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<title>私たち世代って</title>
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<description>ずいぶんと若い人批判がされる今日この頃だけれど、もっと希望的な側面とか、若い人はこんなこと考えてるんだという声が語られないと。自分に身近なレベルでそれを発信していきたい！との思いから、とりあえず手っ取り早いブログに思いのたけを綴ります。</description>
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<title>麻生と福田</title>
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<![CDATA[ <p>この二人って、ある意味好対照だと思う。</p><p>ウケ方を意識している、していないが逆に私のツボには</p><p>逆転してはまる。</p><br><p>　つまり、妙にパフォーマンスにこだわり、</p><p>若者のことを理解できるんですー、キャラが立ってるんですー</p><p>とまさしく自己主張を重ねる麻生には、「あ、そう」って思って</p><p>しまう自分がいる。</p><p>　一方で、「へえー、キャラってなんですか？」</p><p>と敵方に尋ね、「キャラクターのことだよ」と返されると、</p><p>「それじゃ、私はノーキャラだ」と即座にしれっと返す</p><p>福田さんには、クスリと笑わされてしまう。間のとり方と</p><p>とトーンの変わらなさが何だか笑いを生む人だなと思う。</p><br><p>　それは虎視眈々と獲物を狙うがごとく、目をギラギラ</p><p>させているアソウと、出馬を聞かれて「まだわかりませんから」</p><p>と言いながらも笑みをおさえられない不器用な福田さんの</p><p>顔とか姿勢とか受け答えにもダイレクトにあらわれてる気が</p><p>する。</p><br><p>　思えば福田さんは、小泉が首相だった頃に官房長官</p><p>だった。メディア対応を一手に引き受け、いわゆる調整役を</p><p>務め上げた。その頃から、表には出ないウィットをそれとなく</p><p>持っている人だなーと思っていたのだけれど、首相となると</p><p>どうなるのだろうか？</p><br><p>　今、政治の混乱期をとりあえず諌めるという意味でも</p><p>調整能力のある福田さんに個人的に期待したいというところ</p><p>はあるけれど、政策的なこととかはまた別にして、小泉政治</p><p>以降のパフォーマンス政治を諌めてほしいという期待もある。</p><br><p>　アソウになったら、アニメとマンガがわかってますという顔</p><p>をしながら、更にパフォーマンス性を強めていくだろう。でも</p><p>若い人にそのことをいくら秋葉原で強調したって、若い人に</p><p>とって切実なのは雇用とかの話でしょう？オタク文化をもって</p><p>して、若い人のためになるどんな政治ができるというのか？</p><p>「タロウ、タロウ！」と歓声をあげながら応援をする若い人たち</p><p>は、そのへんをどう思っているのか、はなはだ疑問だ。</p><br><p>　受ける受けないがそのまま人気に比例してしまうのは</p><p>小泉の時で十分だろうに。</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sevennuts/entry-10047578470.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Sep 2007 23:40:56 +0900</pubDate>
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<title>しばらく</title>
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<![CDATA[ <p>先日、「ああ、一つの時代が終わったなあ」ということを初めて</p><p>感じました。人生25年間を生きてきて初めて、”時代”という言葉が</p><p>自分にとって理解可能なものになった、時代が動くのを感じた、</p><p>そんな感覚にとらわれました。</p><br><p> といっても私のいう”時代”は鎌倉時代とか江戸時代とか、</p><p>後世から見た歴史的な区間のくくりとしての”時代”ではなくて、</p><p>もっとプライベートな時代の動き。それは、自分の成長を長年</p><p>見守り続けてくれた人がこの世を去っていくという誰もが経験</p><p>することを通じてなのですが。</p><br><p>例えば子どもの頃、 車の後部座席に乗って、安心しきって</p><p>道中ずっと眠っていられた妙な安心感。</p><p>両親に叱られてもなお、祖父母が無条件に守ってくれる</p><p>という子どもながらの経験則と淡い期待。</p><p>毎休み大勢の家族がワイワイ集まる賑やかさと幸福感。</p><br><br><p>そういうものが再び訪れるとするならば、それは自分が今度</p><p>は与える側になる時なのだなーという、これまた当たり前の</p><p>ことを、まざまざと思い知らされました。幸せのカタチは</p><p>同じカタチではもう訪れてくれない。小さい時の無条件に</p><p>委ねられる感覚って、今になってみるとすごく希少に思えます。</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/sevennuts/entry-10047124259.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Sep 2007 13:35:56 +0900</pubDate>
