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<title>ノート・イネガル／すーさんのブログ</title>
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<description>クラシック音楽や美術など、好きなことを気ままに記すイネガルな日々。</description>
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<title>戦場の女流ピアニスト　マリラ・ジョナス</title>
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<![CDATA[ <div>　最近はCDを買うことが、めっきり少なくなりました。聴きたい新録音がリリースされると、まず国内外のハイレゾ配信サイトを探し、その新譜をCDを上回る情報量を持った音楽データとして、輸入盤CDよりも更に割安な価格でダウンロードするのが普通になってしまいました。但しお気に入りのピアニスト、イリーナ・メジューエワさんのように、所属レーベルがまだハイレゾ音源を供給していなかったり、海外の配信サイトでも特定のレーベルでは、“Sorry, download not available in your country”となっていたりで、やむを得ずCDを買わざるを得ないことも…。日本でも早く、欧米並みのダウンロード配信が主流になってほしいものです。</div><div>&nbsp;</div><div>　マリラ・ジョナス Maryla Jonas というピアニストがいます。PRESTO CLASSICAL というイギリスの配信サイトで新譜を見ていて、1950年前後に録音された数少ない彼女の音源をCD4枚分にまとめたセットが、米国ソニー・クラシカルから発売されたことを知りました。ショパンのマズルカやワルツを中心とした小品集ですが、いくつかのマズルカをサンプル音源で聴いて唖然としました。流石に音源の古さは感じさせますが、丁寧なリマスタリングが施されています。それにもまして、マズルカ特有のリズムの自然な揺らぎや、聴き馴染んだ旋律をいま生まれたかのように表現する、強い説得力と高い芸術性に驚かされます。一体、どういう人なんだろうと調べてみると、日本でも今月の4日に同じCDセットが発売されたばかりでした。タワーレコード・オンラインに紹介されていた彼女の経歴などを引用させていただきます。</div><div>&nbsp;</div><div>■「詩人にして、ピアノを自在に操る名手。現代の名ピアニストの中でも、彼女と肩を並べられる者はほんのわずかだ」(オリン・ダウンズ/ニューヨーク・タイムズ紙)、「ソロ・ピアニストとして第一級の存在」(ヴァージル・トムソン/ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙)と絶賛されたポーランドの知られざる名女流ピアニスト、マリラ・ジョナス(1911-1959)が1946年から1951年にかけて米コロンビアに残した貴重な全録音を集大成したボックスセットです。ジョナスはナチスの追及を逃れてブラジルに亡命し、その後アメリカで成功を収めますが、48歳という若さで亡くなりました。残された録音もわずかしかなく、オリジナル・マスターからの復刻は今回が世界初です。<br>■マリラ・ジョナスは、1911年5月、ワルシャワに生まれました。天才的才能を持ったピアニストとして、ジョナスは9歳の時ワルシャワでデビューし、パデレフスキの生徒となりました。彼女は1922年に国際ショパン賞を、翌年にはウィーンのベートーヴェン賞を受賞し、1926年からは全ヨーロッパでリサイタルを開くようになりました。しかし1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって、演奏活動の中断を余儀なくされ、彼女は強制収容所に収監。数週間後、彼女は自分の演奏を聴いたことがあるドイツ人高官の手助けを得て脱走、徒歩で数か月かけてベルリンのブラジル大使館まで325マイルを逃亡。これは後に「奇跡」と伝えられています。そこから、ジョナスはリスボン経由でリオデジャネイロへ亡命しました。肉体的・精神的に疲弊したジョナスは演奏活動をやめ、何カ月もサナトリウムで過ごします。夫、両親、兄弟がナチスに殺されたこともその状況に拍車をかけました。しかし同郷のアルトゥール・ルービンシュタインがジョナスにピアノ演奏への復帰を促したと言われ、1946年2月25日、ニューヨーク、カーネギー・ホールでアメリカ・デビューして成功を収め、ピアニストとして復活したのです。その見事な演奏は、特にニューヨーク・タイムズ紙のオリン・ダウンズや、作曲家でニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙のヴァージル・トムソンといった名うての評論家たちを夢中にさせたのでした。<br>■その約5年後、ジョナスはシューマン「謝肉祭」を演奏中に体調を崩し、舞台袖に戻ったところで倒れました。すぐに回復し、ステージに戻ったジョナスは予定された演目を弾き終えましたが、再び演奏活動から離れ、結局1956年12月のカーネギー・ホールでのリサイタルが、最後の演奏となりました。1959年7月3日、ジョナスは極めて稀な血液の病気で48歳の生涯を閉じました。<br>■コロンビアへの録音は1946年から1951年のわずか5年間に行なわれ、これらがジョナスが残した全録音です。生前特に絶賛されたショパン作品からは、27曲のマズルカを中心に、夜想曲、ワルツ、ポロネーズ、練習曲、舟歌（注：この人の舟歌が聴ければどんなにかと思うのですが、子守歌の間違いのようです）などが含まれており、ジョナスの表現力豊かな演奏の特徴がはっきり出ています。比較的大きな曲はシューマンの「子供の情景」のみですが、これは曲ごとの雰囲気の対比をはっきりと付け、文字通りラドゥ・ルプーやホロヴィッツに匹敵する魅力を持った演奏といえるでしょう。SP後期からモノラルLP初期の録音であったため、これまでCBS～ソニー・クラシカルからは復刻盤が出たことがなく、今回の正規マスター(アナログ・マスターおよびディスク原盤)からの24bit/192kHzリマスターによる丁寧な復刻は、全ピアノ・ファン待望のCD化といえるでしょう。</div><div>&nbsp;</div><div>　まさに「戦場の女流ピアニスト」です。サンプル音源を少し聴いただけでも涙腺が緩む、神業のような美しい音楽の裏に、このような苛烈な経験が隠されていたとは。上記のイギリスのサイトでは、このCDセットの日本へのダウンロード販売は不可となっていたので、さっそくCDを注文したことは言うまでもありません。</div><div>&nbsp;</div><p>　彼女の事を知って、改めて、ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を読み直しました。ユダヤ人精神分析医の著者が、自らのナチス強制収容所での体験を、医学者としての客観的・分析的視点を貫きながら書き下ろした記録です。極限状態であからさまになる人間性への深い洞察と共に、耐え難い苦しみの中で人としての在り方や人生の意味を模索していく過程が、「言語を絶する感動」と評されています。世代を越えて、あらゆる人に読んでいただきたい名著です。この中で読者に提示された極めて哲学的な課題を以下に引用しますが、同じ時代・同じ環境を生き抜いたマリラ・ジョナスもまたショパンを通じて、聴く者に同じテーマを投げかけているように思えてなりません。なぜなら、「ショパンの音楽は『死』と隣り合わせ」（イリーナ・メジューエワ）だから。</p><div>&nbsp;</div><div>　「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。（中略）もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。」（池田香代子訳）<p>&nbsp;</p><iframe allowfullscreen frameborder="0" height="234" src="https://www.youtube.com/embed/6WR2TLd7MMQ" width="416"></iframe><p>&nbsp;</p></div>
