で行われていた」というほどの意味ですが、吉本さんは、日常性に対する作者の概念的な意味把握が、「つまる」という概念の意味と連合して、このような表現を成立させている、と理解できるとしています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;「日常」と「つまる」とが意味連合をはたすことができるのは、「日常」というもの（の概念的意味）が、無数の様々な可能性のうちのひとつの関係（ここでは「つまる」という）を選ぶことによって特定の概念的意味を与えることができるからで、それが言語表現の意味となって現れるからだ、というのが吉本さんの説明です。</p><p>&nbsp;</p><p>　従って、この例文の表現における美の問題は、「言語過程の中にある意味連合の転換そのもののなかにある」ことになり、次の感覚連合型のような、「表現の意味と感覚的な形象との複雑な転換や統一のなかにあるのではない」ことは明らかだとしています。</p><p>&nbsp;</p><p>3.&nbsp;「<b>感覚連合型</b>」は、作者の対象に対する概念的な像把握が別の概念的な像と結びつけられる（連合する）ことによって成立する表現で、次のような例文が引かれています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; 「僕も弟も、硬い表皮と厚い果肉にしっかりと包みこまれた小さな種子、柔かく水みずしく、外光にあたるだけでひりひり慄えながら剥がれてしまう甘皮のこびりついた青い種子なのだった。」（大江健三郎「飼育」）</p><p>&nbsp;</p><p>　ここでは「僕」または「弟」に対する作者の概念的な像把握が、まだ幼い硬い種子に対する概念的な像と連合することによって表現が成立しています。</p><p>　そうした連合をはたし得る概念的な像は無数にあるわけで、ここではその中から幼く硬い種子という概念的な像を選んだところに作者独特の意味把握が表現され、幼く硬い種子の感覚的な像との連合が表現価値（言語にとっての「美」）を生み出しているということになるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　吉本さんはここまでの三つのタイプを挙げたところで、「時枝の構造形式のうち、曲線型、屈折型、倒錯型は「いずれも意味連合型、または感覚連合型に包括される」と言い、時枝が「美的意識は絶えず新しい効果多き曲線型を創造することを余儀なくされる」と書いているのは、「言語において感覚連合や意味連合がつねに無数の可能性をはらんでいるため、たえずあたらしい連合の方法がもとめられるということにほかならない」と述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>　そして、ここまでに示してきた三つの言語過程の形式によって、「散文による文学的な表現の美的なもんだいは、すべてすくいあげることができる。」と断言しています。</p><p>&nbsp;</p><p>　それにもかかわらず、「1920年代以後の文學のなかで、絵画における色、音楽における音程のような、もともと概念的な表現ではありえても、言語のように概念の関係把握である「意味」をもちえない表現分野とおなじように、言語表現をつかってみたいという実験と欲求があらわれた」として、次のような追加的な構造形式を示しています。</p><p>&nbsp;</p><p>4.&nbsp;「<b>概念移行型</b>」というのがその一つで、「これは、いわば、概念的な意味把握と像把握を言語表現によって記述したいという欲求」であり、「音声にしろ文字にしろ、いったん言語表現となったばあい、「意味」と統一的にしか像表現は成立しない」し、「あるひとつの関係把握と不可分の形でしか形象的イメージは表現されない」にも関わらず、「概念的な把握の段階では、意味概念と像概念とは無数の可能性をもって存在している」ため、「概念段階にある無数の可能性を、そのまま言語表現によって記述したばあいには、その表現は言語表現の特質に規定されながら、しかも概念段階に於ける豊富な可能性をもちうるのではないかという欲求が当然おこらねばならない」として、このような方法による作品創造を果たしている唯一の作家として島尾敏雄を挙げ、次のような例文を引いています。</p><p>　</p><p>&nbsp; 「やがて私はその家を出てゐた。口の中は歯がぼろぼろにかけてしまってゐた。手で</p><p>いくらつまみ出しても、口の中には歯の粉砕された<u>粉がセメントの様に</u>残った。私は</p><p><u>自分の口をまるでばったかきりぎりすの口のやうに感じてゐた</u>。」（島尾敏雄「夢の中</p><p>での日常」）</p><p>&nbsp;</p><p>　一読すると、さきの意味連合や感覚連合と変わらなくみえるけれど、少し注意すると、</p><p>これが現実的な「意味」としては不可能なことを可能なように表現していることがわ</p><p>かる、と吉本さんは言います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;「手でいくらつまみ出しても、口の中には歯の粉砕された粉がセメントの様に残っ</p><p>た」という表現は事実をそのまま記述しているような印象を与えるけれど、現実的に</p><p>はありえないことだとわかります。