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<title>トカトントン　トントントン</title>
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<![CDATA[ <p>　『トカトントン』というのは、太宰治の小説のタイトルですが、</p><p>この言葉の響きがたまらなく好きです。トントンカラリ、トンカラリ</p><p>みたいな日本昔話的なリズムを感じるので。そしてこのリズム</p><p>からは、一つラッキーなことが起きると、すぐにまたいいことが</p><p>起きて、水車が回るがごとく好循環に突入した！みたいな気分</p><p>になれる幸せな響きもある。</p><br><p>　この前、ものすごくアンハッピーなできごとがあって、一気に</p><p>奈落の底に突き落とされたような絶望感を感じていた時に、</p><p>急にあるできごとをきっかけにそこから抜け出せた、と感じた</p><p>ことがありました。それは、ほんとにアンハッピーなできごとに</p><p>頭と心を悩ませながら最寄り駅から自宅に向かって、トボトボ</p><p>と歩いていた時のできごと。</p><br><p>　そもそも、疲れ果てていたので、タクシーで帰ろうかどうかと</p><p>いう選択で頭をまた悩ませていたけれど、あみだくじ的に歩いて</p><p>帰ることを決意して、歩き始めていたというところでした。</p><p>ところがやっぱり、歩き始めて5分くらいしたところで、あまりの</p><p>疲れにその選択を後悔し始め、気分は更に盛り下がる。ああ、</p><p>やっぱりタクシーに乗りたい、乗りたい、と思って道端で待つも</p><p>のの、駅から近いために、乗車中のタクシーばかりが通り過ぎて</p><p>いくのです。あきらめてまた歩き始めた時、駅とは全く別の</p><p>方面から、住宅街の中から空車のタクシーが！</p><p>　</p><p>　なんだか、この時のタクシーが白馬の王子様のように見えて</p><p>しまって、すぐさま手を挙げて乗り込むと、運転手さんがとっても</p><p>いい人で、小さなことだけど、最悪のところから脱したと勝手に</p><p>思い込んでみたほど。</p><br><br><p>　そしてその翌日、取材のカセットテープを取り出して、さて</p><p>原稿を書き始めようとテープに手を伸ばした時のこと。</p><p>なんと、テープの一部が中で絡まったあげく、更に一部は</p><p>外に飛び出しているのを発見。これで取材の全てがパー</p><p>になるかと思い、でも諦めるわけにはいかず、思い切って</p><p>テープのプラスチック部分をパカッと開けて、手で丹念に</p><p>巻きなおすことを決意、決行したのです。それはそれは気の</p><p>遠くなるような作業で、額に汗はにじむし、作業の細かさに</p><p>肩は凝るあり様でしたが、最後の最後を巻き終えて、</p><p>プラスチック部分を再びはめて、レコーダーのスイッチを</p><p>オン！</p><br><p>　ところどころ聞こえは悪いものの、完全に復元されて、</p><p>巻きなおす作業そのものもだけれど、何かがきれいに</p><p>はまった感触が得られて、またまた気分が上向いたのでした。</p><br><p>　全然、トントンカラリという言葉の響きとは程遠いけれど、</p><p>小さい些細なことが、自分にとっていいタイミングで続いて</p><p>くれて、勝手に何だかいいこと起こりそうと思い込めるように</p><p>なった瞬間でした。思い込みができることって大事だと実感。</p><br><br><p>　そして、『トカトントン』は「ヴィヨンの妻」に収録されてます。</p><p>この夏読みます。この前、芥川とった諏訪哲史さんの『アサッテ</p><p>の人』との絡みもあって。両方ともお手元にぜひ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/sevennuts/entry-10042937825.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Aug 2007 00:18:31 +0900</pubDate>