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<pubDate>Sun, 06 Aug 2017 18:24:03 +0900</pubDate>
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<title>文化の日に…</title>
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<![CDATA[ 　学生時代からの友人M君のお誘いで、彼がオルガニストを務める市川三本松教会で開かれたオルガン・コンサートを聴きに行きました。今回の奏者はM君ではなくて、水野均さんというプロのオルガニストです。文化の日の午後に教会の主催で無料で開かれたそのコンサートには、信者の皆さんを中心に多くの方々が詰めかけ、始まる前からとても親密でフレンドリーな空気が礼拝堂に満ちています。<br>&nbsp;　前半はC.Ph.E.バッハのソナタに始まり、父である大バッハのコラール前奏曲を彼が改作した2曲、イタリアン・バロックの小品3曲。休憩をはさんで、後半はバッハの作品。締めはパッサカリアハ短調という構成。水野さんの演奏は初めて聴かせていただきましたが、適切な様式感を踏まえながら瑞々しく前向きな力に満ちた演奏に加えて、曲の合間のご自身によるユーモアあふれる解説にもグッと引き込まれ、とても楽しませていただきました。<br>&nbsp;　この教会のオルガンは仏オーベルタン社製で、2011年7月に設置されたものだそうですが、東日本大震災の影響で設置が少し遅れたとの牧師さんのお話。8ストップの小ぶりな楽器ながら、いかにもフランスの楽器らしい明朗で色彩豊かな響きのオルガンです。この教会の信徒でもあるM君によれば、オルガンを設置するまでの経緯は決して平坦なものではなく、維持にもいろいろとご苦労が多いとのこと。それだけにこの音色が多くの方々の善意と努力によって、一層の輝きと深みを増しているように感じられてなりませんでした。心地よい雰囲気の中で素晴らしい音楽を聴かせていただきました。奏者の水野さん、教会の関係者の方々、そしてもちろんM君に感謝したいと思います。 　<br>&nbsp;<br>&nbsp;　コンサートの後、渋谷で妻と待ち合わせして久しぶりに映画を観ました。 　<br>&nbsp;&nbsp;"SEYMOUR AN INTRODUCTION"　（邦題「シーモアさんと、大人のための人生入門」） 　&nbsp;<br>&nbsp;　ニューヨーク在住で89歳になるピアノ教師のシーモア・バーンスタインさんが、レッスンや対談を通じて自分の人生観や音楽観を淡々と語る、ドキュメンタリー映画です。神戸にお住いの、妻の学生時代からの友人のピアニストSさんがこの映画をご覧になって、ぜひ観て、と勧めてくれたのだそうです。どんな映画なのか下手な文章で綴るより、以下のトレーラーをご覧いただいたほうがいいですね。<br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/OzkSs_ySArM" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>　<br>&nbsp;<br>&nbsp;　観終わって、学生の時から師事されていた恩師を最近亡くされたSさんが、どんなお気持ちでこの映画をご覧になったかが偲ばれました。シーモアさんの、人生への深い啓示に富んだ言葉の数々。生徒の技術だけでなく人格をも温かく包み込んだ上で、作品の本質を生徒自ら見出すことをそっと手助けするような、魔法のようなレッスン。映画の随所に挿入されるバッハやベートーヴェン、シューマンやショパンなど、枯淡の境地に達した演奏の信じられない美しさ･･･。 　<br>&nbsp;　Sさん、心に残る映画を教えていただいてありがとうございました。また素敵な演奏を聴かせてください。
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<pubDate>Sat, 05 Nov 2016 21:08:45 +0900</pubDate>
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<title>メジューエワのノクターン全曲演奏会</title>
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<![CDATA[ 「ショパンの音楽は『死』と隣り合わせです。」<br> <br>演奏会のプログラムに記された、演奏者による簡潔ながら想いのこもった文章は、このように始まります。<br><br>先週土曜日に東京文化会館小ホールで行われた、イリーナ・メジューエワさんによるノクターン全曲演奏会を聴きました。彼女がこの曲集を収録した2枚組CDは、日本で2010年度のレコード・アカデミー賞を受賞しています。ショパンのノクターンは以前から様々なピアニストで聴いてきましたが、その中ではサンソン・フランソワやピリス、チッコリーニ、ポヴゥオツカなどが好きな演奏です。彼女の演奏はそれらの大家と比べても、リリシズムの深さやイマジネーションの豊かさにおいていささかも引けを取らず、私の愛聴盤でもあります。半年以上前にこのチケットを手配したのもそんな理由からでした。演奏会で手にした彼女の文章のシリアスな出だしに少し驚かされましたが、若いころから結核を患いながら20歳で故郷ポーランドを後にして、39歳でパリに没したショパンの作品に対する、本質を突いた言葉だと思います。文化会館小ホールは、ショパンの、そして彼女の熱心なファンで満席。心地よい緊張感と期待感が開演前からホールに充満しているのを感じます。<br> <br>それにしても1回の演奏会でショパンのノクターン21曲を弾いてしまうとは、相当にタフなプログラム。彼女の意図は、プログラムの続きの文章に明確に書かれています。<br> <br>「ショパンは生涯に亘って『ノクターン』を作曲しました。初期では美しいハーモニーとメロディが印象的でしたが、中期になると、力強さが加わります。後期作品はハーモニーとメロディが分けられないほどひとつになっているのが特徴でしょう。その発展は、親密で個人的だった世界が、普遍的、詩的な高みへと昇華されていくプロセスです。ショパンならではの『詩情』とその様式の変遷をじっくりと味わっていただければと思います。」<br> <br>演奏会は、作品番号のない「遺作」も含め、21曲を年代順に辿っていきます。ノクターンという切り口を通じて、演奏会でショパンの生涯と人間性の深まりを追体験する意欲的な試み、と言ってもよいと思います。そのために今回使用するピアノは、ニューヨーク・スタインウェイが1925年に製造した「CD135」というヴィンテージな名器です。