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<title>sengokuさんのﾌﾞﾛｸﾞ</title>
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<title>勝家の決断</title>
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<![CDATA[ 越前を失った勝家は失意の中、出家して武門から身を退こうとしていた。佐久間は義父に当たる勝家に加賀を譲り自らはその麾下にと言ったが、勝家は容れなかった。安土の信忠は自軍に勝家のような老練の将が関東の一益しかおらず、勝家の帰参を促す為に加賀に不破光治を送って説得した。勝家は信忠に半旗を翻し、その昔には信長の弟の信勝に付き信長に敵対していた事もあり、二度の帰参は許されざる罪と言って、帰参には応じなかった。しかし、不破と帰参に前向きな佐久間に説得されて、まずは安土の信忠に謁見して謝罪する事にして、不破と共に安土城に向かった。安土城に着いた勝家は信忠の前にひれ伏し謝罪した。信忠は勝家を許し今後は最前線で補佐するように申し付けて一軍を与えて指揮させた。信忠は佐久間に加賀を引き続き治め越前の金森、中村に備えさせた。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10381987285.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 12:25:52 +0900</pubDate>
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<title>終結</title>
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<![CDATA[ 七尾城を囲んだ佐々は補給路を絶ち兵糧攻めの構えを見せた。また、夜襲を繰り返し城兵は不眠と疲れと空腹で脱走が相い継いだ。利家は加賀の秀吉に援軍を求め佐々の背後を突かせ、城と挟み撃ちにしようとした。一方、加賀では佐久間と勝家の抵抗で秀吉軍も攻め倦んだ。そんな折り安土城の信忠が兵を動かし秀吉の退路を絶つとの情報が舞い込んだ。まだ確証はないが、兵の疲れと深入りは危険と判断した秀吉は全軍を越前まで撤退させた。しかし、信忠は兵は動かしてはいなく、信忠方の蒲生氏郷の策略だった。それを知った秀吉は悔しがったが後の祭りだった。秀吉は越前に金森長近と中村一氏を残して京都に戻った。<br>七尾城の利家は秀吉の撤退により援軍の望みが絶たれ、佐々に和睦を申し入れ、佐々も長く越中を空けられないと判断して、能登の南三郡の割譲で和睦に応じて兵を退いた。北陸での戦いは終わったが、勝家は越前を失い、亡国の将となった。佐久間も怒りに任せて単独行動を取った事が勝家の敗走につながったと責任を感じていた。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10381967521.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Nov 2009 11:39:03 +0900</pubDate>
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<title>亡国勝家</title>
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<![CDATA[ 勝家は福島、加藤に追撃を受けながら加賀近くまで落ち延びたが、既に殆どの兵士と多くの家臣を失い自分だけ落ち延びるのは武門の恥と思い最後に一矢報いて朽ち果てようとしていた。そこに引き返して来た佐久間軍に救われ、佐久間はそのまま、福島、加藤を蹴散らし勝家を伴い加賀に退却した。福島、加藤は北の庄城を落とした秀吉本隊と合流し、戦況を報告した。秀吉は一気に加賀も落とそうと再び進軍した。越前には既に秀吉に刃向かう勢力は無く素通りで加賀に入った。佐久間は加賀の自身の居城で勝家と共に最後の籠城戦をする為に城の周りを固めて待ち受けていた。秀吉本隊が城を囲み始めた頃、能登では佐々が引き返した利家を向かい討ち激戦を展開していた。利家は佐久間に手痛い打撃を受けていたので、新手の佐々に徐々に押され利家の本陣も危うくなってきた。佐々は今が好機と利家本陣目掛けて兵をどんどん繰り出した。利家は家臣の勧めで本陣を抜け七尾城に向かって戦場を離れた。大将抜きでは到底佐々には勝てずに残された利家軍は瓦解し、佐々軍に蹂躙された。佐々はすぐに利家を追って七尾城に向かい城を囲んだ。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10381343018.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 15:41:56 +0900</pubDate>
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<title>勝家敗走</title>