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<title>本屋さんとの付き合い方</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">人によってリラックス方法は様々だけれど、</font></p><p><font size="2">わたしの一番のリラックス方法は本屋に足を運ぶこと。</font></p><p><font size="2">欠かせない毎日の習慣です。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">本屋に足を踏み入れると、空気がしっとりとしていて、</font></p><p><font size="2">心がスッと落ち着く感じがします。あの感覚はどこから</font></p><p><font size="2">くるのかと考えてみると、さながら毎日風景が変わる</font></p><p><font size="2">美術館にいるような気分が味わえるからかもしれません。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">物としての”本”が好きで、一冊一冊顔が違う本がたくさん</font></p><p><font size="2">集まっている場所だから、それだけで自分の好きな場所</font></p><p><font size="2">だということに違いはないのだけれど、その中でどの本を</font></p><p><font size="2">手に取るかは全くもって自分の自由だし、例えば人文書</font></p><p><font size="2">のコーナーと美術書のコーナーに行くのとでは全く違う</font></p><p><font size="2">空気を味わうことができる。その日その日、その時の</font></p><p><font size="2">自分の気分次第で、昨日とは全然違う旅気分を味わえる</font></p><p><font size="2">ところ</font><font size="2">が本屋の魅力なんだろうなと。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">アマゾンで本を取り寄せることも可能だし、</font></p><p><font size="2">図書館でゆっくり借りたい本を吟味することも</font></p><p><font size="2">また本と関わるあり方ではあるけれど、</font></p><p><font size="2">私は店員さんの動きを感じながら、毎日コーナーの配列</font></p><p><font size="2">が微妙に変わる本屋で、一冊一冊の本に対峙できることが</font></p><p><font size="2">本との一番自然な関わり方のような気がします。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　最近、本屋といえば大型書店ばかりが増えていくので、</font></p><p><font size="2">どこも同じような配列になってしまいがちなところに</font></p><p><font size="2">寂しさを覚えることもありますが、いろんな本屋に足を運んで</font></p><p><font size="2">お気に入りの本屋を見つけられればこっちのもの。あとは</font></p><p><font size="2">その本屋さんの癖というか、カタチをつかんで上手な付き合い</font></p><p><font size="2">方を学んでいくと、自然と自分の好みの本も見つけられるように</font></p><p><font size="2">なるし、本を探す楽しみを見つけられるようになる気がします。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">　私が思うポイントは以下の通り。</font></p><p><font size="2">・音楽はかかってなくて、しん（しーんじゃなくて）としているか、</font></p><p><font size="2">　自分好みの音楽がかかっているという音環境。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p>・　ベストセラーだけが平積みにされているんじゃなくて、装丁を</p><p>　含めて並べられ方が自分の美的感覚にあっていること。例えば</p><p>　好きな作家の本が必ず見つけられるとかも大事。</p><br><p>・　人文書、美術書、写真集、絵本とかにも目配りがされているところ。</p><p>　　雑誌とか文庫だけではなくて。</p><br><p>・　　書評でとりあげられた本が各新聞ごとに並べられていたり、</p><p>　その本屋さんだけの目線じゃない、選ぶ指標みたいなものが</p><p>　丁寧に用意されていることも、お役立ちポイント。</p><br><p>・　各出版社から出ているPR誌が種類豊富にそろっていること。</p><p>　（PR誌とは、各出版社から出版される本の紹介がされていたり、</p><p>　様々な作家による連載がされていて、月に一回発行される</p><p>　小さい雑誌のようなもの。全て無料で手に入るし、隠れた良い</p><p>　連載に出会える楽しみもある）</p><br><p>・　ゆっくり本を選べること。例えば、椅子があって、座りながら</p><p>　本を読んだりできること。カフェ併設店とかもいいですね。</p><br><p>というかんじです。お気に入りの本屋を見つければ、普段本を</p><p>あまり読まない人でも、本に親しみが湧くんじゃないかと思います。</p><br><p><font size="2"><br></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/sevennuts/entry-10040614945.html</link>
