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<title>Popoの備忘録</title>
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<title>宇宙兄弟を観て感動したこと</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Mon, 09 May 2016 13:34:16 +0900</pubDate>
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<title>他者からの攻撃への対処法</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/se12etheday/amemberentry-12158521326.html</link>
<pubDate>Mon, 09 May 2016 09:52:52 +0900</pubDate>
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<title>グリーンカード（「宇宙兄弟」より）</title>
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<![CDATA[ このごろは「宇宙兄弟」のアニメにハマっている。<br><br>直近に見た回で、グリーンカードの話があった。<br>なんでも、宇宙空間では予期せぬ事態への心構えが重要であるとかで、訓練の段階で仲間が本部の命令を受けてわざとトラブルを引き起こすらしい。その命令の内容を記載したものが「グリーンカード」。<br><br>今見ている回は、主人公が宇宙飛行士の選考試験のまっただ中で、他の受験者４人と宇宙で共同生活をしているという設定で、試験管には常時行動をカメラで監視されている。<br><br>その共同生活の最中に、密かに個々のメンバーにグリーンカードが出され、わざとトラブルを引き起こして関係が悪化している。主人公は事態に気づき、何が起こっても仲間を信じ、何事にも動じなくなっていく。<br><br>そこで思ったのが、宇宙空間に限らず、日常生活において、人から嫌がらせや不快な発言をされてストレスに感じることがあるが、それを神様がみんなにグリーンカードを出しているからだと考えたら気が楽になるのではなかろうか。腹を立てるのもばからしくなりはしないか。<br><br>いま自分はストレスやトラブルにどのように対応するか神様に見られているのだ。１つ１つ、上手く対処していくのだ。なんか頭がおかしくなったように思われそうだが、そういうふうに考えれば少し人生が好転していきそうな気がした。
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<link>https://ameblo.jp/se12etheday/entry-12152347627.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Apr 2016 04:00:51 +0900</pubDate>
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<title>幸福論を読んで</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/se12etheday/amemberentry-12152326010.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Apr 2016 00:38:07 +0900</pubDate>
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<title>嫉妬</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<link>https://ameblo.jp/se12etheday/amemberentry-12041662906.html</link>
<pubDate>Mon, 22 Jun 2015 20:00:30 +0900</pubDate>
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<title>世の中のうそ</title>
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<![CDATA[ 「世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく、『よもあらじ』など言ふも詮なければ、大方はまことしくあひしらひて、偏に信ぜず、また疑ひ嘲るべからず」（吉田兼好『徒然草』73段（２）<div><br></div><div>【現代語訳】</div><div>「世間のうそを熱心に信じているのもばかげていて、（一方で）『まさか（そんなことは）あるまい』などと言うのも仕方がないので、だいたいは本当らしく対応して、一途に信じず、また疑って嘲笑してはならない」（Ｚ会出版編集部『速読古文単語〔改訂版〕』111頁（Ｚ会）</div><div><br></div><div>Wikipediaによれば『徒然草』は鎌倉時代末期に書かれたそうだが、そんな昔にこのような「大人の対応」を提案していてちょっと感動した。</div><div><br></div><div>自分だったら、相手の主張を真っ向から否定しようとしてしまうが、それでは相手を不快にするだけで、そこにあるのは自己満足でしかない。</div><div><br></div><div>それよりも、「そんな考えもありますよね」と肯定も否定もせずに受け流すくらいがよいのかなと思ったりもした。</div>
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<link>https://ameblo.jp/se12etheday/entry-12039967306.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Jun 2015 20:00:22 +0900</pubDate>
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<title>不動心</title>
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<![CDATA[ 「心の中にあるロゴス（理性）の力でパトス（情念）をコントロールすればいいんだ」（村中和之『センター試験 倫理の点数が面白いほどとれる本』56頁（中経出版））<div><br></div><div>ギリシャ哲学のストア派のゼノンのところでの説明だ。初めてこれを読んだ時は「？？？」だった。つまりは、欲望を理性の支配下におけ、ということかな。</div><div><br></div><div>私が尊敬するプロ野球選手・イチローは、試合前の準備として全く同じメニューを繰り返していることはよく知られている。テレビか何かのインタビューで、「怠けたいと思うことはないのか？」というようなインタビュアーからの質問に対し、「もちろんあるが、それに屈しないでいたい」というような応答があった記憶がある。「屈しない」という強い言葉にその時は酔った。</div><div><br></div><div>今日は勉強しないでおこうかなとか、今日は大食いしちゃおうかなとか、ほぼ毎日のように誘惑と闘っていて、毎日やることを習慣化することでなんとか乗り切ろうとしているが、一度キレると収拾がつかなくなる。</div><div><br></div><div>中学何年生だかの年度末の職員の異動の挨拶の集会で、ある事務員さんからの贈る言葉が「平常心」だった。ゼノンのキーワードとして挙げられている「不動心」という言葉から思い出した。その当時は「平常心」と聞いても「贈る言葉にしては地味だな」ぐらいにしか思わなかったが、非常に大切なことを教えてくれていたんだなと今さらながら振り返って思う。そういえば松井秀喜も著書のタイトルが『不動心』だったな。</div><div><br></div><div>今年の課題は昨年の本田圭佑ではないが継続である。それには不動心がカギを肉体を握っているような気がする。</div>