これは、吉本さんによれば、概念的な意味と像把</p><p>握を、そのまま記述しているためにおこる印象です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;「私は自分の口をまるでばったかきりぎりすの口のやうに感じてゐた」という表現</p><p>も、さきの感覚連合のように、自分の口の像をばったやきりぎりすの口の像と連合さ</p><p>せた表現とは受け取れず、自分の口がばったやきりぎりすの口になってしまったと</p><p>いう感覚をあたえる表現になっているでしょう、というわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>　このように「現実的には不可能な変身が、妙に生々しい感覚をあたえるのは、作者</p><p>が概念的な像把握の段階でじぶんの口をばったやきりぎりすの口にしてしまい、それ</p><p>を言語表現によって記述しているから」だというのです。吉本さんは、フランツ・カ</p><p>フカの小説が、しばしばこの方法を用いていると指摘していて、なるほどと納得させ</p><p>られます。</p><p>&nbsp;</p><p>5.&nbsp;&nbsp;「<b>主体転換型</b>」というのが最後に来ていますが、これは表現における作者主体の転換を重ねるところに、言語過程に美的な感覚を与える根拠を置く表現で、そうした主体転換を伴うかたちで、概念的な像の感覚的な転換が表現される形式です。例として次のような文章が引かれています。</p><p>&nbsp;</p><p>　「いいか、ここにあるものはなんでも持っていけ、アメ野郎にとられるよりは、みんな持っていけ、とわめく魚雷班兵曹のくしゃくしゃになった顔を踏みつけるように、突如ザッザッと銃剣をつけた水兵たちの一隊があらわれて何処にいくのか、軍需部の岸壁を速足で行進していき、なんだあいつら、戦争に負けたというのに、と鹿島明彦の背後で酔いつぶれていた兵曹がひどく血走った眼をあげて呟いた。（井上光晴「虚構のクレーン」）</p><p>&nbsp;</p><p>　主体転換とは、まず「いいか、ここにあるものはなんでも持っていけ、アメ野郎にとられるよりは、みんな持っていけ」とわめく魚雷班兵曹に作者が移行し、次に、突然作者主体にかえって銃剣をつけた水兵の一隊の行進を描写し、また突然「なんだあいつら、戦争に負けたというのに」とつぶやく兵曹に移行し、最後の「ひどく血走った眼をあげて呟いた」という表現で、その兵曹を対象に転化して、作者主体にたちかえって描写したうえで、この文章が終わる、という、数多く重層化された作者主体の転換を指してします。</p><p>&nbsp;</p><p>　これに伴って、二人の兵曹がわめいたり、つぶやいたりする言葉や、ザッザッという</p><p>靴音をあらわす副詞が、聴覚的な概念像をともなう表現として使われ、また「軍需部</p><p>の岸壁を速足で行進していき」とういのは視覚的な概念像を伴う表現であって、こう</p><p>した感覚的な転換がこの文章における言語の美を生み出していることが分かります。</p><p>&nbsp;</p><p>　こうして全部で五つの言語過程の構造形式を挙げたのち、吉本さんは、「文学作品にあらわれる言語過程の美学的な構造形式は、基本的には、いままであげてきた五つの形式をもってつくすことができる」としています。（前掲全集第４巻p584）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp;ただし、これは「言語にとっての美」がどのような根拠をもって、どのように生み出されるのか、という言語美学の観点から説かれた議論であって、あくまでも文体論的な解読であり、文学作品の芸術性の評価とイコールではない、ということを、この構造式を挙げたすぐあとで吉本さんは釘を刺すようにして述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;　吉本さんは、次のような模式図を示して、実はこれまで、表現過程に重点をおいてきたために、このa→bという過程への考察をあまり行わずにいたが、「ほんとうは、対象としての具体的な事物・精神状態が、いかに概念的な意味と像の把握となるか、という問題は、きわめて重要であり複雑である。」と述べています。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20230407/18/saysei-ryumeiron/ae/a6/j/o0300094115266766782.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="313" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20230407/18/saysei-ryumeiron/ae/a6/j/o0300094115266766782.jpg" width="100"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　それはなぜかといえば、「この過程に、文学者が現実の対象といかにぶつかったかという過去と現在の精神的体験の蓄積がいやおうなく現実を反映する主体の問題としてあらわれることはうたがいないからだ。いいかえれば、如何なる社会的な現実を如何に生きてきたか、という文学者の人間的な問題が、具体的事物や精神状態を概念的に反映する主体の質の問題として、ここに存在するからだ。そして、文学者が如何に生きてきたかという問題は、概念的な把握の段階をへて表現過程のなかで自己検証されて言語表現となるのである。」としています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp;ひとつの語、或る概念ひとつとってみても、それは無数の概念的な意味や像と連合しうるし、いかようにも複雑な主体転換を成し得るにもかかわらず、その中の唯一つの関係を選択することによって具体的な表現が成り立つ、その選択、つまり図のｂ概念的意味把握、像把握はどんな根拠、どんな理由で果たされるのか、そこに「言語にとって美とはなにか」という当初の問いに対する十全な答があるはずです。