<pubDate>Sat, 21 Jul 2007 21:24:24 +0900</pubDate>
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<title>事実婚の周辺</title>
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<![CDATA[ <p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt">フランスの出生率が今や目覚しく回復しているというのは有名な話。しかも事実婚（籍を入れていないが、事実上一緒に暮らしていて子どももいる状態）を法律婚と同じくらい法律で保護するようになったことが功を奏したからというのもまた有名な話だけど、日本でも少子化対策として同じ方向性の選択がありうるのかどうなのか思いをめぐらせると、とたんに？マークに灯がともる。</span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"> 　何でも、フランスで子どもを生んでいる家族のうちほぼ<span lang="EN-US">2</span>組に<span lang="EN-US">1</span>組が事実婚。法律婚を選択することは気がひけて、でも子どもは欲しいから法律婚なみの保護がほしい。そんな人たちが増えていたからこそパックス法の成立によって、子どもを産む選択へのはずみができた。もちろん、育児環境がより整ったりということも少子化解消の要因ではあったけれど、事実婚の保護がされるようになって飛躍的に数字に表れた。　 それならば日本でも事実婚保護をすれば少子化が解消される？という話がもっと出てきてもいいのかもしれないけれど、その前には、もっと大きな壁がある気がしてた。日本とフランスのお国柄事情というか、現実が違うからこそ、話が出てこないいう状況とか、話自体が現実化しないような状態というか、国民性というか……。　</span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"> そもそも、日本で事実婚を望むカップルというのがどれだけいるのか？”結婚”自体が法律によって守られた、というか成り立っている”制度”であるということを認識している人がどれだけいるのか？と考えてみると、途端に現実味のない話に思えてくるし、 ”事実婚”という言葉は空虚な響きを帯びてくる。 </span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"> 　と思っていたら、最近、そうでもないかも？と”事実婚”の話が活性化しそうな話にいくつか行き当たった。 </span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"> 一つは、よしもとばななと内田春菊の対談集「女ですもの」を読んでいて。なんとこの二人、事実婚らしい。よしもとばななが子どもを産むつもりなんてなかったのに思いがけず子どもができて産みました、といういきさつは知っていた。でも事実婚だったとは！内田春菊に至っては、<span lang="EN-US">4</span>人の子どもをもつ母であるけれど、一回籍を入れてから籍をぬいたというのだ。もちろん、パートナーは変わらないままで。　物書きの仕事をしていると、プライベートでもどこか他の人とは立ち位置も違うんです、ってアピールしたくなる人も多いだろうし、まあそんなことかなーと思っていたけれど、もっと実体験を重ねた上での”あえての選択”だということがわかる。例えば、親族的なつながりを積極的に持ちたくないということだとか。</span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"> それと、参院選に出馬する民主党推薦の「尾辻かな子」さんのチラシを手にとって眺めていたら、この言葉を発見。レズビアンである彼女の公約は、マイノリティが生活しやすい法律などを作るということ、そして一人でも生きられるような多様な生き方が認められるような社会にすること。その中で具体的に言及されていたもののうちの一つが ”事実婚”だったのだ。マイノリティの人が、マイノリティならではの視線で今までなかなか語られることのなかったことにセンシティブな目線を投げかけてくれる、そんな気がした。