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<![CDATA[ 奥村が最後の戦いを挑んだ時、佐久間のもとに秀吉が勝家に攻め懸かり勝家が危機に陥っているとの報告が入った。佐久間はまず奥村を仕留めてから越前に引き返そうとしたが、奥村は獅子奮迅の戦いで周りを囲んだ兵士達も恐れて近づけなかった。佐久間は自ら刀を抜いて奥村に斬りかかった。数十合渡り合ったが奥村もなかなかの使い手で、さすがの鬼玄蕃も一気に決める事ができなかった。佐久間は時これまでと言い、退き佐久間軍は越前に向かって退いて行った。九死に一生を得た奥村だったが、すでに動く体力も気力も無かった。越前では、佐久間のいない勝家軍は兵力でも劣り攻勢の秀吉軍の前に遂に敗走し、北の庄に逃げていた。秀吉は福島、加藤に追撃させ、秀吉本隊と丹羽軍はその後を追った。北の庄の柴田勝豊は門を開ければ福島、加藤も城内に雪崩れ込むと思い城門を閉じて勝家を入れなかった。勝家は勝豊の行動に嘆きながら北の庄を離れ加賀に向けて更に敗走を重ねた。間もなく勝豊のいる北の庄は秀吉本隊と丹羽軍に取り囲まれて四方より攻撃された。北の庄は一日で陥落し、勝豊は燃え盛る北の庄城で勝家を入れなかった事に後悔しながら自刃して果てた。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10381323296.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 15:08:13 +0900</pubDate>
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<title>奮然奥村</title>
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<![CDATA[ 利家は佐々の能登侵攻を聞き軍を能登に返した。しかし、佐久間の追撃に遭い大打撃を受けていた。佐々は能登に入り各支城を落としつつ七尾城に向けて進軍していた。利家の重臣、奥村助右衛門は、殿として佐久間を止めるので、本体は急ぎ七尾城にと言い『鬼玄蕃』の異名を持つ豪傑佐久間に突っ込んで行った。利家は急ぎ七尾城に向かった。奥村は佐久間の怒涛の攻撃を何とか凌ぎつつ本隊を逃がす為に佐久間の追撃を抑えていた。奥村もまた槍の使い手で、幾人もの兵士をなぎ倒し鬼神の如く佐久間軍に立ちはだかった。鉄砲の銃弾がかすりながらも鉄砲足軽に斬りかかり佐久間軍を震え上がらせた。しかし、鬼玄蕃も奥村軍に再び攻勢をかけ、数で劣る奥村軍は壊滅状態となった。奥村はここが死に場所と覚悟して、残りの数十人と佐久間軍に最後の戦いを挑んだ。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10381308373.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 14:43:00 +0900</pubDate>
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<title>佐々成政</title>
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<![CDATA[ 前田利家は越前境で進軍を止めていた。勝家方の佐久間玄蕃は前田の加勢と思っていたが、一向に合流しない利家に疑念を抱き佐久間の所領の加賀を奪うつもりと思い激高した。佐久間はすぐさま軍を返し前田軍に当たろうとしたが、秀吉と対陣中で勝家や周りの諸将にも止められてやむなく止まった。その頃、越中富山城の佐々成政は利家の動きを見て利家の居城の七尾城に向けて出陣した。佐々動くの報を聞き利家は慌てた。利家は佐々は上杉と睨み合い兵は動かせないと思っていた。しかし、実際は景勝と信忠の同盟により、景勝は織田家に忠義を誓う佐々成政を信忠の手前、攻める事はできなかった。利家はすぐに引き返し能登に向かった。利家退却と聞いた佐久間は利家の行動や節度の無さに怒りを抑える事ができずに、勝家に無断で退却する利家を追撃した。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10381063534.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Nov 2009 03:52:09 +0900</pubDate>
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<title>勝家動く</title>
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<![CDATA[ 秀吉は利家加勢を聞き、勝家を城から出す為に、田畑の作物を刈り取り自軍に運び始めた。勝家はそれを聞き激怒して、嫡子を城の守りに残し、佐久間玄蕃を引き連れ秀吉軍へ雪崩の如く襲いかかった。秀吉は押されたふりをして徐々に後退し、背後に伏せてある鉄砲隊まで勝家を誘き出そうとした。しかし、勝家も歴戦の勇士であり、経験も豊富で秀吉軍の後退の仕方に伏兵があると読み攻撃を中止して一旦兵を退き高台に陣を張った。秀吉は、さすが勝家と言い、陣を移し作戦を練り直した。その頃、利家は七尾城を発ち加賀を抜け越前境まで進軍していた。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10379124608.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Nov 2009 18:09:23 +0900</pubDate>
