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<title>猫宮沙夜の覚醒めるブログ。</title>
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<description>つらつら書くだけの簡単なお仕事。有益な情報も提供していきます。</description>
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<title>身の毛もよだつ。</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fmeasure.kuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11540842096%26ENTRY_END_DATE%3D2013%2F06%2F12"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="ゾッとしたこと"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=9592">ゾッとしたこと</a> 参加中<br>本文はここから<br><br>　よくある交通の"ヒヤリ・ハット体験"なんて可愛いものでなくて、もっと「ゾっとする」事はこの世の、日本のそこかしこに溢れているものです。<br><br>　私が20歳を過ぎた頃。とある映画や動画を通して、この世の真実を垣間見ました。<br>例えば、高甘度甘味料や保存料、食品添加物の危険性や、畜産業の動物の扱い、ペットショップ等の生体販売の闇、世界経済や金融、企業、米国の企み、日本という国、医療の抱える闇、国民の愚かさや洗脳、などなど。先日のアメーバ社員(サイバーエージェント社員)の風疹予防接種だって、私は懸念しています。アジア圏、有色人種向けのワクチンには、防腐剤に水銀が使われ、ワクチンにも40種類以上の生きたウィルスが入れられていると言われています。<br>　この世を支配・統治しようとしたり、、人工操作をし、有色人種を劣等種とみなし、白人種を残そうとしたり、特定の人種を滅ぼそうとしたり、そういった支配体制があるということ。<br>悪の秘密結社、悪の組織が存在する、という事実に、私は衝撃を受けるとともに、ゾっとした。<br>　大東亜戦争以降、日本人は病死であれ、寿命であれ、なんであれ、死ぬのではなく"殺されている"と確信した。日本は自国や世界の企業、政府に踊らされ、搾取され、いずれは滅ぼされる運命に今置かれているのだと。<br><br>　このままでは、政治家が憲法や法律を書き換え、戦争に突入してしまいますし、それが欧米の思うツボだと思うと、本当にゾっとします。
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<pubDate>Thu, 30 May 2013 04:26:31 +0900</pubDate>
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<title>眠らない身体。</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fmeasure.kuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11535618944%26ENTRY_END_DATE%3D2013%2F06%2F05"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="眠らなくても良い体になりたい？"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=9575">眠らなくても良い体になりたい？</a> 参加中<br>本文はここから<br><br>パフォーマンスが維持出来るのなら文句なし。<br>疲れて休む事は出来ても、不意に寝てしまって時間を台無しにすることもないし、睡眠時間を確保する為に時間を気にして動く事もなくなる。でもやはり、エネルギーは消費されるものだから、眠くなることはなくても、疲れてくる。そのコントロールさえ出来るようになれば、どんなことだって出来る。<br><br>夜はデスクワークをぶっ通しで出来るだろうし、それで副収入だって望める。<br>寝ずに内職や、署名活動に参加などしたっていい。室内でエネルギーを抑えつつ出来る事だったらどんなことだって自由に出来るようになる。それは私にとってはとても夢のよう。<br><br>ブログやサイト作成の為の時間だって無尽蔵に割ける。それだけ物事は早く進められるようになる。<br>強いて言うのなら、眠らない身体というよりは、疲れない身体がほしい。<br><br>でも、疲れを感じない身体って、危険なんだよね。疲れは身体にサインだから。
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<pubDate>Wed, 22 May 2013 14:58:49 +0900</pubDate>
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<title>専業主婦に憧れる？</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fmeasure.kuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11535615198%26ENTRY_END_DATE%3D2013%2F05%2F29"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="専業主婦に憧れる？"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=9555">専業主婦に憧れる？</a> 参加中<br>本文はここから<br><br>結論：現実に則してよく考えるべき。<br><br>　「専業主婦になれなそうだから結婚はナシ」というのはどういう思考か。共働きになるのは嫌だ。ただそれだけだ。共働きである程度の生活が出来るのなら良いのではないのか？共働きをしたところで生活が苦しくなりそうだ、というのなら仕方がない部分もあるだろうけれど、全くの自分本位である。要は「男に金銭という楽を求めている」に等しいのである。<br>　憧れるのは多いに結構だ。しかしそんなちっぽけで傲慢な精神が為に、生涯の伴侶を逃すのだとしたら、それはとても愚かな事だと私は思う。