「圧倒的なダイナミックレンジの広さと、微細なタッチの違いに応えて自在に変化する多彩な音色が最大の魅力」とプログラムに紹介されていました。言葉を変えていえば、一筋縄では御しきれないジャジャウマということですね。この同じ楽器を使って2014年に京都で収録されたメジューエワさんのライブ盤を持っていますが、年代物のベネチアン・グラスのような輝きの高音部と、人の声のような温もりを感じる中音部、豪快で深い音色の低音部が印象的で、現世代のスタインウェイとは全く異なるものです。その楽器からモーツァルト、ショパン、ラヴェル、ラフマニノフなどの多彩な魅力を引き出していたのが心に残ったCDでした。実際の演奏会場ではどのように響くのか、とても楽しみです。また、数年前にあれだけの素晴らしいノクターンの演奏をCDに残した人が、実演でどのように弾くのか、その期待も高まります。<br><br>いつものように自ら譜面を持ち、にこやかにステージに現れた彼女の立ち振舞いは本当に自然で楚々としていて、感心してしまいます。彼女ほどのピアニストならば暗譜でも全く問題ないと思いますが、必ず譜面を見ながら弾くことで、作曲家の意図に忠実であることを自身に課しているのでしょう。<br><br>その譜面を、いかにもヴィンテージなピアノらしい、アラベスクの透かし彫りが施された譜面台に載せ、譜めくりの女性も席にスタンバイして、1曲目は嬰ハ短調の遺作です。「戦場のピアニスト」という映画ですっかり有名になった曲で、ちょっと病的な印象を私としては持っていてどちらかというと苦手な曲ですが、出だしから心を揺さぶられる歌い回しと深い音色、玲瓏でどんなに速くても正確な運指に圧倒されます。このヴィンテージ・ピアノの持つ表現の幅が広いのか、彼女が卓越しているのか、おそらくその両方の相乗効果でしょう。作品番号9の3曲、15の3曲とプログラムが進むに連れ、曲ごとの性格の描き分けの巧みさも際立ちます。どの曲も、以前のセッション録音と比べても更に彫りが深く立体的な造形と、瑞々しいリリシズムとが両立し、表現の幅も広がっていて、ピアノから薫り高いオーラが立ち昇るかのようです。アカデミー賞を取ったノクターン集も素晴らしい演奏でしたが、まさかナマでそれを上回る演奏が聴けるとは･･･！<br><br>休憩後の作品37からの後半も、彼女の言葉の通りの「親密で個人的だった世界が、普遍的、詩的な高みへと昇華されていくプロセス」を存分に味わうことができました。後期のノクターンは、対位法への接近がよく指摘されます。確かにショパンは、バッハの平均律クラヴィーア曲集を弾くことをそれこそ「ルーティン」にしていたようです。今回の彼女の演奏からは、ショパンがバッハから受けた影響について明確に聴き取れるような気がしたのも驚きでした。メジューエワさん自身がバッハの音楽を深くご自分のものにされていることと、決して無関係ではないでしょう。作品48の2曲などは明らかにノクターンの枠を超えて、わずか数分の曲に壮大な叙事詩を感じさせる名作ですが、彼女は少しも気負わず、しなやかに音楽の大きさに身を委ねながら、聴く者を無限の高みへと導いてくれました。<br><br>アンコールは、3つの新練習曲から第1番ヘ短調と、24の前奏曲から第4番ホ短調。アンコールの2曲とも短調で、最後の前奏曲は大好きな曲ですが、ため息の出るほど哀しい雰囲気をこれほど湛えた曲もありません。どうしてこんなに充実した演奏会をこれほど哀しい曲で締めるのかなあと思いつつ、後で調べてみると、この曲はショパンの葬儀で演奏された曲だと分かりました。ショパンの生涯をノクターンで辿るだけでなく、お葬式まで再現してしまうとは！　メジューエワさんの茶目っ気すら感じます。<br><br>午後4時に開演した演奏会ですが、終わって会場を出たのは6時45分すぎ。30度を超えていた日中の暑さが去り、爽やかな夕べです。これからの人生でこれほどの演奏に再び接することがあるだろうか、と思いつつ、熱い心を少しづつ黄昏の風で冷ましながら、上野を後にしました。<br>
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<pubDate>Mon, 20 Jun 2016 20:15:34 +0900</pubDate>
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<title>メジューエワの平均律</title>
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<![CDATA[ 先月の初めに発売されたこの２枚組のCDを、一か月ほど繰り返し聴いています。ロシア出身で日本に在住するピアニスト、イリーナ・メジューエワさんによるバッハ／平均律クラヴィーア曲集第１巻。２４の全ての調性で前奏曲とフーガとが一対で作られていて、全部で４８曲からなる曲集ですが、バッハが1722年に完成させた第１巻と、1742年に出来た第２巻とがあって、今回は彼女が第１巻の方を始めて録音したものです。彼女の演奏に触れる前に、ちょっと寄り道を・・・<br><br>この平均律クラヴィーア曲集は、第１巻・第２巻ともバッハの作品の中でも特別の思い入れがあって、LPレコードの時代から今まで、本当にいろいろな演奏家で聴いてきました。作曲された時代の響き、つまりチェンバロだったら、懐かしいヴァルヒャ、そしてレオンハルト、アスペレンなど、最近ではショルンスハイムが印象的です。彼女は東京芸大に招聘されて後進を指導しているので、日本にもご縁のある方です。以下はショルンスハイムさんの平均律クラヴィーア曲集第１・２巻のプロモーションビデオ。<br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/M9av4PsjpIg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>ピアノだったら、フィッシャー、グールド、リヒテル、グルダ、シフ、アファナシェフ、ヒューイット、コロリオフ、ムストネン、ポリーニ、エマールなど、枚挙に暇がありませんが、チェンバロ・ピアノにかかわらず各々の演奏ごとに発見があります。この曲集そのものが万華鏡のように様々な輝きを放ち、宇宙のように深遠な広がりを持つひとつの世界なので、演奏家ごとに違った世界が展開されるのでしょう。また、某クラシック専門誌の特集のようにCDをランク付けするのも、たまには面白いのですが、音楽はオリンピックとは違いますし、順番を付けることで見えなく、いえ、聴こえなくなってしまうものが音楽には余りにもたくさんあるようです。<br><br>日系ドイツ人ピアニスト、キミコ・ダグラス＝イシザカ（Kimiko Douglass-Ishizaka、1976年ボン生まれ）という方が平均律クラヴィーア曲集を録音し、2015年3月からパブリックドメインとしてYouTubeに公開しています。イシザカさんは2008年のドイツ選手権で重量挙げで３つのメダルを獲得したアスリートでもあるとのことで、ちょっとビックリです。<br><br>第1番 前奏曲ハ長調<br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/FLKr9fgGdqY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>イシザカさんでもう１曲、第４番 ５声のフーガ 嬰ハ短調 を、各声部ごとに段分けした楽譜付で。<br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/sQQpiiRlaMI" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>このフーガの速さにまたビックリ、なんと２分４０秒で弾いています。