</span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"><br></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt; TEXT-ALIGN: left; mso-pagination: widow-orphan" align="left"><span style="FONT-SIZE: 12pt; FONT-FAMILY: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-bidi-font-family: &quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;; mso-font-kerning: 0pt"> 話はずれるけれど、マイノリティの人たちの存在は、それがどんなマイノリティであれ、マジョリティのステレオタイプ化した思考に揺さぶりをかけてくれるものであると思うし、マジョリティはマイノリティの人たちの視線によって今まで当たり前と思っていたことを改めて考える契機を与えてくれるんじゃないかなと、チラシを眺めながら感じた。次回に続く…… <span lang="EN-US"><br></span></span></p><p class="MsoNormal" style="MARGIN: 0mm 0mm 0pt"><span lang="EN-US"></span></p><p><font face="Century" size="3"> </font></p><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/sevennuts/entry-10040604943.html</link>
<pubDate>Sat, 21 Jul 2007 20:25:54 +0900</pubDate>
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<title>働きすぎになりたくないけど</title>
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<![CDATA[ <p>ここしばらく、マックスに働いていました。そうしたら案の定</p><p>体を壊しました。風邪をひいたり、鉛のように体が重くて</p><p>動けなかったり。</p><br><p>男社会で男並みに働くことはやっぱりしんどい。自分に</p><p>体力がもっとあればなーと、体をとりあえず鍛えようとか</p><p>思うわけですが、今の忙しさとか仕事量とかが体を鍛えて</p><p>みて乗り切れるものなのか、それとも、体力を今より</p><p>つけたとしても、なおしんどいものなのかよくわかりません。</p><br><p>女の人も、男並みに働けて一人前！</p><p>直接そう言われたこともあるし、あるいはそう言われなくても</p><p>仕事スタートが遅い上司にあわせて働くと、会議とかが</p><p>始まるのが夜の２２時とかいうことだってあるわけで、</p><p>体が悲鳴をあげつつあるのを実感しながらも、</p><p>「女性の私に配慮して」とは言えず、結果的に男性時間に</p><p>あわせなければならい……。というのはよくあること。</p><br><p>男性の中でも、もちろん遅くまで働くのがしんどいという</p><p>人もいるだろうけれど、女性の中で遅くまで働いていても</p><p>体的にも大丈夫という人もいるだろうけれど、それでも</p><p>体力の男女差は日常的に感じるわけで、そこのところを</p><p>見てみぬふりするんじゃなくて、働き方の観点から再考</p><p>してほしいなと切に思います。体力的にしんどいと心理的</p><p>にもしんどくなる、だから心もバランスがとれなくなって</p><p>みんなイライラみたいなのは、どう考えても悪循環！</p><br><br><p>人に会って取材をしてという生活の楽しさはもちろんあります。</p><p>それはそれは、かけがえのないこと。でもだからこそ</p><p>相手の人と元気な状態で会って、いい時間をもてるよう</p><p>にするためにも、マックスの手前で抑えたい。何かを生む</p><p>ためには余裕も必要だと、ほんと思います。</p><br><p>と言いつつ、今日も仕事なのですが。</p>
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<pubDate>Mon, 16 Jul 2007 00:52:20 +0900</pubDate>
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<title>フリーターズフリー</title>