<br>　「お金は必要であるが、重要ではない」という言葉の通り。物質的豊かさは偽りの幸福しかない。その奥にある精神的豊かさを求める事にこそ真の幸福がある。物質的豊かさとは即ち"快楽"であって、「消費行動によって自分の欲求的"飢え"を満たしている」に過ぎないのである。欲は底なしで無限大である。だからキリがない。お金がいくらあっても足りない、という事になる。<br>　話は変わるが、専業主婦に憧れる、しかし金銭的に危ういのなら、節約生活や切り盛り、やり繰りのプロフェッショナルを目指してはどうか？自分自身に付着した余計な諸々を捨て「(いい意味で)軽い女」になる。そして彼の生活の中へと埋まる。というプランを提案する。実際問題結婚生活というのは、単なる同棲の部分と、育児生活とに二分されるものだけれど、共同生活をする上でライフスタイルを尊重したり譲りあったりする事がうまく出来ないのであれば、それはいくら専業主婦だろうが共働きだろうが結婚生活がうまく行くはずなどないのである。いくら自分や相手の収入があるからとブランドや浪費に走る恋人、というのはいずれ破綻するからである。<br><br>何においても、お金の使い道や使い方っていうのは、とっても大事ってことだね。
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<pubDate>Wed, 22 May 2013 14:43:55 +0900</pubDate>
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<title>使い古された言葉</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fmeasure.kuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11514728445%26ENTRY_END_DATE%3D2013%2F05%2F01"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="努力は必ず報われる？"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=9459">努力は必ず報われる？</a> 参加中<br>本文はここから<br><br>　「努力は報われる」というのは随分昔から使い回されてきた言葉だけれど、そもそも"努力"というのは"成功した者の言い訳"に過ぎないのであって、結果論なのである。従って、今現在当事者がしている"努力"が、本当に報われるものであるか否かは判断・認識出来ない。<br>　人生とて、同じ事。これまでの紆余曲折を振り返り、「これで良かった」とこぼす人もあれば、「まだまだだ」「やり残した事は多い」とごちる人もある。それと同じで、過去を見て初めて「あぁ、あの時のどれそれが、今の自分に結びついているのだな」と認識されて初めてそれは"努力"と認められるのであると考えられる。<br>　たとえば別に、(目の前に与えられた作業等を)一生懸命に模索し、向上しようとする様を"努力"と呼ぶのなら、私達が生きようと足掻く事こそが既に"努力"なのだが、"努力"だと認識しない(できない)人種もいる。「彼(彼女)は努力しているなぁ」「頑張っているように見えるが、無駄な努力だな」と捉え方一つで正反対の評価を貰う事もある。<br>　他人が言う"努力"と、自分が使うそれとでは、同じ言葉でも意図や意味合いが異なる、ということであるとするなら「努力は報われる」とは誰の言葉なのか？そう考えるとやはり"報われた側"の言葉であると分かる。つまり"成功者の言い訳"なのだ。<br><br>　"成功者の言い訳"を、便利に都合よく押し付けられる事ほど、苛立つものはない。<br>しかし、「"努力"していれば、いつかきっと何らかの形で報われるはずだ」と希望を持って生きる事も、救いになるのではなかろうか。ただ理性的判断力を失えばそれまでだが。
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<pubDate>Sat, 20 Apr 2013 02:43:26 +0900</pubDate>
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<title>一択。</title>
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<![CDATA[ <a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="生まれ変わったら男、女、どっちがいい？"></a>ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=9172">生まれ変わったら男、女、どっちがいい？</a> 参加中<br> 私は<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=9172">女</a>派<br><br> 女性一択。自称(女性寄り)Ｘだけど、身体的には女性の方が"中性的"だし、女性の方が好い。生理欲しい勢。<br><br>女性用トイレの列って、用を足すよりも化粧直しとかで鏡と流し台まで占拠するから長いのだと思われ。<br><br>｢男でよかった。あれ(男)と付き合ったりしなくていいから｣っていう風な故人の言葉がある。ストレートに限った言い方だけど、理解出来る部分もある。自分は(女性寄り)バイだけど、"あぁ、(悪い意味で)男っぽい"って思う人は好きじゃない。<br>女性にも"あぁ、女性らしいな(悪い意味で"って人いるから、どっちもどっちだけどね。<br><br>私は女性に戻りたい。<img class="accessLog" height="1" width="1" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11449432903%26ENTRY_END_DATE%3D2013%2F01%2F23"><br><br>
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<pubDate>Tue, 15 Jan 2013 07:30:05 +0900</pubDate>
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<title>いじめはなくならない。</title>