速い割によく弾けているし、この曲にはバッハは速度を指示していないのでどんな速さで弾こうと演奏者の自由ですが、ちょっと速すぎで、もっと各声部の動きを味わいながら聴かせてほしい。ちなみに私の手元に残している２０種類くらいの演奏のうち、この曲の最速はグールドの３分４秒、最も時間をかけて弾いているのがリヒテルの６分１０秒でした。リヒテルをはじめこのフーガを演奏する人の多くは、この曲に、キリストに十字架を背負わせた人間の罪深さを読み取っているような気がします。嬰ハ短調はシャープが４つで、シャープはドイツ語でKreuzクロイツ、つまり十字架が４つ。数字の３は三位一体の神の領域を表すことから、４は地上界・人間界を示す数字とされます。また、この５声のフーガの５という数字は、磔刑後のキリストの体の５箇所の聖傷を連想させます。そしてこのフーガのテーマは、十字架のモチーフ。下の譜面を少し拡大していただくと、十字架が現れます。このような象徴性が随所に見られるのも、バッハの音楽の面白さの一つです。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150913/14/sebastian1956/ed/a1/j/o0800078913423593911.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150913/14/sebastian1956/ed/a1/j/t02200217_0800078913423593911.jpg" &nbsp;alt="十字架のモチーフ" width="220" height="216" border="0"></a><br><br>メジューエワさんの平均律は、まさに彼女ならではの演奏でした。この嬰ハ短調のフーガも、理想的なテンポで淡々と弾き進められます。演奏者の意図を強調するようなところは微塵もなく、曲が本来持っている美しさが自然に滲み出てくるようです。曲ごとの構造や曲集としての流れをしっかりと踏まえて、さらに奥深い精神性を感じさせる素晴らしい演奏です。<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=30542185" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">平均律クラヴィーア曲集第１巻 メジューエワ(２ＣＤ)/Johann Sebastian Bach<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51fdbcoMH%252BL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥3,426<br>Amazon.co.jp<br><br><br>
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<pubDate>Sun, 13 Sep 2015 14:01:49 +0900</pubDate>
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<title>安野光雅さんのヨーロッパ風景画展</title>
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<![CDATA[ 猛暑の日曜日の昼下り、西新宿の損保ジャパン日本興亜美術館（合併後の社名が長い！）に、安野光雅（あんの みつまさ）さんのヨーロッパ風景画展を観に行きました。損保会社の本社ビルの上にあるその美術館は、東郷青児のコレクションや日本で唯一ゴッホのひまわりを所蔵する美術館として、芸術の香りが乏しい？、新宿の街では貴重な存在です。エレベーターで42階に上がると、夏休み中の高校生から年配の方まで思いのほか多くの人が訪れていて、この画家の人気の高さをうかがわせます。<br><br>画家と言いましたが、安野さんは絵にとどまらず絵本作家、装丁家として、そして文筆家としても、素晴らしい仕事をされています。今回、110点あまりの作品が出品されていましたが、その多くに原稿用紙1枚分ほどの、作者による文章が添えられています。それがまた簡潔ながら想いの詰まったもので、絵を観て、文章を読んで、そしてまた絵を味わう至福のひととき。うろ覚えですが、「その夜、私は○○○の夢を結んだ。」というようなフレーズで終わる文章が添えられた絵がありました。夢を見る、のではなく、夢を結ぶ。夢なら覚めてほしくないほど、美しい日本語です。<br><br>絵を観に行ったのに、文章の素晴らしさから話を始めてしまいましたが、美味しいものは後に取っておきたいもの。安野さんの風景画を今回100点以上まとめて拝見して改めて感じたのですが、風景といっても、そこに建物や道路、橋など、人の手による構築物が含まれていない風景画、つまり自然だけを描写した絵は殆どありません。そのせいかどの絵からも、その建物などを造った人たちやそこに暮らす人々の息遣いが、つまり描かれたその舞台で織りなされた歴史や物語が感じられます。絵の美しさに加えて、人々の織りなす綿々とした営みへ寄せる安野さんの深い敬意やひたむきな想い、そして優しい眼差しが絵からナチュラルに伝わってきて、胸を打たれます。<br><br>順路の後半で「旅の絵本」シリーズの絵を紹介した一文を読んで、ああやっぱりと納得しました。この絵画展の図録に収録されていたので引用させていただくと、<br>「安野がこの絵本を描いたのは、初めてのヨーロッパ旅行がきっかけでした。飛行機の着陸時、眼下に広がる光景に夢中になり、『そのとき私は、一つの風景の中には千ぐらいの物語が詰まっていると思った』といいます。」<br><br>この風景画展の前に、ちょうど安野さんと数学者の藤原正彦さんの共著「世にも美しい日本語入門」を読み終えたばかりでした。なので絵を観ながら、安野さんの日本文学や数学などへの深い造詣と、それらを貫く美意識の一端に想いを巡らすことができたのは幸運でした。藤原さんはお茶の水女子大学の名誉教授で専門は数学ですが、作家夫婦として知られた新田次郎•藤原てい夫妻の次男で、安野さんは藤原さんの小学校の時の図工の先生だったという関係。藤原さんはベストセラーとなった「国家の品格」の著者でもあり、2人の碩学が展開する国語教育談義や文化論には無類の面白さと説得力があります。<br><br>この本の中で、藤原さん、こんな事をおっしゃっています。<br>「英米露などは、武力で日本を植民地化しようと思えばできたかもしれない。でも、江戸の町で本の立ち読みをしている庶民がいるのを見て、『この国はとても植民地にはできない』と思ったという話があります。当時の江戸の識字率は50％と言われ、最先進国の首都ロンドンの20％に比べても、圧倒的でした。文化の高さは防衛力にもなるということですね。」<br><br>安全保障関連法案を強引に進めようとしているどこかの国の首相に、聞かせてあげたい言葉です。<br><br><a href="http://www.sjnk-museum.org/program/current/3101.html"><br><br>損保ジャパン日本興亜美術館　安野光雅展</a><br><br><dl><dt><a rel="nofollow" target="_blank" alt0="BlogAffiliate" href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=30291189">世にも美しい日本語入門 (ちくまプリマー新書)/安野 光雅<br><img border="0" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F411wleGAAiL._SL160_.jpg"></a><br></dt><br><dd style="margin: 0px;">￥756</dd><br><dd style="margin: 0px;">Amazon.co.jp</dd><br></dl><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 03 Aug 2015 22:24:15 +0900</pubDate>