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<![CDATA[ <p>ネーミングセンスがナイスな『フリーターズフリー』を手に入れました！</p><p>少し前に本屋で買おうと思ったら、なんと売り切れ。再入荷を待って</p><p>買いました。雑誌かと思いきや、装丁自体は本そのもの。</p><p>そして、1500円でこの充実度はお買い得だと思える内容です。</p><p>一つ難を言うのであれば、フリーター自身が手に取れるものなのか</p><p>どうか、ということ。だいぶ社会学的な要素が強い、という印象。</p><br><p>　これを読んで一番認識できることは、「フリーター問題はジェンダーの</p><p>問題である」ということだろうか。確かに、フリーター問題が語られる時</p><p>に、不思議なほどそこに映し出されるのは"女性”でなくて”男性”だ。</p><p>テレビをイメージすれば一番わかりやすいけれど、ありがちな映像と</p><p>しては、バンドなんかをやりつつプロを目指している男の子が出てきた</p><p>りする。フリーターの生き方をたたく文脈で出てくるのもまた男性で</p><p>ある反面、フリーターの当事者としてとりあげられるのもまた男性。</p><p>　私も、フリーターといえば男性のイメージが漠然とあった気がする</p><p>くらいだ。</p><br><p>　でも、実際のところ、数字にしてみるとフリーターの男女比は</p><p>2001年の時点で逆転、女性のほうが多くなった。そしてそれは</p><p>今現在も進行中のようなのだ。</p><br><p>　これって、やっぱり考えてみると、「男性はきちんと働くべき」っていう</p><p>規範が根強いことの表れなんだと思う。本当は女性のほうが多くて、</p><p>そのことがクローズアップされてもいいはずなのに、不思議とそういう</p><p>取り上げられ方はしない。それは、女性がフリーターであることは</p><p>あまり問題視されていないということでもある。女性がみんな等しく</p><p>社会できちんと働くべき、とは思われていない。だから女性が正社員</p><p>のようなポジションで職に就かないことは、責められないし、また問題</p><p>にもされることがない。これは本当にジェンダーで覆い隠されている</p><p>問題なんだと思った。</p><br><p>　でもそれは女性の側だけではなくて、男性にも敷衍していえること</p><p>なはずなわけで、「男性がみんなバリバリ働くべき」っていう考えが</p><p>壊れない限り、その考えにくみできない男性だってやっぱり辛いと</p><p>思うのだ。女性、男性どちらかだけが偏って問題化されることは、</p><p>どちらにとっても問題だろう。</p><p>　女性は、覆い隠されてしまって問題の俎上にものぼらないということ、</p><p>そして男性は「みんな働くべき」という一つのベクトルに収斂されて</p><p>しまうということだ。</p><br><br><p>　もう一つ。</p><p>最近知り合いに、夫が完全主夫である、というワーキングウーマンに</p><p>出会った。なんと、夫が寿退社をしたというのだ。おお、画期的！素敵！</p><p>とその場では思わず叫んでしまった。</p><p>　でももちろん、主夫は主夫なりに辛いようで、それはまだまだ日本</p><p>で異端視されるからという社会的な事情もありつつ、話を聞いていくう</p><p>ちに「専業」ということの辛さも大きいのだなあ、と実感したのだ。</p><p>結局明けても暮れても育児と家事とをやっていなければならないわけで、</p><p>もちろん本当にそれが生きがいで、それだけで辛くないという人もいる</p><p>だろうとは思う。でも、社会性がないところにずーっと居続けるということ</p><p>は、たいていの人にとってはやっぱり辛いんだろうなとも思う。</p><br><p>「主夫」という存在はそのもの珍しさもあって、ついつい喝采を送りたく</p><p>なってしまうのだけれど、それはまして女性からするとそう見えて</p><p>しまうのだけれど、単純に今まで担ってきた「専業主婦」の役割を</p><p>今度は男性が担ってくれたからといってその問題が解決するわけ</p><p>じゃないだろうな、ということを思ったわけです。</p><p>　ジェンダーを単純にひっくり返したからいいってわけではない。</p><p>それはジェンダーの問題を何も解決したことにはならない。</p><br><p>　やっぱり、その人の器というか、性格や適性にあったいろんなあり方</p><p>があることこそが理想的なんだろうし、そうであれば、「専業」を広げる</p><p>ことじゃなくて、「ちょこっと仕事」とか、「日によって働く時間も違います」</p><p>みたいなオランダ的な働き方が浸透することが大事なのかな、と。</p><br><p>　ジェンダーと労働って、大きなテーマですね。</p><br><p>　</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/sevennuts/entry-10038349635.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Jun 2007 23:05:47 +0900</pubDate>
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<title>すすむ主婦化</title>
