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<title>弾き語りだにえるのブログ</title>
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<description>だにえるのつれづれと綴るブログです。言葉について、映画について、趣味について、自分の歌について…。自分の考えたことや感じたことを書いていきますので、よければ見てください。</description>
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<title>映画について</title>
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<![CDATA[ <p>お久しぶりです。</p><p>お元気ですか？</p><p><br></p><p><br></p><p>昔から映画が好きなんですが、最近気持ちに余裕ができてよく観るようになりました。</p><p>ですので、また考察も含めて思ったことを書いていきたいと思います。</p><p><br></p><p><br></p><p>今年もよろしくお願いします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/seckachi/entry-12783482007.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Jan 2023 20:31:38 +0900</pubDate>
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<title>言葉の意味は使い手によって形作られていく</title>
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<![CDATA[ <div><br></div>こんにちは<div>だにえるです。</div><div><br></div><div>三連休を皆さんはどうお過ごしでしょうか。</div><div>この前知り合いと話していて</div><div>「今度遊びましょう、絶対誘います！」</div><div>と別れ際に言われました。</div><div>まあ、それからまだ誘いの連絡は来てないのですが…。</div><div><br></div><div>そんな僕の悲しい話はさておき、</div><div>「絶対」という言葉に皆さんはどれだけの信頼を置けるでしょうか。</div><div><br></div><div>「絶対」とは副詞的に用いると</div><div style="text-indent: 0px;"><span style="text-indent: -14px; -webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">「絶対◯◯する」</span></div><div style="text-indent: 0px;"><span style="text-indent: -14px; -webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">どうしても。何がどうあっても。必ず。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">という意味になります。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">ただ、「絶対◯◯する」と言われて、その言葉を信用できることは現代では少ないように思います。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">「きっと」という言葉の意味はどうでしょう。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">「きっと◯◯する」「きっと◯◯だ」</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">という言葉を聞くと、「分からないけどたぶん◯◯するんじゃない？」くらいのニュアンスで受け取る人もいるのではないでしょうか。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">しかし、「きっと」 とは本来かなり高い確率でそうなるだろうと推し量る時に用いられる言葉です。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">言葉の意味やニュアンスは沢山の人が使っていく中で、本来の意味から少しずつ変わっていくことがあると感じます。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">「絶対」「きっと」などという言葉はとても信頼性の高い言葉だったはずですが、ある意味で人々が言葉を裏切ったことで信頼性の低い言葉になっているのかもしれません。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">もちろん、時代だけでなく使う人によって捉え方が変わってくる場合もあります。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">ほとんど</span><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">も嘘をついたことのない人の「絶対」</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">平気で嘘をつく人の「絶対」</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">両者は同じ言葉であっても質はまったく違います。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">人と会話していて、ふとそんなことを感じました。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">言葉の意味を形作るのはあなたです。</span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div style="text-indent: -14px;"><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div style="text-indent: -14px;"><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/seckachi/entry-12493741317.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Jul 2019 09:36:41 +0900</pubDate>