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<title>不適切な処理を不適切に解決すると・・・</title>
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<![CDATA[ この前テレビを見ていたら、心理学の専門家が、「組織に対して忠誠心が厚く帰属意識の高い人ほど、普通だったら道徳心や理性が働いて出来ないようなことをしてしまいがちだ」というようなことを発言されていました。かつてのオウム真理教事件や、最近のイスラム過激派のテロなどが正にそれでしょう。それらとは次元が違いますが、日本を代表する大企業の不適切会計なども、そういう面からも考えてみる必要があるように思います。<br><br>140年の歴史を持つ例の会社に勤める人たちには、役員から社員にいたるまで「できません」とは言わないプライドがあって、終身雇用の閉鎖的で均質な集団が、厳しい国際競争と事業再編のプレッシャーの中で思考停止に陥ったのだと、あるコンサルタントが言っていました。確かに会社などの組織への帰属意識が強い日本では、どんな組織や会社でも起こりうる事件だと思います。<br><br>多くの場合、私たちは生活の糧を会社などの組織から得ていて、会社の発展と自分の将来とは重なる部分が大きいのが一般的です。組織が機能を発揮して発展するためには、部下が上司の指示に従って機動的に動くことが必要なのも、言うまでもないことです。でも、人間性やコンプライアンスに関わることは、それとは別。その類のことは、会社や所属するコミュニティー、果ては国家に至るまで、自分の所属する組織から何と言われようと、自分の良心とDNAにのみ従って動くようにしたいものです。例の会社の人たちに本当に必要だったのは、「できません」とは言わないプライドではなく、不適切な処理は「できません」と言えるプライドだったような気がします。<br><br>最近では、事業者内部からの通報者（いわゆる内部告発者）を公益の立場から保護し事業者のコンプライアンス経営を強化するために、公益通報者保護法が施行されたことなどを契機として、内部通報制度を設ける企業が多くなってきました。ただ今回の件は、発端は企業の内部通報制度に収まらず、証券取引等監視委員会への通報だったようです。残念ながら、企業の内部通報制度は機能しなかったと言えます。なぜこんなに傷が深くなる前に、自浄作用が働かなかったのでしょうか？　私はこうした制度が機能する前提として、「コンプライアンスに関しては、社長も新入社員も対等」という意識を社内研修などで徹底する必要があるのではないかと思っています。事業目的の遂行の為には会社の指揮命令系統は不可欠ですが、コンプライアンスに抵触することに関しては上も下もなく、相互チェックが必要で、その思想を組織に浸透させることによって自浄作用を機能させようという考え方です。<br><br>今回の件でもう一つ気になったのは、第三者委員会報告のスタンスです。「会社から委嘱され、会社のためにだけ調査した」と報告書の冒頭で断っていますが、これではこの会社が、今回の件で株主に対する責任をどの程度真剣に考えているのか､姿勢を疑われてしまいます。会社は第三者委員会に対して、株主などのステークホルダー全般のために調査をするように依頼するのが筋ではないでしょうか。そのせいか、報告書は監査法人の関与の在り方を対象にしていませんが、不幸にして社内で不適切な処理が行われた際の最後の砦が会計監査のはず。今回の件では監査法人は､①だまされた、②グルだった、③無能だった、のいずれかに該当します。そこをはっきりさせない限り、不適切だったのではなく、不法行為があったのでは、という疑いは拭えません。また①だったら監査法人は怒りまくってよいと思いますが、そういう気配もないので、②か③だったのでしょうか？　こんな調子ではきっとまた同様の事件は再発するだろうし、日本の株式の３割を持つ外国人株主からの信頼回復の道程も遠いと思うのです。<br><br>不適切な処理を不適切に解決しようとすると、その先にあるものは・・・<br>寝苦しい夏の夜もこれに比べればまだマシ、後味の悪さは増すばかりです。
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<pubDate>Tue, 28 Jul 2015 20:08:16 +0900</pubDate>
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<title>ロベルトとクララ、そしてヨハネス</title>
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<![CDATA[ 先週もこのブログで触れた、ボザール・トリオのCDセット（フィリップスに彼らが1964年から96年までの30年あまりで録音した音源による60枚のセット）を、引続き聴き進めています。ピアノ三重奏のグループですが、ヴィオラなどのゲストを迎えてピアノ四重奏曲やピアノ五重奏曲なども少しカバーしているのも嬉しいところ。特にピアノ四重奏には結構好きな曲があって、ボザール・トリオの味のある演奏でそれらの魅力を再発見できるのも楽しみの一つです。<br><br>そんな曲の一つが、ロベルト・シューマンのピアノ四重奏曲変ホ長調Op.47です。シューマンの「室内楽の年」と呼ばれる1842年の作で、この曲の他にも同じ調性で書かれた名作のピアノ五重奏曲Op.44や3つの弦楽四重奏曲などが集中的に作曲された年でした。ピアノ五重奏曲の方がどう見ても出来が良いのですが、このピアノ四重奏曲は、第3楽章のアンダンテ・カンタービレのおかげで忘れられない曲となっています。ヴァイオリンの短い序奏の後にチェロで弾かれるテーマはこの上なく甘く優しくて切なく、そのテーマはヴァイオリンをはじめとして、他の楽器に美しく引き継がれていきます。この曲を作ったとき、シューマンは32歳、妻のクララは23歳で、クララの父親でシューマンのピアノの先生だったフリードリヒ・ヴィークの反対を押し切って結婚して、まだ2年ほどの頃です。この年の作曲の成果が世間に認められ、娘のダンナもなかなかやるじゃないか、あんなに人とのコミュニケーションが下手なヤツには娘を絶対やるもんかと思ったが、まあ許そうかと言うことで、フリードリヒは二人と和解したようです。<br><br>この、新婚家庭の一コマを切り取ったような印象の曲、YouTubeに、フォーレ四重奏団のフレッシュな動画がありました。<br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/t29dy8sfBDc" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>クララ・シューマンは、12歳の頃には既に天才少女ピアニストとしてヨーロッパを演奏旅行して回るような存在でしたが、作曲家としても早くから才能を発揮していました。