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<![CDATA[ <p>「主婦化」という言葉をはじめて耳にした。</p><p>人々（女性に限らず男性も）を主婦とみなすことで、</p><p>その人が行っている労働の価値を引き下げ、その人々の</p><p>社会的な地位を従属的なものへと変化させてしまう</p><p>メカニズムのことだそう。人が主婦化されてしまうと、</p><p>無権利状態に甘んじて、低賃金（もしくは無償）でし</p><p>かも愛情をもってして働かなければならなくなる。</p><br><p>専業主婦の仕事を考えてみれば、たとえそれが専業主夫</p><p>であろうとも、これがあてはまることは言うまでもない。</p><p>主婦はアンペイドワークであって、しかも子育てにおいて</p><p>は愛情を注ぐことが大前提のことになっている。別に</p><p>育児放棄をしなくとも、愛情を注いでいなければ</p><p>主婦は責められるわけだから。</p><br><p>これは家庭内に限らず、今の若い人たちの労働においても</p><p>あてはまる状況なのかもしれない。あるいは、若い人に</p><p>限らず介護、ケアの労働においても。介護労働に携わる</p><p>現場の責任者が、みんな感情労働の役割を求められる</p><p>結果、つまり仕事の大部分が「やるせなさ、老いや死への</p><p>不安感」を聞いてあげることである結果、現場の介護労働者</p><p>たちがどんどんと心を病んで離脱していっているということを</p><p>語っていた。</p><br><p>　「愛情を注ぐ労働」「人のためになることができる労働」</p><p>というイメージも強調される介護であっても、やはり</p><p>低賃金で、愛情を注ぐことは余儀なくされる。もしそれを</p><p>現場で拒否したら？そのへんの実情はわからないけれど、</p><p>介護労働の現場は「労働が主婦化された」状態といえる</p><p>のかもしれない。</p><br><p>家庭で担われていた、主に主婦が担っていた仕事を外部化</p><p>してもなお、そこには「主婦化された労働」が残ることになる。</p><p>男女を問わず、その担い手が求められ続ける。コムスンの</p><p>事件を考えるにつけ、問題の難しさを考えさせられます。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/sevennuts/entry-10037897908.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Jun 2007 13:12:13 +0900</pubDate>
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<title>日経でも社会起業家特集</title>
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<![CDATA[ <p>6月18日から、日本経済新聞の夕刊にて</p><p>「社会起業家」の特集が始まったのを発見！</p><br><p>「イノベーションby社会起業家」というタイトル。<br>NPOやソーシャルベンチャーのリーダー、</p><p>社会貢献を目指す経営者などが、社会の課題に</p><p>挑む現場を追う企画です。何回続く連載なのかは</p><p>わからないけれど、日経でもいよいよ始まった</p><p>という印象です。日本における社会起業家の現在を</p><p>紹介、というかんじになるのでしょうが、他にも私が</p><p>今までに読んだ中でとても興味深い関連本があった</p><p>ので、紹介できれば。</p><br><br><p>「チェンジメーカー～社会起業家が世の中を変える」</p><p>これは、写真家の渡邊奈々さんが5年間ほど時間をかけて</p><p>世界をめぐり、社会起業家たちに自ら会い、それぞれの人の</p><p>それぞれの試みを描いたノンフィクション。あたたかい目線で</p><p>人物像が浮かび上がるタッチで描かれているので、</p><p>読むとステキな気持ちになれるだけでなく、自分も何かやって</p><p>みようという気持ちにさせられるような一冊です。</p><br><p>「世界を変える人たち～社会起業家たちの勇気とアイディアの力」</p><p>こちらは、アメリカのジャーナリストが、「社会起業家」の</p><p>創始者ともいえるアショカ財団のドレイトンをはじめ、</p><p>世界に広がるアショカのネットワーク上にいる人物たちを追った</p><p>ノンフィクション。アメリカのビジネススクールの社会起業家</p><p>コースでは教科書としても使われているそう。</p><br><p>　あわせて読んでみることをおススメしたいです。</p><p>日本の若い世代にはグッとくるものがあると思う。</p><p>私がそうなので。</p>
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<link>https://ameblo.jp/sevennuts/entry-10037371274.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Jun 2007 12:34:10 +0900</pubDate>