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<title>ポルノグラフィティ20周年</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div>こんばんは</div><div>だにえるです。</div><div><br></div><div>ポルノグラフィティ</div><div>僕にとっての原点にして頂点。</div><div>今年の9月8日にポルノグラフィティがデビュー20周年となります。<br></div><div><br></div><div>「VS」という新曲のMVを見て</div><div>微笑みながらも泣いてしまいました。</div><div>実を言うと、この4年ほどの間ポルノグラフィティから離れていました。</div><div>これ！という理由は無いのですが、この四年間私生活の方でかなり精神的に追い詰められていて、様々なものに関心が無くなっていました。</div><div>あれだけ好きで追い続けていたポルノグラフィティから4年もの間離れていたという事実が自分自身信じられません。</div><div><br></div><div>ポルノグラフィティと出会ったのは小学生の頃でした。</div><div>姉が聴いていた赤リンゴ青リンゴのベストアルバムが気になって聴かせてもらってそこで一気にのめり込みました。</div><div>その日からというもの、毎日ポルノグラフィティを聴き、中学生、高校生の頃はCDが出るたびに買いに走り、カップリングも含めて全て覚えるほどでした。</div><div>ポルノグラフィティばかり聴いて歌っていたせいで、歌い方や声も昭仁さんに似て友だちから指摘されるのも嬉しく思っていました。</div><div><br></div><div>僕が歌手を目指しはじめ、今も曲を作って弾き語りをしているのも全てはポルノグラフィティが始まりです。</div><div>弾き語りを始めてから昭仁さんの歌い方からだいぶ離れたと思っていましたが、先日ライブをした時に他のバンドの方に「ポルノグラフィティ大好きやろ？歌い方や曲の構成からポルノグラフィティがバンバン伝わってくる。」と言われました。</div><div>自分にとってこれほど嬉しい言葉は無いなと思いました。</div><div><br></div><div>ポルノグラフィティから離れてしまい以前のように新曲を追うことも少なくなってしまったけれど、自分の中にはしっかりとポルノグラフィティが宿っている、そんな気がしました。</div><div>僕が歌い始めたのも、今も歌い続けているのも全てはポルノグラフィティと出会ったからだと思います。</div><div><br></div><div>15周年のライブで「ひとひら」という曲を聴いて号泣したのを今でも鮮明に思い出します。</div><div>「世の中には応援ソングが溢れていて、前を向けだとか、頑張って進めだとか、そんな歌詞がたくさんある。でも、たまには立ち止まって過去を振り返ってみてもええんじゃないか。」そう彼らは言っていました。</div><div>その言葉、その曲にどれだけ救われ、励まされたか。僕が作る曲たちにもそんなメッセージが込められていることが多いなと振り返ると感じます。</div><div><br></div><div>僕が最近大切に歌っている「うつむけば空」という曲があります。この曲も立ち止まることや俯くことを肯定しています。</div><div>悩んだり落ち込んだり俯いたりする時間は決して無駄じゃない。いつかその時間が意味のあるものだったと思える日が来ると信じて僕はこの曲を歌っています。</div><div><br></div><div>4年もの間、自分にとって暗く苦しい時期が続きました。これから先もまだ続くかもしれません。それでもいつか笑って話せる日が来ると思っています。</div><div>ポルノグラフィティの「VS」という曲を聴いて、沢山のことがこみ上げ少し文章にすることにしました。</div><div><br></div><div>本当に20周年おめでとうございます。</div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/seckachi/entry-12489462567.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Jul 2019 22:49:10 +0900</pubDate>
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<title>「共感」の言葉 「表現」の言葉</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div><br></div><div>こんばんは</div><div>だにえるです。</div><div><br></div><div><br></div><div>僕は作詞するのが好きです。</div><div>小説を書くのが好きです。</div><div><br></div><div>言葉の意味をひとつひとつ味わって選び取っていく行為はとても愛おしい時間だなと感じます。</div><div><br></div><div>そんなことを繰り返しているうち、ふと思ったことがあります。</div><div><br></div><div>「共感」を目的とした言葉と</div><div>「表現」を目的とした言葉は違う。</div><div><br></div><div>ということです。</div><div>この一文には様々な意味や捉え方があるのですが、その中のひとつについて話したいと思います。</div><div><br></div><div>「言葉」と漠然に表しましたが、日本語は本当に沢山の言葉が存在します。</div><div>それはかなり具体的なものから本当に大雑把で曖昧な言葉まで…</div><div><br></div><div>例えば「やばい」、「エモい」そんな言葉が近頃はよく使われています。</div><div>これは主に「共感」を目的として使われている言葉だと感じます。</div><div>有名人を生で見て「やばい」と言ったり、</div><div>夕陽を見て「エモい」 と呟いたりする。</div><div>そうするとそれを聞いた人は「やばいね」、「エモいね」と共感して返します。</div><div>でも、実際のところ当人が発した「エモい」等の言葉がどんなものなのかは本人にしか分かりません。</div><div>夕陽を見て、昔付き合っていた人と一緒に見た夕陽をふと思い出して出た「エモい」なのか、友だちと遊んだ帰り道に見た夕陽で今この瞬間が「エモい」のか。</div><div>でも、本人がどんな風に思っていようと、その言葉を聞いた人がどんな風に感じていようと「エモい」という一言で表すと2人の間には共感が生まれます。</div><div>つまり、沢山の意味を内包し、漠然として曖昧な言葉であればあるほど、人は共感しやすいのです。</div><div>古文で出てくる「をかし」も同じような印象を受けます。</div><div>「やばい」「エモい」は極端な例ですが、世の中に存在する言葉は全て、その人にとって違う意味が含まれています。</div><div><br></div><div>このような共感の言葉が多く使われるのは世の中の背景がもしかしたら関係しているのかもしれません。</div><div>人との協調が求められる時代、コミニュケーションに辟易した人々、なんとなく過ごしている日々…そんな中でいちいち自分の心情や感情にぴったりと合う言葉を探して相手に伝えることよりも、「共感」することの安心を求めているのかもしれないですね。</div><div><br></div><div>きっとどっちがいいかなんてものは無いと思います。</div><div>ただ、相手に本当に分かってほしい事、伝えたいことができたときは、大切に言葉を選び取ってほしいですね。</div><div>そうやって言葉を吟味して選び取った時、それは「表現」を目的としたものに変わるんだと思います。</div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/seckachi/entry-12457440655.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Apr 2019 18:00:51 +0900</pubDate>
