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<title>書類総研</title>
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<description>ずいぶんだなと思う</description>
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<title>東に沈む夕日</title>
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<![CDATA[ <p>東日本大震災が起きて、何年経ったのだろうか。</p><p>同じような思いを持たれる人も少なくはないと思う。</p><p>過ぎた年月を思い出せないことは、あの日を忘れたわけではなく、あの光景が日常の景色となり、自分が今もあの時間にいるからではないだろうか。</p><p>3.11が風化したわけではなく、時計の針が止まってしまったのだと感じてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>震災がもたらした悲しい現実をリアルタイムで知る手がかりと言えば、避難された住人の方々の、その後がクローズアップされたニュースに手がかりを見付けることができる。</p><p>他県に移住した子どもたちが、現地での無理解や、悪意に晒され、心に二重の傷を追ってしまう。</p><p>私も子の親なので、そういったニュースを見るたびに、やりきれない思いと、我が身の無力さに苛まれてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>あの当時を思い出すと、私たちの日常に溶け込んでいるのだが、どこか遠く感じてしまう、東京電力というアンタッチャブルな巨大企業の姿が頭をよぎる。</p><p>自然災害が起きた場合だと、何を問われても寡黙で、責任を追うこともできない「自然」を責めるわけにもいかず、形あるものに責任を求めるものだが、その全てを背負った企業が東京電力ではないかと考える。</p><p>&nbsp;</p><p>避難された住人と同じく、現場で働く社員と家族も、困難な環境の中での生活を強いられたらしい。</p><p>縁があって、東京電力で働かれる社員の家族と話す機会があったのだが、当時の経営陣の言動や、地震が起きたことまでも、現場で働く社員とその家族の責任とされて、周囲から無理解の視線と非難を浴びせられたと聞いて、胸が痛くなった。</p><p>&nbsp;</p><p>雲の上の存在である、経営陣の気持ちは察することはできないのだが、現場で働く社員は、今いる場所に津波がやってくることを確認した後に、地域に最悪の事態を及ぼすことを避けるために、誰が言い出したわけでもなく、「残ろう、最後までやろう」と共通の意識が芽生え、津波が到来する瞬間まで作業を続け、敷地内で一番安全だと思われる建物に避難したと、後日聞いたのだが、その安全と思える建物も、決して安全ではなく、最上階のすぐ下の階まで浸水して、多くの社員は家族の姿を思いながら死を覚悟したとのことだった。</p><p>&nbsp;</p><p>家族も愛する夫や、我が子の生還を祈りながら、涙を流されたのだろうと思う。</p><p>幸い祈りが通じたのか、その場にいた社員に犠牲者は出なかったのだが、過酷な現実が社員と家族を待っていたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>世間の冷たい視線と無理解。</p><p>&nbsp;</p><p>世相に乗る形でメディアも騒ぎ立てた。</p><p>「ママ友グループのボスだった東電社員の妻が居場所を失った」</p><p>「集金の社員も、東電の金で飯を食っている」</p><p>&nbsp;</p><p>社員の人となりも様々であるように、その家族も立ち振舞も様々だったと思う。</p><p>そういった経緯の中で、周囲との距離感が掴めなかったケースも稀ではあるが有るかと拝察する。</p><p>ただ、それはそれ、これはこれで、現地の社員が命をかけて職務を全うして、現地にいずとも不眠不休で目の前の事態を収めるために働いた社員の姿が見えるのも事実ではないだろうか？</p><p>&nbsp;</p><p>当時の経営陣や、株価を気にして過剰に東京電力を擁護して、世間と被災地に挑発的な言葉を浴びせ続けた財界人の思惑から離れると、今までと違った東京電力社員の姿も見えてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>インフラを支える企業には「理念」があり、現場の社員には理念から生まれる信念がある。</p><p>「誰一人漏らさず、我が社のサービスを安定した形で届けよう」が、現場で働く社員の共通の意識であり、誇りでもあるという。</p><p>もちろん理念が届かない例外もあるだろうが、現場で働く社員の気持ちが見えてくる逸話ではないかと考える。</p><p>&nbsp;</p><p>色んな意見があり、賛否両論はあると思うのだが、電力会社に関わらず、業種を越えて地域社会に貢献する全ての働く人たちに、「ありがとう」と伝えたい。</p><p>&nbsp;</p><p>私は九州に住んでいるので、東京電力の社員と家族の方々と触れ合う機会が少ないので、もし現場で働く社員や家族をご存じの方がいらしたら、「あの時は大変だったな、頑張ったな」と、地域のヒーローに賞賛の声と拍手を送っていただければと、心からお願いする次第である。</p><p>伝言をお願いするのは心苦しい限りではあるが、ここで会ったのも何かの縁ということで、ご容赦いただきたい。</p><p>&nbsp;</p><p>今日は、3.11の中で必死に生きた人達の生き様に思いを馳せ、避難された住人の方々、今も現地で生活を営む方々、この時間も汗を流す働く人たち、そして亡くなられた方々、全ての人達に心からの敬意と哀悼の意を表したい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/senzai-ganbou/entry-12255397098.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Mar 2017 16:16:35 +0900</pubDate>