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<![CDATA[ <a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="いじめがでたクラスの担任は減給というワタミ会長の提案どう思う？"></a>ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=8644">いじめがでたクラスの担任は減給というワタミ会長の提案どう思う？</a> 参加中<br><br><br>まず、いじめはなくならない＝高確率で発生します。つまり、減給されない教師が後を絶たなくなる。<br>次に、なぜいじめが発生した段階で、教師が減給という形で罰せられなければならないのか。いじめを"未然に防ぐ"のは不可能なのに。それこそ減給を避けるために隠蔽が始まるだろう。<br><br>はい論破。<br><br>逆に、いじめは初めからあるものと考え、真剣に取り組み、いじめの芽を防いだり、優れた対策を発案した教師に報奨金を出すというのはどうか？<br><br>教師の労力は増えるし、報奨金の事を知ったガキが、金目当ての点数稼ぎだって揶揄するかも知れないが、やりようはあるはず。いじめ対策なんて、誰もやりたがらないからこそ、やってくれた者に報奨金を、というのが筋ではないだろうか。<img class="accessLog" height="1" width="1" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11334867183%26ENTRY_END_DATE%3D2012%2F08%2F29"><br><br>
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<pubDate>Wed, 22 Aug 2012 13:07:06 +0900</pubDate>
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<title>どっちかが悪いなんて、あるはずない。</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11312710986%26ENTRY_END_DATE%3D2012%2F08%2F08"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="いじめはいじめられる側にも問題、どう思う？"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=8580">いじめはいじめられる側にも問題、どう思う？</a> 参加中<br>本文はここから<br><br>どういう視点、どういう前提・条件で論理展開するかによって違うよね。<br>本来「いじめられる側にも問題がある」とはどういう"意図"によって作られた言葉なのか、ってこと。<br>団塊や昭和の人間が言うのは、「いじめられるのはお前が至らないからだ」って意味で使われる。<br>良いように解釈するとしたら、自分がまだ未熟で迷惑を掛けてしまったとか、働きが悪いからもっと頑張ってほしいからつい熱くなったりイライラさせてしまった、相手の期待に添えなかったから、って意味になる。"昔"はそれでよかったのかもしれない。でも今は違う。<br>"誰か"の意に沿うようにすれば「他の誰かを蔑ろにしてる」なんて要らぬ批判を受けたり、「自分にこそそれをしてもらう価値がある」なんて傲慢な人間が多いのだから、上記のように他人に対しての期待に全て答えようとしたら命がいくつあっても足りる訳がないのである。<br>今となっては、つくられた当時の意味での「いじめられる側にも問題がある」という言葉は、もう"古い"のだ。<br><br>いじめに限った事ではなく、人間が絡む全ての問題には、双方に何らかの非(もしくは理由になる条件)があったからこそ問題化したのであって、いずれか"片方に問題がなかった(注釈1)"のであれば、コミュニケーションや確認、行動に問題が生じなかった＝問題化する事も防げたはずなのだから。しかしながら、いじめというものは起こる。いじめてしまう側にもいじめられてしまう側にも、何がしかの問題があるからだ。<br>どんなことをしても、人間が不完全である限り、「いじめ」やそれに類似する現象は起こります。だから「いじめをなくそう」なんていう不可能な綺麗事なぞよりも、「起きてしまった時のケア・サポート・フォロー」を大事にするのがいい。って、これは二番煎じ臭いな。<br><br>特に子どものいじめというのは、大きく分けて、差別的で悪質なものと、子どもだから気持ちの整理が付かなくて嫉妬や羨みや慣れない感情の処理方法が分からなくて冷たくするとかあたってしまう、いじめてしまうものの二つあると思う。如何に見極めて対処するかが大事。<br>いじめた子の(ある種の)サポートと、いじめられた子のケア。どっちも必要だよね･･･と言うことは？それってどっちにも何らかの"原因"があったことになるよね･･･？さらに言えば、何かをされる事に理由があるなら、何かをする側に理由がなかったらおかしい。もしそのしている理由が分からず、される側にだけ理由を求めているとしたら筋が通らない、道理に反す、と思うのはボクだけだろうか？<br><br>究極的に言えば、いじめ"られた"側が「いじめられた」と認識しなければ、いじめなんて起きないのよ。相手の悪意を、相手がびっくりするような、尊敬してしまうような、恐れおののいてしまうような反応で返せれば、いじめなんて起きなかったかもしれないし、いじめる側が「さっきはちょっと悪いことしちゃったな」とか「自分って嫉妬してるのかなぁ」とか、"気付き"さえあればいじめはエスカレートしていかない訳で。なんて言ったらちょっとご都合かもしれないけどね。<br><br>結論：双方に何らかの言い分・理由は必ずある。どちらかが100%悪い、なんてことはない。<br><br>注釈1：片方に問題がなかった、と書くと語弊があるが、わかりやすくする為に問題のある・ないで表現しています。実際の所、問題のない(およそ完璧な)人間などいませんし、「問題が起こりうる・起きてしまった」前提で書いているので、必ず何らかの理由・事柄があることになります。
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<pubDate>Thu, 26 Jul 2012 21:54:05 +0900</pubDate>