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<title>家族だからこそ</title>
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<![CDATA[ <p>　最近、家族関連の凶悪犯罪が立て続けに起きていることに、改めて</p><p>考えさせられます。妻が夫をバラバラにしたり、元夫が妻をバラバラに</p><p>したり、子どもが両親を殺そうとしたり。</p><p>　今年に入ってから、「家族」と「バラバラ」がワンセットになってニュース</p><p>になっているといっても過言でないくらいで、「家族」を「バラバラ」にしなけ</p><p>ればならないほど、それほどに追い詰められた状況に「家族」があるのか</p><p>もしれないと、思う。</p><br><p>　つい先日、新刊の本ではないけれど、原宿カウンセリングセンターの</p><p>主宰者であるカウンセラー・信田さよ子さんの著書「愛しすぎる家族が壊</p><p>れるとき」を（2003、平凡社）を読んだ。（読んでみれば、タイトルの「愛しす</p><p>ぎる家族」というのは、そのままの意味合いではなくて、「愛していると思っ</p><p>ていた家族」というほうが適切ではあるけれど、そこはまあそういう含みも</p><p>持たせたタイトルなのだろう）</p><br><p>　この著書の冒頭では、信田さんのもとに相談に訪れる多くの患者さん</p><p>からの相談をもとに、モデルケースとしての家族が紹介され（あくまで</p><p>フィクション）、その家族が壊れていくまでのストーリーが描かれている。</p><p>そこを出発点として、「家族」というものに内包されている問題が語られ</p><p>ていく。</p><br><p>　もちろん全ての家族に、家族を解散しなければならないほどの問題</p><p>があるわけではないだろうけれど、ギリギリのところで家族解散をする</p><p>しか選択しようがない家族においては、「父親の権力」と「母子密着」が</p><p>わかりやすいくらい共通して見られることが浮き彫りにされていくのだ。</p><br><p>　「自分こそが稼ぎ手で、家族の経済力を支えている！」</p><p>という言葉と自負を武器にする夫と、それに反抗などできるはずもなく、</p><p>夫の顔色を伺いながら子育てと家事に追われる妻。そして、ほとんど</p><p>の時を専業主婦である妻は子どもと過ごし、自分が果たしたくても</p><p>果たせなかった夢を、あるいは日々晴らせないうっぷんを、子どもへ</p><p>夢を託すカタチで、子どもへの教育にエネルギーと時間を割いていく。</p><p>でも、子どもは知らず知らずのうちに「愛情のない両親」の姿に、そして</p><p>母親の自分への過度の係わり合いに嫌気がさして、そこに応えきれない</p><p>結果が不登校なりのカタチになってあらわれる。それを自分の力が足り</p><p>ないからだと母親は自分を責め、何とか自分のプライドのために子ども</p><p>をきちんと育てようとますます躍起になり、ますます子どもは逃れようが</p><p>なくなっていく。そしてやはり、父親はその問題に目を向けようとしない、</p><p>向き合おうとしない、なぜなら仕事で疲れているから……。</p><br><p>　そんなに一般化できないでしょう、っていう人もいるかもしれないけれど、</p><p>自分の家族を照らし合わせてみてもすごくうなづける話で、バラバラにする</p><p>憎悪までは理解できないにしても、家族の中で犯罪が起きること自体は</p><p>納得できてしまう自分がいる。「うちだって人事じゃない」、そう心のうちで</p><p>思っている人も多いんじゃないだろうか。</p><br><p>　それで、私の身近なところでも、</p><p>そういう企業戦士みたいな父親のもとで育って、家族が壊れていく風景を</p><p>見ている私くらいの子どもにあたる子たちは、ああいうふうになるんじゃ、</p><p>企業で働く働き方をしたくないって言う。結局、社会的なステータスは築いて、</p><p>名誉も得られて、家庭内の問題には目を閉ざして、いざそこに目を向けざる</p><p>をえない状況に迫られたら勝手に家庭を捨てる選択すらできてしまう。</p><p>自分の社会的なポジションには影響を与えない。</p><br><p>　一番信頼したかったはずの、一番愛したかったはずの家族のメンバー</p><p>によって裏切られるという体験もそうだし、家族だから、一番愛さなければ</p><p>いけないはずのメンバーだから、最後まで問題が解決されるまで一緒に</p><p>立ち向かわなければという妙な責任感もまた、憎悪につながってしまうん</p><p>だろう。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/sevennuts/entry-10037021261.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Jun 2007 22:51:41 +0900</pubDate>
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