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<title>希望のうた</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div>こんばんは</div><div>だにえるです。</div><div><br></div><div>新年度の始まりは新年の始まりより騒々しいように思います。</div><div>仕事の始まりでツイッターには絶望の呟きが溢れているようにも感じます。</div><div><br></div><div><br></div><div>僕は「だにえる」として曲を書き、弾き語りをしていますが、努力が報われない世の中や、生きることのつらさ、絶望について歌詞を書くことがとても多いです。</div><div>それは、相手を顧みないただ前向きなだけの応援ソングに忌避感を持っていることもあるし、心が削れて磨り減った人に届き、響く曲、人間の本質を突く音楽とはそういうものなのだろうと思っているからです。</div><div><br></div><div>でも、「絶望」について書いた曲だからといって、絶望を伝えたいわけじゃありません。</div><div><br></div><div>皆さんは『レディ・ジェーン・グレイの処刑』 &nbsp;という絵画を知っていますか？</div><div>19世紀のフランス画家ポール・ドラローシュの作品です。</div><div>16世紀にイングランド史上初の女王となったジェーン・グレイが今まさに斬首される光景を切り取っています。</div><div>僕はこの作品を始めて生で見た時、鳥肌が立ったのを覚えています。</div><div><br></div><div>レディ・ジェーン・グレイはこの後殺されてしまう。その瞬間を切り取った絵画は確かに「死」を描いています。ですが、僕はこの絵画から「生」を感じました。</div><div>今まさに死へ向かっていくレディ・ジェーン・グレイの肌の下には確かに血が通っていて、瑞々しい素肌をし、暗い画面の中心で汚れひとつ無い純白のドレスを身に纏っています。そこにはありありとした「生」があったのです。</div><div>画家の本心は到底分かりませんが、「死」を描くことで見事に「生」を表現していました。</div><div><br></div><div>話を戻しますが、だにえるは絶望について曲を書いています。</div><div>『波打ち際の砂の城』も</div><div>『うつむけば空』も</div><div>『言葉の抜け殻』も</div><div>『いつもよりも息をしていた』も</div><div>そこには、どう頑張っても報われない人生の不甲斐なさや、息つく間もなく走っても迫り来る底知れぬ不安や、避けられない不幸など、そんな現実が描かれています。</div><div><br></div><div>でも、そのうたで伝えたいのは決してありのままの現実ではないのです。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>僕が伝えたいのは…</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<pubDate>Sun, 21 Apr 2019 18:00:01 +0900</pubDate>
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<title>アンドロイド-Daniel</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><div>こんばんは</div><div>だにえるです。</div><div><br></div><div><br></div><div>私は映画や小説が好きで、自分でも小説を書いたりしています。</div><div>今日は最近考えているSF小説の考察を少し…。</div><div><br></div><div><br></div><div>最近の科学技術の発展はすごく、ある意味で昔語られたSFが今はもうSFではなく現実になっていることもちらほら。</div><div>それでも、世の中にはまだまだ沢山の仮説やSFが溢れています。</div><div><br></div><div>例えば「この世界は仮想現実である」とか、「アンドロイドが意思を持つ時代が来る」とか。</div><div>そんな事もよく語られています。</div><div><br></div><div><br></div><div>今回私が挙げたいテーマは</div><div>「自分自身が実はアンドロイドだったら」</div><div>という話です。</div><div><br></div><div><br></div><div>私たちは当たり前のように自分が「人間」であると認識しています。そしてそれはもちろん間違っていません。</div><div>ただ、「人間＝アンドロイド」 という仮説があるとしたらどうでしょう。この「人間」そのものが遥か昔に誰かが造ったアンドロイドだったとしたら…。</div><div><br></div><div><br></div><div>何を馬鹿げた事を言っているんだ？</div><div>現に私たちは両親から生まれてきている。人工的に造られたものではないじゃないか、と思うかもしれません。</div><div><br></div><div>ただ、有名なSF映画「ブレードランナー」の2作目として公開された「ブレードランナー2049」では、アンドロイドが子どもを妊娠し、出産するという禁断の技術が明らかにされています。</div><div>その技術が実現したならば…考えると少し背筋が冷たくなります。</div><div><br></div><div>もうひとつ、これは私が抱いている考えですが、「技術が進歩すればするほど、モノのデザインはより流線的になり、継ぎ目がなくなっていく。」という考えがあります。</div><div>例えば「携帯電話」や「パソコン」といった機器。</div><div>ここ数年でどんどん進化しています。</div><div>昔は角ばったものを折りたたんだり、スライドさせたりと繋ぎ目の部分がはっきりしていました。そしてボタンを押すことで文字を入力する。使い過ぎてボタンが取れたりもしました…。</div><div><br></div><div>今は「スマートフォン」や「タブレット」という機器が出てきており、1枚の板に触れるだけで操作ができます。文字入力や画面操作もタッチやスワイプで簡単にでき、今ではホームボタンすら無くなって、つるりとした表面です。</div><div><br></div><div><br></div><div>ロボット、アンドロイドではどうでしょうか。</div><div>ロボットと聞くと、ひとつひとつのパーツを組み上げただけの四角いロボットが浮かんでくるかもしれません。</div><div>ただ、最近のロボットはなんとなく丸みを帯びて滑らかな形になっていると思いませんか？</div><div>そしてこの先、継ぎ目が一切ない人間と全く同じデザインになっていくと思います。</div><div><br></div><div>アンドロイドは電気信号を伝達することで身体を操作します。</div><div>人間も脳からの指令を電気信号で神経を使って全身に送り動きます。</div><div><br></div><div>アンドロイドの身体の温度調整、老廃物の運搬や除去、エネルギーの供給を考えると、身体全体を流動的に巡る液体を用いることが効率的に思えます。