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<title>遠いあの日</title>
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<![CDATA[ <p>せっかくのアメブロアカウントなので、こちらもでブログを書かせて頂こうと思う。</p><p>夕方のニュースに目を向ければ、今冬は春のように過ごしやすいとキャスターが笑顔で伝えている。</p><p>桜が散る初春の風景を思い描くと、太平洋戦争に従軍した老人が、行きつけの飲み屋のカラオケで同期の桜をリクエストされ、しんみりと音楽だけを聴かれていたことを思い出す。</p><p>&nbsp;</p><p>あるとき、その飲み屋で、老人を見かけ、今日もまた歌声のない十八番が聞けるのかと、思いを巡らせていると</p><p>別のボックステーブルに座る、弁は立つのだが一言多い地元の青年名士が、場を意識してか、旧海軍軍艦の批判を始めたのだった。</p><p>口に出すことはないのだが、消極的に反戦派を気取る私としては、ある角度から見た正論に、ある種の納得をしつつ、老人の動向が気になり始めていた。</p><p>&nbsp;</p><p>想像通り、老人は青年名士に激怒した。</p><p>激怒し詰め寄られる先人の迫力は老人のそれとは思えず、一方の青年名士は、このままでは顔が立たないのかと思ったのか、たじろぎながらも、意地の悪い苦笑いを浮かべて反論を始めた。</p><p>「米軍がレーダー索敵をしている時代に、日本軍は明治時代よろしく、狼煙で連絡を取っていたじゃないですか、戦死者は犬死ですよ」</p><p>&nbsp;</p><p>店内の空気が変わった、場が青年名士の論説に打ち負かされて変わったのではなく、火に油を注がれた老人の怒りに屈してしまったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>怒り狂う老人、変わらず苦笑いを見せるが、表情から後悔が見え隠れする青年名士、金を払って飲んでいるのに、老人をなだめることに追われるお客たち。</p><p>&nbsp;</p><p>酒に酔うのではなく、険悪な空気に悪酔いした夜だった。</p><p>&nbsp;</p><p>原因を別にすれば、盛り場では、よくある話かもしれないが、青年名士が吐き捨てた「犬死」の一言だけが、私の心に居座り続けた。</p><p>&nbsp;</p><p>どうして、老人はあれほど感情を露わにしたのか、しばらく私には理解できなかったのだが</p><p>あれから年月が流れ、大人の付き合いを身につける中で、周りのフォロー役に回ることも多くなった。</p><p>仕事で同僚が失敗して、電話口で姿が見えない相手に、丁寧に頭を下げる光景を見ても、その日に同僚の家族と顔を合わせれば、「ご主人は職場で期待されるエースですよ」と、手放しで褒めるのが社会人の嗜みであり、常識なのである。</p><p>&nbsp;</p><p>無礼を働けば、当然のことだが「嫌な奴」と思われるのも、大人の世界では常識である。</p><p>&nbsp;</p><p>今になって思えば、あの老人も、自分にではなく、同じ釜の飯を食い、共に笑い、戦地で散っていった仲間を侮辱した、青年名士の無礼に怒りで抗議したのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>戦地では多くの人命が失われ、最期の姿も様々であろう。</p><p>堂々と散った者もいれば、言葉は悪いのだが、死の恐怖に怯えながら、決して褒められない最後を迎えた者も当然いるだろう。</p><p>だが、どこで、誰が、どんな姿で戦死したとしても、生き残った兵士たちが帰国すれば、戦友の遺族に、「お子さんは、ご主人は、ご立派な最期でしたよ」と伝えるのが、亡くなった者への、手向けであり礼儀なのである。</p><p>&nbsp;</p><p>職場の同僚から、「家族が嬉しそうだった」と礼を述べられ、こちらも嬉しくなるものだが</p><p>あの老人も、戦地で散った戦友から、今も届く感謝の言葉に嬉しさを感じ、何十年という歳月をかけて、礼儀を尽くしているだけなのかもしれない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/senzai-ganbou/entry-12231092328.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Dec 2016 02:09:42 +0900</pubDate>
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