ただ、クラシックの作曲家に女性が本当に少ないことからも判る通り、その当時の社会では、作曲家などは女性がなるものじゃない！、という考え方が根強かったようです。そのため、36歳でシューマンに先立たれてからは作曲の筆を折り、スター・ピアニスト兼ピアノ教師として生きていくことになります。ボザール・トリオのセットにも彼女のピアノ三重奏曲ト短調Op.17 という曲が収録されていて、初めて聴きましたが彼女の豊かな才能を感じます。1846年、つまり上の曲から4年後に作曲された、とってもチャーミングな曲です。第3楽章のアンダンテは、夫ロベルト・シューマンのアンダンテ・カンタービレに対するアンサーソングなのではないかと、勝手に思っています。次のYouTubeはボザール・トリオとは違いますが、なかなかしっとりとしたいい演奏です。<br><iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/lCsG_o-e9UY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><br>その8年後にはシューマンは、精神障害が悪化して真冬のライン川に入水自殺を図り、その時は助けられたものの2年後に精神病院で亡くなります。それを思うと、幸福に包まれていたこの頃の二人の作品が限りなく愛おしいものに感じます。<br><br>よく知られているように、シューマンが亡くなった後に、8人生まれた子供も全て早世してしまったクララを精神的に支えたのは、ヨハネス・ブラームスでした。ブラームスはシューマンの23才歳下、クララの14才歳下ですが、ブラームスが20才の時からシューマン家に親しく出入りしていて、子供たちの良い兄貴分だったようです。シューマンはブラームスの才能を高く評価していて、評論などを通じて彼の楽壇デビューを後押ししました。そんなブラームスとクララの間には、彼女が亡くなるまでの40年以上にわたり800通余りの手紙のやりとりがあったということで、今なら週刊誌がツッコミを入れそうなネタですが、実際のところはどうだったのでしょう？ 若い頃のブラームスはかなり情熱的だったようですが、クララは賢く距離を保っていたようにみえます。シューマン亡き後は、お互い多忙な日々を送りながら、手紙で相手を気遣いつつそれぞれの人生を歩んでいったようです。往復書簡は彼女が76歳で亡くなる直前まで続き、その翌年には生涯独身を貫いた彼もこの世を去ります。こんな事からも二人の間には、男女の間柄を超えた芸術家同士の魂の結びつきがあったように思えてなりません。
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<pubDate>Tue, 14 Jul 2015 21:22:47 +0900</pubDate>
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<title>CDは絶滅危惧種？</title>
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<![CDATA[ 誰だったか忘れましたが、来日したアメリカのアーティストが先日、日本にはまだタワーレコードの実店舗が残っていて印象深かったというようなことを、インタビューで答えていました。実際のところ、アメリカは有料のデジタル音楽配信のシェアが音楽ソフト市場の売上の７割を超えていて、CDやレコードは年々売れなくなり、CDショップが街から消えつつあるそうです。世界全体で見ても、2014年の音楽ソフト全体の売上は149億7000万ドルで、前年比0.4％減。このうち、デジタル音楽配信は68億5000万ドル（前年比6.9％増）、CDやレコードなどは68億2000万ドル（同8.1％減）で、デジタル音楽がわずかにCDやレコードを上回ったとの報道もありました。世界の音楽市場は、昨年大きな転換点を迎えたと言えそうですが、日本の場合、昨年も有料音楽配信とパッケージ（CD・レコードなど）との売上シェアは2：8くらいでしたから、日本の音楽マーケットはまだまだ保守的だといえそうです。ドイツやフランスは、日本とアメリカとの中間くらいの傾向です。この結果として、日本はCDが世界一売れる国になってしまいました。CDが「絶滅危惧種」だとは思いたくないのですが、パッケージ販売から有料音楽配信へとシフトしていく世界的な潮流が、その向きを変えることは無さそうです。<br> <br>クラシック音楽の世界も、この流れと無縁ではありません。最近は、往年の名演奏家のバックナンバーをボックスにまとめた輸入盤のCDセットが花盛りで、欧米のCDレーベルも、世界の中で最もCDが売れる日本というマーケットを意識した商品作りをしているのかな、と思えなくもありません。このボックス・セット、CD１枚当たりの単価が200～300円というようなものも多く、興味のある演奏家のものが出ると、セットのうち何枚かは既に単体のCDで持っている場合も含めて欲しくなってしまいます。その結果として手元のCDコレクションの水ぶくれを招いてしまうのですが…。<br> <br>最近も、6月末に発売された「結成60年記念限定盤ボザール・トリオ～フィリップス録音全集1956～1996（60枚組）」というへビー級のセットを買ってしまいました。ピアノ三重奏というと日本ではややマイナーかもしれませんが、ピアノ・ヴァイオリン・チェロのアンサンブルは、弦楽四重奏よりもエンターティメント性があって、私は好きです。このセットでは、耳になじんだモーツァルト・ベートーヴェン・ブラームス・シューマン・メンデルスゾーン・アレンスキーなどのピアノ三重奏曲のほか、トゥリーナやツェムリンスキーなどの曲も含まれています。単体ではまず手を出さないようなレパートリーも含まれているところが、ボックス・セットの面白みでもあります。まだ、つまみ聴きをしているところですが、特に耳に残ったのはツェムリンスキーの作品番号３で、ピアノとクラリネット、チェロのために書かれた曲を、ここではクラリネットをヴァイオリンに代えて演奏しています。ブラームスの影響が見られる初期の作品ですが、同時代に同じウィーンで活躍したクリムトの絵を音にしたような、世紀末ウィーンの甘美で妖艶な、それでいて物憂げな終末感を漂わせた和声がとても印象的。他にも、「鉄壁のアンサンブルによって、ピアノ三重奏というジャンルに新たな地平を切り拓いた」とのキャッチ・コピーの通り名演奏ぞろいのこのセット、当分楽しめそうです。<br> <br>ボザール・トリオのように、評価の確立した演奏家なら、このようなボックス・セットのような販売形態もなじむと思います。ただ心配なのは、これからの若手の演奏家のこと。今までは、必ずしもメジャーでないレーベルからも興味深い演奏をする人たちのCDが出ていて、それを発掘するのも楽しみの一つだったのですが、有料音楽配信が主流になっていくこれからの時代に、マイナー・レーベルはどう生き残っていけるのか、ちょっと気がかりです。大資本を動員できる少数の企業によるマーケットの寡占化が進んでしまうと、一般ウケする判りやすい音楽だけが生き残り、聴き手を選ぶようなマイナーな芸術は廃れてしまうのではないでしょうか？　デジタルの世界だからこそ、少ない資本で質の高い芸術を多くの人と共有できる可能性もあり、その心配は杞憂に終わるかもしれませんし、そうあってほしいものです。<br> <br>マイナー・レーベルといえば、Piano Classics というイギリスのレーベルから出ている、フランソワ・デュモンFrancois Dumont というピアニストのラヴェル・ピアノ独奏曲全集を最近入手しました。