人間でいう「血液」です。</div><div><br></div><div>欠損や損傷が生じた際、いちいち修理してパーツを取り替えていては大変です。</div><div>そのため、エネルギー源となるものを体内に取り込み、自動修復させます。</div><div>人間が食べ物を食べて、エネルギーにしたり、栄養として身体に行き渡らせたり、細胞分裂によって怪我を治すのと同じシステムです。</div><div><br></div><div>このように、開発を進めていくと人間とそっくりなつくりのアンドロイドが出来上がりました。</div><div>そしてAI技術の発展により、思考して感じることのできるAIができたとして、アンドロイドに搭載するとします。</div><div><br></div><div><br></div><div>果たして、このアンドロイドと人間の違いはなんでしょう…。</div><div>もしかしたら前文明で造られたアンドロイドが今の人間で、私たちは同じ歴史を繰り返しているのかもしれませんね。</div><div><br></div><div><br></div><div>所詮は作り話。</div><div>けれども、完全には否定できない話。</div><div><br></div><div><br></div><div>また機会があればこんな話をしたいと思います。</div><div>おやすみなさい。いい夢を。</div>
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<pubDate>Tue, 16 Apr 2019 02:00:55 +0900</pubDate>
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<title>悪とは</title>
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<![CDATA[ こんばんは。<div>だにえるです。<br></div><div><br></div><div>もうすぐ2018年も終わり。</div><div>皆さんは何をして過ごしているでしょうか。</div><div><br></div><div>私は前日オペラを観に行きました。</div><div>「森は生きている」という作品で、<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">ロシア人の児童文学作家である、サムイル・ヤコヴレヴィチ・マルシャーク作の戯曲を日本人が翻訳して日本語の歌詞をつけたオペラです。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">ある大晦日の夜に、</span><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">意地悪な継母と義姉に命じられて、</span><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">ひとりの少女が「マツユキ草」を探しに深い森の中に入ってくるところから物語は始まります。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">そもそも「マツユキ草」は4月にしか咲かない花であるにも関わらず、ワガママな女王様が国中におふれを出して、真冬日の季節に「マツユキ草」を取ってくるように命じたのが始まりでした。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">私がこのオペラを観て一番印象に残ったのはこの女王様の台詞でした。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">「私は今まで命じることしか教えられてこなかった。人にお願いする仕方が分からない。」</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">最後の場面で女王様はこう嘆きました。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">この女王様はまだ少女で、両親を亡くしていたため若くして国の女王様になりました。そして、付き人や城の人達に育てられてそだったのです。そこでは、王である為に必要なことしか教えられていませんでした。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">この女王様は、本当にただのワガママで悪い女王なのか…</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">「悪いことを悪い」と思えるのはそれが悪い事だと知っているからです。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">「正しいこと」と思えるのは、正しい事が何か考える為の力や材料が与えられてきたからだと思います。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">罪人を処刑する書類に何の迷いもなくサインする女王様</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">無理難題を押し付ける女王様</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">自分の命令は絶対だと信じる女王様</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">そして、命令する事しか教えられてこなかった女王様</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">やっている事だけみると悪い女王ですが、彼女にはそれが悪いと思う機会さえ奪われて育ってきたのだろうと感じました。</span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;"><br></span></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto;">果たして本当の悪とは…。</span></div><div><br></div>
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<pubDate>Mon, 24 Dec 2018 01:57:25 +0900</pubDate>
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<title>だにえる</title>
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<![CDATA[ だにえるです。<div>弾き語りをしています。</div><div><br></div><div>よろしくお願いします。<br><div><br></div></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/seckachi/entry-12416602544.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Nov 2018 07:56:07 +0900</pubDate>
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