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<link>https://ameblo.jp/se12etheday/entry-12038969138.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Jun 2015 20:00:48 +0900</pubDate>
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<title>友愛とは</title>
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<![CDATA[ 「友愛とは、相互に愛との徳を尊敬し、相手の向上を願うような関係において成立する愛のこと」（村中和之『センター試験 倫理の点数が面白いほどとれる本〔改訂版〕』51頁（中経出版）<div><br><div>「自分の快楽や有用性のための愛などというものは真の愛ではなく、真の愛（友愛・フィリア）は相手の善を願い、相互に高め合うような関係において成立する」（同53頁）</div><div><br></div><div>友愛は、古代ギリシャ哲学のアリストテレスのところで出てきた言葉。</div><div><br></div><div>一度この人は嫌いだと思ってしまうと、もうその人の悪いところしか目がいかず、「どうしてこの人はこんななんだろう」という、さも自分は正しいかのような錯覚に常に陥っている。探せば相手の良いところはもちろんあるわけで、探すことを放棄してしまっている。そんな自分は本当にひねくれているなあと思う。それもこれも、今の自分が幸せを感じていないからかもしれない。大好きだった彼女と付き合っている時は、ちょっとやそっとのことで怒らなかった気がする。寛容だった気がする。ただ一方で、当時は互いに依存し合い、先の見えないものだった。</div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">"Happiness does not lie in happiness but in the achievement of it. ーDostoevski"</span><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">「幸せは幸せにあるのではなく、幸せをつくり出すことにある。ードストエフスキー」（</span><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">中原道喜『基礎英文問題精講〔３訂版〕』16頁（旺文社））</span></div></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">もう大好きな彼女がいなくても、人生うまくいかなくても、心の持ちようで幸せになれるのだ、と理解している。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">自らの幸せを作り出し、そして相手を尊重してその向上を願えるような姿が理想なんだろうなあ。</span></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/se12etheday/entry-12038942897.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Jun 2015 20:00:04 +0900</pubDate>
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<title>価値の有り無し</title>
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<![CDATA[ 「民主社会とは、特定の人の意見や宗教的権威などが真理とされるのではなく、各人の意見が平等に価値あるものとして尊重され、そのうえで意思決定しようとする社会…今日でも絶対的な真理を振りかざす人がいるが、こうした非民主主義的な主張は警戒したほうがいい」（村中和之『センター試験 倫理の点数が面白いほどとれる本〔改訂版〕』37頁（中経出版））<div><br></div><div>こんな自分の意見でも誰とも等しく価値があり、尊重されるべきものだよと言われると、なんだか救われたような気持ちになる。</div><div><br></div><div>私は学歴や権威に弱いので、人を見る前に肩書きや経歴を見てからその人の発言は耳を傾けるべきものなのかどうか判断する癖が染み付いてとれない。逆に考えればこれは人を見下してもいるわけだ。この人の言うことは聞くに値しないものだと。</div><div><br></div><div>その人の言うとおりにしなくていいけれど、その人の言い分は尊重しなくちゃいけないし、そういう考え方もあるんだと受け入れなければならない。嫌いな人の言葉にはつい感情的に反応してしまうが…。</div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/se12etheday/entry-12038610725.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Jun 2015 20:00:12 +0900</pubDate>
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<title>言葉の起源</title>
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<![CDATA[ 「最初は『身体性』があったんです。目で見たもの、耳で聞いたもの、手で触ったものからことばが発生する。そこから無関係にことばが生まれることはありえなかった。そこから長い過程をへて、やがてそういったものとはまったく離れて、ことばだけで世界をつくることばの宇宙ができ上がっていく」出口汪『出口センター現代文講義の実況中継』131頁（語学春秋社））<div><br></div><div>今、当たり前のようにある無数の言葉たち。でもこれらは、原始、すなわち言葉が誕生し始めた（もちろん今も常に言葉は新たに作られている）頃、実際に触れたり感じたりしたものなどを言葉にしていき、それが気の遠くなる年月を経て今に至り、そして実感性のない言葉に囲まれている。原始の人々には実感性のない言葉なんてなかったんだろうな。無数とと思える言葉を覚えなければならない状況では、それがちょっぴりうらやましくも。</div>
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<link>https://ameblo.jp/se12etheday/entry-12038480569.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Jun 2015 20:00:39 +0900</pubDate>
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