タワーレコードのオンラインショップで注文してから30日間入荷せず、これは品切れかな、と諦めたころでやっと届いたのも、マイナーっぽいところです。この人は前回のショパンコンクール第５位の入賞者ですが、一聴してあまりの素晴らしさに驚きました。ラヴェルのピアノ曲は、セッション録音でも演奏者のテクニックの水準が赤裸々になる、ある意味で怖いレパートリーですが、この人は完璧。それに留まらず、ライナーノートに彼自身が書いているように、ラヴェルの音楽の多様性と複雑性を深く掘り下げ、細やかな情感を込めてそれを自在に表現していて、とても第５位どころの実力ではないと思いました。総合的に観て、一部のクラシック・ファンの間でラヴェルのピアノ曲全集の決定盤として定評のある、ルイ・ロルティの演奏に勝るとも劣らない出来です。この人はメジャーなコンクールの優勝歴こそ無いのですが、コンクールというのは自分を大きく見せるテクニックも必要な場所。彼は見るからに実直な人柄で、そういうのはちょっと苦手なようですが、ぜひ遠くを見据えて歩みを続けていってほしいと思います。日本では「コンクール受賞＝一人前の音楽家」という誤解がありますが、コンクールはスタート地点にすぎないのですから。<br><br>YouTubeに、2013年のクライバーン国際ピアノコンクールの予選会で弾く彼の画像がありました。そう、前回2009年のときは、辻井伸行さんが優勝したあのコンクールです。最初はモーツァルトの第8番のイ短調のソナタ。モーツァルトらしい曲の表情のうつろいに合わせて、一音ごとに微妙に変化する音色と、雄弁な左手。それらが深く内省的な表現に収斂していて、モーツァルトの本質に迫る音楽となっています。15分15秒からは、ラヴェルの夜のガスパール、これはもう圧巻です。彼の言うように感情と理性の微妙なバランスの上に成立しているラヴェルの音楽の深淵を、完璧なテクニックと誠実な解釈で描ききっています。38分15秒からのショパン、スケルツォ第3番は、悪くはないのですが前の2曲と比べるとやや普通かな…。結局、このコンクールでは彼はいい結果を出せなかったようですが、3曲ともそんなことはどうでもいいと思わせる充実した演奏です。<br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/Xb08byj8poM" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br>
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<pubDate>Tue, 07 Jul 2015 21:59:35 +0900</pubDate>
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<title>SNSの自己目的化⁉</title>
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<![CDATA[ <p>今朝の日経新聞のコラムが、老舗の洋食屋さんのこんなボヤキを引き合いに、一部のネット投稿者（らしき人)のはた迷惑なマナーに苦言を呈していました。<br><br>≪スマホで店内の写真を無遠慮にとるお客がいて、厨房のシェフまで写そうとしていたのを止めてもらった。≫<br><br>≪昼の忙しいときに、オムライスと揚げ物を注文してそれを同時に出してほしいという。両方出来立てを一緒に写真に撮りたかったらしいが、調理の都合で別々に出したところ、先に出来た方を温め直してほしいと言われた。≫</p><br><br><p>きっと美味しいお店なので、そのお客は評判を頼りに初めて訪れ、その様子をフェイスブックやツイッターなどにアップしたかったのでしょう。常連さんならば、お店や他のお客さんへの気配りを忘れないはず。お店にしてみれば、ネットを見て来てくれるお客さんもいるだろうからとムゲにはできないものの、写真などよりまずはウチの味を楽しんでほしい、そして気に入ったら、ネットなどで他の人にも宣伝してください、というのが本心でしょう。</p><br><br><p>評判の良い繁盛店にいく目的は、そのお店の料理を味わったり、一緒に行った人と楽しい時間を共有する事だと思います。それがいつの間にか、「そのお店に行ったことのある自分」や、「そのお店の料理をSNSにアップして他人に見てもらう自分」が目的となっているとしたら、本末転倒です。</p><br><br><p>ブログやSNSのおかげで、誰でもパソコンやスマホから情報を発信することが可能になりました。匿名性を確保しながら自分の日常を切り取ってネットに公開することで、知らない人と交流できるのはちょっとわくわくします。学校を出てから疎遠になっていた人たちなどが元気で活躍している様子を知るのも、とても嬉しいことです。私もこのブログを始めて３か月ですが、アクセス数が増えたり、「いいね！」していただいたりすると、やっぱりいい気持ちがします。でもその一方で、他の方々からの反応を目当てにしないように、つまりブログでウケることが自己目的化しないように、いつも気を付けています。仕事でも文章を書くことは多いのですが、プライベートに自分の感じたことや考えていることを形にすること自体がクリエイティブで楽しい作業ですし、論理的思考のトレーニングにもなり、私にはそれで十分。</p><br><br><p>ネット上で様々な情報が氾濫している今のような時代には、情報指向性の強い人ほど、気が付かないうちに自分の判断基準を自宅に置き忘れ、他人のモノサシに依存して行動してしまうリスクがあるということを、ちょっと前から危惧していました。今朝の日経のコラムに出てきた例のように、評判を聞いて初めて訪れた人気店で料理の味を確かめもせず、いきなりSNS用の写真を撮り始めるなどはその典型です。それに加えてSNSへの投稿が自己目的化して、バーチャルな世界の自分のクローンが、いつの間にかリアルな世界の自分を支配してしまう怖さ。私のような頭の堅いオジサンにはそんな心配はありませんが、感受性の豊かな若い皆さんは、どうかご用心ください。</p>
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<pubDate>Mon, 29 Jun 2015 21:55:45 +0900</pubDate>
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<title>名古屋歴史散歩</title>