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<title>追うとか追われるとか。</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11312658912%26ENTRY_END_DATE%3D2012%2F08%2F01"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="追われると逃げたくなる？"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=8556">追われると逃げたくなる？</a> 参加中<br>本文はここから<br><br>結論：場合(相手、態度、程度)による。<br><br>好きでもない相手から追われたら、逃げる。でも、受け止めたいと思う相手なら、受け止める。<br>というか、自分にとって逃げると受け止めるの違いがよくわからない。<br>受け止めながらそれとなく逃げたり、出来ないのかなって。<br>なんとも思ってなかったけど、追われる事をきっかけに好きになることも、嫌いになることも出来るし、受け止めようとすることでお互いに初めて見えてくる部分だってあるはず。そういう経験を大事にしたいから。だから丸投げして逃げる事はあまりしたくないし、要らぬ勘違いや踏み込み過ぎとか、やり過ぎもしたくない。んー、難しい。<br><br>その時々で、"逃げようとするか"、"受け止めようとするか"は、どちらかだけではないように感じる。だから、場合による。
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<pubDate>Thu, 26 Jul 2012 21:37:54 +0900</pubDate>
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<title>仕事そのものが辛いならやめるべき。</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11312641648%26ENTRY_END_DATE%3D2012%2F08%2F01"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="仕事が辛いと思ったことある？"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=8545">仕事が辛いと思ったことある？</a> 参加中<br>本文はここから<br><br>そもそも、仕事にやりがいや楽しみを"見出す"事が大事なのだと思うけどね。<br>どうしても見いだせないのなら、仕方のないことだと思うよ。<br>でも、人間って"苦労"したり"汗を流す"事を楽しいと思う事の出来る生き物じゃない。<br>きっと仕事そのものには何らかの楽しみややる気を見いだせるはず。<br><br>仕事が辛くなるのは、人間関係やスランプ的な自分の問題が大半。<br>自分のモチベーションが保てなくて仕事がうまく行かなくなっても、周りがフォローしてくれれば回復することだってあるし、"いい疲れ"になると思う。自分の調子いい時、周りが否定的だとモチベーションが下がる。だから、人間関係と自分のモチベーションってのはかなり重要。<br><br>ボクは、今は仕事に対するモチベーションが、人間関係によって下げられています(人の所為←)<br>給金が少なかろうが、仕事を貰えなかろうが、その仕事環境に対するイメージが良ければモチベーションだって上がるのに、人間関係も、その職場のやっている事(ビジネススタイル)も、印象があまりよくなくなってきました。<br>なので、実際の所、汗を流している間はいいけれど、実際辛かったりします。
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<pubDate>Thu, 26 Jul 2012 21:23:55 +0900</pubDate>
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<title>好きに年齢は関係ないよ。</title>
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<![CDATA[ <img width="1" height="1" class="accessLog" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fkuchikomi.ameba.jp%2Fkuchikomi%3FAMEBA_ID%3Dschuldig-katz%26ENTRY_ID%3D11270390053%26ENTRY_END_DATE%3D2012%2F06%2F06"><a href="http://kuchikomi.ameba.jp/" target="_blank"><img src="https://stat100.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif" alt="年上と年下、タイプはどっち？"></a> ブログネタ：<a href="http://kuchikomi.ameba.jp/user/listEntry.do?prId=8359">年上と年下、タイプはどっち？</a> 参加中<br>本文はここから<br><br>まず、「同年代は草食系だから対象外」ってどっから出てきた。年上か年下に限定したくて書いただけか。別に書かなくてもよかったんじゃないか･･･？<br><br>年上には年上のアピールポイントがあるし、年下には年下の魅力がある。<br>これまで好きになったのは年下ばっかりだから、タイプ的には年下なんだろうね。<br>でも、だからって「年上は対象外」なのではないし、好きになる可能性はおおいにある。<br>精神的には年上のようなタイプを望んでるから、幼さの残る年下タイプとは矛盾してるし。<br>年下なのに年上のように感じる子もいれば、年上なのに年下のように感じる子だっている。<br>だからわざわざ先に年齢で区切る事はない。一つの因子に過ぎないのだから、付き合い方の中で考えたらいいだけ。ロクに相手も知らないで「好きだけど年上だから･･･」なんていうのはちょっとおかしいと思う。「好きだし、年上だけど、～」がいいんじゃないかな？<br><br>ヾ(･ω･)ﾉ恋愛に性別も年齢も関係ないのですよ（しれっ<br><br>ほら、よく言うじゃないですか。「小さい子が好きなんじゃない。好きになった子がたまたま小さかっただけだ」って。ロ○コン的名言です（ｷﾘｯ
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<pubDate>Wed, 06 Jun 2012 12:48:44 +0900</pubDate>
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