</p><p>&nbsp;</p><p>　それは韻律・選択・転換・喩といった言語美学的な構造を形づくる諸要素の形式的なありようから導かれるものではなく、如何なる韻律、如何なる選択、如何なる転換がなされ、いかなる喩が使われたかと一体不可分離な、いかなる概念的意味把握、像把握がなされたか、という言葉によって指示されるもの、意味されるものの選択に根拠を持つことはあきらかです。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここでは言語美学的（文体論的）に、意味するものとしての「言葉の戯れ」をどう仔細に分析しても、上の図のa→ｂすなわち具体的な事物、具体的な精神状態から概念的意味把握、像把握への過程の根拠を見出だすことはできません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;「表現過程は、だから文体美の形成過程であるとともに、作家の精神体験が事故対象化される過程をふくみ、この自己対象化が、さらに作家の精神的体験に何かをつけ加えるのである。文学作品の芸術性とは、文体美のもんだいにまぜられた作家の精神体験の全蓄積過程をもいやおうなしに含むものであることは、あきらかである。」そう吉本さんはこの論考をしめくくっています。</p><p>&nbsp;</p><p>　以上のように、この「言語の美学とは何か―時枝美論への一注意―」という論考は、時枝誠記の言語過程論による言語美の考察に示唆を得て『言語にとって美とはなにか』を書いていく吉本さんの文学表現論の核心になるアイディアの形成過程を具体的に物語る重要な論考で、吉本さんが時枝理論の何をどう継承し、どう修正したか、その過程を具体的に見せてくれます。</p><p>&nbsp;</p><p>　まだキーワードとなる「韻律・選択・転換・喩」といった明確な概念の抽出にはいたらないものの、時枝の言語過程説に即してその言語過程の構造形式を修正する形で、内容的にはそれらの概念に結実していく考え方とその根拠が既に明確に述べられていることがよくわかります。</p><p>&nbsp;</p><p>　のちに吉本さんは、これらキーコンセプトの形成について易しい言葉で、でもちょっと誇らしげに語っています。</p><p>&nbsp;</p><p>　「われわれの言語美学的な考え方からすると、まずはじめに＜韻律＞が根底にあり、それから場面をどう選んだかという＜選択＞があり、表現対象や時間が移る＜転換＞ということがあります。そして、メタファー（暗喩）やシミリ（直喩）などの＜喩＞があるわけです。この四つは言葉の表現に美的な価値を与える根本要素になるわけです。またこの四つに尽きます。</p><p>　・・・（中略）・・・韻律、選択、転換、喩をみていけば、すべての文学表現について、よしあしがいえてしまいます。『言語にとって美とはにか』のはじめに書いていますけど、これはぼくの自慢の箇所です。文学作品の芸術としての価値は全部これで尽くせるという理論をほかにつくった人はいないわけです。われながら、ちょっとみごとなものだと思った箇所ですね。」（『詩人・評論家・作家のための言語論』p160-161, （株）メタローグ1999）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>註</p><p>&nbsp;&nbsp; * この時枝論文「言語過程に於ける美的形式」（一）（二）は戦前に書かれたもので、時枝の単行本著作にも収録されていないようだし、私が調べた限りでは、国立国会図書館のマイクロフィルムに収められた戦前の『文學』誌のバックナンバーを閲覧に行くしか読みようがないと思われました。</p><p>私が置かれた状況では今後ともそれを閲覧に行くことは不可能なので、諦めていました。ところが、こうした単行本未収録の戦前の論文まで拾ってPDFファイル化し、無料で公開してくれているウェブサイトをみつけました。</p><p>石井彰文さんとおっしゃる方のサイトで、URLは　<a href="https://sityokobunko.wixsite.com/zenki-sityo/blank-32">https://sityokobunko.wixsite.com/zenki-sityo/blank-32</a>　です。著作権の切れた、しかしとても重要な文献をこんなに手軽に誰でも読めるようにして下さって、本当にありがたいことで感謝、感謝です。</p><p>鈴木朖の「言語四種論」までアップロードしてあり、山田孝雄や橋本進吉の国文法に関する著作などもありました。ほかにも容易に手に入れ難い我が国の戦前の哲学者の著作や初期のマルクス主義者によるマルクス主義文献の翻訳などもアップロードしてあって、私のような素人にも非常に興味深いものです。三木清の全集が全部アップロードされていたり、河上肇の自叙伝があったり、清沢冽の「日本外交史」や「暗黒日記」があるのはとても嬉しく思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>to be continued ・・・</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/saysei-ryumeiron/entry-12797394773.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Apr 2023 18:46:49 +0900</pubDate>
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