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<![CDATA[ 名古屋出身の方に、「名古屋で美味しいもの教えて！」とたずねると、なぜか「これといって無いんですよね～」とおっしゃることが多いような気がしますが、それは明らかにご謙遜です。ひつまぶしやきしめんを筆頭に、味噌煮込みうどん、味噌カツ、手羽先など、そして名古屋ならではの喫茶店のモーニングに至るまで、オリジナリティーあふれる「なごやめし」は、空腹時のテーマとしては避けたいほどに魅力的です。たまたま先週金曜日の午後から名古屋市内に出張してその日は栄のホテルに泊まり、土曜日に市内をブラブラして名古屋の味と街並みを楽しんできました。<br><br>旅の目的地としては首都圏から近すぎるせいもあって、あまり知られていないようですが、名古屋市内は戦時下の空襲を免れて今も残る歴史的な街並みや建物が多く、街を歩けばゆったりとした時の流れを、味覚も含めて五感で味わうことができます。ホテルを出てまず、名古屋駅からも徒歩圏内の四間道（しけみち）へ。この一帯は白壁が連なる土蔵群と、軒を接して続く町家とが、四間（約７メートル）幅の道を隔てて向き合っている、江戸時代からの街並みです。町家をそのまま利用したレストランやカフェもあって若い人にも人気のエリアで、そんなお店の中から Cafe de SaRa というレトロなお店でモーニングをいただきました。人気に加えて中は本当にこじんまりしていることもあり、若い人達の行列に交じってだいぶ待たされました。でも、薫り高いコーヒーに、もっちりした黒ゴマパンと黒糖パンのハーフ･トースト、フルーティーな自家製ジャム、黄身と白身の和え方が絶妙な玉子サラダが付いたセット、その美味しさと東京ならこれでコーヒー一杯分にも満たないお値段とで、二度びっくり。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/e9/08/j/o0800060013348722994.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/e9/08/j/t02200165_0800060013348722994.jpg"></a><br><br>すっかり満足してお店を出た時には11時を回っていて、遅め・軽めのモーニングに却ってお腹が起きてしまったこともあって、そこから徒歩とバスで少し離れた江戸時代創業の鰻屋さんへ。レンガ造りの壁の美しい市政資料館の西隣にあるこの「木屋」さんの換気扇からは、通りに向かって鰻を焼く煙が豪快に吐き出されています。このお店の右隣にも、なんともいい雰囲気のお蕎麦屋さんがあって後ろ髪を引かれる思いだったのですが、そこは初志を貫いて鰻をいただきました。このお店のひつまぶしは、甘口のたれに強火でサクッと焼いた鰻、そのままでも十分に美味ですが、パリッと焼かれた皮目を出汁茶漬けにしたときの、お椀の中に広がる小宇宙といったら･･･！<br><br>このままだと食べ物の話だけで終わりそうですが、この辺りの名古屋城と徳川園の間のエリアは「文化のみち」と名付けられ、江戸から明治･大正に至る名古屋の近代化の歩みを伝える多くの歴史的建物が残されている地域だそうです。美味しいものをいただいた後の散歩にはうってつけです。鰻屋さんの向かい、レンガ色が鮮やかな市政資料館は、裁判所として大正11年に建設されたネオ･バロック様式の公文書館で、入って直ぐの中央階段室には美しいステンドグラスが配されています。このステンドグラスの色彩や、アール・デコ調の造作のおかげでしょうか、いかにも裁判所風の堂々とした外観に反して、中に入ると柔らかな空気が広い空間を満たしているように感じられて、不思議にゆったりとした気分になります。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/75/1a/j/o0800106713348719417.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/75/1a/j/t02200293_0800106713348719417.jpg"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/2c/39/j/o0800106713348719418.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/2c/39/j/t02200293_0800106713348719418.jpg"></a><br><br><br>ステンドグラスは大正期の建物のアクセントとして、「文化のみち」の他の建物でも効果的に使われていましたが、その中でも特に印象的だったのが「二葉館」でした。この建物は日本での女優の第一号として知られる川上貞奴が、新派劇の父と言われた川上音二郎と死別後に、実業家の福澤桃介と共に暮らした家です。今は移築されて名古屋市が管理・公開していますが、大正9年の竣工当時は文化のみちエリアの北端、東二葉町にあって、その斬新さと豪華さとから「二葉御殿」と呼ばれ、政財界人や文化人の集まるサロンとなっていたそうです。福澤桃介は慶應義塾在学中に福澤諭吉に見込まれて次女の婿養子となり福澤に改姓した後、諭吉の支援によるアメリカ留学を経て日露戦争後の株式投機で財を成し、実業界に転じた人です。特に、名古屋電燈株式会社を買収して社長となり、木曽川の水力発電を推進した「電力王」として知られています。名古屋ではどこに行くにも貞奴を連れていたそうで、山奥の水力発電所建設現場にも彼女を同伴して滞在したとのことです。名古屋の地元名士達からは鼻持ちならないヤツとして敬遠されていて、毀誉褒貶相半ばする人物だったようですが、きっと異性には魅力的だったのでしょう。それはともかく、当時ほとんどの家に電灯が一つだけという時代に、この二葉館を電化生活のモデルハウスにしようとした意気込みは伝わってきます。昼にはステンドグラスから日の光が部屋へ射し込み、日が沈むと電灯の光とサロンのざわめきがステンドグラスの窓から屋外へ、ということだったのでしょうね。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/59/b9/j/o0800060013348718341.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/59/b9/j/t02200165_0800060013348718341.jpg"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/e4/43/j/o0800060013348718340.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/e4/43/j/t02200165_0800060013348718340.jpg"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/28/e5/j/o0800060013348718346.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/28/e5/j/t02200165_0800060013348718346.jpg"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/84/c3/j/o0800060013348718344.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150626/22/sebastian1956/84/c3/j/t02200165_0800060013348718344.jpg"></a><br><br>大正時代は明治と昭和とに挟まれた15年という短い期間ですが、都市に生活する大衆を中心としてモダンな文化と芸術が誕生した時期で、現代の日本人の生活様式も、この時代にルーツを求めることができるものが多いようです。そんな大正ロマンの息吹を、少しだけ感じることができた名古屋散歩でした。<br>
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<link>https://ameblo.jp/sebastian1956/entry-12043534589.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Jun 2015 21:43:05 +0900</pubDate>
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