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<title>越前侵攻</title>
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<![CDATA[ 秀吉は信忠が、関東や徳川対策で兵を動かせない今を見計らい北近江を通り、若狭の丹羽長秀を従え越前の北の庄の柴田勝家を攻めた。勝家は事前に秀吉侵攻の情報を受け秀吉軍の進路に砦を築き防戦した。秀吉はゆるりと砦を一つづつ攻略し、勝家が城を出て野戦に出て来るのを待った。勝家は秀吉の誘いに乗らずに堅固に城を固めて長期戦の構えを崩さなかった。さすがの秀吉も長期戦になると信忠に留守を突かれる心配もあるので短期決戦で決着をつけたかった。そんな中、謀臣の黒田官兵衛が秀吉と旧知の仲の能登の前田利家を引き入れ勝家の背後を突かせ、更に民想いの勝家の性格を逆手に取り、田畑の作物を刈り取り奪い勝家の怒りを利用して誘き出す作戦を進言し、受け入れられた。早速、丹羽長秀を能登に遣わした。能登七尾城で利家と面会した長秀は、秀吉軍への助力を申し入れた。利家は織田家で格上の長秀と旧知の仲の秀吉の頼みであり聞き入れたかったが、与力から離脱したとはいえ勝家にも義理があり返答に困り重臣と相談すると言って長秀を待たせて、即答はしなかった。利家は、今後の流れと秀吉の頼みとあって、兵を出すのに前向きであったが、家老の奥村助右衛門は、義理を重んじ反対した。ここは、前田家は中立を守り静観するべきと利家に強く進言した。利家は反対する重臣も多く迷ったが、兵は出すが越前の手前で静観すると重臣達を説得して出兵する事にした。実は、利家は越前手前で静観し、時を見て攻撃をするつもりで戦地では重臣達も反対出来ないだろうとの読みだった。利家はすぐに出陣の支度に取り掛かった。長秀はすぐに秀吉のもとに戻り利家加勢を報告した。秀吉は大いに喜びすぐに次の作戦の指示を出した。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10379111090.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Nov 2009 17:25:28 +0900</pubDate>
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<title>上野の絆</title>
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<![CDATA[ 北条氏政は上野の一益の力を削ぐ為に、上野の古くからの諸勢力に北条に味方し上野から一益を駆逐し、上野を取り戻すように働きかけ所領の加増も餌に近づいた。しかし、氏康の代からの度重なる上野での戦乱に翻弄され、北条家には敵意を持つ者達も多かった。北条の調略の動きに一益も不安もあったが、上野の諸勢力を集めて再び一益に協力するかどうかを問うた。諸勢力の当主達は先の戦で人質を解放し、現在も人質を取らずにいる一益に魅力を感じ更に、織田信長以来織田領は民に重税をかけずに善政を行う事に感じ一益に付く事をみな決めていた。この上、上杉と連携して会津の蘆名を討ち北条の影響下にある諸勢力から討ち北条を孤立させる案を進言した。一益はみなの協力に感謝し、進言を入れ必ず関東をまとめると約束した。これで上野は一益を中心に一つにまとまった。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10377850279.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Oct 2009 23:40:26 +0900</pubDate>
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<title>関東の覇権</title>
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<![CDATA[ 信忠と秀吉を中心に東西での対立が決定的になると小田原の北条氏政は北条家の威信と独立を守るために常陸の佐竹、会津の葦名など近隣の影響下の諸勢力と婚姻を更に深めて滝川、徳川、上杉に対し関東での優位を押し進めた。一益は信忠に負担をかけないように関東を死守するために上杉景勝と連携を深め北条、徳川に対抗していたが、何分、徳川領の甲斐が南信濃との近接の弊害であり、場合によっては上野が孤立する危険があると以前から危惧しており、甲斐の奪還を計画していたが、戦となれば徳川、北条と戦う事になり状況は不利であり、なかなか手を出せずにいた。そんな中、北条が上野の諸勢力の調略にかかっていると報告があった。
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<link>https://ameblo.jp/sengokubushou/entry-10375980448.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Oct 2009 17:03:08 +0900</pubDate>
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